生物・バイオテクノロジー

『生き物はどのように土にかえるのか』|死から命へ続いてく

『生き物はどのように土にかえるのか』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるは子ども時代、ザリガニやカブトムシ、カナブン、カエルなんかの「虫」を飼っていました。時が来ると死んでしまって、お墓を作って埋めた経験もあります。子どもの頃から「生き物は死ぬと土になる」と知識として知ってはいましたが、実際にどのように土にかえってゆくのかを知りませんでした。……というか、正確には「見たことはある」けれども、あまり直視したくないものですので(色んな意味で)、薄っすらと遠目でしか見たことがないというのがホントのところ。

『生き物はどのように土にかえるのか』は、子どもの頃に知識として頭には入っていた事柄を、誰にでも分かるように易しく解説された良書です。本書が想定する読者は中学生以上。大人もぜひ読んで欲しいです。

生き物が食べられ分解され消えてゆくまで

本書では、生き物の「死後の世界」を紹介するものです。「生き物は死ぬと土にかえる」と言いますが、どうやって土へかえってゆくのか、どれくらいの時間をかけて土にかえるのか、知っている人は少ないでしょう。「死」は縁起の悪い話として、遠ざけて語られない節があります。しかし、生きるというのは死に向かうことですから、死と正面から向き合うことは生と向き合うことと同義でしょう。

本書は大きく3つの章からなっています。一つ目は動物が死んだあと、どのように分解され、土にかえってゆくのか。ゾウとクジラの死体が分化されてゆく過程が取り上げられます。二つ目は落ち葉が分解され土にかえってゆくまでの課程です。3つめは、「分解」に注目します。

動物の死体が腐って食べられ、分解されてゆく過程を扱っているので、「むごい」とか「グロい」と感じる人や案じる時もあるでしょうから、そのときのコンディションに合わせてどうぞ。だけど、動物は死んでも、その死体が次の命を産み繋ぎ、次々と命が数珠つなぎのように連なっている様子は、目の当たりにするととても感動します。日本では残念ながら(?)人は火葬されますが、それでも大気に熱となって放出され、それは他の生命に影響を及ぼすでしょう。自分もその大きな循環の一部なんだと知ると、なんだか安心できて、本書『生き物はどのように土にかえるのか』を読んでよかったと思いました。

壊れ、食べられ、腐り、なくなってゆく

生き物が死ぬと、まず細部が自ら酵素を出して壊れてゆくそうです。そうこうしている間に「分解者」がやってきます。地上で哺乳類が死ぬと、他の哺乳類や鳥類が肉を食べ、虫たちが集まります。この虫たちの仕事が重要で、虫が来ないようにネットの中に死体を入れておいても、なかなか分解が進まないそうです。身体はバラバラに持ち去られ、体液は地面へ染み込みます。氷に覆われた地域では、動物の亡骸を栄養に植物が生えます。

クジラの死後もダイナミックです。クジラの死体は一度体内で発生するガスにより浮上しますが、そのあとは海の底に沈みます。光も届かないような深海では、クジラの死体がコロニーのように、その周りに分解者が集まります。海底に栄養を届けるんですね。

植物は意外にも、腐るまで時間がかかるそうです。樹齢1000年の木材は、1000年使えるなんて言われることもあるそうです。

落ち葉が降り積もって「腐葉土」を作りますが、葉っぱが分解されるまでの期間は条件によって異なりますが、何十年とかかると紹介されています。

あらゆる生き物は壊れ、食べられ、分解され、いずれなくなってゆきます。その過程で他の生き物の栄養となり、次の命から命へとバトンタッチは見事です。

生き物の〈死〉には、すごく馴染みがある

『生き物はどのように土にかえるのか』挿絵イラスト

生き物の〈死〉は、とても身近に存在しています。哲学的なことを言っているのではなくて、食べ物はみんな動物の死体ですし、衣類も、家具・調度品にも生き物の死体が使われます。例えば「発酵食品」は、大豆や小麦粉を発酵させて(腐らせて)加工します。

