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『モヤモヤするあの人』|読むほど常識がゲシュタルト崩壊

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

この本めっちゃモヤモヤするー!!/(^o^)\

やばい、読み始める前のモヤモヤのない世界に帰りたいww こんにちは、あさよるです。ああ、そんな大したこと書いてある本ではないハズなのに、なんだかすごくナンセンスでおかしな話が展開されている気もする本に遭遇してしまった~。サクッと簡単に読めるコラム集で、一つ一つの話はそう、そんな大それた話をしてるワケじゃないのに、読了後なんか「生きるとは」みたいな、でっかいことを考えてしまったww

それにしても、あさよるにとっては知らなかった常識をたくさん仕入れることができたので良い読書でした。

これはアリ?ナシ? あの人は一体何?

本書『モヤモヤするあの人』は、巷の「なんとなくモヤモヤする話」を集めた本です。著者の宮崎智之さんは「人間観察」が趣味という。

人間観察は、場所や時間を問わずに行われる。ある時は、カフェの隣の席で怪しげな勧誘をしている若い女性に目がいき、ある時は、バーで女性を口説こうとしている40代後半の小太りなおじさんに目がいく。おじさんは、弁護士事務所に勤務していると名乗っているけど、手相占いと称して女性の手に触ろうとするその行動は、法律的にセーフなのだろうか。
また、駅のホームで固く抱擁しながら海藻のように揺れている謎のカップルにも、ついつい目を奪われてしまう。大人なんだから終電を気にせずホテルにでも行けばいいと思うが、そうもいかないのだろう。もしかしたら不倫なのかもしれない。それにしても、この手のカップルに美男美女を見たことがないのは、なぜだろうか。
ビジネスシーンもモヤモヤの宝庫だ。スーツにリュックで営業先に行くことは失礼にあたるのか。大雪が降っても定時に出社しなければいけないのは、どうしてなのか。SNSで嫌いな上司から友達申請が来た場合、部下はどう対応すればいいのだろうか。

p.4-5

「とるにたらない話題」と称されているんだけれども、ああもう、こうやって指摘されちゃうと気になり始めて仕方ない。「終電間際の駅で〈海藻〉のように揺れているカップル」ってw 確かに彼らは何をやってるんだろう。別れを惜しんでいのだとしたら、二人はそれぞれの自宅に分かれ分かれ帰宅するのは決まっているということなのだろうか。言われてみればホテルでも行けよ、という気もする。

「スーツにリュックはアリか」というのも、言われるとすごく気になる。いるよね、リュック背負ってる人。通勤スタイルとしてはリュックは便利でいいと思うけど、あれでお客様の前に出るにはカジュアルすぎるような気がするなあ。通勤用と、勤務中用のカバンを2つ用意したらいいんじゃないかと思うけど……。

本書は大きく2つの章に分かれている。「これはアリかナシか」という二択と、「あの人は一体何なんだ」という問いである。

世界には我慢できることとできないことがある!

本書『モヤモヤするあの人』で取り上げられる話題をかいつまんで、あさよるの主観を交えて紹介してみる。主観が多めなのでご注意。この「モヤモヤ」は、なんとなく納得できないんだけれども、だけど相手を糾弾するほどのことでもない感じ、と言ってもいいかもしれない。

例えば、大きな災害や事件が起こると「不謹慎厨」が沸く。他人の発するツイートやブログ記事に対して「こんなときに不謹慎な!」と怒り始める人たちだ。まあでも、気持ちはわからなくはない。ショックの大きい出来事に出合うと、とてもヘラヘラする気になれないし、そんなときに浮かれたことをしている人と温度差を感じることもある。だけど、だからと言って「不謹慎だ」と憤るほどのことでもないと感じる。社会を揺るがすような出来事であればあるほど、その他の人は「いつもと同じ通りに生活をする」ことが「平穏」を取り戻すために必要な力だ。大変な時こそ「いつもと同じ通りに生活をする」べきなのかもしれない。

少なくともあさよるは、この二つの間で揺れ動く。「いつも通りに生活をする大切さ」もわかるし、だけど浮かれた話題に対しては気持ちをどこに持って行っていいかわからない。いや、浮かれた話題はまだいいけれど、あさよるが動揺してしまうのは「野次馬」的な言動を見聞きすることだ。わざわざ危険な場所に出向いて写真を撮って、それをインターネット上にアップロードすることになにか意味があるのだろうか。自分のツイートもバズると思ったのだろうか。

「モヤモヤ」はそんな、気持ちをどう持って行っていいのかわからないときに起こるんじゃないかと思う。

食べ物の相性は重大だ

本書で最もショッキングだった「モヤモヤ」は、「焼き鳥を串から外して食べる」という常識があるらしいことだった。しかも、ガブっと齧り付けずに串から外すのではなく、「みんなとシェアするため」に串から外すらしい。つまり、一本の串を複数人で分けて……食べる……だと……? そんなん、自分の食べたい串一本頼んだらええやん。

あさよるの世界軸にはそのような慣習がなかったため、とても戸惑っている。あさよる的には、串から外してバラバラにして冷めてしまった焼き鳥はおいしそうな気がしないんだけれども、どうなんだろう。

こういう、食べ物に関する相性はとても重大だ。あさよるも昔、とことん食べ物の好みが合わない人と一緒にいて、ほんとにとてもとても疲弊してしまった経験がある。「この時間帯にこれ食べるの?」って感覚も違うし、「食べ方」も違っていて、食事中の会話も弾まずただひたすら気まずい時間だった。これはかなり堪える。

焼き鳥の串外し問題も同様に、実はとても根が深い話ではないかと思う。ただもちろん、どちらが正しい/間違っているわけでもないし、他人に強要することでもない。ただ「モヤモヤ」するのみである。

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

サプライズは良いこと!?

焼き鳥問題と同じくらい衝撃だったのは「サプライズ」に関する話題だ。サプライズって、あれだ、あの、「フラッシュモブ」とかいうやつだ。公園にデートに行くと突然公園にいた人たちが踊り始めて、彼が最後にプロポーズするとか、結婚式で出席者たちが踊り始めたりするやつだ。あんなの喜ぶ人がいるのかと訝しんでいたが、なんと本書によると、

ネットマーケティングが2015年3月に実施した調査によると、「恋人からサプライズされると嬉しい」と思っている男性は94%、女性は96%にのぼっている。(中略)予定調和を崩す意表をついた演出は刺激的で、胸ときめくもの――。世間の大多数が、そう考えているのである。(p.143-144)

男性94%、女性96%って、圧倒的多数じゃまいか! え!? みんなそんな感じだったの!? サプライズ嬉しいの!? あさよるが空気読めてないことに気づいてものすごくショックでしたorz

あさよる的には、言葉によって、これからの話も話し合える人がいいです……。「サプライズ」っていうけど、突拍子もなく告白やプロポーズしてるんじゃなくって、お互いにもう確信している状態で、最後の口頭の約束をしているんだと思うんだけどなぁ……違うのかなぁ(弱気)。

ちなみに、街中の広告用の大型ビジョンに、自分のメッセージを掲載してもらうのは、割と手の届く値段でできるらしい。サービスをまとめておられる方がいらしたので、リンクのせておきます。

イラつく人にイラつく

街中のモヤモヤの代表格は、電車の中でお年寄りに席を譲ってよいものか……という葛藤です。今の人はみんな若いですから、席を譲ると申し出ても断られてしまうどころか、小競り合いになることもあるそうです(反対に、席を譲らないことでモメることもあるそう)。あるいは、電車の中で赤ちゃんが泣き始めて……イラっとしてしまう。

本書では、著者の宮崎智之さんは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ」というよりは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ人に苛立ってしまう」と書かれていました。あさよるも同じで、別に赤ちゃんの声なんて気にならないんだけど、「イライラする人がいるんじゃないか」「文句を言う人がいたら嫌だなあ」「もし怒る人がいたら、私はどんな行動を取ればいいんだろう……」と、周りの大人たちへの警戒心でピリピリしてしまいます。

「イラつく人にイラつく」状態です。

これにちょっと似ているなぁと思うのは、電車の中で化粧をする女性。電車内で化粧をする行為への是非はともかく、その人がいることで周囲が緊張している感じがツライ……。

まさに「モヤモヤ」ですよね。一旦モメごとが起こったならば、自分はそれに適切に対応するしかないのですが、「モメてないけど、これからモメるかもしれない」という宙ぶらりんの緊張感がモヤモヤします。

化粧ってマナーだったの!?

電車の中で化粧はどうなの? って話題で登場した概念にも驚いた。それは「女性の化粧はマナー」だというもの。え、化粧ってマナーだったの? すっぴんはマナー違反ってこと……? あさよるは「社会人としての最低限の身だしなみ」は男女ともに求められていると思うし、さらに職業によってはより身だしなみに気を遣う職種もあるだろう。しかし、「それ以上に着飾ること」は個人の趣味だと思ってたよ……。ショッキンッ!

非リアとして生きる

「モヤモヤ」は、「リア充」たちに向ける非リアたちの眼差しにも感じます。いや、あさよるも非リアの一人ですから心が痛んだ話。リア充たちはこれでもかとSNSにリア充感満載の投稿をしまくってくる。しかも彼らの投稿が気に障るのは「非リアのために配慮されている」ところだと指摘されていた。つまり「花火大会楽しかった!また来年も行こうね」と写真付きで投稿するんだけれども、「誰と一緒に行ったのか」はボカされている。どうせカップルで行ったんだろうに、非リアに配慮して恋人の存在はぼやかされてるんですってよ! まったく! なんかものすごく言いがかりな気がするw

で、われわれ非リアたちは、「リア充」を心のどこかで見下している、とも紹介されている。センスが悪くて「パーリーピーポーウェーイww」みたいにラベルを張ることで、心を落ち着かせているのかもしれない。

これもまあ、モヤモヤする話ですな。

〇〇ヅラする人々

「彼氏面する男」というのが本書に登場します。別に恋人同士でもないのに、というか、そんなに親しいわけでもないのに、なぜだか彼氏のような振る舞いをする男がいるらしい。服装をチェックしたり、他の男性と話していると「嫉妬する」と告げられるんだって。なぜか女性に対して上から目線なのもポイントだ。

でもこれって、女性版の「彼女面する女」もいるよね。カップルでもないのになんか男性の世話をせっせと焼く人。ああ~、特に親しくもないのに「親友面」する人もいるやねw なんか突然ぶっちゃけ話をしろと迫られたり、「悩みならなんでも聞くから」となにも相談してないのに申し出てくださる人ね。

「意識高い系」だって、別に優秀なわけじゃないのにさも優秀な人間のように振舞ったり、特別な努力をしているわけでもないのに頑張ってる感を出して着たり、忙しいアピールとかね。

おもしろおかしく他人の姿を笑うこともできるけれども、「じゃあ、自分はいったいどうなんだ」って考えると、笑顔が引きつります(苦笑)。あさよるも、ついつい「〇〇ヅラ」してるのかもな~……と、やってるよなぁ~(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)

あさよるもまた、ある時は他人をモヤモヤさせているのだった。

あ~モヤモヤする

『モヤモヤするあの人』はいくら読んでもスッキリしません。わざわざモヤモヤの不快感に突っ込んでいくような本かもしれません。しかし……考えてみると、むしろ現代のわれわれは「スッキリとわかりやすい話」に慣れすぎていて、答えのない問を繰り返すストレスに耐えられなくなっているのではないでしょうか。池上彰さんの解説は確かにわかりやすいし、面白いけれども、やっぱりバラエティー番組として昇華されていて、あくまで「快楽」ですよね。「わかった気になって気持ちいい」んです。だけど、本当の大問題というのは、答えがないから問題であって、30分やそこら、アニメーションや模型を使って解説して答えがスッキリ見つかるわけではありません。

