40 自然科学

『聞くだけで自律神経が整うCDブック』|心動かない不思議な音楽w

感動や共感やリラックスじゃない。

高いパフォーマンスを導くための音楽CD!?

「健康」の秘訣、自律神経を知りたい!

先日、当あさよるネットにて、小林弘幸さんの『自律神経を整える「あきらめる」健康法』を紹介しました。

医師である著者・小林弘幸さんが、医学的に“自律神経”を取りあげ、「健康」な肉体を実現するための秘訣を紹介します。この本の内容は、小林弘幸先生の他の著書でも紹介されていたことが多かったのですが、それでも気付きのある本でした。

自律神経の働きも、知っているつもりだったのに、何も知らなかったことに気付きました(-_-;)>

『聞くだけで自律神経が整うCDブック』は、Amazonで発見。「CDがついている」ことが気になって手に取りました。

自律神経をいい感じに高める

『聞くだけで自律神経が整うCDブック』は、その名のとおり、自律神経を整えるための音楽が収録されたCDが封入された書籍です。

メインは音楽で、書籍は自律神経についての簡単な説明と、CDの使い方。読み物は軽めですから、肩ひじ張らずにササッと読めます。

自律神経ってなんだ?

心臓を動かしたり消化や呼吸など、意識しなくても勝手に動くのは自律神経の働きです。自分でも制御できない部位を、24時間動かし続けているんです。その自律神経には、交感神経と副交感神経という二つの神経が押したり引いたりと綱引きのように働いています。

自動車に例えると、交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキです。どちらが欠けても運転はできません。

そして、自律神経の良い状態は、交感神経と副交感神経が「どちらもやや強く」働いている状態です。アクセルもブレーキも絶好調な状態こそ、その自動車は最高の働きをします。

交感神経と副交感神経をやや強めに働かすCD

現在、過度のストレスや疲労にさらされることで、自律神経のバランスを崩す人がとても多い。自律神経のバランスが崩れると、病気になりやすい状態になってしまいます。

自律神経を整えるということは、病気を伏せ、健康状態をキープすることです。『聞くだけで自律神経が整うCDブック』では音楽により、自律神経のバランスを調整しようという内容です。

ポイントは、リラックスや癒し系ではないってこと。交感神経と副交感神経がやや強めに働き、アクセルとブレーキの利きが万全な状態を作り出しましょう。この状態なら、これから活動を開始するにはもちろん、これから就寝したり、体を休めることに“集中”できるでしょう。

CDに収録された曲は医師の監修のもと、医学的な視点から作曲されたものです。よくあるスピリチュアルとか、ヒーリングCDとは違います。それらが苦手だなぁという方もご安心ください(笑)。

ふしぎなCDを聞いてしまった…w

さて、CDを聞いた感想は主観でしか語れませんが、あさよるが聞いた感じだと、やけにテンションが上がっちゃう感じがしました。もともと、あさよるは音楽を聴いて「癒される」「心休まる」と感じず、テンション上がっちゃうタイプなので、どこまでがこのCDの効果なのかは不明(苦笑)。

「落ち着く」とか「リラックスする」といったタイプではなく、聞いたことあるようなないようなのフレーズが何度も繰り返される様子に、親近感を感じつつ、なんとなく安定しないメロディが気になってしまって、落ち着かない。

う~ん、まだ、あさよるも何度も聞き込んだワケではありませんが、CDを聞いていると、ハイにもローにもなりません。ということは普通です。ですが、BGMに流しっぱなしにしていても、特に邪魔にもならないし、作業中とか、ブログ書いてる間に、CDを再生にしっ放しでもうるさくもありません。

あさよるは、結構ですね、ラジオとかiPodでJ-POPの昔流行った曲とかガンガンかけるんですが、すると、一緒に歌いだしてしまい、そっちに集中しちゃったり、あるいはラジオを聞きながらその話に笑ったりイライラ怒ったり、忙しいのです。すると、肝心の作業が進まないw

ですから、このCDは「BGMはナシがいい」「だけど無音は、むしろ不安」みたいなときにいいかな?

効果は不明。試みはおもしろい^^

はてさて、自律神経を整える“音楽”という、形で見えないものを扱うにあたり、今回は歯切れの悪い感想になってしまいました……(-_-;)

「ほんとにこれが自律神経に影響あるの?」という思い半分「医者が言うんだし、そうものかのだろうか」が半分くらいですw 別に、音楽は聞き続けても悪影響はなさそうだし、「これを効くと自律神経が整う」ってお守りのように、ルーチンの一つに組み込めるのかもなぁと思いました。

「考え事をするときはこのCDを聞く」「寝る前の時間のBGMにする」「出勤前のメイクタイムはこの音楽にする」とか、時と場合を当てはめればいいのかな?

