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『スマホ断食』|落ち着け!人とつながりすぎネット時代

『スマホ断食』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよる家には中学生の頃Windows95がやってきて、高校生の頃から24時間ブロードバンドで常時ネット接続されるようになりました。10代の頃、朝まで友だちとチャットしてそのまま合流して遊びに繰り出したりね。ということで、あさよるは「ネット依存症」だと言われたらNOとは言えないでしょう。けど、ピークは越えていて、近場に出かけるときはモバイル端末を一切持っていないことの方が多いです。

スマホの登場によって、文字通り24時間ネットにつながりっぱなし、人とつながりっぱなしになった人も多いでしょう。寝る直前までLINEして、お布団の中でYouTubeを見て、朝一SNSチェックして。今日読んだ『スマホ断食』は、もはや当たり前になった習慣から、たまには脱却してみようとの誘いです。一人の時間、自分の思考に浸って、物思いにふける時間を取り戻しましょう。

「物思いにふける時間」を

本書『スマホ断食』は、スマホやパソコンから離れ〈ネット断ち〉の必要性を説く内容です。著者の藤原智美さんご自身が正月の三が日、パソコン、ケータイ、テレビ、ラジオもシャットアウトし、活字情報のみに触れる時間を作ったことで、「情報漬け」生活から距離を置きます。そこから、情報断ちを月に1回2回と増やしてゆき、とめどもないネット依存状態から脱した経験から始まります。

藤原智美さんは作家ですから、もちろんパソコンもネットも必需品です。しかし、そのパソコンやネットによって集中力が阻害されることにも触れられています。本書も決してスマホやネットを否定しているものではありませんが、「道具に使われている」状態を自覚し、脱出する重要性が紹介されています。

枕元にスマホを置いて眠るわたしたちは、24時間人とつながりっぱなしで「一人の時間」を失ってしまいました。現代の若い人は、スマホと一人部屋のいずれが欲しいか尋ねると、スマホを選ぶそうです。今の大人世代は、かつて「一人の時間」を過ごした経験を思い出してみてください。その時間は、自分の物思いにふけったり、ボーっとしたり、何かに集中したり、自分の思いを吐き出したり、なにかしらかの時間だったはずです。

時々思い出しては「一人の時間」を持つことは、意味がある活動ではないでしょうか。本書では、ネット依存によって起こっている弊害が紹介されています。

人とつながりすぎ時代

スマホを手にしたわたしたちは、24時間ネットにつながっています。スマホを操作する時間はケータイ時代の2倍になっているそうです。そして、その時間の多くはTwitterやFacebookのSNS、LINEなどに費やされます。それらは、単に暇つぶしではなく「向こう側に人がいる」のです。そう、現代は「人とつながりっぱなし時代」なのです。

そして、単に個人と個人がつながっているだけじゃない。情報に翻弄され、なにがなんだかわからなく、自我を失っていると言っても言い過ぎじゃないかも。

祭り・炎上に翻弄される

今やネット発の祭り・炎上がテレビや新聞等メディアをにぎわします。もうマスコミもネットを無視できないし、抑え込むこともできません。

今(2018年5月)アイドルタレントのわいせつ事件から派生して、セクハラ・パワハラの話題でタイムラインは持ちきりです。先月の4月には相撲の土俵の上で倒れた舞鶴市長に救命処置をした女性を、土俵から降りるようアナウンスしたことが炎上していました。その前にはFacebookの個人情報の取り扱いや、なにより今年は冬季オリンピックの年でした。遥か昔の話のようで忘れていた……。

あまりにも目まぐるしくトレンドが移り変わり、その都度なにがあったのかよくわからないまま、なんとなくの雰囲気に自分の気分も動かされています。その炎上や祭りの勢いを誰もコントロールできていませんし、「結局のところなんだったの?」ってことが多すぎます。

例えば「STAP細胞」の話題は、正直、多くの一般人は専門知識なんて持っていないし「結局あれはなんだったのか」分かってないんじゃないでしょうか。STAP細胞の騒動も、件の論文について指摘したのは専門のネットニュースサイトだったそうです。そこから、あれよあれよと一挙に大事件となり、亡くなった方もいましたが、多くの人には「結局あれはなんだったのか」わらかないまま。

