70 芸術、美術

『阿修羅像のひみつ』|CTスキャンで3Dデータ化された阿修羅たち

こんにちは。あさよるです。奈良国立博物館で現在開催中の「第70回 正倉院展」に行けたらいいなぁと思いつつ、時間的にビミョーなので悩み中です。奈良へ行くなら、中金堂が再建された興福寺にも行きたいんです。時期的にも今は行楽シーズンだし、行きたいなぁ~。

ということで、あさよるは興福寺の国宝館が大好きでして、ちょいちょい覗きに行きます。興福寺国宝館にはあの阿修羅像が展示されており、いつでも会えるのもたまりません。今回手に取った『阿修羅像のひみつ』も、そんなワクワクの中探し出しました。阿修羅像をCTスキャンし、科学的な目で、内部構造を解き明かすものです。オモロー!

阿修羅像をCTスキャンした記録

奈良県奈良市の興福寺の中金堂がいよいよ再建されました^^ あさよるも近いうちに見に行きたいです。興福寺で人気なのが、“あの”阿修羅像です。2009年、興福寺建立1300年記念として、東京上野の国立博物館で「阿修羅展」がとても話題になり、ご存知の方も多いでしょう。……というか、なんで阿修羅展がそんなに話題になったんや~と不思議に思うのですが、なんで奈良ではいつでも見れるのに話題にならないんでしょう(;^ω^)

阿修羅展が全国を巡回し、阿修羅像の修復と研究がなされました。その際、文化財のCTスキャナが設置されている九州博物館で、阿修羅像をCTスキャンし、内部の構造まで詳しく解明された記録が紹介されるのが本書『阿修羅像のひみつ』です。研究にかかわった研究者の方々が一章ずつ分担して執筆なさっています。

現在の阿修羅像は、両手を胸の前で合掌しています。しかし、二本の腕はかつて失われており、明治時期の修復で、合掌した形に修復されたと推測されていました。現在では、文化財保存の観点から、修復はしても、基本はそのままの状態をキープするのが原則です。「取れていた腕をつけなおす」というのは、現在では不可能な修復。明治期、まだ江戸時代までの雰囲気が残る中で、そのような修復がなされたのでしょう。と言っても、結果的に今の合掌の姿が人の心を打つわけで、ギリギリ時代に「間に合った修復」といったところでしょうか。

阿修羅像のつくりかた

阿修羅像が3Dデータ化され、モデリングされているのも面白いです。打ち込まれた釘の形を再現し、実際に釘を作り、同じように阿修羅像を再現されていました。

阿修羅像は「乾漆造」といって、木で骨組みを作り、その上から土で形を作ります。さらにその上に布を漆などの接着剤を使って張り、重ね、像の表面を作ってゆきます。完成したら、布に穴をあけ、中の土と骨組みを取り出します。そして再度、像の内側を木の骨組みで補強し、釘で固定し、布をふさぎます。

阿修羅像がどのように創られたのか、実際にレプリカを作る様子を写真で紹介されています。

あさよるも「乾漆造」という言葉は知っていましたが、実際にどのように作られるのか写真つきで知れて良かったです。立体の造形物を作ってる人なんかも、刺激になると思います。

阿修羅だけじゃないよ

ざざっと阿修羅像の話だけしましたが、興福寺のほかの像もCTスキャンされています。実際に興福寺の国宝館で見ると、阿修羅はもちろんなんだけど、阿修羅の周りにいるほかの八部衆もめっちゃカッコいいんですよね~。創作してる人とか、絶対一度は見て欲しい。迦楼羅像とか、すでにあんなモデリングの名人が1300年前にいたんですね。今でもめっちゃバリバリ参考になると思います。

内側から像を支える木材の特定も、CTスキャンすれば破壊せずにできます。文化財の研究家だけじゃなく、木材の研究の視点からも語られているのも面白く思いました。木の断面から、なんの木材が使われているのかAIに学習させる取り組みも試みられているそうです。

実際に阿修羅像を複製してみて制作過程を再現しているのですが、その際、当時使われていた道具も再現されています。阿修羅像が作られた時代は、木目方向に切れるのこぎりがなかったそうで、のみで叩いて割られていました。道具について、もっとページを割いて紹介して欲しかったなあと個人的に思いました。

信仰の対象として

一部、興福寺側はCTスキャンを拒んでいたという話が広まっていたそうなのですが、実際には興福寺側も九州博物館でのCTスキャンを早い段階で承諾なさったそうです。信仰の対象物ですが、CTスキャンされ3Dデータ化されたからって、価値が変わるものではありません。

むしろ、1300年前の仏師の仕事ぶりや、1300年間人々が大事に手入れしながら守り続けた事実が際立ち、理解が深まることでより大切な存在だと感じました。

興福寺に行くのが楽しみ^^♪

これまで興福寺の国宝館で数度、阿修羅像をまじまじと見ましたが、これまで「で、阿修羅ってなに?」ってことろからよくわかっていませんでした。

本書『阿修羅像のひみつ』では古代ゾロアスター教の神様の阿修羅が、インドの神様と壮絶な戦いに明け暮れ、ついに敗れ、悪神になり、一旦は邪悪な神となります。その後、ブッダと出会い、仏の世界へ入って善き神となります。阿修羅に歴史ありですね。そんな話もあやふやにしか知らなかったので、本書で改めてまとめられており勉強になりました。

もちろん「もっと知りたい!」と思うなら、本書じゃ満足できないでしょう。だからこそ最初の一冊にぴったりです。美術や造形物に興味のある方にもぜひおすすめしたいです。

関連記事

続きを読む

ビジネス書としての『西洋美術史』|美術史は世界史を知ることだったりして

こんにちは。あさよるです。あさよるは一応、美術科出身でして(自分でも忘れがちですが)、ちょこちょこ美術関連の本は読んでいます。今日読んだのは『西洋美術史』という、タイトルはすごく平凡。だけど副題が「世界のビジネスエリートが身につける教養」とあり、ビジネス書になってるんです。

最近はこういう教養本の話題本が多いですね。本書『西洋美術史』も話題になってたので、手に取ってみました。

内容は、真面目な西洋美術史入門編って感じなのですが、取り上げられている美術作品は近年日本で話題になった美術展の作品も多く「実際に美術館で見た!」って人も多いかも。ブリューゲル「バベルの塔」(バベル展)や、「レディー・ジェーン・グレイの処刑」(怖い絵展)って、昨年でしたっけ。

「バベル展」@国立国際美術館(大阪)2017/09/14

↑あさよるも足を運びまして、感想を書こうと思いつつ放置してた(;^ω^)

教養としての美術史

『西洋美術史』は「世界のビジネスエリートが身につける教養」と副題がついているのが面白いところです。内容自体は普通に西洋美術史を紹介する本なんですが、この副題によってビジネス書になっているのですね。なるほど。今のグローバルな時代、これくらいの西洋美術史は知っていてもムダにはならないでしょう。というか、一般教養の範疇かなぁと思います。

本書『西洋美術史』で知られることはまず、「美術作品はただ見た目がキレイで、気持ちよくさせてくれるもの」ではないということ。美術作品を自分の「感性」のみで観賞しようとする人がいますが、実はそういう代物じゃない。「どうしてその作品は創られたのか」「創った人はどんな人か」「当時の人たちはその作品をどう扱ったのか」なんかを読み解いてゆくと、時代背景や、宗教観、歴史的出来事、科学や医学、哲学など他の分野の進歩など、絡み合ってその作品が存在しているのがわかります。

本書『西洋美術史』も、古代ギリシャから話が始まります。ギリシャ人たちは、

人間の姿は神から授かったものであり、美しい人間の姿は神々が喜ぶもの(p.16-17)

と考えていました。だからギリシャ彫刻はあんなに均整がとれて美しいのです。また、無表情なのも、感情を露にするのは慎んだ方がいいと考えられていたからだそうです。ギリシャ彫刻をモデルにした石膏像って、学校の美術室なんかに据えられていましたが、あの石膏像の元ネタを知るのも面白いですね。

で、そのギリシャ人たちが作った彫刻をコピーし、商品化したのがローマ人でした。コピーがつくられたことで、後世までギリシャ彫刻が伝えられもいます。それが古典となり、今に至る西洋美術の原点になっているのです。

思想・宗教、歴史を押える

美術・芸術を知るとき、同時に知ることになるのがギリシャ神話だったりキリスト教思想だったり、多くの日本人にとっては異文化の思想です。本書『西洋美術史』でも、ギリシャ人たちの思想がローマ帝国へ広がり、そしてアジアからキリスト教が入ってきて国教となり、キリスト教の宗教画や、キリスト教の思想に沿った作品が創られます。またその歴史の中では、伝染病が流行ったり、王様の時代から貴族の時代、市民の時代へと移り変わったり、社会もダイナミックに変化し続けます。

西洋美術史を知ることは、ヨーロッパの歴史、世界史を知ることでもあります。

また、近代の画家たちは日本の浮世絵に影響を受けたという話がありますが、日本の絵師たちも西洋絵画を学んでいます。江戸時代の鎖国中にも西洋絵画の技法がじわじわっと入ってきていて、文化と文化は常に交じり合い、影響しあい、変化し続けているんです。

「子ども向け」を読めない大人へ

本書『西洋美術史』の内容って、普通の西洋美術の歴史なのですが(つまり、奇をてらったり話題先行のものではなく、真面目な内容です)、「ビジネスエリートが」と副題をついていることが面白いと紹介しました。

この手の本は、中高生向けに書かれた本が秀逸で、わかりやすく良い本が多いんです。あさよるネットでも、10代向けの教養本をたまに紹介しています。美術史を扱ったものだと、池上英洋さんの『西洋美術史入門』なんか。

あさよる自身も「はじめて触れる知識は、子ども向けの本から読もう」と思っていて、小学生向けに書かれた本から中高生向けと、だんだん対象年齢を上げながら勉強することが多いです。子ども向けの本、オススメです。さらに、書店よりも、図書館のほうが探しやすくてオススメです。

なんですが、子ども向けの本を読む習慣がない方や、抵抗がある方もいらっしゃるようで、本書のような大人の教養本も必要なのかなぁと思います。そして、本書のような切り口は面白いとも感じました。

子ども時代に美術に触れる機会がなくても、大人になってから興味がわくこともあります。そんなとき、こんな導入本があるのは便利です。

知識が増えると感性も磨かれる

あさよるは、知識が増えることは、より多くの情報を入力できるようになり、結果的に自分の感性がより刺激され、磨かれてゆくことだと思っています。もし、なんの知識もない方が感受性が豊かなのだとしたら、生まれたばかりの赤ちゃんが一番感性豊かなことになります。だけど、自分自身の経験でも、周りの人を見ていても、赤ちゃんの頃よりも、言葉を覚えた子どものほうがより多くの刺激を感じているだろうし、さらに肉体も精神も成長した思春期の方が、強い刺激にさらされているように思います。

大人はロマンチストです。他人の話や、作り話に触れて涙したり感動したり、友人や仲間、伴侶や恋人など、他人をまるで自分の一部のように想い、怒ったり喜んだりもします。こういうの、子どもの頃にはなかった感覚じゃないかなぁと思います。