「死」という言葉には暗く重たい印象がありますが、我々は日ごろから生き物の死をカラッと明るく、屈託なく扱っています。

自分が死ぬことを考えるととても恐ろしいことだと思いますが、すべての生き物は別の生き物を活かすための糧になるんだと知ると、自分の身体も、他の生き物の〈何か〉になればいいなあと、のほほんと考えられるようになりました。

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『絶滅の人類史』|みんないなくなった

『絶滅の人類史』

こんにちは。あさよるです。このブログはまあまあ流行にも乗っかるブログなんですが(;’∀’) 未だに『サピエンス全史』は取り上げていまへん。その言い訳かなんやは、この記事の後半に……。正直、上下巻の2冊もまた読み返すのものな~というのが、本当の本音かもしれないけれど(;^ω^)

しかしその後、サピエンス全史的なタイトルや内容な本が目立ちます。『絶滅の人類史』もそんな中の一冊ですが、進化の考え方についてよく知れる本たったと思います。オモモー(`・ω・´)b

「進化」を知るために

『絶滅の人類史』は進化論についてよく知れる。わたしたちはつい「自然界は弱肉強食で、強いものが生き残る」と考えてしまいがちだ。だけど、それは違う。本書では「子孫をたくさん残したものが生き残る」と簡潔にまとめられている。どんなに強い生物でも、子孫が絶えてしまえば絶滅するし、一個体では弱くたって、よりたくさんの子孫を残し続ければ、生き残ることができる。

わたしたちホモ・サピエンスには、ほかのホモ属の仲間がいた。だけどみんないなくなってしまった。それはわたしたちが最も勝っていたとか、最も賢かったわけではなく、わたしたちが子孫をたくさん残し続けてきたからだ。

わたしたちには敵が現れても「闘う」「逃げる」「ようすを見る」のどれも選べない。わたしたちは闘うための牙も爪も持っていない。直立二足歩行をするわたしたちは、逃げ足がとても遅い。捕食者にあっという間に追いつかれてしまう。直立二足歩行のメリットは「立ち上がって遠くを見渡せること」だけれども、それだけ敵から見つかりやすいことでもある。隠れて様子を見るには不向きな設計だ。

わたしたちの生き残り策は、群れで行動することだった。群れは敵からも見つかりやすいが、集団で行動すれば、ある個体が襲われても群れが全滅することはない。そして、たくさん子どもを産んで育てる。ヒトは複数の子どもを同時に育てることができる。群れでありながら一夫一妻制をとり、より子孫をたくさん残せる社会が残った。

『絶滅の人類史』

ホモ属は弱い動物だからこそ、どこでも生き、なんでも食べられられるものだけ生き残った。食べにくいものは消化に時間がかかるから、わたしたちはゴロゴロと暇な時間を過ごさなければならない。その暇な時間こそ、道具をつくったり、言語が発達する時間だったのかもしれない。「スクール」の語源であるギリシア語の「スコレー」は「暇」という意味だ。暇こそ知性に必要な時間だ。

そんな人類の歴史が『絶滅の人類史』では語られている。もちろん、証拠が不十分だったり、仮説でしかないことも多く、想像で補ったり、諸説あることも十分に説明がなされる。

また一見、因果関係があるように思えることも、ただの思い込みであることもある。そんな事例をたとえ話を駆使しながら丁寧に説明されている。「進化とは何か」を知るのに、よいガイドになるだろう。

仮説・諸説・わからないことばかり

『サピエンス全史』は一応読んだけれども、ブログでは取り上げていない。人から「どうだった?」と聞かれても「読まなくていいんじゃない」と答えている(;’∀’) 「『竜馬がゆく』か『坂の上の雲』でいいんじゃないの」というのが本音です<(_ _)> (だけど、やっぱヒットした本だから、その後それをイメージするようなタイトルや内容の本がたくさん出版されていて、わたしも数冊読んでいる。そろそろ『サピエンス全史』もブログで取り上げとかないと、記事が書きにくいなぁと思い始めている……)

なんで『サピエンス全史』はイマイチだったかというと、仮説や想像の域を出ないことを、断定口調で書いてあるからだ。断定的に書かれている方が読むのは気持ち良いが、科学的ではない。つまり、歴史小説なのだ。で、歴史小説として読むのなら、『竜馬がゆく』の方が断然楽しい(これは個人の感想デスw)。

