『パンダ――ネコをかぶった珍獣』を読んだよ

寝ているパンダをコピックマーカーで描いたイラスト

寝ているパンダをコピックマーカーで描いたイラスト

私は一人でどこへでも行っちゃえる性格で、一人で動物園へも出向きます。
たまたま動物園の近くに用事があり、どうせならと30分ほどの時間を作り飛び込みました。

夜行性の動物ばかり集めた、真っ暗な屋内の建物があり、そこを一人で歩いている時初めて「怖い!」「あ、一人で動物園へ来ちゃった!」と気付きました。
普段から一人でフラリと出かけるので、「ひとり動物園デビュー」だったことにも気付かなかったのでした。

パンダ舎では屋外でパンダが一頭、木の影で寝ていました。
一人で動かないパンダを観察し続けるのは少し難しいのです。
パンダが間近にいるなら細部を観察できますし、遠くにいても動き回っていると、パンダの動作が分かります。

ピクリとも動かないパンダ!

その日のパンダは、木の影でどの角度からも覗き込めず、パンダの全体像も見れませんでした。
誰かと一緒だったら「動かないね」「ぬいぐるみみたいだね」なんて言い合えるのでしょうが、すべて自分の中で完結してしまうことが、単独行動の弱味でしょうか。

確か、この動物園にはパンダが二頭いたと思うのですが、屋外には一頭しかいませんでした。
パンダというのは、一頭で生きる生き物のようです。

孤独を愛するパンダに親近感?

他のパンダと一緒にいるのは、母親と生まれてから親離れするまでと、短い発情期にオスとメスが出会ったときのみで、それ以外は一頭で暮らしているようです。
孤独を愛するパンダ……見た目の愛らしさに反し、パンダの生態はなかなかクールです。

一人で動物園を満喫している自分と、単独の大半を生涯を過ごすパンダ。
なんだか親近感がわき、以前よりパンダが好きになりそうです。

パンダの元祖はレッサーパンダ

『パンダ――ネコをかぶった珍獣』の著者・倉持浩さんは、上野動物園のパンダ飼育に関わっている方です。
パンダの生態や繁殖、歴史、パンダをめぐるメディアの扱いなど、飼育係ならではの内容でした。

ちなみに「パンダ」の元祖はレッサーパンダ。
白黒のパンダをヨーロッパ人が発見した時、レッサーパンダに近い種だと考え「ジャイアントパンダ」と名付けられました。
レッサーパンダの名付けが先だとは、意外です。

パンダはどんなに愛らしい容姿とはいえクマの仲間です。
じゃれたつもりでパンダがひっかいたり、甘咬みされても人間はひとたまりもありません。
パンダを近くで見ようと、来園者がパンダの飼育者に勝手に忍び込み怪我をすることもあるんだとか。

かわいい見た目から大人しいに違いないと思い込んでしまったのでしょうか。

かわいいパンダは身近なもの?それとも珍獣?

人間の目から見ると、パンダはとても可愛らしく、ふわふわのぬいぐるみのように見えます。
パンダを元にしたキャラクターや、パンダグッズも、一つくらい誰でも持っているのではないでしょうか。

パンダを模した物は私たちの側にあり、パンダに親しみを感じます。
しかし、私達はパンダの生態についてあまり多くを知りません。
本書タイトルでも「珍獣」を書かれており、謎に包まれた珍しい生き物です。

動物園へ行く前は、こうやって動物の生態について調べておくと、何倍も楽しめそうですね。
また、ひとり動物園するときのために、動物情報もインプットしてゆきたいです。

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『もしも宮中晩餐会に招かれたら』を読んだよ

テーブルマナーやテーブルコーディネートのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

テーブルマナーやテーブルコーディネートのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

私はくいしんぼうで、いつも食事が楽しみです。
美味しいものを前にすると、満腹でも「別腹」でペロリと平らげてしまいます。
それ故、いつでも体重計と睨めっこをし続ける日々なのですが……。

しかし恥ずかしながら「テーブルマナー」というものを勉強をしないまま現在に至ってしまいました。
周りの人を不快にさせないよう気をつけているつもりですが、知らず知らずの内にマナー違反をしてしまっているのかもしれません。

ただ、いつも「とっても美味しそうにご飯を食べるね」と言ってもらえるのが嬉しいです。

ある日突然、菊の紋章入りの招待状が届いたら?

