『スタンフォード式 疲れない体』|効率よく活動し、疲労を持ち越さない体に

『スタンフォード式 疲れない体』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。すっかり気候も良いですから、土日に行楽に出かける方も多いでしょう。そして、週明けすっきりとリフレッシュして仕事を始めるために本書『疲れない体』はぴったりです。心地よく疲れ、気持ちよく寝て、パチッと目が覚めるような、快適な週明けを過ごしましょう~(^^♪

「疲れない呼吸」を身につける

本書『疲れない体』は、スポーツで世界的に成果を残しているスタンフォード大学からの提案。疲労を客観的に捉える方法と、疲れにくい習慣を手に入れましょう。

まず、疲れを客観的にとらえる方法4つが紹介されていました。

  • 「脈」がいつもと違う
  • 「いろいろな時間」に寝ている
  • 「腰」が痛い
  • 「呼吸する場所」を間違えている

〈「腰」が痛い〉とは、脳が体のバランスを取ろうと、筋肉をギュッと緊張させた状態が続くと陥る状態だそうです。ハイヒールなど、好きな服装によって腰痛になりやすい人もいます。

〈「呼吸する場所」を間違えている〉は、簡単に言っちゃえば、呼吸が浅くて酸欠気味になりがち人です。呼吸が浅くなってしまう理由の一つが、姿勢の悪さだと言います。そして、この「呼吸」が、本書『疲れない体』で多く語られる、疲れにくい秘訣です。

ちなみに あさよるの場合、お酒を飲むと、翌日この4つの状態になっている気がします(;’∀’)>

「疲れない体」のために欠かせない「IAP呼吸法」というものが紹介されています。右の肋骨の一番下、胸骨の一番下、左の肋骨の一番下の3点を結んだとき、点・胸骨の一番下が90度以下になるのが良い姿勢。90度を超えると姿勢が悪いそうです。

『スタンフォード式 疲れない体』挿絵イラスト

呼吸するとき、お腹の中の腹圧で肺に空気が入るので、お腹に空気が入りやすい人=疲れにくい人ってところでしょうか。

効率よく燃やす

あさよるは体験したことありませんが、酸素カプセルに入ると体の疲れが取れやすいと聞いたことがあります。酸素をより多く取り込みやすい姿勢と呼吸法でも、同じように疲労回復しやすいんだろうと思います。

また、腹式呼吸についても触れられています。みなさん、腹式呼吸というと、息を吸うときお腹を膨らまして、息を吐くときお腹をへこますように教えられた記憶があるのではないでしょうか。しかし、本書では息を吐く時もお腹を膨らましたまま、息だけ吐くよう書かれていました。

実はあさよるも、お腹を膨らましたまま息を吐くというコツに気付いた本がありました。それがボイストレーニングの『歌上手になる奇跡のボイストレーニングBOOK』でした。

この本にはCDが添付されていて、CDに合わせて一緒に声を出して、ボイストレーニングができる本です。で、あさよるは一時期マジメに取り組んでおりまして、あるとき「お腹の中を風船のように膨らまして、その風船に響かせるように声を出せばいいのか」と少しコツをつかんだ気がします。そもそも あさよるは、歌の練習というよりは、よく風邪をひくと声をからすので、喉に負担をかけずに喋れるようになればいいなぁとはじめました。そのせいかがあるのかないのかはわかりませんが、なんとなく風邪をひいても喉には来ない気がしています(気のせいかもしれないケド……)

これも、身体に負担を減らして、声を出すメソッドだと考えると、『疲れない体』と共通する部分もあるのかもあんて思いました。

疲れにくい習慣を

『疲れない体』では呼吸法を中心に、睡眠の方法や、眼精疲労の解消の仕方、ストレッチなど、疲れにくい体の習慣が紹介されています。あと栄養もね。

先日ブログでも紹介した『超ストレス解消法』とも関連しているなぁと感じます。結局のところ、「疲れない体」とは、そもそも疲れにくい習慣と、疲れを解消させる習慣によって、その日の疲れを持ち越さないことなのでしょう。それは肉体的にも精神的にも。

あと、睡眠については、同じく「スタンフォード」シリーズ(?)の、『スタンフォード式 最高の睡眠』あたりを。

睡眠について知るなら、『4時間半熟睡法』も併せて読んでおいてもいいんじゃないかと思います。

『4時間半熟睡法』はタイトルの通り、いわゆる「ショートスリーパー」のような睡眠生活を手に入れるためのメソッドが紹介されています。といっても、かなり厳密に睡眠時間を計算しないといけないし、実行し続けるのは難しいやり方だと思うので、あまり軽々とオススメもできません。なのになぜ『4時間半熟睡法』をすすめるかというと、「睡眠習慣」について考えるとき、「普通は4時間半では睡眠は足りないんだ」というのもよくわかるからです。

そしてそれを踏まえたうえで、『疲れない体』では「東京の平日の平均睡眠時間は5.59時間」という、驚きの睡眠時間が紹介されていました。この平均値をどう解釈してよいのか悩みますが、とりあえず『4時間半熟睡法』を読んだあとにこの数字を見ると、「大丈夫か?」と心配になります。それくらい、睡眠時間を削るって命を削ってしまうことだから、しっかり計算して完璧に計画を立てなきゃヤバイぞ!? と焦る。

みんな、普通にしていると、疲れをため込んでしまう生活になってるんだなぁと、他人事じゃなく思います。「疲れない体」って、多くの人にとって切実な問題なんじゃないでしょうか。

きちんと章立てされている本でもあるので、中身が気になる方は、記事の最後の目次だけでも読んでみれば、雰囲気はわかると思います(`・ω・´)b

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『痩筋力』|確実に痩せたい人にしかオススメしません

こんにちは。食欲の秋を満喫している あさよるです。夏の間節制できてたのに、これじゃだめだ! 今からちょっと気を引き締めて、ついでにお腹も引き締めたいなぁと、石井直方先生の著書『痩筋力』を読み始めました。石井直方先生の本は過去に数冊読んでいて、筋肉のしくみについて全然何も知らなかったあさよるにとっては、石井先生の本に出会えたことで人生観が変わりました。それまで、ザ・昭和な非科学的な行為を「トレーニング」だと思っていたのでした……(-_-;)(-_-;)

ちなみに、あさよるを変えた石井先生の本は『姿勢の科学』でした。

石井先生の本は正論。マジぐう聖。だから、本当に自分の体を変えたい人以外にはおすすめしません。

筋トレだけで痩せる!

本書『痩筋力』は、筋肉をつけて痩せやすい身体をつくる利点と、その理由、そしてその方法が紹介されている親書です。タイトルの「痩筋力」とは「筋肉をつけて痩せる力」のこと。なんとも頼もしい言い方です^^ もちろん、痩筋力はダイエットのためだけではなく、健康習慣や、歳を取ったとき寝たきりになるリスクを軽減したり、肩こりなど身体の不良も緩和します。

速筋と遅筋

筋肉には「速筋」と「遅筋」という二つの筋肉があります。「速筋」は瞬発力を発揮する筋肉で、遅筋はマラソンなど持久力が必要な活動で使われます。

「痩筋力」では、瞬発力を生む「速筋」を鍛えます。速筋はエネルギーを燃やし、体を温める役割も担っています。だから、速筋がたくさんある人はそれだけエネルギー消費の多い人……つまり「燃費の悪い人」ということ。これは食糧難のときには大きなデメリットとなりますが、「ダイエット」という観点からは、エネルギーが燃えやすい=痩せやすいことなので、多くの現代人にとっては嬉しい力です。

「遅筋」も大事な働きをします。脂肪を燃焼するのは遅筋だからです。

今、糖質制限ダイエットが流行していますね。巷で言われている通り、糖質を「制限する」のは大事なことです。糖質はおいしいですから、食べすぎてしまうんですよね~。だけど「糖質抜き」にはリスクがあります。まず、身体は栄養不足になると「省エネモード」に切り替わります。「痩筋力」である、エネルギー消費増大モードとは真逆です。そして身体は、糖質が足りなくなると筋肉を分解して糖質を確保し始めます。筋肉はエネルギーを浪費する機関ですから、動物としての生き残り策としては、省エネに移行するのは理にかなっています(それが飽食の時代にはデメリットになってるんだけど)。また、食べ物がなくてストレスを感じると、ストレス時に分泌されるホルモンの影響で脂肪が作られやすくなるそうです。

つまり、糖質が足りないと、それはそれで「痩せにくい身体」どころか「太りやすい身体」へとモード変更されちゃうみたいです。気をつけねば……。

筋トレすればいい!

