ノンフィクション

『フリーランス、40歳の壁』|仕事が激減!健康、マンネリ、やっかみ…

こんにちは。あさよるです。年齢と共にぶち当たる壁ってどんどん変化してゆきます。あさよるの10代は苦しかったけれどもイケイケどんどんで怖いものなしでしたが、20代が迷ったり悩んだりもがいていたと思います。当時は無我夢中なのでそんな風に思いませんでしたが、今振り返るとそう思います。

今は30代真っただ中なので、今を客観視できませんが、のほほんとのんびりやってるつもりです。そして来るべき40代。どうやら40代って、社会的に試される年代っぽいですね。若い頃は一発逆転を狙ったり、自分の生き方を「選ぶ」時期ですが、40代はある方向を向いて進み続ける時期……といったところでしょうか。楽しみでもあり、おっかなびっくりでもあります。

今回読んだ『フリーランス、40代の壁』は、10代20代と、自分の得意分野で生計を立てていた人が40代でぶつかる問題を扱っています。特に、クリエイティブ系の人が直面する壁とは。

クリエイティブ系フリーランスの生き方

『フリーランス、40歳の壁』は、〈著述作家業を中心とした「表現業者」〉が自由業者として仕事をする時、40代ごろにぶつかる「壁」について書かれています。これから作家やライター業などでフリーランスを目指している人、転職を考えている人におすすめです。

本書によれば40歳を境にして仕事が減ってしまう人が多いそうです。健康面・体力的な問題、仕事の発注者が年下になってゆく問題(目上に発注しにくい)、仕事のマンネリ化、周囲からのやっかみから仕事が上手くいかないと感じることもあるようです。

著者の竹熊健太郎さんは40歳を境に仕事が減り始めた理由を〈①「マンガ評論家」の仕事に嫌気が差して、断り続けたこと〉〈②依頼元(出版社)の担当編集者が、年下になっていたこと〉と二つの理由を挙げてらっしゃいます。②は、若い編集者からすると年上の作家・ライターに仕事を頼みにくいようです。そのせいで、なんとなく仕事が回ってきにくくなる。①の理由は自分の都合ですが、自由業の良さは自分で仕事を選べることだけど、それを実行しすぎると仕事が減ってしまうというジレンマですね。

また竹熊さんはご自身が発達障害と診断されたことに触れつつ、自由業者の中にも発達障害を持っている人が少なからず含まれていると指摘されています。会社員として勤めることが難しく、自分の得意を活かして自由業者になっている場合です。竹熊さんは40代に仕事が減ったことをきっかけに大学の非常勤講師を始めるのですが、困ったことに大学に「就職」したものの、雇用された働き方があわず、適応障害を発症してしまったそうです。

健康面でも竹熊さんの場合は脳梗塞で倒れ、幸い後遺症もなかったのですが、40代は年齢と共に体力的な不安を感じ始める頃かもしれません。

また社会そのものも変化しています。出版界隈の仕事も、インターネットの普及、ブログやSNS、電子書籍の登場と、かつての業界や業務とは違っています。竹熊さんも、ご自身のブログを立ち上げたり、SNSで炎上したり、オンラインコミックが読める「電脳マヴォ」を運営なさっています。

「40代は若者」と「先生」の間、どちらでもない年代だから、他の世代からやりにくい年代なのかな、なんて思いました。自由業者がこの魔の40代を突破するには、それ以前からの人脈に助けられることも多いそうで、お互い様ですから、仲間は多い方がいいですね。

変化の世代

本書『フリーランス、40の壁』では、プロとして専業で食べている人が直面する「40代の壁」が主題ですが、各世代ごとに「壁」はあるでしょう。本書では、50代、60代の話題も登場します。

10代には10代の悩ましい悩みがあることは自明のことで、20代の挫折もあれば、30代の葛藤もあります。本書では、著述執筆系の、作家業、ライター業で生計を立ててこられた人向けですから、ある意味で「若い頃に成功した」人の話ってことでもあります。そんな道を進んでも、それなりに「壁」があるってことでしょうか。

たぶん、会社員を続けておられる方でも40代の「壁」ってあるんじゃないかと思います。「ローン組むなら」とか健康面のことだったり、家族のことだったり、それまでとは違う変化に直面するのかもしれませんね。あさよるも、これまで若さに物を言わせてなんとかなっていたものが、30代も半ばになるとこれまで通りにいかなくなっている気が……(;^ω^)

社会の変化に乗り遅れないように

今は変化の速い時代ですから、20代の頃に身に着けた知識やスキルもいつまで通用するのかわかりません。本書で紹介される方たちは時代の変化に対応しながら、新しいメディアへと仕事の幅を広げてらっしゃいます。

だけど実際には、そういう人ばかりでもないんでしょう。インターネットの普及で仕事がなくなった人や、時代の雰囲気、空気感が読めなくなる人もいるでしょうから、本書で取り上げられている人たちは特別な人かもしれません。

竹熊さんも、大学教授という仕事を通じて、現在の大学の実情を目の当たりにされておられるし、仕事を通じて若い世代と接点を持つのは大事なことかもしれませんね。特に表現者にとって、その時代の感覚を敏感に感じ取れるかって大事なことじゃないかと思うので、若い人の声をどうやって聞くのかって、真面目に考えてもいいのかも。

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『編集者という病』|過激すぎると「本」でしか読めない

こんにちは。あさよるです。ブログを書くって、自分で文章を書き、自分で編集し、自分でディレクションして、自分で記事を公開することなんですよね。一人編集部なわけです。何年書いてもブログのクオリティが上昇しないのも「全部ひとりでやってるからしゃーないな」ということにしておきましょうw

この「編集する」という作業が、あさよるにとって、よくわかっていないトコロです。そういえば昔、仕事で「編集の勉強をせよ」と言われたこともありましたが、あまり気ノリせず、結局やらず仕舞い。「編集」と呼ばれる仕事をしている人の様子を見ていても、あまり「良い」とは思えず、モヤモヤとしたまま今に至ってしまいました。

そして、先日読んだ編集者の見城徹さん『読書という荒野』がとても印象的で、他の本も読んでみようと手に取ったのが『編集者という病』でした。『読書という荒野』でも、編集という仕事について書かれていましたが、『編集者という病』では、もっとダイレクトにこれまで編集してきた本の話が満載でした。

編集するということ

角川書店を経て幻冬舎を立ち上げ、数々のベストセラーを出してきた編集者・見城徹さんが、ご自身の仕事を振り返る。仕事……といっても、それは私事とか仕事とかそんな話ではなく、全身全霊、すべての時間をかけて本を作る編集者の姿です。それはもう「仕事」の枠をとうに超えていて、「病」であるというタイトルです。

尾崎豊に小説を書かせ、世に送り出し続けたエピソードは、「公私混同」とかそういう話じゃないですね。表現者とは魂を削ってそれを行う。編集者はそれを「本」という形にするため、表現者と向き合う。

あさよるは「編集」って、イマイチなにをする仕事なのかわかっていなかったのですが、その人の持っている「何か」をどう切り取り、どう見せ、どう形にしてゆくのかを決める大事な仕事なんですね。

出版当時話題になった、郷ひろみさんの『ダディ』では、ずっと友人だった郷ひろみさんが、妻から離婚を告げられ苦しんでいるという話を聞き、それを本にするよう持ちかけます。内容がセンセーショナルに扱われましたが、あくまで男女が出会って結婚し、子育てをし、離婚をするという、よくある話を、当事者が心情を吐露するのだと紹介されていました。そのとき、はらわたまで書き出すような、人間の光も影も詳らかに言葉にし、本にする。そのために編集をするのです。

出版はオワコンだから終わらない

よく「出版はオワコンだ」なんて言いますが、本書を読むと改めて「出版はオワコンなんだなぁ」と思うとともに「オワコンだからこそ、出版は終わらないんだろう」とも思います。

雑誌や書籍に書かれている内容は、本の形態に印刷され、綴じられているからこそ成立しています。で、ときどき、雑誌のコラムなんかがそのままWEBマガジンにWEB記事として掲載されたとき、炎上しちゃったりしています。メディアが変われば読者が変わり、文脈も変わるので、本・雑誌ではアリだけどWEBだとNGってのが少なからずあります。

雑誌や書籍のノリの記事がWEBで炎上しているのを見ると「オワコンだなぁ」と思うと同時に、だけど、だからこそ「WEBじゃ書けないこともあるんだなぁ」とも思うので、やっぱ紙の本・雑誌がなくなることもないのでしょう。誰でも無料で読めるWEB記事の良さもあるけど、読者を限定できないが故に、読者を想定しきれず、違う文脈で読まれてしまって、違う解釈をされることもあるでしょう。多くの人にあてはまる話だけをすると、毒にも薬にもならない話しかできないし、難しいところです。

で、本書『編集者という病』に書かれている中身って、結構ヤバいというかw、他人事として読むと「こんな熱い世界があるのかぁ~!!」と燃えるけれども、自分の身近にこんな魂かけて仕事する人がいるとヤだなと思う人も多いんじゃないでしょうか(苦笑)。特に、作家と公私混同を超えて、共依存関係のように、混ざり合い、本を作ってゆく様子なんて、一般社会には受け入れがたい世界観じゃないでしょうか。だけど、ギリギリで表現をし続ける作家の作品を「読みたい」という欲を止めることも難しい。

一般の良識、社会のモラルと、狂気の世界に生きる表現者の作品を受容することのせめぎ合いって、どちらを正しい/間違いと言い切れないから、なんとも言えませんね。これから私たちの社会は、それらをどうジャッジしてゆくのかを迫られているのかもしれません。

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『下り坂をそろそろと下る』|国をたたみ方、街のたたみ方

こんにちは。あさよるです。少し前に司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』と『新選組血風録』を久々に読み返したことで、ジワっと歴史小説熱が再燃しつつあり、次は『坂の上の雲』を読みたいなぁと思っています。これ、最初の方しか読んでなくて、長い間積んでいます(;’∀’)

あさよるは学生時代に司馬遼太郎小説にどっぷりハマってたんですが、当時の大学の先生や、社会人になってからも、親よりも年上の世代の人とお話をする時「わたし、司馬遼太郎にハマってるんです」と話しては可愛がられていました。好きな小説を読んだ上に、年上世代の人にも目をかけてもらえて一石二鳥な趣味でしたw

今回読んだ『下り坂をそろそろと下る』も、司馬遼太郎がど真ん中な世代向けの本です。今70代以上の方ですね。この10年でも社会は大きく変わりつづけています。本書はシニア世代に「今こんなことが起こっているんだ」と知らせる内容でした。あさよる世代なんかには「知ってた……」という話ですが、「そうじゃない世界で生きている人がいるのか……」と気が遠くなる……。

軽く読める内容ですが、いろんな意味で「他の世代が見ている世界を知れる」ことのできる本だろうと思います。

「坂の上」から下るために

本書『下り坂をそろそろと下りる』は、高度成長期をとうに終え、どうやって国の繁栄をたたみ、縮小してゆくのかを考えるとっかかりになる本です。タイトルの「下り坂を」とは、司馬遼太郎『坂の上の雲』になぞらえられていて、かつて、坂の上の雲を目指して坂道を駆け上った世代へ向けて書かれています。本書内でも司馬遼太郎先生の小説からの引用が多用されており、「その世代」に向けられていることがわかります。

正直、若い世代にとって……というかもう氷河期世代もすでにアラフィフで、坂の上の雲なんか見たことない世代にとっては、痛いほど身に染みている話題じゃないでしょうか。

本書の最後に、本書での主張が3つにまとめられています。

  • もはや日本は、工業立国ではない。
  • もはや日本は成長社会ではない。
  • もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。

もはや日本は工業立国ではないという現実は、これまでの教育では立ち行かない現実です。日本の公教育は、工場労働者を生産するための教育で、「ネジを90度回せ」と指示があれば、指示の通りに実行する能力のある人材を育成する教育でした。そこには独創性や発想力は不要で、「180度回せばどうなるんだろう」なんて疑問はむしろ邪魔です。しかし、工場のラインの仕事なんてもう日本にありませんから、昔ながらの教育ではどうにもなりません。「もはや工業立国ではない」という現実は「教育のあり方を変えなければならない」という現実です。

