『画題で読み解く日本の絵画』を読んだよ

西洋絵画や日本画の画題の定番のイメージをコピックで描いたイラスト

西洋絵画や日本画の画題の定番のイメージをコピックで描いたイラスト

「おやくそく」の展開が好きです。
「定番」とか「十八番(おはこ)」にも近いかもしれません。
オチの見えている話を何度も何度も繰り返すような物語が好きです。
『ドラえもん』や『水戸黄門』なんかも「おやくそく」「定番」の繰り返しですね。

夢枕獏さんは自身の小説『陰陽師』を「大いなるマンネリ」と呼んでらして、その言葉もとても好きです。

「おやくそく」を知っていると楽しみが増える?

絵画を見ても「おやくそく」はあります。
大体、昔の西洋の絵画は聖書に描かれるシーンがモチーフで、天使やキリストや登場人物たちの表現に「おやくそく」があります。
着ている服や持っているアイテム、人物の身体的特徴などから、パッと絵を見ただけで聖書のどの場面の誰が何をしているシーンなのか分かるそうです。
ただ単に美しい絵を見るだけじゃなく、そこに何が描かれているのか分かるようになると、また一段と絵画を楽しめるのではないかなぁと思います。

日本の絵画にもある「おやくそく」

『画題で読み解く日本の絵画』を読みました。
こちらは、日本の絵画の「おやくそく」を簡単にイラスト付きでまとめてある本でした。
描かれている人物の服装や持ち物で、誰が描かれているのか分かります。

日本の絵画の場合は、中国の故事や、仏教に由来するものが多いようです。
日本の絵画をより深く理解するためには、そのあたりの知識も持っていると良さそうですね。

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『地下鉄のヒミツ―知っていると楽しくなる!』を読んだよ

地下鉄のイメージをコピックで描いたイラスト(大阪市営地下鉄 御堂筋線)

地下鉄のイメージをコピックで描いたイラスト(大阪市営地下鉄 御堂筋線)

地下鉄って窓の外が見えないからこそ、今自分が地図上のどこにいるのか予想しながら乗車します。
何度も乗っていると、微妙なカーブやアップダウンも分かるようになり、より正確に現在位置が分かるようになります。
実際には、どこにいるのか見えないので、あくまで全て自分の想像なのですが、次のカーブや駅に着くタイミングが分かるようになると、「◯◯駅から△△駅の区間は堪能できたなぁ」と満足感があります。

地下鉄の楽しみは標識やホームまで!

地下鉄の面白いのは、地下鉄から地下鉄への乗り換えです。
都市部を走るJRや私鉄は、都心部から郊外へ放射線上に伸びています。
しかし、地下鉄は都心部を縦横無尽に、街を編むように路線が伸びています。

各駅が他の地下鉄線との乗換駅でどんどん乗り換えしてゆく際、駅構内の意匠や看板標識など見るべきものが多く、毎度楽しみです。
駅ごとにも個性があって見逃せません。

「地下鉄」と「地下を走る電車」は違うようで……

『地下鉄のヒミツ』を読みました。
地下鉄とは、ただ単に地下を走る電車の路線を呼ぶのではなく、行政や第三セクターが運営する地下区間のある鉄道を「地下鉄」と呼ぶことが多いのだそうです。
確かに、地下を走る区間のある私鉄もたくさんありますが、各私鉄名で呼び、「地下鉄」とは呼んでいません。

また、「地下鉄」と言ってもすべての区間が地下を走っているわけでなく、地上部分を走る地下鉄も珍しくありません。
それでも私たちはなんとなく、「地下鉄」と「私鉄」「JR線」は呼び分けている気がしますね。

「地下鉄」と呼ぶ明確な基準はないようですが、なんとなく呼び分けの法則があるのが面白く思いました。

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『内臓の発見』を読んだよ

食べ過ぎると不調を感じる胃がいつまでも健康でいて欲しいイメージをコピックで描いたイラスト

食べ過ぎると不調を感じる胃がいつまでも健康でいて欲しいイメージをコピックで描いたイラスト

最近、前日に食べ過ぎてしまったり、体調の悪い日は、胃の調子が良くありません。
胃がカチカチに固まってしまったような感じで、なんだか憂鬱な数日を過ごすこともあります。
これまで胃や腸の不調なんて感じたことがなかったのに、これが加齢というものなのでしょうか。

