文学・評論

『自分の仕事をつくる』|誰にもできない仕事をする

こんにちは。あさよるです。「仕事」について考えることが増えて、自分の仕事の仕方も変えてかなきゃなぁと思っていたところから、『自分の仕事をつくる』とズバリ今の自分にドストライクなタイトルの本を見つけてしまって手に取りました。

本書では、いわゆる「クリエーター系」「ものづくり系」の仕事をしている人達へのインタビューで構成されています。あさよる自身も元々、制作系の出身だったので、改めて「自分はどんな仕事がしたいんだろう」「自分はどんな仕事に向いてるんだろう」と考えるきっかけになりました。

ただ、取り上げられている職業が結構偏っているので、参考になる人とならない人の差は大きい本でもあるんじゃないかと思います。制作系で、他にはない差別化ができている仕事をしている人……というか、他とは違う仕事をつくった人たちへの取材記録ですね。

いい仕事をする

本書『自分の仕事をする』では、自分の働き方や職場づくりをしている人々へのインタビューで構成されています。「ものづくり」を仕事としている方へのインタビューがメインです。仕事への「こだわり」と言ってしまうと、なんだか安っぽい感じがしてしまいます。「どんな仕事をするか」は個人のこだわりではなくて、社会の中で「自分は何をするか」を考えている仕事の話なんだろうと思います。

デザイナーたちは、カッコいい商品をつくるだけが仕事ではなくて、働く人たちが気持ちの良い環境だったり、「つくる」という根源的な活動を具現化していたりと、切り取られる側面も様々です。

インタビューに答えるすべての人たちは、自分の仕事が特別である理由を言語化できていて、それを真っすぐに紹介されているのが印象的でした。自分の仕事をここまで率直に言えるって、かなり限られた環境や特別な立場の人なんだろうなぁと思って読んでいると、きちんと文庫版あとがきで「これはキレイゴトじゃないか」との手紙が届いた話題にも触れられていました。送り主は美大を卒業してグラフィックデザイナーとして働いた後、今はイラストレーターやライターの仕事をしているという方からです。いわゆる「クリエーター系」「ものづくり系」の仕事をしている人から見ても「特別すぎる」環境に見えたということなのでしょう。

(むしろ自分がクリエーター系だからこそ、「自分とは違う」と思うのかもしれないけど)

本書に登場する人物たちは、他の人の仕事とは違う、差別化に成功した成功例ばかりです。だから、偏っているのは当然で、そこに「成功していない人」を当てはめてもどうしようもありません。だから、ちゃんと成功例として、読むべきじゃないかと思います。そして、他の人にはできない仕事に成功した人は、意外なまでにも愚直な積み重ねでしかないんだなという、なんとも、けんもほろろと言いますか(;’∀’) 自分のやっている方向性は間違ってないと励まされつつ、「これを続けるしかない」とわかります。

これから仕事を「つくる」人へ

本書『自分の仕事をつくる』は、これから仕事を始める学生や、新しく独立したり、働き方を変えようとしている人におすすめです。仕事を「つくる」って感覚を持てる時期って、結構限られていると思うので、本書の内容がズバッと刺さる人はかなり稀なタイミングなんじゃないかと思います。

ただ、あさよるの場合、あさよる自身も美大生時代、グラフィックデザイナーの仕事に憧れていたころがあったので、本書を読むとその学生時代の気持ちを思い出しました。「そうそう、こんなカッコイイ仕事がしたいと思ってたんだった!」と初心を思い出す読書でした。せっかくブログ毎日書いてるんだし、これも「仕事をつくる」にしちゃえばいいのかなぁ。

しかし、誰しも今後「仕事を変える」タイミングはあるだろうし、来るべきその時のために本書は読んでおいてもいいだろうし、できれば頭の片隅に、仕事を自分で作って、選んだ仕事をしている人がいるんだってのは、覚えておいても良いでしょう。あさよるは、励まされる本でした。

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『新選組血風録』|新選組短編15編

こんにちは。あさよるです。先日は司馬遼太郎『燃えよ剣』を読んだので、次は『新選組血風録』しかないでしょってことで。

「あさよるの愛読書は『燃えよ剣』だった」と言っていましたが、今読み返すとむしろ『新選組血風録』のイメージの方が鮮烈だったんだと気づきました。学生時代にもドはまりしましたが、それ以降も自分なりに実際に幕末史跡を歩いたり、資料を読んだり、他の作品に触れたりしていて、過去に何度も繰り返し読んだ本のはずなのに、初めて読む新鮮さを再体験できました。

これが読書のすごいところですよね。ボロボロになるまで読んでも、また自分が他の本を読んでレベルアップして帰ってくると、あんなに読み込んだ本を初心で読めるんです。

新選組短編15編

司馬遼太郎『新選組血風録』は新選組の短編集。『燃えよ剣』では登場しなかった人物や、触れられなかったエピソードがたくさんあって、今回読み返してみると『新選組血風録』の方が入りにはいいのかも。

『燃えよ剣』では喧嘩士の土方歳三が乱世に紛れて暴れまわり、また恋のお話がたまらず、子どものような一面がたまらんかったのですが、『新選組血風録』の土方の方が悪者っぽい雰囲気もあり、これはこれで良いですな (*゜∀゜)=3

ちなみに読んでいると、黒鉄ヒロシさんの『新選組』キャラで再生される^^

関西人としては、ぜひ本書を読んだら実際に京大阪の街を歩いてみて欲しいなぁと思います。というのも、京都大阪って狭いんですよね。目と鼻の先で敵と味方に分かれ、また味方同士で内ゲバしてるんです。物騒な時代ですなぁ。

以下、結構どうでもい あさよるの感想にもならない独り言。

油小路の決闘

分派した伊東甲子太郎一派を粛正する話。「甲子太郎」という名前は、伊東が新選組に参加したのが甲子の年だったかららしい。甲子は十干の一番最初だからキリがいいし、改名したくなる気持ちもわかる(?)。ちなみに、兵庫県の「甲子園球場」も、オープンが甲子の年だったから。つまり、伊東が新選組に参加した60年後に甲子園球場ができたのだ。そう思うと、幕末ってめちゃくちゃ近いよね。

ちなみのちなみに、その60年後に生まれたのが あさよるです(甲子生まれ)w 歴史の勘定するときに、十干は便利で、キリのいい年や、自分にとって覚えやすい年号を使うとより面白い。

って、めっちゃどうでもいい話だな。

伊東一派が粛清されたという油小路に行ったことがあるんですが、西本願寺(当時の新選組屯所)の目の前なんですよね。「ちょっとコンビニ行ってくる」みたいな距離感。近所の人たちは嫌だっただろうなぁと思うw

そんで、今こう司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』を読み返してみると、伊東甲子太郎はそれなりに強くてカッコよく描かれていることに気づいた。もっとイヤなヤツに描写されているイメージだったなあ。

池田屋異聞

『燃えよ剣』を読んで「あれ、池田屋のページこれだけ?!」と驚いていましたが、こっちの記憶とごっちゃになっていたモヨウ。確かさらに『竜馬がゆく』の方がページが割かれていたと思うから、自分の記憶を信用ならん。

山崎丞が活躍する話で、彼は執念深く、用心深く、お仕事キッチリなのが好きだ。

前髪の惣三郎

新選組小説を読むなら映画やドラマもみたいなぁと思っていて、今すごく見たいのが『御法度』。この「前髪の惣三郎」が原作で、松田龍平くんのデビュー作ね。山崎丞役のトミーズ雅さんが「いかんいかん」って言ってるのしか覚えてなかったけれど、読みながら思い出してきたw

沖田総司が武田真治くんで、すごく良かったんだなぁ~

沖田総司の恋

沖田が医者の娘を遠目で見るため、清水寺へ出かけるところを土方につかまり、二人で清水の茶屋へ行くことに。沖田は自分の病と、気になる娘の存在を隠していて、土方は気づいているんだかいないんだかで、かみ合わない二人。

清水寺の茶屋というと思い出すのは「はてなの茶碗」で、この話も深刻な沖田にもかかわらず、なんとなくユーモラスな話に思えてしまう。「はてなの茶碗」はわらしべ長者みたいな話で、それは新選組の話のようでもあるからおかしい。

四斤三砲

この前、伏見の御香宮神社へ行きまして「おお!ここが!かの!」と喜んでいました。「四斤三砲」では砲術頭だった阿部十郎が、よくわからん新参者に立場を奪われ、そこから伊東一派ともに新選組を脱退し、その後薩摩の砲兵隊に参加。伏見の戦いでは新選組と敵味方になる。それが清々しいお話。彼は維新後まで生き延びる人だし。

で、その「よくわからん新参者」も面白い。大林兵庫と名のり、長倉新八の師匠筋だと言い、土方、近藤らもそれを信じてしまう。んで、長倉も、誰だかわからんクセに「知り合いだ」「師匠の弟だ」と言われるままに、なんとなくそんな気がしてしまうという、登場人物がみんなおもしろい。

菊一文字

刀を研ぎに出した沖田が、かわりに名刀、菊一文字を借り受ける。その帰りに賊に狙われるが、借りたものだし、あまりに神秘的な刀でもあり、逃げて帰ってきてしまう。しかしその後、同じ賊に沖田の配下が殺されたことから、菊一文字で斬ることにする。

『新選組血風録』では沖田はいつも飄々とみんなから愛され、かわいらしい存在として描かれているが、最後の最後は剣豪の姿で終わっていてよきよき(*´ω`*)

シリーズで読んでいこうか^^

本作は短編が映画化されていたり、他の作品の元ネタ的なものも散見されて、他作品も触れたくなるところですね。

あさよるも張り切って、NHK大河ドラマ『新選組!』のDVDを借りにTSUTAYAへ行ったのですが、なぜか『真田丸』をレンタルしてきましたw 『新選組!』はまた来月辺りに……。それまでに、ちょっくら書籍を当たって、記憶のバージョンアップしておきたいっす(`・ω・´)b

あさよるネット、たぶん読書傾向には偏りがあって、シリーズ化を意図はしていませんが結果的に同じよなジャンルの本を立て続けに読んでいることがあります。新選組シリーズ(幕末シリーズ)のページ作ろうかな~。

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『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』|ヴィレバンと本を愛して

こんにちは。本当は本を紹介されたい あさよるです。毎日読んだ本をブログに書いて紹介していますが、他の人の読書ブログを読むのも好きだったりします。そして、自分で自分の歩む本を選ぶのも楽しいけど、自分では手に取らないような本を人からソッとおすすめされたいなぁという願望も持っています。あさよるは一応、人から薦められた本は、まぁ、5年後くらいまでにいは読んでいますw気の長い話ですが、忘れているわけではないので(読みたい本をリストアップしている)、忘れたころに読みますww

さて本書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』はタイトル通り、出会い系で知り合った人に本をオススメしつづけた記録です。著者の文章の表現力の高さからも、ただ情報としてだけじゃなく、エッセイとしてもとても楽しい本です。おすすめ!