だから、「気持ちのいい物語」を読みたい人にとっては、今回の『絶滅の人類史』は、歯切れが悪く読みにくいだろう。だって、諸説あることは諸説あるとし、仮説は仮説、想像の話は想像だと書いてあるから。つまり、なにも断定されていないのよね。ただ一つ、断定されているのは、結果、生き残ったのはわたしたちだった、ということ。付け加えると、わたしたちのDNAには、他のホモ属の遺伝情報も一部残っているということ。それくらい。

『サピエンス全史』のあとに出版された、これ系の本を数冊読んだけど、わたしが読んだ本はどれも、わからないことはわからないと書いてある本だった。本を一冊頑張って読んでも、結論が「わからない」というのは居心地が悪いけれど、そういうものだ。むしろ「わからないものはわからない」という人は親切だ。

太古のロマンか……

わたし自身、あまり「ロマン」を求めないタイプなんだけれども、こういう話はロマンしかないよね。この前、恐竜展に行って、恐竜の化石の数々を見てたんだけど、恐竜って、ロマンなのよ。そう痛感したのは、比較対象として現存する哺乳類の骨格標本を見たとき。思わず「哺乳類ってダセー」と思ったんだけど、よくよく考えてみると、哺乳類がダサいんじゃなくて、恐竜をやたらカッコよく復元しているのだw

それは、古生物の図鑑とか見てても同じだよね。「スゲー」「カッコええー」とときめくんだけど、そういう風に描いてあるのか……というようなことを、『リアルサイズ古生物図鑑』をパラパラ見ながら思う。うん、すてき。

古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑 古生代編

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『できない脳ほど自信過剰』|「自称・嘘つき」は本当に嘘つく正直者

『できない脳ほど自信過剰』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。池谷裕二さんの本が立て続けに面白かったので、またもや手に取ってしまいました。ちなみに、今まで読んだ中で一番面白かったのは『単純な脳、複雑な「私」』でした。

池谷裕二さんはヒトの脳の特徴や、人の行動・思考のクセについての本を複数出版されています。脳の話は、知れば知るほど不思議で、頭の中が「?」でいっぱいになってゆく面白さがたまりません。

今回手に取った『できない脳ほど自信過剰』は脳に関するコラム集で「ほうほう」と、「知らなかった!」と「やっぱりそうか!」の繰り返しの読書でした。

脳はやたら上から目線!?

本書『できない脳ほど自信過剰』は、ピリッと皮肉の効いたタイトルです。それは「能力が低い人ほど、自分の能力を客観的に判断できないから、自信過剰になりがち」というこの世の心理を端的に表してるからです—―(>_<→ グサッ

ドライバーに「あなたは車の運転が上手い方ですか」と質問すると、70%の人が「はい」と答えるそうです。20%の人が、自分を過剰に評価していることになります。こわいですね~……と、他人事のように言っておこう。サーセンサーセンm(__)m

これは、あなたの〈人が悪い〉わけではありません。ヒトの脳は、見えない相手、よくわからない相手を低く評価する〈クセ〉があるようです。

例えば「オーパーツ」という言葉があります。

オーパーツは、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を指す。英語の「out-of-place artifacts」を略して「OOPARTS」とした語で、つまり「場違いな工芸品」という意味である。

オーパーツ – Wikipedia

オーパーツの代表であるナスカの地上絵は、航空技術が発達してから地上に絵が描かれていることが発見されました。航空機がなかった時代、古代人がこのような絵を描くことは不可能ですから、「宇宙人が描いたんだ」なんて話が登場します。……これ、現代人の「思い上がり」ですよね。「古代人は現代人よりも劣っているハズ」という先入観があって「劣等な古代人が高等なことができるわけがない」と考え、そこから「古代人にはムリだから、人知を超える存在が作ったんだ」→宇宙人、という発想に結びついてゆきます。しかし、古代人であれ、我々と同じホモサピエンスです。我々と同じことを古代人が考え、実行していてもおかしくありません。

