直木賞

『新選組血風録』|新選組短編15編

こんにちは。あさよるです。先日は司馬遼太郎『燃えよ剣』を読んだので、次は『新選組血風録』しかないでしょってことで。

「あさよるの愛読書は『燃えよ剣』だった」と言っていましたが、今読み返すとむしろ『新選組血風録』のイメージの方が鮮烈だったんだと気づきました。学生時代にもドはまりしましたが、それ以降も自分なりに実際に幕末史跡を歩いたり、資料を読んだり、他の作品に触れたりしていて、過去に何度も繰り返し読んだ本のはずなのに、初めて読む新鮮さを再体験できました。

これが読書のすごいところですよね。ボロボロになるまで読んでも、また自分が他の本を読んでレベルアップして帰ってくると、あんなに読み込んだ本を初心で読めるんです。

新選組短編15編

司馬遼太郎『新選組血風録』は新選組の短編集。『燃えよ剣』では登場しなかった人物や、触れられなかったエピソードがたくさんあって、今回読み返してみると『新選組血風録』の方が入りにはいいのかも。

『燃えよ剣』では喧嘩士の土方歳三が乱世に紛れて暴れまわり、また恋のお話がたまらず、子どものような一面がたまらんかったのですが、『新選組血風録』の土方の方が悪者っぽい雰囲気もあり、これはこれで良いですな (*゜∀゜)=3

ちなみに読んでいると、黒鉄ヒロシさんの『新選組』キャラで再生される^^

関西人としては、ぜひ本書を読んだら実際に京大阪の街を歩いてみて欲しいなぁと思います。というのも、京都大阪って狭いんですよね。目と鼻の先で敵と味方に分かれ、また味方同士で内ゲバしてるんです。物騒な時代ですなぁ。

以下、結構どうでもい あさよるの感想にもならない独り言。

油小路の決闘

分派した伊東甲子太郎一派を粛正する話。「甲子太郎」という名前は、伊東が新選組に参加したのが甲子の年だったかららしい。甲子は十干の一番最初だからキリがいいし、改名したくなる気持ちもわかる(?)。ちなみに、兵庫県の「甲子園球場」も、オープンが甲子の年だったから。つまり、伊東が新選組に参加した60年後に甲子園球場ができたのだ。そう思うと、幕末ってめちゃくちゃ近いよね。

ちなみのちなみに、その60年後に生まれたのが あさよるです(甲子生まれ)w 歴史の勘定するときに、十干は便利で、キリのいい年や、自分にとって覚えやすい年号を使うとより面白い。

って、めっちゃどうでもいい話だな。

伊東一派が粛清されたという油小路に行ったことがあるんですが、西本願寺(当時の新選組屯所)の目の前なんですよね。「ちょっとコンビニ行ってくる」みたいな距離感。近所の人たちは嫌だっただろうなぁと思うw

そんで、今こう司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』を読み返してみると、伊東甲子太郎はそれなりに強くてカッコよく描かれていることに気づいた。もっとイヤなヤツに描写されているイメージだったなあ。

池田屋異聞

『燃えよ剣』を読んで「あれ、池田屋のページこれだけ?!」と驚いていましたが、こっちの記憶とごっちゃになっていたモヨウ。確かさらに『竜馬がゆく』の方がページが割かれていたと思うから、自分の記憶を信用ならん。

山崎丞が活躍する話で、彼は執念深く、用心深く、お仕事キッチリなのが好きだ。

前髪の惣三郎

新選組小説を読むなら映画やドラマもみたいなぁと思っていて、今すごく見たいのが『御法度』。この「前髪の惣三郎」が原作で、松田龍平くんのデビュー作ね。山崎丞役のトミーズ雅さんが「いかんいかん」って言ってるのしか覚えてなかったけれど、読みながら思い出してきたw

沖田総司が武田真治くんで、すごく良かったんだなぁ~

沖田総司の恋

沖田が医者の娘を遠目で見るため、清水寺へ出かけるところを土方につかまり、二人で清水の茶屋へ行くことに。沖田は自分の病と、気になる娘の存在を隠していて、土方は気づいているんだかいないんだかで、かみ合わない二人。

