生き方を考える本

『やめてみた。』|非常識に習慣を変えてみる

わたなべぽんさんのダイエット本が面白かったので、他の本も読んでみたかった。『やめてみた』はある種の断捨離本。ただ、やめてみるのは生活習慣だったりする。ダイエットも、考え方や習慣を変えることで数十kg痩せた記録だったから、切り口が違う同じテーマなのでしょう。

ダイエット本もおすすめ↓

もっと!スリム美人の生活習慣を真似したら リバウンドしないでさらに5キロ痩せました (コミックエッセイ)

ダイエットは「憧れ」が大きな原動力となっていました。スリムでカッコよくて素敵な女性に憧れて、「自分もそうなりたい」を叶えてゆくのです。一方で本書『やめてみた。』の、きっかけは日常の中の「上手くいかないこと」。上手くいかないことに対処するさい、「こうしなければならない」という思い込みを、一時的にやめてみることで、新しい生活が見えてくる。

やめてみたこと

たとえば、炊飯器が壊れてしまったから、取り急ぎ土鍋でご飯を炊いてみると、これがとても美味しい。しかも、炊き立てご飯だけじゃなく、冷めても美味しい。しかもしかも、土鍋でご飯を炊くのも、想像より大変じゃなかった。そこで、炊飯器をやめてみて、土鍋ご飯の生活が始まる。

あるいは、スマホでネットのうわさ話や生活板なんかを見ていたら、気づかないうちに自分自身の性格もキツくなっていることを、夫に指摘された。そこで、思い切ってスマホの使用を制限してみることにする。知らず知らずダラダラと時間を浪費しているだけじゃなく、言葉づかいや性格まで攻撃的になったり、疑い深くなってるなら、サクッとスマホの使用を「やめてみる」のも有効なんだろう。

てな具合。実践する前は「やめちゃって大丈夫?」「やめられるわけない」と思っていることでも、いざやってみると、意外と大丈夫っぽい。

わたしのやめたいこと

みなさんも、実はやめたい生活習慣ってあるんじゃないだろうか。わたしは週末ごとに、ポテトチップスとチョコレート菓子、清涼飲料水を毎日食べるのをやめたい。自分には「たまにハメ外しても大丈夫」と言い訳をしている(週末以外はお菓子食べない)。

今年の上半期は、ちまちまと中学英語の復習をやってまして、英語アレルギーはだいぶ緩和されたと思う。子ども向けの英語の小説を読んだりできるようになった。で、それに満足して、勉強を終わらせようとしている自分がいる。英語嫌いを早くやめたいです(;’∀’)

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『ずるい考え方』|思考をジャンプ。自由に

本書『ずるい考え方』は「ラテラルシンキング」っちゅうのをを紹介する本だ。「ラテラルシンキング」について本書の冒頭ではこんな風に紹介されている。

・常識にとらわれず、自由な発想を可能にする考え方
・最短ルートで問題を解決する考え方
・お金や時間をかけずに目的を達成してしまう考え方

p.5

具体的な例が本書ではたくさん紹介されているのだ。ラテラルシンキングはロジカルシンキングとはまた違った考え方。ロジカルシンキングは順番に物事を積み重ねながら考えてゆくけど、ラテラルシンキングは思考をジャンプさせて全く新しい考えに飛び出してゆく。前提に捕らわれないともいう。

例。13個のオレンジを3人で分けるにはどうすればいか。ここに唯一の答えはなくって、型にはまらない答えを考える。単純に、4つと1/3のオレンジを分けてもいいし、オレンジジュースにして3等分してもいい。それに、オレンジの種を植えて、オレンジの実を3人で分けてもいいのだ。自由な発想で答えを考えよう。

いま、わたしはお小遣い稼ぎに、アパレル商品の検品と袋詰めを倉庫で行う派遣のバイトをやっていて、作業が楽しい&職場の環境がすごくよくってお気に入りなんだけども、それ以外にもすごく勉強になる。まず、なんといっても、わたしはAmazonや楽天をはじめ、通販はよく使うけれども、実際にどのように物が流通しているのか一部だけどリアルに知れて良かった。そして二つ目。たぶん、わたしがやっている仕事は、人間の手じゃないとできない仕事で、AIが苦手な仕事だろうと思う。じゃあ、この仕事は将来なくならないかと言えば、それは違う。きっと流通の仕組みにイノベーションが起こって、「商品の検品」や「袋詰め」「値札の張替え」という仕事がなくなるんだろう。商品の検品をする必要がなくなる未来って、どんな世界なんだろうかと考えながら仕事をしている。

こういうことを考えるのも、ラテラルシンキングなんだろう。なんかいい発想にまだ行きつかないんだけど。うーん、オーダーメイドの時代が来るのかなぁとか考えてみたけど、それは既にある仕事の話だもんな。

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『月3万円ビジネス』|小さくたくさん儲けたら…幸せ・安心

『月3万円ビジネス』は以前からおすすめされていた。大きく儲かるビジネスに挑戦するとなると成功するような気がしないが、小さく月3万円くらいだったら自分もできそうな気がする。そして、月3万円儲かるような仕事を複数できるようになれば、それだけで食べていける日が来る。

大きなことにチャレンジするのは怖いけど、小さなことならできそうな気がする。すごく励まされる本だった。

大きく儲からないところにチャンスがある

『月3万円ビジネス』はタイトルの通り、毎月3万円儲かるような小さなビジネスを推奨するものだ。「小さく儲かる」ことがコンセプトなので、例えば毎月6万円儲かるならば、他の人と一緒に稼いで二人で折半しようと書かれている。

この「小さく稼ぐ」というのが大切なところ。なぜならば、大きく儲かる商売はすでにあるから。小さく稼ぐ……言い方を変えれば月3万円しか儲からないようなことは空白になっていて、伸びしろがたくさんあるということ。

それは例えば、既存の仕事がなかなかないような田舎でも、3万円のビジネスならば転がっているのかもしれない。その実例も本書では多数紹介されている。

小さな収入が複数集まれば

で、月3万円って、それで食べてけないじゃんとつっこみたいところだけど、それは大丈夫。例えば月3万円のビジネスを10個やれば、月30万円になる。一つだけのビジネスに集中するんじゃなくて、小さなビジネスを複数回してゆくのだ。

これはリスク回避にもなるのかななんて思ったり。だって、一つしか仕事がなかったら、そのたった一つの仕事が行き詰まったら、生活まで行き詰まってしまう。だけど、10のビジネスをやっているのならば、その内の一つが上手くいかなくなってもあと九つのビジネスがある。収集も3万円減るだけだから、苦しくてもなんとかなるような気がする。かなり精神的に楽……な気がする。

借金せずにビジネスを始める

サイドビジネスやWワークとしても、 月3万円ビジネスは魅力的だ。小さなビジネスだから、元手も不要or小さく始める。だから誰でも着手できるし、もし上手くいかなくても痛手も少ない。どんどん新しいことを始めるには、これくらいの気楽さがある方がいい。

