『南海電車 大阪と和歌山を結ぶ日本最古の現役私鉄』を読んだよ

南海電車の車体のカラーのイメージをコピックで描いたイラスト

南海電車の車体のカラーのイメージをコピックで描いたイラスト

電車に乗るのが好きです。
電車でお出かけするのが好きなのですが、乗ったことのない路線に乗ったり、「この駅で降りたなぁ」「ここを通ったなぁ」と路線図を眺めているのも楽しいです。

電車の車両にも、いろいろ種類があるようですが、名前や詳しいことは知らないので、たまに車両についても調べてみます。
今日は『南海電車 大阪と和歌山を結ぶ日本最古の現役私鉄』を読みました。
私が生まれる前にあった車両や、今も現役で南海線を走っている車両も掲載されていました。

南海電車とは、大阪市から和歌山市まで南北に走っている電鉄です。
大きく、大阪・難波から関西空港や和歌山市へ伸びる路線と、和歌山県の高野山へ伸びる路線があります。
更に、単線のローカル路線も伸びています。

和歌山へ行きたい!

大阪・難波から和歌山へ伸びる南海本線は、海沿いに路線が伸びているので、キラキラと綺麗な大阪湾の景色が見られます。
和歌山へ行く機会は、あまり多くはありませんが、音楽ライブやイベントで足を運ぶことがあります。
和歌山行の電車に乗れるので、いつも楽しみです。

知人と、高野山へ行こうと約束していたことを思い出しました。
何度か日程を決めて予定を立てましたが、天気が悪かったり、毎回予定が流れてしまっていました。

2015年は、高野山が開創されて1200年のイベントが年間通して開催されているようです。
大阪市内からも、アクセスも良いので、今年中に行けたらいいなぁと思いながら、もう9月になってしまいました。

ケーブルカーに乗りたい!

南海高野線の終点「極楽橋駅」から「高野山駅」へ、ケーブルカーが伸びており、これにすごく乗りたいんです。
単線で、線路の真ん中で、上りと下りの車両がすれ違えるようになっています。
以前もこのケーブルカーに乗ったのですが、既に日が暮れており、外が見えなかったのが残念でした。

「極楽橋駅」から高野山の山上へは、ハイキングコースを徒歩で登ることも可能です。
世界遺産の石畳の道を歩くのも気持ちが良いです。
気候の良い時期に行きたいですね。

続きを読む

イラスト作成に使う画材を紹介します!コピック編

イラストを描くのに必要なコピックチャオ、ボールペン、スケッチブックなどの写真

イラストを描くのに必要なコピックチャオ、ボールペン、スケッチブックなどの写真

このブログを更新するにあたり、文章とともに自作のイラストとともに日々記事を投稿しています。
イラスト作成の際に使っている道具や、イラストの描き方など、数回に分けて不定期に紹介させていただきます。
絵を描く楽しさや面白さが伝われば嬉しく思います。

続きを読む

『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読んだよ

たくさんの顔を持つ自分をたくさんの色を持つ多色ボールペンに例えてみたら色とりどりで嬉しい気持ちになったイメージをコピックで描いたイラスト

たくさんの顔を持つ自分をたくさんの色を持つ多色ボールペンに例えてみたら色とりどりで嬉しい気持ちになったイメージをコピックで描いたイラスト

私はずっと、対人関係で「裏表があってはいけない」「人によって態度を変えてはいけない」「誰に対しても同じように振る舞わないといけない」と思っていて、それが正しいことであると信じていました。

ですが、今は少し考えが違います。
相手の人によって、気が合う人もいれば、合わない人もいます。
一緒にいるだけで嬉しい気持ちになれる人もいれば、イライラしてしまったり、喧嘩になってしまう人もいます。
それは、悪いことではなく、私にも相手にも、それぞれ違う個性を持った人間なんだから、上手くいくこともあれば、上手くいかない時もあって当然です。

