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『モヤモヤするあの人』|読むほど常識がゲシュタルト崩壊

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

この本めっちゃモヤモヤするー!!/(^o^)\

やばい、読み始める前のモヤモヤのない世界に帰りたいww こんにちは、あさよるです。ああ、そんな大したこと書いてある本ではないハズなのに、なんだかすごくナンセンスでおかしな話が展開されている気もする本に遭遇してしまった~。サクッと簡単に読めるコラム集で、一つ一つの話はそう、そんな大それた話をしてるワケじゃないのに、読了後なんか「生きるとは」みたいな、でっかいことを考えてしまったww

それにしても、あさよるにとっては知らなかった常識をたくさん仕入れることができたので良い読書でした。

追記(2017/07/24)

著者の宮崎智之さんからメッセージいただきました(^^♪

これはアリ?ナシ? あの人は一体何?

本書『モヤモヤするあの人』は、巷の「なんとなくモヤモヤする話」を集めた本です。著者の宮崎智之さんは「人間観察」が趣味という。

人間観察は、場所や時間を問わずに行われる。ある時は、カフェの隣の席で怪しげな勧誘をしている若い女性に目がいき、ある時は、バーで女性を口説こうとしている40代後半の小太りなおじさんに目がいく。おじさんは、弁護士事務所に勤務していると名乗っているけど、手相占いと称して女性の手に触ろうとするその行動は、法律的にセーフなのだろうか。
また、駅のホームで固く抱擁しながら海藻のように揺れている謎のカップルにも、ついつい目を奪われてしまう。大人なんだから終電を気にせずホテルにでも行けばいいと思うが、そうもいかないのだろう。もしかしたら不倫なのかもしれない。それにしても、この手のカップルに美男美女を見たことがないのは、なぜだろうか。
ビジネスシーンもモヤモヤの宝庫だ。スーツにリュックで営業先に行くことは失礼にあたるのか。大雪が降っても定時に出社しなければいけないのは、どうしてなのか。SNSで嫌いな上司から友達申請が来た場合、部下はどう対応すればいいのだろうか。

p.4-5

「とるにたらない話題」と称されているんだけれども、ああもう、こうやって指摘されちゃうと気になり始めて仕方ない。「終電間際の駅で〈海藻〉のように揺れているカップル」ってw 確かに彼らは何をやってるんだろう。別れを惜しんでいのだとしたら、二人はそれぞれの自宅に分かれ分かれ帰宅するのは決まっているということなのだろうか。言われてみればホテルでも行けよ、という気もする。

「スーツにリュックはアリか」というのも、言われるとすごく気になる。いるよね、リュック背負ってる人。通勤スタイルとしてはリュックは便利でいいと思うけど、あれでお客様の前に出るにはカジュアルすぎるような気がするなあ。通勤用と、勤務中用のカバンを2つ用意したらいいんじゃないかと思うけど……。

本書は大きく2つの章に分かれている。「これはアリかナシか」という二択と、「あの人は一体何なんだ」という問いである。

世界には我慢できることとできないことがある!

本書『モヤモヤするあの人』で取り上げられる話題をかいつまんで、あさよるの主観を交えて紹介してみる。主観が多めなのでご注意。この「モヤモヤ」は、なんとなく納得できないんだけれども、だけど相手を糾弾するほどのことでもない感じ、と言ってもいいかもしれない。

例えば、大きな災害や事件が起こると「不謹慎厨」が沸く。他人の発するツイートやブログ記事に対して「こんなときに不謹慎な!」と怒り始める人たちだ。まあでも、気持ちはわからなくはない。ショックの大きい出来事に出合うと、とてもヘラヘラする気になれないし、そんなときに浮かれたことをしている人と温度差を感じることもある。だけど、だからと言って「不謹慎だ」と憤るほどのことでもないと感じる。社会を揺るがすような出来事であればあるほど、その他の人は「いつもと同じ通りに生活をする」ことが「平穏」を取り戻すために必要な力だ。大変な時こそ「いつもと同じ通りに生活をする」べきなのかもしれない。

少なくともあさよるは、この二つの間で揺れ動く。「いつも通りに生活をする大切さ」もわかるし、だけど浮かれた話題に対しては気持ちをどこに持って行っていいかわからない。いや、浮かれた話題はまだいいけれど、あさよるが動揺してしまうのは「野次馬」的な言動を見聞きすることだ。わざわざ危険な場所に出向いて写真を撮って、それをインターネット上にアップロードすることになにか意味があるのだろうか。自分のツイートもバズると思ったのだろうか。

