10 哲学

『一億総ガキ社会』|諦めないで、お客様

諦められない大人たち

『一億総ガキ社会』は、モンスターペアレントやモンスターペイシェント(患者)、引きこもりや「草食系」なんかの話を、心理学的なアプローチを交えつつ、社会問題を語ります。これらの社会的な「現象」は、元をたどれば同じ心理状態から発していると言います。それは「挫折ができない」ことです。

我が子を特別扱いするよう学校や教諭に求める親は、自分の子どもが「特別ではないこと」を受け入れられません。それを受け入れることは「自分が特別ではないこと」を認めるのと同意だからです。我が子の問題をなにもかも学校のせいにする親も、「自分の子育てに問題があった」ことを受け入れられません。

「草食系」という言葉が使われ始めて久しいですが、恋に消極的だと、恋に破れるリスクを回避できます。

学業や仕事で問題にぶち当たったとき、その責任を他者や社会に求める人もいます。「新型うつ」の傾向として、本人が何かを「挫折した」ものの、それをなかなか認められず、現実と理想のギャップに苦しんでいる場合があるそうです。その挫折は、左遷されたり、仕事が上手くいかなかったり、自分の頑張りを周囲が思うように認めてくれなかったり、問題は様々です。

諦めて大人になってゆく

「大人になる」とは、挫折を知り、諦めることが増えてゆくことです。反対に、子どもは無限の可能性と、全能感を持っています。若者は夢を追いかけて、努力をするものだし、何も始める前から諦めてしまうのもおかしな話です。

だけど、全員の夢が100%叶うわけではなく、多くの人たちは一つ一つと壁にぶつかり、諦め、身の丈を知り、自分のできること、できないことを受け入れてゆく過程に大人になってゆくと言えるのではないでしょうか。

ということは、「諦められない」現代人は、ずっと子どものままということ。子どものように諦めないことを推奨されているのに、現実には諦めざる現状に直面し、そのギャップが社会現象として浮上しているというお話。

「諦めないで」の苦しみ

「諦められない」理由は、「自分らしく」生きることが推奨されている時代だからでもあるし、また消費社会はお客様に対して「諦めないで」と発し続けます。

「諦めないで、英会話を始めましょう」「諦めないで、美容にサプリを飲みましょう」。自己実現のために仕事終わりに買い物や外食にお金を使い、帰宅後も自分磨きに時間を費やし、「自分へのごほうび」や、「自分の楽しみ」が必要です。時間もお金もいくらあっても足りません。サービスを提供する側は、そうやって消費を促しています。

「選択」と「決定」し続けること

自分らしく自由に生きてゆくとは、自分で「選択」し続け、「決定」し続け、その結果の「責任」を負い続けることです。自由に生きる、自分らしく生きることは、自分の責任のもと選択・決定をし続けることが大きな負荷となる人もたくさんいます。

自由に生きられる世界は、素晴らしい世界です。今の日本社会は、ほぼ人類の夢を叶えた世界なのかもしれません。自由に自分の生き方を選ぶことができ、医療が行き届き長寿になって、死はなるべく遠ざけられ、すごい世界に生きています。

先日、ジブリ映画の『かぐや姫の物語』の小説版を読みまして、かぐや姫が月の世界で罪を犯し、地球に落とされる理由を知りました。(以下、軽くネタバレ?します) 月の世界は悲しみのない幸福な世界です。だけど、かぐや姫は地上の人々が活き活きと生きる姿を見て「何か」を思うのです。その「何か」が彼女の犯した罪です。月の世界は悲しみがない……つまり死もなく飢えもない幸福の世界です。それは同時に、生もなくお腹が空かず、喜びのない世界でもあります。その幸福な世界で生きるかぐや姫が、地上の喜びを持って生きる人々…つまり悲しみを持って生きる人々を見て「何か」を思ったのですね。

かぐや姫の物語 (角川文庫)

幸せになるとは、退屈に生きることなんでしょう。あさよるも、自分の大切な人は絶対に、一瞬でも長く平たんで穏やかな気持ちでいることを願っています。波風はなるべくなく、いつまでも平穏でいて欲しいんです。それは「ずっと退屈でいて欲しい」という願いなのかも。

だけど実際には、理想と現実の間にはギャップがあり、「諦める」という手は封じられている以上、他人のせいにするか、他の何かに依存して気を紛らすしかなくなってしまいます。

「運がいい」「運が悪い」

ふと、『一億総ガキ社会』を読んでいると、現在のわたしたちは「運がいい/悪い」ということを、どのように受け止めているんだろうと感じました。

確かに、自由に生きるとは自己責任を負って生きる生き方なんだけども、どんな結果が待っているかは運要素も大きく関わっています。

『一億総ガキ社会』では、司法試験を何度も受験している男性が、想いを寄せていた女性が他の医者と結婚してしまい、その現実を受け入れられず「彼女はもうすぐ離婚して自分のところにやってくる。それまでに司法試験に合格しないと」と考えている話が登場します。これは恋が破れた場合の話です。だけど、恋が実ることもありますよね。自由に自分らしく生きる世界では、実った恋も自己責任(自分の成果)ということになるんでしょうか。

こと恋路に関しては、縁のものだし、タイミングもあるし、パートナーとして一緒にいられる期間が長いのか短いのかもあるし、それらは複合的に要素が入り組んでいて、大雑把に言うと「運」だと思うんですw

良いことも悪いことも、意図せずともそうなることが多々あります。「運」としか言えない、神頼みするしかないこともたくさんあります。それらをどう処理してるんだろう。たぶん「諦める」ことを認めるとき、「運」を受け入れることなのかな、なんて思いました。

「有難い」の反対は「当たり前」という話がありますが、恋が実るかどうかが自己責任の世界では、「恋が実って当たり前」という解釈になるのかな。

ちなみに あさよるも、初めて「カオス」という存在に触れたとき、理解の範疇を超えていて、ものすごく動揺しました。実際にカオスの実験も目にしましたが、心のどこにそれを持っていけばよいのか分からず、長い間そのまま棚上げしていました。やっと最近になって、なんとなく「カオス」ってこういうことなのかと扱えるような心持になってきました。

カオスから見た時間の矢―時間を逆にたどる自然現象はなぜ見られないか (ブルーバックス)

こう解釈できる

『一億総ガキ社会』も、具体的な解決策が出ないまま終わってしまいます。それは著者自身も現代を生きる人であり、子どもっぽく諦められない性質だと吐露されています。しかし、「自分はこういう状態にある」と認識できるだけでも、少し状況は変わります。実際に精神科医の著者のもとに訪れる患者さんは、自分の状況を理解するだけで、少しずつ好転してゆくそうです。

何もわからない状態は不安で、不安がかき立てられると自分を守るため攻撃的にもなってしまいます。何も解決していなくても、「知る」という行為だけで、「わからないという不安」は減るでしょう。

「諦められない」「失敗できない」現状はさながら、赤ちゃんが転びそうになれば大人が助けてやって、一度も転んだことのないまま子どもが育ってゆくような感じ。実際には、見るのは辛いですが、赤ちゃんは何度も転んで転んで、転んで起き上がる練習をしないといけません。ただ転べばいいってもんじゃなく、本書では

一)他人のせいにばなりしない
二)敗因を分析する
三)自分で起き上がる

p.247

と三つの練習が紹介されています。

あさよるにとって、本書で知れた一番の収穫は「あなたらしく」「諦めないで」というメッセージは「儲かる」ということ。そんな言葉で語りかけてくる人がいたら、その真意を探ってみるのは有効かも(苦笑)。

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『フリーランス、40歳の壁』|仕事が激減!健康、マンネリ、やっかみ…

こんにちは。あさよるです。年齢と共にぶち当たる壁ってどんどん変化してゆきます。あさよるの10代は苦しかったけれどもイケイケどんどんで怖いものなしでしたが、20代が迷ったり悩んだりもがいていたと思います。当時は無我夢中なのでそんな風に思いませんでしたが、今振り返るとそう思います。

今は30代真っただ中なので、今を客観視できませんが、のほほんとのんびりやってるつもりです。そして来るべき40代。どうやら40代って、社会的に試される年代っぽいですね。若い頃は一発逆転を狙ったり、自分の生き方を「選ぶ」時期ですが、40代はある方向を向いて進み続ける時期……といったところでしょうか。楽しみでもあり、おっかなびっくりでもあります。

今回読んだ『フリーランス、40代の壁』は、10代20代と、自分の得意分野で生計を立てていた人が40代でぶつかる問題を扱っています。特に、クリエイティブ系の人が直面する壁とは。

クリエイティブ系フリーランスの生き方

『フリーランス、40歳の壁』は、〈著述作家業を中心とした「表現業者」〉が自由業者として仕事をする時、40代ごろにぶつかる「壁」について書かれています。これから作家やライター業などでフリーランスを目指している人、転職を考えている人におすすめです。

本書によれば40歳を境にして仕事が減ってしまう人が多いそうです。健康面・体力的な問題、仕事の発注者が年下になってゆく問題(目上に発注しにくい)、仕事のマンネリ化、周囲からのやっかみから仕事が上手くいかないと感じることもあるようです。

著者の竹熊健太郎さんは40歳を境に仕事が減り始めた理由を〈①「マンガ評論家」の仕事に嫌気が差して、断り続けたこと〉〈②依頼元(出版社)の担当編集者が、年下になっていたこと〉と二つの理由を挙げてらっしゃいます。②は、若い編集者からすると年上の作家・ライターに仕事を頼みにくいようです。そのせいで、なんとなく仕事が回ってきにくくなる。①の理由は自分の都合ですが、自由業の良さは自分で仕事を選べることだけど、それを実行しすぎると仕事が減ってしまうというジレンマですね。

また竹熊さんはご自身が発達障害と診断されたことに触れつつ、自由業者の中にも発達障害を持っている人が少なからず含まれていると指摘されています。会社員として勤めることが難しく、自分の得意を活かして自由業者になっている場合です。竹熊さんは40代に仕事が減ったことをきっかけに大学の非常勤講師を始めるのですが、困ったことに大学に「就職」したものの、雇用された働き方があわず、適応障害を発症してしまったそうです。

健康面でも竹熊さんの場合は脳梗塞で倒れ、幸い後遺症もなかったのですが、40代は年齢と共に体力的な不安を感じ始める頃かもしれません。

また社会そのものも変化しています。出版界隈の仕事も、インターネットの普及、ブログやSNS、電子書籍の登場と、かつての業界や業務とは違っています。竹熊さんも、ご自身のブログを立ち上げたり、SNSで炎上したり、オンラインコミックが読める「電脳マヴォ」を運営なさっています。

「40代は若者」と「先生」の間、どちらでもない年代だから、他の世代からやりにくい年代なのかな、なんて思いました。自由業者がこの魔の40代を突破するには、それ以前からの人脈に助けられることも多いそうで、お互い様ですから、仲間は多い方がいいですね。

