70 芸術、美術

『創られた「日本の心」神話』|演歌とJ-POPは同級生?

『創られた「日本の心」神話』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。さて、西洋音楽史の歴史を扱う本を読んでいて、今わたしたちが「音楽」と呼んで親しんでいる形式は、意外にもとてもとても新しいことを知り驚いたのでした。そこで、もうちょい音楽について知りたいなーとリサーチしていたところ『創られた「日本の心」神話』を見つけました。本書は日本人の心のふるさとである「演歌」が、一つのジャンルとして定着したのは90年代であるという、衝撃的な内容のものです。

もちろん、演歌が人々に愛され、歌い継がれてきた系譜はもっと前から存在しますが、今の要は「演歌」という確固たるジャンルとして群を成し、また演歌を歌う歌手は、正統派で実力派揃いの演歌歌手である、という共通認識が登場したのは最近である、ということ。往年の演歌歌手の方々も、昔は流行歌を歌う、当時人気の歌手だったのです。

また、演歌について明らかにするために、本書では明治以降の日本の大衆芸能を幅広く取り扱います。とても情報量も多く、読み応えのある本です。

「日本の心」と「J-POP」

本書『創られた「日本の心」神話』は―「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史―と副題があり、今われわれが「演歌」というものがいつごろ登場したのかを探りながら、近代日本の大衆音楽史を紐解いてゆく内容です。「え、演歌って昔からの伝統的なモノじゃないの?」と思う方こそ、どうぞ本書をお手に取ってみてください。演歌は戦後、しかも結構つい最近に創られた、新しいジャンルだというのです。だけど、「なんとなく伝統的な」「なんとなく日本人の心を打つ」感じはどこから来るのでしょうか。

まず「演歌」という言葉は、明治期に「演説の歌」という意味で用いられていました。歌に言論を乗せていたのです。しかし、この「演歌」と、今わたしたちが「演歌」と呼んでいるものは、全くの連続がなされているわけではありません。むしろ、戦後のある時期に「演歌」という言葉が思い出され、新しい意味付けがなされたと考えた方が分かり良いでしょう。

明治時代、文明開化し、西洋の音楽が日本にも輸入され、西洋音楽の音階やリズムを日本人は身につけようとします。西洋のクラシック的なものが高尚で良いものと考えられ、日本の世俗的なものは低く考えられました。戦後アメリカ音楽が流行しますが、大衆にとって「正当な音楽」「高尚な音楽」はインテリのエリート的音楽と感じられるようになり、それに対してアウトロー的な歌が登場します。股旅物やヤクザものの、エリート的ではない=大衆的な歌として、現在「演歌」と呼ばれるものが流行します。しかしこの頃はまだ「演歌」とは呼ばれず、当時の流行歌です。

その後、テレビの時代がやってきて、テレビ主導のヒット曲の数々が登場します。それらは、テレビ番組でこぞって宣伝されて「売れた」ものもあれば、「あえてテレビ番組には出演しない」ことで〈芸術性〉を演出しながらも、テレビCMのタイアップで「売れた」ものもあります。テレビ番組に出演するのも、番組には出演しないけどCMタイアップをつけるのも、いずれも「テレビを使って売れた」ことでは同じです。

(あさよるは「昔テレビCMで売れた曲」というと『君のひとみは10000ボルト』を思い浮かべました。資生堂の化粧品のCMを見たことがあります)

テレビが流行を作る時代になると、後に「演歌」と呼ばれる歌は「古臭い」ものとなりながら、ナツメロとして残ります。ここで「どこか懐かしい」「昔からある」「伝統的な」というイメージが付与されます。そして、若手歌手(当時の)が、ナツメロをカバーすることで、ある種の権威付けとなってゆきます。本書では、森進一が当時のナツメロ集であり大ヒットした『影を慕いて』に寄せられた解説では、森進一が(後の)演歌的なメロディを歌うのは奇妙だであるという、今となれば奇妙な文が寄せられています。

こうして演歌は「伝統的な感じ」と「正統な感じ」を帯びてゆくのです。

そして、1990年代「J-POP」という言葉が用いられるようになったとき、「J-POP以外の歌」が「演歌・歌謡曲」と呼ばれ、ジャンルとなりました。現在われわれが慣れ親しみ、日本の伝統と正統性を感じる「演歌」は意外にも、一つのジャンルとして歩み出したのはつい最近なのですね。

『創られた「日本の心」神話』挿絵イラスト

近代大衆文化を一挙におさらい

以上が演歌が演歌になるまでの経緯をものすごくテキトーに書き並べたものなので、ぜひ興味のある方は本書をご参照ください。というのも、本書は「演歌」をテーマにしていますが、演歌について掘り下げるために、明治以降の近代日本の大衆音楽全般を一挙に扱っているのです。それらは「大衆の」ものであって、いわゆる「伝統手な」「高尚な」日本の文化ではなく、時代時代でオゲレツでアングラだった大衆文化が扱われているのです。

また、「昔の歌」というと、レコードとして普及し残っている曲が紹介されることがほとんどです(あさよるは深夜にラジオで昔の聞くのを好んでいた時期がありました)。しかし、レコードが普及する以前のものは残りにくいうえに、「大衆文化」はなかなか記録に残っていないものです。これだけ幅広く固有名詞や出典が挙げられているのは圧倒でした。情報量が多すぎ~。

軍歌童謡から、ピンクレディーに藤圭子に、北島三郎、美空ひばりに椎名林檎や小島麻由美、そして最後には半田健人まで飛び出す幅広すぎる一冊です。ブログ記事では紹介しきれるはずがないので、ぜひお手にどうぞ。

個人的には、あさよるの出身である大阪で親しまれている「河内音頭」について知りたいなあと文献を探していたのですが、見つからない。大学の先生にも相談してみたりしていたのですが、本書を読んで見つからないワケがわかりました。つまり、「そんなもの存在しない」ということなのね。本書では日本の近代の大衆文化について扱われていますが、「大衆文化」が今やっと研究対象になり始めているというのが現状っぽい。……ということは、河内音頭も自分で調べなければならないということ!?(;’∀’)>

「日本ローカル」は前時代?