「モヤモヤ」はそんな、気持ちをどう持って行っていいのかわからないときに起こるんじゃないかと思う。

食べ物の相性は重大だ

本書で最もショッキングだった「モヤモヤ」は、「焼き鳥を串から外して食べる」という常識があるらしいことだった。しかも、ガブっと齧り付けずに串から外すのではなく、「みんなとシェアするため」に串から外すらしい。つまり、一本の串を複数人で分けて……食べる……だと……? そんなん、自分の食べたい串一本頼んだらええやん。

あさよるの世界軸にはそのような慣習がなかったため、とても戸惑っている。あさよる的には、串から外してバラバラにして冷めてしまった焼き鳥はおいしそうな気がしないんだけれども、どうなんだろう。

こういう、食べ物に関する相性はとても重大だ。あさよるも昔、とことん食べ物の好みが合わない人と一緒にいて、ほんとにとてもとても疲弊してしまった経験がある。「この時間帯にこれ食べるの?」って感覚も違うし、「食べ方」も違っていて、食事中の会話も弾まずただひたすら気まずい時間だった。これはかなり堪える。

焼き鳥の串外し問題も同様に、実はとても根が深い話ではないかと思う。ただもちろん、どちらが正しい/間違っているわけでもないし、他人に強要することでもない。ただ「モヤモヤ」するのみである。

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

サプライズは良いこと!?

焼き鳥問題と同じくらい衝撃だったのは「サプライズ」に関する話題だ。サプライズって、あれだ、あの、「フラッシュモブ」とかいうやつだ。公園にデートに行くと突然公園にいた人たちが踊り始めて、彼が最後にプロポーズするとか、結婚式で出席者たちが踊り始めたりするやつだ。あんなの喜ぶ人がいるのかと訝しんでいたが、なんと本書によると、

ネットマーケティングが2015年3月に実施した調査によると、「恋人からサプライズされると嬉しい」と思っている男性は94%、女性は96%にのぼっている。(中略)予定調和を崩す意表をついた演出は刺激的で、胸ときめくもの――。世間の大多数が、そう考えているのである。(p.143-144)

男性94%、女性96%って、圧倒的多数じゃまいか! え!? みんなそんな感じだったの!? サプライズ嬉しいの!? あさよるが空気読めてないことに気づいてものすごくショックでしたorz

あさよる的には、言葉によって、これからの話も話し合える人がいいです……。「サプライズ」っていうけど、突拍子もなく告白やプロポーズしてるんじゃなくって、お互いにもう確信している状態で、最後の口頭の約束をしているんだと思うんだけどなぁ……違うのかなぁ(弱気)。

ちなみに、街中の広告用の大型ビジョンに、自分のメッセージを掲載してもらうのは、割と手の届く値段でできるらしい。サービスをまとめておられる方がいらしたので、リンクのせておきます。

イラつく人にイラつく

街中のモヤモヤの代表格は、電車の中でお年寄りに席を譲ってよいものか……という葛藤です。今の人はみんな若いですから、席を譲ると申し出ても断られてしまうどころか、小競り合いになることもあるそうです(反対に、席を譲らないことでモメることもあるそう)。あるいは、電車の中で赤ちゃんが泣き始めて……イラっとしてしまう。

本書では、著者の宮崎智之さんは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ」というよりは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ人に苛立ってしまう」と書かれていました。あさよるも同じで、別に赤ちゃんの声なんて気にならないんだけど、「イライラする人がいるんじゃないか」「文句を言う人がいたら嫌だなあ」「もし怒る人がいたら、私はどんな行動を取ればいいんだろう……」と、周りの大人たちへの警戒心でピリピリしてしまいます。

「イラつく人にイラつく」状態です。

これにちょっと似ているなぁと思うのは、電車の中で化粧をする女性。電車内で化粧をする行為への是非はともかく、その人がいることで周囲が緊張している感じがツライ……。

まさに「モヤモヤ」ですよね。一旦モメごとが起こったならば、自分はそれに適切に対応するしかないのですが、「モメてないけど、これからモメるかもしれない」という宙ぶらりんの緊張感がモヤモヤします。

化粧ってマナーだったの!?