変化の世代

本書『フリーランス、40の壁』では、プロとして専業で食べている人が直面する「40代の壁」が主題ですが、各世代ごとに「壁」はあるでしょう。本書では、50代、60代の話題も登場します。

10代には10代の悩ましい悩みがあることは自明のことで、20代の挫折もあれば、30代の葛藤もあります。本書では、著述執筆系の、作家業、ライター業で生計を立ててこられた人向けですから、ある意味で「若い頃に成功した」人の話ってことでもあります。そんな道を進んでも、それなりに「壁」があるってことでしょうか。

たぶん、会社員を続けておられる方でも40代の「壁」ってあるんじゃないかと思います。「ローン組むなら」とか健康面のことだったり、家族のことだったり、それまでとは違う変化に直面するのかもしれませんね。あさよるも、これまで若さに物を言わせてなんとかなっていたものが、30代も半ばになるとこれまで通りにいかなくなっている気が……(;^ω^)

社会の変化に乗り遅れないように

今は変化の速い時代ですから、20代の頃に身に着けた知識やスキルもいつまで通用するのかわかりません。本書で紹介される方たちは時代の変化に対応しながら、新しいメディアへと仕事の幅を広げてらっしゃいます。

だけど実際には、そういう人ばかりでもないんでしょう。インターネットの普及で仕事がなくなった人や、時代の雰囲気、空気感が読めなくなる人もいるでしょうから、本書で取り上げられている人たちは特別な人かもしれません。

竹熊さんも、大学教授という仕事を通じて、現在の大学の実情を目の当たりにされておられるし、仕事を通じて若い世代と接点を持つのは大事なことかもしれませんね。特に表現者にとって、その時代の感覚を敏感に感じ取れるかって大事なことじゃないかと思うので、若い人の声をどうやって聞くのかって、真面目に考えてもいいのかも。

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『賢く「言い返す」技術』|感情OFF、作業として攻撃をかわす

こんんちは。お子ちゃまタイプな あさよるです。今日読んだ『賢く「言い返す」技術』は、他人を攻撃する人のタイプを8つにわけ、それぞれのタイプ別対処法が指南される本です。その中の「お子ちゃまタイプ」がおまおれ状態で冷や汗をかきました(;’∀’)

本書では「攻撃的な人のタイプ」「攻撃されたときの対処法」が紹介されています。ここでは大まかな概要を述べるだけですが、本書では具体的なケーススタディを挙げ紹介されています。職場、家族、友人関係別の場合がまとめられています。

人から攻撃されたとき、同じように反撃しても争いが泥沼化するだけです。だけど、だからと言って「我慢していればいい」わけでもありません。攻撃する人……つまり加害者には毅然とした対応や、自分が傷つかないよう、心を守る対策が必要です。

また、攻撃する人の特徴を自分に当てはめてみたら、自分が他人に対してやっちゃいがちな言動を知れます。これは本書の〈裏テーマ〉ではないかと勝手に解釈しましたw 自分がトラブルの種を撒いていることもあるでしょうから、自分が他人を攻撃しているポイントを自覚するだけでも、何か多少は変わるのかも。

嫌な人の避け方

『賢く「言い返す」技術』では、人から嫌なことを言われたときの切り抜け方が紹介されています。ほとんどはその場でスパッと相手の負の感情を切り離す「言い返し」です。一言だけで、距離を置ける魔法のワード集です。

攻撃的な人の8タイプ

『賢く「言い返す」技術』では、攻撃的なことを言う人を8つのタイプに分けられています。

攻撃的な人は理由もなく人を攻撃するのではなく「攻撃を受けている側よりも、ずっと弱い面を持った人たち」だと紹介されています。恐怖や不安を抱き、弱い面があるからこそ、攻撃せずにはいられない。だから、彼らを対処するなら、その「弱い面」を良く知って上手いことあしらえばいいのです。

「我慢してればいつか解決する」と考えず適切な対処が求められています。

1.王様タイプ

他人を支配し、思い通りにさせたい人。高圧的で王様のように振舞いたいタイプ。

やたら上から目線で物を言うヤツ。そういうヤツこそ、自分のポジションに自信がなくて吠えているそう。本当にその立場で周囲から信頼されている人は、わざわざ上から目線発言をする必要はないのです。

役職が上がったばかりの役員とか、上司によくいるタイプ。本心では「人からみくびられてしまうのでは」と怯え、自分のポジションが脅かされていると感じ、その恐怖を打ち消すために他人を支配しようとします。

2.裸の王様タイプ

自分を認めて欲しい! 裸の王様タイプは自分の自慢話を延々としたり、自己中な言動をする「自己愛」や「承認欲求」が強いタイプ。自分の優位性を誇示したい!

例として、新しく来た管理職の人が「前任者よりも自分の方が優れていると知らしめたい」という欲求から、これまでのやり方を踏襲せず、自分のやり方を下に押し付けようとする例が紹介されています。

だけど、本当にすごい人は自他ともに実力が既に認められています。「認められたい」と思っている時点で、その程度の人だということ。だからこそ「自分を認めて欲しい」をアピールをやめられません。その自信のなさを、周囲の人はわかっているけれども、本人だけが気づいていない……「裸のぷ王様」状態です。

3.羨望タイプ

うらやましい!負けたくない! 嫉妬心からじわじわと他人を攻撃するタイプ。「マウンティング女子」もこのタイプ。他人と比べることで自分の優位性・立ち位置を確認したい欲求がある人は多いのです。序列をつけ、自分より下の人を作りたい、そして自分より上位の人が羨ましい。

「羨望というのは、他人の幸福が我慢できない怒りだ」とラ・ロスフコーの名言が引用されています。

4.お子ちゃまタイプ

思い通りにならなきゃイヤ! わがままで、自分の欲求が受け入れられて当然だと思っている幼稚な人。「自分は特別扱いが当たり前」と思っているから、周囲からの注意や助言も聞き入れられず、逆に「あいつが悪い/自分は悪くない」と攻撃し始めます。

5.悲劇のヒロインタイプ

私はかわいそうな人なの、大事にしてよ。弱い私なら、人を攻撃してもいいでしょ? 「弱い人」を被害者だと思い込む傾向が世間にはあって、そこにつけ込むのが悲劇のヒロインタイプ。か弱そうすることで人から守られ、気に入らない相手には攻撃し放題。

少し何か指摘しただけで泣き出して、まるで注意した人が悪いように演出します。「周囲の同情を集めることに快感を覚えている」とのことで、彼らの策に乗らないのが得策です。

厄介なのは、自分が「被害者ヅラ」をしているのをいいことに、「か弱い自分は他人を攻撃しても良い」と思っているところです。

6.置き換えタイプ

誰かに八つ当たりしたい! 日頃から溜め込んだうっぷんを、別の場所で無関係な人相手にぶちまけるタイプ。生きにくい時代ですから、ストレスが溜まるのはわかりますが、だからと言って他人でうっぷん晴らしをしてよいわけではありません。

駅員やコンビニ店員、お客様窓口などがターゲットにされやすい。大したクレームでもないのに、何時間にも渡ってキレ続ける人というのが実在するそうです。

7.トラウマタイプ

自分と同じ恐怖を人に与えたい。過去に自分がされたことを、自分よりも弱い人に同じことをして、過去のトラウマを乗り越えようとするタイプ。虐待を受けた人が、自分よりも弱い人に同じ虐待を繰り返してしまうことを、精神分析の世界では「攻撃社との同一化」と呼ぶそうです。

いじめっ子はいじめられっ子だったりするのと同じ。気の毒ではあるけれども、だからと言って他人を攻撃していい理由にはならなりません。

8.サディストタイプ

傷つけるのが快感なのがサディスティックタイプ。傷ついたり恐怖、苦しむ顔を見るのが気持ちいんだそう。猟奇的な事件のような極端な行動に出ずとも、怒りで物に当たるのもこのタイプだそう。怒って机を叩いたり、物に当たる姿を相手に見せつけ、動揺している様子を見てスカッとする。

対応策・7つの武器

以上のような8タイプの攻撃的な人への対応7つが紹介されています。どんな攻撃にも対応の仕方があるそうです。あさよるは、人から攻撃されたときいちいち動揺せず、「ここにある指示通りに対応すればいい」と思うだけでも、ちょっと心配が減った気がします。

1.相手の裏の心理を見抜く

皮肉やいやみや自慢話は、こちらへの恐怖、嫉妬、優位に立ちたい心理があります。だから「あなたの真意はわかってるわ」という態度をとればいい。

必殺「オウム返し」! 「バカ」と言われたら「バカってどういう意味ですか?」と聞き返す。

必殺「さすがですね!」 他人を支配したい仕切りたがり屋なんかは、過剰に褒めちぎってやろう。つまり、からかってやるのだ。

必殺「先回り」! 自慢話が鬱陶しい人には、相手よりも先に「○○だったんですよね!」と先にオチを言ってしまおう。「もうその話は何度も聞いた」と意思表示になる。

必殺「おっしゃる通り。それで何?」! 面倒くさい説教を垂れてくる人には、早々に「おしゃる通り!」と相手に賛同した顔をして、すかさず「それで何ですか?」と聞き返そう。相手はひがんで説教垂れてるだけだから「だから何?」と聞かれると言葉がない。

2.別の話をする

カチンとくる侮辱の一言、挑発的な言葉、不毛な悪口……こうしたイヤな会話から逃れる最善の方法は、まともに取り合うのではなく、「別の話題」に誘導してしまうこと。

しても仕方のない話は切り上げてしまいましょう。

脈絡もなく「そういえば今日のニュースで」「そういえば、あの映画…」とネガティブな会話をこっちのタイミングで終わらせましょう。相手の負の感情に乗る必要はないのです。

3.矛先をそらす

「置き換えタイプ」「トラウマタイプ」からの理不尽な攻撃、「羨望タイプ」「悲劇のヒロインタイプ」のくだらない悪口やグチは、「そんなこと私に言われても困る」とスパッと言っちゃいます。盾をつくるのです。目上の人の場合は「その洋服素敵ですね」なんて、褒めておけば相手は悪い気はしない。

4.一段上に立つ

他人を攻撃する人は不幸な人なので、「かわいそうな人だ」と一段上から冷静に見下ろすのも手。自分の方が高い位置にいるので、正面からぶつかることはない。激昂している相手へは「落ち着いて」「ゆっくり話して」と促したり、話を煙に巻くのもいい。

5.周囲を味方につける

攻撃する様子を誰も見ていないとなると、攻撃がエスカレートしてゆく。だからわざと大きな声で「失礼ですね」「ひどいですね」と周囲に聞こえるようにアピールしたり、「○○さんにも報告します」と相手の怖れる人の存在を持ち出しましょう。

