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『自己愛モンスター』|SNSが刺激し膨らむ欲求

こんにちは。年末年始に積読解消を狙っていた あさよるです。無論、積読の山が減ったようには見えませんが……。本書『自己愛モンスター』も、休み中に読もうと取っておいたものです。ヘビーな内容を扱いますが、文体は淡々としているので、ダメージは少なかったです。想像するとヘコんでしまうのですが……;

自他を破滅させる理由とは

『自己愛モンスター』では、「自己愛」の肥大によって起こった事件や話題を挙げながら話が進んでゆきます。秋葉原通り魔事件、ネオ麦茶、オウム真理教、スマイリーキクチ中傷被害事件、尼崎連続変死事件、三鷹ストーカー殺人事件、コンビニ店員土下座強要事件、パソコン遠隔操作事件、クレーマー、ヘイトスピーチ等々、凶悪犯罪から迷惑行為、そして「不倫バッシングを執拗に繰り返していた本人が不倫していた」というエピソードから、アルコール中毒や依存症まで、幅広く扱われます。

これらの事件や行為の裏には、自己愛と、突き詰めれば「認められたい」という本音が隠れています。

「世界一のスケート選手になりたい」「年収1億円になりたい」といった目標を立てても、実現できる人はまれだ。
もし欲望を実現できなかったとき、人はどのように対処するのだろうか。そういう場合の対処法は「防衛機制」と呼ばれており、大きく分けて3つある。
(1)他の面で欲望を埋め合わせたり、補ったりする。
(2)もっともらしい理由を付けたり、補ったりする。
(3)他人やモノを攻撃して欲求不満を解消する。

p.36

たとえば「100万円ほしい」とき(1)は代償機制と呼ばれ「100万円は得られなかったけど家族がいるから幸せ」というヤツ。(2)は逃避機制と呼ばれ「欲しいものがないから100万円はムダ」と考える。(3)は攻撃機制と呼ばれ、100円持ってる人を「守銭奴め!」「詐欺師め!」と悪口を言います。うん、どれもある。見たことある。

本書ではさらに、相手を攻撃する人と、相手に依存する人にわけて解説されています。

 私たちは皆、自己確認を求めている。自分には存在意義があること。そして自分が必要とされている証拠を求めているのだ。
特定の相手によって自己確認欲求を満たすことができれば、それに越したことはない。(中略)
一方、家族と疎遠で友人関係にも恵まれず、社会的な承認も得られていない場合は、他の誰かに認められようとする。場合によって承認欲求を満たそうとすることもあるだろう。

p.42-43

特定の人に認められたいの代表はストーカーで、有名人に対して犯罪行為に及ぶのもこれ。不特定をターゲットにするのは無差殺人事件やSTAP細胞事件、またSNSでの犯罪自慢もこの部類に入るとか。

凶悪犯罪から、身近でもそういう人いるなぁという話まで。

SNSで卑屈になる気持ち

SNSの普及は、私たちが「不平等である」という事実を拡大して見せつけます。ある人は優雅な生活を送り、家族を持ち、順風満帆な人がいて、一方で不遇な自分がいる……。子どもは「自分は特別だ」と思っていて、成長とともに挫折し、諦めることを知ってゆきます。しかし、挫折を知らずに生きてきた人が、ある時大きな挫折を味わったとき、自分の無力さを受け入れられず社会への復讐へシフトしてしまうことがあります。また、「平等であるべき」と教えられて育つのに、「不平等である」と怒り、ネット上のヘイトスピーチや誹謗中傷を繰り返す人もいます。

また、SNSは「不平等さ」を実感させられるのと同時に、「なりすまし」「偽りの自分」を作ることも簡単です。リアル世界では「嘘をつく」ということには「バレるかもしれない」という恐怖がつきまといますが、ネットではその精神的ハードルが下がります。

「誰もが平等」という理想と、「不平等だ」という不満があって、SNSという場はそれを増大させ、社会的弱者や設定した仮想敵に対し、八つ当たりのヘイトスピーチや誹謗中傷を繰り返えさせてしまう。

ネットがなければ、“そんな気持ち”にならなかったかもしれないのね……。

「自分が悪い」と認めたくない

他人事のように「自己愛モンスター」のカラクリを紹介してきましたが、バリバリ自分にも当てはまっていて動揺している自分がいますよ(;´Д`)

例えば「自分が勉強ができないのは学校が悪い」「先生の教え方が悪い」「日本の教育は間違ってる」なんてセリフがありますが、まぁ「じゃあクラスメイト全員勉強できないの?」という話であって、あ、ハイ。あさよるがサボったからなんですよ……。「収入が増えないのは国が悪い」「老害のせいで若年層が報われない」なんてね。まあ、確かに社会の中で生きている限り、環境要因も多いに働きますが、それと「私が努力しない理由」はまた別ってなもんで。……がんばりまふ。

幸福こそ最大の復讐

自己愛に呑まれ「自己愛モンスター」になって復讐をしないならば、最高の復讐とは「自分が幸せになること」です。「幸福こそ最大の復讐」とはスペインのことわざなんだそう。先日読んだ『正しい恨みの晴らし方』でもこの言葉が引用されていて印象に残りました。

凶悪犯罪にはさすがに共感できないものの、例えばスマイリーキクチさんを誹謗中傷し続けた人たちは、正義感に突き動かされており、自分の行為が悪いことだと認識していないようです。あるいは反省するふりをして釈放されて、そのままネットに他の人への誹謗中傷を書き込んだ人もいたそうです。彼らに同情はしないとしても、ただ「自分の心の中にもその衝動は住んでいるかもしれない」と感じ、なんとも嫌な気持ちです。芸人さんは、どうやら他の有名人に比べ見くびられて「楽して稼いでる」「誰でもできる」と思われている節があるそうです。だからこそ、嫉妬ややっかみの対象になりやすい。ズバ抜けてスゴイ人は比較の対象にならないけど、自分と同等か自分以下の人物と自分とは比べてしまう。

陰謀論にとりつかれている人や、有名人を口汚く罵る人は昔からいます。だけど、ネットが普及してなかったら、気軽に書き込める媒体がなければ、彼らも犯罪者にはならなかったのかもなぁと思うと、なんとも言えない気持ちになります。

インターネットが普及した世界では、自己愛を制御できる成熟した人物のみが求められているのかも。人間レベル爆上げだなぁ~。

関連本

『他人を攻撃せずにはいられない人』/片田珠美

『正しい恨みの晴らし方』/中野信子,澤田匡人

『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』/M・スコット・ペック

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』/アービンジャー・インスティチュート

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『正しい恨みの晴らし方』|最高の復讐は……

こんにちは。清廉潔白、妬み嫉みを持たずに生きている……と思っていた あさよるです。「人を恨んで生きるなんてヤな人生ネー」「嫉妬なんて醜いなぁ」なんて他人事のように思いつつ、本書『正しい恨みの晴らし方』を手にしたのです。著者は脳科学者の中野信子さん。これまでも中野さんの本を数冊読み面白かったので、手に取りました。

「正しい恨みの晴らし方」、結論を先に言っちゃうと、

「優雅な生活が最高の復習である」―p.239

中野信子先生はこう結んでおられます。さてポイントは「何を以て〈優雅〉とするか」ということでしょう。本書ではその答えは示されません。ただ、多くの人が恨みを晴らすべく勤しんでいる取り組みは〈優雅〉とは言えないだろうと、本書にて示されています。だって「不毛」だから~。

恨みとはなんだ?

まず、「恨み」とはどんな状態を指すのでしょうか。本書ではこう定義されています。

恨みとは「思い出し怒りにとらわれた状態」もしくは、「怒りをもたらした出来事を反すうせざるをえない状態」とみなせます。 -p.16

怒りを何度も思い出し、そのたびに怒りに駆られる状態を「侵入思考」と呼ぶそうです。過去の出来事が、現在に侵入してきて怒りにかられるからです。同じことを繰り返し考えてしまい、あれこれ思いめぐらせてしまう状態を「反すう」と言い、精神的な健康を害することもあるそうです。これらが「恨み」です。

怒りが恨みに変わるには、相手が〈他者〉の〈何らかの意図〉でないといけません。物に躓いても、物を恨むことはありません。

もっと言えば、「正しくないことをされた」という被害者意識こそが恨みの源といえます。自分のプライドを酷く傷つけるようなことをしてきた相手に怒り、その怒りがなかなか収まらないとき、それを恨みと呼ぶのです。 -p.18

「正しくないことをされた」とは、不当なことをされた、侮辱された、不条理な扱いをされたことを、自分の中で整理できない。だから怒りが持続し、恨んでしまう……。

あるいは、自分ではどうにもならない状態に置かれたとき。近しい人が事件や事故に遭ったとき、加害者を恨まずにはおれません。リストラに合って、会社を恨んでも仕方がないけど、恨んでしまいます。

仕返しをしたい!

我々は傷つけられると、怒りを感じます。

アメリカの心理学者ジェームズ・アヴェリルは、「失われた自尊感情の回復」が怒りの目的であると述べています。プライドを傷つけられて怒るのですが、それを癒す道筋を照らすためにもまた、怒りが存在しているというわけです。
こうした考え方に沿うなら、恨みを感じた後にも、傷ついたプライドを回復させるような行動をとりやすくなるはずです。
その一つが「仕返し」です。相手にも自分と同じ傷を負わせ、自分と同じ苦しみを味わわせてやりたいと思うのです。

p.20

傷ついたプライドの回復のために「仕返し」が必要なのですな。

さらに「見返し」という言葉もあります。これは、自分を侮辱した相手に、立派になった自分の姿を見せ、見返したいという願望です。しかし、見返しはプライドを直接的に回復させないようで、見返しが成功することは少ない模様。

妬みと嫉妬

「妬み」と「嫉妬」というよく似た言葉があります。これらは、日本語でも英語でも意味が少し違います。

 妬み(envy)は、自分の持っていない何らかの好ましい価値のあるものを、自分以外の誰かが持っていて、それを自分も手に入れたいと願うとき、その相手に対して生じる不快な感情のこと。
嫉妬(jealousy)は、自分の持っている何らかの好ましい価値のあるものを、自分以外の誰かが持っておらず、それをその誰かが奪いにやって来るのではないかという可能性があるとき、その相手を排除したいと願う不快な感情のことです。
時には、これらがの2つの感情が混じって感じられることもあります。

p.74-75

整理すると、

  • 妬み→「ニンテンドースイッチを○○ちゃんが持ってる!ズルイ!私は持ってないのに!」
  • 嫉妬→「私の彼が△△ちゃんと親しくしてる!浮気か!」

妬みは、他の誰かだけ持っててズルイ! 嫉妬は、自分の持ってるモノや関係性を奪われるかも!? という状態です。

妬ましい!

