嫌われる勇気

『成功ではなく、幸福について語ろう』|他人を操れない自分を変えよう

こんにちは。幸せ者な あさよるです。昔、抑圧されて「不幸せだ」と感じていた時期もあったのは確かですが、今は特に不満もなく、満たされているが時間がほとんどです。もちろん、どうしようもなくイライラしたり、腹が立ったり、イラついている時間もあるのですが……(苦笑)。あさよるは性格的には気が短くて「怒りん坊」です(;’∀’) 怒ってもいいことなんてないのにね~(他人事)。

本書『成功ではなく、幸福について語ろう』では、「成功」という量的に満たされることではなく、「幸福」という質に注目するよう促されます。「持たざる者」であることと「不幸に生きること」はイコールではないとわかります。現在、裕福でお金が余って余ってたまらない人は超レアな人で、多くの人は「持たざる者」でしょう。だからこそ「どう生きるのか」と質を問うことが、求められているのかも。

「嫌われる勇気」岸見一郎・人生相談

本書『成功ではなく、幸福について語ろう』は、ベストセラー『嫌われる勇気』の岸見一郎さんの著作です。岸見一郎さんはアドラー心理学を扱った著作をたくさん書かれています。本書『成功ではなく、幸福について語ろう』では、人々のお悩みに岸見一郎さんが答えるという形式を取りながら、合間に岸見さんのお考えや体験談が挟まれています。

寄せられる相談の多くは、家族や身近な人のこと。誰もが共感できる悩みもあるでしょう。

妹になんでも真似される姉、子育て、キャバクラで働いていてお客さんに貢がした過去を後ろめたく思う人。仕事先でのいじめ。婚活での行き詰まり。日常の諍いの種や、思わず口を出したくなるシーンなどなど、「そういう話あるよね~」って悩みが集まっています。

よそはよそ、うちはうち

『成功ではなく、幸福について語ろう』では、基本姿勢が「よそはよそ、うちはうち」とオカンがいいそうなセリフですね。「よそ」というのは、よそのお家の話ももちろんですが、家族であっても親子や夫婦も「他の人」であり、基本は、その人に判断を委ねます。

つまり「上手くいかない」「どうにかしたい」とフラストレーションがたまってしまう原因は、そもそも「他人のことをどうにかできるハズ」「他人をコントロールできるハズ」という前提を持ってしまっているからです。だけど、もちろんですが他人は他人、その人の生き方を決めるのはその人自身です。それは親や子であっても、夫婦であっても、自分とは違う人格を持った人間である以上、自分に責任を持つのは本人なのです。家族に口出ししたい気持ちはわかりますが、相手の責任を尊重するのも大切なことなんですね。

また「幸福」と「幸福感」の違い、「幸福」と「成功」の違いが紹介されていました。

お酒を飲んでほろ酔いでいい気持ちになるのは「幸福感」です。気持ちよくなっているだけで、幸福になっているわけではありません。ショッピングで憂さ晴らしをしたり、過食やギャンブルに走るのも同じかもしれませんね。

「幸福」と「成功」の違いはもっとわかりやすいものです。「幸福」は主観的なものですが、「成功」はノウハウであり他人の真似をすることができます。本書では、住む家や家具、子供の名前まで真似してくる妹に困っている人の話題が登場します。お姉さんとしてはなんでもかんでも真似されて辟易しているのでしょうが、妹さんにとってお姉さんを「真似」するのが成功につながるとわかっているのです。しかし、幸福は真似できません。

力が及ぶことと、及ばないこと

『成功ではなく、幸福について語ろう』を読むと、自分の影響力が及ぶ範囲と、自分ではどうにもならないことを理解することが、幸福につながるんじゃないかと思いました。他人の考えを変えることは誰にもできません。その人を変えられるのはその人だけです。だから、自分が「変えてやろう」と考える必要はありません。だけどもし、自分が相手を追い詰めたり、頑なにさせているなら、自分の行いを変えることはできます。

また、例えばパートナーが同じ過ちを繰り返してしまう場合、それに対して同じ対応をしてはいけません。なぜなら、前回の対応が良くなかったから繰り返し同じことが起こっているのですから、自分の対応がふさわしくなかったと考えます。あくまで、相手の行いを変えることはできません。できるのは自分のアプローチを変えることのみです。

できることと、できないこと。これを自覚して、自分のできることに責任を持ち、「正義」や「おせっかい」を相手に押し付けないことが、幸福につながるんだとうと思いました。

尊大になりがちな人に

多くの人は、多かれ少なかれ、優越感や他人への影響力を持ちたいと考える感情があるんじゃないかと思います。それらが原動力となって活動のパワーになっていると思う一方で、自分を蝕み、苦しめる現況にもなっているんじゃないかと思います。