もはや日本は成長社会ではないので、今以上に街が巨大に発展することはありません。だから各地方土地は各々「勝たなくても負けない」街を作り、これから訪れる時代を待ち受ける必要があります。教育に求められるニーズが変わっていますから、かつてのように優秀な生徒から順に東京や大都市の大学へ送り出してゆくモデルも通用しなくなるでしょう。

日本がアジア唯一の先進国ではなくなっているのは、もうわたしたちは特別ではなくなっているということです。アジア全体で人々が行きかい、日本にもいろんな人がやってくるでしょうし、日本から外国へ出てゆく人も増えるでしょう。またかつて日本の公教育がつくっていた工場労働者は、「中国と東南アジアに、あと一〇億人ほど控えている」そうです。すごい数ですね。わたしたちが受けてきた教育じゃあ、どうにもならならないのがわかります。

繰り返しますが、もう今の若い世代はそんなこと百も承知でしょう。本書がシニア世代に向けた本である理由です。かつて坂の上の雲を追いかけた世代へ。

文化の成熟した国へ

本書『下り坂をそろそろと下りる』では、これから国が小さくなり、各地方で街を畳んでゆくとき、文化的に厚みのある国や地域になろうと呼びかけています。そのために必要なのはモーレツ社員ではなく、たまに仕事を休んで映画や演劇を見に行ったり、子育て中のママが子どもを預けて音楽を聴きに行ったり、ゆとりのある暮らしです。別に遊びのために仕事を休んだり、子どもをよそへ預けても、後ろ指差されない社会です。

繰り返しますが、若い世代はもうとっくにそういう風潮になりつつあるんじゃないかと思います。あさよるの友人たちだって、平日有給取ってライブや演劇を見に行ったり、子どもを預けて友人と食事へ行ったりしています。肝心なのは、本書の読者である年配世代たちへ「若者たちは怠けてるわけじゃない」って伝えることですね。

当然ながら、みんなが余暇にお金を使うから、そこに仕事があるわけです。で、かつてのように指示通りに動作を実行する工場労働者の仕事は激減しており、独創性があり生産性の高い仕事が求められています。だから、より文化的に成熟した仕事に就く人も増えるだろうし、それらにお金を使って楽しむ人も増えるはずです。

昔のように、工場で働いて稼いだお金で、最新式の電化製品を買って暮らしが豊かになっていくフェーズではなくなったということですね。

著者の平田オリザさんは演劇の劇作家・演出家の方なので、本書では演劇・アートを使った町おこしや、子どもたちへの教育の取り組みが多く紹介されれていました。

司馬遼太郎すごい

本書を読んで印象的なのは「司馬遼太郎万能説」でしょうw たぶん、ある世代にお話するとき、司馬遼太郎先生の小説を例に挙げるとウケるんじゃないのかなぁ~、だから本書でも司馬作品の引用が多用されてるんじゃないのかな~と想像しました。

あさよるも昔、司馬遼太郎にハマってせこせこ読んでた時期があったんですが、まぁ、ウケるんですよね。オジサン世代にw あさよるが20代の頃60代に差し掛かる世代……つまり団塊世代のオジサンたちと話をする時「今、司馬遼太郎にハマってるんです」と言うとウケるウケる。みなさんそれぞれ、「俺の司馬遼太郎」のお話をしてくださります。

そんな経験もあって、本書の構成はめっちゃよくわかる! みんな『坂の上の雲』好きですよね。と言いつつ、あさよるは『坂の上の雲』を序盤しか読んでないのを思い出して、今回、全編読もうと思った(`・ω・´)b

もう団塊世代も70代で、偉い立場にいる人や、孫たちの未来を案じている人も多いでしょう。だけど、団塊の子世代は氷河期世代で、その子どもたちは格差が当たり前の世代です。経済的な理由で進学を諦めざるをえない人もいるだろうし、「都会へ行けば仕事がある」時代でもなくなっています。むしろ、地方のほうがまだ、なんとか子育てできている世帯があったりと、かつての常識とは現実が大きく変わっています。悲しいけどこれ、現実なのよね。

お祭りのたたみ方

あさよるは個人的に、今の社会は「お祭りをどうやって終えるか」と終わり方がわからなくて困ってるんだと思っています。そういう意味で、東京オリンピックの頃に高度成長が始まったんだから、また東京オリンピックで締めてもいいんじゃないのかなぁなんて思っていました(ただ、昨今災害があまりにも多いので大丈夫なのかと不安になっている)。

なんでも始めるときはその場のノリと勢いで始められるし、すごく楽しいんだろうけど、最後の後始末までちゃんとできる人って意外と少ないものです。

あさよるの幼少時代(80年代)はこんなに大量のものを消費する社会じゃなかったように記憶しています。いや、損当時も大量消費社会だったんだろうけど、近年それが輪をかけて加速しているような気がします。冷蔵庫はやたら大容量で(我が家には冷蔵庫が二台ある^^;)、クローゼットにはチープブランドの服が詰め込まれ、テレビの周りにはDVDやゲームのディスクが散乱している……。なんか、収集付かない感じになっちゃってるのかも。あさよるは近年、ずっと片づけに勤しんでいるのでそう思います。どうすればいいんだこれ。

今考えているのは、「どうやってコンパクトな生き方にシフトすれば良いのか」と「世界から信用される企画をつくるには」といったところでしょうか。

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『漫画 君たちはどう生きるか』|私たちは誰に当てはまるのか

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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『人狼村からの脱出』|パズルを解いて人狼を探せ!

『人狼村からの脱出』イメージ画像

こんにちは。読書ペースが落ちているあさよるです。理由は主に夏バテなんですが、さらに先週夢中になっていた『人狼村からの脱出』のせいかもしれません。

『人狼村からの脱出』は書籍の形態の「脱出ゲーム」です。脱出ゲームは、ネットでハマったことがある方も多いでしょう。ふと気がつくとどこかへ閉じ込められていて、部屋の中を操作しながらパズルを解き、その場所から脱出するゲーム。近年では「リアル脱出ゲーム」も人気で、実際に自分が動き回ってパズルを解きながらゴールを目指すものです。

本書『人狼村からの脱出』は、昼間は村人に化けて夜な夜な人を襲う「人狼」を見つけるゲームです。村人の中には、村人を人間か人狼かを見分けることができる「巫女」と、巫女のフリをしてウソを言う「狂人」が混じっています。

村の中を操作し、村人たちに聞き取りをしながら、人狼を探しましょう。

人狼が潜む村に閉じ込められた!

探偵のあなたは、ハリー・カシャッサと名乗る考古学者から手紙を受け取りました。その手紙によれば、とある村に昼間は人間の姿に化けた「人狼」が、夜な夜な村人を襲っているのです。その人狼を見つけ出すのがあなたに託された仕事です。

あなたが村に訪れると、たった一つ外界と繋がっている橋が落ちてしまい、謎の「怪人」による宝石の盗難が起こります。絡み合った事件と事件を解決しながら、あなたは人狼を見つけ出せるでしょうか。

物語の結末は、本書内にはありません。すべての謎が解けたら、指示通りにWEBサイトで答えを入力し、最後の場面に立ち会いましょう。

節ごとに指定された番号順に読んでいこう

『人狼村からの脱出』イメージ画像

本書はゲームブックなので、普通の本のようにページ順に読んでゆくものではありません。ストーリーが節ごとバラバラに分解されて並んでいるので、読み進めるためには本文の指示に従う必要があります。

短く分けられた節ごとに番号が振られており、その節の最後に、次に読むべき節の番号が指定されています。指示通りの番号を開いて読んでゆきましょう。

毎日新聞を読み、捜査に出かけよう

毎日、朝になると新聞が届きます。新聞には前日に村で起こった事件や出来事が報道されています。捜査のために新聞もしっかりと読みましょう。

『人狼村からの脱出』イメージ画像

本文の指示通りに本書を読み進め、重要な記録や手掛かりに出会うと、忘れないようしっかりと書き留めておきましょう。

もちろんゲームオーバーもある

『人狼村からの脱出』イメージ画像

本書はゲームブックですから、もちろん間違った選択をするとゲームオーバーになってしまいます。謎を順番に解きながら、ピンチの時ほど冷静に選択肢を選びましょう。

古本注意!必要なアイテムが揃っているか確認しよう

『人狼村からの脱出』イメージ画像

本書にセットされているのは、

  • 本体の本
  • 捜査シート5枚
  • 地図
  • しおり

すべて揃っていないと捜査ができません。もし古本で本書を探す方は、アイテムが揃っているか確認しましょう。

DVD版もあるらしい

DVDを使った脱出ゲームらしく、みんなでプレイできるそう。どんな内容なのかすごく気になる……。

自力で謎が解けると……感動したw

本書はバラバラに並んだ節を、指示された番号通りに読み進めてゆくのですが、途中で村に隠された「謎」を解いてゆかねばなりません。この謎解きが本書の醍醐味。子ども騙しななぞなぞではなく、なかなか大人が悩んじゃう問題が多数!

で、これを時間をかけてウンウン唸って、自力で答えをひらめいたときが快感! この気持ちよさのためにも、是非ともネタバレ&ヒントなしで問題にチャレンジしてほしいです。

特に終盤の謎では、分かった瞬間、感動しちゃうような謎の連発ですごかった! この瞬間のためにもう絶対チャレンジしてほしい!

マジでネットにネタバレがなく天晴れ

感心したのは、ネットで本書のネタバレサイト見事にない! 問題が解けなくて掲示板や質問サイトで質問している人がいるんですけれども、誰も答えを教えず、ヒントを出すのみ。そのヒントもあまり親切なヒントではなく、あくまで「自力で解いてみて!」って感じ。わかりみ! 絶対ヒントなしな方が楽しいから!

このパズルの難易度が絶妙で、子ども騙しな問題じゃないし、数人で集まってワイワイと謎解きしながらやっても面白いでしょうね。

あさよるの場合は、一人で没頭して時間を忘れて取り組んでしまいました。

ちなみに、ゲームクリアまで、のべ12時間くらいかかりました。最初の「1日目」はゲームの段取りがよく分かっておらず、必要以上に時間を使ってしまったので、手際よくやるともう少し時間は縮まるかも? ただ、面白いゲームなので、一気にやらずに、ゆっくり時間をかけてプレイしても良いかと思います。

リアル脱出ゲームってどうなんだろう

本書『人狼村からの脱出』を終えて、「リアル脱出ゲーム」って面白いのかな? と興味を持ち始めました。今まであまり興味なかったんですよ。「だって、ゲームって本気でやるから面白いのに、遊び半分でふざけてプレイする人がいたら興ざめしちゃうでしょ?」なんて思ってたんです。だけど『人狼村からの脱出』をやって、ネット上でネタバレしてる人がいなかったり、みんなパズルに夢中になっている人たちのやりとりを読んでると、「これ、リアル脱出ゲームって面白いのかも!?」と期待しました。

まぁ、グダグダ言ってずに、一度参加してみたらわかることですよね~。ってことで、近場で探してみます(^^)/

すごくどうでもいい感想

わたしたちは時間を過去から未来に向かって一方通行で進むものだと認識していますが、物理学的にはすべての状態が同時に存在していて、人間か勝手に過去→今→未来というベクトルがあるかのように感じているだけだ、とかいう話を聞いたことがありまして。その話にとても心救われたので、その考え方を自分にも採用しています(この情報の信憑性は補償しませんw)。

で、『人狼村からの脱出』を読んで、「“すべての状態が同時に存在していて、人間が勝手にベクトルを錯覚しているだけ”というのはこういうことか」となんか納得しました。本書では、節がバラバラに分解され、順番もめちゃくちゃに並んでいます。そんで、節の最後に「123へ進む」とか書いてある指示通りに、次は123節を読み、またその節の最後の指示に従って読み進めてゆくのです。

節がバラバラに並んでいても、自分が順番に読んでゆけば、一つの筋の通った物語として認識できます。しかし、順番バラバラのまま頭から読もうが、指示通り読もうが、最後のページから読んだとしても、情報量は変わらないんですよね。自分が勝手にストーリーとして認識するかどうかだけで。

お遊びのゲームブックを読んで「なるほど、こういうことか」と妙な納得をしてしまいましたw

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『漢方的生き方のすすめ』|面白い話・好奇心は健康にいい?

