『本で床は抜けるのか』を読んだよ

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やましたひでこさんの著書『新・片づけ術「断捨離」』が出版されたのが2009年のこと。その後「断捨離」という言葉は流行語に留まらず、日本語として定着した感がある。「捨てる」という行為の後ろめたさや背徳感から、モノへの執着から離れ新たな生き方を見つけるような、前向きな意味を与えた言葉だろう。

世代間による「ものの価値観」の差

現在でも、ある一定以上の年代の方にとって、物を捨てる、処分するということが難しいことであるらしい。80年代生まれの私にとっては「もののない時代」は知らないので、その感覚は想像もつかないものだ。今になって、両親と私との間にも、物の価値や感覚の違いを認識することも増えてきた。

平成不況と共に育ち成人した私にとっては、物への執着するあまり、物質的に物が自分のスペースを占領し、圧迫されていることの方が「もったいない」と感じる。土地やスペースにもお金はかかっているし、いつ家族全員露頭に迷うのかもわからないのだから、持ち物をコンパクトにして、身軽であるべきだと思う。親子間でそのせめぎ合いが続く。

床抜け!?木でできている本はすごく重い

『本で床は抜けるのか』を読んで、感慨深いものがあった。というのも、この『本で床は抜けるのか』がWEBで連載中、ちょくちょくと読んでいたからだ。

この連載は一時期、SNSで仲間内で話題になった。話題の対象はそのまま「本で床は抜けるのか?」だ。私は、実家では6畳の和室一間を自室として割り振られている。床の間と押し入れがあり、すべて開放すると8畳分の面積が確保されている。その壁面には、本棚やカラーボックスを積み上げ、主に書籍や書類を収納していた。押し入れや、母の嫁入り道具の和箪笥の引き出しにも本を詰めていた。

まだまだ「床が抜ける」というレベルではなかったが、畳の上に棚をまっすぐには設置できず、畳も重みで凹んでしまう。いずれ、床にコンパネを張るなり補強しないといけない。更に、両親ともにそれぞれ蔵書がそこそこある。古い家なので、過去に何度かリフォームをしており、新築時よりも強度は下がっている。1995年の阪神淡路大震災で我が家も基礎と柱がずれてしまい、完全に中に浮いている部分もあるらしい。なんとなく「立て付け」や「物の重量」は気になり続けており、東日本大震災もあり、更に「大丈夫なのか?」と心配が募っていた。このWEB連載も人事とは思えない内容だった。

人生がときめく魔法をかける

そう、私も両親にヤイヤイ言いながら、部屋中いっぱいに物がひしめき合っていたのだ。

2015年は私にとって転機になる年だった。私も重い腰を上げ「断捨離」に踏み出した。ずっと「自分は最低限のものしか持っていない」「要らないものは所有しない」と思っていたのだが、いざ片付けを始めると、ゴミが出る出る。
そして眼から鱗だったのが近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』を読んだことだ。読了後しばらくは、本に書かれている意味が理解できないままだった。しばらく片付けを続けていると、突然「そうか!」と気づいた。

私はずっと、今の自分にとって「必要か/不要か」と物を選り分けていた。しかし視点が変われば要不要の基準が変わる。「これからの私には必要か/不要か」「3年後の私には必要か/不要か」という視点が加わった。しかも、その将来の自分は、今とは全く違う、理想の生活をしている自分だ。
ああ、だから「人生がときめく」のか。

電子書籍、自炊データ……便利だけど不便

本は以前から、マンガや小説は読み終えるそばからダンボールに詰め、ダンボールがいっぱいになるとブックオフへ売っていた。また読みたくなったら再び購入して読む。特にマンガは、一作品あたりの冊数が多いので、手元に置いておくことは物理的に無理だった。何度も何度も買ったり売ったりを繰り返している本もある。現在は、新刊で発売されるほとんどは、電書で購入している。電子書籍の登場はとてもありがたい。

本書内でも増え続ける蔵書と、電書や自炊(書籍や冊子をスキャンし、自分でデジタルデータ化すること)との両立が画策されている。しかし、著者にとっては電書は読みにくい、扱いにくい代物らしい。本書内では、作家の大野更紗さんが取材されている。彼女は、限られたスペース内で蔵書を管理し、電書や自炊も活用している。世代的にも、彼女の書籍とのつきあい方が私には一番近いだろうか。

確かに、電子書籍よりも、紙の書籍の方がずっと読みやすい。我々にとって、紙という素材はやはり格段に扱いやすく、それに引き換えデジタルによる技術は未熟なのだろう。しかしそれは技術的な問題であって、次第に解決してゆくものだと期待している。
デジタルデータの良い点は、クラウド化しておけば、いつでもどこでもそれを引き出せることだ。私の場合は、自炊したPDFファイルはそのままEvernoteへ投げている。

「自分だけの部屋」は“ときめく”だろうか

さて、この連載は「オチ」がついて終わる。
著者は、大量の蔵書を収蔵する自らの仕事部屋を、ヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』になぞらえて表現していたのが、なんとも皮肉だ。

ヴァージニア・ウルフは20世紀初頭に活動したイギリスの女流作家で『自分だけの部屋』では、女性は書斎・「自分だけの部屋」を持っておらず、ゆっくりと本も読めないことや、文壇は男性社会であることが諧謔的に表現されている。
そして、著者に最後に待ち受けていたのは、皮肉にも妻からの別居話……。部屋を蔵書が占領するあまり、家族のスペースがおろそかになっていたのかもしれない。ちょっぴり後味の悪い読了感。

本で床は抜けるのか

  • 著者:西牟田靖
  • 発行所:株式会社 本の雑誌社
  • 2015年3月10日

目次情報

  • はじめに
  • 1|本で床が埋まる
  • 2|床が抜けてしまった人たちを探しにいく
  • 3|本で埋め尽くされた書斎をどうするか
  • 4|地震が起こると本は狂気になってしまうのか
  • 5|持ち主を亡くした本はどこへ行くのか
  • 6|自炊をめぐる逡巡
  • 7|マンガの「館」を訪ねる[前編]
  • 8|マンガの「館」を訪ねる[後編]
  • 9|本を書くたびに増殖する資料の本をどうするか
  • 10|電子化された本棚を訪ねて
  • 11|なぜ人は書庫を作ってまで本を持ちたがるのか
  • 12|床が抜けそうにない「自分だけの部屋」
  • おわりに
  • 参考文献

著者略歴

西牟田 靖(にしむた・やすし)

1970年大阪府生まれ。ノンフィクション作家。アジア・太平洋諸島の元日本領、北方領土や竹島といった国境の島々をテーマにした作品で知られている。著書に『〈日本國〉から来た日本人』『ニッポンの国境』『僕の見た「大日本帝国」』『ニッポンの穴紀行』『誰も国境を知らない』など。

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