生き方を考える本

『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』|人間100年の時代、求められるものは?

こんにちは。YouTubeで音楽を聞き始めて、抜け出せない あさよるです。エレファントカシマシの『RAINBOW』って曲が超カッコよくてですねぇ。

エレカシのCDずっと聞いているのですが、今年はエレカシデビュー30周年で、日本全国回るライブも始まるようでして……あさよるも一回行きたいなぁと狙っています。

エレカシのメンバーはもう50歳と言うことで、いやぁ、あさよるも歳を取るはずだなぁなんて思いつつ、みなさんとても50歳には見えなくって、若々しくてかっこいいっす。

「年齢に見えない」ってのは特別な人だけではなく、街中のおっちゃんおばちゃんたちも若い人が多いですよね。とても「お年寄り」とは呼べないような風貌の方もたくさんいますし、みなさんオシャレだし、なにより気持ちがめっちゃ若い。もう三十代半ばに差し掛かろうかという あさよるでさえ「若者」な気になってしまうという不思議。

「いつまでも若くいたい」という願いだけでなく、「若くいなければ」という空気感が、「年老いてゆく自分」を受け入れられずに

『「若作りうつ」社会』|いつまでも「愛され」「モテ」でいたい

話は戻って、さっきのエレファントカシマシの『RAINBOW』は、光陰矢の如し。過ぎ去る時間は早く、気づけば足元が崩れ落ちそうな切迫感や、どうしようもなさにドキドキしてしまった。あさよるも以前、そんな世界で生きていた気がするけれども、すっかりのんびりダラーンと毎日を生きている・・・(・ω・`)

「人間100年」の時代を見すえて

前置きが長いですが、今回読んだ『LIFE SHIFT』は人生100年の時代が到来しようとしている今、考えておくべき事柄です。

「人間五十年」と「敦盛」を織田信長は愛したとかどうとか言いますが、敦盛の倍も生きることが、ポピュラーな時代になる?たしかに、団塊の世代はもう70代に差し掛かり、年齢的には「老人」かと思いきや、彼らはまだ自分たちを「老人」とは考えていないと言います。100まで生きると考えると、確かにまだ先は長い。

『LIFE SHIFT』では、人生100年の時代を見据え、ケーススタディを交えながら新しい時代の人生を考えます。

生き方、働き方、家族の形

寿命が伸びると、時間が増えます。時間が増えると、その分の生活費が必要になります。生活費を工面するためには、働かないといけません。

これまでの人生は、「教育→仕事→引退」と3つのステージしかありませんでしたが、今後は人生のステージが多様化が予想されます。単純に「仕事」のステージを長くなるでしょうし、また「教育」も卒業すれば終わりではなく、キャリアアップが重要にもなるでしょう。

また、大いなる時間をどうすごすのか。趣味の時間や、余暇の時間が増えると……何がこるのでしょうか。

そして、家族の形。一生同じパートナーと結婚生活を続ける人は今よりも少なくなるのかもしれません。30歳で結婚しても、100歳まで生きたら70年も連れ添うことになりますからね……途中で婚姻関係を破棄するカップルも増えるんじゃないのかなぁ。

人生が長くなると、子育ての様子も変わるのかもしれません。夫婦の形が変わるのですから、パートナーとの結びつきよりも、血縁の繋がりが強くなるのかも。この辺は『LIFE SHIFT』はアメリカの本ですから、そもそも日本の「家族」とは違うのではないか?と想像します。

モデルのいない最初の世代

我々は生まれ年が10年ごとに、2年ずつ寿命が伸びていると言います。あさよるよりも、10歳年下の人は2歳、20歳年下の人は4歳、30歳年下の人は6歳、長く生きられる可能性が高い。

これまで、100歳まで生きる人は稀でした。ですから、とてもめでたいものとして祝われてきました。しかし、生まれた人の半数が100年以上生きる時代が来れば、100歳は当たり前の時代になります。現在はまだ100歳の人は珍しいですね。しかし、80代90代で健康で活発な人はたくさんいますから、今後1世紀以上生きる人は増えるでしょう。

問題があるとすれば、今の私たちは「100歳の人がたくさんいる社会」を知らないことです。何が起こるのか。どんな価値観や思想の元、我々は生きるのでしょうか。

たぶん「寿命が延びている」というのは事実でしょう。それにより、これまでの人生のモデル、社会のモデルが通用しなくなっています。「高齢化社会」に伴う問題がまさにそうですね。

本来、多くの人が長生きできるのはヒジョーにヒジョーに喜ぶべきもので、人類登場以来の悲願で有り続けたことでしょう。その喜ぶべき事柄をきちんと喜びのままに成就できる用意、できていますか?

求められるモノも変わってゆく

人生100年時代は、求められるモノやサービスも変化するでしょう。今まで以上に求められる業種もあるでしょうし、全く新しいビジネスモデルも登場するでしょう。なんてたって「今までとは違う社会」がやって来ようとしているのです。

一体、自分は何歳まで生きるのか?そのためになにをすべきなのか?

そして、長寿の社会で、どんな仕事をすべきだろうか?何が求められているんだろうか?

ぼんやり考える材料に『LIFE SHIFT』はなりました。結構分厚目の本なんですよ。けども、読みやすい内容でした。

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『里山資本主義』|「自分でなんとかできる」が〈安心〉を生む

こんにちは。最近「田舎住まいもいいなぁ」と思い始めたあさよるです。元々、田舎で育ったのですが、いや、だからこそ「都会で暮らしたいっ!」って憧れや焦りがあったんですよね。

都市部に住んでいれば問題も不安もないわけじゃないし、それは田舎でも同じですから、どこも同じゃないのか?と思い始める所存。

『里山資本主義』はSNSで紹介している方がいらして、タイトルが気になって手に取ってみました。ちなみに↑の書影は「スタジオジブリ 近藤勝也氏 描き下ろしイラスト」と帯に書いてありますが、あさよるが手にしたものは残念ながら、普通の表紙でした(;’∀’)

「自力でなんとかなる」を増やす

『里山資本主義』は、見捨てられた田舎〈里山〉を利用するこで、現在の社会問題のいくつかの対策になるのではないか?という提案です。

例えばエネルギー問題。林業で生まれる廃棄される端材を燃やし、電力発電に充てている企業が紹介されます。発電した電気は自分たちで使用し、余った分は売ってしまう。経費削減と共にプラスにもなるという、一石二鳥。

別に、廃材を燃やせば原発に取って代わるエネルギーが手に入るだなんて言いませんが、停電しても「なんとかなる」。この安心を自分で生み出すことができる。

あるいは、食糧問題。都市部で生活していると、食料品はお金で手に入れています。ということは、お金が無くなったら食べ物がなくなります。田舎での生活は、ある程度自分で食料を自給することもできるし、田舎あるあるとして「誰かが何かをくれる」という物々交換が起こります。仮に現金がなくなっても、しばらくは食いつなげそうです。

生きるためにお金が必要です。その事実は変わらないでしょう。

我々はお金によって、エネルギーを買い、食糧を買っています。それは、〈自分の命を他人から買っている〉ことなのかもしれません。

そして、「金さえあれば生きていける」と思っていたのに、そうではなかった。お金を払えても、停電してしまえば仕事にならない。仕事がなくなればお金もなくなり、命もなくなります。

言い知れぬ〈不安〉は、自分の命を他人が握っており〈お金の問題ではない〉と気づいてしまったとこから始まったのかもしれません。不安から、手元に現金を残そうと経済活動は縮小し、ますますお金がなくなってゆくという負のスパイラル……。

『里山資本主義』では、少しだけでも自分の〈命〉を、自分で何とかできるようにしようと呼びかけます。それが〈安心〉を呼び、安心が経済を刺激するでしょう。

「どこでもやってける」生き方

『里山資本主義』で紹介されている事例は、「こんなところに仕事なんてない」「都会でないと儲からない」「都市部から遠いとお客さんが来ない」という思われていた場所で、実際に成功しているビジネスモデルが取材されています。

これを読んで感じたのは「どこでもやれるんだ」ということ。むしろ「こんなところになにもない」と思われている地域は、ただ見過ごされているだけなのかもしれません。

節約・倹約ブームで安価なものが持てはやされる一方で、手の込んだもの特別なものへお金を使いたいニーズもあります。自然志向や〈隠れ家的〉なお店を求めて県外へ車を走らせる人もいます。

「田舎でなにやってもダメだ」と思い込みから、我々は大きなチャンスを逃しているのではないだろうか?とハッとしました。

〈里山〉という資産が見過ごされている?