6.あえて無防備になる

攻撃されたからといって、自分もそれに応戦してしまうと戦争が泥沼化します。「私はあなたを攻撃しません」とアピールする方法もあります。それは「私は傷ついた」「あなたを嫌いになりたくないから、そんなこと言わないで」と、こちらに戦闘の意思がないことを示して、相手がどう出るか試してみます。

7.筋違いの期待を裏切る

攻撃してくる人は、相手が傷ついたり、不幸になればいいと思っています。だから「そんなこと私は気になりません」と示します。相手の期待を裏切るのです。いやみを言われても笑顔で「へぇ」と涼しい顔でスルーしたり、「今度一緒に出かけない?」なんて大胆な発言も紹介されていました。

攻撃を真に受けなくていい

本書『賢く「言い返す」技術』の良いところは、もし今後他人から攻撃されたとき、それをまともに受け止めて「なんてこと言うんだ!」と怒ったり悩んだり傷ついたりしなくても良いところです。相手の攻撃を本書の8タイプに当てはめてみて、それに合った応戦をすればいいだけ。

「感情」を使わず、「作業」として処理できるようになるんですよね。これはかなり楽になりそうです。

あさよるはとても感情的になりやすいタイプなので(;^ω^)、ものすごくイラつくし、同時にすごく傷ついて、傷つくと反撃もしたくなります。そして、反撃したらしたで後から「あの時ああすれば良かった……」と考えても仕方のないことに悩んだり、とてつもなく疲弊します。

いつまでも平らかな気持ちでいたい……(;^ω^)(;^ω^)

自分はどのタイプだろうか…

本書は他人からの攻撃をかわすため、加害者を8つにタイプ分けされていますが、こうなると「自分はどのタイプなんだろう」という視点も生まれるわけです。うまいことできています(苦笑)。自分のタイプを冷静に判断できないなら、相手から「どう対応されると困るのか」を考えてみても良いでしょう。自分の攻撃を無効化させる武器から逆算して考えるんです。

あさよるの場合は……圧倒的「お子ちゃまタイプ」(苦笑)。「自分が尊重されて当然だ!」と疑いもなく思っているフシがあります。承認欲求ではないんですよね。承認欲求って「認めて欲しい」って欲求ですが、あさよるの場合は「認められて当然だ!」だから、タチが悪いw。

あさよる自身は、他人にマウンティングしたい欲求(序列づけしたい欲求)は感じません。その理由もよく分かりました。お子ちゃまタイプは「自分の欲求は無条件に受け入れてもらって当然」と思っているそうです。「特別扱いが当たり前」と信じ込んでいるから、そもそも自分と比較する他人が見えていない……ワロエナイ!ww

自分で書いていて情けないですな~(;^ω^)(;^ω^)

みなさんも、迷惑な人を8タイプにわけるついでに、ご自身がどのタイプに当てはまるのかを考えてもよろしいかと。苦笑いするしかなくなりますw

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『日本辺境論』|田舎者でゴメン(・ω<) テヘペロは強い

こんにちは。本は寝かしまくる あさよるです。大体、人からおすすめされると、3年スパンくらいで着手し始めます。一応、読むのは読む。いつになるのかわからないけどね…!という感じ。そして、積みまくったのが内田樹さんの『日本辺境論』です。二回の引っ越しも経た。やっと読みます。

これは、2009年の出版当時話題になっていて読もうと買っておいたものでした。その間、世間は大きく変わったような、だけど大枠ではあまり変わっていないような。2009年から2018年の9年間は、たくさんのことがありすぎて、よくわからない時代でしたね。そんな、ここ近年の出来事を思い出しつつ、『日本辺境論』を読むのでした。

世界の中心……じゃないからできること

内田樹先生の『日本辺境論』は出版当時、話題になっていた頃から積んでいました。2009年11月の本ですから、積んだね~!w

「日本辺境論」とは、日本人が持ち続けている辺境根性とでも言いましょうか、日本人の処世術を解説するものです。ちなみに「辺境」の反対は「中心」。日本にとっての中心は、長らく中華思想でした。

アメリカはその建国の歴史から、ルーツも様々な人々が集まっていますから「我々はこういう者だ」という名乗りが必要です。それを「アメリカというアイデア」だと紹介されていました。それに比べると、日本人は「日本とはこういう者だ」がありません。日本の歴史よりも前から日本列島には人々が住んでいて、大陸とは海で分断されているんですから、名乗りなんて必要なかったのです。

そして日本人は対中国との交渉によって〈自分たち〉であることを自覚するのです。明治の文明化では、相手はヨーロッパでした。日本は、自分たち以外の何かと対峙して初めて、〈自分たち〉を認識します。そもそも「日本」という名前も、「日の本」つまり「太陽の上る方」という意味であり、それは「中国から見て東側」という不思議な名前だと書かれていて、なるほど言われてみれば。

そして、日本はどうにも上手いこと大国と渡り合っているのです。「日の出国の天子より」なんて無礼な手紙を出したり、天皇から位を授けられた征夷大将軍が「国王」と名乗ってみたり、なかなか無礼です(部長が「社長です」と名乗って取引先に挨拶するなんてあり得ない)。で、それを「田舎者なんでわかんなくてゴメンナサイ」とテヘペロしながら、言いたいことを言って、大国と渡り合ってるんですよね。自分たちが辺境に生きていることを自覚し、それを逆手にとって外交をしているのです。これ、すごいじゃん!ってのが、『日本辺境論』を読んでの発見でした。

「この人スゴイ」はスゴイ

んで、内田樹先生も、日本の辺境っぷりは悪いものとはせず、「とことん辺境で行こう」と仰っています。

辺境人の良いところは、素直に「中国すごい」「ヨーロッパすごい」と思ってしまうところです。自分たちが辺境の田舎者だと思っているからこそ、だから「素直に学ぶことができた」というのです。この感覚わかりますよね。自分が「この人スゲー」と思っている人の言うことなら、理解できなかったとしても「たぶん何かすごい意図や意味があるんだろう」と取り入れることができます。反対に、一回でもナメてしまった相手の言うことはもうなんにも響きません。

相手を「すごい」と思える能力って、学びには重要な要素です。これはずっと持ち続けたい力ですね。

エイヤッと飛び込む

次いで「機」を見る能力が紹介されています。機とは、「清水の舞台から飛び降りる」ことです。日本は欧米から鎖国をやめて開国を求められ、明治維新が始まりましたから、「近代」という時代には後ノリをしました。つまり、なぜ始まったのか、なにをやっているのか、ルールもわからないゲームに途中参加させられたのです。その時、持ち前の学びの姿勢が発揮されるのですが、同時に「エイヤッ」と飛び込むタイミング、それが「機」です。ヒトは元々「機」を持っています。じゃなきゃ、動物として生き残れなかったはずです。そして、大国は自分たちの強さ故に、機を忘れてしまっている。日本人は辺境人だからこそ、「エイヤッ」と飛び込む機を持っています。

日本語

さらに、「日本辺境論」では、日本語の持っている特性にまで話題が及びます。日本人は元々文字を持っておらず、中国語を輸入しました。そして、わたしたちは未だに、中国から輸入した漢字も使ったまま、だけど日本語のまま文章を書いて理解するようになりました。折衷案的ですね。

相手の力を使う

たぶん、辺境的であるって「カウンターをとる」とも違うんでしょうね。対抗するのではなく、力をいなすというか、相手の力を使って、自分の持っている以上の力を発揮するというか。名人技です。

新書一冊じゃ全然足りないわ

『日本辺境論』は以上のような内容を扱っているのに、たった新書一冊なんです。だから、当然ながら全然足りてませんw どの章も駆け足だし、特に最後の日本語の特性なんて、こんなページ数で何も言えないだろうと(苦笑)。どの話も、風呂敷を広げたところで時間切れ~続きはこちら……みたいな感じですね。もちろん、それは読書や学習を促す意味では良いのかもしれませんが、読了感としては「え~!ここで終わるの~」とw

内田先生の本はその時々のタイムリーな話題を上手いことトッピングされていますから、今『日本辺境論』を読んで「2009年ってこういう気分だったんだな」と今さら振り返ったような気持ちです。

2009年前後と言えば、Twitterのアカウントを作って遊び始めた頃でした。今はもう消してしまったアカウントなのですが、当時高校生の年齢だった男の子が『日本辺境論』についてツイートしているのを見て、あさよるの読みたい本リストに入ったままでした。「当時高校生の年齢だった男の子」とは、高校へ行かず大検を目指してたとかだったんじゃないかなぁ。彼はその後、元気にしているんだろうか。

話の脱線ついでに、ちょうどこの頃、あさよるはまだ学生で、進路について聞かれたとき「何も考えてないけど、ブログを毎日書いてるから、それをなんとかしたい」と話したのを覚えていますw 約9年前からやってることも考えてることも大して変わっていないw そして、9年越しに、おすすめされた本を読んでいたりする。

その間、内田樹さんもWikipediaによると、単著で20冊以上、共著も合わせるととんでもなくたくさん本を出版なさっています。「『日本辺境論』だけじゃ全然足りないよ」というなら、他の本で補うと良いのでしょうか。

といった感じで、あさよるも自分のこの9年間を思い出し語るとき、「自分はこうだった」と言えず「あの人はああだった」「この人はこうだった」としか言えません。とても辺境的w ただ、だらこそ好奇心は忘れないまま、今も楽しくキョロキョロと何かを探しているんだと思います。

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稲盛和夫『生き方』|素朴な生き方だから、みんなが共感してしまう

こんにちは。あさよるです。秋も深まり気温が下がってきますと、基礎代謝量が増えます。「食欲の秋」というように、身体はたくさん食べてたくさんエネルギーを燃やし始めますから、すごく疲れる! だら~んと週末を過ごしますと、週明けには気合の入るような本が読みたくなります。

今回手に取ったのは京セラ、KDDIの稲盛和夫さんの哲学が詰まった『生き方』です。ずっと積んでました。今のタイミングで読んでよかった。じっくり日曜の午後、時間をかけて読むことができて良かったです。

成功者には成功者の哲学があるようですが、その哲学は拍子抜けするほどに素朴です。「宇宙」とか「ビッグバン」とか壮大な考えも飛び出すのですが、それでも一般の人たちが持っている死生観と遠くありません。むしろ、素朴な思想だからこそ、多くの人に共鳴し、人を動かし、会社を動かせるのかもしれません。

生まれてきたことに意味がある

『生き方』は京セラ、KDDIの稲盛和夫さんの哲学が記された一冊。ビジネス書の定番ですね。といっても本書では、経営のテクニックを語るものではなく、経営者として、職業人として、一人の人間として「どう生きるのか」について言及された抽象的な内容です。

成功者の生き方ですが、「どう生きるのか」はすべての人々がそれぞれに追及しているものです。社会の中で名前もなく不遇であったとしても、「どう生きるのか」は自分で選び取らなければなりません。そのときに、稲盛和夫さんの『生き方』は自分のモデルケースとして採用しても良いのではないでしょうか。