『モヤモヤするあの人』は、なーんにも考えなくなっちゃった頭には、ある意味刺激的です。読めば読むほど「モヤモヤ」が増すんですから。だけど、ものすごーく大きな大問題を扱っているわけじゃなく、あくまで与太話の範疇。仲間内でダベリながらいいネタになるような話ばかりです。

あさよるは、自分の常識とは違う常識をいくつも発見しました。みなさんはどうでしょう~。

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『ぼくはお金を使わずに生きることにした』|都会で大冒険!カネなし生活

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。先日読んでブログでも紹介した『0円で生きる』が面白くて、ゴールデンウィークに「家財道具を売ってみよう」とメルカリに出品してみました。『0円で生きる』で紹介されていた「ジモティー」も利用したいのですが、荷物の運搬手段がないので、これから考えよう。

これまで物の譲渡って、役所とか公民館の「あげます・ください」の掲示板を見たり、フリーマーケットに出品するとか面倒くさかったけど、ネットサービスが充実することで、誰もが気軽に安価or無料でやりとりができてとても便利です。「テクノロジーは社会を変えるんだなあ」なんて、大げさなことを考えてみたり。

今回手に取った『ぼくはお金を使わずに生きることにした』も、イギリス人の男性がロンドン郊外で1年間、一切のお金を使わず生活をするチャレンジをした記録です。彼がチャレンジを決行したのは2008年の年末のこと。2008年はリーマンショックがあった年です。さらに3.11以降のわたしたちにとって、彼のチャレンジは当時と違った意味を感じるかもしれません。

現代の冒険譚・お金を使わない

著者のマーク・ボイルさんは現代の冒険家です。かつて「冒険」とは、大海原へ漕ぎ出だしたり、未踏峰を踏破したり、誰も行ったことのない場所へ踏み込むことでした。現在では都市部の郊外で「1年間一切お金を使わない」というチャレンジが、誰もやったことのない大冒険なのです。現にマーク・ボイルさんは、1年間お金を使わない構想を発表してから、世界中のメディアから数多くの取材を受けます。

テクノロジーを否定しなくていい

マーク・ボイルさんのチャレンジの特徴は、まずロンドンの郊外で行われること。お金の一切は使わないけど、友人たちを頼るし、社会のインフラも使います。また、基本的にはテクノロジーの否定はしていません。

1年間お金を使わない計画に際し、マーク・ボイルさんはルールを自分で設けています。まず、石油燃料は〈自分のために〉使わないこと。電気は自分で発電しますが、誰かから「どうぞ」と差し出される分には使用してもいいこと。つまり、わざわざ〈自分のために〉石油・ガソリンや電気は使いませんが、他の人が使っているものを分けてもらうのはOKということ。例を挙げると、「自分のために車を出してもらう」はNGですが、ヒッチハイクで「元々あっち方面へ向かう車の助手席」を分けてもらうのはOK。

この辺が「世捨て人」的な感じではないところ。なにより交友関係はとことん使います。「ロンドンの郊外」ですから、落ちているモノ、捨てられているモノを手に入れやすい環境にもあります。

マーク・ボイルさんはお金と石油燃料を自分のために使うことを避けていますが、それ以外のテクノロジーやコミュニティーは特段否定していません。

菜食主義で健康に

お金を使わない生活をすると、納税しないことになります。だからマーク・ボイルさんは1年間、病気をしないように健康に気をつけるのですが、ビーガンになることで、かつての不調がウソのように改善した様子を綴っておられます。菜食主義の人がよく「肉や乳製品をやめると体調が良くなった」と仰ってるのを目にしますが、実際のところどうなんでしょう。

また、肉食をやめたことで、体臭に変化があったそうです。お風呂も洗濯機もありませんから、衛生状態と〈清潔感〉をどうキープするのか周囲の人も気にしているようです。「ボディソープを使わなくても体はきれいになる」と説明しても、信じてくれない様子。

これについては以前、あさよるネットでも『「お湯だけ洗い」であなたの肌がよみがえる!』で紹介しました。有機物は水溶性で水に溶けて流れます。だから「水浴びだけでも清潔」は、そうなんでしょう。

Wifi完備でネット環境

マーク・ボイルさんはネットで住処の提供を求めたところ、なんとキャンピングカーの提供を申し出る人が表れました。また、そのキャンピングカーを停める場所も、ボランティアを引き受けることで場所を貸してもらえました。そこはWifiもつながっていて、マーク・ボイルさんは自家発電をしてネットに接続し情報発信を行います。プリペイドカード式の携帯電話を所持しているので、電話を受けることもできます。世界中のメディアからの取材も、電話を貸してもらって受けています。

「現在の冒険譚」と紹介したのは、現代のネットワーク環境を活用しているからです。『アルプスの少女ハイジ』の〈オンジ〉のように、コミュニティーに属せず、人々から隔絶された地で生きるのとは正反対です。積極的にコミュニティーを持ち、情報を発信し、人とつながりながら「お金を使わない」から、冒険なのです。

お金はすごく便利だ!

本書『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は、著者のマーク・ボイルさんの体当たりレポにより「お金」の価値について問い直されます。本書を読んでつくづく思うのは「お金はとても便利なものだ!」ということです。マーク・ボイルさんご自身も、「お金が少ないのと、お金を全く使わないのは、全然違う」と書いておられます。

本書が面白いのは、別に貨幣経済を否定してるワケでもないところ。ただし「お金の価値しかない社会」はどうなの? という問いかけになっていますし、また「お金を使わない生き方を選ぶ自由がある」という至極当たり前のことを体現した記録でもあります。

マーク・ボイルさんの結論として、「お金のない世界で暮らしたい」と理想をあげながらも、現実的には「地域通貨」への切り替えが落としどころとして提示しておられます。小さな町や村のコミュニティーの中で、スキルや物を提供したりもらったりして、交換する価値としての「地域通貨」です。

お金で買っているのは「時間」

カネなし生活で、足りなくなるのは「時間」だと言います。朝起きて、水を確保しないといけませんし、ネットにつなぐための電気を発電し、どこへ行くにも何十キロと自転車を飛ばさねばなりません。ボールペン一本、安いお金を出せばに入る物ですら、ボールペンが落ちていないか探さねばならないのです。

お金を使うことで、一瞬でほしいモノが手に入るのですから、最強の「時短」アイテムなんですね。

カネなし生活には「お金以外の力」が必要

お金は便利だと紹介したのは、カネさえあれば、他に何もなくても欲しいものが手に入るからです。お金がない生活とは、人とのつながりが重要で、自分を助けてくれる人、自分を気にかけてくれる人の存在が重要です。幸いにもマーク・ボイルさんは、彼のチャレンジに協力してくれる友人や恋人がいて、また世界中のマスコミが取り上げ多くの人が彼に注目していました(もちろん賛否アリ)。またマーク・ボイルさんは健康で若い男性であり、彼の思想や信仰も、お金を使わない計画を後押ししたでしょう。いくつもの要素が絡まり合って、成立したチャレンジだと考えることもできます。

〈お金〉と〈幸福〉は別のもの

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

以下、あさよるの勝手な感想。

「カネなし生活を成立させるためには前提条件が必要だ」と言いましたが、たぶんマーク・ボイルさんと近いことをしている人は今の日本にもたくさんいると思います。別に強い信念があるわけでもなく、「知人の家に転がり込んで」とか「友だちに助けてもらって」生きてる人もいるだろうし、しかも全員が「お金がない=不幸」とは限らず、楽しく愉快にやってる人もいるでしょう。

選択肢として「カネなし生活」を選ぶ人がいてもいいし、またそれを選ぶ人もいて、それで成立する社会の方がいい社会だろうと思います。

貧乏暇なし

カネなし生活では、時間がとても貴重なのものであると認識できます。お金は一瞬にして取引を成立させる「究極の〈時短〉アイテム」なんですね。すなわち「お金がない」とは「時間がない」ことだと考えられ、これは「貧乏暇なし」という日本のことわざとも合致しています。

自己啓発本の類を読んでいても、世界で活躍する優秀なビジネスマンほど、超多忙であるにも関わらず、余暇や家族との時間をたっぷりと過ごしていると紹介されています。それはタイムマネジメントが優秀である上に「お金の使いどころ」を心得てるのかもしれません。

仮想通貨ってどうなの?

本書では折衷案として「地域通貨」の可能性が提示されていますが、今となれば「こんなときのための仮想通貨だろう」と。マーク・ボイルさんがカネなし生活にチャレンジしたのが2008年年末~2009年の1年間で、ビットコインは2008年に発表された論文に基づき、2009年に運用開始されました。

世界は、現行の通貨ではない「新しい価値」を模索していて、マーク・ボイルさんのチャレンジもそれに当たるのではないのかしら。今までの、国が発行する通貨ではない〈何か〉が必要なんじゃないかしら。

ムダなお金、ムダな出費が多すぎる!

本書『ぼくはあお金を使わずに生きることにした』を読むと「お金の便利さ」もよくわかりますが、同時に「お金の量と充実感は比例しない」こともよくわかります。マーク・ボイルさんはカネなしで、忙しく働いていますが、別に不幸せではありません。

電車の中ではほぼ全ての人がスマホ画面をのぞき込んでいます。しかしスマホで仕事や意味のある作業をしている人は少数で、多くの人は〈暇つぶし〉をしているんじゃないかと思います。暇つぶしのためにスマホを買って、使用料を毎月払って、暇つぶしのアプリやゲームにお金を使っているんじゃないでしょうか。ちなみに、スマホって超ハイテクな機械ですからね。最先端のハイテク機械を使ってやってることは〈暇つぶし〉ってなかなかシュールだな。

んで、それって、どんだけお金があったとしても、やってることは〈暇つぶし〉だから、いくらお金と時間をつぎ込んでも充実感が得られないんじゃないだろうかと思います。

単に「お金を節約する」だけじゃなくって、「何にお金を使うか」「何に時間を使うか」を改めて考え直した方がいいのかもしれません。優先順位は人によってそれぞれ違っているでしょう。

時間もお金も限りがあって、エネルギーにも限りがあって、大事なのは「どんな配分でそれを使うか」なのかもな、なんて思います。

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大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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『ユニクロ潜入一年』|ブラックバイトへカリスマ社長の招待状

こんにちは。突然春めいて着る服がない あさよるです。ブログではいつも着る服がないと書いている気がします。ないんです。みんな大好きユニクロですが、あさよるの行動範囲にユニクロ店舗がなくて、実はあまり利用する機会が少ないんです。アクセスしやすいのは超大型店で、あまりにも売り場面積が広すぎて、店の前でうんざりして帰ってきてしまうんですよね。「店員さんも大変だなあ」と思っていましたが「やっぱり店員は大変だった」と本書『ユニクロ潜入一年』を読んで知りました。

本書『ユニクロ潜入一年』は著者の横田増生さんが、実際にユニクロ店舗の面接を受け、アルバイトとして働いた1年間の記録です。ユニクロの過酷な業務内容と共に、著者が接客業に喜びを見い出している様子や、真面目に業務をこなす様子など記録されているルポルタージュです。

ユニクロ帝国の光と影・柳井正社長からの招待

本書は、2011年3月に著者の横田増生さんが出版した『ユニクロ帝国の光と影』が発端となって始まります。ユニクロの国内店舗と中国の委託工場での労働環境について言及したことが、同社の「名誉棄損」に当たると、ユニクロが出版元の文藝春秋宛に通告書が送られてきたのです。横田増生さんは何度もユニクロに取材を申し込み、柳井正社長との対談もやっと一度だけかないましたが、それ以外は広報への取材もかないませんでした。にもかかわらず、取材もせずに誤った記事を掲載しているというのが、ユニクロ側の言い分でした。

