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『世にも奇妙な人体実験の歴史 』|命知らずな科学者列伝

『世にも奇妙な人体実験の歴史 』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるのイタイケな幼少期時代、子どもらしく虫やカエルで遊んでいました。「実験」もよくしました。それは重力や水の表面張力についてよく知ることになりましたし、まあ、子どもの遊びって残酷ですよね。

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、子どもの頃の好奇心を持ったまま科学者となり、実験を続けているマッドサイエンティストたちの記録です。命知らずの医者や、人を人とも感じていない当時の価値観が交錯する、なんともふしぎな世界を醸す一冊でした。

マッドサイエンティストの世界へ

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、人類の歴史の中の果敢なマッドサイエンティストたちのエピソード集です。「果敢」と書きましたが、うーん、ほかにどんな言葉で紹介すれば良いのやら。今となっては常識の知識であっても、かつては原因不明の病気や症状であったのです。謎を解き明かすため、あくまで科学的探究心を心に灯して研究に邁進する姿は、まさに多くの人が思い浮かべる「科学者」の姿であろうと思われます。

しかし……本書で紹介される科学者たちは、確かに世紀の大発見をした偉人たちなのですが、向こう見ずで乱暴な人体実験を繰り返す……なんと言っていいんだろう。「実験、雑っ!」というのが、感想でしたww

科学者とは……以下ry

印象に残ている話をいくつかあげます。

まず、心臓にカテーテルを通す手術をした外科医フォルスマン。彼は人体実験の検体として、自分の体で実験を始めます。自分で自分のオペって『ブラックジャック』の世界観をリアルにやってるんですよ。しかもその実験、犬の心臓にカテーテルを通したときは失敗して犬は死んでしまいました。助手に「危険はない」とウソをついて、自分の血管からカテーテルを挿入し、レントゲンで確認しながら心臓にカテーテルを通しました。「どんな心臓しとんねん」というのがこの話の主題です。

麻酔の発明は、人類の歴史の中で大きな飛躍になりました。麻酔がなかった時代、外科医は力が強く、早業で身体を切り落とせる職人でなければなりませんでした。患者の気を失わせるために、酒を飲ませたり、桶を頭にかぶせトンカチで殴り気絶させました。毒ニンジンのエキスを使った麻酔を試したところ、患者は二度と目を覚ましませんでした。そんな中やっと「笑気麻酔」が発見されます。しかし、麻酔の適量がわからず、麻酔が効かなかったり、効きすぎて死んでしまうこともあります。また、麻酔の研究する科学者たちは必ず自らでも人体実験をし、みな中毒になりました。医療の姿を変えた「麻酔」の発明は、地道で苦難の道があったのでした。

人体実験に必要な「検体」集めに奔走する科学者の姿も印象的です。かつて医学生たちは座学しか学ばず、現場で生まれて初めて「人の体を切る」というなんとも無謀なことをしていました。学生には実際に人間の体で慣れておかないといけないと「死体」集めの奔走が始まるのです。検体集めはエスカレートし、墓暴きや、殺人まで起こりました。

現代の医療は、いかに「人道的」であるか染み入ります。医師たちが我々の体をモノのように扱おうとも、歴史の中のどの瞬間よりも最も今が「人道的」である……そう思うようにします(苦笑)。

また、人体実験の実験台に、貧しい人や孤児、死刑囚など、人を人として扱わない話てんこ盛りなので、気分の良い話ではありません。あしからず。

今に生まれてよかった……

『世にも奇妙な人体実験の歴史』を読むと、しみじみと「21世紀に生まれてよかった!」と思いますね。特に、麻酔のある時代で良かった。歯医者さんが麻酔使ってくれて良かった良かった。また、歴史の中で「医師」の地位は低いというか、人々から尊敬されない職業なのはなぜだろうと感じていましたが、かつて「迷信」や「デタラメ」「おまじない」のインチキ医者もたくさんいて、民衆が翻弄されていたそうです。そりゃ、みんな医者が嫌いになるわね。それでなくても「病」を扱っていて、できればお世話になりたくない存在なのに。

あさよるは小学生のころキュリー夫人の伝記をよく読みまして、人々が放射線物質に〈魅せられる〉のが印象的で、危険だとわかっていても、研究をやめられません。キュリー夫人も若くして亡くなります。そして、その研究室のあった場所はいまも放射線量が高く、危険なエリアのままです。

本書『世にも奇妙な人体実験の歴史』に登場する科学者たちは、なにかに魅せられ、自分の命を忘れて研究に没頭してしまう、向こう見ずでクレイジーな人々です。少なくとも、あさよるとは全く違うタイプの人だわ。くわばらくわばら。

『世にも奇妙な人体実験の歴史 』挿絵イラスト

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『正しいウォーキングの始め方』|その歩き方は効いてないかも?

『正しいウォーキングの始め方』挿絵イラスト

こんにちは。運動不足な あさよるです。ちょうど今の季節、どんな服装をしていいのか分からず、外出がとても億劫だ~。半袖じゃ肌寒い。しかし上着を着ると厚い。

特に運動もしてないので「なるべく歩こう」と心がているんですが、この歩き方であっているのか。そして、そもそも歩いてるけど、これってなんか効き目があるのか(なにもしないよりは良いだろうとは思うけど)。

いつものウォーキングは効いてないかも

本書『ウォーキングの始め方』では、正しいウォーキングの知識やが紹介されているのですが、そこで示唆されるのは「いつものウォーキングは効いてないかも?」ということです。

犬の散歩や、通勤時一駅分歩いてみたり、歩く習慣を心掛けている方もいらっしゃるでしょう。しかし、ウォーキングってのは、結構マジメにやると息が上がるような運動みたいですね。最終目標は最大心拍数の70%だそうで、前傾姿勢のフォームでウォーキングをするのですが、それより「ジョギングする方が楽だ」と感じる人もいるそうです。

だから、悪いフォームでダラダラと歩いてもウォーキングの効果は得られません。ウォーキング、ガッチリやるとまあまあの運動強度なのですな。

デスクワーク中心の人はウォーキングを

基本は、いつもの自分の姿勢から活動量を一つ増やすことを目標にしましょう。寝たきりの人は、まずは「立つ」ことを目標に。デスクワークが中心の人は「歩く」を目標にしましょう。ですので、よく歩く仕事をしている方は「走る」を目指しましょう。

突然、強いトレーニングを強いてもできないし、続きません。本書は「ウォーキング」の本ですから、デスクワークが多い人にオススメですね。

目標8千歩。距離を意識しよう

ウォーキングは毎日しても構いません。また、アスファルト舗装された道は足に悪いと地道を選ぶ方もいらっしゃるそうですが、土の上だったら足に負担がかからないわけでもないそうです。

目標は8000歩。また、歩数や歩いた時間だけじゃなく、「歩いた距離」も意識しましょう。だいたい、自分の身長の半分の歩幅が目標らしいです。

細切れでもOK。

ウォーキングは10分とか短い時間を細切れにやってもいいそうです。細切れの時間なら一日の中で捻出できそうです。ただ、短い時間で負荷が少ない運動は達成感が得られないので、少しずつレベルアップしてゆきましょう。

目標は、毎日30分を10週以上続けること。

続けられるなら時間帯はいつでも構いません。前傾フォームで、心拍数を計りながらウォーキングをするので、ランニングを始めるのと同じですね。後々ランニングへシフトできるように、距離を意識して歩いておくと良いでしょう。

歩いてきました(^^)>

糖尿病予防や、ダイエットにも効くウォーキング。前傾姿勢で正しいフォームで歩くと、体幹に力が入り、下腹ぽっこり体形予防にもなるそうです。いいこと尽くめなので、本書を読みながらムクムクと「歩きたい」欲求が高まり、用もないのにウォーキングしてきましたw

途中、TSUTAYAへ寄り道してCDレンタルしたり。ジョギングを始めるように、ウエアやシューズもこだわった方がよさそうですね。また、心拍数や歩いた距離など、記録する準備をしましょう。これまで歩くように心掛けていましたが、記録も取ってないし、ほんと「なんとなく」しかやってなかったので、もっと意識的にしてみます。

『正しいウォーキングの始め方』挿絵イラストアップルウォッチが欲しいですな

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大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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『佐伯チズ メソッド 艶つやメイク』|素材から艶やかに

こんにちは。過去の自分の記事を見返して、冬の乾燥対策を今さら始めた あさよるです。記事と本を読み返したのは『今さら聞けないスキンケアの正解』でして、本の中に「美容液を使うべし」と書いてあって、めっちゃ久しぶりに美容液を買ってきました。で、やっぱ使うと肌がピーンと張った感じがして気持ちいいですよね。調子に乗って体にも塗っておいたw

ちなみに、新しく買ってきたのは「ちふれ化粧品」の「美白美容液 VC」です。肌断食と言いますか、長らくほぼスキンケアをしてなかったので、すごく久々で気持ちいいですw 安いし、詰め替え用もあるので、体にも使ってみようかしら……。

「艶」をつくる!

