エッセー・随筆

『自分の仕事をつくる』|誰にもできない仕事をする

こんにちは。あさよるです。「仕事」について考えることが増えて、自分の仕事の仕方も変えてかなきゃなぁと思っていたところから、『自分の仕事をつくる』とズバリ今の自分にドストライクなタイトルの本を見つけてしまって手に取りました。

本書では、いわゆる「クリエーター系」「ものづくり系」の仕事をしている人達へのインタビューで構成されています。あさよる自身も元々、制作系の出身だったので、改めて「自分はどんな仕事がしたいんだろう」「自分はどんな仕事に向いてるんだろう」と考えるきっかけになりました。

ただ、取り上げられている職業が結構偏っているので、参考になる人とならない人の差は大きい本でもあるんじゃないかと思います。制作系で、他にはない差別化ができている仕事をしている人……というか、他とは違う仕事をつくった人たちへの取材記録ですね。

いい仕事をする

本書『自分の仕事をする』では、自分の働き方や職場づくりをしている人々へのインタビューで構成されています。「ものづくり」を仕事としている方へのインタビューがメインです。仕事への「こだわり」と言ってしまうと、なんだか安っぽい感じがしてしまいます。「どんな仕事をするか」は個人のこだわりではなくて、社会の中で「自分は何をするか」を考えている仕事の話なんだろうと思います。

デザイナーたちは、カッコいい商品をつくるだけが仕事ではなくて、働く人たちが気持ちの良い環境だったり、「つくる」という根源的な活動を具現化していたりと、切り取られる側面も様々です。

インタビューに答えるすべての人たちは、自分の仕事が特別である理由を言語化できていて、それを真っすぐに紹介されているのが印象的でした。自分の仕事をここまで率直に言えるって、かなり限られた環境や特別な立場の人なんだろうなぁと思って読んでいると、きちんと文庫版あとがきで「これはキレイゴトじゃないか」との手紙が届いた話題にも触れられていました。送り主は美大を卒業してグラフィックデザイナーとして働いた後、今はイラストレーターやライターの仕事をしているという方からです。いわゆる「クリエーター系」「ものづくり系」の仕事をしている人から見ても「特別すぎる」環境に見えたということなのでしょう。

(むしろ自分がクリエーター系だからこそ、「自分とは違う」と思うのかもしれないけど)

本書に登場する人物たちは、他の人の仕事とは違う、差別化に成功した成功例ばかりです。だから、偏っているのは当然で、そこに「成功していない人」を当てはめてもどうしようもありません。だから、ちゃんと成功例として、読むべきじゃないかと思います。そして、他の人にはできない仕事に成功した人は、意外なまでにも愚直な積み重ねでしかないんだなという、なんとも、けんもほろろと言いますか(;’∀’) 自分のやっている方向性は間違ってないと励まされつつ、「これを続けるしかない」とわかります。

これから仕事を「つくる」人へ

本書『自分の仕事をつくる』は、これから仕事を始める学生や、新しく独立したり、働き方を変えようとしている人におすすめです。仕事を「つくる」って感覚を持てる時期って、結構限られていると思うので、本書の内容がズバッと刺さる人はかなり稀なタイミングなんじゃないかと思います。

ただ、あさよるの場合、あさよる自身も美大生時代、グラフィックデザイナーの仕事に憧れていたころがあったので、本書を読むとその学生時代の気持ちを思い出しました。「そうそう、こんなカッコイイ仕事がしたいと思ってたんだった!」と初心を思い出す読書でした。せっかくブログ毎日書いてるんだし、これも「仕事をつくる」にしちゃえばいいのかなぁ。

しかし、誰しも今後「仕事を変える」タイミングはあるだろうし、来るべきその時のために本書は読んでおいてもいいだろうし、できれば頭の片隅に、仕事を自分で作って、選んだ仕事をしている人がいるんだってのは、覚えておいても良いでしょう。あさよるは、励まされる本でした。

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『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』|ヴィレバンと本を愛して

こんにちは。本当は本を紹介されたい あさよるです。毎日読んだ本をブログに書いて紹介していますが、他の人の読書ブログを読むのも好きだったりします。そして、自分で自分の歩む本を選ぶのも楽しいけど、自分では手に取らないような本を人からソッとおすすめされたいなぁという願望も持っています。あさよるは一応、人から薦められた本は、まぁ、5年後くらいまでにいは読んでいますw気の長い話ですが、忘れているわけではないので(読みたい本をリストアップしている)、忘れたころに読みますww

さて本書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』はタイトル通り、出会い系で知り合った人に本をオススメしつづけた記録です。著者の文章の表現力の高さからも、ただ情報としてだけじゃなく、エッセイとしてもとても楽しい本です。おすすめ!

本を進めまくってたら人生が変わった

本書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』はタイトルそのまんまですが、夫と別居中、仕事にも生きづらさを感じていたとき、とある出会い系サイトに登録しました。そのときの自己紹介が、こんなもの。

「変わった本屋の店長をしています。1万冊を超える膨大な記憶データの中から、今のあなたにぴったりな本を1冊選んでおすすめさせていただきます」

「変わった本屋」とは、花田奈々子さんはヴィレッジヴァンガードのこと。長年勤め、店長もしていました。ヴィレッジヴァンガードを愛していました。元々はお客としてヴィレッジヴァンガードに居場所を感じており、新店舗のオープニングスタッフ募集に応募したところからヴィレッジヴァンガードで働き始めます。

ヴィレッジヴァンガードを愛し、ヴィレッジヴァンガードで扱われる本を愛していました。だけど、会社の方針から書籍販売が縮小されてゆき、花田奈々子さんたち古参スタッフは反対もしたそうですが、日々の業務で雑貨の発注に追われ、本の売り場に手が回っていないのも事実。そんなジレンマの中の発露として出会い系に登録しちゃいます。

出会った人たちはみな個性的で、明らかにセックスを目的にやってくる男性もいますが、友人として交流が続く人や、女性とも実際に会って、その人にぴったり合った本を紹介し続けます。

さらに、どうしても「自分にとって特別な書店の店長」に会いたいと思い、玉砕覚悟で京都にあるガケ書店の店長にメールを送り、深夜まで語らうこともできました。この経験がすごく特別な出来事だったそうで、「クロスワードパズルのたったひとつの回答が連鎖的にすべての回答を導き出すときのよう」とたとえられていました。

それまで、上手くみんなと同じように立ち回れないと感じていて、本を人におすすめすることも、他になにもできないし、それが特別なこととも考えておられなかったようです(めっちゃスゴイのにね!)。

そしてついに転職を考え始めます。しかし、本にかかわる仕事がしたいけど、ヴィレバンのような書店はない。自分で何かお店をするのも簡単じゃないし、ブログでアフィリエイトを使って本を紹介するのも、生活を保障するほどの売上は望めません。考えあぐねながら、ビブリオバトルの参加者と盛り上がり、一日限りのイベントとして「人に本をおすすめする」ことになりました。

その後、転職を決意し、複合型の大型書店に応募します。エントリーシートには

「出会い系サイトで実際にいろいろな人に会い、その人の話を30分くらい聞いてその人にぴったりだと思う本をおすすめする活動をしていました。この1年で70人以上の人に会い、本をすすめてきました」p.192

と書きました。面接では、元区議会議員、出版社の編集長経験者というスゴイ人と並んで一緒に面接を受けることに。企業側は、花田奈々子さんのエントリーシートを見てから「すごいヤツがきた」と超期待されており、すんなり採用されます。「出会い系をやってると履歴書に書いて採用される人が他にいるのだろうか」と自分でつっこんでるのが面白いw

さらにその後は下町の小さな書店で店長もなさったそうだ。どこまでいっても本と関わるお仕事をなさっていて、本当に特別なものなんだとわかります。

人の心に寄り添う本

本書のもととなった「WEBmagazine 温度」で連載をしていたとき、お母様を亡くしたことがきっかけで「何か本を読みたい」と訪ねてこられたお客さんがいたそうです。その方に本を数冊おすすめし、その中からお客さんが自分に合いそな本を選んで購入します。

本というのは、人の心に寄り添えるものだと、あさよるは分かっていませんでした。なにか大きな出来事があったとき、その心が本を求めることがあるのだと知りました。そして、花田奈々子さんがいつも「あなたの心に寄り添う本」を選んでいました。だから一対一でお話をしてからじゃないと本を選べません。

あさよるも毎日本を読んでブログを紹介していましたが、本が人の心に寄り添えるものだと考えていなかったし、誰かの心に寄り添い、誰かが気に入り、誰に染み入る本を提供したいという発想すらありませんでした。あさよるの読書は独りよがりで、そしてなんだか乱暴な気がしました。

「誰かのための読書」ってあるのかも

あさよるにとっての読書は「喰らうような」もので、過食や中毒もお構いなしに破裂してでもそれでも体の中に押し込こみたいものでした。ある意味ジャンキーというか、こう改めて書くとどうかしてるw だから、誰かの心・気持ちなんてフォーカスしたことがなかったのです。自分の気持ちさえも結構どうでもよくて、苦しくてもただ呑み込むことしか考えていませんでした。

だけど、「誰かのために本を読む」ってことがあるのかも。しかも、なにか具体的に有益な情報を提供する目的ではなくて、それが何らかの癒しや精神的支えになるような、もっと抽象的な意味での読書です。まあ一応、当あさよるネットでも自己啓発書はちょいちょい紹介していて、自己啓発書も「人の心に寄り添う本」の一つでしょう。だけど、心を興奮させるものだけじゃなく、穏やかに、リラックスするための読書があっても良いですよね。

というか、リラックスのための読書って、別に特殊でもなんでもなく、いたって一般的なものなんでしょう……あさよるが本にそんな効能を求めていなかっただけで(;’∀’)(;’∀’)

なんだかものすんごく、読書ブログ運営者として、『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』では反省と学びと目からウロコ連発でした。

あと、すごく良い本です。読みやすいし、特別な行為を、特別に表現しききっていて、その表現に舌を巻きます。

読みたい本ザクザクでした

『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』ですから、本書内でも実際にどういう人にどの本をすすめたのか紹介されています。あさよるもペンを片手にメモりながら読みました。

巻末には本書で著者がおすすめした本一覧があるので便利です。

他人の読んでいる本というのは、とても気になるものですが、他人が他人にすすめる本というのは、もっと気になります。あさよるも気軽にホイホイ周囲の人に本をすすめますが、本当にうれしいのは人から あさよるに合った本をすすめられることです。

あさよるのことをよく分かったうえで、好きそうな本や、気に入りそうな作品を推してくれるのはすごく嬉しい。本書ではその、人に本を選ぶワクワクと、人から本を選んでもらう嬉しさが潜んでいて、とても良い気持ちだった。

いつも一人で書店へ行くから、たまには誰かと「目的地:書店」で、本に囲まれて時間を過ごしたい。

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爆笑問題・太田『違和感』|肯定しきれない白けと、静かな憧れ

こんにちは。ラジオっ子のあさよるです。つい深夜ラジオを聞いて朝寝坊をやめられません。今はradikoもあるのにね(;’∀’)

爆笑問題の深夜ラジオも面白くてついつい聞いてしまう番組の一つです。テレビでは、太田さんがフリーダムなキャラに感じますが、ラジオではむしろ田中さんの方がキワどい感じですね。意外と、常識的なのは太田さんで、常識があるからこそ、ちゃぶ台をひっくり返すようなことができるのかも……。