結果的に2014年、最高裁がユニクロ側の上告を却下し、文藝春秋側が裁判に勝ちました。「事実誤認はあったか」という著者の問いに、ユニクロの広報部長は「それはなかった」と答えました。事実誤認はなかったのに、訴えられた。結果、文春側が勝ったが、今後ユニクロについて言及する記事を書けば「面倒くさいことになる」と知らしめるには十分だったでしょう。

さらに著者は、ファーストリテイリング社の中間決算会見に締め出しを食らっっており、裁判に勝ったのにそれでも出席しないで欲しいと連絡がなされます。理由は、

「柳井から、横田さんの決算会見への参加をお断りするようにと伝言をあずかっています」p.6

というもの。

相手がその気ならばと、横田増生さんは、合法的に名前を変え、実際にユニクロ店舗でアルバイトとして1年間務めた記録と、そして中国やカンボジアでの委託業者への取材をまとめたものが、本書『ユニクロ潜入一年』です。

ユニクロで一年働いてみた

ユニクロ店舗でアルバイトを始めた経緯は、ほかにない柳井正社長直々に「招待」があったからです。2015年3月号の雑誌「プレジデント」にて、柳井正社長のインタビューを記事を読んだことから始まります。

 世間ではユニクロに対してブラック企業だとの批判があるという質問に対して、柳井社長は、「我々は『ブック企業』ではないと思っています(中略)」『限りなくホワイトに近いグレー企業』ではないでしょうか」と答えたのち、「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね」と語っているのを見つけた。
この箇所を読んだとき感じたのは、「この言葉は、私への招待状なのか」というものだった。つまり、私にユニクロに潜入取材してみろという、柳井社長からのお誘いなのだろうか、と思った。

p.46

横田増生さんは一旦、奥様と離婚し、奥様の姓で再婚し、合法的に姓を変え、ユニクロ店舗のアルバイトに応募します。日本ではこのような記者が企業内部に潜入取材すること珍しいですが、海外ではよくあるそうです。また、香港の人権NGO団体のSACOM(サコム)が、ユニクロ下請け工場の潜入レポートを行い、違法な長期労働を指摘しました。彼らの働きも、横田増生さんを刺激したと言います。

ということで、ユニクロのイオンモール幕張新都心店、ららぽーと豊洲店、ビックロ新宿東口店の3店舗で実際に足かけ1年強アルバイトが始まります。まず心配なのは年齢です。1965年生まれの横田さんはユニクロ潜入時の2015年には50歳です。この年齢でアパレルのアルバイトに採用されるのか?と気になりますが、3店舗とも即採用で即勤務が始まりました。ユニクロ店舗では深刻な人材不足に陥っているようです。

人材不足が顕著なのは、アルバイトの中にかなり多くの外国人が採用されていることからもわかります。当初は、外国人のお客様へ対応するためのスタッフかと思われましたが、実際にユニクロに訪れるお客様のうち、外国人は1割にも満たないそうで、外国人スタッフの数が多すぎます。ユニクロ店舗は常に人手不足でてんてこ舞いな上に、日本語が堪能ではないスタッフが多数いることで余計に業務が増えています。それでも、なんの改善もなされておらず、慢性的な人手不足であることがわかります。また、横田さんは英語が堪能で、外国人客の接客に当たることが多かったそうです。ユニクロではかつて、社内では英語が公用語だと発表されていましたが、いつの間にか雲散霧消してしまっており、正社員も英語を使えない人が多いそうです。外国人客が増えているのに英語を話せるスタッフが不足しており、かつ、社内では外国人を雇用しコミュニケーションが取れていないという、「やりにくい」感じがよく伝わってきます。

ユニクロ店内の労働環境は、その店舗と、店長の手腕によってかなり違っている雰囲気です。最初に働き始めたイオンモール幕張新都心店では、店長も人格者で、働きやすそうです。しかし、最後にバイトをしていたビックロ新宿東口店は、雇用状態も店内もむちゃくちゃで、ユニクロバイト経験アリの横田さんも疲弊しきっています。

また、ユニクロのカリスマ柳井正社長のワンマンぶりに、末端のアルバイトまでが振り回されている様子が伝わります。バックヤードには「部長会議ニュース」が貼り出され、従業員の全員が目を通します。そこでは柳井社長の言葉が掲載されており、コロコロと話が変わったり、一貫性のない指示が出されているのですが、「誰もツッコめない」、まさに「ユニクロ帝国」なのです。

中国・カンボジアからのレポート

本書は、ユニクロでのアルバイト勤務の間に、中国やカンボジアのユニクロ委託業者の労働環境の取材もなされています。先に紹介した香港の人権NGO団体SACOMは、工場の問題点を4つにまとめています。

一・違法な長期労働と安すぎる基本給
二・漏電による死亡などのリスクがある危険な労働環境
三・労働者に対する厳しい管理方法と違法な罰金システム
四・労働組合がなく、労働社の意見が反映されない職場
こうした労働環境の劣悪な工場を、欧米では“sweatshop(搾取工場)”と呼ぶ。

p.179

もし火災が起これば逃げられない環境にいることを自覚し、恐怖を感じながら働いている労働者や、ストライキに工場が応じず警察が強制的に労働者を排除した問題にも触れられています。ミスがあると罰が与えられたり、過労で倒れ病院へ担ぎ込まれた男性には1日だけ休暇が与えられ、それ以降はまったくの無給になった話や、シフト交代はなく、朝から夕方まで休憩なしで低賃金で働き続けるなど、労働環境が語られます。

体当たりの取材記

ユニクロに足かけ1年間実際にアルバイトとして勤務をし、その間に外国の委託工場の取材を試みた記録である本書。あさよるの感想としてはまず、「イオンモール幕張新都心店ならバイトしたいなあ」というものだった。ユニクロの劣悪な労働環境について暴く内容ではあるけれども、同時に柳井正社長がカリスマ経営者であることもよくわかる構成です。ただ、社長がカリスマであるがゆえに、巨大に成長した会社の末端が見えなくなっており、柳井社長自身が、ユニクロ店舗スタッフがどんな環境で働いているのか、本当に見えなくなっているのではないでしょうか。

そこで本書の結びでも、著者・横田増生さんは柳井社長に対し「素性を隠し、ユニクロ店舗でバイトをしてみる」経験を勧めておられます。

あんなに大きな会社なのに、新人バイトまで社長の会議での発言を知っているというのは「すげーな」というのが本音でした。あさよるもこれまでアルバイト経験をいくつかしましたが、正直社長の名前も知らなかったり、役員の会議の内容も、これからの展望も、バイト風情が知ることはありませんでした。感覚的には、地方の中小企業の社長のまま、日本を代表するようなアパレル企業に成長したのかなぁと感じる。

あと、ユニクロの製品を買わない「不買運動」をしている人が あさよるの周囲にもいます。彼らが言う「外国での劣悪な工場労働」の実態の一部に触れると、確かに「ユニクロの服あんまり欲しくなくなったなあ」と思います。幸か不幸か、あさよるの行動圏内に手ごろなユニクロ店舗がないので(巨大店しかなく商品を探すのが大変)、あまりユニクロで買い物しないのですが、これから志向が変わるかも。

働き方の本

横田増生さんの本

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『未来のだるまちゃんへ』|目を見開いて、理解して、面白がって

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

こんにちは。かこさとしさんブームな あさよる です。きっかけは、「あさよる」の本を見つけたからでした。豆の家族の一日を追っかけるドキュメンタリー絵本です。

さらに『あさよる、なつふゆ、ちきゅううはまわる』という本も見つけて、図書館で資料請求してみました。こちらももちろん かこさとしさんの本です。

で、この本、読んだことあるかもしれない……!というか、図書館に寄贈したの、自分じゃね?というw 「あさよる」って自分で考えた名前だと思ってたんですが、まさか元ネタがあった疑惑……。

かこさとしさんと福岡伸一さんの『ちっちゃな科学』もおもしろかったのです。子どもの好奇心や興味を、大人になってもずっと絶やさないかこさんも素敵です。

だるまちゃんだった

本書『未来のだるまちゃんへ』では、絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』の作者、かこさとしさんの半生と、そして子どもたちへの眼差しが記されています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』とは、1967年に出版された名作絵本です。〈だるまちゃん〉と〈てんぐちゃん〉は仲良しで二人で遊んでいますが〈だるまちゃん〉は〈てんぐちゃん〉のステキな出で立ちが羨ましくなり、お父さんの〈だるまどん〉に帽子や扇子や履物を強請ります。〈だるまどん〉は〈だるまちゃん〉のために道具を用意してくれるのですが、なんだか違う……という、すれ違いがおかしい絵本です。

大人が読んでも面白く、まただるまちゃんが愛おしくてたまらないのですが、どうやら〈だるまちゃん〉のモデルはかこさとしさんご自身の体験にあるそうです。かこさんのお父様は、欲しがってもないのにアレコレと子どもに与えたがる方だったそうで、欲しくもないものを「欲しい」と言い、買い与えられる自分に歯がゆさを感じていらしたそうです。それが〈だるまどん〉の姿であり、欲しくないものを用意されて困っている〈だるまちゃん〉なんですね。もちろん、お父様にも十分に目をかけられない息子への気持ちからなのですが、すれ違いなんですね。

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

みんな、だるまちゃん?

〈だるまちゃん〉のもう一つの特徴は、なんでもよく「観察する目」と「好奇心」です。〈てんぐちゃん〉の衣装をよく観察していて、同じものが欲しいと思います。羨ましがっているというよりは「ステキ!」「いいな!」「ほしい!」って素直に自分の興味に従っています。

で、誰もが子ども時代、だるまちゃんだったんじゃない?ってことですね。

『未来のだるまちゃんへ』の中では、かこさんの子ども時代の思い出が語られています。かこさんは福井県で生まれ子ども時代を過ごしました。満州事変のあと、鯖江から兵隊さんたちが大陸へ出兵するのを、学校をあげて見送りへ行きました。そのとき、子ども心に「出征というのは、こんなに寂しいものなのか」と感じたそうです。周りは大人も子どもも「万歳」と声を上げ、旗を振っているのに、兵隊たちは誰も笑っていない。

当時小学一年生だったかこさんだけでなく、多くの子どもたちはその雰囲気を感じ取ったようで、いつも戦争ごっこして遊んでいる子らも、帰り道も黙ったまま。何も知らない子どもだからこそ、その場の「空気」を誰よりも率直に感じたのかもしれません。

「子どもだから何もわからない」のではなく、「こどもだからこそ、理屈じゃなく感覚でわかる」ってこともあるのかも。子どもを侮ってはいけないし、馬鹿にしてはいけない。彼らは「わかっている」んだと思いました。

次のだるまちゃんへ

かこさんはセツルメント活動を通じて、子どもたちを大人の目線で観察し、また絵本作家として活動を開始します。当初は会社員との二足の草わらじで、作家であることも隠していたそうです。家庭では父となりましたが、実の子との一緒に過ごす時間は少なかったと告白されています。家庭よりも、自分の運動や活動に没頭していたというのは、ちょっと意外な横顔でした。かこさんご自身が、夢中にのめりこむ〈だるまちゃん〉だったのです。

子どもたちの関わりの中で、大人の〈だるまちゃん〉の、未来の〈だるまちゃん〉へのメッセージです。

 生きるというのは、本当は、喜びです。
生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

(中略)

僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい。
そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけてそれをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。

p.251-252

「目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい」というのが、かこさんらしいと思います。世界には悪いことも嫌なことも考えたくないこともいっぱいあるけど、目を見開いて、理解して、そのうえで面白がってほしい。「面白がる」ってのがレベル高いし、ポイントですね。

