『オトナ女子のための美容化学 しない美容』|手間もお金もかける。最小限

こんにちは。あさよるです。春先から肌の調子がガタガタで、久々に皮膚科にかかってお薬処方されました……最近やっと、落ち着いてきたのですが、また日焼けをしてしまって全身カサカサに……。この繰り返しですね。これから暑くなるとまた、夏のトラブルに悩まされるのか~。今から気合を入れて準備をしておきましょう。

かずのすけさんのブログはいつもチェックしていて、お買い物の参考にもしています。今年はかずのすけさんの著書もザクザク登場していて、少しずつ読んでいます。今回は『しない美容』。「美容をするな」という意味ではなく「最低限のケアはしましょう。だけど、それ以上はしない」という意味です。

どうやらわたしたち、意味も分からず無暗にスキンケアやヘアケア、ボディケアをするもんだから、逆効果で肌荒れやトラブルを起こしてしまっているんじゃないか? というお話。内容を読むと、心当たりのある方も多いと思われます。

みんなケアを「しすぎている」!

本書『しない美容』では、みんな美容の「適切」を超えて「しすぎている」と啓蒙を鳴らす内容です。といっても、「美容をするな」という主張をしている内容でありません。最低限の手入れや美容は必要としながらも、それ以上の美容習慣が逆効果を生んでしまっている例が紹介されます。アレもコレもと「いい」と聞けばなんでもかんでも取り入れる「足し算の美容」によって逆効果を生んでしまっているならば、余計なことをしない「引き算の美容」が「しない美容」です。

余計なケアを省くことで、綺麗になれるのでは? というのは、かずのすけさんの著作に共通していて、かずのすけさんのブログでも、日々情報発信をなさっています。

最低限の美容を行うために必要なのは、情報を取捨選択できる「知識」でしょう。巷では様々な心惹かれるキャッチコピーとともに化粧品が販売されていますが、売り文句だけでなく、自分に必要なアイテムを自力で選び取れる力が試されます。もし「なんでそれが必要か」「なぜするのか」を科学的に説明ができるなら、美容やスキンケア・ヘアケアも、お化粧も、お買い物ももっと楽しくなるだろうなあと思います。

メイクやヘア、ネイル、まつエクも

本書『しない美容』では、メイクやヘアケア、ネイルアートやまつエクなど、スキンケア以外の美容に関する製品の選び方・扱い方が紹介されます。あさよるネットで紹介したかずのすけさんの著書では、スキンケア中品物が多かったので、これはうれしいです。

ネイルに関しては、ジェルネイルに使う樹脂に危険性があることを念頭に置きましょう。特にセルフネイルをしている人は、ジェルでアレルギーを起こすこともあるので要注意……って、あさよるもセルフジェルネイルを楽しんでいるので、ドキッとしました。手先をキレイに見せるためのネイルなのに、そのせいでアレルギーになったら本末転倒ですね(;’∀’)>

ヘアケアでも、なんでもかんでも髪に塗れば良いってもんでもないみたい。ヘアオイルは髪から落ちにくく、紫外線やドライヤーの熱や、酸化により「臭い」の原因になる可能性があります。また、油と油はくっつきやすいので、髪がギトギトの原因になります。

「臭い」「ギトギト」と言えば、デオドラント系を気にしている方も多いでしょう。制汗剤は、臨時的に使うのはアリみたいですが、毎日使用すると余計に汗や臭いのリスクが増すそうです。なんでも、薬品によって一時的に皮膚を腫れさせて、その腫れで汗腺を圧迫し、汗を止めているそうなんですね。だから腫れが引けば、溜まっていた量の汗がどっとあふれ出ます。汗腺を蓋してしまう製品もありますが、こちらも蓋が取れるとどっと出てきてしまいます。

足の臭いやデリケートゾーンの臭いが気になって洗剤で洗う人がいますが、これも逆効果だそうです。特にデリケートゾーンは、安物の洗剤(普通のボディーソープ)で洗うのは絶対やめようと書かれていました。どうしても気になるなら専用のソープを用意しましょう。

あと、あさよる的に大きな収穫だったのは、日焼け止めの選び方。クリームやジェル系の日焼け止めよりも、パウダー状の方が日焼け止め効果は高いので、日中は日焼け止め成分の入っているファンデーションやパウダーで化粧直しすることで、日焼け対策にもなるそうです。これも、思い込みで、クリーム状やリキッドタイプの方が日焼け止め効果が高いと思ってました(-_-;)>

崩れにくいファンデーションが意外だった!

あさよる的に意外で勉強になったのは、ファンデーションの崩れにくさの指針です。ファンデーションは、肌から分泌される皮脂と混じって崩れてしまいます。だから、「皮脂とは混ざりにくいオイル」が処方されているファンデーションの方が崩れにくいのです。つまり、パウダー状のファンデーションは、処方されているオイルの量が少ないから崩れやすい。反対に、エルマジョンタイプや、スティックタイプのファンデーションの方が、オイルの比率が高いので崩れにくいそうです。

崩れにくさの関係が図になっていて、「とても崩れにくい」はエルマジョンファンデ、スティックファンデ、「比較的崩れにくい」がクリームファンデ、「崩れにくい」はリキッドファンデ(二層式)、「比較的崩れやすい」がクリームファンデ(水系)、「崩れやすい」がリキッドファンデ(乳化型)とパウダーファンデ(プレスとファンデ)、とても「崩れやすい」がルースパウダーです。

「崩れやすさ」と「塗りやすさ」の点から、『しない美容』ではリキッドタイプがオススメされていました。

あさよるはてっきり反対だと思っていました。パウダーの方が崩れにくいとばかり信じていた……。ファンデーションは自分の生活スタイルに合わせて、数タイプ用意して使い分けるのが良さそうですね。

スキンケアは必要。お金もかける。

かずのすけさんの『しない美容』の特徴は「ケアは必要」だし「お金もかける」よう指南されている点です。「スキンケアはするな」とか「金額は関係ない」わけじゃありません。特に、化粧品は化学薬品でできていますから、その材料費が最低限かかっていて、プチプラコスメは材料も安いものを使っているから安価なんですね。

ある程度の効果と、安全性を担保するなら、最低限の価格帯を頭に入れておきましょう。くれぐれも決して「高ければ良い」わけでもなくて、適正価格があるということです。

適正価格が一覧でざっと、クレンジングは3000円前後、洗顔料は1500円~3000円、化粧水は2000円~3000円、美容液は5000円前後と紹介されていました。

賢く時間もお金もほどほどにかける大人の美容

かずのすけさんの「しない美容」って、大人の美容だなあと感じました。安ければいいわけでもないし、手間を全くかけないわけでもない。コストも時間も割きつつも、必要最小限で最大の効果を得る、賢い美容法だろうと感じたからです。

あさよるは最近、プチプラコスメの中でもよりプチプラなコスメにハマっていて、1000円以下のコスメでどうクオリティを上げるかに熱中していましたが、美容の点で言うと、適正価格帯の製品を選ぶのが無難っぽいですね(;’∀’)> 確かに、コストかけるべきところはサクッとお金を出した方が安上りに感じます。特に安いファンデーションは店頭で自分でパパっと選ぶと失敗が多くて……カウンターで時間をかけて試供しながら選ぶ方が安上がりに感じます。

スキンケアはどうなんでしょ? あさよる的には、食べ物と睡眠時間で肌の感じがダイレクトに変わるので、お金をかけてこだわるなら、スキンケアアイテムよりも生活習慣の維持にコストを割く方がいいなあというのが、最近の実感(こりゃ本書のテーマと外れた話ですが)。

個人的には、ネイルケア・ハンドケアが今の課題ですね。意外と、ハンドケアに関する情報って少なくないですか? スキンケアやメイクだけじゃなく、ハンドケア、ヘアケア、ボディケアと幅広く扱われているし、専門的な話を易しく紹介されているので、一度はパラパラっと見てみてください。

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『外来生物はなぜこわい?』|見慣れた動植物も侵略者!?

こんにちは。あさよるです。外国から日本へ渡航してきた「ヒアリ」が話題になったのは2017年。毒グモである「セアカゴケグモ」が話題になったのは1995年で、すでにセアカゴケグモは全国に定着してしまっているようです。あさよるはこれまで「弱肉強食なんだから、強い生き物が広く繁殖して当然でしょ」なんて思って、あまり外来生物や生き物の生態系に興味を持っていませんでした。

しかし近年、自分で少しずつ理科の勉強をする中で、やっぱり生物の生態系は大切なもので、また生命の多様性は大きな労力を割いてでも守るべきものであることを知りました。あさよるにとっては、「地球に優しく」とか「自然を守ろう」とかフワッとした言葉を使うよりも、「生物の生態系や多様性を守ることが人類にとって有益である」と言う方が納得できる気がします。「人類にとって有益」とはつまり、「自分にとって有益」ということです。

一人一人の力は小さなものですが、飼えなくなったペットを捨ててしまったことで定着してしまった外来生物(アライグマやカミツキガメなど)がいることを考えると、個人の行動が生態系を変えている側面もあります。日本には生息しない動植物を購入する時、ちょっとだけ落ち着いて考えてみるくらいなら、今すぐ始めてみてもいいと思いました。そのための足掛かりとして、『外来生物はなぜこわい?』はぴったりです。

『外来生物はなぜこわい?』は子ども向けの書籍です。全3巻で、全巻で3つの章に分かれています。

  • ①外来生物ってなに?
  • ②陸の外来生物
  • ③水辺の外来生物

全3巻で紹介される動植物たちは、子どもたちにも慣れ親しんだ生き物ばかりです(少なくとも郊外では見かける動植物が多い)。中には、これって外来生物なの?と知らなかったものもいました。

外来生物ってなに?