リア充自慢を街中やfacebookで見かけて、内心「ケッ」とムカつく気持ちは「妬み」です。妬みはいろんなところで起こります。能力の差、容姿の差、お金や財産、地位や能力、コネなどなど。で、妬ましい相手の悪口を言ったり、足を引っ張ろうとします。

「羨ましい」という気持ちも、「妬み」と同じですが「ネガティブではない妬み」です。せめて、人を妬むにしても「羨ましい」にしておきたいものです。

「妬み」は、例えばイチローのように、自分とかけ離れた相手には感じません。自分と近い相手が、自分より好ましい状態にある時「妬ましい」と思います。

なので、お金持ちの有名人が死の直前、一般の女性と結婚し、その女性が女優やモデルのような超美人なら構いません。しかし、その女性が「普通の女性」だったとき、「妬み」が爆発します。事実もわからないのに「遺産目当てだ」なんてバッシングが始まります。しかもこのとき、「妬んでるんじゃない、遺産目当てのセコい女を懲らしめるんだ」と「正しい」「正義」のために見ず知らずの女性をこき下ろしはじめます。でも冷静に考えると、他人をバッシングしたところで、自分は何の得にもならないし、むしろ時間も労力もムダにしてしまうばかりだったり……。

「正しい」ほど怖いものはない

他人の不幸は蜜の味です。ゴシップ大好き!他人のあら捜ししたい。「メシウマ状態」を心待ちにしています、よね?ね?ね?

なぜ他人の不幸を見ると満足するか、というと、自分が辛いとき、自分と同じくらいか、自分より不幸な人と比べると、気持ちが楽になるそうです。心理学的にもこう考えられているそうです。

人は周りの人に同調する習性を持っていて、Twitterで情報共有されれると多くの人が同調し、またたくまに炎上します。「正しくない」と思われる投稿が大量RTされ、なんとなくバッシングしていい雰囲気が出来上がります。……ただ、あくまで見ず知らずの他人をつるし上げても、自分は何の得もないのです。原動力は「自分は正しく、相手が間違っている」から。「自分は正しい、相手が間違っている」と認識すると、我々はその相手を攻撃することを厭わなくなります。「いじめ」と同じように、わざわざ自分が止めに入らなくても……という同調圧力も働き、仲裁する人もいなくなります。

正義という麻薬

なんとなくムカつく人をつるし上げ、みんなで恨み、悪をやっつければ勧善懲悪めでたしめでたし。みんな「水戸黄門」「半沢直樹」が大好きなのです。スカーッとして気持ちいい!のです。

「正義」を考えるときのポイントは「ズルをした」から恨まれるのではなく、「ズルをしそう」な個体もフリーライダー予備軍とみなされ、排除の対象になることです。「ズルをしそう」と疑わしい人を探し回っている状態が今の社会かもしれません。

人を恨んで生きてましたm(__)m

あさよるは他人にあまり興味ないし「人を恨む」なんて疲れるだけのことしたくないわいと思っていました。しかし、本書の定義に従えば、あさよるは「人を恨みまくっている人間」になってしまいますw もともと関西弁で言うところの〈イラチ〉で、気が短い方なので、他人にイラつく瞬間はありました。しかも、時間が経っても怒りが収まらず、むしろどんどん「侮辱された」「ナメられた」と怒りが膨らんでゆく経験はよくありました。そうか、あれ、恨みなのかw

さて、冒頭で、本書では「優雅な生活が最高の復習である」と結論付けられていることを紹介しました。はてさて「優雅な生活」とはどんな状態でしょうか。

あさよるが考える「優雅な生活」とは、規則正しい生活をして、アイロンをかけたシャツを着る。ゆっくりと朝食を食べ、早朝に掃除をし、午前中に仕事をして、夕方には終業して、夕食の準備をして、8時にはお風呂に入って、9時には寝る。ふとんは乾燥機にかけてでフカフカ。

これが最高の復讐です。

関連本

『サイコパス』/中野信子

『サイコパス』|冷静で共感しない人たち

『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』/中野信子

『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』|誰もがドーパミン依存!?

『あなたの脳のしつけ方』/中野信子

『あなたの脳のしつけ方』|モテも運も努力も脳次第?

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『死ぬまでボケない 1分間“脳活”法』|運動と食事、トキメキ!

こんにちは。脳トレ系の本が読みたかった あさよるです。本書『死ぬまでボケない1分間“脳活”法』も自己啓発の脳トレ系の本かと思って手に取ったのですが、読み始めるとフツーにお年寄り向けの「ボケないためのライフハッック」本でしたw 脳を刺激するというのは、あさよるにも関係あるだろうなぁと最後まで読んでみました。

ちなみに著者は二人いて、帯津良一さんはお医者様でホメオパシー医学会の理事をなさっておられる方、鳴海周平さんは「アースヒーラー」として〈地球を癒しておられる方〉だそうです。なんか、スケールがすごいですね(^^)/

本書は高齢者向けに健康な生活を指南する本です。確かに、年齢を経てからの「学び直し」は必要ですね。忘れてることもあるし、最新の知識にバージョンアップしておかないと、健康や財産管理もままならないのかもしれません。

適度な運動と食事、そしてトキメキ!

本書ではオススメの運動や食事メニューも細かく図解付きで紹介されています。あさよるが納得したのは、「ワクワクする」とか「胸のトキメキ」が大事だってことですね。何歳になっても好奇心が絶えない人生って、いいな。

朝起きて体を触ってマッサージするのも、義務感でやるのは大変だけども、「スッキリ気持ちいい!」って気持ちでやると続きそう。というか、朝のマッサージは あさよるが毎朝やってることだった。

食事についても、単に食事メニューについてだけでなく、食材の準備や、献立を考えたり調理をする、一連の作業を楽しめる人が、ボケにくいそうです。自炊できる人って、なにかと強い。たしかに、「食べる」って生き物の根源的行為だものね。

重要よね。食に関する知識も、かなり難しいですから「なんとなくキャッチー」で「それっぽい」極意ではなく、ちゃんと「学び直し」した方が良さげな分野NO.1である。

科学の枠を超えて

本書の終盤では、帯津良一先生直々の気功法が、実演の写真付きで掲載されています。あさよるは気功法がわからんので、正しいやり方なのかどうかもわからないけれども、なんかすごそうな感じ。

で、人間誰しも向き合わなければならない「死」についても、鳴海先生は『「からだ」は大地へ還って、「いのち」は虚空へ還る』という格言をゴシック体の太字で仰っています。帯津先生も、小母さまが亡くなったとき人魂を目撃するという、ふしぎな体験をしたそうです。やはり、お二方ともダタモノじゃありませんね!

さいごの「おわりに」にて、帯津良一先生は「恋心」が60歳を過ぎてから、どんどん女性が好きになってきたと告白しておられ、「やっぱ元気の秘訣はコレかもね!」と思いましたw

答えのない取り組みだから

「年齢を重ねる」というのは、誰しもが経験する……ものではないから難しいですよね。今、日本人は長生きになりましたが、少し前まで平均寿命はずっと短かったし、お手本のいない世界なのかもしれません。親が年齢を重ねていく様子を見ていても、「自分も数十年後こうなるのか?」と考えてもわかりません。少なくとも今のところ、あさよるは両親とは全く違う生き方をしているので、父や母のように年を取るのか謎過ぎる。

ちょっと関係ない話ですが、「恋」がボケを防ぐというのはすごく共感できました。というのは、たまに「おでかけ」の予定ができると、美容室へ行って、洋服も一新して、と身繕いが始まります。反対に言えば、特別な予定がない限りは、髪もボサボサで服も何年前の服を引っ張り出して着てるだけ。代り映えなくて、ぜんぜん刺激がありません。やはり、たまにはデートに誘ってくれる人が必要なんですな。それがないので、アイドルの追っかけでもそろそろ始めようかと思案しています。

勉強するってのも、すごく刺激的なことですし、変な話に引っかからない最良の手だとも思います。最初の「学び直し」の話の続きですが、社会人になってから勉強し直すの、大事だと思うよ。昔学校で習ったことも忘れてたり、知識が古くなってるからね。

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『超<集客力>革命 人気美術館が知っているお客の呼び方』|気分がアガるミュージアムを

こんにちは。趣味といえば美術館へフラリと足を運ぶことくらいの あさよるです(;’∀’)> 以前は関西の美術館はよく通ってましたが、今は大阪でやってる特別展をササッと見てくるだけだなぁ~。

先日、あさよるネットで世界の図書館を紹介する本を紹介しました。ほうほう「図書館はこういうもの」って思いこんでいたけれども、世界には様々な図書館があって、図書館の仕事は多様なのだと知りました。

そこで、「じゃあ、美術館はどうなの?」と興味を持ちました。一応、図書館と美術館は定期的に通っている場所なので。『超〈集客力〉革命』は、人気美術館が集客のためどのような取り組みをしているのか紹介する本です。そして、美術館が担っている仕事についても触れられています。

ミュージアムは街をつくる

まず、「美術館という〈ハコモノ〉に〈有難い美術品〉を詰め込んでいるところ」ではなく、美術館が、人を呼び込み、人を動かし、町をつくるのです。日本での例として、兵庫県立美術館と、金沢21世紀美術館の取り組みが紹介されています。

兵庫県立美術館の場合

兵庫県立美術館は安藤忠雄さんの巨大なコンクリート建築で、建物自体がアート作品です。入り口には地元企業の液晶モニター画面が設置され、来館者を待ち受けます。また、屋根の上には巨大なカエルが!今ではすっかり兵庫県立美術館の「顔」になっています。

建物は3つに分かれており、地域の子どもたちの作品を展示したり、教育施設としての役割も担っています。

また、美術ファンだけが訪れる施設ではなく、それ以外の人も気軽に足を運べるよう、レストランや飲み屋を作りました。地元の灘の酒を味わうにもいいっすな! さらに、美術館の横にバスケットコートを作って、スポーツのお客さんも呼んでいるという念の入れよう。

「美術館って近寄りがたい」とか「縁もゆかりもない」人を、アート以外の理由でも引き込んで、「美術館を身近なもの」にする取り組みがなされています。

兵庫県立美術館の最寄り駅である阪神「岩屋駅」から、兵庫県立美術館へ続く「ミュージアムロード」は、美術館帰りにショッピングや食事ができるよう整備されています。美術館によって町が育って、町に集まった人が美術館に親しむ環境づくり推進中。

子どもたちが集まる美術館に

金沢21世紀美術館の取り組みはたくさんありますが、子どもたちを美術館へ招き入れる取り組みが印象的です。美術館が身近で親しみやすい場であるならば、その人はまた美術館へ足を運びます。その〈種を蒔く〉ために、地域の子どもたちを美術館へ招待します。しかも、現代アートなんかの、おもしろいやつ!