なんだか、自分も始めてみたいのだ。

小さく愉しく稼ぐ

月3万円ビジネスはなにせ小さくしか儲からない。嫌な仕事、苦しい仕事で、しかも大して儲からないのは辛い。だから自ずと、楽しくて好きで、その上で3万円儲かるようなビジネスになる。

もし、楽しい仕事を10個やって、それで毎月30万円儲かるなら、それは幸福度にも繋がると思うのだ。

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『マーケット感覚を身につけよう』|売れるところで売ろう

ちきりんさんはTwitterでもちょこちょこチェックしていて、新刊が出る度気になっている(今回読んだ『マーケット感覚を身につけよう』は2015年の本だけど)。とっつきやすくて誰にでもわかるように話が展開されていく、読みやすい本だ。だけど、書いてある内容は毎度「なるほど」と納得。

市場を間違えば価値がなくなっちゃう

本書でなるほどと思ったのは、若くてイケメンで性格も良い男性が、結婚相談所に登録したところ、年収が低いためお見合いをしてもマッチングしないというお話。女性は年収でしか男性を見ていないというよりは、彼は市場を間違えている。どうしてもマッチングサイトやお見合いサイトなんかだと、年収や年齢というわかりやすい基準で篩い分けることになる。普通に出会えば、性格がよくていい人ならば、彼を選ぶ人もいるだろう。

市場を間違えてると、価値があるはずのものだって、価値がつかなくなってしまうのだ。

インターネットが市場を変えた

インターネットの登場で、市場が大きく変わっていることも忘れてはいけない。婚活の場合だと、昔ならお見合いで「嫌な人でないなら」良かったものが、婚活サイトで何百何千もの人の中から一人の人を選ぶとなるとどうしても「一番いい人」を選ぼうとしてしまう。もちろん、それが悪いことというわけはないし、社会は変わっているのだ。

就活だって、ネットでエントリーできるから、100社応募したなんていう猛者が現れる。ネット前の就活はそういうわけにはいかなかったらしい。だから、いわゆる「コネ」も大切だった。今は、ツテがなくても情報を集められるから、より多くの企業にエントリーできる。

わたしたちはもうすでにそれが当たり前になっていて、以前がどんなだったかも忘れちゃってるんじゃないだろうか。

どこで売るか

クオリティを上げたら売れるとか、安売りすれば売れるわけではない、というのが、本書を読んでよくわかった。良い物でも売れないものもあるし、高価でも売れているものもある。つまり、どんなものを売るかより、「どこで誰に売るか」がとっても大事なのだ。

マーケット感覚を身につけるとは、「安売りすれば売れる」「良いものなら売れる」という考えからまずは脱却して、「どこでなにが売れるか」「これから何が売れるか」考えることなのかも。

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『極上の孤独』|「幸せ」も多様化している

ベストセラーになっている『極上の孤独』を読んでみた。本書は著者の下重暁子さんによる「孤独」をテーマにしたエッセイ。元アナウンサーで現作家。華やかな経歴をされている方だけれども、独身。現在、孤独=悪のような風潮が当たり前になりつつある世間に対して、真反対の世界観を提示してる。

わたしも一人でいるのが好きだし、孤独でいたいと思っている。だから本書のタイトルからして気に入った。

ポイントは、孤独を愛しているからと言って、孤立しているわけじゃない。下重さんだって、未練が残った恋をしたり、人恋しさや、LINEの既読/未読スルーに苛立ったりしておられる。孤独を好んでいても、人と人の関わりの中生きていて、その中でいろんな感情が沸き上がるのは当然だ。冷淡な心で生きているわけじゃない。

だけど、誰もかれも人と常に繋がれる時代になったからこそ、一人で気楽に、孤高に生きる生き方を選んだっていいじゃないか。それは、一般に言われるような淋しさに満ちた人生なわけじゃない。

多様な生き方をする人の中には、孤独に最期を迎える人もいるだろうし、一般で言われるような「幸せ」を持たずに生きる人もいるだろう。だけど、それが不幸せだとは限らない。自分の居心地の良いように生きればいいんだなぁと思う。

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『心配学』|正しく心配するために

「〈安全〉よりも〈安心〉が欲しい」みたいな言い回しがあるように、不安な気持ちが続くのはつらい。大丈夫と安心していたいものだ。本書『心配学』は、災害やテロ、事件、事故など心配事を、正しく心配するためのガイドラインになる良書だ。

〈適切に心配する〉ために、本書をおすすめします(^^♪

本書『心配学』では、本当に心配すべきことと、そこまで心配しなくてもいい事柄が紹介される。例えば、航空機事故やテロに巻き込まれて命を落とす確率よりも、交通事故に遭う確率のほうが高い。BSE騒動や、原発事故、喫煙のリスク、ギャンブルなど、心配なことが幅広く扱われている。

さらに、単に著者の考えを読むだけではなく、本書『心配学』では、リスクを自分で計算する方法も紹介されている。そのために必要なデータも、今では手軽にネットで集めることができう。わたしたちは既に、必要な情報へのアクセスが可能な環境にあるのだ。だから、自分で情報を集めてサクッとリスクを計算してしまって、〈適切に心配する〉ことが大事だ。

テレビでは、視聴者の気を引いて飽きさせない話題として、ショックな話題が扱われがちだし、過激な意見も大きく紹介されがちだ。もちろん、マイノリティな意見も大切なもの。自分はどう考え、どう判断するのかを、なんとなくテレビの論調やその場の雰囲気で決めるのではなく、きちんと自分の頭で考えるための準備として本書『心配学』は役立つと思う。

新書で軽く読めるし、読みやすいよう親しみやすい文体で書かれているのも良い。おすすめ(`・ω・´)b

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『交雑する人類』|ルーツは「混ざり合い」

2018年、遺伝学者のデイヴィッド・ライクさんが、地球上の人類の交雑の歴史を太古の昔から紐解いてゆく。現在、グローバリゼーションの時代が到来し、人々はワールドワイドに行き交うようになったけれども、人々の大移動はなにも最近始まったものじゃないらしい。人は文明が興るはるか昔から、二本の脚で移動し、ときに舟を操り、大規模に移動しまくっていたのだ。人はどうやら、移動したがる生き物みたい。

これまでの人類の文化的な視点だけではなく、「遺伝学」という科学の側面から人類の歴史を見てゆくことで、これまでの通説を裏付けたり、あるいはまったく違った歴史が見えてくる。

「交雑する」というのはとても重要で、人は、移動し、拡散し、そして先々の土地に対応し、そしてそれらの人々が交雑し続け、文明をつくり、今日に至っている。面白いのは、ネアンデルタール人やデニソワ人と呼ばれる、ホモサピエンスとは違う仲間たちの痕跡だ。かつて、他の仲間たちとも交雑しながら、寒さ耐性を手に入れたり、わたしたちは環境に適応する力を手に入れてきた。

