『脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』|高齢社会で誰もが当事者?

「娘」と「脳科学」の視点から

『脳科学者の母が、認知症になる』は、著者の母親が65歳で認知症になり、娘の視点と、脳科学の視点からその経過を記録したものだ。認知症の症状ので始めは、本人も家族も周囲も、異変には気づきつつも、それを受け入れられずに数カ月の時間を過ごす。その間にお母様のできないことが増え、ふさぎ込んでしまうようになってゆく。

病院にかかり、認知症と診断されたことで、認知症の進行を遅らせる薬の服薬と、家族の日常の取り組みが始まる。

本書は認知症という病気について書かれた本だけれども、「家族が不治の病気にかかったとき」という風にも読める。お母様は、娘から認知症の症状を指摘されても認めなかったが、病院で医師から検査を勧められるとすんなり承諾する。決して「現状が理解できなくなっている」のではなく、娘には弱いところを見せたくないお母様のお気持ちだろう。

単純に、病気の症状で「まるで人が変わってしまった」とは言い切れない。病気以前からの関係性から、病気の姿を見せなくなかったり、誰かになにか失敗した姿を見られたくないと思うのは、自然な気持ちだ。特に、元々社交的な方だったり、居住まいの正しい方こそ、そういう気持ちになってもおかしくないと思う。

本書では、著者が「娘」と「脳科学者」の視点から経過を観察しているが、通常は一つの目線しか持ち合わせていない人がほとんどだろう。そして、認知症患者の介護は、一人で行うのは難しいと感じた。視点が一つしかないと、自分がなにか思い込みをしてしまうと、そこで身動きが取れなくなる。本書でも、著者の行いに対し、著者のお父様が助言するシーンが登場する。登場人物が家族だけでも、まだ視点が少なく、たくさんの人が関わる必要があると思った。人の数だけ多角的な考え方が生まれる。多角的な視線、多様性が必要なんじゃないかと思う。

自由がなくなるのは苦しいことだ

認知症になるとつらいなぁと感じたのは、いつも誰かに付き添ってもらわないといけなくなることだ。自分の好きなことも、自分のやりたいことも、誰かを通さないとできないなんて、とても億劫だ。それでなくとも病気でつらい立場にあるのに、楽しいことまで人の付き添い――言い方は悪いが、ある意味での監視がないとできないというのは、考えるに苦しい。

わたしなんかの場合、性格的にも「いつも人が側にいる」という状況自体がダメだと思う。風邪で寝込んでいるだけでも、誰にも会いたくないし、そっと一人にしておいて欲しいと思うタイプだ。どんなに苦しくても、部屋着のまま人前に出るのもつらいし。

本書でも、認知症のお母様はきちんとなさった方みたいだし、夫や娘であっても、ご病気の姿をあらわにするのは、それはそれでご心労があるんじゃないかと感じた。

認知症を受け入れるのは、もちろんご家族にとっても大変なことだろうが、当然ながら本人にとっても簡単なことじゃないだろう。不治の病にかかったとき、患者は否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容とステップを踏んで病を受け入れてゆくそうだけれども、時間のかかることだ。

誰もが他人事じゃないはなし

わたしは認知症について全くの無知だった。本書内で、安楽死を認められている国で「認知症と診断されたら安楽死させてほしい」と望む人がいるという話が取り上げられていたが、これまでのわたしなら、同じような思考をしていたかもしれない。

だけど、認知症について少し知ると、考えが変わった。病状の進み具合や、症状の出方は人によって違うんだろうが、みんながみんな、自分が自分じゃなくなってしまうわけではないらしい。自分が認知症であることを理解し、できないことが増えてゆくことに苛立ったり戸惑ったり、家族と喧嘩をしたり、仲直りしながら――つまりは、健康な時と同じだ――生きている。この気づきは大きかった。

本書によれば、高齢社会では二人に一人は認知症になるらしい。そして、今のところ認知症の特効薬はない。誰もが当事者として直面する可能性の高い事柄だ。ちょっとは興味を持って知ってもいいことだろう。

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脳科学者の母が、認知症になる

目次情報

はじめに 医者ではなく脳科学者として、母を見つめる

1 六五歳の母が、アルツハイマー型認知症になった

母が認知症になるはずがない
病院へ行く決断
診断結果は、アルツハイマー型認知症
確率ゼロは、「絶対に起こらない」ではない

2 アルツハイマー型認知症とはどういう病気か

認知症の種類
アルツハイマー型認知症のメカニズム
どうして治らないのか?
アルツハイマー型認知症の進行
海馬と記憶
アルツハイマー型認知症の困った症状
現在の治療法
その人が「その人」でなくなるとはどういうことか

3 「治す」ではなく「やれる」ことは何か――脳科学的処方箋

海馬の萎縮がもたらすもの
デフォルト・モード・ネットワークを活性化させるには
記憶を補えば、母ができることは増えるか
母の日常を観察する
 (1)得意料理が作れない
 (2)新しい食べ物を信頼しない
 (3)味見に変化が起こっている
 (4)目の前にあるのに見えていない
 (5)昔の思い出に支配される
 (6)機嫌良く作業できていると歌う
 (7)目に付いたものに動かされる
 (8)洗い物だけは渡さない
 (9)一人でいる時は、何も食べようとしない
脳科学からのアプローチ
 (1)人間の記憶の種類
 (2)安心の問題
 (3)味覚に影響を与えるもの
   味覚と記憶 腸と味覚
 (4)感覚の「オーバーフロー」と注意とメカニズム
 (5)昔の記憶の中は、安心の場所
 (6)主体性の感覚と幸福
 (7)アフォーダンス
 (8)居場所の確保
 (9)症状と性格
記憶は取り出せないだけで、全部残っているのか
後頭頂皮質の活動低下で何が起こるのか
 (1)感覚統合の問題
 (2)空間認知の問題
 (3)注意の問題

4 「その人らしさ」とは何か――自己と他者を分けるもの

依存関係の苦しさ
脳は自己と他者をどう分けるのか
「お財布を盗られた」妄想は、どうして起こるか
他人の気持ちを推論する仕組み「ミラー・ニューロン」
お寿司屋さんでカッパ巻きだけを食べる母
サリーとアン課題
共感の脳活動
私の誕生日を忘れた母
脳は徹底して効率化を図る
母という役割、娘という役割
「家族がわからなくなる」「自分がわからなくなる」とは、どのようなこと
認知能力が失われても、残るものは何か
認知所患者は自分の状態をどう感じているのか
アルツハイマー型認知症の人々の社会的感受性
認知症だったカント

5 感情こそ知性である

診断から二年半後の母
脳科学における感情の役割
感情記憶は残りやすい
感情を司る偏桃体に損傷があると、意思決定ができない
感情が理性を生み出している
「ソフィーの選択」を可能にするもの
認知的不協和
感情の判断は信頼できるか
無意識には見えている「盲視」
アルツハイマー型認知症の人は、胃瘻を自己判断できるか
蜂の八〇%お正解率が意味するもの
感情も知的である
感情とは、対処能力である
一つの出来事に複数の感情を感じてもいい
豊かな感情が大脳皮質を刺激する
感情が作る「その人らしさ」

おわりに 父母と竿燈まつりに行く

参考文献

恩蔵 絢子(おんぞう・あやこ)

1979年神奈川県生まれ。脳科学者。
専門は自意識と感情。
2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。
07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。
現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める。
著書に『化粧する脳』(共著/集英社新書)、訳書に『顔の科学―自己と他者をつなぐもの』(PHP研究所)、『IKIGAI-日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』(新潮社)がある。

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