哲学

『漫画 君たちはどう生きるか』|私たちは誰に当てはまるのか

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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『それをお金で買いますか』|私の〈心〉も見積もられてるの?

『それをお金で買いますか』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。以前、マンガ家の蛭子能収さんの『笑われる勇気』にて「人の心はお金じゃ買えないが、オレの心はお金で買えます!」と断言されており、逆にカッコイイとすっかり気に入ってしまいました。

しかしホントのトコロ、人の心はお金で買えるのか? あるいは「人の心をお金で買ってもいいのか」? 難問だと思いませんか? この問いは、「YES」と答える人と「NO」と答える人がパッカリ二つに分かれる問いだと思うのですが、いかがでしょう。

今回は、白熱授業でおなじみのサンデル先生の市場倫理のお話です。

「公平」「常識」「正しい」ってなんだろう?

本書『それをお金で買いますか』は、「白熱授業」でおなじみのマイケル・サンデル先生の「市場主義」について言及された書籍です。数多くの事例が次々と提示され、「これをお金で買うのはアリ?」と語りかけられます。

例えば「お金を払うと行列に並ばなくていい権利」が買えることが、日本でも大っぴらに周知されるようになりました。ユニバーサルスタジオジャパンでは、「ロイヤル・スタジオ・パス」というアトラクションの待ち時間が短縮されるチケットが販売されています。お金で行列に割り込むのはアリ? では別の例として、アメリカでは、お金を払うと医師の携帯電話の番号を教えてもらえるサービスが増えてるそうです。お金を払うと、医師と直通電話がつながり、通院の待ち時間も短縮できます。お金で順番に割り込むのはアリ?

育児放棄を減らすプロジェクトとして、薬物中毒者の女性が避妊手術や長期の避妊を行うと、現金を支払らう慈善団体があるそうです。薬物中毒者の子どもは生まれたときから薬物中毒で、その多くは虐待や育児放棄に遭います。だからあらかじめ、薬物中毒の女性を不妊にしておくことで、社会問題を解決しようとしています。このやり方はアリ? 中国の一人っ子政策では、都市部で二人目の子どもを産むと罰金になりました。それは「罰金を払えば二人目を産める」とも解釈できます。社会が、お金のあるなしで産める子どもの数を制限するのはあり? 別の例では、成績のよい子どもにお金をあげたり、資産家の子息はお金を払うと有名大学へ入学できるのはアリ? など、命の価値や、教育や環境のお金の話が取り上げられます。

ホントに「なんでも買える」のだろうか?

本書で度々「罰金」と「料金」の関係が登場します。ある託児所では子どもの迎えの時間に遅れて来る保護者がいることから、遅刻すると「罰金」を導入しました。それで遅刻は減ると考えたからでした。しかし実際には逆でした。罰金を導入後、遅刻をする親が増えたのです。それは、罰金導入前の保護者達は、迎えの時間が遅くなると保育士たちに対して「申し訳ない」と恐縮していたのですが、罰金導入後は「料金を払えば延滞できる」と考えるようになり、堂々と時間をオーバーするようになったのです。

「お金」を徴収することにより、「何か」が失われ、新たな「何か」が表れる良い例でしょう。

しかし、同じような例で、受け取り方の違う事例もあります。それはレンタルショップの延滞料金。かつて、映画のビデオテープをレンタルし、返却が遅れると客側が「申し訳ない」気持ちになっていたし、店側は「遅れやがって」という態度丸出しだったと本書では書かれています。日本の昔のレンタルビデオ屋も、なんとなく同じような雰囲気はあった気がします(みなさんはどうですか?)。しかし、考えるまでもなく我々は「客」であり、一日延滞するごとに料金もきっちり支払っているのですから、申し訳なく思う必要はありません。

託児所の例と、レンタルビデオ屋の例は、同じような話なのですが、なんとなく違う気がするのはなぜでしょう。

「タダ働き」させる方がヤル気が出るなら

『それをお金で買いますか』挿絵イラスト

本書の興味深い例は、ボランティアの話です。学生を3つのグループに分け、Aグループにはこの活動の素晴らしさだけを解きます。BとCには理念と、出来高制で報酬を支払いますが、BよりCの方が受け取れる割合を高く設定します。この3つのグループのうち、一番多くの成果を出したのは、Aでした。次いでCグループでしたが、Aの成果にははるか及びません。

わたしたちは、「お金を貰って働く」よりも「無償で働く」方が、よりヤル気が出てたくさん働いく場合があるようです。考えてみれば、「ボランティア」はなにか自分の良心を試されているような感覚も無きにしも非ずで、「手を抜くことは人間性に関わるような気持ち」があるような気がします。しかし「時給950円」と言われると、「950円分の仕事しかしなくていい」と感じます。そしてもっと多くの働きを求めらえると「じゃあ時給を増やせ」と思うだけで、期待に応えようとは思えません。

「タダほど高いものはない」と言いますが、実際に、報酬を与えるよりも、タダ働きさせる方が成果が上がるなら……。

この話は、自分が「働く側」なのか「働かせる側」なのかによって捉え方が180度変わります。

私たちは「やりがい搾取」を求めている?