で、2018年は爆笑問題が結成30年の年だそうで、太田さんの書籍が出版されました。

照れと違和感がもたらす露悪趣味的な何か

『違和感』は爆笑問題の太田光さんが、爆笑問題結成30周年記念にまとめられたエッセイ。Amazonの紹介ページには「語り下ろし」とあるので、聞き書きみたいですね。「人間関係」「笑い」「世間」や「世論」を取り巻くニュースなど、身近な話題に関する「違和感」をテーマに話されています。

太田さんと言えば、テレビで毒舌キャラって感じでしょうか。ちょっと斜に構えて皮肉屋っぽいイメージ? あさよるは「シャイな人なんだな~」って印象でした。しかし本書『違和感』を読むと、太田さんって毒舌でもシャイでもなく、「素直にホントのこと言っちゃう人なんだ」と気づきます。それは「純粋」とも言えるけれども、「露悪趣味」とも言えるでしょう。

つまり、誰も思ってるけど言わないことを言っちゃう。例えば、本書では「〈いじり〉と〈いじめ〉は同じだ」という話題がなされています。太田さん自身も相方の田中さんを〈いじり〉ますが、結局のところ「みんな他人をバカにして笑っているんでしょ」と誰も言わないことを言っちゃいます。それが芸人の芸であれ、それを見ている人は「上から目線」がどこかにあって、何かを「笑っている」ことには変わりありません。「〈いじり〉と〈いじめ〉は違う」というのは、人を笑う方の理屈であって、笑われている側からすればそんなのどちらも同じでしょう。

芸人として、お笑いの持っている功罪というか、笑いの仕組みまで冷めた視線で語られているのが、意外に感じ驚きました。

たけしと談志のええ話

個人的に「ええ話や」と感じたのは、死にたいとこぼす談志が元気がないからと、ビートたけしに「談志師匠に会ってほしい」と頼み、太田さんが幹事役で、談志、たけし、そして太田の三人で食事をしたときの話。いばらく時間がたって、談志が言う。

「たけしがいて太田がいる。今日は最高にうれしい一日だ。ただひとつ俺にはおおいに頭を悩ませることがある。さっきからずっと小便がしたいのだが、行くべきか、行かざるべきか、それを悩んでいる」p.171-172

なにこの言い回し最高にオシャレじゃないっすか!あんまりどうのこうの言うのも野暮ですが、二人への称賛の言葉をこんな風にあらわせるんだなぁと。

そのあと、談志師匠が色紙を3枚取り出し、記念に3人でサインしてそれぞれを持ち帰ろうと提案します。そじてまず、色紙の真ん中にテレビでは放送できないマークをでっかく書く。太田さんにとっても宝物だけど、絶対にテレビでは放送できないw

底にあるのは「白け」なんじゃないか

本書『違和感』の冒頭で、日本のお笑いにあるのは「照れ」だと触れられています。太田さんの印象も照れ屋でシャイな人のイメージだったから、それも相まって納得しました。しかし本書を読んでいると、太田さんの人柄の底にあるのはどうしようもない「白け」なんじゃないかと思い至ります。

熱く情熱的になりきることができない。ブームに乗り切りことができない。マジョリティのお祭り騒ぎに便乗しきれない。だからといって、マイノリティに同情し、共感もしきれない。なんかそういう、どこか「冷めた視線」、前のめりになれず、引いてしか物事を見れない態度みたいのを感じました。それは太田さんの特性だけではなく、太田さんたち「新人類」と呼ばれた世代の持っている世界観なのかもしれません。実際に本書のレビューを見ると、同年代の方が「わかる」と共感なさっているのが印象的でした。

太田さんは破天荒なわけではなく、本当はとても常識的な人で、すごく冷静に物事を見ていて、なにかお祭り騒ぎやブームを冷ややかに傍観する視線を持っていて、だから「誰も言わないこと」をズバッと言っちゃう。その場のノリに乗りきれないのかもしれません。なんかその冷めた感じ、あさよるも「わかるかもなぁ」なんて。

もし、テレビでしか爆笑問題を知らない人は、本書を読むとイメージが変わるかも?

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『ヘンな論文』|論文のテーマ探しは身近にある?

こんにちは。あさよるです。毎日暑くてダルいですから、サクッと軽く読める本がないかと、積読してた『ヘンな論文』に着手しました。ただこの本、軽く読めるちゃあ読めるんですが、内容は面白いのでじっくり読んでしまいましたw 世の中にはヘンな論文を書く人もいれば、ヘンな論文を読むのが好きな人もいて、さらに本にまとめちゃう人もいるんですね~。

身近なネタから論文ができる

本書『ヘンな論文』は、著者が「サンキュータツオ」さんというユニークなお名前なこともあり、てっきりヘンな論文を集めたネタ本なのかと思いきや、結構まじめに面白い本でした。

まず「ヘンな論文」が集められているのですが、どれも着眼点が「面白い論文」で、ものすごく気になる研究が集められています。第二章の“公園の斜面に座る「カップルの観察」”とかすごく気になります。有名な話では、京都の鴨川沿いに座って並ぶカップルが等間隔に並んでいるという話がありますが、あれを真面目に研究してみた論文です。カップルの隣にいる人との距離と時間帯により、抱き合ったり、手をつないだりと、カップルの密着度も変わるそうです。また、海沿いでは横にいる人との距離を気にしますが、斜面居座っているカップルは前後のグループとの距離を気にするそうです。「だからなんだ」という研究な気もしますが「ヒトの習性」として面白いですね。

女子高と共学では、女生徒の服装や行動が変わるという研究も、同じく「ヒトの習性」を垣間見れて興味深いものです。女子高では制服で登校してきてもすぐ体操服に着替えてしまい、髪形はショートカットが多く、化粧もしない人が多く、文化祭では被り物(馬とか大仏とか)が好まれます。しかし男女共学校では、制服を着替えず、髪が長い生徒が多く、化粧に興味がないと言いながらメイクしている生徒が増え、学際でも浴衣姿やメイド服が目立ちます。

元近鉄ファンの生態も、大阪府民の あさよるとしては興味深い。近鉄バファローズが解散し、オリックス・バファローズに吸収され、選手はオリックスと楽天に分配されました。その元近鉄ファンたちにアンケート調査し、生態を探るものです。ちなみに あさよるの周りでは今は楽天を応援してる人が多いですね。

“「コーヒーカップ」の音の科学”では、「コーヒーカップにインスタントコーヒーとお湯を入れて混ぜていると、カップに当たるスプーンの音がだんだん高くなっていく」と教え子から聞いたことで、研究が始まりました。この論文を書いたのは高校の物理教諭です。学術論文は大学の先生でなくても学会に所属していれば書くことができます。この研究では、インスタントコーヒー粉末と一緒にお湯の中に混ざっている空気が抜けていくと音が高くなっていくと結論付けています。しかし、先に同じ研究をし論文を発表している人が世界にいたため、この論文は発表されませんでした。

ネタはこう探す:論文の書き方、コツ

本書『ヘンな論文』は、ヘンな論文を茶化してる本ではなく、むしろ「研究テーマはこんなに身近に溢れてる」と好奇心掻き立てられるものです。おっぱいの揺れ方を真剣に研究していたり、ネコの癒しを研究している人もいる。大学の研究、論文っていうと、ものすごいメカメカしい最新メカに囲まれてビン底メガネをかけた研究者が哲学的なよくわからん話をしていたり、ザ・マッドサイエンティストが緑色の試験官を両手に持っているワケではないのです(なにそのイメージ)。

『ヘンな論文』で紹介される論文たちは、世間話の中でネタに上がるようなテーマばかりです。等間隔に並ぶカップル然り、ネコが宇宙のヒエラルキーの頂点に君臨していること然り、いわずもがなですよね(キッパリ)。で、それを実際に研究し、その結果を論文にまとめている人がいるってだけです。

もし卒論のテーマで悩んでいる人がいれば、本書『ヘンな論文』はオススメです。普段1mmたりとも考えてないようなテーマを掲げる必要はなく、身近なテーマに目を向けてみるきっかけになるでしょう。

大学進学を考えている中高生へ

論文ってなんだ? 大学の先生って何を研究してるんだ? と、これから大学進学を考える中高生にも『ヘンな論文』はなかなかワクワクする読書体験を与えてくれるんじゃないでしょうか。簡単ではありますが、論文とは何か、どうやって論文は書かれるのかも紹介されています。

研究についてこんな説明もなされています。

 美しい夕景を見たとき、それを絵に描く人もいれば、文章に書く人もいるし、歌で感動を表現する人がいる。
しかし、そういう人たちのなかに、その景色の美しさの理由を知りたくて、色素を解析したり構図の配置を計算したり、空気と気温を計る人がいる。それが研究する、ということである。
だから、研究論文は、絵画や作家や歌手と並列の、アウトプットされた「表現」でもある。無粋だという人もいれば、最高にポエジーだという人もいるだろう。美しいものを配置する法則もまた美しい。数学者や物理学者に詩人が多いのはこういうことに由来するのではないかと思う。
研究は未来を予見する表現だ。
p.77-78

世界の心理を研究し、論文にまとめて書いて発表するのか、絵にかいたり音楽に乗せるのか、表現の仕方が違うだけでやってることは同じなんですね。自分も将来論文を書くかもや論文書きたいと思う人にオススメです。

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『究極の選択』|音・感触・言葉にならない感覚を持ち続ける

こんにちは。あさよるです。このブログを始めてから、読書傾向が大きく変わりました。以前から有名人や著名人のエッセイやコラムみたいなのを読むのは嫌いじゃなかったのですが、その「有名人」の幅が広がって、「これまで知らなかった人物のエッセイ、コラム」も手に取るようになりました。

今日読んだ『究極の質問』もそう。著者の桜井章一さんは「雀鬼」とも呼ばれる雀士。といっても、あさよるは麻雀なんて全然知らない分野ですから、桜井章一さんのことも何も知らずに本書『究極の質問』を読み始めたのですが、質問に対し、独特の思考でありながら筋の通った話が展開されてゆく様子が、抽象的で刺激的な読書となりました。

雀鬼へ究極の質問

本書『究極の質問』は、「雀鬼」と異名を持つ雀士・桜井章一さんへ、究極の難問をぶつけまくった記録です。「殺人はなぜ罪か」や「死刑制度は必要か」みたいな質問から、「AIは人の仕事を奪うのか」「極限状態で人の肉を口にするか」「周囲に流されず独自の道を生きるには」のような、多彩な質問がよせられています。

桜井章一さんの回答は独特で、理屈を並べるのではなく、とても感覚的なのが印象的です。といっても、もちろんトンデモや電波な答えをしているわけではありませんよ。回答には理由があって納得できるものですが、その答えを導き出す経緯が独自路線な感じ。

たとえば「道徳」についての質問では、道徳はその社会の思想を広めようとしているとし、それが正しく優れたものであっても人々に押し付けをすると、反発する人も現れる。道徳によって諍いが生まれることもある。日本人には「恥の文化」がまだ残っていることもあり、慎ましく行動する傾向があるが、「ムラ社会」の名残でもある。それは「旅の恥はかき捨て」と言葉があるように、いざムラ的共同体の外に出ると、タガが外れた行動をしてしまうとも言え、はたして「恥の文化」が日本人の「徳」なのかは怪しい、と答えておられます。また、大人は子どもに「人に迷惑をかけるな」としつけるが、迷惑をかけずに生きられる人はいないため「迷惑はかけちゃうけど、お互いにあまち迷惑をかけすぎないように気をつけていこうね」と教えるべきだとも話されています。