だから恐れず知識を吸収しても、好奇心は尽きないんじゃないかなぁ。知れば知るほど面白い世界。美術の沼へいらっしゃい。

美術関連の本で定番は『カラー版 西洋美術史』あたりでしょうか。

カラー版 西洋美術史

この本は、有史以前、人類が登場した氷河期から始まります。とにかくたくさんの作品がカラーで詰め込まれています。最初の一冊にはしんどいかもしれませんが、入門編として早い時期に読んでおきたい。

テレビでもおなじみの山田五郎さんの『知識ゼロからの西洋絵画史入門』も西洋美術史の面白がり方を知れる内容でした。

知識ゼロからの西洋絵画史入門

あと、面白かったのが『知識ゼロからの名画入門』 。著者は「なんでも鑑定団」の鑑定家でもある永井龍之介さんで、「もしあの名画を買うならいくらか?」という本。

知識ゼロからの名画入門

当然のことながら、とんでもない値段がつきまくるんですが「なぜその値段なのか」「どんなところに価値をつけるのか」というのが面白かったです。美術品はその作品自体が宝物や、世界に一つしかない物ですから、お金には換算できない。それをあえて「○億円」と鑑定して、その理由がくっついてるのが新鮮に思えました。

以上3冊はブログでも紹介したいなぁと思いながら放置していたので、ここでかわりに挙げておきますw

関連記事

続きを読む

『はじめての日本美術史』|飛鳥時代から昭和まで!仏像、絵巻、浮世絵、マンガ…

こんにちは。あさよるです。ちょこちょこ美術館や博物館へ足を運ぶことがあるんですけど、じっくり見るなら絶対一人で行かなきゃ見れないし(自分のペースで見れる)、だけどワチャワチャと楽しみながら鑑賞したり、鑑賞後に感想を語らいたい衝動もある。そのどちらも実現する方法ってないもんでしょうか。

関西在住のあさよるは、関西で開催される美術展はたまに覗きに行くので、今日読んだ『はじめての日本美術史』で紹介されている彫刻や絵画も、見たことある、親しみのあるものが多数紹介されていて楽しい^^ また、奈良県の法隆寺や薬師寺など、実際にそこへ足を運ばないと見れないものも、何度か拝んだことがありました。

一方で、一度は見てみたい「中尊寺金色堂」とかね! こりゃ旅行の計画立てなきゃ! なんて改めて思いました。「いつか行こう」だと、いつまでも行けない!

そんな悩ましい、日本美術を代表する45の美術品がオールカラーで紹介される『はじめての日本美術史』。年齢関係なく、いろんな人におすすめできる内容です。

日本の美術!像、絵、浮世絵、マンガ!

本書『はじめての日本美術史』は、タイトルのまま、日本の美術品を時代が古い順に紹介されるフルカラー本です。

「はじめに」では三輪山がご神体の大神大社(おおみやたいしゃ)が紹介されています。元々日本では、神様は目には見えないものであり、山や自然を崇拝していました。そこへ仏教が伝来し、「仏像」という偶像がやってきて、当時、仏教を受け入れるかどうか論争が起こったそうです。

そしていよいよ聖徳太子の時代から、本書『はじめての日本美術史』が始まります。一番最初に紹介されるのは法隆寺の釈迦三尊像です。飛鳥時代の仏像は、お顔立ちが異国風で、堀が深くて鼻が高くイケメンでございます。

イケメンといえば、あさよるは法隆寺の百済観音像が、その立ち姿から美しすぎて大好きです。お顔も美人なのですが、スラっとスマートで素敵。ぜひ関西へお越しの際は、法隆寺のミュージアムにお立ち寄りください(何)。

源氏物語絵巻の章では、なぜ「引き目鉤鼻」なのかという考察がありました。あさよるは「それが当時の流行の萌え絵だったから」と聞いていたのですがw、本書では「絵が下手説」と「見る人の想像に任せる説」が紹介されていました。前者はあまりにもあまりなので、後者を支持したくなりますねw 小説が実写化、アニメ化されたときの「え~、思ってたのと全然違う~」ってのを避けるため、あえて顔を無個性の名無し的にしているというものです。

中性、近世の屏風絵や浮世絵なんかを経て、一番最後は手塚治虫『ブラック・ジャック』でしめられております。ちなみに、患者を安楽死させる医師・キリコが高笑いする中、ブラック・ジャックが「それでも私は 人をは治すんだっ 自分が生きるために!!」と叫ぶシーンが掲載されておりました。

ブラック・ジャック 1 (少年チャンピオン・コミックス)

あさよるはブラック・ジャック先生のことを本当に一人の人としてマジで好きで、これは恋なんですけどね、先生があまりに好きすぎるせいで、ピノコが嫌で嫌で、嫉妬で自分の体が爆発しそうになるから、実はマトモに読めないんですよね。嫉妬からこんなに醜い気持ちが湧き上がってくるのかと。もう、今も思い出して身震いしてきた。

全編フルカラーで、教科書で見たことあるもの、修学旅行で見たことあるもの、テレビで見たことあるもの、初めてみたもの、ざっくり年代別に網羅的に紹介されています。

美術の使いドコロ

美術の知識ってどういうときに役立つんでしょうねぇ。歴史の勉強をする時、ただ年号や出来事を覚えるよりも、実際に残されている美術品なんかを関連付けながら覚えると楽しいですね。

また、旅行の楽しみにも。そこでしか見れない美術品、建築物、景色なんかを見るのが楽しみです。

「物の見方」を考えるとき、それぞれの時代の人が何を見てたんだろうとか、何に価値を感じていたり、どんな理由でそれが作られたのかなんて考えるのも、いい取っ掛かりになるんじゃないでしょうか。

あと、単純に美術品って面白いし、ミュージアムもフラッと立ち寄ると楽しめます。美術鑑賞はコスパの良い趣味じゃないかなぁと思っています(美術品取集しはじめると大変だが…)。

本書『はじめての日本美術』で紹介されている美術品は、教養として知っているとどこかで役立つ知識だろうと思われます(`・ω・´)>

関連記事

続きを読む

『カラオケ秘史』|誰も特許を取らなかった!4人のイノベーター

『カラオケ秘史』挿絵イラスト

こんにちは。人見知りで緊張しぃの あさよるです。興味本位で各方面に首を突っ込むのはいいのですが、人前で話すのは苦手だし、話し下手だし、「ああ、こんなことしなきゃよかった」と落ち込んでも後の祭り。引っ込み思案な自分を変えようと、度胸をつけるためボイトレやカラオケ必勝法を勉強したこともありましたw

『歌上手になる奇跡のボイストレーニングBOOK』でしばらく毎日練習して「体の中で声を響かせる」感覚を少しだけ感じ(た気がし)ました。だけど、やっぱ全然ダメですね~。

『カラオケ上達100の裏ワザ』は、カラオケというレジャーをより楽しむ本ですね。あさよるはカラオケにあまり行かないので、上達しようがないと後から気づいたのですが……(苦笑)。

さて、「カラオケ」ってすごく身近にある娯楽で、誰もが一度は行ってマイクを握ったことはあるでしょう。しかし昭和生まれの人はご存知のように、カラオケって今のように普及したのは90年代のことで、結構最近。それ以降、子どもたちが歌を歌うのが上手になったなんて言われてもいるそうです。余暇活動として音楽鑑賞をする人より、カラオケに行く人のほうが多いという調査もあるそうで、面白い話です。

カラオケは、近年の日本人……といわず世界での音楽受容の形を変えてしまったといってもいいでしょう。日本国内でも、ヒット曲が「カラオケで歌える曲」になってから久しいですね。なのに、カラオケについて研究はまだ始まったばかり?

カラオケ発明者列伝

『カラオケ秘史』は、今や世界中に広がり「音楽のあり方を変えてしまった」と言っても過言ではない「カラオケ」についてまとめられたものです。これだけ多くの人に愛され、親しまれているにも関わらず、カラオケは日本の文化の中でも低いもの、あるいは研究対象として扱われてこなかったため、これまでカラオケについてまとめられることもなかったそうです。

本書では、カラオケの発明の父として4名の男性が紹介されます。カラオケの装置をほぼ同時期に作った神戸で流しをやっていた井上大佑さんと、東京で電気組み立て工場を経営していた根岸重一さん。岡山市郊外で「カラオケボックス」を発明した佐藤洋一さん。そしてミシン会社・ブラザーから「配信カラオケ」を構想し形にした安友雄一さんです。さらにMIDIを作った梯郁太郎さん。そして今、カラオケ音源のデータを作っているミュージシャンで耳コピ職人の直井未明さんのお仕事も紹介されています。

カラオケを最初に発明した人……ヒットならず

まず、カラオケ業界では「カラオケを最初に発明した人は、20人はいる」と言われているそうです。それは「カラオケ」という定義がバラバラだからです。「カラオケ」という言葉は放送業界で「空オーケストラテープ」の略で使われていました。スタジオに歌手を呼んで、カラオケに合わせて歌を歌わせるためのものです。この、歌の入っていない「カラオケ」を放送するラジオ番組「歌のない歌謡曲」は今も放送中の人気番組です。

この「歌のない歌謡曲」の音源に合わせて、マイクを使って歌える装置「カラオケ」を作ったのが、根岸重一さん。根岸さんは東京のエンジニアで、日本人で初めて「カラオケ」を作った男です。NHKから借りた音源に合わせてマイクで歌える装置を作り「カラオケ」と名づけリースで貸出を始めましたが、「流し」の人たちから商売の邪魔をするなと苦情が入り、お店から撤収することとなりました。また、歌が抜かれただけの音源に合わせて素人が歌うのは難易度が高く、受け入れられにくかったようです。

同時期、カラオケを考案した人……大ヒット!

同時期、神戸で流しをしていた井上大佑さんは、お客さんの歌に合わせてキーやテンポを自在に変え、お客さんに愛されていました。伴奏だけ録音しておけば自分がいなくてもお客が歌えるため、自分の演奏を再生する装置の製作をを工務店に依頼しました。井上さんの流しでのレパートリーは、お客さんが歌いやすいようキーやテンポが編曲されており、さらにマイクにエコーをかけて気持ちよく歌えるようアレンジされています。これら、キーとテンポの変更、エコーの機能は、今のカラオケにも引き継がれています。この「素人が気持ちよく歌えるアレンジ」が井上さんのカラオケが受け入れられた一つの要因です。

また、東京での根岸さんと同様に、「流し」の仲間からのクレームが入りますが、井上さんご自身が流しであり「こんな作り物の音に負けるのか」と同業者に発破をかけ、難を逃れます。流行歌は大体一曲3分くらいであることを熟知している井上さんは、5分100円と時間制で再生ができるよう工夫もしました。5分だと中途半端な時間ですから、まとまった金額を最初に投入されます。これが大ヒット。のちのカラオケブームへと続きます。

この井上さんと根岸さんはほぼ同時期、同じ着想でカラオケを製作していますが、二人は面識もないそうです。歴史の中で、大発見や発明は同時期に同じようなことを構想する人はいるものですが、カラオケもまさにその通りですね。

カラオケボックスを発明した人

カラオケは飲み屋街で広まり、好景気だった時代の接待文化と相まって大ヒットしました。が、あくまで飲み屋での話。オジサンの間のブームといったところでしょうか。それが大転機を迎えるのが1992年、岡山市の郊外で飲食店を経営していた佐藤洋一さんが「カラオケボックス」という施設を発明します。佐藤さんは元トラック運転手で、岡山市郊外の産業道路に飲食店がないことに目をつけ、トラック運転手向けのうどん屋とカラオケ喫茶をオープンします。