『佐伯チズメソッド 艶つやメイク』は、その名の通り「つや」を作るメイク法です。といっても、ペタペタと塗りたくるメイクじゃないのです。むしろ、汚れはしっかりと取り払い、筋肉をほぐし、むくみを取って、肉体そのものの「つや」を作るメソッドなのです。

佐伯チズさんには『頼るな化粧品!』という著書があります。これは、「化粧品は使うな」という意味ではなく、自分に都合の悪いトラブルを化粧品を塗ることで解消しようとすることへの警告です。体調管理や手入れを怠ってはいけないのです。『艶つやメイク』でも、シミが気になるからレーザーを当てようかというお客様に対して、きちんと対処すればシミは薄くなると説いています。

また、自分のコンプレックスも受け入れられるように、自分を変えていく大切さも。例えば、本書が最初に出版されたのは2005年で、当時は髪を明るいカラーに染め、目の周りを真っ黒に塗りたくるメイクが流行っていました。ブロンドの髪はステキですし、外国人のようなスッと細くて高い鼻や、大きな目も憧れます。だけど、自分の持っている姿かたちも同じように大事で、ステキだと思えるようになりましょう。「謙虚」なのか、日本人は自分の容姿を悪く思っている人が多いんだそうです。自信のなさや劣等感は見た目にも表れますから、どんどんネガティブに働いてしまいます。

自分に自信を持つためにも、自分をぞんざいに扱わずに、手間暇をかけてみるのも良いですね。脳科学者の中野信子さんの著書『科学がつきとめた「運のいい人」』でも、運のいい人や世界で活躍する人は、自分を大事に扱うと紹介されていました。

普段は素材を見せるメイクで

佐伯チズさんが推奨するメイクは、ナチュラルメイク。もちろん、特別な日は華やかに着飾ればよいのですが、普段の日常メイクは抑え目に。で、佐伯チズさんは、日焼け止めと乳液、ファンデーションを混ぜて使う時短アイデアを提唱なさっているのですが、これって今でいう「BBクリーム」ですよね。

また、化粧品を塗るときも、顔のマッサージと同時にすれば時短になります。

佐伯チズさんは自分の身だしなみに手を抜かない、その代わりに時短できるものは同時進行で、ながらの美容を提唱しておられます。特に、朝の身支度は時間との勝負ですが、佐伯チズさんはスキンケア、マッサージからメイクまですべての工程を20分で終えるというからビックリ!

メイクオフに時間をかける

かなりのページを割かれているのは、メイクオフや洗顔について。雑誌やメディアでは、メイクをする、化粧品を塗ることはたくさん紹介されていますが、メイクオフについては情報が少ないですよね。

現在では「洗いすぎは良くない」「こすってはダメ」とのコスメの宣伝文句が多いのですが、本書が出版されたころは「ダブル洗顔」「汚れを残さない」というのが主流で、ゴシゴシと洗剤で「洗いすぎ」な人が多かったそう。今は反対に、「洗えていない」ことが多いと聞きますし、「洗いすぎはダメ」も「ダブル洗顔」も化粧品の売り文句なのですが、それに振り回されるのもいただけません。またオイルクレンジングもNGらしいのです。

例えばメイクに30分時間をかけたなら、クレンジングもそれと同じかそれ以上の時間をかけて。

メイクやメイクオフの手順は、巻頭にカラー写真で収録されています。

ていねいに、しっかり、きちんと

本書の巻頭には、佐伯チズさんのオススメのコスメやアイテムが収録されています。見ているだけで心トキメク一覧なのですが、その中で「ハッ」と身につまされたものを。

それは「エチケット7」という名前で、持ち歩きする用品がまとめられていました。

  1. お気に入りのハンカチ
  2. 綿棒や爪切りを入れた容器
  3. ハンドクリーム
  4. 食後に噛むガム
  5. お手拭き
  6. ソーイングセット
  7. 保冷剤をタオルハンカチで包んだもの

はてさて「持ってて当然」と思われる方と「レベル高ぇな」と思う人といらっしゃると思います。あさよるは……ハンカチと、時々ハンドクリームを持ってるくらいですね……(;’∀’)>  こういう、ハプニングのときにサッと涼しい顔で対応できるのって素敵だと思います。絆創膏とソーイングセットくらい持っておきたいと思いました。

佐伯チズさんの美容のお話って、自分を丁寧に扱って、しっかりと最後まで、クレンジングをして、マッサージをして、体を休ませて……ということを仰っています。自分にコンプレックスがあるのなら、化粧品や整形手術の技術に頼るのではなく、マッサージをしたり手をかけて、いたわって「変えてゆく」ってこともできます。顔や体って、時間をかければどんどん形が変わってゆくんですね~。

チズさんのお話は、単に上辺のメイクや造作の話だけでなく、考え方や自分との向き合いかた、自分を大切に扱うことなんかに重点が置かれていて、いつも背筋がピッと伸びる気持ちです。

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『重曹、シンプル生活のすすめ』|寒い日は掃除の本を読んで

こんにちは。落ち込んだ時は掃除の本を読みたい あさよるです。今日は落ち込んだ……というよりも、寒い日が続いてテンション上がらないので、気合を入れるためのドーピングですw 手に取ったのは『重曹、シンプル生活のすすめ』です。これは図書館で見つけて「ジャケ借り」しましたw ガラスのボトルがドンドンドンッと並んでいるの、イケてる~!

あさよるは、ガラスの容器に、粉や液体を混ぜてなにかを作る系の動作に憧れているのかもしれません(^^♪

最小限の掃除道具で

本書『重曹、シンプル生活のすすめ』はこんな魅力的なお話しから始まります。

 重曹でお掃除ができるとはじめて知ったとき、「こんなもので本当にお掃除ができるのかしら」と私は半信半疑でした。でも、面倒なお掃除が少しでも楽になればもうけものだわ。そんな軽い気持ちでレシピを試してみて、私の生活は“一変”しました。
だって、“たったそれだけ”の材料で、キッチンもリビングも、それどころかトイレやバスルームまで“ピカピカ”になってしまったのですから!

(中略)

こうして重曹や酢を使ううちに、場所別に何本もそろえていた洗剤のボトルは、徐々に我が家から姿を消していきました。色も形も大きさもバラバラの洗剤に占拠されていた、かつての棚やシンクが、白と透明のボトルで統一されるようになり、見た目も使いやすさもグンとアップ。

p.6-7

『重曹、シンプル生活のすすめ』で語られるライフハックって、肩ひじ張った感じじゃなくて、掃除用品は少ない道具で使いまわしが効くのがいいわねって、便利さに比重が乗っかっています。自己表現やマウンティングとしてのシンプルライフではなくて、「シンプルな方が便利だ」と効率重視なのが気持ちいいのです。

だから、巻末ではこんな一文があります。

 お掃除はほうきでしなければとか、絶対に重曹でなければと決めてしまうのが、私はどうも苦手です。いろいろなやり方や道具の中から、やりやすいもの、気分よくできるものを集めればいいというのが正直なところ。人が100人いれば、お掃除の仕方も100通り、絶対の正解はないと思うのです。
ですから、多くの方が、私がここに書いたことをいろいろにアレンジして、自分流を楽しんでいただけたらと思います。

p.185-186

「これが正解」を示しているわけではなく、「こんなやり方があるよ」「こんな代用ができるよ」と情報をシェアする本なんですね。ですから、中には重曹やクエン酸等ではなかなか落ちない汚れについても紹介されています。時間をかけて落としていくのもよし、それ専用の市販の洗剤を便利に使ってもよし。自分で組み合わせましょう。

今ある道具でシンプル生活

あさよるが惹かれたのは、表紙にもある掃除道具をビンに詰めてある「見た目」です。用意したいのは、まず重曹(炭酸水素ナトリウム、重炭酸ナトリウム、ベーキングパウダー等)はふりかけ容器や空き瓶に。クエン酸はボトルやスプレー容器に入れて。お酢でも代用できます。固形石鹸、熱湯、炭酸水も掃除用品として用意しましょう。

アイテムも、ボロ布、歯ブラシ、たわし、ズックブラシ、レールブラシ、スポンジ、トイレブラシ、雑巾モップ、ほうき、羽ばたき、スクイージー、バスブラシとまあ、既に家にあったり、100均やホームセンターですぐ買えるものばかり。要するに、めっちゃ手軽だということだ。

んで、スペシャルアイテムとしてスチームクリーナーも登場。これは欲しくなる。

ということで、スチームクリーナー以外はどこの家にでもある道具で掃除をするという、すごくシンプルなライフハックなのです。これで、無限増殖してゆく洗剤たちと手切れとなるならば嬉しい限り。なにせマジで洗剤とそのストックはどんどん増えて管理できず、また同じの買っちゃうからね。

意識高い系を目指すならw

掃除道具が少なくて済むってのは、単身世帯や二人家族なら便利かも。逆に手間がかかる掃除もありますが、そこだけ市販の専門の洗剤使っても良いのではなかろうか。

また、ほうきやブラシや、重曹やクエン酸を入れるビンなど、ちょっと見た目がカッコいいものを選べば、そのまま飾っておけるんじゃないかと思うんですよ。掃除用品って普段見えないように収納しとくと、出し入れが面倒で滞っちゃうのでw

なんかこれだけで「意識高い系」な気になれる気がするw

関連本

『シンプルスキンケア』/前田京子

『お風呂の愉しみ』/前田京子

『はっか油の愉しみ』/前田京子

『簡単に暮らせ』/ちゃくま

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『未来のだるまちゃんへ』|目を見開いて、理解して、面白がって

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

こんにちは。かこさとしさんブームな あさよる です。きっかけは、「あさよる」の本を見つけたからでした。豆の家族の一日を追っかけるドキュメンタリー絵本です。

さらに『あさよる、なつふゆ、ちきゅううはまわる』という本も見つけて、図書館で資料請求してみました。こちらももちろん かこさとしさんの本です。

で、この本、読んだことあるかもしれない……!というか、図書館に寄贈したの、自分じゃね?というw 「あさよる」って自分で考えた名前だと思ってたんですが、まさか元ネタがあった疑惑……。