そして「道徳」の話は桜井章一さんが主宰する麻雀の会「雀鬼会」のルールへ話が及びます。雀鬼会では「いい麻雀をみんなでつくろう」というルール、一種の道徳があるそうです。その「いい麻雀」とは、勝ち負けじゃなく、

勝ち負けを超えた次元でみなが気持ちのいい麻雀が打てるように(p.73)

と話されています。また、社会の中の「道徳」は先に紹介したように負の側面もありますが(反発する人や、諍いの種になりうる)、雀鬼会のルールは全員が気持ちよくなれるものです。麻雀にある駆け引きや騙しのテクニックを取り去った麻雀だそうです。

桜井章一さんがおっしゃっている「道徳」の説明は、言葉の上では「わかる」ものですが、

経済と政治の要素をことごとく取り去った麻雀(p.74)

というのは、実際にどういう状態なのかイメージしにくいですよね。この話では「道徳」をテーマにとても抽象度の高いお話をなさっている印象です。これは、本書を通じて、具体的な話題を扱いながらも、時折とても抽象的に話が展開したりと、結構刺激できな読書になりました。

ゲームの勝敗じゃなく「音を聞く」

「隻手(せきしゅ)の声」という言葉があります。禅の公案で、両手を叩くと「パン」と音がするが、片手だけならどんな音がするか、というもの。隻手の声を桜井章一さんはどのような解釈をするか? という質問が寄せられていました。

桜井章一さんは、片手であっても掌はそこにある空間、空気を感じ、“気体”の濃度が発する気配を「音」感じると答えておられます。本書ではこの「音」が重要な存在なのです。

 雀鬼会では牌を麻雀卓に捨てるときの音を大切にしている。
牌を打つとき、無駄な思考、無駄な動きが無ければこの「内に響く音」が鳴るが、少しでも無駄な動作が入ればいい音を響かせることはできない。
牌はつかまなければ捨てることはできないが、「つかむ」という感覚があると無駄な動作が入りやすくなる。

p.137

このあと牌の扱い方が続きます。麻雀を勝ち負けのただのゲームとせず、身体感覚を使って、スポーツをしているような感覚……という感じでしょうか。とても繊細な〈何か〉に注目し、言及されているようですが、言葉として頭に入るだけでは到達理解できなさそうです。やはり、なんらかの身体感覚を伴う、感覚的なものがあって、それを掴むためのアドバイスなんだろうと想像します。

さらに、麻雀を、川上から綺麗な水を流すように打つようにと指南されていたり、ただの勝ち負けのゲームとしてじゃなく、なんらかの抽象的な動作や存在について言及しているのだろう部分が、とても興味惹かれました。

言葉にならない感覚を失わない人

わたしたちヒトは、動物として生まれてきて、成長過程で社会的教育を受け、人間になってゆきます。社会性を身につけるのと引き換えに、われわれはたくさんの動物的感覚を失ってゆくそうです。赤ちゃんは誰に教えられなくてもお母さんのおっぱいを飲めますし、勝手に筋トレして首が座り、寝がえりやハイハイ、自力で歩けるようにとなってゆきます。

だけど、社会性というのは、後天的に見につけるもので、勝手に養われてゆくものではないし、本能的な行動欲求を抑えつけ「こんなときどうする」とケーススタディをインストールされるものです。また、時代にあわせて常識や社会規範はかわってゆきますから、適時アップデートも必要です。

さて、桜井章一さんのお話からは、とても感覚的で抽象的な感じを受けました。ある種の「動物としての感覚」を失わずに持ち続けている人なのかもしれないと感じました。麻雀ってそんな感覚を使うゲームなんでしょうか。

ちなみに「あさよるは透視ができます」というと「暑さでどうかしたのか!?」と心配されそうですが、トランプゲームの場合、テーブルや服に反射したカードの色とその面積で「赤か黒か」「色の面積が多いか少ないか」くらいは「見える」ことがあります(条件が揃えばね)。だからゲームをするときは、反射しないよう机や服を準備しないと公正とは言えませんねw 勝負事って、身体能力によって結果が左右するものだと思うから、「雀鬼」と呼ばれる桜井章一さんがなんらかの身体能力が高くても、驚くことではいのかも。

五感の感じ方の偏り(桜井章一さんの場合「音」や「感触」に言及されているのが印象的です)については、「NLP(Neuro-Linguistic Programming)」的な捉え方もできるかもしれませんが、なんだかそれは野暮な気がしました。

あさよるも、何らかの「感覚」を失わずに持っているとするのなら、これ以上それを「社会性」で上書きするよりも、持ち続けたいし、能力を引き出せるように感覚を磨いていたいと思いました。

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『モヤモヤするあの人』|読むほど常識がゲシュタルト崩壊

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

この本めっちゃモヤモヤするー!!/(^o^)\

やばい、読み始める前のモヤモヤのない世界に帰りたいww こんにちは、あさよるです。ああ、そんな大したこと書いてある本ではないハズなのに、なんだかすごくナンセンスでおかしな話が展開されている気もする本に遭遇してしまった~。サクッと簡単に読めるコラム集で、一つ一つの話はそう、そんな大それた話をしてるワケじゃないのに、読了後なんか「生きるとは」みたいな、でっかいことを考えてしまったww

それにしても、あさよるにとっては知らなかった常識をたくさん仕入れることができたので良い読書でした。

追記(2017/07/24)

著者の宮崎智之さんからメッセージいただきました(^^♪

これはアリ?ナシ? あの人は一体何?

本書『モヤモヤするあの人』は、巷の「なんとなくモヤモヤする話」を集めた本です。著者の宮崎智之さんは「人間観察」が趣味という。

人間観察は、場所や時間を問わずに行われる。ある時は、カフェの隣の席で怪しげな勧誘をしている若い女性に目がいき、ある時は、バーで女性を口説こうとしている40代後半の小太りなおじさんに目がいく。おじさんは、弁護士事務所に勤務していると名乗っているけど、手相占いと称して女性の手に触ろうとするその行動は、法律的にセーフなのだろうか。
また、駅のホームで固く抱擁しながら海藻のように揺れている謎のカップルにも、ついつい目を奪われてしまう。大人なんだから終電を気にせずホテルにでも行けばいいと思うが、そうもいかないのだろう。もしかしたら不倫なのかもしれない。それにしても、この手のカップルに美男美女を見たことがないのは、なぜだろうか。
ビジネスシーンもモヤモヤの宝庫だ。スーツにリュックで営業先に行くことは失礼にあたるのか。大雪が降っても定時に出社しなければいけないのは、どうしてなのか。SNSで嫌いな上司から友達申請が来た場合、部下はどう対応すればいいのだろうか。

p.4-5

「とるにたらない話題」と称されているんだけれども、ああもう、こうやって指摘されちゃうと気になり始めて仕方ない。「終電間際の駅で〈海藻〉のように揺れているカップル」ってw 確かに彼らは何をやってるんだろう。別れを惜しんでいのだとしたら、二人はそれぞれの自宅に分かれ分かれ帰宅するのは決まっているということなのだろうか。言われてみればホテルでも行けよ、という気もする。

「スーツにリュックはアリか」というのも、言われるとすごく気になる。いるよね、リュック背負ってる人。通勤スタイルとしてはリュックは便利でいいと思うけど、あれでお客様の前に出るにはカジュアルすぎるような気がするなあ。通勤用と、勤務中用のカバンを2つ用意したらいいんじゃないかと思うけど……。

本書は大きく2つの章に分かれている。「これはアリかナシか」という二択と、「あの人は一体何なんだ」という問いである。

世界には我慢できることとできないことがある!

本書『モヤモヤするあの人』で取り上げられる話題をかいつまんで、あさよるの主観を交えて紹介してみる。主観が多めなのでご注意。この「モヤモヤ」は、なんとなく納得できないんだけれども、だけど相手を糾弾するほどのことでもない感じ、と言ってもいいかもしれない。

例えば、大きな災害や事件が起こると「不謹慎厨」が沸く。他人の発するツイートやブログ記事に対して「こんなときに不謹慎な!」と怒り始める人たちだ。まあでも、気持ちはわからなくはない。ショックの大きい出来事に出合うと、とてもヘラヘラする気になれないし、そんなときに浮かれたことをしている人と温度差を感じることもある。だけど、だからと言って「不謹慎だ」と憤るほどのことでもないと感じる。社会を揺るがすような出来事であればあるほど、その他の人は「いつもと同じ通りに生活をする」ことが「平穏」を取り戻すために必要な力だ。大変な時こそ「いつもと同じ通りに生活をする」べきなのかもしれない。

少なくともあさよるは、この二つの間で揺れ動く。「いつも通りに生活をする大切さ」もわかるし、だけど浮かれた話題に対しては気持ちをどこに持って行っていいかわからない。いや、浮かれた話題はまだいいけれど、あさよるが動揺してしまうのは「野次馬」的な言動を見聞きすることだ。わざわざ危険な場所に出向いて写真を撮って、それをインターネット上にアップロードすることになにか意味があるのだろうか。自分のツイートもバズると思ったのだろうか。

「モヤモヤ」はそんな、気持ちをどう持って行っていいのかわからないときに起こるんじゃないかと思う。

食べ物の相性は重大だ

本書で最もショッキングだった「モヤモヤ」は、「焼き鳥を串から外して食べる」という常識があるらしいことだった。しかも、ガブっと齧り付けずに串から外すのではなく、「みんなとシェアするため」に串から外すらしい。つまり、一本の串を複数人で分けて……食べる……だと……? そんなん、自分の食べたい串一本頼んだらええやん。

あさよるの世界軸にはそのような慣習がなかったため、とても戸惑っている。あさよる的には、串から外してバラバラにして冷めてしまった焼き鳥はおいしそうな気がしないんだけれども、どうなんだろう。

こういう、食べ物に関する相性はとても重大だ。あさよるも昔、とことん食べ物の好みが合わない人と一緒にいて、ほんとにとてもとても疲弊してしまった経験がある。「この時間帯にこれ食べるの?」って感覚も違うし、「食べ方」も違っていて、食事中の会話も弾まずただひたすら気まずい時間だった。これはかなり堪える。

焼き鳥の串外し問題も同様に、実はとても根が深い話ではないかと思う。ただもちろん、どちらが正しい/間違っているわけでもないし、他人に強要することでもない。ただ「モヤモヤ」するのみである。

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

サプライズは良いこと!?