稲盛和夫さんの『生き方』は仏教的な言葉が使われていて、その哲学が紹介されています。日本国内だけでなく、世界でも売れているベストセラーなんですって。今まで読んだことなかったや。

内容が抽象的なので紹介するのが難しいのですが、「生きる」ということが前向きに語られているのが印象的でした。「やってもムダ」「頑張っても仕方ない」「生きてる意味なんてない」なんて言う人もいますが、稲盛和夫さんは「人には生まれてきた意味がある」「人生をかけて心・精神を高めることができる」と考えておられるんですね。あさよるなんかは「生きることに意味なんてないよ」なんて思ってるタイプなので、全然違う世界観です。

人間として正しいことを正しいまま貫いていこう

稲盛和夫さんは京セラができたとき、まだ経営に明るくなくて、どう経営すればよいのか見当がつかず、

人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと心に決めました。(p.19)

と回想なさっています。嘘はつかない、人に迷惑をかけない、正直で欲張らない、自分のことばかりを考えない。子どもの頃に教えられるようなことを、実直にやったと仰るのです。

大人になるというのは、子どもへの「建前」と、そうは言ってもその通りにできない「本音」を使い分けることです。阿部謹也さんの『「教養」とは何か』で、建前と本音の二重の世界が存在することを知ることで、日本人は社会を知り、大人になってゆくと紹介されています。

稲盛和夫さんの考えは、ある意味で子どもっぽいのかもしれません。

だけど、成功者って、無邪気で子どものような側面を大きく持っている人物であるイメージがあります。あるいは、優秀な頭の良い人もそうですよね。子どもっぽさを持っていて、その子どもの探求心、好奇心が大きな原動力となっているイメージですね。

京セラでの研究開発のエピソードも、ある意味で「無邪気」と解釈できます。開発者たちは製品としての妥協点を探っていても、稲盛さんは完璧を求める。完璧な製品を「手の切れるような」と表現されていて、モノをつくる人って妥協せず、極限まで極めに極めるんだなぁと遠い目になりました(一応、あさよるも制作の出身なので……)。

ここまで完成度を求め続けなければならないと、襟を正しました(`・ω・´)>

気分が上がる読書って大切

読書っていろんな効能がありまして、「気分が上がる」とか「興奮する」のも読書の大きな役割の一つです。稲盛和夫さんの『生き方』は、初心にかえり襟を正されるような側面もありますが、夢中でモノづくりに邁進する興奮や、完璧、究極を求める業の深さみたいなものも溢れています。

本書『生き方』では「謙虚であれ」と書かれていますが、完璧すぎて「手が切れるような」製品を創りたいって、これはこれですごく業の深い話なんじゃないかなぁ。その二つの思いが同時に存在するからこそ「無邪気」だし、誰もが到達できるものではない「境地」なのではないかと思います。

そんな人、滅多に出会えるもんじゃない。だけど、本を使って特別な人の面影くらいは追うことができる。本を読む醍醐味みたいなものを再認識しました。

ド定番のベストセラーということもあり、一度は読んでおいて良い本だと思いますv

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『「教養」とは何か』|世間の中でいかに生きるか

こんにちは。あさよるです。先日読んだ鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』が、読了後もずっとなんとなく気になり続けていました。『「空気」と「世間」』では、わたしたち日本人は「社会」と「世間」の二つの世界を持っていて、社会生活をしている最中に顔を出す世間が「空気」だとされていました。

この鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』では「世間」はやや否定的なニュアンスで語られているように感じました。だけどその直後に読んだ内田樹さんの『街場のメディ論』では、「世間」は肯定されていました。この二冊の、近いテーマを扱いつつ結論の違った本を続けて読んだことで、「世間」が気になるワードになってます。

そこで、先に挙げた『「空気」と「世間」』で引用されていた阿部謹也さんの『「教養」とは何か』を手に取ったのでした。

ちなみのちなみに、昨日は『世界の教養365』という、1日1ぺージ、一つのテーマについて紹介される本を紹介しました。

今回『「教養」とは何か』を読了してみると、『世界の教養365』は、教養というより「雑学集」かもななんて思ったり(;’∀’) もしかしたらヨーロッパ社会に生きている人にとっては「教養」になるのかもしれないけど、多くの日本人にとっては「教養」ではないかも……その理由は、社会のかたちが違うから。「社会のかたちが違うと教養のかたちが変わる」というのは、本書『「教養」とは何か』を読んだ発見でした。

世間の中の教養

先日ブログで紹介したした鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』の中で、本書『「教養」とは何か』が引用されており、気になって読み始めました。主題はそのまま「教養とは」。

「教養のある人」と聞くとどんな人物を思い浮かべますか? 本書では、教養を

「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうしている状態」(p.56)

を「教養」であるとしています。それを「いかに生きるか」と表現されています。多くの書物を読み知識が多い人のみを指すのではなく、ときには「人格者」であることも教養に含まれます。そして無自覚に「いかに生きるか」を体現している人々もたくさんいます。例えば農業従事している人は、「いかに生きるか」と自覚的に考えなくても、自分の仕事が多くの人達の暮らしを支えていることは知っていただろうと紹介されています。

「いかに生きるか」を考えるとき、「世間」を知る必要がある

「世間」とは

そして「自分が社会の中でどのような位置にあり」「いかに生きるか」を考えるとき、「世間」が登場します。世間は感情のある人間たちが集まって繋がっています。だから世間の中で誤解されたならば、それを解かなければならないし、もしもひどい仕打ちを受けたのなら、自らの手で復讐します。つまりかつて「社会」がなく「世間」だけがあるのです。そして現在、「社会」のある世界では、法によって合法的な処置されるようになりました。

日本では、明治になってから西洋の「社会」が建前として導入されました。しかし、そこに生きていた人々は、従来通りの「世間」を本音として持ち続けました。建前の「社会」では、弱いものを守り、正義の行いはいずれ実を結ぶことが教えられます(つまり法によって裁かれる)。だけど、本音ではそうではないことも知っています(世間では個人間の復讐になる)。わたしたちが「大人になる」とは、子ども時代に施された建前の教育から、言葉の裏を読む本音の世間を知ることです。

ヨーロッパの「社会」には根底にキリスト教の思想があるから成り立っているものであり、日本にはその前提がないため、ヨーロッパから持ってきた社会/建前と、昔ながらの日本人の思想を反映した世間/本音の二重構造ができてしまいました。これは日本が近代化してゆく中で、日本が身に着けた処世術だったのかもしれませんね。

世間の中でいかに生きるか=教養

教養とは、「社会の中でいかに生きるか」を考えることなのですが、日本では建前の「社会」と本音「世間」の二重構造になってしまっています。だから「社会の中でいかに生きるか」と語るとき、建前で語ってしまうと、そこに感情のある人間が抜け落ちてしまいます。

わたしたちが「教養」について考えるなら「世間の中でどう生きるか」を考えることで、感情のある人間と人間の関係性の中で「いかに生きるか」を考えれられます。

そのためにも「世間とは何か」を客観的に認識する必要性を指摘するのが本書『「教養」とは何か』なのです。

「世間」は悪いものなのかな?

『「教養」とは何か』を読むきっかけになった鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』では、「世間」については否定的で、日本も「社会」へと移行するよう促す内容でした。その本を読んでいる途中は、確かにあさよるも「世間」の息苦しい関係性も、鬱陶しい「空気」も嫌いですから、「そうだそうだ」と納得もしていました。

だけど、はて。やっぱり考えてしまいます。そんなに「世間」って悪いものなのかなぁと。もちろん、鬱陶しいし嫌!ってのも事実でしょう。だけど、「世間」のない世界で生きることってできるのでしょうか。

たまたま件の『「空気」と「世間」』は2018年9月4日の台風第21号の影響で停電した家の中で、暇つぶしに読み始めた本でした(後々のためのメモ/2018年、平成30年台風第21号は9月4日「非常に強い」勢力で日本に上陸し、近畿地方で大被害が出た。これまで経験したことのないとんでもない暴風)。つまり「大災害の最中に読んでいた」んですよね。

で、大災害にあったとき「世間」が社会の中にしっかりと根付いていることを実感しました。親類縁者隣近所も、普段は顔を合わせば軽く挨拶をするけれども、あまり深くかかわるのも煩わしい。だけど災害時は、お互いに声を掛け合い、誰彼構わず助けが必要なら手を貸し、掃除や後片付けも、自分も他人も関係なく参加します。そして、行政もそこに「世間がある」ことが前提で、支援を開始することにも気づきました。やっぱり日本社会は、建前ではヨーロッパの「社会」を持ってるけれども、その実、大衆の意識だけではなく、行政だって「世間」の一部なのです。

たぶん自分が「いかに生きるか」を考えるとき、建前の、知識やシステムだけを振りかざすのではなく、本音の、感情のある一人の人として、他の人々と「どう関わるのか」を考える方が、自分にとっても良い作用があるように思いました。また「教養」を身に着けるための「勉強」も、「なんのために勉強するのか」といえば「世間のために」なのかもしれません。

『漫画 君たちはどう生きるか』について

先日ブログでも紹介しました大大ベストセラー『漫画 君たちはどう生きるか』についての感想で「主人公は特別な立場の人だから、〈どう生きるか〉なんて特別なことを考えているのではないか」と書きました。

だけど今になって考えると、特別な立場にある人だけじゃなく、それ以外の人だって自覚的にも無自覚的にも「世間のために」生きている人はた(いる)でしょう。そう思うと、あさよるの抱いた感想は的外れだったのかもなぁなんて思いました。

そして今『漫画 君たちはどう生きるか』が売れに売れているというのは、多くの人が世間の中でどう生きるのかを模索しているということなのかもしれません。まぁ、さっきも言ったように、やっぱ災害があると、それを意識せざるをえないですね……。

そこで考えたこと

先に述べたように、本書『「教養」とは何か』では「世間」に対して否定的な態度なのかと思って読み始めたので、結論として教養を身に着けるためには世間を知ることが必要だと書かれており、意外でしたが、「教養」「世間」について、納得できるものでした。

あさよるは面倒くさがりなので、世間の面倒くさい手続きは性に合いません。科学的根拠のないオカルトな儀式や祭事も嫌いだし、まどろっこしいやりとりも嫌いです。

……だけど、だからといって「世間」を否定して生きられないことも、さすがに何十年も生きていると気づいています。しかも、嫌なことばかりなわけじゃなく、あさよるだって世間の中の一人であり、世間に助けられてもいます。そのくせにイヤイヤ言い続けるのも、それは違うだろうとも思います。

また、今はインターネットを通じて、遠くにいる人も「世間」の中の人のような気がします。それが普通になって長いけど、思えば変な感じかも。だって、「世間なんて窮屈で嫌だ」と言いながら、テクノロジーを使ってどんどん世間を自ら広げているからw

