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『スマホ断食』|落ち着け!人とつながりすぎネット時代

『スマホ断食』挿絵イラスト

こんにちは。あさよるです。あさよる家には中学生の頃Windows95がやってきて、高校生の頃から24時間ブロードバンドで常時ネット接続されるようになりました。10代の頃、朝まで友だちとチャットしてそのまま合流して遊びに繰り出したりね。ということで、あさよるは「ネット依存症」だと言われたらNOとは言えないでしょう。けど、ピークは越えていて、近場に出かけるときはモバイル端末を一切持っていないことの方が多いです。

スマホの登場によって、文字通り24時間ネットにつながりっぱなし、人とつながりっぱなしになった人も多いでしょう。寝る直前までLINEして、お布団の中でYouTubeを見て、朝一SNSチェックして。今日読んだ『スマホ断食』は、もはや当たり前になった習慣から、たまには脱却してみようとの誘いです。一人の時間、自分の思考に浸って、物思いにふける時間を取り戻しましょう。

「物思いにふける時間」を

本書『スマホ断食』は、スマホやパソコンから離れ〈ネット断ち〉の必要性を説く内容です。著者の藤原智美さんご自身が正月の三が日、パソコン、ケータイ、テレビ、ラジオもシャットアウトし、活字情報のみに触れる時間を作ったことで、「情報漬け」生活から距離を置きます。そこから、情報断ちを月に1回2回と増やしてゆき、とめどもないネット依存状態から脱した経験から始まります。

藤原智美さんは作家ですから、もちろんパソコンもネットも必需品です。しかし、そのパソコンやネットによって集中力が阻害されることにも触れられています。本書も決してスマホやネットを否定しているものではありませんが、「道具に使われている」状態を自覚し、脱出する重要性が紹介されています。

枕元にスマホを置いて眠るわたしたちは、24時間人とつながりっぱなしで「一人の時間」を失ってしまいました。現代の若い人は、スマホと一人部屋のいずれが欲しいか尋ねると、スマホを選ぶそうです。今の大人世代は、かつて「一人の時間」を過ごした経験を思い出してみてください。その時間は、自分の物思いにふけったり、ボーっとしたり、何かに集中したり、自分の思いを吐き出したり、なにかしらかの時間だったはずです。

時々思い出しては「一人の時間」を持つことは、意味がある活動ではないでしょうか。本書では、ネット依存によって起こっている弊害が紹介されています。

人とつながりすぎ時代

スマホを手にしたわたしたちは、24時間ネットにつながっています。スマホを操作する時間はケータイ時代の2倍になっているそうです。そして、その時間の多くはTwitterやFacebookのSNS、LINEなどに費やされます。それらは、単に暇つぶしではなく「向こう側に人がいる」のです。そう、現代は「人とつながりっぱなし時代」なのです。

そして、単に個人と個人がつながっているだけじゃない。情報に翻弄され、なにがなんだかわからなく、自我を失っていると言っても言い過ぎじゃないかも。

祭り・炎上に翻弄される

今やネット発の祭り・炎上がテレビや新聞等メディアをにぎわします。もうマスコミもネットを無視できないし、抑え込むこともできません。

今(2018年5月)アイドルタレントのわいせつ事件から派生して、セクハラ・パワハラの話題でタイムラインは持ちきりです。先月の4月には相撲の土俵の上で倒れた舞鶴市長に救命処置をした女性を、土俵から降りるようアナウンスしたことが炎上していました。その前にはFacebookの個人情報の取り扱いや、なにより今年は冬季オリンピックの年でした。遥か昔の話のようで忘れていた……。

あまりにも目まぐるしくトレンドが移り変わり、その都度なにがあったのかよくわからないまま、なんとなくの雰囲気に自分の気分も動かされています。その炎上や祭りの勢いを誰もコントロールできていませんし、「結局のところなんだったの?」ってことが多すぎます。

例えば「STAP細胞」の話題は、正直、多くの一般人は専門知識なんて持っていないし「結局あれはなんだったのか」分かってないんじゃないでしょうか。STAP細胞の騒動も、件の論文について指摘したのは専門のネットニュースサイトだったそうです。そこから、あれよあれよと一挙に大事件となり、亡くなった方もいましたが、多くの人には「結局あれはなんだったのか」わらかないまま。