2017年、日本国内で「ヒアリ」が発見され話題になりました。なんでも、ヒアリは強い毒を持っていて、場合によっては死亡する人もいるオソロシイ「殺人アリ」という触れ込みです。ヒアリが怖いのは、「侵略的外来生物」だからだそうです。

まず、外来生物とは、近代の人間の活動によって別の地へ連れてこられた動植物を言います。スズメやモンシロチョウも稲作と一緒にやってきた生き物ですが、古い時代にやってきたものなので「外来生物」には含みません。また、飛んできたり、流れてきたり、泳いできた生き物も外来生物とは呼びません。あくまで、最近の人間の営みの中で移動して、定着した生き物を指します。

「外来生物」には、人が意図せず持ち込んでしまったものと、人が意図的に持ち込んでしまったものがいます。人が意図せず持ち込んでしまう例は、土砂や海水の中に植物の種や生き物が紛れ込んでいた場合や、荷物にくっついてやってくるなどです。人が意図的に持ち込む例は、ペットを捨てたり、釣りのために池に魚が放たれたり、害獣・害虫駆除として天敵になる生き物を放ったりして、それが野生化し定着してしまうなどです。

「外来生物」といっても、一匹だけでは繁殖できませんし、環境に適応できないと死んでしまいます。熱帯のカッコいいカブトムシなんかは日本の冬は生きられないし、涼しい地域で生きるチンチラは日本の夏は過ごせません。反対に言えば、温度や食料さえなんとなかれば生きのびてしまいます。

また、元々の生息地域では天敵がいたのに、新天地では天敵がおらず大繁殖するケースがあります。例として、アメリカで生きるアライグマは、オオカミやピューマに狙われます。しかし、日本ではアライグマの天敵が少ないため、大繁殖し、問題となっています。

先に挙げたヒアリの場合、繁殖可能な女王アリが見つかっていないので、日本には定着していないと考えられます。働きアリが単独で日本にやってくるだけならセーフ。しかし今後、女王アリが見つかったら、水際で駆除しなければなりません。

日本産の外来生物もある

日本では、外国から海を渡ってやってきた「外来生物」の話題に偏りがちですが、もちろん日本固有の生き物が外国で外来生物となって、現地の生態系を脅かしている例もあります。本書『外来生物はなぜこわい?』では「ワカメ」「イタドリ」「マメコガネ」の三種が紹介されていました。ワカメは船舶によって他の地域へ運ばれます。多くの国ではワカメは食用にしないので邪魔者でしかありません。イタドリは多年生植物で、ヨーロッパで園芸用に育てられていたものが繁殖し在来生物を脅かしています。マメコガネは豆を食べる害虫で、北アメリカで農業に大きな被害を与えています。あの縞々の蚊「シマカ」も東アジアから世界中に生息地を広げているそうです。

なんで外来生物は怖いの?

外来生物が繁殖し始めると、元々その土地に住んでいた生き物と、食べ物や生息地の取り合いになります。そして、外来生物がどんどん増えてしまえば、在来生物の生きる場所が奪われてゆきます。外来生物が在来生物を駆逐してしまう場合もあります。

なぜ、外来生物が繁殖するのが怖いのでしょうか。生き物は他の生き物をエサにしたり、エサになったり、自然全体で「生態系」を作っています。その生態系の中の一つの種類の生き物がいなくなっただけで、生態系全体のバランスが崩れてしまうかもしれません。それはひいては、人間の生活にも影響を及ぼすでしょう。

人や物資が世界規模で行きかうようになってから、以前にも増して生物たちも長距離移動をして、思いもよらない場所に定住し、世界中の生態系のバランスを脅かしています。

「多様性」を守ろう

同じ種類であっても、生息する地域によってDNAが少しずつ違っている生き物がいることも、近年知られるようになりました。

例えば日本にはゲンジボタルとヘイケボタルの二種類のホタルがいますが、同じゲンジボタルであっても、西日本と東日本で光の点滅の間隔が違うそうです。それを、客を呼ぶため、別の地域のホタルを捕まえて放ち、ホタルの数を増やしてしまっては、その土地土地固有の特徴がなくなってしまいます。

野生のクワガタムシを捕まえてDNAを調べてみると、外国のクワガタムシのDNAが混じっていた調査結果もあるようです。お店ではカッコいいクワガタムシやカブトムシが売られていて、誰でも買える状況にあります。それらを野山に捨ててしまうと、在来種と交配してしまう可能性があります。

また、国内の生き物であっても、多様性を守るため、旅行先で捕まえた生物を持って帰らないなどの配慮が必要です。

自然、動植物を観察しよう

本書『外来生物はなぜこわい?』の良いところは、単に知識を得て終わりではなく、身近な自然を観察するよう導入されている点です。日本の風景に溶け込んでいる動植物の中にも、実は外来生物はたくさんいます。「アメリカザリガニ」「セイヨウタンポポ」「ミドリガメ(アカミミガメ)」は有名どころですが、「ハルジオン」や「セイタカアワダチソウ」「オオイヌノフグリ」なんかも、実は外来生物なんだそうです。すっかり見慣れた日本の風景になっていますね。大きなネズミのような「ヌートリア」は大阪の街中(川べり)でもよく見かけて、すっかり街に馴染んでいる感じ。

毒性が高いことから「ヒアリ」や「セアカゴケグモ」は日本で発見時話題になりました。大切なのは、その生物はどのような生き物なのか知ることと、日ごろから身近な生き物に慣れ親しんでおくことでしょう。

本書は写真やイラストがふんだんに使われていていますし、もっと詳しく知りたいなら図鑑や、専門の本へと移っても良いでしょう。「外来生物」という世界的な環境問題を扱っていますが、同時に、生き物の生態はワクワクして面白いものでもあります。

子ども向けの本ですが、大人も読んで欲しい良書です。

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『愛とためらいの哲学』|穏やかに心が満たされる恋のために

こんにちは。あさよるです。やっぱり「恋バナ」は面白いものです。老若男女関係ない話題だし、世代を超えて年長者の話が聞けるのも楽しいところです。今回手に取った『愛とためらいの哲学』も恋バナ本で、著者は『嫌われる勇気』の岸見一郎さん。岸見さんの本は数冊読みましたがどれも面白かったし、アドラー心理学の考え方も、あさよるは納得しやすく、すんなりと読むことができました。

「恋バナ」の小ネタに読んでもいいし、本当に恋に悩んでいる人や、これから恋したい人にもピッタリです。火傷するような恋だけじゃなくて、静かに心が満たされる恋もあることがわかります。

老若男女が知りたい「恋バナ」

本書『愛とためらいの哲学』の著者は『嫌われる勇気』がヒットした岸見一郎さんです。岸見一郎さんは哲学者であり、アドラー心理学の研究もなさっています。『嫌われる勇気』は、哲人と青年の対話形式でアドラー心理学について語る内容でした。アドラー心理学では過去に囚われず「今」だけに注目します。過去にトラウマや辛い経験を抱えていても、誰もが「今」幸せに生きることができるという考え方です。

本書『愛とためらいの哲学』も、アドラーの名言を交えながら、アドラー心理学的な「愛」や「恋」の話が展開されます。岸見一郎さんは講義で学生から恋について質問を受けることがたくさんあったそうです。恋の悩みは若者の多くが抱えている悩みなんですね。アドラーもまた、学生たちから恋について質問をされたそうです。写真のイメージとは違って、柔和で話しやすい教授だったそうです。

愛や恋は、どんな権力者であっても、「私を愛しなさい」と命令したところで、本当に自分を愛させることはできません。恋には思い通りにはいかないのです。

しかし、恋路だけが特別なわけではなく、人間関係とは、思い通りいかないものなのです。しかし、恋が特別なのは、嫉妬や執着心、独占欲が特定の人物に強く発動するところかもしれません。また、焦がれていたはずなのに、恋が実ってしまうと気持ちが冷めてしまう……なんてことも起こります。独占欲や、あるいは他の人との競争心を恋と勘違いすることがあります。友人や兄弟姉妹に対抗して、「もっと素晴らしい人を恋人にすることで〈勝ちたい〉」と考えちゃうヤツですね。

自分の自信のなさや、他人への嫉妬や対抗心、独占欲や依存によって、恋が難しく苦しいものとなっているのです。

穏やかに静かに、人を愛す

『愛とためらいの哲学』で語られる恋愛は、穏やかで静かな関係が、良い関係とされています。嫉妬せず、競争せず、お互いに愛される関係性です。この時、二人の間にある闇に注目するのではなく、良いところ、つまり光に目を向けることで、お互いに穏やかな状態でいられます。大人の二人の関係って感じですね。傷つけあったり、束縛し合ったり、依存しあったり、お互いに一緒にいて嫌なことばかりの「恋愛」よりも、一緒にいることで二人ともが穏やかでより充実して、気持ちが満たされて一緒に居られる方がずっといいなあなんて思いました。

また、岸見一郎さんはアドラーの考えをただ紹介するだけではなく、ときにはアドラーの言葉を否定したり、言葉を足したりして、ご自身の考えを語っておられます。それは、西洋人のアドラーの思想よりも、より日本人的な価値観に合うようローカライズされているとも感じました。

しかし、古今東西、老若男女、恋バナは尽きないようです。

幸せになる恋もある

みんなが好きな恋の話は「悲恋」ではないでしょうか。実らない恋や、破滅してゆく恋こそがロマンチックでなまめかしく、美しく感じます。一方でこの『愛とためらいの哲学』で語られる恋愛は、幸せで静かで、満ち足りたものです。だからあんまりロマンチックじゃないし、スリリングでは全くありません。物語の恋の話しか知らないなら、こんなに穏やかな恋愛があるのだと知るだけでも収穫かも。みなさんは、嵐に翻弄されるような恋と、穏やかで静かな日々が続く恋、どっちがご所望でしょうか。これは自分が何を求めているのか、今何が欲しいのかによって答えはさまざまでしょう。

恋を扱う本って、面白おかしく書き立てるものや、見当はずれなもの、一歩間違えはセクハラやパワハラになることを勧めるものなど、危ういものもたくさんありますが、『愛とためらいの哲学』は至ってまじめで、地味だけど、ジワジワっと憧れるような恋を扱った内容でした(^^♪

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『その情報、本当ですか?』|デマ拡散のネットとテレビ、どっち?

