社会学概論

『池上彰の世界から見る平成史』|池上さんが解説し続けたニュースたち

『池上彰の世界から見る平成史』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよるは昭和の人なので、「前時代の古い人間だなあ……(遠い目)」なんて思いつつ生きておりましたが、来年、昭和はさらにもう一つ古い時代になってしまいます。この夏は平成最後の夏なんだなあ(遠い目)。思えばあさよるも、平成の荒波に呑まれ続けた半生でしたねえ……。

また、池上彰さんは平成史をテレビでわかりやすく解説し続けてきたとも言えますね。ここ30年の出来事を振り返るとともに、そういえばこのニュース池上さんの説明で聞いたな~なんて思いながら読了いたしました。

長ぁ~い「平成史」

本書『池上彰の世界から見る平成史』というタイトルでもっとも感慨深いのは「平成史」という言葉でしょう。2019年4月30日で平成が終わるということは、そうか、「平成」という時代が歴史になることなんですね。平成の前の時代、昭和は64年もありましたから、昭和と比べると平成は「短い」感じがしますが、今回改めて平成の国内外のニュースや災害の年表を見ると、いやいやとても「平成は短かった」とは言えません。

平成は、戦後高度成長期の絶頂から始まります。平成元年(1989年)12月は日経平均株価が最高値を記録します。そして翌年1990年(平成2年)3月、裁量規制が始まり、その後バブル経済が終わります。世界では第二次大戦後続いた冷戦が終わります。冷戦時代はアメリカとソ連の2チームに世界の国々が分かれ緊張状態が続いていましたが、今となれば冷戦終結によって世界の親分がいなくなったことで、世界中の混沌が始まる時代でもありました。

また、平成は大災害が相次いだ時代でもあります。1990年(平成2年)の雲仙普賢岳噴火、1993年(平成5年)の北海道南西沖地震が起こります。そして1995年(平成7年)の阪神大震災以降、日本国内の地震や火山活動が増え、2000年(平成12年)三宅島噴火、2004年(平成16年)新潟中越地震、2007年(平成19年)能登半島地震、新潟中越沖地震、そして2011年(平成23年)東日本大震災があり、その後も2014年(平成26年)御岳山噴火、2016年(平成28年)熊本地震と、地震・火山活動は続いています。平成は災害の時代でした。

また、世界がテロと対峙する時代でもありました。2001年(平成13年)の9.11テロ以来、世界中でテロが広がっています。日本でも1995年(平成7年)地下鉄サリン事件の無差別テロが起こります。オウム真理教はこの以前にも1994年(平成6年)「松本サリン事件」を起こしています。日本は昭和のころからテロが何度も起こっています。

池上彰さんが解説し続けたニュースたち

本書『池上彰の世界から見る平成史』は、池上彰さんがこれまで解説しされてきた世界のニュースでもあります。池上彰さんが出演されていたNHK「週刊こどもニュース」がスタートしたのは1994年(平成6年)です。池上彰さんが「お父さん」役で、子どもたちに一週間のニュースを教えるという番組でした。あさよるも東欧やイスラム世界について、池上彰さんの「お父さん」のわかりやすい解説を見ていた記憶があります。

平成30年ですから、平成生まれの先頭グループはもうアラサーです。平成の初めのころのニュースやブーム、文化について知らない人もたくさんいます。もうこうやって「平成史」を歴史として書籍で学ぶ世代もいるのです。

『池上彰の世界から見る平成史』挿絵イラスト

「昭和」の本をよく読んだなあ

そういえばあさよるも、古書店なんかで「昭和」を扱う本や雑誌をよく手に取って見ました。多くは平成になってから「昭和という時代」を振り返るもので、戦後から高度経済期へと何冊にもカラーグラビア満載で紹介されている雑誌をよく読んだけど、あれはなんの雑誌だったんだろう(「別冊太陽」かなあ)。家電や万博、新幹線など技術の進歩が紹介されているのが面白かった。

「一区切り」ごとに時代は変わる

昭和はまさに「激動の時代」だったけれども、こうやって「平成史」を一覧してみると平成もなかなかハードな展開だったのだなあ。日本経済・世界経済に翻弄されたり、一気にグローバルな時代が到来し、世界が小さくなった時代でもあります。

どの本に書いてあったのか忘れましたが、10年ごととか、何か区切りのいいところで時代を一まとめにすることで、人は過去を少しずつ俯瞰することができるようになるそうです。そして不思議なもので、その区切りに合わせて世情も変化していくんだそう。西暦なら10年刻み、100年刻みの変化もありますし、日本の元号のように、その国固有の区切りを持っている国もあります。

別にその区切りに合わせて我々は生きているわけではないけれど、のちの時代に振り返ってみると、時代ごとのカラーがあるのかもしれませんね。なるほど、昔の人たちがことあるごとに元号をコロコロと変えていたのも、それなりに理由があったのかもしれません。

これまで時代の波に呑まれるばかりだった時間を、俯瞰できるようになる日が来るのはなんだか不思議。

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『ぼくはお金を使わずに生きることにした』|都会で大冒険!カネなし生活

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。先日読んでブログでも紹介した『0円で生きる』が面白くて、ゴールデンウィークに「家財道具を売ってみよう」とメルカリに出品してみました。『0円で生きる』で紹介されていた「ジモティー」も利用したいのですが、荷物の運搬手段がないので、これから考えよう。

これまで物の譲渡って、役所とか公民館の「あげます・ください」の掲示板を見たり、フリーマーケットに出品するとか面倒くさかったけど、ネットサービスが充実することで、誰もが気軽に安価or無料でやりとりができてとても便利です。「テクノロジーは社会を変えるんだなあ」なんて、大げさなことを考えてみたり。

今回手に取った『ぼくはお金を使わずに生きることにした』も、イギリス人の男性がロンドン郊外で1年間、一切のお金を使わず生活をするチャレンジをした記録です。彼がチャレンジを決行したのは2008年の年末のこと。2008年はリーマンショックがあった年です。さらに3.11以降のわたしたちにとって、彼のチャレンジは当時と違った意味を感じるかもしれません。

現代の冒険譚・お金を使わない

著者のマーク・ボイルさんは現代の冒険家です。かつて「冒険」とは、大海原へ漕ぎ出だしたり、未踏峰を踏破したり、誰も行ったことのない場所へ踏み込むことでした。現在では都市部の郊外で「1年間一切お金を使わない」というチャレンジが、誰もやったことのない大冒険なのです。現にマーク・ボイルさんは、1年間お金を使わない構想を発表してから、世界中のメディアから数多くの取材を受けます。

テクノロジーを否定しなくていい

マーク・ボイルさんのチャレンジの特徴は、まずロンドンの郊外で行われること。お金の一切は使わないけど、友人たちを頼るし、社会のインフラも使います。また、基本的にはテクノロジーの否定はしていません。

1年間お金を使わない計画に際し、マーク・ボイルさんはルールを自分で設けています。まず、石油燃料は〈自分のために〉使わないこと。電気は自分で発電しますが、誰かから「どうぞ」と差し出される分には使用してもいいこと。つまり、わざわざ〈自分のために〉石油・ガソリンや電気は使いませんが、他の人が使っているものを分けてもらうのはOKということ。例を挙げると、「自分のために車を出してもらう」はNGですが、ヒッチハイクで「元々あっち方面へ向かう車の助手席」を分けてもらうのはOK。

この辺が「世捨て人」的な感じではないところ。なにより交友関係はとことん使います。「ロンドンの郊外」ですから、落ちているモノ、捨てられているモノを手に入れやすい環境にもあります。

マーク・ボイルさんはお金と石油燃料を自分のために使うことを避けていますが、それ以外のテクノロジーやコミュニティーは特段否定していません。

菜食主義で健康に

お金を使わない生活をすると、納税しないことになります。だからマーク・ボイルさんは1年間、病気をしないように健康に気をつけるのですが、ビーガンになることで、かつての不調がウソのように改善した様子を綴っておられます。菜食主義の人がよく「肉や乳製品をやめると体調が良くなった」と仰ってるのを目にしますが、実際のところどうなんでしょう。

また、肉食をやめたことで、体臭に変化があったそうです。お風呂も洗濯機もありませんから、衛生状態と〈清潔感〉をどうキープするのか周囲の人も気にしているようです。「ボディソープを使わなくても体はきれいになる」と説明しても、信じてくれない様子。

これについては以前、あさよるネットでも『「お湯だけ洗い」であなたの肌がよみがえる!』で紹介しました。有機物は水溶性で水に溶けて流れます。だから「水浴びだけでも清潔」は、そうなんでしょう。

Wifi完備でネット環境

マーク・ボイルさんはネットで住処の提供を求めたところ、なんとキャンピングカーの提供を申し出る人が表れました。また、そのキャンピングカーを停める場所も、ボランティアを引き受けることで場所を貸してもらえました。そこはWifiもつながっていて、マーク・ボイルさんは自家発電をしてネットに接続し情報発信を行います。プリペイドカード式の携帯電話を所持しているので、電話を受けることもできます。世界中のメディアからの取材も、電話を貸してもらって受けています。

「現在の冒険譚」と紹介したのは、現代のネットワーク環境を活用しているからです。『アルプスの少女ハイジ』の〈オンジ〉のように、コミュニティーに属せず、人々から隔絶された地で生きるのとは正反対です。積極的にコミュニティーを持ち、情報を発信し、人とつながりながら「お金を使わない」から、冒険なのです。

お金はすごく便利だ!

