30 社会科学

『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』

FacebookのCOOでも、「女性である」ことにぶち当たるの!?

男の子は男の子の、女の子は女の子の

こんにちは、あさよるです。

あさよるネットで以前、『会社のルール』という本を紹介しました。

女性の社会進出にあたり、男性のルールを知り、それを利用してゆこうという指南書です。

小さい頃、男の子は男の子の遊びを、女の子は女の子の遊びを通し、社会の勉強をしました。子どもの遊びとは、大人の社会を反映していて、大人の真似事をすることで、社会を学びます。

あさよるは、この『会社のルール』を読んで、これまでにない視点を知りました。

女性が社会で働くことについて、もっと知りたいと思いました。

あれ?性差と社会的立場の差がごちゃごちゃに…

女性の社会進出。どんどん進んでいますが、あちこちで問題は転がっているようです。

幼いころ伝統的な「女の子らしく」なるよう育てられたのに、成人する頃にはすっかり社会が変わり、男女同じように就活に挑む。だけど、結婚を機に就業時間を短くしたり、出産と同時に専業主婦にジョブチェンジする女性もいる。

そして、それが良いモデルとして扱われている場面って、意外と多いような気もするのです。

あれ?そういえばなんで、結婚や出産に伴って仕事をセーブするのは女性なんだろう?男性だって、働き方に幅があっていいはずだし、女性の方が所得が多かったり、多忙な仕事もあるだろう。

一方で、出産や、出産直後の授乳など、女性にしかできないこともある。

社会の中で、性差ではなく「人」として振る舞うということはあたり前のことのはずなのに、なんで男女で違うんだろう?一方で、身体的特徴として存在する男性と女性の差。

社会の中の「人」として、生物としての「ヒト」として生きるために、「女性」というどうしていいか分からない壁が立ちはだかっています。

女性が気づかない女性のモンダイ

本書『LEAN IN』は、女性が直面している問題……いいえ、正確に言うと、女性が直面していることにに気付かない問題を取り上げています。

著者のシェリル・サンドバーグさんは、マッキンゼーや財務省補佐官、その後Google社を歴任し、現在はfacebookのCOOを務めます。

『LEAN IN』を読んで驚くべきは、アメリカで、シェリル・サンドバーグさんほど立場のある有能な人物でさえ「女性」であることに打ちのめされている!

彼女はハイスクールでももちろん成績はトップ。ですが、女性が男性より優秀であると、パーティーに誘ってもらえない。要は「モテない」と周りから心配され、サンドバーグさんも悩みます。

また、女性は男性よりも自信が持てないと統計結果に出ています。男性は自分の実力以上の仕事にトライすること厭いません。実力を過信することを恐れず、他者から高い評価を望みます。一方、女性は自信がないので、確実に実績を積み上げてゆかねばなりません。さらに、自分から売り込みをせず、ただ上司が自分を抜擢すまで待ち続けます。だけど、待っているとどんどん、自分から手を上げる男性にチャンスを奪われてゆく。

男性は夢見がち、女性は現実的なんて言いますが、こういうことを言ってるのかな?と思いました。

強い女性は、お好きでない?

周囲からの視線も、性差によって変わります。

自らチャンスをもぎ取り、人の上に立ちリーダーシップを発揮する男性は、頼もしい男性だと感じます。

しかし、これが女性なら、勝ち気で強欲で、気の強い女性だとみなされます。

結婚したら、出産したら、「どうやって両立する気?」

周囲からの揶揄は、結婚・出産とプライベートな事柄にまで飛んできます。

男性が結婚し子供を持っても誰も何も言わないのに、女性が結婚し子供を持つと「仕事と家庭の両立はどうするの?」「いつまで仕事を続けるの?」と質問が降り注ぎます。彼らに悪意はなく、純粋に心配や心遣いをしているだろうことが、問題をますますやっかいにさせます。

サンドバーグさんも同様に、結婚や子育てに関して、たくさんの質問を受け続けたそうです。

肉体的な違いもある

また、肉体的に「女性であること」の問題も起こります。

サンドバーグさんは妊娠中、悪阻がひどく大変な思いをなさったそうです。出産後は3か月間の産休を取りましたが、出産後次の日にはノートパソコンを開き仕事をしていたそうです。

しかし、産休を終え、職場へ向かおうとガレージを出るときには、子供と離れ離れになるのが寂しく感じもしたそう。その後、第二子も誕生し、二人の子育ては事前の想像を超えて大変なものだったそうで、思ってもみないトラブルも勃発します。

ただ、サンドバーグさんの夫デイブ・ゴールドバーグさんは子育てに積極的に参加し、サンドバーグさんを支えました。

医学や技術革新が、どう変える?

