『万葉恋歌』を読んだよ

ポップスをカラオケで歌うように和歌を楽しみたいイメージをコピックで描いたイラスト

ポップスをカラオケで歌うように和歌を楽しみたいイメージをコピックで描いたイラスト

万葉集には恋の歌がたくさん歌われています。
素朴で、真っ直ぐな恋が歌われていて、現在の私達の胸にも響きます。

女性が、恋人や夫を「我が背子(せこ)」と呼ぶのが好きです。
今の私たちに分かりやすく言い換えるなら、「マイダーリン!」と呼んでいる感じでしょうか。

ポイントは、彼氏だけでなく、夫にも同じように呼びかけるところ。
夫婦になったからって、恋する気持ちは変わらないような表現が、とっても好きです。

現在の日本語で「マイダーリン」に当てはまるような呼び方は思い当たりません。
今の私たちは持っていない言葉を、昔の人は使っていたんだと思うと、羨ましくも思います。

恋する気持ちが詰まった『万葉恋歌』

『万葉恋歌』では、万葉集の中からとっておきの恋の歌が厳選されて紹介されています。
著者の清川さんの解説も、恋する乙女心を熱く代弁していて、ステキ!の連続でした。

本書の中でも、恋人や配偶者の呼び名に触れられていました。
男性は、彼女や妻を「妹(いも)」と、親しみを込めて呼びます。

しかも、その愛しく想い合う恋心は、時間が経っても薄れないようです。
少しだけ引用します。

 ただ、恋人時代だけではなく、結婚後長くたった夫婦でも、そんな愛称で呼び合います。
男は、妻がどんなに世帯やつれしようとも“おのが妻こそ常愛(とこめ)づらしき”――おれの女房こそ、いつでもいつまでもかわいらしい、と歌い、ある時は“相見れば常初花(とこはつはな)に”――おまえを見れば、いつでも咲きたての花のよう、と、うれしいことをいってくれるのです。

ー清川 妙『万葉恋歌』(主婦の友社、2010) pp.120-121

いつまで経っても彼女や妻を「愛しい女性」と呼び、歌にしてくれるだなんて……!とってもステキですね。

カラオケでラブソングを歌うように♪

現在では、流行の POPS で歌われるように、昔は和歌が作られていたのかもしれません。
恋の和歌は、ラブソングですね。

自分で作詞作曲できる人は多くはないかもしれませんが、自分の気持を込めてカラオケで歌ったり、歌詞をポエムのように楽しむこともあります。
まるで自分の気持ちを代弁しているかのような歌詞に出会うこともあります。

同じように、昔の人が作った歌に、共感して喜んだり切なくなったり、POPS を楽しむように、万葉集も楽しめるといいですね。

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『利休の風景』を読んだよ

利休好みを想像してみたイメージをコピックで描いたイラスト

利休好みを想像してみたイメージをコピックで描いたイラスト

大阪の街に建つ、古いビルを写真に収めて歩き回っていたとき、たまたま通りがかった美術館へ入りました。
湯木美術館です。
ビジネス街の中にある美術館で、小じんまりとした広さですが、落ち着いた雰囲気の美術館でした。

参考リンク:湯木美術館

日本の陶器の器や茶器が展示されており、そこで、織部焼の皿に施された金継ぎがとても美しく、「金継ぎをやってみたい」と思い始めるきっかけにもなりました。

参考リンク:『金継ぎをたのしむ』を読んだよ

現在に続く「お茶」の世界を築いた千利休

残念ながら私は、茶道や茶の湯への知識が全くなく、そこで用いられる用具への理解も乏しいと痛感しています。
しかし、それでもなお茶の湯で用いられる道具は美しく、無知な私の目から見ても魅力的に映ります。

現在、私たちが「茶道」「茶の湯」と聞いて思い浮かべるイメージは、千利休の流れの延長にあると聞いたことがあります。
利休が現れた頃、茶の湯にはもっと様々な世界観があったのかもしれませんが、利休の出現により一新されたというのです。
時を超えて今もなお、現代人の共通イメージとして認識されている「千利休」とは一体何者なのでしょうか。

アーティストとしての利休、商人としての利休

『利休の風景』を読みました。
作家である山本兼一さんが、歴史的事実と、小説家ならではの想像とを織り交ぜ、利休の人物像や思想を浮かび上がらせる試みがなされた一冊です。

豊臣秀吉や、長谷川等伯、山上宗二など利休と同時代を生きた人物との関係にも触れられています。

利休は、茶の湯の空間や茶器に「美」を見出したアーティストだったのでしょうか。
それとも、堺の商人として、茶の湯をビジネスや取引として成り立たせたのでしょうか。
「侘び」という思想を開花させ、数々の弟子を送り出した茶道の名人だったのでしょうか。