もし、今の状況に押しつぶされそうになったり、どうしても我慢できない怒りや悲しみがあるのなら、「自分のすべきこと」と「自分にはどうにもならないこと」をきちんと分けて考えるのもいいでしょう。

これは「他人のせいにできない」ということでもあります。上手くいかないことを家族や職場の人のせいにできれば、どんなに気持ちが楽でしょう。しかし「他人に影響を与えられない」と考え、その立場に立つことで「自分のすべきこと」が炙り出されてしまいます。

幸福な生き方とは、自分の責任は自分で負う生き方なんですね。「責任」っていうと、嫌なネガティブな意味で使われることが多いけれども、自分で自分の生き方を選択することは、その分楽しくて面白くて良いこともたくさんあるでしょう。どっちの生き方が良いでしょう。自分で選ぶことができます(`・ω・´)b

岸見一郎さんの本

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『愛とためらいの哲学』|穏やかに心が満たされる恋のために

こんにちは。あさよるです。やっぱり「恋バナ」は面白いものです。老若男女関係ない話題だし、世代を超えて年長者の話が聞けるのも楽しいところです。今回手に取った『愛とためらいの哲学』も恋バナ本で、著者は『嫌われる勇気』の岸見一郎さん。岸見さんの本は数冊読みましたがどれも面白かったし、アドラー心理学の考え方も、あさよるは納得しやすく、すんなりと読むことができました。

「恋バナ」の小ネタに読んでもいいし、本当に恋に悩んでいる人や、これから恋したい人にもピッタリです。火傷するような恋だけじゃなくて、静かに心が満たされる恋もあることがわかります。

老若男女が知りたい「恋バナ」

本書『愛とためらいの哲学』の著者は『嫌われる勇気』がヒットした岸見一郎さんです。岸見一郎さんは哲学者であり、アドラー心理学の研究もなさっています。『嫌われる勇気』は、哲人と青年の対話形式でアドラー心理学について語る内容でした。アドラー心理学では過去に囚われず「今」だけに注目します。過去にトラウマや辛い経験を抱えていても、誰もが「今」幸せに生きることができるという考え方です。

本書『愛とためらいの哲学』も、アドラーの名言を交えながら、アドラー心理学的な「愛」や「恋」の話が展開されます。岸見一郎さんは講義で学生から恋について質問を受けることがたくさんあったそうです。恋の悩みは若者の多くが抱えている悩みなんですね。アドラーもまた、学生たちから恋について質問をされたそうです。写真のイメージとは違って、柔和で話しやすい教授だったそうです。

愛や恋は、どんな権力者であっても、「私を愛しなさい」と命令したところで、本当に自分を愛させることはできません。恋には思い通りにはいかないのです。

しかし、恋路だけが特別なわけではなく、人間関係とは、思い通りいかないものなのです。しかし、恋が特別なのは、嫉妬や執着心、独占欲が特定の人物に強く発動するところかもしれません。また、焦がれていたはずなのに、恋が実ってしまうと気持ちが冷めてしまう……なんてことも起こります。独占欲や、あるいは他の人との競争心を恋と勘違いすることがあります。友人や兄弟姉妹に対抗して、「もっと素晴らしい人を恋人にすることで〈勝ちたい〉」と考えちゃうヤツですね。

自分の自信のなさや、他人への嫉妬や対抗心、独占欲や依存によって、恋が難しく苦しいものとなっているのです。

穏やかに静かに、人を愛す

『愛とためらいの哲学』で語られる恋愛は、穏やかで静かな関係が、良い関係とされています。嫉妬せず、競争せず、お互いに愛される関係性です。この時、二人の間にある闇に注目するのではなく、良いところ、つまり光に目を向けることで、お互いに穏やかな状態でいられます。大人の二人の関係って感じですね。傷つけあったり、束縛し合ったり、依存しあったり、お互いに一緒にいて嫌なことばかりの「恋愛」よりも、一緒にいることで二人ともが穏やかでより充実して、気持ちが満たされて一緒に居られる方がずっといいなあなんて思いました。

また、岸見一郎さんはアドラーの考えをただ紹介するだけではなく、ときにはアドラーの言葉を否定したり、言葉を足したりして、ご自身の考えを語っておられます。それは、西洋人のアドラーの思想よりも、より日本人的な価値観に合うようローカライズされているとも感じました。