そう思い始めてから、気が合わない人と無理に一緒にいようとしたり、人と上手くいかなくても仕方ないと思えるようになりました。

たくさんの顔の「分人」を持つ私

平野啓一郎さんの『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読みました。
著者は、唯一無二の「個人」なんて存在せず、対人との関係により様々な顔があり、それを「分人」と呼んでいます。
「八方美人」とか「仮面をかぶる」などの言い方をしてしまうとネガティブな印象が強いので、「分人」という新しい呼び方を提唱されています。

人との関係の数だけ「分人」が存在し、その分人の集まりが自分です。
だから、人との関係の数だけ違った顔の自分があって当然だし、その顔ごとに考え方や気分まで変化があって然るべきなのです。

色とりどりの多色ボールペンでいい

この「分人」の考えを読んで、多色ボールペンをイメージしました。
私はずっと、黒なら黒、赤なら赤の、一色ボールペンたらねばならぬと強迫観念めいた考えを持っていました。
しかし、「分人」の考えでは、赤や青、緑、黄色……と、分人ごとにたくさんの色を持っていて当たり前です。
たくさんの色が一本のボールペンに搭載されている。
これが、一人の人の中にたくさんの分人が存在しているイメージと重なりました。

色とりどりのボールペンを持ってもいいんだと思うと、気分が変わりました。

続きを読む

『モンテーニュ―初代エッセイストの問いかけ』を読んだよ

モンテーニュから始まった試み・エッセイが今や誰もがエッセイストになったイメージをコピックで描いたイラスト

モンテーニュから始まった試み・エッセイが今や誰もがエッセイストになったイメージをコピックで描いたイラスト

「無名の人」という存在が気になります。
現在生きているほとんどの人々も、後の時代の人から見ると「無名の人々」でしょう。
もちろん、私もその中の一人です。

ですが、私は知っています。
私は今、生きているし、私と同じ時間を他の大勢の人々も生きています。
その事実は変わりません。

「有名」と「無名」の差は、偶然?

「無名」か「有名」かの違いは、記録に残るかどうかではないかと思います。
現在の世界を動かしているような立場の人は記録に残りやすいだけで、未来永劫に有名人だとは限りません。
同じように、現在無名だからって、将来的にも無名かどうかもわかりません。
ひょんなことで後世になにか、自分が生きた痕跡が残ることもあるのかもしれません。

今や誰もがエッセイスト?

『モンテーニュ―初代エッセイストの問いかけ』を読みました。
モンテーニュはご存知、「随筆」「エッセイ」というジャンルの先駆けです。
自分の体験や経験を自分の言葉で綴るスタイルは、現在ではポピュラーなものですし、エッセイを綴るように、ブログやSNSを更新している人も多いのではないでしょうか。

モンテーニュは裕福な家に生まれ、裁判官を経てボルドー市長も努めており、「無名の人」とは呼びにくいかもしれません。
ですが、それでも、自分の考えたことや経験を書き残すということが、西洋では画期的だったようです。

あくまで「西洋では」という話で、東洋ではその限りではなかったようで、日本でも、『徒然草』や『更級日記』などの、今で言う「エッセイ」のような文献が残っていますね。

このブログも、私にとっては「エッセイ」に当たるのかもしれません。
そう思うと、今や誰もがエッセイストなんですね。

続きを読む

勝間和代『結局、女はキレイが勝ち。欲張りに生きるためのスキル63』を読んだよ

読書のアンテナ感度を上げていきたい願望をイメージしたイラスト

読書のアンテナ感度を上げていきたい願望をイメージしたイラスト

勝間和代さんの『結局、女はキレイが勝ち』を読みました。
勝間さんの言う「キレイ」とは、外見の美しさのみを指しているのではなく、自分でしっかりと考え、判断し、自立した女性であることを指しているようです。
外見のキレイさは、100人中30番目くらいのキレイを目指そうと、具体的でした。

女性がキレイでいるための63のスキルを順に紹介されています。
一つ一つのスキルも短めでテンポよく、紹介されています。

その中には、既に自分も出来ていることや、考えていることもあれば、苦手で保留していることや、避けて通っていたこともありました。

本を読むと中身が磨かれる?