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勝間和代『女に生まれたら、コレを読め ~○活必勝法~』を読んだよ

本は発見の鍵が隠れているイメージをコピックで書いたイラスト

本は発見の鍵が隠れているイメージをコピックで書いたイラスト

現在この朝夜ネットは、平日の朝6時に新しい記事を投稿しています。
ですので、朝に読んでもらえるような内容を書こうと心がけています。
目が覚めて、これから始まる一日が待ち受けているのですから、ちょっとだけ気付きや、面白さが盛り込めるといいのになぁと考えています。

「気付き」「面白さ」を感じたり、受け取ったりするポイントを「フック」と言うそうです。
私は最近知った言葉なのですが、言葉を覚えると、私もたくさんの方から気付きを誘発させられる「フック」を与えてもらってきたんだと気付きました。

自分の「知らない」ことに気付く

勝間和代さんの『女に生まれたら、これを読め』を読みました。
勝間さんの本を手に取ったのは初めてです。
「これを読め」とあったので、読んでみることにしました。

この本でも冒頭に、

役に立つ考え方の「フック」を、できるだけたくさん盛り込みます。

―勝間和代『女に生まれたら、コレを読め』(扶桑社、2010) p.6

とありました。

本書では、気付きや、新たな考えのきっかけになるような話題が次から次へと提示される内容でした。
現在日本で生きる女性に必要な、知識や実情などが一冊の本の中にギュウギュウと詰め込まれている印象でした。
これまでの自分の考えや感覚に根拠が与えられたこともあれば、自分に不足している部分もよく分かりました。

自分が熟知していることよりも、自分が全く知らない分野を、自分で認識することは難しく思います。
「分からないことが分からない」状態だからです。

読書はひらめきや発見の鍵?

本を読む楽しさは、ワクワクドキドキしたり、知らなかったことを知ったり、教わったりするだけではありません。
全然、本に書かれている内容とは関係のないことが、突然頭の中で関連し、繋がってゆくことがあります。
パズルのピースがはまるように、これまで考えもしなかった事柄が浮かんだりするのです。

本を読んでいる集中力がそんな効果を生むのでしょうか。
それとも、本に書かれているキーワードや内容に誘発されているのでしょうか。

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『映像で見る奈良まつり歳時記』を読んだよ

豊作・豊穣のシンボルの稲穂のイメージをコピックで描いたイラスト

豊作・豊穣のシンボルの稲穂のイメージをコピックで描いたイラスト

私の生まれ育った町では毎年、秋祭りが行われます。
五穀豊穣を願ってのお祭りだとも言われます。

暑い夏が通り過ぎ、秋がやってきて、お祭りの頃には肌寒い日々がやってきます。
「もう冬が来るんだなぁ」と実感します。
お祭りってワイワイと騒いだり楽しみなだけじゃなく、季節を感じる大切な行事です。

奈良県の「オンダ祭」に夢中!

『映像で見る奈良まつり歳時記』では、奈良県に伝わるユニークなお祭りの数々が紹介されています。
中でも、「オンダ祭」という豊作を願うお祭りが、特徴的らしいのです。
この「オンダ祭」、奈良県内では広く行われているお祭りですが、近隣の府県ではほぼ伝承されておらず、とてもローカルなお祭りなようです。
ですが、それ故に、古来からの伝統が残っているのではないかと考えられそうです。

Googleで「オンダ祭」検索していただけると、写真や動画でも紹介されています。
人が牛に扮し暴れ牛のように走り回ったり、男女の交わりを再現したり、とっても個性的で、ユニークなお祭りが奈良県内各地であるようです。

奈良県のお祭りに関する書籍や映像は、これまで何度か見ましたが、実際にお祭りに足を運んだことはありません。

その場に居合わせないと体験できない「祭り」

お祭りというのは、実際にその場に居合わせないと、お祭りの真の姿は分からないのではないかと思います。
私の生まれ育った町にあるお祭りも、文章や写真で見るのと、「体験」するのとは、違うのではないかと思うからです。