本書では、庶民の我々に宮中晩餐会の招待状が届いたその時から起こるであろう。戸惑いや決断を順を追って紹介されています。
軽やかで、時にはシニカルな語り口が面白かったです。

自分が宮中晩餐会に招待されるなんてフィクションでしかあり得ないのでしょうが、衣装選びから車の手配まで、想像もつかないことだらけでした。
どんな服装が相応しいのかすら知りませんでした。

「美味しく食べるため」にもマナーは必要?

宮中晩餐会は極端ですが、とっておきの食事のときは、ぜひとも五感をフルに使って味わいつくしたいものです。
そんな日がいつ来るのか分かりませんが、その日のために「恥ずかしくない程度」「人に迷惑をかけない程度」のマナーは事前に習得しておくべきなのでしょうね。

備えあれば憂いなし!
美味しい料理を美味しく頂く。
その日のために、常にマナーの確認や、コンディションを整えておきたいものです。

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『河鍋暁斎絵日記』を読んだよ

イラストを描くための様々な道具のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

イラストを描くための様々な道具のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

ブログ記事に添えているイラストを描くとき、ササッと描き始められるときと、うーんうーん唸りながら無理くり描き始めるときがあります。
アイデアが浮かばないこともあれば、頭にイメージは浮かんでいるのに、自分の画力が足りず絵に落とし込めないこともあります。
どちらも、自分の稚拙さが原因なので、今後改善されればいいのになぁと思います。

特に人物を描くのが苦手です。
これは、人体の構造がきちんと理解できていないためだと思っています。
上手く描けない理由に思い当たっているので、知識を深めなければなりませんが、未だ手付かずです。

『河鍋暁斎絵日記』を読んだよ

幕末期から明治にかけて活動していた河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)という浮世絵師がいます。
浮世絵の平面的なイメージから飛び出した、とても躍動的で活き活きとした絵です。

その暁斎が、日々描き続けていた絵日記があります。
筆でサササッと走り書きをしているのですが、とてもコミカルに人物が誇張されており、ユニーク。
どの人もどことなく朗らかな表情で、ひょうきんな姿です。

デフォルメされ今にも動き出しそうな人物たち!

ちょんまげを結い着物を着て、江戸末期から明治初期の人々は現在の私達とは違った風貌をしていますが、暁斎の描いた人々の絵を見ていると、現在の私達と何ら変わらず、毎日ワイワイと喜んだり落ち込んだりしながら生きていたんだと感じます。

私も暁斎の爪の先くらいでも、絵が描けたら、毎日のブログ更新に悩まなくていいのになぁと思いました。

名人である河鍋暁斎ですらなのか、だからこそなのか。
毎日毎日、描き続けることが大切なのかもしれません。

しっかりと物を見て観察し、それを絵に描ける腕があれば、どんなに楽しいことでしょうか。
勢い良く、躊躇いなく描かれている河鍋暁斎の線に、ため息が出ます。

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『百舌鳥古墳群をあるく』を読んだよ

JR阪和線に乗った思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

JR阪和線に乗った思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

大阪・天王寺駅から和歌山へ伸びるJR阪和線へ乗ると、10分もすると大阪市を抜け、堺市に差し掛かります。
車窓に映るのは、びっしりとひしめく住宅街と、その間にポコポコとこんもり緑色の古墳が見えます。

JR阪和線の路線は、有名な大仙古墳(仁徳天皇陵)の真横を通過するため、電車から間近に古墳が見えます。
しかし、古墳が大きすぎて、山にしか見えません。
古墳の全景は地上からはなかなか把握できません。

手軽な方法では、堺市役所の展望ロビーから大仙古墳を上から楽しめるようです。
参考リンク:特集 堺を巡る |堺観光ガイド

私のショッパイ「古墳の思い出」

ある時、「いい人を紹介してあげる」と友人が異性を紹介してくれました。
「絶対に気が合うと思う!」と大推薦で、その理由が「その人ね、古墳が好きなんだって!絶対気が合うよ!」ということでした。

長年の友人だったのですが、私のことを「古墳好き」あるいは「古墳好きと気が合う」だと思っていたとは驚きました。
確かに、古墳は嫌いではありません。
ですが、取り立てて好きなわけでも、特別に古墳の研究をしているわけでもないのでとても困りました。
古墳らしき森を見るたび、そのことを思い出します。