〈都市〉が人工物であるように〈里山〉も人が長い年月をかけて作り上げた人工物です。都市がそうであるように、里山も人が放置すれば朽ちてしまうでしょう。このまま捨ててしまうの?そこに〈資源〉がまだ眠っているんじゃないの?そう語りかけられているようです。

使いようによってはいかようにもなりそうなものを再確認させられる内容でした。

あさよるも、身近な人たちの様子を見ていても、やっぱり都市部や街中での子育ては大変そうです。子どもが思いっきり走り回れる場所がないので、習い事をハシゴさせて運動できる場を確保しているようです。これは……お金がないお家では、体を動かすことも十分にできないってこと?

土地も高く、狭いところにたくさんの人が住むことで、問題やトラブルも発生します。

「田舎はダメ」と自分に呪いをかけずに、「田舎もアリ」と選択肢として持っておくのは、今後の生き方に大きな影響がありそうです。「なんとかなる」を手に入れる。

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『幸せになる勇気』|平凡で「その他大勢」である自分の価値

こんにちは。みなさまゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。あさよるネットは平日更新予定です。

以前、『嫌われる勇気』を読んで「なんか感動した」とワーワー言ってたんですが、その後もジワジワッときています。この本、以前に読んだときは「なんのこっちゃ」と何も感じなかったんですが、変われば変わるものです。

自分のこだわっていることや、他人に苛つく時「自分がこだわっているんだ」「自分が苛立っているのだ」と思うようになりました……その瞬間はムズカシイけどね、頭が冷めたときね。

『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

で、続編の『幸せになる勇気』も読みたいでしょ~ってことで。

『幸せになる勇気』のあらすじ

『嫌われる勇気』にて〈哲人〉との討論の末、アドラー心理学の考えを受け入れた〈青年〉。彼が、3年の時を経て再び哲人の元へやってきた。しかも、彼を論破し、アドラー心理学がペテンだと暴くために!

青年は教員となり、子どもたちの教育を仕事としています。しかし、子どもらを扱うためには、アドラー心理学は使えない。アドラー心理学では人を「ほめてはいけない、叱ってもいけない」という教育方針だからです。放っておくと子どもは悪さをしますし、叱らないとナメられます。いつも厳しく叱る先生の教室はいつも整然としています。そして、良い成績を残した子を褒めてやると喜びます。

アドラー心理学は机上の空論である!それが青年の主張です。

「ほめてはいけない、叱ってもいけない教育」とは

教師である青年は子どもたちへの教育をめぐって話は展開してゆきますが、〈教育〉というものそのものは、我が子への教育、後輩や部下への教育など、どんなシーンにも当てはまります。そこで、人をほめはいけない、叱ってもいけないとは、これいかに。

まず、「ほめる」という行為は、目上の者が目下の者への行為です。平社員が「社長、よく頑張ってますね。偉いですね」とは言いませんw ですから「相手をほめる」というのは、無意識にも相手を格下認定しているのです。そして、その微妙な人間関係は子どもだって感じ取っています。

ほめるのではなく、相手にすべきは「尊敬」です。

ほめてはいけない、叱ってはいけない理由

何かをすると、他人からほめられる、すると嬉しい。これを何度か繰り返していると「ほめられる」ことを目的に行動するようになります。これは自分の価値基準を他人に預けてしまうことになってしまいます。だって「ほめる」か否かは、相手が決めるのだから。

他人から「ほめられる」ことを目的に行動し、望み通り「ほめられる」間は、むしろ良好な状態にさえ見えてしまいます。しかし、ほめてもらえないと、ネガティブな感情に支配されることでしょう。

そして、ほめてもらえなくなった人は、次は別の手段で人の気を引こうとします。それが「反抗」です。反抗すると「叱られる」。叱られ、憎まれることで、相手の心を掴もうとする。だから「叱ってもいけない」。

更に、人からほめられず、叱られもされなくなったとき、人は無気力になり、自分の無力をアピールしはじめます。「自分はバカだから」「勉強できないから」と諦めの境地になるのです。そして、自分がいかに無能であるか証明をするのです。この境地へ至っては、なかなか支援の手が差し伸ばせません。もっと前段階で踏みとどまっておく必要がある。

哲人 ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられること」を求めます。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。

青年 ではどうするのです!?

哲人 他者からの承認を求めるのではなく、自らの意志で、自らを承認するしかないでしょう。

青年 自らを承認する!?

哲人 「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。幸福な生がどちらの先にあるか、答えは明らかでしょう。あなたの価値を決めるのは、他の誰かではないのです。

青年 そんなもの不可能でしょう! われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認欲求を必要としているのですよ!

哲人 おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう。ありのままでいいのです。「特別」な存在にならずとも、優れていなくとも、あなたの居場所はそこにあります。平凡なる自分を、「その他大勢」としての自分を受け入れましょう。

人を「褒めてはいけない」、そして「叱ってもいけない」。相手の承認欲求を満たすのではなく、代わりにすべきことは、他人を信じ、尊敬し、愛することです。

尊敬できない理由

といっても、他人を無条件に「信頼」できますか?言うことを聞かない、自分勝手な相手を「尊敬」なんてできません。ましてや「愛」だなんて。さらに、承認欲求を退け、「その他大勢」の一人として生きるよう指南する哲人に、青年はマジギレ。

青年 軽口を叩くな、このサディストめ!「お前はどこにでもいる平凡な人間だ」などと言われて侮辱を覚えない現代人がどこにいる!!「それも個性だ」などと慰めを受けて、真に受ける人間がどこにいる!!

キレてますねー。青年は、子どもたちを褒め、叱ることで自立を阻み、いつまでも教師の影響下に置きたいと考えている。それは、自分が特別な存在でありたいと願うばかりに、自分が救世主のように振る舞おうとしている。哲人はそう指摘します。

哲人 あなたはまだ、幸せになれていない。「幸せになる勇気」を持ちえていない。そして、あならが教育者の道を選んだのは、子どもたちを救いたかったからではない。子どもたちを救うことを通じて、自分が救われたかったからです。(中略)
他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に「メサイヤ・コンプレックス」と呼ばれています。

p.162

青年がどうして人を救いたい、救世主でありたいと願うのか。それは、青年自信が、自分の価値を自分で決定することができず、他人から「認められたい」と願っているからです。自らの承認欲求を満たそうとして、他者と関わっているのです。

承認欲求から解き放たれるには、「自立」をすること。平凡な自分を受け入れ、その他大勢の中の一人であることを認め、自分らしく生きることです。それが「幸せになる勇気」なのです。

悪いあの人、かわいそうなわたし。これからどうする

哲人のもとへやってくる人の悩みは、「悪いあの人」「かわいそうなわたし」、この二つの話をするそうです。いかにあの人は悪いのか。いかにわたしはかわいそうなのかを語ります。しかし、その相手に「これからどうする」と語りかけると、返事が変わるのです。過去の嫌な経験を話すのではなく、「これからどうする」。シンプルだけど力強い言葉なのですね。

子どもたちにも、この言葉は有効なようです。ケンカをした二人に、どっちが悪いと話を聞くこともですが、「これからどうしようか」と問いかけは、思考を変えるといいます。

確かに人間は、最初に与えられた条件に思考が凝り固まってしまうことがあります。カタログの中から商品を選び始めると、カタログ以外にも商品が存在することが頭から消えてしまいます。「どっちがいい?」と聞かれると、二つの中から選ぼうとしてしまいます。

「悪いあの人」「かわいそうなわたし」の考えにハマりこんで苦しんでいる時、「これからどうする」という問が思い浮かばなくなってしまうのかもしれないのでしょう。だから、誰かが問いかけて欲しい言葉だなぁと思います。

愛すること、愛されること

そして『幸せになる勇気』の大詰めは、「人から愛される」ことに話が及びます。人から愛されるには、まずは「人を愛すること」です。

また、アドラー心理学は「運命の人」を想定しません。ある日突然運命の人と出合い恋に落ち、愛し合うようになる…というストーリーを描く人は「運命の人がいない」と自分に言い聞かせます。365日、誰とも出会わずに生きている人は稀です。多くの人は常に誰かと出会い続けています。出会いがないわけではありません。

「誰にも愛されない」理由を「運命の人がいない」とすり替えているだけにすぎないのです。

「幸せになる勇気」。それは人を愛する勇気です。人を愛する人は、人から愛される人です。他者から愛されるということは「幸せ」に繋がります。

「人から認められたい」と承認欲求に生きることは、他人が自分の評価を決める生き方です。他人が認めてくれない苦悩の中で一生を生きるのか、一方、自分の価値を自分で決め、自立して人を愛し、人から愛されて生きるのか。

決めるのは自分です。そして、アドラー心理学は、過去の経験は関係なく「今」の自分にスポットライトが当たります。

さて、今、自分は、「これからどうするのか」。

…次回作にちょっと期待w

青年は相変わらず怒り狂い、前作にも増して哲人をなじっておりましたw

この寸劇、嫌いではないので、ちょこっとだけ次回作に期待しております。今回、「教育」と「愛」について怒っていたので、次回は結婚して嫁に対する愚痴を撒き散らす青年とかねw 待っておりますw

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『エピジェネティクス――新しい生命像をえがく』|「遺伝」だけじゃなかった!