こんにちは。あさよるです。毎日つらつらと読書をしていると、時折思いがけない本に出会うときがあります。今回手にした『漢方的生き方のすすめ』もそうでした。正直、なんかインチキくさい本なのかな~と読み始めたのですが(すみません……m(__)m)、思いがけなく背筋が伸びる読書体験でした。著者の丁先生の半生は、極貧の子ども生活から、働きながら大学の医学部に入り、その後研究者として評価されながら、漢方の道に進み、自力で人生を進んできた様子が、とても励まされるものでした(`・ω・´)b

それだけじゃなく、話題が古今東西のアレコレにポンポン飛躍しながら展開してゆき、知らないこと&これまで持っていなかった切り口ばかりでオモロー。だけど、軽く読める内容だし、分厚い本でもないし、サクッと楽に読めて良かったです。

「漢方的」な生き方とは

本書『漢方的生き方のすすめ』は、漢方とか薬膳とか、体にいい習慣が紹介されている本なのかな? と思い手に取ったところ、全く内容が違うものでした。そして、最初の想像よりずっと良い読書経験となりました。

本書は医師であり漢方医でもある丁宗鐵さんと、イラストレーターの南伸坊さんの対談で、主に丁先生のお話を南さんが伺う形式で構成されています。南伸坊さんが病気を患った際、丁先生と巡り合い、丁先生のお話が面白く話を聞きに病院へ通っていらしたそうです。それが、本書の企画に繋がったというわけですね(幸いにもご病気も完治なさったそう)。

内容は、丁先生の生い立ちから、医師になり、また西洋医学の研究者から東洋医学へと移ってこられた経緯を話しながら、つらつらと古今東西のアレコレとりとめもない話が展開されます。それが、本書を通して見ると「漢方的な生き方」が浮き上がってくるという仕掛けです。

なるようになる・なるべくしてなる

丁先生は、貧しい中お父様の仕事を手伝いながら勉強し、医学部へ進みます。そこで学生時代、漢方に触れほかの大学にも出入りしてたそう。その経験から、漢方の研究に誘われ現在に至ります。といっても、西洋医学の研究が評価されアメリカの大学に招かれた経験もおありで、とても優秀な方なんですね。

「なるようになる」を体現されておられて、流れに逆らうことなく、目の前の課題をただこなしていくうちに、流れ流れて今に至るような生き方が、漢方的なのかなあと。ただし、丁先生の場合は「なるようになる」と言っても、とてもレベルの高いお話なんですけどね(;’∀’)

西洋科学を否定しないし、これが「中庸」

丁先生ご自身が医師で、西洋医学の研究をなさっていた経緯もあり、本書では決して西洋医学・西洋科学を否定しません。漢方こそが万能と言っているわけでもありません。そのへんのバランスのとり方が「中庸」なのかもしれないなあなんて思いました。

この「中庸」という考え方を見てみますと、

ちゅう‐よう【中庸】

[名・形動]
かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。

中庸(ちゅうよう)とは – コトバンク

「かたよらない」「調和」というキーワード、すんなり理解できる人と、なかなか感覚的にわからない人がいるのではないかと思います。あさよるは完全に後者です。この「中庸」という感覚が、なかなかわからない。あーだこーだ苦戦しながら理解をしようと挑戦しております。

抗うわけでもなく、かといって流されるわけでもなく、あるがままにあり続けられる生き方っていいね。

丁先生の生き方がすごい<(_ _)>

本書では、丁先生のご経験に交えて、古今東西の医学や科学、歴史や雑多な知識がポコポコと飛び出します。話はあっちへこっちへ飛び散りながら、だけど一貫して「漢方的な生き方」の話題に着地します。

江戸時代、わずかに許されていた貿易のほとんどは外国から漢方薬を買うためだったとか、だけど薬を輸入するにはコストがかかるから江戸時代に朝鮮人参の栽培の研究が始まったとか、「へぇ~」と感心する話ばかり。

漢方や東洋医学は、日本のみならず東アジアで発達した医学であり、漢方・東洋医学を知ることは、東アジアを知ることでもあるんですね。もちろん、東アジアの歴史だって、他の地域と影響しあっていますから、どんどん関心が広がっていきますね。

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『ぼくはお金を使わずに生きることにした』|都会で大冒険!カネなし生活

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。先日読んでブログでも紹介した『0円で生きる』が面白くて、ゴールデンウィークに「家財道具を売ってみよう」とメルカリに出品してみました。『0円で生きる』で紹介されていた「ジモティー」も利用したいのですが、荷物の運搬手段がないので、これから考えよう。

これまで物の譲渡って、役所とか公民館の「あげます・ください」の掲示板を見たり、フリーマーケットに出品するとか面倒くさかったけど、ネットサービスが充実することで、誰もが気軽に安価or無料でやりとりができてとても便利です。「テクノロジーは社会を変えるんだなあ」なんて、大げさなことを考えてみたり。

今回手に取った『ぼくはお金を使わずに生きることにした』も、イギリス人の男性がロンドン郊外で1年間、一切のお金を使わず生活をするチャレンジをした記録です。彼がチャレンジを決行したのは2008年の年末のこと。2008年はリーマンショックがあった年です。さらに3.11以降のわたしたちにとって、彼のチャレンジは当時と違った意味を感じるかもしれません。

現代の冒険譚・お金を使わない

著者のマーク・ボイルさんは現代の冒険家です。かつて「冒険」とは、大海原へ漕ぎ出だしたり、未踏峰を踏破したり、誰も行ったことのない場所へ踏み込むことでした。現在では都市部の郊外で「1年間一切お金を使わない」というチャレンジが、誰もやったことのない大冒険なのです。現にマーク・ボイルさんは、1年間お金を使わない構想を発表してから、世界中のメディアから数多くの取材を受けます。

テクノロジーを否定しなくていい

マーク・ボイルさんのチャレンジの特徴は、まずロンドンの郊外で行われること。お金の一切は使わないけど、友人たちを頼るし、社会のインフラも使います。また、基本的にはテクノロジーの否定はしていません。

1年間お金を使わない計画に際し、マーク・ボイルさんはルールを自分で設けています。まず、石油燃料は〈自分のために〉使わないこと。電気は自分で発電しますが、誰かから「どうぞ」と差し出される分には使用してもいいこと。つまり、わざわざ〈自分のために〉石油・ガソリンや電気は使いませんが、他の人が使っているものを分けてもらうのはOKということ。例を挙げると、「自分のために車を出してもらう」はNGですが、ヒッチハイクで「元々あっち方面へ向かう車の助手席」を分けてもらうのはOK。

この辺が「世捨て人」的な感じではないところ。なにより交友関係はとことん使います。「ロンドンの郊外」ですから、落ちているモノ、捨てられているモノを手に入れやすい環境にもあります。

マーク・ボイルさんはお金と石油燃料を自分のために使うことを避けていますが、それ以外のテクノロジーやコミュニティーは特段否定していません。

菜食主義で健康に

お金を使わない生活をすると、納税しないことになります。だからマーク・ボイルさんは1年間、病気をしないように健康に気をつけるのですが、ビーガンになることで、かつての不調がウソのように改善した様子を綴っておられます。菜食主義の人がよく「肉や乳製品をやめると体調が良くなった」と仰ってるのを目にしますが、実際のところどうなんでしょう。

また、肉食をやめたことで、体臭に変化があったそうです。お風呂も洗濯機もありませんから、衛生状態と〈清潔感〉をどうキープするのか周囲の人も気にしているようです。「ボディソープを使わなくても体はきれいになる」と説明しても、信じてくれない様子。

これについては以前、あさよるネットでも『「お湯だけ洗い」であなたの肌がよみがえる!』で紹介しました。有機物は水溶性で水に溶けて流れます。だから「水浴びだけでも清潔」は、そうなんでしょう。

Wifi完備でネット環境

マーク・ボイルさんはネットで住処の提供を求めたところ、なんとキャンピングカーの提供を申し出る人が表れました。また、そのキャンピングカーを停める場所も、ボランティアを引き受けることで場所を貸してもらえました。そこはWifiもつながっていて、マーク・ボイルさんは自家発電をしてネットに接続し情報発信を行います。プリペイドカード式の携帯電話を所持しているので、電話を受けることもできます。世界中のメディアからの取材も、電話を貸してもらって受けています。

「現在の冒険譚」と紹介したのは、現代のネットワーク環境を活用しているからです。『アルプスの少女ハイジ』の〈オンジ〉のように、コミュニティーに属せず、人々から隔絶された地で生きるのとは正反対です。積極的にコミュニティーを持ち、情報を発信し、人とつながりながら「お金を使わない」から、冒険なのです。

お金はすごく便利だ!

本書『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は、著者のマーク・ボイルさんの体当たりレポにより「お金」の価値について問い直されます。本書を読んでつくづく思うのは「お金はとても便利なものだ!」ということです。マーク・ボイルさんご自身も、「お金が少ないのと、お金を全く使わないのは、全然違う」と書いておられます。

本書が面白いのは、別に貨幣経済を否定してるワケでもないところ。ただし「お金の価値しかない社会」はどうなの? という問いかけになっていますし、また「お金を使わない生き方を選ぶ自由がある」という至極当たり前のことを体現した記録でもあります。

マーク・ボイルさんの結論として、「お金のない世界で暮らしたい」と理想をあげながらも、現実的には「地域通貨」への切り替えが落としどころとして提示しておられます。小さな町や村のコミュニティーの中で、スキルや物を提供したりもらったりして、交換する価値としての「地域通貨」です。

お金で買っているのは「時間」

カネなし生活で、足りなくなるのは「時間」だと言います。朝起きて、水を確保しないといけませんし、ネットにつなぐための電気を発電し、どこへ行くにも何十キロと自転車を飛ばさねばなりません。ボールペン一本、安いお金を出せばに入る物ですら、ボールペンが落ちていないか探さねばならないのです。

お金を使うことで、一瞬でほしいモノが手に入るのですから、最強の「時短」アイテムなんですね。

カネなし生活には「お金以外の力」が必要

お金は便利だと紹介したのは、カネさえあれば、他に何もなくても欲しいものが手に入るからです。お金がない生活とは、人とのつながりが重要で、自分を助けてくれる人、自分を気にかけてくれる人の存在が重要です。幸いにもマーク・ボイルさんは、彼のチャレンジに協力してくれる友人や恋人がいて、また世界中のマスコミが取り上げ多くの人が彼に注目していました(もちろん賛否アリ)。またマーク・ボイルさんは健康で若い男性であり、彼の思想や信仰も、お金を使わない計画を後押ししたでしょう。いくつもの要素が絡まり合って、成立したチャレンジだと考えることもできます。

〈お金〉と〈幸福〉は別のもの

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

以下、あさよるの勝手な感想。

「カネなし生活を成立させるためには前提条件が必要だ」と言いましたが、たぶんマーク・ボイルさんと近いことをしている人は今の日本にもたくさんいると思います。別に強い信念があるわけでもなく、「知人の家に転がり込んで」とか「友だちに助けてもらって」生きてる人もいるだろうし、しかも全員が「お金がない=不幸」とは限らず、楽しく愉快にやってる人もいるでしょう。

選択肢として「カネなし生活」を選ぶ人がいてもいいし、またそれを選ぶ人もいて、それで成立する社会の方がいい社会だろうと思います。

貧乏暇なし

カネなし生活では、時間がとても貴重なのものであると認識できます。お金は一瞬にして取引を成立させる「究極の〈時短〉アイテム」なんですね。すなわち「お金がない」とは「時間がない」ことだと考えられ、これは「貧乏暇なし」という日本のことわざとも合致しています。

自己啓発本の類を読んでいても、世界で活躍する優秀なビジネスマンほど、超多忙であるにも関わらず、余暇や家族との時間をたっぷりと過ごしていると紹介されています。それはタイムマネジメントが優秀である上に「お金の使いどころ」を心得てるのかもしれません。

仮想通貨ってどうなの?