本を進めまくってたら人生が変わった

本書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』はタイトルそのまんまですが、夫と別居中、仕事にも生きづらさを感じていたとき、とある出会い系サイトに登録しました。そのときの自己紹介が、こんなもの。

「変わった本屋の店長をしています。1万冊を超える膨大な記憶データの中から、今のあなたにぴったりな本を1冊選んでおすすめさせていただきます」

「変わった本屋」とは、花田奈々子さんはヴィレッジヴァンガードのこと。長年勤め、店長もしていました。ヴィレッジヴァンガードを愛していました。元々はお客としてヴィレッジヴァンガードに居場所を感じており、新店舗のオープニングスタッフ募集に応募したところからヴィレッジヴァンガードで働き始めます。

ヴィレッジヴァンガードを愛し、ヴィレッジヴァンガードで扱われる本を愛していました。だけど、会社の方針から書籍販売が縮小されてゆき、花田奈々子さんたち古参スタッフは反対もしたそうですが、日々の業務で雑貨の発注に追われ、本の売り場に手が回っていないのも事実。そんなジレンマの中の発露として出会い系に登録しちゃいます。

出会った人たちはみな個性的で、明らかにセックスを目的にやってくる男性もいますが、友人として交流が続く人や、女性とも実際に会って、その人にぴったり合った本を紹介し続けます。

さらに、どうしても「自分にとって特別な書店の店長」に会いたいと思い、玉砕覚悟で京都にあるガケ書店の店長にメールを送り、深夜まで語らうこともできました。この経験がすごく特別な出来事だったそうで、「クロスワードパズルのたったひとつの回答が連鎖的にすべての回答を導き出すときのよう」とたとえられていました。

それまで、上手くみんなと同じように立ち回れないと感じていて、本を人におすすめすることも、他になにもできないし、それが特別なこととも考えておられなかったようです(めっちゃスゴイのにね!)。

そしてついに転職を考え始めます。しかし、本にかかわる仕事がしたいけど、ヴィレバンのような書店はない。自分で何かお店をするのも簡単じゃないし、ブログでアフィリエイトを使って本を紹介するのも、生活を保障するほどの売上は望めません。考えあぐねながら、ビブリオバトルの参加者と盛り上がり、一日限りのイベントとして「人に本をおすすめする」ことになりました。

その後、転職を決意し、複合型の大型書店に応募します。エントリーシートには

「出会い系サイトで実際にいろいろな人に会い、その人の話を30分くらい聞いてその人にぴったりだと思う本をおすすめする活動をしていました。この1年で70人以上の人に会い、本をすすめてきました」p.192

と書きました。面接では、元区議会議員、出版社の編集長経験者というスゴイ人と並んで一緒に面接を受けることに。企業側は、花田奈々子さんのエントリーシートを見てから「すごいヤツがきた」と超期待されており、すんなり採用されます。「出会い系をやってると履歴書に書いて採用される人が他にいるのだろうか」と自分でつっこんでるのが面白いw

さらにその後は下町の小さな書店で店長もなさったそうだ。どこまでいっても本と関わるお仕事をなさっていて、本当に特別なものなんだとわかります。

人の心に寄り添う本

本書のもととなった「WEBmagazine 温度」で連載をしていたとき、お母様を亡くしたことがきっかけで「何か本を読みたい」と訪ねてこられたお客さんがいたそうです。その方に本を数冊おすすめし、その中からお客さんが自分に合いそな本を選んで購入します。

本というのは、人の心に寄り添えるものだと、あさよるは分かっていませんでした。なにか大きな出来事があったとき、その心が本を求めることがあるのだと知りました。そして、花田奈々子さんがいつも「あなたの心に寄り添う本」を選んでいました。だから一対一でお話をしてからじゃないと本を選べません。

あさよるも毎日本を読んでブログを紹介していましたが、本が人の心に寄り添えるものだと考えていなかったし、誰かの心に寄り添い、誰かが気に入り、誰に染み入る本を提供したいという発想すらありませんでした。あさよるの読書は独りよがりで、そしてなんだか乱暴な気がしました。

「誰かのための読書」ってあるのかも

あさよるにとっての読書は「喰らうような」もので、過食や中毒もお構いなしに破裂してでもそれでも体の中に押し込こみたいものでした。ある意味ジャンキーというか、こう改めて書くとどうかしてるw だから、誰かの心・気持ちなんてフォーカスしたことがなかったのです。自分の気持ちさえも結構どうでもよくて、苦しくてもただ呑み込むことしか考えていませんでした。

だけど、「誰かのために本を読む」ってことがあるのかも。しかも、なにか具体的に有益な情報を提供する目的ではなくて、それが何らかの癒しや精神的支えになるような、もっと抽象的な意味での読書です。まあ一応、当あさよるネットでも自己啓発書はちょいちょい紹介していて、自己啓発書も「人の心に寄り添う本」の一つでしょう。だけど、心を興奮させるものだけじゃなく、穏やかに、リラックスするための読書があっても良いですよね。

というか、リラックスのための読書って、別に特殊でもなんでもなく、いたって一般的なものなんでしょう……あさよるが本にそんな効能を求めていなかっただけで(;’∀’)(;’∀’)

なんだかものすんごく、読書ブログ運営者として、『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』では反省と学びと目からウロコ連発でした。

あと、すごく良い本です。読みやすいし、特別な行為を、特別に表現しききっていて、その表現に舌を巻きます。

読みたい本ザクザクでした

『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』ですから、本書内でも実際にどういう人にどの本をすすめたのか紹介されています。あさよるもペンを片手にメモりながら読みました。

巻末には本書で著者がおすすめした本一覧があるので便利です。

他人の読んでいる本というのは、とても気になるものですが、他人が他人にすすめる本というのは、もっと気になります。あさよるも気軽にホイホイ周囲の人に本をすすめますが、本当にうれしいのは人から あさよるに合った本をすすめられることです。

あさよるのことをよく分かったうえで、好きそうな本や、気に入りそうな作品を推してくれるのはすごく嬉しい。本書ではその、人に本を選ぶワクワクと、人から本を選んでもらう嬉しさが潜んでいて、とても良い気持ちだった。

いつも一人で書店へ行くから、たまには誰かと「目的地:書店」で、本に囲まれて時間を過ごしたい。

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『燃えよ剣』|もっと読みたい!

こんにちは。あさよるです。先日、こんなネット記事を見かけました。

内容を簡単にまとめると、とあるTwitterユーザーの蔵から曾祖母様の日記が見つかって、大学のゼミの先生に見せたところ、曾祖母様自作の新選組の土方歳三と沖田総司のBL小説と、土方と自分の夢小説だったというもの。どうやら曾祖母様は新選組屯所のお隣にお住まいだったそう。

……これはエモい! 「エモい」って言葉を最近覚えたばかりで使いどころがわかってなかったが、「これが〈エモい〉なのか!」とヘンな盛り上がり方をしております。ソースがTwitterなので信憑性がわかりませんが、ええ話ですなぁ~。「このおばあさん、今年の盆は帰ってこれないね」「いや、毎年コミケ行ってんじゃね?」なんて(サーセンm(__)m)。

そして、この話題に触発されて、あさよるもかつての愛読書『燃えよ剣』を久々に読み返すのでありました。

創作欲をかき立てる小説

『燃えよ剣』は、土方歳三が主人公の司馬遼太郎の小説です。司馬先生の代表作の一つと言っていいでしょう(よね?)。生来の喧嘩師だった土方が、時代の巡りあわせで今日へ上京し、帯刀を許されチャンバラに明け暮れる前半。後半は、時代は変わり、戊辰戦争勃発で鳥羽伏見の戦いで敗戦し、江戸へ帰り、東北、そして函館戦争で最期を遂げるまでのお話です。

お話の中で、印象的なのは宿敵とのバトルと、その途中出会った女性「お雪」との恋。この恋が、これが激熱なんですよね~。お雪さんはええ女だし、土方がまた超キュートすぎて、司馬遼太郎小説に出てくるヒーローたちは、キュンキュンするんですが、『燃えよ剣』の土方は格別だ。

で、この『燃えよ剣』の面白がりポイントは、『燃えよ剣』から派生して小説やマンガ、ドラマなど創作物がたくさん作られているところでしょう。これからシリーズ的に、新選組モノ、幕末モノ書籍を読んでまとめるのも面白いかもなぁなんて、ワクワクしております(^^)v (何を隠そう、あさよるも、どっぷり『燃えよ剣』きかっけで幕末モノにハマってた時期があって、その頃に作りかけてた案もあるので、掘り返していきたいですm(__)m)

足りない!から読みたい!

出典を忘れてしまったので偉そうなことが書けないのですが、先日「ネットで評価の高い映画は、次の映画が見たくなる作品だ」という記事がありまして、そこから派生して「きっと、みんなが愛してしまう作品というのは、それだけでは不完全だったり、なにか足りない要素があって、それを補いたくて他の作品を欲してしまうものではないか」という仮説を立てました。

そして『燃えよ剣』もまさにそういう作品じゃないかと思うんですよね。まず、なんと言っても「短い」! 今回久々に読み返して「あれ?こんなに短い小説だったっけ?」と驚きました。もっと読みたい。もっとこの世界に浸ってたいし、もっとキャラクターの心情を知りたい。だけど、物語は淡々と進んでいき、たった上下2巻で終わってしまう。圧倒的に「足りない」し、「もっと追いかけたい」んですよね。これが、「他の作品を読みたい」原動力なんだろうと思います。また、『燃えよ剣』から派生している作品がたくさんあるのも納得できます。

あともう一つ驚いたのは、思ってたよりも司馬先生の「以下余談ながら」が少なかったことですね(笑)。説明がとても少ない。もっと説明書きが長いと思っていました。むしろすごく淡泊。池田屋事件なんかも、ト書きくらいな感じで、要点だけ書かれている感じだった。これも記憶の中と実際が違っていたなぁ。これももっと他の資料に当たって掘り下げたくなる理由かもな、と。

以下、あさよるの好きな新選組作品の話

個人的に好きなのは、みなもと太郎さんの『冗談新選組』。これは『燃えよ剣』のパロディマンガですね(どちらかというとドラマ版のパロディっぽい)。終始ドタバタが、『風雲児たち』にも引き継がれていて、よろし。

(↑『冗談新選組』kindle unlimited版アリ-2018/08/17現在)

あと、今パッと思いつくのが、映画版『壬生義士伝』の佐藤浩市の着流し姿ががエロくて……///。佐藤浩市さんは斎藤一役で、沖田総司が堺雅人さんなのが個人的にたまらんという。映画版『壬生義士伝』は配役がツボったな。小説版ももちろん読みましたが、小説も好きなんだけど、吉村貫一郎の最期が苦しいんですよね( ノД;)

(↑Amazonプライムで見られます)

数を上げるとキリがなさそうなので、今後、ブログで書いてきたいなぁと思います。

あ、新選組、幕末モノのドはまりしてた頃にテレビ放送していたのが、野村萬斎さんのNHKドラマ『鞍馬天狗』で、鞍馬天狗の宿敵の新選組が「どんだけ隊士がおんねんww」とツッコみつつ、バッサバッサと鞍馬天狗が新選組隊士を倒しまくる、ザ・悪役新選組で、これはこれですごく好きでした。これ、TSUTAYAであるかなぁ~。また見たいな。

この『鞍馬天狗』は、司馬遼太郎の『燃えよ剣』路線じゃないけど(なにせ「鞍馬天狗」ですからね)。

あさよるは、10年以上前にも読書記録をつけるブログを書いていまして、その頃のログを見ると新選組、幕末モノばかりなので、過去の書き散らしを有効活用してきたいです。

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爆笑問題・太田『違和感』|肯定しきれない白けと、静かな憧れ

こんにちは。ラジオっ子のあさよるです。つい深夜ラジオを聞いて朝寝坊をやめられません。今はradikoもあるのにね(;’∀’)

爆笑問題の深夜ラジオも面白くてついつい聞いてしまう番組の一つです。テレビでは、太田さんがフリーダムなキャラに感じますが、ラジオではむしろ田中さんの方がキワどい感じですね。意外と、常識的なのは太田さんで、常識があるからこそ、ちゃぶ台をひっくり返すようなことができるのかも……。

で、2018年は爆笑問題が結成30年の年だそうで、太田さんの書籍が出版されました。

照れと違和感がもたらす露悪趣味的な何か

『違和感』は爆笑問題の太田光さんが、爆笑問題結成30周年記念にまとめられたエッセイ。Amazonの紹介ページには「語り下ろし」とあるので、聞き書きみたいですね。「人間関係」「笑い」「世間」や「世論」を取り巻くニュースなど、身近な話題に関する「違和感」をテーマに話されています。