だるまちゃんだったあさよるは

あさよるも、かつては〈だるまちゃん〉でした。いいや、ホントは今も〈だるまちゃん〉でありたい。けれども、どうだろう、興味や好奇心は尽きていないだろうか。

あさよるも、子どもの頃は何もわかっていなかったけども、なんとなく社会の雰囲気は感じていました。90年代に子ども時代を過ごしたので、将来貧しい社会がやってくることは悟っていたし、9.11テロに大人たちが落ち込んでいる理由がわからなかった。「起こるべくして起こった」としか思わなかった。原子力発電にムリがあるのは理科の本に書いてある。

なのに今なにが起こっているのか、自分の知識が邪魔してまっすぐ目に入りません。子どもの話はバカバカしく聞くに耐えないと感じてしまう。ほんとは、新しい人が古い人に教えてくれているのに。

『未来のだるまちゃんへ』を読んで、結構ヘコみました。〈だるまちゃん〉の話に耳を傾ける〈だるまどん〉はえらい大人だなあ。

関連本

『花森安治の青春』/馬場マコト

『ミライの授業』/瀧本哲史

『本を読む人だけが手にするもの』/藤原和博

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『新訳 メアリと魔女の花』|たった一夜の魔法もあるんだよ

こんにちは。話題を遅れて取り入れる あさよるです。見ましたか?『メアリと魔女の花』。あさよるはもちろんまだ見てませんw なんだか事態をよく呑み込めないまま公開が終わってしまいましたw

児童文学『小さな魔法のほうき』が『メアリと魔女の花』のタイトルでアニメ映画化された。アニメーションを手がけたのはスタジオジブリのOBたち、ということでおk? という程度の認識で、完全に乗り遅れてしまったーw

今さら予告編を見ています。ちなみにSEKAI NO OWARI のMVは公開時に見たな。

↑この映画の予告編にも出てくる本が、本書のデザインと同じなのね。

『メアリと魔女の花』あらすじ

『メアリと魔女の花』はこんなお話。

 夏休みに両親や兄弟と離れて、田舎の親戚の家にひとりで預けられた十歳の少女メアリは、年寄りしかいない家での生活に退屈しきっていた。それでもなんとかおもしろいことを探そうとしているうちに、小さな黒ネコ、ティブと出会い、ふしぎな力を持つ魔法の花「夜間飛行」とほうきを見つける。メアリはネコとほうき(魔女の話には付き物の三要素)に導かれるようにして、空を飛んで魔女のいるエンドア大学へ行き、やがて近所の少年ピーターとともに、思いもかけない大冒険に巻きこまれていく。

p.219-220

黒ネコと花とほうきを手に入れたメアリが、ほうきで空を飛びエンドア大学で魔法を学ぶことになる。しかし……というお話。黒ネコ、花、ほうきという「魔女モノ」の三種の神器と、ハリーポッターでもお馴染みの「魔法学校へ行く」という展開。ザ・魔法使いなお話。

こちらは映画『メアリと魔女の花』に伴い新訳で出版されたもののようですが、昔の『小さな魔法のほうき』をお読みになった方もおられるかも。

小学生から大人まで

本書は読んでみると小学校高学年以上が対象なのかな?という感じ。漢字にルビなし。お話自体はシンプルな筋書で、〈夏休みのたった一夜の大冒険〉という、何がどう転んでも胸がトキメク、子どもさんにも薦めやすい内容です。また、〈魔法使いモノ〉の定番の設定や道具が次々登場しますから、「一般教養としての魔法使いのお話」にもいいかもw 役に立たない知識ですが、そういう「お約束」をどれくらい知っているかって大事じゃないっすか。

映画を見た後に、「本でも読んでみない?」なんて持っていくのも良いやも。

で、大人のあさよるが読んでも楽しい。適度にドタバタ、適度にコミカル、適度にハラハラ。やっぱ魔法を使ったり魔法が解ける描写は胸がキュンとする。

風景や状況描写も丁寧で、土のにおいや湿った草原や、乾いた風が吹きぬける様子など、読んでいて気持ちよくなっちゃう。植物や動物の名前がたくさん登場したりね。

児童文学、イイネ!

当あさよるネットでは時折「児童文学ってイイネ!」という記事を書いております。これはあさよるネットの中の人が単に、思い出したように児童文学を読んでみては、「これは良いものだなぁ……」と唸っているだけなのですが。

過去にイイネ!と唸っていたのは『魔女の宅急便』と『精霊の守り人』でした。どちらも映像化されているのでご存知の方も多いでしょう。ぜひ原作でも読んでみてください。

『新装版 魔女の宅急便』(全6巻)|児童小説をあなどるなかれ!

『精霊の守り人』|守り人シリーズ第一作。謎、バトル、ファンタジー

あさよるは個人的に、読書ってジャンルをこだわらずにイロイロ雑多に読む方が、どんどん読書が楽しくなってゆくと思っているので、子ども時分に「児童文学ばっかり」になるのはオススメじゃないんです。だけど、あれもこれも色んな本や辞書や図鑑などなどを読む中で「児童文学も読む」のはgoodだと思います。こんなに名作もたくさんあるしね。

もちろん、大人も「大人向けの本ばっかり」じゃなくってたまには「子ども向け」「児童文学」を読んだっていいじゃないか!と、そういうスタンスで行こうと思いますw あまりたくさんを読んだことないので楽しみです。

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『くっすん大黒』|声に出して読みたい小説でした

こんにちは。あさよるです。いやさっきね町田康の『くっすん大国』を読んだんですよ。これ、町田康の処女小説らしいし、芥川賞候補作にもなった作品で、代表作の一つで間違いないでしょう。あさよるは町田康を読むのが初めてで、ってか町田康ってミュージシャンだったんだと、それを知らなくてびっくりした。町田康初心者ですわ。

そんで、町田康初心者は処女作を読むに限るだろうて『くっすん大黒』を選んだのでしたが、なんじゃこれ。まず出だしの1行目から「読みにくっ」と声に出しそうになったのでした。声に出してないけれど。しかし「これもなにかの縁だろう」と1ページは読もうと頑張ったのでした。そして、「これって声に出して読むといいんじゃないか」と思いつき、朗々と朗読会が始まったのでした。

「声に出して読みたいなんとか」とかいうのが昔流行ったけれども、まさにこの『くっすん大黒』は声に出して読みたい、いや、声に出して読むべき小説ではないだろうか。

『くっすん大黒』のあらすじのようなもの

はてさて『くっすん大黒』にあらすじなんてものがあるのか謎いけれども、一応紹介してみましょう。

三年前、ふと働くのが嫌になって仕事を辞め、毎日酒を飲んでぶらぶらしていたら妻が家を出て行った。誰もいない部屋に転がる不愉快きわまりない金属の大黒、今日こそ捨ててこます

くっすん大黒 (文春文庫) | 町田 康 |本 | 通販 | Amazon

「働くのは嫌だな」「遊んで暮らしたいな」と思い立ち仕事を辞めて、酒を飲んでぶらぶらと暮らしていたら、酒の飲みすぎで紅顔の美少年が、まるで大黒様のようになってしまった。前夜、金目の物を全部持って出て行った妻の行動も合点がいった。こんな面白い顔を見て暮らすのはいやだもの。しかし、それにしても金がない。イライラしていると五寸ばかりの大黒様が目に入った。この大黒はバランスがわるくまったく自律せずに、すぐに後ろへ倒れてしまう。

この大黒を捨ててしまおうと思ったが、ゴミの分別に悩み、不法投棄を思い立つ。しかし、大黒をもってウロついている様子を警察に見つかり職務質問を受け、いやんなって友人の菊池に連絡する。さっそく菊池のもとへいくと、菊池がアルバイトの話を持ってきた。しかし、そのバイト先でキョーレツなオバハンたちに絡まれ、命からがら逃げだす二人。

しかし金がない。むかし映画に出演した縁で作家の軌跡を追うビデオのリポーター役に抜擢されるのだ。

と、話がどんどん二転三転してゆくのがバカバカしく可笑しい。

落語みたいな話やね

主人公の楠木と菊池は、まるで落語に出てくる喜六と清八のようで、二人の阿呆なかけあいが楽しいのですよ。落語っぽいなと思うのは、小さなおかしな話を積みあげてなにやらどんどんおかしくなっていくところとか、「その話のつなげ方無理ないか?」と突っ込みたくなる設定とか、二人の珍道紀になってるところとか。んで、なんといっても落語的〈サゲ〉とかね。サゲというのは、落語の噺のオチのこと。あ、あと、声に出したいってところもか。

よくわからない、が……

初めて町田康を読んだのですが、これは大変だ。なんて言っていいのか分からない。「面白かったか?」という問いはには「〈はい〉であり〈いいえ〉です」。そして、「また読みたいか」と聞かれても「〈はい〉であり〈いいえ〉です」としか言えないし、「他人に薦めたいか」という問いかけも「〈はい〉であり〈いいえ〉です」としか答えられない。こまった。

困ったけれども、ものすごくなんか、気になって仕方がない。町田康の他の小説ってどうなの?どうなってんの?他のも読んでみたほうがいいの?いいよね?と自問自答している。いや、きっと、絶対、近々彼の他作品も手に取ってしまうだろう。そして声に出して読んでしまうんだろう。

そもそも、秋も深まろうかという夕暮れの暗がりの中、ザンバラ頭で腹から声を出してハキハキと『くっすん大黒』を音読してるババアがこの世に存在していたという事実はなかなかのホラーである。それこそ、物語の中に出てくるどうかしているオバハンども級の気味悪さである。ああ怖。

・・・。

余談。かの松岡正剛氏の千夜千冊でも『くっすん大黒』が紹介されている。というか、725話って、最初の千夜に入ってる。

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『スピッツ』|分厚い!「ヒバリのこころ」から「フェイクファー」まで

こんにちは。あさよるです。2017年10月3日~8日まで大阪市にあるギャラリーPINEBROOKLYNにて開催されていた「SPITZEXPO2017」へ行こうと、予習をしておりました。「SPITZEXPO2017」は、スピッツのCDジャケットに使用された小物や原稿などが展示されているデザイン展で、「あるプロダクトのアイデアスケッチから原稿、小物なんかが一斉に展示されている」って、ありそうでなさそうな展示で面白かったです。

で、予習で読んだのはロッキン・オンから1998年に出版された単行本『スピッツ』です。CDサイズの可愛らしい装丁ですが、分厚くて読みごたえがあります。雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」でのインタビュー集です。

同時に、スピッツのサポートミュージシャンをなさっているクジヒロコさんの本も読みました↓。ブログで未紹介ですが、楽器の選び方や、楽器の運搬の話など、あさよるの知らない話ばかりで面白かったです。

C階段で行こう!