本書では折衷案として「地域通貨」の可能性が提示されていますが、今となれば「こんなときのための仮想通貨だろう」と。マーク・ボイルさんがカネなし生活にチャレンジしたのが2008年年末~2009年の1年間で、ビットコインは2008年に発表された論文に基づき、2009年に運用開始されました。

世界は、現行の通貨ではない「新しい価値」を模索していて、マーク・ボイルさんのチャレンジもそれに当たるのではないのかしら。今までの、国が発行する通貨ではない〈何か〉が必要なんじゃないかしら。

ムダなお金、ムダな出費が多すぎる!

本書『ぼくはあお金を使わずに生きることにした』を読むと「お金の便利さ」もよくわかりますが、同時に「お金の量と充実感は比例しない」こともよくわかります。マーク・ボイルさんはカネなしで、忙しく働いていますが、別に不幸せではありません。

電車の中ではほぼ全ての人がスマホ画面をのぞき込んでいます。しかしスマホで仕事や意味のある作業をしている人は少数で、多くの人は〈暇つぶし〉をしているんじゃないかと思います。暇つぶしのためにスマホを買って、使用料を毎月払って、暇つぶしのアプリやゲームにお金を使っているんじゃないでしょうか。ちなみに、スマホって超ハイテクな機械ですからね。最先端のハイテク機械を使ってやってることは〈暇つぶし〉ってなかなかシュールだな。

んで、それって、どんだけお金があったとしても、やってることは〈暇つぶし〉だから、いくらお金と時間をつぎ込んでも充実感が得られないんじゃないだろうかと思います。

単に「お金を節約する」だけじゃなくって、「何にお金を使うか」「何に時間を使うか」を改めて考え直した方がいいのかもしれません。優先順位は人によってそれぞれ違っているでしょう。

時間もお金も限りがあって、エネルギーにも限りがあって、大事なのは「どんな配分でそれを使うか」なのかもな、なんて思います。

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『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』|死んだら地底か来世なのか

『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるは「前世」とか「来世」とか思想を持っておらず、その言葉自体をあまり使わないのですが、それでも慣用句のように「前世はよっぽど~」とか「このままじゃ来世は~」なんて言い回しをすることがあります(稀に)。

みなさんにもそれぞれ、ご自身の「世界観」がおありでしょう。それは、幼いころから慣れ親しんだ世界観、死生観もあるでしょうし、生きてきた中でハイブリッドな考えに至った部分もあるでしょう。みんな同じ道をゆく身ですから、多かれ少なかれ共感しながら生きているように思います。

『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』は古今東西の人々の死生観をざっくり大まとめに紹介するものです。概要的内容ですが、古代ギリシア、古代エジプトから、キリスト教、仏教、イスラム教の世界三大宗教、そして日本人の死生観まで幅広く取り扱います。

面白く生々しく、そしてやっぱりちょっと怖い「死後の世界」を覗いてみましょう。

ズラリ世界の「死後の世界」

本書『人は「仕事の世界」をどのように考えて来たか』では、世界中の「死後の世界」観を一挙に紹介するものです。扱われているのはザッと「古代ギリシア・ローマの冥界」「古代オリエントの死後と終末」「キリスト教の地獄・煉獄・天国」「インドの輪廻転生」「大乗仏教と東アジアの来世」そして「現代の死後の世界」です。

冒頭では、現代の我々の「死後の世界」観の変化について触れられています。それは、日本人も今や「天国へ行く」という表現を使う人が増えたとう点です。天国というキリスト教的な世界観が普及しているのが見て取れます。

宮沢賢治の「来世」

かつて……宮沢賢治は妹をなくし、ノイローゼになっています。賢治の父は浄土真宗の信者でありましたが、浄土真宗の個人主義的な極楽浄土の世界観よりも、慈善活動を行うキリスト教や日蓮宗の方がリアルに感じていたようです。しかし、妹の死によって、日蓮宗的な来世観が賢治を苦しめます。

賢治が信じていた公式通りの輪廻観によれば、死者はみなバラバラの運命をたどる。身内どうしがまた再開できるといったものではないのだ。(中略)日蓮宗ではみんなが極楽浄土で会えるという立場を取らないから、どうしてもこの、バラバラの死後世界に耐える必要が出てくるのだ。(p.270)

そして、妹が「地獄へ向かったかもしれない」ことを思い、恐怖します。賢治は輪廻転生を信じ、地獄に落ちることを心配していますが、

そうした輪廻神話よりも法華経のパワーの方が優位に立つことを確信し、輪廻をめぐるノイローゼから解放されている。
つまり、賢治にとって、宗教のロジックは呪縛にも解放にもなっているのである。輪廻信仰は呪縛となっている。しかし法華経の信仰は救済となっているのだ。源信が描くような地獄堕ちの恐怖は、阿弥陀の救済によっても法華経の救済によっても無化され得るということらしい。

p.280

宮沢賢治の死や物語にある、「死」のイメージは、ダイレクトに彼のテーマでもあったのですね。あさよるは、ユニークな地獄絵図のなんかを見てると「地獄は愉快そうだなぁ」なんて気楽に考えていましたが、宮沢賢治ともなると突き詰めて考えるものなのですね。

世界の神話はなんとなく似ている

本書では古代ギリシアから日本の死後の世界まで広く紹介されるのですが、神話の世界はどことなくみんなよく似ています。太陽神がおり、地下に黄泉の世界があり、死んだ神様や人は黄泉へ行きます。ギリシア神話では、これを「冥界」と呼びます。

仏教には極楽浄土と地獄がありますが、キリスト教にも天国と煉獄があります。これらの元ネタになったであろうゾロアスター教や、エジプト人、ペルシャ人のオリエントの死後と終末の世界があります。

エジプト人は死後の世界に備えてミイラをせっせとつくっていただけでなく、死んで復活した神が冥界で死者を審判するという神話をもっていた。ゾロアスターの徒は神々も自然も善と悪の二つのカテゴリーに分け、個人の死後の審判と世界週末のときの審判の二重の審判の思想を持っていた。どちらの宗教の神話も、どこかしら聖書の神話に似ているのである。(p.65)

エジプトの神様は、太陽神ラーと、冥王オシリスが有名ですね。死ぬと冥界に行って、オシリスの審判を受けなければならないそうです。エジプトの閻魔様なのです。古代エジプト人にとって大事なのは、オシリスの楽園で永遠の生を受けることでした。

エジプト宗教とゾロアスター教を眺めると

「神の死と復活」「死後の審判」「天国(楽園)と地獄(破壊)」「神と悪魔の対立」「終末・救世主・死者の復活・審判」という、後世の一神教世界の道具立てによく似たものが概ね出揃っていた。(p.82)

エジプト宗教とゾロアスター教がユダヤ教、キリスト教、イスラム教にどう影響を及ぼしたかは不明で、なんともいえないそうですが、世界の死後の世界観は「だいたい似ている」のは分かります。

インドでは、輪廻思想が体系としてまとめられました。

インドといえば輪廻、輪廻といえばインドというぐらい、インド思想と輪廻思想は深く結びついている。全世界に転生の思想はあるが、それを厳格な体系としたのはインド人だたからである。ヒンドゥー教(紀元前二千年紀から)、仏教(前五世紀ごろから)、ジャイナ教(同)、シク教(後十五世紀ごろから)と、インド発の宗教はいくつかあるが、いずれも輪廻思想を世界観の根幹に置いている。(p.169)

輪廻信仰は近代になってから西洋にも広がり始めているそうです。

そのヒンドゥーから派生したのが仏教だとされます。

開祖の釈迦は解脱を目指すにあたって、婆羅門的伝統に距離を置いて独自路線を追求し、快楽でもない、苦行でもない、「中道」を行くという大きな指針を打ち立てた。ヒンドゥー教のヨーガ行者などはむしろ好んで派手な苦行を行う。文教の修業は相対的に穏やかなものだといわれている。(p.188)

世界の代表的な宗教が、絡まりながら流れになっている様子が面白かったです。

『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』挿絵イラスト

さて、死後の世界は?

普段の会話の中でも「前世は~」とか「死んだら~」なんて言葉が飛び出します。死や死後の世界は「馴染み深い」とも言えるし、だけど宮沢賢治のように突き詰めて考えている人ばかりではないだろうと想像されます。あさよるは「考えても仕方のないことは考えない」ので、死んだ後のことに興味がありません。

……なーんて言いながら、一人でふと「今回の人生はツイてないな」なんて思うこともあります。また、小学生の甥が「俺はママのお腹を選んで生まれてきた」と話していて、「ほう、今はそんな教育がされているのか」なんて思いました。個人的には、その考え方は「どうなんだろう」とギモン(BADな環境にある子にも「そこを選んで生まれてきた」と言わすのだろうか。んで、反抗期を迎えたとき「パパとママを選んで生まれた」は全員にとっても苦行じゃないのかと/苦笑)。

生きている限り「死」のイメージはつきまといます。初めて「ピンピンコロリ」という文言を読んだときギョッとしましたがw、今や新たに出版される健康指南本は「ピンピンコロリ」を目標にしているものばかりで、何も感じなくなりました。高齢社会、人生100年時代というのは、こうもあっけらかんと死を語る時代なんですね。

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『世にも奇妙な人体実験の歴史 』|命知らずな科学者列伝

『世にも奇妙な人体実験の歴史 』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるのイタイケな幼少期時代、子どもらしく虫やカエルで遊んでいました。「実験」もよくしました。それは重力や水の表面張力についてよく知ることになりましたし、まあ、子どもの遊びって残酷ですよね。

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、子どもの頃の好奇心を持ったまま科学者となり、実験を続けているマッドサイエンティストたちの記録です。命知らずの医者や、人を人とも感じていない当時の価値観が交錯する、なんともふしぎな世界を醸す一冊でした。

マッドサイエンティストの世界へ

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、人類の歴史の中の果敢なマッドサイエンティストたちのエピソード集です。「果敢」と書きましたが、うーん、ほかにどんな言葉で紹介すれば良いのやら。今となっては常識の知識であっても、かつては原因不明の病気や症状であったのです。謎を解き明かすため、あくまで科学的探究心を心に灯して研究に邁進する姿は、まさに多くの人が思い浮かべる「科学者」の姿であろうと思われます。

しかし……本書で紹介される科学者たちは、確かに世紀の大発見をした偉人たちなのですが、向こう見ずで乱暴な人体実験を繰り返す……なんと言っていいんだろう。「実験、雑っ!」というのが、感想でしたww

科学者とは……以下ry

印象に残ている話をいくつかあげます。

まず、心臓にカテーテルを通す手術をした外科医フォルスマン。彼は人体実験の検体として、自分の体で実験を始めます。自分で自分のオペって『ブラックジャック』の世界観をリアルにやってるんですよ。しかもその実験、犬の心臓にカテーテルを通したときは失敗して犬は死んでしまいました。助手に「危険はない」とウソをついて、自分の血管からカテーテルを挿入し、レントゲンで確認しながら心臓にカテーテルを通しました。「どんな心臓しとんねん」というのがこの話の主題です。

麻酔の発明は、人類の歴史の中で大きな飛躍になりました。麻酔がなかった時代、外科医は力が強く、早業で身体を切り落とせる職人でなければなりませんでした。患者の気を失わせるために、酒を飲ませたり、桶を頭にかぶせトンカチで殴り気絶させました。毒ニンジンのエキスを使った麻酔を試したところ、患者は二度と目を覚ましませんでした。そんな中やっと「笑気麻酔」が発見されます。しかし、麻酔の適量がわからず、麻酔が効かなかったり、効きすぎて死んでしまうこともあります。また、麻酔の研究する科学者たちは必ず自らでも人体実験をし、みな中毒になりました。医療の姿を変えた「麻酔」の発明は、地道で苦難の道があったのでした。

