日本語・国語学

そのメッセージを伝えるための『「超」文章法』

文章に必要なモノってなに?

そのメッセージ、一言で言える?

ブログの過去記事を読んでゲンナリ…(ヽ´ω`)

以前に書いたブログ記事をたまに見返します。

その度に愕然!文章が全然なっていない。何を書きたかったのかサッパリわからない……記事を書いた当初は、文章を書いた熱や、余韻で満足しているから気づかない。だけど、冷静になって読み返してみると……なかなかショッキングです。

少しでも改善すべく、『「超」整理法』『「超」勉強法』でおなじみの野口悠紀雄先生の、「超」シリーズ(?)『「超」文章法』を手に取りました。

『「超」文章法』を読んで、趣味や娯楽の大切さに気づいた!

最終章は「始めればできる」という章です。

6章にもわたって具体的な文章法が紹介されますが、最後の最後で「始めればできる」と背中を押されます。

反対に言えば、「始めなければできない」ということです。どんなに文章法を学び、知識を溜め込もうと、実際に文章を書かないと、始めなければできないのです。

野口悠紀雄さんから、「さぁ文章を書いてみなさい」と励まされ、背中を押される気持ちでした。

なにを伝えたいの?

第1章では「メッセージこそ重要だ」と説明なされます。

ちなみにこの『「超」文章法』は、小説やポエムのような、文章そのものを楽しむような文章の指南書ではありません。

あくまで他人にメッセージを「伝える」ための文章法です。

ですから、問題は相手に「伝わるかどうか」です。曖昧な表現や、どこで区切ってよいかわからない文章を書いてしまっては、他人が読み解くことはできません。

意見や主張に反論、批判があるのは当たり前です。ですが、そもそも文章が誤読され、理解されないがために批判されてしまっては、どうにもなりません。

とにもかくにも伝わってこそ、次のステージへ論が進みます。

メッセージこそが大切だ!

さて、そこで肝心なのは、「何を伝えるのか」です。「メッセージこそ重要だ」とは、このことです。

自分は何を言いたいのか。それは考えぬいた独自のアイデアなのか。そして、たった一言でそれを言い表せるのか。

メッセージを一言で表すと?

それがどうしても伝えたいメッセージなら、たった一言でもチャンスを逃さず伝えたいはず。例えば、Twitter でツイートしたいなら、140文字以内で簡潔にメッセージを述べなければなりません。

短文でも、長文でも、その場にふさわしい的確な長さで文章を構成する必要があります。そのために、たった一言でも的確に表現できねばなりません。

そのメッセージ、どうしても書きたいメッセージですか?

そして、それを「自分が書かねばならない!」という衝動が必要です。

新発見をしたなら、それを人に言いたくなるでしょう。SNSで拡散したり、レポートをまとめて雑誌や新聞社に投稿するかもしれません。

いずれにせよ、重大なことですから人に知らせないと!と使命を帯びるでしょう。

それが書かずにおれないメッセージです。

文章力は、趣味や好奇心のなせる技?

第2章から第6章は、メッセージの骨組を作り、肉をつけ、化粧を施してゆく工程です。

この課程にきてやっと文章力、国語力が問われるのですが……その引き出しというのは、国語の勉強をしていても身につかないのではないかと気付きました。

本書『「超」整理法』は、小説や映画のワンシーンがたくさん引用されています。一見、話があっちへこっちへ飛んでいるように見える箇所もあります。

レビューを見ていると「読みにくい」と感じる方も一定数いるようです。

的確な引用や比喩のために必要な力

しかし、文章力をつけるというのは、こういうことじゃないのかなぁ?と思いました。要するに「引き出しの数」です。引き出しというのは、なにも文法やレトリックの数を知っているということではないのではないか。

国語の点数も大事ですが、数学や社会科の知識がないと、データや統計の扱いもできないでしょう。音楽や文学、芸術への理解も深めてゆかないと、喩え話もできません。

遊びや余暇の活動こそが重要?

