人生論

『おおきく考えよう』|中身が入れ替わってもオリジナル?

『おおきく考えよう: 人生に役立つ哲学入門』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。こう毎日暑いとなんにも考えたくないですよね。ということで、ボーっとした頭であえて、頭がこんがらがるような哲学を扱った本を手に取ってみましたw といっても、本書は10代向けの本で、ページのほとんどはイラストで構成されています。

しかし、書いてある内容を理解しながら読むとなると、じっくり腰を落ち着かせて読まないと、前後の話がわからなくなるような読みごたえはありました。

「考える」ことはやめられない

本書『おおきく考えよう』はサブタイトル「人生に役立つ哲学入門」とあるように、はじめて哲学的な内容に触れる10代向けに書かれた本です。本と言っても、文字は少なくイラストが紙面のほとんどで、ビジュアルから「考え」をイメージできる工夫がなされています。

子ども時代の思考ってとことん具体的で、成長過程で抽象思考が身についていきます。大人に近づくステップとしてこの『おおきく考えよう』は役立つんじゃないでしょうか。

と言っても、大人が読んでも物足りなさはありません。というか、大人のほうがこんな本が好きかもね。

悩める若い人に語りかける

本書『おおきく考えよう』で問いかけられる哲学的話題は、「生きるってなんだろう」「社会ってなんだろう」「男と女って違うのかな」といった第一章「すべての生きもののなかで、いちばん幸せ」。

第二章「おなじ川に2度、入ることはできない」では、変わりゆくもののなかで「今、ここ」や「これ」「私」とはなんだろうと考えるきっかけに。哲学者ヘラクレイトスは「同じ川に2度、入ることはできない」と言いました。川はどんどん流れてゆきますから、さっき入った川の水は、次に川に入るときははるか河口へ流れ去っています。だから「同じ川には入れない」というワケ。同じような話で「ボートの板を1枚ずつ替えるとしよう。1枚のこらずべつの板と交換した場合、できあがったボートは、もとのボートと同じものかな?」とイラストが語りかけてきます。これは刻々と、新しい細胞が生まれ、死んで、細胞がすっかり入れ替わってしまっても「自分は自分」と言えるのか?という問いに繋がります。

『おおきく考えよう: 人生に役立つ哲学入門』挿絵イラスト

ちなみにこの、ボートの板をすべて入れ替えても、最初と同じボート言えるか」あるいは「新しく組み立てたボートは元の同じボートと言えるか」という問いは、日本建築に当てはまります。例えば、奈良にある法隆寺の五重塔は世界最古の木造建築と言われていますが、修繕が重ねられ、本当に法隆寺建立当時から使われているオリジナルの木材はほんの一部分だけです。新しい材木にほぼ入れ替わっている五重塔を「世界最古」と言えるのか?

あさよるは先日、京都の平等院へ連れてもらったのですが、最近、平等院が修繕されてキレイになったんですよね。ほぉ~と眺めながら「これは〈新築〉に見えるなぁ~」なんて思ったりw 日本人的感覚だと〈リフォーム〉は、新築ではないから、「昔からここにあるもの」なんですね。これは、日本人的な感覚と、西洋哲学的考えの違いの例としてよく挙げられる話ですね。

『おおきく考えよう:人生に役立つ哲学入門』イメージ画像

話は戻って、第3章では、物事の本質を見ること。第4章は空想、創造の幅を広げること。第5章では、人生の意味について尋ねられます。

答えのない問に耐えられる?

本書『おおきく考えよう』は、疑問や考え方を提示されますが、答えらしい答えはなにもありません。そもそも答えのない問いだからです。もし、予め正解が想定された問題ばかりに慣れているのなら、最初から答えの存在しない問いは苦痛に感じるかもしれません。

「本書は10代向けで、若い人にオススメ!」と言いつつ、当のあさよる自身、10代の頃は本書を読めなかっただろうと思いますw まるで言葉遊びをして、からかわれているような気になったろうと思うから(苦笑)。

本書はイラストが大半で、絵本のような作りですが、意外と読み解ける子どもは少ないのでしょう。大人受けする本だと思います。その上で、本書に挑戦する10代の人がいるといいなぁと思います(`・ω・´)b