本書の例では、核廃棄物の処分場になった町民に手当てを支給すると、それを拒否した住民が多数いました。それは、自分たちは社会のために意義のある働きをしているのに、お金を受け取ることで「賄賂で動いたことになってしまうから」と考える人が多かったようです。

ときにわたしたちは、お金を差し出されても、受け取るのを拒否することがあります。お金を受け取ることで、自分の矜持や信念が汚れてしまうと考える場合です。それは美しい話なのか、はたまた労働者のプライドすらも利用して、労働力を刈り取られているのか、どう考えればよいのでしょう。

立場によって志向が変わる

あさよる個人的には、本書を読んで「もらえるお金はもらっておこう」と思いました(苦笑)。それはつまり、自分の信念やプライド、美意識などとと、お金は別の話ではないかと思ったからです。詳しく言うと、市場では、消費者のそのような「プライド」さえも予め見積もられていて「足元を見られている」のだというのが、透けて見えた気がしたからです。

「みんなのため」に働くのは大切なことですが、それと「タダ働きをする」のは別の話です。消費を煽り、労働者を雇う側の人たちは、事前に彼らの「お金に換算できないこと」も織り込み済みなんだなあと知ったのでした。それなりの報酬を求めることは悪いことじゃないんだなあというのが、あさよるの本書『それをお金で買いますか』を読んだ感想でした。

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『哲学の使い方』|街角で、哲学をつかおう

こんにちは。あさよるです。以前、鷲田清一さんの『てつがくを着てまちを歩こう』を読み、それまでよくわからんかった「ファション」について興味を持つきかっけになりました。そして、被服をまとうことについて「哲学」するというのも、好奇心かきたてられました。

今回手に取った『哲学の使い方』でも、布を体にまとうように、「哲学」を身近に、肌感覚のあるものであるし、そうあるべきものだと書かれており、興奮冷めやらぬ読了となりました。

「自分らしさ」ってなんだろう?『てつがくを着てまちを歩こう』

〈ガクモン〉から使える哲学へ

本書のタイトル『哲学の使い方』とは、現在「哲学」と言えば大学の限られた学問としてのものであり、西洋哲学を並べて触れること指す状況への提言です。哲学とは、子どもでも年寄りでも、誰にとっても「使う」ものであるし、身近なモンダイを哲学してもいい。

哲学は「である調」の書物に書されるようになったのは最近で、古くは対話形式であったり、エッセイとして書かれたり、詩であったりもしました。だから現代の我々だって、「である調」の哲学をする必要はありません。

本書では一例として〈哲学カフェ〉が挙げられていました。街角で、普通の人たちが集まってテーマについて哲学する。年齢も職業もさまざま。孫くらい年の離れた人と対等に論議する。哲学専攻の学生なんかが進行役をするそうですが、交通整理と最後のまとめをする程度で、特に混乱もなく進むそうです。

哲学カフェについて知ると、ふしぎなことに気づきます。とうして実生活では孫ほど年の離れた人と論議にならないのだろう。どうして友達は同年代に限られているんだろう。どうして「知っていること」を改めて考えることがなかったんだろう。

日本では「哲学」は大学で、やっと触れるものですが、ヨーロッパでは子どもの内から学校で哲学の問いがなされるそうです。さらに日本では、日本の哲学と、西洋哲学の二階建てで、多くは〈西洋哲学の本を読む〉ことが「哲学」な感じがしています。我々は、もっと「哲学」してもいいのかもしれない!

哲学の使い方、入門

本書『哲学の使い方』は、きっと高校生くらいなら読めるはず。ちょっと背伸びした読書が楽しめると思います。

哲学ってムズカシイ、取っつきにくいものじゃなく、身の回りにあるものです。冒頭に紹介した「服を着る」ことや、ポスターのキャッチコピーにだって哲学できます。ソクラテスは街角で対話をすることで哲学をしました。あなたの近くでも、今日も哲学カフェが催されてるかも。一度覗いてみるのも面白いかも。

もちろん、大人が読んでも結構読み応えあります(;’∀’) 哲学勉強された方はどうかわかりませんが、あさよるは結構、読むだけでいっぱいいっぱいでしたよ。しかーし、鷲田清一さんの文体はやわらかで読みやすいのです。

あさよるネットで紹介した哲学の本

『哲学用語図鑑』/田中正人

『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

『はじめての哲学』/石井郁男

『はじめての哲学』|西洋哲学の偉人くらい、知ってるよね?

『西洋哲学の10冊』/中川純男,杉山直樹,石川文康,村山達也,竹内綱史,関口浩,小島和男

『西洋哲学の10冊』を読んだよ

『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』/マイケル・ピュエット,クリスティーン・グロス=ロー

『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

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『スタンフォードの自分を変える教室』|自分の本能の声を聞こう

こんにちは。体調不良のままゴールデンウイークが終わってしまった あさよるです。朝方の寒さでお腹を壊してしまって、スッキリしないままの連休でした(;’∀’) もっと自制して、良いコンディションのまま維持できるようになりたいなぁと。

そこで、『スタンフォードの自分を変える教室』ですよ。口コミでもいい感じですし、自分の生活習慣が変わるやも?と期待して手に取りました。

思っているほど、人の「意志」は働かない

『スタンフォードの自分を変える授業』の著者、ケリー・マクゴニガルさんは心理学者で、心理学や精神科学、医学の研究を下敷きに、本書が作られました。

誰でも納得できるようなたとえ話を用いながら、専門的な話が簡単に説明されています。

「自分を変える教室」を最後まで読んでわかったのは、「自分で思っているほど人の〈意志〉は、強くない」ってコト。自分で「ダイエットしなきゃ」「勉強しなきゃ」「やめなきゃ」と思っても、その通りに動けません。それは、人に元々備わっている〈本能〉の働きが関係しています。