かこさとしさんと福岡伸一さんの『ちっちゃな科学』もおもしろかったのです。子どもの好奇心や興味を、大人になってもずっと絶やさないかこさんも素敵です。

だるまちゃんだった

本書『未来のだるまちゃんへ』では、絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』の作者、かこさとしさんの半生と、そして子どもたちへの眼差しが記されています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』とは、1967年に出版された名作絵本です。〈だるまちゃん〉と〈てんぐちゃん〉は仲良しで二人で遊んでいますが〈だるまちゃん〉は〈てんぐちゃん〉のステキな出で立ちが羨ましくなり、お父さんの〈だるまどん〉に帽子や扇子や履物を強請ります。〈だるまどん〉は〈だるまちゃん〉のために道具を用意してくれるのですが、なんだか違う……という、すれ違いがおかしい絵本です。

大人が読んでも面白く、まただるまちゃんが愛おしくてたまらないのですが、どうやら〈だるまちゃん〉のモデルはかこさとしさんご自身の体験にあるそうです。かこさんのお父様は、欲しがってもないのにアレコレと子どもに与えたがる方だったそうで、欲しくもないものを「欲しい」と言い、買い与えられる自分に歯がゆさを感じていらしたそうです。それが〈だるまどん〉の姿であり、欲しくないものを用意されて困っている〈だるまちゃん〉なんですね。もちろん、お父様にも十分に目をかけられない息子への気持ちからなのですが、すれ違いなんですね。

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

みんな、だるまちゃん?

〈だるまちゃん〉のもう一つの特徴は、なんでもよく「観察する目」と「好奇心」です。〈てんぐちゃん〉の衣装をよく観察していて、同じものが欲しいと思います。羨ましがっているというよりは「ステキ!」「いいな!」「ほしい!」って素直に自分の興味に従っています。

で、誰もが子ども時代、だるまちゃんだったんじゃない?ってことですね。

『未来のだるまちゃんへ』の中では、かこさんの子ども時代の思い出が語られています。かこさんは福井県で生まれ子ども時代を過ごしました。満州事変のあと、鯖江から兵隊さんたちが大陸へ出兵するのを、学校をあげて見送りへ行きました。そのとき、子ども心に「出征というのは、こんなに寂しいものなのか」と感じたそうです。周りは大人も子どもも「万歳」と声を上げ、旗を振っているのに、兵隊たちは誰も笑っていない。

当時小学一年生だったかこさんだけでなく、多くの子どもたちはその雰囲気を感じ取ったようで、いつも戦争ごっこして遊んでいる子らも、帰り道も黙ったまま。何も知らない子どもだからこそ、その場の「空気」を誰よりも率直に感じたのかもしれません。

「子どもだから何もわからない」のではなく、「こどもだからこそ、理屈じゃなく感覚でわかる」ってこともあるのかも。子どもを侮ってはいけないし、馬鹿にしてはいけない。彼らは「わかっている」んだと思いました。

次のだるまちゃんへ

かこさんはセツルメント活動を通じて、子どもたちを大人の目線で観察し、また絵本作家として活動を開始します。当初は会社員との二足の草わらじで、作家であることも隠していたそうです。家庭では父となりましたが、実の子との一緒に過ごす時間は少なかったと告白されています。家庭よりも、自分の運動や活動に没頭していたというのは、ちょっと意外な横顔でした。かこさんご自身が、夢中にのめりこむ〈だるまちゃん〉だったのです。

子どもたちの関わりの中で、大人の〈だるまちゃん〉の、未来の〈だるまちゃん〉へのメッセージです。

 生きるというのは、本当は、喜びです。
生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

(中略)

僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい。
そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけてそれをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。

p.251-252

「目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい」というのが、かこさんらしいと思います。世界には悪いことも嫌なことも考えたくないこともいっぱいあるけど、目を見開いて、理解して、そのうえで面白がってほしい。「面白がる」ってのがレベル高いし、ポイントですね。

だるまちゃんだったあさよるは

あさよるも、かつては〈だるまちゃん〉でした。いいや、ホントは今も〈だるまちゃん〉でありたい。けれども、どうだろう、興味や好奇心は尽きていないだろうか。

あさよるも、子どもの頃は何もわかっていなかったけども、なんとなく社会の雰囲気は感じていました。90年代に子ども時代を過ごしたので、将来貧しい社会がやってくることは悟っていたし、9.11テロに大人たちが落ち込んでいる理由がわからなかった。「起こるべくして起こった」としか思わなかった。原子力発電にムリがあるのは理科の本に書いてある。

なのに今なにが起こっているのか、自分の知識が邪魔してまっすぐ目に入りません。子どもの話はバカバカしく聞くに耐えないと感じてしまう。ほんとは、新しい人が古い人に教えてくれているのに。

『未来のだるまちゃんへ』を読んで、結構ヘコみました。〈だるまちゃん〉の話に耳を傾ける〈だるまどん〉はえらい大人だなあ。

関連本

『花森安治の青春』/馬場マコト

『ミライの授業』/瀧本哲史

『本を読む人だけが手にするもの』/藤原和博

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『50歳、おしゃれ元年。』|〈あの頃〉をたなおろし〈今〉を選ぶ

こんにちは。オシャレ勉強中の あさよる です。当ブログでもオシャレに関する書籍を多数紹介してきました。あさよるもオシャレを実践しようと、まずはダイエット中です。そこからかいっ!……だって、今のままじゃ素敵なお洋服に袖が通らないもの……(;´д`)トホホ

いつでも〈「今」の自分〉を

本書『50歳、おしゃれ元年。』は、50代女性のファッションについて、ファッションスタイリストの地曳いく子さんが指南するものです。年齢と共に似合うものは変化してゆくのに、いつまでも昔似合ったもの、昔流行ったものを持っていませんか? 本書では地曳いく子さんご自身の反省や発見を織り交ぜて、「今」の自分に似合うものを選び取る大切さが説かれています。

オシャレの落とし穴として、意外とオシャレに敏感だった「オシャレ上級者」さんの方が、年齢を重ねると失敗しやすいんだそう。それは、なまじこれまで「オシャレのセオリー」を勉強しているから、いつまでも〈あの頃〉の自分に似合う服を選んでしまうそうです。

人間誰しも変化し続けるもので、今はもう〈あの頃〉じゃない。〈今〉の自分に似合う服、〈今〉のトレンドを取り入れないと。年を取るって憂鬱に思えることですが、「〈今〉のオシャレをする」って、前向きなメッセージです。だから今が「おしゃれ元年。」なのです。

スタメンを選びぬく力

本書『50歳、おしゃれ元年。』は50代以上の女性が読者に想定されています。きっと、これまでに買い集めた洋服やバッグ、靴、アクセサリーがぎっしりとクロゼーットに収納されているでしょう。中には、「これは一生ものだから」と高価なお買い物をしたこともあるでしょう。バブル期を経験なさった方は、今では考えられない買い物の仕方をされていたのかも。

しかし、地曳いく子さんはそのクローゼットの中身に警鐘を鳴らします。その洋服たちは、「〈あの頃〉の自分」「〈あの頃〉のトレンド」に合わせたものではないのか? 「一生もの」と買ったものは、本当に一生使うのか? 一つずつ見直そうというわけです。

「50代の自分」なんて想像できなかった20代、30代の自分が買った持ち物を使い続けるよりも、「〈今〉の自分」に似合うものを選び直しましょうよ、という提案。

そして、クローゼットは小さく、持ち物はコンパクトにしていこうとも呼びかけられています。自分の持ち物は、自分が死ねばみんな不要になる物です。選び抜いた〈スタメン〉だけを手もとに置いて、良いもの、似合うもの、使うものに囲まれて生きる。

「オシャレ」って「どう生きるか」

あさよるがオシャレに関する本を読み始めて驚いたのは、意外にも服装のコーディネートの写真や、服の選び方について書かれている分量は多くないことです。それよりも「どう生きるのか」「なにを選ぶのか」「どう振る舞うのか」などの、精神的な、人生観のようなものにページが割かれていたことです。

本書『50歳、おしゃれ元年。』も、確かにコーディネートのコツやアイテムの選び方も紹介されているのですが、やはり「生き方」や「選択」の話にページが割かれています。「オシャレな人」ってのは「自分はどう生きるのか」を自分の意志で選択している人なのかもしれません。

その一例として、地曳いく子さんのご友人Bさんのお宅の片づけを手伝ったエピソードが紹介されていました。

 知人Bの場合は一軒家を処分し、50代後半からワンルームマンションで暮らしています。生活用品のすべてのものが厳選され、カップ&ソーサーは2セット、食器類も2個ずつ。来客があっても、それで十分こと足りるのだそうです。
クロゼットも余裕があり、何でもすぐに探し出せます。病気をして生活スタイルが変わってからも、もう必要としなくなったものはすぐに人に譲ったりしていました。

(中略)

それにしても、ものを片付けるには、大変な体力と気力が必要。
今なら、私たちにはその両方があります。これから素敵な60代、70代を迎えるためにも、クロゼットのクロゼットのリセットをするなら、今がベストなタイミングなのです。

p.85-86

あさよるはこれを読んで「カッコいい!」と胸が高鳴りました。それは、Bさんがご自身にとって〈今〉必要な生活を選んでいることと、〈これから〉を見据えていると感じたからです。荷物が少なくコンパクトであることは「行動しやすい」ことでもあります。年齢問わず「変化する」ことはワクワクする一方で、恐怖を感じることでもあります。それでも「〈これから〉の自分」の受け入れる準備ができてるって、すごく前向きだ。

関連本

『着かた、生きかた』/地曳いく子

地曳いく子さんの著書。

『着かた、生きかた』|自分らしい服…ってなに?