こんにちは。生物学の勉強がしたい あさよるです。そのために、化学の勉強からやりなおさなきゃいけないことに気づき、呆然としていますw

今回は、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授の仲野徹さんの『エピジェネティクス』を選びました。

なんじゃそら!?と聞いたこともない言葉です。仲野先生がラジオ番組に出演されているのを聞き、本書を紹介なさっていたのです。お話も終始面白く楽しい時間でした。

PodcastやWEB上でも聞けるようなので、ご拝聴あれ。↓

ちなみに、以前あさよるネットでも紹介した『かぜの科学』も、番組中に仲野先生が紹介なさっていたので、興味を持ちました。

『かぜの科学:もっとも身近な病の生態』|温かくしてお布団で寝ましょう^^

「エピジェネティクス」ってなに?

まず、「エピジェネティクス」ってなによ?って話ですよね。詳しくは本書を読んでくださいとしか言えないんですが(笑)、ちょっと頑張って説明しようとしてみます。

と言いつつ、著者の仲野徹先生が中高生に向けた記事で、エピジェネティクスについてインタビューに答えておられました。

私たちのからだは、精子と卵子でつくられる受精卵が分化して、眼や腕や心臓などの細胞が形づくられていて、どんな細胞をつくるかは遺伝子によって決まります。どの細胞も基本的には同じ遺伝情報を持っているのに、それぞれ別々の細胞になるのはなぜか。それはそれぞれの細胞で使われる遺伝子と使われない遺伝子が決まっているからです。そして、それぞれの細胞には、使われる遺伝子と使われない遺伝子に、ある種の目印がついています。これが「エピジェネティクス制御」です。

―URL:第7回 | この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 | 中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

この後も図解付きで説明が続きますので、ご参照ください。

最初の受精卵の細胞が分裂していく最中に、ある細胞は心臓に、ある細胞は消化器に、ある細胞は脳細胞に、と分化してゆき、身体を形作っています。

どの細胞も同じ遺伝子情報を持っていますが、別々の働きをするのは、遺伝情報が書かれた文字列に付箋をつけたり塗りつぶしたり、ON/OFFが切り替えられるからです。

この、遺伝子に目印をつけON/OFFを切り替える働きが「エピジェネティクス」です。

そして、父親と母親から半分ずつ受け継いだ遺伝子は不変ですが、「エピジェネティクス」は変化します。ですから、同じ遺伝子を持つ一卵性双生児も、時間と共に遺伝子は同じですが「エピジェネティクス」が働くので別人のように変化してゆきます。

親から受け継いだ遺伝子は不変ですが、しかしその遺伝子の内、どの情報をONにするか。どのタイミングで、どれだけの働きをさせるか。変化します。

かつて生物は生まれながらの遺伝配列に左右されると考えられていましたが、後天的要素によっても変化が引き起こされるんです。

新書ながら、むずかしいよぅ><

本書『エピジェネティクス』は、最新の専門分野のお話を嚙み砕いて簡単に説明くださっているんだとうと思います。あとがきでは、高校生でも背伸びすれば読める内容を目指した、とあります。

しかしながら……あさよるには難しかったぁ……(;’∀’)> 正直、途中読み飛ばしちゃった部分もアチコチありました。

中高で習った理科の知識を総動員してお楽しみください。

「エピジェネティクス」という現象自体、最新のもので、今のところ全てを証明できるものではなさそう。今後の展開に超期待ってことですね。

wktk

「遺伝」とエピジェネティクス

これまで、持って生まれた遺伝子は変わりませんから、発病しやすい病気や体質等、生まれたときから決まっていると考えられていました。

しかし、エピジェネティクスの考えでは、遺伝子の情報だけでなく、どの情報を発現させるのかによって、その個体の持っている要素が変わってゆくと考えられています。

例えば、胎児の頃に栄養不足に陥った人は、生まれるころには通常の大きさで生まれ成長しますが、糖尿病や特定の病気にかかりやすいとデータにあるそうです。

そして興味深いのは、青年期に栄養状態が良かった人の、子や孫世代の寿命や体質に影響しているというデータもあるそうです。もちろん“遺伝子”には親の栄養状態は影響しませんから、エピジェネティクスが何らかの方法で受け継がれているように見えます。

ただ、全ての実験やデータの量はまちまちですから、全てが信頼できるデータとは限りません。が、エピジェネティクスが人間にも働いているかもしれない例として、面白いですね。

わたしたちもエピジェネティクスに動かされてる?

プレーリーハタネズミというネズミの生態が面白かったです。

プレーリーハタネズミの雄と雌は、つがいになると生涯連れ添い、片方が死んでも、もう片方は次の相手に興味を示しません。

この“つがいの絆”は、オキシトシンとバソプレッシンというホルモンが関係しています。

オキシトシンを雌のプレーリーハタネズミの脳室に注入すると、パートナー嗜好が生じます。雄のプレーリーハタネズミにはバソプレッシンを投与しても、同じようにパートナー嗜好が生じます。

「このネズミじゃなきゃダメっ!(///)」って感じ?

二つのホルモンが両者に働くことで、プレーリーハタネズミ夫婦の絆が生じ、逆戻りしません。

エピジェネティクスは、一定方向にしか働きません。ボールがコロコロと坂道を転がることはあっても、坂を上り始めることがないのと同じです。

人間とネズミは違います。プレーリーハタネズミが持っている生態を、ヒトも持っているとは限りません。

だけど自分の行動や嗜好も、同様に何か原因があってボールが転がるように、エピジェネティクスが働いているのかもしれないと思うと……怖い気もしますし、面白いとも思います。

「生まれながらの遺伝子だけではない」という考えは、現代の多くの人にとっても興味深い事柄ではないでしょうか。

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『35歳からの美肌カウンセリング』|アラフォー、どう向かえる?

こんにちは。佐伯チズさんファンのあさよるです。

チズさんの美容法って、単に上っ面の美しさだけではなく、身だしなみや姿勢、洗練されたスタイルにまで及びます。

そして、自分自身の意識や考え方までひっくるめて、「美しさ」なんですよね。

うん、素敵!

スタイルのある女性に

『35歳からの美肌カウンセリング』はでは、佐伯チズさんの美肌メゾットを伝えるのはもちろんですが、もっと抽象度を上げて「美しさ」を手に入れるための考え方が提示されています。

それは、一人の女性としての「スタイル」の確立です。

イライラと人に当たり散らしらしたり、自信がなく僻んでいては台無しです。

胸を張って“シャン”と立ち振舞いできることが、大人の女性の「美しさ」の基本でしょう。

「肌」や「メイク」だけにとらわれない

若い頃のお化粧って、若いってだけで可愛らしく、それだけで価値のあるものでした。どんな個性的なメイクをしても、あるいはテキトーな手抜きメイクをしても、“それなりに”様になっていました。

しかし、年齢を重ねるに連れ、それが効かなくなってきます。

素肌の美しさは、自力で維持し続け、生み出さねばなりません。

上辺だけの「肌」ではなく、食べ物や生活習慣から見直し、根本的な体づくりが要求されるのも、この年代からですね。

スキンケア法が知りたいなら別の本を

佐伯チズさんといえば佐伯チズ式の美肌法ですが、本書『35歳からの美肌カウンセリング』では、多くは触れられていません。

メイクの方法もイラスト付きで紹介されてはいるのですが、こちらもボリュームは少なめ。

もし、佐伯チズ式美容法をお知りになりたいなら、別の本をあたってください。

あさよるも以前紹介した『美肌革命』は読みやすく分かりやすくオススメです。

『美肌革命 お金をかけずにきれいになる』

「持ち物」にまで意識を向ける

本書『35歳からの美肌カウンセリング』で感銘を受けたのは、自分の身だしなみや持ち物にまでスタイルを貫き、配慮をする姿勢です。

例えば、佐伯チズさんはコンシーラーを使わずに、素顔でいようと語りかけます。みんな、素顔でも外に歩けるような肌に憧れています。……歩いちゃおうよってわけですね。

口紅は先にサッと塗り、リップペンシルを使って上唇はシャープに下唇は丸みを持たせて書く。最後はグロスで仕上げるとあり、あさよるも早速リップペンシルを買ってきましたv

さらに「大人の女」の7つ道具が紹介されており、これがカッコいい。

  • エルメスのスカーフ
  • テラコッタの練りチーク
  • ゲランの香水「オーデ フルール セドラ」
  • アクアスキュータムのトレンチコート
  • 7センチのハイヒール
  • クリスチャン・ディオールの口紅「631番(フィギュ)」
  • 本真珠のネックレス

やばい。こんな女性が目の前にいたら、うっとりと見入ってしまうに違いない。でもきっと、その女性は他人の視線もよそ吹く風で颯爽と通り過ぎて行ってしまうだろう!