出産や子育ての問題は、医学や技術の進歩によって変わってゆく要素が大きいのではないかと気づきました。

例えば、「産休・育休 or 職場復帰」の二択ではなく、もっと他の選択肢があってもいいんじゃないか、例えば自宅で仕事をするとか。

年々進化してゆく紙オムツとか、すごい便利なアイテムも、従来の「お母さん」の仕事を変化させているでしょう。

かつてない社会の形?

性差による社会的差があるのは当然だという人もいます。

生物的に、男性と女性は違うのだと考える人もいるでしょう。

“女性”リーダーがリーダーになる日まで

世界を代表するリーダーであるシェリル・サンドバーグさんでさえ、自らの思い込みや、「女性だから」という理由で悩んでいました。

シェリル・サンドバーグさんは、決して「フェミニスト」になりたくてなった人ではなく、優秀なのに、優秀な男性と同じように振る舞えず、キャリアを詰めない女性たちを見てきました。

サンドバーグさん自身も、女性特有の自信のなさに苛まれていたと告白しています。

女性のリーダーになったことで、女性へ向けてのメッセージを発するべき立場になったのです。

これからの未来の女性のあるべき姿は、サンドバーグさんはじめ、女性のリーダーが牽引し、「発見」してゆくものなのかもしれません。

少なくとも、過去に存在した価値観とは違う、新たな社会の形を探しているのではないでしょうか。

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『一流の育て方―――ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる』

いずれ巣立ってゆく子へ、親ができることは少しだけ

せめて将来の仕事へ繋がる学習習慣と、自信と思いやりを

間違えて手にとったw

『一流の育て方』とタイトルだけ見て、一流になるための方法とか、一流の人がやっていることが書かれた本なのかなぁ~と勘違いして手に取りました(笑)。

読んで見ると、子どもを一流に育てるための子育て本でしたw あさよるは子育てしたことがないので、こんな機会でしか子育て本を読むこともないだろうなぁと、最後まで読み進めることにしました。

結果、これまで読んだことがない内容ですので、気付きや発見の多い読書になりました。そっか、親の仕事って、究極を言っちゃうと、教育を受けさせる以外にないのかもなぁ。あとは本人の自由だもんなぁと、改めて。

「我が子」という客観視できない人だから

『一流の育て方』は、ミセス・パンプキンさんによる子育て論です。

パンプキンさんには上の2人の女の子と、その下に2人の男の子を持つ4人のお母さんです。4人は4人とも、同じ親から生まれ同じように育てたのに、それぞれ個性的に巣立ってゆきました。

タイトル『一流の育て方』にある「一流」とは、有名大学へ入学した学生たちのことを本書では「一流」と呼んでいます。一流大学の学生のアンケート結果をもとに、パンプキンさんによる一流を育てる子育て55か条!

(ちなみに、本書でアンケート結果として取りあげられていたのは以下の学生たち。青山学院大学、大阪大学、京都大学、慶応義塾大学、サスカチュワン大学、中央大学、東京医科歯科大学、東京外国語大学、東京工業大学、東京大学、東京理科大学、東北大学、名古屋大学、一橋大学、立命館大学、早稲田大学。誰もが知っている大学がズラリですね)

一流の育て方55か条!(の一部)

一流の育て方55か条は、過保護も育児放棄もダメ!とか、本を読ませようとか、ありきたりと言えばそうですが、なかなか子どもが親の言うことを聞かない事柄を、どうやって導いてゆくか、が中心です。『一流の育て方』の最初のページはこんな列挙から始まります。

