90 文学

『漫画 君たちはどう生きるか』|私たちは誰に当てはまるのか

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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『新選組血風録』|新選組短編15編

こんにちは。あさよるです。先日は司馬遼太郎『燃えよ剣』を読んだので、次は『新選組血風録』しかないでしょってことで。

「あさよるの愛読書は『燃えよ剣』だった」と言っていましたが、今読み返すとむしろ『新選組血風録』のイメージの方が鮮烈だったんだと気づきました。学生時代にもドはまりしましたが、それ以降も自分なりに実際に幕末史跡を歩いたり、資料を読んだり、他の作品に触れたりしていて、過去に何度も繰り返し読んだ本のはずなのに、初めて読む新鮮さを再体験できました。

これが読書のすごいところですよね。ボロボロになるまで読んでも、また自分が他の本を読んでレベルアップして帰ってくると、あんなに読み込んだ本を初心で読めるんです。

新選組短編15編

司馬遼太郎『新選組血風録』は新選組の短編集。『燃えよ剣』では登場しなかった人物や、触れられなかったエピソードがたくさんあって、今回読み返してみると『新選組血風録』の方が入りにはいいのかも。

『燃えよ剣』では喧嘩士の土方歳三が乱世に紛れて暴れまわり、また恋のお話がたまらず、子どものような一面がたまらんかったのですが、『新選組血風録』の土方の方が悪者っぽい雰囲気もあり、これはこれで良いですな (*゜∀゜)=3

ちなみに読んでいると、黒鉄ヒロシさんの『新選組』キャラで再生される^^

関西人としては、ぜひ本書を読んだら実際に京大阪の街を歩いてみて欲しいなぁと思います。というのも、京都大阪って狭いんですよね。目と鼻の先で敵と味方に分かれ、また味方同士で内ゲバしてるんです。物騒な時代ですなぁ。

以下、結構どうでもい あさよるの感想にもならない独り言。

油小路の決闘

分派した伊東甲子太郎一派を粛正する話。「甲子太郎」という名前は、伊東が新選組に参加したのが甲子の年だったかららしい。甲子は十干の一番最初だからキリがいいし、改名したくなる気持ちもわかる(?)。ちなみに、兵庫県の「甲子園球場」も、オープンが甲子の年だったから。つまり、伊東が新選組に参加した60年後に甲子園球場ができたのだ。そう思うと、幕末ってめちゃくちゃ近いよね。

ちなみのちなみに、その60年後に生まれたのが あさよるです(甲子生まれ)w 歴史の勘定するときに、十干は便利で、キリのいい年や、自分にとって覚えやすい年号を使うとより面白い。

って、めっちゃどうでもいい話だな。

伊東一派が粛清されたという油小路に行ったことがあるんですが、西本願寺(当時の新選組屯所)の目の前なんですよね。「ちょっとコンビニ行ってくる」みたいな距離感。近所の人たちは嫌だっただろうなぁと思うw

そんで、今こう司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』を読み返してみると、伊東甲子太郎はそれなりに強くてカッコよく描かれていることに気づいた。もっとイヤなヤツに描写されているイメージだったなあ。

池田屋異聞

『燃えよ剣』を読んで「あれ、池田屋のページこれだけ?!」と驚いていましたが、こっちの記憶とごっちゃになっていたモヨウ。確かさらに『竜馬がゆく』の方がページが割かれていたと思うから、自分の記憶を信用ならん。

山崎丞が活躍する話で、彼は執念深く、用心深く、お仕事キッチリなのが好きだ。

前髪の惣三郎

新選組小説を読むなら映画やドラマもみたいなぁと思っていて、今すごく見たいのが『御法度』。この「前髪の惣三郎」が原作で、松田龍平くんのデビュー作ね。山崎丞役のトミーズ雅さんが「いかんいかん」って言ってるのしか覚えてなかったけれど、読みながら思い出してきたw

沖田総司が武田真治くんで、すごく良かったんだなぁ~

沖田総司の恋

沖田が医者の娘を遠目で見るため、清水寺へ出かけるところを土方につかまり、二人で清水の茶屋へ行くことに。沖田は自分の病と、気になる娘の存在を隠していて、土方は気づいているんだかいないんだかで、かみ合わない二人。

清水寺の茶屋というと思い出すのは「はてなの茶碗」で、この話も深刻な沖田にもかかわらず、なんとなくユーモラスな話に思えてしまう。「はてなの茶碗」はわらしべ長者みたいな話で、それは新選組の話のようでもあるからおかしい。

四斤三砲

この前、伏見の御香宮神社へ行きまして「おお!ここが!かの!」と喜んでいました。「四斤三砲」では砲術頭だった阿部十郎が、よくわからん新参者に立場を奪われ、そこから伊東一派ともに新選組を脱退し、その後薩摩の砲兵隊に参加。伏見の戦いでは新選組と敵味方になる。それが清々しいお話。彼は維新後まで生き延びる人だし。

で、その「よくわからん新参者」も面白い。大林兵庫と名のり、長倉新八の師匠筋だと言い、土方、近藤らもそれを信じてしまう。んで、長倉も、誰だかわからんクセに「知り合いだ」「師匠の弟だ」と言われるままに、なんとなくそんな気がしてしまうという、登場人物がみんなおもしろい。

菊一文字

刀を研ぎに出した沖田が、かわりに名刀、菊一文字を借り受ける。その帰りに賊に狙われるが、借りたものだし、あまりに神秘的な刀でもあり、逃げて帰ってきてしまう。しかしその後、同じ賊に沖田の配下が殺されたことから、菊一文字で斬ることにする。

『新選組血風録』では沖田はいつも飄々とみんなから愛され、かわいらしい存在として描かれているが、最後の最後は剣豪の姿で終わっていてよきよき(*´ω`*)

シリーズで読んでいこうか^^

本作は短編が映画化されていたり、他の作品の元ネタ的なものも散見されて、他作品も触れたくなるところですね。

あさよるも張り切って、NHK大河ドラマ『新選組!』のDVDを借りにTSUTAYAへ行ったのですが、なぜか『真田丸』をレンタルしてきましたw 『新選組!』はまた来月辺りに……。それまでに、ちょっくら書籍を当たって、記憶のバージョンアップしておきたいっす(`・ω・´)b

あさよるネット、たぶん読書傾向には偏りがあって、シリーズ化を意図はしていませんが結果的に同じよなジャンルの本を立て続けに読んでいることがあります。新選組シリーズ(幕末シリーズ)のページ作ろうかな~。

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『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』|ヴィレバンと本を愛して

こんにちは。本当は本を紹介されたい あさよるです。毎日読んだ本をブログに書いて紹介していますが、他の人の読書ブログを読むのも好きだったりします。そして、自分で自分の歩む本を選ぶのも楽しいけど、自分では手に取らないような本を人からソッとおすすめされたいなぁという願望も持っています。あさよるは一応、人から薦められた本は、まぁ、5年後くらいまでにいは読んでいますw気の長い話ですが、忘れているわけではないので(読みたい本をリストアップしている)、忘れたころに読みますww

さて本書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』はタイトル通り、出会い系で知り合った人に本をオススメしつづけた記録です。著者の文章の表現力の高さからも、ただ情報としてだけじゃなく、エッセイとしてもとても楽しい本です。おすすめ!

本を進めまくってたら人生が変わった

本書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』はタイトルそのまんまですが、夫と別居中、仕事にも生きづらさを感じていたとき、とある出会い系サイトに登録しました。そのときの自己紹介が、こんなもの。

「変わった本屋の店長をしています。1万冊を超える膨大な記憶データの中から、今のあなたにぴったりな本を1冊選んでおすすめさせていただきます」

「変わった本屋」とは、花田奈々子さんはヴィレッジヴァンガードのこと。長年勤め、店長もしていました。ヴィレッジヴァンガードを愛していました。元々はお客としてヴィレッジヴァンガードに居場所を感じており、新店舗のオープニングスタッフ募集に応募したところからヴィレッジヴァンガードで働き始めます。

ヴィレッジヴァンガードを愛し、ヴィレッジヴァンガードで扱われる本を愛していました。だけど、会社の方針から書籍販売が縮小されてゆき、花田奈々子さんたち古参スタッフは反対もしたそうですが、日々の業務で雑貨の発注に追われ、本の売り場に手が回っていないのも事実。そんなジレンマの中の発露として出会い系に登録しちゃいます。

出会った人たちはみな個性的で、明らかにセックスを目的にやってくる男性もいますが、友人として交流が続く人や、女性とも実際に会って、その人にぴったり合った本を紹介し続けます。

さらに、どうしても「自分にとって特別な書店の店長」に会いたいと思い、玉砕覚悟で京都にあるガケ書店の店長にメールを送り、深夜まで語らうこともできました。この経験がすごく特別な出来事だったそうで、「クロスワードパズルのたったひとつの回答が連鎖的にすべての回答を導き出すときのよう」とたとえられていました。

それまで、上手くみんなと同じように立ち回れないと感じていて、本を人におすすめすることも、他になにもできないし、それが特別なこととも考えておられなかったようです(めっちゃスゴイのにね!)。

そしてついに転職を考え始めます。しかし、本にかかわる仕事がしたいけど、ヴィレバンのような書店はない。自分で何かお店をするのも簡単じゃないし、ブログでアフィリエイトを使って本を紹介するのも、生活を保障するほどの売上は望めません。考えあぐねながら、ビブリオバトルの参加者と盛り上がり、一日限りのイベントとして「人に本をおすすめする」ことになりました。

その後、転職を決意し、複合型の大型書店に応募します。エントリーシートには

「出会い系サイトで実際にいろいろな人に会い、その人の話を30分くらい聞いてその人にぴったりだと思う本をおすすめする活動をしていました。この1年で70人以上の人に会い、本をすすめてきました」p.192

と書きました。面接では、元区議会議員、出版社の編集長経験者というスゴイ人と並んで一緒に面接を受けることに。企業側は、花田奈々子さんのエントリーシートを見てから「すごいヤツがきた」と超期待されており、すんなり採用されます。「出会い系をやってると履歴書に書いて採用される人が他にいるのだろうか」と自分でつっこんでるのが面白いw