ある日、奥様が入院し、一人で店を切り盛りするため、うどん屋にカラオケ機材を持ち込んだことが、カラオケボックスのアイデアに繋がります。うどん屋にカラオケを設置すると客からうるさいと言われ、カラオケ機材を引越そうとトラックのコンテナに積み込んだところ、「このまま営業すればいいじゃないか」とイノベーションが起こったのです。古いトラックコンテナを下取りし、ドアと窓を開け、断熱材を張り、リビングのような内装を施し、カラオケを設置したところ、これが大ヒットとなりました。先の飲み屋街のカラオケとは違い、主婦層や家族連れ、若者たちもカラオケに長蛇の列を作ったのです。

カラオケボックスは都市の郊外にたくさん作られました。当時好景気で土地の利用を考えていた地主たちにとって、コンテナを置くだけのカラオケは設置も撤去も簡単で、低リスクでハイリターンを期待できる良い投資でした。さらに郊外型カラオケボックスが、都心部へも進出します。都市部ではビルのワンフロアぶち抜きで、少人数から大人数まで対応できるカラオケ店が出現しました。しかし未だに「カラオケ〈ボックス〉」と呼ばれ続けていますから、コンテナの箱の中から始まった名残が残っています。

たった一人の研究者が作り上げた通信カラオケ

カラオケボックスの大ヒットで全国、老若男女にカラオケブームが起こりますが、「通信カラオケ」なくして現代のカラオケ文化を語れません。通信カラオケは、カラオケとは何の関係もないミシン会社のブラザーの研究員だった安友雄一さんが、たった一人で構想から実装まで成し遂げたというから驚きです。安友さんは「好きな研究をしてもいい」との約束で経営悪化を打破するためブラザーに招かれました。安友さんはパソコンソフトを通信で送って販売する「TAKERU」を開発しますが、後発のためシェア拡大は難しいと考えられました。ある時、音大の教授から授業で学生に作らせたたくさんのMIDIのデータを託され、このMIDIのデータをカラオケに転用できるとひらめきました。そして、そのMIDIのカラオケデータをTAKERUで全国のカラオケに通信で送信すれば、新しい曲をすぐにカラオケで歌えるようになります。

通信カラオケの搭乗前はレーザーディスクのカラオケが一般的でした。物理的に大きなレーザーディスクを補完するため場所が必要で、かつ新曲がリリースされても、それがレーザーディスク化され、カラオケ店に入荷されるまでのタイムラグがあります。現在、通信カラオケは新曲のリリースと同時にカラオケレパートリーにも加えられます。

通信カラオケは残念ながら「タイトー」に一足先を越されてしまい、当初はシェアも奪われていました。しかしタイトーのリリースした「X-二〇〇〇」は通信費がバカ高く、またたくさんの人が一斉に曲をリクエストすると曲をダウンロードし再生されるまで数時間かかる欠点がありました。しかし、安友さんが発表した「ジョイサウンド」はTAKERUのシステムに深夜のうちに電話のアナログ回線で接続し、新曲のMIDIデータをダウンロードします。一回の通信費は10円です。カラオケ営業中はすでにダウンロードしたデータを再生するだけなので時間もかかりません。口コミでジョイサウンドが広まり、通信カラオケの普及により、現在のカラオケ文化を形作りました。

世界に広まったワケ・特許を取らなかった

カラオケ文化の功労者4名についてザっと紹介しましたが、カラオケが日本と言わず世界に広まった理由は、4人のうち誰もカラオケの特許を取らなかったことにあります。そのおかげで、後発での多くの企業がカラオケ業界に参入し大きな産業になりました。

カラオケ装置とカラオケボックスを発明した3名は経営者で、商売の筋も良かったのに(カラオケという大ヒットを出している)、それ以上の儲けは考えていなかったよう。ただ多くの人に楽しんでもらえることを考えていたそうです。最後の通信カラオケを一人で作った安友さんは会社員の立場ですから、そもそも特許を取ってもその利益は自分に入らないと考え、それより自由に研究できる環境があればいいと考えておられるようでした。

あさよるのような浅ましい人間からすると、「なんと無欲な!もったいない!!」とポカーンとするのみ。

ちなみに世界的には、元流しの、神戸からカラオケを流行らせた井上大佑さんが「カラオケの発明者」として知られ、アメリカの「タイム」誌にて「アジアを変えた20人」に選ばれ、国内で一躍注目を集めました。どうやら「最初にカラオケを商業的に成功させた人」と世界に紹介されたのが、日本に逆輸入された際「カラオケの発明者」と解釈されたようです。

先に紹介した通り「カラオケ」と一口に言っても、「カラオケとはなにか」という定義によって発明者は変わります。しかし、現在のカラオケの広まりは、それを独り占めせず開かれていたからこそのカラオケ文化なんです。

大衆文化は残りにくいの?

90年代「〈新しい伝統〉としての演歌」が登場した経緯についてまとめられた『創られた「日本の心」神話』にて、大衆文化はメインカルチャーに比べ「低いもの」とみなされ、未だに記録や研究対象になっていないことについて知りました。この「カラオケ」という文化もまた、素人文化であり、大衆文化です。

カラオケ史についても同様で、まとめられた書物はまだ少ないようです。

素人文化悲喜こもごも

『カラオケ秘史』挿絵イラスト

カラオケって、現代版「寝床」ですよね。「寝床」は落語の演目で、人を集めては下手の横好きで「素人浄瑠璃」を語る大棚の旦那と、それにつき合わされる人々の災難がおかしいはなし。カラオケは長くても5分くらいで終わるので、浄瑠璃にくらべれば「ずっとマシ」に思えますがw ただ、延々と一晩中つき合わされたりするとうんざりですねw

あさよるが個人的に面白く感じるのは、「〇〇さん歌上手くてすごい!」とか「〇〇ちゃんの彼氏カラオケ上手くていいね」とか、カラオケで歌を上手に歌えることがその人物の評価軸になっていることです。とくに「〇〇ちゃんの彼、カラオケ上手いからいいね」というのは、よくよく考えるまでもなく、よくわからない話ですw 歌うこと以外に、こういう評価ってなかなかないですよね。「絵がうまい」とか「ダンスがうまい」とか人から評価されるポイントはそれぞれあるでしょうが、「カラオケで歌が上手い」というなんとも言えない〈インスタント感〉が面白く感じます。

大衆文化とは、普及すればするほど、空気のように「そこにあることに気が付かない」存在になって人々の間に溶け込んでゆくのかも。だから研究対処や記録の対象にならないのかもしれません。だけど、誰かが枝葉の話でもこうやって書き残しておくのは大事なことですね。

あさよるの自己紹介も「音楽はあまり聞きません」「カラオケはたまに行きます」ですから、他人事ではありません。

関連記事

続きを読む

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』|魑魅魍魎になる付喪神たち

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。いつもブログで紹介する本とは別に、ブログで紹介する気のない本も読んでいますw 斜め読みしかしなかったり、パラパラと内容をザックリ確認するだけで終わる読書もあるからです。今回読んだ『百鬼夜行絵巻をよむ』も、絵巻物のカラー写真が豊富で、絵を楽しむためだけのつもりでしたが、読み始めるとこれがとても面白い。「百鬼夜行絵巻」は日本美術史界ではあまり研究されていないようです。また「付喪神」についてほとんどのページが割かれているのですが、「付喪神」という存在も美術史界ではまだ研究する人は少ないっぽいですね。

あさよるも「百鬼夜行絵巻」を何度か見たことがあります。ちょっとイロモノ的な感じで、「妖怪」や「幽霊画」なんかが集められる展示会、ちょこちょこあるのでチェックしております。

例えば、あさよるが足を運んだ特別展はこんな感じ↓(いずれも会期終了)

「百鬼夜行絵巻」と付喪神

「百鬼夜行絵巻」と一まとめにされている絵巻をよく見ると、描かれているものが全然違っている、という指摘から本書『百鬼夜行絵巻をよむ』は始まります。これまで「百鬼夜行絵巻」は美術的価値は語られてきましたが、「なぜ百鬼夜行絵巻は生まれたのか」「百鬼夜行とは何か」を美術史家たちは語ってこなかったといいます。

現存している百鬼夜行絵巻では「百鬼夜行」と言いながら、付喪神たちの行列が描かれているものと、付喪神は登場せず動植物が描かれるもの。河童や入道など妖怪が描かれているものなど、絵巻が描かれた時代によって「百鬼夜行」の様子が違うのです。

平安時代では「百鬼夜行にもし出くわすと死んでしまう!」というとても恐ろしいものでした。しかし、室町時代に描かれた「百鬼夜行絵巻」では、付喪神が描かれ、しかも彼らはどこかユニークで恐ろしさは感じません。室町時代には、あんなに恐れられていた百鬼夜行が目に見える「物」として描かれています。それはもう、闇の中に潜む魑魅魍魎、怪異としてではなく「どうせ古道具じゃん」という一種、冷めた目線なんですね。

さらに江戸時代になると、「妖怪」が描かれ始め、百鬼夜行のバリエーションが増してゆきます。

これらの「百鬼夜行絵巻」の変遷と、これまでに描かれた「百鬼夜行絵巻」、そして付喪神という存在について解説されるのが本書『百鬼夜行絵巻をよむ』です。

『付喪神記』

あさよるが本書で初めて読んだのが『付喪神記』(現代語訳)でした。

『付喪神記』によると、道具が百年たつと魂を得て、人の心をたぶらかします。だから人々は節分のたびに物を捨てるのです。あるとき、捨てられた道具たちが集まって「これまで道具として働いたのに路上に捨てられて恨めしい。化け物になって仇を取ろう」と相談します。魑魅魍魎や孤老や人の姿になった化け物は、恐ろしい有様となり、都の北西の船岡山の後ろに暮らし始めます。そして、京・白川へ出ては人の肉や、牛馬の肉を食らいました。そして化け物たちは「この国はは神国だから、神を崇め祭礼をすれば子孫繁栄するだろう」と山の中に社を建て、神輿をつくり、真夜中に祭礼行列は一条通を行きます。

そのとき関白が通りかかり、化け物たちの祭礼行列を睨みつけ、関白が身に着けたお守りが燃え上がり化け物たちを退治します。その話を聞いた天皇が、真言密教の僧に祈祷を頼み、護法童子が化け物たちのところへ行き「仏門に入るなら命だけは助けやる」と話をつけました。そののち、化け物たちは剃髪して出家し、みなバラバラに散り、それぞれ修業をつんで、みんな成仏をします。

最後は「道路や屋敷には鬼神がいて、この鬼神が古道具に憑いて悪事をさせたのだろう。道具が自発的に化けることはないだろう。命あるものもなものも「阿字(書物の根源)」を持っているが、どうして古道具だけが鬼神の力で化けるのだろうか。それを深く知りたければ、密教の道へ入るように」とくくられます。

『付喪神記』の前半は古道具たちが付喪神となり京で悪さをする話で、後半は仏門に入り修行をし成仏をするまでお話。読み物として面白いのは前半ですね。そして「百鬼夜行絵巻」で描かれている、付喪神記たちの更新は、物語前半の祭礼行列であることもわかります。

「百鬼夜行絵巻」は当初、この『付喪神記』のストーリーが描かれていましたが、いつからか物語が抜け落ち、絵巻だけが伝承されたのではないかと推測されていました。

付喪神は今もいるのかしら

以下、あさよるの雑談です。

「付喪神」について「日本人は物にも神様が宿ると考えられていたんだ」という話をしますが、あさよる的には「そう考えられていた」という〈思想〉や〈考え〉とするのが現代的な解釈で、昔の人にとって「付喪神は〈いた〉」んじゃないのかなぁなんて思います。で、一体どんな状態に「付喪神」を見出したのかなぁと想像したりします。

あと、本書『百鬼夜行絵巻をよむ』でもたくさんのカラー資料が掲載されているのですが、付喪神とそれ以外の化け物と、なにがどうちがうのでしょうか。鳥獣戯画に出てくるような人のように二本足で歩く動物もいるし、そもそも「妖怪」ってのもなんだっけ? (と、また調べてみます……)

付喪神たちは、夜になると集まり行列を作り、朝になると元のモノの姿に戻ります。「物が勝手に動く」というと、『くるみ割り人形』や『オズの魔法使い』『ピノキオ』もそうですね。『トイストーリー』の世界を、一度は想像したことがある人は少なくないでしょう。おもちゃたちが人知れず動き回っている……恐ろしいような、そうであってほしいような空想です。「物が意志を持って動く」というイメージは日本だけのお話でもないようです。だけど、先に上げたおとぎ話と付喪神はなんかちょっと違う気もします。付喪神は、作り話の中のキャラクターというよりは、ネコやカエルのように、その辺りに実態を持って潜んでいるような感じがします。

「百年経つと人を惑わす」……わかりみ!