じゃあどうすればいいのか、ややこしいことはできない……と落ち込まなくても良いのです。なぜなら、筋トレすれば大丈夫だから!w

筋トレといっても、下手にやると身体を壊してしまいます。トレーニングマシンを使ったトレーニングが安全だとされていたこともあったそうですが、今ではマシンを使ったトレーニングも知識がなければ弊害があることが知られているそうです。

だから、安全安心で、手軽で、お金がかからないトレーニング……著者の石井直方先生は「スロトレ」を推奨しておられます。ズバリ『スロトレ』というDVDつきの本も出版されています。

「スロトレ」は「スロートレーニング」の略なのですが、決して楽なトレーニングという意味ではありません。むしろ、ある一定時間筋肉にジワっとゆっくり負荷をかけ続けるトレーニング、キツいトレーニングです。だから、石井直方先生は、トレーニングしたい筋肉を狙い撃ちできるトレーニングメニューを提案なさっています。スロトレ自体はキツいトレーニングだけれども、ピンポイントで負荷をかけることで、ゼェゼェと息が上がってしまうような疲労は感じません。……ただ、あさよるもスロトレやってますが、ジワっとびっしょり汗をかいて、心拍数と呼吸が上がってるのは感じます。気持ちよい汗ですね。

食事制限はキツイ! 筋トレのほうが楽かも……

あさよるも数十年生きていますとね、いろいろ学習しております。食事制限だけで体重を減らすのはムズイ。趙ムズイ。確かに、食事の量を減らせば最初はある程度減るんですよ。ただ、ある程度減るだけで、それ以上は減らないし、いつまでも食事をガマンするのはキツくて、我慢しきれずに食べちゃうと元の木阿弥……どころか、ダイエット前よりも体重が増えて、体脂肪率も増える……つまり不健康な感じで太ってしまうのがお約束。この「不健康な感じ」ってのが厄介ですよね~。見た目を気にしてダイエットしたいのに、不健康そうって一番目的から遠い( ノД`) 本書『痩筋力』でも、食事制限のリスクが紹介されていました。

一方で、「スロトレはデメリットがない」という指摘が目からウロコでした。筋トレはやり方を間違えると身体を壊すリスクもあるのですが、正しくやれば必ず成果が上がります。そして、例え途中で挫折してトレーニングをやめちゃっても、不健康になるわけじゃありません。単に、トレーニングをやめただけなんですよね。で、時間とともにまた体重が増えてきたり、筋力が落ちてきたかな~と思うなら、その時にまた再開すれば良いのです。筋トレにハマってとことんストイックに極めちゃう人もいますが、別にゆるーくやってもOKなのが筋トレのいいところ。

ただし、スロトレも、最初の3ヵ月は続けてやるよう指示されています。

筋トレは休み休みやる

筋トレって、毎日何百回も腕立て伏せをしたりするようなやり方はもう古いみたいです。本書『痩筋力』でも、トレーニングは2~3日おきくらいにやるのがいいと紹介されていました。また、100回も連続でやれちゃう負荷で腕立て伏せをしても、本当に効いているのは最後の10回くらいだそうです。そうじゃなくて、10回もやればもう限界なくらいの負荷でトレーニングをやって、1~3分ほど休んで、また10回もできないくらいのトレーニングをやって……と、10回くらいを1セットに、間に1分ほどの休憩を入れながらやるのが最も効果的だそう。

トレーニング後、筋肉を休めて回復させることで、筋肉は太くなってゆきます。

スロトレでは、2つのトレーニングをそれぞれ1セットずつ交互にやることで、片方のトレーニング中、もう片方の筋肉を休めるよう組まれています。これはさっき挙げた『スロトレ』のDVDと一緒にあわせてやってみてくだされ。

筋トレは適度な休息が必要で、毎日するより週に2、3回くらいがいいって、あさよるは石井先生の本に出合うまで知りませんでした。なんでも勉強しなきゃいけませんね。

ちなみに、腹筋と背筋だけは別で、毎日やってもOKだそうです。科学的な理由はまだわかっていないそうですが、特別な筋肉みたいですね。

今すぐ感じる効果もあるよ

本書『痩筋力』では、スロトレは最初3カ月感は週2、3日くらいのペースで続けてゆく必要があると書かれていました。しかし、ウエスト周りだけは最初の2週くらいで効果を実感する人もいるそうです。お腹の中は空洞ですから、筋肉を少しつけるだけでお腹が引き締まって、ウエストが細くなるんだそう。

これは、それまでトレーニングをしていなかった人ほど顕著に表れやすい効果だそうで、そう聞くとやってみたいと思いませんか?

そんなことを言っているあさよるも、スロトレを始めてすぐに身体が変わっていると実感しました。体を起こしているのが楽になるというか……なんか、違うんですよ、動作も、身体の感覚も。その最初の変化を再体験したくて、スロトレをやろうと原動力になっています(`・ω・´)b

本書に書かれていることって、すごく「普通」です。「○○するだけ」みたいな奇をてらったダイエット本ではありません。だから、本当に痩せたい、本当に健康や美容のために身体を鍛えたい人にしかおすすめしません。

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石井直方さんの本

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『「教養」とは何か』|世間の中でいかに生きるか

こんにちは。あさよるです。先日読んだ鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』が、読了後もずっとなんとなく気になり続けていました。『「空気」と「世間」』では、わたしたち日本人は「社会」と「世間」の二つの世界を持っていて、社会生活をしている最中に顔を出す世間が「空気」だとされていました。

この鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』では「世間」はやや否定的なニュアンスで語られているように感じました。だけどその直後に読んだ内田樹さんの『街場のメディ論』では、「世間」は肯定されていました。この二冊の、近いテーマを扱いつつ結論の違った本を続けて読んだことで、「世間」が気になるワードになってます。

そこで、先に挙げた『「空気」と「世間」』で引用されていた阿部謹也さんの『「教養」とは何か』を手に取ったのでした。

ちなみのちなみに、昨日は『世界の教養365』という、1日1ぺージ、一つのテーマについて紹介される本を紹介しました。

今回『「教養」とは何か』を読了してみると、『世界の教養365』は、教養というより「雑学集」かもななんて思ったり(;’∀’) もしかしたらヨーロッパ社会に生きている人にとっては「教養」になるのかもしれないけど、多くの日本人にとっては「教養」ではないかも……その理由は、社会のかたちが違うから。「社会のかたちが違うと教養のかたちが変わる」というのは、本書『「教養」とは何か』を読んだ発見でした。

世間の中の教養

先日ブログで紹介したした鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』の中で、本書『「教養」とは何か』が引用されており、気になって読み始めました。主題はそのまま「教養とは」。

「教養のある人」と聞くとどんな人物を思い浮かべますか? 本書では、教養を

「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうしている状態」(p.56)

を「教養」であるとしています。それを「いかに生きるか」と表現されています。多くの書物を読み知識が多い人のみを指すのではなく、ときには「人格者」であることも教養に含まれます。そして無自覚に「いかに生きるか」を体現している人々もたくさんいます。例えば農業従事している人は、「いかに生きるか」と自覚的に考えなくても、自分の仕事が多くの人達の暮らしを支えていることは知っていただろうと紹介されています。

「いかに生きるか」を考えるとき、「世間」を知る必要がある

「世間」とは

そして「自分が社会の中でどのような位置にあり」「いかに生きるか」を考えるとき、「世間」が登場します。世間は感情のある人間たちが集まって繋がっています。だから世間の中で誤解されたならば、それを解かなければならないし、もしもひどい仕打ちを受けたのなら、自らの手で復讐します。つまりかつて「社会」がなく「世間」だけがあるのです。そして現在、「社会」のある世界では、法によって合法的な処置されるようになりました。

日本では、明治になってから西洋の「社会」が建前として導入されました。しかし、そこに生きていた人々は、従来通りの「世間」を本音として持ち続けました。建前の「社会」では、弱いものを守り、正義の行いはいずれ実を結ぶことが教えられます(つまり法によって裁かれる)。だけど、本音ではそうではないことも知っています(世間では個人間の復讐になる)。わたしたちが「大人になる」とは、子ども時代に施された建前の教育から、言葉の裏を読む本音の世間を知ることです。

ヨーロッパの「社会」には根底にキリスト教の思想があるから成り立っているものであり、日本にはその前提がないため、ヨーロッパから持ってきた社会/建前と、昔ながらの日本人の思想を反映した世間/本音の二重構造ができてしまいました。これは日本が近代化してゆく中で、日本が身に着けた処世術だったのかもしれませんね。

世間の中でいかに生きるか=教養

教養とは、「社会の中でいかに生きるか」を考えることなのですが、日本では建前の「社会」と本音「世間」の二重構造になってしまっています。だから「社会の中でいかに生きるか」と語るとき、建前で語ってしまうと、そこに感情のある人間が抜け落ちてしまいます。

わたしたちが「教養」について考えるなら「世間の中でどう生きるか」を考えることで、感情のある人間と人間の関係性の中で「いかに生きるか」を考えれられます。

そのためにも「世間とは何か」を客観的に認識する必要性を指摘するのが本書『「教養」とは何か』なのです。

「世間」は悪いものなのかな?