電車の中で化粧はどうなの? って話題で登場した概念にも驚いた。それは「女性の化粧はマナー」だというもの。え、化粧ってマナーだったの? すっぴんはマナー違反ってこと……? あさよるは「社会人としての最低限の身だしなみ」は男女ともに求められていると思うし、さらに職業によってはより身だしなみに気を遣う職種もあるだろう。しかし、「それ以上に着飾ること」は個人の趣味だと思ってたよ……。ショッキンッ!

非リアとして生きる

「モヤモヤ」は、「リア充」たちに向ける非リアたちの眼差しにも感じます。いや、あさよるも非リアの一人ですから心が痛んだ話。リア充たちはこれでもかとSNSにリア充感満載の投稿をしまくってくる。しかも彼らの投稿が気に障るのは「非リアのために配慮されている」ところだと指摘されていた。つまり「花火大会楽しかった!また来年も行こうね」と写真付きで投稿するんだけれども、「誰と一緒に行ったのか」はボカされている。どうせカップルで行ったんだろうに、非リアに配慮して恋人の存在はぼやかされてるんですってよ! まったく! なんかものすごく言いがかりな気がするw

で、われわれ非リアたちは、「リア充」を心のどこかで見下している、とも紹介されている。センスが悪くて「パーリーピーポーウェーイww」みたいにラベルを張ることで、心を落ち着かせているのかもしれない。

これもまあ、モヤモヤする話ですな。

〇〇ヅラする人々

「彼氏面する男」というのが本書に登場します。別に恋人同士でもないのに、というか、そんなに親しいわけでもないのに、なぜだか彼氏のような振る舞いをする男がいるらしい。服装をチェックしたり、他の男性と話していると「嫉妬する」と告げられるんだって。なぜか女性に対して上から目線なのもポイントだ。

でもこれって、女性版の「彼女面する女」もいるよね。カップルでもないのになんか男性の世話をせっせと焼く人。ああ~、特に親しくもないのに「親友面」する人もいるやねw なんか突然ぶっちゃけ話をしろと迫られたり、「悩みならなんでも聞くから」となにも相談してないのに申し出てくださる人ね。

「意識高い系」だって、別に優秀なわけじゃないのにさも優秀な人間のように振舞ったり、特別な努力をしているわけでもないのに頑張ってる感を出して着たり、忙しいアピールとかね。

おもしろおかしく他人の姿を笑うこともできるけれども、「じゃあ、自分はいったいどうなんだ」って考えると、笑顔が引きつります(苦笑)。あさよるも、ついつい「〇〇ヅラ」してるのかもな~……と、やってるよなぁ~(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)

あさよるもまた、ある時は他人をモヤモヤさせているのだった。

あ~モヤモヤする

『モヤモヤするあの人』はいくら読んでもスッキリしません。わざわざモヤモヤの不快感に突っ込んでいくような本かもしれません。しかし……考えてみると、むしろ現代のわれわれは「スッキリとわかりやすい話」に慣れすぎていて、答えのない問を繰り返すストレスに耐えられなくなっているのではないでしょうか。池上彰さんの解説は確かにわかりやすいし、面白いけれども、やっぱりバラエティー番組として昇華されていて、あくまで「快楽」ですよね。「わかった気になって気持ちいい」んです。だけど、本当の大問題というのは、答えがないから問題であって、30分やそこら、アニメーションや模型を使って解説して答えがスッキリ見つかるわけではありません。

『モヤモヤするあの人』は、なーんにも考えなくなっちゃった頭には、ある意味刺激的です。読めば読むほど「モヤモヤ」が増すんですから。だけど、ものすごーく大きな大問題を扱っているわけじゃなく、あくまで与太話の範疇。仲間内でダベリながらいいネタになるような話ばかりです。

あさよるは、自分の常識とは違う常識をいくつも発見しました。みなさんはどうでしょう~。

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『できる大人は、男も女も断わり上手』|自分勝手な自称・お人好し

『できる大人は、男も女も断わり上手』挿絵イラスト

こんにちは。断れない あさよるです。仕事の話はまあ、責任があるので無理なことは無理と言わなきゃ!と頑張りますが、それ以外の人間関係でのお誘いで「上手に断る」ってのが苦手で、一人勝手にこじれてしまいます。「また機会があれば……」という魔法の言葉も「じゃ、いつにしますか?」と返されると、むしろ誘いに応じていることになりますしね~(;´д`)トホホ

本書『できる大人は、男も女も断わり上手』の著者・伊藤由美さんは、銀座のママ。「銀座のママがそっと教える“カドの立たない”お断りの作法」なんです。人間関係のスペシャリストですよ。期待できますね!