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』挿絵イラスト

先に紹介した『付喪神記』では「道具がが百年を経る化けて魂を得、人の心をたぶらかす」と書かれていました。これ、わかる! ……と思いません? 当あさよるネットでは、これまで「片づけ本」を数々紹介してきましたが、片づかない理由は「道具に心をたぶらかされてるんじゃね?」と思い至りましたw

人間の意志によって「物」をどうすることもできなくなって、ただただ人の生活が物に占領され、圧迫され、呑み込まれ「物に支配されてしまう」のはこれ、「物に心をたぶらかされている」!?

『付喪神記』では、だから人々は節分に物をあえて捨ててしまうんだと書かれています。うむ、わかる。それは大事なことかもしれない。今でも年末に大掃除する習慣がありますね。

物を粗末にするのはイカンけれども、だからといって物に支配されてしまうのもこれまた違う。付喪神は我が家にもすでに住んでいるのかもしれない。

百鬼夜行・付喪神といえば!

あさよる的に百鬼夜行、付喪神といえば、夢枕獏さんの『陰陽師』が大好きです。『陰陽師』の主人公・安倍晴明は幼いころ、師匠の賀茂忠行と夜道を行くとき百鬼夜行に出会い、師匠に知らせます。この件がきっかけで、賀茂忠行は清明の才能を見抜き、陰陽道のすべてを教え込みます。

この百鬼夜行の様子がたまらないのは、マンガ版の『陰陽師』の第一巻です。岡野玲子さんによる、菅原道真公と魑魅魍魎、付喪神たちが恐ろしくもキュートなんですよね~。

マンガ版『陰陽師』は夢枕獏さんの原作のコミカライズ版なのですが、巻を追うにつれどんどん岡野玲子ワールドに展開してゆき、後半はまったくのオリジナルの世界観になっています。あさよるは岡野玲子さんの『陰陽師』も好きです(^^♪

んで、あさよるネットも『陰陽師のすべて』という、夢枕獏さんの「陰陽師シリーズ」と、そこから派生したメディアミックス作品、また現代の「陰陽師モノ」「安倍晴明モノ」を総括し紹介するムック本を紹介しました(現在では文庫化、kindle化もされています)。

この『陰陽師のすべて』の中で、夢枕獏さん、荒俣宏さん、岡野玲子さんが鼎談なさっています。現在一つのジャンルとして確立されている「陰陽道」「安倍晴明」のルーツとして、80年代にヒットした荒俣宏さんの『帝都物語』の存在について語らっているのです。

そこで、あさよるも『帝都物語』を読みまして、世界観にどっぷり浸かっておりました。『帝都物語』では、「加藤」と名乗る詰め襟軍服姿の陰陽師がトリッキーな役どころで登場します。バトルがたまらんのですよね~。

と、今回『百鬼夜行絵巻をよむ』を読んで、「そういや椎名林檎の『神様、仏様』のMVも百鬼夜行がモチーフだったなぁ」とYouTubeで再生していると……加藤ぉっ!!ww

(↑1分3秒から再生します)

百鬼夜行=陰陽師=帝都物語=詰め襟・軍服 なんだ!と妙にうれしいw ちなみにこの方、どなたなのでしょう。トランペットの村田陽一さんなのかなぁ~。それにしても林檎ちゃんカッコいいやね。

(↑このジャケット、合成じゃなくって写真なんだって、ゴイスー)

関連記事

続きを読む

『創られた「日本の心」神話』|演歌とJ-POPは同級生?

『創られた「日本の心」神話』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。さて、西洋音楽史の歴史を扱う本を読んでいて、今わたしたちが「音楽」と呼んで親しんでいる形式は、意外にもとてもとても新しいことを知り驚いたのでした。そこで、もうちょい音楽について知りたいなーとリサーチしていたところ『創られた「日本の心」神話』を見つけました。本書は日本人の心のふるさとである「演歌」が、一つのジャンルとして定着したのは90年代であるという、衝撃的な内容のものです。

もちろん、演歌が人々に愛され、歌い継がれてきた系譜はもっと前から存在しますが、今の要は「演歌」という確固たるジャンルとして群を成し、また演歌を歌う歌手は、正統派で実力派揃いの演歌歌手である、という共通認識が登場したのは最近である、ということ。往年の演歌歌手の方々も、昔は流行歌を歌う、当時人気の歌手だったのです。

また、演歌について明らかにするために、本書では明治以降の日本の大衆芸能を幅広く取り扱います。とても情報量も多く、読み応えのある本です。

「日本の心」と「J-POP」

本書『創られた「日本の心」神話』は―「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史―と副題があり、今われわれが「演歌」というものがいつごろ登場したのかを探りながら、近代日本の大衆音楽史を紐解いてゆく内容です。「え、演歌って昔からの伝統的なモノじゃないの?」と思う方こそ、どうぞ本書をお手に取ってみてください。演歌は戦後、しかも結構つい最近に創られた、新しいジャンルだというのです。だけど、「なんとなく伝統的な」「なんとなく日本人の心を打つ」感じはどこから来るのでしょうか。

まず「演歌」という言葉は、明治期に「演説の歌」という意味で用いられていました。歌に言論を乗せていたのです。しかし、この「演歌」と、今わたしたちが「演歌」と呼んでいるものは、全くの連続がなされているわけではありません。むしろ、戦後のある時期に「演歌」という言葉が思い出され、新しい意味付けがなされたと考えた方が分かり良いでしょう。

明治時代、文明開化し、西洋の音楽が日本にも輸入され、西洋音楽の音階やリズムを日本人は身につけようとします。西洋のクラシック的なものが高尚で良いものと考えられ、日本の世俗的なものは低く考えられました。戦後アメリカ音楽が流行しますが、大衆にとって「正当な音楽」「高尚な音楽」はインテリのエリート的音楽と感じられるようになり、それに対してアウトロー的な歌が登場します。股旅物やヤクザものの、エリート的ではない=大衆的な歌として、現在「演歌」と呼ばれるものが流行します。しかしこの頃はまだ「演歌」とは呼ばれず、当時の流行歌です。

その後、テレビの時代がやってきて、テレビ主導のヒット曲の数々が登場します。それらは、テレビ番組でこぞって宣伝されて「売れた」ものもあれば、「あえてテレビ番組には出演しない」ことで〈芸術性〉を演出しながらも、テレビCMのタイアップで「売れた」ものもあります。テレビ番組に出演するのも、番組には出演しないけどCMタイアップをつけるのも、いずれも「テレビを使って売れた」ことでは同じです。

(あさよるは「昔テレビCMで売れた曲」というと『君のひとみは10000ボルト』を思い浮かべました。資生堂の化粧品のCMを見たことがあります)

テレビが流行を作る時代になると、後に「演歌」と呼ばれる歌は「古臭い」ものとなりながら、ナツメロとして残ります。ここで「どこか懐かしい」「昔からある」「伝統的な」というイメージが付与されます。そして、若手歌手(当時の)が、ナツメロをカバーすることで、ある種の権威付けとなってゆきます。本書では、森進一が当時のナツメロ集であり大ヒットした『影を慕いて』に寄せられた解説では、森進一が(後の)演歌的なメロディを歌うのは奇妙だであるという、今となれば奇妙な文が寄せられています。

こうして演歌は「伝統的な感じ」と「正統な感じ」を帯びてゆくのです。

そして、1990年代「J-POP」という言葉が用いられるようになったとき、「J-POP以外の歌」が「演歌・歌謡曲」と呼ばれ、ジャンルとなりました。現在われわれが慣れ親しみ、日本の伝統と正統性を感じる「演歌」は意外にも、一つのジャンルとして歩み出したのはつい最近なのですね。

『創られた「日本の心」神話』挿絵イラスト

近代大衆文化を一挙におさらい

以上が演歌が演歌になるまでの経緯をものすごくテキトーに書き並べたものなので、ぜひ興味のある方は本書をご参照ください。というのも、本書は「演歌」をテーマにしていますが、演歌について掘り下げるために、明治以降の近代日本の大衆音楽全般を一挙に扱っているのです。それらは「大衆の」ものであって、いわゆる「伝統手な」「高尚な」日本の文化ではなく、時代時代でオゲレツでアングラだった大衆文化が扱われているのです。

また、「昔の歌」というと、レコードとして普及し残っている曲が紹介されることがほとんどです(あさよるは深夜にラジオで昔の聞くのを好んでいた時期がありました)。しかし、レコードが普及する以前のものは残りにくいうえに、「大衆文化」はなかなか記録に残っていないものです。これだけ幅広く固有名詞や出典が挙げられているのは圧倒でした。情報量が多すぎ~。

軍歌童謡から、ピンクレディーに藤圭子に、北島三郎、美空ひばりに椎名林檎や小島麻由美、そして最後には半田健人まで飛び出す幅広すぎる一冊です。ブログ記事では紹介しきれるはずがないので、ぜひお手にどうぞ。

個人的には、あさよるの出身である大阪で親しまれている「河内音頭」について知りたいなあと文献を探していたのですが、見つからない。大学の先生にも相談してみたりしていたのですが、本書を読んで見つからないワケがわかりました。つまり、「そんなもの存在しない」ということなのね。本書では日本の近代の大衆文化について扱われていますが、「大衆文化」が今やっと研究対象になり始めているというのが現状っぽい。……ということは、河内音頭も自分で調べなければならないということ!?(;’∀’)>

「日本ローカル」は前時代?