また、2020年の東京オリンピックのロゴの盗作疑惑で賑わったこともありました。で、「あれは結局なんだったのか」って感じの人も多いんじゃないでしょうか。芋づる式に他の盗作を指摘する画像もネットで持て囃され、テレビでも放送されていました。

「自分の考え」を持つ時間がない

各話題の良し悪しの話は本題ではありません。ここで重要なのはトレンドに翻弄されることによる弊害です。結局なんなのかよくわからないニュースが多く、理解しないまま次々とトレンドが移ろってゆき、「自分の考え」を持つ時間なんてありません。「本当はなにがあったのか」を知る時間も、考える時間もありませんから、反射的に「快不快」や「好き嫌い」しか持てません。

いじめ自殺があると、いじめた生徒やその家族の名前、担任教諭の名前などが探り出され公開されます。そのとき「同姓同名の別人」がとばっちりでバッシングに遭うこともあります。少し考えれば「別人かも」という可能性が多いにあると分かりますが、もはや「祭り」になっている状態を誰もコントロールできません。

「いいね!」のために行動してしまう

SNSにどっぷり浸っていると、TwitterやFacebookで「いいね」されるための行動をとり始めます。「インスタ映え」はもはや伝統芸のようになり、加工された写真映えするかしないかで消費の動向が変わります。

市民マラソンがブームになってしばらく経ちますが、かつて「孤独」だったマラソンも、今や「SNSに投稿するため」にコスプレランナーも目立ちます。コスプレといえば、ハロウィンもいつの間にか定番のお祭りになっています。

出会った景色や出来事は「いいね」されるか否かで判断し、写真を撮って投稿して終わり。そのため、一瞬一瞬の風景や心模様に焦点を合わし「感じる」「考える」機会が減っているのかもしれません。

ネットネイティブ時代

すでにインターネットが普及したあとに生まれた「ネットネイティブ世代」は社会人になり始めています。彼らに見えている世界は、ネット以前の世代とは全く違うでしょう。そして、ネット以前に生まれた世代ですら、ネットの情報、SNSの人とのつながりにより翻弄され、かつて「ネットがなかった時代」とは全く違う時間を過ごしています。

新しい感覚と、従来の教育

ネットネイティブ世代にレポートを書かせると、平然とコピペでパッチワークされた文章を提出するそうです。それが彼らの「普通」なんですね。「著作権」という概念を持っていないかのようで、ネット上にある情報は無料で勝手に使っていいと考えているようにさえ見えます。

学校教育でもタブレットが導入されたり、黒板の代わりにタッチパネルのスクリーンが導入されている学校もあるそうです。事前に用意されたデータを映し出して授業は進みます。「黒板に注目」という決まり文句もそのうちなくなるのかもしれません。そんな教育では、そもそも「学校」自体が不要になるのかもしれません。実際に「MOOC」と呼ばれる、インターネットを使った教育も世界に普及しています。

一方で、アナログな授業を頑張っている先生もいるようです。小学生に辞書をひかせ、漢字をたくさん覚え、アナログの本で調べることを徹底して教え込んでいるのです。その教育を受けた子どもたちは、中学生になっても机の上にアナログの資料を並べ、自分で調べながら勉強することに抵抗がないようです。

人格がビックデータに集約されて……いいの?

ショッピングしてポイントカードを提示すれば、ポイントがどんどん溜まってラッキー! ……だと思っていますか? 企業はポイントカードで個人と買い物の傾向をひも付けし、よりピンポイントにセールスを行うために情報を集めています。ネットで買い物すればその買い物の傾向から、表示される広告が変わります。

自分という人格ではなく、自分が情報化されているようです。

著者の藤原智美さんは「智美」という名前の男性です。通っているフィットネスクラブで会員カードを提示すると、女性用のロッカーキーを渡されることが二回や三回じゃないそうです。目の前の男性からカードを受け取ったのに、パソコン画面に映される「智美」という名前だけで女性だと判断されているようです。

すでに、生身の肉体や人格よりも、情報・データの方が大きな意味を持つ時代は来ているのかも。

『スマホ断食』挿絵イラスト

みんな、おちつけ!