さて、本書を読むとよくわかるのが、いかに近代日本人は「西洋クラシック」こそが本流とし続けてきたのかということです。現代でさえも、日本の文化を指し示すとき、西洋的な尺度を用いて語ってしまいます。西洋音楽を正解としつつ、だけど日本の俗な節回しも忘れられないようです。エリート的な西洋音楽と、「庶民の歌」という対比がイデオロギーとして解釈されているのも、現代の「反知性主義」や「ヤンキー文化」を連想させ、グルグルと考えが止まりません。

また地方から人が街へ集まり、都市化されてゆくなかで、都会と田舎という対比も生まれ、またそれらが混ざり合います。しかし、それらでさえも、現代のグローバリゼーションの前では「近代日本」という〈局地的〉な現象とも思えます。

あさよるは個人的に、2016年下半期に起こった世界的ブーム、ピコ太郎の「PPAP」を日本のテレビがきちんと扱えなかったことが、とてもとても腹立たしかったことを思い出しました。それはピコ太郎の扱いがぞんざいであったことも多少ありますが……余談として、あさよるはブロガーですから、ピコ太郎さんはマジ尊敬していて、いつもは「ピコ太郎先生」と呼ぶ程度にはリスペクトしていて、YouTubeライブの新曲発表を見ていて感動して目頭が熱くなるという、自分でもよくわからない感じになっていたりするw……ゲフゲフ。えっと、なもんで、テレビがピコ太郎先生をぞんざいに扱うことも多少気に入らなかったのですが、それ以上に「テレビはネット発のブームを扱えないんだ」という現実をまざまざと見せつけられてショックだったんだろうと、今になって思います。

あさよるも、なんだかんだと言いながら1980年代生まれのテレビっ子世代です。テレビは見なくなってしばらく経ちますが、それでも「テレビはスゴイもの」だった。いえ、テレビはスゴイものであってほしかった。なのに、もはやテレビはブームを作れないどころか、「世界のムーブメントすらろくに扱うことができない」という事実がショッキングでした。

「テレビはオワコン」だと思っていましたが、本当は「テレビの時代はもう過ぎていた」のかもしれません。

なにが言いたいかというと、もう次の時代が始まっちゃってるんじゃないの?ということです。「PPAP」はもう、これまでの尺度じゃ測れない。もうすでに、わたしたちは新しい次の世界から、「前時代」としての明治大正昭和そして平成の「J-POP」を俯瞰し始めているのではないか? 少なくとも本書『創られた「日本の心」神話』では、すでに平成初期は「歴史」になっています。

YouTubeはスゴイ!

本書『創られた「日本の心」神話』を読み解くにあたって、必要不可欠なのはYouTubeです。YouTubeはスゴイ。マジですごい。もしYouTubeがなかったら、本書で取り上げられている曲や演芸を実際に見聞きするためには、古書店を探しまくったり、演芸場に通い詰めたり、人づてで資料を持っている人を頭を下げて探し回るしかないんじゃないかと思います。しかし、世にはマニア・愛好家というスゴイ人がおりまして、彼らがネット上に情報を公開しているのです。ネット、YouTubeあってこそ過去に存在した歌・演芸に触れるチャンスがあるのです。

本書『創られた「日本の心」神話』があまりに面白かったので、同じ著者の『踊る昭和歌謡』もさっそく読みました。こちらでは、「踊らない音楽」が高尚で「踊る音楽」は低いものだと考えられていたことを踏まえ、庶民に愛される踊る音楽の変遷が紹介されます。ゴールデンボンバーや気志團まで。

踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書)

こっちもおすすめです。

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『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』|魑魅魍魎になる付喪神たち

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。いつもブログで紹介する本とは別に、ブログで紹介する気のない本も読んでいますw 斜め読みしかしなかったり、パラパラと内容をザックリ確認するだけで終わる読書もあるからです。今回読んだ『百鬼夜行絵巻をよむ』も、絵巻物のカラー写真が豊富で、絵を楽しむためだけのつもりでしたが、読み始めるとこれがとても面白い。「百鬼夜行絵巻」は日本美術史界ではあまり研究されていないようです。また「付喪神」についてほとんどのページが割かれているのですが、「付喪神」という存在も美術史界ではまだ研究する人は少ないっぽいですね。

あさよるも「百鬼夜行絵巻」を何度か見たことがあります。ちょっとイロモノ的な感じで、「妖怪」や「幽霊画」なんかが集められる展示会、ちょこちょこあるのでチェックしております。

例えば、あさよるが足を運んだ特別展はこんな感じ↓(いずれも会期終了)

