コミュニケーション

おすすめ『お祝いのスピーチきちんとマナーハンドブック』|スマホ・タブレットに一冊

こんにちは。人前で話したくない あさよるです。友人の結婚式のスピーチとか、全力で逃げ回っています。苦手なんだもん~。

しかし、大人になるというのは、人前で話すことが増えることでもあります。逃げていた分だけ、経験値はすくないワケですから大変です。

結婚披露宴スピーチから始まって

『お祝いスピーチきちんとマナーハンドブック』は、一冊でお祝いスピーチ全般を網羅します。

しかし、やはり結婚披露宴のスピーチにページが書かれています。新郎新婦の親類縁者から会社関係者、友人知人とたくさんの人が集まりますから、とくに“気遣い”が必要な場です。そして、男女の結婚観も変化していますから、かつての定番の挨拶では顰蹙をかうこともあります。アップデートが必要です。

また、緊張してしまいそうならハンカチを握ると落ち着きやすい、とか、言ってもいいこと/悪いことの目安もわかりやすかったです。

全体として平易な文章で書かれていますし、どの例も例文が用意されていますから、文字数やボリュームの目安も目に見えて分かります。ここの例文に手を加えて利用することも可能です。

“お祝い”“スピーチ”に特化

結婚のお祝い、子どもの成長のお祝い、ビジネスのお祝い、長寿のお祝い、叙勲・勲章のお祝い、乾杯・中締めの挨拶。そしてご祝儀と表書きのマナー。お祝いのスピーチ挨拶に特化した内容です。

ですから、ドレスコードや、立ち振る舞いのマナー等は、軽く触れられている場合もありますが、基本は扱われていません。

必要に応じて他の本と組み合わせましょう。

開店、入学、退職などなど、おめでたい席で

あさよるの人生で、入学や入園のお祝いの言葉を贈ることってあるのか?と思いつつ、PTAとかやってる人はそんな必要もあるのかしら。

ビジネスのお祝いは、開業・開店祝いや、○周年のお祝いの言葉です。こっちは、使うこともありそうです。また、就任祝いや、入社式での言葉など、上手に話したいと思うシーンですね。

巻末には、シーン別に使える名言&四字熟語たカタログが掲載されており、これが見てるだけでおもしろい。おお、聞いたことある~と思うものもあれば、ちょっと感動しちゃうものも。

コンパクトに、常備したい

『お祝いのスピーチきちんとマナーハンドブック』はkindle版でも販売されています。

あさよるは書籍版を読んだんですが、kindle版でいつでもスマホ・タブレットに常備しておきたい本だなぁと思いました。

普段、本書を読むことは少ないでしょうが、いざという時にサッと取り出して確認する。急きょ開店・開業祝いで話さないときとか、いいんじゃないかなぁ。

一応、祝いの席の装いのマナーや、祝儀の用意も触れられてはいます。困ったときのお助けアイテム的に、まずザッと目を通してみても。

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感想『武器としての交渉思考』|いま、その場で、動き出せ!(目次情報アリ)

こんにちは。お小遣いの交渉もできない子ども時代を過ごしたあさよるです。

これは長子にありがちな「与えられて当然」のふわふわした感じだったのかもしれません……2つ下の妹は、いつもちゃっかり大人たちから小銭をせしめていたし……。

「与えられて当然」の子ども時代は終わりました。

そして大人になった今、「与えられて当然」の時代が終わろうとしています。

交渉術が今後生き抜く術なのだなぁ……と痛感する読書でした。

交渉?なにそれおいしいの?

あさよる、交渉に縁のない人生を送ってきました。マジで、「努力していれば伝わるハズ」「結果を出せば評価されるベキ」と信じていました。はい、信仰のように信じていました。

ですから、人と「交渉する」というステップがスコーンと抜け落ちていました。むしろ、口先だけで結果を得ようとする悪しき行為!とさえ思っていました。マジ信仰だった気がする……ちーん。

これって、神様みたいな存在がいて、自分の努力や頑張りをジャッジして、公正に評価と対価を配分されるんだ、それが当然だ!権利だ!という考えが元にあったと思います。マジ信仰でしょ?