芸能人の不倫とかLINE流出とかセクハラとかブログ炎上とか、もう、とりあえず落ち着け! 実際に、当事者間で何があったのかなんて到底わたしたちにはわからないんです。芸能人のスキャンダルや下世話な話がオモシロイのはよーくわかりますが、冷静に考えてみると、これってとても恐ろしいことかもしれません。

そりゃ、芸能人のスキャンダルは「見世物見物」かもしれませんが、日々炎上している話題の中には、わたしたちと同じ〈一般人〉も多くいます。別に有名人でもタレント志望でもない人が、あるとき、ある瞬間に「見世物」にされるって、恐ろしくないっすか? 当人に過失もなく、事実とは違う言説が拡散されちゃうこともあります。そして、誤報は一気に拡散されるのに、訂正はあまり拡散されないというジレンマもあります。

まあ、とりあえず落ち着け! ちょっと深呼吸して、スマホとパソコンの電源を落として、まずは「落ち着く時間」を。そして「ゆっくり、自分の頭で考える時間」を。時にはアナログの紙の情報を集める習慣も。『スマホ断食』は、誰もがネット依存症の時代だから、意識的に取り入れてもよい習慣です。

ネットネイティブ世代が知ってること

あさよるの個人的な考えでは、ともあれ「ネットネイティブ世代」の言動は、これからの新しい時代の常識なんだろうと思います。ネット上にある情報をまるで著作権フリーであるかのような振る舞いも、昭和世代の あさよるには理解しがたい一方で、インターネットの世界は今後そんな世界を目指すのかもしれません。

また、教育のあり方が変わり、学校が不要になるんじゃないかというのも、半分はそうだろうと思い、半分はそんなことはないと思います。確かに、学習はインターネットを使って遠隔で可能だし、ニーズもあるし、今後も増えるだろうと思います。しかし「教育」とは、別に読み書きそろばんを教えるだけじゃなく、「○○らしい行動」や「こんなときどうする」といった、思想や立ち振る舞いを教える場でもあります。それが良いのか悪いのかわかりませんが、「学校教育がなくなる」というのは、ホントにあるのかな? と訝しむ。

あさよるも若い頃は、もっと的確にリアルな「今」を感じていましたが、もう年を取ってしまって「常識」が邪魔をして今が見えません。インターネットは、かつてなら接点のなかったような若い人の話を知ることができるのが、最大の利点だろうと思います。

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目次情報

プロローグ いまこそスマホ断食を

まず三日間の情報断食を始めた
個人が消滅した社会がやってくるのか
一匹のアリのように群れの一部になる
スマホ歩きは非人類的
スマホ利用時間はガラケーの二倍
人間の権利としての散歩
個人の時間を失いつつある
この本を読みながらスマホ断食を

第一章 私の思い出はスマホには収まらない

大量消費に背を向ける「シンプルライフ」
スティーブ・ジョブズもミニマリスト?
シンプルライフにならざるをえない理由
暮らしがデジタル情報に還元される
モノを捨ててスマホ中心の生活

第二章 データに分解された私を誰かが見ている

私が消えてデータだけ残る
私が誰かによって保管されている
ポイントカードの落とし穴
私の情報が統合されている
ネット空間で見られつづける私

第三章 ネット社会の匿名性

著作権などいらないという新しい世代
無神経で軽率さがあふれたネット世界
元少年Aという匿名のモンスター
匿名性が大手をふるうネット時代
ネット言葉で公共性は守られる?

第四章 ネットでは「盗み」は知的作業なのか

ネットが書いた「STAP劇場」
ネットは二十一世紀のモンスターメディア
なぜ捏造が蔓延するのか
ネットのデジタル技術がモラルハザードを生む
不正の起源は二〇〇五年にある
デジタルな虚構が現実になる

第五章 自己愛が「祭り化」で加速する

仮装の若者に占拠された
ハロウィーンはコミュニティ喪失から生まれる
ネットが新しい祭りをつくる
仮装は自分を隠す小道具
現実の祭りもネットの素材にすぎない
見られたがりやの人々
ネットの仮想と現実が直結
人づきあいが嫌で祭りに出る?

第六章 「見られたい」という欲求

マラソンは孤独で哲学的なスポーツ
ネットで祭り化した市民マラソン
ネットで祭り化する日々
ただの歩行者が観光の目玉になる
広告トラックも祭り化を促進する
見物人が見物される祭り
盆踊りは仏教行事だった
渋谷スクランブル交差点の祭り化もはかなく終わる?