また、2020年の東京オリンピックのロゴの盗作疑惑で賑わったこともありました。で、「あれは結局なんだったのか」って感じの人も多いんじゃないでしょうか。芋づる式に他の盗作を指摘する画像もネットで持て囃され、テレビでも放送されていました。

「自分の考え」を持つ時間がない

各話題の良し悪しの話は本題ではありません。ここで重要なのはトレンドに翻弄されることによる弊害です。結局なんなのかよくわからないニュースが多く、理解しないまま次々とトレンドが移ろってゆき、「自分の考え」を持つ時間なんてありません。「本当はなにがあったのか」を知る時間も、考える時間もありませんから、反射的に「快不快」や「好き嫌い」しか持てません。

いじめ自殺があると、いじめた生徒やその家族の名前、担任教諭の名前などが探り出され公開されます。そのとき「同姓同名の別人」がとばっちりでバッシングに遭うこともあります。少し考えれば「別人かも」という可能性が多いにあると分かりますが、もはや「祭り」になっている状態を誰もコントロールできません。

「いいね!」のために行動してしまう

SNSにどっぷり浸っていると、TwitterやFacebookで「いいね」されるための行動をとり始めます。「インスタ映え」はもはや伝統芸のようになり、加工された写真映えするかしないかで消費の動向が変わります。

市民マラソンがブームになってしばらく経ちますが、かつて「孤独」だったマラソンも、今や「SNSに投稿するため」にコスプレランナーも目立ちます。コスプレといえば、ハロウィンもいつの間にか定番のお祭りになっています。

出会った景色や出来事は「いいね」されるか否かで判断し、写真を撮って投稿して終わり。そのため、一瞬一瞬の風景や心模様に焦点を合わし「感じる」「考える」機会が減っているのかもしれません。

ネットネイティブ時代

すでにインターネットが普及したあとに生まれた「ネットネイティブ世代」は社会人になり始めています。彼らに見えている世界は、ネット以前の世代とは全く違うでしょう。そして、ネット以前に生まれた世代ですら、ネットの情報、SNSの人とのつながりにより翻弄され、かつて「ネットがなかった時代」とは全く違う時間を過ごしています。

新しい感覚と、従来の教育

ネットネイティブ世代にレポートを書かせると、平然とコピペでパッチワークされた文章を提出するそうです。それが彼らの「普通」なんですね。「著作権」という概念を持っていないかのようで、ネット上にある情報は無料で勝手に使っていいと考えているようにさえ見えます。

学校教育でもタブレットが導入されたり、黒板の代わりにタッチパネルのスクリーンが導入されている学校もあるそうです。事前に用意されたデータを映し出して授業は進みます。「黒板に注目」という決まり文句もそのうちなくなるのかもしれません。そんな教育では、そもそも「学校」自体が不要になるのかもしれません。実際に「MOOC」と呼ばれる、インターネットを使った教育も世界に普及しています。

一方で、アナログな授業を頑張っている先生もいるようです。小学生に辞書をひかせ、漢字をたくさん覚え、アナログの本で調べることを徹底して教え込んでいるのです。その教育を受けた子どもたちは、中学生になっても机の上にアナログの資料を並べ、自分で調べながら勉強することに抵抗がないようです。

人格がビックデータに集約されて……いいの?

ショッピングしてポイントカードを提示すれば、ポイントがどんどん溜まってラッキー! ……だと思っていますか? 企業はポイントカードで個人と買い物の傾向をひも付けし、よりピンポイントにセールスを行うために情報を集めています。ネットで買い物すればその買い物の傾向から、表示される広告が変わります。

自分という人格ではなく、自分が情報化されているようです。

著者の藤原智美さんは「智美」という名前の男性です。通っているフィットネスクラブで会員カードを提示すると、女性用のロッカーキーを渡されることが二回や三回じゃないそうです。目の前の男性からカードを受け取ったのに、パソコン画面に映される「智美」という名前だけで女性だと判断されているようです。

すでに、生身の肉体や人格よりも、情報・データの方が大きな意味を持つ時代は来ているのかも。

『スマホ断食』挿絵イラスト

みんな、おちつけ!

