生き方を考える本

みうらじゅん『「ない仕事」の作り方』本屋大賞|ゆるキャラ、マイブーム…流行りを作る

みうらじゅんさんって何屋さんなの? と不思議だったんですが、本書『「ない仕事」の作り方』を読むとますますわからなくなりますねw すごい人なんだということだけわかりました。

「マイブーム」「ゆるキャラ」など、一時の流行りではなく、すっかり日本の文化の中に根付いた言葉や存在も、みうらじゅんさんが送り出したもの。

「なんかよくわからんけど、物好きの変な人なのかな?」と失礼ながら(ほんとに失礼)ぼんやり思っていたのですが、本書を読むに、すごいプロ意識の塊なんだということを知れました。

本屋大賞 超発掘本!

2020年の本屋大賞の「超発掘本!」に本書『「ない仕事」の作り方』は選ばれております。

今、このコロナ禍です。先行きを考えると、働き方や、仕事とは何かと考えざるをえません。そこで『「ない仕事」の作り方』です。

たぶんこれから、仕事を作る、というマインドが必要なんだろうなあ~なんて考えながら、本書を手に取ったのです。

ブームは「作る」

みうらさんのプロ意識を感じたのは、ブームは「作る」ということ。

まずは、自分の中でブームを作る。その対象が好きとかそんなんじゃなく、今までにない切り口のものを見つけたら、まずは自分がそれにハマって集めまくってみる。そこから始まるのです

たとえば「ゆるキャラ」は、「ゆるキャラ」という言葉が生まれるまでは、郷土の特産品とかをあしらった奇妙な「着ぐるみ」で、愛されてもいなかった。「ゆるキャラ」という切り口が生れて始めて、人々がそこに愛着を感じるようになったんですね。

趣味じゃなく、仕事

みうらじゅんさんはそんなマイブームを、趣味としてではなく仕事としてなさっているのが、すごいなあと思った次第。わたしは本業の仕事も、半分趣味みたいな感覚でやっちゃってるので、反省しました。

クリエイティブな仕事をしたいと思っている人、特に若い人には、本書は刺激的だと思います。

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【レビュー】土井善晴、中島岳志『料理と利他』|ふつうのレシピについて

料理研究家の土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』は、読んでからしばらく時間が経っていますが、今でも印象に残っている本です。特別な日の特別な料理ではなく、普通の日の普通の料理について書かれていて、それこそが大事なんだということを思い出させてくれます。

「○○映え」なんていって、見た目がよく特別感のあるものを指向する傾向とは真反対ですよね。映えなくてもいい、普通のものを大事にしましょうってことなんだから。

現在のコロナ禍でも、ステイホームの日々も、普通の日常をどう豊かにすごすかってことにかかっているんじゃないかと思います。

土井善晴さんの新しい本を見つけたので、期待大で手に取りました。

民藝……ふつうの美しさを

土井善晴さんは、フランスにも留学し、キレキレの料理人になろうと思っていたところ、お父様である土井勝さんから家庭料理の料理学校を継ぐよう言われます。最初はそれが嫌だったそうですが、「民藝」という考え方に出会うことで、考えを改めたそうです。

民藝とは、美術品として鑑賞されるためではなく、日常の中で使用されるために作られた道具のこと(だそうです)。特別な観賞用ではなく、普段使いの普通の道具たち。しかし名もない職人たちによる手作業で作られたそれらには「用の美」が宿っています。

特別な日の特別で華やかなものももちろん素敵ですが、毎日の普段使いの、普通のものにだって、同じように美が宿りえるんですね。

ええ加減、ちょうどいい頃合い。そういうの

毎日の、いつもの料理にだって、そんな美しさは宿りえるんです。それは、素材のよさを活かすこと。

たとえばポテトサラダ一つ作るのでも、均一に混ぜすぎてしまっては水が出て美味しくなくなるそうです。そうじゃなく、ざっとあえて、まだ混ぜムラがあっても、「これでいい」って瞬間を見逃さないこと。なんでもやりすぎはダメなんですね。

野菜も、手でちぎる方がおいしいこともあります。何から何まで人の意思を通わすのではなく、自然の力に委ねてしまうことも大切なんですって。

そもそも料理って、食材も季節によっても産地によっても違うし、日々気候も変わってゆくし、なにもかもが均一ではありません。だから、レシピ通りに作れない、というのが本当のところなのかもしれません。微妙に全てが違っているから、その場その場で味を見て、頃合いを見て、加減してゆくスキルが必要なのでしょう。

