福岡伸一

『死ぬほど読書』|読書はしないといけないの?

こんにちは。いつの間にか読書ブログをはじめていた あさよるです。当初はもっと雑多な話題を扱おうと思ってたのですが、すっかり本の話題のみにw ということで、やはり「本」や「読書」を扱う本が気になります。読書ブログが読書本の感想を書くという、ややこしい入れ子構造でございます。

本書『死ぬまで読書』の著者は元伊藤忠商事社長の丹羽宇一郎さんが、朝日新聞の投書に寄せられた読書に関する大学生の声に答えます。

なんのために本を読むの?

本書はこんな問いから始まります。

「読書はしないといけないの?」

これは、2017年3月8日の朝日新聞に掲載された大学生の投書です。大学生の読書時間が減っているという話題を受けて、読書が教養や新しい価値観に触れるなどの有用性を認めながらも、「だからと言って本を読まないのは良くないと言えるのかどうか」と問いかけけています。曰く、投稿者は読書習慣がなかったけれども大学受験で苦労したくらいで、大学生になってからは一般教養として書籍を読んでいるが、「糧になる」とは感じないそうです。それよりも、バイトや大学の勉強の方が大事だし、読書は趣味の範囲だろうと考えています。

本書『死ぬほど読書』は、この大学生の問へのアンサーです。なぜ本を読むのでしょうか。序章である「はじめに」にて、本を読む意味が端的に示されています。

 人は自由という価値観を求めて、長い間、闘ってきました。努力し、工夫し、発明して進歩してきた果てに、いまの自由な社会はあります。
それは人類史上、かつてないほど自由度の高い環境といっていいかもしれません。
しかし、「何でもあり」の世界は一見自由なようですが、自分の軸がなければ、じつはとても不自由です。それは前へ進むための羅針盤や地図がないのと同じだからです。それらがなければ、限られた狭いなかでしか動けません。
では、自分の軸を持つにはどうすればいいか?
それには本当の「知」を鍛えるしかありません。読書はそんな力を、この上もなくもたらしてくれるはずです。
すなわち、読書はあなたをまがいものではない、真に自由な世界へと導いてくれるものなのです。

p.7

本書でも、不要だと思うなら読まなくていいんじゃないと言いながらも、読書の楽しみや面白さを知ってしまうとやめられないと、読書がもたらす効用について広がってゆくのです。

読書好きなら語りたくなる!

この「読書はしないといけないの?」という問いに、みなさんはなんと答えますか? まずなにから話始めましょうか。本書では、まずは情報が溢れかえった現在、情報の取捨選択を自らがしなければなりません。事実として玉石混淆の中から、自分が必要な情報を探し出す能力が求められています。そのために兎に角も必要なのは「知識」であり、それを手っ取り早く身に着けられるのは「読書」です。

先の朝日新聞投稿欄の大学生は、自身の学業や将来の職業に必要な知識だけを身に着けようとしているんです。しかし、実際には毎日届くメールや、ヒットしたキュレーションサイトの記事や、SNSで飛び交う情報に私たちは晒されていて、怒涛の情報を一気に処理し続けねばなりません。「職業に必要な知識だけ」では足りないのです。

また、読書論は死生観にまで及びます。どう生きて、いずれ訪れる死とどう向き合うのか。必ず訪れるその瞬間を考えるとき、先人たちが残した記録に触れることができるのです。

読書好きなら語りたくなる!

本書『死ぬほど読書』では、読書の有用性をとことん説きまくる戦法で、読書の必要を主張します。さて、みなさんならどんな切り口で「読書はしないといけないの?」という質問に答えますか?