芸能人の不倫とかLINE流出とかセクハラとかブログ炎上とか、もう、とりあえず落ち着け! 実際に、当事者間で何があったのかなんて到底わたしたちにはわからないんです。芸能人のスキャンダルや下世話な話がオモシロイのはよーくわかりますが、冷静に考えてみると、これってとても恐ろしいことかもしれません。

そりゃ、芸能人のスキャンダルは「見世物見物」かもしれませんが、日々炎上している話題の中には、わたしたちと同じ〈一般人〉も多くいます。別に有名人でもタレント志望でもない人が、あるとき、ある瞬間に「見世物」にされるって、恐ろしくないっすか? 当人に過失もなく、事実とは違う言説が拡散されちゃうこともあります。そして、誤報は一気に拡散されるのに、訂正はあまり拡散されないというジレンマもあります。

まあ、とりあえず落ち着け! ちょっと深呼吸して、スマホとパソコンの電源を落として、まずは「落ち着く時間」を。そして「ゆっくり、自分の頭で考える時間」を。時にはアナログの紙の情報を集める習慣も。『スマホ断食』は、誰もがネット依存症の時代だから、意識的に取り入れてもよい習慣です。

ネットネイティブ世代が知ってること

あさよるの個人的な考えでは、ともあれ「ネットネイティブ世代」の言動は、これからの新しい時代の常識なんだろうと思います。ネット上にある情報をまるで著作権フリーであるかのような振る舞いも、昭和世代の あさよるには理解しがたい一方で、インターネットの世界は今後そんな世界を目指すのかもしれません。

また、教育のあり方が変わり、学校が不要になるんじゃないかというのも、半分はそうだろうと思い、半分はそんなことはないと思います。確かに、学習はインターネットを使って遠隔で可能だし、ニーズもあるし、今後も増えるだろうと思います。しかし「教育」とは、別に読み書きそろばんを教えるだけじゃなく、「○○らしい行動」や「こんなときどうする」といった、思想や立ち振る舞いを教える場でもあります。それが良いのか悪いのかわかりませんが、「学校教育がなくなる」というのは、ホントにあるのかな? と訝しむ。

あさよるも若い頃は、もっと的確にリアルな「今」を感じていましたが、もう年を取ってしまって「常識」が邪魔をして今が見えません。インターネットは、かつてなら接点のなかったような若い人の話を知ることができるのが、最大の利点だろうと思います。

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スマホ断食

目次情報

プロローグ いまこそスマホ断食を

まず三日間の情報断食を始めた
個人が消滅した社会がやってくるのか
一匹のアリのように群れの一部になる
スマホ歩きは非人類的
スマホ利用時間はガラケーの二倍
人間の権利としての散歩
個人の時間を失いつつある
この本を読みながらスマホ断食を

第一章 私の思い出はスマホには収まらない

大量消費に背を向ける「シンプルライフ」
スティーブ・ジョブズもミニマリスト?
シンプルライフにならざるをえない理由
暮らしがデジタル情報に還元される
モノを捨ててスマホ中心の生活

第二章 データに分解された私を誰かが見ている

私が消えてデータだけ残る
私が誰かによって保管されている
ポイントカードの落とし穴
私の情報が統合されている
ネット空間で見られつづける私

第三章 ネット社会の匿名性

著作権などいらないという新しい世代
無神経で軽率さがあふれたネット世界
元少年Aという匿名のモンスター
匿名性が大手をふるうネット時代
ネット言葉で公共性は守られる?

第四章 ネットでは「盗み」は知的作業なのか

ネットが書いた「STAP劇場」
ネットは二十一世紀のモンスターメディア
なぜ捏造が蔓延するのか
ネットのデジタル技術がモラルハザードを生む
不正の起源は二〇〇五年にある
デジタルな虚構が現実になる

第五章 自己愛が「祭り化」で加速する

仮装の若者に占拠された
ハロウィーンはコミュニティ喪失から生まれる
ネットが新しい祭りをつくる
仮装は自分を隠す小道具
現実の祭りもネットの素材にすぎない
見られたがりやの人々
ネットの仮想と現実が直結
人づきあいが嫌で祭りに出る?