ヒトも動物であり、捕食者から逃れ、狩りをし、飢えをしのいで生き延びてきました。飽食の時代とか、誰もが長生きできる時代なんて、ほんの最近局地的に起こっている現象であって、ヒトは飢えながら敵から逃げて生き延びるためのプログラムが備わっています。そのプログラムがどんなものなのか理解しないと、意志と本能がズレてしまうと、思わぬ結果を招いてしまうのです。

思っているほど「意志」は強くないって前提に立つことで、自分の意志力を最大限に利用できるんだって思います。

人の意志・本能の特性を知れば対処ができる

例えば、疲れていたり寝不足な状態では判断力が鈍り、意志力も下がります。体調管理が意志を変え、行動を変えるってことです。

また、同じことでも「いつやるのか」が大事だったりします。朝の貴重な時間帯、メールチェックに追われるのか、自分の時間に使うのか、自分の意志で割り振ることができます。

また、「甘い物が食べたい」という欲求を上手に使うこともできます。脳が活動するためには糖分が必要ですから、我々は日夜、血糖値を上げるために活動していると言っても過言ではない!? 脳に糖分を適度に補給してやると、意志力もアップします。恐ろしいのは、脳は消費する糖の量を調節してしまうことです。血糖値が低い状態が続くと、脳は糖を使う分量を減らし、勝手に省エネモードになってしまいます。すると、意志力も弱まってしまうのです。「体の仕組みを知る」ってのも、必要なのですね。

シロクマのことは考えないでください

人間の意志の不思議。

シロクマなんて、ふだんは学生たちの頭の片隅にもありませんでした。なにしろセックスと試験のことで頭はいっぱい、話題といえばコーラの新商品は期待はずれでがっかり、なんてことばかり。なのに、そんな彼らがシロクマの虜になってしまったのです。それもこれも、こんな指示を受けたばかりに――「これからの5分間、シロクマのことを考えないようにしてください」。

p.304

「シロクマのことを考えないようにしてください」と指示をされると、シロクマのことが頭から離れなくなってしまう……よくわかる話です。

例えば、子どもに「ジュースこぼしちゃダメよ」と注意すると、ガシャーンとこぼしてしまうのも、この力? ちなみに、「こぼしちゃダメ」と思えば思うほど、あさよるは大人なのにこぼしてしまいますw

意識してしまうと、そのことで頭がいっぱいになってしまう。例えば「太っちゃダメ」と考えると、やってはいけないイメージで頭の中がいっぱいになってしまう。ゲームしちゃダメって思うと、ゲームのイメージが湧いてしまう。悩ましい話です。

また、他人の意志力が「伝染する」というのも面白いです。

不健康な生活習慣の人と一緒に過ごすと、生活習慣が伝染ってしまう……わかる気がします。人は、他人の行動を見ると、知らず知らず真似をしてしまいます。

他人の行動をまねしてしまうということは、誰かがスナック菓子やお酒やクレジットカードに手を伸ばすのを見たら、いつのまにか自分もまねしてしまい、意志力を失ってしまうかもしれないということです。

p.278

これも、経験として「わかる」と思います。スリムな人と一緒にいると、知らずに自分もヘルシーな食べ物を選んでいたりとか、マジメな人と一緒に仕事をすると、自分もピリッと襟を正される感じ。

これも、自分の〈意志〉とは違う、他人からの影響です。

「知る」ことで、変わる

自分の〈意志〉というものは、絶対的ではなく、本能や他人からの影響が大きく働きます。それを悪しきものとするよりも、上手に利用する方が、良さそうです。

「自分を変える教室」は、「自分を知る教室」なのかもしれません。また、大学の講義で扱われているものですから、普遍的で多くの人に当てはまる〈特徴〉です。ヒトの持っている習性と言ってもいいかもしれませんね。

本書は、多くの人に当てはまるように抽象的な話なので、自分に当てはめながら読むとより分かりやすいかも。アメリカの本と言うことで、たとえ話がアメリカンなのも楽しかったですw

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『幸せになる勇気』|平凡で「その他大勢」である自分の価値

こんにちは。みなさまゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。あさよるネットは平日更新予定です。

以前、『嫌われる勇気』を読んで「なんか感動した」とワーワー言ってたんですが、その後もジワジワッときています。この本、以前に読んだときは「なんのこっちゃ」と何も感じなかったんですが、変われば変わるものです。

自分のこだわっていることや、他人に苛つく時「自分がこだわっているんだ」「自分が苛立っているのだ」と思うようになりました……その瞬間はムズカシイけどね、頭が冷めたときね。

『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

で、続編の『幸せになる勇気』も読みたいでしょ~ってことで。

『幸せになる勇気』のあらすじ

『嫌われる勇気』にて〈哲人〉との討論の末、アドラー心理学の考えを受け入れた〈青年〉。彼が、3年の時を経て再び哲人の元へやってきた。しかも、彼を論破し、アドラー心理学がペテンだと暴くために!