娯楽や余暇の活動も侮れません。普段の会話では、社会問題をガンダムで喩えたり、エヴァンゲリオンになぞらえて問題を解説することだって珍しくありません。

その度にいちいち「え、エヴァンゲリオンって知らないんだけど」と引っかかっていては、共通理解を持てません。

『「超」文章法』では、物語の鉄則として、「桃太郎」とトールキン『指輪物語』を例に解説されています。もちろん、「桃太郎」と『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』のあらすじを読者も知っているという前提です。

広い知識とは、好奇心や趣味を楽しむこと?

自分の専門や、伝えたいメッセージとなんの関係もない事柄も、広くよく知っていることを「教養」と呼ぶのではないでしょうか。どれだけ好奇心と趣味に打ち込んできたかが、メッセージの骨となり筋肉となるのです。

話があっちへこっちへと飛び回りながら、適切な喩え話を繰り返しながら、メッセージを明確にしてゆく力は、伝える力です。

読みやすく役に立つ『「超」文章法』オススメ!

「とにかく書き始めよう」

ややこしい文章のテクニックも大切ですが、まずは書き始めてみないと推敲しようもありません。

何度も何度も書き直し、やり直しを繰り返して、文章力はアップしてゆくのです。

そう考えると、過去のブログ記事を読み返し、冷静に推敲してゆくことは悪いことじゃないのだなぁと思えます。「とにかく始めよ」とはこういうことでしょうか。

『「超」文章法』の参考書案内が(・∀・)イイネ!!

巻末の「参考書案内」も役立ちます。野口悠紀雄さんが厳選した、文章の書き方の勉強に役立つ本のリストです。

これから文章の書き方について知りたい人には、これは大きな手がかりです。

幅広い層にオススメ!

『「超」文章法』は、文章も軽快でサラッと読みやすく、内容も充実していてオススメです。

ブロガーさんにも、レポートを書く学生さんにも、もちろん社会人のみなさんにも、広くオススメできる本です。

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あなたはもう使っている「日本語のレトリック」

雑談で、LINEで、Twitterで、すでにレトリックを使っています。

だからこそ、レトリックについて深く知れば、さらに豊かな対話が紡ぎ出せます。

「なるほど納得!」を目指しましょう!

国語にチャレンジしようと思った…

あさよる は小学生中学生時代から、語学が大の苦手です。

英語ももちろん苦手中の苦手ですし、国語の授業も嫌で嫌でたまりませんでした。大人になっても、「英語ができない」「国語なんて大嫌い…」というノロイから開放されるわけではありませんでした。

語学や言語に関する勉強から逃げまくってきたのですが……どうしても逃げきれるものじゃないんですよね(;^_^A

インターネットを通じて、やり取りされるのは言語によるコミュニケーションです。しかもその言語とは、世界共通語になった「英語」と、母国語である日本語……すなわち「国語」です。

そろそろ苦手だ苦手だと逃げまわっていては、何もできなくなってきました。まずは、日本語の持っている働きや技法を知りたいと思い『日本語のレトリック』を手に取りました。

そもそも……レトリックってなに?

まずは、本書のタイトルにもある「レトリック」とはなんでしょうか。

古代ギリシアにて「レトリック」は生まれました。古代ギリシアでは共和制がしかれており、市民には言論の自由がありました。自分の考えを自分の言葉で表明するためには、説得力のある話をしないといけません。

暴力によってではなく、言葉を尽くし、相手を説き伏せること。それが「レトリック」でした。

レトリックは極めて実用的ですから、時には人を騙したり、詭弁のようにも使われます。ですから、私利私欲のためのレトリックを見破る知性も必要です。

日本では「文章の美しさ」を目指すものとして

古代ギリシアで「レトリック」が登場してから、ゆうに2500年もの歴史があります。長い歴史の中で、時代や地域によって「レトリック」の意味は変化し続け、新たなニュアンスがつけ加えられ続けてきました。