人体実験に必要な「検体」集めに奔走する科学者の姿も印象的です。かつて医学生たちは座学しか学ばず、現場で生まれて初めて「人の体を切る」というなんとも無謀なことをしていました。学生には実際に人間の体で慣れておかないといけないと「死体」集めの奔走が始まるのです。検体集めはエスカレートし、墓暴きや、殺人まで起こりました。

現代の医療は、いかに「人道的」であるか染み入ります。医師たちが我々の体をモノのように扱おうとも、歴史の中のどの瞬間よりも最も今が「人道的」である……そう思うようにします(苦笑)。

また、人体実験の実験台に、貧しい人や孤児、死刑囚など、人を人として扱わない話てんこ盛りなので、気分の良い話ではありません。あしからず。

今に生まれてよかった……

『世にも奇妙な人体実験の歴史』を読むと、しみじみと「21世紀に生まれてよかった!」と思いますね。特に、麻酔のある時代で良かった。歯医者さんが麻酔使ってくれて良かった良かった。また、歴史の中で「医師」の地位は低いというか、人々から尊敬されない職業なのはなぜだろうと感じていましたが、かつて「迷信」や「デタラメ」「おまじない」のインチキ医者もたくさんいて、民衆が翻弄されていたそうです。そりゃ、みんな医者が嫌いになるわね。それでなくても「病」を扱っていて、できればお世話になりたくない存在なのに。

あさよるは小学生のころキュリー夫人の伝記をよく読みまして、人々が放射線物質に〈魅せられる〉のが印象的で、危険だとわかっていても、研究をやめられません。キュリー夫人も若くして亡くなります。そして、その研究室のあった場所はいまも放射線量が高く、危険なエリアのままです。

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』に登場する科学者たちは、なにかに魅せられ、自分の命を忘れて研究に没頭してしまう、向こう見ずでクレイジーな人々です。少なくとも、あさよるとは全く違うタイプの人だわ。くわばらくわばら。

『世にも奇妙な人体実験の歴史 』挿絵イラスト

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『失敗だらけの人類史』|原罪…思い込み、ウッカリの歴史

『失敗だらけの人類史』挿絵イラスト

こんにちは。ケアレスミスが多い あさよるです。あさよるは神経質で心配性なんですが、それは心配をして神経をすり減らすだけの、信じられないような失敗をするから油断ならないのです(苦笑)。しかしこれは、人間は過ちを犯す生き物であって、あさよるが悪いわけではありません。仕様です(と思いたい)。

ということで、人類最初の人・アダムもまた、イブに誘惑され神との約束を破ります。我々は最初の人間から、過ちばかり犯しているのです……『失敗だらけの人類史』は、そんな哀愁すら漂う人類の失敗の歴史をまとめたものです。イブはサタンにそそのかされ知恵の実を口にし、そしてアダムにも分け与えました。その子孫である人類も同様に失敗続きの人類史。英雄たちのたった一つの失敗が歴史を大きく動かすのです。

タイトルとこの装丁、そしてコンセプトを知ると手に取らずにはいられないような心惹かれる『失敗だらけの人類史』は、数貸すの大失敗に、しみじみと感じ入るばかり。

歴史を動かした大失敗

本書『失敗だらけの人類史』は、英雄たちが下した「失敗」によって歴史が変わった出来事を紹介したものです。本書はこんな序章から始まります。

人類の歴史は「失敗の歴史」ともいえる。しかもその失敗の多くは、優秀で善意に満ちた人々が、肝心なときに大事な判断を誤ったために引き起こされている。少なからぬ人々が二者択一の選択問題を間違えてしまったのだが、これらの判断の多くは、そのときには一番良い考えに思えたものばかりである。
一方、とてつもなく愚かな判断が下されたことがあるのも事実であり、本書には、人類が犯した愚の骨頂ともいうべき失敗の数々が取り上げられている。それらは罪のないうっかりミスなどではすまされない。たくさんの人命や人々の暮らしを損なったり、国や王朝を滅ぼすような高い代償を払う結果をもたらした、実に愚かなヘマである。後世に負の影響を及ぼした致命的な誤算である。

(中略)

人類の愚かな過ちを追体験することを厭わない読者諸賢におかれては、サンタヤーナ歴史再現協会(Santayana historical Reenactment Society)に興味を持たれるかもしれない。この教会の会員たちは歴史に名高い愚行の数々を実際に再現してみせる活動にいそしんでいるが、それは、協会がその名を関する人物、ジョージ・サンタヤーナの名言に注目して欲しいからだ。サンタヤーナ曰く――「過去を学ばないものは、必ずや同じ過ちを繰り返す」

p.6-7

本書の歴史的失敗は、その歴史的人物たちがその判断を怠った瞬間、失敗に気づいていないどころかそれが最適解だと信じていたり、あるいはどうしようもないウッカリミスで起こります。舵取りを誤りエジプト最後のファラオになってしまったクレオパトラ。氷に閉ざされた土地を「グリーンランド」と名づけ移民を募ったバイキング。侵略者を神と間違え、歓迎して招き入れてしまい、文明を滅亡させてしまった皇帝。モスクワ撤退を決めていたのに、気が変わって敗戦してしまったナポレオン。ラスプーチンを狂信してしまったレクサンドラ皇后はロマノフ朝を終焉させてしまいます。チャーチルが引いた国境線は今日の中東問題の火種です。

どの失敗も「その時はそれが良い判断だと信じていた」あるいは「うっかり」のいわゆる「魔が差した」ような過ちもあります。これらの失敗だらけの人類史の、種をまいたのは、そう、アダムとイブの過ち。

アダムとイブが禁断の果実を口にする

すべてはここから始まった。ということで、第一章は「アダムとイブ、禁断の木の実を口にする」から始まります。彼らの過ちは、その後の人類が犯す過ちをすでにはらんでいます。

人類はなぜ失敗ばかり犯すのか? その動機は本書の中で追々明らかになるが、その多くが、この2人の中にすでに現れている。すなわち、嫉妬、暴食、色欲、知識欲、そして、言いつけに背いても何とかなるだろうという強い思い込みである。

p.8

ちなみに、聖書のアダムとイブが禁断の実を口にするエピソードは、女性憎悪的であると本書では指摘しています。だって、人類の堕落をもたらしたのはイブであるとするからです。神は最初の人・アダムを作ります。そしてアダムの体からイブを作りました。二人は夫婦になりますが、イブが神の言いつけに背き、そしてアダムを誘惑するのです。

イブをそそのかした犯人はサタン・悪魔です。キリスト教もイスラム教もユダヤ教も「サタン」という絶対的悪を生み出したことによって、その後に起こるできごとは「すべてサタンのせい」にできるようになりました。

神に背き、楽園であるエデンの園から追い出された二人の家庭は円満ではありませんでした。息子のカインが、弟のアベルを殺害し、人類初の殺人が起こってしまうのです。

本書『失敗だらけの人類史』は、アダムとイブによる「原罪」が、その後そのように人類に降りかかるのかを紹介するものなのです。

『失敗だらけの人類史』挿絵イラスト

世界史つまみぐい

本書『失敗だらけの人類史』は、世界史が苦手な人でも大丈夫。一章一章は独立していて「失敗を犯した人物」「失敗の結果どうなったか」「それはどのような失敗だったか」と三要素を表にまとめられており、妙に分かりやすい構成になっております。

『失敗だらけの人類史 英雄たちの残念な決断』ビジュアルイメージ画像

失敗だらけの人類史 英雄たちの残念な決断 (ビジュアル讀本) | ステファン・ウェイア, ナショナル ジオグラフィック, 定木大介, 吉田旬子 |本 | 通販 | Amazon

また、ビジュアル資料もたくさん収録されており、パラパラと見ているだけで楽しい内容です。

他人の失敗談ですから「アラお気の毒」と思いつつも「あ~こういうことあるなあ~」と妙に歴史的人物に共感しちゃったり、「これはやっちゃいそう」と反省することも。

結末を知っているから、わかること

ちなみに あさよるは、メキシコにあったメシカ族(アステカ帝国の後裔)の皇帝が、南アメリカへ侵略しに来たスペイン人を「神」だと勘違いして歓迎してしまうエピソードは、「あ~、これは確認不足なんだけど、勘違いするのもわかるな~」としみじみと。トルテカ地方では「ケツァルコアトル」という神がいて、いつの日か地上に君臨するときは「口ヒゲと白い肌」で現れると予言されていたのでした。そして、口ヒゲと白い肌のスペイン人たちがやってきた。これはもう、この予言がなされた時点で起こるべくして起こった失敗に思えます。

また、クレオパトラの失敗は、歴史の結末を知ってる私たちだから冷静に見れますが、渦中にいた彼らは、なにがどう転ぶかわからないギリギリの外交をしていたのでしょう。結果的に、彼女は恋に生き、二つの王朝を終わらせました。

一番最後の章は、2004年に起こったスマトラ沖地震の津波被害について。インド洋では100年くらいの周期で地震による津波被害があることを知っていながら、大きな準備をしていなかった各国の政府を批判します。しかも皮肉なことに、なんの対策もない地域では潮目や動物たちの異常に気づき非難した人が多かった一方で、津浪対策が行われていた地域ほど被害が大きかったのです。つまり、不十分な対策によって、逃げられるはずだった人々が災害に巻き込まれたのです。ウィーンにある包括的核実験禁止条約の事務局では、インド洋で地震が起こったを察知していましたが、クリスマス休暇中で誰もいませんでした。米軍基地は地震の情報を持っていましたが、誰に連絡すればよいのかわかりませんでした。

これらは、歴史の結果を我々は知っているから、あまりにもお粗末な失敗に眉をひそめてしまいます。しかし、その渦中にいた人々は、事態を飲み込めないまま行動していたでしょう。失敗を肯定しているのではなく、今現在の我々も「失敗と気づかずにやっている行動があるのでは?」と翻って考えるのがよさそうです。未来の人から見れば、愚かな失敗を今まさに犯しているのかも。

次に読みたいのは、コレ↓

本書『失敗だらけの人類史』と一緒に読みたくて気になっているのがこれ↓。

『世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語』

読書メーターでフォローしてる方が読んでらして、ずっと気になっている本です。『失敗だらけの人類史』と併せて読みたいとチェックしておりました♪ 期待!

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メンタリストDaiGo『1分間の心理革命。』|洗脳もモノは使いよう?

こんにちは。あさよるです。メンタリストDaiGoさんのYouTubeライブを時々視聴するので、続けてDaiGoさんの本を手に取ってみました。ニコ生放送をなさってるそうですが、あさよるはめっきりニコ動にログインしなくなってしまっております(;’∀’)

メンタリストDaiGoさんは、メンタリズムという人間の心理学や、行動のクセを利用したライフハックをたくさん発信なさっておられます。読書家の方で、ライブ配信でも、背景に膨大な蔵書が収蔵された書庫を背景にお話されていて、良いですなあ~。あさよるもあんな書庫のような部屋が欲しいです(*´ω`*)

人生相談にメンタリストDaiGoさんの一問一答

本書『1分間の心理革命。』は、メンタリストDaiGoさんが相談者からの話を受ける人生相談形式の内容です。1つの質問につき、1分で読める程度の短い回答が用意されています。といっても、“たった1分=内容が薄い”わけではなくて、全く同じ状況でも、解釈が変えると見えるものが変わるような、面白い回答です。

本書は全4章で、「【第1章】1分で自分を変える。」「【第2章】1分で対人関係を変える。」「【第3章】1分で仕事&勉強を変える。」「【第4章】1分で恋愛を変える。」と、今ある現状から、別の状態へ「変わりたい」と望んでいる人の質問が集められています。

「変わりたい」あなたへ

本書『1分間の心理革命。』は「革命」とあるように、天と地がひっくり返るような、視点の入れ替えがたった1分で読める程度……ページにして4ページほどでなされています。「変わりたい」と望む人は、目から鱗が落ちたなら、あとは行動したい。だからサクっと1分で読めるのも嬉しいところ。

自分を変えるには

第一章は、自分を変えたいという悩みに答えます。「夢中になっていたSNSがだんだんストレスになってきた」という相談には、「いっそ○○がない生活」をしてみようという提案が。意外と、電話の電源を切っても、時計を見ない日があっても、全然大丈夫だったりする……というか、ここでは、生活にメリハリがつくことで生産性が上がったというDaiGoさんの体験談を添えて。それにしても、本書では

若者がSNSに費やす時間は1日に5、6時間ともいわれているそうですが、いくらでも新しい事に挑戦できる青春時代の、膨大な時間をSNSに費やすなんて本当に本当にもったいない!(p.12-13)

とあって、確かに1日5、6時間ってとんでもなく膨大な時間に唖然としました。た、確かに あさよるも、若い頃はそれくらいSNSやTwitterやってた時代もあるかも……。この時間を自分の意志の下有効に使うだけでも、簡単に「変われる」と思う……(;’∀’)

アガリ症の克服には、失敗しても恥ずかしくないと思えるくらい恥ずかしいことを自分でやろう!という逆転の発想w あさよるもアガリ症の気があるので、度胸試しで、顔から火が出るような恥ずかしいことを、やってみると良い!?