『武器としての交渉思考』。あさよるの浅はかな考えを思い知らされ、見事打ち壊される内容でした。

(……一応、アンチ交渉思考はすでに卒業し、今は考えが変わっているつもりでした。が、ガツンと来ました……)

交渉のキホン

『武器としての交渉思考』は、学生や若い世代に向けられた書籍です。

これから社会へ出ていく、世間知らずな10代、20代向けですから、すでに世間擦れした大人たちにとっては常識かもしれませんね。

交渉のキホン。自分の利益を求めるのではなく、相手の利益を提示してあげる。交渉相手に得をさせてあげると、交渉は進む。

以下、あさよるが『武器としての交渉思考』で覚えた言葉。

「バトナ」と「ゾーパ」

3章からは、交渉のテクニックが紹介されます。

「バトナ」は、交渉時、相手の提案以外の選択肢で、最も良いもののこと。他の有利な選択肢を用意することで、余裕を持って交渉に挑めます。

「ダメなら他にしよう」。この余裕は、交渉時に欠かせません。

雇用状態が悪くても「貯金がないから転職できない」「次の仕事がないから辞められない」というのも、バドナがない状況なんですね…。

相手のバトナを限定して提示することで、交渉を有利に進めることもできます。

例として、警察の取り調べが紹介されていました。無罪を主張する容疑者に「どうせ有罪だ。否認すれば刑が重くなるぞ。早く認めれば軽く済むぞ」とミスリードした二択を提示します。

「ゾーパ」は双方が合意できる範囲です。ゾーパの範疇で、得しすぎず損しすぎずちょうどいい所を探します。

「アンカリンク」

「アンカリンク」は最初の条件提示のこと。最初の条件をどう提示するのかによって、交渉の行く先が変わってゆきます。

例としてのお話。アメリカの大統領選で、候補者のポスターが刷り上がってから、カメラマンから写真の許可を取っていないことに気づきました。普通に交渉すれば、とんでもない額の報酬を支払わねばなりません。どうする?

選挙対策委員長は、カメラマンに電話をかけ、あなたの写真を選挙ポスターの候補になっている。しかし他にも候補はあるから、あなたが選ばれるためには選挙資金が必要だ。いくら払える?

こんな交渉をするんです。資金を支払わなければならない側が、アンカリンクを資金を受け取る交渉にしているんですね。すげー。

最初に提示されたアンカリンクに、その後もズルズルと引きずられてしまうので、相手にアンカリンクを仕掛けられた時に対応しなきゃなぁと思いましたw

相手が同レベルじゃないと成り立たない!?

『武器としての交渉思考』の終盤、まる一章を使って、非合理的な人間との交渉術が紹介されます。感情的になったり、思い込みやこだわりを重視して、非合理的な答えを導き出しちゃう人との交渉です。

しかし、それでも「話のわかる」相手との交渉です。

あさよる、ショッキングでした。いや、当たり前なんですが、交渉って、少なくとも会話によるコミュニケーションが成り立つ相手と行うものなんだなぁって……当たり前すぎてすいません><

自分に相応しい交渉相手と交渉すべきです。そのために自分の立場や、自分の環境を変えてゆかねばなりません。

いま、その場で、動き出せ!

『武器としての交渉思考』は、若者へむけられています。この世界を生き抜くための「武器」を与えているのです。

しかし「武器」と言っても物騒なものではありません。「交渉」とは話し合いであり、コミュニケーションであるからです。

暴力ではなく、話し合いで決着するための「交渉」は、身につけておくべき力でしょう。

さらに、最終章には〈いま自分のいるその場で「秘密結社」を作れ〉と、熱いメッセージ。

あさよるも、いま自分のやるべきことをやろう。もっとやろう!興奮して力がムクムク湧いてきました。

何をすべきなのか、最後の最後でヒントがあります。

自分自身が、自分の今いる場所で小さいながらも集団をつくり、そこでリーダーとなっていく。

たったこの一文ですが、本書『武器としての交渉思考』一冊を通して著者が伝えたかったことに触れた気がします。

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[まとめ]『2日で人生が変わる「箱」の法則』ひっかきまわしているのは…自分!