太田さんと言えば、テレビで毒舌キャラって感じでしょうか。ちょっと斜に構えて皮肉屋っぽいイメージ? あさよるは「シャイな人なんだな~」って印象でした。しかし本書『違和感』を読むと、太田さんって毒舌でもシャイでもなく、「素直にホントのこと言っちゃう人なんだ」と気づきます。それは「純粋」とも言えるけれども、「露悪趣味」とも言えるでしょう。

つまり、誰も思ってるけど言わないことを言っちゃう。例えば、本書では「〈いじり〉と〈いじめ〉は同じだ」という話題がなされています。太田さん自身も相方の田中さんを〈いじり〉ますが、結局のところ「みんな他人をバカにして笑っているんでしょ」と誰も言わないことを言っちゃいます。それが芸人の芸であれ、それを見ている人は「上から目線」がどこかにあって、何かを「笑っている」ことには変わりありません。「〈いじり〉と〈いじめ〉は違う」というのは、人を笑う方の理屈であって、笑われている側からすればそんなのどちらも同じでしょう。

芸人として、お笑いの持っている功罪というか、笑いの仕組みまで冷めた視線で語られているのが、意外に感じ驚きました。

たけしと談志のええ話

個人的に「ええ話や」と感じたのは、死にたいとこぼす談志が元気がないからと、ビートたけしに「談志師匠に会ってほしい」と頼み、太田さんが幹事役で、談志、たけし、そして太田の三人で食事をしたときの話。いばらく時間がたって、談志が言う。

「たけしがいて太田がいる。今日は最高にうれしい一日だ。ただひとつ俺にはおおいに頭を悩ませることがある。さっきからずっと小便がしたいのだが、行くべきか、行かざるべきか、それを悩んでいる」p.171-172

なにこの言い回し最高にオシャレじゃないっすか!あんまりどうのこうの言うのも野暮ですが、二人への称賛の言葉をこんな風にあらわせるんだなぁと。

そのあと、談志師匠が色紙を3枚取り出し、記念に3人でサインしてそれぞれを持ち帰ろうと提案します。そじてまず、色紙の真ん中にテレビでは放送できないマークをでっかく書く。太田さんにとっても宝物だけど、絶対にテレビでは放送できないw

底にあるのは「白け」なんじゃないか

本書『違和感』の冒頭で、日本のお笑いにあるのは「照れ」だと触れられています。太田さんの印象も照れ屋でシャイな人のイメージだったから、それも相まって納得しました。しかし本書を読んでいると、太田さんの人柄の底にあるのはどうしようもない「白け」なんじゃないかと思い至ります。

熱く情熱的になりきることができない。ブームに乗り切りことができない。マジョリティのお祭り騒ぎに便乗しきれない。だからといって、マイノリティに同情し、共感もしきれない。なんかそういう、どこか「冷めた視線」、前のめりになれず、引いてしか物事を見れない態度みたいのを感じました。それは太田さんの特性だけではなく、太田さんたち「新人類」と呼ばれた世代の持っている世界観なのかもしれません。実際に本書のレビューを見ると、同年代の方が「わかる」と共感なさっているのが印象的でした。

太田さんは破天荒なわけではなく、本当はとても常識的な人で、すごく冷静に物事を見ていて、なにかお祭り騒ぎやブームを冷ややかに傍観する視線を持っていて、だから「誰も言わないこと」をズバッと言っちゃう。その場のノリに乗りきれないのかもしれません。なんかその冷めた感じ、あさよるも「わかるかもなぁ」なんて。

もし、テレビでしか爆笑問題を知らない人は、本書を読むとイメージが変わるかも?

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『ヘンな論文』|論文のテーマ探しは身近にある?

こんにちは。あさよるです。毎日暑くてダルいですから、サクッと軽く読める本がないかと、積読してた『ヘンな論文』に着手しました。ただこの本、軽く読めるちゃあ読めるんですが、内容は面白いのでじっくり読んでしまいましたw 世の中にはヘンな論文を書く人もいれば、ヘンな論文を読むのが好きな人もいて、さらに本にまとめちゃう人もいるんですね~。

身近なネタから論文ができる

本書『ヘンな論文』は、著者が「サンキュータツオ」さんというユニークなお名前なこともあり、てっきりヘンな論文を集めたネタ本なのかと思いきや、結構まじめに面白い本でした。

まず「ヘンな論文」が集められているのですが、どれも着眼点が「面白い論文」で、ものすごく気になる研究が集められています。第二章の“公園の斜面に座る「カップルの観察」”とかすごく気になります。有名な話では、京都の鴨川沿いに座って並ぶカップルが等間隔に並んでいるという話がありますが、あれを真面目に研究してみた論文です。カップルの隣にいる人との距離と時間帯により、抱き合ったり、手をつないだりと、カップルの密着度も変わるそうです。また、海沿いでは横にいる人との距離を気にしますが、斜面居座っているカップルは前後のグループとの距離を気にするそうです。「だからなんだ」という研究な気もしますが「ヒトの習性」として面白いですね。

女子高と共学では、女生徒の服装や行動が変わるという研究も、同じく「ヒトの習性」を垣間見れて興味深いものです。女子高では制服で登校してきてもすぐ体操服に着替えてしまい、髪形はショートカットが多く、化粧もしない人が多く、文化祭では被り物(馬とか大仏とか)が好まれます。しかし男女共学校では、制服を着替えず、髪が長い生徒が多く、化粧に興味がないと言いながらメイクしている生徒が増え、学際でも浴衣姿やメイド服が目立ちます。

元近鉄ファンの生態も、大阪府民の あさよるとしては興味深い。近鉄バファローズが解散し、オリックス・バファローズに吸収され、選手はオリックスと楽天に分配されました。その元近鉄ファンたちにアンケート調査し、生態を探るものです。ちなみに あさよるの周りでは今は楽天を応援してる人が多いですね。

“「コーヒーカップ」の音の科学”では、「コーヒーカップにインスタントコーヒーとお湯を入れて混ぜていると、カップに当たるスプーンの音がだんだん高くなっていく」と教え子から聞いたことで、研究が始まりました。この論文を書いたのは高校の物理教諭です。学術論文は大学の先生でなくても学会に所属していれば書くことができます。この研究では、インスタントコーヒー粉末と一緒にお湯の中に混ざっている空気が抜けていくと音が高くなっていくと結論付けています。しかし、先に同じ研究をし論文を発表している人が世界にいたため、この論文は発表されませんでした。

ネタはこう探す:論文の書き方、コツ

本書『ヘンな論文』は、ヘンな論文を茶化してる本ではなく、むしろ「研究テーマはこんなに身近に溢れてる」と好奇心掻き立てられるものです。おっぱいの揺れ方を真剣に研究していたり、ネコの癒しを研究している人もいる。大学の研究、論文っていうと、ものすごいメカメカしい最新メカに囲まれてビン底メガネをかけた研究者が哲学的なよくわからん話をしていたり、ザ・マッドサイエンティストが緑色の試験官を両手に持っているワケではないのです(なにそのイメージ)。

『ヘンな論文』で紹介される論文たちは、世間話の中でネタに上がるようなテーマばかりです。等間隔に並ぶカップル然り、ネコが宇宙のヒエラルキーの頂点に君臨していること然り、いわずもがなですよね(キッパリ)。で、それを実際に研究し、その結果を論文にまとめている人がいるってだけです。

もし卒論のテーマで悩んでいる人がいれば、本書『ヘンな論文』はオススメです。普段1mmたりとも考えてないようなテーマを掲げる必要はなく、身近なテーマに目を向けてみるきっかけになるでしょう。

大学進学を考えている中高生へ

論文ってなんだ? 大学の先生って何を研究してるんだ? と、これから大学進学を考える中高生にも『ヘンな論文』はなかなかワクワクする読書体験を与えてくれるんじゃないでしょうか。簡単ではありますが、論文とは何か、どうやって論文は書かれるのかも紹介されています。

研究についてこんな説明もなされています。

 美しい夕景を見たとき、それを絵に描く人もいれば、文章に書く人もいるし、歌で感動を表現する人がいる。
しかし、そういう人たちのなかに、その景色の美しさの理由を知りたくて、色素を解析したり構図の配置を計算したり、空気と気温を計る人がいる。それが研究する、ということである。
だから、研究論文は、絵画や作家や歌手と並列の、アウトプットされた「表現」でもある。無粋だという人もいれば、最高にポエジーだという人もいるだろう。美しいものを配置する法則もまた美しい。数学者や物理学者に詩人が多いのはこういうことに由来するのではないかと思う。
研究は未来を予見する表現だ。
p.77-78

世界の心理を研究し、論文にまとめて書いて発表するのか、絵にかいたり音楽に乗せるのか、表現の仕方が違うだけでやってることは同じなんですね。自分も将来論文を書くかもや論文書きたいと思う人にオススメです。

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『究極の選択』|音・感触・言葉にならない感覚を持ち続ける

こんにちは。あさよるです。このブログを始めてから、読書傾向が大きく変わりました。以前から有名人や著名人のエッセイやコラムみたいなのを読むのは嫌いじゃなかったのですが、その「有名人」の幅が広がって、「これまで知らなかった人物のエッセイ、コラム」も手に取るようになりました。

今日読んだ『究極の質問』もそう。著者の桜井章一さんは「雀鬼」とも呼ばれる雀士。といっても、あさよるは麻雀なんて全然知らない分野ですから、桜井章一さんのことも何も知らずに本書『究極の質問』を読み始めたのですが、質問に対し、独特の思考でありながら筋の通った話が展開されてゆく様子が、抽象的で刺激的な読書となりました。

雀鬼へ究極の質問

本書『究極の質問』は、「雀鬼」と異名を持つ雀士・桜井章一さんへ、究極の難問をぶつけまくった記録です。「殺人はなぜ罪か」や「死刑制度は必要か」みたいな質問から、「AIは人の仕事を奪うのか」「極限状態で人の肉を口にするか」「周囲に流されず独自の道を生きるには」のような、多彩な質問がよせられています。

桜井章一さんの回答は独特で、理屈を並べるのではなく、とても感覚的なのが印象的です。といっても、もちろんトンデモや電波な答えをしているわけではありませんよ。回答には理由があって納得できるものですが、その答えを導き出す経緯が独自路線な感じ。

たとえば「道徳」についての質問では、道徳はその社会の思想を広めようとしているとし、それが正しく優れたものであっても人々に押し付けをすると、反発する人も現れる。道徳によって諍いが生まれることもある。日本人には「恥の文化」がまだ残っていることもあり、慎ましく行動する傾向があるが、「ムラ社会」の名残でもある。それは「旅の恥はかき捨て」と言葉があるように、いざムラ的共同体の外に出ると、タガが外れた行動をしてしまうとも言え、はたして「恥の文化」が日本人の「徳」なのかは怪しい、と答えておられます。また、大人は子どもに「人に迷惑をかけるな」としつけるが、迷惑をかけずに生きられる人はいないため「迷惑はかけちゃうけど、お互いにあまち迷惑をかけすぎないように気をつけていこうね」と教えるべきだとも話されています。

そして「道徳」の話は桜井章一さんが主宰する麻雀の会「雀鬼会」のルールへ話が及びます。雀鬼会では「いい麻雀をみんなでつくろう」というルール、一種の道徳があるそうです。その「いい麻雀」とは、勝ち負けじゃなく、

勝ち負けを超えた次元でみなが気持ちのいい麻雀が打てるように(p.73)

と話されています。また、社会の中の「道徳」は先に紹介したように負の側面もありますが(反発する人や、諍いの種になりうる)、雀鬼会のルールは全員が気持ちよくなれるものです。麻雀にある駆け引きや騙しのテクニックを取り去った麻雀だそうです。