日本の美術館は静まり返っていて、とても子どもを連れて入れないような雰囲気があります。でも、外国の美術館では、騒いだり作品に触ったり壊したりしないなら、仲間で語らったり話し込んでいる人もたくさんいるそうです。

人びとが行き交う場所

美術館はたくさんの人々が行きかう場です。世界のルーブル美術館では、世界中には美術館目当てに人が集まります。本書でも、世界の名だたる美術館の特徴や取り組みが紹介されています。また同時に、小さな美術館も多数取り上げられています。日本の美術館の規模や環境は、世界の小さな名美術館をお手本にする方が合っているというのです。

小さな美術館といっても、「名美術館」なんですよ。

……と、あさよるは勿論行ったこともない美術館ばかりなので、解説は本書を読んでくだしあ~。

まちの人のふるさと

美術館へ遠くから人もやってきますし、美術館のある町の人も集います。自分の町の美術館が、特色ある良い美術館であったとき、その町の人々にとっても美術館は「ふるさと」や「町の顔」になり得ます。外からやってくる人へ向けた観光資源であると同時に、地元に暮らす人の文化的施設なんですね。

美術館がになうもの

アートが生活の中にあり、アートがコミュニケーションの中にある。様々な美術館を見ていると、美術館にも役割や仕事は、地域によって違っているようです。どうやら日本の美術館は、でーんと巨大な箱をつくって、中は空っぽ。美術品を借りてきて並べておしまい。せっかく面白いコレクションを集めても、良い特別展を企画しても、それを宣伝して周知しないと、人は来ません。

人を集めるためには、見た目カッコイイ!とか、この作品ヤベェーとか、パッと見て心惹かれる仕掛けも大切です。それは、アートは極一部の専門家やファンだけのものではなく、それ以外の人たちの生活も豊かにしうるものだからです。マニアだけが理解するものではいけない。

あさよるが、初めて足を運んだ美術館が、先に紹介した兵庫県立美術館でした。確かゴッホ展で、ゴッホの有名な作品も多数あって豪華な展示でした。が、あさよるは、やっぱり兵庫県立美術館のあの建物にも驚き、「特別な場所」へ自分は来たんだ!と胸がいっぱいになりました。大阪府内の自宅から神戸市へ来ただけなのですが、まるで旅行に来たような非日常と言いますか。で、今でも兵庫県立美術館へ行くと、気分が「ぱぁ~っ」となります。

美術館って、美術品を拝むだけじゃなくって、そこへ行くこと自体が楽しみだったり、お買い物したり食事したり、誰かと語らったり、たくさんの楽しみが重なってるところであって欲しいなぁと。「イオンでも行く?」みたいなノリで足を運べるといいね。

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『能 650年続いた仕掛けとは』|変わり続けること

こんにちは。能が好きな あさよるです。実は、好きなんです。以前ね、能のお囃子の小鼓のお稽古に通っていました。「いよ~ぅ、ポン!」ってヤツです。引っ越しや転職や体調不良等々と重なってそれっきりになってるんですが、チャンスがあれば復帰したいデス。あ、でも、能の舞をやってみたいなぁと心密かに狙っています。能は見てるのも面白いんですが、むちゃくちゃ「自分もやりたい!」と燃えるんですよね~。

ちなみに、あさよるが初めて見た能は、関西の大学生がやっているもので、小鼓を女性がやってて「女性でもできるんだ!」と嬉しくなって飛びつきました。彼女がまた、カッコよかったんだ~。

「能」ってなんだ?入門書

本書『能 650年続いた仕掛けとは』は能をこれから知りたい人向けの入門書。10代の若い人が読んでもわかる内容です。

ところで「能」ってどんなイメージですか?もしかしたらイメージ自体がないかもしれないし、なんかオタフクみたいな仮面を想像するかもしれません。学校から能の舞台を見たことがある人もいるかもしれません。あさよるも何回か、中高生の鑑賞会の中、ポツーンと大人が混じって見たことがありますw

なんとなく「能ってこんな感じ?」ってのが頭の中にある人にとって、本書『能 650年続いた仕掛けとは』を読めば程よく能のイメージが一新されるんじゃないかと思います。「格式ばった」「厳格な」ものではなく、やさしい文体で本書が書かれているせいかもしれないし、能を鑑賞するだけじゃなく、「やりたくなる」ように用意されているからかも。

能と「サル」

能の歴史は奈良時代、大陸から輸入された「猿楽」が発祥だと習いました。本書ではさらに、古事記に登場する、天岩戸の前で舞ったアメノウズメノミコトの伝説が登場します。

 アマノウズメノミコトは天岩戸のほかに、猿田彦と結婚したことから、猿女(祭祀の際に舞う女性)の先祖となりました。猿女は、芸能の神様ですし、猿田彦も芸能の神様であるという人もいます。

p.30

大陸から「猿楽」が渡ってくる以前から、芸能を伝える「猿」系の人たちがいたのではないか?という推測です。さらに面白いのは、能が発展したのは豊臣秀吉の時代。秀吉もまた「猿」と呼ばれる人物であるということ。歴史的事実はわかりませんが、面白いつながりですね。

能の650年生き残り戦略

伝統芸能というと「頑迷」で「意固地」に同じことをし続けている芸能だと感じている人は、本書『能 650年続いた仕掛けとは』でアッサリと裏切られるでしょう。能の歴史を見ていると、スルスルと時代に合わせその姿を変えながら、現在につながっていることがよくわかるからです。

そもそも、現在に続く能を発明した世阿弥はイノベーターですね。舞台の装置そのものを作り替え、能を継承するために世襲制を採用します。テキスト『風姿花伝』も著されました。

戦国時代、武将たちに能は愛されます。中でも豊臣秀吉は能に入れ込んでいたらしく、朝鮮出兵の際は即席能舞台まで用意されたとか。秀吉は新しい能の演目をたくさん作らせ、自分も能を舞いました。家康も能を楽しみ、江戸時代に入ってからは大名家の教養として推奨されました。徳川綱吉は能狂いで、その頃から能の趣がガラリと変わります。それまでの能よりも2倍くらいゆっくりと演じられるようになったのです。時代が下ると、江戸時代の市井の人々も能に親しんでいたそうです。

そして明治時代が始まります。能を支えていた幕府や武家がなくなり、能は存亡の危機に。その後、野外にあった能楽堂(能を演じる舞台)を屋内に移した能舞台へ変わります。能は夏目漱石や正岡子規、泉鏡花など文学者に愛されました。

現代もマンガに描かれたり、『ガラスの仮面』の「紅天女」が能で上演されたりと、メディアミックされています。

あさよる的には、「能舞エヴァンゲリオン」を見たかったすな。意外にも(?)、新作がたくさん作られているんですね。能と一緒に上演される狂言でも新作がたくさんありますね。

「能」をやりたくなったら

本書内では、プレイヤーとリスナーの分断について触れられています。ロックバンドを聞いてノリノリになる人は大けれど、「聞く」と「演奏する」の間に大きな溝がある……。これは能の世界でも起こっていて、「能を鑑賞する人」と「能をやる人」が分断されてしまっている。

これは普通じゃないんです。昔の人は、自分でやってた。落語で「寝床」という話があります。客を集めて、みんんなの前で下手な浄瑠璃を聞かせて迷惑がられる話です。浄瑠璃も、戦後すぐの頃までは習っている人が多かったと聞いたことがあります。

本書の素晴らしいところは、読んでいる内に「能を習うなら」というガイドが始まっているところでしょう。鑑賞される能だけじゃ不十分で、みんながやりたい能でなければ、伝統も続かないのかもしれません(余談ですが、今若い世代はバンドやらないそうですね。あさよる含め)。

ちゃんと先生や教室の探し方や、お稽古の通い方が指南されていて(・∀・)イイネ!!

能の鑑賞のための手解きはよくありますが、習い方は初めて読んだかもw

変わり続ける伝統

本書を読んで、伝統芸能って、さすが何百年も生き残ってきただけあるんだな!と、なんだか清々しい気持ちになります。

例えば、ブログやサイトを何十年と続けている人は、サーバー移転やサービス修了や、ブログやSNSの導入など、たくさんの変化があったでしょう。データ飛ばしちゃったり、掲示板が炎上したり、晒されたこともあるでしょう。中の人だって、転職したり家族が増えたり引っ越したり病気になったりいろいろあったでしょう。長年同じサイトやってる人を見つけると「歴史アリやなぁ」としみじみ感じ入ります。それでも、未だに更新し続けている人って、変化や新しいトレンドを常に取り入れ続けた人なんですよね。しみじみ。あさよるもこのドメイン育ててこう……(なんのこっちゃ)。

とまぁ、何ごとも「長く続ける」って常に変化し続けることです。それを優に650年続けてきた能は、川の中をたゆたうハンカチのように、その一瞬一瞬変化し続けたのかもしれません。能の先祖を辿ると、もっと古いみたいだしなぁ。

変化するってエネルギーも勇気も必要で、恐ろしいものだけれども、変化しないと手に入らないものもあるのね。

関連本

『狂言でござる』/南原清隆

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『あやつられ文楽鑑賞』/三浦しをん

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『先生、イノベーションって何ですか?』/伊丹敬之

『先生、イノベーションって何ですか?』|以前の世界が思い出せない

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』/博報堂ブランドデザイン

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『教室内(スクール)カースト』|誰が階級を作っているの?

こんにちは。友だちの少ない あさよるです。中高生のことから人と「ツルむ」「群れる」のが苦手で、プイッと一人で図書室で本を読んでいました。そう、あさよるは人と喋りたくないばっかりに本を読んでるヤツだったのです。ネガティブ~。

先日、東洋経済オンラインで、『「意識高い系」社員につけるクスリはない』という記事を読みました。

この記事の中で、「意識高い系」の定義として「スクールカースト」という言葉が登場します。意識高い系はスクールカーストは被支配階級で、土地を持っていないと定義されています。だからこそ、都会へ出てワンチャン狙いたいということらしい。

そこから派生して、ダイヤモンド・オンラインの記事も読みました。ここでは、スクールカーストと学力、コミュ力、容姿、職業と、10代の頃の教室内での地位と絡めて話されています。

あさよるは「スクールカースト」という言葉を知ったのはここ5年程でしょうか。あさよるが10代の頃は「1軍」「2軍」とか「メジャー」「マイナー」なんて言葉が使われていたように思います。……しかしながら、あさよるはそういうの疎い子どもだったので、自分の教室内のポジションとかよく分かっていなかったんですけどね(;’∀’)

スクールカーストとは

本書『教室内(スクール)カースト』では「スクールカースト」という言葉の出典から始まります。

この言葉が最初に紙面に載ることになったのは、2007年に出版された教育評論家の森口朗(あきら)さんの『いじめの構造』(新潮社・2007年)という本の中です。(中略)
森口さんは、「スクールカースト」の定義を以下のように設定しています。

スクールカーストとは、クラス内のステイタスを表わす言葉として、近年若者たちの間で定着しつつある言葉です。従来と異なるのは、ステイタスの決定要因が、人気やモテるか否かという点であることです。上位から「一軍・二軍・三軍」「A・B・C」などと呼ばれます。(41~42頁)

p.28-29

『いじめの構造』が出版された頃にはすでに「スクールカースト」という言葉が存在し、意味付けもなされていました。では、いつ「スクールカースト」という言葉が登場したのでしょうか。