そして、西洋で生まれた「レトリック」が、東洋の日本にも海を渡ってきました。

日本では「レトリック」を、表現の装飾したり、言葉のアヤのような、文章を美しくする意味として使われることが多いでしょう。

まるで文章のアクセサリーのように「レトリック」という言葉が使われるので、度々、レトリックは余計なもの、いらないものとして扱われがちです。

確証よりも「なるほど」が重要

絶対100%確たる証明があったとしても、その事柄を説明し、理解させ、人を納得させ、何らかの行動に移させないと意味がありません。どんなに「あのお店のオムライス美味しいよ!」と訴えても、相手に伝わって、かつ実際にオムライスを食べてもらわないと、説得したことにならないからです。

反対に言えば、多少自信のない、確証のない事柄でも、相手が納得させればOK、ということになってしまいます。

確たる証明よりも、「なるほど」と納得したことのほうが、人は説得に応じます。そのテクニックが「レトリック」です。

レトリックが言葉の豊かさを生む

確証もないことを納得させるテクニックと言ってしまうと、やっぱりレトリックってイカガワシイものだ!と思われてしまうかもしれません。確かに、レトリックは諸刃の刃で、悪用されることもります。

しかし、レトリックは想像以上に、人々の生活に密着しています。雑談やLINEのメッセージや、Twitterの140文字のツイートにも、既にレトリックは大活躍しているんですよ。

レトリックは、言葉の豊かさそのものです。

そして、レトリックそのものは言語を超えて普遍的に存在します。

レトリック研究の辞書のように使える

本書では、日本語のレトリックを、大きく30に分けて紹介されています。

「30って多すぎない?」と思われるかもしれませんが、もっと細かく100以上に分類した人もいるそうです。ですが、さすがに100を超えるとわけが分からなくなってしまいますよね。30くらいなら、大雑把に覚えることもできそうです。

「具体的にどんなレトリックが紹介されてるの!?」と思われる方は、ちょっと落ち着いて。

すでにこのブログ記事だってレトリックで満ち溢れています。

おしゃべりもLINEメッセージもレトリックがほとばしっている

そもそも「レトリック」は概念であり、形も大きさもないものですから「レトリックで満ち溢れている」というのは、喩え話です。

その前には「ちょっと落ち着いて」と突然、読者に語りかける口調を使いました。

「まるで」とか「例えば」とか、「~のよう」「~みたい」とか、普段の会話の中でもたくさん使います。

「お布団がお日様のにおいがする」「バケツをひっくり返したような雨」「割れんばかりの拍手」「トゲトゲした言葉」なんて、もとの言葉の意味も考えず、慣用句のように使います。さらに勝手にバリエーションを付け足すこともありますよね。

「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」と書いたのは高村光太郎ですが、人生を道に例えたり、山に例えたりは日常茶飯事。

「あなたを責める気はないけど~」と前置きすると、だいたい責める話が始まります。「◯◯なわけあるわけないしねぇ~」と思わせぶりに言えば、「◯◯だろう」という反対の意味を指し示します。

例を挙げればキリがありませんが、キリがないくらい例があるということです。

しかも、レトリックのバリエーションは言語を問わない。「まるで◯◯みたいだ!」という表現の、◯◯に入る部分は自分のオリジナルで構わないのです。

「まるで君の笑い声はサクサクの天ぷらみたいだね」とか、「あなたは用水路のように頼もしいわ!」とか、なんでもいいのです。こんな例えをされて嬉しいかどうかは分かりませんが……。

なんとなくの日本語から一歩抜けだそう

レトリックは、既に普段からたくさん使っています。

おしゃべりが好きな人や、SNSに投稿している人なんかは特に、レトリックを多用していることでしょう。『日本語のレトリック』を読まなくたって、今後も楽しい会話を続けられます。

