40 自然科学

[レビュー]わかりやすい!『エピジェネティクス 新しい生命像をえがく』|「遺伝」だけじゃなかった!

こんにちは。生物学の勉強がしたい あさよるです。そのために、化学の勉強からやりなおさなきゃいけないことに気づき、呆然としていますw

今回は、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授の仲野徹さんの『エピジェネティクス』を選びました。

なんじゃそら!?と聞いたこともない言葉です。仲野先生がラジオ番組に出演されているのを聞き、本書を紹介なさっていたのです。お話も終始面白く楽しい時間でした。

PodcastやWEB上でも聞けるようなので、ご拝聴あれ。↓

ちなみに、以前あさよるネットでも紹介した『かぜの科学』も、番組中に仲野先生が紹介なさっていたので、興味を持ちました。

『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』|マスクは効果があるか?

「エピジェネティクス」ってなに?

まず、「エピジェネティクス」ってなによ?って話ですよね。詳しくは本書を読んでくださいとしか言えないんですが(笑)、ちょっと頑張って説明しようとしてみます。

と言いつつ、著者の仲野徹先生が中高生に向けた記事で、エピジェネティクスについてインタビューに答えておられました。

私たちのからだは、精子と卵子でつくられる受精卵が分化して、眼や腕や心臓などの細胞が形づくられていて、どんな細胞をつくるかは遺伝子によって決まります。どの細胞も基本的には同じ遺伝情報を持っているのに、それぞれ別々の細胞になるのはなぜか。それはそれぞれの細胞で使われる遺伝子と使われない遺伝子が決まっているからです。そして、それぞれの細胞には、使われる遺伝子と使われない遺伝子に、ある種の目印がついています。これが「エピジェネティクス制御」です。

―URL:第7回 | この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 | 中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

この後も図解付きで説明が続きますので、ご参照ください。

最初の受精卵の細胞が分裂していく最中に、ある細胞は心臓に、ある細胞は消化器に、ある細胞は脳細胞に、と分化してゆき、身体を形作っています。

どの細胞も同じ遺伝子情報を持っていますが、別々の働きをするのは、遺伝情報が書かれた文字列に付箋をつけたり塗りつぶしたり、ON/OFFが切り替えられるからです。

この、遺伝子に目印をつけON/OFFを切り替える働きが「エピジェネティクス」です。

そして、父親と母親から半分ずつ受け継いだ遺伝子は不変ですが、「エピジェネティクス」は変化します。ですから、同じ遺伝子を持つ一卵性双生児も、時間と共に遺伝子は同じですが「エピジェネティクス」が働くので別人のように変化してゆきます。

親から受け継いだ遺伝子は不変ですが、しかしその遺伝子の内、どの情報をONにするか。どのタイミングで、どれだけの働きをさせるか。変化します。

かつて生物は生まれながらの遺伝配列に左右されると考えられていましたが、後天的要素によっても変化が引き起こされるんです。

新書ながら、むずかしいよぅ><

本書『エピジェネティクス』は、最新の専門分野のお話を嚙み砕いて簡単に説明くださっているんだとうと思います。あとがきでは、高校生でも背伸びすれば読める内容を目指した、とあります。

しかしながら……あさよるには難しかったぁ……(;’∀’)> 正直、途中読み飛ばしちゃった部分もアチコチありました。

中高で習った理科の知識を総動員してお楽しみください。

「エピジェネティクス」という現象自体、最新のもので、今のところ全てを証明できるものではなさそう。今後の展開に超期待ってことですね。

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「遺伝」とエピジェネティクス

これまで、持って生まれた遺伝子は変わりませんから、発病しやすい病気や体質等、生まれたときから決まっていると考えられていました。

しかし、エピジェネティクスの考えでは、遺伝子の情報だけでなく、どの情報を発現させるのかによって、その個体の持っている要素が変わってゆくと考えられています。

例えば、胎児の頃に栄養不足に陥った人は、生まれるころには通常の大きさで生まれ成長しますが、糖尿病や特定の病気にかかりやすいとデータにあるそうです。

そして興味深いのは、青年期に栄養状態が良かった人の、子や孫世代の寿命や体質に影響しているというデータもあるそうです。もちろん“遺伝子”には親の栄養状態は影響しませんから、エピジェネティクスが何らかの方法で受け継がれているように見えます。

ただ、全ての実験やデータの量はまちまちですから、全てが信頼できるデータとは限りません。が、エピジェネティクスが人間にも働いているかもしれない例として、面白いですね。

わたしたちもエピジェネティクスに動かされてる?

プレーリーハタネズミというネズミの生態が面白かったです。

プレーリーハタネズミの雄と雌は、つがいになると生涯連れ添い、片方が死んでも、もう片方は次の相手に興味を示しません。

この“つがいの絆”は、オキシトシンとバソプレッシンというホルモンが関係しています。

オキシトシンを雌のプレーリーハタネズミの脳室に注入すると、パートナー嗜好が生じます。雄のプレーリーハタネズミにはバソプレッシンを投与しても、同じようにパートナー嗜好が生じます。

「このネズミじゃなきゃダメっ!(///)」って感じ?