『「教養」とは何か』を読むきっかけになった鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』では、「世間」については否定的で、日本も「社会」へと移行するよう促す内容でした。その本を読んでいる途中は、確かにあさよるも「世間」の息苦しい関係性も、鬱陶しい「空気」も嫌いですから、「そうだそうだ」と納得もしていました。

だけど、はて。やっぱり考えてしまいます。そんなに「世間」って悪いものなのかなぁと。もちろん、鬱陶しいし嫌!ってのも事実でしょう。だけど、「世間」のない世界で生きることってできるのでしょうか。

たまたま件の『「空気」と「世間」』は2018年9月4日の台風第21号の影響で停電した家の中で、暇つぶしに読み始めた本でした(後々のためのメモ/2018年、平成30年台風第21号は9月4日「非常に強い」勢力で日本に上陸し、近畿地方で大被害が出た。これまで経験したことのないとんでもない暴風)。つまり「大災害の最中に読んでいた」んですよね。

で、大災害にあったとき「世間」が社会の中にしっかりと根付いていることを実感しました。親類縁者隣近所も、普段は顔を合わせば軽く挨拶をするけれども、あまり深くかかわるのも煩わしい。だけど災害時は、お互いに声を掛け合い、誰彼構わず助けが必要なら手を貸し、掃除や後片付けも、自分も他人も関係なく参加します。そして、行政もそこに「世間がある」ことが前提で、支援を開始することにも気づきました。やっぱり日本社会は、建前ではヨーロッパの「社会」を持ってるけれども、その実、大衆の意識だけではなく、行政だって「世間」の一部なのです。

たぶん自分が「いかに生きるか」を考えるとき、建前の、知識やシステムだけを振りかざすのではなく、本音の、感情のある一人の人として、他の人々と「どう関わるのか」を考える方が、自分にとっても良い作用があるように思いました。また「教養」を身に着けるための「勉強」も、「なんのために勉強するのか」といえば「世間のために」なのかもしれません。

『漫画 君たちはどう生きるか』について

先日ブログでも紹介しました大大ベストセラー『漫画 君たちはどう生きるか』についての感想で「主人公は特別な立場の人だから、〈どう生きるか〉なんて特別なことを考えているのではないか」と書きました。

だけど今になって考えると、特別な立場にある人だけじゃなく、それ以外の人だって自覚的にも無自覚的にも「世間のために」生きている人はた(いる)でしょう。そう思うと、あさよるの抱いた感想は的外れだったのかもなぁなんて思いました。

そして今『漫画 君たちはどう生きるか』が売れに売れているというのは、多くの人が世間の中でどう生きるのかを模索しているということなのかもしれません。まぁ、さっきも言ったように、やっぱ災害があると、それを意識せざるをえないですね……。

そこで考えたこと

先に述べたように、本書『「教養」とは何か』では「世間」に対して否定的な態度なのかと思って読み始めたので、結論として教養を身に着けるためには世間を知ることが必要だと書かれており、意外でしたが、「教養」「世間」について、納得できるものでした。

あさよるは面倒くさがりなので、世間の面倒くさい手続きは性に合いません。科学的根拠のないオカルトな儀式や祭事も嫌いだし、まどろっこしいやりとりも嫌いです。

……だけど、だからといって「世間」を否定して生きられないことも、さすがに何十年も生きていると気づいています。しかも、嫌なことばかりなわけじゃなく、あさよるだって世間の中の一人であり、世間に助けられてもいます。そのくせにイヤイヤ言い続けるのも、それは違うだろうとも思います。

また、今はインターネットを通じて、遠くにいる人も「世間」の中の人のような気がします。それが普通になって長いけど、思えば変な感じかも。だって、「世間なんて窮屈で嫌だ」と言いながら、テクノロジーを使ってどんどん世間を自ら広げているからw

『「世間」と「空気」』のレビューでも書きましたが、このまま「ダブルスタンダード」でもいいのかもしれないなんて思い始めてもいます。だって、どっちを失ってしまうのも惜しいと思うから。ただ、無自覚にやるのではなく、「社会」と「世間」の二つの世界で生きていることを客観的に自覚して、よりよくなるように、使えたらいいのにな。

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『世界の教養365』|今日のネタ帳はこれ

『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』イメージ画像

こんにちは。あさよるです。『世界の教養365』は書店で平積みされているのを見ていて気になっていました。結構ボリュームある感じだし、「世界の教養とはなんぞや」と気になっていたのです。ページを開いてみれば、あら、1項目1ページずつ、要約と簡単な説明、さらに豆知識が書かれたもので、大人だけじゃなく10代の人におすすめしたい内容でした。

1日1ページずつ、一年館読み切ると365の教養が身につくという触れ込みです。

ただトリビア集とは違っているのは、7つのジャンルが設けられ、1週間ごとに同じジャンルが回ってくるから、読んでいるうちにだんだんと教養が「深まってゆく」ところです。ただ網羅的に雑学が収録されている本は軽く読むにはいいですが、読みごたえはないので、こっちの方が読む楽しみはあるかも。

毎日〈読書〉と〈学習〉の習慣を

『世界の教養365』は分厚いA5サイズの書籍です。本書には365の教養がコンパクトにまとめられて収録されています。これを1日1ページずつ、365日かけて読んでゆきましょうという趣向です。著者は聖書を毎日少しずつ読む習慣がある方だそうで、そんな風に朝の時間に習慣としてテレビや新聞をチェックするように本書を1ページずつ読み進めてゆきましょう。

……って、あさよるは一気に読み進めちゃったんだけど(;’∀’)(;’∀’)

本書ではジャンルを7つの分野に分け、1週間の7日間に割り振られています。第一週目、第二週目……と読み進めてゆくうちに、7つのジャンルがそれぞれについてだんだんと知識が深まってゆくしかけです。

7つのジャンルは、

  • 月曜日:歴史
  • 火曜日:文学
  • 水曜日:視覚芸術
  • 木曜日:科学
  • 金曜日:音楽
  • 土曜日:哲学
  • 日曜日:宗教

ワクワクするジャンルが割り振られています。

さらに、実際に読み始めて、ページの構成が印象的だったので紹介しておきます。

本書はその日のテーマが1ページに簡潔にまとめられています。その日のテーマ・トピックスと、その要約。さらに詳しい説明がなされ、最後には豆知識が添えられています。

画像を用意してみました。

『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』イメージ画像

あさよるは個人的に、子どもの頃、こんな風に自分が見たり聞いたりしたことをまとめて本を作るのが好きだったため、幼い頃の楽しみを思い出しました。本書は教養をインプットするためのものですが、この構成をテンプレートとして、自分の教養本を作っても面白そうです。

教養は何のために必要か

本書『世界の教養』のAmazonのページを見ていると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」の項目で、Amazonさんが『究極の男磨き道 ナンパ』という本をおすすめしてきたのが、面白いw

いや、この本は読んでないし、たぶん読まないだろうから内容はわかりませんが、「教養」と「ナンパ」がリンクしてるって、「ああ~」と納得しました。サブタイトルが「コミュ障ひきこもりがストリートに立った日」ですw

教養ってなんのために身につけるのか、なぜ必要なのかはいろんな説明の仕方があるでしょうが、「コミュニケーションを円滑にするため」という理由はわかりやすい例の一つでしょう。で、そのコミュニケーション能力は、「モテ」のためにも使われるでしょう。おかしなことではありません。

まぁ、この話は別にこれ以上広がりませんがw、教養って、みんなが共通して持っている共通知識でもありますね。それはより多くの人とコミュニケーションをとるために、あればあるだけ邪魔になるものではない。逆に言えば、教養がない……というか、知識が偏っている状態って、ピンポイントで同じ知識を持っている人同士は深く付き合えるかもしれないけれども、より多くの人とは関わりづらいのかもしれません。その辺は自分の生き方、志向でもあると思うし、専門知識に完全に特化している人もコミュニティには必要だと思うけれども、広く浅く世界を知ることもまた、面白いことでしょう。

浅くてもいいから、どこまでも広い世界を見てみたい

あさよるは10代~学生時代は「広く浅い知識を身に着けたい」と思っていました。細かなニュアンスは忘れてしまいましたが、「この世界の遠くを見てみたい」というような願望でした。本来なら自分と接点の内容な世界がきっと存在するはずで、そこに生きる人たちはどんなことを考えて、何が見えているのか知りたいと思っていたのです。

まぁ、今となれば「浅いままだとそうそう遠くへは行けないぞ」とツッコみたくなりますが、それは若い頃のチャレンジがあったから学んだことなんだろうと思うことにしますw

また、若い頃は無邪気に本に書いてある知識を丸のまま吸収していました。丸々頭に入ってた頃が羨ましくもありますが、今のほうがより抽象的に捉えられることが多くなって、例えばAというジャンルの本を読んでいても、全然関係ないΣの事柄を理解したりと、既存のジャンルやカテゴリへのこだわりはなくなりました。

だから、今は「広く浅く」とか「狭く深く」とか、そもそもそんなことにこだわらなくなりました。全然違うジャンルの本を読んで、別の事柄に思い至ることもあるから、どんなジャンルの本を読んでいいじゃないかと思うようになったからです。

だから、もしあなたが今「広く浅くモード」なら、本書をおすすめします。付箋をつけながら、これから調べたりハマってみたい分野が見つかるだろうと思います。もしもあなたが今「乱読モード」なら、本書を読むのもいいですが、そのまま手あたり次第、目に留まった本を片っ端から読んでいくのでいいと思います。

読書って習慣なんだな

本書『世界の教養365』をはたして本当に1日1ページずつ読むのか、一気に読んじゃうのか問題は置いておいて……本書は「毎日本をちょっとずつ読む」という読書の楽しみを書籍化した感じなんだろうと思います。「1日1冊、いろんなジャンルの新書を読む」をコンパクトにしたような感じでしょうか。