「共感」「感動」とは違うんです

ただ、音楽が精神状態に作用することってあると思います。そして、その精神状態は自律神経に大きな影響を与えます。

流行のJ-POPの曲なんかは、心揺さぶる曲ばかりです。聞いてるだけで元気が出たり、一緒に歌いたくなったり、情念や執念に共感したり、恋が終わった悲しみに一緒に泣いたり……。これらは、心揺さぶるが故に、大きな感動を引き起こします。

「心揺さぶられる」というのは、心のバランス、精神状態という面では、一時的にかき乱されるものなのかも。むしろ、真に迫る、深く共感する良い歌や、また心を揺さぶるボーカルというのもあるでしょう。そう、楽曲として素晴らしいものほど、リスナーの心を掴み、動かします。

曲の世界に没頭したいときは、自分の好きな、共感する楽曲がいいのかも。

だけど反対に「音楽に集中してはいけない」「共感しちゃ困るとき」に、これ良いのかも!と思うなど。集中したいときとか、タイムリミットを気にするときとか。

なので「共感できる」とか「キャッチーなメロディ」とか、これまで求めていた音楽とは全く性質の違うものなのかも。そう考えると、すごく面白い取り組みだなぁと思います。

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『自律神経を整える 「あきらめる」健康法』|あきらめる=逃げだって思ってません?

「あきらめる」って悪いこと?

意地や嫉妬に折り合いをつけるコツ、それが「あきらめる」。

そして「あきらめる」と、健康になる!?

「あきらめる」と健康になるのか?

小林弘幸さんの書籍を過去に2冊読みました。どちらも読みやすい上に、収穫のある読書だったので、再び小林さんの書籍をロックオン!

『「あきらめる」健康法』は、たまたま図書館の本棚で見つけて気になっていました。「あきらめる」ってどゆこと??

今回、やっと手にとってみて、「あきらめる」の意味を知り、「ほほ~ぅ」と納得。ついでに、知っているつもりで知らなかった「自律神経」についても、知識が深まりました。

自律神経ってなに?「あきらめる」ってどういうこと?

まず、自律神経ってなんだ?

自律神経は健康維持に大きく関わっています。自律神経は血管や心臓、肺、腸などに伸びた神経です。「交感神経」と「副交感神経」という二つに分かれていることは、よく知られています。

自律神経は無意識に働くものですから、意識して動かすことはできません。心臓が、無意識にも止まらずに動き続けていて、「止めよう」と思っても止まりません。コントロール不可な神経が、自律神経ってことですね。

で、この自律神経はすごい。体温が上がりそうになると、汗をかいて体を冷やそうとしたり、血液の循環や消化吸収や排泄も自律神経の仕事です。内蔵や血管をコントロールして、命を動かしている神経なんです。

自律神経の内、「交感神経」が体を支配しているとアクティブモードに、「副交感神経」が支配するとリラックスモードに切り替わります。主に、交感神経は日中、副交感神経は夜に働きます。

この交感神経と副交感神経の数理には、4つのパターンがあります。

①交感神経も副交感神経も高い
②交感神経が高く、副交感神経が極端に低い
③交感神経が低く、副交感神経が極端に高い
④交感神経も副交感神経も低い
このなかで、もっとも心身の状態がよく、ふだんの力が発揮できるのは、交感神経と副交感神経の両方が共に高いとき、つまり①です。
反対に、もっともパフォーマンスがでないのが④、つまり交感神経も副交感神経も低いときです。
(中略)
心身に病的な状態が現れている人の自律神経を測ると、まず間違いなく②か③です。
とくに交感神経が高く、副交感神経が極端に低いと②のとき、人は病気になりやすくなっています。

小林弘幸『自律神経を整える「あきらめる」健康法』 p.60-61

自律神経を自動車にも例えられていました。交感神経はアクセル、副交感神経がブレーキです。自動車は、アクセルとブレーキ共によく利くとき、自動車の本来の性能が存分に発揮されます。片方が利かなくなってしまっては、キケンで走行ができません。

同じように自律神経も、交感神経と副交感神経の両方がよく利いている時が理想です。しかも、両方がバランスよく、ちょっと強めに働いている時が絶好調なんだそう。目指すべくは、交感神経と副交感神経がバランスよく強く働く状態です。

「あきらめる」は自律神経を上手に働かすコツ

自律神経の働きについて知ると、上手に使いこなして、思うがままのコンディションを手に入れたいって思います。が、先程も紹介したように、自律神経は意志で動かせるものではないのです……。

が!本書『「あきらめる」健康法』では、自律神経をコントロールするコツが紹介されています。例えば、作り笑いでも、笑顔を作ると副交感神経を上げるんです。これは、あさよるも聞いたことがあります。不安や怒りで副交感神経は下がってしまうので、その反対の「笑顔」という動作をすると、副交感神経が上がるんですね。おもしろい。

自律神経は呼吸や消化に作用している神経ですから、呼吸や食べものでも変化します。しかし、なにより自律神経に大きな変化をもたらすのは、「精神状態」です。心の乱れが、自律神経の乱れを招くんだそう。

緊張したり不安になると、呼吸が浅くなり速くなる。リラックスしたり、心の余裕があるときは呼吸もゆったり深くなります。この働きを利用しましょうというワケです。反対のことをすればいいってね。ホッとすると息をついてしまうように、先に息をついて、安心しちゃうんです。嬉しいと笑顔になっちゃうのを先回りして、先に笑顔を作ってしまう。

そうやって、擬似的にリラックスや安心したときの状態を作ってやることで、それにつられて自律神経が働く力を利用する。これが自律神経のコントロール法です(と、あさよるは解釈しました^^)。

「あきらめる」は「明らめる」

前置きがめっちゃ長くなってますが、今回読んだ『「あきらめる」健康法』は、執着や嫉妬や惰性を「あきらめる」ことで、自律神経のバランスを良いホ方向へ導こうというもの。

まずは、「あきらめる」と聞くと、どうしてもマイナスな、ネガティブなイメージってありませんか?そこを、本書『「あきらめる」健康方』では、「諦める」の語源を「明らめる」だとし、「明らかにする」ことが本来の意味だと紹介されていました。

そう、「問題を明らかにする」「改善点を明らかにする」「ひっかかりを明らかにする」。それが「あきらめること」。

「あきらめる」=「逃げる」では、ナッシング!

