大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

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『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法

目次情報

第一章 「サブカル」になりたいくんんへ

好きなことだけやって生きていく/「サブカルチャー」じゃなくて「サブカル」/アングラ+笑い=サブカル/サブカルで食うためには

第二章 自分学校でサブカルを学ぶ

身体が弱くてアングラに出会う/机SNS/バンドって方法もあるんじゃない?/机SNSからライブハウスSNSへ/自分学校で自習をすべし/「質より量」で映画を見まくる/男子が少女漫画を/サブルなくんたちへのオススメ小説/逆境をチャンスに変えるライブ/プロのお客さんにはなるな/自分を観て欲しかったらまずはバカになれ/仲間と出会いたい・つながりたい/『パックインミュージック』と『ビックリハウス』

第三章 インディーズブーム~メジャーデビュー

インディーズブーム/モラトリアムばかりの専門学校/バイトもできない、何もできない/メジャーデビュー/親問題を攻略せよ/いきなり『オールナイトニッポン』第1部に抜擢/大失敗こそが後のチャンスにつながる

第四章 「人気」というもの

「人気が出る」ということ/「自分」っているのが分からなくなってしまう/人間とは根本的には悪であると思えばラク/自分検索はしちゃダメ!

第五章 サブカル仕事四方山話

人生社会見学主義/油揚げ一枚で世界を変えろ/軽い気持ちでテレビに近づくな/映画の現場はフィジカルだ/現場はカオスだ/原作者という立場からの映画現場/右も左も分からないまま書きはじめた小説/小説を書くためにラブコメ映画を観る/小説の第一歩は散文詩から発想/つじつまは最後に合わせればいい/エッセイは視点に注目/外に出て面白ネタをゲットしよう/オーケン流作詞テクニック/相手のニーズを受け入れるゲーム/本当に表現したいものがあるのか!?

第六章 サブカル経済事情

事務所と契約はよく選べ/所属事務所がつぶれる時/できれば事務所との契約内容は月給制+歩合に/サブカルな人の収入あれこれ

第七章 人気が停滞した時は

人気が下がるということ/陰性なものに目を向けるな/掟ポルシェをポルシェに乗せて/手作りのロックシーン/3つ目の事務所も倒産

第八章 筋少復活! それから

フジロックとロック・イン・ジャパン・フェス/アニソンには「サブカルチャー」があった/オーケン流ライブテクニック/お客さんは敵じゃない/ライブ中の視線移動テクニック/しゃべりかけてくるお客さんは基本スルー/MCで言うことなんてある程度決まっている/もしも心が折れてしまったら/ドンすべったとしても伝説になる可能性がある

第九章 それでもサブカルで食っていきたい

「自由」ということの不自由さ/「できない」ことをチャンスに/モチベを維持せよ/「やめ時」は3回まで。でも……/悔いあらためて遊んで生きちゃう

[巻末特別対談]オーケン×ライムスター宇多丸

カギは月15万円/親に寄生することを恥ずかしく思うな?/「タルコフスキー眠いよ!」って言い出したのがサブカル/自分の好きなジャンルを底上げしたい/イケメンがサブカル業界に近づいてきている!/「何かを好き」っていうのは一番重要/大事なのはオナニーと自習/俺たちウザイ/結局、サブカルで食うためには

注釈
あとがき

大槻 ケンヂ(おおつき・けんぢ)

1966年東京都生まれ。82年ロックバンド「筋肉少女帯」ボーカルとしてデビュー。その後、ロックバンド「特撮」でも活動。音楽以外にも映画、テレビ、小説、エッセイなど多岐にわたる分野で人気を集める。小説「ぐるぐる使い」「のの子の復讐ジグジグ」は2年連続で星雲賞を受賞。また「グミ・チョコレート・パイン」シリーズのほか『ロッキン・ホース・バレリーナ』『縫製人間ヌイグルマー』『いつか春の日のどっかの町へ』など著書多数。

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