青年は教員となり、子どもたちの教育を仕事としています。しかし、子どもらを扱うためには、アドラー心理学は使えない。アドラー心理学では人を「ほめてはいけない、叱ってもいけない」という教育方針だからです。放っておくと子どもは悪さをしますし、叱らないとナメられます。いつも厳しく叱る先生の教室はいつも整然としています。そして、良い成績を残した子を褒めてやると喜びます。

アドラー心理学は机上の空論である!それが青年の主張です。

「ほめてはいけない、叱ってもいけない教育」とは

教師である青年は子どもたちへの教育をめぐって話は展開してゆきますが、〈教育〉というものそのものは、我が子への教育、後輩や部下への教育など、どんなシーンにも当てはまります。そこで、人をほめはいけない、叱ってもいけないとは、これいかに。

まず、「ほめる」という行為は、目上の者が目下の者への行為です。平社員が「社長、よく頑張ってますね。偉いですね」とは言いませんw ですから「相手をほめる」というのは、無意識にも相手を格下認定しているのです。そして、その微妙な人間関係は子どもだって感じ取っています。

ほめるのではなく、相手にすべきは「尊敬」です。

ほめてはいけない、叱ってはいけない理由

何かをすると、他人からほめられる、すると嬉しい。これを何度か繰り返していると「ほめられる」ことを目的に行動するようになります。これは自分の価値基準を他人に預けてしまうことになってしまいます。だって「ほめる」か否かは、相手が決めるのだから。

他人から「ほめられる」ことを目的に行動し、望み通り「ほめられる」間は、むしろ良好な状態にさえ見えてしまいます。しかし、ほめてもらえないと、ネガティブな感情に支配されることでしょう。

そして、ほめてもらえなくなった人は、次は別の手段で人の気を引こうとします。それが「反抗」です。反抗すると「叱られる」。叱られ、憎まれることで、相手の心を掴もうとする。だから「叱ってもいけない」。

更に、人からほめられず、叱られもされなくなったとき、人は無気力になり、自分の無力をアピールしはじめます。「自分はバカだから」「勉強できないから」と諦めの境地になるのです。そして、自分がいかに無能であるか証明をするのです。この境地へ至っては、なかなか支援の手が差し伸ばせません。もっと前段階で踏みとどまっておく必要がある。

哲人 ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられること」を求めます。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。

青年 ではどうするのです!?

哲人 他者からの承認を求めるのではなく、自らの意志で、自らを承認するしかないでしょう。

青年 自らを承認する!?

哲人 「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。幸福な生がどちらの先にあるか、答えは明らかでしょう。あなたの価値を決めるのは、他の誰かではないのです。

青年 そんなもの不可能でしょう! われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認欲求を必要としているのですよ!

哲人 おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう。ありのままでいいのです。「特別」な存在にならずとも、優れていなくとも、あなたの居場所はそこにあります。平凡なる自分を、「その他大勢」としての自分を受け入れましょう。

人を「褒めてはいけない」、そして「叱ってもいけない」。相手の承認欲求を満たすのではなく、代わりにすべきことは、他人を信じ、尊敬し、愛することです。

尊敬できない理由

といっても、他人を無条件に「信頼」できますか?言うことを聞かない、自分勝手な相手を「尊敬」なんてできません。ましてや「愛」だなんて。さらに、承認欲求を退け、「その他大勢」の一人として生きるよう指南する哲人に、青年はマジギレ。

青年 軽口を叩くな、このサディストめ!「お前はどこにでもいる平凡な人間だ」などと言われて侮辱を覚えない現代人がどこにいる!!「それも個性だ」などと慰めを受けて、真に受ける人間がどこにいる!!

キレてますねー。青年は、子どもたちを褒め、叱ることで自立を阻み、いつまでも教師の影響下に置きたいと考えている。それは、自分が特別な存在でありたいと願うばかりに、自分が救世主のように振る舞おうとしている。哲人はそう指摘します。

哲人 あなたはまだ、幸せになれていない。「幸せになる勇気」を持ちえていない。そして、あならが教育者の道を選んだのは、子どもたちを救いたかったからではない。子どもたちを救うことを通じて、自分が救われたかったからです。(中略)
他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に「メサイヤ・コンプレックス」と呼ばれています。

p.162

青年がどうして人を救いたい、救世主でありたいと願うのか。それは、青年自信が、自分の価値を自分で決定することができず、他人から「認められたい」と願っているからです。自らの承認欲求を満たそうとして、他者と関わっているのです。

承認欲求から解き放たれるには、「自立」をすること。平凡な自分を受け入れ、その他大勢の中の一人であることを認め、自分らしく生きることです。それが「幸せになる勇気」なのです。

悪いあの人、かわいそうなわたし。これからどうする

哲人のもとへやってくる人の悩みは、「悪いあの人」「かわいそうなわたし」、この二つの話をするそうです。いかにあの人は悪いのか。いかにわたしはかわいそうなのかを語ります。しかし、その相手に「これからどうする」と語りかけると、返事が変わるのです。過去の嫌な経験を話すのではなく、「これからどうする」。シンプルだけど力強い言葉なのですね。

子どもたちにも、この言葉は有効なようです。ケンカをした二人に、どっちが悪いと話を聞くこともですが、「これからどうしようか」と問いかけは、思考を変えるといいます。

確かに人間は、最初に与えられた条件に思考が凝り固まってしまうことがあります。カタログの中から商品を選び始めると、カタログ以外にも商品が存在することが頭から消えてしまいます。「どっちがいい?」と聞かれると、二つの中から選ぼうとしてしまいます。