「交雑する」という科学的事実の前では、人種や民族といったカテゴリーも、生物学的なものではなさそうだ。例えばインドの例では、「インド人」という民族があるというよりは、小さな集団が集まった一つの国という方が、実態に近いらしい。遺伝学的な視点は、人種や民族への差別をなくし、また病気の対策にもなると著者は考えている。しかし、西洋科学への不信感から研究に協力的ではない人々や、差別を助長すると判断され、研究が進まない例も紹介される。アメリカでは、ネイティブアメリカンの遺伝学的な研究は一筋縄ではいかないようだ。

わたしはアジア人だから、アジアでの研究が気になるところ。だけれども、アジアでは人が爆発的に増え、交雑がたくさん起こったところでもあるから、今後の研究の結果に期待! ということらしい。つまり、まだ研究は始まったばかりなのだ。遺伝学的な研究が進んでいるのはヨーロッパらしい。アフリカ大陸からユーラシア大陸へ移動してきた人類が、ヨーロッパ組とアジア組の二手に別れた。ヨーロッパ組はすぐに行き止まりに突き当たり、そこで交雑が起こったから、研究も進んでいる。まだまだあたらしい分野であろうことがわかる。

分厚い本だけれども、好奇心掻き立てられる本だ。10代の人にも、ちょっと背伸びして読んでもらいたいと思う。

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『「嫉妬する女はブスになる」問題』|NG!嫉妬する/される

こんにちは。あさよるです。インターネットは人の嫉妬心を拡大する装置じゃないかという話を耳にして、ちょっとモヤモヤしていた。ネットの到来によって、これまでなら触れることのなかった人の幸せな話や成功譚により、嫉妬が作られているというのだ。

だけどわたしは、嫉妬はネット以前からもちろんあるし、世間が狭かったからこそ、嫉妬もより複雑だったんじゃなだろうかなんて思うと、今と昔で人の嫉妬心は違っているのだろうか……なんて考えていた。

だけど、嫉妬が自分にとって良からぬものであり、人間関係においても面倒なものであることは同じだろう。もちろん、嫉妬をモチベーションとする有効活用法もあるんだろうけど、上手にコントロールできている人は希だろう。

『「嫉妬する女はブスになる」問題』は、嫉妬が生まれる仕掛けや、そのいなし方、そして、人に嫉妬されない方法が紹介される。軽く読める内容だけど、気づきも多く読んでよかった。

嫉妬は自分への苛立ち

「嫉妬」は誰にでもある感情だけれど、自分の嫉妬心に振り回される人を「嫉妬ブス」と本書では名付けられている。嫉妬は上手に使えば、モチベーションにもなる。だけど、嫉妬の炎にやかれ、人の幸福を見て落ち込み、人の足を引っ張ることに時間を費やすようになると、自分の幸福からどんどん離れていってしまう。そんな生活を「嫉妬ブス」としている。

友人や恋人へLINEの返信や電話の催促で睡眠時間を削って……となると本当に美容にもよくはない。「嫉妬」してしまうこと自体は誰でもすることだだけど、自分で「嫉妬している」と自覚しないと、自分で自分の足を引っ張ってしまうのだ。

本書でハッとしたのは、嫉妬している人は、本当は「変化することのできない自分」に対して苛立っているというものだった。似たような境遇にいたのに、自分より先に良い思いをする人や、幸福を手に入れた人は、環境にうまく適応した人だ。自分が気にいらないのは、「環境に適応できない自分」なのだ。変わらなければならないのは自分なのに、他人の言動や考えを変えようと攻撃や依存をしかけるから、嫉妬は厄介だ。

嫉妬ブスから抜け出すには、嫉妬心を抱いたら、まずは「今自分は嫉妬している」と自覚する、そして「自分が変化しよう」と、この二つの思考へと自分を導くといいみたい。

嫉妬されない方法

「嫉妬の対象にならない」ことも、人間関係では大事だ。負の感情に晒されるだけでエネルギー消耗しちゃうよね。

嫉妬をかわすには「抜け感」が大事だと紹介されている。例えば、FacebookやInstagramに投稿するときは、リア充アピールしたなら、そのあとの〈オチ〉をつける。つまり、失敗エピソードを添えておく。良いところばかり切り取って見せていると、「見せびらかしている」ように受け取る人もいるからだ。

「別に自慢したいわけじゃないし」「向こうが勝手に嫉妬してるんだろう」と思うかもしれないけれども、それはお互い様だ。自分も、他人の言動に勝手に嫉妬心を掻き立てられて、嫉妬ブスに陥っていることもあるだろう。「無暗に嫉妬を誘わない」のも、これもまたスマートなやり方だろう。

嫉妬に火をつけないように

本書はつい嫉妬してしまう嫉妬心を解説したものだけど、それを応用して「嫉妬されない方法」まで話が及んでいるのが良い。嫉妬しないように気を付けている人は多いだろうけど、「嫉妬されること」に無自覚な人は多いように思う。わたしは個人的に、人に嫉妬されることも、これはこれで良くないことだと思っている。

「嫉妬心」は誰もが持っている気持ちだ。そして嫉妬は自らを焼き尽くし、身を破滅させてしまう程の力を持っている。これはすべての人に備わっている危うさだから、心が弱いとか、性格が悪いとか、そういう話ではない。そして、人の嫉妬を掻き立てるのは、破滅という爆弾の導火線に火をつけて回っていることと同じじゃないかと思う。物騒な話だ。

自覚的に嫉妬を煽るのはもちろんだけど、無自覚に人の嫉妬心を刺激していないか、常に確認していたいと思う。

こう感じるのは、わたし自身も嫉妬深いからかもしれない(;^ω^) 「負けず嫌い」で、嫉妬心がプラスに働いてモチベーションを上げることもあるけれども、とめどもなく時間と労力を消費するだけで終わることも多い。

嫉妬心をコントロールすることも、自慢話でマウンティングしたい気持ちを抑えるのも、どちらも「試されている」瞬間なのかも。

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『捨てる。』|物、人、過去…断捨離で今に集中する

こんにちは。年が明けても片づけが済んでいない あさよるです。一応、部屋はキレイにして新年を迎えたんですが、ダラダラと正月を過ごしていると、すぐに元の混沌に戻ってしまった。片づけはライフワークね。

片づけの「断捨離」という言葉はもう定着してしまってるけど、本来の意味を失って独り歩きしている感の強い言葉だ。今回読んだ『捨てる。』は「断捨離」という新しい概念を世に広めた、やましたひでこさんの著書で、改めて「断捨離」の意味が説明される。単にモノを捨てたり、部屋を片かたづける言葉ではなく、もっと大きな視点での言葉だった。