私が古墳に興味があると思われていた要因があるとすれば、かつての私の通学路にあるのではないかと思います。
たまたま通学に使っていた路線が、複数の古墳群を突っ切るコースを走っていました。
毎日毎日、満員の電車内から外を眺めていると、ポコポコと大小の古墳が見えます。
駅に置いてあるパンフレットや、地図を見ながら「あれは古墳なんだなぁ」とぼんやりと日々眺めていました。

まさかこんな経験から「いい人を紹介してあげる」に繋がるとは思いもしませんでした。
ちなみに、紹介してもらった相手の方とは残念ながら気が合うことはなく、よくわからないモヤモヤが残るエピソードになってしまいました。

『百舌鳥古墳群をあるく』を読んだよ

百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)とは、大阪府堺市にある44基にも及ぶ古墳群のことです。
かつて100基以上あったそうですが、高度成長期に伴い宅地開発されなくなってしまったそうです。

本書では現存する古墳を中心に、写真や図を交えながら古墳の情報や、現在の状態が紹介されています。
大仙古墳やミサンザイ古墳など、聞いたことのある古墳もありますが、ほとんどは今回初めて知った古墳たちでした。

JRの車窓から見える古墳たちも名前を知れば、今後は少し見え方が変わってくるかもしれません。
ついでに、私の「古墳の思い出」も、上塗りされればいいのになぁと思います。

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『人類史のなかの定住革命』を読んだよ

コンパクトな家財道具をどこへでも持って移動できるイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

コンパクトな家財道具をどこへでも持って移動できるイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

最近の私はずっと、部屋の片づけに取り組んでいます。
ノリノリで物を処分し掃除をしているときもあれば、前へ進めなくて悩んでしまうこともあります。

すでにかなりたくさんの物を手放し、ほんの半年前とは全く違う空間で日々を過ごしています。
物を手放すと、肩の荷まで下りたようで、気持ちの負担もとても減りました。
すでに、新たに手に取る物は、選び方の基準にも変化が起こっているように思います。

これまでは「高いか安いか」「得か損か」でしか物を選べませんでした。
今は「こんなのが身近にあったらいいなぁ」「これからこんな生活をしよう」とワクワクしながら選べるようになりました。

人間はもともとミニマリスト?

『人類史の中の定住革命』を読みました。
類人猿の中からヒトがどのように枝分かれし、今日の繁栄に至る過程で起こった「定住革命」について書かれています。

類人猿は一箇所に定住せず、群れで移動をしながら生きているそうです。
人類も同じように、次から次へと引っ越し続けていたんですね。

定住しないので、いつも食べ物のある場所へ移動します。
排泄物の処理も必要なく、その場所が汚れればよそへ移ります。
仲間が死んだり、病人が出ても、どんどん住み家を移してゆくことで衛生状態も確保できます。
自然災害が起こっても、移動すればいいのです。

現在でも定住せず、移動しながら生活をしている部族があるらしいのですが、彼らの家財道具はとてもコンパクトで、5分もあればすべての荷物を抱え、村ごと引っ越してしまえるそうなんです。
超ミニマリストですね。

片づけの悩みは人類が定住し始めたから?

ヒトは定住することにより、他の類人猿たちと違う道を歩み始めました。
定住に社会は大きく膨らみ、文明が生まれ、現在のヒトの活動範囲は地球の隅から隅まで広がりました。
しかし、もともとは移動しながら生きている種族です。
定住生活に慣れるまで、かなりの時間がかかったようで、現在でも定住することによるリスクや不便も抱えています。

そして、私がこんなにも持ち物に悩まされる原因も、定住生活によるものではないかと考えました。
定住せず、住み家を次々と変えてゆく生活では、常に警戒心や注意深さが必要です。
しかし、一箇所に定住をし、村を作り、社会が形成されると、外敵から身を守るコストがうんと減るので、警戒心や注意深さも軽減されます。
外敵から身を守ろうとする本能は、「好奇心」や「探究心」に変わりヒトが人間らしく変化してきたというのです。

家財道具をコンパクトにしたい!