めっちゃ素敵!こんな女性になりたいっ!とりあえず、トレンチコートを買ってきました(ノーブランドの安物ですがw)

ディオールの口紅は欠番になってるのかな?でも「私はのこの色」って定番があるってカッコいいよね。

どんな女性になるのかな

あさよるは、これから35歳を迎えようとする女性です。

ちょっと前まで「アラサー女子」なんていってキャピキャピしていて、「歳を取る」「オバサンになる」ってのが嫌だったし、自分はそうならないって思っていました。

が、今はちょっと気持ちが違う。上手に年を重ねて、小奇麗なオバサンになれたら万々歳だなぁと思うようになりました。

先日読んだ『「若作りうつ」社会』を読み、ますまず「上手に年を取る」ことを切望するようになりました。

『「若作りうつ」社会』|いつまでも「愛され」「モテ」でいたい

自立した女性像

佐伯チズさんの語る“30代後半の女性像”も、年齢相応の女性としての立ち振る舞い身だしなみです。あさよるの理想とするイメージに近いものです。

「どんな風に年を取るの?」

みんな「若返り志向」が強い時代で、どうやって上手に年齢を重ね、凛と居続ければいいんだろう。

一つの回答が、こんなところに眠っていました。

地に足ついて、一人で凛とたたずむ女性像。佐伯チズさんこそ、素敵に年齢を重ねている女性です。憧れる~。

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『かぜの科学:もっとも身近な病の生態』|温かくしてお布団で寝ましょう^^

こんにちは。風邪っぴきの あさよるです。先週は高熱を3日続けて出して、今週に入ってからは声が出なくて喋れません>< もう体は元気なんですけど、いつも風邪をこじらすと喉にきてしまいます……。

と、そんな話はいいんですよ。

たまたま熱を出す前に、図書館で『かぜの科学』という本を見つけて借りてきていたんです。この本は、以前にラジオで紹介されていて気になっていました。

読むなら今しかないよねッ!

風邪に特効薬はないッ(`・ω・´)キリッ

まぁ、端的に言えば風邪に特効薬はないっ!

ええ!まさにそれが知りたくてページめくってんすけどねぇ……この苦しみから解放されたい一心で活字を読んでいたのに……事実とは無常なり。

「風邪は寝るしかないよ」と、この一言、この真理!日本中のオカンが言うであろうセリフ!この言葉を説得するために、結構ボリュームある一冊が必要なアメリカの読者すごい。

風邪を引き起こすウイルスは、少なくとも200種以上いる。これらが次から次へと体の中に入ってきては、風邪の諸症状を引き起こす。

インフルエンザみたいにウイルスが特定されていれば予防もできるが、風邪は数が多すぎてムリってことだ。

んで、風邪に効く薬はない!

『かぜの科学』を読んだ感じだと、医学の世界でも、風邪の研究をしている人は少ないみたいで、奇特な人なんだって……。

マスクは予防に使える?

風邪の感染ルートの研究も面白い。

飛沫感染しているのか?接触による感染なのか?空気感染しているのか?とりあえず、38.8℃の中読んだ感じだと、よくわからんかった(オイ。健康は大切だなぁ…)。

くしゃみや唾は想像以上に飛び散り、人の住んでいるエリアは誰かが飛ばした鼻水と唾まみれだ。

マスクは風邪やインフルエンザの予防に役立つか?という話題はよく見聞きするが、『かぜの科学』を読む限り、マスクはそれなりに予防に使えそうだ。

鼻水や唾まみれの場所を手で触り、その手で目に触れたり、口に触れることで体内にウイルスは移動してゆく。だから、口の周りを物理的に覆っちゃうことは、自分で自分の口を触る回数を減らすことになるんじゃないのか?

女性の場合、お化粧をすると顔を無暗に触れない。これも、風邪予防になっている気がした。まさに化粧は「お呪い」だ。

手の打ちようがない……ショッキングな一冊

『かぜの科学』は、やたらボリューミーだ。

とりあえず、風邪をひいてから読むのは大変なボリュームだ。健康なうちに読んでおこう。

「風邪」という、ごくごくありふれた病気。本書によると、平均寿命のうち、およそ5年間風邪の諸症状に襲われ、1年間は風邪のせいで床についている。

しかも、大概の風邪は大したことない。だけど、アンラッキーが重なれば死んでしまうこともある。それもみんなよく知っている。

なのに打つ手がない!

本書『かぜの科学』で語られる風邪の話は、実はかなりショッキングだ。とりあえず、もう5日ほど声が出ない あさよるにとっては、なんと救いのない結論だろうか。

アメリカ人がアメリカ人読者向けに、特効薬のない、どうしようもない病について書くと、こんな分厚い本になるんだなぁと、なんだかおかしかった。たぶん、熱のせいだろう。

ママのスープ飲んで、温かくして寝ましょうね

繰り返しますが、本書の結論は、風邪に特効薬はない。

ママの作ったチキンスープでも飲んで、温かくしてよく寝ましょう!以上おわり!w

チキンスープを飲めと言うと笑いが起こるらしいが、著書はマジで薦めている(レシピも載っている)。七面鳥のスープでもいい(アメリカっぽい!)。

日本バージョンだと「オカンの味噌汁でも飲んで寝ろ」ってところ。出汁がよくきいて、野菜が入っているのがいいらしいし、発酵食品も勧められていたから、味噌汁は打ってつけだろう。

これだけ科学が発達し、数々の病も克服してきた人類も、「風邪」には勝てないという、面白い話。

ネガティブな人より、ポジティブな方が免疫力が上がって風邪の治りも早いらしい。

あと数日間は、自分の体調管理の甘さを棚の上に置きつつ、テキトーに感染ルートを他人のせいにして、気楽にお布団でヌクヌク寝るのが、回復への近道だ。

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『「若作りうつ」社会』|いつまでも「愛され」「モテ」でいたい

こんにちは。放送中のドラマ『東京タラレバ娘』を見て、胸が痛い あさよるです。

主演の吉高由里子ちゃんも、榮倉奈々ちゃんも大島優子ちゃんも、むちゃくちゃかわいいのは言うまでもありませんが、劇中の三人は「ゼツミョーに超ウザッwww」とニヤニヤ見てたんですよ。なーんか痛々しいんですよねー。意識高い系っていううか~。

すると第一話の終盤、金髪のイケメソくんから「30過ぎて女の子じゃない」と言われて、ショックを受ける三人。そしてショックを受けるあさよる……

―( ̄∇ ̄;)→グサッ!!!