こんにちは。人間関係の悩みが絶えない あさよるです。

一度、態度の悪い対応をされた相手のことを、後々までジメジメッとイラついたり、なかなかの消耗戦ですな(`・ω・´)キリッ

っとね、自分が他人に囚われている限り、すり減るのは自分なのですよね。

以前、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読んで学びました。今回はその続編『2日間で人生が変わる「箱」の法則』を手に取りました。

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』|リーダシップと自己欺瞞。本音で生きろ!

敵対的な心“が”、敵対関係を作る

『2日で人生が変わる「箱」の法則』では、家庭に問題を抱えたカリスマ経営者・ルーがセミナーを受け、自らの「箱」に気づき克服するまでの物語です。

「箱」とは自己欺瞞。みな、自分の願望を果たせなかったとき、自分は悪くない理由を作り、自分自身を騙します。この状態を〈「箱」の中〉と表現します。

「箱」の中にいると、事実がねじ曲げられ、現実が違ったものに見えます。仲間であるはずの人物が「敵」に見え、気遣いの言葉すら「攻撃」に感じます。

自分が〈「箱」の中〉に入ることで、周りの人間関係にまで悪影響を与え、職場や家庭の環境も悪化してゆきます。

本書の主人公ルーも、子どもの更生プログラムの一環として参加したセミナーで、自らが〈「箱」の中〉にいることに気づき、夫婦関係や、経営する会社での振る舞いを改めるのです。

ちなみに、ルーの経営する会社はその後大成功し、前作『自分の小さな「箱」から脱出する方法』へ繋がります。

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読んでから

本書『2日で人生が変わる「箱」の法則』は、前作『自分の小さな「箱」から脱出する方法』の続編です。

ややこしいので、「本書」と「前作」で話を進めます。

本書と前作の内容は、概ね同じです。前作で提示された「箱」についてより細分化されて紹介されています。物語自体は、前作に登場するカリスマ経営者・ルーが、「箱」の考えに出逢う物語です。

まずは、前作の『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読んでから、さらに補足、おさらいするために本書を読むのが理想的に思います。

「箱」についての衝撃的な説明も、前作の方がドラマチックでドキドキしました。また、読み進めるうちに「何を言わんとしているのか」がだんだん明確になっていく様子も、前作の方が楽しめました。

まずは、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を!

「箱」にも種類がある

前作『自分の小さな「箱」から脱出する方法』より、より「箱」について細分化されて紹介されているのが本書です。

〈自己欺瞞〉という名の「箱」にも種類があり、それは「優越」「当然」「体裁」「劣等感」などなど。

「優越」とは、他人に対する優越感。他人は無能であり、劣等であると思い込んでいる。食い違いがあったとき、間違っているのは他人だと思い込む。

「当然」とは自分は賞賛されるべき存在でありながら、恵まれず、被害者である!という思い込みです。権利を強く感じ、他者に対し不当な扱いを受けていると思い込みます。

「体裁」とは「立派であらねば」「人に好ましく思われたい」という思いから、必要なことでも相手が望まない場合は手を貸せなくなります。相手のためにならないと分かっていながら、上辺だけの親切をしてしまうんですね。

「劣等感」は自分が劣っていると思い込んでいます。自分が劣っているということは、他者は自分より優れているということです。ですから、劣等感を持った人は、他者に厳しく当たります。

以上のように「箱」にも種類がたくさんあり、それぞれの「箱」に入ることにより、他者に敵対的な感情を抱いてしまいます。

厄介は自分が作っている

前作『自分の小さな「箱」から脱出する方法』、そして本書『2日で人生が変わる「箱」の法則』の2冊を読み、しみじみと、「自分の厄介ごとって、自分が作ってるんだなぁ」と思いました。

本書内で、元夫から長年虐待を受け続けた女性は、元夫を恨んで当然ではないかと議論されます。しかし、実際に虐待を受けていた女性の証言でも、女性が「箱」から出たことで、やっと元夫との関係が断てたと話します。