「読まなくてもいいよ」というのも答えの一つです。読書が必要だと感じた時があれば、その時に本を読めばいいのです。あるいは、「好奇心を満たすため」の欲望渦巻く読書の世界を紹介したい人もいるでしょう。いいや、もっと内省的で自分よがりな読書があってもいいはずです。逆に、表現のための読書もあるだろうし、見栄やカッコつけの読書だって悪くはありません。

読書好きが集まると、読書談義になることがありますが、あれ、盛り上がるんですよね。メンバーによっては終始お互いに納得しまくりなこともあれば、自分と違う読書論を展開する人に感嘆したり、ヒートアップしちゃったりと、なかなか楽しい。本書もそんな、読書好きの心をくすぐる内容です。

読書家へ読書家のメッセージ

本書『死ぬほど読書』は、既に読書習慣があり、まとまった冊数を常に読んでいる人に向けて、読書家が読書論を展開する内容です。残念ながら、冒頭の「読書はしないといけないの?」と考えている人には届かない類の本であると思います。さらに、内輪で盛り上がるだでなく、読書の良さを知っている人は、やはり読書習慣の必要性を広めるべきなのでしょうか。

本書は単に、読書習慣のある人が、そうでない人へのマウンティングのための道具になってはいけません。冒頭の大学生の意見に耳を傾け考える必要があります。なぜなら、「考える」ための道具としての読書でもあるのですから。

てっきり読み始めは、軽く「イマドキのワカモノ」をディスりつつ「やっぱり昔ながらの読書よね~」なんて話になるのかと思いきや、結構「読書の効果」を考えさせられます。そして、「はたして自分は読書の効果を得ているのだろうか?」と不安にさえなりました。

関連本

『読書力』/齋藤孝

『王様の勉強法』/荒俣宏,中谷彰宏

『ちっちゃな科学』/かこさとし,福岡伸一

『読書をお金に換える技術』/千田琢哉

『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』

『キミが勉強する理由』/藤原和博

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『未来のだるまちゃんへ』|目を見開いて、理解して、面白がって

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

こんにちは。かこさとしさんブームな あさよる です。きっかけは、「あさよる」の本を見つけたからでした。豆の家族の一日を追っかけるドキュメンタリー絵本です。

さらに『あさよる、なつふゆ、ちきゅううはまわる』という本も見つけて、図書館で資料請求してみました。こちらももちろん かこさとしさんの本です。

で、この本、読んだことあるかもしれない……!というか、図書館に寄贈したの、自分じゃね?というw 「あさよる」って自分で考えた名前だと思ってたんですが、まさか元ネタがあった疑惑……。

かこさとしさんと福岡伸一さんの『ちっちゃな科学』もおもしろかったのです。子どもの好奇心や興味を、大人になってもずっと絶やさないかこさんも素敵です。

だるまちゃんだった

本書『未来のだるまちゃんへ』では、絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』の作者、かこさとしさんの半生と、そして子どもたちへの眼差しが記されています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』とは、1967年に出版された名作絵本です。〈だるまちゃん〉と〈てんぐちゃん〉は仲良しで二人で遊んでいますが〈だるまちゃん〉は〈てんぐちゃん〉のステキな出で立ちが羨ましくなり、お父さんの〈だるまどん〉に帽子や扇子や履物を強請ります。〈だるまどん〉は〈だるまちゃん〉のために道具を用意してくれるのですが、なんだか違う……という、すれ違いがおかしい絵本です。

大人が読んでも面白く、まただるまちゃんが愛おしくてたまらないのですが、どうやら〈だるまちゃん〉のモデルはかこさとしさんご自身の体験にあるそうです。かこさんのお父様は、欲しがってもないのにアレコレと子どもに与えたがる方だったそうで、欲しくもないものを「欲しい」と言い、買い与えられる自分に歯がゆさを感じていらしたそうです。それが〈だるまどん〉の姿であり、欲しくないものを用意されて困っている〈だるまちゃん〉なんですね。もちろん、お父様にも十分に目をかけられない息子への気持ちからなのですが、すれ違いなんですね。

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

みんな、だるまちゃん?