ですから、この本は、そこからもう一歩。自分の使う言葉を振り返ったり、おしゃべり上手な人のテクニックを研究するためにも、役に立ちます。

以下に掲載する目次情報にあるように、レトリック技法を30に分割し、それぞれ例文を挙げながら解説されています。この例文も多岐にわたり、名文や名作を「レトリック」という切り口で見てみると、これもまた面白い。読み物としても面白いですし、字書のようにも使えます。

「なんとなく」の日本語から抜けだして、ちょっとだけ「言葉」「言語」について触れておこうかなぁという方にオススメしたい一冊です。

正直、1回読んだくらいでは、レトリック分類が覚えきれないので、手元に置いておきたいと思いました。

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『おとなの小論文教室。』|ふわふわした感覚を、自分の「考え」に

こんにちは。あさよるです。ブログを書くようになって、毎日「文章を読む」「文を書く」とインプットとアウトプットをする習慣が生まれました。自分としては、ブログの書きはじめよりは楽に記事を書けるようになったと思います。だけどそれにしても、特別に文章を書く訓練を受けたわけじゃないし、跡から読み返すと「何を言ってんだか」と我ながら要点を得ないことも多々あります(;’∀’)

だから文章の書き方指南本はいつも気になる存在です。今日手に取ったのは山田ズーニーさんの『おとなの小論文教室。』。ほぼ日で連載されていたコラムから抜粋し、加筆修正なされた書籍版です。なんとも、ほわっとした語り口で、だけどガーンと核心を突くような指摘がなされていて、ゆったりと読書を楽しみつつ、刺激的な内容でした。

自分の言葉を使うこと

本書『おとなの小論文教室。』は、ほぼ日刊イトイ新聞で連載されていたコラムがまとめられたものです。

著者の山田ズーニーさんは、進研ゼミの高校生の小論文の添削を長年なさっていた方で、その指導方法が評価されていた方だそうです。高校生の小論文の場合、そもそも「何を書くのかわからない」から始まる人もいますから、指導する方も辛抱強く、あの手この手のフォローが必要だったんじゃないかと思います。本書『おとなの小論文教室。』では、進研ゼミでのご経験を活かしつつ、大人向けに、文章を書くこと、思いを伝えることがどういうことかを、言葉を尽くして紹介されています。

文章を書く時、「誰目線で書かれているかわからない文」を書く人が多いそうで、自分のことをまるで他人事のように書いたり、他人から聞いた話を自分の意見かのように文にしてしまう人も多くいるそうです。それは大人も同じで、自分と物事との関係性を正しく捉えられる人とそうでない人で、感覚的な断絶があるのではないかとも触れられていました。つまり、外界との関係性が理解できている人と、ふわふわしている人がいるということですね。

また、文章を書くというのは「何を書くのか」というテーマ探しでもあります。そこには必ず自分の考えや主張、主観が混ざるものですから、結局のところ「自分は何を考えているのか」を考えることでもあります。著者の山田ズーニーさんも、自分は何を書くのか考えて考えて考えて、何も書けなくなったというご経験がつづられていました。文章の達人のような人でも「書けない」なんてことが起こるんですね。あさよるなんかだと「ああ、自分が書けないのも当たり前だな」なんてホッとしたような気もしました。

テクニック集ではない

本書『おとなの小論文教室。』は、文章を書くために小手先のテクニックの紹介はされていません。あくまでも、文章を書くとはどういうことか、自分の考えを文章にするとはどういうことか、私は何を考えるのか、私は何者なのか、と、内省する内容です。

また、論理的な文章を書くためには、文章を読み解き、書いてみて、それを客観的に評価し、また読んで、書いて……とこの繰り返ししかありません。10代でも読解力と文章力の高い人もおれば、大人になっても経験値が低ければ上手には書けません。

