久瑠あさ美『ジョハリの窓 人間関係がよくなる心の法則』を読んだよ

コミュニケーションに必要な自分の姿を知るイメージをコピックマーカーで描いたイラスト 読書記録

「自分のことは自分が一番良く分かっている」と言う人がいます。
私も時々そう言います。

ですが、自分のことは自分が一番分かっていないのかもしれません。
自分の姿を、自分は主観でしか見れません。
それは、精神的なことではなく、物理的にも私達は自分の姿が他人からどう見えているのか分かりません。

自分の姿の客観視はできるのか

写真で撮ればいいじゃないかと言っても、そういうものでもないでしょう。
例えば、写真に写っているAという人物と、目の前にいるAという人物を、同一人物だとは認識できても、情報量も全く違いますし、生きて動いている人と、写真とは違うように思います。
自分自身の姿も同じではないかと思うのです。

鏡で見ればいいじゃないかと思うのですが、鏡では、自分の目で鏡を覗き込める範囲しか見れません。
ですが、私は他人を、その人の目の位置から見たことがありません。
あくまでも、他者は一歩引いた位置から観察していると考えていいのではないでしょうか。

唯一無地の私を知らない私

これは、とても恐ろしいことではないのだろうかと、たまに思うのです。
私だけが私を知らない。

私にとって「私」という人物は唯一無二のかけがえのない存在です。
私の居ない私の世界はあり得ません。
その私が、私のことが分からないだなんて。

4つの「ジョハリの窓」

「ジョハリの窓」という対人コミュニケーションのモデルがあります。
アメリカの心理学者ジョセフとハリーが提案したもので、二人の名前をくっつけて「ジョハリ」だそうです。

自己には4つの側面があります。
・自分も他人も知っている自分: 開放の窓
・自分は知っているが他人には知られていない自分: 秘密の窓
・自分は知らないが、他人は知っている自分: 盲点の窓
・自分も他人も知らない自分: 未知の窓

どの窓が大きく開いているかにより、自己や他者とのコミュニケーションが変わるのです。

特に、開放の窓が大きくなるほど、他人から自分のことが理解されやすくなり、円滑なコミュニケーションが期待できるかもしれませんね。

「秘密の窓」が大きいのかな?

私は、自分を振り返ってみると、もしかしたら「秘密の窓」が大きいのかなぁと思いました。
自分では、なにかを秘密にしたり、隠しているつもりはないのですが、「触れられたくない」「見せたくない」「知られたくない」と思っていることがあるように思います。

自分の考えや気持ちがこんがらがってしまうことも多々ありますが、こうしてカテゴリ別に分けてみたり、図解できることで、少し整理をしやすくなるかもしれませんね。

関連記事

ジョハリの窓 人間関係がよくなる心の法則

ジョハリの窓―人間関係がよくなる心の法則
久瑠 あさ美
朝日出版社
(2012)

コメント

タイトルとURLをコピーしました