〈だるまちゃん〉のもう一つの特徴は、なんでもよく「観察する目」と「好奇心」です。〈てんぐちゃん〉の衣装をよく観察していて、同じものが欲しいと思います。羨ましがっているというよりは「ステキ!」「いいな!」「ほしい!」って素直に自分の興味に従っています。

で、誰もが子ども時代、だるまちゃんだったんじゃない?ってことですね。

『未来のだるまちゃんへ』の中では、かこさんの子ども時代の思い出が語られています。かこさんは福井県で生まれ子ども時代を過ごしました。満州事変のあと、鯖江から兵隊さんたちが大陸へ出兵するのを、学校をあげて見送りへ行きました。そのとき、子ども心に「出征というのは、こんなに寂しいものなのか」と感じたそうです。周りは大人も子どもも「万歳」と声を上げ、旗を振っているのに、兵隊たちは誰も笑っていない。

当時小学一年生だったかこさんだけでなく、多くの子どもたちはその雰囲気を感じ取ったようで、いつも戦争ごっこして遊んでいる子らも、帰り道も黙ったまま。何も知らない子どもだからこそ、その場の「空気」を誰よりも率直に感じたのかもしれません。

「子どもだから何もわからない」のではなく、「こどもだからこそ、理屈じゃなく感覚でわかる」ってこともあるのかも。子どもを侮ってはいけないし、馬鹿にしてはいけない。彼らは「わかっている」んだと思いました。

次のだるまちゃんへ

かこさんはセツルメント活動を通じて、子どもたちを大人の目線で観察し、また絵本作家として活動を開始します。当初は会社員との二足の草わらじで、作家であることも隠していたそうです。家庭では父となりましたが、実の子との一緒に過ごす時間は少なかったと告白されています。家庭よりも、自分の運動や活動に没頭していたというのは、ちょっと意外な横顔でした。かこさんご自身が、夢中にのめりこむ〈だるまちゃん〉だったのです。

子どもたちの関わりの中で、大人の〈だるまちゃん〉の、未来の〈だるまちゃん〉へのメッセージです。

 生きるというのは、本当は、喜びです。
生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

(中略)

僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい。
そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけてそれをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。

p.251-252

「目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい」というのが、かこさんらしいと思います。世界には悪いことも嫌なことも考えたくないこともいっぱいあるけど、目を見開いて、理解して、そのうえで面白がってほしい。「面白がる」ってのがレベル高いし、ポイントですね。

だるまちゃんだったあさよるは

あさよるも、かつては〈だるまちゃん〉でした。いいや、ホントは今も〈だるまちゃん〉でありたい。けれども、どうだろう、興味や好奇心は尽きていないだろうか。

あさよるも、子どもの頃は何もわかっていなかったけども、なんとなく社会の雰囲気は感じていました。90年代に子ども時代を過ごしたので、将来貧しい社会がやってくることは悟っていたし、9.11テロに大人たちが落ち込んでいる理由がわからなかった。「起こるべくして起こった」としか思わなかった。原子力発電にムリがあるのは理科の本に書いてある。

なのに今なにが起こっているのか、自分の知識が邪魔してまっすぐ目に入りません。子どもの話はバカバカしく聞くに耐えないと感じてしまう。ほんとは、新しい人が古い人に教えてくれているのに。

『未来のだるまちゃんへ』を読んで、結構ヘコみました。〈だるまちゃん〉の話に耳を傾ける〈だるまどん〉はえらい大人だなあ。

関連本

『花森安治の青春』/馬場マコト

『ミライの授業』/瀧本哲史

『本を読む人だけが手にするもの』/藤原和博

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『バッタを倒しにアフリカへ』|人類のため、バッタに食べられたい

こんにちは。流行りものに目がないあさよるです。『バッタを倒しにアフリカへ』話題になってたじゃないですか。読むしかないですよね。それにしてもタイトルが謎だし、写真も謎だし、どう見てもふざけているようにしか見えないのですが、著者は何者!?

