『はじめて学ぶ生命倫理: 「いのち」は誰が決めるのか』を読んだよ

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飼猫を通して知った命から人の生命倫理について考えるイメージをコピックで描いたイラスト

飼猫を通して知った命から人の生命倫理について考えるイメージをコピックで描いたイラスト

昔、10年以上飼っていたネコが死んでしまいました。
成猫になってから我が家に迷い込んできたネコで、もう高齢でした。
急に、食欲がなくなり、水も飲めなくなり、見る見る間に衰弱して死んでしまいました。

その時「ネコを病院へ連れてゆくのはやめよう」と家族で考えて決めました。
理由は、病院へ行って良くなるような状態ではなさそうなこと。
ネコは病院へ行くことをいつもとても嫌がりいつも大暴れしていたこと。
病院では他のイヌやネコを見てとても怖がり、治療台の上で恐怖でおしこっを漏らしてしまうこともありました。

ネコの身からすると、無理やり押さえつけられ、乗り慣れない車に乗せられ、ここがどこだかも分からず病院へ連れてゆかれ、病院では注射や手術をされ痛い思いをしたでしょう。
とても怖いをしたでしょう。
衰弱しているネコを、あんなに嫌がって怖がる病院へ連れてゆくのは可哀想だと思いました。

ネコは既に高齢でその時点でも十分長生きをしており、今死んでしまうのは寿命だろうと思いました。

「動物は死ぬ前に姿をくらます」と言いますが、うちのネコも死期を悟ってか、しきりと外へ出たがりました。
ずっと室内飼いにしていたのですが、思うように動かない半身を引きずりながら外へ出ようとする姿を見ていると、「もういっそ、望むように外へ出してやりたい」と思いました。
しかし、死ぬことが分かっているペットを外に出すわけにもいかず、「ごめんなさい」と涙ながらに謝りました。

あの時、どうすればよかったのか

子猫から飼ったわけでもない、ただ縁あって家に居着いたネコです。
そのネコが一匹死んでしまうまでの数日間、家族はみなそれぞれに、それぞれの葛藤をしながら彼の最期を見届けたでしょう。

人によっては、ネコを病院へ連れてゆくべきだと言う人もいますし、どんなにお金がかかっても最後まで延命治療をすると言う人もいます。
私達が決断した判断が正しいとも思いませんし、他の方法を選ぶ人も居るでしょう。
しかし、私達の考えが間違っていたとも思えません。

以上はネコの話です。
もし、これが人間だったら、話はどうなるのでしょうか。

刻々と近づく「死」をどう迎えるか

『はじめて学ぶ生命倫理』を読んで、これまで考えたことのない観点からの物の見方を知りました。
この世に生きる全ての人から「死」は切り離せません。
いつか、遠い未来なのかもしれませんが、必ず「死」はやってきます。
自分の命は自分で好きに扱って良いわけでもなさそうです。
それは「尊厳ある死」や「安楽死」など、最期の瞬間を自分で選ぶ方法の問題に繋がっています。

医師は人の命を救うのが仕事です。
人の寿命を縮めることは、医師の仕事ではありません。
医療技術が発達し、これまで救えなかった人たちを救えるようになりました。
それはとても喜ばしいことです。
しかしそれに伴い、これまでになかったジレンマが生まれているようです。
どこまで治療や延命をすべきなのか。
どこでそれをやめるのか。
答えのない問を突きつけられています。

人の命は誰のもの?

「命」とは、一体誰のものなのでしょうか。
また、「子どもの命」はどうでしょう。
あるいは、「生まれる前の子どもの命」はどうでしょう。

『はじめて学ぶ生命倫理』では、さまざまな実際にあった例を交えながら答えのない問題を提示されています。
もちろんこの本の中にも答えは乗っておらず、様々な考えの切り口があることのみを教えてくれます。

「人は死ぬ」という、シンプルなことです。
ですが、思想や信仰、信念、文化や歴史が交じり合い、私も悩み込んでしまいます。

はじめて学ぶ生命倫理: 「いのち」は誰が決めるのか
小林 亜津子
筑摩書房
(2011)

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