こんにちは。あさよるです。毎日ブログを更新する程度には日々ネット漬けで、新聞もあまり読まないし、テレビは全く見なくなって久しいです。しかし災害時や緊急時は、ネットニュースの速報性はとても高いですが「まとまった情報を俯瞰する」ことには向いていないようにも思います。また、SNSを使って情報がシェアされますが、なんとなく有益そうな情報に感じるけれども、出どころ不明の情報だったり、どこかから転載してきたと思しき情報も散見されます。出展元がわからないと、その情報をどこまで信頼していいのか悩みます。また、「以前はこうだった」と過去の経験を語る人も多くいます。もちろん、他人の経験は重要ですが、緊急時にそれぞれの人が直面する問題は全く違っているだろうし、平和で安全な場所でいる人が、過去の思い出話を拡散することが、どれくらい今困っている人の役に立つのかなあと感じます。

ネットの情報は趣味や余暇の楽しみには最適です。が、人の命がかかっているような状況では、やはり新聞社やテレビ局の情報に耳を傾けてしまいます。災害時でも、NHKや政府のTwitterアカウントが拡散されていますね。

デマや誤認などの玉石混交……というか、石ばっかりの情報の中から、有益な「何か」を読み取れるリテラシーの高い人にとってネットはとても使い勝手の良いものでしょうが、圧倒的多数の人にとっては、ネット情報を扱うのは難しすぎるのではないか……と、今回『その情報、本当ですか?』を読んで改めて思いました。

テレビや新聞は「誰かがフィルタリングした情報」であることが大事で、意味のあることなのかもしれません。

テレビニュースのつくり方

『その情報、本当ですか?』の著者・塚田祐之さんは1975年にNHKに入社し、報道番組の企画・取材・制作に携わり、専務理事まで務められた方です。1985年の日航ジャンボ機墜落事故や、1995年の阪神大震災、2004年の新潟中越地震、2011年の東日本大震災と、日本の大災害や大事故もテレビマンとして経験されました。

2011年の東日本大震災では、TwitterをはじめSNSで安否情報や被害情報が拡散され、SNSが注目されました。現代ではアメリカのトランプ大統領も、Twitterを使って直接全世界に向けて生のメッセージを拡散しています。ネット情報は迅速でかつ誰もが発信できることが良い点でもあり、悪い点でもあります。ネットニュースには、フェイクニュースが少なくない量混じっています。「フェイクニュース」とは本書では「事実でない、にせのニュース」全般を指して呼ばれており、発信者の意図は問わず、勘違いや間違いも含みます。

1995年にMicrosoftのWindows95がリリースされた頃から、日本国内の一般家庭にも徐々にインターネットが普及してゆきます。1996年にはYahoo!JAPANが登場し、ヤフーニュースが始まりました。当時は、通信社や新聞社から安い価格で記事を買って配信されていたそうです。そして2003年、ライブドアは新聞社の書いた記事と、ブロガーが書いた記事を同じように並べ、ランキング形式にして表示しました。ブロガーの中にも専門家はいますが、裏付けの薄い記事も閲覧数が多ければランキング入りします。数多くの「ニュースサイト」が登場しました。このころから、テレビや新聞の報道と、ネットの情報のパワーバランスが変わり始めたのかもしれません。

著者の塚田祐之さんは、テレビ報道の現場でどのようにニュースが作られるのかを紹介しながら、ネットニュースとの違いを強調されています。粘り強く取材を重ねたり、実際に現場に赴いたり、時間と手間をかけてニュースが作られているのがわかります。また、冷戦時代、「鉄のカーテン」で仕切られたソ連で大やけどを負った少年を北海道の病院が受け入れた様子を取材したり、北方領土問題をめぐり当時のロシアのエリツィン大統領と中継で結び、元北方領土島民がインタビューをする企画を実現しました。こんな企画はテレビならではで、ネットのニュースサイトでは難しそうな企画です。

視聴率主義とページビュー主義

テレビは放送内容よりも視聴率重視の傾向があるなんて言われます。それは民法だけでなく、NHKも視聴率を気にしているようです。ちなみにNHKで2017年一番視聴率が良かった番組は、朝の連ドラ『わろてんか』だったそうです。

じゃあ、テレビは視聴率主義だから、テレビ番組も視聴率を取れる内容に偏っていて、見る価値ないのか? というと、なんとも言えません。それは、ネットの情報もまた、ページビュー数稼ぎのために書かれた記事が大量にあるからです。ネットの場合、記事に添付された広告の表示回数によって収益が発生したり、または記事に張られたハイパーリンクを辿ってショッピングサイトで買い物されると、売り上げの数パーセントを仲介手数料として受け取れる仕組みなどが存在します。ページビュー数を稼ぐためのネット記事が溢れかえっており、正直、なかなか裏付けのある情報にたどり着けなかったりもします。このページビュー数稼ぎは、テレビの視聴率主義とは比べものにならないくらいでしょう。

テレビの方がより〈マシ〉?

本書『その情報、本当ですか?』を読む限り、ネットの出どころ不明、執筆者不明の記事や情報に比べれば、テレビの情報の方が「マシ」といったところでしょうか。今現在、テレビニュースでもSNSで拡散された情報や写真・映像が報道されることが普通になりました。ネット発の情報ですが、「テレビ局が選んだ情報である」という点で、フィルタリングが一度は成されています。ネット上で拡散される情報から、取捨選択して必要な情報だけを抜き出すには「ネットリテラシー」が必要です。テレビが視聴者の代わりに情報を選んでくれていると考えると、テレビでネット発の情報が取り上げられる意味はあるのかもしれません(あさよる個人的には、報道が素人のスクープをそのまま放送してどうするんだと思ったりもする)。

あさよる家では新聞を取っているので、一応毎日、新聞の一面はザッと読んで、紙面の見出しくらいも目を通します。前日の早朝のニュースなんかだと、すでにネット上でひとしきり話題になった後なので、なんだか遠い昔のことのようで「ああ、このニュース昨日だったのかあ」と驚くこともあります。あさよる的には「速報はネット」「まとまった記事は新聞」って感じなので、テレビを情報源として使うことがほぼなくなりました(;’∀’)>

まあ、「ネットの情報より、テレビの方がまだマシ」というのは、納得します。緊急時、SNSではデマの拡散が毎回取り沙汰されますし、「拡散すべきことと、拡散すべきでないこと」の判断を個人が完璧にし続けるのは難しいから、多くの人にとってテレビ報道は必要なのかもしれません。

“TVer”ってサイトを知った

今回『その情報、本当ですか?』を読んで初めて知ったのは、「TVer」というサイトの存在です。「TVer(ティーバー)」は民放各局のテレビ番組が見れるポータルサイトです。直近一週間分のテレビ放送が見れるそうなので、radikoのテレビ版みたいに考えても良いのでしょうか。さっそく「情熱大陸」を見てみました。

部屋のテレビがもう古くて寿命みたいなので、捨てようか悩んでいましたが、ネットでテレビ番組が見れるならテレビ本体は手放してもよさそうだなあ。あさよるは基本ラジオっ子なので、ラジオがあれば十分だし。

今のテレビを買った経緯も、2011年の東日本大震災の時、単身世帯でテレビを持っておらず、ネットニュースはわけがわからないし、SNSではデマが飛び交い、ラジオだけでは状況が把握できなかったので、「映像の情報は最低限必要かも」と思って、テレビを買いました。しかし、今では緊急時もネットでライブ配信されてるし、マテリアルとしてのテレビはなくてもいいかも。

こんなことを言うと、すごく皮肉を言っているような感じですが、報道が、新聞、ラジオ、テレビ、誌面など、媒体によって区切られていた時代から、現代はみんな同じインターネットという媒体に集約され、テレビ局や新聞社の取材や企画、編集、スクープなど、情報の質や内容によって、他のものと分けられ始めていんじゃないでしょうか。

あさよるも好きなユーチューバーさんの動画を見るのは好きですが、テレビを見るとやっぱりテレビ番組のクオリティはすごいと思うし、ネットニュースよりも新聞記事の方がソースとして良いと感じます。今はメディアが再編成される過渡期なのかなあなんて思いました。

「テレビだから信じる」から「テレビ局が取材して裏取りをした情報だから、ネットニュースより信頼できる」へと、利用者の意識が上がってゆくことが、本書『その情報、本当ですか?』で著者が読者へ求めていることだと思います。

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『あなたの勉強法はどこがいけないのか?』|知ったかより自習を

こんにちは。あさよるです。毎日本を読んではブログに書いても、読む本はなくならないし、自分が賢くなった気もしないので、人類の知識の貯蔵はすごいなあと思うし(日本語で書かれている本の量と分野の幅広さもすごい)、自分の浅はかさもすごいなあと思います(;’∀’)>

今回手に取ったのは『あなたの勉強法はどこがいけないのか?』。タイトルはドキッとせざるを得ません。

覚えることと、覚えないこと

『あなたの勉強法はどこがいけないのか?』では、中高生を対象に、勉強の心得、勉強との向き合い方について指南されます。

印象的なのは、勉強には「暗記しなくてもいいこと」と「覚えた方がいいこと」があるということ。暗記しなくても、頭で考えると筋道が見えてくるのは数学の公式です。本書では面積の求め方が例に挙げられていました。形が複雑な図形も、視点を変えると単純な計算で答えが求められる場合が多いのです。「考えることで大まかな筋道が見える」「およその答えがわかる」という感じでしょうか。数学は、暗記の量は少なく抑えることができます。

反対に、覚えた方がいい「暗記」の鉄則。脈略もない組み合わせの言葉を記憶するのは至難の業です。なので、暗記するものは「なるべく多くの情報を一緒に覚える」と、記憶に残りやすいのです。例を挙げると、

① 太った男が  錠を買った
② 力の強い男が  ペンキのハケを買った
③ 眠い男が  水差しを持っていた

p.50-51

上記の文は、要素は少なく単純ですが、脈絡がないので覚えるのは面倒です。しかし、情報量が増えると、一気に記憶に残りやすくなります。

①肥った男が買った錠は、冷蔵庫にかけるためです。つい冷蔵庫を開けて食べてしまうので、食べ物を出すのにわざと手間のかかるように、錠を買ったのです。
②力が強い男は、ウエイトトレーニングに使うバーベルにペンキを塗り、その後始末でハケを洗っていたのです。
③眠い男は、眠気覚ましにコーヒーを飲もうと考えました。そして、コーヒーメーカーに水を入れようとして、水差しを持っていたのです。

p.52

こうやって文にすると、情報量は多くなり暗記量は増えているハズなのに、記憶しやすいんです。「この人はなぜこうしているのか」と状況を想像することにより、人と行為が結びついてすんなりと頭に入ってきます。思い起こすのも簡単です。暗記勝負になるとつい「覚えることは少ない方がいい」と考えてしまいがちですが、反対に覚える情報を増やす方が簡単です。歴史の年号を語呂合わせで覚えるよりも、「なぜどんな流れでそうなったのか」と他の情報と合わせて覚えるほうが思い出すのも簡単です。

さらに忘れてはならないのは、総合的な知識です。先ほどの例だと、③の「眠い男は、眠気覚ましにコーヒーを飲もうとした」という文は、「コーヒーは眠気覚ましになる」という知識があって初めて理解できることです。知識は総合的に、他の分野を行ったり来たりしながら、教養を深めてゆくことが、勉強を効率的にするのです。