清水寺の茶屋というと思い出すのは「はてなの茶碗」で、この話も深刻な沖田にもかかわらず、なんとなくユーモラスな話に思えてしまう。「はてなの茶碗」はわらしべ長者みたいな話で、それは新選組の話のようでもあるからおかしい。

四斤三砲

この前、伏見の御香宮神社へ行きまして「おお!ここが!かの!」と喜んでいました。「四斤三砲」では砲術頭だった阿部十郎が、よくわからん新参者に立場を奪われ、そこから伊東一派ともに新選組を脱退し、その後薩摩の砲兵隊に参加。伏見の戦いでは新選組と敵味方になる。それが清々しいお話。彼は維新後まで生き延びる人だし。

で、その「よくわからん新参者」も面白い。大林兵庫と名のり、長倉新八の師匠筋だと言い、土方、近藤らもそれを信じてしまう。んで、長倉も、誰だかわからんクセに「知り合いだ」「師匠の弟だ」と言われるままに、なんとなくそんな気がしてしまうという、登場人物がみんなおもしろい。

菊一文字

刀を研ぎに出した沖田が、かわりに名刀、菊一文字を借り受ける。その帰りに賊に狙われるが、借りたものだし、あまりに神秘的な刀でもあり、逃げて帰ってきてしまう。しかしその後、同じ賊に沖田の配下が殺されたことから、菊一文字で斬ることにする。

『新選組血風録』では沖田はいつも飄々とみんなから愛され、かわいらしい存在として描かれているが、最後の最後は剣豪の姿で終わっていてよきよき(*´ω`*)

シリーズで読んでいこうか^^

本作は短編が映画化されていたり、他の作品の元ネタ的なものも散見されて、他作品も触れたくなるところですね。

あさよるも張り切って、NHK大河ドラマ『新選組!』のDVDを借りにTSUTAYAへ行ったのですが、なぜか『真田丸』をレンタルしてきましたw 『新選組!』はまた来月辺りに……。それまでに、ちょっくら書籍を当たって、記憶のバージョンアップしておきたいっす(`・ω・´)b

あさよるネット、たぶん読書傾向には偏りがあって、シリーズ化を意図はしていませんが結果的に同じよなジャンルの本を立て続けに読んでいることがあります。新選組シリーズ(幕末シリーズ)のページ作ろうかな~。

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『燃えよ剣』|もっと読みたい!

こんにちは。あさよるです。先日、こんなネット記事を見かけました。

内容を簡単にまとめると、とあるTwitterユーザーの蔵から曾祖母様の日記が見つかって、大学のゼミの先生に見せたところ、曾祖母様自作の新選組の土方歳三と沖田総司のBL小説と、土方と自分の夢小説だったというもの。どうやら曾祖母様は新選組屯所のお隣にお住まいだったそう。

……これはエモい! 「エモい」って言葉を最近覚えたばかりで使いどころがわかってなかったが、「これが〈エモい〉なのか!」とヘンな盛り上がり方をしております。ソースがTwitterなので信憑性がわかりませんが、ええ話ですなぁ~。「このおばあさん、今年の盆は帰ってこれないね」「いや、毎年コミケ行ってんじゃね?」なんて(サーセンm(__)m)。

そして、この話題に触発されて、あさよるもかつての愛読書『燃えよ剣』を久々に読み返すのでありました。

創作欲をかき立てる小説

『燃えよ剣』は、土方歳三が主人公の司馬遼太郎の小説です。司馬先生の代表作の一つと言っていいでしょう(よね?)。生来の喧嘩師だった土方が、時代の巡りあわせで今日へ上京し、帯刀を許されチャンバラに明け暮れる前半。後半は、時代は変わり、戊辰戦争勃発で鳥羽伏見の戦いで敗戦し、江戸へ帰り、東北、そして函館戦争で最期を遂げるまでのお話です。

