藤原和博

『死ぬほど読書』|読書はしないといけないの?

こんにちは。いつの間にか読書ブログをはじめていた あさよるです。当初はもっと雑多な話題を扱おうと思ってたのですが、すっかり本の話題のみにw ということで、やはり「本」や「読書」を扱う本が気になります。読書ブログが読書本の感想を書くという、ややこしい入れ子構造でございます。

本書『死ぬまで読書』の著者は元伊藤忠商事社長の丹羽宇一郎さんが、朝日新聞の投書に寄せられた読書に関する大学生の声に答えます。

なんのために本を読むの?

本書はこんな問いから始まります。

「読書はしないといけないの?」

これは、2017年3月8日の朝日新聞に掲載された大学生の投書です。大学生の読書時間が減っているという話題を受けて、読書が教養や新しい価値観に触れるなどの有用性を認めながらも、「だからと言って本を読まないのは良くないと言えるのかどうか」と問いかけけています。曰く、投稿者は読書習慣がなかったけれども大学受験で苦労したくらいで、大学生になってからは一般教養として書籍を読んでいるが、「糧になる」とは感じないそうです。それよりも、バイトや大学の勉強の方が大事だし、読書は趣味の範囲だろうと考えています。

本書『死ぬほど読書』は、この大学生の問へのアンサーです。なぜ本を読むのでしょうか。序章である「はじめに」にて、本を読む意味が端的に示されています。

 人は自由という価値観を求めて、長い間、闘ってきました。努力し、工夫し、発明して進歩してきた果てに、いまの自由な社会はあります。
それは人類史上、かつてないほど自由度の高い環境といっていいかもしれません。
しかし、「何でもあり」の世界は一見自由なようですが、自分の軸がなければ、じつはとても不自由です。それは前へ進むための羅針盤や地図がないのと同じだからです。それらがなければ、限られた狭いなかでしか動けません。
では、自分の軸を持つにはどうすればいいか?
それには本当の「知」を鍛えるしかありません。読書はそんな力を、この上もなくもたらしてくれるはずです。
すなわち、読書はあなたをまがいものではない、真に自由な世界へと導いてくれるものなのです。

p.7

本書でも、不要だと思うなら読まなくていいんじゃないと言いながらも、読書の楽しみや面白さを知ってしまうとやめられないと、読書がもたらす効用について広がってゆくのです。

読書好きなら語りたくなる!

この「読書はしないといけないの?」という問いに、みなさんはなんと答えますか? まずなにから話始めましょうか。本書では、まずは情報が溢れかえった現在、情報の取捨選択を自らがしなければなりません。事実として玉石混淆の中から、自分が必要な情報を探し出す能力が求められています。そのために兎に角も必要なのは「知識」であり、それを手っ取り早く身に着けられるのは「読書」です。

先の朝日新聞投稿欄の大学生は、自身の学業や将来の職業に必要な知識だけを身に着けようとしているんです。しかし、実際には毎日届くメールや、ヒットしたキュレーションサイトの記事や、SNSで飛び交う情報に私たちは晒されていて、怒涛の情報を一気に処理し続けねばなりません。「職業に必要な知識だけ」では足りないのです。

また、読書論は死生観にまで及びます。どう生きて、いずれ訪れる死とどう向き合うのか。必ず訪れるその瞬間を考えるとき、先人たちが残した記録に触れることができるのです。

読書好きなら語りたくなる!

本書『死ぬほど読書』では、読書の有用性をとことん説きまくる戦法で、読書の必要を主張します。さて、みなさんならどんな切り口で「読書はしないといけないの?」という質問に答えますか?

「読まなくてもいいよ」というのも答えの一つです。読書が必要だと感じた時があれば、その時に本を読めばいいのです。あるいは、「好奇心を満たすため」の欲望渦巻く読書の世界を紹介したい人もいるでしょう。いいや、もっと内省的で自分よがりな読書があってもいいはずです。逆に、表現のための読書もあるだろうし、見栄やカッコつけの読書だって悪くはありません。

読書好きが集まると、読書談義になることがありますが、あれ、盛り上がるんですよね。メンバーによっては終始お互いに納得しまくりなこともあれば、自分と違う読書論を展開する人に感嘆したり、ヒートアップしちゃったりと、なかなか楽しい。本書もそんな、読書好きの心をくすぐる内容です。