私がこれまで抱えていた大量の家財道具は、自らの好奇心や探究心を満たしたいがために集めに集めた物たちでした。
実際には「物を所有する」だけで好奇心が満たされるわけでもないので、不要なものはどんどん手放してみようと思っています。

好奇心を満たしたい欲求と、移動生活による警戒心が同じものだとすれば、家財道具をコンパクトにまとめ、いつでも引っ越せるような状況を作ることでも、自分の欲求は満たされるのでしょうか?
興味がわきました。

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『幕末不戦派軍記』を読んだよ

古文書や古い資料のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

古文書や古い資料のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

面白い歴史小説は事実とフィクションの塩梅が絶妙

歴史小説の面白さに、歴史的事実の中にフィクションの出来事やキャラクターが溶け込み、どこまでが事実でどこまでがフィクションなのか分からない世界観を味わう楽しみがあると思います。

小説だけでなく、毎年のNHKの大河ドラマや、歴史を題材にしたマンガ作品も同じだと思います。

歴史小説はあくまで「小説」ですから、事実とは違うのですが、物語が歴史の世界を知るきっかけになれば、二重に楽しいですよね。

『幕末不戦派軍記』を読んだよ

弥次郎、喜多八、筒なし、関兵衛という徳川方の武具奉行四人組のお話です。
中西関次郎という人が書き残した『慶応元乙丑五月御進発御供中西氏ヨリ差下シ候道中并在京在阪中日記』という日記をモデルに、四人のキャラクターが生まれたそうです。

幕末、武具奉行の四人が大阪へ出張へ来て豪遊している内に鳥羽伏見の戦いが始まり、江戸へ逃げ帰ります。
上野戦争直前、武器を売って一儲けしようとしている内に、うっかり上野彰義隊に混じったまま上野戦争が始まってしまったり、北海道へ行き箱館戦争に巻き込まれます。

小説の所々に、先の資料から抜き出した箇所があるため、現実とフィクションが入り混じった面白い本でした。

著者の野口武彦さんの本を読んだのは初めてでしたが、他にもたくさんの著書があるようなので、続けて読んでみます。

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『運慶と鎌倉仏像―霊験仏をめぐる旅』を読んだよ

地図のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

地図のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

歴史的史跡を訪問したり、歴史関連の本や資料を手に取ることが好きです。
しかし、なかなか人前で「歴史好きです」と名乗ることができません。

その理由はとても単純で、「歴史に詳しくないから」です。
「歴史が苦手です」と言ってもいいかもしれません。

歴史系の本を読むのは好きなのに、歴史が苦手…相反することのように思えるかもしれませんが、どちらにも当てはまっているのが私です。

歴史苦手の原因は地理にアリ?

なぜそんなことが起こるかというと、私が地理が苦手だからではないかと思います。
中学高校の授業でも地理は苦手で、今でも苦手意識が先に立ちます。

一応、日本の都道府県くらいは覚えては居ますが、県庁所在地はややあやふや。
大きな市や、有名な市町村でも、名前は聞いたことがあっても、どこにあるのか知らないことが多いのです。

恥ずかしながら私は長年、鎌倉市は九州にあるものだと思いこんでいました。
なぜだか分かりませんが、鎌倉幕府は九州に置かれたものだと思い込んでいたせいです。
この間違いに気付いたのは、二十歳前後になってからでした。

世間知らずが招くチンプンカンな土地勘?

私は旅行経験が少なく、あまり遠くへ足を運ぶこともなかったため、国内旅行事情もほとんどわかりません。
この、世間知らず的世界観が、地理の苦手意識を生んでいるのかな?と考えています。

なぜなら、自分で行ったことのある場所なら、どんな場所か自分の目で見て知っているので、本に書いてある情報とともに、かつての経験と相まって記憶されてゆきます。
私にとっては、ヴィジュアルの情報が重要なのでしょうか。
「見たことがある」か「見たことがない」かが、記憶や思考で大きな差を生んでいる気がします。

未だに鎌倉は未知の地

鎌倉に関するとんでもない勘違いも、自分が行ったことのない土地だったり、縁もゆかりもなにも持っていなかった理由もあったのかもしれません。
知識を増やすということは、特定の物事を知るだけでなく、それに関連する事項に一つでも多く「縁もゆかり」も作ってゆくことかもしれませんね。

鎌倉はアクセスもしやすい場所ですし、気候のいい時期に一度は訪れて見たく思います。
自分に縁が生まれれば、これまで以上に今後の歴史理解や、学習も有意義になるでしょう。

『運慶と鎌倉大仏』を読んだよ

『運慶と鎌倉仏像』では、有名な仏師・運慶作と言われる像を中心に、鎌倉時代に作られた像が紹介されています。

運慶といえば、私は奈良県・東大寺の金剛力士像を思い出します。
とてもダイナミックで、荒々しく力強い印象です。

この本で取り上げられている像たちも、鎌倉仏像のイメージである立体的にデフォルメされ、表情豊かな姿で、パラパラと見ているだけで眼福です。

お寺に安置されている像は、薄暗く厳かな雰囲気の中に静かにあるので、隅々まで見ることは難しいでしょう。
博物館や美術館で展示されているものは、細部まで見れるので、また違った印象です。