第七章 ネット動画とのつきあい方

ネット動画だからこそ残酷になる
ネットは世界の距離をなくす
動画が受け手の感情を翻弄する
エスカレートする動画表現
対抗できるのは書き言葉

第八章 ネットが人を委縮させる

肉声より強力なLINEの言葉
SNSは「私」を裸にする
冷めゆくネットユーザーの熱狂
スマホがあなたを覗いている

第九章 紙の本が思考を鍛える

黒板がなくなると学校もなくなる?
教育の効率化はデジタル化ではない
小学二年生で常用漢字をすべて覚える子供たち
ネットが言語能力を奪う?
紙の本が教えてくれる知性への謙虚さ

第十章 スマホから逃れて自分を取り戻す

ネットが集中力を奪う
ネット離脱で文章が噴きだしてくる
ネットに合わせえて思考が変わる
使っているつもりが「使われている」
「私」ではなく「皆」がネットのセオリー

あとがき 「物思いにふける」ということ

藤原 智美(ふじわら・ともみ)

一九五五年、福岡県生まれ。九二年、『運転士』で第一〇七回芥川賞受賞。
ノンフィクション作品にはベストセラー『「家をつくる」ということ』『暴走老人!』のほか、ネット社会の問題点を明らかにした『検索バカ』『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』がある。
http://tm-fujiwara.cocolog-nifty.com

『YouTubeで食べていく』|有名になって、その先は?

『YouTubeで食べていく』挿絵イラスト

こんにちは。ユーチューバー になりたかった あさよるです。2年程前「ユーチューバー」という職業を知ってマジで憧れていて、大人たちにバカにされ、当時幼稚園児だった甥だけが同じ夢を持った仲間でした。結局、具体的に段取りを考えると「顔出し声出しで毎日更新は肉体的にキツイなあ」「ブログの方が気楽だなあ」と、ブロガーに甘んじておりますw

さて『YouTubeで食べていく』は、ユーチューバーであり、国内初の動画レビューを始めたジェット☆ダイスケさんの著書です。ちなみに あさよる、ジェットさんが好きです(*´ω`*)

YouTubeで食べれるのか

結論を先に言います。タイトルの『YouTubeで食べていく』のは、とても難しそうです。確かに日本でもユーチューバーとして生計を立てている人がいますが、ごくごくわずか。主に、YouTubeのパートナーシップに参加して、動画の再生回数に合わせた報酬が支払われるそうですが、そんなに景気のいい話ではないみたい。

本書は2014年に出版されたものなので、現在までの間にも変化があり、マネタイズはより難しくなっているなんて聞きますわねぇ。

ユーチューバーには本職がある?

本書『YouTubeで食べていく』では、実際にユーチューバーたちにインタビューをされています。

まず、ご存知HIKAKINさんは、10代のころからボイスパーカッションの動画を動画投稿サイトにアップロードして活動しており、上京し会社員をしながらYouTubeに動画投稿をしていました。その後「HikakinTV」というチャンネルにて、商品レビューを始めて、現代の爆発的人気につながりました。

シバターさんは、YouTube上でもヒール役で、炎上狙いの過激な動画で知られています。10代の頃から動画サイトに投稿しており、本職はプロレスラーです。

劇団スカッシュは4人組の劇団で、劇場へお客を呼び込むためYouTubeで動画の投稿を始めましたが、その後、活動の場を劇場からYouTubeに移しました。

それぞれ、職業「ユーチューバー」でありながら本職は別にあり、元々「芸のある」人が、YouTubeに活路を見い出しているようです。もっと言うと、YouTubeがなくても生きていける人が「YouTubeを選んだ」というニュアンスでしょうか。子どもたちが「ユーチューバーを目指す」のとは、ちょっと違うのかも。

『YouTubeで食べていく』の著書、ジェット☆ダイスケさんも、大学で映像を学び、映像関連のお仕事をなさっていた方ですが、YouTube上での活動はカメラの商品レビューが中心です。

本職で評価されるのは難しい?

一方で、YouTubeを使って、本職の評価へつなげるのは難しようです。例えばHIKAKINさんは大人気ですが、彼がボイスパーカッションのミュージシャンとして評価されているかというと、疑問です。プロレスラーのシバターさんは、動画の再生回数が伸びても、なかなかプロレス会場への集客に繋げられないと語っています。劇団スカッシュも劇場への集客ではなく、拠点をYouTubeに移してしまいました。

動画の再生回数を増やすことと、本来の目的とのミスマッチが起こっているようです。

有名になる、その先は?