さらにその後は下町の小さな書店で店長もなさったそうだ。どこまでいっても本と関わるお仕事をなさっていて、本当に特別なものなんだとわかります。

人の心に寄り添う本

本書のもととなった「WEBmagazine 温度」で連載をしていたとき、お母様を亡くしたことがきっかけで「何か本を読みたい」と訪ねてこられたお客さんがいたそうです。その方に本を数冊おすすめし、その中からお客さんが自分に合いそな本を選んで購入します。

本というのは、人の心に寄り添えるものだと、あさよるは分かっていませんでした。なにか大きな出来事があったとき、その心が本を求めることがあるのだと知りました。そして、花田奈々子さんがいつも「あなたの心に寄り添う本」を選んでいました。だから一対一でお話をしてからじゃないと本を選べません。

あさよるも毎日本を読んでブログを紹介していましたが、本が人の心に寄り添えるものだと考えていなかったし、誰かの心に寄り添い、誰かが気に入り、誰に染み入る本を提供したいという発想すらありませんでした。あさよるの読書は独りよがりで、そしてなんだか乱暴な気がしました。

「誰かのための読書」ってあるのかも

あさよるにとっての読書は「喰らうような」もので、過食や中毒もお構いなしに破裂してでもそれでも体の中に押し込こみたいものでした。ある意味ジャンキーというか、こう改めて書くとどうかしてるw だから、誰かの心・気持ちなんてフォーカスしたことがなかったのです。自分の気持ちさえも結構どうでもよくて、苦しくてもただ呑み込むことしか考えていませんでした。

だけど、「誰かのために本を読む」ってことがあるのかも。しかも、なにか具体的に有益な情報を提供する目的ではなくて、それが何らかの癒しや精神的支えになるような、もっと抽象的な意味での読書です。まあ一応、当あさよるネットでも自己啓発書はちょいちょい紹介していて、自己啓発書も「人の心に寄り添う本」の一つでしょう。だけど、心を興奮させるものだけじゃなく、穏やかに、リラックスするための読書があっても良いですよね。

というか、リラックスのための読書って、別に特殊でもなんでもなく、いたって一般的なものなんでしょう……あさよるが本にそんな効能を求めていなかっただけで(;’∀’)(;’∀’)

なんだかものすんごく、読書ブログ運営者として、『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』では反省と学びと目からウロコ連発でした。

あと、すごく良い本です。読みやすいし、特別な行為を、特別に表現しききっていて、その表現に舌を巻きます。

読みたい本ザクザクでした

『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』ですから、本書内でも実際にどういう人にどの本をすすめたのか紹介されています。あさよるもペンを片手にメモりながら読みました。

巻末には本書で著者がおすすめした本一覧があるので便利です。

他人の読んでいる本というのは、とても気になるものですが、他人が他人にすすめる本というのは、もっと気になります。あさよるも気軽にホイホイ周囲の人に本をすすめますが、本当にうれしいのは人から あさよるに合った本をすすめられることです。

あさよるのことをよく分かったうえで、好きそうな本や、気に入りそうな作品を推してくれるのはすごく嬉しい。本書ではその、人に本を選ぶワクワクと、人から本を選んでもらう嬉しさが潜んでいて、とても良い気持ちだった。

いつも一人で書店へ行くから、たまには誰かと「目的地:書店」で、本に囲まれて時間を過ごしたい。

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『うれしいおくりもの』|イラストレーター・杉浦さやかさんのプレゼント

『うれしいおくりもの』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。夏休みちょっとのんびりできる時間があったので、ここ数ヶ月分の日記をまとめていました(それを「日記」と呼ぶのかは定かではないが)。

いつも日記づくりのモチベーションになるのは、杉浦さやかさんのイラスト本です。もともと、デザイン関係の雑誌で杉浦さやかさんが出版社に売り込みに回っていたころのポートフォリオの作り方を見て、「こうすればいいのね」と勉強していたころから、「日頃から記録や絵を描き溜めておくのは大切だな」と思った経緯があります。杉浦さんの本を読むと、その頃の初心を思い出すので、手元に置くようにしています。

今回読んだのは『うれしいおくりもの』。これは初読みでした。杉浦さやかさんによる誰かにおくりたいプレゼント。手作りのカードを添えたり、自分でラッピングしたり、読んでいるだけで、おくりものをあげる/もらうワクワクがあふれ出て来るようです。

てづくり、とくべつな「おくりもの」

『うれしいおくりもの』はイラストレーターの杉浦さやかさんが、誰かの誕生日や結婚式、日々の中でのちょっとしたプレゼント。もちろんお店でとっておきを見つけてきてプレゼントすることもあるけれど、手作りのプレゼントや、カードを添えたり、オリジナルのおくりものも特別でいいですね。

杉浦さんご家族は、ご両親もご兄弟も、それぞれの誕生日はちゃんと家族でプレゼントを用意してお祝いするそうです。還暦のプレゼントに手作りカードなんていいですね。

そう、プレゼントって言えば、すっかり「お店で買うもの」と思っていましたが、子どもの頃みたいに、手書きのイラストやカードの方がずっと特別で嬉しいかも。ページをペラペラとめくっているだけで、ムクムクと「わたしも作りたい!」と創作意欲がわいてきます。

また、杉浦さんのイラストが素敵ですね~。眺めているだけでウットリ(*´ω`*)

杉浦さやかさんのイラストたっぷり

『うれしいおくりもの』挿絵イラスト

杉浦さやかさんの本を手に取ったことがある方ならご存知でしょう。杉浦さんの本は、杉浦さんのイラストたっぷり。手書きの文字と相まって、すんごく素敵なページが次から次へと続きます。

おくりもの一つ一つイラスト化されていたり、てづくりカードの作り方を紹介されていたりと、ボリュームたっぷり。ほれぼれ~。

おんなじプレゼントでも、ちょこっと絵をかいたり、シール一枚でもプラスすると渡すのももらうのもうれしいですね。

新しいリボンやシールや紙ものが欲しい!

プレゼントって楽しい!まねっこしたい

本書『うれしいおくりもの』は、もらうだけじゃなく、人にプレゼントをするのが楽しみでたまらなくなってしまいます。真似したいですね。

可愛いもの、すてきなものを見つけたとき、「自分はどれを買おうか」だけじゃなく「あの人は喜びそう」「あの人に似合う」って思えるのはワクワクするなぁ。

別に高価なものが欲しいんじゃなく、だけど「いつかどこかで、わたしのことを思い出してくれた」ってことが嬉しかったりもする。

『うれしいおくりもの』は、あげるのも、もらうのも、待ち遠しく早くその時が来るのが楽しみです。

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『一発屋芸人列伝』|エンドロールの後も人生は続く……

こんにちは。あさよるです。このブログを始めてから、一日に一冊本を読む生活が始まったので、てんでテレビを見る時間がなくなってしまいました。なので正直、今の流行がわからないので、内心焦っています。

本書『一発屋芸人伝』は出版当初から話題になっているのを知っていましたが、取り上げられている芸人さんの中に、サッパリ知らない人もいたりして、「これはいかん」と思い直した次第……。

一発屋のその後

『一発屋芸人伝』の著者は髭男爵の山田ルイ53世さん。「ルネッサーンス!」の髭の方の人ですね。一発屋芸人自らが、一発屋芸人へインタビューをしながら「一発屋芸人の〈その後〉」を詳らかにします。

都内のレストランにて一発屋が集まる会合が開かれ、ダンディ坂野の「ゲッツ」を一発として、誰は〇.何発だとか、あれは二発だとか、検証トークがなされたという、ものすごくどうでもいい話題から始まります。その会合の主宰者はレイザーラモンHG。彼が「一発屋芸人伝」に最初に取り上げられる人物です。

レイザーラモンHGはテレビで「あの」コスチュームと「フォー!」のギャグは見かけませんが、レイザーラモンとしてスーツを着て漫才しているそう。そして、奥様の事業が成功し、左団扇らしい。関西では相方のRGもテレビやラジオによく出ているし、コンビで人気があるイメージでした。

本書に登場する一発屋芸人は、複数のタイプがあるみたいです。レイザーラモンHGやキンタロー。は「真面目」で、なんでも追及して極めてしまう人みたい。またレイザーラモンや とにかく明るい安村なんかは、元々漫才で評価されていて「売れそう」だった芸人が、キャッチーなキャラとギャグで一発当たっちゃった人もいる。

そして、絵に描いたような芸人……というか、社会人としては「ダメな人」の部類に入るような人が一発当たることもある。コウメ太夫ってどんな人なのか全然知りませんでしたが、なかなかキワドイキャラなのね。ハローケイスケも同じく。

個人的には、天津木村のエロ詩吟がとても好きだったんですが、木村さんはホンマにガチでロケバスの運転手になってしまったんだなぁ(笑)。

あと、実は知らない芸人さんやネタもあったので、この機会に勉強になりましたm(__)m

キンタロー。すげー!

個人的にキンタロー。さんがスゲー!とめっちゃ尊敬の対象に。キンタロー。さんがキレッキレッのダンスをするのは知っていましたが、芸人になりたい夢もありながら、20代まではダンスをやっていて、アラサーの頃に芸人になったそうで。どちらも成果が出てるんだから、めっちゃすごい。

本書では性格を「嫉妬深い」と強調されてますが、「負けず嫌い」で何をやってもやり込む人なんだろうなぁと思うとマジ尊敬。

今、キンタロー。さんの「居場所はブログ」というのも、個人的親近感。

「一発屋」というけれど……

著者の髭男爵の山田ルイ53世さんの語り口も良いですね。ほかにも著作があるそうで、そっちもぜひ読みたい。

ヒキコモリ漂流記

「一発屋芸人」と言っても、地方で活躍している人もいるし、全国放送のゴールデンタイムのテレビ番組に出演しなくなっただけなんですね。あさよるも関西のテレビやラジオ番組に出演なさっている芸人さんもちらほらと。

あと、あさよるも昔、お笑いの劇場に通っていた時期があったのですが、やっぱお笑いも舞台で見る方がいいなぁと思っていて「久々に劇場に行きたいな」なんて思いました。

ハッピーエンドのその後の話はいかが?