本書『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は、著者のマーク・ボイルさんの体当たりレポにより「お金」の価値について問い直されます。本書を読んでつくづく思うのは「お金はとても便利なものだ!」ということです。マーク・ボイルさんご自身も、「お金が少ないのと、お金を全く使わないのは、全然違う」と書いておられます。

本書が面白いのは、別に貨幣経済を否定してるワケでもないところ。ただし「お金の価値しかない社会」はどうなの? という問いかけになっていますし、また「お金を使わない生き方を選ぶ自由がある」という至極当たり前のことを体現した記録でもあります。

マーク・ボイルさんの結論として、「お金のない世界で暮らしたい」と理想をあげながらも、現実的には「地域通貨」への切り替えが落としどころとして提示しておられます。小さな町や村のコミュニティーの中で、スキルや物を提供したりもらったりして、交換する価値としての「地域通貨」です。

お金で買っているのは「時間」

カネなし生活で、足りなくなるのは「時間」だと言います。朝起きて、水を確保しないといけませんし、ネットにつなぐための電気を発電し、どこへ行くにも何十キロと自転車を飛ばさねばなりません。ボールペン一本、安いお金を出せばに入る物ですら、ボールペンが落ちていないか探さねばならないのです。

お金を使うことで、一瞬でほしいモノが手に入るのですから、最強の「時短」アイテムなんですね。

カネなし生活には「お金以外の力」が必要

お金は便利だと紹介したのは、カネさえあれば、他に何もなくても欲しいものが手に入るからです。お金がない生活とは、人とのつながりが重要で、自分を助けてくれる人、自分を気にかけてくれる人の存在が重要です。幸いにもマーク・ボイルさんは、彼のチャレンジに協力してくれる友人や恋人がいて、また世界中のマスコミが取り上げ多くの人が彼に注目していました(もちろん賛否アリ)。またマーク・ボイルさんは健康で若い男性であり、彼の思想や信仰も、お金を使わない計画を後押ししたでしょう。いくつもの要素が絡まり合って、成立したチャレンジだと考えることもできます。

〈お金〉と〈幸福〉は別のもの

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』挿絵イラスト

以下、あさよるの勝手な感想。

「カネなし生活を成立させるためには前提条件が必要だ」と言いましたが、たぶんマーク・ボイルさんと近いことをしている人は今の日本にもたくさんいると思います。別に強い信念があるわけでもなく、「知人の家に転がり込んで」とか「友だちに助けてもらって」生きてる人もいるだろうし、しかも全員が「お金がない=不幸」とは限らず、楽しく愉快にやってる人もいるでしょう。

選択肢として「カネなし生活」を選ぶ人がいてもいいし、またそれを選ぶ人もいて、それで成立する社会の方がいい社会だろうと思います。

貧乏暇なし

カネなし生活では、時間がとても貴重なのものであると認識できます。お金は一瞬にして取引を成立させる「究極の〈時短〉アイテム」なんですね。すなわち「お金がない」とは「時間がない」ことだと考えられ、これは「貧乏暇なし」という日本のことわざとも合致しています。

自己啓発本の類を読んでいても、世界で活躍する優秀なビジネスマンほど、超多忙であるにも関わらず、余暇や家族との時間をたっぷりと過ごしていると紹介されています。それはタイムマネジメントが優秀である上に「お金の使いどころ」を心得てるのかもしれません。

仮想通貨ってどうなの?

本書では折衷案として「地域通貨」の可能性が提示されていますが、今となれば「こんなときのための仮想通貨だろう」と。マーク・ボイルさんがカネなし生活にチャレンジしたのが2008年年末~2009年の1年間で、ビットコインは2008年に発表された論文に基づき、2009年に運用開始されました。

世界は、現行の通貨ではない「新しい価値」を模索していて、マーク・ボイルさんのチャレンジもそれに当たるのではないのかしら。今までの、国が発行する通貨ではない〈何か〉が必要なんじゃないかしら。

ムダなお金、ムダな出費が多すぎる!

本書『ぼくはあお金を使わずに生きることにした』を読むと「お金の便利さ」もよくわかりますが、同時に「お金の量と充実感は比例しない」こともよくわかります。マーク・ボイルさんはカネなしで、忙しく働いていますが、別に不幸せではありません。

電車の中ではほぼ全ての人がスマホ画面をのぞき込んでいます。しかしスマホで仕事や意味のある作業をしている人は少数で、多くの人は〈暇つぶし〉をしているんじゃないかと思います。暇つぶしのためにスマホを買って、使用料を毎月払って、暇つぶしのアプリやゲームにお金を使っているんじゃないでしょうか。ちなみに、スマホって超ハイテクな機械ですからね。最先端のハイテク機械を使ってやってることは〈暇つぶし〉ってなかなかシュールだな。

んで、それって、どんだけお金があったとしても、やってることは〈暇つぶし〉だから、いくらお金と時間をつぎ込んでも充実感が得られないんじゃないだろうかと思います。

単に「お金を節約する」だけじゃなくって、「何にお金を使うか」「何に時間を使うか」を改めて考え直した方がいいのかもしれません。優先順位は人によってそれぞれ違っているでしょう。

時間もお金も限りがあって、エネルギーにも限りがあって、大事なのは「どんな配分でそれを使うか」なのかもな、なんて思います。

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『注文をまちがえる料理店』|認知症介護とテレビマンが出会ったら

『注文をまちがえる料理店』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。『注文をまちがえる料理店』というタイトルを見たときから本書がずっと気になっていました。どうやら、注文をまちがえてしまう……認知症の人の支援施設がレストランをやっているらしい……というあやふやな情報だけで本書を手に取りました。

まず、「注文をまちがえる料理店」を実際にオープンした感想を、スタッフやお客さんが寄せています。認知症の患者さんたちは、料理店のことは忘れてしまっているらしいけれども、「働いてお金を稼いだ」という経験を嬉しがって、一人でお買い物に繰り出す人の話にとても感動しました。また、ピアノの先生だった奥様が認知症を患い、介護をしているご主人と二人でコンサートを開催した話も胸がいっぱいになりました。間違えながらも、最後まで演奏しきった様子に、多くの方も感動されたそうです。

著者であり「注文をまちがえる料理店」の仕掛け人の小国士朗さんはテレビ局で務めておられる方で、協賛やスポンサーを募り、企画を実現してゆく人の大切さも知りました。

認知症だけど働けるレストラン

「注文をまちがえる料理店」は、2017年6月3日、4日の2日間限定で都内にオープンしたレストランです。認知症患者がスタッフとして働き、接客をして料理を出します。だから、メニューを間違えることもあるし、間違った料理が出されることもありますが、それも「ご愛嬌」というコンセプトで、試験的に実施なされました。

本書『注文をまちがえる料理店』は、注文をまちがえる料理店がプレオープンに至った経緯と、オープンに関わったスタッフやお客の感想からなっています。

著者の小国士朗さんはテレビ局のディレクターの方です。テレビ番組の取材で、認知症患者のグループホームを取材した際、昼食をごちそうになった時、献立はハンバーグだと聞いていたのに餃子が出てきたときの〈違和感〉から話が始まります。最初は予定と違うメニューに戸惑ったけれども、「別に餃子でもいいじゃん」と思い至った経験からスタートします。思えば、別に違ったメニューが出てきても誰も何も困らないんです。

小国さんご自身が病気をし、働き方に変化があったことをきっかけに、「注文をまちがえる料理店」の構想を実現に至りました。実際にお店として出店するためには、いくつか問題があります。まず、グループホームの患者さんたちが、無理せず働けること。そして、お金を取って料理を提供する以上、おいしい料理であること。また、間違ったメニューでも食べてもらえるように、アレルギー食品にも気を遣います。食品会社の協力で実現しました。

本書の中盤は、注文をまちがえる料理店に関わった人たちの感想が寄せられています。もう注文をまちがえる料理店で働いたことも忘れちゃっている人も多いみたいですが、「働いて稼いだお金」で、買い物に繰り出す様子が紹介されていたりして、胸がいっぱいになりました。

そういえば「別に間違ってもいいじゃん」

『注文をまちがえる料理店』挿絵イラスト

本書『注文をまちがえる料理店』を読んで大きな気づきは「別にメニュー間違ってもいいじゃん」ってことでしょう。むしろ、我々は普段、なんでこんなにピリピリと神経質になってるんだろう? と疑問にさえ思いました。別にそれは相手が認知症患者じゃなくても、誰でも間違うことはあるし「そういうこともあるよね」ってだけの話なのかもしれません。

しかし、あさよるが以前コンビニのバイトを始めたとき、一番最初に教えられたのは「お腹が空いているときみんなイライラしているから、食べ物を間違えないように」というものでした。普段は温和な人も、お腹が空いてコンビニにお弁当を買いに来たのに、そこで不手際があるとブチギレられる、というもの。うん、わかるw 難しいですね。冷静に考えると「そんなに怒ることじゃない」と思うのに、いざ自分がお腹が減って食事を摂ろうとしたとき、それが阻害されると、めっちゃ腹が立つと思います(苦笑)。

その点、「注文をまちがえる料理店」は最初からコンセプトが提示されているから、そんなトラブルは少ないでしょう。だけど、忘れちゃいけないのは、認知症患者の方も「間違えるのはツライ」ということです。間違えちゃうんだけど、間違うのは誰だってツライ。

大勢を「巻き込める人」が介護の現場に来たら……

介護の現場に、テレビ局が持っている繋がりが入ってきたとき、実現したのが「注文をまちがえる料理店」です。本書のキモは、たくさんの人や企業を「巻き込める力のある人」が現場にやってきたことで、「注文をまちがえる料理店」というアイデアが実際に形になったことです。外国のマスコミでも取り上げられ、大変話題にもなりました。

著者の小国士朗さんはご自身のミッションを「テレビ局の持っている価値をしゃぶりつくして、社会に還元する」としているそうです。テレビだからすごいのではなく、テレビ局はいろんな分野の企業や人と繋がりを持っていて、その繋がりこそ必要なんですね。

企画を立てて人を動かす人が必要

アイデアやヤル気があっても、大勢を巻き込めないと大きなアクションを起こせません。介護の現場には、介護のエキスパートが配置されているのはもちろんですが、企画を立て、協力者・協賛者を募り、人やお金、知識や技術を提供してもらえる人が必要です。それは介護に求められるスキルとは、また違ったスキルを持った人でしょう。

あさよるも昔、ちょこっとイベント企画の仕事をやってたのですが、当時は自分のやっていることがよくわかっていませんでした。今回、『注文をまちがえる料理店』を読んで、自分がすべきだったのは、このようなマッチングだったんだなあと、今頃知りました。

おもしろいアイデアが浮かんだら、それだけじゃ足りない。必要な人と人を結びつける役割の人の重要さを『注文をまちがえる料理店』で知りました。

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『QOLって何だろう』|命の質を自分で決める、そのために

こんにちは。あさよるです。あさよるはここ数年、断捨離・片づけに励んでいるのですが、「QOL」という言葉を知ってから、片づけがひとつ進むたびに「QOLが向上した!」と悦に浸るようになりました。あさよるにとっての「QOL」は、生活のクオリティー、気分よく、機嫌よく毎日を過ごすことでありました。

今回手に取った『QOLって何だろう』では、生活の質の話ではあるのですが、もっとシビアな「命」のお話です。生命倫理を一緒に考える内容です。

明快な答えが用意されているものではないので、読んだらモヤモヤとしてしまう読書になるかもしれません。だけどそのモヤモヤと向き合って生きることが、QOLを考えることにつながるんだと思います。

「幸せ」ってなんだろう

本書『QOLって何だろう』は、「幸せ」とはなんだろうかと考え込んでしまうものです。現代日本では、高度な医療に誰もがかかることができ、「人生100年時代」なんて言われるくらい長寿が叶っています。ヒトにとって、医療にかかれる、長生きができるとは、これ以上のない幸せが到来している時代だと言えるでしょう。

そこでわたしたしは「どう生きるのか」「幸せに生きるとは」と新たな課題に直面しています。本書『QOLって何だろう』は10代の若い方たち向けに、医療現場で直面する「命」や「幸せ」「意思」を問いかけるものです。若い世代ほど「老い」や「病」がまだ遠いものである方も多いでしょうから、なおさら大切な問いかけです。