わたしは料理は苦手なんですが、まさにそれ。レシピ通りに作っても上手くいかないから、なんですよね。

家庭料理にも哲学がある

考えてみると、自分がコントロールできることって極めて少ないんですよね。食べるもの一つとってみても、「ちょうどええ頃合い」を、食材をみながら、味を見ながら、探っていくしかない。しゃくし定規にはいかない。

そういうのって、長い間わたしたちは忘れていた考え方じゃないでしょうか。そして今、感染症の脅威の中、それを思い知らされている最中。この『料理と利他』はとても今の空気感にあった本でした。

この本の内容も、著者の土井善晴さんと政治学者の中島岳志さんがリモートで対談されています。それも今の世情ですね。今回この記事では触れませんでしたが、中島さんのお話も面白いのです。海外での生活の経験から、日本の中での話だけではなく、外国の文化や考え方にも話は及びます。

薄くて風通しが良いような、読みやすい本です。だけど、今の状況を考え、これからのことを考える本です。

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【要約】『「育ちがいい人」だけが知っていること』|育ちは変えられる

マナーとか作法とかって、堅苦しくて、特別な人たちが気にするものだと思っていた時代もありました。だけど、今は考えが改まっています。マナーとか作法とかって、コミュニケーションの一部なんだね、と理解するようになったからです。

たぶん、親しい人同士のの挨拶だったりとか、ネット上でのお決まりのやり取りなんかもそこに含まれていて、それが「仲間」だってしるしなんですよね。

同じプロトコルを持っている仲間ですよ~ってアピールできる便利な道具なんだと理解して、もっと上手に使いこなせるようになりたいと思うようになりました。

で、『「育ちがいい人」だけが知っていること』は数あるマナー本の中で、近年話題になった本ですね。早速手に取った次第です。

「育ち」は今日から変えられる!

本書を手に取られたことのある方も多いかもしれません。ページをパラパラとめくってみると、こまごまと日常のシーンにあったマナーが紹介されるマナー本です。

「よくあるマナー本」と言ってしまってもいいのかもしれません。

じゃあ、なんで話題になってたの? と考えると、それはタイトルにあると思うのです。『「育ちがいい人」だけが知っていること』。マナーを「育ち」と言い切っているのですよね。

「氏か育ちか」という言い回しもあるように、わたしたちは先天的に生まれ持った特性と、後天的に身に着けた特性の両方を持っていて、それらがせめぎあって人格や言動を作っています。

例えば家族性の病気を持っていたりだとか、背の高い人・低い人だとか、容姿に関する事柄だったりだとか、生まれながらにある程度確定してしまっている事柄もたくさんあります。それらは努力だけではどうにもならないことも多々あります。

だけど! 本書で扱うマナーや立ち振る舞いに関することは「育ち」……つまり、後天的に身に着けてゆくことだと断言されているのです。

だから、どんな家庭に生まれようが、どんな教育を受けて育とうが、マナーなんて後天的なものなんだから、なんとでもなるということです。

そう、本書を読んで、今日から振る舞いを変えればいいだけ。かなりポジティブな本なんですよね。

わたしも決して育ちがいいとは言えない境遇なので、本書のようなメッセージに触れると元気が出ます(`・ω・´)b

遺伝と育ちは半々

持って生まれた性質……つまり遺伝的要素と、育った環境。それら影響って半分半分らしい……というのは、以前紹介した橘玲さんの『言ってはいけない』で紹介されており、納得もしました。

わたしたちは、生まれ持った遺伝の要素も大きいけれども、どんな環境で生きてきたのかってのも重要。人間は良くも悪くも社会性を持つ生き物なので、人間関係の中で形作られるものも多いんですね。

こちらの本も面白くてオススメです。あわせてどうぞ。

「自信を持つ」ってこんなことの積み重ねかも

「躾」とは「身を美しくする」と書きます。じゃあ、誰が誰の身を美しくするの? って、そりゃあ、自分が自分の身を美しくするしかありません。ときに面倒なこともあるだろうし、ついこれまでのクセが出てしまうこともあるでしょう。

だけど、自分で自分の身を美しくし続けるからこそ、自分の言動に自信が持てるようになるんじゃないかと思うんです。

ビジネスマナーとかそんな感じじゃないですか? 新人の頃は何もわからずに電話一本取るのもドギマギしてしまいますが、マナーを叩き込まれると、自然と堂々とできるようになる。