読書家へ読書家のメッセージ

本書『死ぬほど読書』は、既に読書習慣があり、まとまった冊数を常に読んでいる人に向けて、読書家が読書論を展開する内容です。残念ながら、冒頭の「読書はしないといけないの?」と考えている人には届かない類の本であると思います。さらに、内輪で盛り上がるだでなく、読書の良さを知っている人は、やはり読書習慣の必要性を広めるべきなのでしょうか。

本書は単に、読書習慣のある人が、そうでない人へのマウンティングのための道具になってはいけません。冒頭の大学生の意見に耳を傾け考える必要があります。なぜなら、「考える」ための道具としての読書でもあるのですから。

てっきり読み始めは、軽く「イマドキのワカモノ」をディスりつつ「やっぱり昔ながらの読書よね~」なんて話になるのかと思いきや、結構「読書の効果」を考えさせられます。そして、「はたして自分は読書の効果を得ているのだろうか?」と不安にさえなりました。

関連本

『読書力』/齋藤孝

『王様の勉強法』/荒俣宏,中谷彰宏

『ちっちゃな科学』/かこさとし,福岡伸一

『読書をお金に換える技術』/千田琢哉

『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』

『キミが勉強する理由』/藤原和博

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『未来のだるまちゃんへ』|目を見開いて、理解して、面白がって

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

こんにちは。かこさとしさんブームな あさよる です。きっかけは、「あさよる」の本を見つけたからでした。豆の家族の一日を追っかけるドキュメンタリー絵本です。

さらに『あさよる、なつふゆ、ちきゅううはまわる』という本も見つけて、図書館で資料請求してみました。こちらももちろん かこさとしさんの本です。

で、この本、読んだことあるかもしれない……!というか、図書館に寄贈したの、自分じゃね?というw 「あさよる」って自分で考えた名前だと思ってたんですが、まさか元ネタがあった疑惑……。

かこさとしさんと福岡伸一さんの『ちっちゃな科学』もおもしろかったのです。子どもの好奇心や興味を、大人になってもずっと絶やさないかこさんも素敵です。

だるまちゃんだった

本書『未来のだるまちゃんへ』では、絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』の作者、かこさとしさんの半生と、そして子どもたちへの眼差しが記されています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』とは、1967年に出版された名作絵本です。〈だるまちゃん〉と〈てんぐちゃん〉は仲良しで二人で遊んでいますが〈だるまちゃん〉は〈てんぐちゃん〉のステキな出で立ちが羨ましくなり、お父さんの〈だるまどん〉に帽子や扇子や履物を強請ります。〈だるまどん〉は〈だるまちゃん〉のために道具を用意してくれるのですが、なんだか違う……という、すれ違いがおかしい絵本です。

大人が読んでも面白く、まただるまちゃんが愛おしくてたまらないのですが、どうやら〈だるまちゃん〉のモデルはかこさとしさんご自身の体験にあるそうです。かこさんのお父様は、欲しがってもないのにアレコレと子どもに与えたがる方だったそうで、欲しくもないものを「欲しい」と言い、買い与えられる自分に歯がゆさを感じていらしたそうです。それが〈だるまどん〉の姿であり、欲しくないものを用意されて困っている〈だるまちゃん〉なんですね。もちろん、お父様にも十分に目をかけられない息子への気持ちからなのですが、すれ違いなんですね。

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』挿絵イラスト

みんな、だるまちゃん?

〈だるまちゃん〉のもう一つの特徴は、なんでもよく「観察する目」と「好奇心」です。〈てんぐちゃん〉の衣装をよく観察していて、同じものが欲しいと思います。羨ましがっているというよりは「ステキ!」「いいな!」「ほしい!」って素直に自分の興味に従っています。

で、誰もが子ども時代、だるまちゃんだったんじゃない?ってことですね。

『未来のだるまちゃんへ』の中では、かこさんの子ども時代の思い出が語られています。かこさんは福井県で生まれ子ども時代を過ごしました。満州事変のあと、鯖江から兵隊さんたちが大陸へ出兵するのを、学校をあげて見送りへ行きました。そのとき、子ども心に「出征というのは、こんなに寂しいものなのか」と感じたそうです。周りは大人も子どもも「万歳」と声を上げ、旗を振っているのに、兵隊たちは誰も笑っていない。

当時小学一年生だったかこさんだけでなく、多くの子どもたちはその雰囲気を感じ取ったようで、いつも戦争ごっこして遊んでいる子らも、帰り道も黙ったまま。何も知らない子どもだからこそ、その場の「空気」を誰よりも率直に感じたのかもしれません。