しかし、古今東西、老若男女、恋バナは尽きないようです。

幸せになる恋もある

みんなが好きな恋の話は「悲恋」ではないでしょうか。実らない恋や、破滅してゆく恋こそがロマンチックでなまめかしく、美しく感じます。一方でこの『愛とためらいの哲学』で語られる恋愛は、幸せで静かで、満ち足りたものです。だからあんまりロマンチックじゃないし、スリリングでは全くありません。物語の恋の話しか知らないなら、こんなに穏やかな恋愛があるのだと知るだけでも収穫かも。みなさんは、嵐に翻弄されるような恋と、穏やかで静かな日々が続く恋、どっちがご所望でしょうか。これは自分が何を求めているのか、今何が欲しいのかによって答えはさまざまでしょう。

恋を扱う本って、面白おかしく書き立てるものや、見当はずれなもの、一歩間違えはセクハラやパワハラになることを勧めるものなど、危ういものもたくさんありますが、『愛とためらいの哲学』は至ってまじめで、地味だけど、ジワジワっと憧れるような恋を扱った内容でした(^^♪

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『老いる勇気』|「嫌われる勇気」・さいごまで他者貢献できる

『老いる勇気』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。『嫌われる勇気』を読んで「アドラー心理学」というものを知って以来、アドラー心理学の考え方が気に入って自分にも当てはめるようにしています。アドラー心理学では、過去や未来ではなく〈今、この瞬間〉にのみ光を当てます。もし仮に、過去にとても悲しいことがあったとしても、過去を引きずるのをやめ、〈今、この瞬間〉に注目することで、今「幸せ」を感じることができるのです。

もし過去に上手くいかなかったことや、つらい経験、悲しい経験があっても大丈夫。今、わたしたちは幸せになれる。そのメッセージは前向きでいいなあと思いました。

ということで、今回、『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎さんの新刊『老いる勇気』が出版されたので、早速手に取ってみた次第(^^♪

歳をとった分だけ賢くなった

本書『老いる勇気』は、ベストセラー『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎さんによる著作です。岸見一郎さんは哲学者であり、心理学の研究もなさっています。『嫌われる勇気』のヒットにより、アドラー心理学が注目されました。『老いる勇気』は、哲学や心理学的なアプローチと、岸見一郎さんご自身のご経験を交えながら「老い」という、全ての人が直面する「問題」を真正面から扱っています。

岸見一郎さんさんは1956年生まれの方で現在(2018年)62歳になられます。お母様を亡くされ、認知症のお父様を介護中の50歳の時、ご自身も心筋梗塞で倒れられたご経験が紹介されていました。とても大変な経験ですが、そこで学んだり、感じたりなさったことがとても大切だったのがわかります。お母様は、病床で意識がもうろうとする中でも、「ドイツ語を学びたい」「『カラマーゾフの兄弟』を読んで欲しい」と最期まで意欲をなくされなかったそうです。お父様は認知症でしたが、岸見さんが心筋梗塞で倒れてからしばらく、しっかりと息子を支えようとしてくださったそうです。どんなにギリギリの状態でも、その瞬間その瞬間を力強く生きることができるのです。

また、年齢を重ねるということは、一人の人間としてより成熟してゆくことです。若い頃は他人の目を気にしたり、他人からの評価にばかり気を取られてしまいがちです。しかし、大人になるとは「価値を自分で決める」ようになることです。他人と自分を比べて生きるのか、自分で自分の人生を決めて生きるのか、それ自体を自分で決めているのです。

年齢を重ねることはネガティブに表現されることが多いですが、長生きするとは「生きた分だけ賢くなる」ことです。若いころ、右も左も分からずがむしゃらにやるしかなかったことも、歳を取れば知識が増え、より本質をとらえながら着手することができます。本書では例として、楽器の演奏が挙げられていました。若い頃の方が楽器の覚えは良かったかもしれないけれど、歳をとった今の方がよりたくさんの音楽を聴いているし、知識も増えているし、今の方がずっとそれを深く探究できます。

もう一度10代からやり直したい?

「若い頃に戻りたい」と思いますか? 若い肉体を手に入れ、これまでの記憶を失い、今と同じ知識・技術を身につけるためには、もう一度過去の努力を繰り返さなければなりません。今持っているスキルを、再び努力で身につけるのを考えると、うんざりする人も多いのではないでしょうか。

確かに、若い身体を持っている人が羨ましく思うことはたくさんあります。だけど、歳を取ったからこそ持っている物にも注目しましょう。「あれができなくなった、これもできなくなった」と〈ひき算〉で考えるのではなく、「これができるようになった、あれをより深く知ることができた」と〈足し算〉で人生を考えることが「老いる勇気」を生み出します。