本書『一発屋芸人伝』では、晴れて一発当たった芸人の、ハッピーエンドのその後の話です。スポットライトを全身に浴びた状態のまま「エンドロール」でおしまいならいい話なのに、実際にはその後も人生が延々と続いていく。その一発屋芸人たちの、その後の人生の叫びが本書のおもしろ味。

で、ハッピーエンドのその後の話って「マジでいらんな」と思ったのが、ご存知シンデレラ。ガラスの靴を履いて、シンデレラは王子様と結ばれてめでたしめでたし。……の、続きの話を知ってますか?

王子様と結婚して子どもにも恵まれたものの、実は王子様の母親が人食い鬼で、シンデレラの子どもたちを見ているとムクムクと昔の「人の味」を思い出してしまい、我慢できずに子どもを食べてしまいます。そしてついにシンデレラも餌食に……。だけど、気を利かした召使が、子どもの肉とだまして動物の肉を食べさせていて、実は生きていました~! という話が続きます。

やっぱディズニーの『シンデレラ』のように、めでたしめでたしで終わっておいて欲しっすねww

(↑あさよるが読んだのは新潮文庫のシャルル・ペロー童話集。6つめの話「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴」がシンデレラのお話。kindle版もあるよ)

という、どうでもいい話ですが、めでたしめでたしの「その後」は、「いらんわ~」とつっこみつつ、実は面白いお話だったりしますw

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『燃えよ剣』|もっと読みたい!

こんにちは。あさよるです。先日、こんなネット記事を見かけました。

内容を簡単にまとめると、とあるTwitterユーザーの蔵から曾祖母様の日記が見つかって、大学のゼミの先生に見せたところ、曾祖母様自作の新選組の土方歳三と沖田総司のBL小説と、土方と自分の夢小説だったというもの。どうやら曾祖母様は新選組屯所のお隣にお住まいだったそう。

……これはエモい! 「エモい」って言葉を最近覚えたばかりで使いどころがわかってなかったが、「これが〈エモい〉なのか!」とヘンな盛り上がり方をしております。ソースがTwitterなので信憑性がわかりませんが、ええ話ですなぁ~。「このおばあさん、今年の盆は帰ってこれないね」「いや、毎年コミケ行ってんじゃね?」なんて(サーセンm(__)m)。

そして、この話題に触発されて、あさよるもかつての愛読書『燃えよ剣』を久々に読み返すのでありました。

創作欲をかき立てる小説

『燃えよ剣』は、土方歳三が主人公の司馬遼太郎の小説です。司馬先生の代表作の一つと言っていいでしょう(よね?)。生来の喧嘩師だった土方が、時代の巡りあわせで今日へ上京し、帯刀を許されチャンバラに明け暮れる前半。後半は、時代は変わり、戊辰戦争勃発で鳥羽伏見の戦いで敗戦し、江戸へ帰り、東北、そして函館戦争で最期を遂げるまでのお話です。

お話の中で、印象的なのは宿敵とのバトルと、その途中出会った女性「お雪」との恋。この恋が、これが激熱なんですよね~。お雪さんはええ女だし、土方がまた超キュートすぎて、司馬遼太郎小説に出てくるヒーローたちは、キュンキュンするんですが、『燃えよ剣』の土方は格別だ。

で、この『燃えよ剣』の面白がりポイントは、『燃えよ剣』から派生して小説やマンガ、ドラマなど創作物がたくさん作られているところでしょう。これからシリーズ的に、新選組モノ、幕末モノ書籍を読んでまとめるのも面白いかもなぁなんて、ワクワクしております(^^)v (何を隠そう、あさよるも、どっぷり『燃えよ剣』きかっけで幕末モノにハマってた時期があって、その頃に作りかけてた案もあるので、掘り返していきたいですm(__)m)

足りない!から読みたい!

出典を忘れてしまったので偉そうなことが書けないのですが、先日「ネットで評価の高い映画は、次の映画が見たくなる作品だ」という記事がありまして、そこから派生して「きっと、みんなが愛してしまう作品というのは、それだけでは不完全だったり、なにか足りない要素があって、それを補いたくて他の作品を欲してしまうものではないか」という仮説を立てました。

そして『燃えよ剣』もまさにそういう作品じゃないかと思うんですよね。まず、なんと言っても「短い」! 今回久々に読み返して「あれ?こんなに短い小説だったっけ?」と驚きました。もっと読みたい。もっとこの世界に浸ってたいし、もっとキャラクターの心情を知りたい。だけど、物語は淡々と進んでいき、たった上下2巻で終わってしまう。圧倒的に「足りない」し、「もっと追いかけたい」んですよね。これが、「他の作品を読みたい」原動力なんだろうと思います。また、『燃えよ剣』から派生している作品がたくさんあるのも納得できます。

あともう一つ驚いたのは、思ってたよりも司馬先生の「以下余談ながら」が少なかったことですね(笑)。説明がとても少ない。もっと説明書きが長いと思っていました。むしろすごく淡泊。池田屋事件なんかも、ト書きくらいな感じで、要点だけ書かれている感じだった。これも記憶の中と実際が違っていたなぁ。これももっと他の資料に当たって掘り下げたくなる理由かもな、と。

以下、あさよるの好きな新選組作品の話

個人的に好きなのは、みなもと太郎さんの『冗談新選組』。これは『燃えよ剣』のパロディマンガですね(どちらかというとドラマ版のパロディっぽい)。終始ドタバタが、『風雲児たち』にも引き継がれていて、よろし。

(↑『冗談新選組』kindle unlimited版アリ-2018/08/17現在)

あと、今パッと思いつくのが、映画版『壬生義士伝』の佐藤浩市の着流し姿ががエロくて……///。佐藤浩市さんは斎藤一役で、沖田総司が堺雅人さんなのが個人的にたまらんという。映画版『壬生義士伝』は配役がツボったな。小説版ももちろん読みましたが、小説も好きなんだけど、吉村貫一郎の最期が苦しいんですよね( ノД;)

(↑Amazonプライムで見られます)

数を上げるとキリがなさそうなので、今後、ブログで書いてきたいなぁと思います。

あ、新選組、幕末モノのドはまりしてた頃にテレビ放送していたのが、野村萬斎さんのNHKドラマ『鞍馬天狗』で、鞍馬天狗の宿敵の新選組が「どんだけ隊士がおんねんww」とツッコみつつ、バッサバッサと鞍馬天狗が新選組隊士を倒しまくる、ザ・悪役新選組で、これはこれですごく好きでした。これ、TSUTAYAであるかなぁ~。また見たいな。

この『鞍馬天狗』は、司馬遼太郎の『燃えよ剣』路線じゃないけど(なにせ「鞍馬天狗」ですからね)。

あさよるは、10年以上前にも読書記録をつけるブログを書いていまして、その頃のログを見ると新選組、幕末モノばかりなので、過去の書き散らしを有効活用してきたいです。

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爆笑問題・太田『違和感』|肯定しきれない白けと、静かな憧れ

こんにちは。ラジオっ子のあさよるです。つい深夜ラジオを聞いて朝寝坊をやめられません。今はradikoもあるのにね(;’∀’)

爆笑問題の深夜ラジオも面白くてついつい聞いてしまう番組の一つです。テレビでは、太田さんがフリーダムなキャラに感じますが、ラジオではむしろ田中さんの方がキワどい感じですね。意外と、常識的なのは太田さんで、常識があるからこそ、ちゃぶ台をひっくり返すようなことができるのかも……。

で、2018年は爆笑問題が結成30年の年だそうで、太田さんの書籍が出版されました。

照れと違和感がもたらす露悪趣味的な何か

『違和感』は爆笑問題の太田光さんが、爆笑問題結成30周年記念にまとめられたエッセイ。Amazonの紹介ページには「語り下ろし」とあるので、聞き書きみたいですね。「人間関係」「笑い」「世間」や「世論」を取り巻くニュースなど、身近な話題に関する「違和感」をテーマに話されています。

太田さんと言えば、テレビで毒舌キャラって感じでしょうか。ちょっと斜に構えて皮肉屋っぽいイメージ? あさよるは「シャイな人なんだな~」って印象でした。しかし本書『違和感』を読むと、太田さんって毒舌でもシャイでもなく、「素直にホントのこと言っちゃう人なんだ」と気づきます。それは「純粋」とも言えるけれども、「露悪趣味」とも言えるでしょう。

つまり、誰も思ってるけど言わないことを言っちゃう。例えば、本書では「〈いじり〉と〈いじめ〉は同じだ」という話題がなされています。太田さん自身も相方の田中さんを〈いじり〉ますが、結局のところ「みんな他人をバカにして笑っているんでしょ」と誰も言わないことを言っちゃいます。それが芸人の芸であれ、それを見ている人は「上から目線」がどこかにあって、何かを「笑っている」ことには変わりありません。「〈いじり〉と〈いじめ〉は違う」というのは、人を笑う方の理屈であって、笑われている側からすればそんなのどちらも同じでしょう。

芸人として、お笑いの持っている功罪というか、笑いの仕組みまで冷めた視線で語られているのが、意外に感じ驚きました。

たけしと談志のええ話

個人的に「ええ話や」と感じたのは、死にたいとこぼす談志が元気がないからと、ビートたけしに「談志師匠に会ってほしい」と頼み、太田さんが幹事役で、談志、たけし、そして太田の三人で食事をしたときの話。いばらく時間がたって、談志が言う。

「たけしがいて太田がいる。今日は最高にうれしい一日だ。ただひとつ俺にはおおいに頭を悩ませることがある。さっきからずっと小便がしたいのだが、行くべきか、行かざるべきか、それを悩んでいる」p.171-172

なにこの言い回し最高にオシャレじゃないっすか!あんまりどうのこうの言うのも野暮ですが、二人への称賛の言葉をこんな風にあらわせるんだなぁと。

そのあと、談志師匠が色紙を3枚取り出し、記念に3人でサインしてそれぞれを持ち帰ろうと提案します。そじてまず、色紙の真ん中にテレビでは放送できないマークをでっかく書く。太田さんにとっても宝物だけど、絶対にテレビでは放送できないw

底にあるのは「白け」なんじゃないか

本書『違和感』の冒頭で、日本のお笑いにあるのは「照れ」だと触れられています。太田さんの印象も照れ屋でシャイな人のイメージだったから、それも相まって納得しました。しかし本書を読んでいると、太田さんの人柄の底にあるのはどうしようもない「白け」なんじゃないかと思い至ります。

熱く情熱的になりきることができない。ブームに乗り切りことができない。マジョリティのお祭り騒ぎに便乗しきれない。だからといって、マイノリティに同情し、共感もしきれない。なんかそういう、どこか「冷めた視線」、前のめりになれず、引いてしか物事を見れない態度みたいのを感じました。それは太田さんの特性だけではなく、太田さんたち「新人類」と呼ばれた世代の持っている世界観なのかもしれません。実際に本書のレビューを見ると、同年代の方が「わかる」と共感なさっているのが印象的でした。

太田さんは破天荒なわけではなく、本当はとても常識的な人で、すごく冷静に物事を見ていて、なにかお祭り騒ぎやブームを冷ややかに傍観する視線を持っていて、だから「誰も言わないこと」をズバッと言っちゃう。その場のノリに乗りきれないのかもしれません。なんかその冷めた感じ、あさよるも「わかるかもなぁ」なんて。

もし、テレビでしか爆笑問題を知らない人は、本書を読むとイメージが変わるかも?

