こんにちは。あさよるです。この年末、出費が多くて滝汗中。今年はずっと「出費が多い」と言い続けている気がするからヤバイ。年末年始に読もうと、本をわんさか買い込んでいるけれども、たぶん読み切れない。
慌ただしい年末だから、軽く読める読書がいい。『へんな西洋絵画』は、ほとんどがカラーの資料で埋め尽くされており、文字が少ない、軽く読める本だ。だけど、面白いし、楽しい内容だ。
よくわからない「おかしみ」
美術館でもっともらしく絵の解説をしたり、「ふーむ」なんてしげしげと美術鑑賞をしていると、なんだかジワジワとおかしくて笑えて来ることがある。だって、どう見てもへんてこな絵がでーんと陳列されているからだ。なぜみんな笑わない。友人がニヤニヤ笑いながら館内を見て回る様子に、この人を大切にしなければならないと思う。
西洋絵画は、ギリシア神話や聖書の物語が題材になっていたりする。だから、元ネタのお話を知らないとチンプンカンプンな絵もたくさんある。もっとも、元ネタを知っていても、なんだかおかしな絵もたくさんあるのだ。『へんな西洋絵画』は、まさに、おかしみがにじみ出る絵画が寄せ集められている。
ちなみに本書では、サブリミナル的にアンリ・ルソーが登場する。むしろ本書はルソーを推すための本じゃないか。ルソーは良い。あるいは、セザンヌを「下手」とサラリと書いてあるから、話が早い。セザンヌのリンゴの静物画に「歴史を変えた」なんて書かれているよりも、「セザンヌは下手だから、写実主義とは違う道を目指した」と書いてくれる方が、ずっとわかりやすいかもしれない。
画家にもいろいろあるのだ
本書『へんな西洋絵画』を通して読むと、画家もいろいろ苦労しながら絵を描いているのがわかる。注文主に忖度したり、教会の意向を反映したり、カメラが発明されれば、写真とは違う表現を模索する。
絵画を、画家が描きたいものを描き、美しいものを美しく描くものだと思ってるなら、それは全然違っていることがわかる。ラファエロの「最後の審判」の自画像は「働かせすぎて抜け殻」状態だったり、殺人罪で逃亡中のカラヴァッジョは、首を切られたゴリアテに、自分の顔を描いてある。画家もいろいろあるのだ。
ときに、見たこともないものを描く必要にも迫られる。本書では、画家たちが見たこともないライオンや海獣たちの姿を想像を巡らせて描いた、へんな絵が紹介される。もっともこれは、日本人だって、見たことのないゾウやキリン、トラのへんな絵や彫刻を作っている。「存在するけど見たことのないもの」を発注されると、画家の腕の見せ所だけれども、後世からのツッコミ待ちになってしまう。
海の謎の生物
子どもの頃、ギリシア神話の本を読んでいたけれども、その挿絵に登場する、頭が猫やライオンみたいで、体が魚のナゾの生き物が登場していて、「なんじゃこら」と思っていた。そうか、あれは海獣なのか。見たこともないイルカを描くをああなるのか。ヨナを呑み込む魚のような謎の海の生き物も、だいたいは奇妙な姿だったように思う。
へんな生き物の姿ばかり見ていると、例えばディズニーの『ピノキオ』や『リトルマーメイド』なんかが、逆にへんな世界に思えてくる。あれは、クジラはクジラの姿をしているし、イルカやイルカらしく描かれている。「新しい」時代な感じがするね。
そこで考えたこと
こういう本もあったりする。
絵というのは、その時代によって「何が重視されるのか」とか「何を良しとするのか」とか、「誰がどんな絵を欲しがるのか」とか、その時々でどんどん変化してゆく。だから、今「すてき」と思われている絵も、来年見るとそうでもないのかもしれない。
というようなことを、久々に『涼宮ハルヒの憂鬱』のイラスト集見ていて考えた。たしか、以前はサイコーに可愛いと思ってたけれども、今見ると2006年版よりも、2009年版のハルヒの方が可愛いと思う。
ということで、久々に『涼宮ハルヒの憂鬱』を読もうと、全巻セットをAmazonでポチッてしまうのであった。このシリーズは、何度も買っては売ってを繰り返している……。
涼宮ハルヒの憂鬱 「涼宮ハルヒ」シリーズ (角川スニーカー文庫)
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