『「世間」と「空気」』のレビューでも書きましたが、このまま「ダブルスタンダード」でもいいのかもしれないなんて思い始めてもいます。だって、どっちを失ってしまうのも惜しいと思うから。ただ、無自覚にやるのではなく、「社会」と「世間」の二つの世界で生きていることを客観的に自覚して、よりよくなるように、使えたらいいのにな。

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『世界の教養365』|今日のネタ帳はこれ

『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』イメージ画像

こんにちは。あさよるです。『世界の教養365』は書店で平積みされているのを見ていて気になっていました。結構ボリュームある感じだし、「世界の教養とはなんぞや」と気になっていたのです。ページを開いてみれば、あら、1項目1ページずつ、要約と簡単な説明、さらに豆知識が書かれたもので、大人だけじゃなく10代の人におすすめしたい内容でした。

1日1ページずつ、一年館読み切ると365の教養が身につくという触れ込みです。

ただトリビア集とは違っているのは、7つのジャンルが設けられ、1週間ごとに同じジャンルが回ってくるから、読んでいるうちにだんだんと教養が「深まってゆく」ところです。ただ網羅的に雑学が収録されている本は軽く読むにはいいですが、読みごたえはないので、こっちの方が読む楽しみはあるかも。

毎日〈読書〉と〈学習〉の習慣を

『世界の教養365』は分厚いA5サイズの書籍です。本書には365の教養がコンパクトにまとめられて収録されています。これを1日1ページずつ、365日かけて読んでゆきましょうという趣向です。著者は聖書を毎日少しずつ読む習慣がある方だそうで、そんな風に朝の時間に習慣としてテレビや新聞をチェックするように本書を1ページずつ読み進めてゆきましょう。

……って、あさよるは一気に読み進めちゃったんだけど(;’∀’)(;’∀’)

本書ではジャンルを7つの分野に分け、1週間の7日間に割り振られています。第一週目、第二週目……と読み進めてゆくうちに、7つのジャンルがそれぞれについてだんだんと知識が深まってゆくしかけです。

7つのジャンルは、

  • 月曜日:歴史
  • 火曜日:文学
  • 水曜日:視覚芸術
  • 木曜日:科学
  • 金曜日:音楽
  • 土曜日:哲学
  • 日曜日:宗教

ワクワクするジャンルが割り振られています。

さらに、実際に読み始めて、ページの構成が印象的だったので紹介しておきます。

本書はその日のテーマが1ページに簡潔にまとめられています。その日のテーマ・トピックスと、その要約。さらに詳しい説明がなされ、最後には豆知識が添えられています。

画像を用意してみました。

『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』イメージ画像

あさよるは個人的に、子どもの頃、こんな風に自分が見たり聞いたりしたことをまとめて本を作るのが好きだったため、幼い頃の楽しみを思い出しました。本書は教養をインプットするためのものですが、この構成をテンプレートとして、自分の教養本を作っても面白そうです。

教養は何のために必要か

本書『世界の教養』のAmazonのページを見ていると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」の項目で、Amazonさんが『究極の男磨き道 ナンパ』という本をおすすめしてきたのが、面白いw

いや、この本は読んでないし、たぶん読まないだろうから内容はわかりませんが、「教養」と「ナンパ」がリンクしてるって、「ああ~」と納得しました。サブタイトルが「コミュ障ひきこもりがストリートに立った日」ですw

教養ってなんのために身につけるのか、なぜ必要なのかはいろんな説明の仕方があるでしょうが、「コミュニケーションを円滑にするため」という理由はわかりやすい例の一つでしょう。で、そのコミュニケーション能力は、「モテ」のためにも使われるでしょう。おかしなことではありません。

まぁ、この話は別にこれ以上広がりませんがw、教養って、みんなが共通して持っている共通知識でもありますね。それはより多くの人とコミュニケーションをとるために、あればあるだけ邪魔になるものではない。逆に言えば、教養がない……というか、知識が偏っている状態って、ピンポイントで同じ知識を持っている人同士は深く付き合えるかもしれないけれども、より多くの人とは関わりづらいのかもしれません。その辺は自分の生き方、志向でもあると思うし、専門知識に完全に特化している人もコミュニティには必要だと思うけれども、広く浅く世界を知ることもまた、面白いことでしょう。

浅くてもいいから、どこまでも広い世界を見てみたい

あさよるは10代~学生時代は「広く浅い知識を身に着けたい」と思っていました。細かなニュアンスは忘れてしまいましたが、「この世界の遠くを見てみたい」というような願望でした。本来なら自分と接点の内容な世界がきっと存在するはずで、そこに生きる人たちはどんなことを考えて、何が見えているのか知りたいと思っていたのです。

まぁ、今となれば「浅いままだとそうそう遠くへは行けないぞ」とツッコみたくなりますが、それは若い頃のチャレンジがあったから学んだことなんだろうと思うことにしますw

また、若い頃は無邪気に本に書いてある知識を丸のまま吸収していました。丸々頭に入ってた頃が羨ましくもありますが、今のほうがより抽象的に捉えられることが多くなって、例えばAというジャンルの本を読んでいても、全然関係ないΣの事柄を理解したりと、既存のジャンルやカテゴリへのこだわりはなくなりました。

だから、今は「広く浅く」とか「狭く深く」とか、そもそもそんなことにこだわらなくなりました。全然違うジャンルの本を読んで、別の事柄に思い至ることもあるから、どんなジャンルの本を読んでいいじゃないかと思うようになったからです。

だから、もしあなたが今「広く浅くモード」なら、本書をおすすめします。付箋をつけながら、これから調べたりハマってみたい分野が見つかるだろうと思います。もしもあなたが今「乱読モード」なら、本書を読むのもいいですが、そのまま手あたり次第、目に留まった本を片っ端から読んでいくのでいいと思います。

読書って習慣なんだな

本書『世界の教養365』をはたして本当に1日1ページずつ読むのか、一気に読んじゃうのか問題は置いておいて……本書は「毎日本をちょっとずつ読む」という読書の楽しみを書籍化した感じなんだろうと思います。「1日1冊、いろんなジャンルの新書を読む」をコンパクトにしたような感じでしょうか。

ただ、本書は結構でっかいので、持ち歩くならkindle版がオススメです。通勤時、ホームで電車待ってる間にサクッと読むとかいいんじゃないでしょうか。

kindle版『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』

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『はじまりが見える世界の神話』|美しいイラストとカオスのお話

こんにちは。あさよるです。あさよるは子どもの頃からオカルトやオーパーツの類の話が好きで、世界各地に残されている「物語」にワクワクしていました。今回読んだのは世界の神話集。子ども時代は神話もオカルトも同じもののように親しんでいましたが、大人になってからこうやって触れなおすと、そんな簡単な言葉で消費してしまうのはもったいない世界ですね。

本書『はじまりが見える世界の神話』は、世界に残されている神話のごくごくわずかな上澄みだけをテイスティングするような本です。ここから、神話の旅に出発しましょう。最初の一冊に。

世界のはじまりの絵本

『はじまりが見える世界の神話』は、世界中で語られる世界の始まりの神話がライトにまとめられた本です。美しいイラストがたっぷり掲載されていて、文章での解説はあくまで要約の要約くらい。だから神話について深く知りたい人には不向きな内容です。

本書の面白いのは、みんながよく知ってる日本の国生みの話や、エジプトの神話やギリシア神話、聖書の話だけではなく、パプアニューギニアの神話やアイヌの神話など、メジャーどころ以外のお話も掲載されているところでしょう。

北欧神話やケルト神話、中米のマヤや、インドの神話なんかは、話はうっすらと知っていたけれども、全然全貌は知りませんでした。

ただ、世界の始まりの神話を3ページほどで説明しきれるわけもなく、「ああ、もっと読みたい!」とかなり知識欲を刺激される仕様です。

イラストが美しい

表紙からもわかるように、本書内にはイラストレーターの阿部海太さんの美しいイラストがたくさん添えられています。パラパラと眺めているだけでうっとりと見入ってしまいます。

というか、本書は完全に神話のあらましよりも、阿部海太さんの絵が圧巻って感じ。

本って読んで知識や情報を得るだけじゃなく、コレクション要素や、インテリア要素ってあると思っています。

これは以前に読んだ「ヘヤカツ」こと『部屋を活かせば人生が変わる』でも「リビングの本棚はエンタメ」と紹介されており、あさよるもこれを採用しています。自分のための本棚と、お客様をもてなし会話の入り口としての本棚を用意しようって提案です。

そしてその「エンタメとして本棚」に『はじまりが見える世界の神話』はぴったりじゃないかと思います。

終末の本もあるのだろうか

本書は世界の始まりのお話がまとめられた本ですが、世界の終わりの話ってのも世界中にあるのでしょうか。世界三大宗教のイスラム教、仏教、キリスト教には終末思想がありますが、限られた世界でのお話なのかなぁ。へんなところに興味が飛び火してしまいました。

確かに、日本の神話も、イザナギとイザナミの国生みの話は有名だけど、未来の話って語られないのかなぁ。

あと個人的には、本書を読むとウズウズと絵が描きたくなりました^^

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『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』|ニッチに好きな仕事をしよう

こんにちは。あさよるです。橘玲さんの本が面白かったので、続けて読んでみます。橘玲さんの本はタイトルが煽り気味で、タイトルからじゃ内容が読めないですねw 今まで読んだ中で本書『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』が一番、中身がさっぱりわからないタイトルでした。

結論を見ると「なんだ、そんなことか」というありきたりなオチに行きつくのですが、そこへたどり着くまでの理屈が本書です。結論だけを言うのは簡単ですが、その理由を述べるのは大変。

最後まで結論の見えない本だったので、やや苛立ちながら、だけどスイスイ読みやすい文体で、面白かったです。

ニッチな仕事の見つけ方

橘玲さんの『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』は、めちゃ超大雑把に言っちゃえば「ニッチな仕事を見つけよう」という内容です。

毎度、橘玲さんの本はタイトルが煽り気味なので、タイトルから本書の結論がなかなか見えませんね。実際読みながらも、最終章に辿り着くまで「え……この本は何の話をしてるんだ……」と行く先のわからないミステリーツアーに連れ出されているような気分でした(;’∀’)(;’∀’)

社会が大きく変化し続け、価値や人とのつながりもダイナミックに変動する時代、生き残るには「ニッチな仕事を見つけましょう」と言うのは簡単ですが、「なぜニッチな仕事をすべきなのか」という理由を丁寧に解説するのが本書です。

端的に言えば「幸せに生きるため」。そのためには自分だけの、特別な仕事をすべきなのです。そして自分だけの特別な仕事は、変化の時代の中でも、自分の道を指すものとなるでしょう。で、じゃあ、どんな仕事が自分の特別な仕事かと言いますと、それは「好きなこと」を仕事にすることです。