(↑明らめる=逃げるって言う意味で使われがちですよね~。かくいう、あさよるもこの思考にハマり込んでしまい、あきらめることができず体調を崩しまくった過去が……モット早ク読ミタカッタ……)

矢沢永吉さんのエピソード

で、「あきらめる」のモデルとして、矢沢永吉さんのエピソードが紹介されていました。矢沢さんは以前、信用していたスタッフの裏切り似合い莫大な金額を持ち逃げされました。だけど矢沢さんは働き続け、なんと数年後に負債を完済しました。

普通「なんで自分が?」「悪いのはアイツなのに」って気持ちになります。すると、自律神経も乱れてしまい、健康を損なって、あげくには働くこともできなくなってしまうかもしれません。しかし、矢沢さんはそうなりませんでした。

その理由を小林弘幸さんは「あきらめ」で説明をなさいます。矢沢永吉さんは、「アイツが悪い!」「自分は悪くない」という思考にこだわらず、どこかで「あきらめ」をした。具体的には、「彼を信用したのは自分だ」と納得した。だから、自律神経を損なわず、健康を損なわず、完済が出来たのではないか。

誰にでもある挫折や試練

矢沢永吉さんのエピソードはスターだからこそのものかもしれませんが、似たことは我々にも起こります。恋人や友人、家族とお金のトラブルはあちこちで聞く話です。

また、病気や怪我、事故は、いつでも誰にでも起こります。そのせいで、仕事を辞めざるをえなくなったり、夢を諦めたり、生活習慣そのものを変更せざるをえないこともあります。

そのとき、確かに自分は悪くない。悪いのは、病気であり、怪我であり、事故そのものなのですが、そんなものを責めることもできないし、どうにもなりません。もし自分ができるとこがあるとすれば「あきらめる」こと。

これまでと同じ生活を「あきらめる」。仕事を続けること、交友関係をキープすること、以前の自分と同じでいることを「あきらめる」んです。すると、どうなるんでしょうか。

意外と、こだわっていたものを「あきらめる」と、次の目標が見えてくるものなんです。むしろ、執着や妬みや恨みでいっぱいのときは、それに囚われてる状態ですから、見えるものも見えない。いっそ「あきらめる」ことで、次のステップへ進むんです。

しかも、自律神経が乱されることを防ぎ、健康状態を維持します。なにをするにも「健康」であることは重要ですから、大事にしたいところです。

『「あきらめる」健康法』の感想のようなもの

前置きがめっちゃ長くなってしまっているので、あさよるの感想へ移ります(・∀・;)>

あさよる的には、この内容すごく納得しました。あさよるも同じような経験があったからです。

自分の目標や夢を「あきらめる」ことができず、数年もの間ズルズルと引きずり続けました。結果から言うと、夢を諦めないことで待ち受けていたのはズバリ「不健康」でした。健康を失うと、叶う夢も叶いません。なにをするにも健康第一ですからね。

そして、一度失った健康は、なかなか帰って来ない!これが恐ろしい所……。

医者は病気を治す人、健康は自分が管理するもの

医師である小林弘幸さんが『自律神経を整える「あきらめる」健康法』を書いておられるのは、意味があることだと思います。

日本の現在の医療は対症療法です。胃が痛いなら胃に働きかける。腎臓の不具合があるなら、腎臓にアプローチする。だけれども、人の体というのは、臓器や器官がバラバラではなく、一つの塊ですから、病気の原因は別にあったりします。しかし、病院では、原因そのものにはタッチしないんですね。(保険が効く治療では、と言ってもいいかも?)

ですから、病理をやっつけるのは患者の仕事です。

そしてもっと大事なのは、そもそも病気をしないことです。で、自律神経のバランスを整えるって、健康で在り続けるための条件じゃないかなぁと思いました。

そしてそのコツが「あきらめる」。夢とか目標なんて言うと聞こえはいいですが、執着や思い込みだったり、意地や見栄である場合もあるでしょう。小林弘幸さんはそこまでストレートな物言いはされていなかったと思いますが、あさよるは、自分の過去を振り返り、執着や意地でいっぱいだったなぁと思います(-_-;)>

小林弘幸さんの「自律神経」本3冊読んだ感想

あさよるネットでも過去に小林弘幸さんの書籍を数冊紹介しています。

正直に言うと、この2冊と今回の『「あきらめる」健康法』、書いてある内容はだいたい同じと言えば同じです(苦笑)。

いやいや!そりゃ当たり前なんですよ。人間の体の仕組みについて紹介されていて、ほぼ同じ「自律神経」を扱ったテーマなのですから、むしろ内容が違っていたら困ります。ずっと同じことが書かれていることが医学的である証拠なのかなぁと思います。

で、あさよるも3冊も同じような本を読んじゃっていることでも分かるように、結構、気に入ってセレクトしていますw

あさよる的、同じような本をいくらよんでも苦じゃない人は、同著者の他の書籍もどんどん読んでみてください。ですが、同じ内容は一冊あれば十分!と思う方は、一冊だけで良いでしょう(苦笑)。ちなみに、この3冊の内、どれを選んでもオススメです。

あなたの健康を守る人

「自分の健康を管理し、守る人って、この世に自分しか居ないんだ」と、当たり前だけども、ゾッとするような事実に気づきます。

そう、今の自分の働き方、今の生活「不健康」ではありませんか?