「悪いあの人」「かわいそうなわたし」の考えにハマりこんで苦しんでいる時、「これからどうする」という問が思い浮かばなくなってしまうのかもしれないのでしょう。だから、誰かが問いかけて欲しい言葉だなぁと思います。

愛すること、愛されること

そして『幸せになる勇気』の大詰めは、「人から愛される」ことに話が及びます。人から愛されるには、まずは「人を愛すること」です。

また、アドラー心理学は「運命の人」を想定しません。ある日突然運命の人と出合い恋に落ち、愛し合うようになる…というストーリーを描く人は「運命の人がいない」と自分に言い聞かせます。365日、誰とも出会わずに生きている人は稀です。多くの人は常に誰かと出会い続けています。出会いがないわけではありません。

「誰にも愛されない」理由を「運命の人がいない」とすり替えているだけにすぎないのです。

「幸せになる勇気」。それは人を愛する勇気です。人を愛する人は、人から愛される人です。他者から愛されるということは「幸せ」に繋がります。

「人から認められたい」と承認欲求に生きることは、他人が自分の評価を決める生き方です。他人が認めてくれない苦悩の中で一生を生きるのか、一方、自分の価値を自分で決め、自立して人を愛し、人から愛されて生きるのか。

決めるのは自分です。そして、アドラー心理学は、過去の経験は関係なく「今」の自分にスポットライトが当たります。

さて、今、自分は、「これからどうするのか」。

…次回作にちょっと期待w

青年は相変わらず怒り狂い、前作にも増して哲人をなじっておりましたw

この寸劇、嫌いではないので、ちょこっとだけ次回作に期待しております。今回、「教育」と「愛」について怒っていたので、次回は結婚して嫁に対する愚痴を撒き散らす青年とかねw 待っておりますw

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『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

こんにちは。人に嫌われたくない あさよるです。豆腐メンタルなんですよね~。傷つきたくないから、人と関わりたくないを地で行く人です。

さて『嫌われる勇気』です。タイトルからしてとんでもありませんね(;´Д`)

あさよるも以前『嫌われる勇気』を読んだことがあったのですが、また最近本のランキングで上がっているぽいので再読してみました。

ちなみに『嫌われる勇気』は、今年(2017年)にテレビドラマ化されていたそうですね。全然本のイメージとは違うので、どんな内容だったのかなぁ。

ああ!なんだか、感動した!

本書『嫌われる勇気』は、血気盛んな「青年」と「哲人」の二人の対話で物語が進みます。

 かつて1000年の都と謳われた古都のはずれに、世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる、と説く哲学者が住んでいた。納得のいかない青年は、哲学者のもとを訪ね、その真意を問いただそうとしていた。悩み多き彼の目には、世界は矛盾に満ちた混沌としか映らず、ましてや幸福などありえなかった。

p.1

青年は家族との確執と、自らへの劣等感を抱えており、哲人の話に反発します。

哲人は言います。世界はシンプルであり、誰でも幸せになることができる。劣等感を感じるのは、過去の経験がそうさせるのではなく、現在の自分が自分のために劣等感を生み出しているだけだ、と。

引きこもりの男性は、過去の経験によってひきこもりに陥っているのではなく、外に出たくない理由として「ひきこもり」を生み出しているのです。

あさよるは、「花粉症だから仕事が手につかない」のではなく、「仕事に手につけたくないから、花粉症になっている」ということか!?どういうことだ!!

あさよるも“青年”と同じく、哲人の話は信じられません。だってまるで、“やらない言い訳”のために様々な事例が引き起こされているようじゃないか!!ほんとに苦しんでいる人だっているんだぞ!青年は苛立ちや怒りを哲人にぶつけ、論破し化けの皮を剝いでやろうと躍起。哲人との対話により、青年の抱える問題も浮き彫りになってゆきます。

「苦しみ」と「幸せ」は相反するものか

青年は自意識、劣等感、嫉妬など、自らの感情により苦しみの中にいます。

読了後、ふと あさよるは思うのです。苦しみの中にいることと、幸不幸は別の話ではないか。そう、どんな状況であろうとも幸福である人はいるでしょうし、また快楽の世界にいたといても不幸な人もいるのではないのか?自分が置かれている場所と、自分の幸不幸は直接的な関係がないのでしょう。

自分を満たすもの

他人の評価が気になってしかたがない人がいます。それは、自分の価値を他人に預けていることです。

アドラー心理学は、評価の基準を自分です。しかも「今」の自分。だから、他人の評価を気にして怒ったり、凹んだり、委縮して落ち込むこともありません。

そして、自分自身を満たすものは「他者貢献」。これだけです。他者貢献とは、自分が人の役に立って充実感を得ることです。くれぐれも、他人が喜ぶことを目的とするのではなく(それでは、評価の基準が他人になる)、あくまで自分が「他者貢献」し、人の役に立つことで、自分が満たされるのです。

「今」しか見ない!