・子どもは親のどんな教育方針に感謝している?
・なぜ「頭がよくても成功しない」子どもが多いのか?
・なぜあの人は「自分で物事を決められる」のか?
・「主体性の有無」は、出身大学と無関係
・重要な決定ほど、子どもにさせる
・過保護と育児放棄のバランスが大切
・他人に迷惑をかけない人ではなく、「役立つ人」を目指させる
・ときには自分以外の全員が「間違っている」と教えよ
・子どもを「天職」につけるにいはどうしたらいいのか?
・視野を広げず「自主放任」してもダメ
・親のアドバイスは成人してから効いてくる
・「半径100メートル」で育てない――広い世界観をもたせるには
・自分の意志で挑戦させ、簡単にはやめさせない
・子どもの「強い意志」がないところに、湯水のような教育費は無駄
・相手を理解し、心を通わせる能力を育む
・親の価値観の押し付けが、子どものコミュニケーション能力を低下させる
・怒るのではなく、気づかせよ
・たいていの子どもは放任しても強制しても、勉強しない
・教育とは、「勉強の楽しさ」「何が好きで、何が得意か」に気づかせること
・なぜ子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけないのか?
・「何が好きで、何が得意か」に気づかせることが最大の教育
・他人の子は「しつけ」ができていて初めてかわいい
・なぜ「バーベキューパーティ」の振る舞いで将来を予測できるのか?
・子どもは「優しさだけ」を求めていない
・子どもに「お金の話」はすべきか?
・感謝力を磨け――「小さなありがとう」を忘れない
・子どもは親の言うことを聞かないが、行動の真似はする

ムーギー・キム/ミセス・パンプキン『一流の育て方』p.1.2

あさよるは子育ての経験はありませんから、「子育てあるある」は共感することが出来ません。しかしながら、あさよるも超反抗児だったので、この列挙を見て我が事を言われているような気分になります(苦笑)。

さて、55か条もの子育て論すべてを紹介するわけにもいかないので、かいつまんで。本書『一流の育て方』が面白かったのは、ミセス・パンプキンの子育て経験が元になっているのですが、その経験は必ずしも成功談ではないことです。

パンプキンさん夫妻は、お子さんにピアノを強制的に習わせていました。もちろんお子さんの将来を思っての行動ですが、息子さんはピアノは嫌だったようです。そこで、パンプキンさんは「法律でピアノを習わないといけないと決まっている」と嘘をついて息子さんをピアノ教室へ通わせていたそう。

すると、息子さんが小学生になったある日、パンプキンさんにこう報告したそうです。「ピアノって、別に習わなくてもいいのやって!」。母親を責めるのではなく、間違っていたお母さんに“教えて”くれたんですね。

……こんなエピソード、どこのお家にも一つや二つあるんじゃないかと思いますし、笑い話になっているお家もあるでしょう。しかし……小さな不信感が募り募って、大きな埋まらない溝になってしまうこともあるでしょう。

たまたま、パンプキンさんご家族は、溝が深まる原因にはならなかったようで、笑える話になっているようですが、一歩違うとヒヤッとする話です。

「大人ではない人」という存在

子育ての難しさは、相手は子どもとはいえ、一人の人格ある人間ですが、彼らは「大人ではない」という曖昧さなのかもしれません。

大人をマネージメントするように子どもにも接するべきですが、彼らは未熟で、目的を明確に持てなかったり、放っておくとあらぬ決断をすることもあります。多干渉は以ての外ですが、放任主義も考えモノ。世間には様々な誘惑が溢れていますから、小マメな微調整は大人が加えないといけません。

その、一人の人間として扱いつつ、適度に親の監視下に置く、という微妙な立ち位置が難しいのかもしれません。また、子どもも日々成長してゆきますから、親もそれに合わせて対応を毎日変え続けないといけないことも、難しさなのだろうなぁと思いました。

正解がない、なんでも裏と表

子育てって難しいんだなぁと思います。「正解がないから」とありきたりなことを嘯いてみますが、正にそう。

学生たちのアンケートは、「もっと叱って欲しかった」と「叱らないで欲しかった」という真反対な回答が並びます。「放任主義で好きなことをさせてくれた」という答えがある一方で、「もっとサポートして欲しかった」という答えもあります。