「助けてもらう」という他者貢献

本書では「他人から助けてもらうことも他者貢献である」という考えが示されています。自分が病気や怪我で何もできなくなって周りの人に世話をされることは、周りの人にとっては「自分を必要とする人がいる」という状況が新たに生まれることだと紹介されているのです。

わたしたちは、誰からも必要とされずに生きるのもまた、とても苦しいものです。もし自分にできないことが増えてしまっても、それでも生きていることで誰かを支えているのかもしれません。また、誰かが何もできなくなってしまっても、それでも「生きている」だけで誰かを支えているのです。

そういう風に考えられると「生きている価値」を考える必要すらなくなる気がします。みんなが誰かを必ず支えているのですから。

「だからできない」からできない

本書で紹介されるエピソードで印象的なのは、著者のお母様が病床で「ドイツ語を勉強したい」と話していたことです。もう自分の命が長くない状況でも「あれがしたい」と思えるんだなあと知ると、なにやらパワーが沸くようです。岸見一郎さんご自身も、入院中にたくさん本を読みたいだけ読んだり、退院後マラソンにチャレンジしていいかと医師に願い出たところ、意外にも「OK」が出て、拍子抜けしている様子も印象的です。

わたしたちはあらかじめ「きっとこんなことできないだろう」を、予定を立てるよりも先に「できない」と自分で自分に規制をかけているのかもしれません。「できない」と思うから本当に「できなくなってしまう」と考えるといいのかも。

さいごまで何をしましょうか

『老いる勇気』挿絵イラスト

本書『老いる勇気』は、意外と若い人の方が、安心できたり、来るべき未来を考える役に立つのではないでしょうか。特に病気や怪我もしたことがなく、まだ介護や老いが遠いところにある人ほど、「発見」があるでしょう。それは「他者貢献」という視点が顕著だと思います。

もし、自分が元気いっぱいでなにも欠けていない状態ならば、もしそれを失った時、何か、自分の持っている「価値」まで失ってしまうような気がするのではいでしょうか。少なくとも、あさよるは若いころそんな感覚がありました。挫折したり、健康を損ねて、誰かに迷惑をかけて生きることに、意味がないように感じていました。だけど、生きていると怪我もするし、病気もするし、誰かに世話になりながら生きるのが当たり前です。若いころの感覚は完全に思い上がりだったなあと思います。

そして、今は「自分はさいごまで何をし続けるのだろうか」と考えることがふとあります。いつその時が来るのか知らないけれども、誰かに助けてもらいながら、それでもさいごまで何かをしていたいなあ。

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『笑われる勇気』|オレの心はお金で買えます!

こんにちは。蛭子能収さんの本をはじめて読んだ あさよるです。蛭子能収さんの人生論、処世術を知れる本です。蛭子さんの本を初めて読んだのですが、どうやら同様の人生訓のような本がたくさん出ているようですね。知らんかった。蛭子さんってそういう感じで受け入れられているんだ……。

本書での蛭子能収さんの考えや振る舞いを読んでいますと、一貫して「自分はなにをするのか」を判断し続け、そのせいで冷たく見られたり、空気が読めない認定されているようですね。でも、冷たく見られても、空気読めなくても仕方ない。「だって自分はこうだから」と自分は自分と割り切っています。

あと、笑っちゃいけないときに笑ってしまうという話は、むしろ周りの人が笑わしにかかっていて、蛭子さんのせいじゃなんでは……と思ったり。あさよるも「笑ってはいけない」と思えば思うほど笑ってしまうので、冠婚葬祭にはできれば出席したくないのですw そう、結婚式や披露宴でも、笑っちゃいけないところでツボに入ってしまってツライツライ。蛭子能収さんは、もはや葬式に呼ばれなくなったそうで、お互いにそれが良い結論じゃないでしょうか。

蛭子さんに人生相談してはいけないw

本書の読みどころは、蛭子能収さんの人生相談でしょう。全くQ&Aになっていないというスバラシイ仕上がり。蛭子さん勝手に競艇の話してるだけやんwwと草生えるんだけども、ふと「人生の本質」を語っているようような気がしてサブイボが立つ。たぶん気のせいだけど。