「QOL」とは

「QOL」とは「Quality of Life」の略です。。

 Quality of Lifeは、その「よさ(質)」を問います。
「生命の質」と言えば、生きることの意味や価値が問われ、人間の生命の尊厳や、苦痛のない「いのちの状態」が問題となります。
「生活の質」と表現すれば、病気を抱えながらも、できるだけ普段通りの生活を送れることや、自立して生きられること(これは人間の幸福感の源です)を目指そうとし、「人生の質」と言えば、その人の「生きがい」、自分らしく生き切ること、自分の人生観に沿った生き方が実現できるかが注目されます。
つきつめれば、QOLは、そのいのちを生きる本人にとっての「幸福」や「満足」を意味しているのです。

p.9-10

「病気をしても、いつも通りに生活したい」「自分らしく生きたい」と願い、幸せに生きられる「質」の向上が求められています。「畳の上で死にたい」とか「最後は自宅で」と願う人は多いですし、延命治療をどこまで受け入れるのか、どこでやめるのかは、本人にも、また家族にとっても重大な決断になります。

同時に、医師や看護師、介護士らにとっても、クライアントのQOLは重大です。患者の願いを優先するのか、医療を施すべきなのか、悩みが生まれています。

医療の進歩が「QOL」をもたらした

かつて伝染病が蔓延し、たくさんの人々が死んでいった時代、個人のQOLよりも、患者の治療や隔離が重大でした。ことによってはパンデミックを引き起こし、国の存亡にまで関わることだからです。また、医療が十分に発達していなかった時代には、治療を受けることがリスクになることもありました。例えば麻酔がなかった時代や、抗生物質が発見される前の時代は、治療を受けない人もたくさんいました。

QOLは医療が十分に発達したことで、直ちに治療、隔離しなければ他の人の命にかかわるような環境から社会が脱したことによります。医療の進歩が、QOLの概念をもたらしたのです。

医療の進歩が「QOL」を難しくした

同時に、医療の進歩がQOLの判断を難しくしました。余命宣告をされ、手術により延命できるとき、それを受け入れるのか。認知症高齢者は、入院によって体力が落ち、寝たきりになることがあります。治療とにって食事が困難になるならば「おいしいものを食べたい」という欲求の、どちらを優先すべきなのか。

どれも答えのない問いです。本書ではたくさんの実例が紹介されています。

アメリカで起こった「リナーレス事件」では、生後7か月の子どもが風船を誤飲する事故を起こし、一命はとりとめますが、脳を損傷し自発呼吸ができず、意識も回復しないと告げれました。人工呼吸器につながれた息子を前に、父親は「息子の魂を自由にしてほしい」と人工呼吸器を外すよう頼みますが、医師は断ります。当時の考えでは、人工呼吸器を外すことは「殺人」に当たると考えられていたためです。8カ月ものあいだ父親は苦悩し、ある日ある決断をします。銃で医療者を脅し、誰も病室に近寄れないようにして、父親自らが人工呼吸器を外したのです。そして我が子を抱き、命が失われるのを確認してから、泣きながら自首をしました。

当時「延命治療がもたらした悲劇」として話題になったそうです。

本書ではこう考察されています。

 おそらく、彼は、息子のいのちが「生かされている」状況を見て、延命による生とQOLとのギャップを感じていたのではないでしょうか。それは、このような状態で生き続ける息子の「生命の質」は低いという、QOLの判断です。
その判断をもう少し抽象的にすれば、確かに生命は尊いけれど(息子の生命は自分にとってかけがえのないものだけれど)、その生命の状態によっては、生きるに値しない生命もあるということになります。

p.114-115

本来ならば、何が幸せで、何が活きるに値するかのQOLは、本人の意思によって決められるべきです。他の人が見て「あの人はQOLが低い」「あれは生きるに値しない」と決めることではありません。親であっても、我が子の命の判断をしても良いのでしょうか。

植物状態で意識もないと考えられていた人が、肉体が一切反応もなく動かないだけで、全くクリアに意識があった事例が話題になりました。その後、植物状態だと考えられていた人を検査しなおすと、同じような人がたくさん見つかったそうです。動かない肉体の中に、意識が閉じ込められた状態だったというわけ。タブレットを使って意思の疎通が取れるようになった人の話では、医師と家族とのやりとりなど、鮮明に覚えており、ずっと意識がハッキリとしていたといいます。

意識のない人や、QOLの判断ができない状態の人のQOLを、誰が決めるのかについて「生命倫理学」では統一見解がないそうです。

本人のQOL、家族のQOL

認知症で徘徊のある高齢者が骨折をしたとき、家族は「寝たきりのままでいい」と判断することも少なくないそうです。病気や怪我の本人のQOLのみならず、その人を介護する家族のQOLも絡んできます。

本書では羽田圭介さんの小説『スクラップ・アンド・ビルド』のエピソードが紹介されます。主人公は祖父が「自然死」を望んでいることから、祖父の身の回りの世話をなにもかも勝手出ます。祖父を「なにもしなくていい」状態に置き、体力を低下させ、判断力を失わせ、自然と死に導入させられると考えたからです。一方で、主人公の母は「皿は流しに持っていきなさい」「自分でなんでもやらなきゃ寝たきりになってしまうから」と、祖父に厳しく当たります。母には母の思いがあります。

祖父は自分のことを「早う死んだらよか」と言っていたのに、ある時お風呂場でバランスを崩し、主人公に助けられ「死ぬとこだった」と安堵します。その言葉を聞いて主人公はめまいを感じます。「早く死にたい」と望んでいた祖父が「死ぬとこだった」と言うからです。どちらが祖父の本音なのでしょうか? ……たぶんどちらも祖父の本音でしょう。

スクラップ・アンド・ビルド

また、家族も「自宅で自然死してほしい」と願っていても、同時に「少しでも長く生きてほしい」と願ってもいます。自宅で死を迎える準備をしていたのに、いざ親や配偶者が目の前で発作を起こすと救急車を呼んでしまう人も少なくないそうです。そして、「もう一回話がしたい」と、「もう一回」を望むのです。

若い世代には馴染みのない話題をやさしく

本書『QOLって何だろう』は、ちくまプリマ―新書で、10代の人でも読めるように構成されています。副題に「医療ケアの生命倫理」と謳われていますが、若い人ほどまだ「病気」や「老い」に縁遠い人も多いでしょうから、多くの事例や例を挙げて紹介されています。

2016年の相模原障害者施設殺傷事件では、事件が海外でも報道されました。

 私はこの事件について新聞の取材を受けた際に、記者の方といろいろとお話したのですが、そのとき、つくづく感じたのは、この事件に対する、海外の反響と日本のそれとの大きな違いでした。
欧米では、優生思想に対して、世論がとても敏感に反応します。今回の事件でも、米国ホワイトハウスやローマ教皇は、すぐに声明を出しました。
ローマ教皇・フランシスコは、同日、事件で人命が失われたことに「悲嘆」を表明し、「困難なときにおける癒し」を祈り、日本における和解と平和を祈願していました。ホワイトハウスでも、プライス報道官は「相模原で起きた憎むべき攻撃で愛する人を殺害されたご家族に、米国は最も深い哀悼の意を表する」という声明を発表しました。
しかし、日本では、障害者がターゲットにされた事件だということに対して、国民の当事者意識が低いように感じられます。精神的に問題のある一人の男性が起こした凶悪事件という認識にとどまり、彼に「障害者はいなくなればいい」と言わしめてしまった社会のあり方や、いのちの尊厳について、根本から問い直すという問題意識が、希薄なのではないかと思えてなりませんでした。

p.16-17

日本は高齢社会ですから、これからますます「どう生きるか」「どう死ぬか」「幸せとはなにか」に社会は直面するでしょう。にもかかわらず、一般にはまだQOLの考え方は広まりきっていないですし、「命は誰が決めるのか」と議論する土壌すらまだないのかもしれません。

本書は、若い世代へ向けた生命倫理について問いかけるもので、明確な「答え」は存在しません。本人の意思だけでなく、苦悩する家族や医療者にも共感してしまい、答えが見つけられない人も多いでしょう。

幸せは自分で決める

あさよるは昔、路上で気分が悪くなって救急搬送されたことがあります(;’∀’)> その時に始めて「救急車の乗り心地は悪いんだなあ」と知り、カーテンで仕切られた処置室の天井を眺めながら「ここで死ぬのは嫌だなあ」としみじみ思いました。「最期のときは自宅で」と望む人がたくさんいる理由を痛感したのでした(ちなみに、今はもう元気っす)。

誰も病気になりたくないし、怪我や事故に遭いたくはない。叶うならどうか、静かに自宅で家族と一緒に居たいと願うのはおかしなことではありません。だけど、病や事故は突然やってくるもので、願いが叶わない人もいます。

今回、記事中ではかなりギリギリな例を挙げましたが、誰もがいつか最期の瞬間を迎えます。その時自分は「どう生きるのか」「どう死ぬのか」「何が幸せなのか」と考えることは、悪いことではないでしょう。

しかし、自分で選択するとはつまり、責任は自分が持つということでもあります。これまでのように「医師にお任せ」ではなく、自分の意識を持つことが迫られているとも言えます。自分の命の行く末を家族に決めさせるのも、それはそれで酷な話だろうと思います。やっぱり、自分でよく考えて、自分でよく調べて、家族に話しておくべきことじゃないかと思いました。本書はその助けとなる、最初の一冊になるでしょう。

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『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』|あなたのマニアがどこかにいる

 

こんにちは。あさよるです。光文社新書は、思わず手に取ってしまう煽りタイトルの本が多いですね。目を引き手に取らすという点では秀逸とも言えますが、タイトルと中身が違っていることも多いので、あまり期待をせずにページをめくり始めます(苦笑)。今回手に取った『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』というタイトル。もう、煽りまくっていて「はいはい、いつものやつね~」と読みはじめたのですが、話が二転三転して、予想外の結末に着地して、驚きました。

なにをテーマとしているのかわかりにくかったのですが、あさよるなりにまとめてみました。冒頭で「美人論&ブス論」は「どんな顔の人が書いているか」で印象が変わるという話から始まり、最終章では著者の容姿についての話で終わります。なるほど、著者の「顔」を知らずに読みはじめたときと、「顔」の理由について知った後では、本書の意味がまるで変っているのです。

「美のヒエラルキー」が支配する美の格差社会

本書では、この世は「見た目」が大事な美のヒエラルキーが存在する美の各社社会であるとの前提で話が進んでゆきます。書店では「美人論&ブス論」の本が溢れ、また「見た目」本が持て囃されます。大ヒットした『人は見た目が9割』が代表ですね。しかし、これらの「見た目」本は、容姿が「悪くない」人に向けた本であり、そもそも容姿が優れない人は対象外だと指摘します。

本書では、著者の山中登志子さんは、自らを「外見オンチ」と称しておられます。ここでいう「外見オンチ」とは「天然美人以外」みんなです。山中登志子さんは、10代の頃「脳下垂体腫瘍」という病気を患い、「病気で顔が変わった」という経歴を持っています。「脳下垂体腫瘍」とは、脳の脳下垂体から成長ホルモンが過剰に分泌され、体が過剰に成長し「先端巨大症」とも呼ばれる病気です。山中さんの場合は思春期の頃に発病し、顔や手足が成長し「外見オンチ」になったとの経緯を、本書の最終章にて紹介されています。