さて、本書を読むとよくわかるのが、いかに近代日本人は「西洋クラシック」こそが本流とし続けてきたのかということです。現代でさえも、日本の文化を指し示すとき、西洋的な尺度を用いて語ってしまいます。西洋音楽を正解としつつ、だけど日本の俗な節回しも忘れられないようです。エリート的な西洋音楽と、「庶民の歌」という対比がイデオロギーとして解釈されているのも、現代の「反知性主義」や「ヤンキー文化」を連想させ、グルグルと考えが止まりません。

また地方から人が街へ集まり、都市化されてゆくなかで、都会と田舎という対比も生まれ、またそれらが混ざり合います。しかし、それらでさえも、現代のグローバリゼーションの前では「近代日本」という〈局地的〉な現象とも思えます。

あさよるは個人的に、2016年下半期に起こった世界的ブーム、ピコ太郎の「PPAP」を日本のテレビがきちんと扱えなかったことが、とてもとても腹立たしかったことを思い出しました。それはピコ太郎の扱いがぞんざいであったことも多少ありますが……余談として、あさよるはブロガーですから、ピコ太郎さんはマジ尊敬していて、いつもは「ピコ太郎先生」と呼ぶ程度にはリスペクトしていて、YouTubeライブの新曲発表を見ていて感動して目頭が熱くなるという、自分でもよくわからない感じになっていたりするw……ゲフゲフ。えっと、なもんで、テレビがピコ太郎先生をぞんざいに扱うことも多少気に入らなかったのですが、それ以上に「テレビはネット発のブームを扱えないんだ」という現実をまざまざと見せつけられてショックだったんだろうと、今になって思います。

あさよるも、なんだかんだと言いながら1980年代生まれのテレビっ子世代です。テレビは見なくなってしばらく経ちますが、それでも「テレビはスゴイもの」だった。いえ、テレビはスゴイものであってほしかった。なのに、もはやテレビはブームを作れないどころか、「世界のムーブメントすらろくに扱うことができない」という事実がショッキングでした。

「テレビはオワコン」だと思っていましたが、本当は「テレビの時代はもう過ぎていた」のかもしれません。

なにが言いたいかというと、もう次の時代が始まっちゃってるんじゃないの?ということです。「PPAP」はもう、これまでの尺度じゃ測れない。もうすでに、わたしたちは新しい次の世界から、「前時代」としての明治大正昭和そして平成の「J-POP」を俯瞰し始めているのではないか? 少なくとも本書『創られた「日本の心」神話』では、すでに平成初期は「歴史」になっています。

YouTubeはスゴイ!

本書『創られた「日本の心」神話』を読み解くにあたって、必要不可欠なのはYouTubeです。YouTubeはスゴイ。マジですごい。もしYouTubeがなかったら、本書で取り上げられている曲や演芸を実際に見聞きするためには、古書店を探しまくったり、演芸場に通い詰めたり、人づてで資料を持っている人を頭を下げて探し回るしかないんじゃないかと思います。しかし、世にはマニア・愛好家というスゴイ人がおりまして、彼らがネット上に情報を公開しているのです。ネット、YouTubeあってこそ過去に存在した歌・演芸に触れるチャンスがあるのです。

本書『創られた「日本の心」神話』があまりに面白かったので、同じ著者の『踊る昭和歌謡』もさっそく読みました。こちらでは、「踊らない音楽」が高尚で「踊る音楽」は低いものだと考えられていたことを踏まえ、庶民に愛される踊る音楽の変遷が紹介されます。ゴールデンボンバーや気志團まで。

こっちもおすすめです。

関連記事

続きを読む

『西洋美術史入門』|旅支度するように美術鑑賞の用意をしよう

『西洋美術史入門』挿絵イラスト

こんにちは。旅行しない あさよるです。旅行の計画を立てている内にお腹いっぱいになっちゃって「もういいや~」とお流れになるのが定番。その代わりの楽しみとして、フラッと近場の美術展で満足しています。

はじめて美術館へ行ったとき、確か兵庫県立美術館のゴッホ展へ行ったのですが、なにがなんだかわからず驚愕しました。絵って、パッと見てスゴイ、圧倒される~って感動の連続だと思ってたのですが、想像と違ったんです。今思えば、予想以上に「情報量」が多くて驚いたんだと思います。ただ「パッと一目見て感動して終わり」ではなく、絵の一枚一枚に説明があって、またゴッホの作品以外にも書簡や文字の資料も展示されていました。

「どうやら美術を鑑賞するには、なにやら事前知識が必要だぞ……」と、思い知った一日でした。知識って言っても、詳しい人に案内してもらったり、数をこなしているうちにちょっとずつ身につくでしょうが、やはり大人の遊びとしては、ガッツリやりたいじゃないですか! ということで、あさよるの中で「美術鑑賞のための下準備」は、折に触れて少しずつ進行中です。

絵はメディアだった

現在の日本で生まれ育った人は、小学校中学校と義務教育を受けていますから、文字の読み書きができて当然の社会で生きています。しかし、それは歴史の中で見ると異常な状態で、昔は文字が読めない人が大半でした。現在では書物に書き記せば他の人に情報が伝えられますが、文字が読めない人に情報を伝えるために用いられたのが「絵」でした。

教会の壁に絵が描いてあって、その絵の「絵解き」をして人々に信仰に基づく振る舞いを教えていたのです。昔の画家たちは、自分の好きな絵を描いていたわけではなく、教会や上流階級の貴族たちから「注文」されて絵を描いていました。ですから、発注者から受け取り拒否される絵画もありました。

現代の感覚だと「好きな絵を描く」「趣味で絵を描く」と考えてしまいがちですが、画家たちが思い思いに好きな絵を描くようになったのはとっても最近のお話です。多くの絵画は発注者の要望が反映されています。ですから、「なんでこの絵を注文したのか」という理由を知らなければ、今の感覚で絵画を見ても「何が書いてあるのかサッパリわからん」「何がいいのかわからない」ということになってしまいます。そこで、絵画について「学ぶ」必要が生じるのです。

絵を買う人には、欲しい理由がある

絵画を発注者がいて、受注して絵を描くのが画家だと紹介しました。その時代その時代で、描かれた絵、流行った画題には、発注者のニーズが反映されています。

例えば、ペストが流行した時代、まだウイルスが人から人へ感染していると分からず、特効薬もなかった時代です。人々は神からの罰だと解釈して当然です。そこで、聖セバスティアヌスの図像がたくさん描かれました。聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)とは、キリスト教迫害により、殉教した人です。柱に括り付けられ、数々の矢を射られて死刑になりました。この「矢」がペストと重なります。ペストという罰を受けても、聖セバスティアヌスのように信仰を貫き続けなければ天国へ行けないと、当時の人々は考えたんですね。

絵を発注する人々は、自分が善行を重ねていることを神にアピールするために、絵画を発注しました。西洋では慈善活動や、社会的弱者を救済する文化があります。有名なミレーの「落穂拾い」では、貧しい人々が、収穫後の畑に落ちた地面に落ちた穂を拾っている様子が描かれます。

「神様へのアピール」って面白いですね。多くの日本人にとって、ただ知識もなく西洋絵画を見ていても「その発想はなかった」って感じじゃないでしょうか。

流行りを知ると社会背景が見える

先ほどのペストの例のように、その時代ごとに流行した画題があります。どんな絵が流行ったかを見てゆくことは、その時代の社会背景を読み取っていくことです。多くの人が文字を読めなかった時代、「絵」には今以上に「意味」が込められていました。西洋美術に触れることは、西洋の歴史に触れることなんですね。

ということは、「絵を見る」ためには勉強しなくちゃいけないなあと、新たな好奇心がうずきます( ´∀`)b

絵には「見方」があるのだ

『西洋美術史入門』挿絵イラスト

本書『西洋美術史入門』で大きな学びがあるならば、「絵画には見方がある」ということでしょう。もしかしたら、アート鑑賞を「自由に」「感じたままに」するものだと考えていた人にとっては、ビックリかもしれません。あさよるも以前は「自分がどう感じるかこそが大事だ」と思い込んでいました。

しかしこの「自由に」というのは、実はとても不自由だったりします。それは、旅行のツアーで「自由時間」という名の放置時間を、持て余してしまうのと同じです。いくら観光地だからって、右も左も分からない所に放り出されても、途方に暮れるばかり。結局、その辺をプラっと歩き回って、あとはカフェや休憩所で時間を潰すのがオチ。「自由に」というのは聞こえは良いですが、不案内な場所・事柄の場合は逆に「不自由」な結果になります。

残念ながら日本の学校教育では、西洋美術について学びはしますが「鑑賞の仕方」までは時間が割かれていません。だから美術作品を「自由に」鑑賞せよとなると、どうしていいかわからないのかも。また、一部の美術・芸術ファン以外は、美術館も博物館も馴染みのない施設かもしれません。

美術鑑賞は、旅行のように、ワクワクと事前リサーチして、よりディープに浸りましょう。楽しみのための勉強っていいね。

関連記事

美術・美術館に関する本

キリスト教を知る本

続きを読む

『超<集客力>革命 人気美術館が知っているお客の呼び方』|気分がアガるミュージアムを

こんにちは。趣味といえば美術館へフラリと足を運ぶことくらいの あさよるです(;’∀’)> 以前は関西の美術館はよく通ってましたが、今は大阪でやってる特別展をササッと見てくるだけだなぁ~。

先日、あさよるネットで世界の図書館を紹介する本を紹介しました。ほうほう「図書館はこういうもの」って思いこんでいたけれども、世界には様々な図書館があって、図書館の仕事は多様なのだと知りました。

そこで、「じゃあ、美術館はどうなの?」と興味を持ちました。一応、図書館と美術館は定期的に通っている場所なので。『超〈集客力〉革命』は、人気美術館が集客のためどのような取り組みをしているのか紹介する本です。そして、美術館が担っている仕事についても触れられています。

ミュージアムは街をつくる

まず、「美術館という〈ハコモノ〉に〈有難い美術品〉を詰め込んでいるところ」ではなく、美術館が、人を呼び込み、人を動かし、町をつくるのです。日本での例として、兵庫県立美術館と、金沢21世紀美術館の取り組みが紹介されています。

兵庫県立美術館の場合

兵庫県立美術館は安藤忠雄さんの巨大なコンクリート建築で、建物自体がアート作品です。入り口には地元企業の液晶モニター画面が設置され、来館者を待ち受けます。また、屋根の上には巨大なカエルが!今ではすっかり兵庫県立美術館の「顔」になっています。

建物は3つに分かれており、地域の子どもたちの作品を展示したり、教育施設としての役割も担っています。

また、美術ファンだけが訪れる施設ではなく、それ以外の人も気軽に足を運べるよう、レストランや飲み屋を作りました。地元の灘の酒を味わうにもいいっすな! さらに、美術館の横にバスケットコートを作って、スポーツのお客さんも呼んでいるという念の入れよう。

「美術館って近寄りがたい」とか「縁もゆかりもない」人を、アート以外の理由でも引き込んで、「美術館を身近なもの」にする取り組みがなされています。

兵庫県立美術館の最寄り駅である阪神「岩屋駅」から、兵庫県立美術館へ続く「ミュージアムロード」は、美術館帰りにショッピングや食事ができるよう整備されています。美術館によって町が育って、町に集まった人が美術館に親しむ環境づくり推進中。

子どもたちが集まる美術館に

金沢21世紀美術館の取り組みはたくさんありますが、子どもたちを美術館へ招き入れる取り組みが印象的です。美術館が身近で親しみやすい場であるならば、その人はまた美術館へ足を運びます。その〈種を蒔く〉ために、地域の子どもたちを美術館へ招待します。しかも、現代アートなんかの、おもしろいやつ!