『服を買うなら、捨てなさい』/地曳いく子

地曳いく子さんの著書。

『服を買うなら、捨てなさい』|とっておきで、自分スタイル

『洋服で得する人、損する人』/霜鳥まき子

洋服選びは、靴からカバンから。クロゼットから。

『洋服で得する人、損する人』|人は靴を、カバンを、クローゼットを見ている

『毎朝、服に迷わない』/山本あきこ

鉄板アイテムを紹介。

『毎朝、服に迷わない』|オシャレ初心者に!最強の21着で着回し!

『大人おしゃれのルール』/高橋みどり

40代女性のおしゃれ本。

『大人おしゃれのルール』高橋 みどり|痛々しい”若作り”はNO!

『35歳からの美肌カウンセリング』/佐伯チズ

30代女性は、自分のスタイルの確立せよ。

『35歳からの美肌カウンセリング』|アラフォー、どう向かえる?

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『くっすん大黒』|声に出して読みたい小説でした

こんにちは。あさよるです。いやさっきね町田康の『くっすん大国』を読んだんですよ。これ、町田康の処女小説らしいし、芥川賞候補作にもなった作品で、代表作の一つで間違いないでしょう。あさよるは町田康を読むのが初めてで、ってか町田康ってミュージシャンだったんだと、それを知らなくてびっくりした。町田康初心者ですわ。

そんで、町田康初心者は処女作を読むに限るだろうて『くっすん大黒』を選んだのでしたが、なんじゃこれ。まず出だしの1行目から「読みにくっ」と声に出しそうになったのでした。声に出してないけれど。しかし「これもなにかの縁だろう」と1ページは読もうと頑張ったのでした。そして、「これって声に出して読むといいんじゃないか」と思いつき、朗々と朗読会が始まったのでした。

「声に出して読みたいなんとか」とかいうのが昔流行ったけれども、まさにこの『くっすん大黒』は声に出して読みたい、いや、声に出して読むべき小説ではないだろうか。

『くっすん大黒』のあらすじのようなもの

はてさて『くっすん大黒』にあらすじなんてものがあるのか謎いけれども、一応紹介してみましょう。

三年前、ふと働くのが嫌になって仕事を辞め、毎日酒を飲んでぶらぶらしていたら妻が家を出て行った。誰もいない部屋に転がる不愉快きわまりない金属の大黒、今日こそ捨ててこます

くっすん大黒 (文春文庫) | 町田 康 |本 | 通販 | Amazon

「働くのは嫌だな」「遊んで暮らしたいな」と思い立ち仕事を辞めて、酒を飲んでぶらぶらと暮らしていたら、酒の飲みすぎで紅顔の美少年が、まるで大黒様のようになってしまった。前夜、金目の物を全部持って出て行った妻の行動も合点がいった。こんな面白い顔を見て暮らすのはいやだもの。しかし、それにしても金がない。イライラしていると五寸ばかりの大黒様が目に入った。この大黒はバランスがわるくまったく自律せずに、すぐに後ろへ倒れてしまう。

この大黒を捨ててしまおうと思ったが、ゴミの分別に悩み、不法投棄を思い立つ。しかし、大黒をもってウロついている様子を警察に見つかり職務質問を受け、いやんなって友人の菊池に連絡する。さっそく菊池のもとへいくと、菊池がアルバイトの話を持ってきた。しかし、そのバイト先でキョーレツなオバハンたちに絡まれ、命からがら逃げだす二人。

しかし金がない。むかし映画に出演した縁で作家の軌跡を追うビデオのリポーター役に抜擢されるのだ。

と、話がどんどん二転三転してゆくのがバカバカしく可笑しい。

落語みたいな話やね

主人公の楠木と菊池は、まるで落語に出てくる喜六と清八のようで、二人の阿呆なかけあいが楽しいのですよ。落語っぽいなと思うのは、小さなおかしな話を積みあげてなにやらどんどんおかしくなっていくところとか、「その話のつなげ方無理ないか?」と突っ込みたくなる設定とか、二人の珍道紀になってるところとか。んで、なんといっても落語的〈サゲ〉とかね。サゲというのは、落語の噺のオチのこと。あ、あと、声に出したいってところもか。

よくわからない、が……

初めて町田康を読んだのですが、これは大変だ。なんて言っていいのか分からない。「面白かったか?」という問いはには「〈はい〉であり〈いいえ〉です」。そして、「また読みたいか」と聞かれても「〈はい〉であり〈いいえ〉です」としか言えないし、「他人に薦めたいか」という問いかけも「〈はい〉であり〈いいえ〉です」としか答えられない。こまった。

困ったけれども、ものすごくなんか、気になって仕方がない。町田康の他の小説ってどうなの?どうなってんの?他のも読んでみたほうがいいの?いいよね?と自問自答している。いや、きっと、絶対、近々彼の他作品も手に取ってしまうだろう。そして声に出して読んでしまうんだろう。

そもそも、秋も深まろうかという夕暮れの暗がりの中、ザンバラ頭で腹から声を出してハキハキと『くっすん大黒』を音読してるババアがこの世に存在していたという事実はなかなかのホラーである。それこそ、物語の中に出てくるどうかしているオバハンども級の気味悪さである。ああ怖。

・・・。

余談。かの松岡正剛氏の千夜千冊でも『くっすん大黒』が紹介されている。というか、725話って、最初の千夜に入ってる。

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『ブレない生き方―自分に軸を通す』|社会性と自分のスタイルを持つ

こんにちは。ブレブレに生きている あさよるです。コロコロと違ったことに熱中してたりするので、いつ出会ったかによって あさよるの印象がえらく違っているような気がします……それくらいブレブレ!

だから「ブレない生き方」って言葉は耳に痛い反面、すごく憧れる生き方でもあります。それ、知りたいです!

著者は齋藤孝さん。以前、あさよるネットでも紹介した『読書力』を読んで、齋藤孝さんが若い人、学生との向き合う気持ちや、そこに込められているメッセージを知って、もっと読んでみたいと思いました。

『読書力』|社会人力とは?教養とは?

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

  • 作者:齋藤 孝
  • 出版社:岩波書店
  • 発売日: 2002-09-20

〈ブレない生き方〉ってどんな生き方

本書『ブレない生き方』は、12人の偉人たちの生き方を知り、ブレない自分のスタイルを築くためのヒントとできる一冊です。〈ブレない〉とはどういう状態か、それはなぜ大切なのかは、冒頭の「まえがき」で以下のように説明されています。

二〇代は、世間に通用する自分の技を磨く時期だ。世間や社会に出ないで、修業期間として、深く自分の世界に「沈潜」するのもいい。「てんでなってない!」と厳しく言われ、反発を覚えながら「自己修正回路」を作っていくのも、二〇代から三〇代にやっておきたい作業だ。(中略)
三〇代は、社会と自分を上手にすり合わせて自分の仕事のスタイルを確立する時期だ。社会性の足りない二〇代はまだ許容されるが、社会性のない三〇代に世間は冷たい。社会の暗黙のルールを自己内ルールとして身に付ける必要がある。
他者の暗黙のリクエストを感知するアンテナを張り巡らし、柔軟に対応していく。この力を「社会的コミュニケーション力」と呼びたい。これは、友達と楽しく話すコミュニケーション力とは異質なものだ。と言うより、全くレベルの違う高度な力だ。
この感知力なしで「ブレていない」という状態は、孤立しているか、ズレているだけのことだ。

p.4-5

二〇代は修業期間として、それぞれ深く潜ったり、自分流でやってみて叱られてもいい。そうして社会性と「社会的コミュニケーション力」を身につけていく期間です。三〇代は自分と社会とをすり合わせて自分のスタイルを築く時期です。このとき、社会性のない三〇代は冷遇されます。ただのズレた人になってしまうのです。

〈ブレない〉とは、「高い社会性と自分のスタイルを確立した状態」を言います。

すごい人のすごい生き方

あなたがブレずに生きるのヒントになるかもしれない12人の日本史の偉人たちが登場します。

  • 伊達政宗

伊達政宗は豊臣秀吉に怒られてあわや切腹か?という絶体絶命に追い込まれます。しかし、政宗は大胆なハッタリやパフォーマンスで一命を取り留めます。秀吉を前に、政宗の知略や肝の坐った対応に、秀吉にも評価されたのでした。

  • 葛飾北斎

北斎は熱心に他の流派からも学ぼうとしたあまり、師匠から破門されてしました。そこで北斎は誰により練習を重ね、単独で絵師として生きようと決めたのです。浮世絵とは畑違いの琳派に習ったりと、トップクラスの技術を身につけようとしました。逆境をチャンスにした北斎の絵は、現代にも残っています。

  • 北里柴三郎

北里柴三郎はペスト菌を発見し「日本の細菌学の父」と呼ばれる偉人です。北里はコツコツと地味な実験に実直に取り組み続け、与えれたミッションをこなし、上司から信頼を勝ち得ていました。また人をリスペクトする北里に、福沢諭吉も動かされ彼を援助します。北里の真面目で誠実な態度が、彼の道を切り開いたのです。