アドラー心理学は「今」しか見ません。

過去のトラウマや、辛い経験から、今の状態が引き起こされたのではないのです。あくまで「今」自分は何かの目的のために振る舞います。

これって、辛い経験を持っている人を蔑ろにしてるんじゃないか!と思いませんか?でも違うんですね。「今」しかない、ということは、どんなに過去辛い思いをしても、「今」幸せになれるんです。

フロイト的な過去の経験が今の心理状態を生み出しているという考えは、過去にトラウマを持っている人は一生それを引きずって生きます。それはとても悲しい人生です。

しかし、アドラー心理学では、過去がどんなに辛くとも、「今」幸せになれます。例え過去に病気をしても、怪我をしても、体が不自由になっても、「今」幸せに生きれるんです。希望に満ち溢れた心理学なのです。

「気の持ちよう」ってことなのか!?

『嫌われる勇気』の作中で、青年は哲人に対し怒る怒る!

最後は哲人に言いくるめられ、納得したかのように帰ってゆくのですが、後日怒鳴り込んできたりします(苦笑)。血気盛んな青年を可愛らしくも感じるでしょうか。それとも、青年と同じように怒りを感じる人も少なくないのでは?

あさよるも混乱しながらページをめくり続けました。読了後は高揚感と同時に、どうしてよいのか分からないフラストレーションが残りました。

それは、自分が“振り下ろすために”振り上げた腕の存在に気づいてしまったのかもしれません。他人によって「腕を上げさせられた」と思っていたかったのに、やり場のない自分がいるような……。

この「心理学」とやら。どう扱えばいいのやら。「気の持ちよう」としておいてよいものか。しかし……

入れかえる“視点”を持っているコト

心理学をどう扱ってよいのやら分からないのですが、自分の見えている世界というのは、どう向き合うのかによって随分と様子を変えるようです。

アドラー心理学がどのような位置づけのものなのか分からないのですが、パチパチとチャンネルを変えて、視点を変えて今の自分を俯瞰できると随分良いだろうと感じました。

あさよるは、過去の経験が未来永劫影響を及ぼすという考え方よりも、「今」の自分が今の自分を作る方が、ずっと救いがあるし、希望を感じます。

ちょっと考えをパチッと変えるだけで、何もかもが違って見えるってオモロー!

「アドラー心理学」へ進もう

『嫌われる勇気』を読んで、もうちょと「アドラー心理学」について知ってみたいと思いました。そのためには心理学についても少しは勉強した方がよさそうです。正直、「心理学」、なんか胡散臭いなぁ~と心のどこかで思っているのも事実です(苦笑)。

その“怪しむ視線”は、あさよる自身が無知であることに由来しているのは間違いありません。ちょっとずつ、近づきたい^^

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『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』

こんにちは。「読書っていいですよね(#^^#)」ってしみじみ言いたい あさよるですが、やっぱね、たまにね、嫌な気持ちになる読書ってのもありまして。

この『平気でうそをつく人たち』もその類だったなぁ、と。

本書が悪い本って訳ではなくって、自分の過去の嫌な記憶を呼び覚ますものでした。

それは自分自身に起こったこともあるし、仲の良かった友人や仲間が苦しむ、嫌な話でもあります。

自分のどうにもならない話。友人がどうもしようとしない苛立ち。「どこに持って言っていいかわからない気持ち」とでも言いましょうか。

こういう人いるよね~

本書『平気でうそとつく人たち』では、欺瞞に満ちたうそつき達が次々登場します。

長男が拳銃自殺で使った銃を、次男へクリスマスプレゼントする両親。

息子を追い詰め、パフォーマンスとして息子を精神科医に見せる親。うそをついているのは親なのに、うそを認めるくらいなら、息子を生まれながらの障害を負っていると主張する。

母親からプライバシーを奪われ、口を閉ざす娘。

性に奔放な女性が、自分のコピーとして娘も奔放に振る舞わせる母。そして、その母から離れられない娘。

自信のないだらしない夫と、夫からすべての自信を奪ってゆく妻。

すべての話はセンセーショナルな話題ですが、でも、そういう人っているよね……と感じます。

共依存している夫婦や親子、よその家族感の人間模様は理解しがたいものがあります。

目に見える暴力や窃盗等は起こらずとも、「あれ?なんか変だぞ?」とゾッとすることありませんか?

 邪悪な人間とは、こんな人である――

●どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●異常に意志が強い。
●罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。
●他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
●体面や世間体のためには人並み以上に努力する。
●他人に善人だと思われることを強く望む。

『平気でうそをつく人たち』カバー

話が、わかりにくっ!

精神科の開業医である著者が、自身の経験の具体例を紹介しつつ、話は進みます。

「ああ、こういうのあるよね~」とか「いや、さすがにこれはないやろ」と突っ込みながら、読むのは楽しいのですが……うーん。

アメリカの開業医である著者の話ですから、キリスト教の考えが話の前提としてあるんですね。

絶対的な「真理」が存在していて、人々はそこから外れた行いを繰り返している。欺瞞のためにうそをつく邪悪な人々。

邪悪で悪魔に魅入られた人々を、科学的にアプローチできないのかと模索がなされているようです。しかし……

“悪魔”に付け込まれた人々の、“悔い改め”は宗教者の仕事では?という素朴な疑問。

医学的アプローチと、心理学の話、そして信仰の話がごちゃごちゃと入り混じっており、ヒジョーにややこしい!

人情?欺瞞?悪魔?