焼き鳥問題と同じくらい衝撃だったのは「サプライズ」に関する話題だ。サプライズって、あれだ、あの、「フラッシュモブ」とかいうやつだ。公園にデートに行くと突然公園にいた人たちが踊り始めて、彼が最後にプロポーズするとか、結婚式で出席者たちが踊り始めたりするやつだ。あんなの喜ぶ人がいるのかと訝しんでいたが、なんと本書によると、

ネットマーケティングが2015年3月に実施した調査によると、「恋人からサプライズされると嬉しい」と思っている男性は94%、女性は96%にのぼっている。(中略)予定調和を崩す意表をついた演出は刺激的で、胸ときめくもの――。世間の大多数が、そう考えているのである。(p.143-144)

男性94%、女性96%って、圧倒的多数じゃまいか! え!? みんなそんな感じだったの!? サプライズ嬉しいの!? あさよるが空気読めてないことに気づいてものすごくショックでしたorz

あさよる的には、言葉によって、これからの話も話し合える人がいいです……。「サプライズ」っていうけど、突拍子もなく告白やプロポーズしてるんじゃなくって、お互いにもう確信している状態で、最後の口頭の約束をしているんだと思うんだけどなぁ……違うのかなぁ(弱気)。

ちなみに、街中の広告用の大型ビジョンに、自分のメッセージを掲載してもらうのは、割と手の届く値段でできるらしい。サービスをまとめておられる方がいらしたので、リンクのせておきます。

イラつく人にイラつく

街中のモヤモヤの代表格は、電車の中でお年寄りに席を譲ってよいものか……という葛藤です。今の人はみんな若いですから、席を譲ると申し出ても断られてしまうどころか、小競り合いになることもあるそうです(反対に、席を譲らないことでモメることもあるそう)。あるいは、電車の中で赤ちゃんが泣き始めて……イラっとしてしまう。

本書では、著者の宮崎智之さんは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ」というよりは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ人に苛立ってしまう」と書かれていました。あさよるも同じで、別に赤ちゃんの声なんて気にならないんだけど、「イライラする人がいるんじゃないか」「文句を言う人がいたら嫌だなあ」「もし怒る人がいたら、私はどんな行動を取ればいいんだろう……」と、周りの大人たちへの警戒心でピリピリしてしまいます。

「イラつく人にイラつく」状態です。

これにちょっと似ているなぁと思うのは、電車の中で化粧をする女性。電車内で化粧をする行為への是非はともかく、その人がいることで周囲が緊張している感じがツライ……。

まさに「モヤモヤ」ですよね。一旦モメごとが起こったならば、自分はそれに適切に対応するしかないのですが、「モメてないけど、これからモメるかもしれない」という宙ぶらりんの緊張感がモヤモヤします。

化粧ってマナーだったの!?

電車の中で化粧はどうなの? って話題で登場した概念にも驚いた。それは「女性の化粧はマナー」だというもの。え、化粧ってマナーだったの? すっぴんはマナー違反ってこと……? あさよるは「社会人としての最低限の身だしなみ」は男女ともに求められていると思うし、さらに職業によってはより身だしなみに気を遣う職種もあるだろう。しかし、「それ以上に着飾ること」は個人の趣味だと思ってたよ……。ショッキンッ!

非リアとして生きる

「モヤモヤ」は、「リア充」たちに向ける非リアたちの眼差しにも感じます。いや、あさよるも非リアの一人ですから心が痛んだ話。リア充たちはこれでもかとSNSにリア充感満載の投稿をしまくってくる。しかも彼らの投稿が気に障るのは「非リアのために配慮されている」ところだと指摘されていた。つまり「花火大会楽しかった!また来年も行こうね」と写真付きで投稿するんだけれども、「誰と一緒に行ったのか」はボカされている。どうせカップルで行ったんだろうに、非リアに配慮して恋人の存在はぼやかされてるんですってよ! まったく! なんかものすごく言いがかりな気がするw

で、われわれ非リアたちは、「リア充」を心のどこかで見下している、とも紹介されている。センスが悪くて「パーリーピーポーウェーイww」みたいにラベルを張ることで、心を落ち着かせているのかもしれない。

これもまあ、モヤモヤする話ですな。

〇〇ヅラする人々

「彼氏面する男」というのが本書に登場します。別に恋人同士でもないのに、というか、そんなに親しいわけでもないのに、なぜだか彼氏のような振る舞いをする男がいるらしい。服装をチェックしたり、他の男性と話していると「嫉妬する」と告げられるんだって。なぜか女性に対して上から目線なのもポイントだ。

でもこれって、女性版の「彼女面する女」もいるよね。カップルでもないのになんか男性の世話をせっせと焼く人。ああ~、特に親しくもないのに「親友面」する人もいるやねw なんか突然ぶっちゃけ話をしろと迫られたり、「悩みならなんでも聞くから」となにも相談してないのに申し出てくださる人ね。

「意識高い系」だって、別に優秀なわけじゃないのにさも優秀な人間のように振舞ったり、特別な努力をしているわけでもないのに頑張ってる感を出して着たり、忙しいアピールとかね。

おもしろおかしく他人の姿を笑うこともできるけれども、「じゃあ、自分はいったいどうなんだ」って考えると、笑顔が引きつります(苦笑)。あさよるも、ついつい「〇〇ヅラ」してるのかもな~……と、やってるよなぁ~(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)

あさよるもまた、ある時は他人をモヤモヤさせているのだった。

あ~モヤモヤする

『モヤモヤするあの人』はいくら読んでもスッキリしません。わざわざモヤモヤの不快感に突っ込んでいくような本かもしれません。しかし……考えてみると、むしろ現代のわれわれは「スッキリとわかりやすい話」に慣れすぎていて、答えのない問を繰り返すストレスに耐えられなくなっているのではないでしょうか。池上彰さんの解説は確かにわかりやすいし、面白いけれども、やっぱりバラエティー番組として昇華されていて、あくまで「快楽」ですよね。「わかった気になって気持ちいい」んです。だけど、本当の大問題というのは、答えがないから問題であって、30分やそこら、アニメーションや模型を使って解説して答えがスッキリ見つかるわけではありません。

『モヤモヤするあの人』は、なーんにも考えなくなっちゃった頭には、ある意味刺激的です。読めば読むほど「モヤモヤ」が増すんですから。だけど、ものすごーく大きな大問題を扱っているわけじゃなく、あくまで与太話の範疇。仲間内でダベリながらいいネタになるような話ばかりです。

あさよるは、自分の常識とは違う常識をいくつも発見しました。みなさんはどうでしょう~。

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『漢方的生き方のすすめ』|面白い話・好奇心は健康にいい?

こんにちは。あさよるです。毎日つらつらと読書をしていると、時折思いがけない本に出会うときがあります。今回手にした『漢方的生き方のすすめ』もそうでした。正直、なんかインチキくさい本なのかな~と読み始めたのですが(すみません……m(__)m)、思いがけなく背筋が伸びる読書体験でした。著者の丁先生の半生は、極貧の子ども生活から、働きながら大学の医学部に入り、その後研究者として評価されながら、漢方の道に進み、自力で人生を進んできた様子が、とても励まされるものでした(`・ω・´)b

それだけじゃなく、話題が古今東西のアレコレにポンポン飛躍しながら展開してゆき、知らないこと&これまで持っていなかった切り口ばかりでオモロー。だけど、軽く読める内容だし、分厚い本でもないし、サクッと楽に読めて良かったです。

「漢方的」な生き方とは

本書『漢方的生き方のすすめ』は、漢方とか薬膳とか、体にいい習慣が紹介されている本なのかな? と思い手に取ったところ、全く内容が違うものでした。そして、最初の想像よりずっと良い読書経験となりました。

本書は医師であり漢方医でもある丁宗鐵さんと、イラストレーターの南伸坊さんの対談で、主に丁先生のお話を南さんが伺う形式で構成されています。南伸坊さんが病気を患った際、丁先生と巡り合い、丁先生のお話が面白く話を聞きに病院へ通っていらしたそうです。それが、本書の企画に繋がったというわけですね(幸いにもご病気も完治なさったそう)。

内容は、丁先生の生い立ちから、医師になり、また西洋医学の研究者から東洋医学へと移ってこられた経緯を話しながら、つらつらと古今東西のアレコレとりとめもない話が展開されます。それが、本書を通して見ると「漢方的な生き方」が浮き上がってくるという仕掛けです。

なるようになる・なるべくしてなる

丁先生は、貧しい中お父様の仕事を手伝いながら勉強し、医学部へ進みます。そこで学生時代、漢方に触れほかの大学にも出入りしてたそう。その経験から、漢方の研究に誘われ現在に至ります。といっても、西洋医学の研究が評価されアメリカの大学に招かれた経験もおありで、とても優秀な方なんですね。

「なるようになる」を体現されておられて、流れに逆らうことなく、目の前の課題をただこなしていくうちに、流れ流れて今に至るような生き方が、漢方的なのかなあと。ただし、丁先生の場合は「なるようになる」と言っても、とてもレベルの高いお話なんですけどね(;’∀’)

西洋科学を否定しないし、これが「中庸」

丁先生ご自身が医師で、西洋医学の研究をなさっていた経緯もあり、本書では決して西洋医学・西洋科学を否定しません。漢方こそが万能と言っているわけでもありません。そのへんのバランスのとり方が「中庸」なのかもしれないなあなんて思いました。

この「中庸」という考え方を見てみますと、

ちゅう‐よう【中庸】

[名・形動]
かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。

中庸(ちゅうよう)とは – コトバンク

「かたよらない」「調和」というキーワード、すんなり理解できる人と、なかなか感覚的にわからない人がいるのではないかと思います。あさよるは完全に後者です。この「中庸」という感覚が、なかなかわからない。あーだこーだ苦戦しながら理解をしようと挑戦しております。

抗うわけでもなく、かといって流されるわけでもなく、あるがままにあり続けられる生き方っていいね。

丁先生の生き方がすごい<(_ _)>

本書では、丁先生のご経験に交えて、古今東西の医学や科学、歴史や雑多な知識がポコポコと飛び出します。話はあっちへこっちへ飛び散りながら、だけど一貫して「漢方的な生き方」の話題に着地します。

江戸時代、わずかに許されていた貿易のほとんどは外国から漢方薬を買うためだったとか、だけど薬を輸入するにはコストがかかるから江戸時代に朝鮮人参の栽培の研究が始まったとか、「へぇ~」と感心する話ばかり。

漢方や東洋医学は、日本のみならず東アジアで発達した医学であり、漢方・東洋医学を知ることは、東アジアを知ることでもあるんですね。もちろん、東アジアの歴史だって、他の地域と影響しあっていますから、どんどん関心が広がっていきますね。

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『これはしない、あれはする』|「人生に夢中」なら大丈夫

こんにちは。執念深いあさよるです。過去の、相手はもう忘れてるような出来事を思い出してイライラします。「相手はもう忘れているだろう」という事実がまた、腹が立つのよ! ……と、自分でも「無駄な時間だなあ」と思うのですが、性分なのか、なかなか気持ちが治まらないのでした。

本書『これはしない、あれはする』は、あさよるのような、感情に支配され冷静でいられない人にとっては、耳に痛い本かもしれません。「わたしだって、こういう風に生きたいのよ」と憧れを持つかもしれません。「大らか」とも違う、「ゆるし」や「諦め」とも違う。「夢中」という言葉が相応しいだろうと思います。

目の前の〈仕事〉に夢中になることが、唯一の現実逃避であり、そして唯一の復讐です。それは「自分の人生に夢中になること」だから。

自分の時間に集中する心得

本書『これはしない、あれはする』は、著者の小林照子さんがエッセイを通じて生き方、考え方を紹介する本です。小林照子さんは美容家でメイクアップアーティストです。戦前生まれの方で、化粧品メーカーのコーセーで勤務ののち、メイクアカデミーや美容も学べる通信制高校を開校なさり、今も現役で活躍中です。

本書では小林照子さんが、ご自身の経験から「これはしない」「あれはする」と心に決めてこられた事柄が紹介されるものです。一貫しているのは「時間を他人に奪われない」ということです。「これはしない」では理不尽で腹立たしい出来事があっても、それに執着せず、他人を恨まない。それは何をかもを「許す」とか「諦める」と言うよりも「他人のことを考えて時間を浪費しない」という感じです。

小林照子さんは幼少期、ご両親を早くに亡くされ、生涯で5人の親や養父母を持ちました。大変な境遇の中、感情に呑まれて生きる道もあっただろうけれど、その都度「自分がすべきこと」を真っすぐと見据えて、自力で道を切り開いてこられた方です。また、千載一遇の「チャンス」をガッシリと掴んで、大きく人生を変えることも、躊躇いません。

自分に与えられた時間を、最大限自分のために使う。そのためには、他人を恨んだり、自分の境遇を嘆いている時間もありません。とてもパワフルで、力強いカッコいい女性像が描かれています。

こんなパワフルな女性は多くない!?