とりあえずわたしは、靴を脱いで建物の中へ上がるときは、玄関の中の方を向いて靴を脱いでから、しゃがんで靴をクルッと反転させるようになりました。これは知らんかった(;’∀’)

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『フランス人は10着しか服を持たない』|異文化の中でメンターに出会う

こんにちは。あさよるです。年末、大掃除がそろそろ話題になりはじめていて、片付けや掃除なんかの本を読みたいモード。今日読んだ『フランス人は10着しか服を持たない』は、人からすすめられた本でもある。しかも、外出先で本を読んでいたら初対面の人に話しかけられて、「最近何を読んだのか」という話題でこの本をおすすめされた。「読んどきます」と答えたので、律義に一応読んでみる。

本書は以前に話題になっていたのは知っていたから、読んだものとばかり思っていたが、そんなことはなかったみたい。単にシンプルライフやミニマリストの本かと思いきや、異文化の中で自分のスタイルを見つけてゆく過程がまとめられていて、一人の人間の成長期というか、未熟だった若者が成熟してゆく様子がサラッと書かれていて、さわやかな気持ちだ。

メンターと出会うこと

わたしたちは時々、尊敬したり憧れたりできる人物に出会えることがある。そういう人物のことを「メンター」とか「師匠」とか呼ぶんだろうけれども、わたしはあまり、そういう言葉を使うのは好きじゃない。言葉として「この人はわたしのメンターだ」と認識してしまうと、なんだか言葉に縛られてしまって、本当に大事な本質をうっかり見失ってしまいそうな気がするからだ。だから、わたしは「メンター」とか「師匠」とかいちいち考えずに、ただただ「すごい!」「すてき!」「おもしろい!」と心躍らせることに専念している。

そして、過去を振り返ると「あの頃に出会ったあの人は、わたしの師匠だったのだなぁ」とわかる。夢中になって、一心にその人の持っている「なにか」を吸収しまくっていたり、好奇心や、あるいは反発・怒りを抱いていたりして、わたしの血肉となっていたことに、後々気づくから。

10代の多感な頃の出会いを話題にしがちだけれども、未成熟な子ども時代の考えや発想よりも、大人になってから、つまり20代以降に自分の身に起こった出来事の方が、大人の身体で感じて考えているだけに、実はより密度が濃いんじゃないかと思っている。社会的な経験はね。

『フランス人は10着しか服を持たない』は、以前話題になってタイトルくらいは知っている人も多いかもしれない。カルフォルニア出身の著者、ジェニファー・L・スコットさんが、パリに留学した際、ホームステイ先のホストファミリーを通じて、パリの文化に触れた経験から、シンプルライフを見出す話だ。と言っても、彼女は留学後すぐに新しい生活に突入したわけじゃない。カルフォルニアへ帰国後、また元の生活に戻ってしばらく時間が経ってから、パリでのホストファミリーの暮らしぶりを思い出し、そして彼らが良いお手本だったことを知る。

つまり、学生時代が終わってから、当時出会った人物が自分のメンターであることを知る。留学中は慣れない土地で、違う文化の中で生活するのに夢中だったんじゃないだろうかと想像する。だから、その最中は何が何だかわからないんだけれども、しばらく時間が経って落ち着いた時に「自分は特別な経験をした」と気づく。

「満足」は自分が決める

で、『フランス人は10着しか服を持たない』は、アメリカ人がフランスの文化に触れて、カルチャーショックの中から、自分の生き方を見出してゆく物語だ。もともと著者は、飽食で物が有り余った生活の中から、質素で倹約なパリでの生活に、ホームステイで半強制的に放り込まれる。ホストファミリーの夫婦は、ムッシュー・シックとマダム・シックと本書では呼ばれている。とくにマダム・シックが、著者のメンター的存在になってゆく。

彼らは「シック」に生きている。「シック」とは服装や髪型のテイストだけじゃなくて、生き方そのものがシックなのだ。つまり、服装も髪形も生き方も、その人のスタイルだ。そして、パリで出会う人たちは、みなそれぞれに「スタイル」のある人ばかりだったと回想される。