人の熱気や、興奮、高揚感や爆発しそうな空気感は写真や映像には映りません。

豊穣を祝い、繁栄を願い、人はこれまで生き延び続けたのではないでしょうか。
素朴なお祭りほど、人の生きるエネルギーが満ちているのではないかと思いました。

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『白川静の世界 Ⅰ文字』を読んだよ

漢字の元である甲骨文字のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

漢字の元である甲骨文字のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

私は小学生の頃、宿題に出される漢字ドリルの書き取りの宿題がとても嫌でした。
何度も同じ字を書くことをバカバカしいと思っていたし、分からない字は辞書で引けばいいと思っていました。
更に、まだパソコンが一般に普及もしていないにも関わらず「これからコンピューターの時代なんだから漢字を覚えなくてもいいんだから」と言っていました。

読み方のわからない漢字に未だに出会う

未だに「読み」が分からない漢字や熟語に出くわします。
これが、ネットで分からない文字に出会ったなら、その字をコピペし検索すればヒットするのですが、困るのは紙の資料や、デジタル画像化された文字です。
漢字を検索をしたいのですが、読み方が分からないので、その字のパソコン入力の仕方が分からないのです。

まずは思いつく限りの読み方を変換してゆくのですが、最終的に入力モードを直接入力に変更し、マウスで字を書いて探します。
マウスで慣れない文字をヨロヨロと入力し、自分の目でお目当ての字を探し出します。
一連の四苦八苦の時間を考えると、最初に漢字辞書を引いておく方が早く済んだのではないかと思うほどです。

辞書をひく力はパソコン変換でも必要?

漢字辞書を引く時は、偏と旁、そして漢字の画数を知っておく必要があります。
初めて見た漢字でも大体の書き順や総画数が分かるのは、既に多くの漢字の読み書きができることで、漢字の形が構成がわかるからでしょう。

確かに、小学生の頃の私しの予想通り、パソコンに向かって一日を過ごす生活が訪れましたが、漢字を覚えたり調べる手間は減ってはいません。

「白川静文庫」に触れる

『入門講座 白川静の世界Ⅰ』を読みました。
白川静とは日本人の漢字学者です。
古代漢字の研究の第一人者で『字通』『字等』『字訓』という、古代の漢字を集めた漢字辞書と言えばよいのでしょうか。
それらの辞書の編纂をライフワークとした人です。

もともも、白川静さんは、日本の万葉集や古典をするため、日本語のルーツである中国の古代漢字を始めたそうです。
一通り中国の漢字の研究を終え、やっと万葉の研究に着手できる頃には、すでに高齢になっていたと書かれていました。

一見、大きな回り道をしてしまったように見えるかもしれませんが、漢字の研究が進んだことで、日本語のルーツを探る手がかりが出来たのではないでしょうか。

音訓のルーツを知ってみるのも面白い?

私たちは、漢字の音読みと訓読みを自在に使いこなし、日本語を読み書きします。
音訓のバリエーションは、その言葉や漢字が中国より渡来した時代や、ルーツが今も息づいています。
一つの漢字を、様々な読みが存在するのはそのためです。

私も、あまり意識せず文章を書いていますが、「読み」一つ取ってみてもどんな変遷をたどって今に至るのか、気になりますね。

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『幕末気分』を読んだよ

歴史の時間の流れを時計の文字盤のイメージを描いたコピックイラスト

歴史の時間の流れを時計の文字盤のイメージを描いたコピックイラスト

時間が過ぎるのはあっという間で、更に歳を取るごとに年月の流れが早くなるなんて言います。
大人になって以降、本当に「あっという間」に終わってしまう一年もありましたが、とても長く感じる一年もあったように思います。

後に、過去を振り返ったとき、時間の長さに差を感じるのではないでしょうか。
日々変化が多く思い出す要因が多かった時期は、思い出す機会も多く、長い時間に感じます。
対して、同じような日常をひたすら繰り返し続けていた時期は、思い出す機会が少ないので、短く感じるように思います。

いずれも貴重で他に代え難い時間であったことは同じです。
変化の時期も大切ですし、継続の時期も同じように大切です。

日本の歴史と自分の生きた歴史を比べてみると……

自分の生きた歴史は、振り返ってみると、それでも「まだまだ短い」と感じます。
まだ私自身が何者にもなっていないせいでもありますが、あんなに長かったはずの幼少期や、鬱々と過ごした思春期ですら、今思い出すと、とても短く、貴重な時間でした。
振り返ると、感慨深いものです。

「近代」はほんの僅か。江戸時代はほんの少し前

人の一生の長さに感慨深くなっていると驚いてしまうのが、日本の「近代」の歴史の長さです。
「明治維新」「幕末」と呼ばれている、遠い過去のような話は、例えば桜田門外の変は1860年、大政奉還は1867年、戊辰戦争終結は1898年ですから、だいたい150年ほど前のことです。

自分のこれまで生きた年数と比べてみると、すごく明治維新は「最近」な気がするのですが、みなさんはどう感じますか?