  • 西郷隆盛

みなさんご存知の西郷隆盛は、不遇な時期が長く左遷に継ぐ左遷で、島流しにも会います。普通はそこでおしまいなのに、西郷は歴史の表舞台へ出てくるのです。彼は「肚」で判断します。また、彼は情にあつく、「情」や「肚」という、現代人がないがしろにしがちな要素を持った人物でした。

  • 菊池寛

菊池寛は生活を営むため、職業として作家を選んだような人でした。経営者のようにマーケット感覚を持ち合わせ、世間の需要に敏感でした。またイエスとノーをはっきり言う人で、そのために自分の基準を持った、まさにブレない生き方をした人です。

  • 千葉周作

北辰一刀流を江戸に開いた千葉周作は、剣術や武の教えをシステム化し、合理化しました。無暗に練習すればよいものではなく、理を重んじ、カリキュラムを作りました。情報の整理、公開により剣術が近代化を迎えます。

  • 藤田嗣治

鳴かず飛ばずだった画家・藤田嗣治は、パリへ渡り成功します。パリでは奇抜な服装で身を包み、自身の宣伝にしました。また時間を守り、自分自身を律しました。世界の中でアイデンティティを築いた藤田の生きかたです。

  • 平賀源内

平賀源内は次々と転職しあらゆることに手を出した人です。しかもどれも「そこそこ」。しかし、彼は成功しました。一芸に秀でる人もいますが、源内はどれも「そこそこ」だったからこそ、人々に愛されたのでしょう。

  • 南方熊楠

破天荒で型破りの南方熊楠はうまく肩書きがつけられない人物です。女性に縁遠く、お金はなく、学歴も低い。こう言うと世間的には失敗な人生に思えますが、南方熊楠は博物学者であり知識人でした。沈潜しないと手に入らない世界があるのです。

  • 森鷗外

鷗外は一族の期待、家長としての期待、エリートである期待、政府の期待、作家としての期待と、背負いきれないくらいの期待を背負っていました。そこで彼は周囲を攻撃し、敵もたくさん作りました。反論を小説にしました。自分は自分で、世間とのズレと、抗うのではなく受け入れることで、鷗外はブレない生き方をしたのです。

  • 高橋是清

高橋是清は36歳で経営に失敗し破産しますが、その後彼は工事現場の事務員から日銀総裁になり、総理大臣になりました。是清は、現在の仕事に不平不満を言っていると、自分自身が疲弊してしまうと言います。そして、チャンスに備えて準備をしておく。とてもシンプルな教訓です。

  • 豊臣秀吉

著者は秀吉の「グランド・デザイン力」、大きな枠組みそう想像する力を評価しています。刀狩り、バテレン追放令、太閤検地は、その後の江戸時代をつくる大きな基礎となりました。費用対効果を考え、闘いマニア的な作戦をや、「戦わずして勝つ」やり方を採用し、数字や理論をプランに盛り込みました。スケールアップに欠かさない要素です。

伝記を読まなかった人のために

さて本書『ブレない生き方』で紹介される12人の偉人たちの成功体験は、子どもの頃に伝記で読んだことある方も多いでしょう。本書はたぶん、伝記に触れる機会の少なかった20代や学生向けの書物だろうと思います。

伝記というのは、過去の著名な人物の半生のうち現代の我々の価値観で〈善し〉とすることのみをを綴った物語です。だから伝記を読むと「現代の倫理観・価値観」と「模範的な物語」がよくわかります。……と書くと穿りすぎ?w でもそうだよねw

で、これって、先に紹介した、「ブレない生き方」の重要要素〈社会的コミュニケーション力〉を作るものです。

あさよるは個人的に、偉人伝って子どもの内にどんどん読んでおいた方がいいと思っています。んで、大人になるまでの間に「こいつクズじゃんかwww」「マジ鬼畜ェ……」とか適度に裏切られたり真実を知ってほくそ笑む、というステップを踏んでおくことで、作り話に騙されにくい大人になるw

まぁ、なにより面白いし、世代を超えて共有する物語って大事じゃないかな。

ここで挙げられる12人の偉人たちも、知っている人にとっては超有名人だけど、知らない人にとっては知らない人物でしょう~。本書は伝記というほどのボリュームでもないし、いくつかのエピソードだけつまみ食いするような内容です。教養、一般常識手的な感じで読んでおくとよいやも。

自分は誰タイプ?

本書は読了後、自分はどのタイプか考えてみるのも発見があるかも。

あさよるは、読了後改めて考えると南方熊楠タイプに憧れるし、そっちへ行こうとしているかもしれません。世間的には評価されないし、お金もない道w 次点で平賀源内だけど、彼のように人気者になれないし、なりたくないかもな~。カッコいいと思ったのは北里柴三郎ですな。で、「ないわ~」と思ったのは、森鷗外w

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『犬たちの明治維新 ポチの誕生』|犬もハイカラに文明開化をしていた

犬たちの明治維新感想-ポチ

こんにちは。昨日は『イノベーターたちの日本史』という近代日本を牽引したリーダーたちの本を読みました。そこから、明治ってどんな時代だったんだろう?とまたもや書棚を漁っていると、目を引くタイトルが。その名も『犬たちの明治維新』……これは、気になりすぎるでしょう!

あさよるは一応、幕末・明治維新ファンを名乗るときが時たまあるのですが、犬の明治維新を扱っている書物は見たことなかった!本書を読むと、例えば江戸へ向かう坂本龍馬の脇を犬がワンワン吠え続けていたのかなんて考えると、なんかイメージ変わるぅ!

『イノベーターたちの日本史』|近代の日本をイノベーションしたサムライたち

イノベーターたちの日本史

イノベーターたちの日本史

  • 作者:米倉 誠一郎
  • 出版社:東洋経済新報社
  • 発売日: 2017-04-28

激動の時代の犬たち

『犬たちの明治維新』では、タイトル通り明治維新という時代の転換期に、犬がどのように扱われてきたのかを紹介します。歴史とは人の営みに注目することが多いですが、人と共に生きた犬たちを通して、近世から近代への移り変わりを見てゆきます。

欧米人が見た日本の犬

日本に開国を迫ったペリーは、日本からの献上品の中に犬があり、アメリカに日本の犬を連れ帰ろうとします。残念ながらこの犬たちは旅路の途中で死んでしまったようですが、ペリーの日記にも残されています。日本側の資料では、いつ犬を渡したのか記録が残っておらず、なんで犬がペリーの船に乗り込んだのか分かりませんが、日米の送り物として扱われているんですね。

その後、外国へ渡った犬たちもいます。彼らは先々で愛されたようです。ちなみに日本の犬とは狆(チン)。白黒の小さい犬のチンです。

後に日本に上陸した外国人たちは、日本の犬に悩まされ続けます。犬たちはテリトリーに入ってきた見知らぬ人物を見て吠え続けるのです。犬たちの執拗な追跡から逃れると、また次のテリトリーの犬たちがやってきます。村から離れホッと一息入れようとすると、草陰から野犬たちが……。そして、江戸の街は夕方になると犬たちの遠吠えが響き渡り、外国人たちには異様に映ったようです。また、日本の犬たちは人を怖がらず、石を投げようとしても逃げません。欧米の犬とは違った様子に、犬の習性ではなく人の振る舞いが犬の性格を決めていたようです。

ちなみに、欧米の犬は人の顔をペロペロ舐めますが、日本の犬は舐めなかった。当時の日本人は顔をなめくる犬が珍しかったよう。

里犬たち

現在のような飼い犬は欧米式で、かつては「里犬」「町犬」という犬がいました。里犬・町犬とは、誰が飼っているわけでもないけれども、村の誰かから餌をもらって村に住んでいる犬。村に村人といっしょに生活をしているのです。里犬の仕事は、見知らぬ人が村へ入ってくると吠えること。そして、子どもたちと遊ぶことです。村の一部として犬がいたんですね。日本に上陸した欧米人たちを悩ませたのはこの里犬です。

そして、里犬ではない野犬は、野生の犬で、自分で狩りをして動物の肉を食べています。

明治維新以前の日本の街、村の様子を語るとき、「里犬」「町犬」の存在が重要ですね。村の一部として、人の生活に溶け込んでいた存在です。

飼い犬になった犬たち

明治になると、里犬も野犬もいなくなります。首輪に名前を書いている犬以外はみんな殺処分になったからです。誰かの飼い犬だった犬と、可哀想だからと誰かが名前を付けた里犬以外は、いなくなります。その理由は、狂犬病の対策でもありますが、文明開化で欧米式の生活を明治政府が導入したからです。人々の生活が変わってゆく中で、犬の運命も変わりました。

そしてこのとき犬に名前がつきました。それまでの犬は、アカとかクロとかシロとか、毛の色で呼ばれて区別されていたようですが、個別の名前を付けられたのです。名付けされることで〈村の一部〉だった犬は、〈人の所有物の犬〉となりました。

ポチとはハイカラな名前ナリ

さて、犬の名前といえば「ポチ」です。さてさて、「ポチ」の語源とは?

