こんにちは。あさよるです。わたしは中高生のころ一番得意だった&一番好きだった科目が数学だったんだけれども、高校を卒業して十数年経つと、なかなかにきれいさっぱり忘れている。たまに、時間のある時にちまちま復習をしてるが、筆算や因数分解のやり方とか、分数、対数とか怪しい……。
別に日に何時間も勉強する必要ないけれども、忘れない程度には思い出しておかないともったいないやね。今も超スローながらも、分数を復習している(;^ω^)
夢が叶う確率
『図解 確率の話』は中学、高校で習う数学の面白いところだけを抽出したような本だ。「図解」とあるように、小難しい数式ではなく、図で示されているから、じっくり読むと面白い。
第1章に「あきらめなければ夢は叶う?」という節がある。3割バッターでも、4回打席に立てば、ヒットを打つ確率は76%だそうだ。5回打席に立つと83%。成功確率が30%と低くても、回数が増えるずつ100%に近づいてゆく。450回やれば成功する確率は99%になるらしい。だけど、諦めてしまえば成功確率0%。
この話は、なんとなく実感としてわかる。わたしの友人でマンガを描いていた人が数人いたが、諦めずにずっとマンガを描き続けていた人は全員、一応はみんなが知ってるようなマンガ雑誌で連載したり、出版社から本を出版した。諦めた……というか、マンガを描くのをやめた人は当然ながらそれっきりだ。
わたしも制作の出身だけど、制作をやめずにずっと続けている人たちは、最初の1回で希望の職に就けなくとも、経験を積み、転職しながらより本人の希望に近い職に就いている印象がある。だけど、途中でやめちゃった人は、その例ではない。
小説家になるには、小説を完成させて出版社に持ち込んで……と、5回くらいやれば、それなりに仕事につながるという話も聞いたことがある。
意外と、「ずっと頑張ってればいつか成功する」というのは、キレイごとではなく実感として納得できる。それを今回、数学的な確率として考える切り口に出会えてよかった。
感覚と実際は違う
実感としてわかると言った後にこんな話をするのはナンですが、数学を勉強する意義は「実感と実際の隔たりがある」事柄があるからだろう。
右へ行くか左へ行くかで迷ったとき、感覚的には「こっち!」と思っても、実際に確率を計算すると間違っていることもある。動物はそういう間違い・勘違いをしてしまうようだから、AIは確率で物事を判断できるのがスゴイんじゃないかと思っている。
具体的には、例えばクジをひくとき、クジが完全に公平ではないことがある。本書では、あみだクジはクジを引く前から、どのスタートを選ぶかでアタリを引く確率は違っていると紹介している。
コインを投げた時、裏表が交互に出る確率よりも、同じ面が3回連続で出ることの方が多い。1/2の確率は、交互に起こるよりも、3回以上連続して起こるほうが多のだ。、これは図解されると納得できるんだけど、実感としてはわからない話だ。
大きな買い物をする時とか、なにかチャレンジするときなんかは、確率を頭に入れておきたい。
諦める前に確率を計算してもいいかもね
以前、このブログに、人当たりのいい人はガチャを回す回数が多いから、アタリを引く可能性が高いんじゃないか、みたいなことを書いた。
「成功の秘訣」とか「引き寄せ」とか、眉唾っぽい話も多いけれども、つまりは人間関係が良好な人は、人からチャンスを回してもらえる機会……つまりガチャを回す回数が多いんじゃないかってことだ。怒っている人より優しい人の方がみんなに好かれるし、いつも「すみません」と謝っている人より「ありがとう」と言ってる人の方がいい。自分が「いい話」を持っているとき、それを嫌いな人に教えたいとは思わない。
30%の確率で成功する人は、5回チャレンジすると成功確率が83%になると書いた。だけど実際には、回数が増えるごとに上手になって成功率が上がっていくことが多い。5回チャレンジしたら、回を追うごと上達して、83%以上の成功率になっているだろう。
確率を知ると、その確率を上げる方法や、チャレンジの回数を増やす方法を考えようと思える。闇雲に真っ暗な中を、“アタリがないかもしれないクジ”を引き続ける恐怖に苛まれるくらいなら、ちゃちゃっと計算しちゃって、さっさと上達させた方が早いんじゃなかろうか。確率の計算は、結構、かなり役に立つ。気がする。
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