ちなみに、SPITZEXPO2017へ行きたかったのは、今度発売になる『スピッツのデザイン』というデザイン本が気になっていて(デザイン本は高いのです><)、SPITZEXPO2017は『スピッツのデザイン』と内容が一部共通しているっぽかったので、出かけてみたのでした(ホントに共通なのかは未読なのでわかりません><)。

ネット情報よりこっちのがいいね、やっぱ(‘Д’)

スピッツの情報をネット検索すると、ファンの方のブログが多数ヒットしまして、つらつらと見ていると「スピッツの曲のテーマはセックスと死だ」「それがすごい」という言説をよく目にしました。確かに〈セックスと死〉って普遍的なテーマだけれども「一体この話の出典はどこなんだろう」と気になっていました。

ちなみに、あさよるの朧気ながらの記憶で、1990年代後半の音楽誌でスピッツのインタビュー形式の1~2ページほどの短い記事が載っていて、「テーマは性と死だ」というようなことを読んだ記憶があります。だけどほら、ああいう記事って誰かが勝手に書いてたりするし、そもそも出典の雑誌はもう廃棄してしまったので確認が取れません。

で、その辺の話を「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビューでしっかりとお話されていました。要約すると、「死ぬのが怖い」という青年時代の経験と、夢中になれるものの対象としての恋・セックスだという話。あと、やはり〈普遍性〉も意識されているようですね。例えばヒット曲になった『ロビンソン』が未だに色あせない理由は、普遍的で古くならないテーマと言葉が選ばれているのも理由の一つでしょう。意図的にテーマが選ばれてるんだなぁと、当然ちゃあ当然なのかもしれませんが、出典に当たれてよかった。

もう一つ、スピッツの4人のキャラクターが見えてきて楽しい。4人ともパリピ系ではなかったみたいで共通しているようです。が、非リアの青春を送った田村さんと、実はちゃっかりリア充してる草野さんと、繊細な三輪さんと、マイペースな感じの崎山さんとと、一人ずつの話を読むと個性が違っています。特に田村さんと草野さんのキャラの違いが良いですねw

順風満帆なのに反骨というアマノジャクw

本書『スピッツ』は、スピッツのデビュー時から『ロビンソン』『チェリー』とヒット曲を連発し、アルバム『フェイクファー』発表までのロッキング・オン・ジャパンでのインタビューです。1991年にデビューし、大ヒット曲が登場した1995年まで、苦節の物語……というわけでもなさそうなのが、本書の面白い所。そう、スピッツはデビュー時からロッキング・オン・ジャパンに取材されてインタビューされて、その後もずっと特集され続けてるし、ジワジワっと知名度も上がっているようだし、新譜を出し続けライブツアーもしてるし、ミュージシャンとしてはまずまずな感じじゃないっすか。で、ヒット曲の登場によって、より多くの人に知られたってところ?

でもインタビューでは、草野さんはあくまで「スピッツは陰キャラ」だと繰り返しておっしゃっています。正直今となっては「いやいや、さすがにスピッツはマイナーじゃないでしょう」と言いたいw でも、つねに反骨、アンチ大勢でいるってのは、あくまでスピッツはロックバンドなんだなあと。

分厚い。

この本、分厚い。ひたすら厚い。あさよるは一応毎日更新の読書ブログなんてやってますし、読むのは早い方だろうと自負してたんですよ、内心。それでもやたら時間がかかり、全部読むのに約2週間……いや、正確には赤地に白抜き文字のページは目が痛くて、途中で諦めました。肝心の「SPITZEXPO」までに間に合わなかったし(;’∀’)

ファンの方のブログでは、「草野さんは歌詞についてあんまり深く解説なさらない」と紹介されていたんですが、こうやってインタビューを単行本でまとめて読むと、結構踏み込んで歌詞の世界についても言及されていますね。リアルではない別の世界を歌っていたり、パラレルワールドがたくさんあるという話も面白い。曲の雰囲気が変わったのは彼女が変わったからだとか、リアルな話も面白いですね。

神格化されるロックスターじゃなくって、ざっくばらんに〈普通の人〉な語り口も新鮮でした。草野さんは、天才ミュージシャンって感じじゃなくって、話だけだとすごく普通のお兄ちゃん的ですね。もっとオタクっぽい感じをイメージしてたんだが……(‘◇’)ゞ

スピッツの本は、2007年に出版された『旅の途中』という本もあります。インタビューではなく、聞き書きっぽい感じの構成です。デビュー時から今へ繋がるスピッツの変化や変わらないものを探るには、本書『スピッツ』の方が最適ですね。

旅の途中

旅の途中

  • 作者:スピッツ
  • 出版社:幻冬舎
  • 発売日: 2007-11-30

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『ヒルビリー・エレジー』|チャンスの掴み方を忘れてしまった人々

こんにちは。おすすめ本はなるべく読むあさよるです。本書『ヒルビリー・エレジー』もトランプ大統領の話題と一緒にゲット! アメリカでは今なにが起こっているのか?どんな人がトランプ氏を支持したの? と、考えの手助けに。著者自身が、ケンタッキー州の廃れた元工業地帯で生まれ育ち、秩序崩壊している環境での経験を詳しく綴っています。「格差」とは、どういうことなのか考えるにも、ぜひ。

取り残された白人の労働者階級

本書『ヒルビリー・エレジー』の〈ヒルビリー〉とは、「田舎者」を馬鹿にしたようなニュアンスの言葉だそうです。エレジーは「哀歌」。「田舎者の哀歌」。現在アメリカの田舎に取り残された白人たちは、かつてない格差と貧困に陥っており、著者J.D.ヴァンスさんもヒルビリーの白人家庭に生まれました。

本書が注目されているのは、そう、2016年にドナルド・トランプ大統領の出現によってです。Amazonの商品説明ではこのような紹介がなされていました。

◎アメリカ人が、もうひとつのアメリカを知るためにこぞって読んでいる一冊
◎トランプ支持者、分断されたアメリカの現状を理解するのに、最適の書。
◎タイム誌「トランプの勝利を理解するための6冊」の1冊に選定。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち | J.D.ヴァンス, 関根 光宏, 山田 文 |本 | 通販 | Amazon

アメリカでも、アメリカ国内で何が起こっているのか知りたい人がいるってこと?

トランプ大統領就任時、日本でもメディアで取りざたされましたが、アメリカ国内の格差が広がり、トランプ大統領は田舎の労働者階級に支持されたと見聞きされました。かつて工業地帯として栄えた田舎町。今は廃れて、貧しい人々が暮らします。ここで取り上げられているのは「アメリカの反映から取り残された白人たち」。ヒルビリーの白人たちは、富裕層の白人や、黒人、黄色人種たちよりも、未来に希望を描けない状況に陥っています。

アメリカンドリームがなくなったアメリカ

本書では「アメリカンドリーム」はアメリカよりも、現在はヨーロッパにあると語られています。

ヒルビリーで生まれた著者・J.D.ヴァンスさんは、父親違いの兄弟がたくさんおり、母親は職に就いても長く続かず、彼氏に依存しトラブルばかり繰り返します。ことあるごとに母親から虐待を受け、命からがら祖父母に頼って生きています。頼もしいお祖母さんではありますが、彼女も揉め事を“力”によって解決し、法秩序から逸脱しています。親子や恋人に依存し、薬物に依存し、お金は目先のものに使い切り、困ったことが起ると自分以外のモノのせいだと考え、悪びれず不正を働きます。労働時間は短いにも関わらず「自分たちは働き者だ」と信じています。これは著者の特別な経験ではなく、ヒルビリーの平均的な「普通」の家族の形。

こうやって要素だけ抜き出してみると、秩序が崩壊しているのがわかります。ヒルビリーの閉ざされた世界に生まれ育つと、自分の知っている世界が全てだと思い、ヒルビリーの価値観のみが行動規範になります。ヒルビリーの世界では、勉強をし良い成績を修めることよりも、男らしく喧嘩で勝てるほうがずっと価値があります。

ヒルビリーにもチャンスは平等にあるはずなのに、「チャンスに手を伸ばす」という観念が抜け落ちているようです。アメリカンドリームも今でも用意されているのかもしれませんが、そもそも「望まない」人にチャンスはありません。アメリカは「ドリーム」を失ったのでしょうか。

貧困の中にいると、貧困の思考しかできない

貧困から抜け出したいなら、勉強をして大学へ進む道があります。しかし、子どもたちを大学へ進学させることが何を意味するのかイメージできない。実際には、大学に通う方が学費が安上がりなのに、地元のカレッジに通う方がいいと思い込んでしまう。子どもたちに初めからチャンスがありません。

家族が不正を働いても、それをみんなで隠蔽することが正解であり思いやりであると考えてしまう。そもそもの問題を取り除こうという発想がなく、恋人や薬物に依存してしまっても、周りはその場しのぎの対応をするばかりです。それが「普通」の環境ですから、良い状態が想像できなくなる。

教育の機会が奪われていますから、子どもたちも偏った世界観の中で育ってゆきます。著者も、考えが錯綜し、偏った思想に囚われたり、母からの虐待を容認することが愛情だと感じてしまう。お母さんだって、もっと適切な対応があったのかもしれないけれども、どんどん泥沼化してるし、それがヒルビリーの「普通」。

貧しいから欲しいものが買えなくて、給料日にドッと買い物をしてしまう。でも、本当はお金を使うのを控えて、貯蓄に回せば新しい生活が手に入るかもしれないのに。大きな画面のテレビや、iPadを買うよりも、もっと必要なものがあるんじゃないの? そんな発想がなくなってしまい、「貧しいのに贅沢な買い物ばかりしてしまう」という悪循環から抜け出せないのです。

〈なう〉を理解する一助に

「アメリカンドリームはなくなった」と紹介しましたが、それでもまだドリームは少なからずアメリカにあります。著者ご自身も、海兵隊に入隊したことから境遇が変化し、オハイオ州立大学を優秀な成績で卒業し、名門イェール大学に進み、現在はシリコンバレーで起業しエリートです。「手を伸ばせばチャンスが巡ってくる」環境が消滅したわけではないのです。

大事なのは「手を伸ばす」「求める」ということ。ヒルビリーの白人たちは「チャンスに手を伸ばすことを忘れてしまった」のかもしれません。そして、なんとなくスカッとする毒舌を吐いてくれるドナルド・トランプ氏は支持されたのです。「オバマが悪い」「イスラム教徒が悪い!」「メキシコに壁を作らせろ!」と〈自分以外の誰かが悪い〉と言ってくれると気持ちいいですからね。

んで、これって日本でも同じことが起こりつつあるのかもなぁとも感じました。格差が広がり、チャンスが巡ってこない人たちがいます。いや、たぶん、日本だって優秀な人には機会が与えられていますが「手を伸ばすことを忘れている」に陥ってないかなぁ?と。これは自分の思考や行動を省みて。

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『ハリー・ポッターと呪いの子』|ヒリヒリと沁みる物語、再び

ハリー・ポッターと呪いの子 アルバスとスコーピアス

こんにちは。2016年末は映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』が公開され、『ハリー・ポッターと呪いの子』が出版され、ハリー・ポッターシリーズが帰ってきました。あさよるもハリー・ポッターシリーズ好きでしたので、とっても嬉しい。書店の平積みが終わった今頃になってから読み始めるのは、いつもの感じでw

〈あれから〉19年後のお話

『ハリー・ポッターと呪いの子』は「ハリーポッター」シリーズの最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』のあと、19年後の世界です。ハリーの息子、アルバスは有名人の父親を持ったことでコンプレックスを抱えています。アルバスもホグワーツ魔術学校で寮生活をしており、ドラコ・マルフォイの息子、スコーピウスと連れ立っています。

アルバスとスコーピウスが、消滅したはずの「逆転時計」を使い、過去の世界へタイムスリップし、過去を改ざんしようと画策します。その結果、現在が大きく変わり、闇の魔法使いが支配する世界になってしまったのです。再び歴史を元に戻すため、過去と現在を行き来する二人。目まぐるしく入れ替わる時空と、登場するキャラクターたちに夢中!

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『小説 君の名は。』|アニメ映画を見たら、小説も

2016年大大大ヒットした『君の名は。』みなさんご覧になられましたか?ついに今週、2017年7月26日DVD&Blu-rayがリリースされて、ご自宅で鑑賞された方も多いはず。ええ、あさよるも……え~、あさよるも……実は、あさよるは映画も見に行かずじまいでした(;’∀’)チーン

で、DVD発売も知らなくって、SNSでみなさん話題しているのを見て知りました。折角なので『小説 君の名は』を取り出した次第です。映画見てない人間が言うのもなんですが、これ、映画『君の名は。』ファンの方は小説読んでも良いかと思われます。「映画見てないくせに言うなよ」と言われるとその通りなのですが、「読んでみて!」と言いたくなるくらい、すごく良かった!