「私をキレイに導く知恵と技術」の一つに、

本を読む女は
中身がどんどん磨かれる

―勝間和代『結局、女はキレイが勝ち。』(マガジンハウス、2009) p.62

というものがありました。

この朝夜ネットは、日々、私の読書の感想やそれにまつわる話を更新しています。
「本を読む」という行為は、私はできているのではないかと思いました。

アンテナの感度を上げてゆきたい

ただ私の場合は、自分の興味や好奇心にまかせ、読みたい本を読みたいだけ読んでいるだけです。
難しそうな本や、読むのが面倒に感じる本は、後回しにしてしまいます。
手に取ったものの、興味が沸かず読むのを諦めたり、保留したままになっている本もたくさんあります。

自分の読書スタイルを、少し見なおしてみるべきなのかな?と思い至りました。
どんな本を選ぶのか、アンテナの感度を上げてゆきたいです。

続きを読む

『説き語り日本書史』を読んだよ

書を書くのに必要な筆と硯、墨のイラストをコピックで描いたイメージ

書を書くのに必要な筆と硯、墨のイラストをコピックで描いたイメージ

私はこれまで、何度かお習字を習おうと、書道の先生の元へお願いに上がったことがあります。

一回目は、中学3年生の頃。
近所の書道の先生のところへ、しばらくの間通っていました。
硬筆と万年筆のペン習字を習っていたのですが、高校進学と共に時間が合わなくなり通えなくなりました。

二回目は二十代半ばの頃。
引っ越した先の近くの習字教室へ見学に行ったのですが、元気な子どもたちがたくさんいて、とてもフリーダムな雰囲気でした。
静かな時間帯を狙っての出席や、自宅で練習して添削をしてもらうなど、方法を提示して頂いたのですが、タイミングや諸々の条件が合わず結局断念。

三回目は、書道の先生のもとへ習字を教えて欲しいと頼みに行ったものの、新規で生徒を取っていないと断られてしまいました。

「書道」への憧れ

なかなかタイミングが合わず、未だに書道への憧れを引きずっています。
「書道」に触れてみたいと常々思うのです。
日常で役立つのはペン習字かもしれませんが、毛筆を習いたいなぁと思います。

「華道」「茶道」などと同じ「道」のつく習い事を一度してみたいんですね。
もちろん、華道や茶道も一度は触れてみたくはあるけれど……まだ始める勇気と言いますか、踏ん切りが全然ついていません。
いつかは触れられることがあるのかな。

彫って書いた「漢字」、筆で書いた「仮名」

『説き語り日本書史』を読みました。
日本の書は、中国の漢字文化に途中乗車し、途中下車した文化だ、という表現が面白かったです。

日本人は長らく文字を持っておらず、後に中国より漢字が輸入されます。
漢字は「甲骨文字」であり、もともとは動物の骨や亀の甲羅などに文字を彫っていたのです。
中国の書には「彫って書く」という文脈が継承されているようです。

しかし、日本に漢字が輸入された頃には、もう骨や甲羅に掘るのではなく、既に筆が用いられていたせいで、中国の書とは違う、独自の書が発展します。
筆の伸びやかで滑るような曲線が、後の時代に日本独自の仮名を生んだ、というのも、興味深く感じました。

漢字なくして日本語はあり得ない

本書の中でも指摘されていましたが、私たちが日頃使う日本語は、漢字の影響がとても色濃く残っているそうです。
確かに、普段何気なく使う「熟語」は、漢字ありきの言葉です。

私たちは無意識的にですが、漢字文化に則った言語と、日本独自の言語を、複数のレイヤーを重ねるように言葉を重ねて話しているようです。
これを、本書内では「漢和二重複線」と呼ばれていました。

かなり意識して話さないと、意味が複数に取れてしまうような事態もままあります。
言葉が曖昧になってしまうのも、この複数の文脈が入り乱れているせいなのかもしれません。