そう、文章って「経験値なんだ」ってのは、本書を読んで大きな発見でした。生まれながらに文章の上手い人や、才能のあるなしで決まっているのではないのです。そう思うと、自分もきちんと訓練すれば、それなりに文章の読み書きができるようになるのかと思いました。苦手意識を持つだけ損なことなのかもしれません。

以前に読んだ、『AI vs. 教科書の読めない子どもたち』でも印象的だった、冤罪で裁判になってしまった人へインタビューすると、みなさんとても論理的にお話をなさるというお話。元々、筋道立てて話ができた人が冤罪事件に巻き込まれたというよりは、冤罪で犯人にされてしまった故に、論理で無実を証明するしかなかったから、論理性を意味につけざるを得なかったのではないかとの推測でした。論理的思考とは、後天的に誰でも訓練によって身につくものであることがわかります。

文章を書くのも同じで、自分の主張を明確にして、それを人に伝えることこそが、小論文の一番核にあるものなんですね。

自分の考え・意志を誰もが知ってるわけじゃない

本書を読んで知ったことは、すべての人が自分の考えや意志を持っているとは限らないということでした。いや、なんらかの「言葉にならない感覚」は持っているんだけれども、それを表現する発露がない限り、モヤモヤっとしたまま何じゃないかと思います。

それを言葉にする訓練なのですが、訓練の最初は「一人称不在で誰の考えなのかもわからない文」や「他人から言われたことのそのまま書いてしまう文」になってしまいます。これでは、自分の感覚ではなく、人の言葉で語っていることになります。そこからさらに訓練をつんで、文章力が上がっていくようです。

人は漠然とした「何か」を、言葉にして発することでそれが自分の考えとして初めて認識します。だから言葉ってすごく重要で、自分で自分で導くものですから、慎重に選ばないといけません。この『おとなの小論文教室。』って、そのモヤモヤと形にならない「何か」を取り出して、「見える化」する作業を支援するものなんだろうと思います。

そしてそれを「誰に見せるのか」といえば、ほかならぬ自分自身にでしょう。自分の考えを取り出し、形にし、それを扱える状態にすることでより自分の考えが明確になり、またそれが先鋭化し……とどんどん考えが深まってゆくんだと思います。そのための『おとなの小論文教室。』。良い本でした(`・ω・´)b

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『ヘンな論文』|論文のテーマ探しは身近にある?

こんにちは。あさよるです。毎日暑くてダルいですから、サクッと軽く読める本がないかと、積読してた『ヘンな論文』に着手しました。ただこの本、軽く読めるちゃあ読めるんですが、内容は面白いのでじっくり読んでしまいましたw 世の中にはヘンな論文を書く人もいれば、ヘンな論文を読むのが好きな人もいて、さらに本にまとめちゃう人もいるんですね~。

身近なネタから論文ができる

本書『ヘンな論文』は、著者が「サンキュータツオ」さんというユニークなお名前なこともあり、てっきりヘンな論文を集めたネタ本なのかと思いきや、結構まじめに面白い本でした。

まず「ヘンな論文」が集められているのですが、どれも着眼点が「面白い論文」で、ものすごく気になる研究が集められています。第二章の“公園の斜面に座る「カップルの観察」”とかすごく気になります。有名な話では、京都の鴨川沿いに座って並ぶカップルが等間隔に並んでいるという話がありますが、あれを真面目に研究してみた論文です。カップルの隣にいる人との距離と時間帯により、抱き合ったり、手をつないだりと、カップルの密着度も変わるそうです。また、海沿いでは横にいる人との距離を気にしますが、斜面居座っているカップルは前後のグループとの距離を気にするそうです。「だからなんだ」という研究な気もしますが「ヒトの習性」として面白いですね。