ちなみに あさよるは特典ディスクがついてるのが欲しい……なぜならば、新海誠監督の絵コンテのビデオが全編収録されているそうで、めっちゃ見たい!今週、オープニングの絵コンテが期間限定でYouTubeにアップされていて、すでに何度も何度も繰り返し見ておりました。すごい!

新海誠さんの『小説 秒速5センチメートル』がよかった

そもそも、なんで『小説 君の名は。』を所持していたかというと、同じく新海誠さんの著書『小説 秒速5センチメートル』が良かったからです。この作品はあさよるネットでも紹介しました。映画『秒速5センチメートル』では語られなかった主人公の気持ちが描かれていて、共感というか、納得というか、「彼もいろいろあったんだなぁ」分かり、自分の気持ちの持って行き先が分かった感じでした。

『小説 秒速5センチメートル』|小説で映画を補完^^

映画だと、あの美しい世界と、どこか陰鬱で孤独な描写。そして鳥肌のラスト。完成され閉じられた世界だからこそ、視聴者である〈わたし〉がどこへ心を持って行って良いのか戸惑いを感じたのかもしれません。それが小説では、主人公に共感や〈わたし〉を重ね得るスペースが用意されていたと言いますか。「小説読んで良かったなぁ」としみじみ思ったのでした。

んじゃ、今話題の『君の名は。』も読むべ!と、積んでありました。

『小説 君の名は。』はこんな話

『君の名は。』のストーリーはもうご存知の方が多いでしょうが、一応ネタバレしない程度に紹介します。まず、Amazonの商品紹介にはこうあります。

山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は、自分が男の子になる夢を見る。見慣れない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。一方、東京で暮らす男子高校生・瀧も、山奥の町で自分が女子高校生になる夢を見る。やがて二人は夢の中で入れ替わっていることに気づくが―。出会うことのない二人の出逢いから、運命の歯車が動き出す。長編アニメーション『君の名は。』の、新海誠監督みずから執筆した原作小説。

小説 君の名は。 (角川文庫) | 新海 誠 |本 | 通販 | Amazon

高校生の三葉と瀧がある日、お互いの魂が入れ替わってしまう。それは時々、夢を見るように起こる。見知らぬ場所の見知らぬ異性に入れ替わる二人は、戸惑いつつお互いの日々を過ごし、次第に二人はメッセージを残し合い、情報を共有するようになってゆく。しかし、ある日を境に、二人の入れ替わりが終わってしまう。瀧は、入れ替わっていた三葉を探しに、記憶を頼りに旅に出る。そこで、思ってみない事実に出会ってしまう。それが、三葉と入れ替わらなくなった理由であることも悟る。

現在と過去が錯綜し、大宇宙を股にかけて、二人の結びつきを軸に物語が急激に動き始める様子は壮大!

小説版は3種類ある

あさよるが今回読んだのは、角川文庫から出ている『小説 君の名は。』です。新海誠監督自ら書かれたもので、たぶんこれがスタンダード版でしょう。

これ↓

角川文庫以外に、2種類の『君の名は。』の小説があります。

『君の名は。 Another Side:Earthbound』 (角川スニーカー文庫)

スニーカー文庫から出版されているものは、アナザーサイド物語で、サブキャラたちのお話みたいですね。

これはぜひ読みたい!三葉のお父さんとお母さんの間にも何かあったようだし、おばあさんの思わせぶりなセリフも気になるし、テッシーのスーパーマンっぷりとかも気になっておりまして、触れられているといいなぁ~。

『君の名は。』 (角川つばさ文庫)

つばさ文庫は、子ども向けのもの。小学生の高学年くらい以上の人が対象ですね。物語は同じようなので、映画を見た子どもたちにプレゼント用にいいかもね。

感想のようなもの

ネタバレしないように、ということですので、フワッとしか紹介しておりませんがw、あさよるの感想を簡単にまとめました。

〈運命の人〉に出会うためには

まだ出会ったこともない二人。だけど二人はすでに想い合い、体の隅々の、その感覚まで知っています。だって、二人が入れ替わった記憶は忘れてしまっていても、入れ替わっている間の時間、互いの身体で生きていたのですから。

出会う前から想い合い赤い糸で結ばれた〈運命の人〉。それを実現するためには、これだけのエピソードを経ないとならぬのか!太陽系を股にかけた、千二百年の時を超えたスケールです。

『君の名は。』は、現在過去未来の時間を超え、離れ離れの距離を越え、そして地球よりももっと大きな力が作用しながら、三葉と瀧、二人の若者は出会うのです。壮大すぎ!

ハッピーエンド

映画『秒速5センチメートル』のレビューとか見ていると、「鬱エンド」なんて呼ばれていたり、バッドエンドであることに触れられていることが多い気がします。主人公の彼が、どんな気持ちで踏切を渡り切ったのかの解釈によりけりだろうけれども、「え~ここまで焦らしてそれ~」みたいな感じではあるw

そして、『秒速5センチメートル』がバッドエンドだったなら、『君の名は。』はみんなが望んだハッピーエンドでしょう。

新海誠監督の過去作も見たいね

前から、新海誠監督の他の作品も見たいなぁと思いつつ、まだ見てない。今回、このブログ記事を書くにあたり、『ほしのこえ』をぜひ見たい!と思いました。この作品は、新海誠監督がほぼ一人で制作した作品らしく、絶対見たい。

CMを見てずっと気になってるのは『星を追う子ども』。先に鑑賞した友人は「星を追えよ」と感想を漏らしていて、余計に気になって見たくなっている作品w

で、前作である『言の葉の庭』ですね。『君の名は。』を語る上で、前作くらいは見ておいて、盛り込みたいところ(映画すら見てないのにエントリーしてるけどねw)。

というか、『君の名は。』が見たいわ!

と、過去作見るのもいいけど、まず『君の名は。』を見たいっすw

小説版読了後の勢いでTSUTAYAへ走ろうかと思ったけど暑いし(苦笑)、配信ってめちゃ便利だなぁとしみじみ。

Amazonプライム版はこちら↓

追記(2018/07/04)

やっと映画版を見た感想のようなもの。

小説版の感想とほぼ同じ(苦笑)。というか、小説版とアニメ版に印象の違いがないのがすごい。アニメ見るの初めてだったのに、まるで過去に全編三鷹のような再現率だった。細かな描写がなされている点で、小説版もぜひ読んでほしいです。

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『アヘン王国潜入記』|のどかな山間のアヘン栽培日記

こんにちは。人が読んでいる本が読みたくなる あさよるです。『アヘン王国潜入記』も誰かが読んでいるのを見つけて、読みたい本リストに入っていたのでした。だって、タイトルが『アヘン王国潜入記』ですよ!?で、表紙がコレですよ!?ケシのお花畑で武装した男性が笑顔で並んでるんですよ!?

と、インパクトしかなかったので、読みたかったのです。

本エントリーでは、ミャンマーを「ビルマ」と表記しています。本書『アヘン王国潜入記』が「ビルマ」表記ですので、それに倣いました。

世界の大麻薬生産地域に潜入

本書『アヘン王国潜入記』はノンフィクション作家の著者・高野秀行さんが、実際にビルマ(ミャンマー)のワ州と呼ばれる地域にあるムイレ村という閉ざされた村へ潜入し、村人と共にアヘンを育て収穫するまでの半年以上に渡る記録です。

まず、ビルマの一角がアヘン王国なのかという理由から。引用します。

 ゴールデン・トライアングル、もしくはその和訳「黄金の三角地帯」という名称は誰しも一度は耳にしたことがあると思う。インドシナのタイ、ラオス、ビルマの三国が境を接するあたりに広がる、いわゆる《麻薬地帯》である。麻薬といってもいろいろあるが、ここは麻薬の王たるアヘンもしくはアヘンを精製して商品化された非合法モルヒネやヘロインの世界最大の生産地である。世界のアヘン系麻薬の六〇~七〇パーセントはこの国境地帯から流出しているというもっぱらの評判であった。
しかし、タイとラオスはもともと生産量が少なったうえ、政府の規制でアヘンの生産は一九八〇年代に入ってから激減している。(中略)
ところが、ビルマでは諸々の事情からアヘンの生産量は落ちるどころか九〇年代になってからも増加する一方で、今ではゴールデン・トライアングルの全生産量の九割以上をビルマが担っているという。(中略)
といっても、アヘンはビルマのどこででも獲れるというわけではない。生産地は漠然とタイ、ラオスと国境を接するシャン州と考えられているが、その六〇~七〇パーセントがワ州で産出されていることはほとんど知られていない。つまり、全世界の四割前後のアヘンをこの小さな土地が生み出していることになる。

p.16-17

ゴールデン・トライアングルを地図で見ますと、中国、ラオス、タイ、ビルマ(ミャンマー)にまたがる地域。アヘンの育つ気候や土地にこの辺りが適していることと、自治区であるワ州はビルマ政府の支配を受けていないことなど、国際的“裏”の仕事がしやすい要因なのでしょう。

近代から隔絶された村で

その中のムイレ村に潜伏するという、どんなに退廃した恐ろしい土地なんだろうと想像していましたが、本書『アヘン王国潜入記』を読むと、牧歌的でのどかな土地で驚くばかり。そこで暮らす人々ものんびりと朗らかに生きているのが印象的。しかし、そんな平和そうな小さな村の中にも拘わらず、戦争の影が生々しく潜んでいる。徴兵されている人もいるし、戦争で夫を亡くした未亡人も多い。

村人たちの多くは農業に従事しています。もちろん、アヘン栽培です。他の作物は作られていないようで、村の食事は貧しいもののよう。農業といっても、日本の超効率化された農業のようなものではなく、原始的農業を想起させるようなもの。開墾した土地にアヘンの種をまき、あとは雑草を抜くだけ。親類や知り合い同士で畑を手伝いながらも、当番やスケジュールもなく、その日その日予定が変わってゆく。著者は積極的に毎日雑草取りに参加していたら、アヘンの収穫時に少しアヘンを分けてもらえることになりました。

村人たちの間では喧嘩やモメ事も少なく、万一喧嘩が起こっても次の日には仲直りする。

資金源はアヘンなのだけど、収穫の半分以上は政府に差し出さないといけないし、兵も取られるし、かなり税は重い。

そして、このムイレ村はとても不思議な村なのだ。ムイレ村は電気もなく、近代から隔絶された村だ。他の村との交わりもなく、婚姻も村内で行われる極めて「閉じた」村である。このムイレ村での日々を読んでいると、世界がこの谷あいしかないような錯覚に陥るが、実は山一つ越えれば電気もあるしラジオも衛星放送も見れて、世界情勢がリアルタイムで入って来る。車で三日も走ればセブンイレブンがあるという。決して、近代文明から遠く離れているわけでなく、すぐ隣にあるのだ。どうやらムイレ村はじめこのあたりの地域は、首狩りをしていたようで、未だにその名残があるよう。

教育とは、医療とは、労働とは

ムイレ村では一切の近代的医療がない。衛生観念もなく、我々の感覚でいうと「不潔」な環境だ。だから、病気になったらサヨウナラだ。現に、本書中でも元気だった若い男性がある日コロッと死んでしまう場面がある。非常に恐ろしい。

「教育」というものもなく、子どもたちは字も読めない。著者・高野秀行さんの世話役のアイ・スンさんが、滞在中だけ村で学校を始め、アルファベットを子どもたちに教える。すると、それまでみんな平等で同じだった子どもたちの中で、優秀な子と落ちこぼれが生まれる。そして、貧富の差が浮き彫りになる。教育とは子どもを画一化することであり、するとその中で優劣、貧富の差が現れる。

労働も同じで、村人たちは特に取り決めもなく畑仕事をやっている。だから、働いている様子を見ても優劣の差はない。

近代化されていない村を見ることで、近代のシステムを垣間見るようで興味深い。

だんだん常識が入れ替わってゆく

ムイレ村はアヘンと共にある。アヘンを育て、収穫することが目的で潜伏した著者は、ついにアヘンを手に入れる。

しかし、その頃には著者自身もアヘン中毒になっておりw、村を足早に立ち去る。タイのチェンマイに戻ってから、収穫物のアヘンを自慢するとひどく怒られ、その場で処分してもらうことになる。そう、ワ州にいたころはアヘンがある生活が当たり前だったが、そこから一歩外へ出ると「あってはならないもの」なのです。

ムイレ村へ潜入時も常識が全く違う村で驚くことばかりだったが、半年経ちそこから外へ出てくると、次は世界の常識にクラクラする。

冒険記・探検記ってオモシロイ

本書は探検記になるんだろうと思うけれども、これは面白い。世界のどこかにこんな世界があるんだ!