先日読んだ熊代亨さんの『「若作りうつ」社会』を思い出しました。彼女らは、女の子の世界から抜け出して、大人の女性になれるのでしょうか!?ドキドキ

年の取り方がわからない

『「若作りうつ」社会』の冒頭で、精神科医の著者・熊代亨さんの元へやってきた患者さんのエピソードから始まります。

Cさんは仕事と子育てをソツなくこなす女性で、合間には趣味も楽しみ、社内で尊敬を集める人でした。しかし、ある時から睡眠や食事がうまく取れなくなり、心療内科で「うつ病」と診断されました。

治療により病状は改善しましたが、彼女は納得しません。朝から晩までスケジュールが詰まった、エネルギッシュで充実した“元の生活”に戻られないからです。

「若い頃と同じように頑張りたい」と主張し、自身の加齢を受け入れることに抵抗を感じています。

「老いを受け入れられない」

アンチエイジングがトレンドの21世紀。多くの人が抱えている問題です。

世代が分断された社会

かつての日本社会は、良くも悪くも様々な世代が関わり合って生きていました。

監視し合い、古い風習や価値観に支配された生活であった一方で、生まれる人、老いる人、病気になる人、死ぬ人。人間のさまざまなステージの人々が一つのコミュニティに交じり合っていました。

現代は、地域社会や因習から解放された一方で、孤立した世帯は、他の世代と隔絶されてしまいました。

「年の取り方がわからない」とは、自分たちの先を行く人々を見失ってしまった世界です。

70代に差し掛かる団塊世代も、自らを「老人」とは感じていません。いつまでも若々しく、老いのない世界は夢のような世界ですが、残念ながら存在しない世界です。

現実と願望のギャップにより、じわじわと苦しむのが現在人なのかもしれません。

誰も何も言わなくなった

アンチエイジングは超人気です。テレビをつければ次から次へと健康食品のコマーシャルばかり。

何を口にするのも人の勝手ですが、それにしても、買う人がいるからテレビで宣伝してるんですよねぇ……。

と、「人の勝手」というのも、現在人が陥っている落とし穴になっています。

赤の他人である友人知人が、怪しいげなものにハマっていても「人それぞれだし」「人の自由だし」と積極的には口出ししません。

ムラ社会的な相互監視の世界から抜け出した我々は、気軽になった半面に、間違った方へ進もうとしても誰も引き留めてはくれなくなりました。自由と責任、両方を手に入れたんですね。

本書『「若返りうつ」社会』の「第二章 誰も何も言わなくなった」は静かにゾツとする話でした。

父親不在の社会

「年の取り方がわからない」社会は、「モテ」が力を持つ社会です。

小さな子どもは、一人で生きてゆけませんから、大人から「愛され」ることで生存率を確保できます。ここでいう「愛され」とは、容姿が優れていたり、コミュニケーション能力が高いことです。

簡単に言やぁ、かわいらしい、愛らしい子どもが可愛がられるという、身もふたもない話なんすが……(;´・ω・)

かつてのムラ社会では、多少コミュニケーション能力が低い子も「みんなの子ども」「社会の子ども」という認識がありましたから、なんとかやっていけました。

しかし、現在は個人と社会が遮断されていますから、生まれ持ったかわいらしさ(容姿)か、コミュニケーション能力がないと、かわいい子どもになれません。

いつまでも「愛され」たい

そして、年の取り方を忘れた社会は、大人たちもいつまで経っても子どもの世界にいます。容姿が優れ、コミュニケーション能力の高い「愛され」「モテ」こそが社会を生き抜く力なのです。

……なんか自分で書いてて冷や汗しか出ないんだけど(;’∀’)

で、自分の「愛され」「モテ」要素を受け入れてくれる「母性」を求めている。

一方で、現在は父性不在の社会でもあります。

戦後の経済成長とともに、父親は朝早くにはるばる遠くへ出勤し、夜遅くに帰宅する、家庭にいない人物になりました。子どもから見ると、父親が毎日なにをやっているのか分かりません。

「仕事をしている」「働いている」とは言っても、具体的に何をしているのか分かりません。実際に育て、養育してくれるのが母親ですから、母性が力を持つのも頷けます。

社会の構造が変わったことで、家庭内の形まで変わり続けています。そして、新しい社会像、家族像をなかなか描けず、終わらない子ども時代を過ごしているのが現代なのかもしれません。

……って、エヴァンゲリオンみたいな話やないか!

(「第三章 サブカルチャーと年の取り方」は、オタクと年を取れない我々のお話で、他人事とは思えません)

「老い」と「死」をどう受け入れる

「年の取り方がわからない」世界は、「老い」と「死」のない世界です。

しかし、実際に現実には我々人間は日々刻刻と年を取り、老い、死に近づいてます。観念世界と現実世界の隔たりこそが、苦しみや、居心地の悪さを生んでいるように思いました。

個人的な話ですが、あさよるの祖父母はみな早く他界していて「老人」というものを知りません。

街中で出会う高齢世代の人たちは、みなさんハツラツとしてらして、元気いっぱいで何度目かの青春を謳歌しているように見えます。または、まだまだ現役世代バリに働く人たちばかりです。

これから両親も老いてゆくのでしょうが、「老いた人」を側で見たことがありませんから、「老人」がどのようなものか、あさよるにはロールモデルがありません。それは、自分自身が老いてゆくイメージがないことです。

あさよるもまた、現在人の一員として自らの「老い」や「死」を持っていない一人なのでしょう。

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『ミライの授業』|世代交代が、常識を変える

こんにちは。子ども時代にあまり本を読まなかった あさよるです。

これ、10代の頃に読みたかったなぁと思った中の一冊が、瀧本哲史さんの『君に友だちはいらない』。なんてことないビジネス書なのですが、10代向けに書かれたもので、あさよるも青年時代に読んでいたら、なにか変わったかも?

チームで挑め!『君に友だちはいらない』

同著者である瀧本哲史さんによる、14歳の中学生に向けた『ミライの授業』という本見つけたので、手に取ってみました。

歴史を知って、ミライを知る

本書『ミライの授業』では、たくさんの偉人たちのエピソードを交え、かつて世界中で何が起こり、今日へ至ったのか。

今、我々が「常識」「当たり前」と思っている事柄も、常識じゃなかった時代があるのです。どうやって、世界は変わっていったのか。

学校の歴史の授業ってとっても大切だと思います。一気に、客観的に、世界で起こったことをコンパクトに把握できるからです。

そして本書『ミライの授業』で扱われる“歴史”は、個人にスポットライトを当て、個人の発見や発明が世界中、そして未来の世界へ与えた影響を見てゆきます。

世紀の大発見・大発明も、それが評価されるのはずっと後の時代だったりします。時代が、社会が、新発見を受け入れる準備が必要なのです。

その準備とは、パラダイムシフト。人びとの認識が変わらなけばならない。しかし、人の認識ってそうそう簡単に変わりません。実際には、古い時代の人たちが去り、新しい世代が登場する、「世代交代」が必要です。

その時代、信仰、価値観が入り乱れる

「ミライの授業」という授業ですが、数々の過去の話が展開されます。

昔の世界は、今とは全く常識が異なる異世界でした。信仰も違います。常識も違います。価値観も、社会のしくみも違います。

異世界から、どのように今の現実世界へやってきたのか。それを知ることは、未来を考えることに繋がります。

それは、きっと「未来も異世界だ」ということです。今の常識も社会のしくみとも、全く違うものだろうと想像できます。

……しかし、それは一体どういうモノ?……その質問に答えられる大人はいません。だって大人は古い世代で、世代交代していなくなってゆく人たちです。

ミライをつくり上げる可能性があるのは、14歳の子どもたち。新しい世代が、現大人たちは見られない「ミライ」を作るのでしょう。

偉人は、何を成したのか

『ミライの授業』は、過去の偉人たちのエピソードがふんだんに紹介されており、偉人伝のようにも読むことができます。

が、通常の伝記とは性質が違います。

従来の伝記ってその人がどんな環境の中、どんな工夫や努力で発見・発明に至ったのかという過程を紹介するものですよね。

しかし、『ミライの授業』では、偉人が成し遂げた発明・発見によって“世界が変わった”。発明以前と以後、なにが変わったのか。どうやって人々に受け入れられたのか。

特定の個人のお話ではなく、世界がダイナミックに変化し続けていることを知る。これが本書の狙いなのかなぁと思います。

学校の授業では、“現在の”常識を身に着けてゆく場です。そして、待ちかまえる“ミライ”はその常識とは違う、“新たな常識”を生み出すことです。

まずは現在の常識をきちんとインストールし、それを利用しながら全く新しいミライへ進む。なんかすっごく、ワクワクします。

14歳の君たちへ

『ミライの授業』はすでに大人な あさよるが読んでも面白く感じる内容でした。

しかしやっぱり、読者の対象は14歳の中学生であり、著者の瀧本哲史さんは、彼らへ贈りたい言葉として『ミライの授業』を書かれたんだと感じます。

もし、14歳の人たちに何かを伝えることができるなら、あさよるも『ミライの授業』で扱われているようなことを伝えるのかもなぁと想像してみました。知らんけど。

こういの、学校や地域の図書館にあればいいなぁと思いました。誰でも、手に取れるようにね。

もちろん、大人も気づきや発見のある本です。少なくとも、ガチガチに凝り固まった頭には、こんな刺激が適度に必要ですw

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『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』|生命とは、流れのなかの淀み