明治期から現在までの時間は、とてもたくさんの出来事が日本列島内で起こり、社会システムが変わり、人々の生活も様変わりしたでしょう。
それだけの大きな変化が、「たった150年」の間に起こったと感じるからこそ、改めて驚きを感じます。

『幕末気分』を読んだよ

『幕末気分』を読みました。
先日読んだ『幕末不戦派軍記』で描かれていた弥次郎、喜多八、筒なし、関兵衛の四人組キャラクターが登場する元となった『在阪在京中日記』を扱った章があります。
『幕末不戦派軍記』は歴史小説風でしたが、『幕末気分』は小説風味はうんと少なめでした。

江戸時代も末期も末期、明治の近代化がもうすぐそこまで迫っている時代。
その激動の時代の中でも、名もない庶民たちはたくましく生きています。
躍動の時代ですが、ひたむきに生き延びた無名の姿に、現在の私も少しだけ、励まされるような気もします。

参考リンク:『幕末不戦派軍記』を読んだよ

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『誰でもできるやさしい作曲術。』を読んだよ

作曲に必要なピアノの鍵盤(キーボード)のイメージをコピックマーカーを使って描いたイラスト

作曲に必要なピアノの鍵盤(キーボード)のイメージをコピックマーカーを使って描いたイラスト

自分には音楽の才能が皆無なのではないか?と訝しんでいます。
どうやら音楽を聞くと、眠たくなったり、悲しくなったり、ウキウキしたりと、気持ちの変化が起こる人がいるらしいのです。
私は残念ながら、メロディーや音色で気持ちや体の具合が変わる経験がありません。
私には音楽の才能がないのかな?と思う理由です。

鼻歌を歌ったり、カラオケへ行くこともありますが、歌うことに集中していて、イマイチ楽しみきれていないように思います。
これは、無意識で歌えるくらい練習すれば大丈夫かな?と日々、コッソリと練習しています。

楽器も弾けたら楽しいかと思い、たまにギターやウクレレを取り出します。
とても「弾ける」というレベルではありませんが、それだけで私には十分楽しめます。

鍵盤アプリで作曲生活がはじまる!?

『誰でもできるやさしい作曲術。』を読んで、作曲のための順番や組み勝て方が少し知れたことで、自分も作曲できそう!?と少しウキウキしました。

楽譜の読み書きは堪能ではありませんが、学校の音楽の時間に習った知識でもなんとかなりそうです。
あまり真面目な生徒ではなかったことが今になって悔やまれます。

楽器を用意したいと思いましたが、まずは手始めに、iOSのアプリで鍵盤があるそうなので、インストールしてみます。

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『日本全国 万葉の旅 「大和編」』を読んだよ

入江泰吉の写真のポストカードのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

入江泰吉の写真のポストカードのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

入江泰吉さんという、主に奈良の風景や行事などを撮り続けた写真家がいます。

私は入江泰吉さんの写真や、入江さんの弟子である牧野貞之さんの撮られた写真のポストカードを複数枚所持しています。
日差しやそよぐ風までも感じるような写真で、写真を見ている一瞬だけ、冬の割れそうな冷たさや、夏の朝の土の匂いを思い出します。

奈良県には、入江泰吉記念奈良市写真美術館という記念館があるのですが、まだ訪れたことがありません。
奈良方面に足を伸ばした際は「今度こそ」と毎回思いはするのですが、ややJRや近鉄の奈良駅から離れていることもあり、都合がつかずにいます。
一度、写真美術館へ行くことが目的の奈良への旅路を計画しなければなりませんね。
参考リンク:入江泰吉記念奈良市写真美術館

奈良の美しい風景と万葉歌に触れる

『万葉の旅「大和編」』では、入江泰吉さんの弟子・牧野貞之さんが写真を撮影されています。
大和の地の四季の風景に、万葉歌が添えられています。
和歌の解説も丁寧に書かれており、一冊で美しい写真と、万葉集への知識と、二つの楽しみがある本でした。

当然ですが、万葉歌が作られた時代と、現在は全く違い、私たちは歌の理解を完全にすることはできません。
しかし、恋する気持ちや、大切な人の実を案じる心など、時を超えても共通する感覚もあります。

歌を自分に当てはめ共感してもよし、はるか昔の世界に思いを馳せてみるのも楽しいです。

歌物語や古典へのアプローチも変わる?