ただ、本書は結構でっかいので、持ち歩くならkindle版がオススメです。通勤時、ホームで電車待ってる間にサクッと読むとかいいんじゃないでしょうか。

kindle版『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』

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『佐伯チズメソッド 肌の愛し方育て方』|自分の愛し方、人との関わり方

こんにちは。あさよるです。すっかり涼しい日が続き、今年のあの猛暑が嘘のようですが、みなさんお元気でしょうか。雨模様や台風が来るたびに体調を崩される方もいらっしゃろうかと思います。今回手に取った佐伯チズさんの『肌の愛し方 育て方』は、スキンケアやメイクの佐伯チズさんのメソッドが紹介されるものですが、心身ともに健やかに近づけるよう配慮することは、美容の話でもまずは前提になっているのではないかと思います。ちなみに あさよるはこの時期花粉症なので、顔にも体にもブツブツと吹き出物ができたりして、ちょっぴり憂鬱な時期でもあります。

佐伯チズさんの本では毎回、自分のスタイルを持ったカッコイイ女性像にあこがれを感じていましたが、今回はそこからさらに奥にある、「自分の持っている習慣」が大切であることに気づきました。その習慣とは「自分が機嫌よく生きられる習慣」とでも言いましょうか。自分の機嫌くらい、自分で取れるのがカッコいい生き方だなぁと思いました。

自分の愛し方

さてさて、あさよるが静かにはまっている佐伯チズさんの本をまたもや読みました。今回は『肌の愛し方 育て方』というもので、スキンケアやメイク、コスメについての考え方が紹介されています。佐伯チズさん式スキンケアの実践には、以前に紹介した『美肌塾』が詳しく、イラスト付きで手順が紹介されています。実際にスキンケア実践編としては『美肌塾』を、考え方、理論を知りたい方は本書『肌の愛し方 育て方』をどうぞ。

本書のタイトルにある「肌の愛し方」って、そのまま「自分の愛し方」なのかもしれないなぁと思います。なぜなら、本書で語られるのは肌に化粧品を塗ったり洗剤で洗ったりすることのみならず、本書では随所で、においや服装、下着、立ち振る舞いなどにも言及されているからです。どんなに美人できれいに着飾った人でも、足音を大きく響かせて歩いたり、家に帰ってきてドカッと鞄を投げ出してしまったりしていては、なんのための「キレイ」なのか。

この「家に帰ってきてドカッと鞄を投げ出してしまったり」って、あさよるも耳の痛い話なのですが(苦笑)、確かに、「誰のために」「なんのために」自分はキレイにしていたいんだろうと自問自答してしまいました。また、人目にさらされる服装は整っていても、下着まで気配りができていない人も多いと指摘されれており、ドキッ。

これはちょうど、同時期に読んだ〈美肌研究科〉の白川みきさんの著書『美人は薬指からつくられる』でも語られていました。「朝起きて、服を着替えるだけじゃなく、下着も新しいものに変える」というお話があって、それはとても気持ち良いことだろうと思ったし、たぶん「自分が機嫌よく生きるための習慣」ってこういうことなんだろうと考えました。

そう、この「自分が機嫌よく生きるための習慣」をちゃんと持っている人もいるんだろうけど、あさよるはつい後回しにしてしまいます。ほんとは優先順位はかなり高い事柄のはずなのに、なんとなく面倒がってやらない。すると、自分の居心地が悪いから、自分がイライラしたり、やけに保守的や攻撃的になっちゃったりして、余裕がなくなるからますます自分のために使う時間や手間を持てなくなる……という悪循環。あるある過ぎてつらみw これって、強い言葉を使っちゃうと、ある意味「間接的な自傷」な気もします。

で、「自分が機嫌よく生きるための習慣」ってつまり、自分を愛する生き方なんだろうと思います。自分を傷つけない。だから本書のタイトルも『肌の愛し方 育て方』なのだろうと納得しました。「育て方」なんですよね。すぐに「美容」なんていうと「自分を追い詰める系の話」になっちゃう人は「育て方」って考えは大事だろうと思います(もちろん あさよるのことです^^;;)。そうそう、20代の頃の友人との話題って、体を痛めつけるような美容の話ばかりだった。「今日から食事抜きで痩せる」とか、「○キロ毎日走る」とかできるわけもないことを宣言して、案の定数日も続かず、どんどん自信だけが削がれてゆく会話です。

その点『肌の愛し方 育て方』は、確かにストイックな側面もありますが、決して過激ではありません。高価な化粧品を今すぐ買い揃えなさいなんて言ってるわけじゃなく、まずは本書で50での啓蒙の中から、自分が今できることをやってみるところから話は始まるだろうと思います。

「美人」にはスキはない

「完璧な人はモテない。隙があるほうがいい」なんて言いますが、本書を読んでいると、それは違うんじゃないかと思いはじめました。何をもって「完璧な人」とするかの定義にもよりますが、人に見られている時だけ行儀よく振舞うのではなく、一人の時間でさえも居住まい正しくある人がいたら、その人は間違いなく魅力的な人物でしょう。男性も女性もね。そんな人、そうそういないことは承知ですが、この『肌の愛し方 育て方』で語られる美容法って、もしすべて実行できる人がいたら、潔く素敵な人でしょうね。

これは佐伯チズさんの本に限らず、美容系やファッションについて書かれた本を読んでて常々感じるのは、どの本も「見てくれを飾るだけ」のオシャレじゃないんですよね。「自分はどう生きるか」とか「どう振舞うか」「自分の価値観・スタイルはなにか」と、哲学的な話に必ず入り込んでゆきます。

ファッションがただ服の合わせ方の話をしているわけではなく、生き方の話をしているのだと気づかされたのは、鷲田清一さんの『てつがくを着てまちを歩こう』でした。まさに、哲学者の鷲田先生が、ファッションについてお話されている本です。この本に早い段階で出会えたことで、あさよる自身も「オシャレって思った以上に面白いことだぞ」と強く興味を持てました(あさよるは30代になるまで、オシャレに全然興味がなかったのでした)

もっと自分をきれいにしててもいいんだ

「肌の愛し方 育て方」は「自分の愛し方」であり、「自分を傷つけない」生き方であると紹介しました。そして、みんなもっと自分自身「きれいに生きても構わない」というメッセージでもあるだろうと思います。自分の着る服や身だしなみを整えることは悪いことじゃないし、自分に手をかけて慈しんで構いません。

これは完全に あさよるのコンプレックスの話ですが、かつて「自分はオシャレをしてはいけない人だ」と思い込んでいる節がありました。それは自分の自信のなさからの考えで、「自分なんかに構わずに、他人のために何かをしないといけないのではないか」と思い詰めていました。だけど、そんなことをしたって自分に自信が生まれるわけじゃありません。

服装や髪型、お化粧だって、他者とコミュニケーションをとるための道具です。言語によるコミュニケーションよりも、言葉以外の「非言語コミュニケーション」の方が、わたしたちは重みを持って受け取ります。だから、もっと自分の「見た目」にも気を配るべきだし、それは「自分のため」でもあるし「他人のため」でもあります。それに気づいた頃から、ジワジワっと考えが変わり始めました。

だから、本書『肌の愛し方 育て方』だって、自分自身のケア方法を紹介するものですが、同時に周囲の人との関係を良好に保つためのメソッドでもあると思います。別に必要以上に着飾る必要もないし、女性だからって化粧をしなきゃいけないわけでもありません。だけど、自分をいたわって、人前に出ても大丈夫な自分で居続けるのは大事ですね。

佐伯チズさんのサロンに行ってみたい

話はコロッと変わりますが、佐伯チズさん主宰のエステサロンがあるそうで、メニューを見るとチズさんのカウンセリングしてもらえるメニューもあるらしく、スゴ! ただ、あさよるのお小遣いじゃちょっと大変だけど……。

ただ、こんなふうに「自分が機嫌よく生きられる習慣」という意味で、エステを利用されている方も多いんでしょうね。あさよるは、先月くらいから、ちょこちょこスーパー銭湯へ行ってたっぷり体を温める楽しみを覚えましたw ほんとはね、肩こりがひどくて、どっか整体かマッサージに行こうかと思いつつ、銭湯で済ませています。

機嫌よく暮らすための習慣、真面目に考えてみてもいいですね。あさよるにとっては、本を読んだりブログを書くのもその活動の一環ですが、いかんせん肩がこるため、これを解決したいw

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『はじまりが見える世界の神話』|美しいイラストとカオスのお話

こんにちは。あさよるです。あさよるは子どもの頃からオカルトやオーパーツの類の話が好きで、世界各地に残されている「物語」にワクワクしていました。今回読んだのは世界の神話集。子ども時代は神話もオカルトも同じもののように親しんでいましたが、大人になってからこうやって触れなおすと、そんな簡単な言葉で消費してしまうのはもったいない世界ですね。

本書『はじまりが見える世界の神話』は、世界に残されている神話のごくごくわずかな上澄みだけをテイスティングするような本です。ここから、神話の旅に出発しましょう。最初の一冊に。