元はかわいらしい姿だった著者が病気により「顔が変わってしまった」のち、美の格差社会の中で、編集者として各所で取材を続けてこられたのが、本書です。

「天然ブスが人工美人になる」ことは想定されている

本書では「天然ブスと人工美人のどっちがいい?」という質問を著者が男性に問いかけた結果が紹介されていました。多くの男性は回答を濁し、「好きになった人の顔が好き」という模範解答をする人もいました。中には「人工美人が好き」と答える人もいました。この質問の興味深いことは、「天然ブスがいい」と答えた人はいなかったという結果です。

「人工美人」についても言及されています。人工美人……すなわち美容整形手術で人工的に美人になった人のことです。美の格差社会の中では、美人は持て囃されますが、人工美人には後ろ指をさされるのが現状です。「ブス論&美人論」の本を書いている作家の中に、美容整形手術を受けたことを公開した上で、他人の美醜について言及してる人もいますが、稀な例です。

ふしぎなことに、整形疑惑が絶えない芸能人たちは、整形についてカミングアウトしません。例外として、飯島愛さんが現役時代に整形を発表したくらいだと本書では指摘されていました。他に、プチ整形と言われる、ボトックスやシワやシミ取りを公表するくらいです。それくらいに、「美容整形」は広まっているといえど、未だに「公言しない」ことなのでしょう。

可愛い人が「外見オンチ」になった

美の各社社会では、「外見オンチ」から人工的に美人になることは想定されています。あるいは、「美人でない」ということに奮起して、外見を磨く人もいます。しかし、元々が可愛らしい人が、「外見オンチ」になったという例は想定されていません。まさに、かわいらしい容姿だった著者の山中さんが、病気によって顔が変わり、「外見オンチ」になったことは、想定外。

だから、病気のことを隠していると、男性からは恋愛対象外で、低ランクの女性として接せられ、アケスケに男性同士の下ネタにも参加できることもあるそうです。しかし、病気について明らかにすると、相手は困った様子を見せます。「外見オンチ」の理由が、病気によるものだと分かると、どう反応して良いのかわからないのです。

「外見オンチ」の恋愛、セックス、人生観

本書『天然ブスと人工美人どちらを選びますか?』では、人はどんな顔の人の発言かによって、発言内容の受け止め方が変わる、という話から始まります。巷にあふれる「美人論&ブス論」の本を手に取れば、著者の顔写真を検索し、「この人なら語る“資格”がある」と品定めしていると、著者は言います。

本書も、著者の山中登志子さんの病気については伏せ、著者が自らを「外見オンチ」だと自称していて、執拗に人の容姿についてこだわっているようにページは進んでゆきます。そして最終章にて、著者の「顔が変わった」理由についてネタばらしばなされ「ああ、この人ならこの本を書く“資格”がある」と納得させる構成なのでしょう。最後まで読むと、著者の立場が分かるので、本書に書かれている内容が、また違った意味で読めてしまうからオソロシイのです。

本書では病気で顔が変わってしまった著者による、恋愛やセックス、結婚や人生観も盛り込んで、話が展開してゆきます。バブル真っただ中に付き合っていた彼氏には「1千万円あげるから整形手術をしていいよ」と言われたと回想しています。「ヒューマニズムでセックスさせるな」と言われたこともあるそうです。インターネットが普及してからは、いわゆる「出会い系」で出会った人たちとのエピソードも盛り込まれています。

自分の「顔」が好きか、嫌いか

本書の最後で、山中登志子さんは

自分のからだも顔も、好きとはいえない。でも、嫌いでもない。微妙だ。でも、もっと好きなりたいと思っている。まだまだこの「変わった顔」から課題をもらっている。(p.245)

と結んでおられます。山中さんの場合、編集者という職業柄「人と違う」ことで、自分の存在を覚えてもらいやすいとも書いておられます。

この「自分のからだも顔も、好きとはいえない。でも、嫌いでもない。微妙だ。」というのは、多くの方が共感する言葉でもあるのではないかと思いました。「美の各社社会」とはよく言ったもので、誰もが自分の容姿について、なんらかを感じて生きているのではないでしょうか。

そういえば あさよるも昔、自分の容姿にコンプレックスがあって、他人と真正面から目を合わせられなかったことがありました。恥ずかしくて俯いてしまったり、顔を手で隠してしまったり、今もクセでやってしまいます。他人から容姿について特に指摘された記憶はありませんが、ちゃんと「美人じゃない」と空気を読んでいたのです……。コンプレックスについて、真っすぐ見つめてこなかったから、自分を振り返りつつ、コンプレックスから周りの人に勘違いをさせるような言動をしていたなあと思いました。

本書では、自分の容姿にコンプレックスがあっても、人間には「フェチ」があり、「どこかにあなたのマニアがいる」というのが印象的です。

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『宝くじで1億円当たった人の末路』|満員電車の入り口で動かないヤツ

『宝くじで1億円当たった人の末路』挿絵イラスト

こんにちは。宝くじに当たりたい人生だった。今、デジカメ欲しいんですよ、そのために当たった宝くじ券が欲しいです。3等でいいです! と、ヤラシイ話をしている あさよるさんは『宝くじで1億円当たった人の末路』という本を見つけ「酸っぱいブドウ」よろしくプケラしてやろうと腹黒く手に取ったのでありました(^^)v

(追記・2018/5/13)

本書が「○○な人の末路」というタイトルでテレビドラマ化されてるらしいっ!? 主演はKis-My-Ft2! 「まるまるな人の末路」略して「まる末」だそうです。

公式サイトもありました

全然チェックしてませんでした……見よう(`・ω・´)b

放送開始日時は以下。

YTV(読売テレビ):4/29(日)スタート 毎週日曜 26:32~
SDT(静岡第一テレビ):5/5(土)スタート 毎週土曜 25:55~
MMT(ミヤギテレビ):5/7(月)スタート 毎週月曜 24:59~
FBS(福岡放送):5/10(木)スタート 毎週木曜 26:10~
CTV(中京テレビ):5/9(水)スタート 毎週水曜 25:43~
KTK(テレビ金沢):5/16(水)スタート 毎週水曜 24:59~
RAB(青森放送):5/12(土)スタート 毎週土曜 25:25~

あの人は今!

本書『宝くじで1億円当たった人の末路』は、巷で話題になった人やブームがどうなったのか、あるいは社会現象はこの先どうなるのかという予想を、各方面の専門家から話を伺う内容です。たくさんの事例が紹介されているのですが、ここでは、あさよる的に印象に残った話をちょろっとだけ。

宝くじで1億円当たった人の末路

まず表題の「宝くじで1億円当たった人の末路」です。宝くじで高額当選すると銀行から『【その日】から読む本』という冊子が渡されると聞いたことがあります。宝くじ当選により、日常を失い、家族や親族とトラブルになることが多く、宝くじ高額当選者の末路は大変です。

「いや、自分はダイジョブ」と思っているソコのアナタ。はい、あさよるです。そうはいかないそうなのです。突然大金が手に入ると「自分へのご褒美」と「ちょっとくらい」と、これまでと違った金遣いを始め、1000円ランチで渋っていたアナタが、3000円のランチを食べるようになると、周りの人たちも「異変」に気づきます。「当たった」ことを隠し通すことが難しいのです。

宝くじが高額当選したときは、信用できるファイナンシャルプランナーを見つけ、堅実なお金の使い道を一緒に考えてもらいましょう。

あと「宝くじ」は「ギャンブル」であることをお忘れなきよう。

キラキラネームの人の末路

キラキラネームというのは、親から子に「変な名前」が命名される現象のこと。キラキラネームをつけるのは、アウトローなDQN層だと思いきや、意外にも「中流の」「普通の」夫婦なんだそうです。自分たちが平凡だからこそ、子どもに奇抜な名前をつけて「個性的」に振る舞いたいという願望があるそうです。

しかし、どんなに我が子に突飛な名前をつけたところで、自身が「凡人」ですから、子どもにも「没個性」的に生きるように育てます。子も普通に生きようとしますが、キラキラネームで目立ってしまいます。「目立ちたくない」のに「目立ってしまう」というネジレから、いじめのターゲットにされることも。また、目立ってしまうせいで事件や事故のトラブルにも遭遇しがちで、企業からも採用が見送られている様子です。

間違っても、キラキラネームをつけられた子どもが悪いわけではありません。子どもに自分の願望を反映させてしまう親は、虐待に至る場合もあるそうです。

「友達ゼロ」の人の末路

「友だちがいない」というと、哀れで寂しい人生を想像する人もいるかもしれません。非常時には「絆」が大切だと言いますし、友達がいないとリスクが高いのでしょうか。本書では、意外にも「友達ゼロ」には楽観的な見方です。どうせ、非常時に上辺の「友達」は助けてくれませんw 多くの人にとっての「友達」は、群れを作り、目立たず生きるためのものだからです。

それよりも、孤独を楽しみ、孤独の中で「真の友」を探す方がずっといい。

賃貸派の末路

仁義なき「持ち家派」vs「賃貸派」の争いについて。サラリーマンで大きな借金を背負って持ち家を購入するのはリスクしかなく危険です。頭金に貯めた1000万にさらに3000万円借金をして「投資に使う」と言っても家族から「待った」がかかるでしょう。なのに、「家を買う」となるとスンナリ出しちゃう。かなり無理な計画なことを自覚されたし。

ということで、賃貸派の方が手堅く老後を迎えられる可能性が高い。

バックパッカーの末路

バックパッカーに憧れる人もいれば、「自分探し」を揶揄しバカにする人もいます。実際にバックパッカーを経験し、日本に帰国し起業した方へのインタビューでは、「バックパッカー、いいね!」と素直に思えました。

バックパッカーをしていると、世界中で同じくバックパッカーたちと出会います。日本人バックパッカーもたくさんいるそうです。最初は世界中の観光地や世界遺産を見て歩き、次から次へと移動するそうですが、あるときに現地に溶け込んでそこに留まる人もいれば、病気や薬にハマちゃう人もいるそうです。

そんな中、インタビューに応える大塚さんは、旅の出会いの中で「日本に帰って働こう」とストンと思ったそうです。

学歴ロンダリングの末路

自分の学歴を見栄えの良いものにしようと、海外留学し見事失敗してゆく「よくある事例」が紹介されていました。簡単に言えば、not英語ネイティブが、アメリカの有名大学に入学することは稀で、大概は語学を学んでから専門学校や短大くらいの学歴を得て日本に帰ってきても、それじゃ学歴ロンダリングになっていないというもの。

大金はたいて留学して、帰国しても就職先が決まらず呆然とする親子がいるそうです。

また、アメリカの大学では高校時代の成績が重視されるそうで、高校時代に勉強をサボった人は、そもそも学歴ロンダリングに向いていません。また、現地で日本人ばかり集まる寮に入り、日本語で生活して留学の趣旨を見失う人も多いとか。留学の際は、しっかりと計画を立てましょう。

電車で「中ほど」まで進まない人の末路

これ、一番面白かったお話。満員電車で「中ほどまでお進みください」と再三アナウンスされるのに、入口のとこでボーっと立ってるやつ。もちろん、すぐ降りるならわかるよ。しかし、終点間際まで乗車するのに、入口に陣取ってるやつ!