「子どもだから何もわからない」のではなく、「こどもだからこそ、理屈じゃなく感覚でわかる」ってこともあるのかも。子どもを侮ってはいけないし、馬鹿にしてはいけない。彼らは「わかっている」んだと思いました。

次のだるまちゃんへ

かこさんはセツルメント活動を通じて、子どもたちを大人の目線で観察し、また絵本作家として活動を開始します。当初は会社員との二足の草わらじで、作家であることも隠していたそうです。家庭では父となりましたが、実の子との一緒に過ごす時間は少なかったと告白されています。家庭よりも、自分の運動や活動に没頭していたというのは、ちょっと意外な横顔でした。かこさんご自身が、夢中にのめりこむ〈だるまちゃん〉だったのです。

子どもたちの関わりの中で、大人の〈だるまちゃん〉の、未来の〈だるまちゃん〉へのメッセージです。

 生きるというのは、本当は、喜びです。
生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

(中略)

僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい。
そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけてそれをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。

p.251-252

「目を見開いて、それをきちんと理解して面白がっていてほしい」というのが、かこさんらしいと思います。世界には悪いことも嫌なことも考えたくないこともいっぱいあるけど、目を見開いて、理解して、そのうえで面白がってほしい。「面白がる」ってのがレベル高いし、ポイントですね。

だるまちゃんだったあさよるは

あさよるも、かつては〈だるまちゃん〉でした。いいや、ホントは今も〈だるまちゃん〉でありたい。けれども、どうだろう、興味や好奇心は尽きていないだろうか。

あさよるも、子どもの頃は何もわかっていなかったけども、なんとなく社会の雰囲気は感じていました。90年代に子ども時代を過ごしたので、将来貧しい社会がやってくることは悟っていたし、9.11テロに大人たちが落ち込んでいる理由がわからなかった。「起こるべくして起こった」としか思わなかった。原子力発電にムリがあるのは理科の本に書いてある。

なのに今なにが起こっているのか、自分の知識が邪魔してまっすぐ目に入りません。子どもの話はバカバカしく聞くに耐えないと感じてしまう。ほんとは、新しい人が古い人に教えてくれているのに。

『未来のだるまちゃんへ』を読んで、結構ヘコみました。〈だるまちゃん〉の話に耳を傾ける〈だるまどん〉はえらい大人だなあ。

関連本

『花森安治の青春』/馬場マコト

『ミライの授業』/瀧本哲史

『本を読む人だけが手にするもの』/藤原和博

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『バカにならない読書術』|本を読まない!身体を使え!

こんにちは。自分のインプット方法に不安を感じるあさよるです。

今、ブログもあるし、インプットがほとんど読書に偏っています。んで、最近はずっと「自分の知識には偏りがありすぎるのでは…」「圧倒的に“物語”がインストールされていない…」と感じます(-_-;)

本を読む、インプットするってことを考えたいなぁと思い、読書術に関する本を続けて読んでいます。

『本を読む人だけが手にするもの』|本を読む理由は……

『王様の勉強法』を読んだよ

読書と遊びと学習のはなし

養老孟司さんの読書術、初っ端から「本ばっかり読んでちゃダメ!」って話から始まります。

本からの情報って、とっても局所的な情報なんですね。人間は、体全身を使って情報を処理します。

いえ、人間だけではありませんね。あらゆる動物は体全身を使って“感じて”います。

部屋の中で、じっと座って読書をしていても、身体的な学習がなされないんですね。

二宮尊徳の像は、薪を背負って本を読んでいます。

あれこそが「学習」であると触れられています。彼は薪を背負い、転ばないように気をつけながら、道を急ぎつつ、本を読んでいるんです。“ながら読み”の達人ですね。

それだけ体も頭もフルに動かしている経験って、確かに現代の我々は遠ざかっているのかもしれません。

いわゆる“読書術”とは真反対!?

