70 芸術、美術

音楽ライターになろう! 情熱と才能を活かすためのガイドブック【好きを仕事に】

自分の「好き」を言葉にして、多くの人に伝えられたら……。

きっと今よりより豊かな人生になるだろうなあなんて思います。

しかし考えてみると、今は誰もが常にインターネットに繋がっていて、SNSやブログですぐに発信できる時代。

もう準備は既にできているんですよね。

今回、好きな音楽を言葉にして伝える音楽ライターの仕事を紹介する本を読みました。

もちろん、音楽以外のライターの仕事にも通ずる話でもあります。

それに「夢を叶える」一冊としてもとても魅力的。

ぜひ一回読んでみて!

『音楽ライターになろう!』 情熱と才能を開花させる方法

今まさに夢を見ている人に読んでほしい本に出会いました。

その名も『音楽ライターになろう!』という一冊。

音楽ライター……誰もが一度は憧れたりしませんか?

好きなミュージシャンを追いかけて音楽雑誌を読んでいたあの日を思い出します。

若いあなたは、今まさに夢を見ているかもしれません。

だけど、夢を夢で終わらせるのはもったいない。

いまこの熱い気持ちを文章にして発表しちゃいましょう。

音楽ライターになるための必読書見つけちゃった!

「見つけちゃった」というのが最初の感想。

こんなに丁寧に、夢の実現のためのステップを紹介した本はないんじゃないでしょうか。

とても真摯に。

著者の妹尾みえさんも、若い頃から音楽が好きで、仲間とフリーペーパーを作りレコード屋さんに置いてもらっていたところから、ライターの人生が始まります。

最初はアマチュアなんです。

そこから始まるのです。

音楽の世界で輝くためのヒントが詰まった本!

「音楽が好き」と一口に言っても、いろんな人がいます。

演奏するのが好きな人もいれば、ライブ会場で音楽を聴くのが好きな人もいます。

情熱を「書いてしまう」あなたへ

中には、自分の思いを文章にして書きたい人もいます。

もしあなたが、情熱を文章に「書いてしまう」なら、この本を一度読んでみてください。

すべての人がプロのライターになるとは限りません。

アマチュアとして今ならネットで文章を書きまくっている人もいます。

プロ/アマどちらに進もうか悩むなら、まずは書いてみましょう。

「好き」を言葉に発信するのは、とてもクリエイティブな活動ですよ。

楽しみにしています(`・ω・´)b

  • 妹尾みえ
  • 青弓社
  • 2023/5/26

音楽ライターになろう!

目次情報

  • はじめに
  • 第1章 どうして音楽ライターになりたいの?
  • 第2章 音楽ライターの仕事って?
  • 第3章 好きな音楽だけ聴いていればいいの!?
  • 第4章 私が音楽ライターになるまで/なってから
  • 第5章 ワンランク上を目指して自分に投資しよう
  • 第6章 ライターを一生の仕事にしよう
  • おわりに

『6歳から 親子ではじめる 書道教室』|身近にアートを^^

書道って、いちばん身近なアートなのかも?

お習字を習い始めるも、なかなか上達が見られない あさよるです(-_-;)>

これまでにも、書や書道、習字に関する本を数冊紹介しました。あさよるはてっきり「こういうものは手を動かしてナンボ!」と思っていましたが、意外と知識面も大事なんだなぁと知りました。

文字の成り立ちを知ったり、書の変遷に触れることで、なんだか筆を持ったときの気持ちが変わると言いますか……取り組む課題の理解度が、重要なのだなぁと思いました。

そして、今回紹介する『書道教室』で、やはり「書」や「文字」への理解が大事なんだ!と改めて確認できました。

字、キレイに書きたいよね!?

なんか、ほら。字がキレイだと「賢そう」に見られる法則ってあるじゃないっすか?クラスで一番字がキレイな子とか、完全にカシコキャラでしたよね!?

あさよるはね、そういうキャラとは程遠い生徒でしたよ……( ´Д`)=3 今も自分の字を人に見られるのは「恥ずかしいなぁ」なんて思っちゃいます。

サラッと美しい文字で、パパッと走り書きをしたメモを、サッと渡せる人になりたい(?)

