思いやり、気づかい

『日本橋高島屋名コンシェルジュに学ぶ人の心を動かす「気遣い力」』|最強のクレーマー対応!?

こんにちは。やっぱ憧れのデパートでは胸が高鳴っちゃう あさよるです。先日はあべのハルカス近鉄本店をフラリと見て回って、心の中まで華やぐよう。で、そのデパートでコンシェルジュサービスがあるそうですが、あさよるは利用したことがありませんでした。サービスの名前はデパートによって違うようですが、このサービスいいなぁと思います。

その、日本橋高島屋でコンシェルジュを長く務める敷田正法さんが、人の心を動かすための〈気遣い〉の極意がまとめられたのが本書です。他者を気遣うとは、相手を慮り、そして対等な人間同士として時に毅然とすることなのかもなぁと思いました。

プロの〈気遣い〉の細やかさ

本書『人の心を動かす「気遣い力」』は、日本橋高島屋のコンシェルジュを務める敷田正法さんによる「気遣い」に関する著書です。

コンシェルジュとは、コトバンクではこのように紹介されています。

ホテルの職域の一つで、宿泊客の様々な相談や要望に応える「よろず承り係」。航空券や観劇のチケットを手配したり、道案内やレストランの紹介をしたりするのはもちろん、時には人探しや物探しなどあらゆる要望を承り、「究極のパーソナルサービス」と言われる。顧客一人ひとりに応じたきめ細かいサービスが注目を集め、今ではホテルのみならず、観光案内所や駅、百貨店、病院など、多くの業界・企業に、コンシェルジュという制度が広がっている。

コンシェルジュ(こんしぇるじゅ)とは – コトバンク

なんでも係みたいな存在なんですね。敷田さんは百貨店のコンシェルジュですから、贈り物や買ったばかりの服のタグを切ったりする業務から、道を尋ねられたり、日本橋高島屋で取り扱っていない商品のご要望なら他の百貨店を紹介することもあるそうです。

しかし、本書ではコンシェルジュの特別な技術が披露されるわけではありません。コンシェルジュの最大のもてなしは、上っ面の接客ではなく、心からの心遣いだと言っているよう。お客さまの目線で、ゆっくりと話をする。人は他人の風貌をよく見ているものですから、頭の先から指先、足先まで清潔に整えています。

「ありません」「知りません」「できません」とは言わず、どこの店にあるとか、きちんと調べて返事をします。そのために日ごろから好奇心をもってあらゆることをリサーチしている必要があります。これは、お客さまの無理難題に従うという意味ではなく、誠実に対応するってことですね。

そう、本書で扱われる〈気遣い〉は、コンシェルジュとして誠実に対応する心得が紹介されているのですが、一方で不可能なことはキッパリと断ることも紹介されています。例えば、小包に手紙を添えたいとお客さまが要望されても、それは郵便法に障るので無理な要望です。お客さまの中には「今回だけ」と言う人がいるそうですが、キッパリと断る。まぁね「今回だけ」で済まないことをは目に見えていますねぇ(;’∀’) あるいは、お客さまの過失で商品が傷ついたなら、きちんと理由をお話して納得してもらうそうです。

コンシェルジュとは、お客さまの言いなりになる仕事ではなく、お客さまを一人の人として対等に扱い、誠実に心遣いをもって丁寧に対応する。人と人との大人な関係性ですね。

〈迷惑なクレーマー〉を遠ざける秘訣?

