角川文庫

大槻ケンヂ『サブカルで食う』|文化系オタク趣味でお金を稼ぐ

『サブカルで食う』挿絵イラスト

こんにちは。サブカルになれなかった あさよるです。10代の頃、サブカル的な存在に憧れていて、日々邁進していたのですが、結果、なんかサブカルとは違った感じのオタクになってしまいました……。「日本語の〈オタク〉というより英語の〈ナード〉だよね」と定評です。 ん?ディスされてんのか!?

友人の中にも〈サブカル〉な人と〈アングラ〉な人がいますが、正直なにが違うのか分からなかった。本書『サブカルで食うの』著者は大槻ケンヂさんで、本書内でサブカルとは、アングラに笑いの要素を加えたものだと定義されていて「なるほど~」と納得しました。なのでアングラ趣味よりも、サブカルのほうが一般受けしやすいと。言われてみれば、アングラなお芝居に誘われたり同人誌を受けとるとき、妙に裏取引をしてる的な感じだった理由がわかりました。

本書は〈サブカル〉の話なので、映画『モテキ』的なノリでOKだそうです。文化系オタク必読です。

「サブカルで生きれたらいいのになあ」…と思う君へ

本書『サブカルで食う』は、「社会適応性も低いし、体力もないし、なんかサブカルなことをして生きていけたらいいのになあ。例えばオーケンのように……」と思う人へ向けて書かれた本です。著者の大槻ケンヂさんは、そんなサブカル周辺で生きたい人のことを、「サブルなくん」「サブルなちゃん」と名づけています。

大槻ケンヂさんもかつて「サブルなくん」でした。本書は一つのケーススタディとして、大槻ケンヂさんがサブルるなくんから、「サブカルで食う」に至った経緯をまとめたものです。

「サブカル」とは

まず「サブカル」とは。本書では、

ややこしい歴史的なことは一切無視して、最近、映画『モテキ』のヒットなどによって注目されている「サブカル」ってアレのことだと思っていただけたら。
「サブカルチャー」じゃなくって、もっと軽い「サブカル」ですね。一応本業らしきものは持っているけど、どう考えてもそれ一本で食っていけるとは思われていないって感じ。
たまにテレビやラジオや雑誌で名前を見たり、そういえば新宿ロフトプラスワンでイベントとかもやっているけど、結局、何をやってるんだかよく分からない。でも、就職しないで好きなことをやって楽しそうに生きている人たち……それが世の中の人がボンヤリとした「サブカル」のイメージじゃないでしょうか。

p.11-12

「これがサブカル」という定義があるわけじゃなく、なんかフワッとした、文化系の趣味が高じて仕事になっているような人のイメージですかね。本職はどうなってんのかわからんけど、ロフトプラスワンでイベントをたまにしているような……ああ、なんかリアルw

サブカルの人たちは「○○になりたい」という夢や目標があるわけじゃなく、何かに打ち込んで△△一筋!ってワケでもない。スポコン的な世界観じゃないのです。ふわっとしたものだから、アレコレといろんな変化球を打ってみる。大槻ケンヂさんの場合はロックバンドがそれで、デビューに至ったけれども「ロックをやるぞ!」と意気込んでそうなったわけではないらしい。

「何かをしたい」「何かができる」人は、そっちに向かって進んでゆきます。しかし、サブカルな人は「何かができない」ことに着眼していて、できないからこそ、変化球を繰り出すことになり、それがヒットすることもあるのだ。

サブカル=アングラ+笑い

本書ではさらに、「サブカル」をアングラ+笑いだと指摘しています。

僕がアングラな世界にどっぷりだった80年代、アングラって本当に気持ち悪いものとして捉えられていました。(中略)その後、「自主制作盤」のことを「インディーズ」と呼んでちょっとオシャレにしたように、「アングラ」だとみんなが引いてしまうので、誰かが「サブカル」と言い換えて敷居を低くしたんだろうなとも思うんですよ。そして、アングラがサブカルに変化していく過程でさらに「笑い」が付け加えられ、より多くの人にとって取っつきやすい軽いものとなったわけです。
「サブカル」というのは「アングラ」に笑いの要素を加えた結果、軽い印象になり、間口が広がったものだと考えることもできるかと思います。

p.15

近年では「サブカル」を自称する人も多いですね。どれくらいの人たちがアングラやサブカルチャーを踏まえているのかわかりませんが「サブカル」という言葉がある一定の知れ渡っていて、その存在も周知されているのは事実でしょう。