女子高と共学では、女生徒の服装や行動が変わるという研究も、同じく「ヒトの習性」を垣間見れて興味深いものです。女子高では制服で登校してきてもすぐ体操服に着替えてしまい、髪形はショートカットが多く、化粧もしない人が多く、文化祭では被り物(馬とか大仏とか)が好まれます。しかし男女共学校では、制服を着替えず、髪が長い生徒が多く、化粧に興味がないと言いながらメイクしている生徒が増え、学際でも浴衣姿やメイド服が目立ちます。

元近鉄ファンの生態も、大阪府民の あさよるとしては興味深い。近鉄バファローズが解散し、オリックス・バファローズに吸収され、選手はオリックスと楽天に分配されました。その元近鉄ファンたちにアンケート調査し、生態を探るものです。ちなみに あさよるの周りでは今は楽天を応援してる人が多いですね。

“「コーヒーカップ」の音の科学”では、「コーヒーカップにインスタントコーヒーとお湯を入れて混ぜていると、カップに当たるスプーンの音がだんだん高くなっていく」と教え子から聞いたことで、研究が始まりました。この論文を書いたのは高校の物理教諭です。学術論文は大学の先生でなくても学会に所属していれば書くことができます。この研究では、インスタントコーヒー粉末と一緒にお湯の中に混ざっている空気が抜けていくと音が高くなっていくと結論付けています。しかし、先に同じ研究をし論文を発表している人が世界にいたため、この論文は発表されませんでした。

ネタはこう探す:論文の書き方、コツ

本書『ヘンな論文』は、ヘンな論文を茶化してる本ではなく、むしろ「研究テーマはこんなに身近に溢れてる」と好奇心掻き立てられるものです。おっぱいの揺れ方を真剣に研究していたり、ネコの癒しを研究している人もいる。大学の研究、論文っていうと、ものすごいメカメカしい最新メカに囲まれてビン底メガネをかけた研究者が哲学的なよくわからん話をしていたり、ザ・マッドサイエンティストが緑色の試験官を両手に持っているワケではないのです(なにそのイメージ)。

『ヘンな論文』で紹介される論文たちは、世間話の中でネタに上がるようなテーマばかりです。等間隔に並ぶカップル然り、ネコが宇宙のヒエラルキーの頂点に君臨していること然り、いわずもがなですよね(キッパリ)。で、それを実際に研究し、その結果を論文にまとめている人がいるってだけです。

もし卒論のテーマで悩んでいる人がいれば、本書『ヘンな論文』はオススメです。普段1mmたりとも考えてないようなテーマを掲げる必要はなく、身近なテーマに目を向けてみるきっかけになるでしょう。

大学進学を考えている中高生へ

論文ってなんだ? 大学の先生って何を研究してるんだ? と、これから大学進学を考える中高生にも『ヘンな論文』はなかなかワクワクする読書体験を与えてくれるんじゃないでしょうか。簡単ではありますが、論文とは何か、どうやって論文は書かれるのかも紹介されています。

研究についてこんな説明もなされています。

 美しい夕景を見たとき、それを絵に描く人もいれば、文章に書く人もいるし、歌で感動を表現する人がいる。
しかし、そういう人たちのなかに、その景色の美しさの理由を知りたくて、色素を解析したり構図の配置を計算したり、空気と気温を計る人がいる。それが研究する、ということである。
だから、研究論文は、絵画や作家や歌手と並列の、アウトプットされた「表現」でもある。無粋だという人もいれば、最高にポエジーだという人もいるだろう。美しいものを配置する法則もまた美しい。数学者や物理学者に詩人が多いのはこういうことに由来するのではないかと思う。
研究は未来を予見する表現だ。
p.77-78

世界の心理を研究し、論文にまとめて書いて発表するのか、絵にかいたり音楽に乗せるのか、表現の仕方が違うだけでやってることは同じなんですね。自分も将来論文を書くかもや論文書きたいと思う人にオススメです。

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『大人の語彙力ノート』|齋藤孝式・社会人らしい〈言い換え〉辞典

