哲学

ジブリ映画公開!原作もマンガで読もう!『漫画 君たちはどう生きるか』

こんにちは。あさよるです。やっと話題すぎる『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。書店で平積みされ続けていますが、手にも取ってなかたので、実はこの本がマンガであることも今回読み始めるまで知りませんでした(;’∀’)(;’∀’)

とんでもないベストセラーになってるそうで、とりあえず読んでおくべきではないかと思います。「なんでこの本が売れているのか」を知るためにもね。

ちょっと前に「『蟹工船』が若い人に売れている」と話題になりましたが、そんな感じなんでしょうか。読んでみて余計に「なんでこの本が売れてるんだろう」と謎が深まりました。

大ベストセラー!読んどいてもいいんじゃない?

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はずっと書店でも平積みされていますね。2018年上半期一番売れた本だそう。200万部突破ってすごいなぁ~。

宮崎駿監督によるスタジオジブリの次回作が「君たちはどう生きるか」というタイトルであることが発表されて話題になってるんだと思っていましたが、この編集会議の記事を読むと、それとは別のプロジェクトだったって話なんですね。

200万部って信じられないようなベストセラーになってるんですから、一度は読んでおいてもソンはないでしょう。マンガとしても、羽賀翔一さんの絵柄は好きだし、読みやすかったです。

だいたいこんな内容

主人公は中学生は〈コペル君〉。コペルニクスにちなんで、おじさんが彼をニックネームでそう呼びます。編集者だったおじさんは、勤め先が倒産したことをきっかけにコペル君の家の近くに引っ越してきました。数年前に亡くなったコペル君のお父さんが「立派な人間になってほしい」と願っていた意志を、おじさんが引き継いでくれています。

圧力、勇気、卑怯、貧しさ、生産

コペル君は学校やクラスメイトの友人たちを通して、様々な出来事に出会います。

豆腐屋の浦川君がいじめのターゲットにされたときは、コペル君も教室内にうごめく目に見えない圧力に呑まれ、それを跳ね返すことができませんでした。しかし、いじめっ子に立ち向かうガッチンと、自分をいじめた奴が殴られるのを「もう許してやってくれ」と言う浦川君の気丈な姿を見て、コペル君も自分が正しい行いをしようと心に決めました。

また、貧しさにも出会います。学校を休んでいる浦川君の様子を見に行くと、彼は家業の豆腐屋の手伝いと兄弟の子守に追われていました。浦川君はまだ中学生なのに働いて、物を作りそれを売り、生産をしています。コペル君は働く浦川君を見て、自分も誰かが作ったものを食べ、着て、人と人が網の目のように繋がることで生きているのだと気づきます。

更におじさんは、コペル君が貧しい人を見下さないことを褒めます。貧しくても正しく振舞う人もおれば、お金持ちでも尊敬できない人もいるのです。そして中学生のコペル君はまだ働いていませんが、それでもコペル君は何かを生み出しているんだと問いかけます。彼は何を生み出しているのでしょうか。

そしてある日、コペル君は大きな苦しみを経験します。友人であるガッチンが上級生から目をつけられ、「絶対にガッチン守る」と約束をしていました。しかし、本当に上級生に襲撃されたとき、コペル君は卑怯にも逃げ出してしまったのです。それを悔やみ、何日も寝込んで学校を休んでしまい、苦しみから「死んでしまったほうがマシだ」とさえ思いました。おじさんにすがりますが、おじさんからは「自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていく」ように諭されます。そして「君は今正しい道へ進もうとしている」とも励まされました。

おじさんのノート

おじさんはコペル君との交流から、コペル君に伝えたいことをノートにしたためてくれていました。そして、コペル君が友人を裏切ったことで苦しんでいるとき、そのノートを手渡してくれたのです。

そのノートは、コペル君が大人として歩み始めた記録でもあります。自分が世界の中心だった子ども時代から、自分も社会の中のちっぽけな要素でしかないことに気づいた「コペルニクス的転回」をしたその日からの記録だからです。

おじさんはコペル君を見守りながら激励します。そして問うのです。「君たちはどう生きるか」と。

本書『漫画 君たちはどう生きるか』はマンガなのですが、おじさんのノートと、コペル君が書いた手紙だけ活字で構成されています。

時代背景を知った方がわかりやすいかも

原作の『君たちはどう生きるか』が発行されたのは1937年で、戦前に書かれた本です。コペル君のお父さんは銀行の重役で(物語の数年前に死去)、コペル君も勉強もできます。旧制中学は尋常小学校を卒業した男子が入学するところですから、コペル君へのメッセージは「旧制中学に通う男子」と限られた人へ向けられています。