こんにちは。豆乳、枝豆を毎日投入していたら(ダジャレ)、体がモチモチになった あさよるです。

タンパク質スゴイ!あさよるの体も、あさよるの食べたもので出来てるんだなぁと実感。

『あなたは半年前に食べたものでできている』を読んだよ

「動的平衡」とは

以前、『せいめいのはなし』という本を読みまして、その本のなかで「動的平衡」という言葉が使われていました。

『せいめいのはなし』|「生命」をテーマのダベリはおもしろい

それは一体なんじゃろ?と、同著書の、ズバリ『動的平衡』という本を見つけたので読んでみました。

本書内に「動的平衡」の説明があったので引用します。

エントロピーとは「乱雑さ」の尺度で、錆びる、乾く、壊れる、失われる、散らばることと同義と考えてよい。
秩序あるものはすべて乱雑さが増大する方向に不可逆に進み、その秩序はやがて失われてゆく。
(中略)
生命はそのことをあらかじめ織り込み、一つの準備をした。エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊し、そして再構築するという自転車操業的なあり方、つまり「動的平衡」である。
しかし、長い間、「エントロピー増大の法則」と追いかけっこしているうちに少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピーの増大に追いつかれてしまう。つまり秩序が保てない時が必ず来る。それが個体の死である。
(中略)
したがって「生きている」とは「動的な平衡」によって「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけているということである。

『動的平衡』p.245-246

生命とは、絶対的な決まった形のあるものではなく、瞬間瞬間の化学変化の連鎖によって維持されています。

さらに引用します。

 生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている、体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り替えられ、更新され続けているのである。
だから、私たちの身体は分子的な実態としては、数か月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれてゆく。
(中略)
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。

『動的平衡』p.231-232

エントロピーについてはこのへんを。

「動的平衡」のかみ砕かれた内容

本書『動的平衡』は、環境雑誌『ソトコト』で連載されていたものだそうです。

ですから、生命や生物学的な専門の話というよりは、「動的平衡」をテーマとしたコラム集のようです。

ですから、どなたが読んでも理解できる内容です。

生命そのものの話だけでなく、ダイエットや健康志向について、食品問題、そして病気など、展開されます。

あさよる的には「動的平衡」について科学的な話を期待していたので、求めていた内容とは違いました。

ですが、特に食品やサプリメントについての話題は、他人事ではないので興味惹かれました。体の仕組みも、食品についても何も知らないのに、“サプリペンと頼み”みたいになってるかも……反省。

これから読むなら『生物と無生物のあいだ』で

先に引用した通り、生物は流れそのものでしかなく、その流れの淀みである。改めて話を整理されて伝えられるとねぇ。

「そうだったのか……orz」

いやね、多くは以前読んだ『せいめいのはなし』や『生物と無生物の間』でも語られていました。

もし、これから読まれるんだったら、『生物と無生物のあいだ』でいいかも。与太話的な要素もほしいなら、『せいめいのはなし』はハイレベルな対談集ですから、楽しですよ。

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『脳はバカ、腸はかしこい』|脳はすぐに勘違い、間違っちゃう?

こんにちは。胸焼けが治らないあさよるです。

先月の半ば、急に38度の高熱を出してしまい、一週間近くヘバっていました。その後、体調は回復しつつあるのですが、胸焼けというか、お腹の調子がスッキリしません……(T_T)

熱を出している間中「く、くるしい……今までなんて恵まれた環境で生きていたんだろう……orz」「ラクになりたい…」「熱が下がったら、健康のためにガンバロウ」……と心に誓ったものです。

……さっそく不摂生な生活に戻ってるんですけどね(^_^;)

『脳はバカ、腸はかしこい』。あさよる、今、このタイトル、すごく沁みます……。

脳はすぐ勘違い!

脳はすぐ勘違いを起こしたり、暴走してしまいます。人類は脳を極端に発達させた分、バグやエラーも増えちゃってるのでしょうか?

一方で、腸はいつも堅実です。

脳が麻痺してしまって、ガバガバ食べ過ぎ飲み過ぎを起こしてしまいます。しかし、腸はちゃんと対応するんですね。バカな脳を持ってしまったばっかりに、いつも苦労している腸に申し訳なく思いました……。

真面目な読書というよりは……

本書、ぶっちゃけ「セックス」と「ウンコ」の話がループしつづけます。あとがきはサナダムシを飼う話だしw

この手の言葉を聞くと、骨髄反射的に「低俗!」「バカ!」と思う方は、すんごく苦手な内容じゃないかと思いますw

性と排泄は「生きる」ことそのものの話題です。軽快なノリで書かれていますが、ヒジョーに真面目な話です。

話はあっちこっちへと飛び回り、パラパラと知識を振りまきます。

「腹に落ちる」と言いますが

「頭で理解する」ことよりも、「腹に落ちる」「腑に落ちる」方が、理解度が高い感じがします。

慣用句の中でも、頭よりもお腹の方が偉い感じがします。

もっと言えば、頭よりも、体全身を使って考えることが大切です。頭だけだと、どうしても思考が突拍子もない世界へと入り込んでしまいます。

「私は昔から女性に異常な関心をもっていました。」から始まる独白は、ドキッとします。少しだけ引用します。

 私は昔から女性に異常な関心を持っていました。そんな私は大学時代を含めて、女性にはまったくモテない時期画続き、女性との性的経験は一般男性の平均よりはるかに遅れました。そんな時期、私は女性を見るといつも脳の中で来ているものを脱がせ、勝手に裸を想像していました。
私ん脳はだんだん性的モラルが欠如していくように感じられ、そのうち、本当の女性との恋もセックスも面倒くさくなり、少しずつ自分も家畜化されているのでは、と思いました。
また私には、親しい人が不幸に見舞われたとき、口では「かわいそうにね」と言っていましたが、頭の中では「嬉しい」という感情が湧き出してくることがたびたびありました。
(中略)
家畜のような日々平坦に繰り返される生活で、人間が本来持っているはずの愛や慈悲の気持ちも感情も、すっかり消え失せてしまっていたのです。

―『脳はバカ、腸はかしこい』p28-29

赤裸々な告白で、とても共感しちゃいませんか?

「性」は本能的な欲求なはずなのに、頭の中でモンモンと考えていると、どんどんセックスが「記号化」されてゆき、本物の異性を見ても性の対象に感じなくなってゆく。「童貞力」なんて言葉がありますが、こういう感じなのかな?

そして、人の不幸を待ち望んでしまうというのも、ちょっぴりわかってしまう気がします(^_^;)

人との関わりや、人の気持ちまで「記号化」され、好奇心から「変化」を待ち望んでしまっている感じがします。

脳は結構バカです。すぐに本質がわからなくなってしまうのかもしれません。

それに比べると、腸はいつも堅実です。どか食いで飲み込んだ食品を、今も黙って消化してくれています……。

「頭でっかち」から脱却を

あさよるは当初、腸にいい週間や、ヨーグルトを食べなさい的な、健康志向な話題の本なのかなぁと思い読み始めました。

しかし、その予想は大幅に裏切られる内容でした。もちろんいい意味で!

頭で考えることは簡単です。いつでもどこでもできます。

しかし、身体を使って理解をするのはムズカシイ。サナダムシをお腹で飼うにも、ファイトが必要です。

あさよるも、頭での中の思考にハマりこんでしまっていると気づきました。もっと身体的な感覚を取り戻したいと強く思います。

あさよるだって、子ども時代はもっと肌感覚で、身体を使って考え、身体で記憶していたように思います。あの頃フォーエバー。

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『年収150万円で僕らは自由に生きていく』|「少ないお金でもなんとかなる」に

こんにちは。自分でブログをはじめて、他の人のブログも読むようになった あさよるです。

イケダハヤトさんのブログもちょこちょこっと拝読し、「この人はどんな人なのかなぁ」と気になり、著書を手に取りました。

貧しい社会で、幸せに生きる

イケハヤさんの本を読んでまず気づいたのは、“今後、今よりも貧しい社会がやってくる”“我々はその社会で生きる”という前提であるということです。

著者は1986年生まれのアラサー世代・ゆとり世代です。著者と同じ世代の方なら、同じ世界観を持ってらっしゃるのではないかと思います。

というのも、この世代は、物心ついた頃にはバブルは既に崩壊しており、不況の時代しか知らない世代です。「少子高齢化」も「年金問題」も既に取りざたされていました。もっと言えば「環境問題」や「エネルギー問題」など、今に通ずる問題を、すでに抱えていた時代です。

イケハヤさんの語る世界観は、夢も希望もない話にも聞こえます。しかし、現にそういう時代を生きているのですから……ね(´・ω・`)

砕けた口調で真面目な話のミスマッチ?