桜井章一さんがおっしゃっている「道徳」の説明は、言葉の上では「わかる」ものですが、

経済と政治の要素をことごとく取り去った麻雀(p.74)

というのは、実際にどういう状態なのかイメージしにくいですよね。この話では「道徳」をテーマにとても抽象度の高いお話をなさっている印象です。これは、本書を通じて、具体的な話題を扱いながらも、時折とても抽象的に話が展開したりと、結構刺激できな読書になりました。

ゲームの勝敗じゃなく「音を聞く」

「隻手(せきしゅ)の声」という言葉があります。禅の公案で、両手を叩くと「パン」と音がするが、片手だけならどんな音がするか、というもの。隻手の声を桜井章一さんはどのような解釈をするか? という質問が寄せられていました。

桜井章一さんは、片手であっても掌はそこにある空間、空気を感じ、“気体”の濃度が発する気配を「音」感じると答えておられます。本書ではこの「音」が重要な存在なのです。

 雀鬼会では牌を麻雀卓に捨てるときの音を大切にしている。
牌を打つとき、無駄な思考、無駄な動きが無ければこの「内に響く音」が鳴るが、少しでも無駄な動作が入ればいい音を響かせることはできない。
牌はつかまなければ捨てることはできないが、「つかむ」という感覚があると無駄な動作が入りやすくなる。

p.137

このあと牌の扱い方が続きます。麻雀を勝ち負けのただのゲームとせず、身体感覚を使って、スポーツをしているような感覚……という感じでしょうか。とても繊細な〈何か〉に注目し、言及されているようですが、言葉として頭に入るだけでは到達理解できなさそうです。やはり、なんらかの身体感覚を伴う、感覚的なものがあって、それを掴むためのアドバイスなんだろうと想像します。

さらに、麻雀を、川上から綺麗な水を流すように打つようにと指南されていたり、ただの勝ち負けのゲームとしてじゃなく、なんらかの抽象的な動作や存在について言及しているのだろう部分が、とても興味惹かれました。

言葉にならない感覚を失わない人

わたしたちヒトは、動物として生まれてきて、成長過程で社会的教育を受け、人間になってゆきます。社会性を身につけるのと引き換えに、われわれはたくさんの動物的感覚を失ってゆくそうです。赤ちゃんは誰に教えられなくてもお母さんのおっぱいを飲めますし、勝手に筋トレして首が座り、寝がえりやハイハイ、自力で歩けるようにとなってゆきます。

だけど、社会性というのは、後天的に見につけるもので、勝手に養われてゆくものではないし、本能的な行動欲求を抑えつけ「こんなときどうする」とケーススタディをインストールされるものです。また、時代にあわせて常識や社会規範はかわってゆきますから、適時アップデートも必要です。

さて、桜井章一さんのお話からは、とても感覚的で抽象的な感じを受けました。ある種の「動物としての感覚」を失わずに持ち続けている人なのかもしれないと感じました。麻雀ってそんな感覚を使うゲームなんでしょうか。

ちなみに「あさよるは透視ができます」というと「暑さでどうかしたのか!?」と心配されそうですが、トランプゲームの場合、テーブルや服に反射したカードの色とその面積で「赤か黒か」「色の面積が多いか少ないか」くらいは「見える」ことがあります(条件が揃えばね)。だからゲームをするときは、反射しないよう机や服を準備しないと公正とは言えませんねw 勝負事って、身体能力によって結果が左右するものだと思うから、「雀鬼」と呼ばれる桜井章一さんがなんらかの身体能力が高くても、驚くことではいのかも。

五感の感じ方の偏り(桜井章一さんの場合「音」や「感触」に言及されているのが印象的です)については、「NLP(Neuro-Linguistic Programming)」的な捉え方もできるかもしれませんが、なんだかそれは野暮な気がしました。

あさよるも、何らかの「感覚」を失わずに持っているとするのなら、これ以上それを「社会性」で上書きするよりも、持ち続けたいし、能力を引き出せるように感覚を磨いていたいと思いました。

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『モヤモヤするあの人』|読むほど常識がゲシュタルト崩壊

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

この本めっちゃモヤモヤするー!!/(^o^)\

やばい、読み始める前のモヤモヤのない世界に帰りたいww こんにちは、あさよるです。ああ、そんな大したこと書いてある本ではないハズなのに、なんだかすごくナンセンスでおかしな話が展開されている気もする本に遭遇してしまった~。サクッと簡単に読めるコラム集で、一つ一つの話はそう、そんな大それた話をしてるワケじゃないのに、読了後なんか「生きるとは」みたいな、でっかいことを考えてしまったww

それにしても、あさよるにとっては知らなかった常識をたくさん仕入れることができたので良い読書でした。

追記(2017/07/24)

著者の宮崎智之さんからメッセージいただきました(^^♪

これはアリ?ナシ? あの人は一体何?

本書『モヤモヤするあの人』は、巷の「なんとなくモヤモヤする話」を集めた本です。著者の宮崎智之さんは「人間観察」が趣味という。

人間観察は、場所や時間を問わずに行われる。ある時は、カフェの隣の席で怪しげな勧誘をしている若い女性に目がいき、ある時は、バーで女性を口説こうとしている40代後半の小太りなおじさんに目がいく。おじさんは、弁護士事務所に勤務していると名乗っているけど、手相占いと称して女性の手に触ろうとするその行動は、法律的にセーフなのだろうか。
また、駅のホームで固く抱擁しながら海藻のように揺れている謎のカップルにも、ついつい目を奪われてしまう。大人なんだから終電を気にせずホテルにでも行けばいいと思うが、そうもいかないのだろう。もしかしたら不倫なのかもしれない。それにしても、この手のカップルに美男美女を見たことがないのは、なぜだろうか。
ビジネスシーンもモヤモヤの宝庫だ。スーツにリュックで営業先に行くことは失礼にあたるのか。大雪が降っても定時に出社しなければいけないのは、どうしてなのか。SNSで嫌いな上司から友達申請が来た場合、部下はどう対応すればいいのだろうか。

p.4-5

「とるにたらない話題」と称されているんだけれども、ああもう、こうやって指摘されちゃうと気になり始めて仕方ない。「終電間際の駅で〈海藻〉のように揺れているカップル」ってw 確かに彼らは何をやってるんだろう。別れを惜しんでいのだとしたら、二人はそれぞれの自宅に分かれ分かれ帰宅するのは決まっているということなのだろうか。言われてみればホテルでも行けよ、という気もする。

「スーツにリュックはアリか」というのも、言われるとすごく気になる。いるよね、リュック背負ってる人。通勤スタイルとしてはリュックは便利でいいと思うけど、あれでお客様の前に出るにはカジュアルすぎるような気がするなあ。通勤用と、勤務中用のカバンを2つ用意したらいいんじゃないかと思うけど……。

本書は大きく2つの章に分かれている。「これはアリかナシか」という二択と、「あの人は一体何なんだ」という問いである。

世界には我慢できることとできないことがある!

本書『モヤモヤするあの人』で取り上げられる話題をかいつまんで、あさよるの主観を交えて紹介してみる。主観が多めなのでご注意。この「モヤモヤ」は、なんとなく納得できないんだけれども、だけど相手を糾弾するほどのことでもない感じ、と言ってもいいかもしれない。

例えば、大きな災害や事件が起こると「不謹慎厨」が沸く。他人の発するツイートやブログ記事に対して「こんなときに不謹慎な!」と怒り始める人たちだ。まあでも、気持ちはわからなくはない。ショックの大きい出来事に出合うと、とてもヘラヘラする気になれないし、そんなときに浮かれたことをしている人と温度差を感じることもある。だけど、だからと言って「不謹慎だ」と憤るほどのことでもないと感じる。社会を揺るがすような出来事であればあるほど、その他の人は「いつもと同じ通りに生活をする」ことが「平穏」を取り戻すために必要な力だ。大変な時こそ「いつもと同じ通りに生活をする」べきなのかもしれない。

少なくともあさよるは、この二つの間で揺れ動く。「いつも通りに生活をする大切さ」もわかるし、だけど浮かれた話題に対しては気持ちをどこに持って行っていいかわからない。いや、浮かれた話題はまだいいけれど、あさよるが動揺してしまうのは「野次馬」的な言動を見聞きすることだ。わざわざ危険な場所に出向いて写真を撮って、それをインターネット上にアップロードすることになにか意味があるのだろうか。自分のツイートもバズると思ったのだろうか。

「モヤモヤ」はそんな、気持ちをどう持って行っていいのかわからないときに起こるんじゃないかと思う。

食べ物の相性は重大だ

本書で最もショッキングだった「モヤモヤ」は、「焼き鳥を串から外して食べる」という常識があるらしいことだった。しかも、ガブっと齧り付けずに串から外すのではなく、「みんなとシェアするため」に串から外すらしい。つまり、一本の串を複数人で分けて……食べる……だと……? そんなん、自分の食べたい串一本頼んだらええやん。

あさよるの世界軸にはそのような慣習がなかったため、とても戸惑っている。あさよる的には、串から外してバラバラにして冷めてしまった焼き鳥はおいしそうな気がしないんだけれども、どうなんだろう。

こういう、食べ物に関する相性はとても重大だ。あさよるも昔、とことん食べ物の好みが合わない人と一緒にいて、ほんとにとてもとても疲弊してしまった経験がある。「この時間帯にこれ食べるの?」って感覚も違うし、「食べ方」も違っていて、食事中の会話も弾まずただひたすら気まずい時間だった。これはかなり堪える。

焼き鳥の串外し問題も同様に、実はとても根が深い話ではないかと思う。ただもちろん、どちらが正しい/間違っているわけでもないし、他人に強要することでもない。ただ「モヤモヤ」するのみである。

『モヤモヤするあの人』挿絵イラスト

サプライズは良いこと!?

焼き鳥問題と同じくらい衝撃だったのは「サプライズ」に関する話題だ。サプライズって、あれだ、あの、「フラッシュモブ」とかいうやつだ。公園にデートに行くと突然公園にいた人たちが踊り始めて、彼が最後にプロポーズするとか、結婚式で出席者たちが踊り始めたりするやつだ。あんなの喜ぶ人がいるのかと訝しんでいたが、なんと本書によると、

ネットマーケティングが2015年3月に実施した調査によると、「恋人からサプライズされると嬉しい」と思っている男性は94%、女性は96%にのぼっている。(中略)予定調和を崩す意表をついた演出は刺激的で、胸ときめくもの――。世間の大多数が、そう考えているのである。(p.143-144)

男性94%、女性96%って、圧倒的多数じゃまいか! え!? みんなそんな感じだったの!? サプライズ嬉しいの!? あさよるが空気読めてないことに気づいてものすごくショックでしたorz

あさよる的には、言葉によって、これからの話も話し合える人がいいです……。「サプライズ」っていうけど、突拍子もなく告白やプロポーズしてるんじゃなくって、お互いにもう確信している状態で、最後の口頭の約束をしているんだと思うんだけどなぁ……違うのかなぁ(弱気)。

ちなみに、街中の広告用の大型ビジョンに、自分のメッセージを掲載してもらうのは、割と手の届く値段でできるらしい。サービスをまとめておられる方がいらしたので、リンクのせておきます。

イラつく人にイラつく

街中のモヤモヤの代表格は、電車の中でお年寄りに席を譲ってよいものか……という葛藤です。今の人はみんな若いですから、席を譲ると申し出ても断られてしまうどころか、小競り合いになることもあるそうです(反対に、席を譲らないことでモメることもあるそう)。あるいは、電車の中で赤ちゃんが泣き始めて……イラっとしてしまう。

本書では、著者の宮崎智之さんは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ」というよりは「赤ちゃんの泣き声に苛立つ人に苛立ってしまう」と書かれていました。あさよるも同じで、別に赤ちゃんの声なんて気にならないんだけど、「イライラする人がいるんじゃないか」「文句を言う人がいたら嫌だなあ」「もし怒る人がいたら、私はどんな行動を取ればいいんだろう……」と、周りの大人たちへの警戒心でピリピリしてしまいます。

「イラつく人にイラつく」状態です。

これにちょっと似ているなぁと思うのは、電車の中で化粧をする女性。電車内で化粧をする行為への是非はともかく、その人がいることで周囲が緊張している感じがツライ……。

まさに「モヤモヤ」ですよね。一旦モメごとが起こったならば、自分はそれに適切に対応するしかないのですが、「モメてないけど、これからモメるかもしれない」という宙ぶらりんの緊張感がモヤモヤします。

化粧ってマナーだったの!?