明治時代、犬の名前といえば「ポチ」か「カメ」だったそうです。「カメ」は、アメリカ人が犬を呼ぶ時「come here!」と呼ぶことから「アメリカの犬はカメと言うのか」ってな具合ですねw

じゃあ「ポチ」は?こちらは諸説あるようで、引用します。

「英語のスポッティ説」「英語のプーチ説」「フランス語のプチ説」「日本語のぶち説」「ぽち袋(祝儀袋)のぽち説」「ポチポチでんなあ、のぽち説」「小さい点を意味するぽち説」「点々を意味するぽち説」といろいろあって、「チェコ語でも犬をポチといいますよ」とか「ポチって猫の名前じゃないの?」とかいう意見もある。それぞれの見解がそれなりに興味深い。
日本語の辞典としては最も詳しい小学館『日本国語大辞典』第一版(一九七五年)はポチの語源についてまったく触れていないが、第二版(二〇〇一年)で次のように書いている。

(イ)英語でspotty(ぶち犬の意)(ロ)米語でpooch(俗語、犬の意)(ハ)フランス語でpetit(小さい意)からと諸説ある。

p.299-300

著者・仁科邦男さんは「patch説」を提唱する。パッチワークのパッチです。

三省堂『和英大事典』(明治二十九年、メール新聞主筆ブリンクリーほか編)でやっとそれらしい「パッチ」が見つかった。これはヘボンの『和英語林集成』以降も、最大の和英辞書で「我邦古今の語を網羅し、これを英訳を下したるもの」と諸言に述べられている。

Buchi ぶち、斑 異なった色の斑点がある(with patches of different colour)。まだら。色を違える。白黒まだら。Buchi neko斑猫。

三省堂『新訳和英辞典』(明治四十二年、井上十吉編)では、さらに簡単明瞭になる。

Buchi (斑) Patches

p.309

著者は、ポチの語源は「ぶち」を意味する英語「パッチ」に間違いないと断言しておられるが、いかがでしょうか。みなさんも一緒に悩んでみませんかw 著者も述べているように、ポチの語源説はどれもそれっぽいのですが、決め手がない。そういう意味では、「パッチ」と「ポチ」は似ている……か?

そう言われて英語音声を聞くと、「ポチ」と聞こえる気もするw

「ポチ」というのは非常に和風な響きかと思いましたが、語源に英語やフランス語、チェコ語説まであって、ハイカラな名前だったんだなぁと感心しました。

今の犬とは違う犬たち

犬たちの明治維新感想-ポチ

明治維新の頃の犬たちの様子を知ると、現在身近にいるペットの犬とは全然違うことに驚きます。人をペロペロ舐めるというのも欧米からもたらされた犬の習慣(?)だということですし、なにやら犬の素振りが違います。日本の里犬たちはペットではなく、街や村の中の構成要因として生きていた印象でした。人の生活を彩るもの、愛玩要素はなくって、人と協力して、その土地に溶け込んでいるような。子どもたちと遊ぶのが仕事だというのも、すごい。犬が子育ての一端を担っているなんて。

そして、アカやクロやシロやクマや、いわゆる雑種の犬って、昔よくいましたが、今もう見かけないですよね?彼らはどこへ行ったんだろう。紹介したように、明治になって飼い犬以外がみんな殺処分になり、日本の犬は激減し、生き残ったのはごく一部。その生き残りの犬たちも、いなくなっているんだろうか。

日本人の生活が欧米化したことで、犬の性格、性質、働きまで変貌してゆく様子は、まさに人と共に生きるパートナーなんだなぁと感じます。

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『アレの名前大百科』|知ってるけど知らないアレ、なんだっけ?

こんにちは。雑学好きだった あさよるです。過去形です。若いころ、役にも立たない雑学収集を日課としていたのですが、大人になるずつ役立つ知識の方が必要になってしまって、なかなか雑多な知識に触れられません。あと、なんか記憶力もここ数年急激に落ちている気がするんだが……。

ということで、ゆるっと雑学本でもどうぞ。暑いし、気楽に読めるけれども、なかなか手ごわい雑学クイズです。

いつも使う「アレ」の名前

アレ!アレアレ!毎日使ってるアレの名前集。

一つ目は、食パンの袋の口を止めてるプラスチックの水色の四角いアレ。二つ目は、みかんの房に付いてる白い筋状のアレ。三つめは、視力検査で使うCの形したアレ。

さて、みなさんよく知っている、よく使っているアレ。アレの名前、ご存知?

パンの袋のアレは「クロージャー」と言って、特許をクイック。ロック社が独占しており、世界のアレは同じ社のもの。みかんのアレは「アルベド」って言うんだって。視力検査のアレは「ランドルド環」と言います。へぇ~知らんかった。こんな感じで、生卵の白いドロッとしたアレとか、歯医者で歯を削られるアレ、バッグの長さを調節するアレとか、良く知っているけれども名前をしらないアレやアレが106登場します。あなたはいくつ知っている!?

雑学本……マジで知らないとこだらけ

ただの雑学本と言われればそうなのですが、クイズ形式になっているので夢中になって呼んじゃいました。監修者であるみうらじゅんさんも、正解率は26/106。得意分野がそれぞれ違いますから、正解率と雑学度は比例しないでしょうが、なかなか楽しい。読了後、絶対に他人の「アレの名前知ってる?」と言いたくてたまらないでしょう。

それにしても、なんでこんな身近なものの名前も知らずに生きてこれたの!?と不思議に思うくらい、めっちゃよく知ってるアレのオンパレードです。

アレにもコレにも名前がある世界

さて、本書『アレの名前大百科』を読んで、つくづく「あらゆるものに名前があるのだ」と実感。工業製品の場合は当たり前ですが商品名があり、それを作ってる会社があります。部品の一つ一つにも名前があって、体の部位にも名前があります。

「名前がある」って、なんだかすごいなぁと感心した次第でありました。みうらじゅんさんの回答も苦し紛れのものや、ネタに走っているものに交じって、たまにツボな回答があっておかしいw でもね、マジで分からんし想像もつかないのよ!

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『小説 君の名は。』|アニメ映画を見たら、小説も

2016年大大大ヒットした『君の名は。』みなさんご覧になられましたか?ついに今週、2017年7月26日DVD&Blu-rayがリリースされて、ご自宅で鑑賞された方も多いはず。ええ、あさよるも……え~、あさよるも……実は、あさよるは映画も見に行かずじまいでした(;’∀’)チーン

で、DVD発売も知らなくって、SNSでみなさん話題しているのを見て知りました。折角なので『小説 君の名は』を取り出した次第です。映画見てない人間が言うのもなんですが、これ、映画『君の名は。』ファンの方は小説読んでも良いかと思われます。「映画見てないくせに言うなよ」と言われるとその通りなのですが、「読んでみて!」と言いたくなるくらい、すごく良かった!

ちなみに あさよるは特典ディスクがついてるのが欲しい……なぜならば、新海誠監督の絵コンテのビデオが全編収録されているそうで、めっちゃ見たい!今週、オープニングの絵コンテが期間限定でYouTubeにアップされていて、すでに何度も何度も繰り返し見ておりました。すごい!

新海誠さんの『小説 秒速5センチメートル』がよかった

そもそも、なんで『小説 君の名は。』を所持していたかというと、同じく新海誠さんの著書『小説 秒速5センチメートル』が良かったからです。この作品はあさよるネットでも紹介しました。映画『秒速5センチメートル』では語られなかった主人公の気持ちが描かれていて、共感というか、納得というか、「彼もいろいろあったんだなぁ」分かり、自分の気持ちの持って行き先が分かった感じでした。

『小説 秒速5センチメートル』|小説で映画を補完^^

映画だと、あの美しい世界と、どこか陰鬱で孤独な描写。そして鳥肌のラスト。完成され閉じられた世界だからこそ、視聴者である〈わたし〉がどこへ心を持って行って良いのか戸惑いを感じたのかもしれません。それが小説では、主人公に共感や〈わたし〉を重ね得るスペースが用意されていたと言いますか。「小説読んで良かったなぁ」としみじみ思ったのでした。

んじゃ、今話題の『君の名は。』も読むべ!と、積んでありました。

『小説 君の名は。』はこんな話

『君の名は。』のストーリーはもうご存知の方が多いでしょうが、一応ネタバレしない程度に紹介します。まず、Amazonの商品紹介にはこうあります。

山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は、自分が男の子になる夢を見る。見慣れない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。一方、東京で暮らす男子高校生・瀧も、山奥の町で自分が女子高校生になる夢を見る。やがて二人は夢の中で入れ替わっていることに気づくが―。出会うことのない二人の出逢いから、運命の歯車が動き出す。長編アニメーション『君の名は。』の、新海誠監督みずから執筆した原作小説。

小説 君の名は。 (角川文庫) | 新海 誠 |本 | 通販 | Amazon

高校生の三葉と瀧がある日、お互いの魂が入れ替わってしまう。それは時々、夢を見るように起こる。見知らぬ場所の見知らぬ異性に入れ替わる二人は、戸惑いつつお互いの日々を過ごし、次第に二人はメッセージを残し合い、情報を共有するようになってゆく。しかし、ある日を境に、二人の入れ替わりが終わってしまう。瀧は、入れ替わっていた三葉を探しに、記憶を頼りに旅に出る。そこで、思ってみない事実に出会ってしまう。それが、三葉と入れ替わらなくなった理由であることも悟る。

現在と過去が錯綜し、大宇宙を股にかけて、二人の結びつきを軸に物語が急激に動き始める様子は壮大!