朝日新聞社発行の雑誌『AERA』にて「スクールカースト」の言葉を生み出したという人物が、自身の体験と共にネット上に「スクールカースト」のワードを登録したと語っています。

 マサオさんは2年ほど前、インターネット上に言葉を登録し、説明文を編集できるサイトに、実体験を基にこう書き殴った。

「主に中学・高校で発生する人気のヒエラルキー(階層性)。俗に『1軍、2軍、3軍』『イケメン、フツメン、キモメン(オタク)』『A、B、C』などと呼ばれるグループにクラスが分断され、グループ間交流がほとんど行われなくなる現象」

こうして、「スクールカースト」という言葉ができた。

(森慶一「学校カーストが『キモメン』を生む――分断される教室の子どもたち」『AERA』2007年11月19日号)

p.32-33

このマサオさんはシステムエンジニアの当時29歳で、10代の頃「イジられキャラ」でピエロを演じていたが、イジりがエスカレートし、「いじめられキャラ」に変わり、高2で退学をしました。そして「スクールカースト」という言葉を登録した、と証言しています。

スクールカーストが生まれる背景

日本の学校で起こる「いじめ」の特徴は、「教室の中」で起こることだそうです。本書でも、他のクラスに友だちがいて、昼休みなどに教室外で集まっている人たちに対し「生きてる意味あるのかな」なんて感想もあって、スクールカーストが「教室の中」の限定された空間で起こることが顕著です。本書のタイトルも『教室内カースト』と書いて「スクールカースト」と読ませています。

ちなみに、あさよるも友だちを作らず一匹狼でフラフラしてるのが好きですが、周りの人から「生きている意味あるの」なんて思われてたんでしょうか……(;’∀’)

いじめとスクールカーストのカンケイ

いじめで暴行や恐喝等が起こった場合、速やかに警察を介入させるべきだと考える人がいます(あさよるもそう思います)。しかし、いじめは「シカトされる」「クスクス笑われる」といった「実被害はない」けれども「やられる当人は死ぬほどつらい」状況に置かれることも多く、解決が難しいのです。

「いじめ」を作るのは「被害者」と「加害者」、そしてそれを見てはやし立てる「観衆」と見て見ぬふりをする「傍観者」、それらが四層に重なり「いじめ」が成立するというのです。(中略)
そして「いじめ」が起こらないとすれば、「傍観者」層が「仲裁者」層に変わったときなのだといいます。

p.52

いじめは少数の加害者によるものではなく、観衆と傍観者がいて「いじめ」になるというのです。

教室内では、スクールカースト上位者は自分の意見を発言しますが、下位の人は意見を言いません。ですから「いじめ」回避のための「仲裁者」になり得るのは、カースト上位者のみということでしょうか。

スクールカーストは悪なのか?

本書を読んでいると不思議なことがあります。インタビューやアンケートに答えている生徒や学生、教師らは「スクールカーストはなくなった方が良い」とは考えていないようなのです。

スクールカースト下位者は、カーストは「あって当然」と半ば諦めているように感じます。教師は、諦めモードのカースト下位者を投げやりで、やる気のない人のように感じています。スクールカースト上位にいたことを自認する生徒たちは、それなりに「特別」だったことを感じているようです。

また、教室内自治を行うにあたって、教員側から見ればスクールカーストはあった方がやりやすいもののようです。スクールカースト上位者は良くも悪くも目立つ人で、彼らの様子を見て雰囲気を察知しています。カースト下位者は顔も名前もわからないこともあるそうです。

また、クラスを代表したり、作文のコンクールに応募する際など、責任のある役割はスクールカースト上位者に任せます。それはスクールカースト下位者には、責任ある仕事を任せられないと考えているからです。

どうやら、概ねスクールカーストは「あって当然」「しかたがない」と諦めもありつつ、存在が認められているようです。

カースト上位はイージーモードか

本書で興味深いのは、高校生でカースト上位になってしまった人の証言です。クラスでの取り決めで発言したり、先生のネタにツッコんだり、カースト下位者にネタを振ったりしないといけない。カースト上位者の権利も多いけど、その〈権利を使わなければならない〉「義務」が大変だった。彼女は結局高校を中退してしまいました。

また、カースト上位者は下位者に好かれているワケではない。みんな内心ウザくても、それを表に出していないだけだと言います。ということは、カースト上位者って、「みんなの共通の敵」というか「みんなの共通の嫌われ者」だとも言えます。カースト上位者はクラスの結束を作るとみなが証言しているのですが、結束の内情は複雑です。

誰がカーストを作ってるんだ?

本書『教室内カースト(スクールカースト)』はたくさんのデータや出典が挙げられているので、ここから他の史料にあたることもできます。あくまで客観的資料の羅列につとめておられるようで、〈収まりのいい結論〉を求めている人には消化不良かもしれません。

スクールカーストがなくならないのは、学校の教室という限定された環境、構造がそうさせているようです。では、その閉ざされた特殊な空間で、誰がスクールカーストを作っているのでしょうか。教師はスクールカーストを利用しているようですが、教師がカーストを作っているなんてことがあるのでしょうか。

カースト上位者が、多数の下位者たちを抑圧している……とも言い切れない感じ。確かにスクールカースト上位者たちは自分の意志をハッキリ言って、ムードメーカー的存在ですが、それだけです。カースト下位者は、カースト上位者の物言いや染めた髪やピアスを見て「コワイ」「めんどくさそう」と倦厭しているようです。

「いじめ」は、スクールカースト下位の中の「いじられキャラ」が「いじめられキャラ」に変わることがあると紹介されていました。また、いじめ回避には「仲裁者」が必要です。本書を読む限り、仲裁者になり得るのはスクールカースト上位者しかいないように思えます(自分の意見を発現できるのは上位者だけ)。

〈構造が「スクールカースト」と「いじめ」を作っている〉と言ってしまえれば簡単ですが、スクールカースト下位者が、見た目が派手な生徒や、意見を言える生徒を〈遠ざける〉ことで、分離が始まっているようにも読めました。なんともややこしくて難しい話ですので、ぜひご一読ください……m(__)m

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『バッタを倒しにアフリカへ』|人類のため、バッタに食べられたい

こんにちは。流行りものに目がないあさよるです。『バッタを倒しにアフリカへ』話題になってたじゃないですか。読むしかないですよね。それにしてもタイトルが謎だし、写真も謎だし、どう見てもふざけているようにしか見えないのですが、著者は何者!?

タイトルの意味も、緑色の出で立ちも、本書を読めば意味が分かるのですが、その意味が予想の斜め上行き過ぎているw オモロー

昆虫学者のアフリカ滞在記

本書『バッタを倒しにアフリカへ』は著者、前野ウルド浩太郎さんのエッセイです。前野さんはファーブル昆虫記を読み、ファーブルに憧れ、昆虫の研究をはじめ、バッタを追ってアフリカはモーリタニアへやってきた。ミッションはバッタの駆除。「神の罰」とも呼ばれるバッタの大発生を防ぐのだ。しかし、干ばつが続きバッタが発生せず、代わりにゴミムシダマシと、キュートすぎるハリネズミとの生活が始まった。

大人の事情も絡んでくる。研究費と生活費が保証された2年が過ぎようとし、もうすぐ無収入になる……日本へ帰るか?バッタを追うか? 一時帰国であちこちで講演をし、京都大学の白眉プロジェクトへエントリーをするのだった。京大総長とのやりとりは、読んでいて思わず目頭があつくなるものだ。はたして、彼は無事に予算を手に入れるのだろうか……ドキドキ、という展開です。

 私はバッタアレルギーのため、バッタに触られるとじんましんが出てひどい痒みに襲われる。そんなの普段の生活には支障はなさそうだが、あろうことかバッタを研究しているため、死活問題となっている。こんな奇病を患ったのも、14年間にわたりひたすらバッタを触り続けたのが原因だろう。
全身バッタまみれになったら、あまりの痒さで命を落としかねない。それでも自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。

子どものころからの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。

p.3-4

ちょ、ちょっと情報量が多すぎてわからない。バッタアレルギー?そんなアレルギーあるの? 本書によれば、バッタが腕をテクテクと歩くと、その足跡にじんましんができるらしい。そんな話初めて聞いた。そしてなによりこの一文だ。「バッタに食べられたい?」?? どうやらバッタが大発生している様子を見学していた人の、緑色の服にバッタが群がり、服を食べてしまったという話が昔、科学雑誌に載っていたそうだ。それが羨ましくて「バッタに食べられたい」ということらしい。

大発生するバッタを前に、成すすべもない人類。その先陣を切って、全身緑のタイツで立ちはだかる男。それが著者なのだった。

冒険記、体験記はオモシロイ

本書はタイトルからどんな本なのか推測しづらく、読んでいても話の終着点はなんなんだ?とハラハラと読み進めました。前半はアフリカでの異国の文化や動植物のレポートが続き、旅行記のような楽しさが、そして後半は日本の研究者の微妙な立場や、日本でアフリカでの様子を講演や雑誌連載など忙しく駆け回る様子もまた、ドタバタで面白い。

学術的な話は置いといて、本書は命懸けの研究者の奮闘を知れる本だと思います。砂漠でサソリに刺されていたし……。学者、研究者って、屋内で青白い蛍光灯の下、机上の空論を並べているにあらず。

おもしろかったデス(^^)v

関連本

『アヘン王国潜入記』/高野秀行

ミャンマーにある「ゴールデントライアングル」と呼ばれる地域に、「アヘン王国」が存在する。

著者が実際に文明から離れた村に潜伏したレポート。

『アヘン王国潜入記』|のどかな山間のアヘン栽培日記

『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』/永幡嘉之

津波の塩害により、自然がどう破壊されているのか。

大量の写真で見てゆきます。

『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』|塩害による変化

『うんこがへんないきもの』/早川いくを

タイトルそのまんま。へんな生きものや、へんな習性。

『うんこがへんないきもの』|生きることは食べること。食べることは…

『LIFE<ライフ> 人間が知らない生き方』/麻生羽呂,篠原かをり

マンガとコラムで、動物から人生訓を学ぶ。

『LIFE 人間が知らない生き方』|動物は知っている、生き方を

『生きものの飼いかた』/松橋利光

こんなの飼えるの?どうやって飼うの?

そして、スーパーで買ってきた食材も、飼えるのだ。

『生きものの飼いかた』|カッコいい生きものカタログ!しかも飼える!

『ちっちゃな科学 – 好奇心がおおきくなる読書&教育論』/かこさとし,福岡伸一

ワクワク、ドキドキはどこからくるの?

好奇心を大きく育てるために。

『ちっちゃな科学 – 好奇心がおおきくなる読書&教育論』|好奇心はどこから来るの?