オーケンの場合

本書は元サブルなくんだった大槻ケンヂさんが、現在のようにサブカルで食うまでになるまでの経緯を紹介するものです。一つのケーススタディとしましょう。

大槻ケンヂさんの子ども時代は身体が弱く気が弱く、ある日「お前、明日からいじめるぞ」と宣言され、強迫神経症になってしまったエピソードから始まります。教師からも「腐った魚の目をしている」「お前の人生はいつもビリだ!」なんてヒドイことを言われたそうで、お、おう……。

そして当時、インターネットもSNSもない時代です。マイナーな趣味を持つ人たちは、仲間探しにあの手この手を使います。その一つが「机SNS」。机に落書きをしておいて、同志を探すのです。落書きが縁で親しくなった友人とマンガを描いて同人誌を作ろうかと相談しますが、なんか地味だし、友人宅限定のロックバンドを始めました。バンドの名前は「ドテチンズ」。するとオシャレなコピーバンドをやってる同級生から、公民館でのライブの前座を頼まれ初舞台を踏みます。

その後、「ドテチンズ」のメンバーが進学先の大学の先輩に自分たちの音楽を聴いてもらうと、気に入ってもらえ新宿JAMでライブをすることになります。

あの頃、何かを表現したいと思っている少年少女が出会う場所というのはライブハウスしかなかった。だからみんな仲間とつながるため、友達を作るためにはとりあえずライブハウスに通っていたんです。今、SNSでやっていることを、僕らはリアルでやる必要があった。それはとてもいい経験値の上げ方だったと思います。パソコンがなくて僕らは得をした。

p.27

「自分学校」で自習する

ライブハウスでは刺激的な経験をするけれども、学校生活ではパッとしないし、いじめられないよう透明人間のように過ごしていると、精神的に追い詰められて、火炎瓶まで自作してしまいます。

スクールカースト制度からドロップアウトすると、サブルなくんは学校の外にもうひとつの学校を作ろうとするんですよね。言うなれば「自分学校」です。学校の授業についていけない分、そこで自らに何かの宿題を課すわけです。
「俺は数学ができないけれど映画は山ほど観ている」「物理とかも分からないけど、本はこれだけ読んだ」そういった自分に対する宿題。これが彼にとってはちっぽけなプライドになるんです。

p.28-29

映画を見るというのも、「とにかくたくさん見なければならない」と自分に課し、まるで修行のように見まくったそう。もちろん、本も乱読するし、少女マンガまでチェックします。

「プロのお客さん」になるな

本書ではサブカルで食べてゆくために、大槻ケンヂさんはどうやってサブカル力(?)を上げてきたのか、またデビューの経緯や、ブレイク後の仕事や契約の話など、これまでの経験を語っています。

その中で重要だろうと思しきは「プロのお客さんにはなるな」という忠告です。

「プロのお客さん」とは、

サブカルな人になりたいと思って自分学校で一生懸命に自習している人が陥りがちなんですけど、色々な本や映画、ライブ、お笑い、演劇を見ているうちに、それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。

p.36

ドキッ……なんか胸が痛いんですけど……。ただサービスを受容して「ああ気持ちよかった」ってだけじゃただのお客さんです。サブカルな人になるのなら、

色んなライブを観ました、色んな映画を観ました、でも「じゃあその結果、君はどうしたの?」と聞かれると「え? いっぱい観たんですけど……何か?」で終わっちゃう。もちろん、そういう生き方もあると思いますけど、自分も表現活動をこれからしていこうというサブルなくん、サブルなちゃんは、プロのお客さんになっちゃいけませんよ。

p.36-37

ライブや映画鑑賞の結果「〈君は〉どうしたの?」という問いが、サブカルなんですかね。一般の評価とか歴史的位置づけとか、同時代に及ぼした影響とか、そんな話ではなく「君はどうしたの?」と、評価が内に向いています。また、サブカルになりたい人って、ゆくゆくは表現活動をしたいと考えているんですね。そのための肥しとしてのゲージュツ鑑賞なのだ。観賞することが目的になってしまっては、本末転倒なのです。