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『ぼくはお金を使わずに生きることにした』|都会で大冒険!カネなし生活

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。先日読んでブログでも紹介した『0円で生きる』が面白くて、ゴールデンウィークに「家財道具を売ってみよう」とメルカリに出品してみました。『0円で生きる』で紹介されていた「ジモティー」も利用したいのですが、荷物の運搬手段がないので、これから考えよう。

これまで物の譲渡って、役所とか公民館の「あげます・ください」の掲示板を見たり、フリーマーケットに出品するとか面倒くさかったけど、ネットサービスが充実することで、誰もが気軽に安価or無料でやりとりができてとても便利です。「テクノロジーは社会を変えるんだなあ」なんて、大げさなことを考えてみたり。

今回手に取った『ぼくはお金を使わずに生きることにした』も、イギリス人の男性がロンドン郊外で1年間、一切のお金を使わず生活をするチャレンジをした記録です。彼がチャレンジを決行したのは2008年の年末のこと。2008年はリーマンショックがあった年です。さらに3.11以降のわたしたちにとって、彼のチャレンジは当時と違った意味を感じるかもしれません。

現代の冒険譚・お金を使わない

著者のマーク・ボイルさんは現代の冒険家です。かつて「冒険」とは、大海原へ漕ぎ出だしたり、未踏峰を踏破したり、誰も行ったことのない場所へ踏み込むことでした。現在では都市部の郊外で「1年間一切お金を使わない」というチャレンジが、誰もやったことのない大冒険なのです。現にマーク・ボイルさんは、1年間お金を使わない構想を発表してから、世界中のメディアから数多くの取材を受けます。

テクノロジーを否定しなくていい

マーク・ボイルさんのチャレンジの特徴は、まずロンドンの郊外で行われること。お金の一切は使わないけど、友人たちを頼るし、社会のインフラも使います。また、基本的にはテクノロジーの否定はしていません。

1年間お金を使わない計画に際し、マーク・ボイルさんはルールを自分で設けています。まず、石油燃料は〈自分のために〉使わないこと。電気は自分で発電しますが、誰かから「どうぞ」と差し出される分には使用してもいいこと。つまり、わざわざ〈自分のために〉石油・ガソリンや電気は使いませんが、他の人が使っているものを分けてもらうのはOKということ。例を挙げると、「自分のために車を出してもらう」はNGですが、ヒッチハイクで「元々あっち方面へ向かう車の助手席」を分けてもらうのはOK。

この辺が「世捨て人」的な感じではないところ。なにより交友関係はとことん使います。「ロンドンの郊外」ですから、落ちているモノ、捨てられているモノを手に入れやすい環境にもあります。

マーク・ボイルさんはお金と石油燃料を自分のために使うことを避けていますが、それ以外のテクノロジーやコミュニティーは特段否定していません。

菜食主義で健康に

お金を使わない生活をすると、納税しないことになります。だからマーク・ボイルさんは1年間、病気をしないように健康に気をつけるのですが、ビーガンになることで、かつての不調がウソのように改善した様子を綴っておられます。菜食主義の人がよく「肉や乳製品をやめると体調が良くなった」と仰ってるのを目にしますが、実際のところどうなんでしょう。

また、肉食をやめたことで、体臭に変化があったそうです。お風呂も洗濯機もありませんから、衛生状態と〈清潔感〉をどうキープするのか周囲の人も気にしているようです。「ボディソープを使わなくても体はきれいになる」と説明しても、信じてくれない様子。

これについては以前、あさよるネットでも『「お湯だけ洗い」であなたの肌がよみがえる!』で紹介しました。有機物は水溶性で水に溶けて流れます。だから「水浴びだけでも清潔」は、そうなんでしょう。

Wifi完備でネット環境

マーク・ボイルさんはネットで住処の提供を求めたところ、なんとキャンピングカーの提供を申し出る人が表れました。また、そのキャンピングカーを停める場所も、ボランティアを引き受けることで場所を貸してもらえました。そこはWifiもつながっていて、マーク・ボイルさんは自家発電をしてネットに接続し情報発信を行います。プリペイドカード式の携帯電話を所持しているので、電話を受けることもできます。世界中のメディアからの取材も、電話を貸してもらって受けています。

「現在の冒険譚」と紹介したのは、現代のネットワーク環境を活用しているからです。『アルプスの少女ハイジ』の〈オンジ〉のように、コミュニティーに属せず、人々から隔絶された地で生きるのとは正反対です。積極的にコミュニティーを持ち、情報を発信し、人とつながりながら「お金を使わない」から、冒険なのです。

お金はすごく便利だ!

本書『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は、著者のマーク・ボイルさんの体当たりレポにより「お金」の価値について問い直されます。本書を読んでつくづく思うのは「お金はとても便利なものだ!」ということです。マーク・ボイルさんご自身も、「お金が少ないのと、お金を全く使わないのは、全然違う」と書いておられます。

本書が面白いのは、別に貨幣経済を否定してるワケでもないところ。ただし「お金の価値しかない社会」はどうなの? という問いかけになっていますし、また「お金を使わない生き方を選ぶ自由がある」という至極当たり前のことを体現した記録でもあります。

マーク・ボイルさんの結論として、「お金のない世界で暮らしたい」と理想をあげながらも、現実的には「地域通貨」への切り替えが落としどころとして提示しておられます。小さな町や村のコミュニティーの中で、スキルや物を提供したりもらったりして、交換する価値としての「地域通貨」です。

お金で買っているのは「時間」

カネなし生活で、足りなくなるのは「時間」だと言います。朝起きて、水を確保しないといけませんし、ネットにつなぐための電気を発電し、どこへ行くにも何十キロと自転車を飛ばさねばなりません。ボールペン一本、安いお金を出せばに入る物ですら、ボールペンが落ちていないか探さねばならないのです。

お金を使うことで、一瞬でほしいモノが手に入るのですから、最強の「時短」アイテムなんですね。

カネなし生活には「お金以外の力」が必要

お金は便利だと紹介したのは、カネさえあれば、他に何もなくても欲しいものが手に入るからです。お金がない生活とは、人とのつながりが重要で、自分を助けてくれる人、自分を気にかけてくれる人の存在が重要です。幸いにもマーク・ボイルさんは、彼のチャレンジに協力してくれる友人や恋人がいて、また世界中のマスコミが取り上げ多くの人が彼に注目していました(もちろん賛否アリ)。またマーク・ボイルさんは健康で若い男性であり、彼の思想や信仰も、お金を使わない計画を後押ししたでしょう。いくつもの要素が絡まり合って、成立したチャレンジだと考えることもできます。

〈お金〉と〈幸福〉は別のもの

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

以下、あさよるの勝手な感想。

「カネなし生活を成立させるためには前提条件が必要だ」と言いましたが、たぶんマーク・ボイルさんと近いことをしている人は今の日本にもたくさんいると思います。別に強い信念があるわけでもなく、「知人の家に転がり込んで」とか「友だちに助けてもらって」生きてる人もいるだろうし、しかも全員が「お金がない=不幸」とは限らず、楽しく愉快にやってる人もいるでしょう。

選択肢として「カネなし生活」を選ぶ人がいてもいいし、またそれを選ぶ人もいて、それで成立する社会の方がいい社会だろうと思います。

貧乏暇なし

カネなし生活では、時間がとても貴重なのものであると認識できます。お金は一瞬にして取引を成立させる「究極の〈時短〉アイテム」なんですね。すなわち「お金がない」とは「時間がない」ことだと考えられ、これは「貧乏暇なし」という日本のことわざとも合致しています。

自己啓発本の類を読んでいても、世界で活躍する優秀なビジネスマンほど、超多忙であるにも関わらず、余暇や家族との時間をたっぷりと過ごしていると紹介されています。それはタイムマネジメントが優秀である上に「お金の使いどころ」を心得てるのかもしれません。

仮想通貨ってどうなの?

本書では折衷案として「地域通貨」の可能性が提示されていますが、今となれば「こんなときのための仮想通貨だろう」と。マーク・ボイルさんがカネなし生活にチャレンジしたのが2008年年末~2009年の1年間で、ビットコインは2008年に発表された論文に基づき、2009年に運用開始されました。

世界は、現行の通貨ではない「新しい価値」を模索していて、マーク・ボイルさんのチャレンジもそれに当たるのではないのかしら。今までの、国が発行する通貨ではない〈何か〉が必要なんじゃないかしら。

ムダなお金、ムダな出費が多すぎる!