親が子に常識や道徳を教える必要があります。一方でそれは、親の思想や偏見を子に刷り込んでゆくことと同義でしょう。

パンプキンさんも、子どもたちに弱い人の側に立つ人になるよう身を持って教えていたようですが、それも視点が変われば評価は変わるでしょう。

大人になれば、何が必要なのか見えるようになります。英会話は出来たほうが良いでしょう。音楽に親む人生は豊かになるでしょう。中学受験のために、遊ぶのを我慢し今だけ集中すれば、未来は楽になるのではないか。長く生きているからこそ、大人は子どもに無理やりにでもさせたいことがあるんです。

……はい、自分が大人になれば分かるってヤツですね。

「親」という立場になったことのない人の感想

と、あさよるは子育てをしたことがないので、親目線の話しは想像でしかわかりません。強いて言えば、自分もかつて子どもだったことと、大人として、子どもにどう接したいかというところですね。

本書『一流の育て方』は子どもに「無償の愛を注ぐ」という話で締められます。そりゃそうなのかもしれませんが、なんだか釈然としない気持ちになったのは、これは「親の心子知らず」というヤツなのでしょうか……。

本書での「一流」は、有名大学へ入学することです。その後の身の振り方が大切だと思う方もいるでしょうが、親の仕事として、大学まで入学させたら、あとは本人の勝手なのかなぁと思いました。

ということは、有名大学へ入学させることが、「一流」を育てる親の仕事ということです。親が病気や怪我で働けなくなったり、ましてや死別したり、「無償の愛」を注げなくなってしまう場合が想定されていないので、心もとなく感じました。

子育てに時間も、お金も使える、レアな人へ

夫婦とも健康で、定職に就いていて、かつ子育てに時間を割ける余裕があり、「一流」の大学へ入学するための勉強を見てやる余裕があったり、習い事に通わせたり、読みたいだけの書籍を購入したり、時間的、金銭的余裕のある夫婦にであること。それが前提に設定されているように思えます。

で、それって、現在の「子育て」のモデルになりえるのって、かなりレアケースじゃないのかなぁ?と不思議に感じました。

「子」という独立した人間を、サポートするために

子育てって、すべての人が当事者です。誰もがかつて子どもだったのだから。だからこそ、色んな人が色んな事を言うのが「子育て」です。

自分の経験談や成功例を語る人、こうして欲しかったと願望を語る人。手に入らなかった夢を子どもに見る人もいるでしょう。

「子育て」に正解と言えるものって、あるわけがありません。誰も未来はわからないのだから、有名大学へ入学したって、一流企業に就職したって、立派な肩書を手に入れたって、万々歳とは言い切れないのは難しい所。

だけど、どう生きるのかは、結局のところ本人次第。親や兄弟でさえ関与できません。そして、「子育て」と称して、親が子にできることって、勉強のサポートをし、興味や知識の幅を増やしてやったり、学費を工面するくらいしかないのかもしれません。

有名大学へ入学したからって、その先どうなるかは、もう子どもの勝手でしょう。社会人になり、成人しているのですから。だから、親のする子育って、有名大学にでも入学させてやれれば、上出来なんでしょうね。

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『いまからでも楽しい数学。―先生と数学嫌いの生徒、35年後の補習授業』

数学クイズって結構ハマる!?

紙と鉛筆を握りしめ、いざページをめくるのだ!

紙をペンを用意!クイズ・なぞなぞのように!

『いまからでも楽しい数学』をお読みになるなら、紙とペンを持って用意!

なぜならば、数学の先生からの問題集だからだ!……と言っても、堅苦しい問題集じゃないですよ。まるでクイズやなぞなぞにチャレンジするように、やってみましょう。

著書は元・数学教諭とライターのお二人。お二人はもともと、中学の数学の先生と生徒の間柄でした。ン十年ぶりに再会した二人は、先生から出題される数学クイズに挑戦することになったのでした。

ちょい雑談がウザい?オモロイ!?