「自称〈お人好し〉」という名の自分勝手

まず、本書の『できる大人は、大人も女も断わり上手』というタイトルについて。なぜ「断わり上手」だと「できる大人」なのでしょうか。理由は明確には書かれていないのですが、本書を読み通すと趣旨がわかります。

それは「断れない人」は「無責任」あるいは「自分勝手」であるという指摘です。無論、本書ではそんなズバリは書かれてないんですよ。あくまで「やんわり」「という趣旨のはなし」です。この辺のお話の持って行き方もさすが、上手いですね。

で、なんで「断れない人」は無責任かというと、そのせいで相手に期待させたり、信じて約束をしたり、時間や手間を取らせてしまうからです。それもただ単に自分の「断るのが面倒だなぁ」という自分の都合で。

曖昧な返事は相手に「忖度」を強いている

断わり下手の人がやっちゃうのは、口ごもって意志をハッキリ示さずに、「嫌ですオーラ」だけ出して苦笑いしてるパターン。これ、やってる本人は「私、相手の気持ちを考えるとハッキリと断れないお人好しなんです」と思っています。はい、あさよるがそうですw

しかし、自分は「何も言わなくても相手が察してくれる」って、かなりムチャな要求を無言でしているのです。あまつさえ、自分の意志が反映されないとき「空気が読めない人だなぁ」と相手に内心苛立ったりしてたりして。あのですね、「何も言わなくても忖度せよ」って、一国の首相でもあるまいし。なにを偉そうにって話ですわな。

自分の意志を自分で告げないことは、相手に「忖度」を強いているのです。

「ありがとう」「すみません」を言わない

あと、自称断わり下手のお人好しは、きちんと筋を通して断らないため、おのずと感謝と謝罪の言葉も口にしません。「誘ってくれてありがとう。今回はやめときます。すみません」と、この一言を言わないんですね。確かに他人の申し出に「ありがとう」もなく、それを退けるのに「すみません」もないならば、社会の中で信用されなくなっても仕方ないのかもしれません。

自称断わり下手さんは、「断る」ことにフォーカスせずに、「お礼を言う」「きちんと謝る」に重きを置けば、言葉にしやすくなるのかも。

災難から逃れる方法

さらに「断れない」ことで、厄介な人間関係に巻き込まれることもあります。相手の好意に感謝しつつも、キッパリと断らないと、相手に期待を持たせ、相手の時間を奪い、そしていずれ「ウソだった」と露見します。

男女の交際の申し入れがまさにそうですね。もったいぶった断り方をすると、「待てば叶うのか」「友だちから恋愛に発展するかもしれない」なんて期待させてしまいます。なぜ相手を期待させてはいけないかというと、その間の「時間」を相手から奪ってしまうからです。キッパリ断られれば、その時は落ち込んでも気持ちを切り替えて、次の恋を探すことができるのに、ズルズルと気を持たせると次のチャンスを奪うんです。交際の申し入れでのテッパンの断り文句は「心に決めた人がいます」。これだと、取り付く島もなく、相手は諦めざるを得ません。

そう、断わり上手の決め手は「相手の立場に立つ」ことです。「言いにくい」「嫌われたらどうしよう」「友だちのままいたいのに」という「自分の勝手」ではなく、大きい意味での相手の未来を見据えて、大人の対応が断わり上手なんです。

断ろう!

『できる大人は、男も女も断わり上手』挿絵イラスト

あさよるも極度の「断わり下手」なのですが、本書を読んでものすごく胸にズッシリきまして、「ちゃんと断ろう」「言い訳はやめよう」と思いました……特にガツンときたのは、断らないことで「ありがとう」と「すみません」から逃げているという気づきでした。礼もあいさつもロクにできないなんて、「できる大人」とは程遠い……。また、自分が「言いにくい」という感情を優先して、相手への配慮にも欠いていました。反省。