本書『ぼくはあお金を使わずに生きることにした』を読むと「お金の便利さ」もよくわかりますが、同時に「お金の量と充実感は比例しない」こともよくわかります。マーク・ボイルさんはカネなしで、忙しく働いていますが、別に不幸せではありません。

電車の中ではほぼ全ての人がスマホ画面をのぞき込んでいます。しかしスマホで仕事や意味のある作業をしている人は少数で、多くの人は〈暇つぶし〉をしているんじゃないかと思います。暇つぶしのためにスマホを買って、使用料を毎月払って、暇つぶしのアプリやゲームにお金を使っているんじゃないでしょうか。ちなみに、スマホって超ハイテクな機械ですからね。最先端のハイテク機械を使ってやってることは〈暇つぶし〉ってなかなかシュールだな。

んで、それって、どんだけお金があったとしても、やってることは〈暇つぶし〉だから、いくらお金と時間をつぎ込んでも充実感が得られないんじゃないだろうかと思います。

単に「お金を節約する」だけじゃなくって、「何にお金を使うか」「何に時間を使うか」を改めて考え直した方がいいのかもしれません。優先順位は人によってそれぞれ違っているでしょう。

時間もお金も限りがあって、エネルギーにも限りがあって、大事なのは「どんな配分でそれを使うか」なのかもな、なんて思います。

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『老いる勇気』|「嫌われる勇気」・さいごまで他者貢献できる

『老いる勇気』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。『嫌われる勇気』を読んで「アドラー心理学」というものを知って以来、アドラー心理学の考え方が気に入って自分にも当てはめるようにしています。アドラー心理学では、過去や未来ではなく〈今、この瞬間〉にのみ光を当てます。もし仮に、過去にとても悲しいことがあったとしても、過去を引きずるのをやめ、〈今、この瞬間〉に注目することで、今「幸せ」を感じることができるのです。

もし過去に上手くいかなかったことや、つらい経験、悲しい経験があっても大丈夫。今、わたしたちは幸せになれる。そのメッセージは前向きでいいなあと思いました。

ということで、今回、『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎さんの新刊『老いる勇気』が出版されたので、早速手に取ってみた次第(^^♪

歳をとった分だけ賢くなった

本書『老いる勇気』は、ベストセラー『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎さんによる著作です。岸見一郎さんは哲学者であり、心理学の研究もなさっています。『嫌われる勇気』のヒットにより、アドラー心理学が注目されました。『老いる勇気』は、哲学や心理学的なアプローチと、岸見一郎さんご自身のご経験を交えながら「老い」という、全ての人が直面する「問題」を真正面から扱っています。

岸見一郎さんさんは1956年生まれの方で現在(2018年)62歳になられます。お母様を亡くされ、認知症のお父様を介護中の50歳の時、ご自身も心筋梗塞で倒れられたご経験が紹介されていました。とても大変な経験ですが、そこで学んだり、感じたりなさったことがとても大切だったのがわかります。お母様は、病床で意識がもうろうとする中でも、「ドイツ語を学びたい」「『カラマーゾフの兄弟』を読んで欲しい」と最期まで意欲をなくされなかったそうです。お父様は認知症でしたが、岸見さんが心筋梗塞で倒れてからしばらく、しっかりと息子を支えようとしてくださったそうです。どんなにギリギリの状態でも、その瞬間その瞬間を力強く生きることができるのです。

また、年齢を重ねるということは、一人の人間としてより成熟してゆくことです。若い頃は他人の目を気にしたり、他人からの評価にばかり気を取られてしまいがちです。しかし、大人になるとは「価値を自分で決める」ようになることです。他人と自分を比べて生きるのか、自分で自分の人生を決めて生きるのか、それ自体を自分で決めているのです。

年齢を重ねることはネガティブに表現されることが多いですが、長生きするとは「生きた分だけ賢くなる」ことです。若いころ、右も左も分からずがむしゃらにやるしかなかったことも、歳を取れば知識が増え、より本質をとらえながら着手することができます。本書では例として、楽器の演奏が挙げられていました。若い頃の方が楽器の覚えは良かったかもしれないけれど、歳をとった今の方がよりたくさんの音楽を聴いているし、知識も増えているし、今の方がずっとそれを深く探究できます。

もう一度10代からやり直したい?

「若い頃に戻りたい」と思いますか? 若い肉体を手に入れ、これまでの記憶を失い、今と同じ知識・技術を身につけるためには、もう一度過去の努力を繰り返さなければなりません。今持っているスキルを、再び努力で身につけるのを考えると、うんざりする人も多いのではないでしょうか。

確かに、若い身体を持っている人が羨ましく思うことはたくさんあります。だけど、歳を取ったからこそ持っている物にも注目しましょう。「あれができなくなった、これもできなくなった」と〈ひき算〉で考えるのではなく、「これができるようになった、あれをより深く知ることができた」と〈足し算〉で人生を考えることが「老いる勇気」を生み出します。

「助けてもらう」という他者貢献

本書では「他人から助けてもらうことも他者貢献である」という考えが示されています。自分が病気や怪我で何もできなくなって周りの人に世話をされることは、周りの人にとっては「自分を必要とする人がいる」という状況が新たに生まれることだと紹介されているのです。

わたしたちは、誰からも必要とされずに生きるのもまた、とても苦しいものです。もし自分にできないことが増えてしまっても、それでも生きていることで誰かを支えているのかもしれません。また、誰かが何もできなくなってしまっても、それでも「生きている」だけで誰かを支えているのです。

そういう風に考えられると「生きている価値」を考える必要すらなくなる気がします。みんなが誰かを必ず支えているのですから。

「だからできない」からできない

本書で紹介されるエピソードで印象的なのは、著者のお母様が病床で「ドイツ語を勉強したい」と話していたことです。もう自分の命が長くない状況でも「あれがしたい」と思えるんだなあと知ると、なにやらパワーが沸くようです。岸見一郎さんご自身も、入院中にたくさん本を読みたいだけ読んだり、退院後マラソンにチャレンジしていいかと医師に願い出たところ、意外にも「OK」が出て、拍子抜けしている様子も印象的です。

わたしたちはあらかじめ「きっとこんなことできないだろう」を、予定を立てるよりも先に「できない」と自分で自分に規制をかけているのかもしれません。「できない」と思うから本当に「できなくなってしまう」と考えるといいのかも。

さいごまで何をしましょうか

『老いる勇気』挿絵イラスト

本書『老いる勇気』は、意外と若い人の方が、安心できたり、来るべき未来を考える役に立つのではないでしょうか。特に病気や怪我もしたことがなく、まだ介護や老いが遠いところにある人ほど、「発見」があるでしょう。それは「他者貢献」という視点が顕著だと思います。

もし、自分が元気いっぱいでなにも欠けていない状態ならば、もしそれを失った時、何か、自分の持っている「価値」まで失ってしまうような気がするのではいでしょうか。少なくとも、あさよるは若いころそんな感覚がありました。挫折したり、健康を損ねて、誰かに迷惑をかけて生きることに、意味がないように感じていました。だけど、生きていると怪我もするし、病気もするし、誰かに世話になりながら生きるのが当たり前です。若いころの感覚は完全に思い上がりだったなあと思います。

そして、今は「自分はさいごまで何をし続けるのだろうか」と考えることがふとあります。いつその時が来るのか知らないけれども、誰かに助けてもらいながら、それでもさいごまで何かをしていたいなあ。

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岸見 一郎さんの本

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『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』|あなたのマニアがどこかにいる

 

こんにちは。あさよるです。光文社新書は、思わず手に取ってしまう煽りタイトルの本が多いですね。目を引き手に取らすという点では秀逸とも言えますが、タイトルと中身が違っていることも多いので、あまり期待をせずにページをめくり始めます(苦笑)。今回手に取った『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』というタイトル。もう、煽りまくっていて「はいはい、いつものやつね~」と読みはじめたのですが、話が二転三転して、予想外の結末に着地して、驚きました。

なにをテーマとしているのかわかりにくかったのですが、あさよるなりにまとめてみました。冒頭で「美人論&ブス論」は「どんな顔の人が書いているか」で印象が変わるという話から始まり、最終章では著者の容姿についての話で終わります。なるほど、著者の「顔」を知らずに読みはじめたときと、「顔」の理由について知った後では、本書の意味がまるで変っているのです。

「美のヒエラルキー」が支配する美の格差社会

本書では、この世は「見た目」が大事な美のヒエラルキーが存在する美の各社社会であるとの前提で話が進んでゆきます。書店では「美人論&ブス論」の本が溢れ、また「見た目」本が持て囃されます。大ヒットした『人は見た目が9割』が代表ですね。しかし、これらの「見た目」本は、容姿が「悪くない」人に向けた本であり、そもそも容姿が優れない人は対象外だと指摘します。

本書では、著者の山中登志子さんは、自らを「外見オンチ」と称しておられます。ここでいう「外見オンチ」とは「天然美人以外」みんなです。山中登志子さんは、10代の頃「脳下垂体腫瘍」という病気を患い、「病気で顔が変わった」という経歴を持っています。「脳下垂体腫瘍」とは、脳の脳下垂体から成長ホルモンが過剰に分泌され、体が過剰に成長し「先端巨大症」とも呼ばれる病気です。山中さんの場合は思春期の頃に発病し、顔や手足が成長し「外見オンチ」になったとの経緯を、本書の最終章にて紹介されています。

元はかわいらしい姿だった著者が病気により「顔が変わってしまった」のち、美の格差社会の中で、編集者として各所で取材を続けてこられたのが、本書です。

「天然ブスが人工美人になる」ことは想定されている

本書では「天然ブスと人工美人のどっちがいい?」という質問を著者が男性に問いかけた結果が紹介されていました。多くの男性は回答を濁し、「好きになった人の顔が好き」という模範解答をする人もいました。中には「人工美人が好き」と答える人もいました。この質問の興味深いことは、「天然ブスがいい」と答えた人はいなかったという結果です。

「人工美人」についても言及されています。人工美人……すなわち美容整形手術で人工的に美人になった人のことです。美の格差社会の中では、美人は持て囃されますが、人工美人には後ろ指をさされるのが現状です。「ブス論&美人論」の本を書いている作家の中に、美容整形手術を受けたことを公開した上で、他人の美醜について言及してる人もいますが、稀な例です。

ふしぎなことに、整形疑惑が絶えない芸能人たちは、整形についてカミングアウトしません。例外として、飯島愛さんが現役時代に整形を発表したくらいだと本書では指摘されていました。他に、プチ整形と言われる、ボトックスやシワやシミ取りを公表するくらいです。それくらいに、「美容整形」は広まっているといえど、未だに「公言しない」ことなのでしょう。

可愛い人が「外見オンチ」になった

美の各社社会では、「外見オンチ」から人工的に美人になることは想定されています。あるいは、「美人でない」ということに奮起して、外見を磨く人もいます。しかし、元々が可愛らしい人が、「外見オンチ」になったという例は想定されていません。まさに、かわいらしい容姿だった著者の山中さんが、病気によって顔が変わり、「外見オンチ」になったことは、想定外。