クローゼットに入っている服も最低限で、だけど質の良いものが用意されている。決して、寝巻姿で家の中を歩き回らず、家庭内でもきちんとした服装をしている。厳選された調度品に囲まれ、一番良い食器でいつも家族が食事を取っている。普段はテキトーにやっておいて、特別な日だけ着飾るのではなく、日頃の平凡な毎日こそ良い物に囲まれ、良い環境で過ごしているのだ。

質素で最低限の生活なんだけれども、選び抜かれた道具たちに囲まれ、折り目正しく生活することは、生活そのものが豊かで充実している。そんな価値観・世界観に、著者は留学で初めて触れたのだ。読んでいると、やっぱりアメリカは豊かで物が溢れていることがわかる。パリでは、どんなものも大事に大事に手入れしながら使わないといけないそうだ。例えばパリでは女性用下着が壊れやすいから乾燥機にかけられないと書かれていた。

大事なのは「自分のスタイル」を持っていることだ。自分のスタイルがあれば、購買欲を煽ってくるセールスにいちいち反応しなくていいし、ブームや見栄に振り回されることもない。「自分が満足できる」ことに集中できれば、それだけで豊かだ。何に満足を感じるのかは、周囲と比べなくても、自分で決めればいい。

長く使える良い物を持つ

今、日本でもアメリカの量販店が全国展開されていて、大量に食品や生活雑貨を購入することで、倹約に努めている人もいる。それは一つの生活スタイルだろうけれども、だからこそ「物を手入れしながら大事に使う」という素朴なことを、時々思い出しておいても悪くはないだろうと思う。

わたしはどちらかというと、大量にものを買いこむタイプではなく、多少割高でも必要なときに必要なだけ買えばいいやと思っている。もちろんセールで安く買えたらラッキーだけど、焦って要らないものや、中途半端なものを買うよりは、よく考えてから定価で買ったほうがいいんじゃないかなぁと考える。なので、買い物にでかけても、何も買わずに帰ってくることも多い。

それでも、これまでは家には物がたくさんあって「安い物を買わなきゃいけない」と思っていた。ここ数年、片づけを進めていて、持ち物がかなり厳選できるようになってからは、「良い物を、それなりの値段で欲しい」思うようになった。これはかなり心境の変化だ。できれば、何年も何十年も手入れしながら長く使えるものが欲しい。だから、デザインや素材にもこだわりたい。オーダーメイドしたいとも思う。それは浪費ではなく、むしろ以前よりも使うお金は減っているから、ふしぎな話。

異文化の中から

『フランス人は10着しか服を持たない』では、メンターと出会うこと、異文化に刺激されることが、読みどころだろう。本書は著者学生時代の若い頃の経験をもとに自分のスタイルを確立してゆく過程が収められているけれども、いくつになってもメンターにも出会うし、異文化にも触れる機会は続くと思う。

そのときに、自分が全身でぶつかってゆける準備はしておきたい。自分を動かすのは好奇心かもしれないし、違和感や戸惑いから始まるかもしれない。面白く楽しい経験かもしれないし、怒りや反発から自分のスタイルを見つけるかもしれない。ときどき、自分をひっかきまわす「何か」に、これからも出会うだろう。

そのとき、本書の著者、ジェニファー・L・スコットさんのように、メゲずに挫けずに、よく周囲を観察して、自分をつくる力としたい。本書『フランス人は10着しか服を持たない』から学べることがあるなら「メンターを持つこと」と「異文化に触れること」が、「シンプルライフ」というテーマでまとめられていることだろう。生活をテーマにしているから、自分の経験が、生き方そのものを大きく変えることがよくわかる。

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『0円で生きる』|わたしが格差社会の中で、今やること

『『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。デジカメを買おうとお金を貯めてたのですが、ヘヤカツの効果で「エアコンを買い替えよう」という英断をし、またお金がなくなってしまいました。今のところカメラを使うことがないので、また貯めよう。

今回手に取った『0円で生きる』のは、あさよるのような金欠な人に節約のコツを教える本だと思って手に取ったのですが、もっとマジメで、且つ、もっと面白い本でした。「お金がない」という直面する目先の問題を取り上げるのではなく、格差の広がる社会の中で「私たち個人はどのような活動をすればよいのか」という具体的な行動を示すものです。本書はとても実践的ですし、社会問題について机上の空論を述べる物ではありません。今すぐ、誰もが始められる「世界を変えるための活動」を促す本です。