Q 夫の転勤で東京暮らし2年。幼稚園の息子のママ友といい関係が築けません。

(中略)コミュニケーション能力を高めたいのなら、フリー麻雀はいいです。見ず知らずの麻雀卓を囲んでいると、すごく緊張しますが、麻雀というゲームは、駆け引きがあったり、感情を押し殺したりと、人と人とのつながりの醍醐味を教えてくれます。
あっ、でも、この人、長崎の人ですよね。長崎県民は、開放的な人が多いんです。江戸時代に鎖国していたときもオランダと貿易していたから、外国人だけではなく誰に対してもオープンなんです。それに、当時は貴重だった砂糖も、長崎だけはふんだんに使えたから、カステラが生まれたんです。オレも夏になると、水に砂糖を入れただけのものをよく飲んでいました。そんな砂糖文化があるから、長崎の人は穏やかで柔らかい気質なんです。だから性格を抑えてまで都会のママ友に合わせる必要はありません。自分らしくがいちばんだと思いますよ。

p.84

結論は「長崎の人は砂糖文化で育つ」ww

蛭子さんの人生相談で面白いところは、間に蛭子さんの世間話が入るところ。しかも麻雀の話からの、長崎県民の気質に世間話からの世間話に発展しているのがおかしいw

しかしたまに、ええことも言うからみのがせない。「元カレが忘れられない」という相談者には、蛭子さんが亡くなった先妻さんのことを話して「“忘れられない恋がある”というのは幸せなこと」と結論しててグッとくる。

フリーランスが「若い人に仕事を取られて失業してしまうかも」って相談には、「稼げないのは修行の身。がむしゃらに働くべし」と身につまされる回答も。いくつになっても、稼げないのは修業中ってこと。んで、今の職種にこだわらず他の仕事もすればいい。

好きな回答を選んでみたw

あさよるが勝手に、蛭子さんのいい回答を選んでみたw 全体的に、ゆとり世代あさよるには沁みるぜw

「人生はうまくいく」と思ってることが間違い

自信を持たなければ自信を失うこともない

どうせ死んだらすべて終わり。死に方なんてどうでもいい

時間管理能力より手を抜くテクニックを磨け

つらいときこそ日常を大切に生きる

オレにとって尊敬できる人は競艇で勝たせてくれる選手だけ

最後に勝つのは高学歴より高収入

大事なのは、プライドよりお金をくれる人の顔色

仕事において大事なのは給料の出どころだけ

貧乏は恥ずかしいことじゃない。卑屈になるのがよくなだけ

人のお金で遊んで何が楽しいの?

「宇宙人はいる?」の答えは、ギャラが発生するなら「いる」

人の心はお金じゃ買えないが、オレの心はお金で買えます!

気をつけよう、自慢話は見透かされる

自分の評価は自分でするもの

自分以外の生物にはあまり興味が湧かない

フツーにスゴイ人なだけかもしれない

蛭子能収さんのエピソードって、テレビに出ている芸能人の中で異質に見えていたけれども、一般人にはこういう人いるよね?って感じですね。蛭子さんが特殊なのって、普通の人の感覚を持ったまま、芸能界でもそれなりのポジションにあるところなんだろね。

ちなみに、リリーフランキーとはキャラがかぶってるのに(イラストレーターとマンガ家)、彼の方がCMにたくさん出演していて心中穏やかではない様子。そしてここへきて「ひふみん」こと加藤一二三さんの台頭に戦慄し、おもわず蛭子さんも将棋を始めようとしてしまったらしい。たしかに「ふしぎな」「おじさん」「勝負師」であるw

蛭子さん語録が沁みるのは、単に蛭子さんが「有能なおじさん」で、意識高い系を刺激するのかもしれない。奥様とデキ婚してから、家族を養うために働いたエピソードなんて、誰でもできそうでできないのかもしれない。ちゃんとマンガ家としても成功してるしね。

関連本

『スティーブ・ジョブズ 1』/ウォルター・アイザックソン

『嫌われる勇気』/岸見一郎,古賀史健

『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

『幸せになる勇気』/岸見一郎,古賀史健

『幸せになる勇気』|平凡で「その他大勢」である自分の価値

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『GRIT やり抜く力』|失敗して挫けても、必ず立ち直る

こんにちは。もうすぐこのブログをはじめて2年になる あさよるです。平日は毎日更新していますが、こんなに長く続くとは思っていませんでした。

最初の頃は結構必死で更新していましたが、最近は習慣になりつつあって、毎日お風呂に入るような感じでブログを書けるようになりました。なんでも続けてると変化があるのかなぁなんて思いました。

さて『GRIT やり抜く力』です。本書は書店でもよく見かけましたし、ランキング上位みたいなので興味がわきました。表紙の赤い部分は特殊インクでキラッと光沢しています。

持って生まれた才能・センスより、「やりぬく力」

本書の主張はシンプルです。「やり抜く力」は大切!以上!w

優秀な人や、才能があるはずの人も、やり抜かねば意味がない。優秀なはずの人がどんどん脱落してゆき、最後まで残った人たちが、その分野を極めてゆくことになります。

失敗もあるよ。挫折もするよ。だけど、挫けても諦めず、再び立ち上がる。

そのたびに、同じことを繰り返すのではなく「改善」をし続ける。昨日より今日の方が、今日より明日の方が少しでも良くなっているように努める。そんな単純なことの積み重ね。