第六章 「見られたい」という欲求

マラソンは孤独で哲学的なスポーツ
ネットで祭り化した市民マラソン
ネットで祭り化する日々
ただの歩行者が観光の目玉になる
広告トラックも祭り化を促進する
見物人が見物される祭り
盆踊りは仏教行事だった
渋谷スクランブル交差点の祭り化もはかなく終わる?

第七章 ネット動画とのつきあい方

ネット動画だからこそ残酷になる
ネットは世界の距離をなくす
動画が受け手の感情を翻弄する
エスカレートする動画表現
対抗できるのは書き言葉

第八章 ネットが人を委縮させる

肉声より強力なLINEの言葉
SNSは「私」を裸にする
冷めゆくネットユーザーの熱狂
スマホがあなたを覗いている

第九章 紙の本が思考を鍛える

黒板がなくなると学校もなくなる?
教育の効率化はデジタル化ではない
小学二年生で常用漢字をすべて覚える子供たち
ネットが言語能力を奪う?
紙の本が教えてくれる知性への謙虚さ

第十章 スマホから逃れて自分を取り戻す

ネットが集中力を奪う
ネット離脱で文章が噴きだしてくる
ネットに合わせえて思考が変わる
使っているつもりが「使われている」
「私」ではなく「皆」がネットのセオリー

あとがき 「物思いにふける」ということ

藤原 智美(ふじわら・ともみ)

一九五五年、福岡県生まれ。九二年、『運転士』で第一〇七回芥川賞受賞。
ノンフィクション作品にはベストセラー『「家をつくる」ということ』『暴走老人!』のほか、ネット社会の問題点を明らかにした『検索バカ』『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』がある。
http://tm-fujiwara.cocolog-nifty.com

『花森安治の青春』|「暮しの手帖」と戦争

2016年4月に始まったNHK『朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」』も終わってしまいました。あさよるも張り切って、ドラマ開始時に主人公のモデルになった大橋鎭子さんの随筆を読んだりしました。

ドラマは終わってしまいましたが、次に手にとったのは『花森安治の青春』。花森を主人公とした物語仕立てで、間に著者の馬場マコトさんのルポが挟まる構成です。

花森安治は思想家であり、広告マンであり、ジャーナリストやグラフィックデザイナー、編集者の顔を持ちます。

花森安治は10代の頃フェミニズムと出会います。母を思い、フェミニストとして生きようと思います。旧制高校時代には、校友会雑誌の編集を一人で手がけ、東京帝国大学へ進学後も、東京帝国大学新聞部に所属しました。

「ペンは剣よりも強し」を信じた花森青年も、大学卒業後召集され、中国とロシアの国境近くに出兵します。が、肺病のため帰国。帰国後は大政翼賛会の宣伝部に所属しました。

「贅沢は敵だ」「進め 一億火の玉だ!」「欲しがりません勝つまでは」など、あの有名な標語の採用に、花森安治も関わったそうです。敗戦後、大橋鎭子と出会い、「暮しの手帖」を創刊します。

ペンが剣になる「戦争」

雑誌「暮しの手帖」は戦後、皆が“暮らし”を大切にしなかったから戦争が始まったのだとし、暮らしを見つめ直すことがコンセプトです。ですので、反体制の思想のある雑誌です。

ですが、花森安治さんの半生を知り、とても意外というかなんというか……読み始めには大きな戸惑いも感じました。

「ペンは剣よりも強し」を地で行くはずの優秀な青年が、こうもあっけなく体制に呑みこまれ、戦地で銃を構え、人を撃つ。病気により本土へ帰ってきてからも、先輩に誘われ翼賛会で活躍をする。ペンが持っている大きな力を、戦争を躍動し、国を鼓舞する力に使うのです。

戦争というのは、一人の力では抗えない大きな蠢きなのだろうか。花森安治ほどの人でも、「流れ」から離れることはできないのか……ゾッとする読書体験でした。

大橋鎭子さんと出会い、『暮しの手帖』の創刊に際してのエネルギッシュさや、戦後の花森安治さんの活躍が爽快であればあるほど、戦時中の彼の様子が浮き彫りになるようでした。