まだ胃以外の不調は抱えていないので、これ以上弱いところが増えないように気をつけます。

内臓の「在り処」を感じる

体の中の不調を感じた時、「ここに胃があるんだなぁ」と実感します。
普段は胃が一所懸命食べ物を消化してくれていることも忘れて、ムシャムシャと美味しいものを美味しいだけ食べているくせに、胃の調子が悪くなった途端、全身の感覚を胃に集中させて、早く回復を願うんです。
日頃から食べ過ぎに気をつけた方が良さそうなものなのに……。

同じように、びっくりしたり、ヒヤッとした時は、心臓がギューっと締め付けられるような、雑巾のように絞られているような感じがします。
その時はもちろん、それどころではないのですが、思い出すと「ここに心臓があるんだなぁ」と感じます。

見えないモノを見たい欲求

私は自分の体の中身を見たことがありません。
大きな怪我をしたこともないし、体を切ったり縫ったりするような手術や手当もされたことがありません。
自分の体の中身を知らないままこれまで生きてこれたのは、私にとってラッキーなことです。

ですが、人間には「好奇心」という劇薬が仕込まれています。
見られないなら見たい!知らないことを知りたい!
そんな欲求は、大なり小なり誰にでも備わっているのではないでしょうか。

人の体の中は誰もが気になる…?

『内臓の発見』を読みました。
西洋の絵画に描かれた人体を取り上げながら、当時考えられていた人体の構造や、ヒトの形を見てゆきます。
全10章に分けられており、各章「目」「子宮」「肝臓」など、臓器や機能ごとに章立てされているのも面白く読めました。

ヒトの体の中を見てみたい!
人々がそう考えていたのは、大昔から同じだったようです。
現在ではネットにアクセスすれば、人体図や身体の仕組みはすぐに知れますし、学校教育でも体について学びます。

突拍子もないく非常識に見える「常識」

しかし、かつての人々にとって、身体とは謎や神秘の塊だったようです。
「愚者の石」を頭蓋から取り除こうとする人々の様子や、子宮の中からどのようにヒトが生まれてくるのかなど、現在の私達には常識に思うようなことも、長い年月の間に研究され解明されてきた結果なのだと知ります。

現在、私達が当たり前に思っている医学は、未来の世界では非常識な考えかもしれないし、今、私達にとって謎で原因不明なことも、未来の世界では当たり前のことなのかもしれませんね。

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『世界古地図コレクション』を読んだよ

自分の世界観や生死観を作っているであおろう地図や球体の地面のイメージをコピックで描いたイラスト

自分の世界観や生死観を作っているであおろう地図や球体の地面のイメージをコピックで描いたイラスト

地図を見るのは楽しいですね。
自分の行ったことのある場所や、いつも歩いている道を地図でたどり直すのも楽しいひと時です。
以前は、学校の教科書として購入した地図帳を大切に持っていましたが、今や Google Map で検索すれば、地図だけでなく地形図やストリートビューまで見れちゃうんだから、すごいですね。

「地図」と呼ばれるものにもいろいろあって

少し前に流行った「偏愛マップ」や「マインドマップ」もマップという言葉が使われています。
確かに、他人の書いた「偏愛マップ」や「マインドマップ」を見せてもらうのも楽しかったですし、自分でも書いてみたい!と思わせる魅力がありました。

私たちは、大きすぎるものだったり、目に見えないものを扱うとき、目に見えるものに落とし込んで考えるのが好きなのかもしれません。
普段歩いている道や、以前に行った旅行先は、地球規模で考えなければなりませんから、手に取れるサイズの地図帳や、Google Map で扱うことで、頭のなかで整理しやすいのでしょうか。
偏愛マップやマインドマップも、目に見えないものを紙に書き出すことで、扱いやすくなるのでしょうか。

自分が認識している「地図」が重要?