口では、夢や志望を語る人はたくさんいます。だけど、大事なのは何かを完成させることです。小説家志望の人は、最初はどんなに下手でも、最後まで完成させて出してくる人は、いずれプロになるそうです。しかし……志望だと言いながら、小説を完成させない人は……。他の分野でも同じような話ありますよね。

「努力」より「才能」をすごいと思ってしまう

本書の中では、気になる実験結果がありました。

同じピアニストが一つの曲を演奏します。その一曲の一部分を2箇所被験者に聞かせ、片方は努力によってピアニストになった人物であること、もう片方の演奏は幼いころから才能が認められた人物が演奏したと紹介し、両方の演奏の印象を聞きます。すると、努力の方の演奏より、才能がある人の演奏の方が評価が高いのです。

また、努力家タイプと天才タイプの起業家のプロフィールを聞かせ、それぞれのプレゼンテーションの音源を聞かせます。

やはり天才型、つまり「生まれつき才能のある人」のほうが、起業家として成功する確率が高いと評価され、事業計画の内容についても高い評価を獲得した。(中略)「努力家タイプ」と「天才タイプ」の2名の起業家のうち、どちらを支援したいかとたずねた場合、参加者は「天才タイプ」を選ぶ確率が高いことがわかった。「努力家タイプ」と「天才タイプ」でそのような差が生じなくなるのは、「努力家タイプ」の起業家のほうが、起業してからの年数が4年長く、さらに開業資金が4万ドル多い、という好条件が重なった場合のみだった。

p.45

努力型の人は、才能タイプの人と同じ信用を得るには、4年と4万ドル必要ということすな(-_-;)

これだけ、我々は「努力家」と「天才」の間に差を感じているのです。もちろん思い込みです。しかし、この思い込みは厄介で、努力してやり抜くことへの自己評価も低いということ。才能によって夢がかなうことに憧れて、努力を怠るのです。

また「あの人天才だから」「才能があるからすごい」という、一見ほめ言葉に聞こえることも、実は自分への言い訳だったりします。すなわち優秀な人を、“才能がある=特別だからできる”としちゃえば、「自分は才能がないからできなくて当然」と、自分を正当化できます。実際には、優秀な人たちだって地道な努力の積み重ねだろうに。

努力より才能の方がすごいと評価することで、自分自身の「やり抜く力」を削いでいるのかもしれません……。

褒めない、叱らない

子どもたちへの教育についても触れられています。

失敗しても、叱らない。これは、失敗するたび嫌な思いをすると、無気力になります。何もしなければ失敗しませんから、叱られることもなくなるのです。

反対に、「褒める教育」が語られることもありますが、教育の場では褒めるのもよくないそうです。これは『嫌われる勇気』とその続編の『幸せになる勇気』でも語られていました。

頑張りを褒めると、人から「褒められる」ことが報酬になってしまいます。報酬が欲しいから努力をし始めると、次は報酬がないと努力できなくなってしまうのです。また、『幸せになる勇気』では、「褒める」という行為の〈上から目線感〉があるとも指摘されており、「他人から褒められたい」って願望って、結構泥沼になる感情なのかもなぁと思いました。

『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

『幸せになる勇気』|平凡で「その他大勢」である自分の価値

著者・アンジェラ・ダックワースさんのご家庭では4つのルールがあるそうです。

  1. 家族全員ひとつはハードなことに挑戦しなければならない
  2. やめてもよい(※条件アリ)
  3. 「ハードなこと」は自分で選ぶ
  4. 新しいことでも、いまやっていることでもかまわないが、最低でもひとつのことを2年間は続けなければならない

ハードなことってどんなことでもよくって、「ヨガをやる」とか「ピアノ練習」とかでOK。ただ、ちょっとだけ負荷がかかるような練習するってイメージかな?