本書では彼らを3つのタイプに分類します。

①「気を利かせるための回路」が脳にできていない
②「ビジュアルフィールド」が狭い
③「他人に働きかけるコミュニケーション能力」が弱い

①は「そこに居ると邪魔」と全く気付いていないタイプ。これは彼を責めるよりも、育った環境に原因を求めましょう。大人になってから彼らを教育するのは会社の上司しかいません。彼らは業務面でも苦労が多そう。

②の「ビジュアルフィールド」とは「視野」のこと。物理的に「周りが見えてない」状態です。視力に問題がないのであれば、視野が狭まる原因は「過労」。彼らを休ませねばなりません。

③は邪魔だと気付いているけれども、人をかき分けて奥へ進む能力がない人。これはこれで大問題です。コミュニケーション能力が低いので、生きるのも大変でしょう。こちらも、大人になれば上司が褒めながら、コミュニケーションの方法を教えるしかありません。

面白いネタの話かと思いきや、結構ヘビーな内容をはらんでいたのがこの話題でした。

『宝くじで1億円当たった人の末路』挿絵イラスト

自分の人生、自分の意志で生きろ

本書のテーマはあとがきで示されます。

本書には、「人生で様々な選択をした人の末路を探る」とは別に、もう一つ、裏のテーマがあります。それは、社会や世間にうまく同調できずに悩んでいる方へのエールです。

(中略)

ここまで読んでくださった方なら、どんな同調圧力に自分を合わせることがいかにナンセンスか、お分かりいただけたはずです。会社生活も私生活も、自分がそれを望むなら、堂々と“人と違うこと”をやればいいんです。

p.347-348

没個性な自分が嫌なら、自分の生き方を変えればいいのです。子どもにキラキラネームをつける必要はありません。みんなが持ち家派でも、自分は一生賃貸でもいいし、バックパッカーやって起業してもいいんです。自分の思うように生きればいい。そのときに、お金の計算をしっかりして、専門家に相談したり、自分の「責任」で自分の人生を選べばよいのです。

ここでは紹介しませんでしたが、自分のこだわりや思い入れをもって仕事をしている人たちもたくさん紹介されています。

電車の入り口にボケッと立っていずに、自分の頭で考えて、自分の意志で行動しましょう。

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『もっと簡単に暮らせ』|人生を自分で選ぶコツ

こんにちは。早くAIが服を畳んで引き出しに収納してくれる時代が来てほしい あさよるです。気の利いた音楽なんて再生してくれなくていい、部屋を片付けてくれないか……。と、そんな話題と関係あるようなないような『もっと簡単に暮らせ』を読みました。

この本では、今現在現実問題として服を畳まなければならない我々が、暮らしやすく暮らすための極意が収められたものであります。著者のちゃくまさんはブロガーの方で、そちらも熟読いたしましょう。

毎日の、コツ

本書『もっと簡単に暮らせ』は、著者・ちゃくまさんによる暮らしのコツ、考え方のコツが86つまった書籍です。ちゃくまさんはブロガーの方で、日々ブログで暮らしに役立つ記事を投稿なさっています。で、どうやら本書は続編のようで『簡単に暮らせ』という本が先に出版されています。順番に読めばよかった(;’∀’)

また、ちゃくまさんご自身が40代女性で、夫と大学生の息子さんがいらっしゃるそうで、同じ年代の方や、子育てがそろそろ終わる方がより共感できるんじゃないかと思います。

簡単に暮らせ

簡単に暮らせ

  • 作者:ちゃくま
  • 出版社:大和書房
  • 発売日: 2016-06-22

人の目、気にするのやめない?

本書では生活全般、家事、日用品、家計、買い物、生き方、着るもの、片づけを、シンプルにするためのコツが紹介されています。しかし、よくよく読んでいると、これらって「他人との付き合い方」に尽きるんじゃないのかな?と気づきました。

たとえば、家計の話では「見栄を張るのをやめる」「つきあいをやめる」と言及されているし、「あの人がああ言うから」「義母にこう思われるのではないか」などなど、自分以外の人間を判断基準にしちゃっていたら、そりゃ片付くものも片付かないし、お金もどんどん出てっちゃうわなぁ、と。

ちゃくまさんのブログでも、人間関係について言及なさっているエントリーも充実していて、こっちも読みふけっていました。

そういえば、先日読んだ勝間和代さんの『勝間流ロジカル家事』は、トコトン勝間さんのガシェットオタクぶりが追及されている本で面白かったのですが、勝間さんの本には「他人の目」が一切入っていなかったんです。「こんなことしたらあの人はなんて思うだろう」とか「他人に自慢したい」とか、雑念が一切ないんですよねw 清々しい!勝間さんに憧れる女性がいるのもワカルワーとオモタ。

他人の目、気にするべきシチュエーションもありますよ。でも、どうでもいいコトも多い。この、どうでもいい場面で、他人の目を気にして自分の行動を決めるの、やめる……。

自分で選び取ろうよ

不必要に他人の目を気にして、他人の価値観に合わせた行動をやめると、どうなるでしょうか。……自分で考えて、自分で選んで、自分で決断するってことです。それって……上手に出来る人はいいけれども、苦手な人だっているハズです。集団行動が身についている人は、独自路線に進むのは勇気がいるのでは?

本書『もっと簡単に暮らせ』の生活の知恵って、この「他人の価値基準じゃない」「自分で選ぶ」ための手順なのではないでしょうか。

あさよるは、一つ目の項目「バッグに入れる小物は明るい色にする」ですでに「おおお~」と超納得&関心しきり。持ち物を明るい色にしちゃうと、暗いカバンの中で物が探しやすくなるんです。たしかに! んで、あさよるも小物って「自分のセンスの見せどころ」とばかりに「他人の目を気にして」「他人が羨ましがるような」持ち物を選んでいたかも! あさよるも「自分の基準で選ぶ」をやり直します(;’∀’)>

暮らしやすいように暮らす

何やら抽象的な話になってしまいましたが、本書『もっと簡単に暮らせ』は簡単な内容です。「自分の暮らしやすいように暮らす」、以上。おわり。すんごいシンプル。

なのに、簡単なのに、そうそう簡単にできない。どうしていいかわからなかったり、もう諦めている人も多いはず。あるいは感覚がマヒして、不便や不快を認識しなくなってたりして……。

暮らしやすいように暮らしましょう。たぶんそれが「幸せ」に関連する事柄だろうし、きっと「豊かさ」とはそういうことなのだろうと思います。物質的にはすでに恵まれているんですから、あとは「どう生きるか」なのかもしれません。

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『ヒルビリー・エレジー』|チャンスの掴み方を忘れてしまった人々

こんにちは。おすすめ本はなるべく読むあさよるです。本書『ヒルビリー・エレジー』もトランプ大統領の話題と一緒にゲット! アメリカでは今なにが起こっているのか?どんな人がトランプ氏を支持したの? と、考えの手助けに。著者自身が、ケンタッキー州の廃れた元工業地帯で生まれ育ち、秩序崩壊している環境での経験を詳しく綴っています。「格差」とは、どういうことなのか考えるにも、ぜひ。

取り残された白人の労働者階級

本書『ヒルビリー・エレジー』の〈ヒルビリー〉とは、「田舎者」を馬鹿にしたようなニュアンスの言葉だそうです。エレジーは「哀歌」。「田舎者の哀歌」。現在アメリカの田舎に取り残された白人たちは、かつてない格差と貧困に陥っており、著者J.D.ヴァンスさんもヒルビリーの白人家庭に生まれました。

本書が注目されているのは、そう、2016年にドナルド・トランプ大統領の出現によってです。Amazonの商品説明ではこのような紹介がなされていました。

◎アメリカ人が、もうひとつのアメリカを知るためにこぞって読んでいる一冊
◎トランプ支持者、分断されたアメリカの現状を理解するのに、最適の書。
◎タイム誌「トランプの勝利を理解するための6冊」の1冊に選定。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち | J.D.ヴァンス, 関根 光宏, 山田 文 |本 | 通販 | Amazon

アメリカでも、アメリカ国内で何が起こっているのか知りたい人がいるってこと?

トランプ大統領就任時、日本でもメディアで取りざたされましたが、アメリカ国内の格差が広がり、トランプ大統領は田舎の労働者階級に支持されたと見聞きされました。かつて工業地帯として栄えた田舎町。今は廃れて、貧しい人々が暮らします。ここで取り上げられているのは「アメリカの反映から取り残された白人たち」。ヒルビリーの白人たちは、富裕層の白人や、黒人、黄色人種たちよりも、未来に希望を描けない状況に陥っています。

アメリカンドリームがなくなったアメリカ

本書では「アメリカンドリーム」はアメリカよりも、現在はヨーロッパにあると語られています。

ヒルビリーで生まれた著者・J.D.ヴァンスさんは、父親違いの兄弟がたくさんおり、母親は職に就いても長く続かず、彼氏に依存しトラブルばかり繰り返します。ことあるごとに母親から虐待を受け、命からがら祖父母に頼って生きています。頼もしいお祖母さんではありますが、彼女も揉め事を“力”によって解決し、法秩序から逸脱しています。親子や恋人に依存し、薬物に依存し、お金は目先のものに使い切り、困ったことが起ると自分以外のモノのせいだと考え、悪びれず不正を働きます。労働時間は短いにも関わらず「自分たちは働き者だ」と信じています。これは著者の特別な経験ではなく、ヒルビリーの平均的な「普通」の家族の形。

こうやって要素だけ抜き出してみると、秩序が崩壊しているのがわかります。ヒルビリーの閉ざされた世界に生まれ育つと、自分の知っている世界が全てだと思い、ヒルビリーの価値観のみが行動規範になります。ヒルビリーの世界では、勉強をし良い成績を修めることよりも、男らしく喧嘩で勝てるほうがずっと価値があります。

ヒルビリーにもチャンスは平等にあるはずなのに、「チャンスに手を伸ばす」という観念が抜け落ちているようです。アメリカンドリームも今でも用意されているのかもしれませんが、そもそも「望まない」人にチャンスはありません。アメリカは「ドリーム」を失ったのでしょうか。

貧困の中にいると、貧困の思考しかできない

貧困から抜け出したいなら、勉強をして大学へ進む道があります。しかし、子どもたちを大学へ進学させることが何を意味するのかイメージできない。実際には、大学に通う方が学費が安上がりなのに、地元のカレッジに通う方がいいと思い込んでしまう。子どもたちに初めからチャンスがありません。

家族が不正を働いても、それをみんなで隠蔽することが正解であり思いやりであると考えてしまう。そもそもの問題を取り除こうという発想がなく、恋人や薬物に依存してしまっても、周りはその場しのぎの対応をするばかりです。それが「普通」の環境ですから、良い状態が想像できなくなる。

