小説

コリコの町の人々と関わり、悩み、成長する『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』

角野栄子『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』書影

「働く」ことは、誰にだって同じことなのかもしれません。14歳の魔女、キキも同じです。

魔女の修行のためにコリコの町へやってきたキキも、宅急便をはじめて2年目です。お届け物を請け負って、町の人に喜んでもらっています。キキの貢献で、魔女への悪いイメージも払拭されつつあります。

しかし、キキの仕事は順風満帆ではありませんでした。「町の人に喜んでもらいたい」と始めた仕事なのに、不意に「黒い手紙」を運んでしまったからです。結局は勘違いだったのですが、キキが運んでいる物は、人の良心ばかりではないのかもしれません。

キキは悩み戸惑います。自分の仕事について、魔女について、自分の持っている魔法について。

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『魔女の宅急便』を読んだよ

『魔女の宅急便』書影

魔法使いには魔法使いの“ならわし”があります。
子供の頃に読んだ物語には、私とは違う“ならわし”を持った人たちの、こだわりや習慣にいつも、心奪われていました。
自分とは違う、違う世界の物語であることが、それにより表わされているからです。

魔法使いのキキは、真っ黒の服を着て、真っ黒のネコを連れています。それが魔女のしるし、魔女とはそういうものだからです。
しかし、13歳のキキは、そんな古臭いしきたりや慣習が煩わしく、お母さんから魔法薬の作り方も学ばないまま、魔女の修行にでかけます。

黒い服や黒いネコ、しきたりや習わし、伝統は、人と魔女を分けるものです。魔女の“ならわし”こそが、魔女のしるしで、人と魔女を分け、魔女を魔女らしくしているのでしょう。
キキたち魔女は数も減り、もうたくさんの魔法を忘れてしまっており、キキのお母さんも空を飛ぶことと、くしゃみ止めの魔法しか知りません。

境界は時に、タブーや禁忌を作ります。
私たちの世界でもよく知られたタブーは、食べものそれでしょう。豚肉食の禁止はイスラムとユダヤを分け、キリスト教世界とイスラム世界を分けています。ヒンズーの牛肉食のタブーは、イスラムの豚食の禁忌に影響を受けていると言われています。タブー・境界は、コミュニティを強化します。

しかし一方、外部から誤解や、「知らないこと」「分からないこと」による恐れや偏見も招いてしまいます。
魔女も、魔女のいない地域では怖がられているようです。キキが修行先に住み着いたコリコの町も、長らく魔女がおらず、魔女には怖いイメージがあったようです。キキが町に馴染んでゆくずつ、その誤解は晴れてゆきます。

キキは、町に馴染めるようになると、自分が魔女なのに空を飛ぶとこしかできないと気づきます。なぜ母からそれ以外の魔法を習わなかったのか、不要だと思っていたのかと思います。せっかく、コリコの町の一員になろうとしているのに、キキは自分が魔女であること、コリコの人たちとは“違う”ことを意識し始めるんですね。そうして、キキは人々と境界を濃くし、魔女らしくなってゆきます。
町に馴染むほど、人とは違う、異質な存在に自らなってゆきます。

魔女が魔法忘れ、人と馴染んでゆく中、しきたりや習わしがますます重要になってゆきます。魔女と人を分けるものですから。

13歳で独り立ちし、魔女の居ない町へ移り住むしきたりも、魔女の存在を知らしめますが、魔女がどんどん人に馴染んでゆく原因でしょう。しかしキキの例を見ると、「魔女である」意識をつなぐには、有効な手段なのかもしれませんね。

全6巻まであるシリーズなので、今後のキキの成長が楽しみです。

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ジュラシック・パークは原作小説も超絶品。絶対読むべし

ジュラシックパークに登場する恐竜(ティラノサウルス)と古生代の生物(三葉虫)の化石のイメージをコピックで描いたイラスト
今週、金曜ロードショーで映画「ジュラシック・パーク」が放送されるそうなので、この機会に是非とも原作小説も読んでいただきたいのです。
理由は……超絶面白すぎるから。
それだけ!

映画は文句なしの超名作じゃないっすか。
これね、原作小説も超絶面白いの。

しかも、映画版と小説版、面白さの方向性が違っているから、どちらも甲乙つけがたく面白いのよね。
映画は次々とアクシデントが起こって息つく間もない面白み。
それに対し小説は、もちろんスリルもありつつの、さらにサイエンス要素がより多く、サスペンス的な雰囲気もある。

だけど、両方ともちゃんとエンタメしていて、ただただ面白い。

大まかなあらすじは大体同じ……だけど細部が違っていて……

映画、小説とも大まかなあらすじや設定は大体同じです。

恐竜を科学の力で復活させ、恐竜の動物園・「ジュラシック・パーク」の開園が迫っています。
開園前に、ジュラシック・パークの安全性を確認するため、古生物学者や数学者、弁護士がモニターとして招待されます。
一方、パークに雇われているエンジニアが、機密情報をリークするため、一時的に島全体のセキュリティをオフにしてしまいます。
その間、恐竜たちが檻から逃げ出し、パーク内はパニックへと陥っていくのです。

だいたいこんな感じでしょうか。

しかし細部が違います。
映画では好好爺のように描かれる、ジュラシック・パークの生みの親ジョン・ハモンドは、小説では金に細かく、融通が利かず、何もかもを自分の思いのままに動かそうとする嫌な経営者として描かれています。

ジュラシック・パーク崩壊の引き金を引く、太っちょのネドリーは、映画では少しは愛嬌のある人物に描かれていますが、小説ではもっと小者感があり、好きにはなれないキャラクター。
しかし、彼の最期、恐竜に襲われる描写はいやに細やかで、可哀そうに思えます。
だって、彼のしでかしたこととはいえ、一人で島全体のシステムを請け負わされ、ジョン・ハモンドから無理難題を押し付けられるにも関わらず、彼の仕事は評価されず低賃金。超ブラックなのだ。
彼が反乱を起こすのも無理はないと思ってしまう。

勧善懲悪。細部の違いが、結末の違いを生む

小説の「ジュラシック・パーク」は勧善懲悪です。
ここでいう「悪」とは、神様のまねごとをし、命を弄んだ人物。
つまり、ジュラシック・パークの運営者側の人物たち。
先ほど述べたネドリーの最期も無残ですが、パークを作ったジョン・ハモンドの最期はもっとみじめ。
ジョン・ハモンドは、孫たちの悪戯に滑って転んで足を捻挫して、動けなくなったところを、パークの掃除屋である小型の恐竜の群れに襲われます。

ジョン・ハモンドは、映画では生き延びるんですよね。というか、特に怖い思いもせず、最後にジープで古生物学者のグラント博士や子どもたちを迎えに来てEND。
更に、続編の「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」にも登場します。
小説の方が容赦ないのです。

続編がすぐ読みたくな~る

この小説「ジュラシック・パーク」の読了後は、もれなく続編「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク2」を読むからまだいいのですが、その続編を読み終わった時の喪失感といったら……。
「ああ、こんな面白い小説を読んでしまった後、これから何を読んだらいいんや……」
と途方に暮れること間違いなし。
それくらい面白いんです。
ね、わたしも半年以上前に読み終わったのに、未だに「ジュラシック・パーク」以上に面白い本に出会えず困っているところなんです。
一緒に途方に暮れましょう!w

ジュラシック・パーク<上>・<下>
マイクル クライトン/著、酒井 昭伸/訳
早川書房
(1993)