ちなみに、「断捨離」という言葉を広めた『新・片づけ術「断捨離」』という本がオリジナルのようなんだけど、これは公演の様子を書籍化したものなので、読み物としては今回の『捨てる。』の方が読みやすいし、わかりやすいと思う。

「片づけ」の話は壮大だ

ベストセラーになった「こんまりさん」こと近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』では、「これからの自分の姿」を想像することから片づけが始まる。過去の惰性の未来ではなく、理想の未来を思い描く。この一番最初のステップが、こんまり流片づけの大事なところだろう。片づけを通してセルフコーチングをしながら、あるべき状態へ近づいてゆく。だから、今の仕事にときめかないのであれば、転職のための用意を始めるし、収入を増やしたり、職場環境を変える。だから「人生がときめく」なのだ。

「片づけ」というのはどうやら、単に散らかっている物を棚や箱の中にしまうことではなく、もっと重大なものらしい。「断捨離」はすっかり「片づける」「物を処分する」という意味で日常で使う普通の言葉になってしまっているが、そもそもは片づけの哲学を表した言葉として広まった。

元々「断捨離」はヨガの哲学から着想を得て、やましたひでこさんが考案した考え方だ。

「断」とは、「決断」の「断」です。
「捨」とは、不要・不適・不快なモノを手放すこと。
「離」とは、「断」と「捨」を日々繰り返すことで至る境地、すなわち自在です。

やましたひでこ『捨てる。』(2018年)p.22

片づけができていない状態は、決断ができず、自分以外のなにかに支配されている状態だ。それは、過去に自分が買い集めてため込んだ「モノ」であったり、人間関係であったり、仕事であったり、生活習慣であったりする。だから「断捨離する」ことは、自分で決断をして、自分で選択をすることだ。だから、実は「断捨離」は家の中のことだけじゃなく、仕事や外の世界でも役に立つ。

家の中をきれいにする本だと思って本書『捨てる。』を手に取ると、内容が全然違っているだろう。

先延ばししない

断捨離の〈「断」は決断の「断」〉である以上、断捨離はとてもエネルギーが必要だ。人間の脳は決断をしたがらずに、なるべく決断をしなくて済むよう働いてしまうらしい。これは脳のクセみたいだから、意識して「決断」を選択しないと、ズルズルと過去と同じ行動をし続けてしまう。「断」「捨」「離」と3つのステップはとても大事だろう。

わたしたちは、「もったいない」とか「まだ使える」とか「気が引ける」とか、なにかと理由をつけてものを手放すことから逃れたくなってしまう。モノだけではなく、人間関係や仕事も同じだ。本当は離れた方がよいことが分かっていても、決断するのがしんどいから、先延ばしにしておきたい。

だけど、今目の前のことに集中するためには、過去のしがらみを整理しておかないと、なにもできない。わたしの経験だと、プロの仕事をする人たちの仕事場や机の上は、みな見事に片づいていた。片づけを徹底することは、仕事のための道具を大切にすることでもある。

そんなことを言いながら、わたしの机の上はいつも散らかっていて、今使わないものも出しっぱなしだ(;^ω^) ということで、わたしの片づけも今後も続くのであった。まだ、自分のあるべき状態に到達していないし、まだイメージが膨らみ切れてもいない

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『自分の顔が好きですか?』|人から愛される顔になる

『自分の顔が好きですか?』イラスト

こんにちは。あさよるです。「自分の顔が好きですか?」なんて質問されたら、どう答えるでしょうか。「YES」と即答する人って、どれくらいいるんだろう。
自分の顔だからこそ、愛着もあるだろうけれども、もっとここがこうだったら……と「欠点もよくわかってるよ」と言いたい人が多いんじゃないかと思う。

「人の顔」というのは、なにやら奥深いものらしい。『自分の顔が好きですか?』の著者の山口真美さんは、「日本顔学会」の役員をなさっている方だ。って、「顔学会」ってなんだ。「顔」というのは、特別なものらしい。

大事なのは「人当たり」

だけど『自分の顔が好きですか?』を読むと、自分の顔への不満はどうも勘違いというか、お門違いというかなんというか……わたしたちは「自分の顔を正しく見られない」らしい。そもそも、人の顔をじっと見つめていると、最初はちゃんと見えていても、数分もすると顔が歪んで見えてしまうようだ。よく学校の怪談話で、「肖像画が動く」みたいな話も、こういうところからきているのかもしれない。

さらに、自分の顔を見る時はいつも鏡越しだ。当然ながら、鏡で自分の顔を見ると、顔の左右が逆に見える。顔は誰しも微妙に左右差があるから、右と左の顔が入れ替わるだけでも、その人の印象を大きく変えてしまう。

人の顔を見つめていると、顔が歪んで見えてしまう上に、「自分が見ている姿」と「他人が見ている自分」が違っているから、自分の本当の顔を、自分では見られないのだ。

美男美女の苦労

美男美女に生まれた人は羨ましいなぁと思うけれども、彼らには彼らの苦労があるらしい。まず、顔が整っていると第一印象が良いから、「良い人」認定されてしまいがち。だからこそ、少しでも人の期待から外れるところがあるだけで、ギャップが大きく「やっぱり美人は性格が悪い」なんて陰口を言われてしまう。

美人ってだけで目立つだろうし、その界隈での有名人になってしまうと、みんなから一挙一動を観察され、余計に欠点が見つかりやすいのかもしれない。

羨ましい悩みにも思えてしまうが、人にはそれぞれ悩みがあるものなのね。

「愛される人」が良い顔

『自分の顔が好きですか?』イラスト

人の印象は、第一印象で決まると言われている。最初のパッと見たときの印象がその後の印象を作っているとも言えるし、その人の人となりは一瞬で相手に伝わっているとも言える。上っ面で取り繕ってるつもりでも、見透かされているのかもしれない(;^ω^)

人から愛される人、人気者になる人は、優しそうだったり、話しかけやすそうだったり、人と打ち解けやすい雰囲気を持っている。怖そうな人や、イライラしている風な人には、近づきたくないもんね。

美人不美人は生まれ持った才能なのかもしれないけれども、「優しそう」とか「声をかけやすそう」な人を目指すことは、今からでもできるだろう。それはきっと、今一緒にいる人や、これから出会う人たちを大切に、親切にすることかも。そう思うと、「自分の顔は好きですか?」という質問の答えも、少し変わってくる……のかな。

みんなだいたい同じ顔

ペンギンの雛たちがコロニーをつくって、親ペンギンたちがエサを運んでくるのを待っている……という様子を見聞きするたびに、「やっぱりペンギンも顔を見れば親子だとわかるのかなぁ」なんて思っていた。ペンギンなんてみんな同じ顔に見えるけれども、ペンギンからしたら、みんな違った風貌に見えているのかもしれない。昔、うちで猫を飼っていたけれども、たぶん同じような模様の猫が何匹もいても、自分の猫は一目見てわかると思う。「顔を見たらわかる」自信がある。わたしはペンギンは身近にいないから、みんな同じ顔に見えるけれども、飼い猫と同じように、ずっと一緒にいると見分けがつくんだろうか。