ダイエットの話題。痩せるためには「○月×日までにどの水着で誰と海へ行く」等、具体的に予定を先に決めてしまうと、否が応でも間に合わせなければならないので有効。あえて理想の体型のサイズの洋服を用意して、それを着れるようになることを目標にしても良い。

アンチエイジングや「神頼み」したくなるような恐怖との対峙方法などが解説されます。

対人関係を変えたい

第2章は対人との関係を「変えたい」お悩み。本音が顔に出やすい人は、それを隠す方法はあるの? という問いには、一瞬でも顔に出てしまうのは人間の特性であると説明し、「本音とは別リアクションをさっと出せるように訓練する」という提案がなされています。ナルホド。

メールが素っ気なさすぎると注意された人には、人の心をつかむ「人たらし」になる訓練としてメール術を究めるように指導なされています。ほら、いるじゃん、メールやLINEの返信が遅いのなんのって文句を言って、ますます返事がウザくなる言動をする人。あれの逆バージョンです。思わずもっと返事をしたくなるような、相手の懐にスッと入り込む「人たらし」になれるテクを、メールで得とくしましょう。

芸能人と友達になりたい相談者には、「芸能人と出会ってもファンだとか、サインや写真をねだらないように」と注意がw そうした瞬間から「芸能人とファン」という関係性になってしまい、願望である「友達」にはなれません。それの応用編として、「サービスを提供する人とお客様」という関係性を上手に作ることで、仕事を呼ぶこともできます。

美人の親友に嫉妬して、合コンに呼ばない自分の小ささがイヤになるという悩みには、「嫉妬心は自分と同じかやや上の相手にしか湧かない」と前置きしてから、「美人」以外の物差しを持てば、引け目もなくなると紹介されます。この相談者さんの場合は、合コンの幹事をする方らしく、人を集めて場をセッティングする能力に自信を持つよう励まされています。あと、もし超完璧な人がいたとしても、その人は人間関係では浮いてしまう存在。凸凹があるからこそ、みんなと上手くやれるのです。

仕事や勉強の仕方を変えたい

第3章は、仕事や勉強の成果を上げたい人へ。TODOリストを作っている人は多いでしょうが、TODOリストは「忙しいからできなくても仕方がない」とネガティブな言い訳に使ってしまうこともあります。まずはTODOの項目の数を減らしましょう。「やらない」と決めて、やめてしまうことも必要です。

毎週金曜に飲みに誘われる上司がウザいという人には、ウザ上司を自分の思いのままに動かして、チャンスにしようという、メンタリストらしい提案が。飲み会の翌日はお礼のメールを出すのですが、その内容は事実3割、願望7割という非常に自分の都合の良いものにしておくこと。上司も酔っていたなら、テキトーに事実をねつ造してもいいし、シラフだったなら「私はこう受け取りました」と無理くり事実をねじ曲げる(笑)。人間とは不思議なもので実際とは異なる記憶であっても、相手に誘導されると、それに合わせた記憶を作ってしまうのです。

多い日には1日に30冊もの本を読むというDaiGoさんへの、読書法の質問も。DaiGoさんによると

①同ジャンルの本を5~6冊読む
②7~11%必要情報を獲得する

p.125

とまとめられています。また、感情的に読書をすると記憶に残りやすく、絵を描いてみたり、著者に話しかけるように読むことも記憶には有効だそうです。

恋愛を変えたい

最後は恋愛についての質問。まず、ずっと気になる友人に告白したいという人には、告白は晴れた日にすべきと提案されます。なんでも、

まず基本的に、告白は晴れた日にするべきです。雨の日よりも、晴れの日の方が人間は説得されやすいという研究結果があります。これは、仕事の営業も同じで、雨の日は闇雲に動かず、晴れの日に向けた準備に充てるのが賢明です。逆に、晴れの日にお客さんに会わずデスクワークをするのはもったいない!

それから告白は、夜や、暗い場所で行うのがベター。心理学的に有名な暗闇効果の力を借りましょう。アメリカの心理学者ケネス・J・カーゲンが、明るい部屋と暗い部屋、それぞれに、恋愛関係にない男女ペアを入れて実験したところ、明るい部屋では2人が次第に離れていったのに対し、暗い部屋では、なんと寄り添い始めました

p.136-137

決戦は晴れた日の夜ということですな。まとめとしては、

①晴れた日に②暗い場所で③右耳に④紫をつけて⑤デートは2回セット(p.139)

だそうです。

で、デートはベタに夜景がきれいな場所が良いそう。その理由は9つもあって、かなり効果的。ざっくり言うと、①視覚が制限されると聴覚がよく働き口説き言葉が届きやすい。②暗がりで薄明かりをジーっと見ていると人は暗示にかかりやすい。③暗闇では瞳孔が開くが、恋をしても瞳孔が開く。人の脳は、恋したから瞳孔が開いているのか、暗いから開いているのか判断できない。④オレンジ色の光が多い夜景は、心を感情的にする。⑤夜景が見える高いところは“吊り橋効果”発動。⑥海辺の夜景スポットを狙え!嗅覚にも訴えかけるのだ。⑦行き先を伏せて夜景スポットへ連れ出すことで、どこに行くのか不安になった後に、美しい景色を見ることになり感動する。⑧恋愛映画のラブシーンでは肘をつつくなど、軽くボディータッチを。⑨明るく会話していたのに、夜景を前に寡黙になって、ギャップ萌え! ということで「夜景デート」ベタ中のベタですが、ベタになるだけ間違いないということですね。

夫婦円満のコツや、浮気防止、カマかけテクも紹介されます。

困難からチャンスへ変える

本書は、人のお悩みにDaiGoさんがメンタリストとしての回答を提示するものです。どのQ&Aにも共通しているのは、ネガティブで憂鬱な話題を、視点を変えることでポジティブで絶好のチャンスに変えてしまうということです。先に紹介した例の中では、毎週飲みに誘ってくるウザい上司を、自分の都合の良いようにコントロールしてしまおうという提案はまさに(笑)。だけど、そういう「話の持って生き方」が上手い人って居ますよね。ちゃっかり、自分の都合を相手に飲ませたり、自分の居心地のいい関係性を上手に作る人がいます。そういうテクを使ってたのか……。

また、恋愛編も面白い……。DaiGoさんの恋愛本は以前に読んでブログでも紹介したんですが、なかなか納得してしまうんですよね~。夜景はテッパンであることや、欲しいプレゼントをもらう方法とか、プレゼンとをより効果的に渡す方法とかね。実践的なんですよ。ちょっとした工夫と配慮だけで、同じ行為でも人の感じ方は変わるのだ。

あさよる的、メンタリストDaiGoさんの面白いところ

あさよるが考えるに、メンタリストDaiGoさんの話の面白いところは「真新しいことを言わない」というところだと思っています。すでに広く知れ渡っていて、それなりに裏付けもある話を展開していくからこそ、手堅く人の心を動かせるんじゃないかしら。

同じような主旨の本は『夢をかなえるゾウ』でしょう。これは、ゾウの頭をした商売繁盛の神様「ガネーシャ」が、ビジネス書に絶対書いてあるような「常識」を主人公に聞かせて、その通りに行動させ成功へ導く物語です。ガネーシャは神様ですが、DaiGoさんは「メンタリスト」と名乗ることで、話に注目させておられます。

天才や超人でなくても、知識の量と実践で、人の心って上手に動かせるというのは、多くの人にとって励みになるんじゃないだろうかと思います。

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『ユニクロ潜入一年』|ブラックバイトへカリスマ社長の招待状

こんにちは。突然春めいて着る服がない あさよるです。ブログではいつも着る服がないと書いている気がします。ないんです。みんな大好きユニクロですが、あさよるの行動範囲にユニクロ店舗がなくて、実はあまり利用する機会が少ないんです。アクセスしやすいのは超大型店で、あまりにも売り場面積が広すぎて、店の前でうんざりして帰ってきてしまうんですよね。「店員さんも大変だなあ」と思っていましたが「やっぱり店員は大変だった」と本書『ユニクロ潜入一年』を読んで知りました。

本書『ユニクロ潜入一年』は著者の横田増生さんが、実際にユニクロ店舗の面接を受け、アルバイトとして働いた1年間の記録です。ユニクロの過酷な業務内容と共に、著者が接客業に喜びを見い出している様子や、真面目に業務をこなす様子など記録されているルポルタージュです。

ユニクロ帝国の光と影・柳井正社長からの招待

本書は、2011年3月に著者の横田増生さんが出版した『ユニクロ帝国の光と影』が発端となって始まります。ユニクロの国内店舗と中国の委託工場での労働環境について言及したことが、同社の「名誉棄損」に当たると、ユニクロが出版元の文藝春秋宛に通告書が送られてきたのです。横田増生さんは何度もユニクロに取材を申し込み、柳井正社長との対談もやっと一度だけかないましたが、それ以外は広報への取材もかないませんでした。にもかかわらず、取材もせずに誤った記事を掲載しているというのが、ユニクロ側の言い分でした。

結果的に2014年、最高裁がユニクロ側の上告を却下し、文藝春秋側が裁判に勝ちました。「事実誤認はあったか」という著者の問いに、ユニクロの広報部長は「それはなかった」と答えました。事実誤認はなかったのに、訴えられた。結果、文春側が勝ったが、今後ユニクロについて言及する記事を書けば「面倒くさいことになる」と知らしめるには十分だったでしょう。

さらに著者は、ファーストリテイリング社の中間決算会見に締め出しを食らっっており、裁判に勝ったのにそれでも出席しないで欲しいと連絡がなされます。理由は、

「柳井から、横田さんの決算会見への参加をお断りするようにと伝言をあずかっています」p.6

というもの。

相手がその気ならばと、横田増生さんは、合法的に名前を変え、実際にユニクロ店舗でアルバイトとして1年間務めた記録と、そして中国やカンボジアでの委託業者への取材をまとめたものが、本書『ユニクロ潜入一年』です。

ユニクロで一年働いてみた

ユニクロ店舗でアルバイトを始めた経緯は、ほかにない柳井正社長直々に「招待」があったからです。2015年3月号の雑誌「プレジデント」にて、柳井正社長のインタビューを記事を読んだことから始まります。

 世間ではユニクロに対してブラック企業だとの批判があるという質問に対して、柳井社長は、「我々は『ブック企業』ではないと思っています(中略)」『限りなくホワイトに近いグレー企業』ではないでしょうか」と答えたのち、「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね」と語っているのを見つけた。
この箇所を読んだとき感じたのは、「この言葉は、私への招待状なのか」というものだった。つまり、私にユニクロに潜入取材してみろという、柳井社長からのお誘いなのだろうか、と思った。

p.46

横田増生さんは一旦、奥様と離婚し、奥様の姓で再婚し、合法的に姓を変え、ユニクロ店舗のアルバイトに応募します。日本ではこのような記者が企業内部に潜入取材すること珍しいですが、海外ではよくあるそうです。また、香港の人権NGO団体のSACOM(サコム)が、ユニクロ下請け工場の潜入レポートを行い、違法な長期労働を指摘しました。彼らの働きも、横田増生さんを刺激したと言います。