『サブカルで食う』挿絵イラストIMAXシアターの追加料金で椅子の背もたれの音響が使えるやつ、椅子がめっちゃ揺れる

あとは〈運〉だけなのだ

本書『サブカルで食う』は大槻ケンヂさんの自伝的構成なのです。大槻ケンヂさんはサブカルな仲間とつながるためバンドを始め、ライブハウスのステージに立つようになる頃、ちょうどインディーズブームが起こり、バンドブームに乗って、デビューに至ったと、なにやらそれはまるで「運が良かった」という話になっていますw

あさよるの感想は「大槻ケンヂさんは罪作りな人だなあw」というモノでした。サブカルな活動をしこしことしていて、たまたま「運が良かった」から「サブカルで食う」ことができているという話は、「身も蓋もない」とも言えるし「夢がある」とも感じる人がいるでしょう。あさよるは前者ですw

忘れちゃだめなのは、大槻ケンヂさんはただ映画見たり本読んでただけじゃないんだからね。仲間とバンドをやったり、ステージに立ってたんだからね、と一応書いておこう。

〈サブルなくん〉の言うことがわかった

あさよるの周りにも、サブカルな人になりたい〈サブルなくん〉〈サブルなちゃん〉がいましたw 本書『サブカルで食う』を読みながら、彼らの顔が浮かびます。そして、彼らの言動の意味が少しわかった気がします。それは「ぬるい趣味の延長で食べていけたら」「自分の知識やセンスが認められたら」と言いながら、特に何かに打ち込んでいる様子もないところ。

そうか〈運〉が巡ってくるのを待っているのね。毎日ブログを書いてると、誰かが自分を見初めてくれて、なんかトークライブとかに招待されて、なんとなくギャラや執筆料をそこそこもらって、贅沢しないけどセンスのいい友達が増えて、楽しくやれたらいいなあってことなのか。

みんなバンドやらないのもわかった

大槻ケンヂさんは仲間とバンドをすることで、より多くの仲間をつながりを持とうとしました。しかし、現在はインターネットもSNSもありますから、バンドをする必要はなくなったんですね。今の若い世代はバンドをやらなくてヤバイという話をアチコチで聞きますが、「居場所づくりとしての」「仲間とつながるための」音楽バンドは、やる必要性がなくなってしまった。そのせいでゴソッとバンド人口が減ってしまったのでしょうか。音楽一筋に打ち込む人は、時代や仲間は関係なく打ち込んでいるでしょうし。

今、YouTubeに動画投稿する10代や学生さんたちは、「仲間との思い出作り」や「仲間との活動として」動画を公開していると聞いたことがあります。だから儲けや費用対効果は度外視で動画を作ってるんですね。現在の「サブカル」の発表の場は、YouTubeがステージになっているのでしょうか。

そんなこと言ってる あさよる自身も、10代の頃バンドもやらずにWEBサイトを作って、日々ブログを更新していましたw あさよるにとって、サイトやブログはサブカルな発表の場だったのかもしれません。そして、今もね。

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『小説 君の名は。』|アニメ映画を見たら、小説も

2016年大大大ヒットした『君の名は。』みなさんご覧になられましたか?ついに今週、2017年7月26日DVD&Blu-rayがリリースされて、ご自宅で鑑賞された方も多いはず。ええ、あさよるも……え~、あさよるも……実は、あさよるは映画も見に行かずじまいでした(;’∀’)チーン

で、DVD発売も知らなくって、SNSでみなさん話題しているのを見て知りました。折角なので『小説 君の名は』を取り出した次第です。映画見てない人間が言うのもなんですが、これ、映画『君の名は。』ファンの方は小説読んでも良いかと思われます。「映画見てないくせに言うなよ」と言われるとその通りなのですが、「読んでみて!」と言いたくなるくらい、すごく良かった!

ちなみに あさよるは特典ディスクがついてるのが欲しい……なぜならば、新海誠監督の絵コンテのビデオが全編収録されているそうで、めっちゃ見たい!今週、オープニングの絵コンテが期間限定でYouTubeにアップされていて、すでに何度も何度も繰り返し見ておりました。すごい!