教育の機会が奪われていますから、子どもたちも偏った世界観の中で育ってゆきます。著者も、考えが錯綜し、偏った思想に囚われたり、母からの虐待を容認することが愛情だと感じてしまう。お母さんだって、もっと適切な対応があったのかもしれないけれども、どんどん泥沼化してるし、それがヒルビリーの「普通」。

貧しいから欲しいものが買えなくて、給料日にドッと買い物をしてしまう。でも、本当はお金を使うのを控えて、貯蓄に回せば新しい生活が手に入るかもしれないのに。大きな画面のテレビや、iPadを買うよりも、もっと必要なものがあるんじゃないの? そんな発想がなくなってしまい、「貧しいのに贅沢な買い物ばかりしてしまう」という悪循環から抜け出せないのです。

〈なう〉を理解する一助に

「アメリカンドリームはなくなった」と紹介しましたが、それでもまだドリームは少なからずアメリカにあります。著者ご自身も、海兵隊に入隊したことから境遇が変化し、オハイオ州立大学を優秀な成績で卒業し、名門イェール大学に進み、現在はシリコンバレーで起業しエリートです。「手を伸ばせばチャンスが巡ってくる」環境が消滅したわけではないのです。

大事なのは「手を伸ばす」「求める」ということ。ヒルビリーの白人たちは「チャンスに手を伸ばすことを忘れてしまった」のかもしれません。そして、なんとなくスカッとする毒舌を吐いてくれるドナルド・トランプ氏は支持されたのです。「オバマが悪い」「イスラム教徒が悪い!」「メキシコに壁を作らせろ!」と〈自分以外の誰かが悪い〉と言ってくれると気持ちいいですからね。

んで、これって日本でも同じことが起こりつつあるのかもなぁとも感じました。格差が広がり、チャンスが巡ってこない人たちがいます。いや、たぶん、日本だって優秀な人には機会が与えられていますが「手を伸ばすことを忘れている」に陥ってないかなぁ?と。これは自分の思考や行動を省みて。

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『五つ星のお付き合い』|「いい人」になるたった一言

こんにちは。『五つ星のお付き合い』って、レストランでのマナー本なのかと思って手に取った あさよるです。読んでみると、コミュニケーション本でした。えーっと思いつつ、読み進めると、なんかコレ、いい本じゃないか~と楽しくなってしまう読書でした。

人と人とのコミュニケーションを円滑にするのは、たった一言の配慮や思いやりなんだなぁ!

一歩、近づくための一つの言葉

本書『五つ星のお付き合い』では、シチュエーション別の「人間関係が円滑になる方法」が紹介されています。たった一言や、たった一つの発言が、人との関係を変えてゆきます。相手を言い負かすでもなく、「ドヤァ」とええこと言うたる訳でもなく、相手を慮り、人間関係を円滑にするための言葉遣いです。

ついつい言葉がキツクなっちゃう人や、意地になって相手を言い負かしちゃったりとか、関係がこじれちゃう人、必読ですよ。はい、それ、あさよるなんですけどね(;´∀`)>

しなやかにサラリと、何気なく口にできれば素敵だろうなぁと思える言葉や気遣いばかりです。

使いかた間違うとヤバイ?

本書、読んでて異議なし!なんですが、ネガティブな点をひねり出して、強いて言えば……使うシチュエーションを誤ると、ややこしくなるのかな?ということ。

例えば、直接指摘したり訂正すると角が立っちゃう場合、他の人に代弁してもらいます。本書では〈ボイスチェンジ〉と紹介されていました。自分が話すと、相手の人が「攻撃された」「否定された」と感じてしまう場合、別の人に変わってもらうんです。が、代弁してもらう相手を間違えれば逆効果にもなるだろうし、そもそも自分の口から伝えてもいい相手かもしれない。見極めが大切ですね。

……って、この程度の「ややこしくなる要素」でして、全体として「ごもっとも」な内容です。

そう、ほんのちょっとの「気遣い」なんです

人間関係を円滑にするもの。それは心にもないおべんちゃらや、お世辞やプレゼント作戦ではない!まぁ、そういうやり方もあるんだろうけど。たった一言、ちょっとした気遣い。その素振りで、人との関係は変わってゆくのです。

例えば、プレゼンや人前で説明等をしたあと「ぼくのスピーチ、どうでしたか?」。この一言!どうしても自分のスピーチの出来は、客観視しにくいもの。他人に「どうでした?」と尋ねることで、なんらかかのリアクションを相手は返してくれます。褒めてくれても有り難いですし、欠点を指摘してくれても有難い。どう転んでも感謝しかない会話です。

話始めは、「エー」とゆっくり言ってもいいというのも、肩の荷が下りるよう。しっかりとお腹の底から声をゆっくりと出す。そして、ゆっくり落ち着いて話し始めます。焦って早口で話すと聞き取りにくいですから、「ゆったり」のための「エー」。心がけます。

初対面の人との対応も、役立ちます。とにかく「共通点」を見つけ出す!学生時代の部活とか、私生活とか、なんでもいいんです。一つでも共通点があれば、お互いに親しみを感じますよね。これは、自分が上手に話すんではなくって、相手の話を「聞くのが上手」である必要があります。相手の話題を聞き出しましょう。

「なにそれ教えて」も、聞き上手フレーズですね。知らないことを隠さずに、むしろ好奇心を持つ。こんなこと言われちゃったら、無口な人でも話してくれます。知ってるふりをやめるだけで、会話も弾むのです。

軽く読めるが、長いお付き合い

『五つ星のお付き合い』は22のお付き合いのコツが紹介されています。

本書を語るとき、まず装丁のこだわりに触れる必要があるでしょう。表紙の紙も高級感があり、タイトルの文字も箔押し!中のデザインも「五つ星」な雰囲気に統一されています。装丁が美しい本って良いですよね~。

そして、軽く読み進められる上に、長く読める内容であるところがgood。扱われている人との関係は普遍的なテーマですから、時間が経っても読むことができるものです。「人間関係を円滑にする」なんて壮大なテーマ、分厚い難しい本になっちゃうようなテーマです。それを最小にコンパクトに収めてあるのも良い所。

普段はあまり読書の習慣がない人も、本をたくさん読む人も、満足できる気遣いがなされていると感じました。

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『新・観光立国論』|世界のVIP・富裕層を「お客様」に

こんにちは。お・も・て・な・しという言葉を聞いてから、「そうか、おもてなしなのか」と英語の勉強を始めたり、実はコッソリやっている あさよるです。今、Airbnbというのも流行っているらしいし、あさよるも観光業なんてやるのかしらなんて考えております。ブログは、どこでも書けるしね。

日本が観光立国になるべき理由

まず、GDPは人口によって決まると定義がなされています。国内の人口が増えれば生産量も増え、人口が減れば生産量も減る。当然前と言われれば当然に思います。そして、現在日本の人口は減り始めている。GDPもこれから減少するでしょう(本書では「大幅に減るわけではない」と予想されています)。

GDPを維持するため、働き方を変えたり、女性の社会進出を押し進めようとの動きがあります。日本では既に若年層ほど男女同じように働いています。しかし、女性は所得が低いことが多く、そもそも女性している仕事を変えて、貢献度合いを高める必要があると提言されています。日本のGDP維持のために、女性の給与を上げ、仕事の中身を変えてゆく必要がありそうです。

生産性について著者のアトキンソンさんが鼎談なさっている記事がありました。

国内の生産性を上げる。そして、さらにやるべきことが「短期移民」。GDPの9%を外国人観光客から収入を得て、「観光立国」になるという方法が示されています。9%というのは、国連世界観光機関の報告に照らしています。

観光立国・4つの要素

「観光立国」には4つの条件が必要不可欠だと言われています。それは「気候」「自然」「文化」「食事」です。パッと見ても、この4条件すべてを日本は充たしていることがわかります。そう、日本は観光立国としてのポテンシャルを元々持っている。……なのに、イマイチ世界から観光客を呼べていない。

日本は北海道から沖縄まで地域によって気候が全く違います。日本は、スキーと海水浴を同時にできる国なんです。もちろん、そこでは多種多様な動物、植物、虫たちが生きています。我々にとって当たり前の環境ですが、これも観光資源なんですね。

また、観光にお金を使う富裕層はヨーロッパとオーストラリアに多く、彼らから見ると東洋の日本は興味ある対象のようです。また、日本は古い時代の伝統が残っている稀な国です。普通は、新しい権力者が現れると全時代ものは破壊されるのですが、日本では新しい社会でも古いものが生き残っているのです。日本の「歴史」とはハリボテの観光地ではなく、文化そのものが観光資源になりうるということですね。そして、外国人観光客が求めているのは、オタク文化だけでもないし、ショッピングだけでもないのです。

観光客と言っても目的やスタイルは様々です。観光バスに乗り込んで観光地をガーッと回る人もおれば、バックパッカーもいて、そして世界の富裕層が超リッチな観光をします。それぞれのニーズに応えることが大事であり、今の日本はそれは全くできていません。

「お・も・て・な・し」の現状

観光地に求めるもの・居住地に求めるもの

日本人の自国自慢は結構なことですが、それが「外国人観光客から見て」魅力的なのかを考えないといけません。

一般財団法人経済広報センターが「東京オリンピック・パラリンピックを契機とした観光立国に関する意識報告書」を公表しました。(中略)日本のどのようなところを世界にアピールしたいかを聞いたところ、「日本人のマナーや気配りのすばらしさ」が72%ともっとも高く、ついで「日本の食文化、おいしい食べ物」(68%)、「治安のよさ」(55%)、「洗練された日本のサービス」(50%)との回答が寄せられました。

p.81

「日本人のマナーや気配りのすばらしさ」「日本の食文化、おいしい食べ物」「治安のよさ」「洗練された日本のサービス」。これらの要素は、残念ながら外国人観光客へアピールには的外れです。本書では一つずつ丁寧に解説されています。

簡単に言っちゃうと、「日本人のマナーや気配りのすばらしさ」とは、「日本人以外はマナーが悪い、気配りがない」と宣言しちゃっているようなもの。外国人観光客の「お客様」にとっては気分が悪いし、それぞれの国のマナー、気配りがあるものです。日本だけが特別とは言えません。また、日本人同士のマナーや気配りは、外国人には伝わらないことがあります。「日本ローカルのマナー・気配り」と「世界のスタンダードなマナー・気配り」があるってことですね。

「日本の食文化、おいしい食べ物」というのも、これも〈日本人にとって〉おいしい物はたくさんありますが、食文化が全く違う外国人観光客にとって、どれくらいおいしく食べて貰えるのかは再考の必要があるべきです。また、箸を使う文化も悩ましいようで、「西洋人=箸を使えない」とスプーンを出すのも変ですし(日本人だって、ヨーロッパ旅行中レストランで「どうせフォークとナイフを使えないだろう」と先回りで何らかの対応をされると、ちょっとムッとするカモ)、だかと言って、はやり異文化の食事は食べにくい。お客様をどう「おもてなし」するのかという課題ですね。

