こんにちは。最近「田舎住まいもいいなぁ」と思い始めたあさよるです。元々、田舎で育ったのですが、いや、だからこそ「都会で暮らしたいっ!」って憧れや焦りがあったんですよね。

都市部に住んでいれば問題も不安もないわけじゃないし、それは田舎でも同じですから、どこも同じゃないのか?と思い始める所存。

『里山資本主義』はSNSで紹介している方がいらして、タイトルが気になって手に取ってみました。ちなみに↑の書影は「スタジオジブリ 近藤勝也氏 描き下ろしイラスト」と帯に書いてありますが、あさよるが手にしたものは残念ながら、普通の表紙でした(;’∀’)

「自力でなんとかなる」を増やす

『里山資本主義』は、見捨てられた田舎〈里山〉を利用するこで、現在の社会問題のいくつかの対策になるのではないか?という提案です。

例えばエネルギー問題。林業で生まれる廃棄される端材を燃やし、電力発電に充てている企業が紹介されます。発電した電気は自分たちで使用し、余った分は売ってしまう。経費削減と共にプラスにもなるという、一石二鳥。

別に、廃材を燃やせば原発に取って代わるエネルギーが手に入るだなんて言いませんが、停電しても「なんとかなる」。この安心を自分で生み出すことができる。

あるいは、食糧問題。都市部で生活していると、食料品はお金で手に入れています。ということは、お金が無くなったら食べ物がなくなります。田舎での生活は、ある程度自分で食料を自給することもできるし、田舎あるあるとして「誰かが何かをくれる」という物々交換が起こります。仮に現金がなくなっても、しばらくは食いつなげそうです。

生きるためにお金が必要です。その事実は変わらないでしょう。

我々はお金によって、エネルギーを買い、食糧を買っています。それは、〈自分の命を他人から買っている〉ことなのかもしれません。

そして、「金さえあれば生きていける」と思っていたのに、そうではなかった。お金を払えても、停電してしまえば仕事にならない。仕事がなくなればお金もなくなり、命もなくなります。

言い知れぬ〈不安〉は、自分の命を他人が握っており〈お金の問題ではない〉と気づいてしまったとこから始まったのかもしれません。不安から、手元に現金を残そうと経済活動は縮小し、ますますお金がなくなってゆくという負のスパイラル……。

『里山資本主義』では、少しだけでも自分の〈命〉を、自分で何とかできるようにしようと呼びかけます。それが〈安心〉を呼び、安心が経済を刺激するでしょう。

「どこでもやってける」生き方

『里山資本主義』で紹介されている事例は、「こんなところに仕事なんてない」「都会でないと儲からない」「都市部から遠いとお客さんが来ない」という思われていた場所で、実際に成功しているビジネスモデルが取材されています。

これを読んで感じたのは「どこでもやれるんだ」ということ。むしろ「こんなところになにもない」と思われている地域は、ただ見過ごされているだけなのかもしれません。

節約・倹約ブームで安価なものが持てはやされる一方で、手の込んだもの特別なものへお金を使いたいニーズもあります。自然志向や〈隠れ家的〉なお店を求めて県外へ車を走らせる人もいます。

「田舎でなにやってもダメだ」と思い込みから、我々は大きなチャンスを逃しているのではないだろうか?とハッとしました。

〈里山〉という資産が見過ごされている?

〈都市〉が人工物であるように〈里山〉も人が長い年月をかけて作り上げた人工物です。都市がそうであるように、里山も人が放置すれば朽ちてしまうでしょう。このまま捨ててしまうの?そこに〈資源〉がまだ眠っているんじゃないの?そう語りかけられているようです。

使いようによってはいかようにもなりそうなものを再確認させられる内容でした。

あさよるも、身近な人たちの様子を見ていても、やっぱり都市部や街中での子育ては大変そうです。子どもが思いっきり走り回れる場所がないので、習い事をハシゴさせて運動できる場を確保しているようです。これは……お金がないお家では、体を動かすことも十分にできないってこと?

土地も高く、狭いところにたくさんの人が住むことで、問題やトラブルも発生します。

「田舎はダメ」と自分に呪いをかけずに、「田舎もアリ」と選択肢として持っておくのは、今後の生き方に大きな影響がありそうです。「なんとかなる」を手に入れる。

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