世界のはじまりの絵本

『はじまりが見える世界の神話』は、世界中で語られる世界の始まりの神話がライトにまとめられた本です。美しいイラストがたっぷり掲載されていて、文章での解説はあくまで要約の要約くらい。だから神話について深く知りたい人には不向きな内容です。

本書の面白いのは、みんながよく知ってる日本の国生みの話や、エジプトの神話やギリシア神話、聖書の話だけではなく、パプアニューギニアの神話やアイヌの神話など、メジャーどころ以外のお話も掲載されているところでしょう。

北欧神話やケルト神話、中米のマヤや、インドの神話なんかは、話はうっすらと知っていたけれども、全然全貌は知りませんでした。

ただ、世界の始まりの神話を3ページほどで説明しきれるわけもなく、「ああ、もっと読みたい!」とかなり知識欲を刺激される仕様です。

イラストが美しい

表紙からもわかるように、本書内にはイラストレーターの阿部海太さんの美しいイラストがたくさん添えられています。パラパラと眺めているだけでうっとりと見入ってしまいます。

というか、本書は完全に神話のあらましよりも、阿部海太さんの絵が圧巻って感じ。

本って読んで知識や情報を得るだけじゃなく、コレクション要素や、インテリア要素ってあると思っています。

これは以前に読んだ「ヘヤカツ」こと『部屋を活かせば人生が変わる』でも「リビングの本棚はエンタメ」と紹介されており、あさよるもこれを採用しています。自分のための本棚と、お客様をもてなし会話の入り口としての本棚を用意しようって提案です。

そしてその「エンタメとして本棚」に『はじまりが見える世界の神話』はぴったりじゃないかと思います。

終末の本もあるのだろうか

本書は世界の始まりのお話がまとめられた本ですが、世界の終わりの話ってのも世界中にあるのでしょうか。世界三大宗教のイスラム教、仏教、キリスト教には終末思想がありますが、限られた世界でのお話なのかなぁ。へんなところに興味が飛び火してしまいました。

確かに、日本の神話も、イザナギとイザナミの国生みの話は有名だけど、未来の話って語られないのかなぁ。

あと個人的には、本書を読むとウズウズと絵が描きたくなりました^^

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『BOOK BAR』|本の中に友人を見つけることもある

こんにちは。あさよるです。みなさん「BOOK BAR」ってラジオ番組をご存知でしょうか。あさよるは今回、ラジオ番組が書籍化された『BOOK BAR』を手に取って知りました。毎週1時間、本を紹介する番組らしくって、ぜひ あさよるも聞きたい番組です。

で、本書『BOOK BAR』も想像以上に楽しく読める本でした。著者の杏さんと小倉眞一郎さんのお二人とも、ほんとに好きな本を紹介しあっていることが伝わって、本を読むってやっぱ楽しいことだよなぁと感じました。あさよるは乱読するタイプですが、本書で紹介されている本もジャンルも様々で、絶対一冊は気になる本が見つかるんじゃないかと思います。

杏ちゃん! 仲間やないか!(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ

『BOOK BAR』は杏さんと大倉眞一郎が本を紹介しあうラジオ番組が書籍にまとめられたもの。番組では1000冊にも及ぶ本が紹介されたそうですが、その中から厳選された本が紹介されています。

で、杏ちゃん! あなた! おまおれか! と叫ばずにはいられない。だって、一冊目に紹介されているのが池波正太郎の『幕末新選組』なんだもの! 杏さんは新選組が大好きで、新選組小説ならすべて揃っているという。ちなみに好きな新選組隊士は原田左之助らしいです。

んで、杏さんのWikipediaのページを見ますと、「趣味・特技・嗜好」はもう、「お前は俺か」と。自分のプロフィールかと思ったよ(その項目以外は何もかも違う)。「歴女」って言葉が流行語大賞に選ばれたとき、杏さんが受賞されたそうで、杏さんのそんな側面を知りませんでした。

吉村昭『大黒屋光太夫』を挙げちゃうところとかね。あさよるもこの本好きだった~。

「読書感」も共感!

途中、短いコラムが挟まれているんですが、そこで語られる読書感も自分に近く共感しました。

杏さんは「趣味は読書」という表現に違和感があり、「読書好き」くらいがちょうどいいと書かれていました。あさよるもこれは同じで、「読書って習慣のもんでしょ」と思っているから、「自分の趣味は読書だ」という言い回しが自分には当てはまってない気がしていました。だから「趣味が読書」な人と交流を持っても、なんだか申し訳ないような気持ちになってソワソワとしていたのです。

また、小倉さんは「活字中毒」について。『「私って活字中毒な人じゃないですか~」と寄ってこられると蹴飛ばしたくならない?』と本音を吐露しておきながらw、だけど活字の中毒症状について書かれています。確かに自分で自分を「活字中毒」なんて思わないし、そう称することにも違和感がありますが、だけど「活字中毒」としか言えない禁断症状が出てくるのも事実。「読む本がない」という手持無沙汰は慣れませんね。「活字中毒」とは認めなくないものの、どうしようもなく活字中毒である。

コラムは4つしか収録されていないのですが、共感しまくりでした。

読みたい本ザクザク

杏さんの歴女っぷり、とくに新選組好きに興奮してしまっていますが、『BOOK BAR』ではさまざまなジャンルの本が紹介されています。次読みたい本もいくつも見つかります。

「BOOKS BAR」ラジオ番組なのですが、この番組はあさよるの住む大阪でも聞けるんでしょうか……毎週、杏さんと小倉さんそれぞれが1冊ずつ本を紹介する形式になっているようで、すごい。あさよるもぜひ聞きたい番組です。

以下、自分メモ…φ(..)

番組DETA:毎週 土曜 22:00~22:54

あさよるが読みたいと思った本

  • 池波正太郎『幕末新選組』
  • ポール・デイヴィス『幸運な宇宙』
  • ヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』
  • 半藤一利『幕末史』
  • ポール・オースター『幻影の書』
  • 野村みち『ある明治女性の世界一周日記』
  • ジェームス・ガーニー『ダイノトピア』
  • ダニエル・L・エレヴィット『ピダパン』
  • アレン・ネルソン『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」』
  • 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』
  • 野々村馨『食う 寝る 坐る』
  • 高橋団吉『新幹線を走らせた男』
  • 栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』

ついでに、あさよるも読んだことある本は

  • 池波正太郎『幕末新選組』
  • 森絵都『カラフル』
  • 半藤一利『幕末史』
  • 森薫『乙嫁語り』
  • 吉村昭『大黒屋光太夫』
  • 西岡常一『木に学べ』
  • 三島由紀夫『葉隠入門』

あたり。読みたい本をかぶってるのは、「また読みたい」ってことでw 昔に読んだ本は忘れちゃうので、ときどき同じ本を読み返したいですね。

本好きにあえて嬉しい!

今回『BOOK BAR』を読んで、すごく共感できたし、本を読む面白さが伝わって「ああ、仲間がいるんだなぁ」ととても嬉しい気持ちになりました。とくに杏さんは、あさよると同年代の方で、同じような情報に触れて、同じような趣味を持ってるんだなあと思うと、特別な気持ちになりました。

失礼ながら、あさよるはこれまで杏さんのことをあまり知らなかったので、本を通じて友だちができたような心強い気分です(「タイムスクープハンター」は見てましたよ!)。「新選組好き」という点では、多分あさよるより杏さんのほうが詳しいだろうから、ぜひ杏さんの案内で新選組本を読みたいなぁ。

あさよるはいわゆる「乱読」するタイプで、小説をたくさん読まれる方とはジャンルが違っているし、かといって実用書ばかり読むわけでもないし、好きな本を好きなときに好きなだけ読んでるだけなので、目的もなければ方向性もありません(苦笑)。だからあまり「同じような本の読み方をしてるな」って人に出会う機会が少なかったのですが、この「BOOK BAR」の企画はあさよるの読書傾向に近い気がしました。

本って単に情報をもたらすものや、感動を呼び起こすものだけでなく、本の中に友人を見つけることもできるのです。今回、なんだか新しい友人と出会ったようで、とても心強い気持ちになれました(`・ω・´)b

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『下り坂をそろそろと下る』|国をたたみ方、街のたたみ方

こんにちは。あさよるです。少し前に司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』と『新選組血風録』を久々に読み返したことで、ジワっと歴史小説熱が再燃しつつあり、次は『坂の上の雲』を読みたいなぁと思っています。これ、最初の方しか読んでなくて、長い間積んでいます(;’∀’)

あさよるは学生時代に司馬遼太郎小説にどっぷりハマってたんですが、当時の大学の先生や、社会人になってからも、親よりも年上の世代の人とお話をする時「わたし、司馬遼太郎にハマってるんです」と話しては可愛がられていました。好きな小説を読んだ上に、年上世代の人にも目をかけてもらえて一石二鳥な趣味でしたw

今回読んだ『下り坂をそろそろと下る』も、司馬遼太郎がど真ん中な世代向けの本です。今70代以上の方ですね。この10年でも社会は大きく変わりつづけています。本書はシニア世代に「今こんなことが起こっているんだ」と知らせる内容でした。あさよる世代なんかには「知ってた……」という話ですが、「そうじゃない世界で生きている人がいるのか……」と気が遠くなる……。