「わからない」に注目する

本書後半は、本当はよくわからないのに、なんとなくわかった気になっている落とし穴に注目します。たとえば「蜘蛛は昆虫ですか?」と質問すると、学生たちは「蜘蛛は昆虫ではなく虫だ」と答ますし、昆虫の定義を言います。しかし定義を知識として知らなくても、昆虫の体の仕組みを知っていると、昆虫と虫の違いがわかるんだそうです。これも「教養」があれば、定義の暗記がなくとも、答えが導き出される例です。

こういう「わかったつもり」はたくさんあります。例として三好達治の詩「こんこんこな雪ふる朝に」が紹介されています。この詩は、特に難しい言葉も使われていないので「わかる」んです。が、改めてその情景について質問されると、パッとイメージが広がります。つまり、サラッと読んで「わかったつもり」でいても、鮮明にイメージしないと詩に描かれている様子を理解したとは言い難いですよね。

「わかったつもり」は厄介です。もしかしたら「わからない」「苦手だ」「嫌い」よりもたちが悪いかもしれません。『あなたの勉強法はどこがいけないのか?』ではこの「わかったつもり」をあぶり出すよう指南されております(;’∀’)>

大人は「分かったつもり」か「知ったかぶり」

はてさて、本書『あなたの勉強法はどこがいけないのか?』を読むと、大人になるというのは「わかったつもり」ばかり増えて、さらに「知ったかぶり」も増えることなんだなあと痛感します。これは仕方がない側面も大きいと思うし、一概になにもかもが悪いとは思いません。自分の知らない話題が展開されていても、自分だけが「わかりません」と発言して全体の流れを妨げてしまうことを遠慮することもありますし……。しかし、一人の人間としては「知ったかぶりはなるべくしたくないなあ」と思うし、そして「ああ、また知ったかぶりをしてしまった」とヘコむこともあります。

昔、甥が幼稚園へ上がる前の頃、電車が好きで、路面電車を見に行きました。あさよるが「あの電車は道路の上を、自動車と一緒に走るんやで。信号が赤になったら車と一緒に止まるねん」と教えると、「コイツなんかアホなこと言うてる~!でっ、電車が信号で止まるワケないや~ん!ぷぷぷ~!」みたいな、まさにプケラ状態で、ホントにこんな感じで → m9(^Д ^) 指さして心の底から嘲笑うようにバカにされたんですよね~。だけど、いざ路面電車が動き出し、本当に道路の上を走り、本当に赤信号で停止している様子を見て大フィーバー! さっきまでの嘲笑いモードから一変、「見て!見て!電車がぁああ!」みたな大興奮でキャーキャー叫び声を上げていました。私は「だから言うたやん」と思いつつ、「この手のひら返しはマネできんな」と、子どものパワーに圧倒されました。

こんな風に自分の発言が全く否定されるような現実に直面したとき、大人はどうしてもなかなか発言を撤回できません。それは頑迷とも言えるし、「発言の一貫性を失ってしまう戸惑い」もあると思います。だけど、子どもはそんなの全く気にせず、盛大に、さっきと全然違うことをしまう。この子どもパワーは大人になると羨ましい限りです。

知ったかぶりはやめられなくとも……

あさよるは、「知ったかぶり」「前言撤回できない」のは大人の性だと思うので、それ自体は仕方ないと思うし、他人のそんな振る舞いもなるべく寛容でありたいです(なかなか難しいですが……)。

その代わりに、人前では偉そうに知ったかぶりしちゃったなら、その後プチ反省して、後々コッソリと自習する習慣は持っていたいと思っています。自戒しつつ、自習できればいいかななんて思います。大人になると、どんどん誰も何も教えてくれなくなるし、自分からも「教えて」って言いづらくなってゆくし、せめて「後から勉強しよう」って習慣だけは死守したい……。

もちろん、「知りません、教えてください」って素直に言える人を見ると「偉い人だなあ」と尊敬しかないし、「それに引き換えわたしは……」とヘコむばかり。(;´д`)トホホ

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『知られざる地下街』|地震、火災、水害…ヤバイ?安全?

『知られざる地下街』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるはショッピングに商業ビルよりも地下街を利用する方が好きです。ビルは上ったり下りたり面倒ですが、地下街は横に伸びていることが多いし、多層になっていても知れていますからね。

通路としても地下街を利用しますが、地下街についてみんな多くを知らないのではないでしょうか。本書『知られざる地下街』は、タイトルからしてこれは読むしかない!

そういや、地下街ってなんだ?

本書『知られざる地下街』は、地下街の歴史や、地下街の仕組みなど、みんな知らない地下街の話題を扱います。地下街を利用する方は多いでしょう。近道に通り抜けたり、ショッピングしたり、雨や暑さ寒さを避けて地下街を通ることもあります。だけれども、地下街のコト、みなさんどれくらいご存知でしょうか?

地下街とは

この「地下街」とは、駅前の広場や通路、都市の公園などみなさんが公共で使う場所(公共用地)の地下にある、店舗と道路の合わさった施設のことをいいます。「地下街」と似た施設に、「準地下」や、「地下階」があります。「純地下街」は、店舗の部分は民間会社が持っている土地(民有地)で、通路部分が公共用地、という施設です。「地下階」は、店舗や通路とも民有地の地下にあるものです。

p.14-15

大阪の地下でいうと、ホワイティうめだや、なんなんタウン、あべちかなんかは「地下街」。店舗が民有地で通路が公共用地という「準地下」は、ヨドバシカメラ梅田の地下階は民有地だけど通路は公共地といったところでしょうか。通路も店舗も民有地の「地下階」は、梅田駅前の第1ビルから第4ビルの地下階ですね。日中は通路のように使ってますが、早朝や深夜はシャッターが閉まってて通れません>< なんばCITYの地下も「地下階」かな。

わたしたちはひと口に「地下街」と一まとめにしてますが、詳しく見ると区分が違うってことですね。

地下街が担っている役割

地下街は公共の施設です。ですから、地下街は公共的な役割を担っています。

①障害物や天候などに左右されない、安全で快適な歩行の環境を整えること
②買い物客が使いやすく回遊性の高い、賑わいのある環境をつくること
③錯綜する地上の道路交通を緩和させ、都市の景観向上に寄与すること
④地下街のある沿道の都市開発を促進し、地下街が接続する建物の価値向上を図ること
⑤地震や台風などの災害が発生した場合の一時避難機能(帰宅困難者など)を有すること

p.27

たしかに、あさよるの利用する地下街もすべての項目に当てはまっていると思います。近年では⑤の災害時の避難場所としての地下街が注目されているそうです。

日本の地下街まとめ!

本書では札幌から博多までの地下街が網羅的に紹介されています。あさよるは大阪に住んでいるので、関西の地下街しか馴染みがありませんが、どの地下街もそれぞれの地域で愛され利用されているんですね。それぞれ地下街のカラーというか、特色があるのも良いですね。

札幌の地下は、冬の積雪を避けるために発達しているそうです。名古屋は「地下街の街」だそうで、独特な雰囲気があるみたい。

というか「意外と地下街って少ないんだなあ」というのが あさよるの感想でした。東京23区内の地下街も16しかないそう。もっと、東京の地下はアリの巣のように街が張りめぐらされているのかと思っていました。一つ一つの規模が大きいのかなあ。ちなみに大阪の地下街は14だそうです。

地震、水害、火災時の地下街

地下街の話題で気になるのは「もしものとき」の対策です。災害や火災時に、地下街って危険なの!?

地震には強い?

まず、地震には地下街は強いみたいです。都市部で震度6~7の大地震が襲ったのは、1995年の阪神大震災。神戸三ノ宮の地下街「さんちか」「デュオこうべ山の手」「メトロこうべ」が被災しますが、地上の大被害とは対照的に、地下の被害は少なく済んだそうです。部分的に柱にひび割れがあったくらいと紹介されています。

2011年の東日本大震災でも、地下街ではありませんが、仙台の地下鉄に被害がありましたが、小規模なものだったそうです。ただし、2016年の熊本大地震のように震度7の地震が2度続けて起こったとき、地下にどのような被害があるのかは警戒が必要でしょう。

また、東日本大震災では「帰宅困難者」が問題になりました。地下が地震に強いからといって、非常時に地下に人があつまる危険性にも触れられています。地下街や地下道の多くはターミナル駅に隣接しています。多くの人が一気に一所に押し寄せると、そこで将棋倒しになったり、二次被害が考えられます。

火災時はヤバイ?

地下での火災というと、2003年にあった韓国での地下鉄の火事を思い出されます。200人近い方が亡くなられ、地下の火災は恐ろしいと感じた人も多いでしょう。しかし、本書『知られざる地下街』では、事前に火災対策がなされているため、地上のビルでの火災よりも安全性は高いと紹介されています。

火災があった場合、火災の起こっている区画のシャッターを下ろして完全に火災を閉じ込めてしまうそうです。また、火災の煙は天井に溜まりますから、地下空間が一酸化炭素で満たされるまでには時間がかかります。すみやかに冷静に対処することで、地下から脱出する時間はあるそうです。

地上での火災はシャッターで完全に封じ込めることはできませんから、確かに考え方によっては地上より火災には強いのかもしれません。

水害はこわい?

近い将来、東南海地震が想定され、その際津浪が広く太平洋側に到来すると報道されています。あるいは、台風や大雨被害など、「水害」に地下街は弱そうに感じます……。

その辺も、地下街は対策が打たれているそうです。まず、地下に浸水させないように、地下への入り口に仕切りをして、水が流れ込まないようにすること。通気口は、地面よりも高い位置に設置すること。あるいは、通気口を手動or電動で蓋をできるようになっているそうです。物理的に「水を地下に入れない」対策がなされています。しかし一度、地下街に水が流れ込んでしまうと、地下から地上への脱出は難しい。水に逆らって階段を上ることは困難です。

あさよるも以前、地下にある駅の改札が完全に水没している現場に出くわしたことがあります。ゾッとして立ちすくんでしまいました……。

緊急の案内板は?