「治安のよさ」、これも意外と観光の動機にはならない。確かに日本人も「日本は世界一治安がいい」なんて言いながら、治安の悪い外国へ海外旅行へ行きますからねw 治安は良いに越したことはないだろうけど、ン十万という旅費を払って体験したいののは、例えば「ピラミッドが見たい」とか、特別な経験なんですよね。「治安がいいから来てください」「ほら、自販機も道にいっぱい並んでるでしょ」って、それを見にわざわざ高い旅費を出してくる人は少数なのです。

「洗練された日本のサービス」も、先ほどのマナー・気配りに通じますね。あと、日本は外国人からみると決してサービスの良い国ではないそうです。「おもてなしは無料」というのは、チップを払わなくても良いサービスを受けられますよってアピールです。が、チップ文化の地域に住んでいる人からすれば、日本のチップなし文化はすごくサービスが悪く感じられるそうです。日本では予め〈チップ上乗せの価格〉を請求している。すなわち、チップの額を客が決めずにサービス提供者側が決めているんですよね。また、日本の「なんでも平等」「なんでも順番」の文化も、チップ文化とは相いれません。

日本の〈特別じゃないトコロ〉も知る

日本人が「日本らしさ」と感じていることも、意外とありふれていることもあります。例えば、日本人は外国の宗教も柔軟に受け入れるという主張も、実は世界でも珍しくありません。例えを一つ。アジアで生まれたキリスト教は、ヨーロッパへ広まり、ヨーロッパの文化と交じり合って存在しています。

日本の文化が良い/悪いの話ではなく、世界中に違った文化や歴史背景を持った人たちがいます。彼らにとって、日本へ行きたい、旅行がしたいって思ってもらわないと「観光立国」にはなれません。そのためには、日本の持っている素晴らしい特性も知る必要がありますが、同時に、世界の他の国と似ているところも知っておかないといけないんですね。

「世界の富裕層」にアピールせよ!

日本が観光立国になるために、一番難しそうに感じたのは、世界の富裕層を「お客様」として捉え、アピールすることです。これは「VIPは特別席に通す」とか「並ばなくてもサービスが受けられる」とか〈特別扱い〉をするってことです。

たぶん、商売人というのはプロフェッショナルですから、いざVIPを持て成すサービスがメジャーになればどんどん変わってゆくんじゃないかと思いました。で、肝心なのは、国や自治体、鉄道会社などのインフラを整備する側です。京都の観光地のアクセスは万全とは言えません。日本国内は広く大きく、新幹線で移動を重ねるには高額です。東京から東北へ、関西へ、出雲へと、あっちこっちへ移動してもらうには、莫大な金額になっちゃいますね。

また、ホテルも充実しているとは言えない。外国人観光客が宿泊しているホテルはビジネスホテルです。これまでホテルも国内のビジネスマンを対象にしていれば良かったのでしょうが、今後は富裕層を受け入れられるサービスを用意しないといけません。

「観光立国におれはなる!」って一人で決意してもどうしようもなくって、ほんとに国をあげて取り組まないといけないんだと思いました。そして現在はまだ、適切な共通認識を持っておらず、足並みも揃っていないのかなぁという感じ。

日本人も、日本のこと知ろうよ……

本書を読んでいて気になったのは、有名な観光地でさえも外国人に対して説明が不十分だという話。例えば、京都の二条城には案内板等がほぼなくって、なにがなんやら分からない史跡だそうです。世界遺産に登録されても、整備しないと伝わらないんです。

観光ガイドやパンフレットがあったとしても英語だけ、とか。それも日本語を直訳しただけの不案内なものだったり。「お客様」をおもてなしする感じではありませんね。

んで、日本人自身も、観光地へ出向いてもそこが何か分かっていないことが多々ありますw 先ほどの二条城、みなさんどんな場所かご存知でしょうか。現地でも、修学旅行生たちがせっせとスマホをのぞき込んで、二条城をググっているそうです。

どうやら、観光というのは、提供する側とお客様の側で、認識が大きく異なっているのではないかと思いました。あさよるは大阪府に住んでいますが、テレビや雑誌で取り上げられる「大阪」は、あさよるが見知っている大阪の街とは似ても似つかないものです。たまに大阪案内を頼まれることがありますが、リクエストされる先はあさよるも知らない、見たこともない「大阪」ばかり。「こっちの方が景色がきれいだよ」「おいしいものを食べたいならアッチへ行こうよ」と提案しても、「観光客が見たい大阪」ではなんでしょう。これも、ガイドラインというか、案内がきちんとなされていないから、すれ違っているのかなぁなんて思いました。

「観光立国」は、現在の観光地とは違ったスポットが注目されるでしょう。大混雑の海水浴場ではなく、静かで穏やかなビーチが。賑やかできらびやかな繁華街ではなく、なんにもない山の中が、外国人から見ると豊かなのかもしれません。

どこに資源があるのか分からない、むしど、どこもかしこも観光資源になりうるのかもなぁと思おうと、ちょっとワクワクしました。

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『言ってはいけない 残酷すぎる真実』|親の言うことをきかない子

「絶対内緒だよ」って頼まれるとソワソしてしまう あさよるです。こんにちは。『言ってはいけない』と言われると、言いたくなるのが人情です。

本書はAmazonランキングでちらほらっと見かけ、そのタイトルのインパクトからずっと気になっていました。しかし「怖い話なのかな?」と心配で読めずにいたのです。読んでみると……決して怖い内容ではありませんでしたw

過激なタイトル…だけど…

『言ってはいけない 残酷すぎる真実』とかなり意味深なタイトルの本書。目次を見ても〈努力は遺伝に勝てないのか〉〈反社会的な人間はどのように生まれるのか〉〈「見た目」で人生が決まる〉等々、「あえて触れない」話題が並び目を引きます。

あさよるも訝しみながら読んでいたのですが、過激な見出しのわりに、書かれているのは普通というか、〈巷で囁かれる定説〉の延長のような話ばかりでした。煽り文句は目を引きますが、中身は庶民的。

しかし、結論は巷の噂話とはちょっと違ったので、面白かったです。

ただし!本書内で根拠として実験データや統計等が引用されているのですが、正直どこまで信憑性があるのか、あさよるにはわかりませんでした。客観的根拠は乏しいのかな?というのが正直な感想です。

社会の中の〈暗黙の了解〉

巷で語られるが、大っぴらに話すとイラッとするお話。例えば「金持ちの子は頭がいい」とか「美人は得している」とか、「生れた場所で人生は決まっている」とか。

環境要因が人を作る?それとも遺伝的にもう決まっているの?

学力は遺伝するの?

なにをもって学力というのかにもよると思うんですが、本書では〈IQ〉の高さは遺伝することが紹介されていました。しかも、人種や民族によってIQの高さの傾向があるようです。ただ、一人一人を見るとIQが高い人もいれば低い人もいます。あくまで〈傾向〉の話です。

ただ、IQって生涯大きく変わらないと言われるものが、遺伝によって決定されていると知ると……アメリカでもパニックを起こした発表だったそうです。

貧富の差は遺伝するの?

金持ちの子は金持ちになり、経営者の子は経営者になる。そして貧しい家に生まれた子は、貧しい。これもまことしやかに語られる事柄ですね。

実際には、優秀な人は社会的に成功する場合が多く、その優秀さが子に引き継がれている。貧しい人はその逆です。

しかし、ここは単に親から子へ〈遺伝〉が起こっているというよりは、優秀な人は優秀なコミュニティに属し、その子らも優秀な人の集まりの中で育つことが理由なようです。

容姿の格差で収入が変わるの?

「美女は得する」という話はよく聞きますが、紛れもない事実のようです。しかし、容姿が生涯の収入に大きく影響するのはむしろ男性の方だそう。男性の場合、容姿に恵まれないと雇用されにくいらしい。

こんな話を聞くとすごく腹が立ちますが、容姿による収入格差は他ならぬ私達が生み出していることも忘れてはいけません……。社会の中で、整った容姿の人を選んでいるのは私達です。

ちなみに、ここでいう〈優れた容姿〉というのは、顔だちが整っているという意味。モデルや役者のような美麗な美男美女は別枠だそう。

ヒトの動物としての習性

本書では、社会の中にある不平等な格差がなぜ起こるのか、動物としての〈ヒト〉の習性の中に理由を見いだそうとしています。

どれだけ文明が進歩しようと、我々〈ヒト〉の肉体は原始人だった頃とさほど変わっていません。石器を持って生きるように出来ているのであって、偏差値の高い学校を目指したりスマホをイジルように設計されていないのです。

ですから、ヒトの行動をもっと単純に捉えてみようという試みが本書『言ってはいけない』で貫かれていることだと感じました。

親から子へ遺伝する性質

親から子へ遺伝する病気や体質、障害もあります。

アルコール中毒になりやすい人は、遺伝的にアルコールに強い人です。世間には大酒が飲める人、少しだけ飲める人、全く飲めない人がいます。アルコール中毒になるのは大酒が飲める人で、どんどんお酒を大量に飲んでいるうちに、依存症になってしまうということです。

糖尿病が遺伝するとか、ある精神病になりやすい人がいるとか、聞いたことがありますね。ちなみに、遺伝的に〈因子〉を持っていることと〈発病〉することは違います。

オスとメスの機能の違い

そもそも、動物としての〈ヒト〉には男性と女性という性があり、二つは別の特性を持っています。

ヒトは妊娠出産子育てに大きなコストがかかります。肉体的な負担は女性の方が大きいので、男性と女性の間で〈性〉への取り組みが違います。それは社会の中の〈人〉にも影響しています。

男女平等であることと、男性と女性の違いはどこまで考慮すべきなのでしょうか。

群れで生きる

ヒトは群れで生きる動物です。その習性は幼い子供のことから顕著に現れます。

幼い子は親や見知った大人以外には非常に警戒します。しかし、少し年上の子どもにはよく懐き、一緒んで遊んでもらうと喜んだりします。ちょっと年上のお兄さんお姉さんから、遊びや社会性を教わっているようです。

そして、親からの影響よりも、子ども同士の影響の方が遥かに大きかったりします。例えば、外国へ家族で移住すると、幼い子ほど現地の言葉に順応し、そして家族と話す母国語を忘れてしまうこともあるそうです。

子どもは親の影響よりも、同じ子どもから受ける影響の方が大きいのです。社会性を持ち、環境に順応し、群れで生きる〈ヒト〉の習性と言えるでしょう。

子どもは親のいうことを聞かない

「子どもは親のいうことを聞かない」これ、世界の真理ではないでしょうか(笑)。

親は我が子に「勉強をしなさい」「偏差値の高い学校へ進学しなさい」「大きな会社に勤めなさい」と、マジ心から願って促しているんだと思うんです。あさよるは親じゃないですが、大人になった今だったら、若い人に「勉強しても損はない」「高校受験は頑張れ」と言いますもんw

でもね、親の願いは空しく〈親の心子知らず〉。子どもは思った通りに育ちまへーん(笑)。

だって、先にも紹介した通り、子どもは親の影響よりも、子ども同士の影響の方が絶大なんですもん。もし「勉強なんかダサい」って雰囲気のあるコミュニティに属せば、その子は勉強をしないでしょう。

遺伝と育った環境が「わたし」をつくる

「わたし」とは、生まれ持った遺伝的要因が絡まりながら、自分の属すコミュニティが「わたし」を作ります。

大人から子への「〈躾〉や〈教育〉の影響力は乏しい」。これが「言ってはいけない」真実なのです。

もし、子どもが問題を起こしても、親の〈躾〉でなんともならいということ。〈教育〉は貧困や犯罪を抑止しえないこと。それよりももっともっと、当人が属しているコミュニティや社会の影響を存分に受けるのです。

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『「若作りうつ」社会』|いつまでも「愛され」「モテ」でいたい

こんにちは。放送中のドラマ『東京タラレバ娘』を見て、胸が痛い あさよるです。

主演の吉高由里子ちゃんも、榮倉奈々ちゃんも大島優子ちゃんも、むちゃくちゃかわいいのは言うまでもありませんが、劇中の三人は「ゼツミョーに超ウザッwww」とニヤニヤ見てたんですよ。なーんか痛々しいんですよねー。意識高い系っていううか~。

すると第一話の終盤、金髪のイケメソくんから「30過ぎて女の子じゃない」と言われて、ショックを受ける三人。そしてショックを受けるあさよる……

―( ̄∇ ̄;)→グサッ!!!

