講談社現代新書

『「若作りうつ」社会』|いつまでも「愛され」「モテ」でいたい

こんにちは。放送中のドラマ『東京タラレバ娘』を見て、胸が痛い あさよるです。

主演の吉高由里子ちゃんも、榮倉奈々ちゃんも大島優子ちゃんも、むちゃくちゃかわいいのは言うまでもありませんが、劇中の三人は「ゼツミョーに超ウザッwww」とニヤニヤ見てたんですよ。なーんか痛々しいんですよねー。意識高い系っていううか~。

すると第一話の終盤、金髪のイケメソくんから「30過ぎて女の子じゃない」と言われて、ショックを受ける三人。そしてショックを受けるあさよる……

―( ̄∇ ̄;)→グサッ!!!

先日読んだ熊代亨さんの『「若作りうつ」社会』を思い出しました。彼女らは、女の子の世界から抜け出して、大人の女性になれるのでしょうか!?ドキドキ

年の取り方がわからない

『「若作りうつ」社会』の冒頭で、精神科医の著者・熊代亨さんの元へやってきた患者さんのエピソードから始まります。

Cさんは仕事と子育てをソツなくこなす女性で、合間には趣味も楽しみ、社内で尊敬を集める人でした。しかし、ある時から睡眠や食事がうまく取れなくなり、心療内科で「うつ病」と診断されました。

治療により病状は改善しましたが、彼女は納得しません。朝から晩までスケジュールが詰まった、エネルギッシュで充実した“元の生活”に戻られないからです。

「若い頃と同じように頑張りたい」と主張し、自身の加齢を受け入れることに抵抗を感じています。

「老いを受け入れられない」

アンチエイジングがトレンドの21世紀。多くの人が抱えている問題です。

世代が分断された社会

かつての日本社会は、良くも悪くも様々な世代が関わり合って生きていました。

監視し合い、古い風習や価値観に支配された生活であった一方で、生まれる人、老いる人、病気になる人、死ぬ人。人間のさまざまなステージの人々が一つのコミュニティに交じり合っていました。

現代は、地域社会や因習から解放された一方で、孤立した世帯は、他の世代と隔絶されてしまいました。

「年の取り方がわからない」とは、自分たちの先を行く人々を見失ってしまった世界です。

70代に差し掛かる団塊世代も、自らを「老人」とは感じていません。いつまでも若々しく、老いのない世界は夢のような世界ですが、残念ながら存在しない世界です。

現実と願望のギャップにより、じわじわと苦しむのが現在人なのかもしれません。

誰も何も言わなくなった

アンチエイジングは超人気です。テレビをつければ次から次へと健康食品のコマーシャルばかり。

何を口にするのも人の勝手ですが、それにしても、買う人がいるからテレビで宣伝してるんですよねぇ……。

と、「人の勝手」というのも、現在人が陥っている落とし穴になっています。

赤の他人である友人知人が、怪しいげなものにハマっていても「人それぞれだし」「人の自由だし」と積極的には口出ししません。

ムラ社会的な相互監視の世界から抜け出した我々は、気軽になった半面に、間違った方へ進もうとしても誰も引き留めてはくれなくなりました。自由と責任、両方を手に入れたんですね。

本書『「若返りうつ」社会』の「第二章 誰も何も言わなくなった」は静かにゾツとする話でした。

父親不在の社会

「年の取り方がわからない」社会は、「モテ」が力を持つ社会です。

小さな子どもは、一人で生きてゆけませんから、大人から「愛され」ることで生存率を確保できます。ここでいう「愛され」とは、容姿が優れていたり、コミュニケーション能力が高いことです。

簡単に言やぁ、かわいらしい、愛らしい子どもが可愛がられるという、身もふたもない話なんすが……(;´・ω・)

かつてのムラ社会では、多少コミュニケーション能力が低い子も「みんなの子ども」「社会の子ども」という認識がありましたから、なんとかやっていけました。

しかし、現在は個人と社会が遮断されていますから、生まれ持ったかわいらしさ(容姿)か、コミュニケーション能力がないと、かわいい子どもになれません。

いつまでも「愛され」たい

そして、年の取り方を忘れた社会は、大人たちもいつまで経っても子どもの世界にいます。容姿が優れ、コミュニケーション能力の高い「愛され」「モテ」こそが社会を生き抜く力なのです。

……なんか自分で書いてて冷や汗しか出ないんだけど(;’∀’)

で、自分の「愛され」「モテ」要素を受け入れてくれる「母性」を求めている。

一方で、現在は父性不在の社会でもあります。

戦後の経済成長とともに、父親は朝早くにはるばる遠くへ出勤し、夜遅くに帰宅する、家庭にいない人物になりました。子どもから見ると、父親が毎日なにをやっているのか分かりません。

「仕事をしている」「働いている」とは言っても、具体的に何をしているのか分かりません。実際に育て、養育してくれるのが母親ですから、母性が力を持つのも頷けます。

社会の構造が変わったことで、家庭内の形まで変わり続けています。そして、新しい社会像、家族像をなかなか描けず、終わらない子ども時代を過ごしているのが現代なのかもしれません。

……って、エヴァンゲリオンみたいな話やないか!