万葉集はどうやら、後の歌物語などにも大きな影響があるようです。
それら歌物語は、更に古典芸能や文学など、日本の文化に根付いています。
その古典的な文化の上に、現在の我々の社会があります。

少しだけ万葉集の歌に触れてみるだけで、現在の文化への新たな切り口が生まれるかもしれませんね。

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『新・片づけ術「断捨離」』を読んだよ

断捨離に必要なゴミ袋をコピックマーカーで描いたイラスト

断捨離に必要なゴミ袋をコピックマーカーで描いたイラスト

片づけに関する事柄で「断捨離」という言葉をよく耳にします。
私自身もこの言葉を使うこともありました。
なんとなく物を処分することを「断捨離」と呼ぶという認識で使用していました。

『新・片付け術「断捨離」』を読むと、それはハズレてはいませんが、目的は「捨てること」ではなく、その先にある生活スタイルや自分の生き方が改善が最終目的のようです。

「処分」の罪悪感を「断捨離」は軽減した?

本来の目的や意味を知りませんでしたが、この「断捨離」という言葉が広まってから、すでに私の生活は変わり始めていたように思います。

これまで、物を「捨てる」「処分する」という行為に、なんとなく後ろめたさや、悪いことをしているような気持ちが付随していました。
しかし「断捨離する」という言い回しが登場してからは、物を片づける行為が、生活の改善や、新たな生活のスタートなど、ポジティブなニュアンスで受け止められるようになりました。

やっている行為は同じなのに、言葉が変わるだけで意識まで変わるのですね。

「倹約」「収納」と言いながら不要な物を詰め込む日々

これまで、使わない物や不要な物でさえ「まだ使える」「もったいない」と取っておき、「節約」「倹約」と言いながら日々せっせと物を運び入れ、「収納」という魔法の呪文で物を重ねたり畳んだり組み合わせたりと、狭い部屋の中へ物を押し込んでいました。
もったいないと思う「心」があり、倹約家でかつ収納上手の「デキる人間」になった気でさえ、いたかもしれません。

振り返ると、なぜそんなことを考えていたのだろうと自分でもわかりません。

デキる人は断捨離上手!?

仕事のできる人の職場や机の上は、とても片づいています。
これまでの経験でそれを目の当たりにしてきました。

スペースが散らかっていると、物を紛失しては探しまわり、壊したり汚したり、トラブルのもとです。
当然ですが、トラブルに見舞われている間、時間のロスが出てしまいます。

時間はとても貴重なものですから、年中失せ物を探している人と、そうでない人がいれば、生涯のロスタイムの差は膨大です。
どんなにお金を払っても手に入らないものが「時間」です。
無駄に時間を浪費することこそが「もったいない」ことかもしれません。

という私こそが、年中何を探しまわっている人なのです。
現在は、マスカラとお気に入りのボールペンが行方不明で困っています。

オロオロと慌てふためき続ける人生はうんざりです。
どうにか、この性分から足を洗うために、今からでも「断捨離」に取り掛かろうと思います。

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『金継ぎをたのしむ』を読んだよ

金接ぎした器をコピックマーカーで描いたイラスト

金接ぎした器をコピックマーカーで描いたイラスト

私は手元不注意で、パソコンの上にジュースをぶちまけてたり、勢い余って机の上にある物を思いっきりなぎ倒してしまうことも日常茶飯事です。
もう少しお淑やかに、大人しくなりたいものです……。

不注意で物を壊してしまうこともしばしばあります。
かなり気をつけていて、最近は減っては来ているのですが、手の届く範囲にはなるべく物を置きたくないと考えておきます。

修繕セットがあれば大丈夫?

物を壊しがちな私にとって、また、手作業が好きな私にとって、注目すべきは「金継ぎ」です。
金継ぎとは陶磁器やガラスなどの、欠けた部分を漆で接着し、金粉などで装飾する修復法です。
現在では、ネットで手頃に金接ぎセットも購入できるようです。
参考リンク:金継初心者セット:東急ハンズ 楽天市場店

この金継ぎセットさえあれば、いつ何を割ってしまっても大丈夫!!……なのでしょうか。

金継ぎで生まれる「新たな価値」がおもしろい!