本書の中でも、おじさんのノートには「小学校にしか行けなかった人」の話が登場します。コペル君のクラスメイトの浦川君の家は貧しいと言っても、息子を中学にやれるくらいの店を持っているのです。

中学へ行かなかった人は、当たり前ですがコペル君が学校で習ったことを知りません。全ての物質が分子でできていると知らなければ、コペル君のように世界がガラッと変わって見える体験をしないかもしれません。銀座のビルの上から街を見下ろして「人間はちっぽけだ」と気づいたのは、彼がビルのある街に住んでいたからかもしれません。

あくまでコペル君は限定された境遇にいます。だから、コペル君は社会的な責任を負っているのだろうし、お父さんもおじさんもコペル君に「立派な人間になってほしい」と願っています。

現在の日本では格差が広がっているといいます。それはつまり、コペル君になれる人となれない人が、生まれながらの境遇や生まれた時代によって分けられ始めているということです。本書がベストセラーになるのは結構だけれども、多くの人がコペル君にはなれない時代が来てしまうというのはなんとも。

浦川君のうちの若い衆

あさよるの感想としては「こんだけ売れてるなら一度は読んどけば?」というのは本当ですが、同時に「へー、これが売れてるの」って感じもある。共感要素もないし、なにをどう解釈すればいいのかもわからず、とてもムズムズする。

先に触れたように、あくまで特別な立場にある「コペル君たち」への「どう生きるか」という問いだろうから、少なくとも あさよるには当てはまりません。あさよるはエリートじゃないし、女だし。たぶん、売れに売れているマンガ版の読者の多くもそうでしょう。

だからなんか読んでいて居心地が悪いというか、自分をどこに当てはめていいのかわからないんですよね……しいて言えば、おじさんのノートに書かれていた、「浦川君のうちの店に勤める若い人」が、多くの人(とくに若い世代)にあてはまる立場じゃないかと思います。

 現に浦川君のうちに若い衆となって勤めている人々を考えてみたまえ。あの人々は、何年か後に、せめて浦川君のうちぐらいな店がもてたらと、それを希望に働いているのだ。
浦川君のうちでは、貧しと言っても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
また、浦川君の一家は、まだしも、お豆腐を作る機械を据えつけ、原料の大豆を買いこみ、若い衆を雇い、一種の家内工場営んで暮らしを立てているけれど、若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでをもっていない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいるのだ。
こういう人々が、万一、不治の病気にかかったり、再び働けないほどの大怪我をしたら、いったい、どうなることだろう。労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなくなるということは、餓死に迫られることではないか。

p.269-270

戦後、教育は行き届いて、義務教育のみならず、多くは高等学校を卒業します。高校卒業後さらに進学をする人も少なくありません。ただ、学校に通う期間は長くなったけれども、働き方としては、おじさんのいう「浦川君のうちの若い衆」に近い状況の人が多いんじゃないでしょうか。となると、おじさんの話のように、病気や怪我で勤め続けられなくなると「餓死」というのは困ります。

エリートでもない我々は「コペル君にはしっかりしてもらわないと」と思うしかないんでしょうか。

あと、これを引用しながら〈浦川君のうちの若い衆〉は「将来自分も工場を持てたら……」と多少の希望を持ってるんだなぁ~と。すごい時代にわたしたちは生きているのかもしれません。

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『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』

こんにちは。「読書っていいですよね(#^^#)」ってしみじみ言いたい あさよるですが、やっぱね、たまにね、嫌な気持ちになる読書ってのもありまして。

この『平気でうそをつく人たち』もその類だったなぁ、と。

本書が悪い本って訳ではなくって、自分の過去の嫌な記憶を呼び覚ますものでした。

それは自分自身に起こったこともあるし、仲の良かった友人や仲間が苦しむ、嫌な話でもあります。

自分のどうにもならない話。友人がどうもしようとしない苛立ち。「どこに持って言っていいかわからない気持ち」とでも言いましょうか。

こういう人いるよね~

本書『平気でうそとつく人たち』では、欺瞞に満ちたうそつき達が次々登場します。

長男が拳銃自殺で使った銃を、次男へクリスマスプレゼントする両親。

息子を追い詰め、パフォーマンスとして息子を精神科医に見せる親。うそをついているのは親なのに、うそを認めるくらいなら、息子を生まれながらの障害を負っていると主張する。