電車の中で化粧はどうなの? って話題で登場した概念にも驚いた。それは「女性の化粧はマナー」だというもの。え、化粧ってマナーだったの? すっぴんはマナー違反ってこと……? あさよるは「社会人としての最低限の身だしなみ」は男女ともに求められていると思うし、さらに職業によってはより身だしなみに気を遣う職種もあるだろう。しかし、「それ以上に着飾ること」は個人の趣味だと思ってたよ……。ショッキンッ!

非リアとして生きる

「モヤモヤ」は、「リア充」たちに向ける非リアたちの眼差しにも感じます。いや、あさよるも非リアの一人ですから心が痛んだ話。リア充たちはこれでもかとSNSにリア充感満載の投稿をしまくってくる。しかも彼らの投稿が気に障るのは「非リアのために配慮されている」ところだと指摘されていた。つまり「花火大会楽しかった!また来年も行こうね」と写真付きで投稿するんだけれども、「誰と一緒に行ったのか」はボカされている。どうせカップルで行ったんだろうに、非リアに配慮して恋人の存在はぼやかされてるんですってよ! まったく! なんかものすごく言いがかりな気がするw

で、われわれ非リアたちは、「リア充」を心のどこかで見下している、とも紹介されている。センスが悪くて「パーリーピーポーウェーイww」みたいにラベルを張ることで、心を落ち着かせているのかもしれない。

これもまあ、モヤモヤする話ですな。

〇〇ヅラする人々

「彼氏面する男」というのが本書に登場します。別に恋人同士でもないのに、というか、そんなに親しいわけでもないのに、なぜだか彼氏のような振る舞いをする男がいるらしい。服装をチェックしたり、他の男性と話していると「嫉妬する」と告げられるんだって。なぜか女性に対して上から目線なのもポイントだ。

でもこれって、女性版の「彼女面する女」もいるよね。カップルでもないのになんか男性の世話をせっせと焼く人。ああ~、特に親しくもないのに「親友面」する人もいるやねw なんか突然ぶっちゃけ話をしろと迫られたり、「悩みならなんでも聞くから」となにも相談してないのに申し出てくださる人ね。

「意識高い系」だって、別に優秀なわけじゃないのにさも優秀な人間のように振舞ったり、特別な努力をしているわけでもないのに頑張ってる感を出して着たり、忙しいアピールとかね。

おもしろおかしく他人の姿を笑うこともできるけれども、「じゃあ、自分はいったいどうなんだ」って考えると、笑顔が引きつります(苦笑)。あさよるも、ついつい「〇〇ヅラ」してるのかもな~……と、やってるよなぁ~(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)

あさよるもまた、ある時は他人をモヤモヤさせているのだった。

あ~モヤモヤする

『モヤモヤするあの人』はいくら読んでもスッキリしません。わざわざモヤモヤの不快感に突っ込んでいくような本かもしれません。しかし……考えてみると、むしろ現代のわれわれは「スッキリとわかりやすい話」に慣れすぎていて、答えのない問を繰り返すストレスに耐えられなくなっているのではないでしょうか。池上彰さんの解説は確かにわかりやすいし、面白いけれども、やっぱりバラエティー番組として昇華されていて、あくまで「快楽」ですよね。「わかった気になって気持ちいい」んです。だけど、本当の大問題というのは、答えがないから問題であって、30分やそこら、アニメーションや模型を使って解説して答えがスッキリ見つかるわけではありません。

『モヤモヤするあの人』は、なーんにも考えなくなっちゃった頭には、ある意味刺激的です。読めば読むほど「モヤモヤ」が増すんですから。だけど、ものすごーく大きな大問題を扱っているわけじゃなく、あくまで与太話の範疇。仲間内でダベリながらいいネタになるような話ばかりです。

あさよるは、自分の常識とは違う常識をいくつも発見しました。みなさんはどうでしょう~。

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『漢方的生き方のすすめ』|面白い話・好奇心は健康にいい?

こんにちは。あさよるです。毎日つらつらと読書をしていると、時折思いがけない本に出会うときがあります。今回手にした『漢方的生き方のすすめ』もそうでした。正直、なんかインチキくさい本なのかな~と読み始めたのですが(すみません……m(__)m)、思いがけなく背筋が伸びる読書体験でした。著者の丁先生の半生は、極貧の子ども生活から、働きながら大学の医学部に入り、その後研究者として評価されながら、漢方の道に進み、自力で人生を進んできた様子が、とても励まされるものでした(`・ω・´)b

それだけじゃなく、話題が古今東西のアレコレにポンポン飛躍しながら展開してゆき、知らないこと&これまで持っていなかった切り口ばかりでオモロー。だけど、軽く読める内容だし、分厚い本でもないし、サクッと楽に読めて良かったです。

「漢方的」な生き方とは

本書『漢方的生き方のすすめ』は、漢方とか薬膳とか、体にいい習慣が紹介されている本なのかな? と思い手に取ったところ、全く内容が違うものでした。そして、最初の想像よりずっと良い読書経験となりました。

本書は医師であり漢方医でもある丁宗鐵さんと、イラストレーターの南伸坊さんの対談で、主に丁先生のお話を南さんが伺う形式で構成されています。南伸坊さんが病気を患った際、丁先生と巡り合い、丁先生のお話が面白く話を聞きに病院へ通っていらしたそうです。それが、本書の企画に繋がったというわけですね(幸いにもご病気も完治なさったそう)。

内容は、丁先生の生い立ちから、医師になり、また西洋医学の研究者から東洋医学へと移ってこられた経緯を話しながら、つらつらと古今東西のアレコレとりとめもない話が展開されます。それが、本書を通して見ると「漢方的な生き方」が浮き上がってくるという仕掛けです。

なるようになる・なるべくしてなる

丁先生は、貧しい中お父様の仕事を手伝いながら勉強し、医学部へ進みます。そこで学生時代、漢方に触れほかの大学にも出入りしてたそう。その経験から、漢方の研究に誘われ現在に至ります。といっても、西洋医学の研究が評価されアメリカの大学に招かれた経験もおありで、とても優秀な方なんですね。

「なるようになる」を体現されておられて、流れに逆らうことなく、目の前の課題をただこなしていくうちに、流れ流れて今に至るような生き方が、漢方的なのかなあと。ただし、丁先生の場合は「なるようになる」と言っても、とてもレベルの高いお話なんですけどね(;’∀’)

西洋科学を否定しないし、これが「中庸」

丁先生ご自身が医師で、西洋医学の研究をなさっていた経緯もあり、本書では決して西洋医学・西洋科学を否定しません。漢方こそが万能と言っているわけでもありません。そのへんのバランスのとり方が「中庸」なのかもしれないなあなんて思いました。

この「中庸」という考え方を見てみますと、

ちゅう‐よう【中庸】

[名・形動]
かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。

中庸(ちゅうよう)とは – コトバンク

「かたよらない」「調和」というキーワード、すんなり理解できる人と、なかなか感覚的にわからない人がいるのではないかと思います。あさよるは完全に後者です。この「中庸」という感覚が、なかなかわからない。あーだこーだ苦戦しながら理解をしようと挑戦しております。

抗うわけでもなく、かといって流されるわけでもなく、あるがままにあり続けられる生き方っていいね。

丁先生の生き方がすごい<(_ _)>

本書では、丁先生のご経験に交えて、古今東西の医学や科学、歴史や雑多な知識がポコポコと飛び出します。話はあっちへこっちへ飛び散りながら、だけど一貫して「漢方的な生き方」の話題に着地します。

江戸時代、わずかに許されていた貿易のほとんどは外国から漢方薬を買うためだったとか、だけど薬を輸入するにはコストがかかるから江戸時代に朝鮮人参の栽培の研究が始まったとか、「へぇ~」と感心する話ばかり。

漢方や東洋医学は、日本のみならず東アジアで発達した医学であり、漢方・東洋医学を知ることは、東アジアを知ることでもあるんですね。もちろん、東アジアの歴史だって、他の地域と影響しあっていますから、どんどん関心が広がっていきますね。

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『スマホ断食』|落ち着け!人とつながりすぎネット時代

『スマホ断食』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよる家には中学生の頃Windows95がやってきて、高校生の頃から24時間ブロードバンドで常時ネット接続されるようになりました。10代の頃、朝まで友だちとチャットしてそのまま合流して遊びに繰り出したりね。ということで、あさよるは「ネット依存症」だと言われたらNOとは言えないでしょう。けど、ピークは越えていて、近場に出かけるときはモバイル端末を一切持っていないことの方が多いです。

スマホの登場によって、文字通り24時間ネットにつながりっぱなし、人とつながりっぱなしになった人も多いでしょう。寝る直前までLINEして、お布団の中でYouTubeを見て、朝一SNSチェックして。今日読んだ『スマホ断食』は、もはや当たり前になった習慣から、たまには脱却してみようとの誘いです。一人の時間、自分の思考に浸って、物思いにふける時間を取り戻しましょう。

「物思いにふける時間」を

本書『スマホ断食』は、スマホやパソコンから離れ〈ネット断ち〉の必要性を説く内容です。著者の藤原智美さんご自身が正月の三が日、パソコン、ケータイ、テレビ、ラジオもシャットアウトし、活字情報のみに触れる時間を作ったことで、「情報漬け」生活から距離を置きます。そこから、情報断ちを月に1回2回と増やしてゆき、とめどもないネット依存状態から脱した経験から始まります。

藤原智美さんは作家ですから、もちろんパソコンもネットも必需品です。しかし、そのパソコンやネットによって集中力が阻害されることにも触れられています。本書も決してスマホやネットを否定しているものではありませんが、「道具に使われている」状態を自覚し、脱出する重要性が紹介されています。

枕元にスマホを置いて眠るわたしたちは、24時間人とつながりっぱなしで「一人の時間」を失ってしまいました。現代の若い人は、スマホと一人部屋のいずれが欲しいか尋ねると、スマホを選ぶそうです。今の大人世代は、かつて「一人の時間」を過ごした経験を思い出してみてください。その時間は、自分の物思いにふけったり、ボーっとしたり、何かに集中したり、自分の思いを吐き出したり、なにかしらかの時間だったはずです。

時々思い出しては「一人の時間」を持つことは、意味がある活動ではないでしょうか。本書では、ネット依存によって起こっている弊害が紹介されています。

人とつながりすぎ時代

スマホを手にしたわたしたちは、24時間ネットにつながっています。スマホを操作する時間はケータイ時代の2倍になっているそうです。そして、その時間の多くはTwitterやFacebookのSNS、LINEなどに費やされます。それらは、単に暇つぶしではなく「向こう側に人がいる」のです。そう、現代は「人とつながりっぱなし時代」なのです。