地下街の多くは、お店が立ち並び賑やかな街が続いています。ショッピングの際は、緊急用の案内板を確認しておくのが良いでしょう。さらに、緊急時には電子掲示板が、緊急用の表示に変わるよう用意されている例が紹介されていました。また、地下街を行きかう人は日本語が堪能とは限りません。電子掲示板は、多くの人への情報提供に役立つでしょう。

もし停電したら……

あさよるが『知られざる地下街』を読んで一番こわいと感じたのは、緊急時に「停電」してしまう可能性に思い至ったときでした。当たり前ですが、地下街は停電すれば真っ暗です。火災や水害の最中、停電してしまったらどうするんでしょう……。

本書では、蓄光できる案内の設置が紹介されていました。普段は見えませんが、辺りが暗くなると、しばらくの間光を放つ仕掛けです。

利用者としては、常に出口を意識して地下を利用すべきだと思いました。

地下街を歩くのは楽しい^^

『知られざる地下街』挿絵イラスト

地下のちょっと怖いシチュエーションの話をしましたが、それぞれの対応は考えられているようで、少し安心しました。だけど、繰り返しますが、利用者としても「非常口」の場所を意識するのは忘れちゃいかんとも改めて思いました。もちろんこれは地下に限らず、地上の建物でも同じだけど。

しかし、地下街ってなんかすごく楽しい空間ですよね。ただ通り抜けるだけのときも、お買い物をするときも、地上の路面を歩くよりも、地下を歩く方が好きです。

本書で日本中の地下街が紹介されているので、他の街の地下街も歩いてみたくなります。

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『生き物はどのように土にかえるのか』|死から命へ続いてく

『生き物はどのように土にかえるのか』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるは子ども時代、ザリガニやカブトムシ、カナブン、カエルなんかの「虫」を飼っていました。時が来ると死んでしまって、お墓を作って埋めた経験もあります。子どもの頃から「生き物は死ぬと土になる」と知識として知ってはいましたが、実際にどのように土にかえってゆくのかを知りませんでした。……というか、正確には「見たことはある」けれども、あまり直視したくないものですので(色んな意味で)、薄っすらと遠目でしか見たことがないというのがホントのところ。

『生き物はどのように土にかえるのか』は、子どもの頃に知識として頭には入っていた事柄を、誰にでも分かるように易しく解説された良書です。本書が想定する読者は中学生以上。大人もぜひ読んで欲しいです。

生き物が食べられ分解され消えてゆくまで

本書では、生き物の「死後の世界」を紹介するものです。「生き物は死ぬと土にかえる」と言いますが、どうやって土へかえってゆくのか、どれくらいの時間をかけて土にかえるのか、知っている人は少ないでしょう。「死」は縁起の悪い話として、遠ざけて語られない節があります。しかし、生きるというのは死に向かうことですから、死と正面から向き合うことは生と向き合うことと同義でしょう。

本書は大きく3つの章からなっています。一つ目は動物が死んだあと、どのように分解され、土にかえってゆくのか。ゾウとクジラの死体が分化されてゆく過程が取り上げられます。二つ目は落ち葉が分解され土にかえってゆくまでの課程です。3つめは、「分解」に注目します。

動物の死体が腐って食べられ、分解されてゆく過程を扱っているので、「むごい」とか「グロい」と感じる人や案じる時もあるでしょうから、そのときのコンディションに合わせてどうぞ。だけど、動物は死んでも、その死体が次の命を産み繋ぎ、次々と命が数珠つなぎのように連なっている様子は、目の当たりにするととても感動します。日本では残念ながら(?)人は火葬されますが、それでも大気に熱となって放出され、それは他の生命に影響を及ぼすでしょう。自分もその大きな循環の一部なんだと知ると、なんだか安心できて、本書『生き物はどのように土にかえるのか』を読んでよかったと思いました。

壊れ、食べられ、腐り、なくなってゆく

生き物が死ぬと、まず細部が自ら酵素を出して壊れてゆくそうです。そうこうしている間に「分解者」がやってきます。地上で哺乳類が死ぬと、他の哺乳類や鳥類が肉を食べ、虫たちが集まります。この虫たちの仕事が重要で、虫が来ないようにネットの中に死体を入れておいても、なかなか分解が進まないそうです。身体はバラバラに持ち去られ、体液は地面へ染み込みます。氷に覆われた地域では、動物の亡骸を栄養に植物が生えます。

クジラの死後もダイナミックです。クジラの死体は一度体内で発生するガスにより浮上しますが、そのあとは海の底に沈みます。光も届かないような深海では、クジラの死体がコロニーのように、その周りに分解者が集まります。海底に栄養を届けるんですね。

植物は意外にも、腐るまで時間がかかるそうです。樹齢1000年の木材は、1000年使えるなんて言われることもあるそうです。

落ち葉が降り積もって「腐葉土」を作りますが、葉っぱが分解されるまでの期間は条件によって異なりますが、何十年とかかると紹介されています。

あらゆる生き物は壊れ、食べられ、分解され、いずれなくなってゆきます。その過程で他の生き物の栄養となり、次の命から命へとバトンタッチは見事です。

生き物の〈死〉には、すごく馴染みがある

『生き物はどのように土にかえるのか』挿絵イラスト

生き物の〈死〉は、とても身近に存在しています。哲学的なことを言っているのではなくて、食べ物はみんな動物の死体ですし、衣類も、家具・調度品にも生き物の死体が使われます。例えば「発酵食品」は、大豆や小麦粉を発酵させて(腐らせて)加工します。

「死」という言葉には暗く重たい印象がありますが、我々は日ごろから生き物の死をカラッと明るく、屈託なく扱っています。

自分が死ぬことを考えるととても恐ろしいことだと思いますが、すべての生き物は別の生き物を活かすための糧になるんだと知ると、自分の身体も、他の生き物の〈何か〉になればいいなあと、のほほんと考えられるようになりました。

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『皮膚は「心」を持っていた!』|好き嫌いも肌で感じてる?

『皮膚は「心」を持っていた!』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。『皮膚は「心」を持ってた!』とタイトルがなんだか非科学的な感じがしますが、読んでみると結構普通でした。理系とか医学系の本は難しいので読むのが大変ですが、誰でも読めるように噛み砕かれた内容です。また、多くの人が共感ができるような話題が扱われています。

本書では皮膚の感覚、触覚という、四六時中感じているけど、あんまり意識することのない器官が取り上げられています。皮膚感覚が無意識にもたらす効果を知ると、自分の感じ方、考え方も変わるかも?

皮膚は露出した「第二の脳」

本書『皮膚は「心」を持っていた』というタイトルはややミスリードを誘うような、煽りタイトルですが、中身はまともです(だと思う)。皮膚は「第二の脳」と呼ばれるくらい、生き物が生きるために重要な器官らしいのです。身体の中で一番大きな器官でもあります。

脳がとても小さい昆虫も、触覚の感覚を使って俊敏に行動します。あるいは脳を持っていない単細胞生物のミドリムシだって、体の表面に触れる外界を察知して動き回っています。皮膚は脳が生まれるよりもずっと前から、生き物が活動するために使われていたんです。

また、皮膚は音を聞いています。音は空気の振動ですが、聴覚では感知できない周波数の空気の振動も、皮膚で感じることができるのです。また、目を閉じていても「色」を感じることもできます。色は光の波長の中の可視光線を「色」と感じているので、皮膚は光の波長の違いを感じるんですね。赤外線は温かく感じるし、紫外線を受けると「日焼け」をするのも、皮膚が「感じている」証拠でしょう。

肌の感覚で快不快を感じている

わたしたちは快/不快を肌感覚で感じていると言います。心地よさなんてまさに「心」で感じているように思いますが、皮膚感覚が重要らしいのです。同じシチュエーションでも、温かなカップを持ってるときと、冷たいグラスを持っているときで、相手への好感度に変化があるそうです。もちろん、手が温かいときは相手への好感度が高く、手が冷たいと相手への好感度が下がります。

心理学では、サルの赤ちゃんを使った実験が有名です。サルの赤ちゃんを母親から引き離し、ワイヤーで作ったミルクをくれるママの人形と、ミルクはくれないけど布でできたママの人形を用意しするろ、子ザルは布の人形に愛着を示すそうです。つまり、「エサをくれる存在」よりも「肌触りがいい存在」の方に愛着を持つということ。人間の子育に当てはめるなら、赤ちゃんは「母乳をくれる母親」ではなく「肌触りがいいもの」や「優しく体に触れてくれる人」に愛着を示すということ。だから、父親や祖父母、保育士など、母親じゃない人だって、赤ちゃんに安心や愛着を感じさせることができるのです。

柔らかいものに触れると心が和らぐのは、大人だって実感があるでしょう。スヌーピーが登場するマンガ『ピーナッツ』に登場するライナスは、いつもお気に入りの毛布を引きずっています。その様子から、触っているだけで心が落ち着くようなアイテムを「ライナスの毛布」と呼ばれています。子ども時代に「ライナスの毛布」があった人は多いだろうし、大人になったって「ライナスの毛布」がある人も実は多いんじゃないかなあと思います。ちなみに あさよるは、洗濯してクタクタになったタオル地が好きです。

また、悪いことをしたとき、悪口を言ったらな口を、悪口を手紙に書いたら手を、洗ったりゆすいで清潔にすると罪悪感が減るそうです。朝、熱いお湯を目覚めのシャワーであびると気分が切り替わって、気合が入ったりもします。

皮膚は「心」を持っているというのは、言い過ぎではなさそうです。

「触れる」を上手に使えたら

心許せる人に身体を触れられると「オキシトシン」というホルモンが分泌されるそうです。オキシトシンは「愛情ホルモン」「幸せホルモン」とも呼ばれ、幸せを感じたり、ストレスが軽減されます。疲れたとき、エステやマッサージに行きたくなるのも、「人に触れられる」という行為そのものが、ストレス軽減につながるからでしょう。また、エステやマッサージでは、施術している人も、施術されている人に同調してオキシトシンが分泌されるそうです。家族や恋人など、近しい人同士でも、身体が触れ合うような習慣があると良いですね。

オキシトシンは女性のほうが分泌されやすいそうですが、オキシトシンは人の縄張り意識を高め、攻撃的にする効果もあります。子どもを産んだ母親は、オキシトシンにより幸せを感じる一方で、子どもを守るために「強くなる」んですね。

なもんで「触れる」というのは、上手に行えばストレス軽減し幸せを感じますし、下手に触れると不快感が増しイライラが募ります。好きな人に触られるのは気持ちいけど、満員電車の中で見ず知らずの他人と体を密着させるのはとても不快です。不快感を紛らすために、目をつむったり、スマホや本に目を落としたり、なるべく気を紛らす工夫をみなさんしています。

日本人はハグをしませんし、握手も滅多にしません。「触れない文化」を持っていると言っていいでしょう。「触れる」というのは上手に使えばコミュニケーションもスムーズになるし、自分自身のストレスも軽減されるなら、積極的に「触れる」関係を作っていきたいなあと思いました。もちろん、「お互いに親密だと思いあっている」間柄限定ですよ。