お金がなくても機嫌よく生きる

本書『0円で生きる』はタイトルの通り、「お金を使う」以外のやり方で、豊かになるための手段を紹介するものです。本書は「お金を稼ぐ」ことに反対しているわけではありませんが「それ以外のやり方」があってもいいし、むしろ我々は昔からあげたりもらったり、貸したり借りたりして生きてきました。お金だけが絶対的な価値になった時代は、とても特殊な時代だったのかもしれません。

そして、現在若い世代を中心に、一人に一つ物を所有することに価値を見出さない人たちが増えています。アメリカでは「ミレニアム世代」と呼ばれ、社会問題になっているようです。自動車メーカーは、一家に一台、一人に一台自動車が売れるほうが儲かります。村に一台しかなかった電話が、一家に一台、部屋に一台、一人に一台と普及していくことが、国内需要を増やす時代がありました。

しかし、今では自動車メーカーまでもカーシェアリングを推奨しているし、時代はすでに変わり始めています。かつては、中古品はダサくて新品に憧れました。しかし今、古着や古本、リサイクルショップやフリーマーケットで買い物をすることに抵抗がない人がたくさんいます。

本書『0円で生きる』では、あげる・もらう、貸す・借りるのみならず、お金をかけずに、お金以外の価値によって活動をしている人や団体、サービスを紹介します。

本書では無料でできる様々なことを紹介している。貰ったり、共有したり、ゴミを拾ったり、行政サービスを利用したり、自然界から採ってきたり、無料でできることは、よく見てみれば身のまわりに溢れかえっている。(中略)

ここに書いてあるのはあくまでも、贈与や共有にもとづいた無料の生活圏を社会のなかに広げるための方法だ。実際には企業がくれる無料サービスを狙ったほうが、手に入るものは多いかもしれない。けれどもこの本には、その代わりに大きな夢がある。
そんな社会になれば、例えば貯金がない人、稼ぐのが苦手な人でも、別の形で貸しを作っておけば、困った時にお金がなくても、借りのある人が助けてくれるだろう。お返しがお金ではなく、何か得意な作業でもいいのなら、お金のない人も欲しい物を手に入れることができる。

p.3-5

本書はあくまで、無料の生活圏に注目するための案内です。実際に「お得情報」をお探しの方は、もっと広い目で探した方が良いでしょう。

お金の価値が絶対的に強い世界では、お金のない人は貧しく不幸せに生きることになります。すなわち、高年収の職業に就けるか否かが、幸不幸を分けてしまっていることになります。社会の中で一番お金を稼ぎ、お金をたくさん持って、大きな力を持ているのは、企業です。企業は政府に献金し、政府は法人税を下げたりします。そして我々は、大企業に雇ってもらい、終身雇用されたいと望んでいます。格差社会が広がった今日の日本では、昭和期よりも「終身雇用」を望む人が増えています。

お金があれば幸せ、お金がなければ不幸せ。大企業の正社員になれたら幸せ、なれなかったら不幸せ。そして格差の広がる現代日本では、お金がなく、大企業の正社員になれない人が増えています。とても息苦しいですね。

お金がない人が多いという貧困の問題への対策としては、二つの方向がある。ひとつには、賃金を上げさせ行政の支援を増やし、もっとお金が貰える社会にする方向だ。もちろんこれは必要だ。けれども、同時に社会のお金への依存度を下げることもまた大事なのだ。そして本書が取る立場は後者だ。

p.6-7

前置きが長くなりました。格差社会が広がり、お金による幸福を得られない人が増えています。その対策として、まずは、国や行政は支援を増やしお金を貰える社会にすること。これは、国や行政という大きな視点での対策。そして本書『0円で生きる』では、お金の依存度を減らし幸福度を増す、個人や小さなグループが取り組める、小さな目線の対策です。「今、自分はどうするのか」とう具体的な行動の参考になるでしょう。

お金以外のやり方

さて本書『0円で生きる』は、具体的にお金を使わずに活動している人や団体を取材したり、著者の鶴見済さんご自身が体験してみたりと、昔からある方法を試したり、実際に運営されているサービスが紹介されています。

もらう・あげる

まず、お金を使わないやり方は、人に無料でもらう、人に無料であげる方法。一番ありふれている方法です。お祝いやお見舞い、門出にプレゼントを渡すコミュニケーションも存在します。