関連記事

続きを読む

『成功ではなく、幸福について語ろう』|他人を操れない自分を変えよう

こんにちは。幸せ者な あさよるです。昔、抑圧されて「不幸せだ」と感じていた時期もあったのは確かですが、今は特に不満もなく、満たされているが時間がほとんどです。もちろん、どうしようもなくイライラしたり、腹が立ったり、イラついている時間もあるのですが……(苦笑)。あさよるは性格的には気が短くて「怒りん坊」です(;’∀’) 怒ってもいいことなんてないのにね~(他人事)。

本書『成功ではなく、幸福について語ろう』では、「成功」という量的に満たされることではなく、「幸福」という質に注目するよう促されます。「持たざる者」であることと「不幸に生きること」はイコールではないとわかります。現在、裕福でお金が余って余ってたまらない人は超レアな人で、多くの人は「持たざる者」でしょう。だからこそ「どう生きるのか」と質を問うことが、求められているのかも。

「嫌われる勇気」岸見一郎・人生相談

本書『成功ではなく、幸福について語ろう』は、ベストセラー『嫌われる勇気』の岸見一郎さんの著作です。岸見一郎さんはアドラー心理学を扱った著作をたくさん書かれています。本書『成功ではなく、幸福について語ろう』では、人々のお悩みに岸見一郎さんが答えるという形式を取りながら、合間に岸見さんのお考えや体験談が挟まれています。

寄せられる相談の多くは、家族や身近な人のこと。誰もが共感できる悩みもあるでしょう。

妹になんでも真似される姉、子育て、キャバクラで働いていてお客さんに貢がした過去を後ろめたく思う人。仕事先でのいじめ。婚活での行き詰まり。日常の諍いの種や、思わず口を出したくなるシーンなどなど、「そういう話あるよね~」って悩みが集まっています。

よそはよそ、うちはうち

『成功ではなく、幸福について語ろう』では、基本姿勢が「よそはよそ、うちはうち」とオカンがいいそうなセリフですね。「よそ」というのは、よそのお家の話ももちろんですが、家族であっても親子や夫婦も「他の人」であり、基本は、その人に判断を委ねます。

つまり「上手くいかない」「どうにかしたい」とフラストレーションがたまってしまう原因は、そもそも「他人のことをどうにかできるハズ」「他人をコントロールできるハズ」という前提を持ってしまっているからです。だけど、もちろんですが他人は他人、その人の生き方を決めるのはその人自身です。それは親や子であっても、夫婦であっても、自分とは違う人格を持った人間である以上、自分に責任を持つのは本人なのです。家族に口出ししたい気持ちはわかりますが、相手の責任を尊重するのも大切なことなんですね。

また「幸福」と「幸福感」の違い、「幸福」と「成功」の違いが紹介されていました。

お酒を飲んでほろ酔いでいい気持ちになるのは「幸福感」です。気持ちよくなっているだけで、幸福になっているわけではありません。ショッピングで憂さ晴らしをしたり、過食やギャンブルに走るのも同じかもしれませんね。

「幸福」と「成功」の違いはもっとわかりやすいものです。「幸福」は主観的なものですが、「成功」はノウハウであり他人の真似をすることができます。本書では、住む家や家具、子供の名前まで真似してくる妹に困っている人の話題が登場します。お姉さんとしてはなんでもかんでも真似されて辟易しているのでしょうが、妹さんにとってお姉さんを「真似」するのが成功につながるとわかっているのです。しかし、幸福は真似できません。

力が及ぶことと、及ばないこと

『成功ではなく、幸福について語ろう』を読むと、自分の影響力が及ぶ範囲と、自分ではどうにもならないことを理解することが、幸福につながるんじゃないかと思いました。他人の考えを変えることは誰にもできません。その人を変えられるのはその人だけです。だから、自分が「変えてやろう」と考える必要はありません。だけどもし、自分が相手を追い詰めたり、頑なにさせているなら、自分の行いを変えることはできます。

また、例えばパートナーが同じ過ちを繰り返してしまう場合、それに対して同じ対応をしてはいけません。なぜなら、前回の対応が良くなかったから繰り返し同じことが起こっているのですから、自分の対応がふさわしくなかったと考えます。あくまで、相手の行いを変えることはできません。できるのは自分のアプローチを変えることのみです。