お話の中で、印象的なのは宿敵とのバトルと、その途中出会った女性「お雪」との恋。この恋が、これが激熱なんですよね~。お雪さんはええ女だし、土方がまた超キュートすぎて、司馬遼太郎小説に出てくるヒーローたちは、キュンキュンするんですが、『燃えよ剣』の土方は格別だ。

で、この『燃えよ剣』の面白がりポイントは、『燃えよ剣』から派生して小説やマンガ、ドラマなど創作物がたくさん作られているところでしょう。これからシリーズ的に、新選組モノ、幕末モノ書籍を読んでまとめるのも面白いかもなぁなんて、ワクワクしております(^^)v (何を隠そう、あさよるも、どっぷり『燃えよ剣』きかっけで幕末モノにハマってた時期があって、その頃に作りかけてた案もあるので、掘り返していきたいですm(__)m)

足りない!から読みたい!

出典を忘れてしまったので偉そうなことが書けないのですが、先日「ネットで評価の高い映画は、次の映画が見たくなる作品だ」という記事がありまして、そこから派生して「きっと、みんなが愛してしまう作品というのは、それだけでは不完全だったり、なにか足りない要素があって、それを補いたくて他の作品を欲してしまうものではないか」という仮説を立てました。

そして『燃えよ剣』もまさにそういう作品じゃないかと思うんですよね。まず、なんと言っても「短い」! 今回久々に読み返して「あれ?こんなに短い小説だったっけ?」と驚きました。もっと読みたい。もっとこの世界に浸ってたいし、もっとキャラクターの心情を知りたい。だけど、物語は淡々と進んでいき、たった上下2巻で終わってしまう。圧倒的に「足りない」し、「もっと追いかけたい」んですよね。これが、「他の作品を読みたい」原動力なんだろうと思います。また、『燃えよ剣』から派生している作品がたくさんあるのも納得できます。

あともう一つ驚いたのは、思ってたよりも司馬先生の「以下余談ながら」が少なかったことですね(笑)。説明がとても少ない。もっと説明書きが長いと思っていました。むしろすごく淡泊。池田屋事件なんかも、ト書きくらいな感じで、要点だけ書かれている感じだった。これも記憶の中と実際が違っていたなぁ。これももっと他の資料に当たって掘り下げたくなる理由かもな、と。

以下、あさよるの好きな新選組作品の話

個人的に好きなのは、みなもと太郎さんの『冗談新選組』。これは『燃えよ剣』のパロディマンガですね(どちらかというとドラマ版のパロディっぽい)。終始ドタバタが、『風雲児たち』にも引き継がれていて、よろし。

(↑『冗談新選組』kindle unlimited版アリ-2020/06/16現在)

あと、今パッと思いつくのが、映画版『壬生義士伝』の佐藤浩市の着流し姿ががエロくて……///。佐藤浩市さんは斎藤一役で、沖田総司が堺雅人さんなのが個人的にたまらんという。映画版『壬生義士伝』は配役がツボったな。小説版ももちろん読みましたが、小説も好きなんだけど、吉村貫一郎の最期が苦しいんですよね( ノД;)

(↑Amazonプライムで見られます)

数を上げるとキリがなさそうなので、今後、ブログで書いてきたいなぁと思います。

あ、新選組、幕末モノのドはまりしてた頃にテレビ放送していたのが、野村萬斎さんのNHKドラマ『鞍馬天狗』で、鞍馬天狗の宿敵の新選組が「どんだけ隊士がおんねんww」とツッコみつつ、バッサバッサと鞍馬天狗が新選組隊士を倒しまくる、ザ・悪役新選組で、これはこれですごく好きでした。これ、TSUTAYAであるかなぁ~。また見たいな。

この『鞍馬天狗』は、司馬遼太郎の『燃えよ剣』路線じゃないけど(なにせ「鞍馬天狗」ですからね)。

あさよるは、10年以上前にも読書記録をつけるブログを書いていまして、その頃のログを見ると新選組、幕末モノばかりなので、過去の書き散らしを有効活用してきたいです。

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『九十歳。何がめでたい』|九十代女子のリアル

こんにちは。話題の本が気になる あさよるです。佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』がランキング上位に入ってるのは知っていました。先日、散歩中、道のわきで本書を読みふけっている方がいて、「そ、そんなに熱い本なのか!!」と驚き、さっそく あさよるも読み始めるのでした。影響されやすいです(;´∀`)>