……結論だけ抜き出して紹介すると「くだらねー」と思っちゃいます、よね? しかし、その結論に至るまでの理屈を述べると一冊の本になっちゃった! という。

能力はそんなに上がらない

わたしたちは持って生まれた遺伝的な要素と、後天的に見に着けた環境要因を半分半分持っているそうです。だから、遺伝的に決定されてしまっていることも結構あるし、一方で後天的にどうとでもなることも結構あるのです。

「親の心子知らず」と言いますが、親のしつけや教育よりも、その人が属しているコミュニティで多くのことを学びます。自分の子ども時代を思い出すとよくわかるんじゃないでしょうか。友だちとの遊びの中で多くのことを良いことも悪いことも学びました。

だから、頑張ったからって何か特殊能力が身につきません。半分は遺伝なんですから。だけど、早々捨てたもんじゃない。もう半分は環境で変わるんだから。

世界は変えられないけど、自分は変えられる

世界を変えるような大きな力を持っている人は稀です。多くの人は、自分の家族や友人すら変えられません。だけど、自分の認識は変えられます。涙が出たとき、花粉症で涙が出たと思うのか、悲しくて涙が出たと思うのかは、自分の考え次第……カモ。

簡単に支配されちゃう

わたしたちは結構簡単に支配されちゃうようです。普段自分では絶対にしないようなことも、人に指示されると簡単にやっちゃうこともあります。有名な心理学実験では、スイッチを押すと電流が流れる椅子に人を座らせ、被験者にどんどん強い電流を流すよう指示してゆきます。椅子に座った人が悲鳴を上げても、「実験だから」と言われるとスイッチを押しちゃう人が多発しました。

人は意外にも、自分の意志よりも、周りの環境や相手との関係性で、簡単に人の言うことを聞いちゃうみたいです。

誰のものでもない、自分の幸福見つける

わたしたちは、どんなに頑張ったからって適性のない事柄は伸びないようで、自分に向いたことをやった方が現実的なようです。生まれ持った要素は変わらないけれども、環境要因で変わる要素もたくさんあります。他人や世界は変えられないけれど、自分自身を変えることはある程度できるのです。

わたしたちは気をつけないと簡単に人に支配されちゃいます。自分の幸福を考えるとき、人に操られず自分基準で考え、行動できると良いですね。自分の運命を自分で決定できることは、幸福感に影響します。

どんな世界・業界でもスターがいて、ごくごく限られた一部の人だけがスポットライトを浴びています。だけど、それ以外にもその業界に従事する人がいて、それなりにやっていたりします。分かりやすいのは、CDやiTunesで曲が売れてテレビに出まくる人もいますが、インディーズでCDをリリースしてライブハウスで活動している人もいます。どちらもそれぞれの生き方で、どちらが良い/悪いものでもありません。

同じようにわたしたちも、その業界のスーパースターにならないかもしれないけれど、好きなことをやって、ニッチなニーズに応えることができます。ちなみに、「自分の好きなこと」というのは、必ずそのジャンルが存在すると本書に書かれていて、なるほどと納得しました。自分が「わたしはこれが好きだ」と言語化できている以上、その概念が存在する分野なんですよね。

で、スーパースターにはならないかもだけど、好きでニッチなことをやることが、激動の今を生き残る戦略になるだろうと結ばれています。

元気が出る? イラっとする?

本書『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』の「好きなことをやる」という結論に、励まされて元気が出る人もいれば、「そんな上手くいくわけない」と苛立つ人もいるんじゃないかと思います。あさよるは前者です。「好きなことをやればいいんだ」というのは福音に思えます。

というか、能動的に「自分がすべきこと」を考えてやっている限り、面倒で嫌いな仕事を含んでいたとしても、それでも大きくとらえれば「自分のために好きでやってる仕事」と考えられます。だってクビにされたら困るんだもん。自分のために、自分の都合で仕事をしていて、他人に無理やりやらされているわけではないんです。で、どうせやるなら、一から十まで嫌なことをやるよりは、多少なりとも好きな瞬間がある仕事をやるのがいいなぁと思います。

ただ、あさよるも、本書は最終章に辿り着くまで結構イライラしながら読みました(苦笑)。だって、タイトルからじゃ内容がわからなかったし、「結局何を言ってるんだ!」とw 読み終えてから、目次を読み返し、全体の構成を俯瞰すると「なるほど」と。最後までオチがわからないって、小説じゃないんだから! とツッコみたい気持ちもありますw

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『漫画 君たちはどう生きるか』|私たちは誰に当てはまるのか

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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池上彰『高校生からわかるイスラム世界』|今を知るには歴史が必要

池上彰先生のイスラムの授業

本書『高校生からわかるイスラム世界』は、テレビでおなじみの池上彰さんが、イスラム教やイスラムの歴史、イスラム世界にまつわる現在の国際問題までを解説するものです。「高校生からわかる」とあるように、10代の人向けで、社会科の教科書だけでは扱いきれていない話や「世界史」「現代社会」などと教科別ではなく、「イスラム世界」というテーマで話題が扱われます。教科を超えて、より広い視点で世界を眺めることができるでしょう。

日本にもイスラム教徒はいますが、あまり身近ではない存在の人も多いのではないでしょうか。あさよるも、キリスト教徒の人は知り合いにもいますが、イスラム教徒の人はいないんで、「知識としては知っているけど……」という存在だったりします。

しかし、世界的には、イスラム教徒の数はどんどん増えていて、近い将来、キリスト教徒の数を上回るそうです。また、アジアの国々でも、ヨーロッパでもイスラム教徒はたくさんいますから、日本が例外的な立地なのかもしれません。

で、池上彰さんといえば「わかりやすい解説」ですよね。もちろん本書『高校生からわかるイスラム世界』でも、やさしく話しかけるような文体で、とてもわかりやすい!

イスラム教は怖い?

本書の冒頭では、高校生の前で講義をする際、池上彰さんが生徒たちにイスラム教のイメージを訪ねた話題から始まります。生徒たちは「怖い」「暗い」「他の宗教より激しい」という答えだったそうです。高校生に限らず、大人たちも同じようなイメージを抱いている人は多いんじゃないでしょうか。

イスラム教について知識が乏しければ「自分の知らない存在」ですから、得体が知れなく「怖い」と感じてもおかしくないでしょう。その上に、ニュースではイスラム世界で起こっている紛争やテロの報道が続いています。そりゃあ「怖い」「暗い」「他の宗教より激しい」と思う人もいるでしょう。

しかし、イスラム教は世界三大宗教であり、ほとんどの圧倒的多数の人は「普通の人」なんだろうなぁと想像します。それは、日本人の中にも悪い奴も時々いますが、まぁ概ねほとんどの人は「普通の人」であるのと同じじゃないでしょうか(「普通の人」というのは「聖人君子なわけでもないけど、極悪人でもない」という感じで)。

まずは「得体の知れない存在」から「知っている存在」に変えることは、自力でできます。その入り口に本書『高校生からわかるイスラム世界』にいいんじゃないでしょうか。

10代へ世界の常識を

本書『高校生からわかるイスラム世界』で扱われる話題は、

  • イスラム教とは。コーランとは
  • ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係
  • イスラム教徒の戒律や習慣
  • イスラム「原理主義」とは
  • イスラム教を取り巻く国際問題(中東問題や、ユダヤ世界、エルサレム、湾岸戦争など)
  • イスラム世界のこれから

ざっとこんな感じ。

大人も、ややこしい話はわからないor忘れちゃってる部分があるでしょうから、「高校生からわかる」シリーズですが、本書は大人こそオススメだったりします。というか、「高校生からわかる」ってネーミングいいですね。昔は「サルでもわかる」とか、最近だと「中学生からの」みたいなタイトルの本が多いですが「高校生からわかる」というのは、サルでも中学生にもわからない、難しい話を扱っている感じがしますw

なんで歴史を学ぶのか?

夏休み中帰省していた親戚と「子どもの頃、なんで歴史なんか勉強しないといけないのかと思っていた」という話をしました。「大人になると義務教育で習ったことは知ってないといけないんだとわかった」という話です。

「歴史をなぜ学ぶのか」というのは、「お母さんはなぜ起こっているのか」という話と同じだろうと思います(笑)。お母さんは別に、今日、我が子が生まれて初めて部屋を散らかしっぱなしでゲームをしているから怒っているわけではないでしょう。たぶん、過去にも同じようなできごとが散見されていた結果として、今、怒っているんだろうと想像されます。

「今、なにかできごとが起こる」のは、過去になんらかの理由や原因が複数あって、それらが絡み合い、重なり合い、なにがなんだかわからなくなりながら、「今」がある。その瞬間瞬間はランダムに起こるできごとでしょうが、それらを振り返ると軌跡となっていて、それが「歴史」になっているんじゃないかと思っています。

現在の国際問題について知るには、モーゼやノアの時代の話題が飛び出すというのは、「歴史は必要なんだ」というのをよく表していますね。よく「歴史から学ぶ」という言い回しがありますが、あんまりそれは的確じゃなくって、「今を知るために、過去を知る」という感じじゃないかなぁと思います。

あと、世界の戦争や紛争のニュースは、キリスト教やユダヤ教の問題でもあるのに、イスラム教ばかり「怖い」と思われてしまうのは偏った話だなぁと思いました。

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『おおきく考えよう』|中身が入れ替わってもオリジナル?

『おおきく考えよう: 人生に役立つ哲学入門』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。こう毎日暑いとなんにも考えたくないですよね。ということで、ボーっとした頭であえて、頭がこんがらがるような哲学を扱った本を手に取ってみましたw といっても、本書は10代向けの本で、ページのほとんどはイラストで構成されています。

しかし、書いてある内容を理解しながら読むとなると、じっくり腰を落ち着かせて読まないと、前後の話がわからなくなるような読みごたえはありました。

「考える」ことはやめられない

本書『おおきく考えよう』はサブタイトル「人生に役立つ哲学入門」とあるように、はじめて哲学的な内容に触れる10代向けに書かれた本です。本と言っても、文字は少なくイラストが紙面のほとんどで、ビジュアルから「考え」をイメージできる工夫がなされています。

子ども時代の思考ってとことん具体的で、成長過程で抽象思考が身についていきます。大人に近づくステップとしてこの『おおきく考えよう』は役立つんじゃないでしょうか。

と言っても、大人が読んでも物足りなさはありません。というか、大人のほうがこんな本が好きかもね。

悩める若い人に語りかける

本書『おおきく考えよう』で問いかけられる哲学的話題は、「生きるってなんだろう」「社会ってなんだろう」「男と女って違うのかな」といった第一章「すべての生きもののなかで、いちばん幸せ」。

第二章「おなじ川に2度、入ることはできない」では、変わりゆくもののなかで「今、ここ」や「これ」「私」とはなんだろうと考えるきっかけに。哲学者ヘラクレイトスは「同じ川に2度、入ることはできない」と言いました。川はどんどん流れてゆきますから、さっき入った川の水は、次に川に入るときははるか河口へ流れ去っています。だから「同じ川には入れない」というワケ。同じような話で「ボートの板を1枚ずつ替えるとしよう。1枚のこらずべつの板と交換した場合、できあがったボートは、もとのボートと同じものかな?」とイラストが語りかけてきます。これは刻々と、新しい細胞が生まれ、死んで、細胞がすっかり入れ替わってしまっても「自分は自分」と言えるのか?という問いに繋がります。

『おおきく考えよう: 人生に役立つ哲学入門』挿絵イラスト

ちなみにこの、ボートの板をすべて入れ替えても、最初と同じボート言えるか」あるいは「新しく組み立てたボートは元の同じボートと言えるか」という問いは、日本建築に当てはまります。例えば、奈良にある法隆寺の五重塔は世界最古の木造建築と言われていますが、修繕が重ねられ、本当に法隆寺建立当時から使われているオリジナルの木材はほんの一部分だけです。新しい材木にほぼ入れ替わっている五重塔を「世界最古」と言えるのか?