新海誠さんの『小説 秒速5センチメートル』がよかった

そもそも、なんで『小説 君の名は。』を所持していたかというと、同じく新海誠さんの著書『小説 秒速5センチメートル』が良かったからです。この作品はあさよるネットでも紹介しました。映画『秒速5センチメートル』では語られなかった主人公の気持ちが描かれていて、共感というか、納得というか、「彼もいろいろあったんだなぁ」分かり、自分の気持ちの持って行き先が分かった感じでした。

『小説 秒速5センチメートル』|小説で映画を補完^^

映画だと、あの美しい世界と、どこか陰鬱で孤独な描写。そして鳥肌のラスト。完成され閉じられた世界だからこそ、視聴者である〈わたし〉がどこへ心を持って行って良いのか戸惑いを感じたのかもしれません。それが小説では、主人公に共感や〈わたし〉を重ね得るスペースが用意されていたと言いますか。「小説読んで良かったなぁ」としみじみ思ったのでした。

んじゃ、今話題の『君の名は。』も読むべ!と、積んでありました。

『小説 君の名は。』はこんな話

『君の名は。』のストーリーはもうご存知の方が多いでしょうが、一応ネタバレしない程度に紹介します。まず、Amazonの商品紹介にはこうあります。

山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は、自分が男の子になる夢を見る。見慣れない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。一方、東京で暮らす男子高校生・瀧も、山奥の町で自分が女子高校生になる夢を見る。やがて二人は夢の中で入れ替わっていることに気づくが―。出会うことのない二人の出逢いから、運命の歯車が動き出す。長編アニメーション『君の名は。』の、新海誠監督みずから執筆した原作小説。

小説 君の名は。 (角川文庫) | 新海 誠 |本 | 通販 | Amazon

高校生の三葉と瀧がある日、お互いの魂が入れ替わってしまう。それは時々、夢を見るように起こる。見知らぬ場所の見知らぬ異性に入れ替わる二人は、戸惑いつつお互いの日々を過ごし、次第に二人はメッセージを残し合い、情報を共有するようになってゆく。しかし、ある日を境に、二人の入れ替わりが終わってしまう。瀧は、入れ替わっていた三葉を探しに、記憶を頼りに旅に出る。そこで、思ってみない事実に出会ってしまう。それが、三葉と入れ替わらなくなった理由であることも悟る。

現在と過去が錯綜し、大宇宙を股にかけて、二人の結びつきを軸に物語が急激に動き始める様子は壮大!

小説版は3種類ある

あさよるが今回読んだのは、角川文庫から出ている『小説 君の名は。』です。新海誠監督自ら書かれたもので、たぶんこれがスタンダード版でしょう。

これ↓

角川文庫以外に、2種類の『君の名は。』の小説があります。

『君の名は。 Another Side:Earthbound』 (角川スニーカー文庫)

スニーカー文庫から出版されているものは、アナザーサイド物語で、サブキャラたちのお話みたいですね。

これはぜひ読みたい!三葉のお父さんとお母さんの間にも何かあったようだし、おばあさんの思わせぶりなセリフも気になるし、テッシーのスーパーマンっぷりとかも気になっておりまして、触れられているといいなぁ~。

『君の名は。』 (角川つばさ文庫)

つばさ文庫は、子ども向けのもの。小学生の高学年くらい以上の人が対象ですね。物語は同じようなので、映画を見た子どもたちにプレゼント用にいいかもね。

感想のようなもの

ネタバレしないように、ということですので、フワッとしか紹介しておりませんがw、あさよるの感想を簡単にまとめました。

〈運命の人〉に出会うためには

まだ出会ったこともない二人。だけど二人はすでに想い合い、体の隅々の、その感覚まで知っています。だって、二人が入れ替わった記憶は忘れてしまっていても、入れ替わっている間の時間、互いの身体で生きていたのですから。

出会う前から想い合い赤い糸で結ばれた〈運命の人〉。それを実現するためには、これだけのエピソードを経ないとならぬのか!太陽系を股にかけた、千二百年の時を超えたスケールです。

『君の名は。』は、現在過去未来の時間を超え、離れ離れの距離を越え、そして地球よりももっと大きな力が作用しながら、三葉と瀧、二人の若者は出会うのです。壮大すぎ!