『世界古地図コレクション』を読みました。
これまでに作られた世界地図が、カラーでたくさんまとめられています。
先程も書きましたが、地球は大きすぎて、私たちは地図がなければ自分がどこにいるのか分からず、迷子になってしまいます。

しかも、我々は「地球が丸い」ことを当然知っていますが、それが知られていない時代は、どんな世界だったのでしょうか。
生死観や、人生観、宗教観にも大きな変化があるのではないかと思います。

地図の描かれ方や変遷を知ることで、その時代時代に生きた人々の考え方や、見えていた世界を知れるきっかけになるかもしれません。

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『コメを選んだ日本の歴史』を読んだよ

米のイラスト

米のイラスト

どんなにおいしい食事を食べても、やっぱり「ご飯」を食べないとお腹いっぱいになった気になれません。
おかずがなくても、白いご飯とお漬物でもあれば満足です。
パンやパスタ類ももちろん大好きなんだけど、お米を食べてやっと「食べた!」って気分になれます。
そんな時に「ああ、日本人だなぁ」としみじみ思う人って、結構多いんじゃないかと思います。

日本人と「米」と言っても色々あったようで……

『コメを選んだ日本の歴史』を読みました。
現在、日本で栽培されている稲のルーツや、稲作が日本列島に輸入され広まってゆく歴史が紹介されています。
お米の食べ方も、時代によってバリエーションがあったようです。
現在は炊飯器や鍋でふっくらと炊き上げますが、蒸しあげたり、パエリヤやドリアのように炒めたりと、調理法も様々だったんですね。

米の種類も、現在は丸くて粘り気のある米ばかりですが、細長くパサパサした米も日本で栽培されていたそうで、日本人の米食と一口に言っても、時代によってかなり幅がありそうです。

今の「常識」も歴史の中では「非常識」?

現在私たちが「お米」「ご飯」と聞いて思い浮かべるものは、日本の米食の歴史の中ではかなり最近固定されたイメージみたいですね。
今、私が「常識」と思っているものも、少し歴史を紐解いてみると、結構新しい習慣や考え方な場合もあるんだと思いました。

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『日本の街道を旅する』を読んだよ

自転車に乗ってサイクリングや旅行に出かけたいイメージをコピックで描いたイラスト

自転車に乗ってサイクリングや旅行に出かけたいイメージをコピックで描いたイラスト

旅行をしたいと思います。
行き先もなにも決めていないのですが、「旅行しようかなぁ」と思い始めた日から、ウキウキと過ごす時間が増えました。

2、3日以上ゆとりあるスケジュールを組みたいものです。
ご飯が美味しくて、静かなところがいいです。
真夏の間は「涼しい所が良い」と思っていましたが、これからは「温かいところへ行きたい」と思うのでしょうか。

そして、交通の便がよくて家からアクセスしやすい場所がいいです。
鉄道を使っての移動したいので、駅から歩いていける場所がいいです。

旅行先をどこにしようか条件を挙げてゆくと、「そんな丁度いい場所あるのかなぁ」と不安になり、行き先は一向に決まりません。

遠くへ行きたい欲求

現在、私は移動手段が徒歩か鉄道やバス路線、タクシーくらいしかありません。
要は、自分の「自家用車」を持っていないんですね。
どこへ行くにも不便で、そろそろ自転車くらい用意しないといけません。

不便になると、うんと行動範囲が狭まってしまい、それに伴って「遠くへ行きたい!」と思い始めました。
普段は読まない旅行誌も気になり始めています。

どんな交通手段を使う?

『日本の街道を旅する』を読んで、ますます遠くへ行きたい願望が強まりました。
昔の人は徒歩で街道を歩いたのでしょうが、私はどんな交通手段を使うのだろうかと想像します。

できれば、自転車でさっそうと走り抜けたいです。
いや、やはり自分の足で、じっくりと景色を味わうのも良いでしょう。

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『南海電車 大阪と和歌山を結ぶ日本最古の現役私鉄』を読んだよ

南海電車の車体のカラーのイメージをコピックで描いたイラスト

南海電車の車体のカラーのイメージをコピックで描いたイラスト

電車に乗るのが好きです。
電車でお出かけするのが好きなのですが、乗ったことのない路線に乗ったり、「この駅で降りたなぁ」「ここを通ったなぁ」と路線図を眺めているのも楽しいです。

電車の車両にも、いろいろ種類があるようですが、名前や詳しいことは知らないので、たまに車両についても調べてみます。
今日は『南海電車 大阪と和歌山を結ぶ日本最古の現役私鉄』を読みました。
私が生まれる前にあった車両や、今も現役で南海線を走っている車両も掲載されていました。

南海電車とは、大阪市から和歌山市まで南北に走っている電鉄です。
大きく、大阪・難波から関西空港や和歌山市へ伸びる路線と、和歌山県の高野山へ伸びる路線があります。
更に、単線のローカル路線も伸びています。

和歌山へ行きたい!