また、著者の目線も楽しい。出来事を綴っているだけなんだけれども、ユーモアで溢れている。

一方で、子どもたちへの教育事情や医療事情などもしっかりを描かれている。

あさよるは時折、衛生観念の無さや、教育がないということに腹立たしさも感じた。すぐそばでは近代の文明があるのに、それに触れられない彼らは長生きができないだろう。実際に、本書に登場する人達は年寄りがいない。

それも含めて、知らない世界を覗き見た興奮は面白かった。高野秀行さんの他の本も読みたい。

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『だるまちゃんとてんぐちゃん』|絵の中の〈伏線〉を読もう!

こんにちは。子どもの頃、結構大きくなるまで絵本を読んでいたあさよるですw 母が熱心に絵本を買い揃えていて、未だに「定番」な絵本は読んで育ちました。大人になってからは、たまに軽く新刊をチェックする感じ。

昨日の記事で、かこさとしさんと福岡伸一さんの『ちっちゃな科学』を紹介しました。この『ちっちゃな科学』をきかっけに、かこさんの作品を読み返したいと思いました。

『ちっちゃな科学 – 好奇心がおおきくなる読書&教育論』|好奇心はどこから来るの?

かこさとしさんは絵本作家で、あさよるもかこさんの絵本を読んで育ちました。図書館の絵本コーナーにもぐりこんだ あさよるは『あさですよ よるですよ』というかこ作品に遭遇。

これは!あさよるのための本じゃないか!ww

嬉しくなっちゃった勢いで、かこさとしさんの〈代表作〉の一つである『だるまちゃんとてんぐちゃん』を熟読いたしました。

絵本って、読むのに少し〈コツ〉があるんじゃないかと思います。そのコツのようなものも、紹介できるといいなぁと考えています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』こんな話

お友達の〈ちいさい だるまちゃん〉と〈ちいさい てんぐちゃん〉、二人が一緒に遊んでいます。

だるまちゃんは、てんぐちゃんに興味津々。てんぐちゃんの持っている〈うちわ〉や履いている〈くつ〉、かぶっている〈ぼうし〉、そして、てんぐちゃんの長ーいお鼻が気になって、自分も欲しい!

だるまちゃんはお家へ買って、大きな〈だるまどん〉に「てんぐちゃんのようなうちわが欲しい」「ぼうしが欲しい」とお願いします。

だるまどんは、家中の履物やぼうし、せんす等を出してきてくれますが、ぴったり良いのがない!

そこで、だるまちゃんは思いつきます。窓の外に生えているヤツデの葉をせんすに見立てたり、まな板をげたに見立てます。てんぐちゃんと同じではないけど、工夫をしてオリジナルのいでたちになった だるまちゃん。てんぐちゃんもほめてくれます。

最後は、だるまちゃんはスズメを、てんぐちゃんはトンボを捕まえて、良かったね!

ズラリと並ぶ、せんす、ぼうし、げた、はな

『だるまちゃんとてんぐちゃん』の見どころは、だるまどんが家中から集めてくれたぼうし、せんす、くつ、お花がズラリと並んだ絵!

そう、「絵本」って、絵の本ですから、絵に描かれているものを楽しみましょう。

てんぐちゃんの被っている帽子を見て、だるまどんに「自分も帽子が欲しい」とねだります。だるまどんは、いろんな帽子をズラリ用意してくれます。シルクハットもあれば、サンタクロースのぼうしもありますし、ナポレオンが被ってそうな帽子や、唐傘が学生帽、中世の甲冑が被っている帽子、ベレー帽に烏帽子。みーんな「ぼうし」。

「ぼうし」って言っても、いろんな種類があるんだね!子どもと一緒に読むなら、一つずつ指さして、「これは何の帽子だろう」と話しながら読み進めると絶対楽しい!

もう一つ、お話の中の大きな〈しかけ〉は、だるまちゃんが「赤くて長い鼻が欲しい」と言ったのに、だるまどんは「赤くて長い〈花〉」を用意しちゃうところ。〈はな〉と同じ言葉だから、全然違うものを連想しちゃったんですね。

そう、この『だるまちゃんとてんぐちゃん』は、だるまちゃんとだるまどんのイメージの食い違いが面白いんです。

〈花〉と〈鼻〉の同じ音でも別のものとか、〈靴〉〈帽子〉と言っても色んな種類があることが、ズラッと一覧するのがおもしろい!

よーく一つずつ見て!

絵本は〈絵〉を見るべし!というのが、あさよるの絵本の読み方なのですが、よーくよーーく観察してみてください。

〈伏線〉が絵によってたくさん張られていることがわかります。

ヤツデ、おわん、まないたはどこにある?

てんぐちゃんの扇が欲しいだるまちゃん。しかし、お家にはちょうどいいのがありません。そこで だるまちゃんは植物のヤツデを扇に見たてます。

……ここで、一切文章による説明がありません。字しか読んでいないと唐突な展開。しかし……実は前のページに、ヤツデが描かれているんです。見逃していませんか?

てんぐちゃんの高下駄が欲しい だるまちゃん。いろんな靴を用意してもらうけど、いい靴がありません。そこで、だるまちゃんはまな板を下駄に見立てました。

……そう、たくさん靴が並んでいる中に、ちゃんとまな板が描かれています。

文言では説明されていませんが、絵によって説明されています。よーく絵を見て!

すずめととんぼはどうなるの?

最後、スズメとトンボを捕まえたお二人。ここでお話は「めでたしめでたし」……ではないんです!

さらに次のページ、本の奥付のページをまでちゃんと見て!

電車ごっこしている二人の頭の上を、スズメとトンボが飛んでいます。逃がしてあげたんですね。

さらにらさに、本をパタンと閉じると、裏表紙にはスズメとトンボが空を舞っています。

本は最後のページまで……ではなくって、本の奥付や裏表紙までよーく見て!本によっては、カバーを外してみたり、本の装丁の隅まで見てみると発見があるかも!

絵本って、隅が面白い!

だるまちゃん&だるまどんにキュン!

絵本の読み方のコツは、「絵を読む」ことです。しかも、よ~く、隅々までじっくり見て!

子どもは同じ本を何度も何度も飽きずに読む子がいます(あさよるもそうです)。ですから、子ども向けの本は、数百、数千回読まれても飽きないような〈仕掛け〉がなされています。恐るべき回数を読みまくっても飽きない本が「良い絵本」じゃないかなぁと、あさよるは思います。

そして、『だるまちゃんとてんぐちゃん』も、何度読んでも面白い。しかも、子どもだけじゃなく、大人が読んでも面白い仕掛けが素晴らしい!

文章だけではなく「絵を見る」。これは、絵本を読みなれていないとザーッと流し読みしちゃうかも。「絵を読む」んです。

じっくり、〈仕掛け〉と〈伏線〉を探しながら読んでみてください^^

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『東京の空』|ロッキングオンジャパン連載・日本語ロックのふるさと

こんにちは。先日、エレファントカシマシの宮本さんのエッセイ本『明日に向かって歩け!』を当ブログで紹介しました。図書館で予約をしていた『東京の空』も届いたので、折角なのでレビューを。前回は結構熱くなってしまったので、今回は淡々といきますw

『明日に向かって歩け!』|エレカシ宮本・あなたはどんな人なの?

音楽誌で連載されたエレカシ宮本エッセイ

本書『東京の空』は、音楽誌「ブリッジ」1999年8月号~2002年4号、「ロッキング・オン・ジャパン」2002年5月号~2003年4月号に連載されていたものです。ハードカバーで、コレクションし甲斐があるし、書籍を購入する習慣がない人でも、読みやすい作りじゃないかと思います。

増刷もされているようですが(あさよるの手元にあるのは第二版)、現在は入手困難なようでAmazonでも値上がりしていますね。現在は12,648円でした。

『明日に向かって歩け!』よりも文字数がコンパクトで、軽く読める内容です(『明日に向かって歩け!』は文字数が多かった)。カルチャー誌で見かける、「とりとめもない連載」とか「毒にも薬にもならない」「誰でも読める」そんなコラムってありますよね。そんは風体に、上手に変装しているようなエッセイ集。……こんな言い方すると変な感じですが、あさよるは先に『明日に向かって歩け!』を読了いたしましたから、あの濃度とエネルギーの文章を書ける人が、紙面に合わせて書き分けているとしか思えない。というか、そうなんでしょう。

コレクションじゃないなら、図書館で

書籍の値段が高騰していることについて。これから本書が読んでみたい方への一例を。

ファンの方で、エレファントカシマシのアイテムを「収集したい」という方は、ファンアイテムとして持っておいてもいいのかなぁと思います。

しかし、収集することが目的でないのなら、図書館で蔵書検索してみてください。お近くの図書館に置いてなくても、周辺の図書館から取り寄せてもらえるかもしれません(各図書館のサービスによる)。お近くの図書館に問い合わせてみて下さい。

便利なのは「カーリル」というサイトです。以下のリンクをご覧ください。

お住まいの都道府県とキーワードを入力します。今回の場合は「東京の空」「宮本浩次」です。↓こんな感じ。

これで検索をかけると各都道府県のどこに『東京の空』があるかわかります。

エレカシ宮本エッセイを図書館で探す

ちなみに、あさよるが在住している大阪府では、大阪市、大東市、豊中市の3つの図書館で計3冊蔵書されているようです。

ファンなら持っておきたいアイテムなのでしょうが、あさよる的には正直、価格が高騰しすぎているんじゃないかなぁと思います。読みたい方は図書館もあたってみて下さい。なんなら、国会図書館で連載誌面を閲覧しても。

というか、ファンの方ならみなさん既に一度は目を通しておられて、その上でのコレクター価格なのかしら。

宮本浩次うまいなぁw

「そうそう、ミュージシャンのエッセイってこれこれっ!」

それにしても、想像以上に『明日に向かって歩け!』にアテられていたのかもしれないなぁ~(苦笑)。先にどっぷり濃ゆい方を読んでしまったようで、ちょっと二冊目のエッセイ読むのにビビっている自分がいましたw しかし、読んでみるとアラふしぎ!なんかむっちゃ普通の音楽誌のミュージシャンの連載ジャマイカ!

ああそっか、著者の宮本さん、連載誌に合わせてかき分けてらっしゃるのか……うまいなぁ。語られている自身のエピソードを語るというスタイルは『明日に向かって歩け!』も『東京の空』でも共通なんですが、毒々しさが全く違う。というか、別人が書いてるのか??と疑いたくなるのですが、これも宮本さんが書いてるの??

エピソードも、面白くてぶっ飛びエピソードではあるものの、極端に良識や社会ルールを逸脱したものは書かれない。あたり前だけどw この辺のバランス感覚もうまいなぁ。メディアに出演なさっているのを見ていても「分かってる人だなぁ」という確信が強くなりましたw やっぱ長く活躍なさってる人ってきちんとなさってるんだなぁと、よくわからん感慨に浸るw

『ジャパン』読者よありがとう。いずれまた会おう

という締めくくりで雑誌連載は終了する。「いずれまた会おう」と仰っているのだから、あさよるも再び紙面や書籍で宮本さんに会えるだろうと楽しみに思っておきましょう。

てか、今度ライブ行くから!