軽く読める内容ですが、いろんな意味で「他の世代が見ている世界を知れる」ことのできる本だろうと思います。

「坂の上」から下るために

本書『下り坂をそろそろと下りる』は、高度成長期をとうに終え、どうやって国の繁栄をたたみ、縮小してゆくのかを考えるとっかかりになる本です。タイトルの「下り坂を」とは、司馬遼太郎『坂の上の雲』になぞらえられていて、かつて、坂の上の雲を目指して坂道を駆け上った世代へ向けて書かれています。本書内でも司馬遼太郎先生の小説からの引用が多用されており、「その世代」に向けられていることがわかります。

正直、若い世代にとって……というかもう氷河期世代もすでにアラフィフで、坂の上の雲なんか見たことない世代にとっては、痛いほど身に染みている話題じゃないでしょうか。

本書の最後に、本書での主張が3つにまとめられています。

  • もはや日本は、工業立国ではない。
  • もはや日本は成長社会ではない。
  • もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。

もはや日本は工業立国ではないという現実は、これまでの教育では立ち行かない現実です。日本の公教育は、工場労働者を生産するための教育で、「ネジを90度回せ」と指示があれば、指示の通りに実行する能力のある人材を育成する教育でした。そこには独創性や発想力は不要で、「180度回せばどうなるんだろう」なんて疑問はむしろ邪魔です。しかし、工場のラインの仕事なんてもう日本にありませんから、昔ながらの教育ではどうにもなりません。「もはや工業立国ではない」という現実は「教育のあり方を変えなければならない」という現実です。

もはや日本は成長社会ではないので、今以上に街が巨大に発展することはありません。だから各地方土地は各々「勝たなくても負けない」街を作り、これから訪れる時代を待ち受ける必要があります。教育に求められるニーズが変わっていますから、かつてのように優秀な生徒から順に東京や大都市の大学へ送り出してゆくモデルも通用しなくなるでしょう。

日本がアジア唯一の先進国ではなくなっているのは、もうわたしたちは特別ではなくなっているということです。アジア全体で人々が行きかい、日本にもいろんな人がやってくるでしょうし、日本から外国へ出てゆく人も増えるでしょう。またかつて日本の公教育がつくっていた工場労働者は、「中国と東南アジアに、あと一〇億人ほど控えている」そうです。すごい数ですね。わたしたちが受けてきた教育じゃあ、どうにもならならないのがわかります。

繰り返しますが、もう今の若い世代はそんなこと百も承知でしょう。本書がシニア世代に向けた本である理由です。かつて坂の上の雲を追いかけた世代へ。

文化の成熟した国へ

本書『下り坂をそろそろと下りる』では、これから国が小さくなり、各地方で街を畳んでゆくとき、文化的に厚みのある国や地域になろうと呼びかけています。そのために必要なのはモーレツ社員ではなく、たまに仕事を休んで映画や演劇を見に行ったり、子育て中のママが子どもを預けて音楽を聴きに行ったり、ゆとりのある暮らしです。別に遊びのために仕事を休んだり、子どもをよそへ預けても、後ろ指差されない社会です。

繰り返しますが、若い世代はもうとっくにそういう風潮になりつつあるんじゃないかと思います。あさよるの友人たちだって、平日有給取ってライブや演劇を見に行ったり、子どもを預けて友人と食事へ行ったりしています。肝心なのは、本書の読者である年配世代たちへ「若者たちは怠けてるわけじゃない」って伝えることですね。

当然ながら、みんなが余暇にお金を使うから、そこに仕事があるわけです。で、かつてのように指示通りに動作を実行する工場労働者の仕事は激減しており、独創性があり生産性の高い仕事が求められています。だから、より文化的に成熟した仕事に就く人も増えるだろうし、それらにお金を使って楽しむ人も増えるはずです。

昔のように、工場で働いて稼いだお金で、最新式の電化製品を買って暮らしが豊かになっていくフェーズではなくなったということですね。

著者の平田オリザさんは演劇の劇作家・演出家の方なので、本書では演劇・アートを使った町おこしや、子どもたちへの教育の取り組みが多く紹介されれていました。

司馬遼太郎すごい

本書を読んで印象的なのは「司馬遼太郎万能説」でしょうw たぶん、ある世代にお話するとき、司馬遼太郎先生の小説を例に挙げるとウケるんじゃないのかなぁ~、だから本書でも司馬作品の引用が多用されてるんじゃないのかな~と想像しました。

あさよるも昔、司馬遼太郎にハマってせこせこ読んでた時期があったんですが、まぁ、ウケるんですよね。オジサン世代にw あさよるが20代の頃60代に差し掛かる世代……つまり団塊世代のオジサンたちと話をする時「今、司馬遼太郎にハマってるんです」と言うとウケるウケる。みなさんそれぞれ、「俺の司馬遼太郎」のお話をしてくださります。

そんな経験もあって、本書の構成はめっちゃよくわかる! みんな『坂の上の雲』好きですよね。と言いつつ、あさよるは『坂の上の雲』を序盤しか読んでないのを思い出して、今回、全編読もうと思った(`・ω・´)b

もう団塊世代も70代で、偉い立場にいる人や、孫たちの未来を案じている人も多いでしょう。だけど、団塊の子世代は氷河期世代で、その子どもたちは格差が当たり前の世代です。経済的な理由で進学を諦めざるをえない人もいるだろうし、「都会へ行けば仕事がある」時代でもなくなっています。むしろ、地方のほうがまだ、なんとか子育てできている世帯があったりと、かつての常識とは現実が大きく変わっています。悲しいけどこれ、現実なのよね。

お祭りのたたみ方

あさよるは個人的に、今の社会は「お祭りをどうやって終えるか」と終わり方がわからなくて困ってるんだと思っています。そういう意味で、東京オリンピックの頃に高度成長が始まったんだから、また東京オリンピックで締めてもいいんじゃないのかなぁなんて思っていました(ただ、昨今災害があまりにも多いので大丈夫なのかと不安になっている)。

なんでも始めるときはその場のノリと勢いで始められるし、すごく楽しいんだろうけど、最後の後始末までちゃんとできる人って意外と少ないものです。

あさよるの幼少時代(80年代)はこんなに大量のものを消費する社会じゃなかったように記憶しています。いや、損当時も大量消費社会だったんだろうけど、近年それが輪をかけて加速しているような気がします。冷蔵庫はやたら大容量で(我が家には冷蔵庫が二台ある^^;)、クローゼットにはチープブランドの服が詰め込まれ、テレビの周りにはDVDやゲームのディスクが散乱している……。なんか、収集付かない感じになっちゃってるのかも。あさよるは近年、ずっと片づけに勤しんでいるのでそう思います。どうすればいいんだこれ。

今考えているのは、「どうやってコンパクトな生き方にシフトすれば良いのか」と「世界から信用される企画をつくるには」といったところでしょうか。

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『超ストレス解消法』|イライラを持ち越さないテク100

こんにちは。心も体もダウン気味なあさよるです。なんてったって花粉症……( >д<)、;’.・ ィクシッ

今の時期はなに? 稲? 今度、耳鼻科で久々にアレルギー検査してもらおうかと思っています。目がかゆくて喉も気持ち悪くて、身体が重だる~いと、精神的にも落ち込んでくるから不思議です。考えても仕方のないこととか、普段は忘れてるような昔の嫌なこととかポツポツと脳裏を過ったりするんですよね~。花粉の力すごい。

ということで、こんなヨワヨワな時期のために『超ストレス解消法』という本を読んでおきました。これでこの季節を乗り切ろうという作戦です。ストレス解消法って、みなさんどんなところで身に着けるんでしょうか。あさよるはストレスを知らずにため込んでしまうタイプなので、本書はすごく勉強になりました。

嫌なこと、ネガティブな感情を受け入れずに回避する行動は、余計にストレス度を上げてしまうそうで、その都度ストレスを自覚して解消していかないといけないんだと知りました。

ストレス貯め込みがちなら

本書『超ストレス解消法』は、ストレスを解消する100の方法が紹介される内容です。表紙はポップな感じですが、中身は新書みたいな感じ。分厚さの割には短時間で読み切れるし、王道のストレス解消法が扱われています。王道のストレス解消法とは、つまり「健康的な」ってことですね。奇をてらったものじゃなく、みなさんも知らずにやってらっしゃったり、ハードワークな方は既に知ってるやり方かもしれません。

だから本書『超ストレス解消法』は、ストレスを抱え込みがちな、ストレスに弱い人に最適だと思います。

そんなことを言っている あさよる自身も、ストレス解消が苦手な……いや、「超苦手」なタイプだったりします。たぶん、ストレスを感じやすいのではなく、ストレスに鈍感で、鈍感ゆえにストレスを解消しないまま時間が経ち、気が付くころには巨大なストレスになっているのが、いつもの定番(;’∀’) 本書『超ストレス解消法』を読むに「誰に教わらずとも、上手にストレス解消をやってる人もいるんだなぁ。自分はダメだなぁ……」と謎のヘコみを経験しました(苦笑)。

↑この、謎のヘコみもストレスの元だそうで、自体を客観視せず「自分はダメだ」との思考にはまり込んでしまうのは良くないそうです。大事なのは、客観的に物事を捉えることなんだって。