自分で書きながら、「仕方ないじゃん!忙しんだもん!」「現代人は不健康でしょうがなだろ」なんて、言い返したくなってしまいます……。

が、それはいけませぬ。だって、健康じゃないとなんにもできないんだもの!その健康のカギが「自律神経」。そもそも、病気を寄せつけにくい状態を維持し続けるのが、健康へのカギです。

今回の『「あきらめる」健康法』では、「あきらめる」という一見するとネガティブにも思えることが、健康維持に欠かせない「自律神経」を良い状態へと導きます。

読みながらも、「そうか、あきらめるといいんだ…」と、最近モヤモヤしていたことを「あきらめ」て、今やるべきことに集中しようと、頭が切り替わりました。

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『面白くて眠れなくなる数学プレミアム』

むずかしい?苦手?

だけど、切っても切れない「数学」のトリビア!

眠れなくないたい!……?

以前『眠れなくなる宇宙の話』という、宇宙に関する物理学の本を読みました。

とてもワクワクする内容の本で、物理の話をしながらも、難しい定義の話ではなく、物理の物語を話して聞かせてもらっているような内容です。

今回、『面白くて眠れなくなる数学 プレミアム』という本を見つけ、「おっ、シリーズ新刊か!?」と手に取りました。

(……と、結論を先に言うと、どうやらこの本は、『眠れなくなる宇宙の話』とはシリーズではないらしい……)

「数」「数学」のトリビア集!

『面白くて眠れなくなる数学 プレミアム』は、数や数字、数学に関するトリビア集です。

ひまわりは、種が花の中央にびっしりと詰まって並んでいます。これに法則性があることをご存知ですか?一つでもたくさんの種をつけるため、とても効率のよい並びをしていることが、「数」を通して知れます。

江戸時代、日本の「九九」は36通りしかありませんでした。現在、小学校で習う九九は81通りも覚えないといけませんから、昔のほうが覚える量が少なかったんですね。一の段と、掛ける位置をする数(2×1、3×1 etc…)は覚える必要はありませんし、ひっくり返せば計算できる数も覚えませんでした。

計算の仕方の中にも、その時代の歴史があるんですね。

物足りない?わからない?

もともと数学や数に強い人にとっては、すでに知っていることや、想像できたことが多く、正直言うと“面白くて眠れなくなる”程ではないかなぁと思いました。

反面、「もう数学なんて大嫌い!」「中学で理系は捨てました」って人にとっては、数式や記号を見るだけでも嫌な気持ちになってしまうかも……と心配です(苦笑)

ですから、この本のターゲットは誰なんだ!?とやや不思議な本でした。本書は“プレミアム”とあり、先に無印版の『面白くて眠れなくなる数学』を読むと良いのかな?後日、読んでみます。

数学って、ちょっと面白いカモ?

数学大嫌いとまではいかないまでも、「数学なんて勉強して何の役に立つの?」と訝しんだことはありませんか?

『面白くて眠れなくなる数学 プレミアム』では、我々の身の回りで、実際にどういう「数」が潜んでいるのか、どんなときに使われるのか知ることができます。

かと言って、ややこしい数式を理解したり解ける必要もありません。

「数学って、面白いかも!?」と改めて思わせてくれる本です。大人になって、数学の学習から離れていますから、「数学の復習をしなきゃなぁ」とも思いました。

計算や数式は出てきませんっ(`・ω・´)ゞ

繰り返しますが、本書『面白くて眠れなくなる数学』は、難しい数式は登場しませんし、学校で習った数学を失念していても、十分楽しめる内容です。

ですから、読まず嫌いはもったいない!

数学の知識はとっても身近に潜んでいます。インターネットが普及し、実は乱数や素数と切っても切れない生活がすでに始まっています。

今よりもうちょっと、数学とのキョリを縮められたら、より楽しいこと、面白いことが増えるだろうと思います。そして、『面白くて眠れなくなる数学 プレミアム』のような書籍って、すごく必要な架け橋だなぁと感じました。

面白かったです。

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『論理的思考力を鍛える33の思考実験』|割り切れない話を理解できる?