だから、病気のことを隠していると、男性からは恋愛対象外で、低ランクの女性として接せられ、アケスケに男性同士の下ネタにも参加できることもあるそうです。しかし、病気について明らかにすると、相手は困った様子を見せます。「外見オンチ」の理由が、病気によるものだと分かると、どう反応して良いのかわからないのです。

「外見オンチ」の恋愛、セックス、人生観

本書『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』では、人はどんな顔の人の発言かによって、発言内容の受け止め方が変わる、という話から始まります。巷にあふれる「美人論&ブス論」の本を手に取れば、著者の顔写真を検索し、「この人なら語る“資格”がある」と品定めしていると、著者は言います。

本書も、著者の山中登志子さんの病気については伏せ、著者が自らを「外見オンチ」だと自称していて、執拗に人の容姿についてこだわっているようにページは進んでゆきます。そして最終章にて、著者の「顔が変わった」理由についてネタばらしばなされ「ああ、この人ならこの本を書く“資格”がある」と納得させる構成なのでしょう。最後まで読むと、著者の立場が分かるので、本書に書かれている内容が、また違った意味で読めてしまうからオソロシイのです。

本書では病気で顔が変わってしまった著者による、恋愛やセックス、結婚や人生観も盛り込んで、話が展開してゆきます。バブル真っただ中に付き合っていた彼氏には「1千万円あげるから整形手術をしていいよ」と言われたと回想しています。「ヒューマニズムでセックスさせるな」と言われたこともあるそうです。インターネットが普及してからは、いわゆる「出会い系」で出会った人たちとのエピソードも盛り込まれています。

自分の「顔」が好きか、嫌いか

本書の最後で、山中登志子さんは

自分のからだも顔も、好きとはいえない。でも、嫌いでもない。微妙だ。でも、もっと好きなりたいと思っている。まだまだこの「変わった顔」から課題をもらっている。(p.245)

と結んでおられます。山中さんの場合、編集者という職業柄「人と違う」ことで、自分の存在を覚えてもらいやすいとも書いておられます。

この「自分のからだも顔も、好きとはいえない。でも、嫌いでもない。微妙だ。」というのは、多くの方が共感する言葉でもあるのではないかと思いました。「美の各社社会」とはよく言ったもので、誰もが自分の容姿について、なんらかを感じて生きているのではないでしょうか。

そういえば あさよるも昔、自分の容姿にコンプレックスがあって、他人と真正面から目を合わせられなかったことがありました。恥ずかしくて俯いてしまったり、顔を手で隠してしまったり、今もクセでやってしまいます。他人から容姿について特に指摘された記憶はありませんが、ちゃんと「美人じゃない」と空気を読んでいたのです……。コンプレックスについて、真っすぐ見つめてこなかったから、自分を振り返りつつ、コンプレックスから周りの人に勘違いをさせるような言動をしていたなあと思いました。

本書では、自分の容姿にコンプレックスがあっても、人間には「フェチ」があり、「どこかにあなたのマニアがいる」というのが印象的です。

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大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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『ユニクロ潜入一年』|ブラックバイトへカリスマ社長の招待状

こんにちは。突然春めいて着る服がない あさよるです。ブログではいつも着る服がないと書いている気がします。ないんです。みんな大好きユニクロですが、あさよるの行動範囲にユニクロ店舗がなくて、実はあまり利用する機会が少ないんです。アクセスしやすいのは超大型店で、あまりにも売り場面積が広すぎて、店の前でうんざりして帰ってきてしまうんですよね。「店員さんも大変だなあ」と思っていましたが「やっぱり店員は大変だった」と本書『ユニクロ潜入一年』を読んで知りました。

本書『ユニクロ潜入一年』は著者の横田増生さんが、実際にユニクロ店舗の面接を受け、アルバイトとして働いた1年間の記録です。ユニクロの過酷な業務内容と共に、著者が接客業に喜びを見い出している様子や、真面目に業務をこなす様子など記録されているルポルタージュです。

ユニクロ帝国の光と影・柳井正社長からの招待

本書は、2011年3月に著者の横田増生さんが出版した『ユニクロ帝国の光と影』が発端となって始まります。ユニクロの国内店舗と中国の委託工場での労働環境について言及したことが、同社の「名誉棄損」に当たると、ユニクロが出版元の文藝春秋宛に通告書が送られてきたのです。横田増生さんは何度もユニクロに取材を申し込み、柳井正社長との対談もやっと一度だけかないましたが、それ以外は広報への取材もかないませんでした。にもかかわらず、取材もせずに誤った記事を掲載しているというのが、ユニクロ側の言い分でした。

結果的に2014年、最高裁がユニクロ側の上告を却下し、文藝春秋側が裁判に勝ちました。「事実誤認はあったか」という著者の問いに、ユニクロの広報部長は「それはなかった」と答えました。事実誤認はなかったのに、訴えられた。結果、文春側が勝ったが、今後ユニクロについて言及する記事を書けば「面倒くさいことになる」と知らしめるには十分だったでしょう。

さらに著者は、ファーストリテイリング社の中間決算会見に締め出しを食らっっており、裁判に勝ったのにそれでも出席しないで欲しいと連絡がなされます。理由は、

「柳井から、横田さんの決算会見への参加をお断りするようにと伝言をあずかっています」p.6

というもの。

相手がその気ならばと、横田増生さんは、合法的に名前を変え、実際にユニクロ店舗でアルバイトとして1年間務めた記録と、そして中国やカンボジアでの委託業者への取材をまとめたものが、本書『ユニクロ潜入一年』です。

ユニクロで一年働いてみた

ユニクロ店舗でアルバイトを始めた経緯は、ほかにない柳井正社長直々に「招待」があったからです。2015年3月号の雑誌「プレジデント」にて、柳井正社長のインタビューを記事を読んだことから始まります。

 世間ではユニクロに対してブラック企業だとの批判があるという質問に対して、柳井社長は、「我々は『ブック企業』ではないと思っています(中略)」『限りなくホワイトに近いグレー企業』ではないでしょうか」と答えたのち、「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね」と語っているのを見つけた。
この箇所を読んだとき感じたのは、「この言葉は、私への招待状なのか」というものだった。つまり、私にユニクロに潜入取材してみろという、柳井社長からのお誘いなのだろうか、と思った。

p.46

横田増生さんは一旦、奥様と離婚し、奥様の姓で再婚し、合法的に姓を変え、ユニクロ店舗のアルバイトに応募します。日本ではこのような記者が企業内部に潜入取材すること珍しいですが、海外ではよくあるそうです。また、香港の人権NGO団体のSACOM(サコム)が、ユニクロ下請け工場の潜入レポートを行い、違法な長期労働を指摘しました。彼らの働きも、横田増生さんを刺激したと言います。

ということで、ユニクロのイオンモール幕張新都心店、ららぽーと豊洲店、ビックロ新宿東口店の3店舗で実際に足かけ1年強アルバイトが始まります。まず心配なのは年齢です。1965年生まれの横田さんはユニクロ潜入時の2015年には50歳です。この年齢でアパレルのアルバイトに採用されるのか?と気になりますが、3店舗とも即採用で即勤務が始まりました。ユニクロ店舗では深刻な人材不足に陥っているようです。

人材不足が顕著なのは、アルバイトの中にかなり多くの外国人が採用されていることからもわかります。当初は、外国人のお客様へ対応するためのスタッフかと思われましたが、実際にユニクロに訪れるお客様のうち、外国人は1割にも満たないそうで、外国人スタッフの数が多すぎます。ユニクロ店舗は常に人手不足でてんてこ舞いな上に、日本語が堪能ではないスタッフが多数いることで余計に業務が増えています。それでも、なんの改善もなされておらず、慢性的な人手不足であることがわかります。また、横田さんは英語が堪能で、外国人客の接客に当たることが多かったそうです。ユニクロではかつて、社内では英語が公用語だと発表されていましたが、いつの間にか雲散霧消してしまっており、正社員も英語を使えない人が多いそうです。外国人客が増えているのに英語を話せるスタッフが不足しており、かつ、社内では外国人を雇用しコミュニケーションが取れていないという、「やりにくい」感じがよく伝わってきます。

ユニクロ店内の労働環境は、その店舗と、店長の手腕によってかなり違っている雰囲気です。最初に働き始めたイオンモール幕張新都心店では、店長も人格者で、働きやすそうです。しかし、最後にバイトをしていたビックロ新宿東口店は、雇用状態も店内もむちゃくちゃで、ユニクロバイト経験アリの横田さんも疲弊しきっています。

また、ユニクロのカリスマ柳井正社長のワンマンぶりに、末端のアルバイトまでが振り回されている様子が伝わります。バックヤードには「部長会議ニュース」が貼り出され、従業員の全員が目を通します。そこでは柳井社長の言葉が掲載されており、コロコロと話が変わったり、一貫性のない指示が出されているのですが、「誰もツッコめない」、まさに「ユニクロ帝国」なのです。

中国・カンボジアからのレポート

本書は、ユニクロでのアルバイト勤務の間に、中国やカンボジアのユニクロ委託業者の労働環境の取材もなされています。先に紹介した香港の人権NGO団体SACOMは、工場の問題点を4つにまとめています。

一・違法な長期労働と安すぎる基本給
二・漏電による死亡などのリスクがある危険な労働環境
三・労働者に対する厳しい管理方法と違法な罰金システム
四・労働組合がなく、労働社の意見が反映されない職場
こうした労働環境の劣悪な工場を、欧米では“sweatshop(搾取工場)”と呼ぶ。

p.179

もし火災が起これば逃げられない環境にいることを自覚し、恐怖を感じながら働いている労働者や、ストライキに工場が応じず警察が強制的に労働者を排除した問題にも触れられています。ミスがあると罰が与えられたり、過労で倒れ病院へ担ぎ込まれた男性には1日だけ休暇が与えられ、それ以降はまったくの無給になった話や、シフト交代はなく、朝から夕方まで休憩なしで低賃金で働き続けるなど、労働環境が語られます。