タイトルの意味も、緑色の出で立ちも、本書を読めば意味が分かるのですが、その意味が予想の斜め上行き過ぎているw オモロー

昆虫学者のアフリカ滞在記

本書『バッタを倒しにアフリカへ』は著者、前野ウルド浩太郎さんのエッセイです。前野さんはファーブル昆虫記を読み、ファーブルに憧れ、昆虫の研究をはじめ、バッタを追ってアフリカはモーリタニアへやってきた。ミッションはバッタの駆除。「神の罰」とも呼ばれるバッタの大発生を防ぐのだ。しかし、干ばつが続きバッタが発生せず、代わりにゴミムシダマシと、キュートすぎるハリネズミとの生活が始まった。

大人の事情も絡んでくる。研究費と生活費が保証された2年が過ぎようとし、もうすぐ無収入になる……日本へ帰るか?バッタを追うか? 一時帰国であちこちで講演をし、京都大学の白眉プロジェクトへエントリーをするのだった。京大総長とのやりとりは、読んでいて思わず目頭があつくなるものだ。はたして、彼は無事に予算を手に入れるのだろうか……ドキドキ、という展開です。

 私はバッタアレルギーのため、バッタに触られるとじんましんが出てひどい痒みに襲われる。そんなの普段の生活には支障はなさそうだが、あろうことかバッタを研究しているため、死活問題となっている。こんな奇病を患ったのも、14年間にわたりひたすらバッタを触り続けたのが原因だろう。
全身バッタまみれになったら、あまりの痒さで命を落としかねない。それでも自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。

子どものころからの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。

p.3-4

ちょ、ちょっと情報量が多すぎてわからない。バッタアレルギー?そんなアレルギーあるの? 本書によれば、バッタが腕をテクテクと歩くと、その足跡にじんましんができるらしい。そんな話初めて聞いた。そしてなによりこの一文だ。「バッタに食べられたい?」?? どうやらバッタが大発生している様子を見学していた人の、緑色の服にバッタが群がり、服を食べてしまったという話が昔、科学雑誌に載っていたそうだ。それが羨ましくて「バッタに食べられたい」ということらしい。

大発生するバッタを前に、成すすべもない人類。その先陣を切って、全身緑のタイツで立ちはだかる男。それが著者なのだった。

冒険記、体験記はオモシロイ

本書はタイトルからどんな本なのか推測しづらく、読んでいても話の終着点はなんなんだ?とハラハラと読み進めました。前半はアフリカでの異国の文化や動植物のレポートが続き、旅行記のような楽しさが、そして後半は日本の研究者の微妙な立場や、日本でアフリカでの様子を講演や雑誌連載など忙しく駆け回る様子もまた、ドタバタで面白い。

学術的な話は置いといて、本書は命懸けの研究者の奮闘を知れる本だと思います。砂漠でサソリに刺されていたし……。学者、研究者って、屋内で青白い蛍光灯の下、机上の空論を並べているにあらず。

おもしろかったデス(^^)v

関連本

『アヘン王国潜入記』/高野秀行

ミャンマーにある「ゴールデントライアングル」と呼ばれる地域に、「アヘン王国」が存在する。

著者が実際に文明から離れた村に潜伏したレポート。

『アヘン王国潜入記』|のどかな山間のアヘン栽培日記

『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』/永幡嘉之

津波の塩害により、自然がどう破壊されているのか。

大量の写真で見てゆきます。

『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』|塩害による変化

『うんこがへんないきもの』/早川いくを

タイトルそのまんま。へんな生きものや、へんな習性。

『うんこがへんないきもの』|生きることは食べること。食べることは…

『LIFE<ライフ> 人間が知らない生き方』/麻生羽呂,篠原かをり

マンガとコラムで、動物から人生訓を学ぶ。

『LIFE 人間が知らない生き方』|動物は知っている、生き方を

『生きものの飼いかた』/松橋利光

こんなの飼えるの?どうやって飼うの?

そして、スーパーで買ってきた食材も、飼えるのだ。

『生きものの飼いかた』|カッコいい生きものカタログ!しかも飼える!