ハッピーエンド

映画『秒速5センチメートル』のレビューとか見ていると、「鬱エンド」なんて呼ばれていたり、バッドエンドであることに触れられていることが多い気がします。主人公の彼が、どんな気持ちで踏切を渡り切ったのかの解釈によりけりだろうけれども、「え~ここまで焦らしてそれ~」みたいな感じではあるw

そして、『秒速5センチメートル』がバッドエンドだったなら、『君の名は。』はみんなが望んだハッピーエンドでしょう。

新海誠監督の過去作も見たいね

前から、新海誠監督の他の作品も見たいなぁと思いつつ、まだ見てない。今回、このブログ記事を書くにあたり、『ほしのこえ』をぜひ見たい!と思いました。この作品は、新海誠監督がほぼ一人で制作した作品らしく、絶対見たい。

CMを見てずっと気になってるのは『星を追う子ども』。先に鑑賞した友人は「星を追えよ」と感想を漏らしていて、余計に気になって見たくなっている作品w

で、前作である『言の葉の庭』ですね。『君の名は。』を語る上で、前作くらいは見ておいて、盛り込みたいところ(映画すら見てないのにエントリーしてるけどねw)。

というか、『君の名は。』が見たいわ!

と、過去作見るのもいいけど、まず『君の名は。』を見たいっすw

小説版読了後の勢いでTSUTAYAへ走ろうかと思ったけど暑いし(苦笑)、配信ってめちゃ便利だなぁとしみじみ。

Amazonプライム版はこちら↓

追記(2018/07/04)

やっと映画版を見た感想のようなもの。

小説版の感想とほぼ同じ(苦笑)。というか、小説版とアニメ版に印象の違いがないのがすごい。アニメ見るの初めてだったのに、まるで過去に全編三鷹のような再現率だった。細かな描写がなされている点で、小説版もぜひ読んでほしいです。

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『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』|リアルこそドラマチック

こんにちは。深夜ラジオが好きな あさよるです。

オードリーのオールナイトニッポン聞いてます。あさよる自身あまりテレビを見ないので、オードリーのお二人はラジオでお馴染みです。

若林さんの本が、口コミも好評だったので、読みたくなりました。

人見知り芸人による雑誌コラム

『社会人大学人見知り学部卒業見込み』は、オードリー若林さんが雑誌ダ・ヴィンチに連載されていたコラムをまとめたものです。

単行本の内容からさらに加筆され、文庫版では『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込み』になっています。

今から読む人は、文庫版をおすすめします。

リアルこそドラマチック!

本書『社会人大学人見知り学部卒業見込み』を読み始めてしばらく、正直退屈だったんですよ。

人見知りを自称している人物が、人見知りエピソードを書いてるだけなんだもん。考えすぎてワーとなっている様子も、人間不信なことも、それ自体は別段珍しい話じゃないんだもん。

でもね、文庫本を半分くらい読み進めているうちに、様子が変わってきます。

自分の戸惑いや、自分の思い、考え、自分の価値観で溢れていた文面から、ある時から「他者」が介入し始める。

それは、作家志望のT。あるいは「十年ぶりの失恋」。

作家志望でハガキ職人をしていたTを東京へ呼び、世話をする。社会的な振る舞いを教え、挨拶を教え、食事の仕方を教え、服の着方を教える。

あるいは、十年ぶりに失恋した経験を通し、十年前の失恋を振り返る。自分を認めてほしいばっかりで、相手のことを見てなかったと思い至る。

もう、この二つのエピソードは、胸がいっぱいになってしまった。

あんなに静かに破裂しそうに張り詰めていた独白の連続から、それ以上に他人を想うことで解放されるんだから。

「オードリー若林」という作られたキャラではなく、ただただそこに生身の人間がいる。その生暖かい体温が伝わってくるリアルすぎるエッセイ。

社会で生きること

連載は社会人二年生のころから始まります。

2008年のM-1グランプリでオードリーが堂々の二位に入賞し、今へ続く大ブレイク。

売れない芸人をしていたオードリーの二人が、ある日突然目まぐるしく休む暇もない日々に突入し、その戸惑いが綴られます。

テレビカメラの前で求められるリアクションってなんだ?同じネタをして面白いのか?取り繕ったことなんか言えるワケねぇだろ!