大阪・難波から和歌山へ伸びる南海本線は、海沿いに路線が伸びているので、キラキラと綺麗な大阪湾の景色が見られます。
和歌山へ行く機会は、あまり多くはありませんが、音楽ライブやイベントで足を運ぶことがあります。
和歌山行の電車に乗れるので、いつも楽しみです。

知人と、高野山へ行こうと約束していたことを思い出しました。
何度か日程を決めて予定を立てましたが、天気が悪かったり、毎回予定が流れてしまっていました。

2015年は、高野山が開創されて1200年のイベントが年間通して開催されているようです。
大阪市内からも、アクセスも良いので、今年中に行けたらいいなぁと思いながら、もう9月になってしまいました。

ケーブルカーに乗りたい!

南海高野線の終点「極楽橋駅」から「高野山駅」へ、ケーブルカーが伸びており、これにすごく乗りたいんです。
単線で、線路の真ん中で、上りと下りの車両がすれ違えるようになっています。
以前もこのケーブルカーに乗ったのですが、既に日が暮れており、外が見えなかったのが残念でした。

「極楽橋駅」から高野山の山上へは、ハイキングコースを徒歩で登ることも可能です。
世界遺産の石畳の道を歩くのも気持ちが良いです。
気候の良い時期に行きたいですね。

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イラスト作成に使う画材を紹介します!コピック編

イラストを描くのに必要なコピックチャオ、ボールペン、スケッチブックなどの写真

イラストを描くのに必要なコピックチャオ、ボールペン、スケッチブックなどの写真

このブログを更新するにあたり、文章とともに自作のイラストとともに日々記事を投稿しています。
イラスト作成の際に使っている道具や、イラストの描き方など、数回に分けて不定期に紹介させていただきます。
絵を描く楽しさや面白さが伝われば嬉しく思います。

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『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読んだよ

たくさんの顔を持つ自分をたくさんの色を持つ多色ボールペンに例えてみたら色とりどりで嬉しい気持ちになったイメージをコピックで描いたイラスト

たくさんの顔を持つ自分をたくさんの色を持つ多色ボールペンに例えてみたら色とりどりで嬉しい気持ちになったイメージをコピックで描いたイラスト

私はずっと、対人関係で「裏表があってはいけない」「人によって態度を変えてはいけない」「誰に対しても同じように振る舞わないといけない」と思っていて、それが正しいことであると信じていました。

ですが、今は少し考えが違います。
相手の人によって、気が合う人もいれば、合わない人もいます。
一緒にいるだけで嬉しい気持ちになれる人もいれば、イライラしてしまったり、喧嘩になってしまう人もいます。
それは、悪いことではなく、私にも相手にも、それぞれ違う個性を持った人間なんだから、上手くいくこともあれば、上手くいかない時もあって当然です。

そう思い始めてから、気が合わない人と無理に一緒にいようとしたり、人と上手くいかなくても仕方ないと思えるようになりました。

たくさんの顔の「分人」を持つ私

平野啓一郎さんの『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読みました。
著者は、唯一無二の「個人」なんて存在せず、対人との関係により様々な顔があり、それを「分人」と呼んでいます。
「八方美人」とか「仮面をかぶる」などの言い方をしてしまうとネガティブな印象が強いので、「分人」という新しい呼び方を提唱されています。

人との関係の数だけ「分人」が存在し、その分人の集まりが自分です。
だから、人との関係の数だけ違った顔の自分があって当然だし、その顔ごとに考え方や気分まで変化があって然るべきなのです。

色とりどりの多色ボールペンでいい

この「分人」の考えを読んで、多色ボールペンをイメージしました。
私はずっと、黒なら黒、赤なら赤の、一色ボールペンたらねばならぬと強迫観念めいた考えを持っていました。
しかし、「分人」の考えでは、赤や青、緑、黄色……と、分人ごとにたくさんの色を持っていて当たり前です。
たくさんの色が一本のボールペンに搭載されている。
これが、一人の人の中にたくさんの分人が存在しているイメージと重なりました。

色とりどりのボールペンを持ってもいいんだと思うと、気分が変わりました。

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『モンテーニュ―初代エッセイストの問いかけ』を読んだよ

モンテーニュから始まった試み・エッセイが今や誰もがエッセイストになったイメージをコピックで描いたイラスト

モンテーニュから始まった試み・エッセイが今や誰もがエッセイストになったイメージをコピックで描いたイラスト

「無名の人」という存在が気になります。
現在生きているほとんどの人々も、後の時代の人から見ると「無名の人々」でしょう。
もちろん、私もその中の一人です。

ですが、私は知っています。
私は今、生きているし、私と同じ時間を他の大勢の人々も生きています。
その事実は変わりません。

「有名」と「無名」の差は、偶然?