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『哲学の使い方』|街角で、哲学をつかおう

こんにちは。あさよるです。以前、鷲田清一さんの『てつがくを着てまちを歩こう』を読み、それまでよくわからんかった「ファション」について興味を持つきかっけになりました。そして、被服をまとうことについて「哲学」するというのも、好奇心かきたてられました。

今回手に取った『哲学の使い方』でも、布を体にまとうように、「哲学」を身近に、肌感覚のあるものであるし、そうあるべきものだと書かれており、興奮冷めやらぬ読了となりました。

「自分らしさ」ってなんだろう?『てつがくを着てまちを歩こう』

〈ガクモン〉から使える哲学へ

本書のタイトル『哲学の使い方』とは、現在「哲学」と言えば大学の限られた学問としてのものであり、西洋哲学を並べて触れること指す状況への提言です。哲学とは、子どもでも年寄りでも、誰にとっても「使う」ものであるし、身近なモンダイを哲学してもいい。

哲学は「である調」の書物に書されるようになったのは最近で、古くは対話形式であったり、エッセイとして書かれたり、詩であったりもしました。だから現代の我々だって、「である調」の哲学をする必要はありません。

本書では一例として〈哲学カフェ〉が挙げられていました。街角で、普通の人たちが集まってテーマについて哲学する。年齢も職業もさまざま。孫くらい年の離れた人と対等に論議する。哲学専攻の学生なんかが進行役をするそうですが、交通整理と最後のまとめをする程度で、特に混乱もなく進むそうです。

哲学カフェについて知ると、ふしぎなことに気づきます。とうして実生活では孫ほど年の離れた人と論議にならないのだろう。どうして友達は同年代に限られているんだろう。どうして「知っていること」を改めて考えることがなかったんだろう。

日本では「哲学」は大学で、やっと触れるものですが、ヨーロッパでは子どもの内から学校で哲学の問いがなされるそうです。さらに日本では、日本の哲学と、西洋哲学の二階建てで、多くは〈西洋哲学の本を読む〉ことが「哲学」な感じがしています。我々は、もっと「哲学」してもいいのかもしれない!

哲学の使い方、入門

本書『哲学の使い方』は、きっと高校生くらいなら読めるはず。ちょっと背伸びした読書が楽しめると思います。

哲学ってムズカシイ、取っつきにくいものじゃなく、身の回りにあるものです。冒頭に紹介した「服を着る」ことや、ポスターのキャッチコピーにだって哲学できます。ソクラテスは街角で対話をすることで哲学をしました。あなたの近くでも、今日も哲学カフェが催されてるかも。一度覗いてみるのも面白いかも。

もちろん、大人が読んでも結構読み応えあります(;’∀’) 哲学勉強された方はどうかわかりませんが、あさよるは結構、読むだけでいっぱいいっぱいでしたよ。しかーし、鷲田清一さんの文体はやわらかで読みやすいのです。

あさよるネットで紹介した哲学の本

『哲学用語図鑑』/田中正人

『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

『はじめての哲学』/石井郁男

『はじめての哲学』|西洋哲学の偉人くらい、知ってるよね?

『西洋哲学の10冊』/中川純男,杉山直樹,石川文康,村山達也,竹内綱史,関口浩,小島和男

『西洋哲学の10冊』を読んだよ

『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』/マイケル・ピュエット,クリスティーン・グロス=ロー

『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

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『ゾウの時間 ネズミの時間』|車輪を持つ生きものがいないのはなぜ?

こんにちは。生物の話が好きな あさよるです。今日読んだのは『ゾウの時間ネズミの時間』。Amazonランキングでタイトルを見つけて、めっちゃ気になっていました。種類は違えどみな〈生きもの〉。生き物ですから形が違っても棲み処が違っても、同じような性質を持っているのに驚きでした。

生物のフシギな話

本書『ゾウの時間ネズミの時間』はタイトルのゾウとネズミの時間の話題から始まって、生物に関する科学的なコラム集と言ったところ。空いた時間にページをめくると次の瞬間、知的好奇心がかきたてられる読書です。

「ゾウの時間ネズミの時間」とは、みなさんもゾウもネズミも一生のうち心臓の鼓動する回数が大体同じという話を聞いたことがある方は多いかも。

体が大きい動物は長生きをしますが、小さな動物は寿命が短い。小さな動物はすぐに死んでしまいますが、体が小さいから隠れやすい。そしてどんどん繁殖するから進化も起こりやすい。大きな動物は体が大きいから外敵に襲われないが、進化の袋小路に入った状態だそう。

面白いのは、天敵のいない島では、ゾウは体が小さくなり、ネズミは体が大きくなる。これは、ゾウは体を大きくしなくても生き延びれるから無理をせず小柄になってゆく。一方ネズミも隠れなくていいから体が大きいものが生き残ってゆく。結果、巨体な動物はおらず、小さな動物もいなくなる。これを、島国である日本人に当てはめているのも面白い。日本は島国なので、飛びぬけた天才もいないけれども、市井の人たちもそこそこ頭がいい。大きいものもいないが、小さいものもいないってこと。

移動コストについての章が あさよる的に面白かった。どうして車輪を持つ生物はいないのか? 車輪は移動効率が良いけれども、インフラ整備があってこそ。タイヤはガタガタの道や段差、穴があったらお手上げなのです。車輪は移動コストが断トツ低いのですが、そのためのインフラ整備が莫大だそう。

こんな感じで、様々な生物が登場します。哺乳類だけでなく、昆虫や植物や魚や。

ヒトも生物であると実感!

本書『ゾウの時間ネズミの時間』を読んでいると、他の人間も他の動物と同じように移動コストや、一つの細胞に必要なエネルギーや、運動効率の上にいるんだと実感。ヒトは地上の動物の中では大きい方で、体が大きいとその体を支えるだけでヘトヘトに疲れてしまいます。水の中をクルクルと泳ぎ回るイルカが羨ましい!

歩いたり走ったり生きているのも、実は生物学的に理由があるのね。面白かった。

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『つながる図書館』|日本の〈新しい図書館〉模索中

こんにちは。図書館で育った……と言っても過言ではない あさよるです。幼い頃は毎日のように図書館へ通っていて、小学校に入学して「図書室を使っていい」と知ってから毎日休み時間のたびに図書室に通い詰めていました。10代の頃は「人と口を利きたくない」との中二的理由で本を読んでいましたw

先日、あさよるネットでも紹介した『未来をつくる図書館』を読んで、ニューヨークの図書館の在り方に心底驚きました。あさよるの図書館の利用法ってあくまで、図書館の一部なんだと知ったのです。

『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―』|すごすぎる図書館!

図書館は就職支援や起業支援もしていると『未来をつくる図書館』では紹介されていました。で、あさよるも地元の図書館をチェックしたところ、スペースは小さいですが就職支援、起業支援の情報があったー! ニューヨークの図書館ほどではないですが、地元の図書館も本の無料貸し出し以外の業務もしているようです。

そして今日読んだのは『つながる図書館』。これは日本の公共の図書館の取り組みを紹介したものです。日本でも図書館のありかたは大きく変化しているようで、全国で模索が続いている様子がわかりました。

全国の図書館の取り組み実例

本書『つながる図書館』は、実際に全国の図書館がどのような取り組みをしているのか、どのような立場に置かれているのかが紹介されています。図書館って自分が利用できる自分の街の図書館しか知らない方も多いはず。他の図書館の様子を知れるのは新鮮です。

ここでは『つながる図書館』で紹介されている実例の一部をちょろっと紹介します。

まず、最初に「武蔵野プレイス」という武蔵野市の図書館。こちら、写真で見てもめっちゃオシャレ。コンセプトは「市民の居場所」だそうで、広場や公園のようにカフェがあり、無線LANが使えて、ざわめきの中に図書スペースがあり、ギャラリースペースではコンサートが開かれることも。シーンと静まり返っていない雰囲気だから、子どもたちが多少ガヤガヤしても気になりません。ビジネスマンも子ども連れもみんなが一緒にいられる場なんです。それとは別に二十歳以上立ち入り禁止の、子どもたちだけのスペースがあって、ダンスやバンドの演奏ができるスタジオがあるというから羨ましい。「子どもたちの居場所」です。

鳥取市にある鳥取県立図書館では、入り口にたくさんのチラシが並んでおり、カウンターでは質問し辛い法律の悩みの回答などが、前もって置かれているんです。弁護士に相談すれば数万かかるところを、図書館であらかじめ問題の整理ができます。また、定期的に操業・融資の相談会や、中小企業判定士による相談や、特許相談会など実施されています。鳥取県立図書館ではビジネス支援として、農家や学校の先生や公務員を支えたり、若者の就職支援も力を入れています。そのために司書は専門の知識や人脈を持っていることが前提です。

課題解決型図書館へ

図書館の変化はが起こったのは、図書館の予算はどんどん削減される中、1999年「図書館館長は司書の資格を持っていなくてもよい」と法律が変更がなされ、次は図書館職員が「司書資格をもつ専門家でなくてもいい」と変更されるのでは?という現場の危機感が後押ししているそうです。

従来の貸出のみの業務は機械でもできますから、「司書でなければできないサービス」が模索され始めたのです。司書は専門知識を有しており、その図書館の蔵書にも精通している専門家です。図書館になくてはならない存在です。

神奈川県立図書館では、市立図書館と県立図書館という似た施設が二つもあるのは税金の無駄だとコストカットされた図書館です。横浜市にある県立図書館では貸出と閲覧の廃止。川崎市の県立図書館は廃館とされた。これは、横浜市民にとって市民図書館と県立図書館が並んであるので「二重行政」に見えてしまう。しかし、他の地域の住人からすれば、県立図書館は必要ではないのか?都市部とそれ以外での格差が広がってしまわないか? 非常時に果たす図書館の機能を考えると、簡単に「コストカット」してよいものだろうか。

従来の「利用者が欲しい本を探して借りる」という図書館のかたちから、新たな「課題を解決する」という専門家だからできるサービスへ移行しようとしている一方で、存続が問われ閉館になる図書館もあります。

賛否両論!武雄市図書館

武雄市図書館の話題はご存知の方も多いかも。TSUTAYAを運営するCCCが武雄市図書館の管理をしており、貸出カードは「Tポイントカード」で一日に一回利用すると3ポイントが貯まります。ここで、利用履歴の個人情報が守られないのではないかと懸念されています。図書館には「図書館の自由に関する宣言」というものがあり、「図書館は利用者の秘密を守る」としています。個人のプライバシーや匿名性が守られなければならないものなのです。

ざっと、本書で触れられていた武雄市図書館をめぐる賛否を上げます。

いいところ

  • Tポイントがたまる
  • おしゃれな知的空間で、デートに来る人も多い
  • 「まちづくり」としての図書館である
  • 小さな温泉街である武雄市の「集客」になっている
  • 夜間まで開いている
  • 20代、30代の若い世代の利用者が増えた
  • 司書によるコレクション構築や資料の活用

懸念事項

  • 貸出履歴がTポイント管理者に提供される可能性
  • 嘱託の館長と、嘱託の司書が最長5年契約で働く(市の直営時代と同じ)
  • 図書館に併設した歴史資料館が常設でなくなった
  • 他にもTSUTAYA図書館ができれば「珍しさ」がなくなってしまう

