【書評/レビュー】山岸俊男『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』

信じる者はだまされない?

人とを疑う安心社会と、人を信じる信頼社会。

そろそろ、信頼社会にしない?

安心社会は疑心暗鬼社会

安心社会とはつまり、街のアチコチに現金の詰まった自動販売機を放置したり、荷物から目を離しても、盗難に合わない社会です。正確に言うと、「大丈夫だろう」と安心してる社会。要するに、日本の社会のことです。

かつての日本では、戸締まりもせずに出かけたなんて言いますし、その頃に比べると「安心」は低下しているのかもしれません。だけど、それでも現代社会は「安心社会」と言っても良いでしょう。

道行く人はみんな無防備ですし、インターネットではみな口々に好きなことをつぶやきます。もし、安心もできない社会なら、不用意に発言することさえはばかれるでしょう。

よそ者を見たら泥棒と思え!

安心社会は「ムラ社会」とも呼ばれていますね。ムラの中ではお互いに助けあい、共に働き、共に生きます。幼い頃から顔見知ったムラの人たちは、さながら家族のようです。安心社会は、まさに顔見知りの「安心」の中にあります。

「顔見知りである」ことが安心の担保なのですから、not顔見知り、すなわち「よそ者」の介入は、安心を揺るがします。

ムラの中で盗難が起こった。誰が犯人かもわからない。となると、最近引っ越してきた「よそ者」が犯人に違いない。なぜなら、見慣れぬ顔で怪しいからです。

「顔見知り」が安心の条件である限り、「よそ者」はいつでも怪しく、恐ろしい人物です。

相互監視が安心を作る

なぜ「顔見知り」同士だと安心なのでしょうか。そこに、美しい愛情や友情、絆がムラ人を繋ぎ止めている……ワケではないことを、我々はよく知っていますよね。

先祖代々同じムラに住み、きっと未来も共に過ごす人間同士です。もし、悪さでもはたらけばどうなるものか。ムラ社会ではお互いが「人の弱みを握る」ことで、相互監視し合い、それが抑止力になっています。

決して「安心社会」では、相手を信頼しているから安心しているわけではありません。むしろその真逆。よそ者を疑い、ムラの仲間すらも疑い、監視することで安心を得ています。

「人を見たら泥棒と思え」を地で行く社会、と言えるでしょう。

安心社会は「旅の恥はかき捨て」社会

先にも述べたように、日本は「安心社会」です。ということは、日本は「人を見たら泥棒と思え」の社会ということです。

そんなまさか!?とちょっと思っちゃいますよね。

じゃあ、こんな言葉もあります。

「旅の恥はかき捨て」

いつもは出来ないことも、旅先なら知り合いもいないから気兼ねなくやれちゃうことです。「一期一会」なんていうウツクシイ言葉もありますが、実際のトコロ言い得て妙なのは「旅の恥はかき捨て」の方でしょう。

お店で横柄に振る舞う人。人混みで好き勝手する人。観光地で落書きやポイ捨てをする人。外国で売春や違法行為をする人。

きっと殆どの人は、普段の生活では規律のある人たちなのでしょう。二度と合うことのない人相手に、乱暴狼藉を働いちゃう話。時折、耳にする話ですよね。

いかに、相互監視が有効なのかを感じます。

信じる者はだまされない!?

しかし、他人のことをホイホイ信じてしまうと、それだけ他人にだまされてしまいます。現に、世の中には悪い人はたくさんいるんです。スキあらば…と皆狙っているんです。

「安心社会」とは、このような「信じるものはだまされる」社会です。ニコニコと朗らかな顔をしても、決して本心を見せない。なにせ、仲間同士ですら、お互いに弱みを握り合い、首輪を掛けあって「安心」を勝ち得る社会なのですから。

一方「信頼社会」は、安心のない社会です。自分の身は自分で守り、家族や財産も、自分の責任で守らないといけません。こんな恐ろしい社会、さぞかし他人をとてもとても信じられな社会じゃないかと思いますよね。

ですが、『安心社会から信頼社会へ』では意外や意外、その真逆の実験結果を提示しています。

というのも、not安心社会は、安心ではなく、人と人の「信頼」で繋がった社会なのです。仕事仲間やチームと共に信じ合う社会。信頼しあうということは、自分も人から信頼されねばなりません。信頼に足る言動を、求められているということです。

そして、誰を信じ、誰を遠ざけるか。それをすべて自分で決めねばなりません。ですから、必然的に「人を見る目」が試されます。自分の目で人を見、自分の責任のもと「信じる人」を選ぶ。それは、「悪い人」を見ぬくことです。

「信じる者はだまされない」のはこのためです。一人ひとりの人柄をきちんと見極めて人間関係を築くのですから、「信頼社会」はだまされにくい社会なのです。

そして、「信頼社会」では、「世の中の多くの人はいい人だ」という前提で成り立っています。

信じない者はだまされやすい

反対に言えば、安心社会はだまされやすい社会ということです。人を信頼できるか?できないか?いちいち考えない社会。「安心社会」では、ムラの中のひとり一人を精査していては、社会が持ちません。一人ひとりを「疑ってる」ということになりますからね。ですから、表立っては疑わないけれども、本音の部分では心を許さない関係になるのです。