ということで、ユニクロのイオンモール幕張新都心店、ららぽーと豊洲店、ビックロ新宿東口店の3店舗で実際に足かけ1年強アルバイトが始まります。まず心配なのは年齢です。1965年生まれの横田さんはユニクロ潜入時の2015年には50歳です。この年齢でアパレルのアルバイトに採用されるのか?と気になりますが、3店舗とも即採用で即勤務が始まりました。ユニクロ店舗では深刻な人材不足に陥っているようです。

人材不足が顕著なのは、アルバイトの中にかなり多くの外国人が採用されていることからもわかります。当初は、外国人のお客様へ対応するためのスタッフかと思われましたが、実際にユニクロに訪れるお客様のうち、外国人は1割にも満たないそうで、外国人スタッフの数が多すぎます。ユニクロ店舗は常に人手不足でてんてこ舞いな上に、日本語が堪能ではないスタッフが多数いることで余計に業務が増えています。それでも、なんの改善もなされておらず、慢性的な人手不足であることがわかります。また、横田さんは英語が堪能で、外国人客の接客に当たることが多かったそうです。ユニクロではかつて、社内では英語が公用語だと発表されていましたが、いつの間にか雲散霧消してしまっており、正社員も英語を使えない人が多いそうです。外国人客が増えているのに英語を話せるスタッフが不足しており、かつ、社内では外国人を雇用しコミュニケーションが取れていないという、「やりにくい」感じがよく伝わってきます。

ユニクロ店内の労働環境は、その店舗と、店長の手腕によってかなり違っている雰囲気です。最初に働き始めたイオンモール幕張新都心店では、店長も人格者で、働きやすそうです。しかし、最後にバイトをしていたビックロ新宿東口店は、雇用状態も店内もむちゃくちゃで、ユニクロバイト経験アリの横田さんも疲弊しきっています。

また、ユニクロのカリスマ柳井正社長のワンマンぶりに、末端のアルバイトまでが振り回されている様子が伝わります。バックヤードには「部長会議ニュース」が貼り出され、従業員の全員が目を通します。そこでは柳井社長の言葉が掲載されており、コロコロと話が変わったり、一貫性のない指示が出されているのですが、「誰もツッコめない」、まさに「ユニクロ帝国」なのです。

中国・カンボジアからのレポート

本書は、ユニクロでのアルバイト勤務の間に、中国やカンボジアのユニクロ委託業者の労働環境の取材もなされています。先に紹介した香港の人権NGO団体SACOMは、工場の問題点を4つにまとめています。

一・違法な長期労働と安すぎる基本給
二・漏電による死亡などのリスクがある危険な労働環境
三・労働者に対する厳しい管理方法と違法な罰金システム
四・労働組合がなく、労働社の意見が反映されない職場
こうした労働環境の劣悪な工場を、欧米では“sweatshop(搾取工場)”と呼ぶ。

p.179

もし火災が起これば逃げられない環境にいることを自覚し、恐怖を感じながら働いている労働者や、ストライキに工場が応じず警察が強制的に労働者を排除した問題にも触れられています。ミスがあると罰が与えられたり、過労で倒れ病院へ担ぎ込まれた男性には1日だけ休暇が与えられ、それ以降はまったくの無給になった話や、シフト交代はなく、朝から夕方まで休憩なしで低賃金で働き続けるなど、労働環境が語られます。

体当たりの取材記

ユニクロに足かけ1年間実際にアルバイトとして勤務をし、その間に外国の委託工場の取材を試みた記録である本書。あさよるの感想としてはまず、「イオンモール幕張新都心店ならバイトしたいなあ」というものだった。ユニクロの劣悪な労働環境について暴く内容ではあるけれども、同時に柳井正社長がカリスマ経営者であることもよくわかる構成です。ただ、社長がカリスマであるがゆえに、巨大に成長した会社の末端が見えなくなっており、柳井社長自身が、ユニクロ店舗スタッフがどんな環境で働いているのか、本当に見えなくなっているのではないでしょうか。

そこで本書の結びでも、著者・横田増生さんは柳井社長に対し「素性を隠し、ユニクロ店舗でバイトをしてみる」経験を勧めておられます。

あんなに大きな会社なのに、新人バイトまで社長の会議での発言を知っているというのは「すげーな」というのが本音でした。あさよるもこれまでアルバイト経験をいくつかしましたが、正直社長の名前も知らなかったり、役員の会議の内容も、これからの展望も、バイト風情が知ることはありませんでした。感覚的には、地方の中小企業の社長のまま、日本を代表するようなアパレル企業に成長したのかなぁと感じる。

あと、ユニクロの製品を買わない「不買運動」をしている人が あさよるの周囲にもいます。彼らが言う「外国での劣悪な工場労働」の実態の一部に触れると、確かに「ユニクロの服あんまり欲しくなくなったなあ」と思います。幸か不幸か、あさよるの行動圏内に手ごろなユニクロ店舗がないので(巨大店しかなく商品を探すのが大変)、あまりユニクロで買い物しないのですが、これから志向が変わるかも。

働き方の本

横田増生さんの本

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『誰がアパレルを殺すのか』|「欲しい服がない」の正体

『誰がアパレルを殺すのか』挿絵イラスト

こんにちは。服がない あさよるです。年明けに張り切って春用の服を買ったのですが、なかなか袖を通す気候になりません。春用ワンピースにあわせて、ブーツとジャケットと帽子も買ったのに~( ノД`)

あさよるネットを熟読してくださっている方がこの世に居ればご存知かもしれませんが、オシャレを知らないあさよるは、最近、洋服とかお化粧とか、そういう色気づいた事柄を勉強中です。化粧品を理解するのに化学の勉強をしていたのですが、アパレルを知るには素材や流通のことも勉強しなきゃなあと思っています。そこで、目についたのは『誰がアパレルを殺すのか』という、なんともショックなタイトル。なに?アパレルって殺されそうなの!? なにも知らぬ あさよるは、素直に手に取りページをめくり始めるのでした。

アパレル業界の“無自覚な自殺”

本書『誰がアパレルを殺すのか』というショッキングなタイトルは、〈沈みゆく船〉であるアパレル業界にとどめを刺す存在は誰だろうかと問いかけています。アパレル業界の衰退は、景気が悪いからでも、インターネットが主流になったから顧客が流れたからでもなく、本書では“無自覚な自殺”をしていると結んでいます。

本書では、国内の糸・生地のメーカー、染色・縫製業者から、小社・メーカー、アパレル企業・卸売業者、そして百貨店・ショッピングセンター等の小売店まで、アパレル産業に携わる川上から川下までを俯瞰して取材されています。そこで見えてくるのは、川上・川中・川下の完全な分断と、企画を丸投げしてしまうメーカーや、無計画に中国工場を移してしまう、上辺だけトレンドを追ってしまう体制などが指摘されています。

日本のアパレル業界は、戦前に花開き、戦後の好景気に胡坐をかいたまま90年代を迎えます。バブル崩壊後の90年代は、洋服は「どのブランドか」よりも「どう着こなすか」にトレンドはシフトしてゆきますが、アパレル業界は新たなブランドを乱立させました。そして、グローバルな時代の到来により、外国からアパレル業界への参入もありました。現在ではインターネットで服を買うことに我々は抵抗がありません。だからといって、安易にインターネットショッピングに手を出すも、惨敗しているのが、現在のアパレル業界です。

〈お客様〉不在

本書では現在のアパレル業界の状況と、これまでの変遷が2章にわたり紹介されているのですが、驚くのは「お客様」がどこにもいないことです。消費者に提案すべきスタイルや、お客様が何を求めているか等の視点ではなく、「ユニクロが」「ZARAが」「ZOZOTOWNが」と、同業者やデパートや小売店、卸の事情ばかりが並びます。

これが“無自覚な自殺”の所以です。

「景気が悪いから」「円高/安だから」「消費が落ち込んでいるから」ではないのです。

消費者は〈なにか〉を望んでいるのかもしれませんが、アパレル業界が消費者を見ていないので、我々はいつまでも満たされません。

躍進する企業もある

アパレル業界が苦戦する中、反対に売り上げを伸ばしている企業もあります。例えば、「nutte」は、縫製職人とオーダーメイドを望む消費者をマッチングするインターネットサービスです。本書では、加齢で背中が丸まってしまった母親が、結婚式に出席するためのドレスを受注した事例が紹介されています。既製品では体に合わず、要介護なので、脱ぎ気がしやすく、見た目にも華やかなドレスが提案されました。

「メルカリ」を利用なさっている方は多いでしょう(あさよるも、めっちゃ使ってますw)。「メルカリ」は〈フリマアプリ〉と呼ばれる、フリーマーケットのように誰もが物品を出品できるサービスです。値付けは出品者が行います。ヤフオク!一人勝ちだった市場に、ヤフオク!からオークション機能を取り払った「メルカリ」が席巻しました。「メルカリ」の特徴は、物を多くの人たちが「シェアしている」感覚に近いことです。着れなくなった子ども服が、人から人へ譲られていきます。同じ商品がなんどもメルカリでやりとりされていくのです。そして、その売上金で、別の〈お古〉を買うのです。

限りなく受注生産に近づけロスを出さず、セールを行わないことで、低価格で商品の提供を努力する企業もあります。

既存のアパレル業界は“無自覚な自殺”をしようとしている最中、従来のしがらみや概念を持たず、新しいサービスとしてアパレル業界に参入してくる企業もあります。そして、そこで成果を出している人たちがいることも、忘れてはなりません。

競合は他のブランドじゃない

アパレル業界は、慢性的な人材不足を抱えているそうです。それは、小売店に立つ店員です。かつて、ショップ店員は流行の先端であり、若者の憧れの存在でした。しかし現在では、アパレルのショップ店員は「ブラック」だと認知され、避けられる職種になっています。実際に、過酷な業務であるにもかかわらず、アパレルの正社員の平均年収は、全国平均に届いていません。また、ブランドの洋服を購入し試着して出勤するため、収入のほとんどが衣装代になることもあるそうです。

そして、アパレルブランドには設定する年齢層があり、その年齢を過ぎると、同じブランドで働き続けられません。そこから、内勤や買い付けなどの裏方業に回るしくみもなく、多くのアパレル店員は「使い捨て」が慣例だそうです。また、資格や能力によって昇給する仕組みもないため、多くのスタッフに活気やモチベーションが保てません。業界のしがらみ・慣例で、店舗に立つスタッフたちの待遇や状況により、〈お客様〉の存在はなくなっています。

アパレル業界は、まずは優秀な人材を集めなければなりません。それは、隣のアパレルブランドを視察することではなく、ベンチャーや、IT企業や、新進気鋭の業界から、生え抜きを探し出さねばならないのです。にも拘わらず、アパレルブランドは、他のブランドとの差別化や、世界の他のアパレル企業ばかりを気にしていると指摘しています。

「欲しい服がない」

『誰がアパレルを殺すのか』挿絵イラスト

本書『誰がアパレルを殺すのか』では、「欲しい服がない」という消費者の本音に触れられています。そう、欲しい服、買いたい服がどこにも売られていない! 今、フリーサイズで、袖付けの位置が低いダボダボの服ばっかり売ってて、どのブランドも似たりよったりで困っていました。あさよるは、自分のサイズで、肩の位置が合った服が欲しいのに。この冬は「オーソトックスな型紙のピーコートが欲しい」と探し回りましたが、なかなか見つからず難儀をしました(;’∀’)

そしていい加減「欲しい服がない」のは仕方がないとして、「自分で服を作ろう」と、夜な夜なPinterestで洋服のシルエットを考えたり、型紙探しを始めています……。本書の「欲しい服がない」という指摘を見て初めて、あさよるが困っていることの意味を理解しました。そうか、ホントに、わたしたちが着たい服は売られていないのか。

そして、先ほども紹介した「nutte」というサービスを知り「プロの人にオーダーメイドしてもらいたい!」なあと思いました。値段もオーダーメイドにしては手ごろみたいだし。

みなさんも、アパレル関係で感じる「違和感」があるなら、本書に当たってみると、ちょっと理解が深まるかも。

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『歩き方で人生が変わる』|歩幅と速さでステイタスが変わる?