「百鬼夜行絵巻」と付喪神

「百鬼夜行絵巻」と一まとめにされている絵巻をよく見ると、描かれているものが全然違っている、という指摘から本書『百鬼夜行絵巻をよむ』は始まります。これまで「百鬼夜行絵巻」は美術的価値は語られてきましたが、「なぜ百鬼夜行絵巻は生まれたのか」「百鬼夜行とは何か」を美術史家たちは語ってこなかったといいます。

現存している百鬼夜行絵巻では「百鬼夜行」と言いながら、付喪神たちの行列が描かれているものと、付喪神は登場せず動植物が描かれるもの。河童や入道など妖怪が描かれているものなど、絵巻が描かれた時代によって「百鬼夜行」の様子が違うのです。

平安時代では「百鬼夜行にもし出くわすと死んでしまう!」というとても恐ろしいものでした。しかし、室町時代に描かれた「百鬼夜行絵巻」では、付喪神が描かれ、しかも彼らはどこかユニークで恐ろしさは感じません。室町時代には、あんなに恐れられていた百鬼夜行が目に見える「物」として描かれています。それはもう、闇の中に潜む魑魅魍魎、怪異としてではなく「どうせ古道具じゃん」という一種、冷めた目線なんですね。

さらに江戸時代になると、「妖怪」が描かれ始め、百鬼夜行のバリエーションが増してゆきます。

これらの「百鬼夜行絵巻」の変遷と、これまでに描かれた「百鬼夜行絵巻」、そして付喪神という存在について解説されるのが本書『百鬼夜行絵巻をよむ』です。

『付喪神記』

あさよるが本書で初めて読んだのが『付喪神記』(現代語訳)でした。

『付喪神記』によると、道具が百年たつと魂を得て、人の心をたぶらかします。だから人々は節分のたびに物を捨てるのです。あるとき、捨てられた道具たちが集まって「これまで道具として働いたのに路上に捨てられて恨めしい。化け物になって仇を取ろう」と相談します。魑魅魍魎や孤老や人の姿になった化け物は、恐ろしい有様となり、都の北西の船岡山の後ろに暮らし始めます。そして、京・白川へ出ては人の肉や、牛馬の肉を食らいました。そして化け物たちは「この国はは神国だから、神を崇め祭礼をすれば子孫繁栄するだろう」と山の中に社を建て、神輿をつくり、真夜中に祭礼行列は一条通を行きます。

そのとき関白が通りかかり、化け物たちの祭礼行列を睨みつけ、関白が身に着けたお守りが燃え上がり化け物たちを退治します。その話を聞いた天皇が、真言密教の僧に祈祷を頼み、護法童子が化け物たちのところへ行き「仏門に入るなら命だけは助けやる」と話をつけました。そののち、化け物たちは剃髪して出家し、みなバラバラに散り、それぞれ修業をつんで、みんな成仏をします。

最後は「道路や屋敷には鬼神がいて、この鬼神が古道具に憑いて悪事をさせたのだろう。道具が自発的に化けることはないだろう。命あるものもなものも「阿字(書物の根源)」を持っているが、どうして古道具だけが鬼神の力で化けるのだろうか。それを深く知りたければ、密教の道へ入るように」とくくられます。

『付喪神記』の前半は古道具たちが付喪神となり京で悪さをする話で、後半は仏門に入り修行をし成仏をするまでお話。読み物として面白いのは前半ですね。そして「百鬼夜行絵巻」で描かれている、付喪神記たちの更新は、物語前半の祭礼行列であることもわかります。

「百鬼夜行絵巻」は当初、この『付喪神記』のストーリーが描かれていましたが、いつからか物語が抜け落ち、絵巻だけが伝承されたのではないかと推測されていました。

付喪神は今もいるのかしら

以下、あさよるの雑談です。

「付喪神」について「日本人は物にも神様が宿ると考えられていたんだ」という話をしますが、あさよる的には「そう考えられていた」という〈思想〉や〈考え〉とするのが現代的な解釈で、昔の人にとって「付喪神は〈いた〉」んじゃないのかなぁなんて思います。で、一体どんな状態に「付喪神」を見出したのかなぁと想像したりします。

あと、本書『百鬼夜行絵巻をよむ』でもたくさんのカラー資料が掲載されているのですが、付喪神とそれ以外の化け物と、なにがどうちがうのでしょうか。鳥獣戯画に出てくるような人のように二本足で歩く動物もいるし、そもそも「妖怪」ってのもなんだっけ? (と、また調べてみます……)

付喪神たちは、夜になると集まり行列を作り、朝になると元のモノの姿に戻ります。「物が勝手に動く」というと、『くるみ割り人形』や『オズの魔法使い』『ピノキオ』もそうですね。『トイストーリー』の世界を、一度は想像したことがある人は少なくないでしょう。おもちゃたちが人知れず動き回っている……恐ろしいような、そうであってほしいような空想です。「物が意志を持って動く」というイメージは日本だけのお話でもないようです。だけど、先に上げたおとぎ話と付喪神はなんかちょっと違う気もします。付喪神は、作り話の中のキャラクターというよりは、ネコやカエルのように、その辺りに実態を持って潜んでいるような感じがします。

「百年経つと人を惑わす」……わかりみ!

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』挿絵イラスト

先に紹介した『付喪神記』では「道具がが百年を経る化けて魂を得、人の心をたぶらかす」と書かれていました。これ、わかる! ……と思いません? 当あさよるネットでは、これまで「片づけ本」を数々紹介してきましたが、片づかない理由は「道具に心をたぶらかされてるんじゃね?」と思い至りましたw

人間の意志によって「物」をどうすることもできなくなって、ただただ人の生活が物に占領され、圧迫され、呑み込まれ「物に支配されてしまう」のはこれ、「物に心をたぶらかされている」!?