ジェット☆ダイスケさんは、子どもたちがユーチューバーに憧れることも、冷静な言葉で語っています。子どもたちは安直に「ユーチューバーになりたい」と言うが、「なぜユーチューバーになりたいか」という問いには「有名になりたい」と答えるだけで、「有名になるその先の話」がありません。

まあ、昔の「野球選手になりたい」と同じなのですが、野球選手とユーチューバーの違いは、「YouTubeには動画を投稿できてしまう」ということでしょう。

本書のテーマでいうと、子どもたちがひとかどの人物になったとき、「〈手段として〉動画をインターネット上に投稿する」というのが現実的でしょうか。

YouTubeは永遠……ではない?

『YouTubeで食べていく』では、YouTube以外の動画配信サイトが紹介されています。その中で、2014年出版の本書にて紹介されている「Vine」は2017年にサービス修了してしまいました。そう、ネット上のサービスは移り変わりが目まぐるしい。すでに2000年ごろのネット界隈を懐かしむ「インターネット老人会」という言葉もありまして、20年も経たない間にすっかり世界が様変わりしています。あんなに人気だった、あんなにみんなを虜にした、あんなに特別だったサービスが、影も形もないのはもう慣れっこです。

ということで、本書では具体的に書かれていますが、「いつまでもあると思うなYouTube」というのは、インターネット老人たちは知っている……。

あと、子どもたちの知らないユーチューバーの話でいうと、「HIKAKINさんは〈将来の夢:ユーチューバー〉」ではなかった。別のものを目指して「今はYouTubeを舞台にしている」のだろう。「YouTubeのサービスが終わったらどうするの?」という問いは、インターネット老人ならではの質問だろうかw

『YouTubeで食べていく』挿絵イラスト

関連本

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『仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?』|絶対ミスる対策

『仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?』挿絵イラスト

こんにちは。おっちょこちょいな あさよるです。ケアレスミスから重大なミスまでやらかすので、自分で自分がツライ。『仕事が速いのにミスしない人は何をしてるのか?』の著者・飯野謙次さんは「失敗学会」副会長であられる方で、ぜひ失敗の多い あさよるも勉強したいと本書を手に取りました。

優秀な人は失敗が少ない

まず、優秀な人とは「ミスが少ない人である」と定義します。それは「ミスしない人」と「ミスの多い人」のイメージを見ればわかります。ミスしない人は、

「仕事が速い」「切れ者」「頭がいい」「要領がいい」「信頼できる」……いろいろあると思いますが、そのイメージはいずれも、「仕事ができる」と言い換えられるものだと思います。
反対に、人と比べてミスの多い人には、どのようなイメージを持っていますか?
「だらしない」「頼りない」「うっかり者」「管理能力がない」……。ミスのない人と並べれば、それだけで一段も二段も低く見られかねません。
ミスは、そのものによる物理的な損失やダメージもありますが、それ以上に「あなた=ミスする人」というイメージが、何よりも恐ろしいのです。

p.26

ミスがないことに越したことはありませんが、重要なのがミスが「信頼」に関わっているということです。

そして失敗したとき「以後気をつけます」と言う人はたくさんいますが、具体的にどのように対処するのか考えて行動する人は多くはありません。ミスが多い人が信頼されにくいのも、この辺にあるのかもしれません。ミスの少ない人は、ミスがあったとき、自分の失敗を認め、以後の対策を考えます。

そう、ミスが少ない人もミスするんです。ですから、ミスが多い人と、ミスが少ない人の違いは「ちょっとしたコツ」を実践しているかしかありません。ミスしない人は、ミスしないためにあれこれと、ミスしない仕組みを取り入れています。本書『仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?』では、「ミスしないコツ」と、その考え方を紹介するものです。

失敗を減らす方法

『仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?』挿絵イラスト

さて、ミスを減らす方法は、ちょっとしたコツだと紹介しましたが、本書ではほんとに「ちょっとしたこと」ばかり推奨されていますw ミスの少ない人は、すでに実践しているアイデアばかりでしょう。

例えば、チェックリストを使ってミスや漏れを防ぐとき、複数回チェックしたり、他の人がチェックしなおすことは多いでしょう。このとき、チェックリストを上下ひっくり返して、逆の順番にチェックしてゆきます。これで格段にミスが減るそうです。