習字、なにから始めればよいのやら

で、「さぁ習字をしよう」「久々に筆でも持ってみようか」と思っても、何から始めていいかわかんないんですよね。

「どんな道具を用意すればいいの?」「どんな教材を用意すればいいの?」って悩んでも、教えてくれる人はおらず……やっぱ書道教室へ通うのが手っ取り早いのでしょうか……。

確かに学校で習字の時間があった。だけど、学校で習うお習字って、エッセンシャル版というか、コンパクト版というか、そんなイメージ。

はてさて、大人になってから習字を始めるためには、なにから始めてよいのやら……。

悠人くんとお母さん(友子さん)の、書道はじめました

『親子ではじめる書道教室』は、その名の通り、小学生の悠人くんと、そのお母さん友子さんが卒啄(そつたく)先生の書道教室へ通いはじめる所からお話が始まります。

漢字の書き取りが嫌いな悠人くんを心配して、お母さんの友子さんが卒啄先生の元へ訪れ、二人で書道を習い始めます。「書」を通じて、文字への理解も深まってゆきます

子供向けと大人向けがいっぺんに!

『親子ではじめる書道教室』では、卒啄先生、悠人くん、お母さんの三人のセリフでページが進んでゆきます。時々、ネコの空ちゃんも参加。

本書『親子ではじめる書道教室』のすごいところは、書道を始めるのは“親子”だってことです。すなわち、「大人と子どもが一緒に書道を始める」んです。

ふたりとも初心者。右も左も分からない書道ですから、わからないことばっかり!

子どもの悠人くんは、子供らしい質問や疑問、好奇心を先生にぶつけます。お母さんの友子さんはもちろん、大人の質問や疑問、好奇心を先生にぶつけます。

卒啄先生は、子どもと大人、それぞれに適切なアドバイスや興味深い話をします。

どんな筆がいい?硯の使い方は?お手本ってなに?

悠人くんもお母さんも書道初心者ですから、まずは道具を揃えないといけません。また、道具の使い方も知っているようで知らない人も多いハズ。

どんな筆を選べばいい?筆ってどうやって下ろすの?硯の使い方、コレであってるの?

そして、書道のお手本って一体何?なんで大昔の人の字をマネするの?

素朴だけど、誰も教えてくれなかったギモンに卒啄先生が教えてくれます。しかも、子どもにも、大人にも。

あさよるは、硯の使い方が間違っていると知りガーン!Σ(゚д゚)!!!ちなみに、あさよるが間違っていたのは硯に水を入れる位置。これまで、硯の溝になっているところにボタボタッって水を入れてたよ……ホントは、平らなところに数滴落とすんだって……(みんな知ってました……?)

「書」というアートを身近に!

お習字って、小学校の授業でも習いましたし、習字教室に通った経験のある方も多いでしょう。

思えば、あさよるの習字の先生は、書家の先生でした。最も身近に存在するアーティストは、書道の先生ではないかと思います。

巷にアーティストがゴロゴロいるんだと思うと、すごいなぁ。

日本の義務教育を受けた方なら、筆を握って文字を書いたことがあるでしょうし、「書」というものを目にしたこともあるでしょう。

最も身近なアートを、更に身近に感じ、更に更にお習字始めちゃったら……どんな生活が待っているんでしょう~。

『親子ではじめる書道教室』は、その辺の「気になる所」を優しく&易しく教えてくれる一冊です。

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『超<集客力>革命 人気美術館が知っているお客の呼び方』|気分がアガるミュージアムを

こんにちは。趣味といえば美術館へフラリと足を運ぶことくらいの あさよるです(;’∀’)> 以前は関西の美術館はよく通ってましたが、今は大阪でやってる特別展をササッと見てくるだけだなぁ~。

先日、あさよるネットで世界の図書館を紹介する本を紹介しました。ほうほう「図書館はこういうもの」って思いこんでいたけれども、世界には様々な図書館があって、図書館の仕事は多様なのだと知りました。

そこで、「じゃあ、美術館はどうなの?」と興味を持ちました。一応、図書館と美術館は定期的に通っている場所なので。『超〈集客力〉革命』は、人気美術館が集客のためどのような取り組みをしているのか紹介する本です。そして、美術館が担っている仕事についても触れられています。

ミュージアムは街をつくる

まず、「美術館という〈ハコモノ〉に〈有難い美術品〉を詰め込んでいるところ」ではなく、美術館が、人を呼び込み、人を動かし、町をつくるのです。日本での例として、兵庫県立美術館と、金沢21世紀美術館の取り組みが紹介されています。