『付喪神記』では、だから人々は節分に物をあえて捨ててしまうんだと書かれています。うむ、わかる。それは大事なことかもしれない。今でも年末に大掃除する習慣がありますね。

物を粗末にするのはイカンけれども、だからといって物に支配されてしまうのもこれまた違う。付喪神は我が家にもすでに住んでいるのかもしれない。

百鬼夜行・付喪神といえば!

あさよる的に百鬼夜行、付喪神といえば、夢枕獏さんの『陰陽師』が大好きです。『陰陽師』の主人公・安倍晴明は幼いころ、師匠の賀茂忠行と夜道を行くとき百鬼夜行に出会い、師匠に知らせます。この件がきっかけで、賀茂忠行は清明の才能を見抜き、陰陽道のすべてを教え込みます。

この百鬼夜行の様子がたまらないのは、マンガ版の『陰陽師』の第一巻です。岡野玲子さんによる、菅原道真公と魑魅魍魎、付喪神たちが恐ろしくもキュートなんですよね~。

マンガ版『陰陽師』は夢枕獏さんの原作のコミカライズ版なのですが、巻を追うにつれどんどん岡野玲子ワールドに展開してゆき、後半はまったくのオリジナルの世界観になっています。あさよるは岡野玲子さんの『陰陽師』も好きです(^^♪

んで、あさよるネットも『陰陽師のすべて』という、夢枕獏さんの「陰陽師シリーズ」と、そこから派生したメディアミックス作品、また現代の「陰陽師モノ」「安倍晴明モノ」を総括し紹介するムック本を紹介しました(現在では文庫化、kindle化もされています)。

この『陰陽師のすべて』の中で、夢枕獏さん、荒俣宏さん、岡野玲子さんが鼎談なさっています。現在一つのジャンルとして確立されている「陰陽道」「安倍晴明」のルーツとして、80年代にヒットした荒俣宏さんの『帝都物語』の存在について語らっているのです。

そこで、あさよるも『帝都物語』を読みまして、世界観にどっぷり浸かっておりました。『帝都物語』では、「加藤」と名乗る詰め襟軍服姿の陰陽師がトリッキーな役どころで登場します。バトルがたまらんのですよね~。

と、今回『百鬼夜行絵巻をよむ』を読んで、「そういや椎名林檎の『神様、仏様』のMVも百鬼夜行がモチーフだったなぁ」とYouTubeで再生していると……加藤ぉっ!!ww

(↑1分3秒から再生します)

百鬼夜行=陰陽師=帝都物語=詰め襟・軍服 なんだ!と妙にうれしいw ちなみにこの方、どなたなのでしょう。トランペットの村田陽一さんなのかなぁ~。それにしても林檎ちゃんカッコいいやね。

(↑このジャケット、合成じゃなくって写真なんだって、ゴイスー)

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『カラオケ秘史』|誰も特許を取らなかった!4人のイノベーター

『カラオケ秘史』挿絵イラスト

こんにちは。人見知りで緊張しぃの あさよるです。興味本位で各方面に首を突っ込むのはいいのですが、人前で話すのは苦手だし、話し下手だし、「ああ、こんなことしなきゃよかった」と落ち込んでも後の祭り。引っ込み思案な自分を変えようと、度胸をつけるためボイトレやカラオケ必勝法を勉強したこともありましたw

『歌上手になる奇跡のボイストレーニングBOOK』でしばらく毎日練習して「体の中で声を響かせる」感覚を少しだけ感じ(た気がし)ました。だけど、やっぱ全然ダメですね~。

『カラオケ上達100の裏ワザ』は、カラオケというレジャーをより楽しむ本ですね。あさよるはカラオケにあまり行かないので、上達しようがないと後から気づいたのですが……(苦笑)。

さて、「カラオケ」ってすごく身近にある娯楽で、誰もが一度は行ってマイクを握ったことはあるでしょう。しかし昭和生まれの人はご存知のように、カラオケって今のように普及したのは90年代のことで、結構最近。それ以降、子どもたちが歌を歌うのが上手になったなんて言われてもいるそうです。余暇活動として音楽鑑賞をする人より、カラオケに行く人のほうが多いという調査もあるそうで、面白い話です。

カラオケは、近年の日本人……といわず世界での音楽受容の形を変えてしまったといってもいいでしょう。日本国内でも、ヒット曲が「カラオケで歌える曲」になってから久しいですね。なのに、カラオケについて研究はまだ始まったばかり?

カラオケ発明者列伝

『カラオケ秘史』は、今や世界中に広がり「音楽のあり方を変えてしまった」と言っても過言ではない「カラオケ」についてまとめられたものです。これだけ多くの人に愛され、親しまれているにも関わらず、カラオケは日本の文化の中でも低いもの、あるいは研究対象として扱われてこなかったため、これまでカラオケについてまとめられることもなかったそうです。

本書では、カラオケの発明の父として4名の男性が紹介されます。カラオケの装置をほぼ同時期に作った神戸で流しをやっていた井上大佑さんと、東京で電気組み立て工場を経営していた根岸重一さん。岡山市郊外で「カラオケボックス」を発明した佐藤洋一さん。そしてミシン会社・ブラザーから「配信カラオケ」を構想し形にした安友雄一さんです。さらにMIDIを作った梯郁太郎さん。そして今、カラオケ音源のデータを作っているミュージシャンで耳コピ職人の直井未明さんのお仕事も紹介されています。