母親からプライバシーを奪われ、口を閉ざす娘。

性に奔放な女性が、自分のコピーとして娘も奔放に振る舞わせる母。そして、その母から離れられない娘。

自信のないだらしない夫と、夫からすべての自信を奪ってゆく妻。

すべての話はセンセーショナルな話題ですが、でも、そういう人っているよね……と感じます。

共依存している夫婦や親子、よその家族感の人間模様は理解しがたいものがあります。

目に見える暴力や窃盗等は起こらずとも、「あれ?なんか変だぞ?」とゾッとすることありませんか?

 邪悪な人間とは、こんな人である――

●どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●異常に意志が強い。
●罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。
●他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
●体面や世間体のためには人並み以上に努力する。
●他人に善人だと思われることを強く望む。

『平気でうそをつく人たち』カバー

話が、わかりにくっ!

精神科の開業医である著者が、自身の経験の具体例を紹介しつつ、話は進みます。

「ああ、こういうのあるよね~」とか「いや、さすがにこれはないやろ」と突っ込みながら、読むのは楽しいのですが……うーん。

アメリカの開業医である著者の話ですから、キリスト教の考えが話の前提としてあるんですね。

絶対的な「真理」が存在していて、人々はそこから外れた行いを繰り返している。欺瞞のためにうそをつく邪悪な人々。

邪悪で悪魔に魅入られた人々を、科学的にアプローチできないのかと模索がなされているようです。しかし……

“悪魔”に付け込まれた人々の、“悔い改め”は宗教者の仕事では?という素朴な疑問。

医学的アプローチと、心理学の話、そして信仰の話がごちゃごちゃと入り混じっており、ヒジョーにややこしい!

人情?欺瞞?悪魔?

平気でうそをつく人たちは、ナルシズムを守るためにうそをつきます。そのためには、我が子を病院送りにしたり、不道徳な行いに手を染めるまで追い詰めます。

中には、読んでいるだけで胸糞悪い話もあるものの、概ね、誰もが出合ったことのあるような話でもあります。

むしろ、自らの欺瞞のために他者を悪者にする行為は誰もがやっていることかもしれません。少なくとも あさよるは自分のためにうそをつくことがあったと思います。

ただ、厄介なのは、この手の人々(あさよる含む)は、うそをついていることに、本人が気づいていない。むしろ、自分のことを、正しい行いをする品行方正な人物だと信じている。

あるいは、可哀想な境遇に置かれているのが自分であって、悪いのは他者や社会だと思っている。そして、助かる気がない。

……こんな話、誰だってあると思いませんか?多かれ少なかれ。

一体だれが悪いんだ!?

『平気でうそをつく人たち』は悩ましい書物です。

一見、善人に見える人物の“悪”を見ぬき、科学的に悔い改めさせようという試み。それは一見、正しい行いに思えます。

本書内では、著書は根気強く辛抱強くクライアントに向き合います。

しかし、また著書だって不完全な人間である以上、自分のためのうそをつくでしょう、真理の名のもとに。

じゃあ、一体誰が悪なんだ!?

…「全員悪だ」というのがオチなのかなぁと思いつつ、日本人でかつ関西人である あさよる的には「人情ですなぁ」と言いたいところですが、いかがでしょう。

でもなー、ほんとにこんな話を見聞きすることがあるし、どうにもならないことが歯がゆく思う。アメリカでは一応でも、家族が精神科にかかるんだから、すごいなぁ。

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『ユダヤ人大富豪の教え』|お金に囚われる不自由人をやめる!