また、人間以外の動物を低く見てしまうという傾向もあります。当然ですが、ヒトが得意なこともあれば、ネズミが得意なこともあり、哺乳類より虫のほうが長けていることもあります。なのに、ヒトは高等だと、つい考えています。

同じような話で、どうしても私たちは機械、ロボットを下に見てしまいます。ヒトの方が優秀であると思っているし、そうであって欲しいと願っているのかもしれません。

ヒトの脳は本来的に自信過剰にできていて、なかなか冷静に判断ができないようです。本書のタイトルは『できない脳ほど自信過剰』ですが、さながら「ヒトはやたらと上から目線だなあ」という感じ。

脳や人の行動に関するコラム集

紹介が遅れました。本書『できない脳ほど自信過剰』は、著者の池谷裕二さんが「週刊朝日」に連載されていたコラム集です。ですので、テーマは毎回違っていて、脳や人の行動に関するコラムが雑多に集まっている印象です。雑学や話のネタにどうぞ。

以下、あさよるが気になった、面白かった話を少し取り上げます。

  • 自己評価が伴わない

先に述べました、ヒトはどうやら自己評価が伴わない存在のようですw 〈自信過剰〉だけでなく、自己評価が低い人ほど、他人のユーモアに敏感だったりと、自己評価のできなさは〈自身過少〉にも働くようです。

面白いことに「自称ウソツキ」の人は、実際にウソツキだそうです。ということは、ウソツキほど正直者であるということ!?

  • 思い込みが強い

〈自信過剰〉と繋がりますが、ヒトの脳は思い込みが強いw 例えば、しつけは、厳しくするよりも、褒めて伸ばす方が効率的だそうです。しかし、やっぱり感覚的に「しかし厳しい方が効くんじゃないか」と思ってしまう自分もいます。

同じような話で〈我慢〉はするほど忍耐力が落ちてゆくという話に触れられています。たぶん、実際にそうなんだと思いますが、これもやはり体感としては「我慢した方が良いんじゃないか」と自分で思い込んでしまいそうです。

あと、ビジネス書にもよくありますが「おとり商品」に騙されてしまう話。松竹梅の3つの商品があった場合、買わせたいのは竹で、竹を買わすためのおとりとして松をメニューに加えると、みんなまんまと竹を買ってしまうというお話。これも、「自分でメニューを選んでいる」と思い込んでいるのに、実際には商売上手にノセられているのです。

  • 一目ぼれせよ!

恋愛結婚した夫婦より、お見合い結婚する方が離婚率が低いという話は聞いたことがあります。恋は盲目ですから、相手の欠点も見えなくなって結婚するのですが、恋が冷めてしまうと……というワケ。

しかし「一目ぼれ」で結婚するカップルは意外にも長続きするそうです。なんでも、「一目ぼれ」とは、その人の収入や職業、家柄や社会的な立場や、なにもかもを度外視して、パッと見て潜在的に「好印象」の相手だからです。次第に相手の欠点が見えてきても、そもそも「好印象」を抱いている相手だから、悪い部分には目をつぶることができるんだそう。これは意外。

  • 三途の川が!

死の直前〈三途の川〉が見えるという話は、オカルトではなく、ホントらしい。といっても「川が見える」のか分からないけれども、瀕死の状態から一命を取り留めた人の中に、臨死体験をする人は多く、現実よりもリアルに感じるそうです。実際に死にゆくマウスの脳派を調べると、死の直前に独特な脳の変化が起こるそうです。

ここから、あさよるの余談ですが、日本人は臨死体験で川辺で大切な人を見るそうですが、文化が変わると見えるものが変わるそうです。「川のほとりで」というのは、日本人の心象風景なのでしょうか。関係ないけど、日本人の子どもは昔(今も?)「川で拾ってきた」というのが定番です。「コウノトリが」「キャベツ畑の」の日本版ですね。どうでもいい話だな。