あさよるは先日、京都の平等院へ連れてもらったのですが、最近、平等院が修繕されてキレイになったんですよね。ほぉ~と眺めながら「これは〈新築〉に見えるなぁ~」なんて思ったりw 日本人的感覚だと〈リフォーム〉は、新築ではないから、「昔からここにあるもの」なんですね。これは、日本人的な感覚と、西洋哲学的考えの違いの例としてよく挙げられる話ですね。

『おおきく考えよう:人生に役立つ哲学入門』イメージ画像

話は戻って、第3章では、物事の本質を見ること。第4章は空想、創造の幅を広げること。第5章では、人生の意味について尋ねられます。

答えのない問に耐えられる?

本書『おおきく考えよう』は、疑問や考え方を提示されますが、答えらしい答えはなにもありません。そもそも答えのない問いだからです。もし、予め正解が想定された問題ばかりに慣れているのなら、最初から答えの存在しない問いは苦痛に感じるかもしれません。

「本書は10代向けで、若い人にオススメ!」と言いつつ、当のあさよる自身、10代の頃は本書を読めなかっただろうと思いますw まるで言葉遊びをして、からかわれているような気になったろうと思うから(苦笑)。

本書はイラストが大半で、絵本のような作りですが、意外と読み解ける子どもは少ないのでしょう。大人受けする本だと思います。その上で、本書に挑戦する10代の人がいるといいなぁと思います(`・ω・´)b

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『はじめての嘘の心理学』|嘘を見抜けば誰もが〈正直者〉

『はじめての嘘の心理学』挿絵イラスト

こんにちは。嘘をつくのが下手な あさよるです。より正確にいうと、嘘をついても途中で嘘の設定を守り続けるのが面倒くさくなって、投げ出しちゃうというのが正しいw 嘘はバレるというよりも、「嘘をバラしてしまう」という感じでしょうか。なので、なるべく嘘は言わないように気を付けています。まあ、正直にズケズケモノを言いすぎるのは、嘘つきよりも嫌われる気がしますが(苦笑)。

今回手に取ったのはゆうきゆうさんの『はじめての嘘の心理学』です。ゆうきゆうさんって、ネットでマンガを読んだことがありましたが、本で読むのは初めて。本書ではマンガは すぎやまえみこさんが担当なさっています。

3つの嘘ツキがいる

本書『はじめての嘘の心理学』では、人の「嘘」をテーマに心理学的なアプローチで、人の本音を探る内容です。言葉のみならず、ジェスチャーや姿勢などの非言語の情報も使って、心理学的に「嘘」を見抜いてやろうという試みなのです。嘘をついているとき、外見や仕草に焦りや後ろめたさが表れるそうです。手足の動きや視線、表情、姿勢、話し方をチェックしましょう。

ます「嘘」とは「だますことによって、ある目的を果たそうとする意識的な虚偽(真実ではないこと)の発言」と定義されています。嘘には3つの特徴があります。

1 虚偽の意識がある

虚偽とは「偽り(本当ではないこと)と意識的に真実(本当)のように見せかけること」をいいます。つまり、嘘つきは自分の話していることや書いていることが真実ではないと知っているのです。

2 だまそうとしている

本当ではないこと、事実とは違うこと、間違っていることを相手にしんじこませようとします。つまり、嘘つきは意図的・計画的に相手をだまそうとしている人のことです。

3 嘘の目的が明確である

自分が利益を得たり、悪口や避難から逃れたり、あるいは自分を守るためだったりなど、嘘をつく目的がはっきりしています。ただし、必ずしも自分の利益のためだけではなく、他人やグループ、集団のために嘘をつく場合もあります。

p.3

よって、勘違いや記憶違いなど、本人が真実だと思って言う嘘は、ここでは「嘘」には含まれません。本書では、意図的に「嘘」をつき、自分や自分の属する集団が利益を得るための嘘を見破るためのテクニックが紹介されています。

マンガと解説を、他人事のように笑って読もう

本書は一つの嘘のシチュエーションごと、見開き2ページで構成されています。見開きの3/2の面積はマンガと図解です。このマンガもコミカルで楽しいのが本書の良いところ。「ほうほう、こんな人いるな~」「ああ、この発言聞いたことあるー」と、自分のことを棚に上げて読むと楽しいものです。

反対に、自分の言動に当てはめた途端、冷や汗が……あさよるは、嘘をつき通すのが面倒なので、嘘はつかないように気を付けているのですが、自分でもなんだかよくわらない見栄を張ったり、意味のない嘘を言ってしまうことがあります。何かを「隠したい」という本音が無意識に働いているのでしょうか……。

また同時に、顔色一つ変えずに嘘をつく人や、完全に自分の都合の良いように記憶を改ざんしているとしか思えない人がたまにいますが、本書を読むと想像以上に「ヤバイ人」なのかも……と不安になってきました。嘘をつくと、なんらかの「後ろめたさ」が隠せないのが普通なのに、平然と嘘を吐き通せるって……。

嘘で本音がわかる

本書の面白いところは、「嘘」を扱っているのですが、その嘘が見破ることができれば、人は饒舌に「真実を語っている」ということになります。嘘は「騙されるから嘘」なのであり、騙されさえしなければ、相手は饒舌に真実を語る者のように見えるかも?

また、騙されやすい人も紹介されています。

  • すぐにその気になりやすい(話を真に受けやすい)
  • はっきり断れない
  • 「お得」に弱い
  • おだてられると嬉しい
  • 自分は騙されないと思ってる
  • 権威に弱い、ブランド物に弱い
  • 深く考えるのが苦手
  • お人好し、人を信じてる方が楽だと思ってる
  • 自信がない
  • 不安感が高い

自分が騙されやすい人に当てはまっているなら、自分に言い寄ってくる人は「騙そう」としているのかも? という警戒の仕方もアリでしょうか。

嘘はバレている

『はじめての嘘の心理学』挿絵イラスト

本書『はじめての嘘の心理学』を読んでわかったのは、「嘘はバレる」ということw ご自身に「絶対バレない」という自身がおありなら別ですが、そうでないなら、嘘は必ずバレていると考えておく方が無難そうです。なぜなら、嘘の事例がたくさん挙げられているんですが、どれも「見たことある」し「多分同じ状況なら気づくだろう」と思うものばかりだから。

また、相手を騙して自分の利益を得るための「嘘」には、「見栄」やコンプレックスを隠す嘘も含まれます。思わず見栄を張ったり、虚勢を張っても、やっぱり不自然だし、いつかそのうち相手に伝わっちゃうんじゃないかと思いました。なので、見栄やコンプレックスも、「相手にバレている」と考えておいた方が無難かも。

それを踏まえた上でも、嘘をついたり見栄や虚勢を張っちゃうのが「人情」ってもんですから、相手の嘘も多めに見るようにしようと思います。なぜなら、自分もまた誰かに多めに見てもらってるだろうから。

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『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』|死んだら地底か来世なのか

『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるは「前世」とか「来世」とか思想を持っておらず、その言葉自体をあまり使わないのですが、それでも慣用句のように「前世はよっぽど~」とか「このままじゃ来世は~」なんて言い回しをすることがあります(稀に)。

みなさんにもそれぞれ、ご自身の「世界観」がおありでしょう。それは、幼いころから慣れ親しんだ世界観、死生観もあるでしょうし、生きてきた中でハイブリッドな考えに至った部分もあるでしょう。みんな同じ道をゆく身ですから、多かれ少なかれ共感しながら生きているように思います。

『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』は古今東西の人々の死生観をざっくり大まとめに紹介するものです。概要的内容ですが、古代ギリシア、古代エジプトから、キリスト教、仏教、イスラム教の世界三大宗教、そして日本人の死生観まで幅広く取り扱います。

面白く生々しく、そしてやっぱりちょっと怖い「死後の世界」を覗いてみましょう。

ズラリ世界の「死後の世界」

本書『人は「仕事の世界」をどのように考えて来たか』では、世界中の「死後の世界」観を一挙に紹介するものです。扱われているのはザッと「古代ギリシア・ローマの冥界」「古代オリエントの死後と終末」「キリスト教の地獄・煉獄・天国」「インドの輪廻転生」「大乗仏教と東アジアの来世」そして「現代の死後の世界」です。

冒頭では、現代の我々の「死後の世界」観の変化について触れられています。それは、日本人も今や「天国へ行く」という表現を使う人が増えたとう点です。天国というキリスト教的な世界観が普及しているのが見て取れます。

宮沢賢治の「来世」

かつて……宮沢賢治は妹をなくし、ノイローゼになっています。賢治の父は浄土真宗の信者でありましたが、浄土真宗の個人主義的な極楽浄土の世界観よりも、慈善活動を行うキリスト教や日蓮宗の方がリアルに感じていたようです。しかし、妹の死によって、日蓮宗的な来世観が賢治を苦しめます。

賢治が信じていた公式通りの輪廻観によれば、死者はみなバラバラの運命をたどる。身内どうしがまた再開できるといったものではないのだ。(中略)日蓮宗ではみんなが極楽浄土で会えるという立場を取らないから、どうしてもこの、バラバラの死後世界に耐える必要が出てくるのだ。(p.270)