本書の著者・小林照子さんが、仕事に生きるとてもカッコいい方なんです。不遇な境遇の中、チャンスをしっかりと掴み取り、学び、働き、自力で道を切り開いてゆきます。こんなパワフルな女性に憧れたり、こんな風に生きたいと望む方も多いでしょう。一方で、こんな風に強く一途に生きれる人も少ないだろうなあという本音もアリ。

不遇なままの人もいるし、チャンスを逃す人もいる。ひたむきな努力が必要なのはわかっているけれども、目の前のラクや手抜きを選んでしまう人がいても、誰がそれを責められるでしょうか。小林照子さんって、すごく特別な人なのカモ……。

子ども時代の経験から、現在では教育事業をなさっていて、美容専門学校だけでなく、美容が学べる通信制高校を開校され、すごい人だなあと思うばかりです。

苦難があっても大丈夫

本書『これはしない、あれはする』は2章からなっていて、一章目が「しないこと」、二章目が「すること」です。第一章「しないこと」の多くは、人間関係の中で、自分を尊大に見せたり偽ったり、嫉妬や執着しないなど、「自分の時間を最大限に活かすために、いらないこと」から解放されることで、自分の人生を自分で生きる方法が示されます。第二章「すること」では、「自分の人生をより豊かにする」アイテムや、価値観、習慣などが紹介されます。

第一章「しないこと」は多くの方が当てはまる考え方が詰まっています。境遇はみな違いますが、人間関係に悩んだり、上手くいかないこと、他人に裏切られたり利用されたり、腹立たしいことも起こります。しかし小林照子さんは、いちいちそれを悩んだり、相手を恨んだりしません。そんなことしている時間がないからです。「自分の人生に夢中になる」とは、どんな仕打ちを受けても、それをいちいち気に病む時間がないことなんだなあとわかります。

第二章「すること」は、年齢を重ねた方に多くあてはまる内容です。それは、若い人の考えや道具を柔軟に取り入れ、時に叱り、非があるときは謝り、謙虚に生きる心得が書かれています。また、いつまでも現役でい続けるために、いつまでも未来を見据え、設計図を描き続けるのです。若い世代は、自分がどんな風に年齢を重ねていくのかを考える助けになるでしょう。

いいことも悪いことも起こります。だけど、人生に夢中になっている人にとっては、何があっても取るに足りないことなのかもしれません。

説教くさくないエッセイ^^

本書『これはしない、あれはする』の あさよるの素直な感想は「説教くさくない年寄りのエッセイだなあ(^^)」というものでしたw 小林照子さんの生い立ちは、読んでいて言葉がないほど苦難の連続で「こんな人生を生きる人がいるのか」と気持ちが重くなるほどでした。しかし、本書はカラッと明るく、苦しい経験よりも〈今〉に注目している著者の姿が印象的です。

会社員時代は「そんなイケ好んヤツがおるんか」という先輩や上司が登場して、あさよるは立腹しっぱなしなんですが、小林照子さんは華麗にスルーなんですよね。それよりも、今目の前の仕事に没頭しづつける姿に脱帽。

あさよるの印象に残ったのは「容姿の欠点にふれない」という話。長年、美容を仕事をしている方だから言葉が重い。例えば「こうすると目が大きく見えるよ」というアドバイスは、「あなたは目が小さいよ」という指摘になりうる。言った人も、言われた人も、その時はそれが〈トゲ〉だと気付かないでしょう。しかし、小さな言葉のトゲがチクチクと、コンプレックスを作ってゆくのです。「顔より性格よね」と、相手を褒めたつもりが、相手のコンプレックスを作ることもある。容姿については「触れない」のは基本で、触れる場合は言葉をよく選ぶ必要があります。

歳をとっても、「欲張りに生きてもいい」というのが、本書のメッセージでもあります。著者の小林照子さんがまさにそう生きています。何歳になっても、やりたいことをしてもいい。年齢で区切る必要はない、という言葉は、多くの人を励ますでしょう。

「反撃しない」という話も、気に入りました。小林照子さんが美容部員時代、ベージュの口紅を塗って出勤すると「小林さんは双子だったんですね。今日はお姉さんがご来社ですか」と声をかける上司がいたそうです。要するに「老けて見える」と言っているのです。ちょっと傷つくけど、言い返すほどのことでもない。それを、気にしないようにしたという話です。あさよるは、読んでるだけでイラついて堪らんのですが、確かのもっと穏やかでないと時間がもったいない……。

自分の人生に夢中に生きるとは、なかなか難しいものです。

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大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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『専業主婦は2億円損をする』|「移住」「フリー」のカードを!

こんにちは。あさよるです。『専業主婦は2億円損をする』というタイトルのインパクトで手に取ってしまいました。誰もがわかっちゃいるけど、誰もが口にしない、誰もが具体的に計算しない現実を、アケスケに語る内容です。10代、20代のこれから社会に出る、これから結婚する主に女性に向けて書かれた本です。もちろん、10代20代の男性にとっても、生き方、働き方について当てはまります。

一旦、専業主婦になってキャリアが途切れてしまうと、その後は非正規でしか就労が難しいので、結果的に貧困に陥りやすいという話です。だから、どうすればいいのか……。本書を一冊読み通してやっと「そうか」と結論に達します。

そういえば、あさよるがいつも見てる女性ユーチューバーさんが妊娠の報告なさる動画で「つわりが辛く退職した。しばらくニートをする」とお話されていてビビったのだ。そうか、もう今の20代の感覚だと専業主婦は「ニート」なのか、と。ちなみに、あさよるの友人も「結婚したがニートはしない」と言っていた。あさよるの考えが古いのかもしれない……。

幸福な人生設計

まず、幸福な、理想的な人生のお話から。あくまで「理想」の状態ですからねっ!(と前置きしてから始めるw)

年収800万円が幸せのピーク

人間は年収800万円くらいが「幸福」を感じるピークだそうです。少なすぎると、お金のことで悩まされ幸福を感じにくいし、それ以上になると、感覚がマヒして「幸福」度が横ばいになります。だから、とりあえずの目標として、年収800万円を設定してみましょう。

これくらいお金があると、お金を気にせず好きなことができます。

ちなみに面白いことに、アメリカでも年収7万5000ドルくらいが幸福度のピークらしいです。日本円にしてだいたい800万円くらいなので、社会が変わっても「満足できて、マヒしない」程度が同じなのかもしれません。

二人合わせて1500万円

800万円は一人が満足できる値なので、既婚の子育て世帯で年収1500万円を目標と設定しましょう。当たり前ですが、女性が専業主婦の場合、男性が一人で1500万円稼いでこないといけません。ですから、年収の高い男性は女性からモテます。二人が「人並みの幸せ」を得るためのお値段です。

現実のセカイ……

はい、言葉が出ませんねっ。次、現実の世界です。そりゃ800万ほしいよ! 1500万捕まえたいよ! できないから困ってるんじゃないか!

非正規、低所得が増えるばかり

現実世界は、説明するまでもありませんが、非正規雇用が広がり、低所得層が増えるばかりです。貧困に直面する家庭も少なくありません。世代間格差が拡大して、若者のワーキングプアも珍しくありません。

そこそこ同士で結婚してる

辛い現実の中、しかし今でも結婚する夫婦はいます。先ほど挙げた「二人で年収1500万円」に全く満ちていなくても、低所得でも、それなりに二人は出会って、それなりに家庭を持ってる人はいます。女性も「理想は理想」だと分かってますから、理想と違う相手でも納得しています。年収が低くても、相手が素敵な人であれば、パートナーに選ぶ女性は大勢います。

自由・自己実現・愛情友情……どれか2つ

本書では人生のパターンを8つに分類して説明されていました。

まず、生きる力を3つに分類します。

  • 社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • 人的資本→働く力・・・自己実現
  • 金融資本→お金・・・自由

この3つの要素の組み合わせで、人生のパターンを分けます。

人生の8パターン

1.プア充

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

お金はないけど仲間がいるパリピ系。友だちとの絆で成り立っている。

2.ソロ充

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

仕事はできてお金もあるけど、恋人も仲間もいない。都会で単身世帯。

3.裕福な引きこもり

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

裕福な引きこもり。友だちはいないけどお金はある。孤独な高齢世帯によくある。

4.リア充

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

仕事もバリバリやって、友達も恋人もいる。育ちの良いリア充は、学生時代のネットワークも使える。

5.ソロリッチ

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

高収入のまま一人でいると、お金も貯まり金融資本と人的資本が上がってソロリッチになる。社会的に成功するとカネに人が集まってくるので、人間関係が煩わしくなる。

6.幸福な専業主婦

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

仕事はしてないけど、お金も友達もいる。大企業を定年退職後、ボランティアに勤しんでいるイメージ。あと、夫が裕福な専業主婦。

7.貧困

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

社会的資本、人的資本、金融資本の三つともない状態。貯金ゼロで助けてくれる家族も友達もいない。日本で若年層に現在増えている。

8.超充

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

リア充の上位互換。マジヤバイ。一人で超充になるのは難しい。だけど、夫婦二人で力を合わせれば超充に近づけるかもしれない……というのが、本書『専業主婦は2億円損をする』のテーマです(`・ω・́)ゝビシッ

超充になろうず!

本書のテーマ「超充になろう」という目標がやっとここで登場します。たった一人で社会的資本、人的資本、金融資本の3要素を満たすのは難しいことです。だからこそ、パートナーと一緒に力を合わせましょう。そのためには、女性が家で「ニート」していては手が届きません。

女性の場合、結婚や妊娠のタイミングで退職し、一時的に専業主婦になる場合が多いのです。しかし、ここでキャリアが途切れてしまい、再就職の際は非正規雇用にしかなれず、年齢を重ねた女性が低所得になっています。所得を維持したまま、結婚、子育てをし、「超充」になるための「戦略」が必要です。

社会が変わるには時間がかかる

とまあ、現代日本の雇用形態や社会問題をザーッと見てきましたが、「そんなこと言われてもどうしようもない」話ばかりです。社会はすぐには変わりません。今の社会システムがおかしいと誰もがわかっていても、社会全体がガラリと変わるには何十年と時間がかかるでしょう。

Facebook社の女性COO、シェリル・サンドバーグさんは著書『LEAN IN』の中で、女性の他のリーダーたちに、勇気をもってリーダシップを発揮するよう励ましています(当ブログでも紹介しました)。

あさよるもこの本を読みましたが、かなりショックでした。それは、アメリカの、ベンチャーの、世界的大企業の、COOになるくらい優秀な人でさえ、「女性である」ことに引け目を感じたり、「女性である」ことで困難に直面していたからです。こんなスゴイ人でも、「女性だから」苦労しているのに、吹けば飛ぶような あさよるなんて、どうにもならんじゃないか!