小説版は3種類ある

あさよるが今回読んだのは、角川文庫から出ている『小説 君の名は。』です。新海誠監督自ら書かれたもので、たぶんこれがスタンダード版でしょう。

これ↓

角川文庫以外に、2種類の『君の名は。』の小説があります。

『君の名は。 Another Side:Earthbound』 (角川スニーカー文庫)

スニーカー文庫から出版されているものは、アナザーサイド物語で、サブキャラたちのお話みたいですね。

これはぜひ読みたい!三葉のお父さんとお母さんの間にも何かあったようだし、おばあさんの思わせぶりなセリフも気になるし、テッシーのスーパーマンっぷりとかも気になっておりまして、触れられているといいなぁ~。

『君の名は。』 (角川つばさ文庫)

つばさ文庫は、子ども向けのもの。小学生の高学年くらい以上の人が対象ですね。物語は同じようなので、映画を見た子どもたちにプレゼント用にいいかもね。

感想のようなもの

ネタバレしないように、ということですので、フワッとしか紹介しておりませんがw、あさよるの感想を簡単にまとめました。

〈運命の人〉に出会うためには

まだ出会ったこともない二人。だけど二人はすでに想い合い、体の隅々の、その感覚まで知っています。だって、二人が入れ替わった記憶は忘れてしまっていても、入れ替わっている間の時間、互いの身体で生きていたのですから。

出会う前から想い合い赤い糸で結ばれた〈運命の人〉。それを実現するためには、これだけのエピソードを経ないとならぬのか!太陽系を股にかけた、千二百年の時を超えたスケールです。

『君の名は。』は、現在過去未来の時間を超え、離れ離れの距離を越え、そして地球よりももっと大きな力が作用しながら、三葉と瀧、二人の若者は出会うのです。壮大すぎ!

ハッピーエンド

映画『秒速5センチメートル』のレビューとか見ていると、「鬱エンド」なんて呼ばれていたり、バッドエンドであることに触れられていることが多い気がします。主人公の彼が、どんな気持ちで踏切を渡り切ったのかの解釈によりけりだろうけれども、「え~ここまで焦らしてそれ~」みたいな感じではあるw

そして、『秒速5センチメートル』がバッドエンドだったなら、『君の名は。』はみんなが望んだハッピーエンドでしょう。

新海誠監督の過去作も見たいね

前から、新海誠監督の他の作品も見たいなぁと思いつつ、まだ見てない。今回、このブログ記事を書くにあたり、『ほしのこえ』をぜひ見たい!と思いました。この作品は、新海誠監督がほぼ一人で制作した作品らしく、絶対見たい。

CMを見てずっと気になってるのは『星を追う子ども』。先に鑑賞した友人は「星を追えよ」と感想を漏らしていて、余計に気になって見たくなっている作品w

で、前作である『言の葉の庭』ですね。『君の名は。』を語る上で、前作くらいは見ておいて、盛り込みたいところ(映画すら見てないのにエントリーしてるけどねw)。

というか、『君の名は。』が見たいわ!

と、過去作見るのもいいけど、まず『君の名は。』を見たいっすw

小説版読了後の勢いでTSUTAYAへ走ろうかと思ったけど暑いし(苦笑)、配信ってめちゃ便利だなぁとしみじみ。

Amazonプライム版はこちら↓

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『乱読のセレンディピティ』|乱読で予想外の好奇心にであう!

こんにちは。なるだけいろんな本を読もうと心がけている あさよるです。だけど、〈乱読〉って言うほどバラエティに富んでいるわけでもないんですよね……たまに、「おんなじような本ばっかり読んでるなぁ」と自分で思います。

これからの読書をどうしようかと、読書術の本をチョイス!著者は『思考の整理学』の外山滋比古さんです。

『思考の整理学』を読んだよ

どんな本も読みこなす「力」

本書『乱読のセレンディピティ』は、タイトル通り〈乱読〉をテーマにしています。本の読み方で、「多読派」「精読派」なんてのがありますが、今回は「多読」のお話ですね。しかも、ただ本を読むだけじゃなく、さまざまなジャンルを〈乱読〉するのです。

どうやって読むか?それは、手あたり次第。もちろん、いつも良い本に出会うわけじゃないし、ハズレを引く日もあるでしょうw どんな本が良い本か?それを、自分で判断できるのが良い読者であると、紹介されています。自分で本の善し悪しを判断するためにも、乱読は必要なのかもしれません。乱読に必要な判断力を養うための乱読でもあるということ。

また、乱読をすると必然的に苦手なジャンル、知らない分野の本も読むことになるでしょう。よく知っている分野の本ならサササッと読めますが、知らない内容の本を読むのは時間もかかります。集中力が必要です。読書の「力」がつくのが、乱読の特徴なんですね。

「読んじゃダメ」も好奇心になる

書物をドサドサ与えられれば、読書家になるか。乱読家になるかといえば、そうとは限りません。例えば、子どもの頃、大人から「○○は見ちゃダメ」「××は取り上げます」と言われたら……いいえ、ダメと言われれば言われるほど見たくなっちゃうものです。読書生活にネガティブに働きそうな要因も、プラスに変えてゆきましょう。

読むべし、読まれるべからず

第4章の〈読むべし、読まれるべからず〉は、章のタイトルからして少し耳が痛い。

読書を神聖視する人がいる、例えば、昔は本や雑誌の上を跨いではならないと教えられた。なんとなく、本は神聖なもの、本はえらいものだと思っている。だから、本を読まないといけない、本を読まないのは恥ずかしいことだと思い込む。読書信仰を持つのは知的エリートだと思い込む。

しかし。本書は投げかける。読書はそれほどありがたいことではない。どれくらいのご利益があるのかもわからない。そして、本を闇雲に読んでいると、頭の近視が起こる。

 わけもわからず、むやみに本ばかり読んでいると、心眼は疲れ、ものをはっきり見きわめることが難しくなる。読書メタボリック症候群型近視になってしまう。頭の近視は、目の近視ほど不便ではないから、なかなかこれを治療しようとしない。
知識を身につけるには本を読むに限る。もっとも手軽で、労少なくして、効果は小さくない。読書は勉強のもっとも有力な方法になる。真面目な人は正直だから、読めば読むほど優秀な人間になれるように勘違いする。実際、博学多識にはなることができる。それと裏腹に、頭の中が空虚になるということを教えてくれるものがない。
頭が知識でいっぱいになれば、頭ははたらこうにも、はたらくどころではない。そのうちに、ものが見えない頭の近視がはじまる。
少しくらいの近視なら、頭の眼鏡で対応できる。頭の眼鏡は、もちろん、本で得た知識である。知識があれば、考えたりする面倒がない。それで読書は知識から信仰を生み、それが読書を支える。

p.50-51

本を読むのは手軽で、効果の大きな行為です。効率的なんですね。だからと言って、本ばっかり読んでいると、物を正しく見れなくなってゆく。あくまで、本で得た知識は他人からの借りものであることを忘れてはなりません。頭の働きは、自分で考えないといけない。ここを混同してはならないのです。

そしていずれ、本で読んだ知識か、自分で考えた思考か、どちらを選ぶのか二者択一を迫られるときがきます。その時、借り物の知識を選んでしまうのが、知識信仰だというワケです。

この第4章、最初から最後まで耳が痛いのです……。

どうして乱読するの?

乱読の良い所は、苦手な分野、知らないジャンルの本も読むからです。あらかじめ知識のある本は、ザーッと読み流すことができます。しかし、知らない分はの本は、単語にひっかかって、なかなか読むことができません。

知らない分野を読むには、能力が必要です。この読み方が身に付けば科学や哲学、宗教など、難しい本も読める力が身に付きます。読みやすい本ばかり読んでいると、いつまで経っても好きなジャンルしか読めない。文系だから、理系だからと読む本を選ぶ必要もない。

すると、知識の幅が広がってゆく。

思いがげないことに出会う

 セレンディピティ(serendipity) 思いがけないことを発見する能力。

p.82

専門的な読書は、専門以外の知識に出会うことは少なくなってゆきます。乱読家は、知らない知識にいつも触れていて、分からないことも多い。すると、あるとき化学反応のように、セレンディピティがやってくるのです。

知識を貯めこんでゆく読書から、乱読へ読み方を変えると、いつかセレンディピティによって全く違う考えと出会うのです。そして、この思ってもみない出会いは、新たな好奇心をかき立てます。

読書が知識の蓄積のためではなく、好奇心が新たな好奇心を生み出すものになるように。本の読み方や意識、少し変えてみようと思いました。

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『アヘン王国潜入記』|のどかな山間のアヘン栽培日記

こんにちは。人が読んでいる本が読みたくなる あさよるです。『アヘン王国潜入記』も誰かが読んでいるのを見つけて、読みたい本リストに入っていたのでした。だって、タイトルが『アヘン王国潜入記』ですよ!?で、表紙がコレですよ!?ケシのお花畑で武装した男性が笑顔で並んでるんですよ!?