カラオケを最初に発明した人……ヒットならず

まず、カラオケ業界では「カラオケを最初に発明した人は、20人はいる」と言われているそうです。それは「カラオケ」という定義がバラバラだからです。「カラオケ」という言葉は放送業界で「空オーケストラテープ」の略で使われていました。スタジオに歌手を呼んで、カラオケに合わせて歌を歌わせるためのものです。この、歌の入っていない「カラオケ」を放送するラジオ番組「歌のない歌謡曲」は今も放送中の人気番組です。

この「歌のない歌謡曲」の音源に合わせて、マイクを使って歌える装置「カラオケ」を作ったのが、根岸重一さん。根岸さんは東京のエンジニアで、日本人で初めて「カラオケ」を作った男です。NHKから借りた音源に合わせてマイクで歌える装置を作り「カラオケ」と名づけリースで貸出を始めましたが、「流し」の人たちから商売の邪魔をするなと苦情が入り、お店から撤収することとなりました。また、歌が抜かれただけの音源に合わせて素人が歌うのは難易度が高く、受け入れられにくかったようです。

同時期、カラオケを考案した人……大ヒット!

同時期、神戸で流しをしていた井上大佑さんは、お客さんの歌に合わせてキーやテンポを自在に変え、お客さんに愛されていました。伴奏だけ録音しておけば自分がいなくてもお客が歌えるため、自分の演奏を再生する装置の製作をを工務店に依頼しました。井上さんの流しでのレパートリーは、お客さんが歌いやすいようキーやテンポが編曲されており、さらにマイクにエコーをかけて気持ちよく歌えるようアレンジされています。これら、キーとテンポの変更、エコーの機能は、今のカラオケにも引き継がれています。この「素人が気持ちよく歌えるアレンジ」が井上さんのカラオケが受け入れられた一つの要因です。

また、東京での根岸さんと同様に、「流し」の仲間からのクレームが入りますが、井上さんご自身が流しであり「こんな作り物の音に負けるのか」と同業者に発破をかけ、難を逃れます。流行歌は大体一曲3分くらいであることを熟知している井上さんは、5分100円と時間制で再生ができるよう工夫もしました。5分だと中途半端な時間ですから、まとまった金額を最初に投入されます。これが大ヒット。のちのカラオケブームへと続きます。

この井上さんと根岸さんはほぼ同時期、同じ着想でカラオケを製作していますが、二人は面識もないそうです。歴史の中で、大発見や発明は同時期に同じようなことを構想する人はいるものですが、カラオケもまさにその通りですね。

カラオケボックスを発明した人

カラオケは飲み屋街で広まり、好景気だった時代の接待文化と相まって大ヒットしました。が、あくまで飲み屋での話。オジサンの間のブームといったところでしょうか。それが大転機を迎えるのが1992年、岡山市の郊外で飲食店を経営していた佐藤洋一さんが「カラオケボックス」という施設を発明します。佐藤さんは元トラック運転手で、岡山市郊外の産業道路に飲食店がないことに目をつけ、トラック運転手向けのうどん屋とカラオケ喫茶をオープンします。

ある日、奥様が入院し、一人で店を切り盛りするため、うどん屋にカラオケ機材を持ち込んだことが、カラオケボックスのアイデアに繋がります。うどん屋にカラオケを設置すると客からうるさいと言われ、カラオケ機材を引越そうとトラックのコンテナに積み込んだところ、「このまま営業すればいいじゃないか」とイノベーションが起こったのです。古いトラックコンテナを下取りし、ドアと窓を開け、断熱材を張り、リビングのような内装を施し、カラオケを設置したところ、これが大ヒットとなりました。先の飲み屋街のカラオケとは違い、主婦層や家族連れ、若者たちもカラオケに長蛇の列を作ったのです。

カラオケボックスは都市の郊外にたくさん作られました。当時好景気で土地の利用を考えていた地主たちにとって、コンテナを置くだけのカラオケは設置も撤去も簡単で、低リスクでハイリターンを期待できる良い投資でした。さらに郊外型カラオケボックスが、都心部へも進出します。都市部ではビルのワンフロアぶち抜きで、少人数から大人数まで対応できるカラオケ店が出現しました。しかし未だに「カラオケ〈ボックス〉」と呼ばれ続けていますから、コンテナの箱の中から始まった名残が残っています。

たった一人の研究者が作り上げた通信カラオケ

カラオケボックスの大ヒットで全国、老若男女にカラオケブームが起こりますが、「通信カラオケ」なくして現代のカラオケ文化を語れません。通信カラオケは、カラオケとは何の関係もないミシン会社のブラザーの研究員だった安友雄一さんが、たった一人で構想から実装まで成し遂げたというから驚きです。安友さんは「好きな研究をしてもいい」との約束で経営悪化を打破するためブラザーに招かれました。安友さんはパソコンソフトを通信で送って販売する「TAKERU」を開発しますが、後発のためシェア拡大は難しいと考えられました。ある時、音大の教授から授業で学生に作らせたたくさんのMIDIのデータを託され、このMIDIのデータをカラオケに転用できるとひらめきました。そして、そのMIDIのカラオケデータをTAKERUで全国のカラオケに通信で送信すれば、新しい曲をすぐにカラオケで歌えるようになります。