〈あなた〉が幸せになる戦略

社会を変えるのは無理です。だってサンドバーグさんでもムリなんだもん。だから、自分にできることはただ一つ。「自分が幸せになる」そのための戦略を練ることです。

二人合わせて1500万円

まず「人並みの幸福」のために世帯の年収1500万円欲しいと最初に紹介しました。女性が専業主婦になる場合、年に1600万円稼いでくる男性が必要です。しかし、そのような優秀な男性は、わざわざ専業主婦希望の女性と結婚する必要はありません。あと、優秀な人は頭が良く、好奇心も強いので、そんな男性の心を掴める女性も少ない(……痛いこと言うなあ!)。

だから、一人が1500万円稼いでくるのではなく、夫婦二人で1500万円に近づきましょう。そのために直面する問題が「子育て」です。

子育ては外注せよ

夫婦二人、力を合わせて1500万円を目指します。しかし、ここで立ちはだかるのは「子育て」という難関です。日本では、妻が夫を置いて働いていてもさほど注目されませんが、子どもを放ったまま働いていると周囲が一気に注目し「精神病院へ行け」とか「虐待だ」と認識されます。

ここで著者は、ある提言をします。それは「社会の中で子どもは育つ」ということ。これ関しては、同著者の『言ってはいけない』でも紹介されていました。大人は、親の影響を受けて子どもは育つと思っています。いいえ、「そうであってほしい」と願っているのかもしれません。しかし、親の心子知らずとはこのことで、子どもは「社会の中で」育ってゆきます。

例として、家族で外国へ移住し、親は外国語が喋れず、家庭では母国語のみで会話しています。しかし、子どもは社会に出てゆき、現地の友達関係の中で外国語を学びます。そして両親とは母国語で会話をしていても、そのうち母国語を忘れてしまいます。これは、幼児期の子どものほうが顕著で「学校で習うから」ではなく、「社会で学んだから」と言えます。

子どもは、大人が考えているよりもずっと社会的で、親の言いつけよりも、友人との関係性のなかで育ってゆきます。確かに、自分の子ども時代を思い返すと納得できます。

ここまで前置きをしてやっと本題。「子育ては外注してもいい」ということです。日本では、我が子を他人に預けて外に出てゆく母親は批判されます。しかし、世界的にみて、ベビーシッターを雇って子育てしている欧米、アジアの国はたくさんあります。母親が子育てを一人で引き受けるスタイルこそ、女性を「専業主婦」にさせる要因になっています。

ちなみに、意外にも、社会実験の結果、専業主婦が主流の国では出生率が低く、共働きの国ほど出生率が高いそうです。日本も、社会が「専業主婦」に子育てを任せている状態で、多くの世帯が貧困に陥り、その結果として少子化を招いているとも紹介されています。

海外に移住すれば解決

「子育ては外注せよ」ってったって、現状日本では子育て外注はバッシングの的です。じゃあ、どうすりゃいいの? ってこおとで、案その一。海外へ移住しましょう。アジアでは家政婦は当たり前の存在だそうです。アジアの他の国へ移住しましょう。

ま、実際移住するかは追々考えるとして「今の日本で子育ては難しい」「だったら移住しよう」って発想が頭の中にカードとしてあるのは良いんじゃないでしょうか。国内に残るにしても「移住する手もあるが、やはり国内に留まろう」と「決断」できるし。

「会社員」をやめれば解決

と言いつつ、突然移住って言われも困ります。そこで、「会社員」をやめるという生き方。「フリーエージェント戦略」です。フリーとして国内で働きましょう。会社員時代より収入が不安定になるかもしれませんが、時間に融通もつけやすくなります。夫婦二人ともフリーなら、子育ても、旅行もできるかもしれません。

フリーという生き方は、別に珍しい生き方ではありません。そもそも、街中の個人商店のおっちゃんおばちゃんたちはみんな個人事業主だし、工務店の親方は社長だし、タバコ屋のおばあちゃんもフリーです。そういう生き方をしている人は世間にたくさんいるし、現実的案な気がします。

誰も知ってるホントのこと

まとめます。今、女性の「専業主婦」という選択は「詰み」ます。特に、出産をきっかけに退職し、キャリアを失い、非正規としてしか社会復帰できなくなるのは、ツライ。それを支えられるだけの収入のある男性は少ないのです。だから、人生の選択肢として「海外移住」と「フリーエージェント戦略」というカードを持ちましょう。どちらも準備しておいてもよさそうな案です。特に「フリーエージェント戦略」は子育てを考えるなら、全然アリな気がします。

本書は10代~20代前半の若年層に向けられた本です。女性向けに作られていますが、同年代の男性にとっても人生の戦略の参考になるのではないでしょうか。繰り返しますが、カードとして「海外移住」「フリーエージェント戦略」は持っておいてもよさそうです。そのカードを切るかどうかは、自分でいずれ決めるとして。

たぶん、ここに書いてあることは、多くの人は気づいているし、知っていることだろうと思います。社会はダイナミックに変化しています。自分の両親と同じような人生設計では生きられません。ましてや祖父母の代とは、あまりに違いすぎて同じ国に生きているのが信じられません(これが世代間格差か……)。

アケスケにズケズケと書かれていますが、まさにその通り。正論。

あさよるは、ぼんやり生きている人間なので、なーんにも人生設計していませんが「海外移住」と「フリーエージェント戦略」は、全然アリだと思いました。というか、むしろ、軌道修正するなら、そっち方向にしか舵を切れない気が……。

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『宝くじで1億円当たった人の末路』|満員電車の入り口で動かないヤツ

『宝くじで1億円当たった人の末路』挿絵イラスト

こんにちは。宝くじに当たりたい人生だった。今、デジカメ欲しいんですよ、そのために当たった宝くじ券が欲しいです。3等でいいです! と、ヤラシイ話をしている あさよるさんは『宝くじで1億円当たった人の末路』という本を見つけ「酸っぱいブドウ」よろしくプケラしてやろうと腹黒く手に取ったのでありました(^^)v

(追記・2018/5/13)

本書が「○○な人の末路」というタイトルでテレビドラマ化されてるらしいっ!? 主演はKis-My-Ft2! 「まるまるな人の末路」略して「まる末」だそうです。

公式サイトもありました

全然チェックしてませんでした……見よう(`・ω・´)b

放送開始日時は以下。

YTV(読売テレビ):4/29(日)スタート 毎週日曜 26:32~
SDT(静岡第一テレビ):5/5(土)スタート 毎週土曜 25:55~
MMT(ミヤギテレビ):5/7(月)スタート 毎週月曜 24:59~
FBS(福岡放送):5/10(木)スタート 毎週木曜 26:10~
CTV(中京テレビ):5/9(水)スタート 毎週水曜 25:43~
KTK(テレビ金沢):5/16(水)スタート 毎週水曜 24:59~
RAB(青森放送):5/12(土)スタート 毎週土曜 25:25~

あの人は今!

本書『宝くじで1億円当たった人の末路』は、巷で話題になった人やブームがどうなったのか、あるいは社会現象はこの先どうなるのかという予想を、各方面の専門家から話を伺う内容です。たくさんの事例が紹介されているのですが、ここでは、あさよる的に印象に残った話をちょろっとだけ。

宝くじで1億円当たった人の末路

まず表題の「宝くじで1億円当たった人の末路」です。宝くじで高額当選すると銀行から『【その日】から読む本』という冊子が渡されると聞いたことがあります。宝くじ当選により、日常を失い、家族や親族とトラブルになることが多く、宝くじ高額当選者の末路は大変です。

「いや、自分はダイジョブ」と思っているソコのアナタ。はい、あさよるです。そうはいかないそうなのです。突然大金が手に入ると「自分へのご褒美」と「ちょっとくらい」と、これまでと違った金遣いを始め、1000円ランチで渋っていたアナタが、3000円のランチを食べるようになると、周りの人たちも「異変」に気づきます。「当たった」ことを隠し通すことが難しいのです。

宝くじが高額当選したときは、信用できるファイナンシャルプランナーを見つけ、堅実なお金の使い道を一緒に考えてもらいましょう。

あと「宝くじ」は「ギャンブル」であることをお忘れなきよう。

キラキラネームの人の末路

キラキラネームというのは、親から子に「変な名前」が命名される現象のこと。キラキラネームをつけるのは、アウトローなDQN層だと思いきや、意外にも「中流の」「普通の」夫婦なんだそうです。自分たちが平凡だからこそ、子どもに奇抜な名前をつけて「個性的」に振る舞いたいという願望があるそうです。

しかし、どんなに我が子に突飛な名前をつけたところで、自身が「凡人」ですから、子どもにも「没個性」的に生きるように育てます。子も普通に生きようとしますが、キラキラネームで目立ってしまいます。「目立ちたくない」のに「目立ってしまう」というネジレから、いじめのターゲットにされることも。また、目立ってしまうせいで事件や事故のトラブルにも遭遇しがちで、企業からも採用が見送られている様子です。

間違っても、キラキラネームをつけられた子どもが悪いわけではありません。子どもに自分の願望を反映させてしまう親は、虐待に至る場合もあるそうです。

「友達ゼロ」の人の末路

「友だちがいない」というと、哀れで寂しい人生を想像する人もいるかもしれません。非常時には「絆」が大切だと言いますし、友達がいないとリスクが高いのでしょうか。本書では、意外にも「友達ゼロ」には楽観的な見方です。どうせ、非常時に上辺の「友達」は助けてくれませんw 多くの人にとっての「友達」は、群れを作り、目立たず生きるためのものだからです。

それよりも、孤独を楽しみ、孤独の中で「真の友」を探す方がずっといい。

賃貸派の末路

仁義なき「持ち家派」vs「賃貸派」の争いについて。サラリーマンで大きな借金を背負って持ち家を購入するのはリスクしかなく危険です。頭金に貯めた1000万にさらに3000万円借金をして「投資に使う」と言っても家族から「待った」がかかるでしょう。なのに、「家を買う」となるとスンナリ出しちゃう。かなり無理な計画なことを自覚されたし。

ということで、賃貸派の方が手堅く老後を迎えられる可能性が高い。

バックパッカーの末路

バックパッカーに憧れる人もいれば、「自分探し」を揶揄しバカにする人もいます。実際にバックパッカーを経験し、日本に帰国し起業した方へのインタビューでは、「バックパッカー、いいね!」と素直に思えました。

バックパッカーをしていると、世界中で同じくバックパッカーたちと出会います。日本人バックパッカーもたくさんいるそうです。最初は世界中の観光地や世界遺産を見て歩き、次から次へと移動するそうですが、あるときに現地に溶け込んでそこに留まる人もいれば、病気や薬にハマちゃう人もいるそうです。

そんな中、インタビューに応える大塚さんは、旅の出会いの中で「日本に帰って働こう」とストンと思ったそうです。

学歴ロンダリングの末路

自分の学歴を見栄えの良いものにしようと、海外留学し見事失敗してゆく「よくある事例」が紹介されていました。簡単に言えば、not英語ネイティブが、アメリカの有名大学に入学することは稀で、大概は語学を学んでから専門学校や短大くらいの学歴を得て日本に帰ってきても、それじゃ学歴ロンダリングになっていないというもの。

大金はたいて留学して、帰国しても就職先が決まらず呆然とする親子がいるそうです。

また、アメリカの大学では高校時代の成績が重視されるそうで、高校時代に勉強をサボった人は、そもそも学歴ロンダリングに向いていません。また、現地で日本人ばかり集まる寮に入り、日本語で生活して留学の趣旨を見失う人も多いとか。留学の際は、しっかりと計画を立てましょう。

電車で「中ほど」まで進まない人の末路

これ、一番面白かったお話。満員電車で「中ほどまでお進みください」と再三アナウンスされるのに、入口のとこでボーっと立ってるやつ。もちろん、すぐ降りるならわかるよ。しかし、終点間際まで乗車するのに、入口に陣取ってるやつ!