「無名」か「有名」かの違いは、記録に残るかどうかではないかと思います。
現在の世界を動かしているような立場の人は記録に残りやすいだけで、未来永劫に有名人だとは限りません。
同じように、現在無名だからって、将来的にも無名かどうかもわかりません。
ひょんなことで後世になにか、自分が生きた痕跡が残ることもあるのかもしれません。

今や誰もがエッセイスト?

『モンテーニュ―初代エッセイストの問いかけ』を読みました。
モンテーニュはご存知、「随筆」「エッセイ」というジャンルの先駆けです。
自分の体験や経験を自分の言葉で綴るスタイルは、現在ではポピュラーなものですし、エッセイを綴るように、ブログやSNSを更新している人も多いのではないでしょうか。

モンテーニュは裕福な家に生まれ、裁判官を経てボルドー市長も努めており、「無名の人」とは呼びにくいかもしれません。
ですが、それでも、自分の考えたことや経験を書き残すということが、西洋では画期的だったようです。

あくまで「西洋では」という話で、東洋ではその限りではなかったようで、日本でも、『徒然草』や『更級日記』などの、今で言う「エッセイ」のような文献が残っていますね。

このブログも、私にとっては「エッセイ」に当たるのかもしれません。
そう思うと、今や誰もがエッセイストなんですね。

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勝間和代『結局、女はキレイが勝ち。欲張りに生きるためのスキル63』を読んだよ

読書のアンテナ感度を上げていきたい願望をイメージしたイラスト

読書のアンテナ感度を上げていきたい願望をイメージしたイラスト

勝間和代さんの『結局、女はキレイが勝ち』を読みました。
勝間さんの言う「キレイ」とは、外見の美しさのみを指しているのではなく、自分でしっかりと考え、判断し、自立した女性であることを指しているようです。
外見のキレイさは、100人中30番目くらいのキレイを目指そうと、具体的でした。

女性がキレイでいるための63のスキルを順に紹介されています。
一つ一つのスキルも短めでテンポよく、紹介されています。

その中には、既に自分も出来ていることや、考えていることもあれば、苦手で保留していることや、避けて通っていたこともありました。

本を読むと中身が磨かれる?

「私をキレイに導く知恵と技術」の一つに、

本を読む女は
中身がどんどん磨かれる

―勝間和代『結局、女はキレイが勝ち。』(マガジンハウス、2009) p.62

というものがありました。

この朝夜ネットは、日々、私の読書の感想やそれにまつわる話を更新しています。
「本を読む」という行為は、私はできているのではないかと思いました。

アンテナの感度を上げてゆきたい

ただ私の場合は、自分の興味や好奇心にまかせ、読みたい本を読みたいだけ読んでいるだけです。
難しそうな本や、読むのが面倒に感じる本は、後回しにしてしまいます。
手に取ったものの、興味が沸かず読むのを諦めたり、保留したままになっている本もたくさんあります。

自分の読書スタイルを、少し見なおしてみるべきなのかな?と思い至りました。
どんな本を選ぶのか、アンテナの感度を上げてゆきたいです。

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『説き語り日本書史』を読んだよ

書を書くのに必要な筆と硯、墨のイラストをコピックで描いたイメージ

書を書くのに必要な筆と硯、墨のイラストをコピックで描いたイメージ

私はこれまで、何度かお習字を習おうと、書道の先生の元へお願いに上がったことがあります。

一回目は、中学3年生の頃。
近所の書道の先生のところへ、しばらくの間通っていました。
硬筆と万年筆のペン習字を習っていたのですが、高校進学と共に時間が合わなくなり通えなくなりました。

二回目は二十代半ばの頃。
引っ越した先の近くの習字教室へ見学に行ったのですが、元気な子どもたちがたくさんいて、とてもフリーダムな雰囲気でした。
静かな時間帯を狙っての出席や、自宅で練習して添削をしてもらうなど、方法を提示して頂いたのですが、タイミングや諸々の条件が合わず結局断念。