SNSで自分のいらないものや、欲しいものを日ごろから知らせておいたり、カンパを集める人もいます。不用品を出品するサイトを使って、自分の不用品を他人にあげたり、人からもらうこともできます。これはやや面倒くさいのですが「使える物を捨てるより、誰かにあげたい」という心理と相まって、なかなかよいサービスのようです。

要らないものを放出する「0円ショップ」というのも、実際に存在しています。みんなが不用品を持ち寄って出品します。欲しいものがある人は、持ち帰ります。店舗のテナント料はカンパで賄っているそうです。同じものをあげたりもらったりして、大勢で物を貸し借りしているイメージです。路上や、空きスペースで開催されていることもあります。

カンパの集め方も、従来の募金方式や、グッズを販売して購入代金を資金に充てるだけでなく、クラウドファンディングも盛んになっています。クラウドファンディングの内容も、社会的なものだけでなく、個人的な要望にもお金が集まっています。

シェア・共有する

「貸し借り」は太古の昔からある活動です。物々交換するためには、お互いの欲しい物と持っている物が合致しないと成立しません。ですから、大昔の人は「物々交換」という奇跡ではなく、「貸し借り」という現実的なやり取りをしていたのではないかと本書では考察されていました。

身近な貸し借りは、自宅で持ち寄りパーティー。部屋や食べ物をみんなでシェアしていると言えます。旅行やDIYに使う道具など、滅多に使わないものを貸し借りする人たちもいますし、それらをレンタルできるサービスもあります。

他人の家から家へ移り住む、いわゆる「居候生活」をする人もいます。ワールドワイドに、世界中の家から家へ宿泊させてもらう人もいます。彼らは、異国の話を話して聞かせることで、宿の提供者を持てなすことができます。

著者の鶴見済さんも、実際に6週間スイスの青年を自宅に泊めてみた経験を綴られています。最初は心配でしたが、意外と生活には支障はありませんでした。あまり細かにスケジュールを聞きだしたりせず、放っておくのがお互いに居心地がよさそうです。一方で、会話の中で、何気ない「場を和ますような言葉」を英語で話せなくて、気まずい思いもしたそうです。英語は流暢であることに越したことはなさそうですね。

空き部屋や空きスペースに泊めてもらう〈カウチサーフィン〉を利用した経験もありました。カウチ、使ってない椅子を使わせてあげるという人と、泊まりたい人をマッチングするサービスです。ベトナムでカウチサーフィンを利用して、カフェの営業外の時間、カフェの椅子で宿泊させてもらったそうです。一緒になったドイツ人の人と、語らい快適に睡眠。翌朝は、カフェの開店の手伝いをして宿を後にしたそうです。

〈airbnb〉(エアービーアンドビー)は、空き部屋を有料で貸し出せるサービスです。しかし、ホテルの空き室を一般の住宅として偽装して登録されていたり、安宿よりも高額だったり、本書のテーマとは外れた実情もあるようです。同じく、車の相乗りをマッチングする〈Uber〉(ウーバー)も、実情が現行のタクシーと大差ないと紹介されています。

「ヒッチハイク」も空席のシェアと言えます。長距離運転主も、話し相手を求めていることもあるそうで、居眠りせずに話しをすると、お互いに良いみたいです。また、日本はヒッチハイクしやすい国らしく、実際にやったことある方もいらっしゃるかも?

ゴミを拾う

0円で物を手に入れるのに適しているのは、ゴミを拾うこと。自治体によっては、業者による廃棄物の収集を禁止しているところもありますが、個人がゴミを拾う分には気にしなくてよさそうです。しかし、ゴミを拾う「マナー」については、しっかりと本書で念を押されています。マナーとして配慮すべきは

・広げたゴミ袋は必ず元に戻す
・敷地内のゴミや、回収車に入れられたゴミは取らない
・店員に気づかれないようにする。気づかれるならやめる
・野宿者が待っているところはやめる
・深夜は音も気をつける
・各家が、家の前にゴミを出す戸別収集している地域では、ゴミを拾わない

あくまで、匿名のゴミを、匿名で拾うことが前提のようです。

食品については、お店によっては拾う人のために、食べ物をきれいに分けられていたり、わざとゴミ捨て場の鍵を開けたままの場所もあるようです。気づいていないけれども、意外と「ゴミを拾う」「ゴミをあげる」という文化は根付いているのかもしれません。