こんにちは。「あ~お金が欲しい」と思う年末年始を過ごしたあさよるです……(-_-;)

この『ユダヤ人大富豪の教え』、他の書籍で紹介されていたり、タイトルは何度か見かけていました。

本やブログ等で、誰かが紹介していると「どんなだろう?」と気になっちゃいます。「気になる本」を少しずつ読んでゆこうと、『ユダヤ人大富豪の教え』を手に取りました。

20歳学生が、アメリカで出会った

アメリカ留学中の二十歳の青年は、一人の老人と出会います。

その老人はオーストリアで生まれ、ナチス台頭に伴いアメリカに移住したゲラー氏。不動産業で成功し、大富豪になった人物でした。

帰国後は事業を起こそうと考えている青年は、彼から成功の秘訣を教わりたいと申し出ます。

老人が青年に、時に丁寧に、時に実地でテストを行いながら、「成功」とはなにか。「失敗」とはなんだろうと語りかけます。

エッセイ?フィクション?不思議なお話

老人と青年のエピソードは、著者の本田健さんの経験が元になっているそうです。

しかし、書籍化にあたって、フィクションも混じっているようで、より面白くドラマチックに仕上がっています。

エッセイのようでエッセイでなく、フィクションのようでフィクションではなく、なんか不思議な構成ですね。

あさよるは本書を読書中、全くのフィクションとして楽しんでいたので、著者のあとがきを読んで驚きました。

「お金」から離れて「自由」を手に入れる

大富豪の老人に「成功」する方法を尋ねた青年。

成功とは、もちろん「富豪になること」、すなわち「お金」を集める方法を尋ねました。あさよるも、最初はお金を稼ぐ方法を老人が語るのかと待ちかまえました。

しかし、老人の話は少し違います。

成功している人とそうでない人。なにが違うのだろうか?学歴?家柄?才能や運?

人はそうやって、「成功するための条件」を自ら勝手に作り上げ、「ああ、自分は成功できないんだ」と諦めてゆきます。

だけど、本当に「成功する人」はそうじゃありません。彼らは、仕事が好きでたまらない人なんです。仕事が大好きでしょうがないから、もっといい仕事がしたいし、もっと人に喜んでもらいたい!ただそれを繰り返しているだけなんです。

仕事が大好きでたまらない人は、好きな仕事をしているだけで幸せです。ですから、失敗しても上手くいかなくても諦めることはありません。だって大好きだから。

そして、どれだけ失敗に失敗を重ねても諦めなければ、いつか「成功する」ときが来ます。その時までひたむきに仕事ができるのは、好きじゃなきゃやってられないんです。

豊かになるって、預金残高の桁数だけではありません。「自由に生きる」。これが大事。

不自由に生きていませんか?その不自由さは自分で生み出しているのかもしれません。

こんな出会い、ほしかった!

「成功の秘訣が知りたい」。あさよるも知りたいですwそして、その教えを乞える人物に出会うということも、なかなか起こらない経験です。うらやましい経験です。

そして、“大富豪”が語る成功の秘訣は、とっても素朴な「しあわせ」を教えてくれるものでした。ちょっと拍子抜けするくらい。そして、大富豪ほどお金に執着していないことも印象的でした。

あさよるは「お金」が欲しいです。突然何?と思われてしまうでしょうがw、本音です。そして、多くの人にとっての本音であると思います。

不自由な生活をしている人ほど、「お金」が欲しくてたまりません。だって、不自由を解消するためのお金ですし、不幸を紛らわすためのお金です。

「お金があればなんでもできる」と考えてしまうのも、お金のない人の発想なのかもしれません……(苦笑)。

大富豪ともなると、考えることも庶民とは違うんだなぁと思いつつ、「幸せに生きる」「自由に生きる」ってことに、もっと重きを置きたいなぁと思いました。

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『哲学用語図鑑』|ド忘れ&知ったかぶりから卒業!

こんにちは。先日『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』を読んで、自分の無知さを知ったあさよるです。

( ゚д゚)ハッ! これが無知の知……。

東洋人なのに東洋哲学をなんにも知らないんだな……と謎のショックを受けました。そして次に手に取ったのは『哲学用語図鑑』。帯には「21世紀を生き抜くための必修科目」とまで書いてあります。

そうなのか……哲学って、「ビジネスにも交渉にも役立つ」のか……。

哲学用語が飛び交いまくり!(;’∀’)

「哲学」ってなんだかよくわからなくても、意外と哲学ちっくなキーワードは普段の会話で飛び交っています。「フロイト的には~」とか「アドラー先生はねぇ」とかね。

なんとなく「そっすねww」とかヘラッと笑って相づちを打っているけれども、実は内心大焦り。「あれ……それなんだっけ???(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)」

わかってるんですよ、知ってるんです。前に本で調べたのに……wikiで読んだことあるのに……ただ“思い出せない”だけなんです!

これ、あるあるじゃないですか?