(「第三章 サブカルチャーと年の取り方」は、オタクと年を取れない我々のお話で、他人事とは思えません)

「老い」と「死」をどう受け入れる

「年の取り方がわからない」世界は、「老い」と「死」のない世界です。

しかし、実際に現実には我々人間は日々刻刻と年を取り、老い、死に近づいてます。観念世界と現実世界の隔たりこそが、苦しみや、居心地の悪さを生んでいるように思いました。

個人的な話ですが、あさよるの祖父母はみな早く他界していて「老人」というものを知りません。

街中で出会う高齢世代の人たちは、みなさんハツラツとしてらして、元気いっぱいで何度目かの青春を謳歌しているように見えます。または、まだまだ現役世代バリに働く人たちばかりです。

これから両親も老いてゆくのでしょうが、「老いた人」を側で見たことがありませんから、「老人」がどのようなものか、あさよるにはロールモデルがありません。それは、自分自身が老いてゆくイメージがないことです。

あさよるもまた、現在人の一員として自らの「老い」や「死」を持っていない一人なのでしょう。

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『ウイルスは生きている』|たんぱく質の結晶は、生命か!?

こんにちは。「化学」が苦手だと豪語して生きて来たあさよるです。

最近になって、必要に迫られ中学高校で習うようなことから勉強し直しています。どんな必要に迫られたのかと言うと、美容・健康に関することです。あさよるの体は化学物質でできている。食べ物も、サプリメントも、薬も、みんな化学物質でできている。

やっぱ、これ勉強しなきゃ話にならないなぁと、重い重い腰を上げたのですが……あれ、ちょっと勉強し始めると意外と面白いかも!?

先日、食品化学の講義を受ける機会がありまして、「ウイルス」についても簡単に触れ、興味深く、関連する書籍を手にしました。ちなみに、その講義の中では先生は、ウイルスは生物ではないとおっしゃっていました。

理由は、勝手に細胞分裂をして増えてゆくものを生命と言い、ウイルスはこれにあてはまらないから、というもの。生命とはなにか?という定義の話ですね。

で、今回読んだ『ウイルスは生きている』は、「ウイルスは生命である」と言います。はてさて、面白くなってきましたね。

ウイルスも人間も、たんぱく質の結晶である

さて、ウイルスが生命か否か?という明確な答えはありません。どうも、本書『ウイルスは生きている』を読んでると、「なんとも言えない」存在のようです。

と言うのも、「これを無生物だ」と言ってしまうと、「じゃあこっちも無生物だなぁ」と言わざるを得ないし、また別のウイルスを指して「これは生物だ」と言えば、「じゃあこっちも生物も言わざるを得ない」と堂々巡り。

要は、「ウイルスと生物の境目は極めてあいまいだ」と言うこと。

また、無生物とも言い切れない。ウイルスが曖昧な存在ということは、無生物と有生物の間に、明確な線引きが見いだせないってこと。

それを踏まえると、自己複製できないウイルスを、無生物だと言い切ってしまうのは乱暴に思えてしまいます。著者・中屋敷均さんはそこを「ウイルスは生きている」と言い切ります。

これまでとは違う、新しい視点でウイルスを考えてみようとの呼びかけです。

化学や生物が苦手なあさよるにとっては…

あさよる、先に述べたように化学や生物がとても苦手な人生を送ってきました……(;’∀’)

ですから、じっくり読まないとわからない(;’∀’)(;’∀’)>

もちろん時間をかけて、じっくり何度も読めば、そういうことかと頭に入ってきます。決して難しい内容ではないのですが、最低限、中学高校で習う化学や生物の知識を思い出しつつ読めるとよいでしょう( ´∀`)bグッ!

でもね、理解できるとめっちゃ面白い!目に見えないけれどもその辺を飛び回っているであろうウイルスに、ビビって生きるのではなく、「もっと知りたい」と思います。勉強の励みにもなりますね(・∀・)

おかしな不思議な「生命」にウイルスを加えると…

あさよるも深くは理解しきっていないので、深くは紹介できません(^_^;)サーセン

「ウイルス」という謎の存在を考えることで、生命そのものの不思議に触れることができます。

ナマケモノは昔々超巨大で、超アクティブな生き物だった。が、巨大でアクティブなヤツらは滅びてしまい、木の上で怠けているヤツだけが生き残った。なんだか変なお話。ゆっくりのんびりしているから生き残った。

同じように、細菌も住めないと考えられていた深海に、超スローペースで細胞分裂をする細菌が発見された。この細菌、あまりにもスローな生命活動に、とても生命のように見えない。ダイナミックに細胞分裂を繰り返すものばかりが生命ではない。

そもそも、生命と一口に言っても、多種多様すぎて、みな同じものだとは思えない。

他の昆虫の幼虫に卵を産み付け、身体を引きちぎって出て来る昆虫は、エイリアンにしか見えない。しかも、彼らはウイルスを巧みに用い、寄生先の肉体を自分の都合の良いように操ってしまう。

生命はウイルスと共に生きている。「共存」としか言えない状態がある。

そもそも、他者と自己が曖昧な生物もいる。植物がそうです。枝を折り、他の木に接木をしたら、それは別の株になる。だけど、元々同じ自己だったのに、切り離したら他者になるの?哺乳類の我々には謎すぎる。

「生命」と呼ばれているものでも、不思議でおかしなものがたくさなる。これだけ幅のある生命の中に、「ウイルス」を加えてみれば、見えてくるものも変わるのかもしれない。

とてもページをめくるのがワクワクする読書でした。子供の頃を思い出しました^^

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