元夫が自分の“憎むべき相手”というフィルターがはずれ、ただの一人の人間に見えたとき、彼女は元夫への執念がなくなり、「どうでもいい相手」であることに気づきます。

思春期の頃、両親が鬱陶しくて一方的に敵対視していたのに、ある日「お父さん」「お母さん」がただの一人の人間だと気づく日が来ます。誰もが経験する成長過程でしょう。

他者に敵意を抱き、それを執着し続ける人生は苦しい人生です。その執着から解放されたとき「救われる」んですね。

日本人的な世界観とはちょっと違う気がしますが、持っていてもいい考え方でしょう。

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リーダーシップに関するの本

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『人の2倍ほめる本』|「ほめる」もコミュニケーション

こんにちは。人にほめられるのが苦手な あさよるです。

ほめてもらえるだけ嬉しいことなのでしょうか、素直に喜べないのが本音です。

「そんなんじゃないのに……」「私のこと、そんな風に思ってるんだ……」とネガティブに捉えてしまうのです(;´∀`)

一度、ほめる側の心理も知ってみたいなぁと、『人の2倍ほめる本』を手に取りました。

「ほめ方」のバリエーションがすごい

『人の2倍ほめる本』、タイトル通り人のほめ方がこれでもか!と紹介されています。

それは、「○○さんっていい人ですね」なんて普通の文言から、コンプレックスにあえて触れてからの~ほめ方とか、レベル高い!w

しかも、仕事でもプライベートでも、どんなシチュエーション、どんな相手にも使えるような、汎用性のあるものなんですよね。

バリエーションについては、下にある目次情報を参照していただけるとわかりやすいかと。

「ほめる」はコミュニケーションなんだ!

『人の2倍ほめる本』を読んで、「ほめる」ってコミュニケーションの一種何だなぁと実感しました。

「あなたを信じています」「あなたに好感を持ってます」「応援しています」などなど、ポジティブな感情を相手に持っていることを示す方法。

それが、ほめること。

しかも、サラッとスマートに好意や期待を伝える手段としての「ほめ」。めっちゃかっこいい!

もちろん逆に、媚びへつらったり、おべっちゃらを並べるのはダサいですよ。それは「ほめる」ではないのだなぁと思いました。

あくまで、本心を伝えるバリエーションの中に「ほめる」がある。心にもないことを言うのは「ほめる」じゃない(^^♪

「ほめられ下手」さんも参考に^^

あさよる、ほめるのが下手なタイプですが、ほめられるのも苦手です(;´∀`)

自分が絶対的に自信満々のことを褒められると「でしょ^^」と言えるのですが、そうでないことを褒められるとオドオドしてしまったり、反対にイラッとしてしまいます。

……はい、自分勝手です(-_-;)(-_-;)

あさよるには「ほめる」はコミュニケーションであるという視点が全く抜け落ちていました。自分の欲求ばっかりでした……。

『人の2倍ほめる本』を通じて、人をほめる側の考えや心理に触れ、「ほめる」という手段を通じて、何をなそうとしているのかを知りました。

「ほめる」と「ほめられる」は双方向なものなんです。

あさよるは、一方的な「ほめられたい」しかなかったので、「ほめる」も「ほめられる」も苦手なんだなぁと感じました。

読んでて気持ちがいい(^^♪

それにしても『人の2倍ほめる本』は、読んでいても非常に気持ちのいい本です。

あさよるが最近、気持ちが重くなる本を続けて読んでいたせいもありますw(※)

人を「ほめる」のも「ほめられる」のもポジティブなコミュニケーションだし、それを見ているだけでも、さわやか。

本の中の、例を見てるだけでいい気持ちになれるとは、「ほめる」パワーすごい。

(※) 最近読んで気が重くなった本w (興味深い本ですよ)

『他人を攻撃せずにはいられない人』|支配欲と全能感の共依存

『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』

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『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』