と、前置きが長くなくなったけれども、人間の顔も、わたしたちにとっては特別なものだから千差万別に感じているけれども、ペンギンと同じように、だいたいはみんな同じ顔だ。ごくわずかな差を見分けて、人を識別したり、その人の機嫌や気分を読み取っている。

このわずかな差を読み取るのに長けている人もいれば、苦手な人もいる。人の顔の見分けが得意なのは、意外にも赤ちゃんだそうだ。生まれたての赤ちゃんはまだ視力が良くないから、人の顔がわからない。生後10か月くらいの赤ちゃんが一番、人の顔の識別能力が高いそうだ。

「人の顔がわからない」と思っていたけれど……

わたしは常々、「人の顔を覚えるのが苦手」と思っていたけれども、それはどうやら思い過ごしらしい。本書でも、人の顔が覚えられない人のパターンについて触れられているけれども、わたしは「人の顔をちゃんと見ていない」タイプだ。日本人は人と話をするとき、目を見ずに口元を見ている人が多く、目を見る時は相手の感情を読み取ろうとしている時だそう。そういえば、わたしも人の口元に注目してる時間が長いような気がする。

あと、人の顔がわからないという人の中には、「だいたいは覚えているけれども、鮮明に思い出せない」という記憶の精度をより高めたいという、贅沢な悩みを持っている人もいる。わたしはこのタイプだろうと思った。

もちろん、脳の特性で人の顔が認識できない人や、人の顔に注目するのが苦手な人のもいる。いろんなパターンの顔認識について知ると、「人の顔を見る」という、いたって当たり前で、毎日毎日生まれてから繰り返し続けている行為が、実はとても込み入った、複雑な話だったことに気づく。これは面白い。

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『「お金に強い女」になれる本』|自分の価値は自分で決める

『「お金に強い女」になれる本』

こんにちは。あさよるです。年末はなにかと出費がかさむ時期で、「大丈夫かなぁ」とちょっぴり不安にもなる(;^ω^)

わたしはお金と縁のない人生を送ってきた。これからもずっと縁がなのかもしれない……。ずっとお金がないのは同じだけれども、面白いことに、その時々で「自分は幸せだ」「わたしは豊かだ」と思っていた頃もあったし、「わたしは貧しい」「みじめだ」と思っていた頃もあった。生活水準も、貯蓄額も、収入も大して変わらなくても、豊かにも貧しくもあった。

お金に振り回される人生…

みじめに感じていた時は、自分以外の「何か」に振り回されているときだった。それは「欲しいものが手に入らない」ことでもあったし、まともな食事を用意できる時間と余裕がなくてジャンクフードに偏っているときもそうだった。毎日、炭水化物を脂質でコーティングして化学調味料で味付けされた「やめられない食べ物」は、本当にやめられなくて泣ける。そういうときは決まって「みんなと同じようにしたいのに、できない」と思いつめてしまって、つらい。

「自分以外の価値観で、自分の価値を決める」というのは、これは本当に擦り減ってゆく。精神面や肉体的にももちろんだけれども、お金がいくらあっても足りない。Facebookに写真をアップロードするために旅行をしたり、いつもお土産をもらうお礼を買うためにテーマパークへ行くのは大変だ。誘われるがままに外食を繰り返したり、みんなが持っている流行のアイテムを手に入れたり、最新のiPhoneを買っても、本当はわたしは、持て余してしまっているのだ。自分が良いと思うものだけを選んで、自分の価値基準で生きられたら、どんな気分なんだろう。

「お金万能」に注意

「お金スゴイ」「お金万能」と信仰していると、お金に振り回される人生を送るそうだ。それは「自分よりもお金の方が価値がある」と信じることだ。お金が自分よりも価値が高いと妄信すると、お金をもらうために働かされることになる。

お金はとても大事だけれども、生きるための便利な道具だ。あくまで価値基準を決めるのは自分だし、お金よりも自分の方が価値がある。「自分が豊かに生きるために」そのために、お金が必要だ。間違っても「お金があると豊か」ではない。これは状態としては似ているけれども、因果が逆だ。

お金がなくても、好きなことをする

『「お金に強い女」になれる本』は、女性向けの自己啓発本だ。自分の価値基準を持っておらず、貯金ができない人がターゲットになっている。お金を貯められない人は、自分よりもお金の方が価値が高いと信じ、お金に振り回されている人だそうだ。

そういう人は「お金があれば好きなことができる」「お金があれば欲しいものが買える」「お金があれば幸せになれる」と信じている。だけど、そう考えている限りは、いくらお金があっても充足できない。だから、お金を全部使い切って、貯金が0でも、「まだ足りない」と感じてしまう。

お金がなくても、好きなことはできる。小さなことかもしれないけれども、自分の生活中でも、幸せな充実した時間を増やすことができる。そのためには、小さな自分の気持ちの変化を見つけて、少しでも良い時間を増やすことだ。

もっと突っ込んだ話では、「お金のために仕事をさせられている」よりも「好きな仕事をしてお金を稼ぐ」方が良い。「気の持ちよう」と言ってしまうとそれまでだけれども、正論なんだろう。

「させられる」はつらい

『「お金に強い女」になれる本』

どんなことでも「させられている」状況は退屈だ。わたしは多少苦しくても、つらくても、退屈からだけは逃れたい。といっても、別に劇的な「なにか」を必要をしているわけでもなくて、熱中できる仕事とか、自分の興味のあることを深く追求するようなことでいい。

退屈を紛らす手段は、お金を使って出かけたり、買い物をしたり、消費すること以外にもやりようがある。「お金万能」思考にハマってしまうのは、お金を使って「消費すること」が退屈を紛らすことだと信じているからなんだろう。

本書『「お金に強い女」になれる本』は、貯金がない女性向けのお金の本だけれども、書かれている内容は生き方を考えることであり、健康な状態を保つためのことだった。なにかに依存するのではなくて、自分の価値基準をもって、自分の意思で生きられると、きっといいんだろう。

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『かかわると面倒くさい人』|いるよね、自信がなくて強がる人

こんにちは。あさよるです。人間づきあいというのは難しいものです。自分のワガママを通すのもいけないし、だからといって相手に言われるがままでもいけません。「対等に」てのが理想なんだろうけれども、なかなかそう上手くもいかない。二者間の人間関係も難しいのに、複数人でチームワークをするって、大変なことだ。

こう考えると、本人のいない間にみんなでその人について愚痴って、ハハハと笑ってお開きにするのが、ちょうどいいのかもしれない。ただ、わたしは変に潔癖なところがあって、そういう場に耐えられないんだけど。ということで、わたしもまた、チームにいると「面倒な人」の一人だ。