また、富の再分配という点でも、ゴミを拾うというのは役割を果たしています。本来なら社会が支援すべき対象を、ゴミを提供することで賄っているとも考えられます。

『『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』』挿絵イラスト

元手0円から稼ぐ

元手0円から、お金を稼ぐ方法も考えましょう。まず、フリーマーケットに出品してみるのが一番簡単です。フリマ会場によって〈売れ線〉があるようで、事前にリサーチしておきましょう。公共の場を使ったフリーマーケットは、なかなか審査が面倒で主宰するのは大変そうです。個人が自治体が主催する「○○市」「××祭り」「△△マルシェ」なんかに出品してみましょう。

食品を売るケータリングは、仕込みの時間も必要ですので、利益を上げるのは難しそうですが、食べ物を通じて人と知り合う仕事は、遣り甲斐も大きいそう。

日本では、路上で物を売る屋台の取り締まりが厳しいのですが、「移動屋台」はOKです。駅前で『ビッグイシュー』を立って販売しているのも、そのためです。軽トラは初期費用が必要ですが、自転車やリヤカーならかなり手ごろです。

カフェや飲食店の閉店時間を貸してもらったり、複数に人で店を持ちまわる「日替わり店長」をやっているお店もあります。自宅がある人は、家をお店にすることもできます。物を売ってもいいし、いらないもの市をすることもできます。但し、飲食店をする場合は、規制があるので準備が必要です。

助け合う・ボランティア

本書では〈二人以上でやることはすべて「助け合い」〉だと紹介されています。だから、二人で肩を叩いて、マッサージをしあうのも「助け合い」です。こう言われると「助け合い」や「ボランティア」がグッと身近な言葉に感じます。

料理をみんなで持ち寄るのも助け合いです。一人で食事を用意するより、コストを抑えてたくさんの品目が食べられます。「共同購入」も助け合いです。安くまとめ買いして、みんなで分けます。

〈WWOOF〉(ウーフ)というサービスは、農場で手伝いをする代わりに、宿泊と食事が無料になるサービスです。国内にも、受け入れ先があるようです。「手伝い」というのは、昔からありふれた助け合いです。誰もが経験したこともあるでしょう。

行政からもらう・公共サービス

行政サービスを利用することもできます。多くの人が日常的に利用できる富の再分配は、まずは「図書館」。図書館は居場所としても機能し、コミュニティスペースとしても活用できます。公民館もホールや会議室を使えます。音楽のライブをする人もいます。スポーツ施設でスッキリ発散しても良いでしょう。

公園や霊園でくつろぐこともできます。国公立のキャンパスを公園のように使うこともできます(私大はその大学による)。お弁当持ってってもいいですね。大学の図書館利用もできます。

生活保護も私たちの権利です。職業訓練を受けることもできます。

自然界からもらう

自然にあるものを貰ってくることもできます。そういえば、先週ツクシをせっせと採っている人を眺めていて「春だなあ」とこっちまで堪能していました。もう今週には立派なスギナになっていました。

食べ物になる植物を育てている人は多いかも。薬味系は便利だし良いですね。うちはネギとミョウガが生えます。ハーブや、サラダにできるお野菜もどうそ。プランターでプチ家庭菜園くらいは、なさっている人もいるでしょう。

野山や川や海で採集できるものもあります。野草であるタンポポやハコベ、ヨモギなど。銀杏や桑、梅の実も街中でも落ちています。あさよるは大阪に住んでいるので、秋になると誰かれなしに銀杏をもらえますw

注意として、毒のあるものもあるから、慎重に!

また、自然は鑑賞するだけでも豊かさを感じられます。植物や鳥や魚を鑑賞してみましょう。

※デメリット・危険もある

本書で紹介される「0円で生きる」やり方を紹介しました。かなりいろんな方法が紹介されているのがわかります。お金の価値や仕事を否定しているわけでもなく、今の生活でも「豊かさ」は見い出せるし、幸せになれるんじゃないかという提案なのです。

しかし、これら紹介した事柄にも、それぞれデメリットもあります。宿泊先を紹介するサービスでは、レイプ事件も起こっており、手放しに安全とは言えません。事前にきっちり下調べすれば、あまり神経質になりすぎなくて良いとは紹介されていますが、安全のための確認は必要です。ヒッチハイクなんかも同様ですね。

また、助け合いは素晴らしいことですが、歴史の中では「ムラ社会」にて、約束を守らなかった人を半ばイジメる「村八分」もあったのも事実ですし、人と人とが関われば、煩わしい手間や人間関係が生まれます。