できることと、できないこと。これを自覚して、自分のできることに責任を持ち、「正義」や「おせっかい」を相手に押し付けないことが、幸福につながるんだとうと思いました。

尊大になりがちな人に

多くの人は、多かれ少なかれ、優越感や他人への影響力を持ちたいと考える感情があるんじゃないかと思います。それらが原動力となって活動のパワーになっていると思う一方で、自分を蝕み、苦しめる現況にもなっているんじゃないかと思います。

もし、今の状況に押しつぶされそうになったり、どうしても我慢できない怒りや悲しみがあるのなら、「自分のすべきこと」と「自分にはどうにもならないこと」をきちんと分けて考えるのもいいでしょう。

これは「他人のせいにできない」ということでもあります。上手くいかないことを家族や職場の人のせいにできれば、どんなに気持ちが楽でしょう。しかし「他人に影響を与えられない」と考え、その立場に立つことで「自分のすべきこと」が炙り出されてしまいます。

幸福な生き方とは、自分の責任は自分で負う生き方なんですね。「責任」っていうと、嫌なネガティブな意味で使われることが多いけれども、自分で自分の生き方を選択することは、その分楽しくて面白くて良いこともたくさんあるでしょう。どっちの生き方が良いでしょう。自分で選ぶことができます(`・ω・´)b

岸見一郎さんの本

関連記事

続きを読む

『「生きづらさ」について』|空気と貧困と右翼化

こんにちは。あさよるです。図書館の楽しみは普段手に取らないような本や、書店で平積みされていない本が目につくことです。本書『生きづらさについて』も、2008年出版の10年前の本で、書店では見つけられなかったであろう本でした。Kindle Unlimited版もアリ(2018/9現在)

本書を読むと、10年前のものとは思えないくらい今につながる話題を扱っています。生きづらい、貧困や、雇用問題、超不安定な社会問題はなにも解決されないまま、10年持ち越されたんだろうことがよくわかります。

若者の空気と貧困と右翼化

本書『「生きづらさ」について』は、国内の「生きづらさ」を扱います。中でも、若者たちの貧困と右傾化について度々触れられています。貧困と右傾化は、関連する話題です。

まず「若者たちの」と一口に言っても今の10代20代のみならず、現在40代の団塊ジュニア世代(氷河期世代)の問題も深刻です。著者の雨宮処凛さんと萱野稔人さんもそれぞれ1975年と1970年生まれの方なので、90年代に社会人になった世代であり、お二人ともフリーターを経験なさっています。

貧困とトラウマ

貧困に陥る人は、親からの虐待や、学校でのいじめ等を経験し、自分が生まれた社会から隔絶され「帰る場所がない」状態が前提にあると言います。虐待やいじめを受けて育った故に、自己肯定感が低く、貧困に陥っても「自分の責任」と思いつめ、誰にも助けを求められないままネットカフェ難民やマック難民(24時間営業のマクドナルドで夜を明かす人たち)になる人も多いそう。また、生まれ育った場所にトラウマがある場合、そこへ帰るわけにもいかず、どこへも行けない。

空気を読んで自殺する

著者の一人、雨宮処凛さんの場合は中学でいじめに遭い、その後自傷を繰り返しいわゆる「メンヘラ」化していた経験もあるそうだ。自傷をする人たちが集まり、自分はこんな自傷をした、こうやって死ぬつもりだと話をしている間に、だんだん周囲からも「もうすぐ死ぬのか」「まだ死なないのか」という〈空気〉になり、空気を読んで自殺するという人がいる話はショックでした。

現在、かつて以上にコミュニケーション能力が求められる時代が到来しています。それは子どもたちも同じです。コミュニティの中で上手くやれなければ、そこに存在することができない。不登校や引きこもり問題の背景には、高いコミュニケーション能力を持ち「空気を読み」、かつ、コミュニティの中で上手くやりぬける〈運〉の要素もあるようです。