日本の美術館は静まり返っていて、とても子どもを連れて入れないような雰囲気があります。でも、外国の美術館では、騒いだり作品に触ったり壊したりしないなら、仲間で語らったり話し込んでいる人もたくさんいるそうです。

人びとが行き交う場所

美術館はたくさんの人々が行きかう場です。世界のルーブル美術館では、世界中には美術館目当てに人が集まります。本書でも、世界の名だたる美術館の特徴や取り組みが紹介されています。また同時に、小さな美術館も多数取り上げられています。日本の美術館の規模や環境は、世界の小さな名美術館をお手本にする方が合っているというのです。

小さな美術館といっても、「名美術館」なんですよ。

……と、あさよるは勿論行ったこともない美術館ばかりなので、解説は本書を読んでくだしあ~。

まちの人のふるさと

美術館へ遠くから人もやってきますし、美術館のある町の人も集います。自分の町の美術館が、特色ある良い美術館であったとき、その町の人々にとっても美術館は「ふるさと」や「町の顔」になり得ます。外からやってくる人へ向けた観光資源であると同時に、地元に暮らす人の文化的施設なんですね。

美術館がになうもの

アートが生活の中にあり、アートがコミュニケーションの中にある。様々な美術館を見ていると、美術館にも役割や仕事は、地域によって違っているようです。どうやら日本の美術館は、でーんと巨大な箱をつくって、中は空っぽ。美術品を借りてきて並べておしまい。せっかく面白いコレクションを集めても、良い特別展を企画しても、それを宣伝して周知しないと、人は来ません。

人を集めるためには、見た目カッコイイ!とか、この作品ヤベェーとか、パッと見て心惹かれる仕掛けも大切です。それは、アートは極一部の専門家やファンだけのものではなく、それ以外の人たちの生活も豊かにしうるものだからです。マニアだけが理解するものではいけない。

あさよるが、初めて足を運んだ美術館が、先に紹介した兵庫県立美術館でした。確かゴッホ展で、ゴッホの有名な作品も多数あって豪華な展示でした。が、あさよるは、やっぱり兵庫県立美術館のあの建物にも驚き、「特別な場所」へ自分は来たんだ!と胸がいっぱいになりました。大阪府内の自宅から神戸市へ来ただけなのですが、まるで旅行に来たような非日常と言いますか。で、今でも兵庫県立美術館へ行くと、気分が「ぱぁ~っ」となります。

美術館って、美術品を拝むだけじゃなくって、そこへ行くこと自体が楽しみだったり、お買い物したり食事したり、誰かと語らったり、たくさんの楽しみが重なってるところであって欲しいなぁと。「イオンでも行く?」みたいなノリで足を運べるといいね。

関連記事

『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―』/菅谷明子

『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―』|すごすぎる図書館!

『つながる図書館』/猪谷千香

『つながる図書館』|日本の〈新しい図書館〉模索中

『「美しい」ってなんだろう? 美術のすすめ』/森村泰昌

『「美しい」ってなんだろう? 美術のすすめ』を読んだよ

『図解でわかる! マーケティング』/藤原毅芳

『図解でわかる! マーケティング』|売り手目線から〈買う〉側へ

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』/博報堂ブランドデザイン

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』|体感をともなう体験を

『世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく』/渡辺健介

『世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく』

続きを読む

『能 650年続いた仕掛けとは』|変わり続けること

こんにちは。能が好きな あさよるです。実は、好きなんです。以前ね、能のお囃子の小鼓のお稽古に通っていました。「いよ~ぅ、ポン!」ってヤツです。引っ越しや転職や体調不良等々と重なってそれっきりになってるんですが、チャンスがあれば復帰したいデス。あ、でも、能の舞をやってみたいなぁと心密かに狙っています。能は見てるのも面白いんですが、むちゃくちゃ「自分もやりたい!」と燃えるんですよね~。

ちなみに、あさよるが初めて見た能は、関西の大学生がやっているもので、小鼓を女性がやってて「女性でもできるんだ!」と嬉しくなって飛びつきました。彼女がまた、カッコよかったんだ~。

「能」ってなんだ?入門書

本書『能 650年続いた仕掛けとは』は能をこれから知りたい人向けの入門書。10代の若い人が読んでもわかる内容です。

ところで「能」ってどんなイメージですか?もしかしたらイメージ自体がないかもしれないし、なんかオタフクみたいな仮面を想像するかもしれません。学校から能の舞台を見たことがある人もいるかもしれません。あさよるも何回か、中高生の鑑賞会の中、ポツーンと大人が混じって見たことがありますw

なんとなく「能ってこんな感じ?」ってのが頭の中にある人にとって、本書『能 650年続いた仕掛けとは』を読めば程よく能のイメージが一新されるんじゃないかと思います。「格式ばった」「厳格な」ものではなく、やさしい文体で本書が書かれているせいかもしれないし、能を鑑賞するだけじゃなく、「やりたくなる」ように用意されているからかも。

能と「サル」

能の歴史は奈良時代、大陸から輸入された「猿楽」が発祥だと習いました。本書ではさらに、古事記に登場する、天岩戸の前で舞ったアメノウズメノミコトの伝説が登場します。

 アマノウズメノミコトは天岩戸のほかに、猿田彦と結婚したことから、猿女(祭祀の際に舞う女性)の先祖となりました。猿女は、芸能の神様ですし、猿田彦も芸能の神様であるという人もいます。

p.30

大陸から「猿楽」が渡ってくる以前から、芸能を伝える「猿」系の人たちがいたのではないか?という推測です。さらに面白いのは、能が発展したのは豊臣秀吉の時代。秀吉もまた「猿」と呼ばれる人物であるということ。歴史的事実はわかりませんが、面白いつながりですね。

能の650年生き残り戦略

伝統芸能というと「頑迷」で「意固地」に同じことをし続けている芸能だと感じている人は、本書『能 650年続いた仕掛けとは』でアッサリと裏切られるでしょう。能の歴史を見ていると、スルスルと時代に合わせその姿を変えながら、現在につながっていることがよくわかるからです。

そもそも、現在に続く能を発明した世阿弥はイノベーターですね。舞台の装置そのものを作り替え、能を継承するために世襲制を採用します。テキスト『風姿花伝』も著されました。

戦国時代、武将たちに能は愛されます。中でも豊臣秀吉は能に入れ込んでいたらしく、朝鮮出兵の際は即席能舞台まで用意されたとか。秀吉は新しい能の演目をたくさん作らせ、自分も能を舞いました。家康も能を楽しみ、江戸時代に入ってからは大名家の教養として推奨されました。徳川綱吉は能狂いで、その頃から能の趣がガラリと変わります。それまでの能よりも2倍くらいゆっくりと演じられるようになったのです。時代が下ると、江戸時代の市井の人々も能に親しんでいたそうです。

そして明治時代が始まります。能を支えていた幕府や武家がなくなり、能は存亡の危機に。その後、野外にあった能楽堂(能を演じる舞台)を屋内に移した能舞台へ変わります。能は夏目漱石や正岡子規、泉鏡花など文学者に愛されました。

現代もマンガに描かれたり、『ガラスの仮面』の「紅天女」が能で上演されたりと、メディアミックされています。

あさよる的には、「能舞エヴァンゲリオン」を見たかったすな。意外にも(?)、新作がたくさん作られているんですね。能と一緒に上演される狂言でも新作がたくさんありますね。

「能」をやりたくなったら

本書内では、プレイヤーとリスナーの分断について触れられています。ロックバンドを聞いてノリノリになる人は大けれど、「聞く」と「演奏する」の間に大きな溝がある……。これは能の世界でも起こっていて、「能を鑑賞する人」と「能をやる人」が分断されてしまっている。

これは普通じゃないんです。昔の人は、自分でやってた。落語で「寝床」という話があります。客を集めて、みんんなの前で下手な浄瑠璃を聞かせて迷惑がられる話です。浄瑠璃も、戦後すぐの頃までは習っている人が多かったと聞いたことがあります。

本書の素晴らしいところは、読んでいる内に「能を習うなら」というガイドが始まっているところでしょう。鑑賞される能だけじゃ不十分で、みんながやりたい能でなければ、伝統も続かないのかもしれません(余談ですが、今若い世代はバンドやらないそうですね。あさよる含め)。

ちゃんと先生や教室の探し方や、お稽古の通い方が指南されていて(・∀・)イイネ!!

能の鑑賞のための手解きはよくありますが、習い方は初めて読んだかもw

変わり続ける伝統

本書を読んで、伝統芸能って、さすが何百年も生き残ってきただけあるんだな!と、なんだか清々しい気持ちになります。

例えば、ブログやサイトを何十年と続けている人は、サーバー移転やサービス修了や、ブログやSNSの導入など、たくさんの変化があったでしょう。データ飛ばしちゃったり、掲示板が炎上したり、晒されたこともあるでしょう。中の人だって、転職したり家族が増えたり引っ越したり病気になったりいろいろあったでしょう。長年同じサイトやってる人を見つけると「歴史アリやなぁ」としみじみ感じ入ります。それでも、未だに更新し続けている人って、変化や新しいトレンドを常に取り入れ続けた人なんですよね。しみじみ。あさよるもこのドメイン育ててこう……(なんのこっちゃ)。

とまぁ、何ごとも「長く続ける」って常に変化し続けることです。それを優に650年続けてきた能は、川の中をたゆたうハンカチのように、その一瞬一瞬変化し続けたのかもしれません。能の先祖を辿ると、もっと古いみたいだしなぁ。

変化するってエネルギーも勇気も必要で、恐ろしいものだけれども、変化しないと手に入らないものもあるのね。

関連本

『狂言でござる』/南原清隆

『狂言でござる』を読んだよ

『あやつられ文楽鑑賞』/三浦しをん

『あやつられ文楽鑑賞』を読んだよ

『先生、イノベーションって何ですか?』/伊丹敬之

『先生、イノベーションって何ですか?』|以前の世界が思い出せない

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』/博報堂ブランドデザイン

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』|体感をともなう体験を

続きを読む

『死んだらJ-POPが困る人、 CDジャケットデザイナー 木村 豊』|憧れの職業!

こんにちは。CDジャケットデザイナーになりたかった あさよるです。昔っから自分で勝手に好きなミュージシャンのCDジャケットを作ったり、既存のものを改造したりして あそんでいました。ロゴを作ったりね。

しかしながら〈CDジャケットデザイナー〉って肩書きの人がいるとは知らなかった! デザイナーの木村豊さんは多くのCDジャケットデザインを手がけておられて、確かに「死んだらどないなるんや!」と納得のお仕事をなさっています。あさよるも大好きなミュージシャンの、大好きなCDジャケットを作った方で、「あさよるの元ネタ」の一人かもしれないなぁ~しみじみ。

みなさんも、一度は見たことある木村豊さんのデザイン。音楽CDのオタク的な楽しみをドウゾ!

CDジャケットのデザインを語り尽くす!