触れられることで「自分」を確認する

本書では、「触れる」ことは自己を形成するためにも重要だと紹介されていました。子どもの頃、人から「抱きしめらられる」ことで、安心と同時に「自分がここにいる」ことを感じるそうです。自分の存在を感じることは、自分と他人が別の存在であることを知ることでもあります。

本書では、幼少期に抱きしめられた経験が少なかったために、自分と自分以外の境界線が曖昧な人の例が登場します。自分の心に土足で上がり込んでくるような人を許してしまったり、断れずに相手の要求を呑んでしまったり、苦しい思いをした経験が紹介されています。世界と自分との境界線があやふやだから、自分の持ち物が否定されると、自分が否定されたように感じてしまったり、傷つかなくてもいいことで傷ついたり、拒絶してもいい場面で拒絶できなかったり、大人になってからも影を落としています。

人から「抱きしめられる」って経験は、想像以上に重要なものみたいです。もちろん先に紹介したように、「抱きしめる」存在は母親だけでなく、父親や祖父母、保育士など、どんな間柄の人でも同じです。子育てをするなら、母親以外の人にも抱きしめられ、安心できる経験を増やすよう努めると良いみたいです。

触れ合いは〈絆〉も〈束縛〉もつくる

スキンシップは夫婦・恋人同士や親子、仲間内の〈絆〉を深めるものなのですが、〈絆〉はお互いに〈束縛〉しあうものであることも忘れてはなりません。子どもは抱きしめることで安心を感じるのですが、思春期になっても、親が子ども扱いして身体に触れるのは、ご法度です。親離れをしようとし始める時期ですから、子ども扱いはやめましょう。しかし一方で、思春期とはいえど「甘えたい」という気持ちも同時に持っています。子どものように甘えさすのではなく、激励するように肩に触れるなど、スキンシップの方法を変えてゆきましょう。

欧米でも年月とともに、夫婦間のスキンシップは減っていくようです。なるべく同じベッドで寝たり、ソファに並んでくつろいだりと、同じ空間で、お互いに距離を縮めるような工夫を持った方がいいと紹介されています。

人に触れない文化だけど

『皮膚は「心」を持っていた!』挿絵イラスト

日本人はハグや握手をしない、スキンシップの少ない文化を持っています。そういえば あさよるも、人と触れ合うような経験って、電車の中で他人と密着する程度かもなあと考えて、「こりゃヤバイ」と感じました(;’∀’)

また、照れ臭くってスキンシップってなかなか取れなかったりするけども、恥ずかしがらずに「触れる」って大事なんだな。

まだ、肌の感覚って、見過ごしてしまいそうだけれども、自分の精神状態をつくるにも大きな役割を果たし得ていることも知りました。清潔を保つことや、気持ちのいい衣類を身につけること、座りやすい椅子を選んだり、「手ざわり」「肌ざわり」にもっと意識的にこだわってもよさそうです。

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『ぼくはお金を使わずに生きることにした』|都会で大冒険!カネなし生活

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。先日読んでブログでも紹介した『0円で生きる』が面白くて、ゴールデンウィークに「家財道具を売ってみよう」とメルカリに出品してみました。『0円で生きる』で紹介されていた「ジモティー」も利用したいのですが、荷物の運搬手段がないので、これから考えよう。

これまで物の譲渡って、役所とか公民館の「あげます・ください」の掲示板を見たり、フリーマーケットに出品するとか面倒くさかったけど、ネットサービスが充実することで、誰もが気軽に安価or無料でやりとりができてとても便利です。「テクノロジーは社会を変えるんだなあ」なんて、大げさなことを考えてみたり。

今回手に取った『ぼくはお金を使わずに生きることにした』も、イギリス人の男性がロンドン郊外で1年間、一切のお金を使わず生活をするチャレンジをした記録です。彼がチャレンジを決行したのは2008年の年末のこと。2008年はリーマンショックがあった年です。さらに3.11以降のわたしたちにとって、彼のチャレンジは当時と違った意味を感じるかもしれません。

現代の冒険譚・お金を使わない

著者のマーク・ボイルさんは現代の冒険家です。かつて「冒険」とは、大海原へ漕ぎ出だしたり、未踏峰を踏破したり、誰も行ったことのない場所へ踏み込むことでした。現在では都市部の郊外で「1年間一切お金を使わない」というチャレンジが、誰もやったことのない大冒険なのです。現にマーク・ボイルさんは、1年間お金を使わない構想を発表してから、世界中のメディアから数多くの取材を受けます。

テクノロジーを否定しなくていい

マーク・ボイルさんのチャレンジの特徴は、まずロンドンの郊外で行われること。お金の一切は使わないけど、友人たちを頼るし、社会のインフラも使います。また、基本的にはテクノロジーの否定はしていません。

1年間お金を使わない計画に際し、マーク・ボイルさんはルールを自分で設けています。まず、石油燃料は〈自分のために〉使わないこと。電気は自分で発電しますが、誰かから「どうぞ」と差し出される分には使用してもいいこと。つまり、わざわざ〈自分のために〉石油・ガソリンや電気は使いませんが、他の人が使っているものを分けてもらうのはOKということ。例を挙げると、「自分のために車を出してもらう」はNGですが、ヒッチハイクで「元々あっち方面へ向かう車の助手席」を分けてもらうのはOK。

この辺が「世捨て人」的な感じではないところ。なにより交友関係はとことん使います。「ロンドンの郊外」ですから、落ちているモノ、捨てられているモノを手に入れやすい環境にもあります。

マーク・ボイルさんはお金と石油燃料を自分のために使うことを避けていますが、それ以外のテクノロジーやコミュニティーは特段否定していません。

菜食主義で健康に

お金を使わない生活をすると、納税しないことになります。だからマーク・ボイルさんは1年間、病気をしないように健康に気をつけるのですが、ビーガンになることで、かつての不調がウソのように改善した様子を綴っておられます。菜食主義の人がよく「肉や乳製品をやめると体調が良くなった」と仰ってるのを目にしますが、実際のところどうなんでしょう。

また、肉食をやめたことで、体臭に変化があったそうです。お風呂も洗濯機もありませんから、衛生状態と〈清潔感〉をどうキープするのか周囲の人も気にしているようです。「ボディソープを使わなくても体はきれいになる」と説明しても、信じてくれない様子。

これについては以前、あさよるネットでも『「お湯だけ洗い」であなたの肌がよみがえる!』で紹介しました。有機物は水溶性で水に溶けて流れます。だから「水浴びだけでも清潔」は、そうなんでしょう。

Wifi完備でネット環境

マーク・ボイルさんはネットで住処の提供を求めたところ、なんとキャンピングカーの提供を申し出る人が表れました。また、そのキャンピングカーを停める場所も、ボランティアを引き受けることで場所を貸してもらえました。そこはWifiもつながっていて、マーク・ボイルさんは自家発電をしてネットに接続し情報発信を行います。プリペイドカード式の携帯電話を所持しているので、電話を受けることもできます。世界中のメディアからの取材も、電話を貸してもらって受けています。

「現在の冒険譚」と紹介したのは、現代のネットワーク環境を活用しているからです。『アルプスの少女ハイジ』の〈オンジ〉のように、コミュニティーに属せず、人々から隔絶された地で生きるのとは正反対です。積極的にコミュニティーを持ち、情報を発信し、人とつながりながら「お金を使わない」から、冒険なのです。

お金はすごく便利だ!

本書『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は、著者のマーク・ボイルさんの体当たりレポにより「お金」の価値について問い直されます。本書を読んでつくづく思うのは「お金はとても便利なものだ!」ということです。マーク・ボイルさんご自身も、「お金が少ないのと、お金を全く使わないのは、全然違う」と書いておられます。

本書が面白いのは、別に貨幣経済を否定してるワケでもないところ。ただし「お金の価値しかない社会」はどうなの? という問いかけになっていますし、また「お金を使わない生き方を選ぶ自由がある」という至極当たり前のことを体現した記録でもあります。

マーク・ボイルさんの結論として、「お金のない世界で暮らしたい」と理想をあげながらも、現実的には「地域通貨」への切り替えが落としどころとして提示しておられます。小さな町や村のコミュニティーの中で、スキルや物を提供したりもらったりして、交換する価値としての「地域通貨」です。

お金で買っているのは「時間」

カネなし生活で、足りなくなるのは「時間」だと言います。朝起きて、水を確保しないといけませんし、ネットにつなぐための電気を発電し、どこへ行くにも何十キロと自転車を飛ばさねばなりません。ボールペン一本、安いお金を出せばに入る物ですら、ボールペンが落ちていないか探さねばならないのです。

お金を使うことで、一瞬でほしいモノが手に入るのですから、最強の「時短」アイテムなんですね。

カネなし生活には「お金以外の力」が必要

お金は便利だと紹介したのは、カネさえあれば、他に何もなくても欲しいものが手に入るからです。お金がない生活とは、人とのつながりが重要で、自分を助けてくれる人、自分を気にかけてくれる人の存在が重要です。幸いにもマーク・ボイルさんは、彼のチャレンジに協力してくれる友人や恋人がいて、また世界中のマスコミが取り上げ多くの人が彼に注目していました(もちろん賛否アリ)。またマーク・ボイルさんは健康で若い男性であり、彼の思想や信仰も、お金を使わない計画を後押ししたでしょう。いくつもの要素が絡まり合って、成立したチャレンジだと考えることもできます。

〈お金〉と〈幸福〉は別のもの

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

以下、あさよるの勝手な感想。

「カネなし生活を成立させるためには前提条件が必要だ」と言いましたが、たぶんマーク・ボイルさんと近いことをしている人は今の日本にもたくさんいると思います。別に強い信念があるわけでもなく、「知人の家に転がり込んで」とか「友だちに助けてもらって」生きてる人もいるだろうし、しかも全員が「お金がない=不幸」とは限らず、楽しく愉快にやってる人もいるでしょう。

選択肢として「カネなし生活」を選ぶ人がいてもいいし、またそれを選ぶ人もいて、それで成立する社会の方がいい社会だろうと思います。

貧乏暇なし

カネなし生活では、時間がとても貴重なのものであると認識できます。お金は一瞬にして取引を成立させる「究極の〈時短〉アイテム」なんですね。すなわち「お金がない」とは「時間がない」ことだと考えられ、これは「貧乏暇なし」という日本のことわざとも合致しています。

自己啓発本の類を読んでいても、世界で活躍する優秀なビジネスマンほど、超多忙であるにも関わらず、余暇や家族との時間をたっぷりと過ごしていると紹介されています。それはタイムマネジメントが優秀である上に「お金の使いどころ」を心得てるのかもしれません。

仮想通貨ってどうなの?