『論理的思考力を鍛える33の思考実験』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。ネットで時々「思考実験」という言葉を目にするんですが、イマイチ意味がわからないまま今に至りました。いわゆる「ネット論壇」とか「ツイ民」とかが使っているイメージ……というか「ネット論壇」も「ツイ民」もよくわかりませんがw

ということで、「思考実験」に関する本をいくつか読んでみようと見繕った、最初の本がこちら『論理的思考を鍛える33の思考実験』でした。まず、本書はあさよるの求めているものとは(たぶん)違う、脳トレ的な、答えが複数ある問題や、パズルゲームのような内容でした。結果、とても楽しい本だったのでラッキーです。

『論理的思考を鍛える33の思考実験』では、サンデル先生の白熱教室でも話題になった「暴走トロッコと作業員」の命題や、パラドクス、不思議な確率の話など、興味惹かれる話題が33収められています。とりあえず、頭からっぽにして、読んでみましょう。

思考実験とは

まず、「思考実験」とはなんでしょうか。

 思考実験とは、実験と聞いて最初に思い浮かぶ理科の実験のように、道具やそれを扱う場所を必要とする実験ではありません。ある特定の条件の下で考えを深め、頭の中で推論を重ねながら自分なりの結論を導き出していく、思考による実験です。

(中略)

実験室はあなたの頭の中、実験道具はあなたの倫理観や今まで積み上げてきた知識や倫理的思考力、集中力や想像力といったところでしょうか。

p.2

何もなくても、知識や倫理、思考力で実験ができるというのは、言うのは簡単ですが、難しそうな話ですね。また、この思考実験は、ビジネスの場でも役立ちます。推論や多角的に物事を見つめ、結論を出すためには、論理的思考が試されます。

本書の著者・北村良子さんはパズル作家として、日々思考実験を重ねておられる方です。本書も、思考実験をしながら、脳を鍛えるゲーム「脳トレ」的に楽しみましょう。

思考実験にチャレンジ

本書で取り上げられる思考実験は全部で33。これら大雑把に4つに分けられています。一つ目は、答えのない倫理に関する問い。二つ目は矛盾やジレンマの話。三つ目は、感覚的には信じがたい確率の話。四つ目は不条理なお話。

ページをめくりながら一緒に考えられるよう、思考のポイントや考え方もまとめられています。また、賛成/反対意見とその理由も、公平に語られています。

答えのない問題に耐えられるか!?

小学校の問題のように、予め答えが用意されている問題ばかりではありません。そもそも答えなんて存在しない問いもあります。答えがない、だけど考えなけれなならない、このストレスにあなたは耐えられるでしょうか。

まずは、「暴走トロッコと作業員」の思考実験から始まります。これはサンデル教授の「ハーバード白熱教室」で有名になった思考実験です。暴走して止まらないトロッコの行き先に、5人の作業員がいて、このままでは5人全員が死んでしまいます。あなたは手元のハンドルでレールを切り替えることができるのですが、切り替えたレールの先には1人の作業員がいます。このまま放置すれば5人の作業員が、あなたが線路を切り替えれば5人は助かり1人の作業員が死にます。さて、あなたはどうしますか?

多くの人は、5人を助けるなら1人を犠牲にするのは仕方がないと答えるそうです。一方で、5人はトロッコに轢かれる運命だから自分は関与しないと答える人もいます。どちらが正しいわけでもなく、答えもない問いです。

同じような問いでも、条件が変わると答えが変わります。「暴走トロッコと作業員」の別バージョン。あなたは線路の上にかかる歩道橋の上に居ます。そこへ、暴走トロッコが走ってくるのが見えました。レールの先には5人の作業員がおり、このままでは5人全員が死んでしまいます。ふと、横を見ると、でっぷりと太り、重い荷物を背負った男性がいます。この男性を歩道橋の上から突き落とせば、トロッコが止まり、5人の作業員は助かります。さて、あなたはどうする。

これも、先ほどの「5人の命を助けるために1人の命を失っても仕方がない」と同じ話なのですが、多くの人は太った男性を突き落とさないと答えます。同じ状況下ですが、少し状況が変わっただけで答えが変わるのです。

このような「正しい答えはない」問いが8つ収録されています。

矛盾……

パラドックスのお話。有名なのは「アキレスと亀」のパラドックス。俊足のアキレスと、鈍足の亀が徒競走をします。アキレスは亀より足が速いのでハンディキャップとして亀より後にスタートします。

 スタート時、亀がいた場所をA地点とすると、アキレスがA地点にたどり着いたとき、亀は少し前のB地点にいます。次に、アキレスがB地点にたどり着いたとき、亀はさらに少しだけ前のC地点にいることは確実です。次にアキレスがC地点にたどり着いたときはどうでしょう。亀は少し前のD地点にいます。その次にアキレスがD地点にたどり着いたときはどうでしょうか。もちろん亀は少し前のE地点にいます。
これは永遠に続きます。つまり、アキレスは決して亀に追いつくことはできません。アキレスはいくら頑張っても、少し前に亀がいた地点に追いつくだけなのですから。

p.77

さて、ではどうしてアキレスは亀に追いつけないのでしょうか。まずは自分で考えてみてくださいね。

本書では以下のような説明がなされています。

 アキレスが亀に追いつけないのは、アキレスが亀に追いつくまでのアキレスと亀の関係を延々と細かく説明しているからです。

(中略)