本書『死んだらJ-POPが困る人、 CDジャケットデザイナー 木村 豊』は、みんなが知っている、いや1枚は持っているであろう音楽CDのジャケットデザインを数々手がけている木村豊のさんの、雑誌連載をまとめて再編集したものです。

さて、まずは木村豊が手がけたCDジャケットの紹介から。一度は見たことがあるどころか、1枚くらい持ってると紹介したのも言い過ぎじゃないことがわかるはず。

『死んだらJ-POPが困る人、 CDジャケットデザイナー 木村 豊』イメージ

『死んだらJ-POPが困る人、 CDジャケットデザイナー 木村 豊』イメージ

『死んだらJ-POPが困る人、 CDジャケットデザイナー 木村 豊』イメージ

死んだらJ-POPが困る人、 CDジャケットデザイナー 木村 豊 | 江森 丈晃, MdN編集部 |本 | 通販 | Amazon

スピッツ、椎名林檎、東京事変、ユニコーン、木村カエラ、Superfly、ASIAN KUNG-FU GENERATION、スーパーカー、赤い公園、などなど。あさよるも、スピッツと椎名林檎ちゃんのCDはみんな持ってた。Superflyとアジカンも好きでCD持ってる~。

本書では、アーティスト別にジャケットデザインを語ったり、あるいはデザインの手法からのお話や、音楽CDのジャケットの位置づけや、ジャケットに隠された仕掛けや遊びについて言及していたり、読んでいてかなり楽しい。

スピッツのジャケットデザインでお馴染み

木村豊さんにとってスピッツのジャケットを手がけたことが大きいことだったそう。当時の“渋谷系”への眼差しだったり、時代感が反映されているんだなぁと、これは作った当人の話だからこその話ですね。

スピッツのCDジャケットの特徴は、めちゃオシャレ。で、なぜかスピッツメンバーが顔を出さず、いつも女の子が目印になっているところです。思わず飾っておきたくなるジャケットで、聞いて嬉しい見て嬉しいんですよね。音楽って形がなくて目に見えないものですから、それを商品として売り出すとき、目に見えて手に取れるCDジャケットが大きな役割を果たします。私たちはCDと、ジャケットを買っているわけですから。

初期の〈椎名林檎〉は木村豊がつくった?

椎名林檎ちゃんのジャケットの話が面白くて、デビュー時の椎名林檎ちゃんのエキセントリックな衣装やイメージは、どうやらジャケットの力が働いているそうです。「椎名林檎にガラスを割らせたい」木村豊さんと、「ナース服を着たい」椎名林檎女史の思惑が合わさってあの『本能』のジャケット&MVへ繋がったんだとか。『罪と罰』の眉を剃り落して目の周りを黒く塗りたくった姿や、『ギブス』の青白い照明の中包丁を握りしめる意味深なジャケットなどなど、椎名林檎ちゃんのイメージは木村豊さんのディレクションだったんだw ちなみに、林檎ちゃん的には「そんなイメージで売るつもりじゃなかった」という話はあちこちで目にしたことがあります。

意外とアナログ!

あさよる的に驚いたのは、パッと見て「合成?」「これどうなってんの?」と思う画像も、意外とアナログで作られているのを知ったこと。もちろん、ゴリゴリ合成で作っているものもあるんですよ。あくまで〈手段〉ですから、適材適所なんですけども、こんな有名デザイナーでも意外と手を使って作ってるんだなぁと、なんかよくわからない親近感をw

あ、親近感と言えば、木村豊さんのデザイン事務所「Central67」も紹介されていて、その事務所の雰囲気とかテイストも、「なんかリアル」でした。あさよるは今、自宅で仕事しているので、いつかあんな仕事場できるのかな~。んー、ないかなぁ~w

CDジャケット、作ったことある人に!

本書『死んだらJ-POPが困る人、 CDジャケットデザイナー 木村 豊』はぜひとも、これまでに自分でCDジャケットを作ったことある人すべてに読んでほしい。あの憧れの職業に就いている人がいるんですよ!

「そんなヤツおるんかーい!」と思われる方は、「そういう人がいる」ということを知っていただきたいw 他でもない あさよるは、10代の頃は勝手に好きなバンドのジャケット作ったりだとか、勝手に好きな曲ばかり集めた「自分ベスト」の選曲からパッケージまで手がけていましたw

特に、木村豊さんが手がけたスピッツの『フェイクファー』は、CDジャケットは隅から隅までとっても可愛い! これ、何度も何度も真似してコピーを作りました。

先日、大阪でSPITZEXPO2017が開催され初日に足を運びまして、まさしく『フェイクファー』の生原稿がデーンと展示してあって感激っ!(そのエリアは撮影NGだったので脳裏に焼き付けてきた)

代わりに、撮影OKだった『醒めない』のジャケットに登場する〈モニャモニャ〉を載せときます(^^)/

スピッツエキスポ - SPITZEXPO2017 - モニャモニャ -醒めない↑ 興奮してピントがあってない

↓これも木村豊さんデザインのスピッツ『醒めない』

続きを読む

『1998年の宇多田ヒカル』|1998年にすべて出そろっていた

こんにちは。宇多田ヒカル世代のあさよるです。本書『1998年の宇多田ヒカル』は話題になっていて気になっていました。1998年にデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人がどのような存在だったのか、1998年はどのような年だったのかを考察する本です。

あさよるは ヒッキーも林檎ちゃんもaikoもあゆも、まさにど真ん中世代で、今でも大好きです。カラオケでも絶対歌うし!新曲もチェックしてるし!ということで、楽しい読書でした。

若い世代の方も、「昔はありえないくらいCDみんな買っててんで」というのが、大げさではなくマジであることを知ってもらえるかと思いますw

CDが最も売れた年、何があったのか

本書『1998年の宇多田ヒカル』では、日本の音楽シーンにとって特別な年だった〈1998年〉という年に何が起こったのかを宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人のアーティストを通して振り返る内容です。

この本のテーマは三つあります。一つは、1998年は日本の音楽業界史上最高のCD売り上げを記録した年であること。反対に言えばその後CDの売り上げが下がり続けている現状を考えます。二つ目は、日本の音楽シーンのトップ3の才能である宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoが同じ1998年にデビューし、その後彼女らを凌駕する存在が現れないこと。最後は、その1998年という特別な年に、著者が出版社のロッキング・オンで音楽誌の編集をしており、間近で1998年の音楽業界を見てきた経験から、こんなに面白い時代を書き残したいという著者の思いです。

本書が出版されたときはまだ、塗り替えられることはないであろうCDセールスをたたき出した宇多田ヒカルは長年の活動休止中でした。アーティストらしく芸能人的ではなかった椎名林檎は近年毎年紅白歌合戦にも出演し、テレビの世界でも活躍しています。デビュー当時、aikoが今なお精力的に活動し続けていると想像した人はどれくらいいたでしょうか。そして、浜崎あゆみは実は、最も多くのオーディエンスのステージに立ち続けていることをご存知でしょうか。

個性も才能もそれぞれ違う宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人を通じ、1998年というターニングポイントを紐解いていきましょう。

1998年の4人

スタジオ育ちの宇多田ヒカル

デビュー当時、宇多田ヒカルがバイリンガルであることや、ニューヨークと東京を行き来して育ったこと、そして藤圭子の娘であることが取りざたされました。しかし、彼女が他のアーティストと違うのは「スタジオ育ち」であり「スタジオが故郷」であるという点です。音楽プロデューサーの父と歌手の母の元に生まれ、小さなころからスタジオが遊び場所で、スタジオで宿題をし、スタジオが落ちつく場なのです。デビュー後はスタジオが彼女を守るシェルターの役割を果たしていたのでしょう。

宇多田ヒカルの音楽には、密閉されたような雰囲気が漂います。彼女は極端なレコーディングミュージシャンで、彼女のキャリアの中でステージに立ったのは、たったの67回(2016年時点)。そして作詞作曲だけでなく、編曲まで手がけ、音楽家・宇多田ヒカルとなってゆきます。

バンドマンの椎名林檎

椎名林檎はソロでデビューしました。今でこそエレキギターをかき鳴らす「ギター女」はたくさんいるけど、当時はちょっと珍しかった。その後〈東京事変〉として活動を始めるのですが、椎名林檎はデビュー当時からライブやレコーディングのメンバーをバンドに見立て、バンド名をつけていました。そもそも、彼女はバンドでオーディションに出場しましたが、主催者側にソロを勧められた経緯があるそうです。現在も、同年代のミュージシャンとバンドとして演奏することも少なくありません。お茶の間にも、バンドマンとして登場し続けているってことですね。

天才aiko

「最も天才なのはaikoかもしれない」という章。1998年当時、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみと比べると目立たない存在で、大ヒット曲もなかったaiko。だけど、本書出版時の2016年に、1998年の頃となんら変わらず活動を続けているのがaikoです。aikoは何も変わっていない。曲の雰囲気も、彼女自身のイメージも。反対に言えば、aikoは登場時から完成していたのです。

aikoの活動は頑なで、aikoはいつもファンの方に向いている。雑誌のインタビューにほとんど答えず、テレビも出演する番組は決まっている。フェスには一切出演せず、「aikoとファン」の空間にしか彼女は立たない。

今も最も多くの観客の前に立つ浜崎あゆみ

浜崎あゆみは最も多くの観客の前に立つアーティストです。彼女の私生活やスキャンダルばかり報道されますが、数多くのステージに立ち続けているのです。テレビや雑誌メディアの出演はかつてほどではないからと言って、浜崎あゆみがダメになったわけじゃない。また、作詞作曲を手がける人物を「アーティスト」と呼ぶ風潮も疑問で、多くの観客の前で演奏し続けるのもミュージシャンじゃないか。

ただし、著者の宇野維正さんは浜崎あゆみさんは畑違いのようで、あまりページが割かれていないのが残念。

音楽CDの、終わりのはじまり

本書では〈1998年〉という音楽CDが最も売れた時期を取り上げています。ということは、1998年以降、どんどんCDが売れなくなった年でもあります。

1998年ごろに起こった出来事や風潮の考察がなされてます。

CDとCCCD、8センチCDからマキシシングルへ

そもそもCD自体が「CCCD(コピーコントロールCD)」という、違法コピー防止のためのものが登場しました。これはCDとは規格が違っており、CD再生機器での再生を補償しないというもので、CDに最初にケチをつけたのがレコード会社だったのです。

また、かつてシングルCDは直径8センチメートルのアルバム版より小さなものでしたが、1998年ごろ12センチメートルのマキシシングルへ移行してゆきます。宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』は8センチ版/12センチ版両方がリリースされ、両方がヒットしました。椎名林檎もaikoも浜崎あゆみもデビュー当時は8センチ版でした。CDシングルがマキシシングルになったことで、消費者からすればCDアルバムと全く同じ代物で、2、3曲しか収録されていないのに1000円もするのは、割高に感じてしまう要因だったのかも?

「アーティスト」と「アイドル」

それまで「歌手」「ミュージシャン」と呼ばれていた人たちが、「アーティスト」と「アイドル」と分けて呼ばれ始めたのもこの頃。宇多田ヒカルも椎名林檎もaikoも、デビュー当時はアイドルのように注目されていました。そういえば、宇多田ヒカルのファッションが話題になり、椎名林檎のライブには彼女のコスプレをしたファンが集まり、aikoはファッションリーダーでした。

かつて、例えば近藤真彦や松田聖子や小泉今日子たちは、歌手であり、アイドル的存在でした。しかし今現在は「アイドル」と「アーティスト」は明確にわけられて認識しています。これは、従来的な(松田聖子や小泉今日子のような)「アイドル」がいないからなのかもしれません。

しかし音楽的に圧倒的な実力がある人物がいれば、誰もが憧れて当然で、アイドルのように崇拝されてもおかしくありません。そういう意味で、2000年代以降は「アイドル」がいなったのかもしれません。

(当エントリーでも、ミュージシャン、アーティスト、歌手等の呼称が混在しています。「アーティスト」というのは収まりのよい言葉ではありそうです。それゆえ乱用されたのでしょう)

アーティストの発言こそが真実?