これも面白い実験結果ですが、人を疑う人はだまされやすいんだそうです。

このような興味深い実験結果の数々が紹介されているのも、本書『安心社会から信頼社会へ』の面白いところでした。とても意外な結果の連続で、眼から鱗でした。

人を疑うとお金がかかる

人を疑う「安心社会」では、疑うごとに経費がかかります。

今も昔も、人への疑いはなくなることがありません。不正をはたらく公務員。私利私欲のために天下る官僚。汚職にまみれる政治家。なにも公的な職業だけを疑っているわけではありません。誰が横領しているのか?誰がズルして給料泥棒をしているのか。

安心社会は、人を疑う社会です。実際のところ、圧倒的多数の人達は、真面目に社会のために働いているにもかかわらず。

すると、ありもしない不正を防ぐため、何重にもチェックが必要になったり、必要以上の人員や手間が発生し、結果的に経費がかさんでゆくのです。これ、まさに今の社会を象徴していることじゃないかなぁと思います。

ねぇそろそろ、信頼社会にしない?

『安心社会から信頼社会へ』では、日本社会も従来の「安心社会」から、成熟した「信頼社会」へ移行する時ではないかと提言されています。

本書『安心社会から信頼社会へ』が出版されたのは1999年です。それ以降、現在(2016年)までの間に、我々の社会では大きな変化もありました。大きな災害やできごとも数々ありました。

社会の形も、1999年の頃とは大きく変わっているでしょう。少しずつですが「信頼社会」へ移行しようとしているのかもしれません。反面、その反動もあるのか、従来のムラ社会的な人間づきあいも、残っています。

正直、安心社会と信頼社会、どちらが良い社会なのかはわかりません。もっと他の社会の形もあるのかもしれません。しかし、17年も前に出版された本の中で、今の社会の抱えている問題が浮き彫りになっているのは、興味深く思いました。

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安心社会から信頼社会へ

  • 山岸俊男
  • 中央公論新社
  • 1999/6/1

目次情報

はじめに

第一章 安心社会と信頼社会

信頼崩壊の危機
関係し本としての信頼
安心社会の崩壊
信頼概念の多様性
能力に対する期待と意図に対する期待
社会的不確実性
信頼と安心
安心社会から信頼社会へ

第二章 安心の日本と信頼のアメリカ

たいていの人は信頼できるか?
日米比較実験
日本人はアメリカ人よりも「個人主義」的!?
心過剰の文化理解
日本人の集団主義神話
集団的心の性質としての文化と、社会のしくみとしての文化
信頼の解き放ち理論

第三章 信頼の解き放ち理論

社会的不確実性とレモン市場
社会的不確実性とコミットメント関係の形成
米の取引きとゴムの取引き
ゴムと米の取引き実験
取引き費用と機会費用
よそ者が信じられなくなる
安心の呪縛からの解放
集団主義と安心の提供

第四章 信じる者はだまされる?

対人信頼尺度
信頼尺度はあてになるか?
社会的ジレンマの実験
信頼ゲーム実験
信じやすさと一般的信頼
高信頼者は物事に楽観的?
高等教育と一般的信頼
まわりの人たちからの評価
だまされる前と後の比較
デフォルトの信頼と情報にもとづく判断
高信頼者は情報に敏感
もう一度確かめてみよう
相手の行動を予想する
知り合いの間ではどうか
しつこく確かめよう
楽観主義者と悲観主義者

第五章 社会的知性と社会的適用

知能
多重知能の考え方
知能の独立性の基準
進化が生み出した脳の構造と働き
非合理的行動の適応理性
脳のモジュール構造
われ思わなくても、勝手に(小さな)われあり
ガードナーによる七つの知能
パーソナルな知能
マキャベリ的知能
社会的知性
二種類の社会的適応課題
特定の関係にある相手の行動の予想
関係性検知の正確さを調べる実験
社会的びくびく人間
もう一つの実験
社会的知性の多重性
地図型知性
ヘッドライト型知性

第六章 開かれた社会と社会的知性

文化と社会的知性
心過剰の差別理解
差別の文化
集団主義文化と男女差別
再び安心の崩壊について
大学の偏差値と「人と見たら泥棒と思え」
針千本マシンと携帯型嘘発見機

後書き(研究の舞台裏)

山岸 俊男(やまぎし・としお)

1948年(昭和23)年,名古屋に生まれる.一橋大学社会学部卒,同大学院社会学修士課程了.ワシントン大学社会学博士.北海道大学文学部助教授,ワシントン大学社会学部助教授を経て,現在,北海道大学文学部行動システム科学講座教授.社会心理学専攻.
著書 『社会的ジレンマのしくみ』(サイエンス社,1990年)
『信頼の構造』(東京大学出版社,1998年)

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