本書を読んでいて、迷惑なクレーマーは日本橋高島屋と言えどやって来るだろう。どうやって対応しているんだろう?と疑問に思いました。これ、あさよるは上手に読み取れていないのですが(;’∀’)、たぶん、本書内にクレーマー対応についても遠まわしに書かれているのではないのか?と思っています。

まず、本書での〈気遣い〉の心得は、王道なものです。清潔な身だしなみで、目線を合わせてお客さまに接する。ゆっくり聞き取りやすく話、お客さまの要望に誠心誠意対応する。これが、そもそも〈迷惑なクレーマー〉を寄せ付けないバリアになり得ないだろうか?と。他人に絡んで迷惑をかける人って、〈人を選んでいる〉印象があります。強気に出れる人を探していると言いますか。

デパートコンシェルジュは、隙のない装いと立ち振る舞いであることで、迷惑な人を一つ遠ざけ得るのではないかと。そして、先ほども紹介しました〈毅然とした態度〉ってのもポイントです。〈徹頭徹尾一貫して対応を変えない〉ことも、クレーマーからすれば「取り付く島もない」のかもしれません。

一流のコンシェルジュとは、〈お客さま〉への気遣いを忘れず、そしてサラリと〈迷惑なクレーマー〉は遠ざける能力の持ち主なのか……すごいな……。しかし、上手な対応ができることって、迷惑な人は排除できる能力でもあるんだと再認識。

私生活でも心がけたい〈気遣い〉術

本書はジャンルでいうとビジネス書でしょうが、ビジネスだけでなくプライベートな場でも役立つ〈気遣い〉が詰まっています。友人と、恋人と、家族と、親戚と、関わり付き合うのに必要なのは〈気遣い〉です。親しみを持ちつつも相手への敬意を忘れず、真摯に向き合う。時には毅然とした態度も必要です。

身だしなみや目線が人との関係を作るって、プライベートな付き合いでは忘れがちですよね。「親しい中にも礼儀あり」って大事だなぁと思いました。

気遣いの人は気遣いの人とのコミュニティがあるのかな

本書で気になったのは、コンシェルジュ同士のつながりのようなものの存在です。例えば、日本橋高島屋で取り扱っていない商品の問い合わせがあったとき、どこなら手に入るのか探します。このとき他の高島屋はもちろん、他の百貨店にも取り扱い状況を確認するそうです。このとき、コンシェルジュがコンシェルジュに聞くんです。さらに、お客さまがレストランを探しているとき、ホテルのコンシェルジュに問い合わせて、お店を提案するそうです。ここでも、コンシェルジュ同士で情報の共有をしています。

これはコンシェルジュという特別な職業についている人同士だけではなく、同じく〈気遣いができる人〉同士のコミュニティってあるのかも?と思いました。ある時は自分が他の人に情報提供を求めるし、ある時は他の人へ情報提供をします。そういう関係って、自然と存在しているのでは!?

身だしなみや心遣いが変わるだけで、人間関係も変わってゆくのかも!?と思い至り、自分のそれを反省しつつ、「自分も変われるかも」と元気も出ました。

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『「気の使い方」がうまい人』を読んだよ

「維摩経」というお経をご存知ですか?
“ゆいまきょう”と読み、維摩(ゆいま)さんという、お釈迦さんの弟子のことが書かれたお経です。

維摩さんは出家することなく、普通の生活をしたままお釈迦さんの弟子になります。出家するとお寺などで住み込みで修行をしますが、在家(ざいけ)信者は自分の家に居たまま修行をします。現在も、多くのお宅はそれぞれどこかのお寺の檀家に入っていますから、在家信者ということですね。

みんな維摩さんにタジタジ

維摩さんが生きていた頃、出家して修行をする僧(お坊さん)たちが偉くて凄い人たち。在家信者たちは格下で低いものとされていました。しかし、維摩さんは在家でありながら、とても優秀な人物でした。出家した僧たちと話をしても、言い負かしてしまいます。
みんな維摩さんに会うと、こてんぱんにやられてしまうので、維摩さんに会いたがらなくなりました。

ある時、維摩さんが病気になり、お釈迦さんにお見舞いに来てくれるよう頼みます。お釈迦さんは自分の代わりに弟子を使わそうとするのですが、弟子たちも維摩さんに会うのを嫌がります。仕方がないので、文殊菩薩が維摩さんの元へ行きました。
実は維摩さん、病気だと行って人を見舞いに呼び、その人達に次々と教えを説いていたのです。文殊菩薩とも、問答(もんどう・質問と答えを論じる修行)をします。
維摩さんは病気だから「お見舞いに来い」と言ったのに、「お説法をする」ことが目的だったんですね。
これがまさに「嘘も方便」というヤツですか。

「嘘も方便」っていうけど、嘘は嘘じゃないの?