金継ぎは、壊れたものを接着して修理すると、修理する前よりも味や趣きが増すことがあります。
これが面白いと思うのです。

普通、壊れてしまったものは価値が下がったと感じますし、それを修理しても値打ちが元に戻ったとは思えません。
しかし、金継ぎは不思議なもので、お気に入りの器や、大切な製品を修繕すると、その金継ぎの模様が新たなデザインになり、新たな価値を生み出すのです。
割れ具合や、金継ぎの仕方次第では、壊れる前よりも愛着がわくこともあるでしょう。

壊れたものが良いなんて、不思議な感覚です。

大切にされてきた物を通して、人の営みを知る

実際に金継ぎされた器を見ると、まずはその、金で補修されたデザインのカッコよさに見惚れます。

そして、壊れてしまっても、丁寧に時間をかけ、補修をされるべき価値のある器だったのだろうと想像できます。
それは、他に手に入らない貴重なものだったのかもしれないし、持ち主にとって大切な思い入れのあるものかもしれません。
値段の高いものだったのかもしれないし、うんと古いものなのかもしれません。

いずれにせよ、修理されながら今日までその器があるということは、人が大切にしてきたということです。
物を通して、目には見えない人の営みに触れられたような気がします。

憧れの金継ぎを始めてみよう

金継ぎされた器を見るたび、その修繕方法への興味がつきません。
一時期、陶芸を始めようとしていた時期があり、その時、金継ぎが自分にもできることだと知りました。

その頃は、残念ながら金継ぎを実際に始める時間がなかったのですが、『金継ぎをたのしむ』を読み、かつて自分が心惹かれた手仕事を思い出しました。

『金継ぎを楽しむ』では、工程のすべてを大きな写真で分かりやすく紹介されています。
スパッと綺麗に半分に割れてしまった器など、割れ方によっては、初心者でもチャレンジできるかもしれないとワクワクしました。

実際には、なかなか難しいのでしょうが、やはり丁寧な仕事ぶりに惚れ惚れします。
あと、金接ぎしやすくスパッと割れた器も、そんなに都合よく存在しないのも難点ですね。

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『マイセン―秘法に憑かれた男たち』を読んだよ

マイセンの器で憧れのティーカップのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

マイセンの器で憧れのティーカップのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

食器や調理器具など、料理に関する道具もこだわりはじめると果てしがないようです。
カップだけでも、コーヒーカップにティーカップ。
普段使い用ととっておき用も使い分けたいところです。

ハーブティも淹れたいし、緑茶と前茶と抹茶用の器も欲しいところ。
そんなことをしていると、家中カップや器だらけになってしまいそうです。

どこかでケジメをつけて、自分は何を何個食器を持つべきなのか決めておかないと、収集がつかなくなるのが目に見えるようです。

使ってこその道具?使うのが「もったいない」道具?

我が家にも、引き出物やなんだで貰っては倉庫に収納され続けているアレコレがたんまりとあります。
中には、古伊万里やマイセンなんかの、見るだけで「高そう」な食器もあるようですが、「高いから」「割ってはいけないから」という理由で陽の目を見ません。
使ってこその道具だと思うのですが「使うのがもったいない」という心理が働くのでしょうか。

最近は少しづつ、これまで大事に仕舞っていた食器たちも日常使いに登場しつつあります。
良い品物にかこまれて生活するのは、リッチな気分になれますね。

王様でさえ手に入らなかった磁器

『マイセンー秘宝に憑かれた男たち』を読みました。
ここでは、マイセンのあの白濁した透明感ある磁器がヨーロッパで産まれるまでの出来事が物語のように、スリリングに綴られています。
しかし、これは作り話ではなく事実だというから驚きです。

中国や日本からヨーロッパへ輸入される白い器は、ヨーロッパでは金よりも価値のあるものだったそうです。
現代では、私たち庶民でもマイセンの食器を見たり、触れて使用することも多々あります。

しかし、かつては権力を縦にする王でさえ、焦がれても手にできない白い宝石でした。

そう思うと、普段なんとなく手にとっている器一つ一つにも、ものすごく価値のある物で、私たちは超貴重な体験を日々し続けているように感じますね。

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『パンダ――ネコをかぶった珍獣』を読んだよ

寝ているパンダをコピックマーカーで描いたイラスト

寝ているパンダをコピックマーカーで描いたイラスト

私は一人でどこへでも行っちゃえる性格で、一人で動物園へも出向きます。
たまたま動物園の近くに用事があり、どうせならと30分ほどの時間を作り飛び込みました。

夜行性の動物ばかり集めた、真っ暗な屋内の建物があり、そこを一人で歩いている時初めて「怖い!」「あ、一人で動物園へ来ちゃった!」と気付きました。
普段から一人でフラリと出かけるので、「ひとり動物園デビュー」だったことにも気付かなかったのでした。

パンダ舎では屋外でパンダが一頭、木の影で寝ていました。
一人で動かないパンダを観察し続けるのは少し難しいのです。
パンダが間近にいるなら細部を観察できますし、遠くにいても動き回っていると、パンダの動作が分かります。

ピクリとも動かないパンダ!