「銀座のママ」の説得力たるや、すごい。シンプルな話、よくある話を題材に、ここまでズバっと図星をしつつ、だけど押しつけがましくもないし、イヤミでもないんですよ。あさよるが「自称〈お人好し〉は自分勝手」だと解釈を書いちゃったけども、本書は決して、そんな開けっぴろげに書かれていません。あくまでも、答えをにおわす程度。普通、図星されちゃうと思わず否定したり反発したくなりますが、ママのお話はすんなり胸に収まります。すごい。

こんな風に、人の心に寄り添える記事か書けるようになりたい……(*’ω’*)

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気づかいやマナーの本

「お人好し」をやめる本

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『その一言に、品格が現れる 一流の人が言わない50のこと』

ついつい“余計な一言”を言ってしまい、後々になって後悔する あさよるです(;´Д`)

「あの質問はいらなかったなぁorz」とか「話がまとまってないのに話し始めてしまったorz」と落ち込むこと多し。

で、今回、中谷彰宏さんの『一流の人が言わない50のこと』の表紙を目にした際、タイトルの横に書かれている「その一言に、品格があらわれる」という文言にドキッ!といたしました。そうか…品格かぁ~><

あなたは一流?二流の発言していない?

『一流の人が言わない50のこと』は、二流の人が言いがちな発言と、一流はどのように対処するのかを対比させ紹介されています。

例えば、一流は“「いい病院があるから、教えてあげる」と言わない。”。目次でこの見出しを見ただけで、ちょっと笑ってしまいました。確かに、病院を紹介してくれる人っているなぁとw しかも、親切心から仰って下さるから、先方へ連絡まですると申し出て下さる。これ、お気持ちはありがたいだけに、お断りをするのが難しいんですよね><

なにか自分のお気に入りを人に紹介するって、ちょっと気遣いが必要なんですね。特にそれが、病院とか薬とか、健康や命に係る事柄ほど、相手へ配慮が必要です。この気遣い、配慮が自然にできる人が「一流」ってことなんですね。

さらに、去ってゆく仲間に「戻ってくると言っても知らないからな」と言わない。独り立ちしようとする人に「どうせ失敗するよ」と不吉なことを言わない。「昔はよかった」と言わない。

なんて、「ああ、聞いたことある~」或いは「言ったことがある~」ような「あるある話」が満載です。過去の出来事を思い出しながら面白おかしく読むこともできますが、時折、今の自分の言動を振り返りドギマギしてしまいます。

ところで「一流」「二流」ってなんだ?

ただ、読んでいて最後まで謎なのは「一流」と「二流」とはいったい何?ってこと。「一流」「二流」の定義が見当たらなかった気がするのですが……(;’∀’)

ここで紹介されている発言を“しちゃう人が二流””しない人が一流”ってことなんでしょうか。

どちらかというと、躾やマナーの話が中心です。他人を敬い感謝すること。他人を疑わず信じること。素直で、自信のある人を一流。ひねくれて横柄、自己顕示欲が強い人たちを二流と呼んでいるようです。

こう書いちゃうと、ますますドキッとしてしまいますね。自分の横柄さや、自己顕示しようとしていないか、振り返りたく思います。

気軽な読書に~^^

中谷彰宏さんの著素、あさよるネットでも過去に数冊紹介しています。

サクッと短時間で一気に読めて、軽快で楽しく読み終えられました。ちょっと休憩時間や、通勤時など、軽い読み物が欲しいときに丁度良さげ。

「こんな人いるよな~」とニマニマと読むのが良いのかも。そして時折自分のことを思いドキッとする、と。

難しいことを考えず、真面目な「あるあるネタ」集みたいな感じで、面白く読めました。

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『「気の使い方」がうまい人』を読んだよ

「維摩経」というお経をご存知ですか?
“ゆいまきょう”と読み、維摩(ゆいま)さんという、お釈迦さんの弟子のことが書かれたお経です。

維摩さんは出家することなく、普通の生活をしたままお釈迦さんの弟子になります。出家するとお寺などで住み込みで修行をしますが、在家(ざいけ)信者は自分の家に居たまま修行をします。現在も、多くのお宅はそれぞれどこかのお寺の檀家に入っていますから、在家信者ということですね。

みんな維摩さんにタジタジ

維摩さんが生きていた頃、出家して修行をする僧(お坊さん)たちが偉くて凄い人たち。在家信者たちは格下で低いものとされていました。しかし、維摩さんは在家でありながら、とても優秀な人物でした。出家した僧たちと話をしても、言い負かしてしまいます。
みんな維摩さんに会うと、こてんぱんにやられてしまうので、維摩さんに会いたがらなくなりました。