切羽詰まった苛立ちから始まる本書、だけど結論は、意外なところに落ち着きます。

「社会で生きる」結論のようなもの

彼は、自分の性分を克服しようとか、改善しようとか、そんな素振りは見せません。

性格なんて変わらないんだから。そのままでいいじゃないか。

そして「社会人」としての在り方を、読者に語りかけます。

一番は、自分の仕事、どんな仕事そしているかが大切だ。だけど二番目は、どんなんなっても生きてていいんだって結論。

お金のない売れない芸人時代、お金がないと社会が人をどんな扱いをするのか見知ってきた人であり、一躍スターになると社会は彼らをどう扱うのかも知っている。

想像できないけれども、なんだか怖い経験

ただのタレント本だと思うなよ!

ただのタレント本だと思ってました。すみませんm(__)m

こんなにリアルに人の気配がする本……これまでに経験ありません。

胸がいっぱいになって、やけに感動して、やけに動揺してしまったけれども、ある意味ではゾッとするような読書だったかもしれない。

なんか、紙の束を読んでるだけなのに、人間がすぐそこにいる感じ。人の気配。知らない間に「ここに誰かいる!」って確信しちゃったような。

あんまり、万人におすすめするような本でもないし、オードリーのファンなら読めば?ラジオ聞いてるなら読めば?って感じなんだけれども、ものすごく感動したし、忘れられない読書をしてしまった気がする。

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『小説 秒速5センチメートル』|小説で映画を補完^^

こんにちは。あまり映画や映像作品を見ない あさよるです。

「よっしゃ今年は映画にアニメ見まくったるで」と意気込んで挑まないと、あっという間に習慣がなくなってしまいます。昨年2016年は『真田丸』を熱心に見続けたので(週に5回以上見た)、今なら習慣付けができるかもしれん。

で、『君の名は。』ですよ。まだ見てないんですが(;’∀’)、いずれ観る。「まずは小説を読んでみようかなぁ」と(映画見れよ)、新海誠さんの本を探していて、『小説 秒速5センチメートル』をわが家に連れ帰ったのでありました。

映画の雰囲気そのままに^^

アニメ映画『秒速5センチメートル』は、数年前に見ました。

本書『小説 秒速5センチメートル』はあのアニメの抒情的な雰囲気がそのまま文章化されているようで、びっくり。

朴訥とした独白が、どんどん切なさを募らせてゆきます。

アニメ版のむせかえるように美しい風景も、小説になるとすんなりと受け入れられるから不思議だなぁと。

やっぱ映画で見たいよね

と言いつつ、やっぱ映画が見たいなぁと思いました。

あの彩度が高すぎる世界。世界が鮮やかすぎて、そこにある感情や言葉まで純度が高いまま、突き刺さってくるような。

あの感じね。

やっぱあれは、アニメで見たいなぁと。

主人公の心情が知れた

と言いつつ、小説版を読んでよかった。

アニメ版では語られていなかった主人公の心情や状況が描写されているんです。

あさよる、正直に言います。アニメ映画版を見た感想は「……うわっ」「ひくわ……」でした(苦笑)。

男性が見ると恋心をくすぐる切なく共感できる物語らしいですが、女性のあさよるは、ヒロインの明里(あかり)ちゃんの立場を想像してしまいます。すると、そのような感想が導き出されてしまうのです(;´・ω・)

しかし、『小説 秒速5センチメートル』では主人公の独白や状況描写が言葉にてなされているので、より主人公に共感しやすかったのかもしれません。

一応ネタバレは避けますが、第三話「秒速5センチメートル」で、大人になった主人公の物語が描かれます。

彼が何を思い、どんな生活をし、初恋の明里をなぜ想い続けるのか。主人公の言葉として語られていたのがよかった。

A chain of short stories about their distance

彼らを隔てる距離は、物理的に離れ離れになることであり、または一緒にいても心は遠く離れている。

物語中では、さまざまな距離や速度が語られます。

主人公・遠野貴樹は確かに、篠原明里と共にいて、心が通い合った時間がありました。

しかし、距離が彼らを引き裂いた。

とてもやりきれない物語ではあるけれども、青春時代が終わろうとするとき“時間”という隔たりが、彼を動かすのかなぁ、なんて。

マンガ版と小説『秒速5センチメートル one more side』というのもあるそうなので、そっちもよみたい。

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