今後、言葉について調べてみるのも、有益かもしれないなぁと思いました。

続きを読む

『幕末伝説』を読んだよ

歴史を題材にした小説や映画などのイメージをコピックで描いたイラスト

歴史を題材にした小説や映画などのイメージをコピックで描いたイラスト

歴史的有名人は、その時を生きた人たちの本の一握りの人物です。
多くの人々は、たとえ文献に名前が残っていようとも、後の世の有名人になれるかどうかは分かりません。

現在、私たちが知っている偉人たちは、ドラマの主人公に使われていたり、人気小説やマンガなどの作品で登場する人物です。
ドラマや物語の題材にされることで、人々に愛され続けるんですね。

名もない人物に感じるリアリティ

『幕末伝説』は、先日読んだ『幕末気分』に続くシリーズで、『幕末不戦派軍記』の4人のキャラクターが登場する物語も収録されています。
幕末に起こった足利梟首事件や戊辰戦争を扱いつつ、普段はあまりスポットライトが当たらないような人物が紹介されています。

歴史の大きな波がうごめく中、歴史に名を残すことのない普通の人達に注目することで、「その他大勢」の一人ひとりにも、私と同じように命があり、人生があったことを実感し、歴史がリアルに感じられます。

歴史には残らなくても、確かにある人生

どうも私は、歴史を遠いはるか昔の「物語」のように感じてしまいがちなのですが、無名の人物に着目した時にこそ、血の通った人物の一生を思い、「作り話ではない」と思うのです。

ドラマチックに演出された物語よりも、庶民として生まれ無名のまま死んでゆく人物にリアリティを感じるとは、面白いですね。
同じように、庶民として生まれた自分自身も、大きな歴史の流れの中で、小さいながらも役割を担っているような気がします。

続きを読む

『オズの魔法使い』を読んだよ

オズの魔法使いの憧れの銀の靴のイメージをコピックで描いたイラスト

オズの魔法使いの憧れの銀の靴のイメージをコピックで描いたイラスト

幼い頃、ワクワクしたり、トキメキを感じたイメージの断片が、今でも不意に溢れ出てくることがあります。
今、再び人気の『セーラームーン』のブローチだったり、『眠れる森の美女』の魔女たちがケーキを作るシーンを思い出したり、雑貨屋さんで買ったおもちゃの指輪を見つけた時だったり。

その瞬間のハッと胸が高鳴り、頭の先から足の先まで宙に浮いたようなあの気持ち。
あまりにも「あの頃」と同じ感覚でいっぱいになるため、一瞬、今の自分の年齢や、今がいつなのかを見失ってしまいます。

ドロシーの銀の靴にトキメキが溢れ出す!

今回『オズの魔法使い』を読んでも、トキメキや胸の高鳴りが、「ハッ」と蘇った箇所がところどころにありました。
『オズの魔法使い』を通して読んだ記憶も薄れ、話の筋はすっかり忘れていたので、ワクワクと読み進められた上に、キュンキュンと胸がいっぱいになりました。

例えば、ドロシーの銀色の靴。
何故か「銀色」という響きに大人っぽさを感じており、大人の靴を履くドロシーにトキメキました。
ブリキの木こりが油をさすシーンも、どこか可笑しく、コミカルで、ユーモラスでしかし実直な木こりの姿にワクワクしたことを思い出しました。

忘れていたけれど、眠っていた感動体験

『オズの魔法使い』を手に取ったのは、「有名な作品なのに読んだことがないなぁ」と思ったからでした。
しかし、自分の記憶は間違いだったようです。
そこここで、かつて、幼いころに胸が高鳴り、浮足立ち、体中でワクワクした気持ちが、ドバドバと溢れだしました。

読書の記憶とは不思議ですね。
読んだことも忘れていて、話の内容も覚えていないのに、その時感じた感覚や感動はしっかり体に染み付いているのです。

私は今も、数十年後に思い出し、胸が一杯になるような読書体験をしているでしょうか。
それは、トキメク本に出会っていないのではなく、読み手である私の感性の問題なのでしょう。
豊かな読書体験とは、ただただ大量の本を読むことだけではなく、感動とともに本を読むことかもしれませんね。