広告とは、デザインが持っている力とは

『花森安治の青春』を、あさよるは文庫版で読みました。まぁまぁぶ厚めな文庫です。

どんなボリュームもある内容かとビビっていましたがw、思いの外読みやすい文体で、物語っぽく時系列に話が進んでゆくので、一気に読み切りました。

しかし先に上げたように、ショッキングというか、胸にズシンと重いものが残る読書でした。広告とは、編集とは、デザインとは何だろうと、答えのない問が降り掛かってきたようです。

広告やデザイン関連の仕事をしている人、目指している人は、花森安治の思想、生き方に触れてみることをすすめたい。あさよるも広告・デザイン系出身で、他人事と思えない内容だったからです。

サクッと読める上に、読み応えもある内容で、よい読書でした( ´∀`)bグッ!

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『BOOK BAR』|本の中に友人を見つけることもある

こんにちは。あさよるです。みなさん「BOOK BAR」ってラジオ番組をご存知でしょうか。あさよるは今回、ラジオ番組が書籍化された『BOOK BAR』を手に取って知りました。毎週1時間、本を紹介する番組らしくって、ぜひ あさよるも聞きたい番組です。

で、本書『BOOK BAR』も想像以上に楽しく読める本でした。著者の杏さんと小倉眞一郎さんのお二人とも、ほんとに好きな本を紹介しあっていることが伝わって、本を読むってやっぱ楽しいことだよなぁと感じました。あさよるは乱読するタイプですが、本書で紹介されている本もジャンルも様々で、絶対一冊は気になる本が見つかるんじゃないかと思います。

杏ちゃん! 仲間やないか!(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ

『BOOK BAR』は杏さんと大倉眞一郎が本を紹介しあうラジオ番組が書籍にまとめられたもの。番組では1000冊にも及ぶ本が紹介されたそうですが、その中から厳選された本が紹介されています。

で、杏ちゃん! あなた! おまおれか! と叫ばずにはいられない。だって、一冊目に紹介されているのが池波正太郎の『幕末新選組』なんだもの! 杏さんは新選組が大好きで、新選組小説ならすべて揃っているという。ちなみに好きな新選組隊士は原田左之助らしいです。

んで、杏さんのWikipediaのページを見ますと、「趣味・特技・嗜好」はもう、「お前は俺か」と。自分のプロフィールかと思ったよ(その項目以外は何もかも違う)。「歴女」って言葉が流行語大賞に選ばれたとき、杏さんが受賞されたそうで、杏さんのそんな側面を知りませんでした。

吉村昭『大黒屋光太夫』を挙げちゃうところとかね。あさよるもこの本好きだった~。

「読書感」も共感!

途中、短いコラムが挟まれているんですが、そこで語られる読書感も自分に近く共感しました。

杏さんは「趣味は読書」という表現に違和感があり、「読書好き」くらいがちょうどいいと書かれていました。あさよるもこれは同じで、「読書って習慣のもんでしょ」と思っているから、「自分の趣味は読書だ」という言い回しが自分には当てはまってない気がしていました。だから「趣味が読書」な人と交流を持っても、なんだか申し訳ないような気持ちになってソワソワとしていたのです。

また、小倉さんは「活字中毒」について。『「私って活字中毒な人じゃないですか~」と寄ってこられると蹴飛ばしたくならない?』と本音を吐露しておきながらw、だけど活字の中毒症状について書かれています。確かに自分で自分を「活字中毒」なんて思わないし、そう称することにも違和感がありますが、だけど「活字中毒」としか言えない禁断症状が出てくるのも事実。「読む本がない」という手持無沙汰は慣れませんね。「活字中毒」とは認めなくないものの、どうしようもなく活字中毒である。

コラムは4つしか収録されていないのですが、共感しまくりでした。

読みたい本ザクザク

杏さんの歴女っぷり、とくに新選組好きに興奮してしまっていますが、『BOOK BAR』ではさまざまなジャンルの本が紹介されています。次読みたい本もいくつも見つかります。

「BOOKS BAR」ラジオ番組なのですが、この番組はあさよるの住む大阪でも聞けるんでしょうか……毎週、杏さんと小倉さんそれぞれが1冊ずつ本を紹介する形式になっているようで、すごい。あさよるもぜひ聞きたい番組です。

以下、自分メモ…φ(..)