あるいは、計算するときはプリンタ電卓を使って、打ち込んだ数字を印刷します。チェックするときは、印刷された数字をチェックしなおせばいいのです。

(↑これいいね)

共有データの管理は1か所で、バックアップは複数で。当たり前のことですが、出先でミスるときはデータの管理とバックアップの手を抜いた時なのは身をもって知っています……。

メールのリマインダー機能を使ったり、メールの「未読」と「既読」を使い分けたり、自分にメールを送って「うっかり」を防止することもできます。自分の習慣を利用して、自分自身に支持を出す感じですね。

また、著者の飯野謙次さんは忘れ物が多いからと、持ち物はポケットやウエストポーチに格納して、手ぶらででかけるそうです。どうしても荷物を持つときは、前日に靴の中に入れておきます。靴を履かないと出かけられませんから、絶対に気づきます。……これ、あさよるもよくやります。忘れものが多い人あるある(^^;

「考え方」「やり方」まで変える

ミスしないためのライフハックのような話題から、思考、考え方の話にまで広がっていくのが本書の面白さです。ミスを減らすために、好奇心旺盛になって、新しい技術や知識に貪欲になりましょう。そこで見聞きして得た経験は、ミスしないための手段として役立ちます。メールやスマホも、ただ受け身なまま使うのではなく、「使いこなす」ことで、よりよい相棒になってゆくのです。

仕事が多すぎて頭の中がごちゃごちゃになっているなら、スッキリさせればいい。それは俯瞰してものごとを把握する力や、状況を整理する能力が試されます。

「いつもの業務」だって、ほんとは時間のロスがあるのかもしれないのに「いつも通り」だから見逃しているのかもしれない。そして、そのロスが、将来のミスにつながるのかもしれません。通常業務を見直しましょう。

他人に「勘違いさせない」というのも、ミスを減らすコツです。メールの件名や、話の仕方で、誤解や勘違いされないように、きっちりと相手に伝わっていることを確認しましょう。指示を受ける側のときも、相手の意図を勝手に解釈するだけでなく、口頭で確認しなおしましょう。

ある時は、その道のプロやベテランに「相談する」「仕事を任す」のも重要です。なにもかも自分たちで解決しようとせずに、適材適所で人に「お願いする」のも立派なミスしない人のコツだったりします。反対に、部外者の話に耳を傾けることで、客観的な視点を教わることもあります。

みんなミスしまくっている……?

本書『仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?』で学べることは、「誰もがミスをする」し「ミスしない人はいない」ということです。あるのは「ミスの多い人」と「ミスの少ない人」しかなく、その差も「ミスしない工夫をしているか否か」しかありません。

大事なのは、「ミスの少ない人」は「ミスしない工夫をしている」ということです。これは、言い方を変えれば「ミスの少ない人は、自分がミスすることを知っている」とも言えます。自分がミスるのを知っているから、先回りしてアレコレと対策を立てているのです。そして、「どんなに念には念を入れて対策をしても思ってもみないミスが起こるだろう」と、悟っているのかもしれません。

あさよるも信じられない大ポカをやらかすタイプなので、自分を一切信頼しておらず「絶対に間違える」「絶対忘れる」「絶対なくす」と確信をして行動をしていますw 方向性は間違ってなかったっぽいですw

意外と、ミスが多い人の方が「自分は失敗しないだろう」と楽観的に捉えてるのかもなぁ。生き方としてそっちの方が羨ましくもあるような……。

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『コンピュータが小説を書く日 』|ショートショートで星新一賞チャレンジ!

以前、『人工知能は人間を超えるか』という本を読み、人工知能、AIに少しだけ興味がわきました。

昨今、ニュースでもAIの話題はよく見聞きしますし、「コンピューターが人間の仕事を奪う」なんて言って、将来消滅してしまう職業の一覧など、話題になりますよね。

ほんとのところ、どうなのよ!?