まず、Tカードを利用することで、利用者にとってポイントが貯まるのは嬉しいですが、個人情報がどこまで守られているのか気になります。

武雄市図書館は市の集客施設として働いているのは良いことに思えますが、他の市町村もTSUTAYA図書館を導入すれば希少性がなくなります。それでもなお「まちづくり」の中心となれるのでしょうか。

デジタル図書館

「青空文庫」は著作権が切れた作品をネットで無料公開しているデジタル図書館です。ご利用になられた方も多いはず。公的なものではなく、ボランティアが手作業で作っています。

国立国会図書館もデジタル化に取り組んでいます。これまで東京近郊に住んでいないとなかなか国立国会図書館の資料に当たるのが難しかったのですが、デジタルアーカイブが世界を変えたと言ってもいいんじゃなかろうか。また、他の図書館でも同様の取り組みがなされています。

また、図書館横断検索「カーリル」の取り組みもあります。「カーリル」ではネットで図書館の蔵書を検索できるサービスですが、図書館内から検索される機会が増えたことで「カーリルタッチ」が開発されました。図書館の棚の前でスマホをかざすと「カーリルタッチ」が起動し国立国会図書館のデータベースにアクセスできるもので、実験的に導入されているそうです。

図書館がコミュニティをつくる

まだまだ図書館の実例が紹介されているのですが、全部拾えなくて残念です。あさよるが「いいな」と思ったのは、小さな図書館の取り組みでした。例えば既存の図書館以外に町中に本を置いてもらったり、あるいは小さな図書館を街中に設置しボランティアが代わる代わる管理しながら運営するもの。単に図書館機能を外に持ち出しただけでなく、それを管理するための地域のつながりが生まれているそうです。「なんとなく顔見知り」のコミュニティができることで、住人と街の接点になっているのは良さそう。

以前、あさよるネットで『図書館「超」活用術』を紹介したとき、「自治体によって図書館サービス違うから」と書いたのですが、ますます今後多様化していくのかもしれません。神奈川県のような例もあれば、あさよるが棲んでいる大阪府下の図書館はサービスがいい方なのだなぁとしみじみ。

『図書館「超」活用術』|書店、ネット、そして図書館。情報と「場」を使いこなそう

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『1998年の宇多田ヒカル』|1998年にすべて出そろっていた

こんにちは。宇多田ヒカル世代のあさよるです。本書『1998年の宇多田ヒカル』は話題になっていて気になっていました。1998年にデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人がどのような存在だったのか、1998年はどのような年だったのかを考察する本です。

あさよるは ヒッキーも林檎ちゃんもaikoもあゆも、まさにど真ん中世代で、今でも大好きです。カラオケでも絶対歌うし!新曲もチェックしてるし!ということで、楽しい読書でした。

若い世代の方も、「昔はありえないくらいCDみんな買っててんで」というのが、大げさではなくマジであることを知ってもらえるかと思いますw

CDが最も売れた年、何があったのか

本書『1998年の宇多田ヒカル』では、日本の音楽シーンにとって特別な年だった〈1998年〉という年に何が起こったのかを宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人のアーティストを通して振り返る内容です。

この本のテーマは三つあります。一つは、1998年は日本の音楽業界史上最高のCD売り上げを記録した年であること。反対に言えばその後CDの売り上げが下がり続けている現状を考えます。二つ目は、日本の音楽シーンのトップ3の才能である宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoが同じ1998年にデビューし、その後彼女らを凌駕する存在が現れないこと。最後は、その1998年という特別な年に、著者が出版社のロッキング・オンで音楽誌の編集をしており、間近で1998年の音楽業界を見てきた経験から、こんなに面白い時代を書き残したいという著者の思いです。

本書が出版されたときはまだ、塗り替えられることはないであろうCDセールスをたたき出した宇多田ヒカルは長年の活動休止中でした。アーティストらしく芸能人的ではなかった椎名林檎は近年毎年紅白歌合戦にも出演し、テレビの世界でも活躍しています。デビュー当時、aikoが今なお精力的に活動し続けていると想像した人はどれくらいいたでしょうか。そして、浜崎あゆみは実は、最も多くのオーディエンスのステージに立ち続けていることをご存知でしょうか。

個性も才能もそれぞれ違う宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人を通じ、1998年というターニングポイントを紐解いていきましょう。

1998年の4人

スタジオ育ちの宇多田ヒカル

デビュー当時、宇多田ヒカルがバイリンガルであることや、ニューヨークと東京を行き来して育ったこと、そして藤圭子の娘であることが取りざたされました。しかし、彼女が他のアーティストと違うのは「スタジオ育ち」であり「スタジオが故郷」であるという点です。音楽プロデューサーの父と歌手の母の元に生まれ、小さなころからスタジオが遊び場所で、スタジオで宿題をし、スタジオが落ちつく場なのです。デビュー後はスタジオが彼女を守るシェルターの役割を果たしていたのでしょう。

宇多田ヒカルの音楽には、密閉されたような雰囲気が漂います。彼女は極端なレコーディングミュージシャンで、彼女のキャリアの中でステージに立ったのは、たったの67回(2016年時点)。そして作詞作曲だけでなく、編曲まで手がけ、音楽家・宇多田ヒカルとなってゆきます。

バンドマンの椎名林檎

椎名林檎はソロでデビューしました。今でこそエレキギターをかき鳴らす「ギター女」はたくさんいるけど、当時はちょっと珍しかった。その後〈東京事変〉として活動を始めるのですが、椎名林檎はデビュー当時からライブやレコーディングのメンバーをバンドに見立て、バンド名をつけていました。そもそも、彼女はバンドでオーディションに出場しましたが、主催者側にソロを勧められた経緯があるそうです。現在も、同年代のミュージシャンとバンドとして演奏することも少なくありません。お茶の間にも、バンドマンとして登場し続けているってことですね。

天才aiko

「最も天才なのはaikoかもしれない」という章。1998年当時、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみと比べると目立たない存在で、大ヒット曲もなかったaiko。だけど、本書出版時の2016年に、1998年の頃となんら変わらず活動を続けているのがaikoです。aikoは何も変わっていない。曲の雰囲気も、彼女自身のイメージも。反対に言えば、aikoは登場時から完成していたのです。

aikoの活動は頑なで、aikoはいつもファンの方に向いている。雑誌のインタビューにほとんど答えず、テレビも出演する番組は決まっている。フェスには一切出演せず、「aikoとファン」の空間にしか彼女は立たない。

今も最も多くの観客の前に立つ浜崎あゆみ

浜崎あゆみは最も多くの観客の前に立つアーティストです。彼女の私生活やスキャンダルばかり報道されますが、数多くのステージに立ち続けているのです。テレビや雑誌メディアの出演はかつてほどではないからと言って、浜崎あゆみがダメになったわけじゃない。また、作詞作曲を手がける人物を「アーティスト」と呼ぶ風潮も疑問で、多くの観客の前で演奏し続けるのもミュージシャンじゃないか。

ただし、著者の宇野維正さんは浜崎あゆみさんは畑違いのようで、あまりページが割かれていないのが残念。

音楽CDの、終わりのはじまり

本書では〈1998年〉という音楽CDが最も売れた時期を取り上げています。ということは、1998年以降、どんどんCDが売れなくなった年でもあります。

1998年ごろに起こった出来事や風潮の考察がなされてます。

CDとCCCD、8センチCDからマキシシングルへ

そもそもCD自体が「CCCD(コピーコントロールCD)」という、違法コピー防止のためのものが登場しました。これはCDとは規格が違っており、CD再生機器での再生を補償しないというもので、CDに最初にケチをつけたのがレコード会社だったのです。

また、かつてシングルCDは直径8センチメートルのアルバム版より小さなものでしたが、1998年ごろ12センチメートルのマキシシングルへ移行してゆきます。宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』は8センチ版/12センチ版両方がリリースされ、両方がヒットしました。椎名林檎もaikoも浜崎あゆみもデビュー当時は8センチ版でした。CDシングルがマキシシングルになったことで、消費者からすればCDアルバムと全く同じ代物で、2、3曲しか収録されていないのに1000円もするのは、割高に感じてしまう要因だったのかも?

「アーティスト」と「アイドル」

それまで「歌手」「ミュージシャン」と呼ばれていた人たちが、「アーティスト」と「アイドル」と分けて呼ばれ始めたのもこの頃。宇多田ヒカルも椎名林檎もaikoも、デビュー当時はアイドルのように注目されていました。そういえば、宇多田ヒカルのファッションが話題になり、椎名林檎のライブには彼女のコスプレをしたファンが集まり、aikoはファッションリーダーでした。

かつて、例えば近藤真彦や松田聖子や小泉今日子たちは、歌手であり、アイドル的存在でした。しかし今現在は「アイドル」と「アーティスト」は明確にわけられて認識しています。これは、従来的な(松田聖子や小泉今日子のような)「アイドル」がいないからなのかもしれません。

しかし音楽的に圧倒的な実力がある人物がいれば、誰もが憧れて当然で、アイドルのように崇拝されてもおかしくありません。そういう意味で、2000年代以降は「アイドル」がいなったのかもしれません。

(当エントリーでも、ミュージシャン、アーティスト、歌手等の呼称が混在しています。「アーティスト」というのは収まりのよい言葉ではありそうです。それゆえ乱用されたのでしょう)

アーティストの発言こそが真実?