山や田んぼの中を走り回ることこそが「学び」であると紹介されます。

英才教育のつもりで、我が子にたくさんの本を与える親がいます。養老孟司さんは、そんな様子は逆効果だと指摘します。

大量に書物を与えるのではなく、むしろ文字情報が飢餓状態にある方が、貪るように処を読めると言います。確かに、「いつでも読める」「なんでも読める」となると、本を読む必然性がなくなってしまいます。

「足りない!」「もっと読みたい!」「なんでもいいから読みたい!」って状態が、子どもにとって英才教育になるのでしょう。

……と、これって巷でよく言われる“教育”とは違いますよね。むしろ真反対です。

大人の読書だって同じです。

見聞を広げるはずの読書が、視野を狭めていないだろうか?そんな疑問と、不安を感じました。

読書への取り組みに反省……

あさよるは幼いころ、両親から「よく遊びなさい」と言われ続けていました。あさよるは家の中でダラダラと本を読んだり図画工作をしているのが好きだったので、「もっと外で遊べ」と怒られていたんですねw

で、本書『バカにならない読書術』を読んで初めて、「あの頃の親の言葉はホントだったのかもなぁ」と気づきました。

そう、読書って知識は増えるし、頭も使っている気になります。が、所詮「他人が書いたこと」を読んでいるだけです。

で、読んでいるだけで「賢くなった気がする」という恐ろしい効能まであります(苦笑)。

ああ、自分、偏っているなぁ……と実感(;´Д`)(;´Д`)(;´Д`)

“ただの読書”より体験、経験へ

以前、テレビ番組かなんかで、お笑い芸人のロザン・宇治原さんが、「急に思い立って富士登山した」という話をしていました。

宇治原さんは、京都大学を卒業し、テレビでは高学歴芸人やクイズ王として活躍されています。

そんな“カシコ”の宇治原さんが、富士山に登頂した結果、「富士登山は、服装がムズカシイ」と感想を語っておられました。

富士山に登れるのは夏場だけです。しかし、富士山の山頂は寒い。防寒対策はしていたけれども「予想以上に寒かった」というお話。

んで、その話を聞きながら「宇治原ってホンマに賢いんや!」と思った記憶がありますw

宇治原さん、通常の半分くらいの時間で登頂し下山したそうで、身体能力も高いんですね~。

で、きちんと、経験から「服装がムズカシイ」と学んている。

身体能力 + 経験から学ぶ = めっちゃ賢いやないか!

ということですw

今回、養老孟司先生の話を読みながら、このエピソードを思い出しました。

身体を動かして学ぶ、になりたい……。

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『新しい道徳』を読んだよ

「あとで」が今の集中力を削ぐ

「集中力」は体力や学力と直結しています。風邪を引いて熱を出し体力が低下しているときには、全く集中できず風邪薬の服薬法を読むのも大変です。学力も、自分がある程度「理解できる」「分かる」分野の話は楽しく聞けるが、どこもかしこもチンプンカンプンな話題に集中することは出来ません。
私の場合は今、一念発起し英語学習に取り組んでいるんだけど……「先生が何を言っているのかわからない」「なにがわからないのかわからない」状態へ投入しており、内心とても焦っています。

藤原和博『新しい道徳』では、著者は民間人から東京都内の公立中学校長をされていた経歴があり、教育への指摘や考えも述べられていました。教育を通じて「道徳」を考える。あるいは、「道徳」は教育によって作られている。

本書では集中力についても触れられており、スマホやケータイが我々の集中力を削いでいるとありました。今集中しなくても、今話を聞かなくても、「あとで調べればいいや」「あとで電話で聞けばいいや」と、「今」理解することを放棄してしまう。これでは集中できるはずはありません。

これは、大人たちにとって耳の痛い話です。
本書は「新しい道徳」と名乗り、子供へ向けた教育の話を扱いながら、現在の「大人たち」へ警鐘を鳴らすのです。
私たちは、「子供のこと」と話題を横滑りさせずに、「我がこと」として向き合う必要があるでしょう。

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『キミが勉強する理由』を読んだよ

バイオリンとラケットのイラスト

バイオリンとラケットのイラスト

学歴の高い人ほど音楽の趣味を持っている人が多い印象があります。
もちろん、音楽は誰もが好きで愛しているものでしょうが、自分で楽器を演奏をし、バンドやオーケストラに参加していたりと、多趣味で、音楽も積極的に楽しんでいる印象があるのです。

収入の高いグループは、そうでないグループよりも、普段からジム通いやランニングなど、日常の中で運動をする習慣があるそうです。

高校生の体力テストのデータを見ると、偏差値の高い学校ほど結果が良い場合が多く、偏差値の低い学校ほど体力テストの結果も低く出ていました。進学校ほど文武両道なイメージは本当なのですね。

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