と、インパクトしかなかったので、読みたかったのです。

本エントリーでは、ミャンマーを「ビルマ」と表記しています。本書『アヘン王国潜入記』が「ビルマ」表記ですので、それに倣いました。

世界の大麻薬生産地域に潜入

本書『アヘン王国潜入記』はノンフィクション作家の著者・高野秀行さんが、実際にビルマ(ミャンマー)のワ州と呼ばれる地域にあるムイレ村という閉ざされた村へ潜入し、村人と共にアヘンを育て収穫するまでの半年以上に渡る記録です。

まず、ビルマの一角がアヘン王国なのかという理由から。引用します。

 ゴールデン・トライアングル、もしくはその和訳「黄金の三角地帯」という名称は誰しも一度は耳にしたことがあると思う。インドシナのタイ、ラオス、ビルマの三国が境を接するあたりに広がる、いわゆる《麻薬地帯》である。麻薬といってもいろいろあるが、ここは麻薬の王たるアヘンもしくはアヘンを精製して商品化された非合法モルヒネやヘロインの世界最大の生産地である。世界のアヘン系麻薬の六〇~七〇パーセントはこの国境地帯から流出しているというもっぱらの評判であった。
しかし、タイとラオスはもともと生産量が少なったうえ、政府の規制でアヘンの生産は一九八〇年代に入ってから激減している。(中略)
ところが、ビルマでは諸々の事情からアヘンの生産量は落ちるどころか九〇年代になってからも増加する一方で、今ではゴールデン・トライアングルの全生産量の九割以上をビルマが担っているという。(中略)
といっても、アヘンはビルマのどこででも獲れるというわけではない。生産地は漠然とタイ、ラオスと国境を接するシャン州と考えられているが、その六〇~七〇パーセントがワ州で産出されていることはほとんど知られていない。つまり、全世界の四割前後のアヘンをこの小さな土地が生み出していることになる。

p.16-17

ゴールデン・トライアングルを地図で見ますと、中国、ラオス、タイ、ビルマ(ミャンマー)にまたがる地域。アヘンの育つ気候や土地にこの辺りが適していることと、自治区であるワ州はビルマ政府の支配を受けていないことなど、国際的“裏”の仕事がしやすい要因なのでしょう。

近代から隔絶された村で

その中のムイレ村に潜伏するという、どんなに退廃した恐ろしい土地なんだろうと想像していましたが、本書『アヘン王国潜入記』を読むと、牧歌的でのどかな土地で驚くばかり。そこで暮らす人々ものんびりと朗らかに生きているのが印象的。しかし、そんな平和そうな小さな村の中にも拘わらず、戦争の影が生々しく潜んでいる。徴兵されている人もいるし、戦争で夫を亡くした未亡人も多い。

村人たちの多くは農業に従事しています。もちろん、アヘン栽培です。他の作物は作られていないようで、村の食事は貧しいもののよう。農業といっても、日本の超効率化された農業のようなものではなく、原始的農業を想起させるようなもの。開墾した土地にアヘンの種をまき、あとは雑草を抜くだけ。親類や知り合い同士で畑を手伝いながらも、当番やスケジュールもなく、その日その日予定が変わってゆく。著者は積極的に毎日雑草取りに参加していたら、アヘンの収穫時に少しアヘンを分けてもらえることになりました。

村人たちの間では喧嘩やモメ事も少なく、万一喧嘩が起こっても次の日には仲直りする。

資金源はアヘンなのだけど、収穫の半分以上は政府に差し出さないといけないし、兵も取られるし、かなり税は重い。

そして、このムイレ村はとても不思議な村なのだ。ムイレ村は電気もなく、近代から隔絶された村だ。他の村との交わりもなく、婚姻も村内で行われる極めて「閉じた」村である。このムイレ村での日々を読んでいると、世界がこの谷あいしかないような錯覚に陥るが、実は山一つ越えれば電気もあるしラジオも衛星放送も見れて、世界情勢がリアルタイムで入って来る。車で三日も走ればセブンイレブンがあるという。決して、近代文明から遠く離れているわけでなく、すぐ隣にあるのだ。どうやらムイレ村はじめこのあたりの地域は、首狩りをしていたようで、未だにその名残があるよう。

教育とは、医療とは、労働とは

ムイレ村では一切の近代的医療がない。衛生観念もなく、我々の感覚でいうと「不潔」な環境だ。だから、病気になったらサヨウナラだ。現に、本書中でも元気だった若い男性がある日コロッと死んでしまう場面がある。非常に恐ろしい。

「教育」というものもなく、子どもたちは字も読めない。著者・高野秀行さんの世話役のアイ・スンさんが、滞在中だけ村で学校を始め、アルファベットを子どもたちに教える。すると、それまでみんな平等で同じだった子どもたちの中で、優秀な子と落ちこぼれが生まれる。そして、貧富の差が浮き彫りになる。教育とは子どもを画一化することであり、するとその中で優劣、貧富の差が現れる。

労働も同じで、村人たちは特に取り決めもなく畑仕事をやっている。だから、働いている様子を見ても優劣の差はない。

近代化されていない村を見ることで、近代のシステムを垣間見るようで興味深い。

だんだん常識が入れ替わってゆく

ムイレ村はアヘンと共にある。アヘンを育て、収穫することが目的で潜伏した著者は、ついにアヘンを手に入れる。

しかし、その頃には著者自身もアヘン中毒になっておりw、村を足早に立ち去る。タイのチェンマイに戻ってから、収穫物のアヘンを自慢するとひどく怒られ、その場で処分してもらうことになる。そう、ワ州にいたころはアヘンがある生活が当たり前だったが、そこから一歩外へ出ると「あってはならないもの」なのです。

ムイレ村へ潜入時も常識が全く違う村で驚くことばかりだったが、半年経ちそこから外へ出てくると、次は世界の常識にクラクラする。

冒険記・探検記ってオモシロイ

本書は探検記になるんだろうと思うけれども、これは面白い。世界のどこかにこんな世界があるんだ!

また、著者の目線も楽しい。出来事を綴っているだけなんだけれども、ユーモアで溢れている。

一方で、子どもたちへの教育事情や医療事情などもしっかりを描かれている。

あさよるは時折、衛生観念の無さや、教育がないということに腹立たしさも感じた。すぐそばでは近代の文明があるのに、それに触れられない彼らは長生きができないだろう。実際に、本書に登場する人達は年寄りがいない。

それも含めて、知らない世界を覗き見た興奮は面白かった。高野秀行さんの他の本も読みたい。

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『「これ」だけ意識すればきれいになる。』|無謀なダイエットより「自律神経美人」

こんにちは。自律神経が整わないあさよるです。そうか、これが「五月病」なのかもしれない……( ノД`)

小林弘幸さんの著書で、以前に自律神経を整える大切さを学んだハズなのに……ずっと寝不足だし、食欲も整わず、夜中にから揚げ食べてしまったし(それはいつもでは…)。

『「これ」だけ意識すればきれいになる』。きれいになりたい!という願望とともに、サブタイトルの「自律神経美人」という言葉に魅かれて本書を手に取りました。

〈美人な状態〉をつくる

あさよるはこの本、好きだ!

なぜかというと、「美人」を顔のパーツの配置や体のシルエットの話ではなく、「心身ともに健康であること」としているところです。

アンチエイジングがトレンドで、健康志向の社会といっても、未だにダイエットと言う名の不健康な活動をしている人もたくさんいます。それを良しとしないのが「自律神経美人」なんですね。しかも、肉体的な健康だけでなくって、精神的にも穏やかで、怒らず、笑顔でいられる時間が多いことを目指しています。

めっちゃマジメな本じゃん!

しかも、誰も教えてくれそうで教えてくれない。みんな知っているようで、よくわからない話。自律神経を整えよう。腸を整えよう。腸内環境が美人をつくる!その辺は、以前、この辺の本で学んだ↓

『脳はバカ、腸はかしこい』|脳はすぐに勘違い、間違っちゃう?

小林先生の本、これでいいんじゃね?(女性限定)

本書の著者・小林弘幸さんの著書をいくつか読んできまして、当あさよるネットでも紹介してきました。どの本も言っていることは同じです。医学的な体の健康のことを言っているのですから、同じに決まっているのですが(;´∀`)

女性限定ですが、この『「これ」だけ意識すればきれになる。』を読めば、小林先生のお話の大まかが実践できるんじゃないかな?ふわっとした目的よりも「きれいになる」「美人」ってキーワードから、体調を整えるのは、取り入れやすいだろうし。

更年期のむかえ方とか、指南する本はたくさんありますが、「意識しすぎなくていい」って言葉は、響きました。変に構えてしまうよりも、いつも笑顔で、健康な状態を維持することに意識を向ける。

人の〈意志〉の力って大きくって、しかも自律神経ってのは、INとOUTを入れ替えても効果があるみたい。すなわち、悲しいから→泣くと、泣くと→悲しいもなりたつ。嬉しいから→笑うも、笑うと→嬉しくなると、心と体は同じ一つのものですから、さかさまにも作用しちゃう。だから、笑顔でいよう。前向きでいよう。穏やかでいようって話です。これは、小林先生の他の著書で触れました。このあたり↓

『自律神経を整える 「あきらめる」健康法』|あきらめる=逃げだって思ってません?

無謀なダイエットより、確実な美容を

あさよるも若い頃、かなり無謀なダイエットを繰り返しておりまして、体がボロボロになってしまいました……お恥ずかしい限りです。それでも10代20代の頃は〈若さ〉というすごいものを持っていましたから、なんとなくなんとかなっていましたが……やっぱ年齢と共に、しんどい!単純に自分の体がしんどいw

食べ過ぎで胃が気持ち悪いし、すぐにお腹の壊すし、お肉の付き方が変わって、自分のシルエットが変わってゆく感じ。ヤバいぞ?と鈍感なあさよるも感じます。

ここでまた、無謀なことはできません。もう若い頃のように「なんとか」はならないだろうし、それよりも確実な美容を実践したいです……。

その一歩が、腸の調子を整えること。意外に思いました。しかし、確かに食べもので自分は作られていますから、食品を分解し吸収する腸が不健康ではいけません。

そして、穏やかでいること。笑顔でいること。これ、精神論みたいに思えますが、医学的な根拠もあるんですね。これは今すぐできることであり、なかなかできないことでもあります。いずれにせよ、迅速に取り組むべし。

五月病で体調最悪なあさよるですが、『「これ」だけ意識すればきれいになる。』を読みながら、「ちょっとずつ元気になろう」と思いました。

ちなみに、〈「これ」だけ〉とありますが、結構多いですw目次を見てみて下さいw

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