本書では折衷案として「地域通貨」の可能性が提示されていますが、今となれば「こんなときのための仮想通貨だろう」と。マーク・ボイルさんがカネなし生活にチャレンジしたのが2008年年末~2009年の1年間で、ビットコインは2008年に発表された論文に基づき、2009年に運用開始されました。

世界は、現行の通貨ではない「新しい価値」を模索していて、マーク・ボイルさんのチャレンジもそれに当たるのではないのかしら。今までの、国が発行する通貨ではない〈何か〉が必要なんじゃないかしら。

ムダなお金、ムダな出費が多すぎる!

本書『ぼくはあお金を使わずに生きることにした』を読むと「お金の便利さ」もよくわかりますが、同時に「お金の量と充実感は比例しない」こともよくわかります。マーク・ボイルさんはカネなしで、忙しく働いていますが、別に不幸せではありません。

電車の中ではほぼ全ての人がスマホ画面をのぞき込んでいます。しかしスマホで仕事や意味のある作業をしている人は少数で、多くの人は〈暇つぶし〉をしているんじゃないかと思います。暇つぶしのためにスマホを買って、使用料を毎月払って、暇つぶしのアプリやゲームにお金を使っているんじゃないでしょうか。ちなみに、スマホって超ハイテクな機械ですからね。最先端のハイテク機械を使ってやってることは〈暇つぶし〉ってなかなかシュールだな。

んで、それって、どんだけお金があったとしても、やってることは〈暇つぶし〉だから、いくらお金と時間をつぎ込んでも充実感が得られないんじゃないだろうかと思います。

単に「お金を節約する」だけじゃなくって、「何にお金を使うか」「何に時間を使うか」を改めて考え直した方がいいのかもしれません。優先順位は人によってそれぞれ違っているでしょう。

時間もお金も限りがあって、エネルギーにも限りがあって、大事なのは「どんな配分でそれを使うか」なのかもな、なんて思います。

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『勉強法が変わる本』|脱・暗記主義!点が良ければそれでいい?

こんにちは。あさよるです。5月末から用事が重なっていて、なんだかヘトヘトなまま月曜を迎えています。疲れているときは時間があればゴロゴロと寝っ転がって本を読んでいるので、読書ははかどっているんですけどね。

なるべく自習の習慣を途切れさせまいと踏ん張っているのですが、疲れにかまけてサボっているので、気合を入れようと『勉強法が変わる本』を手に取りました。著者の市川申一さんは教育に関する研究をなさっている方で、本書も高校生へ向けた勉強法を指南するものです。

高校生諸君に語り掛けるような文体で、点取りに勤しむのではなく、知識を身につけ、「考える」ための力を身につけるよう指導されています。良い本だと思います♪

高校生向け!勉強法

本書『勉強法が変わる本』は、高校生向けの勉強法を指南する内容です。単に、教科書を〈丸暗記する〉学習ではなく、〈理解する〉〈展開できる〉ように学習する方が効果的だし効率的であると説かれています。本書では、学習法を5つのテーマに分けて紹介されています。

  1. 学習観を見直す
  2. 記憶する
  3. 理解する
  4. 問題を解く
  5. 文章を書く

それぞれのまとめをちょろっと紹介してきます(^^)>

  • 学習観を見直す

これまでの学習法に問題があるかもしれないから、この機会に見直してみましょう。たとえば、考えるときは紙とペンを用意して、図に書きながら考えるクセをつけましょう。意外と、図解せず頭の中で考えて「分からない」と唸ったり、思い違いをしていることもありあます。また、「結果主義」「暗記主義」「物量主義」の学習観はやめましょう。暗記より理解、結果より課程、量より身についた内容へと、勉強法を変えることで、勉強がはかどるようになるでしょう。

  • 記憶する

記憶法では、一気にドカッとやるのではなく、毎日少しずつ反復して勉強するほうが効果的です。そのときも、ただ漫然とやるのではなく、記憶に定着しているものを省き、記憶できていない部分をあぶり出して、集中的に記憶してゆきましょう。また、単に暗記するのは難しいので、他の情報と関連付けて記憶させましょう。だから、物事の原因や理由などを知って、それらを関連づける力が必要です。

  • 理解する

理解を深めるためには、他人に説明できるか確認しましょう。わかりやすい説明には「定義」と「具体例」の両方を説明する力が必要です。また、教科書や先生の説明は、一部解説が省かれていたり、それぞれの解釈の違いで説明が変わることもあります。自分でも「なぜそうなるのか」を理解しておきましょう。

  • 問題を解く

問題解決では、

数学や理科などの問題解決では,問題を理解する課程と,解決方法を探索する過程とがある.(p.146)

と紹介されています。問題のパターンを知っておくことと、新たな問題に知っている問題を持ち込んで考える方法があります。問題を解くことばかりするのではなく、まずは「理解する」ことに努めましょう。教科書の問題には解がありますが、実際の世界には答えがなかったりします。勉強では、答えを当てることではなく、解を探し、失敗から経験を得て、経験を積むことが大切です。

  • 文章を書く

小論文を書くときには,課題文をきっかけにして,自分の問題としてひきつけて考える姿勢が必要だ.(p.191)

とまとめられています。考えを深め、練り上げることが評価につながるし、自分の力にもなります。論説を読むときは「読解メモ」と、思いついたことを「連想メモ」、そして内容を整理しながら「構成メモ」をとりましょう。文章を書くことで「考える」ことができるのです。

勉強法を勉強する高校生へ

青少年向けの本には2種類あります。それは「子どもが読む本」と「親や保護者が読む本」です。本書『勉強法が変わる本』は完全に前者。高校生本人が能動的に読むことが前提となっています。親や教師が本書を読んだところで、子どもの勉強への取り組みは変わらないでしょう。

なもんで、日ごろから読書をする習慣があって、勉強の効率を工夫したいと考えている高校生が対象の内容です。読書習慣がない子どもにとっては、本書は結構読むのが難しいのではないかと思います。今、巷にあふれている文書って、「誰でも読める」ような易しい文体のもが多いですよね。本書は2000年出版の本なのですが、章立てされているから、文章を読み解けないといけません。

といっても、〈賢明な読者諸君〉に語り掛けるような文体で、きちんと「岩波ジュニア新書感」があって好きです。

試行錯誤するより指南書を

あさよるは高校生の頃、生産性のない生徒だったもんで、ただがむしゃらに与えられた課題をこなすだけで、「勉強法を勉強する」という発想がありませんでした。よって、本書のような、学習の指南書みたいなものがこの世に存在することもしらない10代でした(;’∀’)

今になって思うのは、自分一人で四苦八苦するのも大事だけど、同時にどんどん先輩たちの〈勉強法〉もたくさんインストールして、試行錯誤の質をどんどん上げてゆくのが良いよね。

文章を書くことは、考えること

第5章の「文章を書くこと」では、文章を書く意味が紹介されています。

文章は頭の中ですでにあることの写しではない.書いてみようとすること,書いたものを自分で読み直すことを通じて考えが深まるのである.そのときに,どのように考えを進めるかという指針と,人間がついどのような考えに流されやすいかという心理的な傾向を知っておくことは,素朴な意見から脱するための助けになるだろう.

p.192

「文章を書く」とは、単に頭の中をアウトプットすることではないというのです。書いて読み直すことで、自分の考えを深めていけるというのですね。

以前、人間は〈言葉〉を発することで考えることができると聞いたことがあります。感覚的には「頭の中で考えたことを、言葉にして発している」ような感じがしますよね。しかし、実際には逆。人間は、言葉で発したことを記憶し、それを反芻することができる、というのです。この反芻が「考える」ということだそうです。よく、ポジティブな言葉使いなさいとか、〈言霊〉の考え方なんかがありますが、これは本質をついたものらしいのです。たぶん「書く」という行為も、自分の言葉を反芻することで「考える」課程の一つになり得るのかも。

あさよるも、なんとなく読書の記録にブログを始めましたが、当初の想定以上に有意義な活動なのかもしれません(^^♪

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『知識ゼロからの脱収納の断捨離術』|収納しない片づけ

『知識ゼロからの脱収納の断捨離術』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。ブログを始めてから、片づけの本を読むようになり、劇的に部屋の中が片づこうとしています。しかし、なにかスッキリしない! 結構、持ち物は絞り込まれているし、掃除もしやすくなったし、QOLも向上しているのですが、「充実した生活」にはまだ及んでいない気がします。

もうちょい、片づけと向き合ってみようと、やましたひでこさんの『知識ゼロからの脱収納の断捨離術』を手に取りました。著者のやましたひでこさんは片づけの「断捨離」という言葉を世に広めた方です。ヨガの考えから着想を得たそうで、「物を捨てる」というネガティブなイメージだった片づけを、「断捨離」という新しい概念に書き換えた方です。

「収納」ではなく「断捨離」

本書『知識ゼロからの脱収納の断捨離入門』は、「断捨離」という思想を広めた やましたひでこさんの著作です。断捨離とは言わずもがなですが、

モノを絞り込んで、空間とのバランスをはかる。
モノを絞り込んで、自分の時間とエネルギーとの調整をはかる。

これが、断捨離の片づけです。
モノを絞り込むということは、選択・決断の連続です。そう、選択・決断なくしては、モノは減ってはいきません。
入り口での【断】。何を取り込み、何を取り込まないかを選択・決断します。
出口での【捨】。何を残し、何を取り除いていくのかを選択・決断します。今、目の前にあるモノの山は、自分の選択・決断の結果であり証拠です。

p.18

断捨離の「断」は新たに入ってくるものの精査、「捨」は何を手元に残し何を手放すかの精査、そして「離」は執着から離れることです。

わたしたしは意識的にも無意識的にも〈何か〉に執着しています。それは過去の思い出だったり、自分のコンプレックスだったりします。「断捨離」とは、今の自分を客観視し、人生の主役の座を「モノ」から「自分」に取り返すことです。もし、家の中がモノに占領され、モノのために生活をしているのなら、自分の人生がモノに乗っ取られていると考えられます。そのモノを補完するために家賃を払い、管理をし、労力を割いているのですから。

「断捨離」は、単にモノを捨てて減らすことではなく、自分に必要なモノを選び取ることです。しかも「断」も「捨」も二重に〈選ぶ・決断〉することです。

スキマは埋めるものでなく、作るもの

「片づけ術」では、ホームセンターや100円均一ショップで収納グッズを買ってきて、家の中の隙間という隙間を有効活用することだと考えていた人は多いはず。あさよるも以前は、デッドスペースを最大限に有効活用する〈収納術〉こそが賢い片づけだと思っていました。