「小さなチャレンジを毎日し続ける」っていいよね。そして、それが長期間続いたとき、大きな力になるだろうとワクワクします。

目の前のことを、きちんとやろう

あさよるが毎日少しだけチャレンジしていることを思い返してみました。

  • ブログを書くこと
  • 月平均1日1冊以上の本を読むこと
  • 毎日、体組成計で体重や体脂肪率を測る、毎日体温を測る
  • 小まめに前屈と背中をそらす
  • 背筋を伸ばす
  • ホワイトニング効果のある歯みがき粉で歯を磨く(お茶をよく飲むから)

これくらいかな?ものすごく大したことじゃないんですが、あさよるは結構ダメな人で、歯磨きやお風呂に入ることも、未だ習慣化されていなくて大変なのですよね(;´∀`)

毎日頑張るのも、マジメだからではなくて、すぐに忘れてしまうから必死で毎日やっている感じです。最近、体調優れず読書してない期間があったんですが、すっかり本の読み方を忘れてしまって、逆に笑えるw

生きるって大変ね~。

今回『GRIT やり抜く力』を読んで、あさよるはかなり励まされました。そう、才能がなくても、センスがなくても、ついてなくても、「やり抜く力」は自分の意志で実行できる。

「やり抜く力」は持っていても損はありません。それに、今日、今の瞬間からできることです(あさよるの場合、〈背筋を伸ばす〉は今できる目標です)。

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『幸せになる勇気』|平凡で「その他大勢」である自分の価値

こんにちは。みなさまゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。あさよるネットは平日更新予定です。

以前、『嫌われる勇気』を読んで「なんか感動した」とワーワー言ってたんですが、その後もジワジワッときています。この本、以前に読んだときは「なんのこっちゃ」と何も感じなかったんですが、変われば変わるものです。

自分のこだわっていることや、他人に苛つく時「自分がこだわっているんだ」「自分が苛立っているのだ」と思うようになりました……その瞬間はムズカシイけどね、頭が冷めたときね。

『嫌われる勇気』|やらないための“言い訳”を作ってた…だと?

で、続編の『幸せになる勇気』も読みたいでしょ~ってことで。

『幸せになる勇気』のあらすじ

『嫌われる勇気』にて〈哲人〉との討論の末、アドラー心理学の考えを受け入れた〈青年〉。彼が、3年の時を経て再び哲人の元へやってきた。しかも、彼を論破し、アドラー心理学がペテンだと暴くために!

青年は教員となり、子どもたちの教育を仕事としています。しかし、子どもらを扱うためには、アドラー心理学は使えない。アドラー心理学では人を「ほめてはいけない、叱ってもいけない」という教育方針だからです。放っておくと子どもは悪さをしますし、叱らないとナメられます。いつも厳しく叱る先生の教室はいつも整然としています。そして、良い成績を残した子を褒めてやると喜びます。

アドラー心理学は机上の空論である!それが青年の主張です。

「ほめてはいけない、叱ってもいけない教育」とは

教師である青年は子どもたちへの教育をめぐって話は展開してゆきますが、〈教育〉というものそのものは、我が子への教育、後輩や部下への教育など、どんなシーンにも当てはまります。そこで、人をほめはいけない、叱ってもいけないとは、これいかに。

まず、「ほめる」という行為は、目上の者が目下の者への行為です。平社員が「社長、よく頑張ってますね。偉いですね」とは言いませんw ですから「相手をほめる」というのは、無意識にも相手を格下認定しているのです。そして、その微妙な人間関係は子どもだって感じ取っています。

ほめるのではなく、相手にすべきは「尊敬」です。

ほめてはいけない、叱ってはいけない理由

何かをすると、他人からほめられる、すると嬉しい。これを何度か繰り返していると「ほめられる」ことを目的に行動するようになります。これは自分の価値基準を他人に預けてしまうことになってしまいます。だって「ほめる」か否かは、相手が決めるのだから。

他人から「ほめられる」ことを目的に行動し、望み通り「ほめられる」間は、むしろ良好な状態にさえ見えてしまいます。しかし、ほめてもらえないと、ネガティブな感情に支配されることでしょう。

そして、ほめてもらえなくなった人は、次は別の手段で人の気を引こうとします。それが「反抗」です。反抗すると「叱られる」。叱られ、憎まれることで、相手の心を掴もうとする。だから「叱ってもいけない」。

更に、人からほめられず、叱られもされなくなったとき、人は無気力になり、自分の無力をアピールしはじめます。「自分はバカだから」「勉強できないから」と諦めの境地になるのです。そして、自分がいかに無能であるか証明をするのです。この境地へ至っては、なかなか支援の手が差し伸ばせません。もっと前段階で踏みとどまっておく必要がある。

哲人 ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられること」を求めます。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。

青年 ではどうするのです!?

哲人 他者からの承認を求めるのではなく、自らの意志で、自らを承認するしかないでしょう。

青年 自らを承認する!?

哲人 「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。幸福な生がどちらの先にあるか、答えは明らかでしょう。あなたの価値を決めるのは、他の誰かではないのです。

青年 そんなもの不可能でしょう! われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認欲求を必要としているのですよ!