ストレス解消って、つまりは健康的な生活を維持する活動ですからね。子どもの頃からの習慣で、上手くできる人もいるんですね。

ストレスが減らない原因

本書『超ストレス解消法』では、ストレスが減らない理由を3つにまとめて挙げられていました。

  • 思考のアンバランス
  • 栄養のアンバランス
  • 受容のアンバランス。

思考のアンバランスとは、ものの見方や考え方に偏りがある状態です。なにか上手くいかないことがあったとき、根拠もなく自分を責めたり「自分には運がない」「自分は何をやってもダメだ!」と、思ってしまう人。これらの思考には客観性がありません。「なにか失敗した」というのは事実だとしても「自分はダメだ「○○なら負けだ」と客観性なく考えが先走ってしまうのは、思考のクセです。特効薬はなく、根気よくクセを修正してゆくしかないそうです(;’∀’) だけど、思考のクセを矯正できれば、得られるものも大きいとも紹介されています。

本書では思考のアンバランスに効く方法が多数紹介されています。

栄養のアンバランスとは、そのまま食事、栄養面が身体に与える影響です。本書では

不摂生な食事で栄養バランスが悪くなり、そのせいでメンタルが打たれ弱くなってしまう現象(p.82)

と紹介されています。あさよる自身も、不摂生から精神的にも不安定になって、イライラが治まらなかったり、昔の嫌な記憶を思い出して悲しくなったりと、肉体的にも精神的にもしんどい経験をしたことがあります。だから食べ物って超重要なんだと、実体験をしてみてはじめてわかったし、本書の主張にも大いに納得です。本書『超ストレス解消法』では、栄養バランスを良好にするため、多数のサプリメントが紹介されています。あさよるはサプリメントはあまり好きじゃないし、他人にもオススメしないタイプだったのですが、最近マルチビタミンとミネラルをサプリで補うことで、調子がいいので、やっぱ適度に使用するのはいいのかもと考えを改め中です(超乾燥肌なので、肌荒れ対策で飲み始めました)。

3つめ、受容のアンバランスとは、

コントロールできない人生の問題を受け入れられない状態(p.124)

と紹介されています。例としては

あのときもっと早く仕事に手をつければミスなんて起きなかったのに……

と悩んでいるとき。すでにミスをしてしまった後、ミスは確定しているのにその事実を受け入れずに、悩んでいるパターンです。事実を受け入れないばかりに、ネガティブな感情を回避しようとすると、それが余計にストレスとなるそうです。その状態を「体験の回避」を呼ぶそうで、

メンタルを病む最大の原因のひとつ(p.126)

とされているらしい。だけどこれ、やっちゃいがちなことですよね。「ああ、あのときああしておけばこんなことにならなかったのに!」って、もう確定してしまったことに「なぜあの時あんなことをしたんだろう」と悩むのは、今この現実を受け入れていない状態なんですね。これは勉強になった。

呼吸法やスキャニングや

体をスキャンするという方法は以前、知人から教わったことがあります。MRIで輪切り写真を撮られているような感じで、足先から頭まで意識を動かしながら体調を見てゆくのです。極小な潜水艦が血管の中を動いてゆくイメージとも聞いたなぁ。

「意志を向ける」というのは、意味のあることなんだと最近理解するようになりました。あさよるの体は小さな細胞のたちの集合体で、それぞれの細胞はそれぞれに活動しています。バラバラに細胞が活動しているよりも、意志をもって一丸となったほうがより大きな活動ができるんじゃないかと考えます。だから、いつも全細胞たちに告ぐのです。「今からおでんを食べるぞ~!」とか「ほら、肩が凝って息が苦しい」とか「どうだ、今からお風呂に入るんだぞ!心して温まれよ!」とか、通達を出すようにしてしますw

呼吸法は以前、知人が突然「あなたに読んでほしい本がある」と書店に連れて行かれ、斎藤孝さんの『呼吸入門』をプレゼントされたことがあります。そのときは意味が分からずポカーンとしてましたが、今になると「そんなに苦しそうだったのかしら……」となんだか恥ずかしい///

イライラには理由がある

あさよるは長年、イライラするのは、イライラの原因が自分以外の外部にあるもんだと思っていました。しかし、長生きするにつれ「そうとも限らない」と考えるようになったのでした。

それは、自分の健康状態によっても、いつもなら何も感じないことにイラついたり、お腹が空いていたり、ジャンクフードが続いたりするなど食生活でも、意味もなくイラつくのです。また体調が悪いとそれに引きずられて気分が落ち込み、この世で起こるすべての事象に悲しくなってしまったりもします。わたしたちは想像以上に、自分の体調で主観が変わり、同じ事柄でも感じ方が変わってしまうようです。

「ストレスに弱い」というのは、自分の体調不良に気づいていない状態だったり、あるいは現実を受け入れられないばかりに精神的に参ってしまう状態なのかもしれません。

「あきらめる」という言葉は「明らかにする」という言葉から来ているそうで、自分のできないこと、苦手なことを「明らかにする」のはストレス軽減につながるんじゃないかとも思いました。「明らかにする」というのも、主観から客観へチェンジすることですよね。

ああ、そうか、「ネガティブな感情を受け入れられない」って「あきらめられない」状態なのか。そりゃ苦しいなぁ。すでに済んでしまったことは受け入れて、「今何をするか」に意識を集中する方がいいですね。

「今に集中する」というと、アドラー心理学を扱った『嫌われる勇気』でも語られていました。「今に集中する」とは、過去にどんな悲しいこと、辛い経験があったとしても、今は幸せに生きることを選べる、と力強く励まされるものでした。

もちろん、外部からの刺激が強すぎてストレスになるときは、その刺激から距離を取らないといけません。そのためにも客観的にストレス度合いをチェックできないと、逃げ遅れてしまいます。きちんと状況判断して逃げるためにも、主観的になりすぎず、客観できる力が必要なんだと思います。

そして本書『超ストレス解消法』では、システマチックにストレスを計り、対処することで客観性を担保する内容で、有益だと思いました。なにより平易で読みやすい文体で、たくさんの方法が紹介されていますから、一つや二つくらい、今すぐできること、継続してできることがあるはずです。

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特別展「生誕110年 東山魁夷展」@京都国立近代美術館

「東山魁夷」展@京都国立近代美術館

「東山魁夷」展@京都国立近代美術館

ずっと行きたかった東山魁夷展に無理くり都合をつけて行ってきた。

このあと2件美術館をハシゴしたのですが、この東山魁夷展で呆然としてしまい、あとはボーっとして心ここにあらずでした(;’∀’)

思ってたのと全然違った

東山魁夷は画集なんかで見たことはあったけれども、実物の絵を見るのは初めて。画集で見たイメージでは「静寂の」とか「幻想的な」なんて思ってたけど、全然違ってた。画集で見て知っていた絵が何点もあったけれども、同じ作品であることに気づくまで時間がかかった。だって、印刷された絵と、実物の絵はまったく印象が違うんだもの。

本展を見終わる頃はもう心がボーっとしていて、このあと他の美術展も2つハシゴしたんだけど、心ここにあらずだった。

本展は「第1章 国民的風景画家」「第2章 北欧を描く」「第3章 古都を描く・京都」「第4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア」「第5章 唐招提寺御影堂障壁画」「第6章 心を写す風景画」と6つの章に分かれている。

国民的風景画家

最初の「第1章 国民的風景画家」では、みんなが見て知っている有名な絵がズラリ並んでいる。「画集で見た絵だと気づかなかった」って絵もここで多数紹介されていた。具体的には「秋翳」なんて、再入場でジロジロ見ていてやっと気が付いた。「あ、あの絵だ」と。まず、思っていたより大きかったことと、画面がキラキラと発光しているようで、そんなニュアンスは画集ではわからなかった。

北欧を描くに恐怖する

一番驚いたのは「第2章 北欧を描く」だった。先にも書いたように、東山魁夷には「優しい」とか「静寂」とかそんな印象で、もっと言えば「癒し系」なのかとさえ思っていた。が、違った。全く違った。「第2章 北欧を描く」では、北欧の山々を描いたものが多いんだけれども、それは「静かな山」なんかじゃない。轟々と空が唸り、地響きが爆音で轟いている自然だった。そして、動物は描かれていないのに、なにかとんでもない「気配」だけがある。姿は見えないけれども、いたるところに何モノかが潜んでいる。息遣いだけ肌で痛いほど感じてしまう。ジュラシックパークの島に閉じ込められてなんとか一晩を明かした朝、きっとこんな気持ちになるんだろう。絶望だ。「白夜光」なんか夢に見てしまいそう。悪夢だ。

古都を描く・京都、ドイツ、オーストリア

「第2章 北欧を描く」に恐怖して震え上がっているところに、次の「第3章 古都を描く・京都」はキョトンとしてしまうほど、素朴な世界だった。京都の風景の建物や道具なんかがモチーフになっている。「北欧を描く」と同様に、人や動物は描かれていないんだけど、すぐそばに誰かがいることはわかる。人の気配がある。そして、その気配は恐ろしいものではなく、むしろ愛嬌を感じるような。同じ人物が同じような時期にこんなに違う絵を描くのかと驚いた。