兵庫県立美術館の場合

兵庫県立美術館は安藤忠雄さんの巨大なコンクリート建築で、建物自体がアート作品です。入り口には地元企業の液晶モニター画面が設置され、来館者を待ち受けます。また、屋根の上には巨大なカエルが!今ではすっかり兵庫県立美術館の「顔」になっています。

建物は3つに分かれており、地域の子どもたちの作品を展示したり、教育施設としての役割も担っています。

また、美術ファンだけが訪れる施設ではなく、それ以外の人も気軽に足を運べるよう、レストランや飲み屋を作りました。地元の灘の酒を味わうにもいいっすな! さらに、美術館の横にバスケットコートを作って、スポーツのお客さんも呼んでいるという念の入れよう。

「美術館って近寄りがたい」とか「縁もゆかりもない」人を、アート以外の理由でも引き込んで、「美術館を身近なもの」にする取り組みがなされています。

兵庫県立美術館の最寄り駅である阪神「岩屋駅」から、兵庫県立美術館へ続く「ミュージアムロード」は、美術館帰りにショッピングや食事ができるよう整備されています。美術館によって町が育って、町に集まった人が美術館に親しむ環境づくり推進中。

子どもたちが集まる美術館に

金沢21世紀美術館の取り組みはたくさんありますが、子どもたちを美術館へ招き入れる取り組みが印象的です。美術館が身近で親しみやすい場であるならば、その人はまた美術館へ足を運びます。その〈種を蒔く〉ために、地域の子どもたちを美術館へ招待します。しかも、現代アートなんかの、おもしろいやつ!

日本の美術館は静まり返っていて、とても子どもを連れて入れないような雰囲気があります。でも、外国の美術館では、騒いだり作品に触ったり壊したりしないなら、仲間で語らったり話し込んでいる人もたくさんいるそうです。

人びとが行き交う場所

美術館はたくさんの人々が行きかう場です。世界のルーブル美術館では、世界中には美術館目当てに人が集まります。本書でも、世界の名だたる美術館の特徴や取り組みが紹介されています。また同時に、小さな美術館も多数取り上げられています。日本の美術館の規模や環境は、世界の小さな名美術館をお手本にする方が合っているというのです。

小さな美術館といっても、「名美術館」なんですよ。

……と、あさよるは勿論行ったこともない美術館ばかりなので、解説は本書を読んでくだしあ~。

まちの人のふるさと

美術館へ遠くから人もやってきますし、美術館のある町の人も集います。自分の町の美術館が、特色ある良い美術館であったとき、その町の人々にとっても美術館は「ふるさと」や「町の顔」になり得ます。外からやってくる人へ向けた観光資源であると同時に、地元に暮らす人の文化的施設なんですね。

美術館がになうもの

アートが生活の中にあり、アートがコミュニケーションの中にある。様々な美術館を見ていると、美術館にも役割や仕事は、地域によって違っているようです。どうやら日本の美術館は、でーんと巨大な箱をつくって、中は空っぽ。美術品を借りてきて並べておしまい。せっかく面白いコレクションを集めても、良い特別展を企画しても、それを宣伝して周知しないと、人は来ません。

人を集めるためには、見た目カッコイイ!とか、この作品ヤベェーとか、パッと見て心惹かれる仕掛けも大切です。それは、アートは極一部の専門家やファンだけのものではなく、それ以外の人たちの生活も豊かにしうるものだからです。マニアだけが理解するものではいけない。

あさよるが、初めて足を運んだ美術館が、先に紹介した兵庫県立美術館でした。確かゴッホ展で、ゴッホの有名な作品も多数あって豪華な展示でした。が、あさよるは、やっぱり兵庫県立美術館のあの建物にも驚き、「特別な場所」へ自分は来たんだ!と胸がいっぱいになりました。大阪府内の自宅から神戸市へ来ただけなのですが、まるで旅行に来たような非日常と言いますか。で、今でも兵庫県立美術館へ行くと、気分が「ぱぁ~っ」となります。

美術館って、美術品を拝むだけじゃなくって、そこへ行くこと自体が楽しみだったり、お買い物したり食事したり、誰かと語らったり、たくさんの楽しみが重なってるところであって欲しいなぁと。「イオンでも行く?」みたいなノリで足を運べるといいね。