しかし「断捨離」は考えがまるで別です。隙間を埋めるどころか、むしろ隙間を生み出すのが「断捨離」です。家の中にギッシリモノが詰まって、クローゼットの奥、引き出しの中、目の届かないところまでモノで埋め尽くされていても、それらを頭の中で管理できる人はそうそういません。溢れかえる物モノを管理するために、知らず知らずに結構膨大な労力を使っているのです。

断捨離では、手元に置くモノを決断して選び取るので、モノは最小限。部屋の中にも、クローゼットも引き出しの中にもスキマが生まれます。ゆったりとモノを管理できるので、頭の中もスッキリするのです。「モノを飾る」ということまでできるようになると、生活が豊かになってゆく気がしますね。

「捨てられない理由」を捨ててゆく

片づけ・断捨離をするとき、「捨てる」という行為自体への罪悪感や拒絶を感じる人も多いでしょう。本書『知識ゼロからの脱収納の断捨離入門』でも、「捨てる」ことへのメンタルブロックを解くことにほとんどのページが割かれています。

片づけ・断捨離を阻む感情は「もったいない」という気持ちではないでしょうか。モノを大事し「もったいない」と思う気持ちは大切なことです。しかし一番大切なのは、「本当にモノを大切にしているか」ということです。押し入れの奥にしまい込んで、存在を忘れ去っているモノを「大切にしている」と言えるでしょうか。もう二度と着ない服をタンスに詰め込むことも、埃まみれでドロドロになったものを収納していることも、「モノを大切に扱っている」とは言い難いでしょう。

「もったいない」は、片づけを投げ出す自分への言い訳にもなってしまいます。

断捨離では、自分の手元に置いておくべきモノを厳選して選び取ります。すると、自分の持ち物は「お気に入り」や「とっておき」ばかりになってゆきます。最小限のモノになれば、頭の中でどこになにがあるのかも把握できるようになるでしょう。すべてのモノへ配慮が行き届き、とっておきのモノを大切に使いましょう。それが「もったいない」という気落ちの表現の仕方なんです。

コンプレックスに執着してるのかも

また、捨てられないモノの中には、自分の見栄やコンプレックスのせいで手放せないこともあります。本書では、高価な買い物をしようとしたとき友人に「そんな高いものを買うの?」と言われ、「高価なものはお前には似合わない」と言われたような気がして、ムキになって購入してしまったという例が紹介されていました。もちろん、その人はそんなコンプレックスを忘れていて、なんとなく「捨てられない」と思っていました。よくよく自分と向き合ってゆくうちに、「他人からバカにされた」というエピソードに執着していたことに思い至ったそうです。

高価な持ち物を買う時、時にそれを「自分が欲しいから」ではなく「他人から良く見られたい自分」を優先して購入してしまうことがあります。そんなモノを手放すときは、「他人から良く見られたい自分」を捨ててしまうようで気後れしてしまうようです。

断捨離とは、他人の評価に価値基準を置くのではなく、自分基準でモノを選び、決断することです。

片づけは〈思想〉なのだ

以前、やましたひでこさんの『新・片づけ術「断捨離」』を読んだときも感じたのは、自分の生活の場や職場を片づけることって、これは一つの思想なのだなあということです。

もちろん、散らかった部屋で生きるのも、モノをギッシリ収納して生活するのも、その人の生き方です。「断捨離」もそういう〈生き方〉なんですよね。「もったいない」といってモノを捨てないのも生き方だし、自分の身の回りを整理して小ざっぱりを生きるのも生き方です。

これは断捨離に限らず、ときめきの魔法の片づけも、ミニマリストの生き方も、みんな「自分はどう生きるか」という思想のもとになされているのではないかと思います。あるいは「自分はどう生きたいか」という、未来をデザインすることなのかもしれません。

片づけは、単に身の回りの世話を自分ですることだけではなく、なにやらそれ以上の〈意味〉があるようですね。

未来の自分にふさわしい生活を

『知識ゼロからの脱収納の断捨離術』挿絵イラスト

断捨離の「断」は新しく入ってくるモノを〈選び・決断〉すること。「捨」は今あるモノを〈選び・決断〉することと紹介しました。この「断」と「捨」の二つの要素が断捨離のポイントです。

まず新たに入ってくるものを精査する「断」によって、自分が「これから必要なモノ」を選び、決断することになります。それは自ずと「これからどう生きるか」を真っ向から考えることになります。

既にあるものを取捨選択する「捨」では、「過去に必要だったもの」と「これから必要なモノ」を選別します。過去の自分には必要だった、だけど今の自分、未来の自分には不要なモノは「離」へ進みます。収着で手元に置いておくのではなく、きっちりケジメをつけて手放します。

断捨離をすると否応なしにも、「これからの生活」を想像せずにはいられません。見回してみると、過去の自分に必要だったモノが溢れているなら、いったん整理して、これからの自分のために装備を改め直したいと思いました。

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『はじめての嘘の心理学』|嘘を見抜けば誰もが〈正直者〉

『はじめての嘘の心理学』挿絵イラスト

こんにちは。嘘をつくのが下手な あさよるです。より正確にいうと、嘘をついても途中で嘘の設定を守り続けるのが面倒くさくなって、投げ出しちゃうというのが正しいw 嘘はバレるというよりも、「嘘をバラしてしまう」という感じでしょうか。なので、なるべく嘘は言わないように気を付けています。まあ、正直にズケズケモノを言いすぎるのは、嘘つきよりも嫌われる気がしますが(苦笑)。

今回手に取ったのはゆうきゆうさんの『はじめての嘘の心理学』です。ゆうきゆうさんって、ネットでマンガを読んだことがありましたが、本で読むのは初めて。本書ではマンガは すぎやまえみこさんが担当なさっています。

3つの嘘ツキがいる

本書『はじめての嘘の心理学』では、人の「嘘」をテーマに心理学的なアプローチで、人の本音を探る内容です。言葉のみならず、ジェスチャーや姿勢などの非言語の情報も使って、心理学的に「嘘」を見抜いてやろうという試みなのです。嘘をついているとき、外見や仕草に焦りや後ろめたさが表れるそうです。手足の動きや視線、表情、姿勢、話し方をチェックしましょう。

ます「嘘」とは「だますことによって、ある目的を果たそうとする意識的な虚偽(真実ではないこと)の発言」と定義されています。嘘には3つの特徴があります。

1 虚偽の意識がある

虚偽とは「偽り(本当ではないこと)と意識的に真実(本当)のように見せかけること」をいいます。つまり、嘘つきは自分の話していることや書いていることが真実ではないと知っているのです。

2 だまそうとしている

本当ではないこと、事実とは違うこと、間違っていることを相手にしんじこませようとします。つまり、嘘つきは意図的・計画的に相手をだまそうとしている人のことです。

3 嘘の目的が明確である

自分が利益を得たり、悪口や避難から逃れたり、あるいは自分を守るためだったりなど、嘘をつく目的がはっきりしています。ただし、必ずしも自分の利益のためだけではなく、他人やグループ、集団のために嘘をつく場合もあります。

p.3

よって、勘違いや記憶違いなど、本人が真実だと思って言う嘘は、ここでは「嘘」には含まれません。本書では、意図的に「嘘」をつき、自分や自分の属する集団が利益を得るための嘘を見破るためのテクニックが紹介されています。

マンガと解説を、他人事のように笑って読もう

本書は一つの嘘のシチュエーションごと、見開き2ページで構成されています。見開きの3/2の面積はマンガと図解です。このマンガもコミカルで楽しいのが本書の良いところ。「ほうほう、こんな人いるな~」「ああ、この発言聞いたことあるー」と、自分のことを棚に上げて読むと楽しいものです。

反対に、自分の言動に当てはめた途端、冷や汗が……あさよるは、嘘をつき通すのが面倒なので、嘘はつかないように気を付けているのですが、自分でもなんだかよくわらない見栄を張ったり、意味のない嘘を言ってしまうことがあります。何かを「隠したい」という本音が無意識に働いているのでしょうか……。

また同時に、顔色一つ変えずに嘘をつく人や、完全に自分の都合の良いように記憶を改ざんしているとしか思えない人がたまにいますが、本書を読むと想像以上に「ヤバイ人」なのかも……と不安になってきました。嘘をつくと、なんらかの「後ろめたさ」が隠せないのが普通なのに、平然と嘘を吐き通せるって……。

嘘で本音がわかる

本書の面白いところは、「嘘」を扱っているのですが、その嘘が見破ることができれば、人は饒舌に「真実を語っている」ということになります。嘘は「騙されるから嘘」なのであり、騙されさえしなければ、相手は饒舌に真実を語る者のように見えるかも?

また、騙されやすい人も紹介されています。

  • すぐにその気になりやすい(話を真に受けやすい)
  • はっきり断れない
  • 「お得」に弱い
  • おだてられると嬉しい
  • 自分は騙されないと思ってる
  • 権威に弱い、ブランド物に弱い
  • 深く考えるのが苦手
  • お人好し、人を信じてる方が楽だと思ってる
  • 自信がない
  • 不安感が高い

自分が騙されやすい人に当てはまっているなら、自分に言い寄ってくる人は「騙そう」としているのかも? という警戒の仕方もアリでしょうか。

嘘はバレている

『はじめての嘘の心理学』挿絵イラスト

本書『はじめての嘘の心理学』を読んでわかったのは、「嘘はバレる」ということw ご自身に「絶対バレない」という自身がおありなら別ですが、そうでないなら、嘘は必ずバレていると考えておく方が無難そうです。なぜなら、嘘の事例がたくさん挙げられているんですが、どれも「見たことある」し「多分同じ状況なら気づくだろう」と思うものばかりだから。

また、相手を騙して自分の利益を得るための「嘘」には、「見栄」やコンプレックスを隠す嘘も含まれます。思わず見栄を張ったり、虚勢を張っても、やっぱり不自然だし、いつかそのうち相手に伝わっちゃうんじゃないかと思いました。なので、見栄やコンプレックスも、「相手にバレている」と考えておいた方が無難かも。

それを踏まえた上でも、嘘をついたり見栄や虚勢を張っちゃうのが「人情」ってもんですから、相手の嘘も多めに見るようにしようと思います。なぜなら、自分もまた誰かに多めに見てもらってるだろうから。

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