その日のパンダは、木の影でどの角度からも覗き込めず、パンダの全体像も見れませんでした。
誰かと一緒だったら「動かないね」「ぬいぐるみみたいだね」なんて言い合えるのでしょうが、すべて自分の中で完結してしまうことが、単独行動の弱味でしょうか。

確か、この動物園にはパンダが二頭いたと思うのですが、屋外には一頭しかいませんでした。
パンダというのは、一頭で生きる生き物のようです。

孤独を愛するパンダに親近感?

他のパンダと一緒にいるのは、母親と生まれてから親離れするまでと、短い発情期にオスとメスが出会ったときのみで、それ以外は一頭で暮らしているようです。
孤独を愛するパンダ……見た目の愛らしさに反し、パンダの生態はなかなかクールです。

一人で動物園を満喫している自分と、単独の大半を生涯を過ごすパンダ。
なんだか親近感がわき、以前よりパンダが好きになりそうです。

パンダの元祖はレッサーパンダ

『パンダ――ネコをかぶった珍獣』の著者・倉持浩さんは、上野動物園のパンダ飼育に関わっている方です。
パンダの生態や繁殖、歴史、パンダをめぐるメディアの扱いなど、飼育係ならではの内容でした。

ちなみに「パンダ」の元祖はレッサーパンダ。
白黒のパンダをヨーロッパ人が発見した時、レッサーパンダに近い種だと考え「ジャイアントパンダ」と名付けられました。
レッサーパンダの名付けが先だとは、意外です。

パンダはどんなに愛らしい容姿とはいえクマの仲間です。
じゃれたつもりでパンダがひっかいたり、甘咬みされても人間はひとたまりもありません。
パンダを近くで見ようと、来園者がパンダの飼育者に勝手に忍び込み怪我をすることもあるんだとか。

かわいい見た目から大人しいに違いないと思い込んでしまったのでしょうか。

かわいいパンダは身近なもの?それとも珍獣?

人間の目から見ると、パンダはとても可愛らしく、ふわふわのぬいぐるみのように見えます。
パンダを元にしたキャラクターや、パンダグッズも、一つくらい誰でも持っているのではないでしょうか。

パンダを模した物は私たちの側にあり、パンダに親しみを感じます。
しかし、私達はパンダの生態についてあまり多くを知りません。
本書タイトルでも「珍獣」を書かれており、謎に包まれた珍しい生き物です。

動物園へ行く前は、こうやって動物の生態について調べておくと、何倍も楽しめそうですね。
また、ひとり動物園するときのために、動物情報もインプットしてゆきたいです。

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『もしも宮中晩餐会に招かれたら』を読んだよ

テーブルマナーやテーブルコーディネートのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

テーブルマナーやテーブルコーディネートのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

私はくいしんぼうで、いつも食事が楽しみです。
美味しいものを前にすると、満腹でも「別腹」でペロリと平らげてしまいます。
それ故、いつでも体重計と睨めっこをし続ける日々なのですが……。

しかし恥ずかしながら「テーブルマナー」というものを勉強をしないまま現在に至ってしまいました。
周りの人を不快にさせないよう気をつけているつもりですが、知らず知らずの内にマナー違反をしてしまっているのかもしれません。

ただ、いつも「とっても美味しそうにご飯を食べるね」と言ってもらえるのが嬉しいです。

ある日突然、菊の紋章入りの招待状が届いたら?

本書では、庶民の我々に宮中晩餐会の招待状が届いたその時から起こるであろう。戸惑いや決断を順を追って紹介されています。
軽やかで、時にはシニカルな語り口が面白かったです。

自分が宮中晩餐会に招待されるなんてフィクションでしかあり得ないのでしょうが、衣装選びから車の手配まで、想像もつかないことだらけでした。
どんな服装が相応しいのかすら知りませんでした。

「美味しく食べるため」にもマナーは必要?