面倒な人はどこにでもいる

『かかわると面倒な人』は、どこにでもいる面倒な人の特徴が紹介される。本書では面倒な人が10タイプに振り分けられている。

  1. 過敏で傷つきやすい人――約束を断られると「嫌われたんじゃないか」と思ってしまう
  2. 強烈な比較意識をもつ人――勝手にマウンティングされたと思う
  3. 自己中心的で相手の心に関心がない――空気を読まず場を凍らせる
  4. 自己防衛意識が異常に強い――不必要な言い訳や「すみません」が多い
  5. 劣等感を隠しもつヒーロー――自分は正義の味方ぶって自己陶酔してる
  6. 自分の判断力に自信がない――どうでもいい手続きに異様にこだわる、自分で判断できない
  7. 自信がなく、甘えが強い――すねる、恨む、褒めて欲しい、察してほしい
  8. 「謙虚な自分」を売り物にする――「私なんか」と遠慮しつつ、内心は忖度を期待している
  9. 取捨選択ができない――話が長い、何が言いたいのかわからない
  10. 過去の肩書だけが自分の支え――対等に付き合えない、定年後もマウンティングおじさんに

どれも「いるよね~」と目に浮かぶ。

⑧の「〈謙虚な自分〉を売り物にする」人には、イジワルな気分になってしまう。彼らはわざと自分を卑下することを言って、「そんなことないよ~」を期待している。だからあえて「そうなんだ~」と言いたくなってしまう。

一方で、わたしの場合は③の空気を読まない「自己中心的で相手の心に関心がない」や、⑨の「取捨選択ができない」は、あんまり気にならないかも。こういうのは相性というか、自分がスルー出来る人と、ひっかかってしまう人がいるようだ。

相手から見ると自分も面倒な人

わたしは「強烈な比較意識をもつ人」「〈謙虚な自分〉を売り物にする」人や対しては、わざとイジワルな応対をしてしまうようだ(;^ω^) ……ということは、彼らから見ると、わたしは「かかわると面倒くさい人」ということになる。謙遜してるだけなのにマジレスしてくる「空気が読めない人」や「マウンティングしてくる人」ってことだ(;’∀’)

本書では10タイプもの「かかわると面倒くさい人」が登場するから、読者自身もどれかにあてはまるだろう。みんな、自分のことを棚に上げて「あいつは面倒くさいヤツだ」とやってるのだ。

面倒くさい人の性格や考え方を外部から変えるのはとても難しい。「あなたの○○が迷惑だ」と指摘しても、それが図星であればあるほど、相手の心は頑なになるだろう。それよりも、人の面倒くさいところを刺激しないようにそっとしておくのが、お互いに平穏に過ごせるだろう。

自分が自分にできることと言えば、自分の持っている劣等感を隠そうとしたり、強がって見せたり、自分を守ろうと先回りして面倒くさいことにならないように。劣等感は劣等感で、それを受け入れられるよう、気持ちを向けたほうがいみたい。難しいことだけどね。

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『図解 確率の話』|諦める前に確率を求めてもいいんじゃない

こんにちは。あさよるです。わたしは中高生のころ一番得意だった&一番好きだった科目が数学だったんだけれども、高校を卒業して十数年経つと、なかなかにきれいさっぱり忘れている。たまに、時間のある時にちまちま復習をしてるが、筆算や因数分解のやり方とか、分数、対数とか怪しい……。

別に日に何時間も勉強する必要ないけれども、忘れない程度には思い出しておかないともったいないやね。今も超スローながらも、分数を復習している(;^ω^)

夢が叶う確率

『図解 確率の話』は中学、高校で習う数学の面白いところだけを抽出したような本だ。「図解」とあるように、小難しい数式ではなく、図で示されているから、じっくり読むと面白い。

第1章に「あきらめなければ夢は叶う?」という節がある。3割バッターでも、4回打席に立てば、ヒットを打つ確率は76%だそうだ。5回打席に立つと83%。成功確率が30%と低くても、回数が増えるずつ100%に近づいてゆく。450回やれば成功する確率は99%になるらしい。だけど、諦めてしまえば成功確率0%。

この話は、なんとなく実感としてわかる。わたしの友人でマンガを描いていた人が数人いたが、諦めずにずっとマンガを描き続けていた人は全員、一応はみんなが知ってるようなマンガ雑誌で連載したり、出版社から本を出版した。諦めた……というか、マンガを描くのをやめた人は当然ながらそれっきりだ。

わたしも制作の出身だけど、制作をやめずにずっと続けている人たちは、最初の1回で希望の職に就けなくとも、経験を積み、転職しながらより本人の希望に近い職に就いている印象がある。だけど、途中でやめちゃった人は、その例ではない。

小説家になるには、小説を完成させて出版社に持ち込んで……と、5回くらいやれば、それなりに仕事につながるという話も聞いたことがある。

意外と、「ずっと頑張ってればいつか成功する」というのは、キレイごとではなく実感として納得できる。それを今回、数学的な確率として考える切り口に出会えてよかった。

感覚と実際は違う

実感としてわかると言った後にこんな話をするのはナンですが、数学を勉強する意義は「実感と実際の隔たりがある」事柄があるからだろう。

右へ行くか左へ行くかで迷ったとき、感覚的には「こっち!」と思っても、実際に確率を計算すると間違っていることもある。動物はそういう間違い・勘違いをしてしまうようだから、AIは確率で物事を判断できるのがスゴイんじゃないかと思っている。

具体的には、例えばクジをひくとき、クジが完全に公平ではないことがある。本書では、あみだクジはクジを引く前から、どのスタートを選ぶかでアタリを引く確率は違っていると紹介している。

コインを投げた時、裏表が交互に出る確率よりも、同じ面が3回連続で出ることの方が多い。1/2の確率は、交互に起こるよりも、3回以上連続して起こるほうが多のだ。、これは図解されると納得できるんだけど、実感としてはわからない話だ。

大きな買い物をする時とか、なにかチャレンジするときなんかは、確率を頭に入れておきたい。

諦める前に確率を計算してもいいかもね

以前、このブログに、人当たりのいい人はガチャを回す回数が多いから、アタリを引く可能性が高いんじゃないか、みたいなことを書いた。

「成功の秘訣」とか「引き寄せ」とか、眉唾っぽい話も多いけれども、つまりは人間関係が良好な人は、人からチャンスを回してもらえる機会……つまりガチャを回す回数が多いんじゃないかってことだ。怒っている人より優しい人の方がみんなに好かれるし、いつも「すみません」と謝っている人より「ありがとう」と言ってる人の方がいい。自分が「いい話」を持っているとき、それを嫌いな人に教えたいとは思わない。