そして、単に個人と個人がつながっているだけじゃない。情報に翻弄され、なにがなんだかわからなく、自我を失っていると言っても言い過ぎじゃないかも。

祭り・炎上に翻弄される

今やネット発の祭り・炎上がテレビや新聞等メディアをにぎわします。もうマスコミもネットを無視できないし、抑え込むこともできません。

今(2018年5月)アイドルタレントのわいせつ事件から派生して、セクハラ・パワハラの話題でタイムラインは持ちきりです。先月の4月には相撲の土俵の上で倒れた舞鶴市長に救命処置をした女性を、土俵から降りるようアナウンスしたことが炎上していました。その前にはFacebookの個人情報の取り扱いや、なにより今年は冬季オリンピックの年でした。遥か昔の話のようで忘れていた……。

あまりにも目まぐるしくトレンドが移り変わり、その都度なにがあったのかよくわからないまま、なんとなくの雰囲気に自分の気分も動かされています。その炎上や祭りの勢いを誰もコントロールできていませんし、「結局のところなんだったの?」ってことが多すぎます。

例えば「STAP細胞」の話題は、正直、多くの一般人は専門知識なんて持っていないし「結局あれはなんだったのか」分かってないんじゃないでしょうか。STAP細胞の騒動も、件の論文について指摘したのは専門のネットニュースサイトだったそうです。そこから、あれよあれよと一挙に大事件となり、亡くなった方もいましたが、多くの人には「結局あれはなんだったのか」わらかないまま。

また、2020年の東京オリンピックのロゴの盗作疑惑で賑わったこともありました。で、「あれは結局なんだったのか」って感じの人も多いんじゃないでしょうか。芋づる式に他の盗作を指摘する画像もネットで持て囃され、テレビでも放送されていました。

「自分の考え」を持つ時間がない

各話題の良し悪しの話は本題ではありません。ここで重要なのはトレンドに翻弄されることによる弊害です。結局なんなのかよくわからないニュースが多く、理解しないまま次々とトレンドが移ろってゆき、「自分の考え」を持つ時間なんてありません。「本当はなにがあったのか」を知る時間も、考える時間もありませんから、反射的に「快不快」や「好き嫌い」しか持てません。

いじめ自殺があると、いじめた生徒やその家族の名前、担任教諭の名前などが探り出され公開されます。そのとき「同姓同名の別人」がとばっちりでバッシングに遭うこともあります。少し考えれば「別人かも」という可能性が多いにあると分かりますが、もはや「祭り」になっている状態を誰もコントロールできません。

「いいね!」のために行動してしまう

SNSにどっぷり浸っていると、TwitterやFacebookで「いいね」されるための行動をとり始めます。「インスタ映え」はもはや伝統芸のようになり、加工された写真映えするかしないかで消費の動向が変わります。

市民マラソンがブームになってしばらく経ちますが、かつて「孤独」だったマラソンも、今や「SNSに投稿するため」にコスプレランナーも目立ちます。コスプレといえば、ハロウィンもいつの間にか定番のお祭りになっています。

出会った景色や出来事は「いいね」されるか否かで判断し、写真を撮って投稿して終わり。そのため、一瞬一瞬の風景や心模様に焦点を合わし「感じる」「考える」機会が減っているのかもしれません。

ネットネイティブ時代

すでにインターネットが普及したあとに生まれた「ネットネイティブ世代」は社会人になり始めています。彼らに見えている世界は、ネット以前の世代とは全く違うでしょう。そして、ネット以前に生まれた世代ですら、ネットの情報、SNSの人とのつながりにより翻弄され、かつて「ネットがなかった時代」とは全く違う時間を過ごしています。

新しい感覚と、従来の教育

ネットネイティブ世代にレポートを書かせると、平然とコピペでパッチワークされた文章を提出するそうです。それが彼らの「普通」なんですね。「著作権」という概念を持っていないかのようで、ネット上にある情報は無料で勝手に使っていいと考えているようにさえ見えます。

学校教育でもタブレットが導入されたり、黒板の代わりにタッチパネルのスクリーンが導入されている学校もあるそうです。事前に用意されたデータを映し出して授業は進みます。「黒板に注目」という決まり文句もそのうちなくなるのかもしれません。そんな教育では、そもそも「学校」自体が不要になるのかもしれません。実際に「MOOC」と呼ばれる、インターネットを使った教育も世界に普及しています。

一方で、アナログな授業を頑張っている先生もいるようです。小学生に辞書をひかせ、漢字をたくさん覚え、アナログの本で調べることを徹底して教え込んでいるのです。その教育を受けた子どもたちは、中学生になっても机の上にアナログの資料を並べ、自分で調べながら勉強することに抵抗がないようです。

人格がビックデータに集約されて……いいの?

ショッピングしてポイントカードを提示すれば、ポイントがどんどん溜まってラッキー! ……だと思っていますか? 企業はポイントカードで個人と買い物の傾向をひも付けし、よりピンポイントにセールスを行うために情報を集めています。ネットで買い物すればその買い物の傾向から、表示される広告が変わります。

自分という人格ではなく、自分が情報化されているようです。

著者の藤原智美さんは「智美」という名前の男性です。通っているフィットネスクラブで会員カードを提示すると、女性用のロッカーキーを渡されることが二回や三回じゃないそうです。目の前の男性からカードを受け取ったのに、パソコン画面に映される「智美」という名前だけで女性だと判断されているようです。

すでに、生身の肉体や人格よりも、情報・データの方が大きな意味を持つ時代は来ているのかも。

『スマホ断食』挿絵イラスト

みんな、おちつけ!

芸能人の不倫とかLINE流出とかセクハラとかブログ炎上とか、もう、とりあえず落ち着け! 実際に、当事者間で何があったのかなんて到底わたしたちにはわからないんです。芸能人のスキャンダルや下世話な話がオモシロイのはよーくわかりますが、冷静に考えてみると、これってとても恐ろしいことかもしれません。

そりゃ、芸能人のスキャンダルは「見世物見物」かもしれませんが、日々炎上している話題の中には、わたしたちと同じ〈一般人〉も多くいます。別に有名人でもタレント志望でもない人が、あるとき、ある瞬間に「見世物」にされるって、恐ろしくないっすか? 当人に過失もなく、事実とは違う言説が拡散されちゃうこともあります。そして、誤報は一気に拡散されるのに、訂正はあまり拡散されないというジレンマもあります。

まあ、とりあえず落ち着け! ちょっと深呼吸して、スマホとパソコンの電源を落として、まずは「落ち着く時間」を。そして「ゆっくり、自分の頭で考える時間」を。時にはアナログの紙の情報を集める習慣も。『スマホ断食』は、誰もがネット依存症の時代だから、意識的に取り入れてもよい習慣です。

ネットネイティブ世代が知ってること

あさよるの個人的な考えでは、ともあれ「ネットネイティブ世代」の言動は、これからの新しい時代の常識なんだろうと思います。ネット上にある情報をまるで著作権フリーであるかのような振る舞いも、昭和世代の あさよるには理解しがたい一方で、インターネットの世界は今後そんな世界を目指すのかもしれません。

また、教育のあり方が変わり、学校が不要になるんじゃないかというのも、半分はそうだろうと思い、半分はそんなことはないと思います。確かに、学習はインターネットを使って遠隔で可能だし、ニーズもあるし、今後も増えるだろうと思います。しかし「教育」とは、別に読み書きそろばんを教えるだけじゃなく、「○○らしい行動」や「こんなときどうする」といった、思想や立ち振る舞いを教える場でもあります。それが良いのか悪いのかわかりませんが、「学校教育がなくなる」というのは、ホントにあるのかな? と訝しむ。

あさよるも若い頃は、もっと的確にリアルな「今」を感じていましたが、もう年を取ってしまって「常識」が邪魔をして今が見えません。インターネットは、かつてなら接点のなかったような若い人の話を知ることができるのが、最大の利点だろうと思います。

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『これはしない、あれはする』|「人生に夢中」なら大丈夫

こんにちは。執念深いあさよるです。過去の、相手はもう忘れてるような出来事を思い出してイライラします。「相手はもう忘れているだろう」という事実がまた、腹が立つのよ! ……と、自分でも「無駄な時間だなあ」と思うのですが、性分なのか、なかなか気持ちが治まらないのでした。

本書『これはしない、あれはする』は、あさよるのような、感情に支配され冷静でいられない人にとっては、耳に痛い本かもしれません。「わたしだって、こういう風に生きたいのよ」と憧れを持つかもしれません。「大らか」とも違う、「ゆるし」や「諦め」とも違う。「夢中」という言葉が相応しいだろうと思います。

目の前の〈仕事〉に夢中になることが、唯一の現実逃避であり、そして唯一の復讐です。それは「自分の人生に夢中になること」だから。

自分の時間に集中する心得

本書『これはしない、あれはする』は、著者の小林照子さんがエッセイを通じて生き方、考え方を紹介する本です。小林照子さんは美容家でメイクアップアーティストです。戦前生まれの方で、化粧品メーカーのコーセーで勤務ののち、メイクアカデミーや美容も学べる通信制高校を開校なさり、今も現役で活躍中です。

本書では小林照子さんが、ご自身の経験から「これはしない」「あれはする」と心に決めてこられた事柄が紹介されるものです。一貫しているのは「時間を他人に奪われない」ということです。「これはしない」では理不尽で腹立たしい出来事があっても、それに執着せず、他人を恨まない。それは何をかもを「許す」とか「諦める」と言うよりも「他人のことを考えて時間を浪費しない」という感じです。

小林照子さんは幼少期、ご両親を早くに亡くされ、生涯で5人の親や養父母を持ちました。大変な境遇の中、感情に呑まれて生きる道もあっただろうけれど、その都度「自分がすべきこと」を真っすぐと見据えて、自力で道を切り開いてこられた方です。また、千載一遇の「チャンス」をガッシリと掴んで、大きく人生を変えることも、躊躇いません。

自分に与えられた時間を、最大限自分のために使う。そのためには、他人を恨んだり、自分の境遇を嘆いている時間もありません。とてもパワフルで、力強いカッコいい女性像が描かれています。

こんなパワフルな女性は多くない!?

本書の著者・小林照子さんが、仕事に生きるとてもカッコいい方なんです。不遇な境遇の中、チャンスをしっかりと掴み取り、学び、働き、自力で道を切り開いてゆきます。こんなパワフルな女性に憧れたり、こんな風に生きたいと望む方も多いでしょう。一方で、こんな風に強く一途に生きれる人も少ないだろうなあという本音もアリ。

不遇なままの人もいるし、チャンスを逃す人もいる。ひたむきな努力が必要なのはわかっているけれども、目の前のラクや手抜きを選んでしまう人がいても、誰がそれを責められるでしょうか。小林照子さんって、すごく特別な人なのカモ……。

子ども時代の経験から、現在では教育事業をなさっていて、美容専門学校だけでなく、美容が学べる通信制高校を開校され、すごい人だなあと思うばかりです。

苦難があっても大丈夫

本書『これはしない、あれはする』は2章からなっていて、一章目が「しないこと」、二章目が「すること」です。第一章「しないこと」の多くは、人間関係の中で、自分を尊大に見せたり偽ったり、嫉妬や執着しないなど、「自分の時間を最大限に活かすために、いらないこと」から解放されることで、自分の人生を自分で生きる方法が示されます。第二章「すること」では、「自分の人生をより豊かにする」アイテムや、価値観、習慣などが紹介されます。

第一章「しないこと」は多くの方が当てはまる考え方が詰まっています。境遇はみな違いますが、人間関係に悩んだり、上手くいかないこと、他人に裏切られたり利用されたり、腹立たしいことも起こります。しかし小林照子さんは、いちいちそれを悩んだり、相手を恨んだりしません。そんなことしている時間がないからです。「自分の人生に夢中になる」とは、どんな仕打ちを受けても、それをいちいち気に病む時間がないことなんだなあとわかります。