番組DETA:毎週 土曜 22:00~22:54

あさよるが読みたいと思った本

  • 池波正太郎『幕末新選組』
  • ポール・デイヴィス『幸運な宇宙』
  • ヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』
  • 半藤一利『幕末史』
  • ポール・オースター『幻影の書』
  • 野村みち『ある明治女性の世界一周日記』
  • ジェームス・ガーニー『ダイノトピア』
  • ダニエル・L・エレヴィット『ピダパン』
  • アレン・ネルソン『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」』
  • 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』
  • 野々村馨『食う 寝る 坐る』
  • 高橋団吉『新幹線を走らせた男』
  • 栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』

ついでに、あさよるも読んだことある本は

  • 池波正太郎『幕末新選組』
  • 森絵都『カラフル』
  • 半藤一利『幕末史』
  • 森薫『乙嫁語り』
  • 吉村昭『大黒屋光太夫』
  • 西岡常一『木に学べ』
  • 三島由紀夫『葉隠入門』

あたり。読みたい本をかぶってるのは、「また読みたい」ってことでw 昔に読んだ本は忘れちゃうので、ときどき同じ本を読み返したいですね。

本好きにあえて嬉しい!

今回『BOOK BAR』を読んで、すごく共感できたし、本を読む面白さが伝わって「ああ、仲間がいるんだなぁ」ととても嬉しい気持ちになりました。とくに杏さんは、あさよると同年代の方で、同じような情報に触れて、同じような趣味を持ってるんだなあと思うと、特別な気持ちになりました。

失礼ながら、あさよるはこれまで杏さんのことをあまり知らなかったので、本を通じて友だちができたような心強い気分です(「タイムスクープハンター」は見てましたよ!)。「新選組好き」という点では、多分あさよるより杏さんのほうが詳しいだろうから、ぜひ杏さんの案内で新選組本を読みたいなぁ。

あさよるはいわゆる「乱読」するタイプで、小説をたくさん読まれる方とはジャンルが違っているし、かといって実用書ばかり読むわけでもないし、好きな本を好きなときに好きなだけ読んでるだけなので、目的もなければ方向性もありません(苦笑)。だからあまり「同じような本の読み方をしてるな」って人に出会う機会が少なかったのですが、この「BOOK BAR」の企画はあさよるの読書傾向に近い気がしました。

本って単に情報をもたらすものや、感動を呼び起こすものだけでなく、本の中に友人を見つけることもできるのです。今回、なんだか新しい友人と出会ったようで、とても心強い気持ちになれました(`・ω・´)b

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『読書という荒野』|いくら読んでも満たされない読書欲

こんにちは。読書の秋がはかどっていない あさよるです。バテバテだった真夏よりは読書に時間をさけるようになってるんですが、なんだか日々が慌ただしくて本が読めていません>< 食欲の秋だったり、スポーツの秋だったりと、忙しいですからね。夏の間延期していたことがどっと押し寄せてきた感じです。

さて、今日読んだのは見城徹さんの『読書という荒野』です。見城さんは幻冬舎の社長で、数々のヒット作をつくった編集者でもあられます。

この「荒野」という響き、先日図書で『オオカミと野生のイヌ』という写真集を読みまして、荒野で一匹オオカミがジロリとこちらを見ているようなイメージが湧きました(図書館ではもっぱら動植物の写真集や図鑑を見るのが好きです)。

オオカミと野生のイヌ

実際にはオオカミは家族で生活するそうで、「一匹狼」とは親離れしてまだパートナーと出会う前の若い個体だけだそうで……って、オオカミの説明はいいやw

『読書という荒野』の表紙も、見城さんがジロリとこっちを見ておられて、最初は「これは一体なんの本なんだ」とドギマギとしてしまいましたw

無我夢中に読書する

『読書という荒野』は、幻冬舎の社長・見城徹さんが本を読みまくり、編集する理由の一端に触れることができます。

見城徹さんは子どもの頃からいじめに遭い、劣等感にさいなまれていた頃から、高校に入り一転リーダー的存在になり、その後進学のため上京し、そして編集者として〈暴れまわる〉様子が綴られています。