続きを読む

『万葉恋歌』を読んだよ

ポップスをカラオケで歌うように和歌を楽しみたいイメージをコピックで描いたイラスト

ポップスをカラオケで歌うように和歌を楽しみたいイメージをコピックで描いたイラスト

万葉集には恋の歌がたくさん歌われています。
素朴で、真っ直ぐな恋が歌われていて、現在の私達の胸にも響きます。

女性が、恋人や夫を「我が背子(せこ)」と呼ぶのが好きです。
今の私たちに分かりやすく言い換えるなら、「マイダーリン!」と呼んでいる感じでしょうか。

ポイントは、彼氏だけでなく、夫にも同じように呼びかけるところ。
夫婦になったからって、恋する気持ちは変わらないような表現が、とっても好きです。

現在の日本語で「マイダーリン」に当てはまるような呼び方は思い当たりません。
今の私たちは持っていない言葉を、昔の人は使っていたんだと思うと、羨ましくも思います。

恋する気持ちが詰まった『万葉恋歌』

『万葉恋歌』では、万葉集の中からとっておきの恋の歌が厳選されて紹介されています。
著者の清川さんの解説も、恋する乙女心を熱く代弁していて、ステキ!の連続でした。

本書の中でも、恋人や配偶者の呼び名に触れられていました。
男性は、彼女や妻を「妹(いも)」と、親しみを込めて呼びます。

しかも、その愛しく想い合う恋心は、時間が経っても薄れないようです。
少しだけ引用します。

 ただ、恋人時代だけではなく、結婚後長くたった夫婦でも、そんな愛称で呼び合います。
男は、妻がどんなに世帯やつれしようとも“おのが妻こそ常愛(とこめ)づらしき”――おれの女房こそ、いつでもいつまでもかわいらしい、と歌い、ある時は“相見れば常初花(とこはつはな)に”――おまえを見れば、いつでも咲きたての花のよう、と、うれしいことをいってくれるのです。

ー清川 妙『万葉恋歌』(主婦の友社、2010) pp.120-121

いつまで経っても彼女や妻を「愛しい女性」と呼び、歌にしてくれるだなんて……!とってもステキですね。

カラオケでラブソングを歌うように♪

現在では、流行の POPS で歌われるように、昔は和歌が作られていたのかもしれません。
恋の和歌は、ラブソングですね。

自分で作詞作曲できる人は多くはないかもしれませんが、自分の気持を込めてカラオケで歌ったり、歌詞をポエムのように楽しむこともあります。
まるで自分の気持ちを代弁しているかのような歌詞に出会うこともあります。

同じように、昔の人が作った歌に、共感して喜んだり切なくなったり、POPS を楽しむように、万葉集も楽しめるといいですね。

続きを読む

『利休の風景』を読んだよ

利休好みを想像してみたイメージをコピックで描いたイラスト

利休好みを想像してみたイメージをコピックで描いたイラスト

大阪の街に建つ、古いビルを写真に収めて歩き回っていたとき、たまたま通りがかった美術館へ入りました。
湯木美術館です。
ビジネス街の中にある美術館で、小じんまりとした広さですが、落ち着いた雰囲気の美術館でした。

参考リンク:湯木美術館

日本の陶器の器や茶器が展示されており、そこで、織部焼の皿に施された金継ぎがとても美しく、「金継ぎをやってみたい」と思い始めるきっかけにもなりました。

参考リンク:『金継ぎをたのしむ』を読んだよ

現在に続く「お茶」の世界を築いた千利休

残念ながら私は、茶道や茶の湯への知識が全くなく、そこで用いられる用具への理解も乏しいと痛感しています。
しかし、それでもなお茶の湯で用いられる道具は美しく、無知な私の目から見ても魅力的に映ります。

現在、私たちが「茶道」「茶の湯」と聞いて思い浮かべるイメージは、千利休の流れの延長にあると聞いたことがあります。
利休が現れた頃、茶の湯にはもっと様々な世界観があったのかもしれませんが、利休の出現により一新されたというのです。
時を超えて今もなお、現代人の共通イメージとして認識されている「千利休」とは一体何者なのでしょうか。

アーティストとしての利休、商人としての利休

『利休の風景』を読みました。
作家である山本兼一さんが、歴史的事実と、小説家ならではの想像とを織り交ぜ、利休の人物像や思想を浮かび上がらせる試みがなされた一冊です。