  • 気合でどうもならないことがある

体内で水分が不足すると記憶力が下がるそうです。特に子どもは、学校に登校してきた時点で水分不足になっているそうで、テスト前に水分を取らすといいらしい。大人も、小まめに水分を取って体調管理を密にした方が、能率が良いってことでことですね。「気合」「根性」ではどうにもならないことがある。

あと、よく寝た方が学習効率が上がるとか、散歩がいいとか、「いわずもがな」な話ですが、脳科学的に見ても、はやりそうであるという裏取りができた気分。

ちょっと発見、ちょっと反省

『できない脳ほど自信過剰』挿絵イラスト

本書『できない脳ほど自信過剰』はコラム集ですから、ちっちゃな面白い小ネタが詰まっています。一節ずつ小さな発見と、ちょこっと自分に反省しつつ、自分のことを棚に上げて楽しめる、好奇心を刺激するエンタメ本ってとことでしょうか。

脳の働きや、ヒトの認知って、意外と自分の体感・実感とは齟齬があるようで、知れば知るほど不思議な世界です。また、ネズミの生態や、虫の能力を知ると、ヒトの脳を知ることは「生命とは」を考えることになるようです。なにもヒトだけが特別な存在ではないんですね。わかっちゃいるけど、つい「特別」な感じに考えてしまいます。

よく、数学的な確率と、実感としての確率が乖離する話があります。23人集まれば、50%の確立で同じ誕生日の人がいる、とか、やっぱ実感として信じがたい。ヒトは感覚的に選択すると、分が悪い選択をしてしまいます。「わたし、間違えるんで」と開き直って対策を考えた方がよさ気。

池谷裕二さんの本はどれも面白かったので、また違う本も読んでみたいです(^^♪

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『交雑する人類』|ルーツは「混ざり合い」

2018年、遺伝学者のデイヴィッド・ライクさんが、地球上の人類の交雑の歴史を太古の昔から紐解いてゆく。現在、グローバリゼーションの時代が到来し、人々はワールドワイドに行き交うようになったけれども、人々の大移動はなにも最近始まったものじゃないらしい。人は文明が興るはるか昔から、二本の脚で移動し、ときに舟を操り、大規模に移動しまくっていたのだ。人はどうやら、移動したがる生き物みたい。

これまでの人類の文化的な視点だけではなく、「遺伝学」という科学の側面から人類の歴史を見てゆくことで、これまでの通説を裏付けたり、あるいはまったく違った歴史が見えてくる。

「交雑する」というのはとても重要で、人は、移動し、拡散し、そして先々の土地に対応し、そしてそれらの人々が交雑し続け、文明をつくり、今日に至っている。面白いのは、ネアンデルタール人やデニソワ人と呼ばれる、ホモサピエンスとは違う仲間たちの痕跡だ。かつて、他の仲間たちとも交雑しながら、寒さ耐性を手に入れたり、わたしたちは環境に適応する力を手に入れてきた。

「交雑する」という科学的事実の前では、人種や民族といったカテゴリーも、生物学的なものではなさそうだ。例えばインドの例では、「インド人」という民族があるというよりは、小さな集団が集まった一つの国という方が、実態に近いらしい。遺伝学的な視点は、人種や民族への差別をなくし、また病気の対策にもなると著者は考えている。しかし、西洋科学への不信感から研究に協力的ではない人々や、差別を助長すると判断され、研究が進まない例も紹介される。アメリカでは、ネイティブアメリカンの遺伝学的な研究は一筋縄ではいかないようだ。

わたしはアジア人だから、アジアでの研究が気になるところ。だけれども、アジアでは人が爆発的に増え、交雑がたくさん起こったところでもあるから、今後の研究の結果に期待! ということらしい。つまり、まだ研究は始まったばかりなのだ。遺伝学的な研究が進んでいるのはヨーロッパらしい。アフリカ大陸からユーラシア大陸へ移動してきた人類が、ヨーロッパ組とアジア組の二手に別れた。ヨーロッパ組はすぐに行き止まりに突き当たり、そこで交雑が起こったから、研究も進んでいる。まだまだあたらしい分野であろうことがわかる。

分厚い本だけれども、好奇心掻き立てられる本だ。10代の人にも、ちょっと背伸びして読んでもらいたいと思う。

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