三回目は、書道の先生のもとへ習字を教えて欲しいと頼みに行ったものの、新規で生徒を取っていないと断られてしまいました。

「書道」への憧れ

なかなかタイミングが合わず、未だに書道への憧れを引きずっています。
「書道」に触れてみたいと常々思うのです。
日常で役立つのはペン習字かもしれませんが、毛筆を習いたいなぁと思います。

「華道」「茶道」などと同じ「道」のつく習い事を一度してみたいんですね。
もちろん、華道や茶道も一度は触れてみたくはあるけれど……まだ始める勇気と言いますか、踏ん切りが全然ついていません。
いつかは触れられることがあるのかな。

彫って書いた「漢字」、筆で書いた「仮名」

『説き語り日本書史』を読みました。
日本の書は、中国の漢字文化に途中乗車し、途中下車した文化だ、という表現が面白かったです。

日本人は長らく文字を持っておらず、後に中国より漢字が輸入されます。
漢字は「甲骨文字」であり、もともとは動物の骨や亀の甲羅などに文字を彫っていたのです。
中国の書には「彫って書く」という文脈が継承されているようです。

しかし、日本に漢字が輸入された頃には、もう骨や甲羅に掘るのではなく、既に筆が用いられていたせいで、中国の書とは違う、独自の書が発展します。
筆の伸びやかで滑るような曲線が、後の時代に日本独自の仮名を生んだ、というのも、興味深く感じました。

漢字なくして日本語はあり得ない

本書の中でも指摘されていましたが、私たちが日頃使う日本語は、漢字の影響がとても色濃く残っているそうです。
確かに、普段何気なく使う「熟語」は、漢字ありきの言葉です。

私たちは無意識的にですが、漢字文化に則った言語と、日本独自の言語を、複数のレイヤーを重ねるように言葉を重ねて話しているようです。
これを、本書内では「漢和二重複線」と呼ばれていました。

かなり意識して話さないと、意味が複数に取れてしまうような事態もままあります。
言葉が曖昧になってしまうのも、この複数の文脈が入り乱れているせいなのかもしれません。

今後、言葉について調べてみるのも、有益かもしれないなぁと思いました。

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『幕末伝説』を読んだよ

歴史を題材にした小説や映画などのイメージをコピックで描いたイラスト

歴史を題材にした小説や映画などのイメージをコピックで描いたイラスト

歴史的有名人は、その時を生きた人たちの本の一握りの人物です。
多くの人々は、たとえ文献に名前が残っていようとも、後の世の有名人になれるかどうかは分かりません。

現在、私たちが知っている偉人たちは、ドラマの主人公に使われていたり、人気小説やマンガなどの作品で登場する人物です。
ドラマや物語の題材にされることで、人々に愛され続けるんですね。

名もない人物に感じるリアリティ

『幕末伝説』は、先日読んだ『幕末気分』に続くシリーズで、『幕末不戦派軍記』の4人のキャラクターが登場する物語も収録されています。
幕末に起こった足利梟首事件や戊辰戦争を扱いつつ、普段はあまりスポットライトが当たらないような人物が紹介されています。

歴史の大きな波がうごめく中、歴史に名を残すことのない普通の人達に注目することで、「その他大勢」の一人ひとりにも、私と同じように命があり、人生があったことを実感し、歴史がリアルに感じられます。

歴史には残らなくても、確かにある人生

どうも私は、歴史を遠いはるか昔の「物語」のように感じてしまいがちなのですが、無名の人物に着目した時にこそ、血の通った人物の一生を思い、「作り話ではない」と思うのです。

ドラマチックに演出された物語よりも、庶民として生まれ無名のまま死んでゆく人物にリアリティを感じるとは、面白いですね。
同じように、庶民として生まれた自分自身も、大きな歴史の流れの中で、小さいながらも役割を担っているような気がします。

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『オズの魔法使い』を読んだよ

オズの魔法使いの憧れの銀の靴のイメージをコピックで描いたイラスト

オズの魔法使いの憧れの銀の靴のイメージをコピックで描いたイラスト

幼い頃、ワクワクしたり、トキメキを感じたイメージの断片が、今でも不意に溢れ出てくることがあります。
今、再び人気の『セーラームーン』のブローチだったり、『眠れる森の美女』の魔女たちがケーキを作るシーンを思い出したり、雑貨屋さんで買ったおもちゃの指輪を見つけた時だったり。

その瞬間のハッと胸が高鳴り、頭の先から足の先まで宙に浮いたようなあの気持ち。
あまりにも「あの頃」と同じ感覚でいっぱいになるため、一瞬、今の自分の年齢や、今がいつなのかを見失ってしまいます。

ドロシーの銀の靴にトキメキが溢れ出す!