そして、妹が「地獄へ向かったかもしれない」ことを思い、恐怖します。賢治は輪廻転生を信じ、地獄に落ちることを心配していますが、

そうした輪廻神話よりも法華経のパワーの方が優位に立つことを確信し、輪廻をめぐるノイローゼから解放されている。
つまり、賢治にとって、宗教のロジックは呪縛にも解放にもなっているのである。輪廻信仰は呪縛となっている。しかし法華経の信仰は救済となっているのだ。源信が描くような地獄堕ちの恐怖は、阿弥陀の救済によっても法華経の救済によっても無化され得るということらしい。

p.280

宮沢賢治の死や物語にある、「死」のイメージは、ダイレクトに彼のテーマでもあったのですね。あさよるは、ユニークな地獄絵図のなんかを見てると「地獄は愉快そうだなぁ」なんて気楽に考えていましたが、宮沢賢治ともなると突き詰めて考えるものなのですね。

世界の神話はなんとなく似ている

本書では古代ギリシアから日本の死後の世界まで広く紹介されるのですが、神話の世界はどことなくみんなよく似ています。太陽神がおり、地下に黄泉の世界があり、死んだ神様や人は黄泉へ行きます。ギリシア神話では、これを「冥界」と呼びます。

仏教には極楽浄土と地獄がありますが、キリスト教にも天国と煉獄があります。これらの元ネタになったであろうゾロアスター教や、エジプト人、ペルシャ人のオリエントの死後と終末の世界があります。

エジプト人は死後の世界に備えてミイラをせっせとつくっていただけでなく、死んで復活した神が冥界で死者を審判するという神話をもっていた。ゾロアスターの徒は神々も自然も善と悪の二つのカテゴリーに分け、個人の死後の審判と世界週末のときの審判の二重の審判の思想を持っていた。どちらの宗教の神話も、どこかしら聖書の神話に似ているのである。(p.65)

エジプトの神様は、太陽神ラーと、冥王オシリスが有名ですね。死ぬと冥界に行って、オシリスの審判を受けなければならないそうです。エジプトの閻魔様なのです。古代エジプト人にとって大事なのは、オシリスの楽園で永遠の生を受けることでした。

エジプト宗教とゾロアスター教を眺めると

「神の死と復活」「死後の審判」「天国(楽園)と地獄(破壊)」「神と悪魔の対立」「終末・救世主・死者の復活・審判」という、後世の一神教世界の道具立てによく似たものが概ね出揃っていた。(p.82)

エジプト宗教とゾロアスター教がユダヤ教、キリスト教、イスラム教にどう影響を及ぼしたかは不明で、なんともいえないそうですが、世界の死後の世界観は「だいたい似ている」のは分かります。

インドでは、輪廻思想が体系としてまとめられました。

インドといえば輪廻、輪廻といえばインドというぐらい、インド思想と輪廻思想は深く結びついている。全世界に転生の思想はあるが、それを厳格な体系としたのはインド人だたからである。ヒンドゥー教(紀元前二千年紀から)、仏教(前五世紀ごろから)、ジャイナ教(同)、シク教(後十五世紀ごろから)と、インド発の宗教はいくつかあるが、いずれも輪廻思想を世界観の根幹に置いている。(p.169)

輪廻信仰は近代になってから西洋にも広がり始めているそうです。

そのヒンドゥーから派生したのが仏教だとされます。

開祖の釈迦は解脱を目指すにあたって、婆羅門的伝統に距離を置いて独自路線を追求し、快楽でもない、苦行でもない、「中道」を行くという大きな指針を打ち立てた。ヒンドゥー教のヨーガ行者などはむしろ好んで派手な苦行を行う。文教の修業は相対的に穏やかなものだといわれている。(p.188)

世界の代表的な宗教が、絡まりながら流れになっている様子が面白かったです。

『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』挿絵イラスト

さて、死後の世界は?

普段の会話の中でも「前世は~」とか「死んだら~」なんて言葉が飛び出します。死や死後の世界は「馴染み深い」とも言えるし、だけど宮沢賢治のように突き詰めて考えている人ばかりではないだろうと想像されます。あさよるは「考えても仕方のないことは考えない」ので、死んだ後のことに興味がありません。

……なーんて言いながら、一人でふと「今回の人生はツイてないな」なんて思うこともあります。また、小学生の甥が「俺はママのお腹を選んで生まれてきた」と話していて、「ほう、今はそんな教育がされているのか」なんて思いました。個人的には、その考え方は「どうなんだろう」とギモン(BADな環境にある子にも「そこを選んで生まれてきた」と言わすのだろうか。んで、反抗期を迎えたとき「パパとママを選んで生まれた」は全員にとっても苦行じゃないのかと/苦笑)。

生きている限り「死」のイメージはつきまといます。初めて「ピンピンコロリ」という文言を読んだときギョッとしましたがw、今や新たに出版される健康指南本は「ピンピンコロリ」を目標にしているものばかりで、何も感じなくなりました。高齢社会、人生100年時代というのは、こうもあっけらかんと死を語る時代なんですね。

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『それをお金で買いますか』|私の〈心〉も見積もられてるの?

『それをお金で買いますか』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。以前、マンガ家の蛭子能収さんの『笑われる勇気』にて「人の心はお金じゃ買えないが、オレの心はお金で買えます!」と断言されており、逆にカッコイイとすっかり気に入ってしまいました。

しかしホントのトコロ、人の心はお金で買えるのか? あるいは「人の心をお金で買ってもいいのか」? 難問だと思いませんか? この問いは、「YES」と答える人と「NO」と答える人がパッカリ二つに分かれる問いだと思うのですが、いかがでしょう。

今回は、白熱授業でおなじみのサンデル先生の市場倫理のお話です。

「公平」「常識」「正しい」ってなんだろう?

本書『それをお金で買いますか』は、「白熱授業」でおなじみのマイケル・サンデル先生の「市場主義」について言及された書籍です。数多くの事例が次々と提示され、「これをお金で買うのはアリ?」と語りかけられます。

例えば「お金を払うと行列に並ばなくていい権利」が買えることが、日本でも大っぴらに周知されるようになりました。ユニバーサルスタジオジャパンでは、「ロイヤル・スタジオ・パス」というアトラクションの待ち時間が短縮されるチケットが販売されています。お金で行列に割り込むのはアリ? では別の例として、アメリカでは、お金を払うと医師の携帯電話の番号を教えてもらえるサービスが増えてるそうです。お金を払うと、医師と直通電話がつながり、通院の待ち時間も短縮できます。お金で順番に割り込むのはアリ?

育児放棄を減らすプロジェクトとして、薬物中毒者の女性が避妊手術や長期の避妊を行うと、現金を支払らう慈善団体があるそうです。薬物中毒者の子どもは生まれたときから薬物中毒で、その多くは虐待や育児放棄に遭います。だからあらかじめ、薬物中毒の女性を不妊にしておくことで、社会問題を解決しようとしています。このやり方はアリ? 中国の一人っ子政策では、都市部で二人目の子どもを産むと罰金になりました。それは「罰金を払えば二人目を産める」とも解釈できます。社会が、お金のあるなしで産める子どもの数を制限するのはあり? 別の例では、成績のよい子どもにお金をあげたり、資産家の子息はお金を払うと有名大学へ入学できるのはアリ? など、命の価値や、教育や環境のお金の話が取り上げられます。

ホントに「なんでも買える」のだろうか?

本書で度々「罰金」と「料金」の関係が登場します。ある託児所では子どもの迎えの時間に遅れて来る保護者がいることから、遅刻すると「罰金」を導入しました。それで遅刻は減ると考えたからでした。しかし実際には逆でした。罰金を導入後、遅刻をする親が増えたのです。それは、罰金導入前の保護者達は、迎えの時間が遅くなると保育士たちに対して「申し訳ない」と恐縮していたのですが、罰金導入後は「料金を払えば延滞できる」と考えるようになり、堂々と時間をオーバーするようになったのです。

「お金」を徴収することにより、「何か」が失われ、新たな「何か」が表れる良い例でしょう。

しかし、同じような例で、受け取り方の違う事例もあります。それはレンタルショップの延滞料金。かつて、映画のビデオテープをレンタルし、返却が遅れると客側が「申し訳ない」気持ちになっていたし、店側は「遅れやがって」という態度丸出しだったと本書では書かれています。日本の昔のレンタルビデオ屋も、なんとなく同じような雰囲気はあった気がします(みなさんはどうですか?)。しかし、考えるまでもなく我々は「客」であり、一日延滞するごとに料金もきっちり支払っているのですから、申し訳なく思う必要はありません。

託児所の例と、レンタルビデオ屋の例は、同じような話なのですが、なんとなく違う気がするのはなぜでしょう。

「タダ働き」させる方がヤル気が出るなら

『それをお金で買いますか』挿絵イラスト

本書の興味深い例は、ボランティアの話です。学生を3つのグループに分け、Aグループにはこの活動の素晴らしさだけを解きます。BとCには理念と、出来高制で報酬を支払いますが、BよりCの方が受け取れる割合を高く設定します。この3つのグループのうち、一番多くの成果を出したのは、Aでした。次いでCグループでしたが、Aの成果にははるか及びません。

わたしたちは、「お金を貰って働く」よりも「無償で働く」方が、よりヤル気が出てたくさん働いく場合があるようです。考えてみれば、「ボランティア」はなにか自分の良心を試されているような感覚も無きにしも非ずで、「手を抜くことは人間性に関わるような気持ち」があるような気がします。しかし「時給950円」と言われると、「950円分の仕事しかしなくていい」と感じます。そしてもっと多くの働きを求めらえると「じゃあ時給を増やせ」と思うだけで、期待に応えようとは思えません。

「タダほど高いものはない」と言いますが、実際に、報酬を与えるよりも、タダ働きさせる方が成果が上がるなら……。

この話は、自分が「働く側」なのか「働かせる側」なのかによって捉え方が180度変わります。

私たちは「やりがい搾取」を求めている?

本書の例では、核廃棄物の処分場になった町民に手当てを支給すると、それを拒否した住民が多数いました。それは、自分たちは社会のために意義のある働きをしているのに、お金を受け取ることで「賄賂で動いたことになってしまうから」と考える人が多かったようです。

ときにわたしたちは、お金を差し出されても、受け取るのを拒否することがあります。お金を受け取ることで、自分の矜持や信念が汚れてしまうと考える場合です。それは美しい話なのか、はたまた労働者のプライドすらも利用して、労働力を刈り取られているのか、どう考えればよいのでしょう。

立場によって志向が変わる

あさよる個人的には、本書を読んで「もらえるお金はもらっておこう」と思いました(苦笑)。それはつまり、自分の信念やプライド、美意識などとと、お金は別の話ではないかと思ったからです。詳しく言うと、市場では、消費者のそのような「プライド」さえも予め見積もられていて「足元を見られている」のだというのが、透けて見えた気がしたからです。

「みんなのため」に働くのは大切なことですが、それと「タダ働きをする」のは別の話です。消費を煽り、労働者を雇う側の人たちは、事前に彼らの「お金に換算できないこと」も織り込み済みなんだなあと知ったのでした。それなりの報酬を求めることは悪いことじゃないんだなあというのが、あさよるの本書『それをお金で買いますか』を読んだ感想でした。

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