老いも、ネタに昇華するエネルギー

「卒寿? ナニがめでてぇ!」

啖呵で幕を開ける本書。一番最初の話は〈こみ上げる憤怒の孤独〉。いやいや、佐藤先生……キレッキレじゃないっすか~!ブラックや~。笑えん~ww

御年九十歳になられた作家・佐藤愛子さんのエッセイ(現在2017年3月は93歳)で、原稿用紙に手書きで書きあげあられたそうです。

利発でエネルギッシュなお人柄がバンバン伝わってきますが、そこここに隠れている「老い」を丁寧に描写している様子は、気づくとドキッとします。単に、老いを笑い飛ばしているだけでない、ジメッとした感じや、人間の直面する現実がにじみ出ているような……。

ネタも、新聞の悩み相談を度々拾っておられる感じとか、なんか、活動範囲や日々の習慣が透けて見えるような……そういうのドキッとします。

「私の夢はね、ポックリ死ぬこと」
と友人はいった。
ポックリ死が夢?
なるほどね、といってから、けれど、と私はいった。
「あんたは高血圧の薬とか血をサラサラにする薬とかコレステロールを下げる薬とか、いっぱい飲んでるけど、それとポックリ死とは矛盾するんじゃないの?」
すると憤然として彼女はいった。
「あんた、悪い癖よ。いつもそうやってわたしの夢を潰す……」
彼女にとってポックリ死はあくまで「夢」なのだった。そうか、そうだった。「夢」なのだ。彼女は十代の頃、アメリカの映画スター、クラーク・ゲーブルと熱い接吻を交わすのが「夢」だった。ポックリ死はいうならば「クラーク・ゲーブルとのキスなのだ。」現実には掴めないことをわかっていての「夢」である。
「ごめん」と私は素直に謝った。私たちの「夢」はとうとうここまで来てしまったのだ、と思いつつ。

p.27-28

ごめんなさい。こういうとき、どんな顔をすればいいのか分からないの(#^^#)

これ、ユーモアの部分なんですよ。でもね、「老い」を取り出してホラと見せつけられたようです。平易な文章で、これっぽちの文章で、リアルすぎるよ佐藤先生。

そして2017年、高齢社会の日本にとって、これが「共感」なのだろうかと思うと、別の意味でも背中が寒い。

相容れない、世代と世代

一方で、老人の愚痴として、若年層への批判や、進化しすぎるモバイル機器へもおよぶ。

あさよるも一応まだ若者世代(のつもり)ですので、若年世代の置かれている状況や言い分を度外視して、年寄りがの都合の話ばかりなのは、辟易してしまいます。同じような感想を持たれる方も多いようです。

が、これって「お互い様」なんですよね。著者が若い人に理解を示さないように、若者世代も90代の高齢者に耳を貸していない。みんなお互いに忙しいし、大変だし、わけがわからないし、お互いに「どうせわかりっこない」といがみ合っている構図なのかもなぁと気づきました。

世代間格差って、相容れないのかな。

往く道なのか

佐藤愛子さんもお若い頃はブイブイ言わしてらしただろうが、歳とともに文明の利器とも疎遠になってゆくのかしら。年寄りの戯言だと一蹴することも可能でしょうが「年寄り笑うな行く道だ」ってね。

救いなのは、愛子さんがとにかくパワフルで、愚痴は言っても弱音を吐かないところ。体に不自由は現れても、それをネタにエッセイを書きあげる底力。軽快な語り口とユーモア。弱気にならず、「いちいちうるせえ!」と周りを蹴散らすパワー、これ、長く生きるのに必要なのだね。

本書と直接関係ないけど、「老後」のためには「豊かな語彙力」は不可欠っすなぁ。

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『コーランを知っていますか』|阿刀田先生とコーランの世界をのぞき見