今回『オズの魔法使い』を読んでも、トキメキや胸の高鳴りが、「ハッ」と蘇った箇所がところどころにありました。
『オズの魔法使い』を通して読んだ記憶も薄れ、話の筋はすっかり忘れていたので、ワクワクと読み進められた上に、キュンキュンと胸がいっぱいになりました。

例えば、ドロシーの銀色の靴。
何故か「銀色」という響きに大人っぽさを感じており、大人の靴を履くドロシーにトキメキました。
ブリキの木こりが油をさすシーンも、どこか可笑しく、コミカルで、ユーモラスでしかし実直な木こりの姿にワクワクしたことを思い出しました。

忘れていたけれど、眠っていた感動体験

『オズの魔法使い』を手に取ったのは、「有名な作品なのに読んだことがないなぁ」と思ったからでした。
しかし、自分の記憶は間違いだったようです。
そこここで、かつて、幼いころに胸が高鳴り、浮足立ち、体中でワクワクした気持ちが、ドバドバと溢れだしました。

読書の記憶とは不思議ですね。
読んだことも忘れていて、話の内容も覚えていないのに、その時感じた感覚や感動はしっかり体に染み付いているのです。

私は今も、数十年後に思い出し、胸が一杯になるような読書体験をしているでしょうか。
それは、トキメク本に出会っていないのではなく、読み手である私の感性の問題なのでしょう。
豊かな読書体験とは、ただただ大量の本を読むことだけではなく、感動とともに本を読むことかもしれませんね。

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『万葉恋歌』を読んだよ

ポップスをカラオケで歌うように和歌を楽しみたいイメージをコピックで描いたイラスト

ポップスをカラオケで歌うように和歌を楽しみたいイメージをコピックで描いたイラスト

万葉集には恋の歌がたくさん歌われています。
素朴で、真っ直ぐな恋が歌われていて、現在の私達の胸にも響きます。

女性が、恋人や夫を「我が背子(せこ)」と呼ぶのが好きです。
今の私たちに分かりやすく言い換えるなら、「マイダーリン!」と呼んでいる感じでしょうか。

ポイントは、彼氏だけでなく、夫にも同じように呼びかけるところ。
夫婦になったからって、恋する気持ちは変わらないような表現が、とっても好きです。

現在の日本語で「マイダーリン」に当てはまるような呼び方は思い当たりません。
今の私たちは持っていない言葉を、昔の人は使っていたんだと思うと、羨ましくも思います。

恋する気持ちが詰まった『万葉恋歌』

『万葉恋歌』では、万葉集の中からとっておきの恋の歌が厳選されて紹介されています。
著者の清川さんの解説も、恋する乙女心を熱く代弁していて、ステキ!の連続でした。

本書の中でも、恋人や配偶者の呼び名に触れられていました。
男性は、彼女や妻を「妹(いも)」と、親しみを込めて呼びます。

しかも、その愛しく想い合う恋心は、時間が経っても薄れないようです。
少しだけ引用します。

 ただ、恋人時代だけではなく、結婚後長くたった夫婦でも、そんな愛称で呼び合います。
男は、妻がどんなに世帯やつれしようとも“おのが妻こそ常愛(とこめ)づらしき”――おれの女房こそ、いつでもいつまでもかわいらしい、と歌い、ある時は“相見れば常初花(とこはつはな)に”――おまえを見れば、いつでも咲きたての花のよう、と、うれしいことをいってくれるのです。

ー清川 妙『万葉恋歌』(主婦の友社、2010) pp.120-121

いつまで経っても彼女や妻を「愛しい女性」と呼び、歌にしてくれるだなんて……!とってもステキですね。

カラオケでラブソングを歌うように♪

現在では、流行の POPS で歌われるように、昔は和歌が作られていたのかもしれません。
恋の和歌は、ラブソングですね。

自分で作詞作曲できる人は多くはないかもしれませんが、自分の気持を込めてカラオケで歌ったり、歌詞をポエムのように楽しむこともあります。
まるで自分の気持ちを代弁しているかのような歌詞に出会うこともあります。

同じように、昔の人が作った歌に、共感して喜んだり切なくなったり、POPS を楽しむように、万葉集も楽しめるといいですね。

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