 日本の音楽ジャーナリズムは、長いことアーティスト自身による言葉、いわゆるオーラル・ヒストリーにあまりにも頼りすぎてきました。そのきっかけとなったのは糸井重里による矢沢永吉のベストセラー『成りあがり』かもしれないし、渋谷陽一(かつてのボスです)がロッキン・オン社の刊行物で作り上げた誘導尋問的なインタビューのスタイルかもしれません。(中略)
でも、「ミュージシャンの肉声」が唯一絶対の聖典のようになった時、音楽ジャーナリズムの役割はそこで終わりです。

p.17

ミュージシャンたちの言葉こそ聖典として語られる反面、ミュージシャンたちは本当のことばかり語るわけでもありません。意図的に事実でないことを発することもあるでしょうし、なにより人は「こうありたい」と願望を語るものです。インタビューで語られていることは事実ではありません。

宇多田ヒカルはデビュー当時から、自身のWEBページで「MESSAGE from Hikki」日記を書いており、当時話題になりました。ミュージシャン自身がネットで日記を近況報告することが珍しかったのです。また、宇多田ヒカルのTwitterアカウントも時折話題になります。

ミュージシャンたちからの言葉はテレビや雑誌からのみでなく、ミュージシャン自身がWEBで発信するようになりました。もはや「本人の発言こそ真実」の魔法も解けてしまっているのではないでしょうか。

なぜ我々はCDを大量に買ったのか

1998年が日本史上最もCDが売れた……しかし今はCDは売れません。そもそも、我々はなぜあんなにCDを買いまくったのでしょうか。本書ではその理由を二つ挙げられています。

  • CDがリスナーが手に入る最も高音質なものだった
  • CDは半永久的に劣化しないと信じられていた

「最も高音質で劣化しない」だからこそ我々はお金を出してCDを買い求めたのです。

そう考えると、コピーするたび音質が落ちるMDや、音質の保証されないCCCDの登場等、レコード会社の失策だったのではないか……ちなみに本書で「レコード会社が悪い」なんて書かれてませんよw あさよるの補足ということでw

CDの時代は終わった

本書『1998年の宇多田ヒカル』を読み、しみじみと「CDの時代は終わったのだ」と痛感しました。あさよるもズバリ宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ世代で、未だに新譜を追っかけて聞いています。だけど、CD、持ってません^^ つまり、CDはみんなiPodに放り込んで、ディスクは処分しちゃいました。んで、新たに買うのはiTunesで。このスタイルになってすでに7、8年になります。

彼女たちはCDの最後の世代でした。だから世代交代もできません。

宇多田ヒカルの記録は破られないし、椎名林檎はバンドを組み続け、aikoはaikoのままで、浜崎あゆみはステージに立ち続けます。あさよるは彼女らのファンだったから、今だに彼女らの音楽が聴けるのは嬉しい反面、未だに彼女たちが第一線にい続けることは残念でもあります。次の宇多田ヒカル、次の椎名林檎、次のaiko、次の浜崎あゆみが見たかった。

「次世代が生まれない」というのは、さみしいものだ。

続きを読む

『ぼくの哲学』|世界で一番おいしいのはマクドナルド

こんにちは。アンディ・ウォーホルの『スーパースター』という映画が見たい あさよるです。レンタルは探してもなかったんですが、今見るとAmazonビデオで見れるようですね°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

ウォーホルつながりで彼の著書を読んでみようと『ぼくの哲学』を手に取りました。アンディ・ウォーホルの自伝で、彼の愛、美、働くこと、時、死、経済、成功、芸術や、掃除や下着のこと、すなわち「生きること」諸々の〈哲学〉を、アンディ自身が残したものです。

アンディ・ウォーホル / スーパースター [DVD]

アンディ・ウォーホル / スーパースター [DVD]

  • 作者:アンディ・ウォーホル
  • 出版社:コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 2005-09-02

現代のわたしたちの哲学

アンディは朝起きると電話をします。誰かと。自分は匿名のAとして、電話友達の匿名のBと話すのです。彼らの会話は他愛もないものです。匿名Aのアンディはニキビを気にして、Bは男の子とのデートのためにムダ毛を気にしています。

本書『ぼくの哲学』は、現代人の哲学なのかもしれません。わたしたちだって、朝起きてスマホを手に取ります。誰かにスタンプを押して、何かをツイートして、とりとめもない朝のコミュニケーションが始まります。ある子はメイクで二重を作る職人技を駆使し、ある人は髪型で小顔を作ります。

アンディは、世界で一番おいしいのはマクドナルドだといいます。そうかもしれません。だって、マクドナルドは貧乏な人が食べても、裕福な人が食べてもみんな同じ味の食べ物が出てくるお店です。お金や服装で味が変わることはありません。みんなおいしい。

アンディってどんな人なのでしょうか。アメリカで大成功したお金持ちですが、普通の暮らしをしているようにも読み取れます。ナイーブでデリケートな男性にも思えますが、強気で頼もしい人にも思えます。彼はスーパースターなの?なのにすごく平凡!アンディは新聞や雑誌の取材で、いつも違った発言をしていたそうです。だから彼のインタビューを読んでも、彼のシルエットは見えてこない!

そんな気まぐれで奔放な言動は彼のような〈特別な人〉だけの話……ではありません。そんなの今や誰もがスーパースターのように振る舞っています。あっちのアカウントで罵詈雑言を吐き、こっちのグループで見目のいい写真をアップし、あのタイムラインでは友人とつるんでいます。あっちこっちで違うこと言葉を使い、違う自分で、違った世界を見ています。

アンディ・ウォーホルの哲学は、今やだれもが共有している哲学なのかもしれません。どこまでもフラットで、嫉妬が渦巻き、平凡で、みんながスターで、みんな恋や見た目を気にしてる。

〈価値〉ってなんだろうか

ピカソは生涯で4千枚の絵を描いたと知り、アンディはそんなの1日で描けると言います。シルクスクリーンで大量に刷ればいいからね。実際には、1日じゃ無理だったみたいだけど。というか、やってみるからすごい。

シルクスクリーンなら名作がいくらでも作れます。だって1枚目が傑作だったら、他のみんなも傑作です。現実に我々は、映像やアニメーションや音楽やゲームや、複製可能な傑作をたくさん知っています。たった一つしかないから、貴重だから大切だった頃とは、違った貴重さをみんなが知っています。

値段が安いからって悪いものとは限らないことも知っています。もちろん高くていいものもあるよ。だけど、圧倒的多数の庶民が持っている良いものだってある。

余談ですが、あさよるが気に入って使っているクリニカの歯ブラシはまじ名品だから使ってみて。たった100円ちょっとで変わるから。サイズいろいろあるから選んでみてね。大量生産の名品だ。

価値って、「高いからいい」とか「貴重だからいい」じゃないんですね。アンディが〈ぼくの哲学〉を語るように、みんなが〈ぼくの哲学〉を持って生きている。もしかしたら「自分はこうだ」って自分で言えなきゃいけないから、難しい生き方なのかもしれないけど。

続きを読む

『ガムテープで文字を書こう! ―話題の新書体「修悦体」をマスターして』

『話題の新書体「修悦体」をマスターして ガムテープで文字を書こう』|あさよる 修悦体フォント

こんには。みなさんは「修悦体」なるものをご存知だろうか。最近、SNSで知人が話題にしているのを見て、修悦体で看板を作る佐藤修悦さんの姿にくぎ付けになった あさよるです。その動画がこちら。

ロケットニュースの取材で、実際に修悦体で看板を作っている様子です。動画を見ると、ガムテープを使って何やら暗号を組み立てては解読するように見る見る「ロケットニュース24」と文字が浮き出してくる!

ロケットニュース24の記事では、佐藤修悦さんへの取材と、修悦体の作り方の説明、そして続編で実際に修悦体で文字を作る様子を実践されています。ぜひ、ロケットニュースもご覧ください~。

あさよるが以前に、修悦体を初めて知ったのって、デイリーポータルの記事だったんじゃないだろうか?と思います。

「修悦体」とは

「修悦体」は、日本一の乗降者数を誇るJR新宿駅で誕生した。「修悦体」の生みの親、佐藤修悦さんは、2003年、この駅の改修工事現場で、乗客の誘導業務をおこなっていた。通路が何重にも入り組み、迷路のようになった駅構内で、道に迷った多くのお客さんが「○○はどこですか?」と佐藤さんに尋ねてくる。そこで佐藤さんは、そんなお客さんたちのために、案内表示を作ることを思いついたのだ。
手に取ったのは、工事現場の詰め所にあったガムテープ。それを大きく壁に貼り、カッターで切り出して文字にした。独特の丸みをつけて……。
こうして生まれたのが、世界に1つのガムテープ書体、「修悦体」だった。

p.3

JR新宿駅の工事現場の警備員として勤務していた佐藤さんが、混雑する構内の上客のために案内標識を作り始めたのがきっかけで、佐藤さんがガムテープで書く独特な書体が「修悦体」と呼ばれるようになったそうです。

本書では駅構内の案内ではなく、日常で使える(?)ワードの修悦体フォントがたくさん。いや、日常使いはしないかな……看板に仕えそうなワード多数ですね。「運動会」とか「No Smoking」「売上アップ」とか。実際に佐藤さんが修悦体を作ってゆく手順もたっぷり紹介されています。

「修悦体」を作ってみると構造がわかる!?

そしてそして、本書のすごいのは、修悦体のひらがなカタカナが収録されていることだ!

佐藤さんの修悦体の書き方の手順を見ても、正直なにをやっているのか分かりにくい。そこで、実際に手を伸ばしてみることをおススメします。枠線や目印の線たちが、どう活かされているのか、実際にやろうとすると、見えてきます。

で、あさよるもさっそく作ってみました!じゃーん!

『話題の新書体「修悦体」をマスターして ガムテープで文字を書こう』|あさよる 修悦体フォント

ガムテープがなかったので、マスキングテープで作ってみました。そのせいで、テープを重ねた部分が透けてしまっていますが……。難しいのは、横線をどう揃えるかですね。本書のひらがなカタカナの修悦体フォントは、特に書き方が載っているわけではないので手探りでやるしかない……しかし、頭の中で考えているときよりも、手を動かし始めたほうがわかりやすかったです。

ちなみに、あさよるの感覚だと、筆と塗料で書いた方が早いのではないかという感じ。だから、修悦体をガムテープで書く利点は〈めくれる〉〈剥がせる〉ってところじゃないかと予想します。原状回復が前提だからこそのガムテープ。やっぱ、駅構内の、その時だけの案内板、って要素が合わさって生まれた修悦体なのだと実感!

実物が見てみたい!

さて、本書を読んで修悦体に触れ、更に修悦体を書いてみた今、ぜひ本物の修悦体が見てみたいなぁと思います。新宿駅、日暮里駅で生まれたフォントとあって、関東圏でのみ知られているものなのだろうか~。

できれば、実際に修悦体で文字を書く様子を見てみたい。

続きを読む