本書では彼らを3つのタイプに分類します。

①「気を利かせるための回路」が脳にできていない
②「ビジュアルフィールド」が狭い
③「他人に働きかけるコミュニケーション能力」が弱い

①は「そこに居ると邪魔」と全く気付いていないタイプ。これは彼を責めるよりも、育った環境に原因を求めましょう。大人になってから彼らを教育するのは会社の上司しかいません。彼らは業務面でも苦労が多そう。

②の「ビジュアルフィールド」とは「視野」のこと。物理的に「周りが見えてない」状態です。視力に問題がないのであれば、視野が狭まる原因は「過労」。彼らを休ませねばなりません。

③は邪魔だと気付いているけれども、人をかき分けて奥へ進む能力がない人。これはこれで大問題です。コミュニケーション能力が低いので、生きるのも大変でしょう。こちらも、大人になれば上司が褒めながら、コミュニケーションの方法を教えるしかありません。

面白いネタの話かと思いきや、結構ヘビーな内容をはらんでいたのがこの話題でした。

『宝くじで1億円当たった人の末路』挿絵イラスト

自分の人生、自分の意志で生きろ

本書のテーマはあとがきで示されます。

本書には、「人生で様々な選択をした人の末路を探る」とは別に、もう一つ、裏のテーマがあります。それは、社会や世間にうまく同調できずに悩んでいる方へのエールです。

(中略)

ここまで読んでくださった方なら、どんな同調圧力に自分を合わせることがいかにナンセンスか、お分かりいただけたはずです。会社生活も私生活も、自分がそれを望むなら、堂々と“人と違うこと”をやればいいんです。

p.347-348

没個性な自分が嫌なら、自分の生き方を変えればいいのです。子どもにキラキラネームをつける必要はありません。みんなが持ち家派でも、自分は一生賃貸でもいいし、バックパッカーやって起業してもいいんです。自分の思うように生きればいい。そのときに、お金の計算をしっかりして、専門家に相談したり、自分の「責任」で自分の人生を選べばよいのです。

ここでは紹介しませんでしたが、自分のこだわりや思い入れをもって仕事をしている人たちもたくさん紹介されています。

電車の入り口にボケッと立っていずに、自分の頭で考えて、自分の意志で行動しましょう。

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『未来のだるまちゃんへ』|目を見開いて、理解して、面白がって

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

こんにちは。かこさとしさんブームな あさよる です。きっかけは、「あさよる」の本を見つけたからでした。豆の家族の一日を追っかけるドキュメンタリー絵本です。

さらに『あさよる、なつふゆ、ちきゅううはまわる』という本も見つけて、図書館で資料請求してみました。こちらももちろん かこさとしさんの本です。

で、この本、読んだことあるかもしれない……!というか、図書館に寄贈したの、自分じゃね?というw 「あさよる」って自分で考えた名前だと思ってたんですが、まさか元ネタがあった疑惑……。

かこさとしさんと福岡伸一さんの『ちっちゃな科学』もおもしろかったのです。子どもの好奇心や興味を、大人になってもずっと絶やさないかこさんも素敵です。

だるまちゃんだった

本書『未来のだるまちゃんへ』では、絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』の作者、かこさとしさんの半生と、そして子どもたちへの眼差しが記されています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』とは、1967年に出版された名作絵本です。〈だるまちゃん〉と〈てんぐちゃん〉は仲良しで二人で遊んでいますが〈だるまちゃん〉は〈てんぐちゃん〉のステキな出で立ちが羨ましくなり、お父さんの〈だるまどん〉に帽子や扇子や履物を強請ります。〈だるまどん〉は〈だるまちゃん〉のために道具を用意してくれるのですが、なんだか違う……という、すれ違いがおかしい絵本です。

大人が読んでも面白く、まただるまちゃんが愛おしくてたまらないのですが、どうやら〈だるまちゃん〉のモデルはかこさとしさんご自身の体験にあるそうです。かこさんのお父様は、欲しがってもないのにアレコレと子どもに与えたがる方だったそうで、欲しくもないものを「欲しい」と言い、買い与えられる自分に歯がゆさを感じていらしたそうです。それが〈だるまどん〉の姿であり、欲しくないものを用意されて困っている〈だるまちゃん〉なんですね。もちろん、お父様にも十分に目をかけられない息子への気持ちからなのですが、すれ違いなんですね。

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

みんな、だるまちゃん?

〈だるまちゃん〉のもう一つの特徴は、なんでもよく「観察する目」と「好奇心」です。〈てんぐちゃん〉の衣装をよく観察していて、同じものが欲しいと思います。羨ましがっているというよりは「ステキ!」「いいな!」「ほしい!」って素直に自分の興味に従っています。

で、誰もが子ども時代、だるまちゃんだったんじゃない?ってことですね。

『未来のだるまちゃんへ』の中では、かこさんの子ども時代の思い出が語られています。かこさんは福井県で生まれ子ども時代を過ごしました。満州事変のあと、鯖江から兵隊さんたちが大陸へ出兵するのを、学校をあげて見送りへ行きました。そのとき、子ども心に「出征というのは、こんなに寂しいものなのか」と感じたそうです。周りは大人も子どもも「万歳」と声を上げ、旗を振っているのに、兵隊たちは誰も笑っていない。

当時小学一年生だったかこさんだけでなく、多くの子どもたちはその雰囲気を感じ取ったようで、いつも戦争ごっこして遊んでいる子らも、帰り道も黙ったまま。何も知らない子どもだからこそ、その場の「空気」を誰よりも率直に感じたのかもしれません。

「子どもだから何もわからない」のではなく、「こどもだからこそ、理屈じゃなく感覚でわかる」ってこともあるのかも。子どもを侮ってはいけないし、馬鹿にしてはいけない。彼らは「わかっている」んだと思いました。

次のだるまちゃんへ

かこさんはセツルメント活動を通じて、子どもたちを大人の目線で観察し、また絵本作家として活動を開始します。当初は会社員との二足の草わらじで、作家であることも隠していたそうです。家庭では父となりましたが、実の子との一緒に過ごす時間は少なかったと告白されています。家庭よりも、自分の運動や活動に没頭していたというのは、ちょっと意外な横顔でした。かこさんご自身が、夢中にのめりこむ〈だるまちゃん〉だったのです。

子どもたちの関わりの中で、大人の〈だるまちゃん〉の、未来の〈だるまちゃん〉へのメッセージです。

 生きるというのは、本当は、喜びです。
生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

(中略)

僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい。
そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけてそれをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。

p.251-252

「目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい」というのが、かこさんらしいと思います。世界には悪いことも嫌なことも考えたくないこともいっぱいあるけど、目を見開いて、理解して、そのうえで面白がってほしい。「面白がる」ってのがレベル高いし、ポイントですね。

だるまちゃんだったあさよるは

あさよるも、かつては〈だるまちゃん〉でした。いいや、ホントは今も〈だるまちゃん〉でありたい。けれども、どうだろう、興味や好奇心は尽きていないだろうか。

あさよるも、子どもの頃は何もわかっていなかったけども、なんとなく社会の雰囲気は感じていました。90年代に子ども時代を過ごしたので、将来貧しい社会がやってくることは悟っていたし、9.11テロに大人たちが落ち込んでいる理由がわからなかった。「起こるべくして起こった」としか思わなかった。原子力発電にムリがあるのは理科の本に書いてある。

なのに今なにが起こっているのか、自分の知識が邪魔してまっすぐ目に入りません。子どもの話はバカバカしく聞くに耐えないと感じてしまう。ほんとは、新しい人が古い人に教えてくれているのに。

『未来のだるまちゃんへ』を読んで、結構ヘコみました。〈だるまちゃん〉の話に耳を傾ける〈だるまどん〉はえらい大人だなあ。

関連本

『花森安治の青春』/馬場マコト

『ミライの授業』/瀧本哲史

『本を読む人だけが手にするもの』/藤原和博

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『夜型人間のための知的生産術』|夜の静寂はクリエイティブな時間

こんにちは。早起き習慣を身につけたいのに夜更かししちゃう あさよるです。日付が変わる頃にはお布団に入っていたいのですが、上手くいきません。そして、布団に入ってからもなかなか睡眠導入できずムズムズしたまま時間を過ごしています。

生活習慣の改善を頑張っている最中、齋藤孝さんの『夜型人間のための知的生産術』という本を見つけてしまいました。夜型人間にとって、夜がクリエイティブな時間であり「無理に朝方型なろうとしなくていいんだよ」という、これは悪魔のささやき?それとも天使?

若干、齋藤孝さんが“夜更かしさん”なのを無理くり正当化しようと頑張っている感がある気がしないでもありませんがw 「夜」という時間が、なんだか特別に、頭の中が飛び出しても許される「野生の時間」的なニュアンスがあるのは、わかります。

夜はインプットの時間

齋藤孝さん流「夜活のススメ」は(勝手に名付けた)は、夜は知的な時間だということ。夜の静寂はインプットの時間だ。本を読もう。

夜は「人間とは何か」「自分とは何か」という哲学的なことを深く考えるのに適した時間でもあります。(中略)

すでに知的教養を十分に身につけた人が気分転換にゲームをやるのは結構なことです。
しかし知的でない人が、ようやく自由に使える夜の時間に本を読まないとなると、知的になるチャンスを逃しているようでもったいないと思います。これは、人間として生まれて、少し寂しいものがあります。
人間がほかの動物と比べて優れているのは、知的であるという点です。本を読むのは、頭の容量を大きくし、頭の中を耕すような作業です。干からびた頭を耕して、豊かな作物が育つ土壌をつくるのです。だからこそ、本を読めば読むほど、教養が育ちます。
本を読まない人の頭の中は、いつまでも荒れ地のような状態です。干からびて硬い荒れ地に作物は実りません。どんどん鍬を入れて、耕して耕して、どんな作物でも育つ状態にするのが、読書のよさです。それが人間を、より人間らしくしていくのです。

p.54-55

かなり煽り気味な読書論ですが、一応この「あさよるネット」も読書感想ブログなので、「本読むのがエエで」と推しておきますw

ただ、齋藤孝さんは読書だけをオススメしているわけではありません。テレビと、深夜ラジオもオススメしておられます。テレビ番組では「美の巨人たち」「しくじり先生」「ダーウィンが来た!」「英雄たちの選択」「関ジャム 完全燃焼SHOW」「世界ふれあい街歩き」「新婚さんいらっしゃい!」なんかが名前が挙がっていました。深夜ラジオでは「おぎやはぎのメガネびいき」。スポーツや映画も教養になります。どしどしテレビ画面を見ようね!