『ちっちゃな科学 – 好奇心がおおきくなる読書&教育論』/かこさとし,福岡伸一

ワクワク、ドキドキはどこからくるの?

好奇心を大きく育てるために。

『ちっちゃな科学 – 好奇心がおおきくなる読書&教育論』|好奇心はどこから来るの?

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『ちっちゃな科学 – 好奇心がおおきくなる読書&教育論』|好奇心はどこから来るの?

こんにちは。読書論や読書法的な本は気になる あさよるです。そんな本って、ブログを始めるまで特に気にならなかったのですが、毎日読書に関する記事を書くようになり、他の人の考えがめっちゃ気になります。

『ちっちゃな科学』は、内容をあまりチェックしないまま「読書論」ということで読み始めました。読んでみてビックリ!Σ(・ω・ノ)ノ!! あの「かこさとし」さんじゃないっすか!そして福岡伸一さんのコラム+対談集。すごい!

好奇心はどこから来る?

『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』の福岡伸一さんは、昆虫の標本づくりに熱中し、幼虫を育て、顕微鏡で小さな世界を覗いた経験を、興奮と共に書き記しておられます。子どもの頃の興奮が、大人になっても冷めやらない。

なにも、好奇心が刺激される〈自然〉とは限られた場所にしかないわけではありません。小さな自然はその辺にあるものです。

小さな好奇心。それを受け止めるのは小さな科学。

子どもたちは科学に夢中です。お空のお星さまや、海の底や、植木鉢の裏っ側や、風がどこから吹いてくるんだろうとか、科学科学!

誰だって一度は〈科学の子〉だったはず!

そして〈科学の子〉の心にヒットしちゃうのが、かこさとしさんの絵本です。

子育て&教育に関わっている人ならぜひ

『ちっちゃな科学』は読書と教育論を扱う内容です。子育てや教育に係る方なら読んでおいてソンはナシ!ぜひぜひ!

……と言いたいところですが、あさよるは本書、結構難しかったです。一般向けの教育系の本ってこんなレベルなのだろうか!?あさよる、子育てはしてないのでそっち系、全然分からないです。

可愛らしい表紙で、軽い気持ちで読み始めたら激マジメじゃん!ってヤツですな(-“”-)

もちろん、著者の福田伸一さんと かこさとしさんの対談もたくさんで、楽しい内容です。

文系、理系、どっちも必要!

福田伸一さんと かこさとしさんの対談で印象的だったのは「文系」「理系」と生徒を分けちゃう弊害についてでした。現在、文系学科と理系学科を卒業した人たちはピシッと別れちゃっている。業界によって、文系が多い業界、理系が多い業界に偏りがあり、国や自治体の体質まで決めてしまっている。

本当は、文系だって理系の知識が必要だし、理系学科へ進んでも文系の勉強をすべきだ、という話。

だから、子どもの頃から「あなたは文系」「あなたは理系ね」なんて決める必要はないし、両方をごちゃごちゃに学んでもいいんですね。

子どもに伝えるには、まず大人が

繰り返しますが本書は読書&教育論を扱う内容ですから、読者の対象は〈大人〉。大人が子どもの好奇心を刺激し、満たすには、大人側も少なからず勉強しないといけないんだとメッセージを強く感じました。

子ども向けの科学の本は年々減っているそうですが、その理由は明確で、親が買わなくなったのです。子どもの理科離れは、親が理科離れを起こしているからだとも考えられます。

繰り返しますが、例え文系に進んでも、理系の知識は必要です。なのに、科学の子になる前に、科学や理科に触れずに勉強を強いられるのはツライね(;’∀’) 大人の側が子どもの「なぜ?」「なんで?」に程よく答えつつ、逆にこっちから好奇心を刺激しちゃえるくらいのパワーがあればいいなぁと感じた。それにしても、子育てや教育というのは、他者のために学ぶのね。こりゃ大変だなぁと思う。