右翼化する理由

雨宮さんはその後、上京し浪人生活を送るりますが、それもやめフリーターになった途端、自分が社会の中で何物でもなくなり不安な時間を過ごしたとそうです。そのとき、自分の居場所になったのが右翼グループだったそう。左翼グループとも接触したそうだけども、彼らの話は難しく仲間に入れる感じじゃなく、消去法的に右翼団体にいたと振り返られていました。

自分が辛い境遇にあっても、靖国神社へ行き、戦死した若い特攻隊員や軍人たちを思えば「自分の生きている時代の方がまだ良い」と考える、という話もあり、こんな心のより所としての靖国があるのかと驚きました。

また非正規で最低賃金で働く人たちにとって、外国人労働者は目に見える脅威に感じるそうです。良いことではありませんが、彼らは日本人より安い賃金で働かされていたり、「〇〇人を雇った方が安いしよく働く」と言われてしまうと、自分自身の「日本人であること」を理由で職を失うような感覚に陥ると語られていました。

実現しない自己実現と、承認されない承認欲求

わたしたちは自己実現をなし、他者から承認されることでアイデンティティが保たれています……ということになっています。だから、自己実現できなかったり、他者から認められないと、アイデンティティを保てなくなってしまいます。

もしかしたら、ただ「生きるか死ぬか」だけの世界ならば、そんなこと考えずに生きられるのかもしれないけれど、高度化した社会では「自分はどう生きるか」を考え、それに成功しないと幸福を感じられなくなっているのかもしれません。豊かだからこそ「どう生きるか」を考えられるはずなのに、そのせいで貧困に陥っていくのはあまりにも辛すぎます。

また、貧困から右翼化する例を紹介しましたが、最貧困層は右も左もないそうです。考えれば当たり前ですが、今日生きることに集中するのに、思想なんかない。

金持ち以外の全部

本書『「いきづらさ」について』で扱われるのは、「金持ち以外のすべて」の人々。今は仕事があり、住むところがあり、それなりに生活していても、この先のことが分かっている人なんていないでしょう。楽観的に考えられず、だからと言って備えるにもなにを備えてよいのかもわからず、ただ漠然と不安を感じている人は多いはずです。

子どもたちの話題も少しですが触れられていました。中学生たちが公園で集まって待ち合わせをしていると「不審な中学生が集まっている」と通報されてしまい、その後、出入りできなくなってしまったという話題です。「生きづらい」なぁと感じます。

本書では「戦争は希望」論争が紹介されています。団塊ジュニアの就職氷河期世代の男性が、地方都市でフリーターとしてコンビニの深夜アルバイトをしていて、昼間にショッピングセンターへ行くと「不審者に気を付けるように」とのアナウンスが流れている。そこで「自分のような存在が〈不審者〉なんだ」と思い至り、今の状態が「平和」ならば、戦争が起こって社会が流動化した方がいい。「フリーターにとって戦争は希望だ」という言説が話題になりました。今の社会の問題をすごく的確に表していると思いました。

本書は「生きづらさ」をテーマに著者二人の対談形式なので(一部質疑応答)、テーマが広いだけに話題はアチコチへ飛び一つの問題を掘り下げる物ではありません。「軽い読み物」と呼んで良いでしょう。しかし、ページを開くたびにショックが多かったです。

関連記事

続きを読む

『人生を変える「見る力」』|からだ全部で「見る」練習

『人生を変える「見る力」』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。すっかり涼しくなりまして、この季節になると何やら鼻がもやもや、目もショボショボと……そう、花粉症です(´;ω;`) 稲の花が咲いてるんですね~。で、花粉症の諸症状が出ると、もっと感覚野をスッキリさせてくれ! と切実に思いますw

今日読んだ『人生を変える 見る力』は、目の筋トレをし、また体幹トレーニングで体力アップし、集中力を高めよく目で見て観察する力をつけようと啓蒙されていました。なんとなくスッキリしない、集中できない、仕事が勉強が進まない、気分転換したい……などなど、モヤモヤ~っとしてしまうことがあれば、それは「見る力」が低下してるのかもしれません。

本書、結構切り口が面白いです(`・ω・´)b

脳トレだけじゃ足りない

今週『一流の頭脳』という本を紹介しました。簡単にまとめちゃうと「良い集中のためには運動が必要だ」という内容のものです。その本では、運動の中でも有酸素運動(できればジョギング、ウォーキングなら息が上がるくらいの負荷で)が推奨されていました。