子ども時代のいじめの経験は読んでいても胸が痛いのですが、「死んでもいい」と決心し、いじめっ子に対峙したことで運命が変わり始める様子は、大人になった あさよるにも思うところがありました。そこまで人を追い詰めちゃダメだし、そして追い詰められた人はなんとしても生き延びます。その経験が、編集者としてのスキルに繋がっておられるんですね。

高校生になって、いじめがなくなって反対に自分の言葉で自分の考えを述べられる生徒になってゆく様子も、あさよるもこうありたいと思いました。体面を気にしたり、その場の雰囲気に呑まれるのではなく、自分で考えて自分の言葉で表明する。これも編集という言葉を扱う職業に繋がっています。

そして、編集者としてのご経験は、その高揚感と熱狂が羨ましすぎると感じました。この感じ、あさよるは赤塚不二夫さんのエッセイなんかを思い出す……トキワ壮の思い出のような。とんでもなく高揚した時間を一瞬でも過ごした人の話って、いつも羨ましく思います。あさよるにはそんな時間がなかったなぁ。

赤塚不二夫120% (小学館文庫)

編集者は「言葉」で作家にアプローチし、本を作りますから、言葉はとても大切なものです。そこに説得力や力を持たせるためには、嘘を言ったり口先だけの話をしていてはいけません。「編集者」というのも、これも一つの生き方なのだなぁと知りました。

思い出、思い入れのある本がある

あさよるにはちょっぴり劣等感がありまして……それは「人生を変えた一冊」的な、思い出の本、思い入れのある本が特にないということです。もちろん、その時々にハマったり大好きだった本はありますが、あくまでマイブーム的な感じで、「今の自分を作った本」みたいなね、そんな存在がないのです。

だから実は、読書体験や、自分の特別な本について語る人というのは、憧れの存在です。

『読書という荒野』にもそういう特別な本、特別な読書体験が語られていて、しかもただ読者としてではなく著者・作者と同じ時間を過ごしながら本を作っているんですね。羨ましい&憧れのW!

見城さんは小中学校ではいじめられて、読書がある種の居場所としても機能していたよう。これもあさよるにはない経験だったり……あさよるは一体、今まで何を読んできたんだろうかと頭が痛くなってきます(;’∀’)

みなさんも、特別な本、思い入れのある本、読書が逃げ場だったり居場所だったり、ただの情報源、物語に触れる以上の働きを感じられたことがありますか?

全然足りない、満たされない読書を

心を落ち着かせるために本を読むという人もいるそうです。あさよるは逆で、本を読むと興奮するし、刺激を求めて読書がやめられません。『読書という荒野』を読んでいると、同じく「興奮」「刺激」を追い求めていると感じました。だからこそ「羨ましい」「憧れる」とも思いました。

「読書という荒野」という言葉もいいですね。豊潤で実りの多い感じよりも、「荒野」でむさぼるように読む方が、読書っぽい。そう、いくら読んでも読んでも満たされない。まだまだ欲しい、全然足りない。だから荒野の中で孤独にただ我を忘れて本を読みまくる。読書ってそんなイメージです。

『読書という荒野』の表紙の、乱雑に本を積み重ねた感じとか、わかるわかる~って感じじゃないでしょうか。もちろん、読書する人って年間千冊単位で読むそうですし、あさよるも全然足元に及ばないんですけどね(;’∀’)

本を読む高揚感、興奮、読んでも読んでも満たされない、もっともっと欲しい気分が溢れ出ている本だったし、読んでいるだけで自分の読書欲が刺激されまくる本でした。

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『編集者という病』|過激すぎると「本」でしか読めない

こんにちは。あさよるです。ブログを書くって、自分で文章を書き、自分で編集し、自分でディレクションして、自分で記事を公開することなんですよね。一人編集部なわけです。何年書いてもブログのクオリティが上昇しないのも「全部ひとりでやってるからしゃーないな」ということにしておきましょうw