更に、写真に撮られたものは、肉眼では捉えられないような細かな造作まで発見できるので、肉眼では確認できなかった発見があります。

それぞれに特徴が違うので、様々な角度から鑑賞できると嬉しいですね。

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『もっと知りたいマグリット 生涯と作品』を読んだよ

『存在と時間』を授業で習った思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

『存在と時間』を授業で習った思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

2015年3月25日から6月29日まで東京・六本木にある国立新美術館にて「マグリット展」が開催され、とても話題となりました。
現在は京都市立美術館にて、7月11日から10月12日のまでの間、開催中です。

私も期間中に一度は足を運びたいと思いつつ、新美には行きそびれてしまい、京都へは行けたらいいなぁと思います。

マグリットとハイデガーとドイツ語の思い出

マグリットといえば、思い出すことが一つあります。
それは、大学生の頃、私は一般教養で哲学を履修しました。
なんとなく面白そうだと思っただけで、シラバスもろくに読み込まずに履修してしまいました。

その哲学の授業では毎時間、一枚の絵画を取り上げ、ハイデガー『存在と時間』を参照しながら、先生が作ってくださったドイツ語で書かれた資料を読みながら進むものでした。
日本語で書かれた『存在と時間』を読みこなすだけで四苦八苦な上に、びっしりとA4用紙に並んだドイツ語……。
もちろん、私はドイツ語を理解できません。

無用のノートと役立つ複写

これはえらいことだと、必至でひたすら先生の話を書き留めるだけで精一杯でした。
結局、単位認定のレポートを提出できず、単位を貰えなかったのですが……。
一所懸命に書いたノートは、同じ授業を取っていた学生数人のお役に立てたので良かったのかな?と思うようにしています。

授業の最後には、その日取り上げた絵画についての簡単なレポートをその場で書いて提出する必要がありました。
私はこれがなかなか得意で、何度か先生に褒められ、単位こそ落としてしまいましたがその後の学習の励みになりました。

まだ見ぬ「赤いモデル」

その、授業で取り上げられた絵画の中に、マグリットの有名な「赤いモデル」がありました。
人間の足の形をした靴の絵です。
確か、靴は足であるが足は靴ではないとかそういうことをレポートに書いた気がします。

マグリットの絵画は、2009年兵庫県立美術館で開催されていた「だまし絵展」ではじめて実物を見ました。
昨年、2014年の「だまし絵展Ⅱ」では、例の「赤いモデル」も展示されていたらしく、足を運ばなかったことが悔やまれます。

後々になって「見とけばよかった」と後悔しないように、現在開催中の京都市立美術館へは、足を伸ばしてみようかと思います。

『もっと知りたいマグリット』を読んだよ

本書ではフルカラーでマグリット作品が紹介されています。
パラパラと年代別のマグリット作品を眺めていて、思い出にふけってしまいました。

自分の思い出の中に、このような様々な作品が宿っているのだなぁと気付きました。

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『ジョハリの窓―人間関係がよくなる心の法則』を読んだよ

コミュニケーションに必要な自分の姿を知るイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

コミュニケーションに必要な自分の姿を知るイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

「自分のことは自分が一番良く分かっている」と言う人がいます。
私も時々そう言います。

ですが、自分のことは自分が一番分かっていないのかもしれません。
自分の姿を、自分は主観でしか見れません。
それは、精神的なことではなく、物理的にも私達は自分の姿が他人からどう見えているのか分かりません。

自分の姿の客観視はできるのか

写真で撮ればいいじゃないかと言っても、そういうものでもないでしょう。
例えば、写真に写っているAという人物と、目の前にいるAという人物を、同一人物だとは認識できても、情報量も全く違いますし、生きて動いている人と、写真とは違うように思います。
自分自身の姿も同じではないかと思うのです。

鏡で見ればいいじゃないかと思うのですが、鏡では、自分の目で鏡を覗き込める範囲しか見れません。
ですが、私は他人を、その人の目の位置から見たことがありません。
あくまでも、他者は一歩引いた位置から観察していると考えていいのではないでしょうか。