川勝先生も、ライターの植松さんも、お二人とも関西人。

バリバリの関西ノリで会話形式で、問題解説、考え方の説明、そして雑談がなされています。

正直あさよるですね、読み始めはこのノリが「なんか好かん!」「ハズレの本やぁ!」と思いながら渋々読み進めていたんですね(苦笑)。ごめんなさいm(_ _)m

しかし、読み終える頃にはスッカリ、お二人の息のあった掛け合いのような会話が心地よく、数学の解説もスーッと頭に入るようになっていました(笑)。結構、中毒性あるかもしれませんw

数学=難しい と信じている人へ!

さて、数学は難しいです。どこか一つでも躓いちゃうと、その先へ進めませんから、厳密に理解してゆかないと、しんどい教科だったろうと思います。

反面、数学はとっても面白い!

『いまからでも楽しい数学』では、役に立つんだか立たないんだかの、数学の問題も紹介されています。きっとね「役に立たない」ってのが大事なんです。

大体、楽しい事って役に立たない。ポケモンGOも妖怪ウォッチも、どんなにやっても役に立たないし、カラオケで好きな歌を歌ったって、どうにもならない。

だけど、圧倒的に楽しいじゃないか!役に立たないことほど面白いことはない。

『いまからでも楽しい数学』でも、ピタゴラスを「暇人」と紹介しており、非常に面白かった。そう、数学って、やっぱり役に立たない問題もたくさんあるよ。だけど、役にも立たないものに人類は夢中になってきた。

なぜか?

「面白いから」以外にないでしょ!

因縁の「数学」という教科に直面する中学生たちに、そして、かつての中学生たちに、読んで欲しい本でした。

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『第五の権力――Googleには見えている未来』|すでに始まった未来の話

来るべき未来!…ではなく

すでに来ている「未来」。

なんかタイトルかっこ良よさ気!

『第五の権力』めっちゃカッコいいタイトルです(・∀・)

Amazonの人気ランキングで見つけた瞬間から、「これは読んでみたい!」と思わされました。もち、どんな中身なのかはノーチェックでw

そして、図書館で『第五の権力』を見つけて「ラッキー♪」と借りて帰ったのですが、なんと、想像していた内容とは違うわ、やたらとボリュームがたっぷりで、なかなか読破が大変な読書になったのでした…(・∀・;)>

誰にとっても情報こそに価値がある

Google会長エリック・シュミットが語る、インターネットが世界を包んだ世界。

デジタル技術により、わたしたちの健康が保障されるようになる。時間と共に、緩やかな目覚めを促し、血圧を測り体重を測り、体の寸法を測り、健康管理をしてくれる技術があったなら……。

それは『ドラえもん』に登場するような、夢物語の道具ではなく、現実に実現ができそうな未来に思えます。

反面、国家は国民の健康状態すべてのデータを集め、国民の健康状態から管理し、監視し始めるかもしれない。

そう、デジタル技術の普及、インターネットの普及は、光と影を抱えている。

通信技術の発達で、地球上のどこからでもインターネットにアクセスできるならば、紛争地帯からの実況や、国家が隠れて行っている行動を、市民が世界に向けて発信、訴えかけることができる。一方で、テロリストや反社会的グループの活動に、通信技術は欠かせないものになっている。

「戦争」も様変わりしています。国家と国家の戦争の時代から、国家がテロと戦う時代になった。実際に武力による攻撃よりも先に、サーバー攻撃が行われる。

実際に、国家のサーバーが攻撃を受け、犯人は別の国家だと噂になった。報復すべきだと訴える議員まで現れた。その事件は実際に武力による報復には至らなかったけれども、国家間の緊張感は増しただろう。ちなみに、実際に犯人がどこの誰なのかは結局分からずじまい。

迎えようとしている新しい時代

『第五の権力』は「未来の私たち」「アイデンティティ、報道、プライバシーの未来」「国家の未来」「革命の未来」「テロリズムの未来」「紛争と戦争の未来」「復興の未来」と7つの章を設け、一つずつ具体的なエピソード、実際に起こった出来事を交えて話が進みます。

日本国内にいる限り、テロや紛争、戦争、革命など、あまり意識せずに過ごしていますが、通信技術は整い、十分反社会的組織が活動しやすい状態にある、と考えることもできるのだと知りました。