通信カラオケの搭乗前はレーザーディスクのカラオケが一般的でした。物理的に大きなレーザーディスクを補完するため場所が必要で、かつ新曲がリリースされても、それがレーザーディスク化され、カラオケ店に入荷されるまでのタイムラグがあります。現在、通信カラオケは新曲のリリースと同時にカラオケレパートリーにも加えられます。

通信カラオケは残念ながら「タイトー」に一足先を越されてしまい、当初はシェアも奪われていました。しかしタイトーのリリースした「X-二〇〇〇」は通信費がバカ高く、またたくさんの人が一斉に曲をリクエストすると曲をダウンロードし再生されるまで数時間かかる欠点がありました。しかし、安友さんが発表した「ジョイサウンド」はTAKERUのシステムに深夜のうちに電話のアナログ回線で接続し、新曲のMIDIデータをダウンロードします。一回の通信費は10円です。カラオケ営業中はすでにダウンロードしたデータを再生するだけなので時間もかかりません。口コミでジョイサウンドが広まり、通信カラオケの普及により、現在のカラオケ文化を形作りました。

世界に広まったワケ・特許を取らなかった

カラオケ文化の功労者4名についてザっと紹介しましたが、カラオケが日本と言わず世界に広まった理由は、4人のうち誰もカラオケの特許を取らなかったことにあります。そのおかげで、後発での多くの企業がカラオケ業界に参入し大きな産業になりました。

カラオケ装置とカラオケボックスを発明した3名は経営者で、商売の筋も良かったのに(カラオケという大ヒットを出している)、それ以上の儲けは考えていなかったよう。ただ多くの人に楽しんでもらえることを考えていたそうです。最後の通信カラオケを一人で作った安友さんは会社員の立場ですから、そもそも特許を取ってもその利益は自分に入らないと考え、それより自由に研究できる環境があればいいと考えておられるようでした。

あさよるのような浅ましい人間からすると、「なんと無欲な!もったいない!!」とポカーンとするのみ。

ちなみに世界的には、元流しの、神戸からカラオケを流行らせた井上大佑さんが「カラオケの発明者」として知られ、アメリカの「タイム」誌にて「アジアを変えた20人」に選ばれ、国内で一躍注目を集めました。どうやら「最初にカラオケを商業的に成功させた人」と世界に紹介されたのが、日本に逆輸入された際「カラオケの発明者」と解釈されたようです。

先に紹介した通り「カラオケ」と一口に言っても、「カラオケとはなにか」という定義によって発明者は変わります。しかし、現在のカラオケの広まりは、それを独り占めせず開かれていたからこそのカラオケ文化なんです。

大衆文化は残りにくいの?

90年代「〈新しい伝統〉としての演歌」が登場した経緯についてまとめられた『創られた「日本の心」神話』にて、大衆文化はメインカルチャーに比べ「低いもの」とみなされ、未だに記録や研究対象になっていないことについて知りました。この「カラオケ」という文化もまた、素人文化であり、大衆文化です。

カラオケ史についても同様で、まとめられた書物はまだ少ないようです。

素人文化悲喜こもごも

『カラオケ秘史』挿絵イラスト

カラオケって、現代版「寝床」ですよね。「寝床」は落語の演目で、人を集めては下手の横好きで「素人浄瑠璃」を語る大棚の旦那と、それにつき合わされる人々の災難がおかしいはなし。カラオケは長くても5分くらいで終わるので、浄瑠璃にくらべれば「ずっとマシ」に思えますがw ただ、延々と一晩中つき合わされたりするとうんざりですねw

あさよるが個人的に面白く感じるのは、「〇〇さん歌上手くてすごい!」とか「〇〇ちゃんの彼氏カラオケ上手くていいね」とか、カラオケで歌を上手に歌えることがその人物の評価軸になっていることです。とくに「〇〇ちゃんの彼、カラオケ上手いからいいね」というのは、よくよく考えるまでもなく、よくわからない話ですw 歌うこと以外に、こういう評価ってなかなかないですよね。「絵がうまい」とか「ダンスがうまい」とか人から評価されるポイントはそれぞれあるでしょうが、「カラオケで歌が上手い」というなんとも言えない〈インスタント感〉が面白く感じます。

大衆文化とは、普及すればするほど、空気のように「そこにあることに気が付かない」存在になって人々の間に溶け込んでゆくのかも。だから研究対処や記録の対象にならないのかもしれません。だけど、誰かが枝葉の話でもこうやって書き残しておくのは大事なことですね。

あさよるの自己紹介も「音楽はあまり聞きません」「カラオケはたまに行きます」ですから、他人事ではありません。

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『はじめての日本美術史』|飛鳥時代から昭和まで!仏像、絵巻、浮世絵、マンガ…

こんにちは。あさよるです。ちょこちょこ美術館や博物館へ足を運ぶことがあるんですけど、じっくり見るなら絶対一人で行かなきゃ見れないし(自分のペースで見れる)、だけどワチャワチャと楽しみながら鑑賞したり、鑑賞後に感想を語らいたい衝動もある。そのどちらも実現する方法ってないもんでしょうか。

関西在住のあさよるは、関西で開催される美術展はたまに覗きに行くので、今日読んだ『はじめての日本美術史』で紹介されている彫刻や絵画も、見たことある、親しみのあるものが多数紹介されていて楽しい^^ また、奈良県の法隆寺や薬師寺など、実際にそこへ足を運ばないと見れないものも、何度か拝んだことがありました。

一方で、一度は見てみたい「中尊寺金色堂」とかね! こりゃ旅行の計画立てなきゃ! なんて改めて思いました。「いつか行こう」だと、いつまでも行けない!