ということで、本書『年収150万円で僕らは自由に生きていく』で扱われている内容って、非常に真面目なお話です。

今後、今よりも貧しい社会が訪れることは予見できます。もちろん、景気回復を切に望みますが、楽観的にばかりなっておれません。来るべき時に備えて、用意しておくべきです。

来るべき時代とは、貧困の時代と言えば良いのでしょうか。その社会では、教育や福祉、医療や治安など、今と同じようにはいかなでしょう。

と、とても本質的で真面目な話なんですね。

しかし、砕けた文体で“今”のわたしたちが共感できる、親しみのあるネット社会や文化に触れながらページが進みます。

扱っている内容は固くて真面目な話なのに、砕けた文体でライトな喩えを用いている点に、読みにくさを感じる人もいるかもしれません。反対に、親しみを感じるのか、極端な気がします。

アラサーゆとり世代のリアル

「お金がない」という前提で生きる世代。どのように生き延びるのか。

お金がないなら知恵や人力を使うしかありません。

お金があった時代というのは、人間関係や手間や暇を、お金で解決できた時代と言えます。煩わしい家族や親戚との付き合いをやめ、面倒な地域社会との関わりを絶ってしまっても、お金があればやっていける。

しかし、貧しい社会というのは、親類縁者との関わりがないと生きれないかもしれません。地域社会で助け合わねば生活が成り立たないのかもしれません。

「わずらわしい」「面倒だ」と避けてきた人間関係に、我々は今後直面するのでしょう。

また、「働き方」「お金の稼ぎ方」も従来通りにはいかないでしょう。社会の仕組みそのものが変わってしまうだろう、ということですね。

お金がないなら知恵が必要

社会が貧しくなるというのは、どういうことが起こるのでしょう。あさよるは予想できません。

しかし、今のように医療や福祉サービスを利用するのは難しいのではないか。
今と同じように治安が良いままとは思えない。
今と同じように、食べ物があって当然、上下水道が完備されていて当然ではなくなるのではないか。
災害時、すぐに救援がやってくるのは、国が豊かであることが前提じゃないだろうか…?

最悪、サバイバルするように、生きる瞬間もあるのではないか。

その時、きちんと電力を確保できるかなぁとか、バッテリーやエンジンを上手に使えるだろうかとか、そういえば最近、機械をイジってないから、道具の構造&使い方を忘れてしまっている……。

あさよるは、非常時に役に立たない人だなぁと気づきましたorz もうちょっと、サバイバル力上げないと。

困ったときには、知恵と技術を持った人が必要です。

貧しい時代をどう生きようか?

タイトルが『年収150万円で僕らは自由に生きていく』と、なんとも夢のない、ネガティブなタイトルに思えますw

しかし、それが現実に起こるであろう話です。いいえ、既に起こっているけれど、まだ気づいていないだけの話かもしれません。あるいは、「気づきたくない」だけかもしれません。

と言っても、「今まで通りが通用しない」というのは、過去のどの時代でもそうだったでしょう。

「お金があればなんとかなる」時代は過ぎ去り、これから訪れる社会で「お金は少なくてもなんとかなる」。それだけでなく、「僕らは自由に生きていく」。

タイトルの『年収150万円で僕らは自由に生きていく』というのは、とても前向きな言葉なんだなぁと最後まで読み思いました。

もちろん、どんな時代でも成功する人はいます。

もっと多くの年収を掴み取る人もいるでしょうし、もっと少ない人もいるでしょう。自分はどう生きるのか考えるとき、お金の多い少ないはどちらにせよ、自由で幸せに暮らしたいなぁと思いました。

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『「いい人」をやめる9つの習慣』|みんなの「都合のいい人」!?

こんにちは。「いい人」になれないあさよるです。

今回『「いい人」をやめる9つの理由』という本を読みましたが、そもそも最初から「いい人」になれていないと、読みながら気づいてしまいましたw

本書は、他人から「いい人ね」と称されつつ実は「都合のいい人」として使われてるんじゃね?という疑惑を感じる人へ向けたものです。

あるいは、「いい人」の顔をやめたくてもやめられない。「いい人」になろうとしてしまう、根っからの「いい人」へ。

「いい人」でいたい理由ってなんだろう

『「いい人」をやめる9つの理由』では、他人から「いい人」として扱われるのは、自ら「いい人」と思われたいからではないか?と定義され話は進みます。

その理由は「人から好かれたい」「一人になるのが嫌」「弱みを見せられない」等々、理由が複数挙げられます。

注意したいのは、「気が弱い」ことと「優しい」ことは別の話です。相手の話をハイハイと言われた通りに聞くのが優しさとは限りません。時には厳しいことを言ったり、指摘することが親切な場面もあります。もし、相手の言うことを聞くのが優しさや親切だと思うなら、それは「いい人」像を見つめ直してもいいかもしれませんね。

あるいは、「一人になる」ということを極度に嫌う人もいます。一人で食事することを「ぼっち飯」と言ったりしますね。まるで一人であることが寂しくて恥ずかしいことのように扱われることもあります。

しかし「一人になりたくない」と思うあまり、無理してでも「誰かに好かれたい」「誰かと一緒にいたい」と自分自身にプレッシャーが働くのかも。

性格はそうそう変わらない

本書『「いい人」をやめる9つの理由』を読んで面白いなぁと感じたことは、「性格は変わらない」という前提が置かれていることです。

「頑張って性格を変えましょう」とか「思い込みをやめましょう」とか、無理して自分を矯正するような方向に話は進みません。最初っから「性格は変わらない」がスタートです。

だから、本書で提案されているのは「視点を変える」「別の認識をしてみる」くらいの感じ。でも、そのちょっとの変化が、大きな変化を呼ぶんじゃないかなぁと思います。

“きっかけ”って、ちょっとしたものですからね。

もし、人から都合よく使われたり、パシらされたり、悪質ないじめに遭うなどされている方が、この本を読んでも、読んだからといって劇的になにか変わることはないでしょう。

毅然とした態度をとること。それは悪いことではないことが強調されます。

残念ながら、いじめが社会からなくなることはないでしょう(もちろん、法に触れる「いじめ」は警察や司法に訴えなければなりません)。「いじめ」はある。しかも、「自分がいじめられるかもしれない」のは全ての人に共通しています。

そんなときでも、自分を卑下したり、性格を変えようとせず、毅然と振る舞い続けることが大切です。

「言いたいこと言う人」は図太くあって欲しい…?

「いい人」でいたい人の勘違い……というと大げさでしょうか。

「言いたいことを言う人」のことを、神経の図太いヤツだ、とか、無神経なヤツなどと、評価していないでしょうか。あるいは「ワガママ」とか「気まま」に見えるかもしれません。

しかし、言いたい放題しているように見える人も、実はとても繊細な人もいますし、傷つきやすい人もいます。

先に述べたように、相手の言いなりになることが「いい人」「優しい人」とは限りません。ズバッと物を言ったり、他人の言い難いことを代弁することで、周囲のコミュニケーションを円滑にしようとする人もいます。

「嫌われ役を引き受けてくれる人」というのもいます。

もしかしたら、「いい人」と思われたい人にとって、「言いたいことを言う人」は図太くワガママであって欲しいのかもしれないなぁと思いました。

「いい人」を“やめる努力”?