豊臣秀吉や、長谷川等伯、山上宗二など利休と同時代を生きた人物との関係にも触れられています。

利休は、茶の湯の空間や茶器に「美」を見出したアーティストだったのでしょうか。
それとも、堺の商人として、茶の湯をビジネスや取引として成り立たせたのでしょうか。
「侘び」という思想を開花させ、数々の弟子を送り出した茶道の名人だったのでしょうか。

続きを読む

勝間和代『女に生まれたら、コレを読め ~○活必勝法~』を読んだよ

本は発見の鍵が隠れているイメージをコピックで書いたイラスト

本は発見の鍵が隠れているイメージをコピックで書いたイラスト

現在この朝夜ネットは、平日の朝6時に新しい記事を投稿しています。
ですので、朝に読んでもらえるような内容を書こうと心がけています。
目が覚めて、これから始まる一日が待ち受けているのですから、ちょっとだけ気付きや、面白さが盛り込めるといいのになぁと考えています。

「気付き」「面白さ」を感じたり、受け取ったりするポイントを「フック」と言うそうです。
私は最近知った言葉なのですが、言葉を覚えると、私もたくさんの方から気付きを誘発させられる「フック」を与えてもらってきたんだと気付きました。

自分の「知らない」ことに気付く

勝間和代さんの『女に生まれたら、これを読め』を読みました。
勝間さんの本を手に取ったのは初めてです。
「これを読め」とあったので、読んでみることにしました。

この本でも冒頭に、

役に立つ考え方の「フック」を、できるだけたくさん盛り込みます。

―勝間和代『女に生まれたら、コレを読め』(扶桑社、2010) p.6

とありました。

本書では、気付きや、新たな考えのきっかけになるような話題が次から次へと提示される内容でした。
現在日本で生きる女性に必要な、知識や実情などが一冊の本の中にギュウギュウと詰め込まれている印象でした。
これまでの自分の考えや感覚に根拠が与えられたこともあれば、自分に不足している部分もよく分かりました。

自分が熟知していることよりも、自分が全く知らない分野を、自分で認識することは難しく思います。
「分からないことが分からない」状態だからです。

読書はひらめきや発見の鍵?

本を読む楽しさは、ワクワクドキドキしたり、知らなかったことを知ったり、教わったりするだけではありません。
全然、本に書かれている内容とは関係のないことが、突然頭の中で関連し、繋がってゆくことがあります。
パズルのピースがはまるように、これまで考えもしなかった事柄が浮かんだりするのです。

本を読んでいる集中力がそんな効果を生むのでしょうか。
それとも、本に書かれているキーワードや内容に誘発されているのでしょうか。

続きを読む

『映像で見る奈良まつり歳時記』を読んだよ

豊作・豊穣のシンボルの稲穂のイメージをコピックで描いたイラスト

豊作・豊穣のシンボルの稲穂のイメージをコピックで描いたイラスト

私の生まれ育った町では毎年、秋祭りが行われます。
五穀豊穣を願ってのお祭りだとも言われます。

暑い夏が通り過ぎ、秋がやってきて、お祭りの頃には肌寒い日々がやってきます。
「もう冬が来るんだなぁ」と実感します。
お祭りってワイワイと騒いだり楽しみなだけじゃなく、季節を感じる大切な行事です。

奈良県の「オンダ祭」に夢中!

『映像で見る奈良まつり歳時記』では、奈良県に伝わるユニークなお祭りの数々が紹介されています。
中でも、「オンダ祭」という豊作を願うお祭りが、特徴的らしいのです。
この「オンダ祭」、奈良県内では広く行われているお祭りですが、近隣の府県ではほぼ伝承されておらず、とてもローカルなお祭りなようです。
ですが、それ故に、古来からの伝統が残っているのではないかと考えられそうです。

Googleで「オンダ祭」検索していただけると、写真や動画でも紹介されています。
人が牛に扮し暴れ牛のように走り回ったり、男女の交わりを再現したり、とっても個性的で、ユニークなお祭りが奈良県内各地であるようです。