この「編集する」という作業が、あさよるにとって、よくわかっていないトコロです。そういえば昔、仕事で「編集の勉強をせよ」と言われたこともありましたが、あまり気ノリせず、結局やらず仕舞い。「編集」と呼ばれる仕事をしている人の様子を見ていても、あまり「良い」とは思えず、モヤモヤとしたまま今に至ってしまいました。

そして、先日読んだ編集者の見城徹さん『読書という荒野』がとても印象的で、他の本も読んでみようと手に取ったのが『編集者という病』でした。『読書という荒野』でも、編集という仕事について書かれていましたが、『編集者という病』では、もっとダイレクトにこれまで編集してきた本の話が満載でした。

編集するということ

角川書店を経て幻冬舎を立ち上げ、数々のベストセラーを出してきた編集者・見城徹さんが、ご自身の仕事を振り返る。仕事……といっても、それは私事とか仕事とかそんな話ではなく、全身全霊、すべての時間をかけて本を作る編集者の姿です。それはもう「仕事」の枠をとうに超えていて、「病」であるというタイトルです。

尾崎豊に小説を書かせ、世に送り出し続けたエピソードは、「公私混同」とかそういう話じゃないですね。表現者とは魂を削ってそれを行う。編集者はそれを「本」という形にするため、表現者と向き合う。

あさよるは「編集」って、イマイチなにをする仕事なのかわかっていなかったのですが、その人の持っている「何か」をどう切り取り、どう見せ、どう形にしてゆくのかを決める大事な仕事なんですね。

出版当時話題になった、郷ひろみさんの『ダディ』では、ずっと友人だった郷ひろみさんが、妻から離婚を告げられ苦しんでいるという話を聞き、それを本にするよう持ちかけます。内容がセンセーショナルに扱われましたが、あくまで男女が出会って結婚し、子育てをし、離婚をするという、よくある話を、当事者が心情を吐露するのだと紹介されていました。そのとき、はらわたまで書き出すような、人間の光も影も詳らかに言葉にし、本にする。そのために編集をするのです。

出版はオワコンだから終わらない

よく「出版はオワコンだ」なんて言いますが、本書を読むと改めて「出版はオワコンなんだなぁ」と思うとともに「オワコンだからこそ、出版は終わらないんだろう」とも思います。

雑誌や書籍に書かれている内容は、本の形態に印刷され、綴じられているからこそ成立しています。で、ときどき、雑誌のコラムなんかがそのままWEBマガジンにWEB記事として掲載されたとき、炎上しちゃったりしています。メディアが変われば読者が変わり、文脈も変わるので、本・雑誌ではアリだけどWEBだとNGってのが少なからずあります。

雑誌や書籍のノリの記事がWEBで炎上しているのを見ると「オワコンだなぁ」と思うと同時に、だけど、だからこそ「WEBじゃ書けないこともあるんだなぁ」とも思うので、やっぱ紙の本・雑誌がなくなることもないのでしょう。誰でも無料で読めるWEB記事の良さもあるけど、読者を限定できないが故に、読者を想定しきれず、違う文脈で読まれてしまって、違う解釈をされることもあるでしょう。多くの人にあてはまる話だけをすると、毒にも薬にもならない話しかできないし、難しいところです。

で、本書『編集者という病』に書かれている中身って、結構ヤバいというかw、他人事として読むと「こんな熱い世界があるのかぁ~!!」と燃えるけれども、自分の身近にこんな魂かけて仕事する人がいるとヤだなと思う人も多いんじゃないでしょうか(苦笑)。特に、作家と公私混同を超えて、共依存関係のように、混ざり合い、本を作ってゆく様子なんて、一般社会には受け入れがたい世界観じゃないでしょうか。だけど、ギリギリで表現をし続ける作家の作品を「読みたい」という欲を止めることも難しい。

一般の良識、社会のモラルと、狂気の世界に生きる表現者の作品を受容することのせめぎ合いって、どちらを正しい/間違いと言い切れないから、なんとも言えませんね。これから私たちの社会は、それらをどうジャッジしてゆくのかを迫られているのかもしれません。

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