あさよるネットで紹介した福岡伸一さんの著書

『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』

『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』|生命とは、流れのなかの淀み

『せいめいのはなし』

『せいめいのはなし』|「生命」をテーマのダベリはおもしろい

『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』

『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』ソボクなギモン

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『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』|生命とは、流れのなかの淀み

こんにちは。豆乳、枝豆を毎日投入していたら(ダジャレ)、体がモチモチになった あさよるです。

タンパク質スゴイ!あさよるの体も、あさよるの食べたもので出来てるんだなぁと実感。

『あなたは半年前に食べたものでできている』を読んだよ

「動的平衡」とは

以前、『せいめいのはなし』という本を読みまして、その本のなかで「動的平衡」という言葉が使われていました。

『せいめいのはなし』|「生命」をテーマのダベリはおもしろい

それは一体なんじゃろ?と、同著書の、ズバリ『動的平衡』という本を見つけたので読んでみました。

本書内に「動的平衡」の説明があったので引用します。

エントロピーとは「乱雑さ」の尺度で、錆びる、乾く、壊れる、失われる、散らばることと同義と考えてよい。
秩序あるものはすべて乱雑さが増大する方向に不可逆に進み、その秩序はやがて失われてゆく。
(中略)
生命はそのことをあらかじめ織り込み、一つの準備をした。エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊し、そして再構築するという自転車操業的なあり方、つまり「動的平衡」である。
しかし、長い間、「エントロピー増大の法則」と追いかけっこしているうちに少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピーの増大に追いつかれてしまう。つまり秩序が保てない時が必ず来る。それが個体の死である。
(中略)
したがって「生きている」とは「動的な平衡」によって「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけているということである。

『動的平衡』p.245-246

生命とは、絶対的な決まった形のあるものではなく、瞬間瞬間の化学変化の連鎖によって維持されています。

さらに引用します。

 生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている、体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り替えられ、更新され続けているのである。
だから、私たちの身体は分子的な実態としては、数か月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれてゆく。
(中略)
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。

『動的平衡』p.231-232

エントロピーについてはこのへんを。

「動的平衡」のかみ砕かれた内容

本書『動的平衡』は、環境雑誌『ソトコト』で連載されていたものだそうです。

ですから、生命や生物学的な専門の話というよりは、「動的平衡」をテーマとしたコラム集のようです。

ですから、どなたが読んでも理解できる内容です。

生命そのものの話だけでなく、ダイエットや健康志向について、食品問題、そして病気など、展開されます。

あさよる的には「動的平衡」について科学的な話を期待していたので、求めていた内容とは違いました。

ですが、特に食品やサプリメントについての話題は、他人事ではないので興味惹かれました。体の仕組みも、食品についても何も知らないのに、“サプリペンと頼み”みたいになってるかも……反省。

これから読むなら『生物と無生物のあいだ』で

先に引用した通り、生物は流れそのものでしかなく、その流れの淀みである。改めて話を整理されて伝えられるとねぇ。

「そうだったのか……orz」

いやね、多くは以前読んだ『せいめいのはなし』や『生物と無生物の間』でも語られていました。

もし、これから読まれるんだったら、『生物と無生物のあいだ』でいいかも。与太話的な要素もほしいなら、『せいめいのはなし』はハイレベルな対談集ですから、楽しですよ。

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『せいめいのはなし』|「生命」をテーマのダベリはおもしろい

こんにちは。中高生のころ、生物と科学の授業が苦手だったあさよるです。

物理や地学は好きだったんですけどね……(;’∀’)

大人になってから、苦手を理由に避けて通ってきた科目も、勉強しときゃあよかったなぁと、今になって思います。ちょっとずつ勉強していこう……。

そんな思惑もあり『せいめいのはなし』という本を見つけたら……読まないわけにはいかないでしょ!

「せいめい」とは何だ?自分とはなんだ?