こんにちは。「読書っていいですよね(#^^#)」ってしみじみ言いたい あさよるですが、やっぱね、たまにね、嫌な気持ちになる読書ってのもありまして。

この『平気でうそをつく人たち』もその類だったなぁ、と。

本書が悪い本って訳ではなくって、自分の過去の嫌な記憶を呼び覚ますものでした。

それは自分自身に起こったこともあるし、仲の良かった友人や仲間が苦しむ、嫌な話でもあります。

自分のどうにもならない話。友人がどうもしようとしない苛立ち。「どこに持って言っていいかわからない気持ち」とでも言いましょうか。

こういう人いるよね~

本書『平気でうそとつく人たち』では、欺瞞に満ちたうそつき達が次々登場します。

長男が拳銃自殺で使った銃を、次男へクリスマスプレゼントする両親。

息子を追い詰め、パフォーマンスとして息子を精神科医に見せる親。うそをついているのは親なのに、うそを認めるくらいなら、息子を生まれながらの障害を負っていると主張する。

母親からプライバシーを奪われ、口を閉ざす娘。

性に奔放な女性が、自分のコピーとして娘も奔放に振る舞わせる母。そして、その母から離れられない娘。

自信のないだらしない夫と、夫からすべての自信を奪ってゆく妻。

すべての話はセンセーショナルな話題ですが、でも、そういう人っているよね……と感じます。

共依存している夫婦や親子、よその家族感の人間模様は理解しがたいものがあります。

目に見える暴力や窃盗等は起こらずとも、「あれ?なんか変だぞ?」とゾッとすることありませんか?

 邪悪な人間とは、こんな人である――

●どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●異常に意志が強い。
●罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。
●他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
●体面や世間体のためには人並み以上に努力する。
●他人に善人だと思われることを強く望む。

『平気でうそをつく人たち』カバー

話が、わかりにくっ!

精神科の開業医である著者が、自身の経験の具体例を紹介しつつ、話は進みます。

「ああ、こういうのあるよね~」とか「いや、さすがにこれはないやろ」と突っ込みながら、読むのは楽しいのですが……うーん。

アメリカの開業医である著者の話ですから、キリスト教の考えが話の前提としてあるんですね。

絶対的な「真理」が存在していて、人々はそこから外れた行いを繰り返している。欺瞞のためにうそをつく邪悪な人々。

邪悪で悪魔に魅入られた人々を、科学的にアプローチできないのかと模索がなされているようです。しかし……

“悪魔”に付け込まれた人々の、“悔い改め”は宗教者の仕事では?という素朴な疑問。

医学的アプローチと、心理学の話、そして信仰の話がごちゃごちゃと入り混じっており、ヒジョーにややこしい!

人情?欺瞞?悪魔?

平気でうそをつく人たちは、ナルシズムを守るためにうそをつきます。そのためには、我が子を病院送りにしたり、不道徳な行いに手を染めるまで追い詰めます。

中には、読んでいるだけで胸糞悪い話もあるものの、概ね、誰もが出合ったことのあるような話でもあります。

むしろ、自らの欺瞞のために他者を悪者にする行為は誰もがやっていることかもしれません。少なくとも あさよるは自分のためにうそをつくことがあったと思います。

ただ、厄介なのは、この手の人々(あさよる含む)は、うそをついていることに、本人が気づいていない。むしろ、自分のことを、正しい行いをする品行方正な人物だと信じている。

あるいは、可哀想な境遇に置かれているのが自分であって、悪いのは他者や社会だと思っている。そして、助かる気がない。

……こんな話、誰だってあると思いませんか?多かれ少なかれ。

一体だれが悪いんだ!?

『平気でうそをつく人たち』は悩ましい書物です。

一見、善人に見える人物の“悪”を見ぬき、科学的に悔い改めさせようという試み。それは一見、正しい行いに思えます。

本書内では、著書は根気強く辛抱強くクライアントに向き合います。

しかし、また著書だって不完全な人間である以上、自分のためのうそをつくでしょう、真理の名のもとに。

じゃあ、一体誰が悪なんだ!?

…「全員悪だ」というのがオチなのかなぁと思いつつ、日本人でかつ関西人である あさよる的には「人情ですなぁ」と言いたいところですが、いかがでしょう。

でもなー、ほんとにこんな話を見聞きすることがあるし、どうにもならないことが歯がゆく思う。アメリカでは一応でも、家族が精神科にかかるんだから、すごいなぁ。

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