唯一無地の私を知らない私

これは、とても恐ろしいことではないのだろうかと、たまに思うのです。
私だけが私を知らない。

私にとって「私」という人物は唯一無二のかけがえのない存在です。
私の居ない私の世界はあり得ません。
その私が、私のことが分からないだなんて。

4つの「ジョハリの窓」

「ジョハリの窓」という対人コミュニケーションのモデルがあります。
アメリカの心理学者ジョセフとハリーが提案したもので、二人の名前をくっつけて「ジョハリ」だそうです。

自己には4つの側面があります。
・自分も他人も知っている自分: 開放の窓
・自分は知っているが他人には知られていない自分: 秘密の窓
・自分は知らないが、他人は知っている自分: 盲点の窓
・自分も他人も知らない自分: 未知の窓

どの窓が大きく開いているかにより、自己や他者とのコミュニケーションが変わるのです。

特に、開放の窓が大きくなるほど、他人から自分のことが理解されやすくなり、円滑なコミュニケーションが期待できるかもしれませんね。

「秘密の窓」が大きいのかな?

私は、自分を振り返ってみると、もしかしたら「秘密の窓」が大きいのかなぁと思いました。
自分では、なにかを秘密にしたり、隠しているつもりはないのですが、「触れられたくない」「見せたくない」「知られたくない」と思っていることがあるように思います。

自分の考えや気持ちがこんがらがってしまうことも多々ありますが、こうしてカテゴリ別に分けてみたり、図解できることで、少し整理をしやすくなるかもしれませんね。

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『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』を読んだよ

天文台の望遠鏡で土星を観測した思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

天文台の望遠鏡で土星を観測した思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

 

天文台にて大きな望遠鏡で土星を見せてもらったことがあります。
くっきりと土星の輪までよく見え、イメージしていた通りの土星の姿でした。
本の中でしか見たことのなかった世界が、本当にあるんだと発見でした。

そして、夜空を見上げながら思います。
一体、自分とは何なのだろうと。

「人間理論」ってなんだろう?

「人間原理」という言葉があります。

私はこのような宗教的思想に染まった考えが嫌いです。
真実から目をそらし、見たいものだけを見て安心している、思考停止状態を好む人が陥る考えだと思っていました。

しかし今回『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』を読み、これまでの自分の考え方は、少し考えなおさねばならないのではないか?と思いました。

それは、宗教的世界観や、非科学的なものを信じるということではありません。

保守的で新しい考えを受け入れない考え方に嫌悪を抱いていた自分自身も、自分の理解できない考えを頭ごなしに否定しているだけだと思い至ったのです。

今すぐに、私の思想が180度変わってしまうような変化はないでしょうが、これから少しづつ、考え方の枠が大きくなればいいなぁと思います。

ここにいるのは何?

世界はなぜ存在しているんだろう。
私は誰なんだろう。
なんで私は居るんだろう。

そんなことを考え続けているのは、望遠鏡を覗いた幼い頃から変わりません。
イメージはどんどん重なり、言葉にできない感覚はどんどん増えます。

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『美女の歴史』を読んだよ

女性的だと感じる化粧品のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

女性的だと感じる化粧品のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

美しさを保つ方向性として、健康で体を鍛え引き締まった身体を手に入れる方法と、化粧を塗りたくり着飾ったり、衣装により体のシルエットを隠したりする方法があります。
それは現在の美容感覚だけでなく、古代から続く質の少し違う「美」だそうです。

時代や地域によって、鍛えあげられた肉体が持て囃さていることもあれば、過剰なほど日焼けを嫌ったり、化粧や装飾を身につけることもあったそうです。
現在の日本では健康志向の人も多いですよね。

やっぱりスリムな女性が魅力的?

『美女の歴史』では西洋での美女の変遷を紹介されているのですが……。
どうやら古代から、スリムな女性が魅力的とされることがほとんどだったようです。

時代によっては「ぽっちゃり体型」が良かった時代も少しはあるようですが、かなりの短い間。
スリムを通り越して、病的なほどやせ細ったり、青白くやせ細った女性を良しとする時代すらあったとか。

むしろ、現在が一番、ガッチリやムチムチが許容されていているのかもしれません。
ファッションやメイクにしたって、こうでなければならないって縛りは緩いですからね。

やはり、どの時代もスリムな女性が魅力的なのでしょうか。

ダイエットへの決意……?