昔、あさよるも音楽誌を熟読していた頃があったのに、この連載は読んでいなかったなぁ。勿体ないことをした。

内容も、音楽誌での連載とあってか、『明日に向かって歩け!』よりは音楽の、日本語ロックの話に触れられていてうれしい。これを読みたかった。

しかし、やっぱり宮本浩次は多くを語らない。彼のエピソードは知れたけど、彼の人となりのようなものは、やっぱりつかみどころがない。飄々と東京の空の下、風に吹かれているような。いいなぁ。

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『明日に向かって歩け!』|エレカシ宮本・あなたはどんな人なの?

こんにちは。軽くエレファントカシマシにハマっている あさよるです。今年(2017年)に発売されたベスト盤を聞いて盛り上がった勢いのまま、ライブのチケットまで取ってしまいましたよ(〃▽〃)> 楽しみでゴザル

そして、メンバーの宮本浩次さんのエッセイがあると知り、これは読んでみたいと入手いたしました。

といっても、2017年6月現在絶版になっているようで、価格が高騰しております。今、Amazonを見ると一冊19,500円でした。ひえっ~!ということで、あさよるは図書館で本を借りました。

エレカシ宮本浩次のエッセイ

2000~2001年に〈週刊プレイボーイ〉にて連載

本書はエレファントカシマシの宮本浩次さんが2000年~2001年にかけて雑誌「週刊プレイボーイ」にて連載していたエッセイ集です。

どういう経緯で週プレ連載が始まったのか、また、紙面ではどのように掲載されていたのか分からないんですが(と、ググると雑誌に見開きで連載されてたっぽい?)。章立てされているわけでもないので、どこからどこまでがひとまとまりなのか分からないまま読了してしまいました。

で、なんで週プレで連載なの?と不思議に思ったのですが(音楽誌とかじゃなく)、「週刊プレイボーイ」のwikiを見ますと、週刊プレイボーイの六カ条なるものがあるそうで…

『プレイボーイの名は、カッコいい魅力ある青年のイメージです。』
『プレイボーイは、青年の週刊誌です。』
『プレイボーイは、読者に楽しみを売る週刊誌です。』
『プレイボーイには、人生の知恵があります。』
『プレイボーイには、読者のみなさまの暮らしに直結した実用性に徹します。』
『国際感覚の雑誌、10月28日創刊です』

週刊プレイボーイ – Wikipedia

これを見ると、確かに「カッコいい魅力ある青年」とか「人生の知恵」とか、当時のエレカシや、宮本さんのイメージにあっているような気もする。ちなみに、連載時、宮本さんは35歳だ。「カッコいいお兄さんの連載」って感じだろうか(想像)。

ネットがなかった時代の情報源・娯楽

今の感覚で『明日に向かって歩け!』を読むと、やたら時事ネタで政治ネタが多用され、「新聞は毎日読んでいる」と言う宮本さんに、社会派な印象を持ってしまう。しかし、落ち着いて考えてみると、連載当時はまだインターネットは今のように普及しておらず、携帯電話(ガラケー)だって、持ってない人もいた頃です。情報源と言ったら、紙に印刷されたものしかなかった。時代が変われば変わるもので「毎日新聞を読む」というだけで、珍しく思えてしまう現代……。

自動車免許を取って、楽しくて自動車を運転しまくった話もあるが、これも今の感覚で「30代男性がポルシェを乗り回す」と言うのと、感覚が違う気がする。当時、どんな娯楽があったんだろうか。あと、NHKの中国語講座を見て勉強したって話があるが、ネットが普及した今の感覚とは違っているかも。

今よりもずっと、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌は、とても貴重な情報源だった(あさよるは、ネットがなかった時代どうやって自分が生きていたのかもう思い出せないから、定かではない)。

今新たに読む人や、特に若いファンの方たちなんかは、時代背景を頭に入れて読まないと、わかりにくいかもしれない。

時事ネタの間にチラ見する素顔

内容は、その時々の時事ネタ政治ネタに始まり、あれこれととりとめもないことが書き連ねてゆく感じ。読んでいてなんとなく、世紀の変わり目の我々はのんびりとしているような気がした。その後21世紀に起こる出来事や事件、災害を知っている未来の我々からするとね。

ネットリテラシー高いなぁオイ

実は、単行本一冊まるまる使っても、宮本浩次という人は素顔をほとんど見せてくれない。掴みどこがなくって、素顔を見てやろうと目を凝らすと逃げられてしまう。いや、宮本さんがどんな方なのか知らないから、実のところはわからないけれど。

彼のことが知りたかったのに結局、彼がどんな人なのかはわからなくって、ああもう。見たいものが見せてもらえない。だから、もっと見たくなる。エンターテイナーだなぁ。

彼は、本が好きだ文学が好きだと言うが、本書では読書についてほとんど触れられない。ちなみに、あさよるは宮本さんがラジオのインタビューを受けているのを結構たくさん聞いたつもりなのだけれども、やっぱり彼はほとんど何も教えてくれない。

本書内では、政治の話題をたくさん扱うくせに、むちゃくちゃ上手に話を逸らす。いや「逸らす」っていうと嫌な感じがしてしまうけれども、ちゃんと「大人の」「良識ある」語り口なのです。言うべきことは言うが、余計な尻尾は掴ませない。

要は「書いていいことと悪いこと」をよく分かってらして、「ああこの人はTwitterやっても炎上しないんだな」って確信した(基準それ?w)。これは編集者が優秀だという説も拭えないが、他のインタビューを聞いていても宮本さんは「言っていいことと悪いこと」を絶対に踏み越えない。

ということは……

とても常識的で分別があって、だけども破天荒で子どもみたいな顔を持って……って!ギャップかっ!魅力的すぎるやろ!パーフェクトかっ!

普通の30代の男の子

で、で、で。ここまで書いて、それでも時折チラッと等身大の宮本さんの、横顔や後姿くらいが見えた(気がする)とき、もう、もう。もう!夢中ですよね~。ですね~。すいません、ニワカの癖にウダウダと書いておりますm(__)m

でね、やっぱ30代の男の子って、こんな感じなんだろうなぁ。憧れの車に乗ったり、ヨーロッパに建築見に旅出ったり、本人にとっては大事なコレクションを集めたり。

時折、恋の話や、両親の話、故郷の話、昔の話、今の話、仕事の話。とりとめもなく、つかむ間もなく過ぎ去っていく日々は、ボーっとしているとあっという間になくなってしまう。その〈時間〉〈人生〉〈老い〉を意識し始めるのもまた、その年頃なのでしょう。

世紀の変わり目、時代の変わり目、人生の変わり目の、30代の一人の男性の読み物として、リアル。

言文一致かよっ!

リアルな感じがドキドキしちゃう原因は、言文一致と言いますか、まるで本人が喋っているかのような文章がヤバイ。というか、あまりにも引っ掛かりがないのでスルスルと読み流しちゃいそうだけれども、「喋っているかのように書く」ってすごくないか?

聞き書きなのかな?と疑いたくなるが、原稿用紙に宮本さんが執筆されたものらしい。

ちなみに、あさよるはこんな風にブログを書いているけれども、もちろん喋り言葉はこんなんじゃない。あさよるはこんな人じゃないのだ。誰だって、書き言葉と話し言葉って違うものだと思っていたが、すごい。臨場感。

熱血文系サブカルエッセイ

『明日に向かって歩け!』は初っ端から妙なテンション。原付でいうところの、常に2速くらいで走り続けているようだ。ああ、ぜひもう一段ギアチェンジしたい。させてくれ!……と思う感じなのだ(変な喩え)。

で、宮本さんがテレビやラジオ等のメディアで、どちらかというと「面白おかしく」あるいは「おっかなびっくり」な扱いをされているのを見るにつけ「落語か!」と思っていた。落語の登場人物のようだし、あの声も喋り方もぴったりじゃないか。と、爆笑問題の太田さんが宮本さんに「落語をやって欲しい」と仰っていて、おお!と嬉しかった。そして、宮本さんは意外にも、落語は聞かない様子で、それが逆にますます落語の登場人物っぽかった。

こ、このテンション……

しかし!『明日に向かって歩け!』を読んで、この妙なソワソワ感がある作品を連想させた。それは!『燃えよペン』である!ちなみに、このブログを書くにあたり今さっき『燃えよペン』を読み返したところなので、あさよるのテンションもおかしい。

『燃えよペン』とは、マンガ家・炎尾燃が、ただマンガを描く熱血マンガである。続編に『吠えよペン』があり、さらに近年ドラマ化された『アオイホノオ』も同シリーズである。

これ以上『燃えよペン』について説明し始めるとこの記事の終わりが見えなくなるので今回は自粛しておくが、ぜひ一度は読んで欲しい一冊です、はい。

そうか、『明日に向かって歩け!』は熱血文系エッセイだったのか!ついでに言うと、サブカル的要素も見逃せない。宮本浩次は多くを語らない。宮本さん自身がなんらかの理屈があっての言動だろうが、多くを語らない故に、若き読者らのサブカル魂に火をつけてしまいかねない。熱い!熱いぞ!

だからというわけではないが、宮本さんは『巨人の星』を愛読しており、周りの人にも読ませて布教活動までしていると書かれている。熱血スポ根マンガを読んだ世代の文系オタは、熱血文系オタクになるのは当然ではないか

……と思ったが、はてさて、宮本さんが「オタク」と称されているのはあまり見た/聞いたことがない(気がする)。あさよるの友人に大のエレカシファンがいたが「ミヤジの凄さ」を語ることはあっても、「ミヤジのオタク性」の話は聞いたことなかった。だからニワカファンにとりましては、本書はとても意外な内容だった。ファンの人たちの間ではどんな語り方をされているんだろう。

週プレ読者の青年よ!

当時の「週刊プレイボーイ」の読者層がどんなだったか あさよるは知らないが、青年向け誌でこの連載は、なかなか熱いものだったんじゃなかろうかと思う。

だって、連載の最中、著者はコルビュジェの建築を見ようとヨーロッパ旅行に出かけるのだ。これは取材なのだろうか?と気になりつつ、コルビュジェ建築の前でたたずむ宮本さんの姿はどことなくほほえましい。ル・コルビュジェは「モデュロール」という、人の体の規格を考えた人だ。その規格をもとに建物や家具を考える。

「〈規格化されない才能〉持つ宮本浩次がぁ!何、コルビュジェ建築って!嫌味かぁ!」と、凡人あさよるは僻んでさえもしてしまいそうだ。ああ、なんか、いろいろ考え始めると止まらないじゃないか。

……当ブログでもコルビュジェ扱っております。あさよるも好きなんです。コルビュジェのソファーに座っている宮本さん、羨ましいです。

『もっと知りたいル・コルビュジエ』を読んだよ

2000年当時って、まだ「オタク文化」が今ほど市民権を得ていなかった時代だ。宮本さんの趣味や嗜好って、当時はまだ珍しかったんじゃなかろうか。だから、この連載って、読む人が読めば刺激的だったろうと思う。少なくとも、当時高校生だったあさよるがもし週プレを読んでいたら、絶対に毎号スクラップして集めていただろう。

追記:『東京の空』も読みました

続編として、宮本浩次さんの『東京の空』も読みました。こちらは音楽誌で連載されていたものだそうで、雰囲気がまるっきり違っていて驚いた!

合わせてどうぞ・

『東京の空』|ロッキングオンジャパン連載・日本語ロックのふるさと

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