本書では、ネガティブな事柄も、実にフラットに紹介されています。

「ムラ社会」を超えた社会を

本書『0円で生きる』で目指される社会は、過去の「ムラ社会」的なものに戻ることではありません。むしろ、「ムラ社会」を超えて、新しい社会を構築すべきです。

村の中の助け合いの中で、義務を果たさないと人に制裁として「村八分」があったのは知られていて、明治以降、人権の立場から批判を浴びています。同様に、他の土地から引っ越してきた人を、村のメンバーとして認める「村入り」にも厳しい条件がありました。条件が果たせる人しか村の仲間になれないのです。現在では、あえて村入りせず「よそ者」で居続ける人も増えています。

現在の私たちにとって、助け合い、相互援助と聞くと、全時代の風習を連想し、ネガティブに捉えてしまいます。

助け合いといういささか古い習慣に人々を向かわせたいなら、そのいい面を伸ばすと同時に、厄介な面を是正していくことが不可欠だ。個と集団全体をいずれも尊重する、あらたな人間関係を模索するべきだろう。
現在の助け合いには、ボランティア活動のように一方的・慈善的な「テツダイ型」で、一時的、個人的なものが多い。ここには自らが助けてもらう権利はない代わりに、助ける義務も長期にわたる人間関係もない。これが全時代のマイナス面を踏まえた、新たな助け合いの形なのだろう。

p.159

「テツダイ」とは、返礼を期待せず一方的に支援することです。冠婚葬祭の手伝いや、災害時の支援としての手伝いもありました。「助け合い」は相互に、持ちつ持たれつの関係なので、義務を果たさない人がいると破綻してしまう関係性です。だから村八分をして阻止していました。しかし「テツダイ」はそもそも一方的なものなので、「一時的」「個人的」なものです。「テツダイ型」が新しい助け合いの形だとしています。

少ないお金でも充実して生きられる

本書『0円で生きる』で紹介する、お金以外のやり方で豊かに生きる〈やり方〉は、共感する人もいれば、「えー」と思う人もいるのでしょうか。あさよるの場合、共感……というか、あさよる自身も実践していることもあるし、お金以外の豊かさを持っている友人知人も身近にいるので、「何を今さら」という感じもあるかな。

そもそも あさよるは、お小遣いがなくてもまあ、プラっと図書館にでも行けばOKですし、窓越しにボーっと日がな一日外の景色を眺めているだけでも充実できるタイプの省エネ人間なので、今もお金はないけど充実はしています。また物欲も多い方ではないと思うし、「旅行へ行きたい」願望もないので、死なない程度にお金があれば良い人ですね(*’ω’*)>

氷河期世代以下の世代は「お金がないのが前提」で生きている人も少なくないでしょう。それぞれ、お金以外の価値を見出して、それぞれ豊かに生きている人もたくさんいるんだろうと思います。一方で、昔かたぎなお金や物質のみ豊かさを感じる人にとっては、とても生きにくい時代です。

「コミュ障」にはお金主義社会はハードモード

いわゆる自称「コミュ障」の、人間関係を構築するのが苦手な人は「ムラ社会的なコミュニティでは生きづらい」という話がありますが、あさよるは個人的には逆だと思っています。ムラ社会的な、ローカルな横のつながりが強いコミュニティでは、コミュ障であっても、与えられた役割さえ果たせば生きられます。

しかし、お金によって繋がっている社会では、孤立すれば終わりです。多くの仕事はチーム戦で、会社の中でみんなで集まって仕事をしています。だから、コミュニケーション能力の高い人はどんな職場でも求められ、たとえ特定の能力が高くてもコミュニケーション能力が低ければ、社会的に辛い立場に置かれる人が多いでしょう。

コミュ障ほど、実は助け合いの社会が必要じゃないのかなあと思っています。それは村八分のある社会よりも、「テツダイ」型の社会の方が、風通しも良いし、自分の能力で手伝うこともできます。

みんながそれぞれ持っている「優秀と言えるほど飛びぬけてるワケじゃないけど、得意なことや、苦にならないこと」を、積極的に使えたら「テツダイ」になり得るのかなあなんて思いました。とりあえず、あさよるは洗濯物を干したり畳んだりするのが大嫌いなので、誰かに手伝ってもらえるだけで人生が楽になるに違いない。代わりに、あさよるがなんかするから。

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