第二章「すること」は、年齢を重ねた方に多くあてはまる内容です。それは、若い人の考えや道具を柔軟に取り入れ、時に叱り、非があるときは謝り、謙虚に生きる心得が書かれています。また、いつまでも現役でい続けるために、いつまでも未来を見据え、設計図を描き続けるのです。若い世代は、自分がどんな風に年齢を重ねていくのかを考える助けになるでしょう。

いいことも悪いことも起こります。だけど、人生に夢中になっている人にとっては、何があっても取るに足りないことなのかもしれません。

説教くさくないエッセイ^^

本書『これはしない、あれはする』の あさよるの素直な感想は「説教くさくない年寄りのエッセイだなあ(^^)」というものでしたw 小林照子さんの生い立ちは、読んでいて言葉がないほど苦難の連続で「こんな人生を生きる人がいるのか」と気持ちが重くなるほどでした。しかし、本書はカラッと明るく、苦しい経験よりも〈今〉に注目している著者の姿が印象的です。

会社員時代は「そんなイケ好んヤツがおるんか」という先輩や上司が登場して、あさよるは立腹しっぱなしなんですが、小林照子さんは華麗にスルーなんですよね。それよりも、今目の前の仕事に没頭しづつける姿に脱帽。

あさよるの印象に残ったのは「容姿の欠点にふれない」という話。長年、美容を仕事をしている方だから言葉が重い。例えば「こうすると目が大きく見えるよ」というアドバイスは、「あなたは目が小さいよ」という指摘になりうる。言った人も、言われた人も、その時はそれが〈トゲ〉だと気付かないでしょう。しかし、小さな言葉のトゲがチクチクと、コンプレックスを作ってゆくのです。「顔より性格よね」と、相手を褒めたつもりが、相手のコンプレックスを作ることもある。容姿については「触れない」のは基本で、触れる場合は言葉をよく選ぶ必要があります。

歳をとっても、「欲張りに生きてもいい」というのが、本書のメッセージでもあります。著者の小林照子さんがまさにそう生きています。何歳になっても、やりたいことをしてもいい。年齢で区切る必要はない、という言葉は、多くの人を励ますでしょう。

「反撃しない」という話も、気に入りました。小林照子さんが美容部員時代、ベージュの口紅を塗って出勤すると「小林さんは双子だったんですね。今日はお姉さんがご来社ですか」と声をかける上司がいたそうです。要するに「老けて見える」と言っているのです。ちょっと傷つくけど、言い返すほどのことでもない。それを、気にしないようにしたという話です。あさよるは、読んでるだけでイラついて堪らんのですが、確かのもっと穏やかでないと時間がもったいない……。

自分の人生に夢中に生きるとは、なかなか難しいものです。

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大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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『仕事は楽しいかね?』|くだらない失敗が、チャンスを呼ぶ

こんにちは。あさよるです。今日(2018/3/20)は久々に京都の美術館をハシゴして回ろうかと練っていましたが、天気予報が悪いのでやめ。春休みが始まるし、これはもう行かないパターンだなあ。春の京都なんて人が多すぎる。「こうしよう」と思ってても、思い通りにいかないものですねぇ。

今回手に取った『仕事は楽しいかね?』は、悪天候で足止めされた空港からお話が始まります。「こんなこともあるだろう」と分かっていながらも、イライラしちゃうシチュエーションです。そんなとき、たまたま出会った老人が、自分の生き方を変える人物だったら……。これを「ラッキーな物語」だと思う人もいれば「アンラッキーな話」に思う人もいるでしょう。だって、もしかしたら自分にも、主人公と同じように、千載一遇の出会いがあったかもしれないのに「見落としていたかもしれない」と気づいてしまうから……。

本書『仕事は楽しいかね?』は、お話ですから、一度逃したラッキーが、向こうから引き返して戻ってくるところから話は始まりまります。ありえないフィクションです。

老人からの金言集

本書『仕事は楽しいかね?』は、悪天候で足止めされた空港で出会った老人との対話形式で話が進んでゆきます。最初は老人を軽くあしらいますが、のちに彼が発明家・起業家として巨万の富を築いた人物だと知ります。

「あぁあ、名刺も渡さなかったし、そもそも嫌な印象を与えてしまった。」

こんなシーンから始まります。主人公は、目の前に現れたチャンスを、知らなかったとはいえ、棒に振ってしまったのでした。成功者のエッセンスを吸収できたかもしれないのに。

多くの場合は、これでおしまい。後から嘆いたところでチャンスが二度と振り向きません。しかし、これは物語ですから、再び老人は主人公の前に現れます。そして、あろうことか、成功者の金言を主人公の若者に残すのです。

失敗していい

本書『仕事は楽しいかね?』で老人が若者へ告げる金言は「失敗していい」「チャレンジを続けよ」「偶然のアイデアを探しなさい」という、至極当たり前のことを、実例を挙げて根気強く語り掛けます。多くの人は、そんなことわかっていても、実際に実行できずにいるのではないでしょうか。

成功者と呼ばれる人たちは、地道で地味な作業を真面目に繰り返してきただけであることが、本書を読んでいるとよくわかります。そして多くの場合、成功のきっかけは「偶然」で「くだらないきっかけ」だったりします。

コカ・コーラは、風邪薬を風邪もひいていないのに水に溶いて飲んでいる人を見て、マネをしてみた結果「さらに炭酸でシュワーっとすれば美味しいのでは」と思ったことです。あの有名なコカ・コーラのロゴマークは、伝票に商品名を書いた文字をそのまま使いました。ただの偶然の、くだらない思い付きの連続が、現在のコカ・コーラになったのです。

くだらないことの連続。その中に

くだらない、小さな思い付きの中に、偶然の組み合わせでアイデアが生まれます。大事なのは、偶然のアイデアを逃さないこと。それは、たまたま空港で出会った老人を会話をするくらい、偶然にチャンスが訪れます。そして多くの場合、準備不足でチャンスをみすみす逃します。

大事なのは、虎視眈々とチャンスを待ちながら、多くの偶然を生み出すかです。そのためには遊び感覚でどんどんやってみて、どんどん失敗して、どんどん偶然を増やしてゆくのです。いつか、素晴らしいアイデアがやってくるまで。そして、素晴らしいアイデアにふさわしい自分を用意しておかねばなりません。

アイデアは古いアイデアの中にある

この話では、新しく素晴らしいアイデアとは、古いアイデアの偶然の組み合わせの中で生まれるとされています。くだらない、目も当てられないようなアイデアでも、組み合わせ方次第で真新しいものに変身し得るのです。

だから、どんな些細でしょうもないアイデアでも、書き留めておけばよいのです。これが「失敗してもいい」という理由。失敗したアイデアも、後々「使える」瞬間がやってくるかもしれないから。

偶然の組み合わせから新しいアイデアが生まれる、アイデア発想法の定番と言えば『アイデアのヒント』をどうぞ。

チャンスは突拍子もなく現れ去ってゆく

あさよるも昔、みんなが知っている〈有名人〉とたまたま偶然同席したことがあって、その時にショックだったのは「ポートフォリオがないっ!」ということでした(苦笑)。当時あさよるはデザイン生で、ポートフォリオを持ち歩くよう指導されていたし、あさよるも「そんなの当然」と思ってたのです。なのにその時、ポートフォリオを持っていなかったんですね~。帰宅後、急いでポートフォリオを印刷してしばらく持っていましたが、近年長らくサボってますw 本書『仕事は楽しいかね?』を読みながら、上記のエピソードを思い出して、「ああ、ポートフォリオ作らないと(;’∀’)>ボリボリ」と反省しました。

「仕事は楽しいかね?」ってタイトルも沁みますねえ。「がんばってますっ」「この仕事がしたいですっ」って口では言ってるくせに、自分の仕事を紹介するポートフォリオすら持ってないって、そりゃ「ホントに仕事は楽しいの?」と聞きたくなります。本書の主人公も、老人に自己紹介として「そこそこ給料をもらっている」ことと、仕事のグチしか出てきませんでした。

チャンスというのは、ある日突然舞い降りてきます。そして、その瞬間に消えてなくなってしまいます。一瞬のチャンスを常に待ち構えていないと、捕まえることはできないんです。あさよるも経験から知っています。サボってましたが。反省しました(;’∀’)

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『専業主婦は2億円損をする』|「移住」「フリー」のカードを!

こんにちは。あさよるです。『専業主婦は2億円損をする』というタイトルのインパクトで手に取ってしまいました。誰もがわかっちゃいるけど、誰もが口にしない、誰もが具体的に計算しない現実を、アケスケに語る内容です。10代、20代のこれから社会に出る、これから結婚する主に女性に向けて書かれた本です。もちろん、10代20代の男性にとっても、生き方、働き方について当てはまります。

一旦、専業主婦になってキャリアが途切れてしまうと、その後は非正規でしか就労が難しいので、結果的に貧困に陥りやすいという話です。だから、どうすればいいのか……。本書を一冊読み通してやっと「そうか」と結論に達します。

そういえば、あさよるがいつも見てる女性ユーチューバーさんが妊娠の報告なさる動画で「つわりが辛く退職した。しばらくニートをする」とお話されていてビビったのだ。そうか、もう今の20代の感覚だと専業主婦は「ニート」なのか、と。ちなみに、あさよるの友人も「結婚したがニートはしない」と言っていた。あさよるの考えが古いのかもしれない……。

幸福な人生設計

まず、幸福な、理想的な人生のお話から。あくまで「理想」の状態ですからねっ!(と前置きしてから始めるw)

年収800万円が幸せのピーク

人間は年収800万円くらいが「幸福」を感じるピークだそうです。少なすぎると、お金のことで悩まされ幸福を感じにくいし、それ以上になると、感覚がマヒして「幸福」度が横ばいになります。だから、とりあえずの目標として、年収800万円を設定してみましょう。

これくらいお金があると、お金を気にせず好きなことができます。

ちなみに面白いことに、アメリカでも年収7万5000ドルくらいが幸福度のピークらしいです。日本円にしてだいたい800万円くらいなので、社会が変わっても「満足できて、マヒしない」程度が同じなのかもしれません。

二人合わせて1500万円

800万円は一人が満足できる値なので、既婚の子育て世帯で年収1500万円を目標と設定しましょう。当たり前ですが、女性が専業主婦の場合、男性が一人で1500万円稼いでこないといけません。ですから、年収の高い男性は女性からモテます。二人が「人並みの幸せ」を得るためのお値段です。

現実のセカイ……

はい、言葉が出ませんねっ。次、現実の世界です。そりゃ800万ほしいよ! 1500万捕まえたいよ! できないから困ってるんじゃないか!