次の「第4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア」も同じだ。建物が描かれていて人の姿はないけれども、そこに暮らす人の活気やざわめきがある。誰かがそこにいて安心する。

唐招提寺御影堂障壁画

「第5章  唐招提寺御影堂障壁画」は圧倒的で、それ以外にない。名人であることは言うまでもない。唐招提寺御影堂障壁画「山雲」と「濤声」をほぼ独り占め空間で見られたのが、とても自分が特別なように思えた。朝一だとまだ人がまばらだったから。「山雲」はきっと、高所恐怖症の人は見られない絵だろう。足元がヒューっとなって、突風が吹いている。冷たい風が肌にぶつかってくる。「濤声」は描かれた砂浜から沖までを目線を動かして見てゆくと、波が打ち寄せ、風が抜けるのがわかる。水中ではエネルギーが渦を巻いて伝わり、深い海の底まで引きずり込まれるようでゾッとする。海が好きな人にはたまらない絵かもしれないけれども、個人的に私は海が怖いので、これはこれで冷や汗が出る。海というのは、いつも想像以上に馬鹿デカくて笑ってしまうが、その笑うしかない巨大さが襖絵に収まっているのが不思議でたまらなかった。「山雲」も「濤声」も、川の流れを観察することに没頭してしまったり、空気が蠢いている様子にくぎ付けになったり、自然のエネルギーから目が離せなくなるのと同じように、ただジッと息を飲んで見入ってしまう。また、写真のように一瞬を切り取ったものでもない。写真はあくまでその一瞬を写しているだけだけども、「山雲」も「濤声」もどちらも、一瞬たりとも静止することなく動き続ける自然が描いてあった。

心を写す風景画

最終章の「第6章 心を写す風景画」に辿り着くことには、もうヘトヘトに疲れ切ってる。そこへの「心を写す風景画」だ。説明書きによれば、東山魁夷は体力が衰えた晩年は、自然を観察することができなくなっていたが、それまでに観察し、描き続けた記憶から、世界中どこの風景でもない風景画を描いたとあった。あの東山魁夷の白い馬が描かれるのもこの時期の作品だ。もう、他の作品に存在していた動植物の気配や自然の蠢きから解放され、「あちらの世界」の風景に見える。

そのほかのあれこれ

あさよるは開場9:30の10分ほど前に会場に到着し、オープンと同時に入場しました。並んでいる人もいましたが、オープン直後はゆったり鑑賞できました。開場から約1時間後に再入場した頃には平日の午前中にしてはなかなかの混雑でした。

あさよるは美術展のグッズを買うことはほぼないんですが、今回はカレンダーを買ってしまいましたw カレンダーが欲しかったというよりは、12ヵ月分の絵が欲しかったのだった。

京都会場の会期はもうすぐ終わりですが、10月下旬から東京会場へ巡回します。ぜひ予定が合えば見に行ってほしと思います。

特別展「生誕110年 東山魁夷」展

のち、10月24日(水)~12月3日(月)まで東京会場(国立新美術館)へ巡回

京都国立近代美術館

『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』|ニッチに好きな仕事をしよう

こんにちは。あさよるです。橘玲さんの本が面白かったので、続けて読んでみます。橘玲さんの本はタイトルが煽り気味で、タイトルからじゃ内容が読めないですねw 今まで読んだ中で本書『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』が一番、中身がさっぱりわからないタイトルでした。

結論を見ると「なんだ、そんなことか」というありきたりなオチに行きつくのですが、そこへたどり着くまでの理屈が本書です。結論だけを言うのは簡単ですが、その理由を述べるのは大変。

最後まで結論の見えない本だったので、やや苛立ちながら、だけどスイスイ読みやすい文体で、面白かったです。

ニッチな仕事の見つけ方

橘玲さんの『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』は、めちゃ超大雑把に言っちゃえば「ニッチな仕事を見つけよう」という内容です。

毎度、橘玲さんの本はタイトルが煽り気味なので、タイトルから本書の結論がなかなか見えませんね。実際読みながらも、最終章に辿り着くまで「え……この本は何の話をしてるんだ……」と行く先のわからないミステリーツアーに連れ出されているような気分でした(;’∀’)(;’∀’)

社会が大きく変化し続け、価値や人とのつながりもダイナミックに変動する時代、生き残るには「ニッチな仕事を見つけましょう」と言うのは簡単ですが、「なぜニッチな仕事をすべきなのか」という理由を丁寧に解説するのが本書です。

端的に言えば「幸せに生きるため」。そのためには自分だけの、特別な仕事をすべきなのです。そして自分だけの特別な仕事は、変化の時代の中でも、自分の道を指すものとなるでしょう。で、じゃあ、どんな仕事が自分の特別な仕事かと言いますと、それは「好きなこと」を仕事にすることです。

……結論だけ抜き出して紹介すると「くだらねー」と思っちゃいます、よね? しかし、その結論に至るまでの理屈を述べると一冊の本になっちゃった! という。

能力はそんなに上がらない

わたしたちは持って生まれた遺伝的な要素と、後天的に見に着けた環境要因を半分半分持っているそうです。だから、遺伝的に決定されてしまっていることも結構あるし、一方で後天的にどうとでもなることも結構あるのです。

「親の心子知らず」と言いますが、親のしつけや教育よりも、その人が属しているコミュニティで多くのことを学びます。自分の子ども時代を思い出すとよくわかるんじゃないでしょうか。友だちとの遊びの中で多くのことを良いことも悪いことも学びました。

だから、頑張ったからって何か特殊能力が身につきません。半分は遺伝なんですから。だけど、早々捨てたもんじゃない。もう半分は環境で変わるんだから。

世界は変えられないけど、自分は変えられる

世界を変えるような大きな力を持っている人は稀です。多くの人は、自分の家族や友人すら変えられません。だけど、自分の認識は変えられます。涙が出たとき、花粉症で涙が出たと思うのか、悲しくて涙が出たと思うのかは、自分の考え次第……カモ。

簡単に支配されちゃう

わたしたちは結構簡単に支配されちゃうようです。普段自分では絶対にしないようなことも、人に指示されると簡単にやっちゃうこともあります。有名な心理学実験では、スイッチを押すと電流が流れる椅子に人を座らせ、被験者にどんどん強い電流を流すよう指示してゆきます。椅子に座った人が悲鳴を上げても、「実験だから」と言われるとスイッチを押しちゃう人が多発しました。

人は意外にも、自分の意志よりも、周りの環境や相手との関係性で、簡単に人の言うことを聞いちゃうみたいです。

誰のものでもない、自分の幸福見つける

わたしたちは、どんなに頑張ったからって適性のない事柄は伸びないようで、自分に向いたことをやった方が現実的なようです。生まれ持った要素は変わらないけれども、環境要因で変わる要素もたくさんあります。他人や世界は変えられないけれど、自分自身を変えることはある程度できるのです。

わたしたちは気をつけないと簡単に人に支配されちゃいます。自分の幸福を考えるとき、人に操られず自分基準で考え、行動できると良いですね。自分の運命を自分で決定できることは、幸福感に影響します。

どんな世界・業界でもスターがいて、ごくごく限られた一部の人だけがスポットライトを浴びています。だけど、それ以外にもその業界に従事する人がいて、それなりにやっていたりします。分かりやすいのは、CDやiTunesで曲が売れてテレビに出まくる人もいますが、インディーズでCDをリリースしてライブハウスで活動している人もいます。どちらもそれぞれの生き方で、どちらが良い/悪いものでもありません。

同じようにわたしたちも、その業界のスーパースターにならないかもしれないけれど、好きなことをやって、ニッチなニーズに応えることができます。ちなみに、「自分の好きなこと」というのは、必ずそのジャンルが存在すると本書に書かれていて、なるほどと納得しました。自分が「わたしはこれが好きだ」と言語化できている以上、その概念が存在する分野なんですよね。

で、スーパースターにはならないかもだけど、好きでニッチなことをやることが、激動の今を生き残る戦略になるだろうと結ばれています。

元気が出る? イラっとする?

本書『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』の「好きなことをやる」という結論に、励まされて元気が出る人もいれば、「そんな上手くいくわけない」と苛立つ人もいるんじゃないかと思います。あさよるは前者です。「好きなことをやればいいんだ」というのは福音に思えます。

というか、能動的に「自分がすべきこと」を考えてやっている限り、面倒で嫌いな仕事を含んでいたとしても、それでも大きくとらえれば「自分のために好きでやってる仕事」と考えられます。だってクビにされたら困るんだもん。自分のために、自分の都合で仕事をしていて、他人に無理やりやらされているわけではないんです。で、どうせやるなら、一から十まで嫌なことをやるよりは、多少なりとも好きな瞬間がある仕事をやるのがいいなぁと思います。

ただ、あさよるも、本書は最終章に辿り着くまで結構イライラしながら読みました(苦笑)。だって、タイトルからじゃ内容がわからなかったし、「結局何を言ってるんだ!」とw 読み終えてから、目次を読み返し、全体の構成を俯瞰すると「なるほど」と。最後までオチがわからないって、小説じゃないんだから! とツッコみたい気持ちもありますw

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『漫画 君たちはどう生きるか』|私たちは誰に当てはまるのか

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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