つまり、アキレスが亀に追いつく瞬間が訪れる以前のシーンを細かく細かく考えているだけに過ぎないのです。
確かに、アキレスが亀を追いかけている状態であれば、どのシーンでもアキレスより亀が前にいますよね。
いくら俊足で知られるアキレスでも、亀に追いつく以前のシーンを延々と分解して検証されたのではたまったものではありません。追いつく以前に追いついているわけでがありませんから。

p.80-81

……納得できましたか? あさよるはイマイチ釈然としないままなんですがw 詳しい答えは他の本を当たってみてみましょう……。

アキレスとカメ

釈然としない答え

3つ目は、確率のお話。数学的には正解なんだけど、感覚的には納得いかない!という話。

ルーレットで赤か黒かを当てるギャンブルで、7回連続赤が出ました。ギャンブラーは、もう7回連続で赤だから、次は黒だろうと黒に賭けましたが、結果は赤。8回連続で赤だから、次こそは黒だろうと黒に賭けますが、またもや赤が出ました。9回連続で赤だなんて、これは奇跡だ。だけど、こんな奇跡が続くわけない。だから、次は黒の方が出る確率が高いのではないかと考えました。さて、10回目で黒が出る確率は、赤よりも高い?

図に書くとこんな感じ

 1回目
 2回目
 3回目
 4回目
 5回目
 6回目
 7回目
 8回目
 9回目
○ 10回目は?

答えはもちろん1/2です。しかし、10回連続で赤が出るというのは、確かに奇跡のように感じます。10回連続赤の確率は1/1024だそうです。しかししかし、年がら年中ギャンブルが行われるカジノでは、1/1024なんて珍しくもないでしょう。わたしたちは、感覚的な確率と、実際の確立が違ってしまうことが多々あるのです。

ちなみに、ランダムに赤か黒が出るとき、どちらが珍しいと思いますか?

1回目
2回目
3回目
4回目
5回目
6回目
7回目
8回目
9回目
10回目

左の方がランダムな気がしますよね。だけど、どちらも確率は1/1024で同じです。なのに、左は普通の現象に見え、右は「奇跡」のように感じてしまうのです。

トランプゲームや、クジでも同じような心理状態が働きます。なんとなく、「こっちの方がすごそう」「こっちがよさそう」とわたちたちは思い込んでしまうのです。こういうところで負けちゃうのね~

不条理

最後は不条理な話。「来週抜き打ちテストがあります」と先生が宣言しました。そこであなたは考えます。

「もし、金曜日に抜き打ちテストがあった場合、木曜までにテストがなければ自動的にテストは金曜と決定する。これだと〈抜き打ち〉にならないから、金曜にはテストがないはずだ」

「すると、水曜までにテストがなかった場合、自動的にテストは木曜ということになる。これでは〈抜き打ち〉にはなならない。ということは、木曜にはテストはないはずだ」

「ということは、テストは水曜までということになるが、火曜にテストがなかった場合、自動的にテストは水曜と決まってしまう。これでは〈抜き打ち〉にならない。よって水曜にテストはないだろう」

「いやまてよ。テストが水曜にないということは、月曜か火曜にテストがあるわけだけど、月曜にテストがなかった場合、自動的に火曜日がテストになる。これじゃあ〈抜き打ち〉にならないから、火曜にはテストはないだろう」

「したがって、テストがあるなら月曜しかないわけだけど、これだと〈抜き打ち〉とは言えない。だから、月曜にテストはない」

「……ということは、来週抜き打ちテストはない!」

そう結論付けたあなたは、もちろんテスト勉強などせず登校しましたが、もちろん先生の言う通りある日抜き打ちテストが行われ、結果惨敗。なぜ!?

面白い話なので、長文になってしまいましたw 実際に〈抜き打ちテスト〉が行われたとき、あなたはとても驚くでしょう。だって「抜き打ちテストはない」はずなのに! ということで、結果的に先生の言う通り〈抜き打ち〉でテストがなされたと言えますw

パズルを解くように

『論理的思考力を鍛える33の思考実験』挿絵イラスト

本書は〈思考実験〉と難しそうな言葉が使われていますが、実際に読んでみると、まるでパズルを解くかのような感じです。よい回答を自分で考えられたり、当たったときは気持ちよいですし。

軽く脳トレしつつ、古代からあるパラドクスや、有名な思考実験の問題に触れながら、楽しく読み進められるので、非常にとっつきやすい本でした。あさよるも読みはじめる前は「難しかったらどうしよう」と身構えていましたが、面白い本でした。

倫理の話はよく話題に上るものですが、あさよるが興味惹かれたのは確率の話。確かに、中学高校で習った問題のハズですが、ちっとも思い出せない! それに、日常生活でも役立ちそうなのも確率の話です。こういう風にわたしたちは勘違いをして、ダマされるor賭けに負けるのか~ と、他人事ではありませんw

ブログで紹介した例は少しですが、本書『論理的思考を鍛える33の思考実験』は、33もの脳トレ的問題が詰まっています。サクっと、気分転換にどうぞ!