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『1998年の宇多田ヒカル』|1998年にすべて出そろっていた

こんにちは。宇多田ヒカル世代のあさよるです。本書『1998年の宇多田ヒカル』は話題になっていて気になっていました。1998年にデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人がどのような存在だったのか、1998年はどのような年だったのかを考察する本です。

あさよるは ヒッキーも林檎ちゃんもaikoもあゆも、まさにど真ん中世代で、今でも大好きです。カラオケでも絶対歌うし!新曲もチェックしてるし!ということで、楽しい読書でした。

若い世代の方も、「昔はありえないくらいCDみんな買っててんで」というのが、大げさではなくマジであることを知ってもらえるかと思いますw

CDが最も売れた年、何があったのか

本書『1998年の宇多田ヒカル』では、日本の音楽シーンにとって特別な年だった〈1998年〉という年に何が起こったのかを宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人のアーティストを通して振り返る内容です。

この本のテーマは三つあります。一つは、1998年は日本の音楽業界史上最高のCD売り上げを記録した年であること。反対に言えばその後CDの売り上げが下がり続けている現状を考えます。二つ目は、日本の音楽シーンのトップ3の才能である宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoが同じ1998年にデビューし、その後彼女らを凌駕する存在が現れないこと。最後は、その1998年という特別な年に、著者が出版社のロッキング・オンで音楽誌の編集をしており、間近で1998年の音楽業界を見てきた経験から、こんなに面白い時代を書き残したいという著者の思いです。

本書が出版されたときはまだ、塗り替えられることはないであろうCDセールスをたたき出した宇多田ヒカルは長年の活動休止中でした。アーティストらしく芸能人的ではなかった椎名林檎は近年毎年紅白歌合戦にも出演し、テレビの世界でも活躍しています。デビュー当時、aikoが今なお精力的に活動し続けていると想像した人はどれくらいいたでしょうか。そして、浜崎あゆみは実は、最も多くのオーディエンスのステージに立ち続けていることをご存知でしょうか。

個性も才能もそれぞれ違う宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人を通じ、1998年というターニングポイントを紐解いていきましょう。

1998年の4人

スタジオ育ちの宇多田ヒカル

デビュー当時、宇多田ヒカルがバイリンガルであることや、ニューヨークと東京を行き来して育ったこと、そして藤圭子の娘であることが取りざたされました。しかし、彼女が他のアーティストと違うのは「スタジオ育ち」であり「スタジオが故郷」であるという点です。音楽プロデューサーの父と歌手の母の元に生まれ、小さなころからスタジオが遊び場所で、スタジオで宿題をし、スタジオが落ちつく場なのです。デビュー後はスタジオが彼女を守るシェルターの役割を果たしていたのでしょう。

宇多田ヒカルの音楽には、密閉されたような雰囲気が漂います。彼女は極端なレコーディングミュージシャンで、彼女のキャリアの中でステージに立ったのは、たったの67回(2016年時点)。そして作詞作曲だけでなく、編曲まで手がけ、音楽家・宇多田ヒカルとなってゆきます。

バンドマンの椎名林檎

椎名林檎はソロでデビューしました。今でこそエレキギターをかき鳴らす「ギター女」はたくさんいるけど、当時はちょっと珍しかった。その後〈東京事変〉として活動を始めるのですが、椎名林檎はデビュー当時からライブやレコーディングのメンバーをバンドに見立て、バンド名をつけていました。そもそも、彼女はバンドでオーディションに出場しましたが、主催者側にソロを勧められた経緯があるそうです。現在も、同年代のミュージシャンとバンドとして演奏することも少なくありません。お茶の間にも、バンドマンとして登場し続けているってことですね。

天才aiko

「最も天才なのはaikoかもしれない」という章。1998年当時、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみと比べると目立たない存在で、大ヒット曲もなかったaiko。だけど、本書出版時の2016年に、1998年の頃となんら変わらず活動を続けているのがaikoです。aikoは何も変わっていない。曲の雰囲気も、彼女自身のイメージも。反対に言えば、aikoは登場時から完成していたのです。

aikoの活動は頑なで、aikoはいつもファンの方に向いている。雑誌のインタビューにほとんど答えず、テレビも出演する番組は決まっている。フェスには一切出演せず、「aikoとファン」の空間にしか彼女は立たない。