本書は『せいめいのはなし』とひらがなのタイトルです。漢字で書けばもちろん「生命の話」なのでしょうが、あえてひらがな。

本書を読んでいくと、「生命」という熟語からイメージする内容からは、離れた話題もたくさん扱われているので、ひらがなが選ばれたのかなぁ?と推測します。

あるいは、カチッとカタチのある固まった「生命」ではなく、あやふやでとりとめもなく、形の見えない「せいめい」のおはなしです。

脱線多し!「生物」や「生命」のアレコレ

生命、生物の難しい話なの!?と構える必要はありません。

著者の福岡伸一さんが、哲学者で武道家の内田樹さん、作家の川上弘美さん、朝吹真理子さん、そして解剖学者の養老孟司さんの4人と、それぞれ対談をされる様子がまとめられています。

「せいめいのはなし」を中心に、4人それぞれの個性的な話に広がります。

時には「脱線しているのでは?」と思うような話題もあるように感じるかもしれません。しかし「せいめいのはなし」というテーマからは外れていないんですよね。

すごく幅の広い、だけどとても気になるテーマの対談集です。

時には哲学や物語のような話を使い、時には幼いころの経験や、素朴な疑問を用い「せいめいのはなし」は続きます。

“考え”のエッセンス。若い人へ

様々な人が、アレやコレや同じテーマで、てんでバラバラの話をしている様子って、ぜひ若い人にこそ刺激的なんじゃないかなぁと思います。

学校で習った生物の知識は、あくまでも果てしない学問のほんの入り口の入り口です。学校では理科とか国語、英語と科目を分けて教えられますが、実は突き詰めてゆくと同じことを言ってたり、同じルーツを持っている話だったりします。

思ってもみないモノとモノが関連していることに気づいた時のヨロコビや快感。そのエッセンスが詰まっている本だなぁと思いました。

カシコの駄弁りはオモシロイw

賢い人、教養のある人を「カシコ」というのは、方言なのでしょうか。『せいめいのはなし』を読んでしみじみと「カシコは駄弁りまでオモロイもんだなぁ」と思いました。

哲学者の内田樹さんとの対談では、細胞のような小さな世界は我々の世界と似ている。それは、我々が見たいものを見ているだけではないのか?鏡を見るように、自分の姿を見ているだけではないのか?と話が広がります。

作家の川上弘美さんは、大学では生物学を研究なさっており、対談では細胞の話に深まります。なんにでもなれる細胞が発見され、夢の細胞を人類は手に入れたかと思いきや、なんにでもなれる細胞は、放っておくと何ものにもなれない細胞です。

周りの細胞が「ここへお入り」と招き入れると、その形になる。へぇという話。

作家の朝吹真理子さんとは記憶にまつわるお話が展開されます。記憶というのは、細胞のどこかに刻み込まれ残っているのではなく、情報は消えてしまう。そこからフェルメールの話が登場したり、面白い。

そして解剖学者の養老孟司さんとのお話は、とても楽しく読めました。ご自身を「虫屋」と呼ぶ養老先生の虫のお話です。

虫を一目見ると、その虫がどの地域に生息する虫なのかなんとなくわかるそうです。「これは熱帯っぽいなぁ」とか「これは砂漠っぽいなぁ」とかいう風に。

それは、熱帯の虫は熱帯地域を連想させる模様や形をしているからだそう。ですが、実はこれは逆なんです。我々人間が、その地域に生息している虫や植物をモチーフに、文様や色彩の組み合わせを作っているんです。

人は、虫に見たいものを見ているというもの。

また、まるで木や葉のように擬態している虫も、「人間の目」で見ると「似ている」だけで、鳥の目ではどう見えているのかわかりません。虫同士でも、違った見え方をしているでしょう。

人間が「擬態」と呼んでいるものも、はたして虫はなぜそんな色や形をしているのかは「人の目」からはわからないんです。

てな感じで、四者四様の対談。最後には著者の福岡伸一さんの『「せいめいのはなし」をめぐって』という章もあり、もりだくさんです。

おもしろかったです。

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