かわいいイラストがやたら分かりやすい

『哲学用語図鑑』はその名の通り、(西洋)哲学の用語図鑑。

哲学者簡単なプロフィールと、哲学用語の説明が、ほのぼのかわいいイラストで紹介されます。そう、この『哲学用語図鑑』は、文字よりイラストの面積の方が多い!

昆虫図鑑や植物図鑑を眺めるように、哲学を俯瞰する図鑑。(・∀・)イイネ!!

まさに昆虫図鑑よろしく、索引も充実していることと、イラストがユーモアたっぷりに、その哲学者や哲学用語の特徴や性質が一目瞭然なんです。

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出典:哲学用語図鑑 | 田中正人, 斎藤哲也 |本 | 通販 | Amazon

ね、かわいいでしょ!そして、特徴やポイントがパット見てわかる。なんとなくキャラクターたちの服装や出で立ちも時代に合わせて変わってゆくのが面白いんです。

「図鑑」ですからね、種類がパッと見分けられて、その特徴がザッとつかめる。これは良いなぁ(・∀・)

知ったかぶりからの卒業

『哲学用語図鑑』。A5版で厚さ2.5cmくらい。

表紙も中身も全体的に白が基調の、古代ギリシアの大理石彫刻のようなデザイン。表紙は何気にローマン体で哲学者の名前もズラリと並び、雰囲気出てますw

そう、なんかこの『哲学用語図鑑』、装丁もオシャレなんです。そこも気に入りました。そこそこボリュームがあって値段もそこそこ(1,800円+税)なので、デザインがオシャレってのも大事な事実v

常に携帯するにはちょっと重い&大きいので、据え置き用として。気になったときサッと手に取れる場所に配置して起きたい。

文章量は少なめですから、一から哲学について知りたい方は他の書籍を。『哲学用語図鑑』は、知ってるけど思い出せない時、大まかな流れを掴みたい時なんかに、役立ちます。

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『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』

東洋の端っこで生まれ育ったけれども、東洋思想をよく分かっていないあさよるです。

哲学ってね、興味はあるけど踏み込めない世界です。学生時代、哲学の授業を履修しましたが、途中で投げ出してしまいましたw その後もですね、哲学入門とかね、そんな感じの本を読んだり、大学の授業を履修してみたりしてるんです。なのですが……まったく頭に残らないというw

そして興味あるなぁ~と思いつつなかなか踏み込めない世界。そして今回手に取ったのは『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』です。

アメリカの、エリートの、「東洋哲学」の、授業

この本、ややこしい内容です。

本書のタイトル『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』とある通り、あのアメリカの有名校、ハーバード大学の学生へ向けた、東洋哲学の授業です。

そう、対象は、アメリカのエリート。西洋哲学の世界で生きているエリートへ、東洋哲学を説くのです。しかも、古臭い、ノスタルジーな学問としてではなく、現代に充分通用する、哲学として紹介されます。

内容は主に、中国の思想家たち。孔子、孟子、老子、荘子、荀子らの言葉を紹介しながら、西洋哲学以外の哲学に目を向ける授業です。

……ですから、多くの日本人は、読者のターゲットとして想定されていません。まず、西洋思想をバックボーンとして持った、アメリカのエリート層に向けた授業です。

西洋思想の世界から、東洋思想を「発見する」授業と言えます。

知ってるようで知らない?中国の思想家たち

孔子、孟子、老子、荘子、荀子と、名前は見知っている偉人たちですが、彼らが何を残したのか……ご存知でしょうか?あさよるは恥ずかしながら、何も知りません\(^o^)/

何にも知らない上に、「西洋思想の文脈から東洋を発見する」という文脈で読まないといけないので、なかなか難しい読書でした。この一冊を読むのに、一週間以上の時間がかかってしまいました(;’∀’)

そこでは、今の「常識」とは反対のように感じることもあります。「本当の自分」を探すことの無意味さや、自然回帰や自然志向へ警鐘を鳴らすことなどです。また理性ではなく、「心」を研ぎ澄ませ、心で決めるというのも、現代では軽んじられているように感じました。

あさよるには難しかった……(;’∀’)

とにもかくにも、あさよるには難しい内容でした……サッパリ頭に入ってこなかった(;’∀’)(;’∀’)(;’∀’)

東洋思想や思想家たちについて無知すぎるので、今後、こちらの方面を固めてゆこうと心に誓ったのでした……。

なかなか感想にもならない感想でした。

m(__)m

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