体当たりの取材記

ユニクロに足かけ1年間実際にアルバイトとして勤務をし、その間に外国の委託工場の取材を試みた記録である本書。あさよるの感想としてはまず、「イオンモール幕張新都心店ならバイトしたいなあ」というものだった。ユニクロの劣悪な労働環境について暴く内容ではあるけれども、同時に柳井正社長がカリスマ経営者であることもよくわかる構成です。ただ、社長がカリスマであるがゆえに、巨大に成長した会社の末端が見えなくなっており、柳井社長自身が、ユニクロ店舗スタッフがどんな環境で働いているのか、本当に見えなくなっているのではないでしょうか。

そこで本書の結びでも、著者・横田増生さんは柳井社長に対し「素性を隠し、ユニクロ店舗でバイトをしてみる」経験を勧めておられます。

あんなに大きな会社なのに、新人バイトまで社長の会議での発言を知っているというのは「すげーな」というのが本音でした。あさよるもこれまでアルバイト経験をいくつかしましたが、正直社長の名前も知らなかったり、役員の会議の内容も、これからの展望も、バイト風情が知ることはありませんでした。感覚的には、地方の中小企業の社長のまま、日本を代表するようなアパレル企業に成長したのかなぁと感じる。

あと、ユニクロの製品を買わない「不買運動」をしている人が あさよるの周囲にもいます。彼らが言う「外国での劣悪な工場労働」の実態の一部に触れると、確かに「ユニクロの服あんまり欲しくなくなったなあ」と思います。幸か不幸か、あさよるの行動圏内に手ごろなユニクロ店舗がないので(巨大店しかなく商品を探すのが大変)、あまりユニクロで買い物しないのですが、これから志向が変わるかも。

働き方の本

横田増生さんの本

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『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』|母と娘の切れない「おまじない」

『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるの中の人は女性でして、女性として「母と娘」の話はピリッとしてしまいます。一体何なんでしょうか。「父と息子」にも、なんらかの関係性があるのでしょうか。今日手にしたのは『女の子が生きていくときに、覚えてほしいこと』。母として、反抗期を迎えもうすぐ巣立ってゆくであろう娘への西原理恵子さん流のメッセージです。

巣立つ娘へ

本書『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』は、一丁前に反抗期を迎え、そろそろ巣立ちのときを迎えた娘を前に、著者の西原理恵子さんが自身の半生と重ねながら、巣立つ娘へ送るメッセージ。また「毎日かあさん」として、不特定の「娘たち」へ向けた言葉でもあります。

長男は16歳でアメリカへ留学し立派に巣立ってゆきました。二子の長女は高校生になって自分の意志で劇団に入り、家ではお母さんと会話もしない反抗期真っ最中。母として、順調に育つ娘が微笑ましくあるものの、まあ同じ空間にイライラしている人がいると、誰でもイラつきます。

また、サイバラさんはご存知のように現在、高須クリニックの高須先生と交際中ですから、娘が朝帰りなら母も朝帰りw のみならず、なんといっても母が西原理恵子さんですからね~。子どもたちも大変です。親が作家なんて羨ましく思えますが、子どもたちにとってはネタにされ、たまったもんじゃないのかもしれませんw

サイバラさんの二人の子どもたちは、亡くなった前夫の子どもたち。前の夫は出産後、子育てが始まってから家庭内のDVが始まり、サイバラさんも苦労なさったそうです。なんとか離婚し、前夫もアルコール中毒とDVから立ち直り、サイバラさんや子たちと真っすぐ向かい合えるようになった半年後、この世を去りました。娘さんはお父様の記憶がなく、サイバラさんや祖母(サイバラさんの姑)から〈お父さん〉の姿を伝え聞いています。

ちょっと特殊な家庭環境ですが、「母と娘」という不変のテーマは、女性なら多少なりとも身につまされるでしょう。

母と娘と言えば

ちょっと話がそれますが、ちょっと前に「あたしおかあさんだから」という曲の歌詞が話題になりました。その話題を読んで椎名林檎さんの『ありきたりな女』を思い出しました。この曲は、まさに「母と娘」の「呪い」がテーマとして扱われています。かつて娘として、母から「お呪(まじな)い」をかけられた娘はやがて母となり、また娘に「お呪い」をかけるのです。『ありきたりな女』では女性の業や醜さが生々しく切り取られていて、ゾッとするというか、あるいはそれが美しく、愛おしくもある。

女性は、母や娘に「私」と「母」と「娘」を見るそうです。十代向けの『オンナらしさ入門(笑)』というジェンダーを扱った本の中で、女性は自分の娘に母親の姿を見て、娘を育てることは母への復讐であり、「母にされたこと」や「母がしてくれなかったこと」をするという話に、なんかものすごく納得してしまいました。

「母と娘」というのは、実は「嫁と姑」以上に複雑で切っても切れない「お呪い」がかかった関係のようです。

「カネ」の話と「プライド」の話

サイバラさんが「娘たち」へ送るメッセージは、お金を稼ぐ力と、そしてプライドあるいは尊厳について。

お金の話は以前ブログでも紹介した『この世でいちばん大事な「カネ」の話』でより詳しく触れられています。お金を稼ぐこは生きることに直結しているのに、社会の中ではタブー視される話題です。しかし、働いて、稼いで、食うというのは、悪いことではありません。そのために、生きる力として稼ぐ力を、女性も身につけるべきです。サイバラさんご自身の体験がつづられています。

プライドや尊厳の話は、もし彼氏や夫が暴力をふるうなら「逃げなさい」ということ。暴力というは、実際に身体を痛めつけることだけでなく、あなたの人格否定をしたり、逃げられない相手を脅したり、恐怖で支配しようとするなら「逃げなさい」。それは、子どもがいても、絶対に逃げなさい。

そして、男性の社会的地位に乗っからないこと。「夫の年収が○千万」とか「旦那に宝石を買ってもらった」ことを自慢せずに、「自分の年収」を増やし、「自分で宝石を買う」。自分で働いて、自分で稼いで、自分で生きる自立した女性であるプライドを持つ。

生きる戦略を持て!

どちらの話も、多かれ少なかれ、多くの女性は当てはまる節があるんじゃないでしょうか。実際に殴られる等の被害はなくても、男女間でパワハラっぽい関係性になってしまったり、あるいは男性の社会的地位が自分のそれだと思ってしまったり。

かつて、女性は受け身のままでも生きてゆける時代があったのかもしれませんが、その生き方はもうありません。女性も戦略を立て、賢く、強く、ときにズルく生き抜かないといけない。とくに子どもを持てば、自分以外の人生が乗っかってきます。「逃げる」は悪手ではありません。「年収」「肩書き」「社会的地位」ではなく、自分の「良い状態」は自分で設定して、それを目指すべきだ。そのための戦略を。

貧乏も暴力も連鎖する

本書『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』で繰り返し語られるのは、貧困と暴力は連鎖するということ。だから、自分が貧しさや暴力の中にいる人は、まずはそこを抜け出し、さらに連鎖を断ち切らなきゃいけない。

十代の人にとって、学校の勉強に打ち込むことは、そこから抜け出すための有効な一手です。しかし、置かれた環境によっては、子どもに勉強をさせない親や、進学を阻む親もいます。運の要素も働きます。すべての人が望んだ未来を手にはできないでしょう。サイバラさんも上京資金を父に取られそうになり、ひどい暴力を受けてまで母親が守ったものの、サイバラさんが上京するその日、父は自殺しました。そこまでやるのかと、読んでいても気が重くなる話でした。

サイバラさんのお母様もダメな男をつかまえてしまった女性で、サイバラさんご自身も「母のようになるまい」と思っていても、やっぱりダメな男と付き合ってしまうという……。

この「連鎖」は、一体どうやれば切れるのでしょうか。サイバラさんの場合は、ご自身が成功なさったことと、娘には亡くなった父親(西原さんの元夫)の悪口を言わずいい話ばかり聞かせたそう。そして、サイバラさんは今高須先生という「ええ男」交際していること。これは、鎖が切れたって考えていいのかな?

サイバラ泣かせるなあ!

『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』挿絵イラスト

この本、泣けるんですよね。途中何度も胸がいっぱいになって、目頭が熱くなったか。女性だったら「母と娘」の関係に心当たりがあるだろうし、自分を重ねて読んでしまう。それは、サイバラさんだったり、サイバラさんの母親だったり姑だったり、あるいは娘さんに、自分を見てしまうのです。

娘さんの反抗期、文面で読んでいる分には「全然反抗してないやん」と思ってしまう あさよるは、もっとめちゃくちゃな反抗期だった気がしますw その一方で、あさよるはちょうど〈日本経済の失われた20年間〉に子ども時代、青春時代を過ごしたので、ただひたすら経済的にツラかった。お金がないと人はギスギスするもので、家族間の関係も破綻していました。だから、サイバラさんの娘さんがものすごく「妬ましい」とも思います。

次世代への思いと、自らのやるせなさと、親世代への憐れみと……何重にも泣ける。やっぱサイバラ上手いなあ。

ただこうやって「されたこと」「しれくれなかったこと」にこだわっている限り、やっぱり連鎖は切れないのかも。なーんにも忘れて、次のステージへ進みたいものです。

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『未来のだるまちゃんへ』|目を見開いて、理解して、面白がって

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

こんにちは。かこさとしさんブームな あさよる です。きっかけは、「あさよる」の本を見つけたからでした。豆の家族の一日を追っかけるドキュメンタリー絵本です。

さらに『あさよる、なつふゆ、ちきゅううはまわる』という本も見つけて、図書館で資料請求してみました。こちらももちろん かこさとしさんの本です。

で、この本、読んだことあるかもしれない……!というか、図書館に寄贈したの、自分じゃね?というw 「あさよる」って自分で考えた名前だと思ってたんですが、まさか元ネタがあった疑惑……。

かこさとしさんと福岡伸一さんの『ちっちゃな科学』もおもしろかったのです。子どもの好奇心や興味を、大人になってもずっと絶やさないかこさんも素敵です。

だるまちゃんだった

本書『未来のだるまちゃんへ』では、絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』の作者、かこさとしさんの半生と、そして子どもたちへの眼差しが記されています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』とは、1967年に出版された名作絵本です。〈だるまちゃん〉と〈てんぐちゃん〉は仲良しで二人で遊んでいますが〈だるまちゃん〉は〈てんぐちゃん〉のステキな出で立ちが羨ましくなり、お父さんの〈だるまどん〉に帽子や扇子や履物を強請ります。〈だるまどん〉は〈だるまちゃん〉のために道具を用意してくれるのですが、なんだか違う……という、すれ違いがおかしい絵本です。

大人が読んでも面白く、まただるまちゃんが愛おしくてたまらないのですが、どうやら〈だるまちゃん〉のモデルはかこさとしさんご自身の体験にあるそうです。かこさんのお父様は、欲しがってもないのにアレコレと子どもに与えたがる方だったそうで、欲しくもないものを「欲しい」と言い、買い与えられる自分に歯がゆさを感じていらしたそうです。それが〈だるまどん〉の姿であり、欲しくないものを用意されて困っている〈だるまちゃん〉なんですね。もちろん、お父様にも十分に目をかけられない息子への気持ちからなのですが、すれ違いなんですね。

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

みんな、だるまちゃん?