今も最も多くの観客の前に立つ浜崎あゆみ

浜崎あゆみは最も多くの観客の前に立つアーティストです。彼女の私生活やスキャンダルばかり報道されますが、数多くのステージに立ち続けているのです。テレビや雑誌メディアの出演はかつてほどではないからと言って、浜崎あゆみがダメになったわけじゃない。また、作詞作曲を手がける人物を「アーティスト」と呼ぶ風潮も疑問で、多くの観客の前で演奏し続けるのもミュージシャンじゃないか。

ただし、著者の宇野維正さんは浜崎あゆみさんは畑違いのようで、あまりページが割かれていないのが残念。

音楽CDの、終わりのはじまり

本書では〈1998年〉という音楽CDが最も売れた時期を取り上げています。ということは、1998年以降、どんどんCDが売れなくなった年でもあります。

1998年ごろに起こった出来事や風潮の考察がなされてます。

CDとCCCD、8センチCDからマキシシングルへ

そもそもCD自体が「CCCD(コピーコントロールCD)」という、違法コピー防止のためのものが登場しました。これはCDとは規格が違っており、CD再生機器での再生を補償しないというもので、CDに最初にケチをつけたのがレコード会社だったのです。

また、かつてシングルCDは直径8センチメートルのアルバム版より小さなものでしたが、1998年ごろ12センチメートルのマキシシングルへ移行してゆきます。宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』は8センチ版/12センチ版両方がリリースされ、両方がヒットしました。椎名林檎もaikoも浜崎あゆみもデビュー当時は8センチ版でした。CDシングルがマキシシングルになったことで、消費者からすればCDアルバムと全く同じ代物で、2、3曲しか収録されていないのに1000円もするのは、割高に感じてしまう要因だったのかも?

「アーティスト」と「アイドル」

それまで「歌手」「ミュージシャン」と呼ばれていた人たちが、「アーティスト」と「アイドル」と分けて呼ばれ始めたのもこの頃。宇多田ヒカルも椎名林檎もaikoも、デビュー当時はアイドルのように注目されていました。そういえば、宇多田ヒカルのファッションが話題になり、椎名林檎のライブには彼女のコスプレをしたファンが集まり、aikoはファッションリーダーでした。

かつて、例えば近藤真彦や松田聖子や小泉今日子たちは、歌手であり、アイドル的存在でした。しかし今現在は「アイドル」と「アーティスト」は明確にわけられて認識しています。これは、従来的な(松田聖子や小泉今日子のような)「アイドル」がいないからなのかもしれません。

しかし音楽的に圧倒的な実力がある人物がいれば、誰もが憧れて当然で、アイドルのように崇拝されてもおかしくありません。そういう意味で、2000年代以降は「アイドル」がいなったのかもしれません。

(当エントリーでも、ミュージシャン、アーティスト、歌手等の呼称が混在しています。「アーティスト」というのは収まりのよい言葉ではありそうです。それゆえ乱用されたのでしょう)

アーティストの発言こそが真実?

 日本の音楽ジャーナリズムは、長いことアーティスト自身による言葉、いわゆるオーラル・ヒストリーにあまりにも頼りすぎてきました。そのきっかけとなったのは糸井重里による矢沢永吉のベストセラー『成りあがり』かもしれないし、渋谷陽一(かつてのボスです)がロッキン・オン社の刊行物で作り上げた誘導尋問的なインタビューのスタイルかもしれません。(中略)
でも、「ミュージシャンの肉声」が唯一絶対の聖典のようになった時、音楽ジャーナリズムの役割はそこで終わりです。

p.17

ミュージシャンたちの言葉こそ聖典として語られる反面、ミュージシャンたちは本当のことばかり語るわけでもありません。意図的に事実でないことを発することもあるでしょうし、なにより人は「こうありたい」と願望を語るものです。インタビューで語られていることは事実ではありません。

宇多田ヒカルはデビュー当時から、自身のWEBページで「MESSAGE from Hikki」日記を書いており、当時話題になりました。ミュージシャン自身がネットで日記を近況報告することが珍しかったのです。また、宇多田ヒカルのTwitterアカウントも時折話題になります。

ミュージシャンたちからの言葉はテレビや雑誌からのみでなく、ミュージシャン自身がWEBで発信するようになりました。もはや「本人の発言こそ真実」の魔法も解けてしまっているのではないでしょうか。