夜は探究の時間

夜に作品を生み出し、研究を進めた偉人たちがたくさんいます。夜は発想が広がる時間なのです。それは、夜の静寂、つまり外部との接触を断つ時間なのかもしれません。現代ではSNSやLINEで繋がりっぱなしですから、夜の「一人の時間」を意図的に作り出さなくてはいけません。日中、仕事や学業で忙しい現代人は、夜こそスマホをしばし脇において、自分のクリエイティブな時間に割り当てましょう。

「眠り」を利用する

人は眠ることで記憶が定着するといいます。眠りを利用して夜の活動を明日につなげましょう。また自分が取り組んでいる物事が「夢に出てきて」からが本番です。夢に見るほど頭の中で、そのことが定着しているしるし。そういえば、あさよるも夢の中でブログ書いたり、ブログの段取りを考えている夢を見た特に「いよいよブロガーっぽくなってきたなw」と思いました。

読了後の感想:テレビを設置しよう

あさよるは忙しさにかまけて、テレビを全く見なくなってしまいました。昨年(2016年)は大河ドラマ「真田丸」を全話見たのになぁ~。今も見たい番組は録画してるのに、見ないまま時間が過ぎてしまっています……。ちょうど、「テレビの位置が悪いのではないか」と推測して、パソコンの横にデーンとテレビモニターを設置しようかと思案していました。

まぁそれは、テレビが見たいというか「映画が見たい」からというのが一番の理由です。それよか、パソコン新調して、パソコンでプライムビデオ見るのがいいかな~。「テレビ画面そのものが邪魔」というのが本音……。

夜の時間をより豊かに過ごせるように、部屋の環境を整えたくなりました(^^)/

関連本

『4時間半熟睡法』/遠藤拓郎

長時間睡眠にも読んで欲しい『4時間半熟睡法』

『やってはいけない眠り方』/三島和夫

『やってはいけない眠り方』|睡眠の都市伝説を斬る!

『読書力』/齋藤孝

『読書力』|社会人力とは?教養とは?

『三色ボールペン情報活用術』/斎藤孝

『三色ボールペン情報活用術』|読書しながらアウトプット

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飯テロ注意!|『小林カツ代の「おいしい大阪」』

こんにちは。飯テロにはすぐに屈する あさよるです。あさよるの前でウマいものの話はすなー! 『小林カツ代の「おいしい大阪」』は、タイトルだけでもう飯テロ成功してるんじゃないかと、こう思うわけですな。読まざるをえない。生唾を飲み込んでばかりでは我慢ならず、ミックスジュースを作るしかないのであった。

大阪の、ふつうの、おいしい話

本書は小林カツ代さんのおいしい談義。一応レシピも載ってはいますが、ガーナチョコの箱に書いてあるチョコ菓子のレシピくらい短いやつです。それに、大体は料理名を聞いて「あれね」とイメージできるものがほとんどだし、たぶん自力で作れるものが多い、と思う、のは、あさよるが大阪の人だからだろうかw

最初に登場するのはビーフカツサンド、そしてホットケーキ。しかも、「アメリカンの」ビーフカツサンドとホットケーキ。アメリカンとは、大阪は難波にある喫茶店で〈大阪の喫茶店文化〉の代表といっても異論がないお店です。そう、大阪って喫茶店の街で、まちのいたる所に小ぢんまりとした喫茶店がひしめき合っています。あくまでも「喫茶店」であって「カフェ」ではないのです。んで、この喫茶店のメニューがたまらんのですわ。あさよるも喫茶店の「おいしいんかどうなのかわからん」けれども「なんかむっちゃ特別な感じがする」喫茶メニューが大好きです。

3番目にはミックスジュースが紹介されています。ミックスジュースは あさよるもお家でよく作ります。喫茶店でも、コーヒーの気分じゃなかったらミックスジュース注文するなぁ~。ああ、飲みたいなぁ~。

こんな感じで、肉うどん、にゅうめん、オムレツ、ハヤシライス、しゅうまいなどなどと、「普通の」「ありきたりな」メニューが次々と紹介されるのですが、その、平凡なメニューだからこそ、舌が味を覚えていて読んでいるだけで反芻してしまうような……。また、小林カツ代さんのね、「おいしい」ただ「おいしい」を表現する文章がたまらんのです。

昔の、食卓の風景が楽しい

本書では小林カツ代さんの幼い頃の回想も数々ととび出します。思い出の中の「おいしい記憶」、誰だって一つや二つあるでしょう。どうしてこうして「おいしい記憶」ってこんなにも美味しそうなのだろうか!

戦後、町にはまだ女中さんや丁稚さんがいて、御寮(ごりょん)さんが食事の用意をする。お祭りの出店で、大衆食堂で、市場で、「おいしい」ものを食べる。それはただのゆで卵だったりするんです。あるいは、お母さんが漬けた浅漬け。すごく普通の、よそ行きじゃない食べもの。それがむちゃくちゃおいしい!

あ~!

「焼きそばに生卵をつけて食べる」という話があったので、母に訪ねてみると、「そんなんしたことない、けど……」とチキンラーメンでペペロンチーノを作って食べる話を聞いて、とてもやってみたい。無論、「スパゲティー茹でてペペロンチーノ作ったらええんちゃうか」という話は脇へ置いておいて。

関連本

『実践 料理のへそ!』/小林カツ代

実践 料理のへそ!

『もしも宮中晩餐会に招かれたら』/渡辺誠

『もしも宮中晩餐会に招かれたら』を読んだよ

『笑ってお料理』/平野レミ

『笑ってお料理』を読んだよ

『こまったさんのカレーライス』『こまったさんのサンドイッチ』/寺村輝夫,岡本颯子

料理はたのしい!『こまったさんのカレーライス』『こまったさんのサンドイッチ』

『理系の料理』/五藤隆介

『理系の料理』|フローチャートで料理をしたい人へ!

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『笑われる勇気』|オレの心はお金で買えます!

こんにちは。蛭子能収さんの本をはじめて読んだ あさよるです。蛭子能収さんの人生論、処世術を知れる本です。蛭子さんの本を初めて読んだのですが、どうやら同様の人生訓のような本がたくさん出ているようですね。知らんかった。蛭子さんってそういう感じで受け入れられているんだ……。

本書での蛭子能収さんの考えや振る舞いを読んでいますと、一貫して「自分はなにをするのか」を判断し続け、そのせいで冷たく見られたり、空気が読めない認定されているようですね。でも、冷たく見られても、空気読めなくても仕方ない。「だって自分はこうだから」と自分は自分と割り切っています。

あと、笑っちゃいけないときに笑ってしまうという話は、むしろ周りの人が笑わしにかかっていて、蛭子さんのせいじゃなんでは……と思ったり。あさよるも「笑ってはいけない」と思えば思うほど笑ってしまうので、冠婚葬祭にはできれば出席したくないのですw そう、結婚式や披露宴でも、笑っちゃいけないところでツボに入ってしまってツライツライ。蛭子能収さんは、もはや葬式に呼ばれなくなったそうで、お互いにそれが良い結論じゃないでしょうか。

蛭子さんに人生相談してはいけないw

本書の読みどころは、蛭子能収さんの人生相談でしょう。全くQ&Aになっていないというスバラシイ仕上がり。蛭子さん勝手に競艇の話してるだけやんwwと草生えるんだけども、ふと「人生の本質」を語っているようような気がしてサブイボが立つ。たぶん気のせいだけど。

Q 夫の転勤で東京暮らし2年。幼稚園の息子のママ友といい関係が築けません。

(中略)コミュニケーション能力を高めたいのなら、フリー麻雀はいいです。見ず知らずの麻雀卓を囲んでいると、すごく緊張しますが、麻雀というゲームは、駆け引きがあったり、感情を押し殺したりと、人と人とのつながりの醍醐味を教えてくれます。
あっ、でも、この人、長崎の人ですよね。長崎県民は、開放的な人が多いんです。江戸時代に鎖国していたときもオランダと貿易していたから、外国人だけではなく誰に対してもオープンなんです。それに、当時は貴重だった砂糖も、長崎だけはふんだんに使えたから、カステラが生まれたんです。オレも夏になると、水に砂糖を入れただけのものをよく飲んでいました。そんな砂糖文化があるから、長崎の人は穏やかで柔らかい気質なんです。だから性格を抑えてまで都会のママ友に合わせる必要はありません。自分らしくがいちばんだと思いますよ。

p.84

結論は「長崎の人は砂糖文化で育つ」ww

蛭子さんの人生相談で面白いところは、間に蛭子さんの世間話が入るところ。しかも麻雀の話からの、長崎県民の気質に世間話からの世間話に発展しているのがおかしいw

しかしたまに、ええことも言うからみのがせない。「元カレが忘れられない」という相談者には、蛭子さんが亡くなった先妻さんのことを話して「“忘れられない恋がある”というのは幸せなこと」と結論しててグッとくる。

フリーランスが「若い人に仕事を取られて失業してしまうかも」って相談には、「稼げないのは修行の身。がむしゃらに働くべし」と身につまされる回答も。いくつになっても、稼げないのは修業中ってこと。んで、今の職種にこだわらず他の仕事もすればいい。

好きな回答を選んでみたw

あさよるが勝手に、蛭子さんのいい回答を選んでみたw 全体的に、ゆとり世代あさよるには沁みるぜw

「人生はうまくいく」と思ってることが間違い

自信を持たなければ自信を失うこともない

どうせ死んだらすべて終わり。死に方なんてどうでもいい

時間管理能力より手を抜くテクニックを磨け

つらいときこそ日常を大切に生きる

オレにとって尊敬できる人は競艇で勝たせてくれる選手だけ

最後に勝つのは高学歴より高収入

大事なのは、プライドよりお金をくれる人の顔色

仕事において大事なのは給料の出どころだけ

貧乏は恥ずかしいことじゃない。卑屈になるのがよくなだけ

人のお金で遊んで何が楽しいの?

「宇宙人はいる?」の答えは、ギャラが発生するなら「いる」

人の心はお金じゃ買えないが、オレの心はお金で買えます!

気をつけよう、自慢話は見透かされる

自分の評価は自分でするもの

自分以外の生物にはあまり興味が湧かない

フツーにスゴイ人なだけかもしれない

蛭子能収さんのエピソードって、テレビに出ている芸能人の中で異質に見えていたけれども、一般人にはこういう人いるよね?って感じですね。蛭子さんが特殊なのって、普通の人の感覚を持ったまま、芸能界でもそれなりのポジションにあるところなんだろね。

ちなみに、リリーフランキーとはキャラがかぶってるのに(イラストレーターとマンガ家)、彼の方がCMにたくさん出演していて心中穏やかではない様子。そしてここへきて「ひふみん」こと加藤一二三さんの台頭に戦慄し、おもわず蛭子さんも将棋を始めようとしてしまったらしい。たしかに「ふしぎな」「おじさん」「勝負師」であるw

蛭子さん語録が沁みるのは、単に蛭子さんが「有能なおじさん」で、意識高い系を刺激するのかもしれない。奥様とデキ婚してから、家族を養うために働いたエピソードなんて、誰でもできそうでできないのかもしれない。ちゃんとマンガ家としても成功してるしね。

関連本

『スティーブ・ジョブズ 1』/ウォルター・アイザックソン

『嫌われる勇気』/岸見一郎,古賀史健

『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

『幸せになる勇気』/岸見一郎,古賀史健

『幸せになる勇気』|平凡で「その他大勢」である自分の価値

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