 日本の音楽ジャーナリズムは、長いことアーティスト自身による言葉、いわゆるオーラル・ヒストリーにあまりにも頼りすぎてきました。そのきっかけとなったのは糸井重里による矢沢永吉のベストセラー『成りあがり』かもしれないし、渋谷陽一(かつてのボスです)がロッキン・オン社の刊行物で作り上げた誘導尋問的なインタビューのスタイルかもしれません。(中略)
でも、「ミュージシャンの肉声」が唯一絶対の聖典のようになった時、音楽ジャーナリズムの役割はそこで終わりです。

p.17

ミュージシャンたちの言葉こそ聖典として語られる反面、ミュージシャンたちは本当のことばかり語るわけでもありません。意図的に事実でないことを発することもあるでしょうし、なにより人は「こうありたい」と願望を語るものです。インタビューで語られていることは事実ではありません。

宇多田ヒカルはデビュー当時から、自身のWEBページで「MESSAGE from Hikki」日記を書いており、当時話題になりました。ミュージシャン自身がネットで日記を近況報告することが珍しかったのです。また、宇多田ヒカルのTwitterアカウントも時折話題になります。

ミュージシャンたちからの言葉はテレビや雑誌からのみでなく、ミュージシャン自身がWEBで発信するようになりました。もはや「本人の発言こそ真実」の魔法も解けてしまっているのではないでしょうか。

なぜ我々はCDを大量に買ったのか

1998年が日本史上最もCDが売れた……しかし今はCDは売れません。そもそも、我々はなぜあんなにCDを買いまくったのでしょうか。本書ではその理由を二つ挙げられています。

  • CDがリスナーが手に入る最も高音質なものだった
  • CDは半永久的に劣化しないと信じられていた

「最も高音質で劣化しない」だからこそ我々はお金を出してCDを買い求めたのです。

そう考えると、コピーするたび音質が落ちるMDや、音質の保証されないCCCDの登場等、レコード会社の失策だったのではないか……ちなみに本書で「レコード会社が悪い」なんて書かれてませんよw あさよるの補足ということでw

CDの時代は終わった

本書『1998年の宇多田ヒカル』を読み、しみじみと「CDの時代は終わったのだ」と痛感しました。あさよるもズバリ宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ世代で、未だに新譜を追っかけて聞いています。だけど、CD、持ってません^^ つまり、CDはみんなiPodに放り込んで、ディスクは処分しちゃいました。んで、新たに買うのはiTunesで。このスタイルになってすでに7、8年になります。

彼女たちはCDの最後の世代でした。だから世代交代もできません。

宇多田ヒカルの記録は破られないし、椎名林檎はバンドを組み続け、aikoはaikoのままで、浜崎あゆみはステージに立ち続けます。あさよるは彼女らのファンだったから、今だに彼女らの音楽が聴けるのは嬉しい反面、未だに彼女たちが第一線にい続けることは残念でもあります。次の宇多田ヒカル、次の椎名林檎、次のaiko、次の浜崎あゆみが見たかった。

「次世代が生まれない」というのは、さみしいものだ。

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『龍の棲む日本』|国土をぐるっと囲む龍が守り、災いを呼ぶ

こんにちは。あさよるです。『龍の棲む日本』は以前からおススメされていた本。あさよるの最近の関心事、漢方とか、鍼灸、ツボとか、風水とか、そのへんのことをゆるっと時間をかけて拾っていたのですが、『龍の棲む日本』も一つ、新しい視点を得たような読書でした。

一冊の本が論文のような構成ですので、かいつまんで説明するのは難しいのですが、Interesting なんです。その熱やテンションが伝われば~!

〈日本図〉を読む

〈国土〉とはそもそも〈大地〉であり、そこで人間は歴史を生み出してきました。国語辞書的には、国の統治が及ぶ領土、土地、ふるさと、仏語と少なくとも4つの意味があるそうです。〈国土〉といえば地図帳の測量された地図であり、科学的に日本地図を完成させたのは伊能忠敬が知られています。

んじゃ、伊能忠敬の地図が作られる以前、日本人はどんな〈国土〉を見ていたの?てのが本書のテーマです。

資料として「大日本国地震之図」と「金沢文庫〈日本図〉」という地図がカラーで掲載されています。興味のある方はググってくだされ~。どっちも面白いし、「大日本国地震之図」は目で見て超カッコいい代物。真ん中に地図らしきものがあり、その周りを龍がグルっと囲み、自分の尻尾を自分で咥えているのです。「金沢文庫〈日本図〉」は地図の半分だけ残されていて、西国の国々の地名が記されておりその周りを何やら細長い鱗のあるものがグルっと這っています。龍の胴体で、きっと失われた東国の地図の報に頭と尻尾があり、パクっと咥えていると想像できます。

龍と国土と天災と蒙古

本書は、日本の国土をグルっと取り囲む龍の図を読み解いてゆくことで、日本が『龍の棲む日本』であることを確認してゆきます。龍とは龍穴を通じて地下で繋がっており、国土を守る一方で、地震や天変地異を引き起こす存在でもあります。

蒙古襲来時「悪風」を吹かせたのは龍の姿になって現れた諏訪大明神だったという。日本の危機を救った龍。龍の棲む「龍穴」は国内にたくさんあり、「龍」のつく地名も多い。

龍という概念が見えるかも

龍とか龍穴、地脈なんて言葉を聞いたことがありますが、『龍の棲む日本』を読んで、「龍」と呼ばれる〈なにか〉の存在がおぼろげながら感じられた気がします。なにか、とてつもなく大きな〈力〉がうごめいている。しかし目には見えない、認識できない、ってところでしょうか。

あさよる的には、一年以上かけて荒俣宏さんの『帝都物語』を読んでいたので、嬉しい内容でした。『帝都物語』は東京の街は平将門の怨念を封印するために設計された街であり、封印を解いて東京を破壊しようとする加藤が、封印を解き龍神を目覚めさせようと画策するスリリングでバトルありのファンタジー。まだ最終巻に到達していませんが、なかなか面白いのでオススメ。

帝都物語 第壱番 (角川文庫)[Kindle版]

帝都物語 第壱番 (角川文庫)[Kindle版]

  • 作者:荒俣 宏
  • 出版社:KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2012-10-01

もし、東洋版「マインクラフト」があったら……

『龍の棲む日本』を読んで和製「マインクラフト」を想像してみました。「マインクラフト」とは日本では「マイクラ」と略されて呼ばれるゲームで、世界のあらゆる構成物が立方体のブロックでできており、それらを採掘したり破壊したり燃やしたり組み立てたりして自然を開拓してゆくゲームです。

常々、世界観が西洋的だなぁと思っていたのですが、もし東洋版「マインクラフト」があったら、地面を掘っていたら龍穴が開いていて気脈が通っていたり、なにがのブロックに触れると全く違う場所で水が溢れたり、順番に杭を打っていくと大地が動いたりとか、そんなことが起こるのでしょうかw

オリジナル「マインクラフト」では、どうやら災害が起こらないみたいで、どんな建築をしても大丈夫。宙に浮いていてもOKだったりするので現実味がありませんが、災害の多い場所に住んでいる身からすると「積みあげたものが崩壊しない」という世界観は、異質に思えます。

こんな「もしも」の話を空想するにも『龍の棲む日本』は面白かったです。

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『伝わる文章の書き方教室 書き換えトレーニング10講』|ゲームで文章力うp!

こんにちは。毎日ブログを書いていると、自分の文体というかキャラというか……を見失いがちな あさよるです。愉快でコミカルな感じでお送りしたいと常に思っているのですが、上手く伝わっているでしょうか……(;’∀’)>

今日紹介する『伝わる文章の書き方教室』は、その名の通りズバリ「伝わる」ための作文レッスンの本です。良い文にせよ悪い文にせよ、まずは〈伝わらないと〉善し悪しの判断さえしてもらえません。とにもかくにも「伝わる文章」の練習をはじめましょう。

作文ゲームで文章を練習しよう!

本書『伝わる文章の書き方教室』は、作文のレッスン方法が紹介される、ちょっと変わった本です。あさよるネットでもこれまで、文章の書き方に関する本を紹介してきましたが、漢字ドリルや算数ドリルのように、文章を自分で組み立てながら進めていく内容のものって、なかったんじゃないかな?

一つ目のレッスンはこんな感じ。

レッスン1 適切なことばを選ぼう――特定の音を使わずに書き換える

例題1
次の文章を、「い」を使わないで置き換えてください。

吾輩は猫である。名前はまだない。 (夏目漱石『吾輩は猫である』冒頭)

もちろん答えは何通りもある問題です。あさよるはこんな風に考えました。

「私は猫よ。名前なんて初めからなかったわ。」

どうでしょう。本書では「余は猫である。目下のところ名無しである」と文章を作っていました。これは「吾輩」という偉そうな感じを前面に出し、猫の横柄さがそのまま出ている文章です。ちなみにあさよるは、誰もいない指令室に駆け込むとAIが音声で「私は猫よ」と話しかけてくるイメージでしたw 確かにこれじゃ、元の『吾輩は猫である』と全く違う世界になっちゃいます(;’∀’)>

これは〈語彙力〉を増やすレッスンです。一つの文章を、他の言葉を使って表現し直します。『吾輩は猫である』の例文では「い」を使わないというルールでした。子どもが遊ぶ〈しりとり〉もこの手の遊びですね。もっと他の音をどんどん抜いて、表現の幅を増やすレッスンがあります。

〈語彙力〉の他に〈表現力〉〈論理力〉を伸ばすレッスンが用意されています。

やっぱ書いてナンボ!?

本書は読んでいるだけでなく、実際に手をうごかして文章を作っていくことが前提になっています。でも、退屈な〈お勉強〉というよりは、頭を使った〈ゲーム〉みたいに取り組んでOKだから、勉強よりずっと楽しい時間でしょう。

やっぱり、文章力アップしたければ、まずは「書く」ってことが大事なのね……当然だけど(;’∀’)>

そして、数をこなせばいいわけじゃないってこと。本書のように、良い文とは何か?を踏まえたうえで、そこへ向かっていかなければならず、アサッテの方向に進んでも仕方がありません。闇雲に作文を嫌々書きまくるよりも、本書『伝わる文章の書き方教室』のような指針になる本に添って、レッスンをした方がよさ気ですね。

分かりやすい文章に、ビビる……

本書では、伝わる文章の良い例も数々紹介されているのですが、改めてその的確さにビビりました(;’∀’)

その例が、夏目漱石の『門』。

・針箱と糸屑の上を飛び出す様に跨いで茶の間の襖を開けると、すぐ座敷である。南が玄関で塞がれているので、突き当りの障子が、日向から急に這入ってきた眸には、うそ寒く映った。其所を開けると、廂に逼る様な勾配の崖が、縁端から聳えているので、朝の内は当って然るべき筈の日も容易に影を落とさない。(一の二)
・夫婦の坐っている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間ある。下に女を入れて三人の少人数だから、この六畳もじゃ余り必要を感じない御米は、東向の窓側に何時も自分の鏡台を置いた。(四の十四)
・宗助は玄関から下駄を提げて来て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲がって突き出しているので、いとど狭い崖下が、裏へ抜ける半間程の所は尚更苦しくなっていた。(七の四)

p.110

この文章から、家の間取りが分かるというのです。分をじっくり読んで想像してみて下さい。同じく、『門』の文章から間取りを書き起こした図が、朝日新聞の記事にもありました。合わせてご覧ください。

それにしても、これだけの文章だけで家の間取りを正確に描写できるのって……論理的に論述できているということです。みなさんのお住まいも、言葉だけで表現できるでしょうか。あさよるは……絶対ムリ!(^^♪

宿題にもブログにも作詩にも

本書『伝わる文章の書き方教室』は、ほとんどすべての人に必要な力のレッスンが紹介されています。文章を書かない人もいないでしょうし、簡単な連絡や引継ぎでさえ、文章で正しく書き記せるといいのにねぇ……(遠い目)。例えばパパママだって、子どもの連絡帳にきちんと伝えるべきことを書けないとなりませんし、お友達とLINEで行き違いを生まないためにもやはり必要なのは文章力。なにも仕事や勉強でのみ必要な特殊技能ではありません。

本書は子どもの宿題の助けにもなるだろうし、このようにSNSやブログで文章を投稿している方にも、良い励みになるでしょう~。こっそり詩を書き溜めている人とか、言葉を綴っている人にも!