30%の確率で成功する人は、5回チャレンジすると成功確率が83%になると書いた。だけど実際には、回数が増えるごとに上手になって成功率が上がっていくことが多い。5回チャレンジしたら、回を追うごと上達して、83%以上の成功率になっているだろう。

確率を知ると、その確率を上げる方法や、チャレンジの回数を増やす方法を考えようと思える。闇雲に真っ暗な中を、“アタリがないかもしれないクジ”を引き続ける恐怖に苛まれるくらいなら、ちゃちゃっと計算しちゃって、さっさと上達させた方が早いんじゃなかろうか。確率の計算は、結構、かなり役に立つ。気がする。

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『みんなひとみしり』|人の話に耳を傾け、違うことを受け入れる

こんにちは。ひとみしり気味なあさよるです。わたし自身はひとみしりしている自覚はないけれども、無駄な世間話とか、駄弁りとか、愚痴の言い合いとか、そういう会話を誰とでもするわけではないから、「心を閉ざしている」と称されることがある。挨拶はする。だけど、用もないのに話をしたい相手って、かなり限定されている。

それは「用もないのに人と話したくない」と思っているからなんだけど、同時に「どうせ人に話をしてもわかってくれるわけがない」という捻くれと諦めを持っているせいだと、一応は自覚している。だからなるべく自分から情報開示するよう心掛けてはいるけれども、なんだかしっくりこない。それに、人から「ひとみしり」だと思われているということは、人から見るとなにか、やりにくさとか、よろしくない感じがしているんだろうとも思う。

自分にとって「ひとみしり」はこんがらがっていて、悩ましい問題だ。

「黙ってれば察してくれる」から脱却

いつも周囲を和ませたり、明るく振る舞ってくれる人は、偉い人だなぁと常々尊敬と感謝をしている。人間なんだから、いじわるな気持ちになったり、イライラしたり、捻くれることもあるだろうに、だけど私の前ではそんな素振りは見せないように気づかってくれているからだ。わたしも、なるべく穏やかに振舞いたいと思ってはいるんだけれども、かなりダイレクトに感情を爆発させている気が……ご迷惑をおかけしております<(_ _)>

自分と違う考えや気に入らない主張だって、最後まで話に耳を傾けてくれたり、まじめに根気よく反論を展開したり(感情的にならず)、なかなかできることじゃない。嫌な顔一つせず、ただ真面目に、素直に、受け答えしてくれる人はすごい人だ。

「ひとみしり」というのは、この反対にあるんじゃないかと思っている。わたしも結構ひとみしりをするし、たぶん多くの人もひとみしりをするんじゃないかと思う。ひとみしりって「何も言わなくても相手が察してくれる」っという前提のもと、自分がムッと黙ってその場の雰囲気を険悪にしても構わない心境のとき起こる……キツい言い方だけれども。人が自分に配慮して、自分の気持ちを推し量って欲しいのに、それをしてくれないから、居心地が悪くなってその場を立ち去ることもある。

「自分の気持ちを察してほしい」という子どもっぽい欲求を、わたしもビシビシ持っているし、誰もがそういう側面を持っていて当然だとも思っている。だからこそ、ひとみしりせず、周囲への気遣いを忘れず接してくれる人のことを尊敬と感謝している。

自分なりに気を付けていることは、自分がひとみしりをするからって、いつも明るく柔和な人のことを悪く言ったり、嫉妬したりするのだけはやめようと、それだけは自分に課している。

相手の立場に立って「聞く」練習

『みんなひとみしり』は、今ひとみしりしてしまう人が、どんな風に人と関わればいいのかを優しく指南する本だ。大事なのは「人の話を聞く」ということ。

「聞く」とは、相手の話に耳を傾け、「私はあなたの話を聞いていますよ」という合図を送ること(相槌を打つ)と、質問をする(尋ねる)ことの2つ。「自分の言いたいことを言う」訓練じゃないのが、ひとみしり克服ポイントなんだろう。

相手を思い、話題を提供することも大事だ。何を話していいのかわからないなら、相手の良いところを褒めるのも良い。でもこれは「おべんちゃら」をしているわけではなくて、あくまで本当に素敵な、すごい、良いと思うところを口にすればいい。だから、普段から物事のポジティブな側面に注目するクセを身につけておくと良いそう。

あと、「自分なんか…」と自虐するクセがあるなら、それはやめた方が良い。なぜなら、自虐する人とは関わらなくて良いから。自分も自虐し続けている限り、周囲の人から距離を置かれてしまっている。類は友を呼ぶとも言うし、自分とよく似た人ばかりが集まってしまうものだから。

ハッキリ断ったり、自分の意志や意見を言葉で表現することが、人への気遣いになることも多い。例えば食事の予定なんかで「なんでもいい」「どこでもいい」と言うのは、相手への負担になってしまう。それよりも「○○な気分だ」とか「△△は苦手なんだ」ときちんと伝えた方が、相手も楽だ。それに自分が「言いたいことを言えない」と不貞腐れて、不本意な展開にムスッとしているよりは、積極的に楽しんだ方が周囲の人にとっても嬉しいものだ。

ひとみしり克服とは、「相手の立場に立って考える」というのに尽きるみたい。

考えの違う人を受け入れる

ひとみしり克服には「多様性」を受けれることも重要なんだろう。自分と違う考えを持っている人、自分と対立する発言をした人を、敵視したり、遠ざけたり、自分を否定し傷つけた人だと思うのではなく、違っていることを認めるしかない。

人間関係において自分の思うようにいかないとき、自分が否定されたと感じるのは、自分とは違う考えや価値観があることを受け入れられず、それを拒絶している状態なんだろう。

誰にでも譲れないこともあって、それを曲げる必要はない。だけど譲れるものは譲ればいいし、相手を否定したり拒絶する必要もない。結局、頑なになっていたのは自分なんだろう。

人に配慮する大人になる

わたしも結構ひとみしりだ。もうちょっと正確に言うと、ある人から見るとわたしは、はにかみ屋のひとみしりに見えるようだ。だから便宜上「わたしはひとみしりです」と名乗る時もある。だけどその実は、すごく頑固で自分勝手だから、「そもそも他人の話を聞く気がない」というのが正しかったりするw

だからこそ、周りの人への配慮を忘れない人を見ると、ほんとうに尊敬と感謝しかないし、本音を言えば「そういう姿を見せられるとツライ」w 自分の子どもっぽいワガママが恥ずかしいから(;^ω^)

『みんなひとみしり』というタイトルは、その通り、誰もがひとみしりな部分を持っているんだと思う。だから自分だけがひとみしりをして苦しんでいると思わなくてもいい。だけどそれは同時に、みんなひとみしりだけど、人へ配慮できる大人として振る舞っているとも言える。だから、自分だけが子どもっぽく甘えているのは、やっぱそれは違うよね、とも思う。