非正規、低所得が増えるばかり

現実世界は、説明するまでもありませんが、非正規雇用が広がり、低所得層が増えるばかりです。貧困に直面する家庭も少なくありません。世代間格差が拡大して、若者のワーキングプアも珍しくありません。

そこそこ同士で結婚してる

辛い現実の中、しかし今でも結婚する夫婦はいます。先ほど挙げた「二人で年収1500万円」に全く満ちていなくても、低所得でも、それなりに二人は出会って、それなりに家庭を持ってる人はいます。女性も「理想は理想」だと分かってますから、理想と違う相手でも納得しています。年収が低くても、相手が素敵な人であれば、パートナーに選ぶ女性は大勢います。

自由・自己実現・愛情友情……どれか2つ

本書では人生のパターンを8つに分類して説明されていました。

まず、生きる力を3つに分類します。

  • 社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • 人的資本→働く力・・・自己実現
  • 金融資本→お金・・・自由

この3つの要素の組み合わせで、人生のパターンを分けます。

人生の8パターン

1.プア充

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

お金はないけど仲間がいるパリピ系。友だちとの絆で成り立っている。

2.ソロ充

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

仕事はできてお金もあるけど、恋人も仲間もいない。都会で単身世帯。

3.裕福な引きこもり

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

裕福な引きこもり。友だちはいないけどお金はある。孤独な高齢世帯によくある。

4.リア充

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

仕事もバリバリやって、友達も恋人もいる。育ちの良いリア充は、学生時代のネットワークも使える。

5.ソロリッチ

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

高収入のまま一人でいると、お金も貯まり金融資本と人的資本が上がってソロリッチになる。社会的に成功するとカネに人が集まってくるので、人間関係が煩わしくなる。

6.幸福な専業主婦

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

仕事はしてないけど、お金も友達もいる。大企業を定年退職後、ボランティアに勤しんでいるイメージ。あと、夫が裕福な専業主婦。

7.貧困

  • ×社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ×人的資本→働く力・・・自己実現
  • ×金融資本→お金・・・自由

社会的資本、人的資本、金融資本の三つともない状態。貯金ゼロで助けてくれる家族も友達もいない。日本で若年層に現在増えている。

8.超充

  • ○社会的資本→絆・・・愛情・友情
  • ○人的資本→働く力・・・自己実現
  • ○金融資本→お金・・・自由

リア充の上位互換。マジヤバイ。一人で超充になるのは難しい。だけど、夫婦二人で力を合わせれば超充に近づけるかもしれない……というのが、本書『専業主婦は2億円損をする』のテーマです(`・ω・́)ゝビシッ

超充になろうず!

本書のテーマ「超充になろう」という目標がやっとここで登場します。たった一人で社会的資本、人的資本、金融資本の3要素を満たすのは難しいことです。だからこそ、パートナーと一緒に力を合わせましょう。そのためには、女性が家で「ニート」していては手が届きません。

女性の場合、結婚や妊娠のタイミングで退職し、一時的に専業主婦になる場合が多いのです。しかし、ここでキャリアが途切れてしまい、再就職の際は非正規雇用にしかなれず、年齢を重ねた女性が低所得になっています。所得を維持したまま、結婚、子育てをし、「超充」になるための「戦略」が必要です。

社会が変わるには時間がかかる

とまあ、現代日本の雇用形態や社会問題をザーッと見てきましたが、「そんなこと言われてもどうしようもない」話ばかりです。社会はすぐには変わりません。今の社会システムがおかしいと誰もがわかっていても、社会全体がガラリと変わるには何十年と時間がかかるでしょう。

Facebook社の女性COO、シェリル・サンドバーグさんは著書『LEAN IN』の中で、女性の他のリーダーたちに、勇気をもってリーダシップを発揮するよう励ましています(当ブログでも紹介しました)。

あさよるもこの本を読みましたが、かなりショックでした。それは、アメリカの、ベンチャーの、世界的大企業の、COOになるくらい優秀な人でさえ、「女性である」ことに引け目を感じたり、「女性である」ことで困難に直面していたからです。こんなスゴイ人でも、「女性だから」苦労しているのに、吹けば飛ぶような あさよるなんて、どうにもならんじゃないか!

〈あなた〉が幸せになる戦略

社会を変えるのは無理です。だってサンドバーグさんでもムリなんだもん。だから、自分にできることはただ一つ。「自分が幸せになる」そのための戦略を練ることです。

二人合わせて1500万円

まず「人並みの幸福」のために世帯の年収1500万円欲しいと最初に紹介しました。女性が専業主婦になる場合、年に1600万円稼いでくる男性が必要です。しかし、そのような優秀な男性は、わざわざ専業主婦希望の女性と結婚する必要はありません。あと、優秀な人は頭が良く、好奇心も強いので、そんな男性の心を掴める女性も少ない(……痛いこと言うなあ!)。

だから、一人が1500万円稼いでくるのではなく、夫婦二人で1500万円に近づきましょう。そのために直面する問題が「子育て」です。

子育ては外注せよ

夫婦二人、力を合わせて1500万円を目指します。しかし、ここで立ちはだかるのは「子育て」という難関です。日本では、妻が夫を置いて働いていてもさほど注目されませんが、子どもを放ったまま働いていると周囲が一気に注目し「精神病院へ行け」とか「虐待だ」と認識されます。

ここで著者は、ある提言をします。それは「社会の中で子どもは育つ」ということ。これ関しては、同著者の『言ってはいけない』でも紹介されていました。大人は、親の影響を受けて子どもは育つと思っています。いいえ、「そうであってほしい」と願っているのかもしれません。しかし、親の心子知らずとはこのことで、子どもは「社会の中で」育ってゆきます。

例として、家族で外国へ移住し、親は外国語が喋れず、家庭では母国語のみで会話しています。しかし、子どもは社会に出てゆき、現地の友達関係の中で外国語を学びます。そして両親とは母国語で会話をしていても、そのうち母国語を忘れてしまいます。これは、幼児期の子どものほうが顕著で「学校で習うから」ではなく、「社会で学んだから」と言えます。

子どもは、大人が考えているよりもずっと社会的で、親の言いつけよりも、友人との関係性のなかで育ってゆきます。確かに、自分の子ども時代を思い返すと納得できます。

ここまで前置きをしてやっと本題。「子育ては外注してもいい」ということです。日本では、我が子を他人に預けて外に出てゆく母親は批判されます。しかし、世界的にみて、ベビーシッターを雇って子育てしている欧米、アジアの国はたくさんあります。母親が子育てを一人で引き受けるスタイルこそ、女性を「専業主婦」にさせる要因になっています。

ちなみに、意外にも、社会実験の結果、専業主婦が主流の国では出生率が低く、共働きの国ほど出生率が高いそうです。日本も、社会が「専業主婦」に子育てを任せている状態で、多くの世帯が貧困に陥り、その結果として少子化を招いているとも紹介されています。

海外に移住すれば解決

「子育ては外注せよ」ってったって、現状日本では子育て外注はバッシングの的です。じゃあ、どうすりゃいいの? ってこおとで、案その一。海外へ移住しましょう。アジアでは家政婦は当たり前の存在だそうです。アジアの他の国へ移住しましょう。

ま、実際移住するかは追々考えるとして「今の日本で子育ては難しい」「だったら移住しよう」って発想が頭の中にカードとしてあるのは良いんじゃないでしょうか。国内に残るにしても「移住する手もあるが、やはり国内に留まろう」と「決断」できるし。

「会社員」をやめれば解決

と言いつつ、突然移住って言われも困ります。そこで、「会社員」をやめるという生き方。「フリーエージェント戦略」です。フリーとして国内で働きましょう。会社員時代より収入が不安定になるかもしれませんが、時間に融通もつけやすくなります。夫婦二人ともフリーなら、子育ても、旅行もできるかもしれません。

フリーという生き方は、別に珍しい生き方ではありません。そもそも、街中の個人商店のおっちゃんおばちゃんたちはみんな個人事業主だし、工務店の親方は社長だし、タバコ屋のおばあちゃんもフリーです。そういう生き方をしている人は世間にたくさんいるし、現実的案な気がします。

誰も知ってるホントのこと

まとめます。今、女性の「専業主婦」という選択は「詰み」ます。特に、出産をきっかけに退職し、キャリアを失い、非正規としてしか社会復帰できなくなるのは、ツライ。それを支えられるだけの収入のある男性は少ないのです。だから、人生の選択肢として「海外移住」と「フリーエージェント戦略」というカードを持ちましょう。どちらも準備しておいてもよさそうな案です。特に「フリーエージェント戦略」は子育てを考えるなら、全然アリな気がします。

本書は10代~20代前半の若年層に向けられた本です。女性向けに作られていますが、同年代の男性にとっても人生の戦略の参考になるのではないでしょうか。繰り返しますが、カードとして「海外移住」「フリーエージェント戦略」は持っておいてもよさそうです。そのカードを切るかどうかは、自分でいずれ決めるとして。

たぶん、ここに書いてあることは、多くの人は気づいているし、知っていることだろうと思います。社会はダイナミックに変化しています。自分の両親と同じような人生設計では生きられません。ましてや祖父母の代とは、あまりに違いすぎて同じ国に生きているのが信じられません(これが世代間格差か……)。

アケスケにズケズケと書かれていますが、まさにその通り。正論。

あさよるは、ぼんやり生きている人間なので、なーんにも人生設計していませんが「海外移住」と「フリーエージェント戦略」は、全然アリだと思いました。というか、むしろ、軌道修正するなら、そっち方向にしか舵を切れない気が……。

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『どんな絵本を読んできた?』|自分のお気に入り語りがはじまる

『どんな絵本を読んできた?』挿絵イラスト

こんにちは。みなさん思い出の絵本はありますか?  好きだった絵本は数ありますが、自分の原風景に近いのは『わたしのワンピース』かもな、なんて思うあさよるです。

『わたしのワンピース』とは、うさぎさんが白い布でワンピースを作ると、お花畑を通ると花柄に、草原を通ると草に、クルクルと模様が変わってゆきます。お裁縫好きだった あさよるにとって、お洋服を自分で作ることは『わたしのワンピース』のようにワクワクの連続でした。「ものをつくる」という興奮が溢れてくる絵本です。

さて、絵本を読んで育った人なら、それぞれ「絵本がたり」がおありでしょう。今日読んだ『どんな絵本を読んできた?』はまさしく、各方面の著名人たちが一冊の絵本を取り上げ、絵本にまつわる話をまとめたコラム集です。

一緒に共感して

本書『どんな絵本を読んできた?』では、絵本が大好きな57名の先輩たちが、56冊の絵本をそれぞれ取り上げます。1冊足りないのは理由があります。それは、翻訳家の柴田元幸さんが「どんな絵本も読んできてません」としているから。絵本を読んでこなかったけれども、絵本が大好きな先輩もいるんですね。

他の56名の絵本好きさんたちの一言コラムは、どれも一緒に「うんうん」と共感の嵐じゃないでしょうか。恐ろしい絵に怖い気持ちになったり、悲しくて一緒に胸がいっぱいになってしまったり。

絵本はストーリーも単純だったり、ページ数も文字数も少ないから、「絵本語り」をすることは自ずと「自分語り」をすることではないかと思います。子どもの読書は独特で、同じ本を何度も何度も飽きずに読んで、同じページを穴が開くほど眺めます。大人になってはなかなあそんな読書体験ができませんから、強烈です。

絵本選びの案内に

本書『どんな絵本を読んできた?』は、これから絵本を読みたい大人には、よい水先案内人となるでしょう~。子ども向けではないと思う、なんとなく。あくまで「大人の思い」が乗っかったラインナップだからです。そう、大人だって絵本を読んでも良いのです。子どものモーレツな鑑賞に堪えうる絵本ですから、大人が読んでも上質です。

ちなみに本書、絵本の本ですが、絵本の書影は小さくモノクロであるのみ。あくまで「絵本好き」の絵本語りがメイン。自分の思いをのせてもいいし、他人の絵本語りに乗っかるのも楽しいですね。

絵本を語りたくなる

『どんな絵本を読んできた?』挿絵イラスト

本書は薄くて文字数も少ない本なのに、なかなか読み終わらないのだ。なぜならば、ページをめくるたび、自分の思いが飛び出してくるから。思わず自分も絵本の話がしたくなるのです。

あさよるは、そうだなあ。意外とあさよるの好きな本は登場しなかった印象です。あさよるの好きだった絵本は先に挙げた『わたしのワンピース』と、『かばくん』『バーバパパのいえさがし』『しろくまちゃんのほっとけーき』『はじめてのおつかい』あたり? あとは『14ひきのひっこし』『どろんこハリー』んかも。「うさこちゃん」も多分に漏れず、好き。

あさよるは今、なるべく紙の本を手元に溜めないように細心の注意を払っているのですが、絵本は欲しいなあ。手元に欲しい。ちょっと自分ルールを破って、コレクションしようかしら。

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