ある時、維摩さんが病気になり、お釈迦さんにお見舞いに来てくれるよう頼みます。お釈迦さんは自分の代わりに弟子を使わそうとするのですが、弟子たちも維摩さんに会うのを嫌がります。仕方がないので、文殊菩薩が維摩さんの元へ行きました。
実は維摩さん、病気だと行って人を見舞いに呼び、その人達に次々と教えを説いていたのです。文殊菩薩とも、問答(もんどう・質問と答えを論じる修行)をします。
維摩さんは病気だから「お見舞いに来い」と言ったのに、「お説法をする」ことが目的だったんですね。
これがまさに「嘘も方便」というヤツですか。

「嘘も方便」っていうけど、嘘は嘘じゃないの?

「嘘も方便」ということわざも、語源は仏教の言葉です。正しい仏の道を指し示すためには、時には嘘をついてでも人々を導く方法もあるのです。
ことわざでは嘘は良くないけれども、嘘をつかないといけないときもある、という意味でしょうか。丸く収めるために多少の嘘も仕方ない、というニュアンスでも使いますね。

私はこの「嘘も方便」ということわざが大嫌いでした。どんな理由があろうと嘘は嘘だし、嘘は悪いことだ!こんなことわざがあるせいで、嘘をついても構わないと思っている人がいる!そんな風に、イライラしていました。
今は少し考えが変わって「そういうこともあるのかなぁ」と思うようになりましたが、それでも「ついて良い嘘」がどのようなものであるのかは分かりません。

相手を思いやること、気使うこと

一つだけ「これはいいのかな?」と考えたのが、嘘をつくことで相手の人が幸せになったり嬉しくなって、自分の得にならない場合です。「自分はなんにも得にならない」というのがポイントじゃないかなぁと思いました。

山﨑武也さんの『「気の使い方」がうまい人』では、人とのコミュニケーションを上手に行うコツが101個紹介されています。それぞれ、具体的に「こんなときこうする!」というノウハウが詰まっています。自分もいつも気をつけているコツもあれば、まさに私が人と上手にできないこともありました。
「気を使う」とタイトルにありますが、相手の立場で考える。相手の気持ちを想像することが、人とのコミュニケーションを上手にすること。それが「気を使う」ことだ、とわかりました。

私たちはついつい「自分は、どうしたいか」「自分は、どう思うか」ばかり考えてしまいます。自分の気持ちも大切ですが、「相手は、どうされたら嬉しいか」「相手は、どう思われたいのか」考えてみることは、私はできていないと思います。
「相手を思いやる」ということは、相手の立場を考えて行動することです。でもそれは、自分の気持ちと違うこともあるかもしれません。

友達が遅刻してきたら……なんて言う?

例えば、友達と待ち合わせをしていた。だけど、電車が途中で止まってしまい友達が遅刻をしてきた。遅刻の理由は友達のせいじゃないけど、自分は待たされてイライラした。だけど、友達が「遅れてごめんね」と謝ってくれたら、怒らずに「うん、大丈夫」と言う人が多いんじゃないかなぁと思います。本当は、イライラしているのに、「大丈夫」って言うのは、これも一種の「嘘」なのかもしれません。

しかし『「気の使い方」がうまい人』で学んだ気遣いは、これよりも先を考えます。待たされた自分もイライラしましたが、電車の中で閉じ込められていた友達はもっとイライラしたでしょう。その上、友達のせいじゃないのに「ごめんね」と謝ってくれたのです。謝らなくてもいいのに、私のことを思って言ってくれたんですよね。だから、「ありがとう」と私もお礼を言うべきですよね。そして、電車に閉じ込められた友達を思うと「大変だったね」「疲れたでしょう」と、ねぎらいの言葉をかけようと思います。

“自分の気持ち”を正直に言うなら「イライラした」ですが、“相手の気持ち”に立って考えると「ありがとう、大変だったね」になりました。私の考えの通り、相手を思いやっていますが、自分の得には繋がりません。
待たされてイライラしたことも本当です。だけど、友達への「ありがとう」も「大変だったね」も本当です。

自分の気持ちに嘘をつく、というよりも、着目点を変えてしまうのです。
ここまで考えると、もしかすると「嘘も方便」ってこういう感じことなのかなぁ?と少し、気付きました。

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