こんにちは。コーランを知らない あさよるです。

以前、アラビア語の勉強をしようと教科書を用意し、その時にイスラムの文化にも初めて触れました(結局、アラビア語のアルファベットも読めないままなのですが…)。興味はあるものの、長く放置したままですね…(;’∀’)

本書、阿刀田高さんは『コーランを知っていますか』以外にも、同じようなシリーズを執筆なさっています。

などなど。どれもレビューを見ると好評っぽくて読んでみたいのですが、どうやら本書『コーランを知っていますか』に限っては、モヤモヤした感じの読了感。

なぜモヤッとしてしまうかというと、それはコーランの持っている性質に由来しているもののようですね。

阿刀田さんもコーランに戸惑い!?

著者の阿刀田高さんの講演を聞いたことがあります。古事記をテーマにしたシンポジウムで、作家さんだからこその内容でした。学術的な事実を述べるのではなく、古事記の欠けている物語を推理し、捕捉し、お話が展開されてゆくのが面白かったです。

先にも紹介したように、阿刀田高さんは「~を知っていますか」ってシリーズを刊行なさっていて、どれも口コミは悪くないのですが……『コーランを知っていますか』では、阿刀田高さんの戸惑いから話が始まります。

というのも、我々からすれば唐突に話が始まり、その後の内容にどう関係があるのかもわからないまま話が進んでしまうという……。

イスラム教の立ち位置も、ちょっと不思議。

例えば、イスラム教徒は多神教の信者とは結婚できません。日本人とは結婚できないってことですね。

だけど、同じ一神教のキリスト教やユダヤ教徒との婚姻は、教義的にOKなんだそうです。「一つの同じ神様を信じている」って解釈なんです。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は三兄弟の宗教だと言われるのも少し納得しました。

コーランやイスラム教を知れるわけではない

『コーランを知っていますか』を読んでも、コーランの内容を知れるわけでも、イスラム教の全貌がつかめるものでもありません。悪しからず。

深く知れる内容ではありませんが、何の接点もない異宗教が、なんだか親しみやすい感じは受けました。それは阿刀田高さんというフィルターを通しているからこその感想でしょう。

コーランって、アラビア語でなけれなばらないと世界史の時間で習いました。神がアラビア語で話したんだから、そのまま書き記された書物でなければならないのです。

そもそも、日本語翻訳されたコーランはコーランではありませんし、日本語訳コーランを読んでさらに阿刀田高さんのフィルターで解釈されたものですがら、全く別物だと考えてもいいかもしれません。

その前提込み込みで『コーランを知っていますか』を読むと、エッセイとしてとても楽しい作品です。

一緒に「ナゾ」の異文化をのぞき見

『コーランを知っていますか』は、阿刀田高さんをガイドに異文化をちょこっとのぞき見するようで楽しく、ワクワクしました。

あさよるの周囲では、熱心な仏教徒やキリスト教徒の人はいますが、イスラム教徒の人はいません。この辺は、お住まいの地域や、職業等のコミュニティによって違うのでしょうが、あさよるには知らない世界でした。

コーランの内容は、生活の細々した取り決めにまで及んでいます。

聖典が社会の規範になっていることがよくわかりました。

社会が違えば常識が違う

あさよるは、イスラム教と縁がなかったと書きましたが、世界規模で見れば関係がないわけはありません。

なんてたって世界三大宗教の一つですし、この語学が苦手なあさよるでさえ「アラビア語の勉強しよっかな……」と思う程度に、イスラム世界が世界に影響をもたらしていることも感じています。

最終章は、阿刀田高さんがが実際にサウジアラビアを訪れた経験が著されています。

そこで出会った人々は、有能な人物少なからずいるのですが、日本人とは行動規範が“違う”人たちです。日本人から見ると不思議に見えます。同じように、向こうから見れば、こっちが不思議なのでしょう。

“違う”文化を認めるというのは、言うのは簡単ですが、実際にどんな状態が異文化を認め合った世界なのだろうなぁと想像してみます。

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