また、現在貧しい地域や、情報網の発達していない地域ほど、ダイレクトにインターネットが普及してゆくんだそうです。日本の場合だと交通網や郵便網があり、電話が通り、携帯電話の基地局が全国に立ち、そしてインターネットが普及し、スマホが普及し…と段階を追って情報網が変化しましたが、これから情報網のインフラが起こる地位では、スマホやタブレットが突然導入されちゃうイメージでしょうか。

世界中がそうやって情報網で一つにつながった世界では、何が起こるのか恐ろしい気持ちと、ワクワクと待ち遠しい気持ちの極端な二つの気持ちが沸き起こります。

ボリューム大だけど、邦題はイメージ違い?

すでに起こっている「未来」

『第五の権力』と邦題がついていますが本来のタイトルは『The New Digital Age』。さらに日本語のサブタイトルは「Googleには見えてる未来」ですが、英語版は「Reshaping the Future of People, Nations and Business」です。タイトルが全然違うんですね。

あさよるは、日本語版の『第五の権力 Googleには見えている未来』というタイトルだけで選んだので、創造と中身がどえらく違って戸惑いましたw もっと、第五の権力としてGoogleが裏世界で猛威を振るっている実態とかそういう、トンデモ話ちっくなのがよかったな(オイ!)。

THE NEW DIGITAL AGE は、きたるべき未来の話ではありません。すでにもう、その時代は始まっているんです。

ですから、アンテナ感度の高い人は、この本の中で語られている実例は、すでに見聞きして知っているのではないでしょうか。そう、この本自体が新しい情報を提示するものでも、未来を予見するものでもなく、すでに起こった事柄が実例としてまとめられています。

もし、すでにTHE NEW DIGITAL AGE は動き出し、始まって世界を大きく動かしていることに気づいていないのなら、まずは現状を知るべきでしょう。

読むのが大変なボリューム…(-_-;)

あさよるは『第五の権力』を最初、図書館で借りたのですが、貸出期間の2週間では読めず、途中まで読んで泣く泣く返しに行きました(-_-;)

やや分厚目で、内容も濃い目ですので、読破にはやや時間がかかります。しかし、専門書ではないので、誰にでも読める内容です。

物々しい話題も多いので、一気に読んでしまうよりも、ちょっとずつ読み進めてゆくのがオススメです。

また、実際にSNSに親しんでいる方のほうが、より実感が持てるかもしれません。TwitterやLINE、Skypeで起こっていることですからね。

THE NEW DIGITAL AGE に生きるわたしたち

『第五の権力』で書かれている出来事は、実際に世界で起こっていることです。あるいは、世界で起ころうとしていることです。

それは、遠い異国の、自分とは関係のない人たちの話でしょうか?

グローバリゼーションが進む世界の中では、「対岸の火事」という言葉はなくなってしまうのかもしれません。というのも、世界の何処かで起こることは、なんの垣根もなく、日本社会でも起こりうるからです。

「江戸の日本橋より唐(から)、阿蘭陀(オランダ)まで境なしの水路なり」と残したのは、江戸時代の学者・林子平。日本橋と、中国もオランダも、隔てるもののない水路で繋がっていると言い、海防の重要性を説きました。

テロも紛争も、日本でもいずれ起こることでしょう。インターネットが発達した今、情報網に境はありません。

テロの道具として、インターネットはすでに使われています。一方で、インターネットによる恩恵も我々はたくさん受けています。もう、社会にとってなくてはならない、切り離せない存在になっているんです。

今どんなことが起こっているのか、すでに何が起こったのか。そして、これから何が待ち受けているのか。

来るべき未来を想像してみましょう^^

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『タブーの謎を解く 食と性の文化学』

なんでペットは食べちゃダメなの?

身近に潜む「タブー」を知ってますか?