平気でうそをつく人たちは、ナルシズムを守るためにうそをつきます。そのためには、我が子を病院送りにしたり、不道徳な行いに手を染めるまで追い詰めます。

中には、読んでいるだけで胸糞悪い話もあるものの、概ね、誰もが出合ったことのあるような話でもあります。

むしろ、自らの欺瞞のために他者を悪者にする行為は誰もがやっていることかもしれません。少なくとも あさよるは自分のためにうそをつくことがあったと思います。

ただ、厄介なのは、この手の人々(あさよる含む)は、うそをついていることに、本人が気づいていない。むしろ、自分のことを、正しい行いをする品行方正な人物だと信じている。

あるいは、可哀想な境遇に置かれているのが自分であって、悪いのは他者や社会だと思っている。そして、助かる気がない。

……こんな話、誰だってあると思いませんか?多かれ少なかれ。

一体だれが悪いんだ!?

『平気でうそをつく人たち』は悩ましい書物です。

一見、善人に見える人物の“悪”を見ぬき、科学的に悔い改めさせようという試み。それは一見、正しい行いに思えます。

本書内では、著書は根気強く辛抱強くクライアントに向き合います。

しかし、また著書だって不完全な人間である以上、自分のためのうそをつくでしょう、真理の名のもとに。

じゃあ、一体誰が悪なんだ!?

…「全員悪だ」というのがオチなのかなぁと思いつつ、日本人でかつ関西人である あさよる的には「人情ですなぁ」と言いたいところですが、いかがでしょう。

でもなー、ほんとにこんな話を見聞きすることがあるし、どうにもならないことが歯がゆく思う。アメリカでは一応でも、家族が精神科にかかるんだから、すごいなぁ。

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『ユダヤ人大富豪の教え』|お金に囚われる不自由人をやめる!

こんにちは。「あ~お金が欲しい」と思う年末年始を過ごしたあさよるです……(-_-;)

この『ユダヤ人大富豪の教え』、他の書籍で紹介されていたり、タイトルは何度か見かけていました。

本やブログ等で、誰かが紹介していると「どんなだろう?」と気になっちゃいます。「気になる本」を少しずつ読んでゆこうと、『ユダヤ人大富豪の教え』を手に取りました。

20歳学生が、アメリカで出会った

アメリカ留学中の二十歳の青年は、一人の老人と出会います。

その老人はオーストリアで生まれ、ナチス台頭に伴いアメリカに移住したゲラー氏。不動産業で成功し、大富豪になった人物でした。

帰国後は事業を起こそうと考えている青年は、彼から成功の秘訣を教わりたいと申し出ます。

老人が青年に、時に丁寧に、時に実地でテストを行いながら、「成功」とはなにか。「失敗」とはなんだろうと語りかけます。

エッセイ?フィクション?不思議なお話

老人と青年のエピソードは、著者の本田健さんの経験が元になっているそうです。

しかし、書籍化にあたって、フィクションも混じっているようで、より面白くドラマチックに仕上がっています。

エッセイのようでエッセイでなく、フィクションのようでフィクションではなく、なんか不思議な構成ですね。

あさよるは本書を読書中、全くのフィクションとして楽しんでいたので、著者のあとがきを読んで驚きました。

「お金」から離れて「自由」を手に入れる

大富豪の老人に「成功」する方法を尋ねた青年。

成功とは、もちろん「富豪になること」、すなわち「お金」を集める方法を尋ねました。あさよるも、最初はお金を稼ぐ方法を老人が語るのかと待ちかまえました。

しかし、老人の話は少し違います。

成功している人とそうでない人。なにが違うのだろうか?学歴?家柄?才能や運?

人はそうやって、「成功するための条件」を自ら勝手に作り上げ、「ああ、自分は成功できないんだ」と諦めてゆきます。

だけど、本当に「成功する人」はそうじゃありません。彼らは、仕事が好きでたまらない人なんです。仕事が大好きでしょうがないから、もっといい仕事がしたいし、もっと人に喜んでもらいたい!ただそれを繰り返しているだけなんです。

仕事が大好きでたまらない人は、好きな仕事をしているだけで幸せです。ですから、失敗しても上手くいかなくても諦めることはありません。だって大好きだから。

そして、どれだけ失敗に失敗を重ねても諦めなければ、いつか「成功する」ときが来ます。その時までひたむきに仕事ができるのは、好きじゃなきゃやってられないんです。

豊かになるって、預金残高の桁数だけではありません。「自由に生きる」。これが大事。

不自由に生きていませんか?その不自由さは自分で生み出しているのかもしれません。

こんな出会い、ほしかった!

「成功の秘訣が知りたい」。あさよるも知りたいですwそして、その教えを乞える人物に出会うということも、なかなか起こらない経験です。うらやましい経験です。

そして、“大富豪”が語る成功の秘訣は、とっても素朴な「しあわせ」を教えてくれるものでした。ちょっと拍子抜けするくらい。そして、大富豪ほどお金に執着していないことも印象的でした。

あさよるは「お金」が欲しいです。突然何?と思われてしまうでしょうがw、本音です。そして、多くの人にとっての本音であると思います。

不自由な生活をしている人ほど、「お金」が欲しくてたまりません。だって、不自由を解消するためのお金ですし、不幸を紛らわすためのお金です。

「お金があればなんでもできる」と考えてしまうのも、お金のない人の発想なのかもしれません……(苦笑)。

大富豪ともなると、考えることも庶民とは違うんだなぁと思いつつ、「幸せに生きる」「自由に生きる」ってことに、もっと重きを置きたいなぁと思いました。

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『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

こんにちは。先日『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』を読んで、自分の無知さを知ったあさよるです。