『歩き方で人生が変わる』挿絵イラスト

こんにちは。ヒールでカッコよく歩きたい あさよるです。普段はアシックスのテニスシューズを愛用しているのですが、この冬、お出かけ用にヒールのあるブーツを買いました。カックンカックン歩くのはダサイので、試行錯誤しながら歩き方の練習中です。

YouTubeでヒールの歩き方の動画を見ると、ウォーキングの先生によって微妙に指導が違っていて、順番に試しています。

ハイヒールで颯爽と歩けるとめっちゃカッコいいし、「これモテるんじゃね!?」とウキウキしていましたが、どうなんでしょう~。

ちなみに先週、新しいローヒールのブーツを買って、試し履きで見事に靴擦れをしてしまいまして、現在ケガの治り待ち。ひもをしっかり結んで、サイズを合わすのを怠っていました……。歩行のためには、しっかり準備して万全じゃないと、あさよるのようにケガをしたり、足腰にきますから、正しく安全にやりましょう……。

ということで、歩き方、わたし、気になりますっ!

ステイタスで歩き方が違う?

本書『歩き方で人生が変わる』では、その人のステイタスによって歩き方が違う、という事例から始まります。まず第1章は、世界の著名人たちの歩く姿の写真から。

ジョン・F・ケネディは難病を抱えており背中が丸まっていますが、それでも歩幅を大きく取り、堂々とした様子。オバマ元大統領は、ご存知のように颯爽と歩く姿が、若い指導者らしくカッコいいですね。小泉元総理大臣も、背筋をシャンと伸ばして、姿勢よく歩いています。アップル社のスティーブ・ジョブズは歩幅が小さく、内省的なイメージで、堅物なクリエイターらしい歩き方です。みんな、その人の生き方や立場が、歩く姿に現れています。

アンケート調査では、年収が高い人ほど歩行速度が高い、という結果があります。年収が1千万円以上の人と、年収が400万円未満の人の歩行速度は、約1.2倍の違いがありました。また、年収1千万円を超える人たちは、一日の歩行数が8千歩を超えています。著者の長尾和宏さんは「一日8千歩」を健康の目標に掲げています。年収が高い人は、健康的な生活をしているとも言えますね。年収が高い人ほど、健康にとても気を使う人が多く、定期検診も欠かさないそうです。

反対に、世帯年収が200万円未満の家庭は、一日の歩行数が明らかに少ないのです。本書では、男性でおよそ1300歩、約900メートル。女性でおよそ500歩、約250メートルと計算しています。また、低所得層ほど食事も穀類、つまり糖質に偏り、野菜や肉が少ないのも特徴です。すなわち、お腹にたまりやすいジャンクフードが多いのです。歩かない習慣と太りやすい食事により、世帯年収200円以下の家庭では、肥満が明らかに多いことは知られています。現代の貧困は、生活のクオリティの著しい低下だと啓蒙しています。

また、著者の長尾和宏さんは夜間高校の校医をなさっていて、子どもたちの不健康に直面し、彼らの将来の病気が見えるようだと仰っています。夜間高校へ通う多くの子どもたちは肌はカサカサ、アトピー性皮膚炎も多く、痩せて体が曲がっている状態の子や、心肺機能や心臓に負担がかかっている子が見られます。あるいは、15歳にして100キログラムを超える病的な肥満を持っている人もいます。

医師として患者や地域の人と接してきた経験から、簡単で今すぐできる健康習慣として「歩く」ことの必要性を解くのが本書です。と言っても、重苦しい考えるよりも「颯爽と歩けるとカッコいいよね!」「モテるよね!」って、前向きに「歩く」に取り組むことが推奨されています。

正しいフォームでよく歩く

本書『歩き方で人生が変わる』の主張は簡単です。正しいフォームでよく歩きましょう。一日8千歩推奨です。以上おわり!解散っ!

病院を選ぶときは、歩行が身体に与える影響を分かっている医師を選ぶようにとも薦められています。薬を処方する前に、どれくらい運動しているのか質問する医者がよろしい。じゃなきゃ、まずは一旦「薬は飲みたくない」と主張してみて、生活習慣の改善を指導する医師を選びましょう。

認知症にも、歩行はよいそうです。というか、そもそも認知症の患者が〈徘徊〉してしまうのも、「歩きたい」という欲求をそもそも持っているからです。

本書では、人間の尊厳をこう紹介されていました。

人間の尊厳とは、食べること、排泄すること、そして移動することです。

p.4

病気になっても、歳をとっても、遠くへ移動して、旅行して、新しい景色に出会うたびに表情が豊かになります。できれば、どんな状況になっても、少しでも自力で移動できるようにいたい。そのためには、まずは今すぐ改めるべきは「歩き方」です。

残念ながら、年齢を重ねて歩行が難しくなる人は、中年の頃からその予兆があるそうです。真っすぐ、スクッと立って、歩きましょう。

生活習慣は変えられる

『歩き方で人生が変わる』挿絵イラスト

本書は『歩き方で人生が変わる』という、「歩行」に焦点を当てたものですが、生き生きと〈えびす顔〉で生きるためには、人間関係を築くために必要な感情のコントロールや、思考や行動力が必要だと説いておられます。本書ではこの〈えびす顔〉を〈セロトニン顔〉と呼んでいます。興奮をおさめ、リラックスに必要な脳内物質〈セロトニン〉を作るための生活習慣として「よく歩く」ことを推奨されているのです。

本書では「生活習慣は変えられる」という前提で語られています。今姿勢が悪くても、今歩いてなくても、今歩くフォームが悪くても、一日1分でもいいから、歩きましょう。少しの意識の積み重ねが、どんどん積み重なって、大きな違いを作ってゆくのです。

また、自分が病気になったり怪我をしても、歳をとっても「歩く」という尊厳だけは諦めちゃダメなんだと知りました。なにより、真っすぐ背筋を伸ばして、颯爽とスマートに歩けるとカッコいい! カッコいい人になりましょう^^

とりあえず8千歩!

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『仕事は楽しいかね?』|くだらない失敗が、チャンスを呼ぶ

こんにちは。あさよるです。今日(2018/3/20)は久々に京都の美術館をハシゴして回ろうかと練っていましたが、天気予報が悪いのでやめ。春休みが始まるし、これはもう行かないパターンだなあ。春の京都なんて人が多すぎる。「こうしよう」と思ってても、思い通りにいかないものですねぇ。

今回手に取った『仕事は楽しいかね?』は、悪天候で足止めされた空港からお話が始まります。「こんなこともあるだろう」と分かっていながらも、イライラしちゃうシチュエーションです。そんなとき、たまたま出会った老人が、自分の生き方を変える人物だったら……。これを「ラッキーな物語」だと思う人もいれば「アンラッキーな話」に思う人もいるでしょう。だって、もしかしたら自分にも、主人公と同じように、千載一遇の出会いがあったかもしれないのに「見落としていたかもしれない」と気づいてしまうから……。

本書『仕事は楽しいかね?』は、お話ですから、一度逃したラッキーが、向こうから引き返して戻ってくるところから話は始まりまります。ありえないフィクションです。

老人からの金言集

本書『仕事は楽しいかね?』は、悪天候で足止めされた空港で出会った老人との対話形式で話が進んでゆきます。最初は老人を軽くあしらいますが、のちに彼が発明家・起業家として巨万の富を築いた人物だと知ります。

「あぁあ、名刺も渡さなかったし、そもそも嫌な印象を与えてしまった。」

こんなシーンから始まります。主人公は、目の前に現れたチャンスを、知らなかったとはいえ、棒に振ってしまったのでした。成功者のエッセンスを吸収できたかもしれないのに。

多くの場合は、これでおしまい。後から嘆いたところでチャンスが二度と振り向きません。しかし、これは物語ですから、再び老人は主人公の前に現れます。そして、あろうことか、成功者の金言を主人公の若者に残すのです。

失敗していい

本書『仕事は楽しいかね?』で老人が若者へ告げる金言は「失敗していい」「チャレンジを続けよ」「偶然のアイデアを探しなさい」という、至極当たり前のことを、実例を挙げて根気強く語り掛けます。多くの人は、そんなことわかっていても、実際に実行できずにいるのではないでしょうか。

成功者と呼ばれる人たちは、地道で地味な作業を真面目に繰り返してきただけであることが、本書を読んでいるとよくわかります。そして多くの場合、成功のきっかけは「偶然」で「くだらないきっかけ」だったりします。

コカ・コーラは、風邪薬を風邪もひいていないのに水に溶いて飲んでいる人を見て、マネをしてみた結果「さらに炭酸でシュワーっとすれば美味しいのでは」と思ったことです。あの有名なコカ・コーラのロゴマークは、伝票に商品名を書いた文字をそのまま使いました。ただの偶然の、くだらない思い付きの連続が、現在のコカ・コーラになったのです。

くだらないことの連続。その中に

くだらない、小さな思い付きの中に、偶然の組み合わせでアイデアが生まれます。大事なのは、偶然のアイデアを逃さないこと。それは、たまたま空港で出会った老人を会話をするくらい、偶然にチャンスが訪れます。そして多くの場合、準備不足でチャンスをみすみす逃します。

大事なのは、虎視眈々とチャンスを待ちながら、多くの偶然を生み出すかです。そのためには遊び感覚でどんどんやってみて、どんどん失敗して、どんどん偶然を増やしてゆくのです。いつか、素晴らしいアイデアがやってくるまで。そして、素晴らしいアイデアにふさわしい自分を用意しておかねばなりません。

アイデアは古いアイデアの中にある

この話では、新しく素晴らしいアイデアとは、古いアイデアの偶然の組み合わせの中で生まれるとされています。くだらない、目も当てられないようなアイデアでも、組み合わせ方次第で真新しいものに変身し得るのです。

だから、どんな些細でしょうもないアイデアでも、書き留めておけばよいのです。これが「失敗してもいい」という理由。失敗したアイデアも、後々「使える」瞬間がやってくるかもしれないから。

偶然の組み合わせから新しいアイデアが生まれる、アイデア発想法の定番と言えば『アイデアのヒント』をどうぞ。

チャンスは突拍子もなく現れ去ってゆく

あさよるも昔、みんなが知っている〈有名人〉とたまたま偶然同席したことがあって、その時にショックだったのは「ポートフォリオがないっ!」ということでした(苦笑)。当時あさよるはデザイン生で、ポートフォリオを持ち歩くよう指導されていたし、あさよるも「そんなの当然」と思ってたのです。なのにその時、ポートフォリオを持っていなかったんですね~。帰宅後、急いでポートフォリオを印刷してしばらく持っていましたが、近年長らくサボってますw 本書『仕事は楽しいかね?』を読みながら、上記のエピソードを思い出して、「ああ、ポートフォリオ作らないと(;’∀’)>ボリボリ」と反省しました。

「仕事は楽しいかね?」ってタイトルも沁みますねえ。「がんばってますっ」「この仕事がしたいですっ」って口では言ってるくせに、自分の仕事を紹介するポートフォリオすら持ってないって、そりゃ「ホントに仕事は楽しいの?」と聞きたくなります。本書の主人公も、老人に自己紹介として「そこそこ給料をもらっている」ことと、仕事のグチしか出てきませんでした。

チャンスというのは、ある日突然舞い降りてきます。そして、その瞬間に消えてなくなってしまいます。一瞬のチャンスを常に待ち構えていないと、捕まえることはできないんです。あさよるも経験から知っています。サボってましたが。反省しました(;’∀’)

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