なにより、ひとみしりし続けるのは、自分がいちばん居心地が悪い。

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『「対人不安」って何だろう?』|誰だって自分のことが気になっている

こんにちは。あさよるです。ブログをもっと充実させようと、本の感想とは別に記事を書きたいなぁと思っておりまして、それに伴ってまずは自分の記録として「ブログと私」みたいなものが書きたいなぁなんて考えていた。わたしは「ブログ」が登場する前からWEBでホームページ作って遊んでたので、元々こういうちまちまとした作業が好きなんですね。一人遊びが好きなのは、集中して遊べるから。人と一緒だと、相手の集中力にあわせないといけないから、イーっとなってしまうw

人と一緒に何かをするのは、なにかと気を使うし、それなりにストレスにもなる。人間はナワバリ意識が強い生きものだなぁなんて思う。どんなに親しい間柄でも、適度な距離感ってのがある。

人間関係に悩むのは、この「適度な距離感」がなんらかの理由で上手く取れないときだろう。距離が近すぎても苦しいし、遠すぎても寂しい。もっと一緒にいたい人が、自分のことを親しく思ってなければこんなに悲しいことはないし、特に親しくもない人が自分を特別だと思っていたりすると、こんなに鬱陶しいものはない。これは難しい話だ。

いくつになっても、人との距離感に悩むんだろう。

人間関係には悩むものだ

10代というのは無駄に悩むものだし、悩むのが本業のようでもある。と、30代になった今なら思う。その当時は、そんな無責任なことを言う大人世代に苛立ったけれども。

だけれども、たぶん悩みの解決策や対処法を教えられたところで、当時の自分はそんなもの受け入れなかっただろう。だって、「諦める」とか「許す」とか「愛す」とか、まさかそんな当たり前で使い古されたような言い回しをされたって、そんなものに納得する10代がいたら、それはそれで嫌なもんじゃないか。

こと人間関係においては、子どもは不自由だ。そもそも自分の意志で決定できない学校社会に放り込まれ、そこには人を傷つけても平気な未熟な人間ばかりが待ち構えている。もちろん、自分もその中の一人で、デリカシーのない言動で自分も人を傷つける。成長過程で「こういうことは言ってはいけないものなんだ」と学んでゆくのだけれども、その過渡期はむちゃくちゃだ。

で、10代は悩む。仲良しの友だちと一緒にいるはずなのに、なぜだかとんでもなく疲れてしまう。楽しいおしゃべりのハズなのに、自分が仲間から浮いてるんじゃないかとか、言動がおかしいんじゃないのかとか、目線が泳いでることを変だと思われてるんじゃないのかとか、あれこれと考えていると苦しくて苦しくて……という渦に呑み込まれてしまう。誰だって、多少なりとも経験することだろう。

『「対人不安」って何だろう?』では、人の目が気になる人の特徴として、「自己モニタリング」機能というものが紹介されている。「自己モニタリング」とは、

他者の反応をみながら自分の言動が適切かどうか判断する能力と、適切な言動をとるために自分の言動を場にふさわしい方向へと調節する能力の二つの側面がある。(p.99-100)

とされており、人の目が過度に気になる人は「相手の反応をみる能力はあるのに、自分の言動を修正する能力が低い」とき「対人不安」になってしまう。つまり、いわゆる「空気」は読めるんだけど、うまく「乗れない」って感じだろうか。若い人が人間関係に悩みがちなのも、自己モニタリング機能が未成熟だからなのかもしれない。

こたえはなくてもいいのだ

『「対人不安」って何だろう?』では、人の目が気になる対人不安の特徴や、なぜそんな気持ちになるのか、どうして人の目が気になるのかと理由は解説されるんだけれども、肝心の解決策は載っていない。いや、正確に言えば、ズバッと解決策は載ってるんだけれども、悩みの渦中にいる人が、こんな答えでは満足できないだろう「解決策」なのだ。

というのはつまり、正論であり、当たり前の答え。「誰だって対人不安を抱えている」。人の目が過度に気になるのは、「自分にしか興味がない」ことであり、人のことを気にしている風でいながら、「他人に無関心な状態」だ。だからお互いに対人不安を抱えているんだから、お互いに「自分にしか興味がない」のであり、それは「他人は自分のことに興味がない」ということだ。だから、あまり気にしすぎても仕方がない。

年齢を重ねると、この説明はとても納得できる。他人は、逆に腹が立つほど、わたしには興味がないものだ。

「誰にも嫌われないようにしよう」と決めた頃

しかし、読者が気に入るような結論になっていないというのは、さすが10代向けの新書だけある。答えを教えるのは簡単だけれども、自分で悩むのも大事なことだ。

もちろん、あまりに対人不安が強すぎて日常に支障をきたすようなら、新書を読むよりも専門家に直接相談すべきだ。

わたしは10代の頃、とくに高校生くらいの頃は、「人に好かれたいと思うから苦しいんだ」と思い「好かれなくてもいいから、嫌われないようにすればいい」と考えた。当時はそれはすばらしい発想だと思ったし、今ではとても愚かな考えだと思うw 思い出すと恥ずかしい思い出の一つだ。

誰にも嫌われないとは、誰ともかかわらないことだ。まぁ、わたしの性格的にも人とベタベタ一緒にいるのは嫌いだし、なんかダラダラと用もないのに駄弁ったり、そういうの嫌だから、結果的に「ちょうどいい距離感」を取れてしまったから、悩ましいんだけれどもw

まぁ、嫌われないよに程々にやるのはいいけれども、やっぱり「誰にも好かれない」というのは、考えものだ。お互いに気が合って、心置けない間柄になれる人をもうちょっと積極的に探しても良かったんじゃないかと思う。

心が平和な「忙しい」

今は、「忙しい」というのは、なんて平和なもんかと思う。わたしの周囲にいる人たちは、みんな忙しい人たちばかりだ。仕事に打ち込んだり、趣味に励んだり、勉強に打ち込んでいたり、スポーツや音楽をやっていたり、週末休む間もなく、充実した時間を過ごしている人たち。彼らは余計な時間はないので、だいたい連絡も箇条書き程度で済ませたいし、約束も時間通りスタートして、用が済んだら早く解散したい。だって、ほかにもやりたいことが詰まっているから。

類は友を呼ぶというように、自分がそんな風に生きていると、周りもそういう人ばかりになる。というか、そういう人とじゃないと、お互いに一緒にいられない。

あと、わたしが居心地が良い関係性は、顔見知りで、たぶんお互いに存在は認識しあっているけれども、別に言葉も交わさない間柄。わたしは社会人学生もやっているので、たまに試験や授業に出席すると、そういう人に出くわす。「あ、あの人まだ頑張ってるんだな」と思うと、それだけですごく励まされてしまう。別に挨拶も特別しないけど、ものすごく影響を受けている。これが、わたしが見つけた答えの一つ。

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