哲人 おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう。ありのままでいいのです。「特別」な存在にならずとも、優れていなくとも、あなたの居場所はそこにあります。平凡なる自分を、「その他大勢」としての自分を受け入れましょう。

人を「褒めてはいけない」、そして「叱ってもいけない」。相手の承認欲求を満たすのではなく、代わりにすべきことは、他人を信じ、尊敬し、愛することです。

尊敬できない理由

といっても、他人を無条件に「信頼」できますか?言うことを聞かない、自分勝手な相手を「尊敬」なんてできません。ましてや「愛」だなんて。さらに、承認欲求を退け、「その他大勢」の一人として生きるよう指南する哲人に、青年はマジギレ。

青年 軽口を叩くな、このサディストめ!「お前はどこにでもいる平凡な人間だ」などと言われて侮辱を覚えない現代人がどこにいる!!「それも個性だ」などと慰めを受けて、真に受ける人間がどこにいる!!

キレてますねー。青年は、子どもたちを褒め、叱ることで自立を阻み、いつまでも教師の影響下に置きたいと考えている。それは、自分が特別な存在でありたいと願うばかりに、自分が救世主のように振る舞おうとしている。哲人はそう指摘します。

哲人 あなたはまだ、幸せになれていない。「幸せになる勇気」を持ちえていない。そして、あならが教育者の道を選んだのは、子どもたちを救いたかったからではない。子どもたちを救うことを通じて、自分が救われたかったからです。(中略)
他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に「メサイヤ・コンプレックス」と呼ばれています。

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青年がどうして人を救いたい、救世主でありたいと願うのか。それは、青年自信が、自分の価値を自分で決定することができず、他人から「認められたい」と願っているからです。自らの承認欲求を満たそうとして、他者と関わっているのです。

承認欲求から解き放たれるには、「自立」をすること。平凡な自分を受け入れ、その他大勢の中の一人であることを認め、自分らしく生きることです。それが「幸せになる勇気」なのです。

悪いあの人、かわいそうなわたし。これからどうする

哲人のもとへやってくる人の悩みは、「悪いあの人」「かわいそうなわたし」、この二つの話をするそうです。いかにあの人は悪いのか。いかにわたしはかわいそうなのかを語ります。しかし、その相手に「これからどうする」と語りかけると、返事が変わるのです。過去の嫌な経験を話すのではなく、「これからどうする」。シンプルだけど力強い言葉なのですね。

子どもたちにも、この言葉は有効なようです。ケンカをした二人に、どっちが悪いと話を聞くこともですが、「これからどうしようか」と問いかけは、思考を変えるといいます。

確かに人間は、最初に与えられた条件に思考が凝り固まってしまうことがあります。カタログの中から商品を選び始めると、カタログ以外にも商品が存在することが頭から消えてしまいます。「どっちがいい?」と聞かれると、二つの中から選ぼうとしてしまいます。

「悪いあの人」「かわいそうなわたし」の考えにハマりこんで苦しんでいる時、「これからどうする」という問が思い浮かばなくなってしまうのかもしれないのでしょう。だから、誰かが問いかけて欲しい言葉だなぁと思います。

愛すること、愛されること

そして『幸せになる勇気』の大詰めは、「人から愛される」ことに話が及びます。人から愛されるには、まずは「人を愛すること」です。

また、アドラー心理学は「運命の人」を想定しません。ある日突然運命の人と出合い恋に落ち、愛し合うようになる…というストーリーを描く人は「運命の人がいない」と自分に言い聞かせます。365日、誰とも出会わずに生きている人は稀です。多くの人は常に誰かと出会い続けています。出会いがないわけではありません。

「誰にも愛されない」理由を「運命の人がいない」とすり替えているだけにすぎないのです。

「幸せになる勇気」。それは人を愛する勇気です。人を愛する人は、人から愛される人です。他者から愛されるということは「幸せ」に繋がります。

「人から認められたい」と承認欲求に生きることは、他人が自分の評価を決める生き方です。他人が認めてくれない苦悩の中で一生を生きるのか、一方、自分の価値を自分で決め、自立して人を愛し、人から愛されて生きるのか。

決めるのは自分です。そして、アドラー心理学は、過去の経験は関係なく「今」の自分にスポットライトが当たります。

さて、今、自分は、「これからどうするのか」。

…次回作にちょっと期待w

青年は相変わらず怒り狂い、前作にも増して哲人をなじっておりましたw

この寸劇、嫌いではないので、ちょこっとだけ次回作に期待しております。今回、「教育」と「愛」について怒っていたので、次回は結婚して嫁に対する愚痴を撒き散らす青年とかねw 待っておりますw

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