なぜ我々はCDを大量に買ったのか

1998年が日本史上最もCDが売れた……しかし今はCDは売れません。そもそも、我々はなぜあんなにCDを買いまくったのでしょうか。本書ではその理由を二つ挙げられています。

  • CDがリスナーが手に入る最も高音質なものだった
  • CDは半永久的に劣化しないと信じられていた

「最も高音質で劣化しない」だからこそ我々はお金を出してCDを買い求めたのです。

そう考えると、コピーするたび音質が落ちるMDや、音質の保証されないCCCDの登場等、レコード会社の失策だったのではないか……ちなみに本書で「レコード会社が悪い」なんて書かれてませんよw あさよるの補足ということでw

CDの時代は終わった

本書『1998年の宇多田ヒカル』を読み、しみじみと「CDの時代は終わったのだ」と痛感しました。あさよるもズバリ宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ世代で、未だに新譜を追っかけて聞いています。だけど、CD、持ってません^^ つまり、CDはみんなiPodに放り込んで、ディスクは処分しちゃいました。んで、新たに買うのはiTunesで。このスタイルになってすでに7、8年になります。

彼女たちはCDの最後の世代でした。だから世代交代もできません。

宇多田ヒカルの記録は破られないし、椎名林檎はバンドを組み続け、aikoはaikoのままで、浜崎あゆみはステージに立ち続けます。あさよるは彼女らのファンだったから、今だに彼女らの音楽が聴けるのは嬉しい反面、未だに彼女たちが第一線にい続けることは残念でもあります。次の宇多田ヒカル、次の椎名林檎、次のaiko、次の浜崎あゆみが見たかった。

「次世代が生まれない」というのは、さみしいものだ。

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『能 650年続いた仕掛けとは』|変わり続けること

こんにちは。能が好きな あさよるです。実は、好きなんです。以前ね、能のお囃子の小鼓のお稽古に通っていました。「いよ~ぅ、ポン!」ってヤツです。引っ越しや転職や体調不良等々と重なってそれっきりになってるんですが、チャンスがあれば復帰したいデス。あ、でも、能の舞をやってみたいなぁと心密かに狙っています。能は見てるのも面白いんですが、むちゃくちゃ「自分もやりたい!」と燃えるんですよね~。

ちなみに、あさよるが初めて見た能は、関西の大学生がやっているもので、小鼓を女性がやってて「女性でもできるんだ!」と嬉しくなって飛びつきました。彼女がまた、カッコよかったんだ~。

「能」ってなんだ?入門書

本書『能 650年続いた仕掛けとは』は能をこれから知りたい人向けの入門書。10代の若い人が読んでもわかる内容です。

ところで「能」ってどんなイメージですか?もしかしたらイメージ自体がないかもしれないし、なんかオタフクみたいな仮面を想像するかもしれません。学校から能の舞台を見たことがある人もいるかもしれません。あさよるも何回か、中高生の鑑賞会の中、ポツーンと大人が混じって見たことがありますw

なんとなく「能ってこんな感じ?」ってのが頭の中にある人にとって、本書『能 650年続いた仕掛けとは』を読めば程よく能のイメージが一新されるんじゃないかと思います。「格式ばった」「厳格な」ものではなく、やさしい文体で本書が書かれているせいかもしれないし、能を鑑賞するだけじゃなく、「やりたくなる」ように用意されているからかも。

能と「サル」

能の歴史は奈良時代、大陸から輸入された「猿楽」が発祥だと習いました。本書ではさらに、古事記に登場する、天岩戸の前で舞ったアメノウズメノミコトの伝説が登場します。

 アマノウズメノミコトは天岩戸のほかに、猿田彦と結婚したことから、猿女(祭祀の際に舞う女性)の先祖となりました。猿女は、芸能の神様ですし、猿田彦も芸能の神様であるという人もいます。

p.30

大陸から「猿楽」が渡ってくる以前から、芸能を伝える「猿」系の人たちがいたのではないか?という推測です。さらに面白いのは、能が発展したのは豊臣秀吉の時代。秀吉もまた「猿」と呼ばれる人物であるということ。歴史的事実はわかりませんが、面白いつながりですね。