こんにちは。あさよるです。タイトルを見て気になっていた本を手に取ると、齋藤孝さんの本である確率がとても高い気がしますw 『大人の語彙力ノート』、気になるじゃないですか。さすが。本書は、たった一言ポロっと使うだけで、印象がガラリと変わっちゃうような言葉を紹介する趣です。基本は、いつも使っている表現を別のものに〈言い換え〉るだけ。

そして、暗に「社会人ならこれくらい、使えるよね……?チラッ」みたいなノリもあるから恐ろしい。あさよるは、どの言葉も「知っている」けれども「使えないなあ~」というものばかりでした。反省。

語彙力、上げます(`・ω・´)b

スマートに〈言い換え〉辞典

本書『大人の語彙力ノート』は、より適切な言葉へ〈言い換え〉方を紹介する本です。たとえば、「なるほど」を「おっりゃる通りです」に言い換えましょう、ってな具合。確かに「なるほどなるほど」って言う人いますね。相手との関係性や話の内容によっては適切ではないので、言い換えましょう。

「すごい」「超」「かわいい」「ちょっと」を連発している時の自分、語彙力のなさを痛感します(苦笑)。また「思う」の連発もよく耳にします。「これから○○しようと思います。△△してもらえたらと思います」と話しの中で「思います思います」ってやつ。「これから○○いたします。△△なさってください」でええんちゃうか!?と内心ツッコんでします。はい、もちろん、あさよるも「思います思います」を連発してると思います。

スマートに話したいものです。丁寧に話しているつもりが、そのせいでおかしな言葉遣いになったり、逆に失礼な言い方をしてることもあります。あさよるの場合「取り繕わず素直な言葉を使おう」と心に決めてまいりましたが、しかしいい年して恥ずかしくないモノ言いもできるようになっていたい。

本書『大人の語彙力ノート』は、「大人ならこれくらいの語彙力あって当然でしょ」って最低ラインを示すものです。学生や新社会人の方はぜひ、ご自身の社会人としての語彙力レべルをチェックしてみてください。また、すでに社会人経験の長い方も、意外と間違った使い方してるから言葉は怖い。念のための確認を。

書き言葉・話し言葉の入門書

本書『大人の語彙力ノート』では、よく使う言い回しの〈言い換え〉が多数紹介されていますが、ざっと見ていると書き言葉と話し言葉が混在している印象です。声に出して言うと堅苦しすぎるかな?と思われるワードもちらほら。しかし、畏まったご挨拶も涼しい顔でこなすからこその社会人。これくらいの言葉が咄嗟に飛び出すものなのか!?

第7章の〈「訪問・宴会・手紙で使える」語彙力カード〉で初回されている言い換え例は、リアルで使ったことない言葉ばっかだぞ!? ちなみにこんな→「いただきだちで恐縮ですが」「おもたせで失礼ですが」「卒爾ながら」「ご厚情、痛み入ります「あらあらかしこ」

あさよるのことは置いといて……(;’∀’)> しかし、「社会人ならこれくらい使えるよね?」ってレベルなんだろうと想像しますので、社会人歴が長い人にとっては「レベルが低くて物足りない」というのが正直なところじゃないでしょうか。想定する読者としては、学生向けかな?

気のきいたブログエントリーをw

ブログを毎日書いていると、結構自分の語彙力にヘコみます。同じ言い回しばっか使ってたり、気の利いたこと書けませんからね……。んで、話し言葉はもっとめちゃめちゃです。喋りながら自分で何言ってるのかわからないなんてことザラだし……。凹むなあ。

本書『大人の語彙力ノート』は、ブロガーの強い味方になるでしょう。他の言葉への〈言い換え〉例が載っているし、〈言い換え〉た言葉のニュアンスや使うシーンも紹介されています。くれぐれも、他人の言葉遣いの揚げ足取りに使わないように(苦笑)。

これでちょっと、真面目っぽい、頭よさそうな記事が書けるようになるといいのになあ。

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