「嘘も方便」ということわざも、語源は仏教の言葉です。正しい仏の道を指し示すためには、時には嘘をついてでも人々を導く方法もあるのです。
ことわざでは嘘は良くないけれども、嘘をつかないといけないときもある、という意味でしょうか。丸く収めるために多少の嘘も仕方ない、というニュアンスでも使いますね。

私はこの「嘘も方便」ということわざが大嫌いでした。どんな理由があろうと嘘は嘘だし、嘘は悪いことだ!こんなことわざがあるせいで、嘘をついても構わないと思っている人がいる!そんな風に、イライラしていました。
今は少し考えが変わって「そういうこともあるのかなぁ」と思うようになりましたが、それでも「ついて良い嘘」がどのようなものであるのかは分かりません。

相手を思いやること、気使うこと

一つだけ「これはいいのかな?」と考えたのが、嘘をつくことで相手の人が幸せになったり嬉しくなって、自分の得にならない場合です。「自分はなんにも得にならない」というのがポイントじゃないかなぁと思いました。

山﨑武也さんの『「気の使い方」がうまい人』では、人とのコミュニケーションを上手に行うコツが101個紹介されています。それぞれ、具体的に「こんなときこうする!」というノウハウが詰まっています。自分もいつも気をつけているコツもあれば、まさに私が人と上手にできないこともありました。
「気を使う」とタイトルにありますが、相手の立場で考える。相手の気持ちを想像することが、人とのコミュニケーションを上手にすること。それが「気を使う」ことだ、とわかりました。

私たちはついつい「自分は、どうしたいか」「自分は、どう思うか」ばかり考えてしまいます。自分の気持ちも大切ですが、「相手は、どうされたら嬉しいか」「相手は、どう思われたいのか」考えてみることは、私はできていないと思います。
「相手を思いやる」ということは、相手の立場を考えて行動することです。でもそれは、自分の気持ちと違うこともあるかもしれません。

友達が遅刻してきたら……なんて言う?

例えば、友達と待ち合わせをしていた。だけど、電車が途中で止まってしまい友達が遅刻をしてきた。遅刻の理由は友達のせいじゃないけど、自分は待たされてイライラした。だけど、友達が「遅れてごめんね」と謝ってくれたら、怒らずに「うん、大丈夫」と言う人が多いんじゃないかなぁと思います。本当は、イライラしているのに、「大丈夫」って言うのは、これも一種の「嘘」なのかもしれません。

しかし『「気の使い方」がうまい人』で学んだ気遣いは、これよりも先を考えます。待たされた自分もイライラしましたが、電車の中で閉じ込められていた友達はもっとイライラしたでしょう。その上、友達のせいじゃないのに「ごめんね」と謝ってくれたのです。謝らなくてもいいのに、私のことを思って言ってくれたんですよね。だから、「ありがとう」と私もお礼を言うべきですよね。そして、電車に閉じ込められた友達を思うと「大変だったね」「疲れたでしょう」と、ねぎらいの言葉をかけようと思います。

“自分の気持ち”を正直に言うなら「イライラした」ですが、“相手の気持ち”に立って考えると「ありがとう、大変だったね」になりました。私の考えの通り、相手を思いやっていますが、自分の得には繋がりません。
待たされてイライラしたことも本当です。だけど、友達への「ありがとう」も「大変だったね」も本当です。

自分の気持ちに嘘をつく、というよりも、着目点を変えてしまうのです。
ここまで考えると、もしかすると「嘘も方便」ってこういう感じことなのかなぁ?と少し、気付きました。

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