奈良県のお祭りに関する書籍や映像は、これまで何度か見ましたが、実際にお祭りに足を運んだことはありません。

その場に居合わせないと体験できない「祭り」

お祭りというのは、実際にその場に居合わせないと、お祭りの真の姿は分からないのではないかと思います。
私の生まれ育った町にあるお祭りも、文章や写真で見るのと、「体験」するのとは、違うのではないかと思うからです。

人の熱気や、興奮、高揚感や爆発しそうな空気感は写真や映像には映りません。

豊穣を祝い、繁栄を願い、人はこれまで生き延び続けたのではないでしょうか。
素朴なお祭りほど、人の生きるエネルギーが満ちているのではないかと思いました。

続きを読む

『白川静の世界 Ⅰ文字』を読んだよ

漢字の元である甲骨文字のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

漢字の元である甲骨文字のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

私は小学生の頃、宿題に出される漢字ドリルの書き取りの宿題がとても嫌でした。
何度も同じ字を書くことをバカバカしいと思っていたし、分からない字は辞書で引けばいいと思っていました。
更に、まだパソコンが一般に普及もしていないにも関わらず「これからコンピューターの時代なんだから漢字を覚えなくてもいいんだから」と言っていました。

読み方のわからない漢字に未だに出会う

未だに「読み」が分からない漢字や熟語に出くわします。
これが、ネットで分からない文字に出会ったなら、その字をコピペし検索すればヒットするのですが、困るのは紙の資料や、デジタル画像化された文字です。
漢字を検索をしたいのですが、読み方が分からないので、その字のパソコン入力の仕方が分からないのです。

まずは思いつく限りの読み方を変換してゆくのですが、最終的に入力モードを直接入力に変更し、マウスで字を書いて探します。
マウスで慣れない文字をヨロヨロと入力し、自分の目でお目当ての字を探し出します。
一連の四苦八苦の時間を考えると、最初に漢字辞書を引いておく方が早く済んだのではないかと思うほどです。

辞書をひく力はパソコン変換でも必要?

漢字辞書を引く時は、偏と旁、そして漢字の画数を知っておく必要があります。
初めて見た漢字でも大体の書き順や総画数が分かるのは、既に多くの漢字の読み書きができることで、漢字の形が構成がわかるからでしょう。

確かに、小学生の頃の私しの予想通り、パソコンに向かって一日を過ごす生活が訪れましたが、漢字を覚えたり調べる手間は減ってはいません。

「白川静文庫」に触れる

『入門講座 白川静の世界Ⅰ』を読みました。
白川静とは日本人の漢字学者です。
古代漢字の研究の第一人者で『字通』『字等』『字訓』という、古代の漢字を集めた漢字辞書と言えばよいのでしょうか。
それらの辞書の編纂をライフワークとした人です。

もともも、白川静さんは、日本の万葉集や古典をするため、日本語のルーツである中国の古代漢字を始めたそうです。
一通り中国の漢字の研究を終え、やっと万葉の研究に着手できる頃には、すでに高齢になっていたと書かれていました。

一見、大きな回り道をしてしまったように見えるかもしれませんが、漢字の研究が進んだことで、日本語のルーツを探る手がかりが出来たのではないでしょうか。

音訓のルーツを知ってみるのも面白い?

私たちは、漢字の音読みと訓読みを自在に使いこなし、日本語を読み書きします。
音訓のバリエーションは、その言葉や漢字が中国より渡来した時代や、ルーツが今も息づいています。
一つの漢字を、様々な読みが存在するのはそのためです。

私も、あまり意識せず文章を書いていますが、「読み」一つ取ってみてもどんな変遷をたどって今に至るのか、気になりますね。

続きを読む

『幕末気分』を読んだよ

歴史の時間の流れを時計の文字盤のイメージを描いたコピックイラスト

歴史の時間の流れを時計の文字盤のイメージを描いたコピックイラスト

時間が過ぎるのはあっという間で、更に歳を取るごとに年月の流れが早くなるなんて言います。
大人になって以降、本当に「あっという間」に終わってしまう一年もありましたが、とても長く感じる一年もあったように思います。