〈だるまちゃん〉のもう一つの特徴は、なんでもよく「観察する目」と「好奇心」です。〈てんぐちゃん〉の衣装をよく観察していて、同じものが欲しいと思います。羨ましがっているというよりは「ステキ!」「いいな!」「ほしい!」って素直に自分の興味に従っています。

で、誰もが子ども時代、だるまちゃんだったんじゃない?ってことですね。

『未来のだるまちゃんへ』の中では、かこさんの子ども時代の思い出が語られています。かこさんは福井県で生まれ子ども時代を過ごしました。満州事変のあと、鯖江から兵隊さんたちが大陸へ出兵するのを、学校をあげて見送りへ行きました。そのとき、子ども心に「出征というのは、こんなに寂しいものなのか」と感じたそうです。周りは大人も子どもも「万歳」と声を上げ、旗を振っているのに、兵隊たちは誰も笑っていない。

当時小学一年生だったかこさんだけでなく、多くの子どもたちはその雰囲気を感じ取ったようで、いつも戦争ごっこして遊んでいる子らも、帰り道も黙ったまま。何も知らない子どもだからこそ、その場の「空気」を誰よりも率直に感じたのかもしれません。

「子どもだから何もわからない」のではなく、「こどもだからこそ、理屈じゃなく感覚でわかる」ってこともあるのかも。子どもを侮ってはいけないし、馬鹿にしてはいけない。彼らは「わかっている」んだと思いました。

次のだるまちゃんへ

かこさんはセツルメント活動を通じて、子どもたちを大人の目線で観察し、また絵本作家として活動を開始します。当初は会社員との二足の草わらじで、作家であることも隠していたそうです。家庭では父となりましたが、実の子との一緒に過ごす時間は少なかったと告白されています。家庭よりも、自分の運動や活動に没頭していたというのは、ちょっと意外な横顔でした。かこさんご自身が、夢中にのめりこむ〈だるまちゃん〉だったのです。

子どもたちの関わりの中で、大人の〈だるまちゃん〉の、未来の〈だるまちゃん〉へのメッセージです。

 生きるというのは、本当は、喜びです。
生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

(中略)

僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい。
そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけてそれをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。

p.251-252

「目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい」というのが、かこさんらしいと思います。世界には悪いことも嫌なことも考えたくないこともいっぱいあるけど、目を見開いて、理解して、そのうえで面白がってほしい。「面白がる」ってのがレベル高いし、ポイントですね。

だるまちゃんだったあさよるは

あさよるも、かつては〈だるまちゃん〉でした。いいや、ホントは今も〈だるまちゃん〉でありたい。けれども、どうだろう、興味や好奇心は尽きていないだろうか。

あさよるも、子どもの頃は何もわかっていなかったけども、なんとなく社会の雰囲気は感じていました。90年代に子ども時代を過ごしたので、将来貧しい社会がやってくることは悟っていたし、9.11テロに大人たちが落ち込んでいる理由がわからなかった。「起こるべくして起こった」としか思わなかった。原子力発電にムリがあるのは理科の本に書いてある。

なのに今なにが起こっているのか、自分の知識が邪魔してまっすぐ目に入りません。子どもの話はバカバカしく聞くに耐えないと感じてしまう。ほんとは、新しい人が古い人に教えてくれているのに。

『未来のだるまちゃんへ』を読んで、結構ヘコみました。〈だるまちゃん〉の話に耳を傾ける〈だるまどん〉はえらい大人だなあ。

関連本

『花森安治の青春』/馬場マコト

『ミライの授業』/瀧本哲史

『本を読む人だけが手にするもの』/藤原和博

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『笑われる勇気』|オレの心はお金で買えます!

こんにちは。蛭子能収さんの本をはじめて読んだ あさよるです。蛭子能収さんの人生論、処世術を知れる本です。蛭子さんの本を初めて読んだのですが、どうやら同様の人生訓のような本がたくさん出ているようですね。知らんかった。蛭子さんってそういう感じで受け入れられているんだ……。

本書での蛭子能収さんの考えや振る舞いを読んでいますと、一貫して「自分はなにをするのか」を判断し続け、そのせいで冷たく見られたり、空気が読めない認定されているようですね。でも、冷たく見られても、空気読めなくても仕方ない。「だって自分はこうだから」と自分は自分と割り切っています。

あと、笑っちゃいけないときに笑ってしまうという話は、むしろ周りの人が笑わしにかかっていて、蛭子さんのせいじゃなんでは……と思ったり。あさよるも「笑ってはいけない」と思えば思うほど笑ってしまうので、冠婚葬祭にはできれば出席したくないのですw そう、結婚式や披露宴でも、笑っちゃいけないところでツボに入ってしまってツライツライ。蛭子能収さんは、もはや葬式に呼ばれなくなったそうで、お互いにそれが良い結論じゃないでしょうか。

蛭子さんに人生相談してはいけないw

本書の読みどころは、蛭子能収さんの人生相談でしょう。全くQ&Aになっていないというスバラシイ仕上がり。蛭子さん勝手に競艇の話してるだけやんwwと草生えるんだけども、ふと「人生の本質」を語っているようような気がしてサブイボが立つ。たぶん気のせいだけど。

Q 夫の転勤で東京暮らし2年。幼稚園の息子のママ友といい関係が築けません。

(中略)コミュニケーション能力を高めたいのなら、フリー麻雀はいいです。見ず知らずの麻雀卓を囲んでいると、すごく緊張しますが、麻雀というゲームは、駆け引きがあったり、感情を押し殺したりと、人と人とのつながりの醍醐味を教えてくれます。
あっ、でも、この人、長崎の人ですよね。長崎県民は、開放的な人が多いんです。江戸時代に鎖国していたときもオランダと貿易していたから、外国人だけではなく誰に対してもオープンなんです。それに、当時は貴重だった砂糖も、長崎だけはふんだんに使えたから、カステラが生まれたんです。オレも夏になると、水に砂糖を入れただけのものをよく飲んでいました。そんな砂糖文化があるから、長崎の人は穏やかで柔らかい気質なんです。だから性格を抑えてまで都会のママ友に合わせる必要はありません。自分らしくがいちばんだと思いますよ。

p.84

結論は「長崎の人は砂糖文化で育つ」ww

蛭子さんの人生相談で面白いところは、間に蛭子さんの世間話が入るところ。しかも麻雀の話からの、長崎県民の気質に世間話からの世間話に発展しているのがおかしいw

しかしたまに、ええことも言うからみのがせない。「元カレが忘れられない」という相談者には、蛭子さんが亡くなった先妻さんのことを話して「“忘れられない恋がある”というのは幸せなこと」と結論しててグッとくる。

フリーランスが「若い人に仕事を取られて失業してしまうかも」って相談には、「稼げないのは修行の身。がむしゃらに働くべし」と身につまされる回答も。いくつになっても、稼げないのは修業中ってこと。んで、今の職種にこだわらず他の仕事もすればいい。

好きな回答を選んでみたw

あさよるが勝手に、蛭子さんのいい回答を選んでみたw 全体的に、ゆとり世代あさよるには沁みるぜw

「人生はうまくいく」と思ってることが間違い

自信を持たなければ自信を失うこともない

どうせ死んだらすべて終わり。死に方なんてどうでもいい

時間管理能力より手を抜くテクニックを磨け

つらいときこそ日常を大切に生きる

オレにとって尊敬できる人は競艇で勝たせてくれる選手だけ

最後に勝つのは高学歴より高収入

大事なのは、プライドよりお金をくれる人の顔色

仕事において大事なのは給料の出どころだけ

貧乏は恥ずかしいことじゃない。卑屈になるのがよくなだけ

人のお金で遊んで何が楽しいの?

「宇宙人はいる?」の答えは、ギャラが発生するなら「いる」

人の心はお金じゃ買えないが、オレの心はお金で買えます!

気をつけよう、自慢話は見透かされる

自分の評価は自分でするもの

自分以外の生物にはあまり興味が湧かない

フツーにスゴイ人なだけかもしれない

蛭子能収さんのエピソードって、テレビに出ている芸能人の中で異質に見えていたけれども、一般人にはこういう人いるよね?って感じですね。蛭子さんが特殊なのって、普通の人の感覚を持ったまま、芸能界でもそれなりのポジションにあるところなんだろね。

ちなみに、リリーフランキーとはキャラがかぶってるのに(イラストレーターとマンガ家)、彼の方がCMにたくさん出演していて心中穏やかではない様子。そしてここへきて「ひふみん」こと加藤一二三さんの台頭に戦慄し、おもわず蛭子さんも将棋を始めようとしてしまったらしい。たしかに「ふしぎな」「おじさん」「勝負師」であるw

蛭子さん語録が沁みるのは、単に蛭子さんが「有能なおじさん」で、意識高い系を刺激するのかもしれない。奥様とデキ婚してから、家族を養うために働いたエピソードなんて、誰でもできそうでできないのかもしれない。ちゃんとマンガ家としても成功してるしね。

関連本

『スティーブ・ジョブズ 1』/ウォルター・アイザックソン

『嫌われる勇気』/岸見一郎,古賀史健

『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

『幸せになる勇気』/岸見一郎,古賀史健

『幸せになる勇気』|平凡で「その他大勢」である自分の価値

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