( ゚д゚)ハッ! これが無知の知……。

東洋人なのに東洋哲学をなんにも知らないんだな……と謎のショックを受けました。そして次に手に取ったのは『哲学用語図鑑』。帯には「21世紀を生き抜くための必修科目」とまで書いてあります。

そうなのか……哲学って、「ビジネスにも交渉にも役立つ」のか……。

哲学用語が飛び交いまくり!(;’∀’)

「哲学」ってなんだかよくわからなくても、意外と哲学ちっくなキーワードは普段の会話で飛び交っています。「フロイト的には~」とか「アドラー先生はねぇ」とかね。

なんとなく「そっすねww」とかヘラッと笑って相づちを打っているけれども、実は内心大焦り。「あれ……それなんだっけ???(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)」

わかってるんですよ、知ってるんです。前に本で調べたのに……wikiで読んだことあるのに……ただ“思い出せない”だけなんです!

これ、あるあるじゃないですか?

かわいいイラストがやたら分かりやすい

『哲学用語図鑑』はその名の通り、(西洋)哲学の用語図鑑。

哲学者簡単なプロフィールと、哲学用語の説明が、ほのぼのかわいいイラストで紹介されます。そう、この『哲学用語図鑑』は、文字よりイラストの面積の方が多い!

昆虫図鑑や植物図鑑を眺めるように、哲学を俯瞰する図鑑。(・∀・)イイネ!!

まさに昆虫図鑑よろしく、索引も充実していることと、イラストがユーモアたっぷりに、その哲学者や哲学用語の特徴や性質が一目瞭然なんです。

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出典:哲学用語図鑑 | 田中正人, 斎藤哲也 |本 | 通販 | Amazon

ね、かわいいでしょ!そして、特徴やポイントがパット見てわかる。なんとなくキャラクターたちの服装や出で立ちも時代に合わせて変わってゆくのが面白いんです。

「図鑑」ですからね、種類がパッと見分けられて、その特徴がザッとつかめる。これは良いなぁ(・∀・)

知ったかぶりからの卒業

『哲学用語図鑑』。A5版で厚さ2.5cmくらい。

表紙も中身も全体的に白が基調の、古代ギリシアの大理石彫刻のようなデザイン。表紙は何気にローマン体で哲学者の名前もズラリと並び、雰囲気出てますw

そう、なんかこの『哲学用語図鑑』、装丁もオシャレなんです。そこも気に入りました。そこそこボリュームがあって値段もそこそこ(1,800円+税)なので、デザインがオシャレってのも大事な事実v

常に携帯するにはちょっと重い&大きいので、据え置き用として。気になったときサッと手に取れる場所に配置して起きたい。

文章量は少なめですから、一から哲学について知りたい方は他の書籍を。『哲学用語図鑑』は、知ってるけど思い出せない時、大まかな流れを掴みたい時なんかに、役立ちます。

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『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』

東洋の端っこで生まれ育ったけれども、東洋思想をよく分かっていないあさよるです。

哲学ってね、興味はあるけど踏み込めない世界です。学生時代、哲学の授業を履修しましたが、途中で投げ出してしまいましたw その後もですね、哲学入門とかね、そんな感じの本を読んだり、大学の授業を履修してみたりしてるんです。なのですが……まったく頭に残らないというw

そして興味あるなぁ~と思いつつなかなか踏み込めない世界。そして今回手に取ったのは『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』です。

アメリカの、エリートの、「東洋哲学」の、授業

この本、ややこしい内容です。

本書のタイトル『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』とある通り、あのアメリカの有名校、ハーバード大学の学生へ向けた、東洋哲学の授業です。

そう、対象は、アメリカのエリート。西洋哲学の世界で生きているエリートへ、東洋哲学を説くのです。しかも、古臭い、ノスタルジーな学問としてではなく、現代に充分通用する、哲学として紹介されます。

内容は主に、中国の思想家たち。孔子、孟子、老子、荘子、荀子らの言葉を紹介しながら、西洋哲学以外の哲学に目を向ける授業です。

……ですから、多くの日本人は、読者のターゲットとして想定されていません。まず、西洋思想をバックボーンとして持った、アメリカのエリート層に向けた授業です。

西洋思想の世界から、東洋思想を「発見する」授業と言えます。

知ってるようで知らない?中国の思想家たち

孔子、孟子、老子、荘子、荀子と、名前は見知っている偉人たちですが、彼らが何を残したのか……ご存知でしょうか?あさよるは恥ずかしながら、何も知りません\(^o^)/

何にも知らない上に、「西洋思想の文脈から東洋を発見する」という文脈で読まないといけないので、なかなか難しい読書でした。この一冊を読むのに、一週間以上の時間がかかってしまいました(;’∀’)

そこでは、今の「常識」とは反対のように感じることもあります。「本当の自分」を探すことの無意味さや、自然回帰や自然志向へ警鐘を鳴らすことなどです。また理性ではなく、「心」を研ぎ澄ませ、心で決めるというのも、現代では軽んじられているように感じました。

あさよるには難しかった……(;’∀’)

とにもかくにも、あさよるには難しい内容でした……サッパリ頭に入ってこなかった(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)

東洋思想や思想家たちについて無知すぎるので、今後、こちらの方面を固めてゆこうと心に誓ったのでした……。

なかなか感想にもならない感想でした。

m(__)m

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