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『QOLって何だろう』|命の質を自分で決める、そのために

こんにちは。あさよるです。あさよるはここ数年、断捨離・片づけに励んでいるのですが、「QOL」という言葉を知ってから、片づけがひとつ進むたびに「QOLが向上した!」と悦に浸るようになりました。あさよるにとっての「QOL」は、生活のクオリティー、気分よく、機嫌よく毎日を過ごすことでありました。

今回手に取った『QOLって何だろう』では、生活の質の話ではあるのですが、もっとシビアな「命」のお話です。生命倫理を一緒に考える内容です。

明快な答えが用意されているものではないので、読んだらモヤモヤとしてしまう読書になるかもしれません。だけどそのモヤモヤと向き合って生きることが、QOLを考えることにつながるんだと思います。

「幸せ」ってなんだろう

本書『QOLって何だろう』は、「幸せ」とはなんだろうかと考え込んでしまうものです。現代日本では、高度な医療に誰もがかかることができ、「人生100年時代」なんて言われるくらい長寿が叶っています。ヒトにとって、医療にかかれる、長生きができるとは、これ以上のない幸せが到来している時代だと言えるでしょう。

そこでわたしたしは「どう生きるのか」「幸せに生きるとは」と新たな課題に直面しています。本書『QOLって何だろう』は10代の若い方たち向けに、医療現場で直面する「命」や「幸せ」「意思」を問いかけるものです。若い世代ほど「老い」や「病」がまだ遠いものである方も多いでしょうから、なおさら大切な問いかけです。

「QOL」とは

「QOL」とは「Quality of Life」の略です。。

 Quality of Lifeは、その「よさ(質)」を問います。
「生命の質」と言えば、生きることの意味や価値が問われ、人間の生命の尊厳や、苦痛のない「いのちの状態」が問題となります。
「生活の質」と表現すれば、病気を抱えながらも、できるだけ普段通りの生活を送れることや、自立して生きられること(これは人間の幸福感の源です)を目指そうとし、「人生の質」と言えば、その人の「生きがい」、自分らしく生き切ること、自分の人生観に沿った生き方が実現できるかが注目されます。
つきつめれば、QOLは、そのいのちを生きる本人にとっての「幸福」や「満足」を意味しているのです。

p.9-10

「病気をしても、いつも通りに生活したい」「自分らしく生きたい」と願い、幸せに生きられる「質」の向上が求められています。「畳の上で死にたい」とか「最後は自宅で」と願う人は多いですし、延命治療をどこまで受け入れるのか、どこでやめるのかは、本人にも、また家族にとっても重大な決断になります。

同時に、医師や看護師、介護士らにとっても、クライアントのQOLは重大です。患者の願いを優先するのか、医療を施すべきなのか、悩みが生まれています。

医療の進歩が「QOL」をもたらした

かつて伝染病が蔓延し、たくさんの人々が死んでいった時代、個人のQOLよりも、患者の治療や隔離が重大でした。ことによってはパンデミックを引き起こし、国の存亡にまで関わることだからです。また、医療が十分に発達していなかった時代には、治療を受けることがリスクになることもありました。例えば麻酔がなかった時代や、抗生物質が発見される前の時代は、治療を受けない人もたくさんいました。

QOLは医療が十分に発達したことで、直ちに治療、隔離しなければ他の人の命にかかわるような環境から社会が脱したことによります。医療の進歩が、QOLの概念をもたらしたのです。

医療の進歩が「QOL」を難しくした

同時に、医療の進歩がQOLの判断を難しくしました。余命宣告をされ、手術により延命できるとき、それを受け入れるのか。認知症高齢者は、入院によって体力が落ち、寝たきりになることがあります。治療とにって食事が困難になるならば「おいしいものを食べたい」という欲求の、どちらを優先すべきなのか。

どれも答えのない問いです。本書ではたくさんの実例が紹介されています。

アメリカで起こった「リナーレス事件」では、生後7か月の子どもが風船を誤飲する事故を起こし、一命はとりとめますが、脳を損傷し自発呼吸ができず、意識も回復しないと告げれました。人工呼吸器につながれた息子を前に、父親は「息子の魂を自由にしてほしい」と人工呼吸器を外すよう頼みますが、医師は断ります。当時の考えでは、人工呼吸器を外すことは「殺人」に当たると考えられていたためです。8カ月ものあいだ父親は苦悩し、ある日ある決断をします。銃で医療者を脅し、誰も病室に近寄れないようにして、父親自らが人工呼吸器を外したのです。そして我が子を抱き、命が失われるのを確認してから、泣きながら自首をしました。

当時「延命治療がもたらした悲劇」として話題になったそうです。

本書ではこう考察されています。

 おそらく、彼は、息子のいのちが「生かされている」状況を見て、延命による生とQOLとのギャップを感じていたのではないでしょうか。それは、このような状態で生き続ける息子の「生命の質」は低いという、QOLの判断です。
その判断をもう少し抽象的にすれば、確かに生命は尊いけれど(息子の生命は自分にとってかけがえのないものだけれど)、その生命の状態によっては、生きるに値しない生命もあるということになります。

p.114-115

本来ならば、何が幸せで、何が活きるに値するかのQOLは、本人の意思によって決められるべきです。他の人が見て「あの人はQOLが低い」「あれは生きるに値しない」と決めることではありません。親であっても、我が子の命の判断をしても良いのでしょうか。

植物状態で意識もないと考えられていた人が、肉体が一切反応もなく動かないだけで、全くクリアに意識があった事例が話題になりました。その後、植物状態だと考えられていた人を検査しなおすと、同じような人がたくさん見つかったそうです。動かない肉体の中に、意識が閉じ込められた状態だったというわけ。タブレットを使って意思の疎通が取れるようになった人の話では、医師と家族とのやりとりなど、鮮明に覚えており、ずっと意識がハッキリとしていたといいます。