『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』

コンピュータは文章が読めない

コンピュータに小説を執筆させ、文芸賞・星新一賞受賞を目指す!名古屋大で人工知能のプロジェクトが始まりました。

まずは、星新一さんのショートショートを分析したり、自分たちで簡単な小説を執筆し、人はどうやって文章を作っているのか分解してゆきます。

意外なことに、コンピュータは小説を書くことよりも、小説を読むことが苦手なようです。「文脈を読む」とか、暗示を読み解くとか、ニュアンスや、人間が経験則で知っていることを理解するのがムズカシイよう。

例えば、気温が何度になったら暑い/寒いのかは、人間にとっては感覚的で説明不要の事柄も、コンピュータにはわかりません。

『コンピュータが小説を書く日』では、小説を書くための四苦八苦にページが割かれており、非常に興味深いのですが、文章を読む、理解するという、我々が何気なくやっている動作を、説明することは困難なのだと知りました。

まだまだ道半ば

名古屋大の佐藤先生のチームは、人工知能が東京大学合格を目指す「東ロボくん」の開発もしています。

人工知能に小説を執筆させる「作家ですのよグループ」と「東ロボグループ」は、どちらもまだまだ道半ば。

まさに今、なうで進行しているプロジェクトですから、『コンピュータが小説を書く日』を読んでいても、臨場感ありでワクワクします。

ただ、巷で語られるような「意思を持つロボット」「人類を凌駕するコンピュータ」みたいなイメージとはまだまだ程遠い様子。

テクノロジーを悪者に語られるときに使われる、コンピューターのテンプレって、フィクションの話なのね……。

文章を紡ぐって、どういうこと?

『コンピュータが小説を書く日』を通じて、普段自分がどうやって文章を紡いでいるんだろう?

どうやって文章を理解しているんだろう?

コンピュータにプログラムするためには、人間が人間らしい活動をどのように行っているのか、知る必要があります。人類が自らを研究対象としているんですね。

完成した小説(本書にも添付されています!)を星新一賞に応募すると、事務局から問い合わせが来ました。

1.最終的に文章を書いたのは、人間か、それともコンピューター(人工知能)か?
2.創作過程において、人工知能が果たした役割は?

どう答えればいいか、私は頭を抱えました。というのも、この質問には、いかようにも答えられるからです。

p.152

小説を出力したのはコンピュータであることは揺るぎない事実です。しかし、そのアルゴリズムを入力したのは人間です。

コンピュータが執筆したとも言えるし、アルゴリズムを人間が作ったとも言えます。

コンピュータープログラムは、無から有を作り出すことはできません。ですから、テキストを出力するためには、

・それをそのまま記憶しておくか、あるいは、
・より小さな部品から合成するか

のいずれの方法しかありません。

p.154

完成した小説を用意し、それをバラして置き換え可能な部品を用意し、文として成立するように条件付けをします。そして、部品をたくさん用意すれば、それらの組み合わせで膨大な物語を作れます。

これだと、コンピュータが小説を「書いた」とも言えるし、「書いていない」とも言えます。

細かな話は本書を読んでいただくとして、実際に文章を生成する様子が体感できるんですよ!

実際にweb上で文章を作成できます。面白いので、ぜひリンク先もご参照ください。

文章作成の様子は、YouTubeでもデモンストレーションが閲覧できます。

これらはたぶん、本書『コンピュータが小説を書く日』を読んでから見ると、胸が熱くなります。

外国語で小説を執筆できるか?

人工知能に小説を書かせるプロジェクト「作家ですのよ」。想像以上に大変なことっぽい。

こうやって、あさよるも毎日つらつらと文章を書いてネットに垂れ流しておりますが、それを「どうやってやっているのか?」を説明できぬ。

いったい、どうやって毎日ブログを書いているんだろう?そして、どうやって本を読んで文脈を理解しているんだろうか?

突然ですが、あさよるは外国語がからっきしダメです。日本語の能力は年々培われてゆきますから、相対的に外国語はますます苦手になってゆきます。

ニュアンスも読み取れないし、文化的背景もわからない。スラングや、暗に語られている含みや思考なんて絶対に読み取れません。

コンピュータは0と1のデジタルの言語を扱っています。彼らにとって、日本語で小説を書くことは、外国語で小説を執筆するのと同じです。

そりゃあ、細かなニュアンスを理解するには時間がかかるよなぁとしみじみ思いました。

(……ふぅ、あさよるも英語勉強しなきゃな)

『コンピュータが小説を書く日』を読んで、人工知能が物語を紡ぐ難しさに触れたのと同時に、なんか「これって、できるんじゃね!?」なんて、胸が高鳴りました。

あさよる、プログラミングやりたいなーと思いつつ、ずっと保留にし続けているのですが、マジでやりたい。楽しいだろうなぁ!ジタバタ。

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