今日読んだ『人生を変える 見る力』も、たぶん言わんとしていることは同じようなことなんでしょう(こっちの本の方が薄くて写真も多く誰でもが読みやすい)。本書では、集中して観察する「見る力」を高めることが、身体的、精神的な状態を良好にするとして、そのための簡単なトレーニングが紹介されています。

トレーニングは主に「体幹を鍛える」ことと「眼球を動かす筋肉を鍛える」の二つのです。どのトレーニングも、子どもからお年寄りまでできる簡単なものです。

トレーニングをすると、集中力が高まり、体力がつくと先のことを考えたり、相手のことを考える余裕もできます。それらを抽象化し、「見る力」と再設定されているのが面白いと思いました。

わたしたちは、ものを見ているようで、ろくに見ていない――つまりは「見えていない」ことがよくあります。本書では「リンゴをイメージする」という例が紹介されています。リンゴを頭の中で細部まで思い出します。質感、色、形、どこまでリアルに思い出せますか? リンゴの実物を知っている人は多いでしょうが、リンゴを「見ている」人は意外と少ないのかもしれません。

「いつものっている電車の色は?」「お気に入りの洋服の模様は?」「ベットカバーの柄は?」繰り返し目にしているはずのものでも、いざ思い出そうとすると、細部までリアルに思い浮かぶでしょうか。

「見る力」とは、体幹と眼球の筋肉を鍛えることで、体力と集中力を高め、それによって観察する力を高めます。

体全体で考えている

集中力を高める、仕事や勉強のパフォーマンスを上げるというと、いわゆる脳トレ的な頭の体操を思い浮かべてしまいますが、実際は肉体を鍛えることが集中力に繋がるんですね。あさよるも実感として、「あと何時間くらい勉強すれば満点取れる」とわかっていても、実際には「必要な時間、集中し続ける体力がない」から、結果的に勉強不足になる体験は何度もあります。

「体力が足りない」って結構、いろんなところで顔を出します。大人になれば年々、肉体は老いていくし、意識的に体力づくりが必要なんですね(;’∀’)

脳トレ的なゲームもだし、コンピューターゲームも、テレビも、たぶん読書も勉強も、いわゆる前頭葉を刺激するような事柄に没頭してしまいがちですが、もっと動物的な、そもそもの負荷に耐えられる肉体がないと、結局は途中で息切れしてしまうのでしょう。

本書で紹介されているトレーニングは、幼い子どもでもできるような簡単な動作です。胡坐をかいてグラングランと体を揺さぶったり、6~8センチの幅の「橋」から落ちないよに歩いたり(子どもの頃こういう遊びをしましたね)、あと眼球まわりの筋肉をきたえるために黒目を上下左右に動かしたり、両目のピントを合わせる運動とかね。

同じ子どもの遊び的要素だけど、脳トレ系の遊びとは違って、全身を使う遊びですね。

体を動かすのは気持ちいい

『人生を変える「見る力」』挿絵イラスト

難しく考えずにシンプルに、じーっと同じ態勢のまま何十分、何時間といるのは辛い。それよりノビーっ! とネコみたいに身体を伸ばせたら気持ちいい! それに尽きると思いますw 難しく考えずその快感を追えばいいのかななんて。

ジョギングもウォーキングも、習慣がなければしんどそうだし面倒くさそうなんですよね。だけど、実際にやるとむしろ気持ちがいい、みたいな。本書『見る力』も、難しいトレーニングでもなく、部屋の中でできるトレーニングなんですが、上手にできるようになれば身体がスッキリするんだろうと思います。

とりあえず、目のピントを合わすトレーニングをして、私は左目を使いがちなのがよくわかりました。目にも利き手と同じように利き目があると聞いたことがありますが、使う目が偏っていると疲れるし、ピントも合わないので「見えにくい」ということが起こるようです。

今、ほんとに視覚情報過多ですから「見る」も意識的にしておかないと、間違えや疲労の原因になるのかもと思いました。

関連記事

続きを読む

『漫画 君たちはどう生きるか』|私たちは誰に当てはまるのか

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

関連記事

続きを読む