意識のない人や、QOLの判断ができない状態の人のQOLを、誰が決めるのかについて「生命倫理学」では統一見解がないそうです。

本人のQOL、家族のQOL

認知症で徘徊のある高齢者が骨折をしたとき、家族は「寝たきりのままでいい」と判断することも少なくないそうです。病気や怪我の本人のQOLのみならず、その人を介護する家族のQOLも絡んできます。

本書では羽田圭介さんの小説『スクラップ・アンド・ビルド』のエピソードが紹介されます。主人公は祖父が「自然死」を望んでいることから、祖父の身の回りの世話をなにもかも勝手出ます。祖父を「なにもしなくていい」状態に置き、体力を低下させ、判断力を失わせ、自然と死に導入させられると考えたからです。一方で、主人公の母は「皿は流しに持っていきなさい」「自分でなんでもやらなきゃ寝たきりになってしまうから」と、祖父に厳しく当たります。母には母の思いがあります。

祖父は自分のことを「早う死んだらよか」と言っていたのに、ある時お風呂場でバランスを崩し、主人公に助けられ「死ぬとこだった」と安堵します。その言葉を聞いて主人公はめまいを感じます。「早く死にたい」と望んでいた祖父が「死ぬとこだった」と言うからです。どちらが祖父の本音なのでしょうか? ……たぶんどちらも祖父の本音でしょう。

スクラップ・アンド・ビルド (文春文庫)

また、家族も「自宅で自然死してほしい」と願っていても、同時に「少しでも長く生きてほしい」と願ってもいます。自宅で死を迎える準備をしていたのに、いざ親や配偶者が目の前で発作を起こすと救急車を呼んでしまう人も少なくないそうです。そして、「もう一回話がしたい」と、「もう一回」を望むのです。

若い世代には馴染みのない話題をやさしく

本書『QOLって何だろう』は、ちくまプリマ―新書で、10代の人でも読めるように構成されています。副題に「医療ケアの生命倫理」と謳われていますが、若い人ほどまだ「病気」や「老い」に縁遠い人も多いでしょうから、多くの事例や例を挙げて紹介されています。

2016年の相模原障害者施設殺傷事件では、事件が海外でも報道されました。

 私はこの事件について新聞の取材を受けた際に、記者の方といろいろとお話したのですが、そのとき、つくづく感じたのは、この事件に対する、海外の反響と日本のそれとの大きな違いでした。
欧米では、優生思想に対して、世論がとても敏感に反応します。今回の事件でも、米国ホワイトハウスやローマ教皇は、すぐに声明を出しました。
ローマ教皇・フランシスコは、同日、事件で人命が失われたことに「悲嘆」を表明し、「困難なときにおける癒し」を祈り、日本における和解と平和を祈願していました。ホワイトハウスでも、プライス報道官は「相模原で起きた憎むべき攻撃で愛する人を殺害されたご家族に、米国は最も深い哀悼の意を表する」という声明を発表しました。
しかし、日本では、障害者がターゲットにされた事件だということに対して、国民の当事者意識が低いように感じられます。精神的に問題のある一人の男性が起こした凶悪事件という認識にとどまり、彼に「障害者はいなくなればいい」と言わしめてしまった社会のあり方や、いのちの尊厳について、根本から問い直すという問題意識が、希薄なのではないかと思えてなりませんでした。

p.16-17

日本は高齢社会ですから、これからますます「どう生きるか」「どう死ぬか」「幸せとはなにか」に社会は直面するでしょう。にもかかわらず、一般にはまだQOLの考え方は広まりきっていないですし、「命は誰が決めるのか」と議論する土壌すらまだないのかもしれません。

本書は、若い世代へ向けた生命倫理について問いかけるもので、明確な「答え」は存在しません。本人の意思だけでなく、苦悩する家族や医療者にも共感してしまい、答えが見つけられない人も多いでしょう。

幸せは自分で決める

あさよるは昔、路上で気分が悪くなって救急搬送されたことがあります(;’∀’)> その時に始めて「救急車の乗り心地は悪いんだなあ」と知り、カーテンで仕切られた処置室の天井を眺めながら「ここで死ぬのは嫌だなあ」としみじみ思いました。「最期のときは自宅で」と望む人がたくさんいる理由を痛感したのでした(ちなみに、今はもう元気っす)。

誰も病気になりたくないし、怪我や事故に遭いたくはない。叶うならどうか、静かに自宅で家族と一緒に居たいと願うのはおかしなことではありません。だけど、病や事故は突然やってくるもので、願いが叶わない人もいます。

今回、記事中ではかなりギリギリな例を挙げましたが、誰もがいつか最期の瞬間を迎えます。その時自分は「どう生きるのか」「どう死ぬのか」「何が幸せなのか」と考えることは、悪いことではないでしょう。

しかし、自分で選択するとはつまり、責任は自分が持つということでもあります。これまでのように「医師にお任せ」ではなく、自分の意識を持つことが迫られているとも言えます。自分の命の行く末を家族に決めさせるのも、それはそれで酷な話だろうと思います。やっぱり、自分でよく考えて、自分でよく調べて、家族に話しておくべきことじゃないかと思いました。本書はその助けとなる、最初の一冊になるでしょう。

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