能の650年生き残り戦略

伝統芸能というと「頑迷」で「意固地」に同じことをし続けている芸能だと感じている人は、本書『能 650年続いた仕掛けとは』でアッサリと裏切られるでしょう。能の歴史を見ていると、スルスルと時代に合わせその姿を変えながら、現在につながっていることがよくわかるからです。

そもそも、現在に続く能を発明した世阿弥はイノベーターですね。舞台の装置そのものを作り替え、能を継承するために世襲制を採用します。テキスト『風姿花伝』も著されました。

戦国時代、武将たちに能は愛されます。中でも豊臣秀吉は能に入れ込んでいたらしく、朝鮮出兵の際は即席能舞台まで用意されたとか。秀吉は新しい能の演目をたくさん作らせ、自分も能を舞いました。家康も能を楽しみ、江戸時代に入ってからは大名家の教養として推奨されました。徳川綱吉は能狂いで、その頃から能の趣がガラリと変わります。それまでの能よりも2倍くらいゆっくりと演じられるようになったのです。時代が下ると、江戸時代の市井の人々も能に親しんでいたそうです。

そして明治時代が始まります。能を支えていた幕府や武家がなくなり、能は存亡の危機に。その後、野外にあった能楽堂(能を演じる舞台)を屋内に移した能舞台へ変わります。能は夏目漱石や正岡子規、泉鏡花など文学者に愛されました。

現代もマンガに描かれたり、『ガラスの仮面』の「紅天女」が能で上演されたりと、メディアミックされています。

あさよる的には、「能舞エヴァンゲリオン」を見たかったすな。意外にも(?)、新作がたくさん作られているんですね。能と一緒に上演される狂言でも新作がたくさんありますね。

「能」をやりたくなったら

本書内では、プレイヤーとリスナーの分断について触れられています。ロックバンドを聞いてノリノリになる人は大けれど、「聞く」と「演奏する」の間に大きな溝がある……。これは能の世界でも起こっていて、「能を鑑賞する人」と「能をやる人」が分断されてしまっている。

これは普通じゃないんです。昔の人は、自分でやってた。落語で「寝床」という話があります。客を集めて、みんんなの前で下手な浄瑠璃を聞かせて迷惑がられる話です。浄瑠璃も、戦後すぐの頃までは習っている人が多かったと聞いたことがあります。

本書の素晴らしいところは、読んでいる内に「能を習うなら」というガイドが始まっているところでしょう。鑑賞される能だけじゃ不十分で、みんながやりたい能でなければ、伝統も続かないのかもしれません(余談ですが、今若い世代はバンドやらないそうですね。あさよる含め)。

ちゃんと先生や教室の探し方や、お稽古の通い方が指南されていて(・∀・)イイネ!!

能の鑑賞のための手解きはよくありますが、習い方は初めて読んだかもw

変わり続ける伝統

本書を読んで、伝統芸能って、さすが何百年も生き残ってきただけあるんだな!と、なんだか清々しい気持ちになります。

例えば、ブログやサイトを何十年と続けている人は、サーバー移転やサービス修了や、ブログやSNSの導入など、たくさんの変化があったでしょう。データ飛ばしちゃったり、掲示板が炎上したり、晒されたこともあるでしょう。中の人だって、転職したり家族が増えたり引っ越したり病気になったりいろいろあったでしょう。長年同じサイトやってる人を見つけると「歴史アリやなぁ」としみじみ感じ入ります。それでも、未だに更新し続けている人って、変化や新しいトレンドを常に取り入れ続けた人なんですよね。しみじみ。あさよるもこのドメイン育ててこう……(なんのこっちゃ)。

とまぁ、何ごとも「長く続ける」って常に変化し続けることです。それを優に650年続けてきた能は、川の中をたゆたうハンカチのように、その一瞬一瞬変化し続けたのかもしれません。能の先祖を辿ると、もっと古いみたいだしなぁ。

変化するってエネルギーも勇気も必要で、恐ろしいものだけれども、変化しないと手に入らないものもあるのね。

関連本

『狂言でござる』/南原清隆

『狂言でござる』を読んだよ

『あやつられ文楽鑑賞』/三浦しをん

『あやつられ文楽鑑賞』を読んだよ

『先生、イノベーションって何ですか?』/伊丹敬之

『先生、イノベーションって何ですか?』|以前の世界が思い出せない

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』/博報堂ブランドデザイン

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』|体感をともなう体験を

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