後に、過去を振り返ったとき、時間の長さに差を感じるのではないでしょうか。
日々変化が多く思い出す要因が多かった時期は、思い出す機会も多く、長い時間に感じます。
対して、同じような日常をひたすら繰り返し続けていた時期は、思い出す機会が少ないので、短く感じるように思います。

いずれも貴重で他に代え難い時間であったことは同じです。
変化の時期も大切ですし、継続の時期も同じように大切です。

日本の歴史と自分の生きた歴史を比べてみると……

自分の生きた歴史は、振り返ってみると、それでも「まだまだ短い」と感じます。
まだ私自身が何者にもなっていないせいでもありますが、あんなに長かったはずの幼少期や、鬱々と過ごした思春期ですら、今思い出すと、とても短く、貴重な時間でした。
振り返ると、感慨深いものです。

「近代」はほんの僅か。江戸時代はほんの少し前

人の一生の長さに感慨深くなっていると驚いてしまうのが、日本の「近代」の歴史の長さです。
「明治維新」「幕末」と呼ばれている、遠い過去のような話は、例えば桜田門外の変は1860年、大政奉還は1867年、戊辰戦争終結は1898年ですから、だいたい150年ほど前のことです。

自分のこれまで生きた年数と比べてみると、すごく明治維新は「最近」な気がするのですが、みなさんはどう感じますか?

明治期から現在までの時間は、とてもたくさんの出来事が日本列島内で起こり、社会システムが変わり、人々の生活も様変わりしたでしょう。
それだけの大きな変化が、「たった150年」の間に起こったと感じるからこそ、改めて驚きを感じます。

『幕末気分』を読んだよ

『幕末気分』を読みました。
先日読んだ『幕末不戦派軍記』で描かれていた弥次郎、喜多八、筒なし、関兵衛の四人組キャラクターが登場する元となった『在阪在京中日記』を扱った章があります。
『幕末不戦派軍記』は歴史小説風でしたが、『幕末気分』は小説風味はうんと少なめでした。

江戸時代も末期も末期、明治の近代化がもうすぐそこまで迫っている時代。
その激動の時代の中でも、名もない庶民たちはたくましく生きています。
躍動の時代ですが、ひたむきに生き延びた無名の姿に、現在の私も少しだけ、励まされるような気もします。

参考リンク:『幕末不戦派軍記』を読んだよ

続きを読む

『誰でもできるやさしい作曲術。』を読んだよ

作曲に必要なピアノの鍵盤(キーボード)のイメージをコピックマーカーを使って描いたイラスト

作曲に必要なピアノの鍵盤(キーボード)のイメージをコピックマーカーを使って描いたイラスト

自分には音楽の才能が皆無なのではないか?と訝しんでいます。
どうやら音楽を聞くと、眠たくなったり、悲しくなったり、ウキウキしたりと、気持ちの変化が起こる人がいるらしいのです。
私は残念ながら、メロディーや音色で気持ちや体の具合が変わる経験がありません。
私には音楽の才能がないのかな?と思う理由です。

鼻歌を歌ったり、カラオケへ行くこともありますが、歌うことに集中していて、イマイチ楽しみきれていないように思います。
これは、無意識で歌えるくらい練習すれば大丈夫かな?と日々、コッソリと練習しています。

楽器も弾けたら楽しいかと思い、たまにギターやウクレレを取り出します。
とても「弾ける」というレベルではありませんが、それだけで私には十分楽しめます。

鍵盤アプリで作曲生活がはじまる!?

『誰でもできるやさしい作曲術。』を読んで、作曲のための順番や組み勝て方が少し知れたことで、自分も作曲できそう!?と少しウキウキしました。

楽譜の読み書きは堪能ではありませんが、学校の音楽の時間に習った知識でもなんとかなりそうです。
あまり真面目な生徒ではなかったことが今になって悔やまれます。

楽器を用意したいと思いましたが、まずは手始めに、iOSのアプリで鍵盤があるそうなので、インストールしてみます。

続きを読む