鍛えあげて磨き上げた肉体でもなければ、塗りたくって着飾ってアラを隠せるテクニックもない私……。
やはりここは、減量しつつ身体を引き締めてゆく必要を突きつけられた気がします。

美女への道のりははるか遠いです……。

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『物理屋になりたかったんだよ』を読んだよ

幼いころプールで水遊びをした思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

幼いころプールで水遊びをした思い出のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

幼いころ夢中になっていた遊び道具は「水」でした。
お風呂やプールに入るたび、コップや器に入れた水を、器から器へ移し替える作業に没頭していました。

ネバネバと絡みつく水から目が離せませんでした。
水が混ざる瞬間や、水が流れてゆく形を見ようと凝視するのですが、変化の瞬間を捉えることができません。
そんなことを、小学校に上がるくらいまで続けていたように思います。

今思えば、これは幼かった私のささやかな実験だったのかもしれません。
来る日も来る日も、“目に見えないもの”が見たくて堪りませんでした。

目には見えないエネルギー

目に見えないものと言えばニュートリノ!……とつなげるとちょっぴり強引でしょうか。

ニュートリノという物質を知ったのは、中学生の頃だったか……。
図書館でたまたま手に取った本が、一冊丸々使って当時知られていたニュートリノについての本でした。

ニュートリノとは、質量が限りなくゼロに近い物質で、どんな物質をも突き抜けてしまいます。
今この瞬間も、空から降り注いだニュートリノは私達の体を貫き、地球を貫いています。

カラダの隙間?

とても不思議な感覚です。

私の身体は、意志の宿った「一つの塊」に感じています。
なのにその私の身体をどんどん「貫通」している存在があるとは……。
まるで私の身体は実はスカスカで、隙間が空いているようです。

自分の身体は、かっちりと形のあるものだと思っていましたが、もしかしたらフワフワを実態の曖昧なものなのかもしれない……そう思うと、面白いような、怖いような気がします。

見学会へ行きたいな

スーパーカミオカンデは岐阜県飛騨市神岡町は神岡鉱山内に設置された実験施設で、巨大な水槽の中に水を溜め、壁も床も天井にも観測機器を設置してあります。
実験施設というと、味気ない無味無臭なイメージがあるかもしれませんが、写真で見ると、静寂を湛えたなんとも美しい姿です。

スーパーカミオカンデの見学会が定期的に催されているので、一度参加してみたいです。
元は鉱山だった施設ですから、鉱山の見学も兼ねられるようで興味があります。

参考リンク:ツアーの流れ・スケジュール – GEO SPACE ADVENTURE 2015 | GSA-HIDA.jp

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『宇宙のダークエネルギー 「未知なる力」の謎を解く』を読んだよ

宇宙やダークエネルギーのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

宇宙やダークエネルギーのイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

「ダークエネルギー」「ダークマター」と聞くと、なんだか謎に包まれたカッコいい言葉に聞こえます。
「暗黒エネルギー」「暗黒物質」とも呼ばれます。
ますます怪しい響きです。

実際には怪しい言葉ではないのですが「なんだかワクワクする」ネーミングって、興味の入り口になりますね。

「科学」ってまだまだ万能じゃない

私たち人間は「科学」という武器を味方につけ生きています。
それは、万能な武器だと錯覚しているかもしれません。

それは、少し「科学」の世界を覗いてみれば、錯覚だと気付きます。
簡単な入門書にだって、まだまだ未知の存在に満ちあふれていることが書かれています。
私たちはとても不確かな世界に生きているんですね。

『宇宙のダークエネルギー』を読んだよ

本書の本題でもある「ダークエネルギー」もそう。
エネルギーや質量が計算と全然合わないので、全然わからない謎のエネルギーがあるんじゃないか?とされているんですって。

まだまだこれから研究が進む分野だろうから、理解を深めたいですね。

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『日本茶の基本』を読んだよ

日本茶やハーブティーを淹れるさまざまな急須のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

日本茶やハーブティーを淹れるさまざまな急須のイメージをコピックマーカーで描いたイラスト

私はいつも、なぜだかセカセカと気ばかりが焦っています。
そんなに急くような時間に追われる生活をしているわけでもないのに関わらずです。

ゆったりとコーヒーを一杯味わったり、お茶とお菓子で一服……なんて生活に憧れながら、今日もマグカップに注いだ緑茶をガバガバを飲み干します。
何事にもおいてそうで、落ち着いて食事もできないし、お風呂に入っても入浴のルーチンが済めばそそくさと上がってしまいます。

優雅さのかけらありませんね。

そのくせ、お茶は急須から、コーヒーはドリップして、美味しく淹れて飲みたいのだから困ります。
気ばかり焦りながらお湯が沸くのを待つのは大変です。

同じ茶葉から作られるお茶の数に驚き!