そんな悩ましい、日本美術を代表する45の美術品がオールカラーで紹介される『はじめての日本美術史』。年齢関係なく、いろんな人におすすめできる内容です。

日本の美術!像、絵、浮世絵、マンガ!

本書『はじめての日本美術史』は、タイトルのまま、日本の美術品を時代が古い順に紹介されるフルカラー本です。

「はじめに」では三輪山がご神体の大神大社(おおみやたいしゃ)が紹介されています。元々日本では、神様は目には見えないものであり、山や自然を崇拝していました。そこへ仏教が伝来し、「仏像」という偶像がやってきて、当時、仏教を受け入れるかどうか論争が起こったそうです。

そしていよいよ聖徳太子の時代から、本書『はじめての日本美術史』が始まります。一番最初に紹介されるのは法隆寺の釈迦三尊像です。飛鳥時代の仏像は、お顔立ちが異国風で、堀が深くて鼻が高くイケメンでございます。

イケメンといえば、あさよるは法隆寺の百済観音像が、その立ち姿から美しすぎて大好きです。お顔も美人なのですが、スラっとスマートで素敵。ぜひ関西へお越しの際は、法隆寺のミュージアムにお立ち寄りください(何)。

源氏物語絵巻の章では、なぜ「引き目鉤鼻」なのかという考察がありました。あさよるは「それが当時の流行の萌え絵だったから」と聞いていたのですがw、本書では「絵が下手説」と「見る人の想像に任せる説」が紹介されていました。前者はあまりにもあまりなので、後者を支持したくなりますねw 小説が実写化、アニメ化されたときの「え~、思ってたのと全然違う~」ってのを避けるため、あえて顔を無個性の名無し的にしているというものです。

中性、近世の屏風絵や浮世絵なんかを経て、一番最後は手塚治虫『ブラック・ジャック』でしめられております。ちなみに、患者を安楽死させる医師・キリコが高笑いする中、ブラック・ジャックが「それでも私は 人をは治すんだっ 自分が生きるために!!」と叫ぶシーンが掲載されておりました。

ブラック・ジャック 1

あさよるはブラック・ジャック先生のことを本当に一人の人としてマジで好きで、これは恋なんですけどね、先生があまりに好きすぎるせいで、ピノコが嫌で嫌で、嫉妬で自分の体が爆発しそうになるから、実はマトモに読めないんですよね。嫉妬からこんなに醜い気持ちが湧き上がってくるのかと。もう、今も思い出して身震いしてきた。

全編フルカラーで、教科書で見たことあるもの、修学旅行で見たことあるもの、テレビで見たことあるもの、初めてみたもの、ざっくり年代別に網羅的に紹介されています。

美術の使いドコロ

美術の知識ってどういうときに役立つんでしょうねぇ。歴史の勉強をする時、ただ年号や出来事を覚えるよりも、実際に残されている美術品なんかを関連付けながら覚えると楽しいですね。

また、旅行の楽しみにも。そこでしか見れない美術品、建築物、景色なんかを見るのが楽しみです。

「物の見方」を考えるとき、それぞれの時代の人が何を見てたんだろうとか、何に価値を感じていたり、どんな理由でそれが作られたのかなんて考えるのも、いい取っ掛かりになるんじゃないでしょうか。

あと、単純に美術品って面白いし、ミュージアムもフラッと立ち寄ると楽しめます。美術鑑賞はコスパの良い趣味じゃないかなぁと思っています(美術品取集しはじめると大変だが…)。

本書『はじめての日本美術』で紹介されている美術品は、教養として知っているとどこかで役立つ知識だろうと思われます(`・ω・´)>

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ビジネス書としての『西洋美術史』|美術史は世界史を知ることだったりして

こんにちは。あさよるです。あさよるは一応、美術科出身でして(自分でも忘れがちですが)、ちょこちょこ美術関連の本は読んでいます。今日読んだのは『西洋美術史』という、タイトルはすごく平凡。だけど副題が「世界のビジネスエリートが身につける教養」とあり、ビジネス書になってるんです。

最近はこういう教養本の話題本が多いですね。本書『西洋美術史』も話題になってたので、手に取ってみました。

内容は、真面目な西洋美術史入門編って感じなのですが、取り上げられている美術作品は近年日本で話題になった美術展の作品も多く「実際に美術館で見た!」って人も多いかも。ブリューゲル「バベルの塔」(バベル展)や、「レディー・ジェーン・グレイの処刑」(怖い絵展)って、昨年でしたっけ。

「バベル展」@国立国際美術館(大阪)2017/09/14

↑あさよるも足を運びまして、感想を書こうと思いつつ放置してた(;^ω^)

教養としての美術史

『西洋美術史』は「世界のビジネスエリートが身につける教養」と副題がついているのが面白いところです。内容自体は普通に西洋美術史を紹介する本なんですが、この副題によってビジネス書になっているのですね。なるほど。今のグローバルな時代、これくらいの西洋美術史は知っていてもムダにはならないでしょう。というか、一般教養の範疇かなぁと思います。