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『古生物たちのふしぎな世界 繁栄と絶滅の古生代3億年史』|古生物知識をアップデートするのだ

こんにちは。幼稚園児だったころ「海の生きものを作ろう」というテーマの工作で、せっせとウミサソリやチョッカクガイを作っていたら、保護者呼び出しになった あさよるです。先生曰く「サソリは砂漠の生きもので、海にはいません」と言っても聞かなかったそうで(;´・ω・)コマッタモンネ

ウミサソリは、古生代に生きたサソリみたいな形をした生きものですぞ!

こんなエピソードがあるくらい、小さなころからどうかしてるくらい繰り返し繰り返し読みまくったのが、古生物や恐竜の図鑑でした。昆虫や植物図鑑も愛読していましたが、ダントツだったのがコレ!Amazonで書影を探すと一冊だけヒットした、我が原風景。

大むかしの動物 (学研の図鑑)

大むかしの動物 (学研の図鑑)

  • 作者:大森 昌衛
  • 出版社:学習研究社
  • 発売日: 1994-11

恐竜だけじゃない!古生物

「古生物」と聞いて何を思い浮かべますか? 昔の地球に生きた生きものと言えば、恐竜!ティラノサウルス!って連想する方が多いのではないでしょうか。本書『古生物たちのふしぎな世界』で紹介されるのは〈古生代〉と呼ばれる地球の時代区分に生きた生きものたち。恐竜よりもっと古い時代の生きものたちです。

 約5億4100万年前にはじまった古生代。
その中には六つの地質時代が存在した。私たち哺乳類を含む脊椎動物の祖は、カンブリア紀において魚の仲間として誕生し、オルドビス紀には鱗をもち、シルル紀にはあごをもった。デボン紀になると海洋の支配権を確立。そして、陸上への進出を開始した。石炭紀を経て到達したペルム紀には、単弓類が地上生態系の覇者となり、我が世の春を謳歌するに至った。単弓類は哺乳類の祖先を含むグループである。すなわち、私たちの祖先仲間たちは“天下”をとりかけた。
だが、しかし、その栄華は長くは続かなかった。

p.228

その後、ペルム紀に大量絶滅が起こり、海に住んでいた生きものの81パーセント以上、計算によっては96パーセントが絶滅してしまいます。古生代の終わりです。ちなみに、ペルム紀の大量絶滅の理由はまだ定説がないようです。この大量絶滅事件ののち、恐竜たちが登場する中生代が始まります。

本書は、生命が多用な進化を遂げた中生代に生きた生物たちを紹介します。イラストもたくさん使われていて、目で見ているだけで楽しいんです!

恐竜の本と比べると、古生物だけの本ってありそうで少ないですよね。

カラー図解!たっぷり読める!

本書『古生物たちの不思議な世界』のいいトコロは3つある!

  • 古生物ばっかり!
  • 文章もボリュームがある!
  • 復元イラストもめっちゃいっぱいある!

胸熱!さすがブルーバックス!ヒューッ!(歓声)

解説は大人向けで、読みこなせるのは中高生以上かな?ガンガン次から次へ古生物語りが展開されていて夢中で最後まで読んじゃいます。

あさよるのようなモグリですと、アノマロカリスみたいな形をしてるのは全部「アノマロカリス」と呼んでいたし、三葉虫的なものはみんな「三葉虫」と思ってましたが、それぞれカタカナのカッチョいい名前が付いていますし、それぞれの解説も細かく。

それにしても、古生物の復元イメージのイラストも、どれも超カッコよく描いてあって、「カッコ良すぎへん!?」とツッコミたいw そもそも日本語でいうトコロの「虫」に当てはまるようなものを「ステキ!」「シビレル!」って感激しちゃう感性を持っている人は、復元図もカッコよく描きすぎているのではないかとw 思うのですよ。それくらいカッコいいし、カッコ良すぎる!

好きな古生物語りキボンヌw

さてみなさん、それぞれ古生物に関する〈自分語り〉をお持ちでしょう(そうか?)。みなさんの古生物知識をアップデートしつつ、熱い思いをたぎらせてください。

あ、アップデートと言えば、かつては「哺乳類は爬虫類から進化した」と学校で習いましたが、現在では「単弓類」から哺乳類に進化したと習うそうです。

 そもそもあなたは「脊椎動物の進化」をどのように学校でならった記憶があるだろうか?
最初に「魚類」があり、そこから「両生類」が進化して、両生類から「爬虫類」が生まれた。そして、爬虫類から「鳥類」と「哺乳類」が生まれた……。
もしもまだ、そんな考えをお持ちなら、残念ながら改める必要がある。
近年の考えでは、そもそも「魚類」という単一の分類群は存在しない。(中略)
そして、哺乳類は爬虫類から進化したのではなく、哺乳類の祖先を含むグループである「単弓類」が両生類から進化したと考えられている。そして単弓類からやがて哺乳類が生まれる、というわけだ。

p.207

研究は進んでいるんです!時たま新たな情報仕入れとかなきゃ、おいてかれちゃう!

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『美人は得をするか 「顔」学入門』|顔を変えるなら整形よりメイク?

こんにちは。「ジャケ買い」「パケ買い」という言葉がありますが、今回『美人は得をするか 「顔」学入門』は完全にタイトルに魅かれて手に取りましたねw 〈美人は得をするか〉なんてキャッチーすぎる問題だし、顔学って言葉も初耳&面白そう! そんな、ノリで読書するあさよるでした。

あさよるは、ブログやTwitter等でイラストのアイコンを使っているのですが、顔学的にはアイコンも大事なのかなぁ~なんて思い至り、冷や汗。

↓これ、女性にも見えるし男性にも見える感じにしたかったが……

まず「顔」とはなにかを知らなくては

本書『美人は得をするか 「顔」学入門』では、タイトルの通り「美人は得をするか」という誰もしもが一度はぶち当たる命題に触れているのですが、それを考えるためにはまず「顔」とは何かを考えなけばなりません。したがって、本書は「顔」とはなにかを掘り下げる内容がほとんどです。そして核心の「美人は得をするか」の回答はむっちゃ短いページしかありませんw

しかし「顔」とはなにかを知ってゆくと、「美人は得をするか」の答えも、納得できます。

人にとって、顔はコミュニケーションの道具です。多くの哺乳類は顔を毛で覆われていますから、表情がほとんど見えません。代わりに、毛を逆立てたり、牙をむいたり、腹を出したり、全身を使って仲間とコミュニケーションを取ります。顔に毛がないヒトやサルの一部に、表情を持つものがいます。これらは、顔の〈表情〉を使ってコミュニケーションを取っています。

人は、顔に敏感です。それは、表情によるコミュニケーションを取っているからです。ですから、表情を使うのが上手い人がコミュニケーション上手で、にこやかな人が他人から好かれる人です。人から好かれる人は、知らない人とも仲間になりやすく、得をしやすい人です。すなわち、得をするかどうかは、表情の使い方にあります。

……というのが結論です。しかし!本書は結論に至るまでの道順が超面白い! ヒトにとって「顔」という部分はむちゃくちゃ、べらぼうに特別なものらしい。しかも「目」がすごく重要っぽい。目の錯覚を紹介する図もあり、読んでいて飽きない。

顔は特別なものらしい

人にとって「顔」はとても重要なものらしいのです。

赤ちゃんはまだ視力がよくないので、人の顔がぼんやりとしか見えていません。しかし、ぼんやりとした像でも我々は「微笑み」を見分けることができます。そして、赤ちゃんは人の「目」に興味を示します。よく見慣れた「目」には親しんでおり、知らない「目」には怯えます。目を識別できるようになる頃に人見知りが始まるんだそうです。

顔の白黒写真を、ネガにすると誰だか分かりにくくなります。しかし、目だけポジにすると、判別できます。反対に、ポジの写真で目だけネガにしても、誰かわかりにくいままです。どうやら、目は周りの色と関係なく「目」(白目と黒目)だけで認識してるようですね。

人物の写真の目と口のパーツだけ切り出し上下さかさまにし、さらにその写真を上下さかさまにすると、あまり違和感なく感じます(目と口は上下そのままだから)。しかし、正しい位置で見ると目と口が逆転しているのでとても気味の悪い写真です。このような顔に関する目の錯覚も多数紹介されており、見ていて楽しいし、とても不思議です。また、心霊写真の正体も、この辺りにあるのではないか?と触れられていました。

顔が特別なのは、顔のパーツを移動させても気づかないということです。顔以外のものは何かが移動すると違和感を覚え、どこが違うのか言い当てられます。しかし、顔だけ、パーツが多少変わってもわからない。反対に言えば顔のパーツが変わっても同じに見えるということ。これは整形手術をしても誰か分かることや、子どもが成長して大人の顔になっても誰か判別できることに通じています。

特徴のない顔=美人

美人とは、平均的な顔の人です。平均的であるということは、よく見慣れた顔ということです。まさに〈均整の取れた〉顔ですね。しかし〈よくある顔〉ですから、初対面でもなかなか印象に残らない顔とも言えます。美人な人は、人に覚えてもらいにくい顔。あるいは「あの人は美人だったわね」と覚えられていても、「平均的な顔ね」と言われているのと同じなので、やっぱり「顔」を覚えられているワケではないらしい。

確かに、思い浮かべてみて下さい。「きれいだなぁ」って思う女優さんや、すてきなアイドルや、大好きな役者さんたちは、確かに美男美女だけども、特徴がある気がします。〈クリクリと大きな目〉だったり、〈つんと尖った鼻先〉だったり、〈優しそうに見える二重まぶた〉だったり……どれも「特徴」なんですよね。人と違うから目を引くし、印象に残るし、特別に思えます。

美人で有名な人って、ただ美人なだけじゃなくって、にこやかで親しみやすかったり、コミュニケーションに長けているからこそ、みんなが好きな「有名人」になっちゃうんです。ここでいう「有名人」は、町の店員さんだったり、名物女将さんとかね。

ここでふと、「存在感のない人」「目立たない人」って、美人なのかもしれない……! た、確かに、印象的な人って、いろんな意味で目立つ人だものね……( ノД`)

美容整形より化粧が効果的

先に、顔のパーツは多少動かしても「同じ顔」と認識してしまうという話をしました。だからもし「別人のように」なりたいと思うならば、顔学的には美容整形はあまり効果がありません。細部は変わるかもしれないけど、「別人のように」とはいかないからです。コンプレックスを持っていたりすると、細部ばっかりが気になってしまうものですが、ヒトは「人の顔」を認識するとき、細かいところは見ておらず、全体で人物を特定し、表情を読み取っているそうです。

一方で、目の錯覚を利用する化粧の方が、顔を変えるに効果的だと言います。あさよるもこれは納得でした。あさよるは絵を描くのが好きで、お化粧も好きなので、錯視を使えば、顔のパーツの位置や大きさを調節できるハズ!と思い、錯視について調べたことがありましたw

「顔」について知ることは、「自分とは何か」を考えることなんだなぁと思いました。自分の顔は自分ですし、新しい自分になるときなにが変わるのだろう、とかね。いろんな人と関わっていく間に、いろんな表情ができるようになるといいのになぁ。

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