今回『日本茶の基本』という本を手に取りました。
フルカラーで、目にも鮮やかな緑色のお茶の写真を眺めているだけで惚れ惚れとします。

緑茶、紅茶、烏龍茶は、作り方が違うだけで同じ茶葉だということは知っていました。
しかし、緑茶とほうじ茶、前茶、番茶、抹茶など、普段飲み慣れたお茶たちも、同じ種類の茶葉からできているとは知りませんでした。
同じ種類の植物なのに、こんなにも育て方や製法が編み出されているということは、それだけ人はお茶を愛し、あの手この手で魅力を引き出そうとした証拠でしょう。
先人たちのお陰で、私は今日も美味しい緑茶が飲めるのです。

お茶にはお菓子でしょ!

お茶を語る上で、切っても切れない存在はお茶菓子ではないでしょうか。
日本茶には和菓子と決まったわけではありません。
日本茶とケーキだって、ワッフルだって、スフレだって合うんですよね!

私はお家では、コーヒーよりお茶を飲む機会が多いので、どんなお菓子でも日本茶で頂くことが多いです。
なんでもかんでもマグカップではなく、素敵なお茶セットを用意できるともっとトキメクだろうと思います。

急須とゾウが繋がっている?

ここまでの話の流れとは関係ありませんが、急須の口の部分。
キュッとくびれていて、先には切り込みが入っています。
これは、象の鼻を模したものだとのレポートを読んだことがあります。

急須って、世界中であるんだなぁと思いました。

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『軽くて深い 井上陽水の言葉』を読んだよ

井上陽水の歌の思い出を詰めあわせたイメージをコピックマーカーを使って描いたイラスト

井上陽水の歌の思い出を詰めあわせたイメージをコピックマーカーを使って描いたイラスト

井上陽水さんの『心もよう』が好きです。

私は歌を覚えるのが苦手なのですが、『心もよう』は覚えやすく、複雑なメロディーではないのだろうと思いました。
しかし、だからこそなのかもしれませんが、とても歌うのが難しく感じます。

一人でカラオケボックスへ行くことがたまにあるのですが、気持よく自己陶酔したいのに、この『心もよう』はクセモノです。
メロディーは覚えているし、歌っているつもりなのに、「何か」違うんです。
なんだか、自分の声がペラペラで、何がダメなのかはわからないけれど、何もかもが「足りていない」ことだけ強烈に実感してしまい、ちょっぴりヘコんでしまいます。

『心もよう』はいい歌と同時に、やっぱり井上陽水さんのあの声で歌わなきゃダメなんだなぁと思い至るのです……。

飄々と、軽やかな陽水語録

『軽くて深い井上陽水の言葉』を読みました。
これまでの陽水さんがインタビューやコンサートでの発言などをピックアップし、飄々と、時に人を喰ったような、軽やかで且つ深みのある陽水さんの発言や、振る舞いを、著者の齋藤孝さんがピックアップし、紹介されています。

私たちは、アーティストの作った作品から、たくさんの気付きやインスピレーションも貰いますが、一人の人として、その生き方や考え方からも、たくさんのことを学べるのですね。
これは、相手がアーティストだけに留まらず、あらゆる立場の人の中にも「いいな!」って思えるような一面を持っている人がいるのではないでしょうか。
さすが陽水さんは、それを表現するのが上手いのではないかと思います。

音楽に伴う記憶は忘れられない

そういえば、幼稚園生の頃だったか、お遊戯発表会にて『夢の中へ』に合わせてみんなでダンスをした記憶がうっすらとあります。
幼稚園での発表会とは別に、別の小学校のグラウンドで、複数の幼稚園と合同でも踊りました。
私は、いつもと違うシチュエーションが苦手なので、発表会や遠足、移動教室も苦手です。

別の小学校を借りての発表会も、ワケもら分からず、知らない場所へ連れてゆかれ、知らない小学生と手を繋がされ、急に人前に連れ出されてとても驚いた記憶があります。
未だに『夢の中へ』を聞くと、あの時のドギマギした気持ちを思い出します。

音楽に染み込んだ記憶って、とても色濃いんですね。

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