宮中晩餐会は極端ですが、とっておきの食事のときは、ぜひとも五感をフルに使って味わいつくしたいものです。
そんな日がいつ来るのか分かりませんが、その日のために「恥ずかしくない程度」「人に迷惑をかけない程度」のマナーは事前に習得しておくべきなのでしょうね。

備えあれば憂いなし!
美味しい料理を美味しく頂く。
その日のために、常にマナーの確認や、コンディションを整えておきたいものです。

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『河鍋暁斎絵日記』を読んだよ

イラストを描くための様々な道具のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

イラストを描くための様々な道具のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

ブログ記事に添えているイラストを描くとき、ササッと描き始められるときと、うーんうーん唸りながら無理くり描き始めるときがあります。
アイデアが浮かばないこともあれば、頭にイメージは浮かんでいるのに、自分の画力が足りず絵に落とし込めないこともあります。
どちらも、自分の稚拙さが原因なので、今後改善されればいいのになぁと思います。

特に人物を描くのが苦手です。
これは、人体の構造がきちんと理解できていないためだと思っています。
上手く描けない理由に思い当たっているので、知識を深めなければなりませんが、未だ手付かずです。

『河鍋暁斎絵日記』を読んだよ

幕末期から明治にかけて活動していた河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)という浮世絵師がいます。
浮世絵の平面的なイメージから飛び出した、とても躍動的で活き活きとした絵です。

その暁斎が、日々描き続けていた絵日記があります。
筆でサササッと走り書きをしているのですが、とてもコミカルに人物が誇張されており、ユニーク。
どの人もどことなく朗らかな表情で、ひょうきんな姿です。

デフォルメされ今にも動き出しそうな人物たち!

ちょんまげを結い着物を着て、江戸末期から明治初期の人々は現在の私達とは違った風貌をしていますが、暁斎の描いた人々の絵を見ていると、現在の私達と何ら変わらず、毎日ワイワイと喜んだり落ち込んだりしながら生きていたんだと感じます。

私も暁斎の爪の先くらいでも、絵が描けたら、毎日のブログ更新に悩まなくていいのになぁと思いました。

名人である河鍋暁斎ですらなのか、だからこそなのか。
毎日毎日、描き続けることが大切なのかもしれません。

しっかりと物を見て観察し、それを絵に描ける腕があれば、どんなに楽しいことでしょうか。
勢い良く、躊躇いなく描かれている河鍋暁斎の線に、ため息が出ます。

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『百舌鳥古墳群をあるく』を読んだよ

JR阪和線に乗った思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

JR阪和線に乗った思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

大阪・天王寺駅から和歌山へ伸びるJR阪和線へ乗ると、10分もすると大阪市を抜け、堺市に差し掛かります。
車窓に映るのは、びっしりとひしめく住宅街と、その間にポコポコとこんもり緑色の古墳が見えます。

JR阪和線の路線は、有名な大仙古墳(仁徳天皇陵)の真横を通過するため、電車から間近に古墳が見えます。
しかし、古墳が大きすぎて、山にしか見えません。
古墳の全景は地上からはなかなか把握できません。

手軽な方法では、堺市役所の展望ロビーから大仙古墳を上から楽しめるようです。
参考リンク:特集 堺を巡る |堺観光ガイド

私のショッパイ「古墳の思い出」

ある時、「いい人を紹介してあげる」と友人が異性を紹介してくれました。
「絶対に気が合うと思う!」と大推薦で、その理由が「その人ね、古墳が好きなんだって!絶対気が合うよ!」ということでした。

長年の友人だったのですが、私のことを「古墳好き」あるいは「古墳好きと気が合う」だと思っていたとは驚きました。
確かに、古墳は嫌いではありません。
ですが、取り立てて好きなわけでも、特別に古墳の研究をしているわけでもないのでとても困りました。
古墳らしき森を見るたび、そのことを思い出します。

私が古墳に興味があると思われていた要因があるとすれば、かつての私の通学路にあるのではないかと思います。
たまたま通学に使っていた路線が、複数の古墳群を突っ切るコースを走っていました。
毎日毎日、満員の電車内から外を眺めていると、ポコポコと大小の古墳が見えます。
駅に置いてあるパンフレットや、地図を見ながら「あれは古墳なんだなぁ」とぼんやりと日々眺めていました。

まさかこんな経験から「いい人を紹介してあげる」に繋がるとは思いもしませんでした。
ちなみに、紹介してもらった相手の方とは残念ながら気が合うことはなく、よくわからないモヤモヤが残るエピソードになってしまいました。

『百舌鳥古墳群をあるく』を読んだよ

百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)とは、大阪府堺市にある44基にも及ぶ古墳群のことです。
かつて100基以上あったそうですが、高度成長期に伴い宅地開発されなくなってしまったそうです。

本書では現存する古墳を中心に、写真や図を交えながら古墳の情報や、現在の状態が紹介されています。
大仙古墳やミサンザイ古墳など、聞いたことのある古墳もありますが、ほとんどは今回初めて知った古墳たちでした。

JRの車窓から見える古墳たちも名前を知れば、今後は少し見え方が変わってくるかもしれません。
ついでに、私の「古墳の思い出」も、上塗りされればいいのになぁと思います。

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