本書『「いい人」をやめる9つの習慣』は読み方によっては、ちょっとイジワルにも読めるように思います。その構成が面白いなぁと感じました。

まず、普通に読めば、人から「いい人」と言われながら「都合のいい人」として扱われている人へ、脱却の仕方が紹介されています。

しかし、もう一歩踏み込んでみると、「いい人」は、本当の意味で親切で優しくいようとする人や、素直に振る舞おうとしている人への評価が低く、「いい人のフリ」をしている自分の不遇に嘆いているようです。

本書は「性格は変わらない」とし、親切に生きようとする人や、素直に振る舞う人への評価を促し、かつ、「いい人になりたい」と願う人に対しても、「そのままでいいよ」と言っているようです。

そして、ほんの少しだけ、視点を変えたり、他の考え方を知ることで、「いい人」のイメージが変化してゆくように感じました。イメージが変われば……行動も少しずつ変化してゆくんじゃないのかなぁと思います^^

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『置かれた場所で咲きなさい』|ちょっと、前を向きたい人へ

「置かれた場所で咲く」コト

著者は修道院に入り、のちに岡山県のノートルダム清心女子大学に派遣され、その翌年思いがけなく同大学の学長に就任します。

信仰の道を進み、それだけの立場の人でも、やはりイライラしたり腹が立つこともあります、人間ですからね。しかし、それでも、少しずつでも穏やかにあれるよう努められてきたそうです。

本書のタイトル『置かれた場所で咲きなさい』とは、ある宣教師からもらった手紙にあったメッセージだそう。どんな場所でも、置かれた場所で咲く。そのために深く深く根を下す。

そうやって、嵐の中でもしゃんと咲けるんだと、強いメッセージが込められています。

著者のバックボーンも知っておきたい

著者の経歴にもあるように、信仰に基づいた言葉や考え方もたくさん紹介されています。

キリスト教徒でない人でも、自分なりに解釈することは可能だろうし、励まされ、勇気づけられる言葉もあります。ハッと自分の思い込みに気づくこともあります。

しかし、本当の意味で理解しようと思うと、やはり著者のバックボーンをよく知っておくと、より理解できるのかなぁと思います。

それは、信仰だけでなく、著者が生きてこられた時代についてもです。

シンプル。だから力強い

本書『置かれた場所で咲きなさい』では、4つの章「自分自身に語りかける」「明日に向かって生きる」「美しく老いる」「愛するということ」からなり、それぞれ短い節に分かれています。

コンパクトながら、自分を鑑み、心に響くには十分な言葉たち。

節の最後には、まとめとして一言、言葉が添えらています。ちょうど、今のあさよるにグッときた言葉2つだけピックアップしますと……。

“あなたが大切だ”と誰かに言ってもらえるだけで、生きてゆける。

p.71

毎日を「私の一番若い日」として輝いて生きる。

p.99

「命を大切にしなさい」「自分を大切にしなさい」と言葉を重ねるよりも、「あなたが大切だ」と一言告げられる方が、言葉が響く。

また、二つ目の言葉は、あたり前のことですが、ずしんと来ますね。これからの人生の中で今日が一番若い。だから今日やる。シンプルだけど力強い言葉です。

“コトバ”を探している人に

『置かれた場所で咲きなさい』は、誰にでも読め、そして心に響く言葉が詰まった一冊です。

あさよるは一気に最後まで読んじゃいました。だけど、少しずつ朝の時間とか、寝る前とか、ちょっとずつ読んでゆく方がより味わえたかもしれません。

命や思いやり、人を許すこと、自分を許すこと。希望を持つこと。

こんな風に言葉だけ並べても、なんだか上滑りして真に実感することって少ないです。しかし、著者は根気強く、丁寧に、そして軽やかに語りかけます。

短い時間でちょっとだけ前向きになれる、そんな言葉を探している方におすすめです。

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『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方』|時間がない、お金がない、のホンネ

きっかけ

「時間がないから」「お金がないから」「家族がいるから」

『本音で生きる』は、堀江貴文さんが日頃相談されるコトについて書かれています。

それは「やりたいことがあるのにできない」というもの。

その理由は「時間がないから」「お金がないから」「家族がいるから」「上司に理解がないから」「職場で浮いてしまうから」等々、多種多様です。

本音では「やりたい」と思っているのに、理由があってできない。堀江さんのように、自分の思うがままに振る舞いたいと、相談が寄せられるんですね。

堀江さんの答えは明快。

「やる」。

これだけ。

“やらない言い訳”を封じられてしまう…(^_^;)

堀江さんの言葉は真っすぐです。正論で返されるとも言う…。

例えば「お金がないからできない」という相談には、「ないのはお金ではなく信用である」と返します。信用がないからお金を集められないんです。……ごもっとも。

「時間がないからできない」にももちろん、正論で返されてしまう。というか、そもそも何も出来ないくらい時間がないってコト……ありませんよね(^_^;)

また非効率な時間の使い方も「できない」を生み出します。

やりたいことはチャッチャとやる。やりたいことなら回り道も苦じゃないし、もっともっと取り組みたいんだから、自ずと効率化されていくんだろうと想像します。

「効率化されない」こと自体が、取り組み方の現れなのかも……orz

「やらない言い訳」にも、真面目に答えてくれる

堀江さんの主張って、至って真っ当で当然のことなんです。

だけど、だからこそ「できない」って言えなくなってゆくΣ(・∀・;)

ああ、これは「やらない言い訳」だったんだ……とガーンときましたorz

「本音を言うと…」という建前、やめる

堀江さんは「本音で生きたい」と相談する人たちの気持ちが、正直分からないと告白されています。堀江さんご自身は、本音で生きている人だからですね^^

あさよるは、「本音で生きたい」と言うとき、実は「本音は違うという“建前”」を持っているのかもしれないなぁと思いました。

「本当は◯◯したい」「心では△△しようと思っている」「このままじゃダメだと思っている」などなどの言葉って、本音は別にあるのかもしれない……。

それは「私は悪くない」とか「頑張れないのはアイツのせい」とか、なんかそういう、責任を別に持っていきたい「ホンネ」があるのかも……と思い至ってしまいました。

「本音で生きる」とは、責任逃れしている自分を認めることから始まるのかもしれない。そして、堀江さんはその先にある、自分に責任を持つ生き方の指針を示しているんだと気づきました。

「このままがいい」もホンネである

「本音で生きたい」と、行動するのも、なにもしないのも、どっちを選ぶのかは、自分で決めることです。

本書『本音で生きる』では、行動するための考え方や、環境の準備の仕方など、今すぐ行動開始できるシンプルなアドバイス集です。

今まさに、動き出そうとしている人にとっては、励ましの言葉になるでしょう。

一方で、「このままでいい」「今で満足」という本音だって、そのまま受け入れていいんだと気づきました。だって、それが本音だもん。

別に「意識高い系」の本音ばかりじゃないでしょう(堀江さんの元にあつまる相談は、夢の実現や、ビジネスの話が多そうですね)。

自分が本当はなにがしたいのか、せめて自分では把握しておきたいものだなぁと思います。

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『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』

東洋の端っこで生まれ育ったけれども、東洋思想をよく分かっていないあさよるです。

哲学ってね、興味はあるけど踏み込めない世界です。学生時代、哲学の授業を履修しましたが、途中で投げ出してしまいましたw その後もですね、哲学入門とかね、そんな感じの本を読んだり、大学の授業を履修してみたりしてるんです。なのですが……まったく頭に残らないというw

そして興味あるなぁ~と思いつつなかなか踏み込めない世界。そして今回手に取ったのは『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』です。

アメリカの、エリートの、「東洋哲学」の、授業

この本、ややこしい内容です。

本書のタイトル『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』とある通り、あのアメリカの有名校、ハーバード大学の学生へ向けた、東洋哲学の授業です。

そう、対象は、アメリカのエリート。西洋哲学の世界で生きているエリートへ、東洋哲学を説くのです。しかも、古臭い、ノスタルジーな学問としてではなく、現代に充分通用する、哲学として紹介されます。

内容は主に、中国の思想家たち。孔子、孟子、老子、荘子、荀子らの言葉を紹介しながら、西洋哲学以外の哲学に目を向ける授業です。

……ですから、多くの日本人は、読者のターゲットとして想定されていません。まず、西洋思想をバックボーンとして持った、アメリカのエリート層に向けた授業です。

西洋思想の世界から、東洋思想を「発見する」授業と言えます。

知ってるようで知らない?中国の思想家たち

孔子、孟子、老子、荘子、荀子と、名前は見知っている偉人たちですが、彼らが何を残したのか……ご存知でしょうか?あさよるは恥ずかしながら、何も知りません\(^o^)/

何にも知らない上に、「西洋思想の文脈から東洋を発見する」という文脈で読まないといけないので、なかなか難しい読書でした。この一冊を読むのに、一週間以上の時間がかかってしまいました(;’∀’)

そこでは、今の「常識」とは反対のように感じることもあります。「本当の自分」を探すことの無意味さや、自然回帰や自然志向へ警鐘を鳴らすことなどです。また理性ではなく、「心」を研ぎ澄ませ、心で決めるというのも、現代では軽んじられているように感じました。

あさよるには難しかった……(;’∀’)

とにもかくにも、あさよるには難しい内容でした……サッパリ頭に入ってこなかった(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)

東洋思想や思想家たちについて無知すぎるので、今後、こちらの方面を固めてゆこうと心に誓ったのでした……。

なかなか感想にもならない感想でした。

m(__)m

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