先日読んだ熊代亨さんの『「若作りうつ」社会』を思い出しました。彼女らは、女の子の世界から抜け出して、大人の女性になれるのでしょうか!?ドキドキ

年の取り方がわからない

『「若作りうつ」社会』の冒頭で、精神科医の著者・熊代亨さんの元へやってきた患者さんのエピソードから始まります。

Cさんは仕事と子育てをソツなくこなす女性で、合間には趣味も楽しみ、社内で尊敬を集める人でした。しかし、ある時から睡眠や食事がうまく取れなくなり、心療内科で「うつ病」と診断されました。

治療により病状は改善しましたが、彼女は納得しません。朝から晩までスケジュールが詰まった、エネルギッシュで充実した“元の生活”に戻られないからです。

「若い頃と同じように頑張りたい」と主張し、自身の加齢を受け入れることに抵抗を感じています。

「老いを受け入れられない」

アンチエイジングがトレンドの21世紀。多くの人が抱えている問題です。

世代が分断された社会

かつての日本社会は、良くも悪くも様々な世代が関わり合って生きていました。

監視し合い、古い風習や価値観に支配された生活であった一方で、生まれる人、老いる人、病気になる人、死ぬ人。人間のさまざまなステージの人々が一つのコミュニティに交じり合っていました。

現代は、地域社会や因習から解放された一方で、孤立した世帯は、他の世代と隔絶されてしまいました。

「年の取り方がわからない」とは、自分たちの先を行く人々を見失ってしまった世界です。

70代に差し掛かる団塊世代も、自らを「老人」とは感じていません。いつまでも若々しく、老いのない世界は夢のような世界ですが、残念ながら存在しない世界です。

現実と願望のギャップにより、じわじわと苦しむのが現在人なのかもしれません。

誰も何も言わなくなった

アンチエイジングは超人気です。テレビをつければ次から次へと健康食品のコマーシャルばかり。

何を口にするのも人の勝手ですが、それにしても、買う人がいるからテレビで宣伝してるんですよねぇ……。

と、「人の勝手」というのも、現在人が陥っている落とし穴になっています。

赤の他人である友人知人が、怪しいげなものにハマっていても「人それぞれだし」「人の自由だし」と積極的には口出ししません。

ムラ社会的な相互監視の世界から抜け出した我々は、気軽になった半面に、間違った方へ進もうとしても誰も引き留めてはくれなくなりました。自由と責任、両方を手に入れたんですね。

本書『「若返りうつ」社会』の「第二章 誰も何も言わなくなった」は静かにゾツとする話でした。

父親不在の社会

「年の取り方がわからない」社会は、「モテ」が力を持つ社会です。

小さな子どもは、一人で生きてゆけませんから、大人から「愛され」ることで生存率を確保できます。ここでいう「愛され」とは、容姿が優れていたり、コミュニケーション能力が高いことです。

簡単に言やぁ、かわいらしい、愛らしい子どもが可愛がられるという、身もふたもない話なんすが……(;´・ω・)

かつてのムラ社会では、多少コミュニケーション能力が低い子も「みんなの子ども」「社会の子ども」という認識がありましたから、なんとかやっていけました。

しかし、現在は個人と社会が遮断されていますから、生まれ持ったかわいらしさ(容姿)か、コミュニケーション能力がないと、かわいい子どもになれません。

いつまでも「愛され」たい

そして、年の取り方を忘れた社会は、大人たちもいつまで経っても子どもの世界にいます。容姿が優れ、コミュニケーション能力の高い「愛され」「モテ」こそが社会を生き抜く力なのです。

……なんか自分で書いてて冷や汗しか出ないんだけど(;’∀’)

で、自分の「愛され」「モテ」要素を受け入れてくれる「母性」を求めている。

一方で、現在は父性不在の社会でもあります。

戦後の経済成長とともに、父親は朝早くにはるばる遠くへ出勤し、夜遅くに帰宅する、家庭にいない人物になりました。子どもから見ると、父親が毎日なにをやっているのか分かりません。

「仕事をしている」「働いている」とは言っても、具体的に何をしているのか分かりません。実際に育て、養育してくれるのが母親ですから、母性が力を持つのも頷けます。

社会の構造が変わったことで、家庭内の形まで変わり続けています。そして、新しい社会像、家族像をなかなか描けず、終わらない子ども時代を過ごしているのが現代なのかもしれません。

……って、エヴァンゲリオンみたいな話やないか!

(「第三章 サブカルチャーと年の取り方」は、オタクと年を取れない我々のお話で、他人事とは思えません)

「老い」と「死」をどう受け入れる

「年の取り方がわからない」世界は、「老い」と「死」のない世界です。

しかし、実際に現実には我々人間は日々刻刻と年を取り、老い、死に近づいてます。観念世界と現実世界の隔たりこそが、苦しみや、居心地の悪さを生んでいるように思いました。

個人的な話ですが、あさよるの祖父母はみな早く他界していて「老人」というものを知りません。

街中で出会う高齢世代の人たちは、みなさんハツラツとしてらして、元気いっぱいで何度目かの青春を謳歌しているように見えます。または、まだまだ現役世代バリに働く人たちばかりです。

これから両親も老いてゆくのでしょうが、「老いた人」を側で見たことがありませんから、「老人」がどのようなものか、あさよるにはロールモデルがありません。それは、自分自身が老いてゆくイメージがないことです。

あさよるもまた、現在人の一員として自らの「老い」や「死」を持っていない一人なのでしょう。

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『察しない男 説明しない女 男に通じる話し方 女に伝わる話し方』|ド男、ド女と男と女

こんにちは。何歳になっても、人との関わりに悩んだり戸惑う あさよるです。

あさよるは人とツルムのが苦手なので、女性同士の仲良しグループに属し続けるのも息が詰まる気がします。

一人で気ままにおれると良いのになぁと夢見つつ、生きています(笑)。

ですから、他人との関わりについて書かれた書物は……気になって手に取っちゃう機会が多めです。今回は『察しない男 説明しない女』という本を手に取りました。

「ド男」「男」「女」「ド女」あなたはどれ?

はてさて、まず確認せねばならないのは、ここでいう「男」「女」というのは、生物学的な区分ではないことです。思考のクセというか、特徴を大きく2つに分けているんですね。

「オスとメス」とか「陰と陽」とか、対になっているものだと、なんでもいい気もしますが、「男と女」で分けるほうが何かと盛り上がりやすいのかもしれません。

本書『察しない男 説明しない女』の最初には、以下のようなチェックシートが用意されています。ぜひみなさんもチェックしてみてください。

「ド男」「男」「女」「ド女」と4つのタイプに振り分けられます。

『察しない男説明しない女』チェックシート

察しない男 説明しない女 男に通じる話し方 女に伝わる話し方 | 五百田達成 |本 | 通販 | Amazon

ちなみに、あさよるはAが9つだったので「男」でした。

で、思考のタイプを4つに分けて、それぞれのクセを学んでゆくという内容です。

おバカっぽい風味を装っているが……

実際の性ではなく、架空の性(?)で4つに分けるというのは、血液型占いとか、そういう眉唾っぽい雰囲気をバシバシ感じますw

実際に、血液型をはじめ、人間を3つ4つくらいに分け、単純化する“話のネタ”。これ盛り上がる層に向けられた本だと思います。こういうの、大概悪口のネタに昇華されていることが多いので、あさよるは苦手ですがw「鉄板ネタ」であろうことは認識しておりマス。

ですからネタ本として読んでも構いませんが、一応、中身はそれなりに「他者理解」を促すもので、微妙に真面目だったりしますw

いっそ、動物占いみたいに、意味のない動物にでも分類してくれる方が読みやすい気がしましたw

他人の言動は意味不明

『察しない男 説明しない女』は、難しい話を抜きにして「他人の言動は意味不明である」という事実を再確認しました。

「男」「女」というから話がややこしくなるのであって、単純に、人というのは支離滅裂なのであります。それをいかに理解するか?

いいえ、本書『察しない男 説明しない女』は、ハナから理解しようとしていないんです。そう、それは土台無理な話ですから。

ですから「理解する」ことではなく、「折り合いをつける」ことや「許す」ために、どう解釈すればよいのか指南されています。

女の涙は、汗だったのか

あさよるは女性ですが、他の女性が“泣く”タイミングが意味不明に思えます。

クレームをつけられたり、人から注意を受けているときに涙を流す人を見ると「態度が悪い」ようにしか見えないし、「泣いたら許してもらえると思ってるのか!」と非常に腹が立ちます(苦笑)。

少なくとも、あさよる自身はそのタイミングで“泣く”という選択肢は取らないので、理解不能なんですね。

しかし、『察しない男 説明しない女』では、涙がでるのは、一時的に感情がコントロール不能状態に陥り、パニック状態で涙が出るというもの。あくまで生理現象として涙がでるのであって、なぜ泣いているのかは本人も理解していないということで。

生理現象ということは、「暑いと汗をかく」みたいに捉えておけばいいのかしら。

へぇ、そんなもんなのかなぁと勉強になりました。

コミュニケーションは日々勉強?

『察しない男 説明しない女』はあくまで、理解できない他者を受け入れるためのノウハウ集です。

自分が「男」の考え方を持っているなら、「女」を持っている人にどう働きかければいいのか。「女」の考え方をする人は、「男」にどう声をかければいのか。

スムーズなコミュニケーションのための、コツが紹介されているんです。

しかし、何度も言いますが、これを「男と女」に振り分けているのは、非常にややこしい気がします。

外見は男性に見えても「女」の言動をすることもあるし、「男」の女性もいるわけで、こんがらがりません?

まぁ、「男と女」と分けた方が、下世話な感じで盛り上がるのかなぁと思うのですが、どうなんでしょうか。

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