本書『西洋美術史』で知られることはまず、「美術作品はただ見た目がキレイで、気持ちよくさせてくれるもの」ではないということ。美術作品を自分の「感性」のみで観賞しようとする人がいますが、実はそういう代物じゃない。「どうしてその作品は創られたのか」「創った人はどんな人か」「当時の人たちはその作品をどう扱ったのか」なんかを読み解いてゆくと、時代背景や、宗教観、歴史的出来事、科学や医学、哲学など他の分野の進歩など、絡み合ってその作品が存在しているのがわかります。

本書『西洋美術史』も、古代ギリシャから話が始まります。ギリシャ人たちは、

人間の姿は神から授かったものであり、美しい人間の姿は神々が喜ぶもの(p.16-17)

と考えていました。だからギリシャ彫刻はあんなに均整がとれて美しいのです。また、無表情なのも、感情を露にするのは慎んだ方がいいと考えられていたからだそうです。ギリシャ彫刻をモデルにした石膏像って、学校の美術室なんかに据えられていましたが、あの石膏像の元ネタを知るのも面白いですね。

で、そのギリシャ人たちが作った彫刻をコピーし、商品化したのがローマ人でした。コピーがつくられたことで、後世までギリシャ彫刻が伝えられもいます。それが古典となり、今に至る西洋美術の原点になっているのです。

思想・宗教、歴史を押える

美術・芸術を知るとき、同時に知ることになるのがギリシャ神話だったりキリスト教思想だったり、多くの日本人にとっては異文化の思想です。本書『西洋美術史』でも、ギリシャ人たちの思想がローマ帝国へ広がり、そしてアジアからキリスト教が入ってきて国教となり、キリスト教の宗教画や、キリスト教の思想に沿った作品が創られます。またその歴史の中では、伝染病が流行ったり、王様の時代から貴族の時代、市民の時代へと移り変わったり、社会もダイナミックに変化し続けます。

西洋美術史を知ることは、ヨーロッパの歴史、世界史を知ることでもあります。

また、近代の画家たちは日本の浮世絵に影響を受けたという話がありますが、日本の絵師たちも西洋絵画を学んでいます。江戸時代の鎖国中にも西洋絵画の技法がじわじわっと入ってきていて、文化と文化は常に交じり合い、影響しあい、変化し続けているんです。

「子ども向け」を読めない大人へ

本書『西洋美術史』の内容って、普通の西洋美術の歴史なのですが(つまり、奇をてらったり話題先行のものではなく、真面目な内容です)、「ビジネスエリートが」と副題をついていることが面白いと紹介しました。

この手の本は、中高生向けに書かれた本が秀逸で、わかりやすく良い本が多いんです。あさよるネットでも、10代向けの教養本をたまに紹介しています。美術史を扱ったものだと、池上英洋さんの『西洋美術史入門』なんか。

あさよる自身も「はじめて触れる知識は、子ども向けの本から読もう」と思っていて、小学生向けに書かれた本から中高生向けと、だんだん対象年齢を上げながら勉強することが多いです。子ども向けの本、オススメです。さらに、書店よりも、図書館のほうが探しやすくてオススメです。

なんですが、子ども向けの本を読む習慣がない方や、抵抗がある方もいらっしゃるようで、本書のような大人の教養本も必要なのかなぁと思います。そして、本書のような切り口は面白いとも感じました。

子ども時代に美術に触れる機会がなくても、大人になってから興味がわくこともあります。そんなとき、こんな導入本があるのは便利です。

知識が増えると感性も磨かれる

あさよるは、知識が増えることは、より多くの情報を入力できるようになり、結果的に自分の感性がより刺激され、磨かれてゆくことだと思っています。もし、なんの知識もない方が感受性が豊かなのだとしたら、生まれたばかりの赤ちゃんが一番感性豊かなことになります。だけど、自分自身の経験でも、周りの人を見ていても、赤ちゃんの頃よりも、言葉を覚えた子どものほうがより多くの刺激を感じているだろうし、さらに肉体も精神も成長した思春期の方が、強い刺激にさらされているように思います。

大人はロマンチストです。他人の話や、作り話に触れて涙したり感動したり、友人や仲間、伴侶や恋人など、他人をまるで自分の一部のように想い、怒ったり喜んだりもします。こういうの、子どもの頃にはなかった感覚じゃないかなぁと思います。

だから恐れず知識を吸収しても、好奇心は尽きないんじゃないかなぁ。知れば知るほど面白い世界。美術の沼へいらっしゃい。

美術関連の本で定番は『カラー版 西洋美術史』あたりでしょうか。

増補新装 カラー版 西洋美術史

この本は、有史以前、人類が登場した氷河期から始まります。とにかくたくさんの作品がカラーで詰め込まれています。最初の一冊にはしんどいかもしれませんが、入門編として早い時期に読んでおきたい。

テレビでもおなじみの山田五郎さんの『知識ゼロからの西洋絵画史入門』も西洋美術史の面白がり方を知れる内容でした。

知識ゼロからの西洋絵画史入門

あと、面白かったのが『知識ゼロからの名画入門』 。著者は「なんでも鑑定団」の鑑定家でもある永井龍之介さんで、「もしあの名画を買うならいくらか?」という本。

知識ゼロからの名画入門

当然のことながら、とんでもない値段がつきまくるんですが「なぜその値段なのか」「どんなところに価値をつけるのか」というのが面白かったです。美術品はその作品自体が宝物や、世界に一つしかない物ですから、お金には換算できない。それをあえて「○億円」と鑑定して、その理由がくっついてるのが新鮮に思えました。

以上3冊はブログでも紹介したいなぁと思いながら放置していたので、ここでかわりに挙げておきますw

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