食べてもいいもの、ダメなもの

クジラやイルカの肉を食べることがニュースになりますね。あさよるはどちらも食べたことがない世代で、どうやって調理するのかも知りません。

馬肉は好きで、無性に食べたくなります。だけど、馬を食べる習慣も、禁忌である地域が多いと聞きます。一方「犬を食べる」と聞くと残酷に思う日本人は多いでしょうし、「昆虫食」は気持ち悪く、一部を除き、ゲテモノとして扱われることがほとんどでしょう。

この「◯◯は美味しい」「△△は気持ち悪い」「かわいそう」って感覚は、一体何なんだろうと以前から気になっていました。SNSにて『タブーの謎を解く――食と生の文化学』が紹介されており、手に取りました。

境界にあるもの、どちらでもないもの

『タブーの謎を解く――食と性の文化学』では、「食」だけでなく、「性」にまつわる禁忌「インセストタブー」や「婚姻」、それにまつわる「まつりごと」「ケガレ」など、「タブー」が存在する分野を総ざらいするものです。

しかし、人類のタブーは「肉食」と「性」にタブーが集中しています。それはなぜか?

人類はかつて動物としての「ヒト」から、文化・文明を持つ「人間」として歩み始めました。文化の中から野蛮なもの、動物的なものは排除されてゆきました。しかし、絶対に排除することが不可能なのは「食」と「性」です。これらは、文明の中に残った野生なのです。

ですから、文明と野生が混じってしまわないように、入念に線引がなされます。「タブー」とは、境界にあるもの、あいまいなもの、カオス(混沌)からロゴスによって区分がなされることで生まれるのです。

文化人類学系の本は、とにかく難しい><

人類の歴史全般、世界中の文化全般を扱う人類学・文化人類学はなにせ範囲が広すぎ!『タブーの謎を解く』の著者・山内昶先生も文化史学者であり、ヒトに関する幅広い分野を超えて扱います。

ですので、入門書的な一冊ではありますが、網羅されている範囲が広く、事前の知識も必要ですから、検索しながらの読書になるやも……。あさよるも、新書一冊読むのにヒジョーに時間がかかりました。(-_-;)>

しかしながら、その苦労(?)と比較できないほど充実した読書でした。新たな興味も掻き立てられ、また自分自身の抱える「タブー」にも気が付きました。

各民族の風習から、人類普遍の概念へ

世界中の民族や、我々日本人の持っている「タブー」を個別に見てゆき、そのロジックを解き明かしながら、人類全体が持っている普遍的な概念へと読み解いてゆく様子は圧巻です。

Amazonのレビューなどでも、謎解きのような展開に舌を巻く評を目にし、読了後、その意味がわかりました。

カオスとコスモスを分離しようと、コスモスの中にカオスが生まれ、それを分離してもカオスが生まれ続ける。文化によってタブーが変わるのは、そうやってカオスを分離してゆく課程が違ったからなんですね。

素朴な「なんで?」の一つの答え

今も残る「婚姻」の混沌

婚姻に関するタブーが、面白く興味深く読みました。現在でも結婚、披露宴~初夜&新婚旅行と、婚姻の風習の中にしっかりとタブーが残っています。

まず、農耕民族にとって人間は労働力です。女性は、労働力であると同時に、さらに新たなる労働力を「生む」ことができる存在です。女性が男性よりも価値があったから、価値の「交換」が始まったのだろうと紹介されています。

そして、その「交換」の儀式が「婚姻」です。女性は、生家を出てから嫁ぎ先に落ちつくまでの間、生家の人間でも、嫁ぎ先の人間でもない、どちらでもない状態が続きます。どちらでもないカオスと、コスモスを混ぜないように、様々な儀式が待ち受けているのです。

国際社会の中のタブー

現在では多くの習慣や風習は忘れ去られ、風化していますが「タブー」自体は形を変えながら今も残っています。

最初に挙げた「食」に関するタブーが顕著でしょう。国際社会の中「◯◯肉を食べるのは野蛮」と、お互いのタブーがぶつかり合っています。これは、お互いの混沌と秩序がかき乱れている状態なんですね。なぜ他者を許せないのか。なぜ多民族の文化が「キモチワルイ」のか。

国際化してゆく社会の中で、タブーとタブーのぶつかり合いは、今後も方々で起こるのだろうと思いました。その時、自分は何を感じ、どう判断するのか、備えておきたいなぁと思うようになりました。

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