二つのホルモンが両者に働くことで、プレーリーハタネズミ夫婦の絆が生じ、逆戻りしません。

エピジェネティクスは、一定方向にしか働きません。ボールがコロコロと坂道を転がることはあっても、坂を上り始めることがないのと同じです。

人間とネズミは違います。プレーリーハタネズミが持っている生態を、ヒトも持っているとは限りません。

だけど自分の行動や嗜好も、同様に何か原因があってボールが転がるように、エピジェネティクスが働いているのかもしれないと思うと……怖い気もしますし、面白いとも思います。

「生まれながらの遺伝子だけではない」という考えは、現代の多くの人にとっても興味深い事柄ではないでしょうか。

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『寄生虫博士のおさらい生物学』|理科の知識が必要なワケ

こんにちは。生物学を勉強している あさよるです。

……化学、生物、苦手だったんですよね~(;’∀’)

しかし、生きる上でとても大事な知識なんだと、自分が歳を取るほど思うようになりました。

だって、医師の言うことを理解するにも、健康のためになにをするにも、理科の知識、化学、生物学が必要なんだもん( ノД`)

いい歳して、もう一回理科の勉強しようと重い腰を上げたところ、『おさらい生物学』というドンピシャのタイトルの本を見つけました。

著者は“寄生虫博士”の藤田紘一郎さん。以前に同著者の『脳はバカ、腸はかしこい』はとても面白く役立ったので、本書も間違いないと読み始めました。

( ´∀`)bグッ!

『脳はバカ、腸はかしこい』|脳はすぐに勘違い、間違っちゃう?

「生物」の授業をおもしろく!

本書の『おさらい生物学』の“ねらい”は、あとがきにて紹介されます。

 今、日本の高校や大学で行われている「生物学講義」はいかにもおもしろくない。生物をギザギザに切り込んでおいて、その断面だけを見せるからだろう。骨と皮だけの「身のない」生物学講義で学生をおもしろがらせたり、イメージを描かせたりするとはとうてい無理な話だと思うのだ。
(中略)
生物学は、自分自身の健康や広く環境問題を考えるための基礎知識でもある。本書はこれから生物学を学ぼうとする学生はもちろんのこと、現代に生きている一般の人たちにもぜひ読んでもらいたい内容になっていることを最後に強調したい。

p.298-299

生物学は現代を生きるに必要な知識であるにも関わらず、高校や大学の「生物学講義」も、中高の「理科の教科書」もおしろくない。

そこで、“寄生虫博士”が「おもしろい理科の教科書」を作ろうじゃないかと乗り出した。それが本書『おさらい生物学』なのです。

“生物学”だからね、むずかしいよね……

タイトル『おさらい生物学』ですから、内容のほとんどは中学高校の理科の時間に習った事柄ばかりです。

生物ってなに?細菌は?ウイルスは?プリオンは?生きものなの?クローン技術やDNA、ABOの血液型。知ってるようで、説明は難しいですよね。

ウイルスや細菌、アレルギーや がん、私たちが気になるのは自分の「健康」のこと。現在、アンチエイジングがトレンドですが、知っておきたいのは人間の体の機能です。

『おさらい生物学』は、生物学に関する話題の全般を扱いますから、範囲も広い。先に述べたように、確かに中高で習った内容ですから「知っている」ことなのですが……。

理科の科目が得意だった方はいざ知らず、あさよるのような人にとっては、なかなかに読むのはボリュームのある内容でした(;’∀’)>

「自分のこと」だから

あさよるは「生物」が苦手でした>< 苦手だからこそ、「しかし生物の知識が乏しいのはつらい……」と痛感していました。

それは、食品を選ぶ時にも、病院へかかったときにも、体の変化を感じたときにも、「理科で習った気がするが……」と思い出せない記憶に戸惑っておりました。

生物学って、生きてゆくために必要な知識であり、ズバリ「自分」を知るための手段でもあるのです。

我々はみな動物であり、生命であり、アミノ酸の塊なのです。

「自分」について考えるとき、「人間」について考えるとき、「いのち」について考えるとき、不可欠なのは「生物学」の知識です。

『おさらい生物学』はあくまで入門の入門書のような存在。この一冊の本から生物学にちょっと興味がわいたなら、少しだけ一歩踏み出しましょう。

著者の藤田紘一郎さんの他著書も楽しいです。

生物学をおさらいしよう

生物学を勉強したのは何年前ですか?

科学は年々進歩してゆきます。そして、記憶はだんだん薄れてゆきます(;’∀’)>

正直ね、面倒な本ですよ、『おさらいの生物学』。著者は「おもしろい理科の教科書」と仰りますが、教科書であることには変わりなく、勉強はワクワクするばかりでもありません。

でもね、生物学を通じて、自分のことを知る。生きることを知る。

それは、哲学や芸術や文学や道徳やなんやかんやと、他の学問とはまた違ったアプローチです。

著者の藤田紘一郎さんの語り口は軽妙で、著者自身が楽しんで書いておられるのが伝わってきます。挿絵もたくさん挿入され、“教科書にしては”かなり楽しい内容。

気楽な読書のともには……ちょっと読むの大変だけどね(by 生物学苦手マン)

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『すぐやる!「行動力」を高める“科学的な”方法』|「あとでやる」ができない!習慣を変えよう

こんにちは。YouTubeを見始めるとあっという間に時間が経ってしまう あさよるです。

アレしてコレして……と段取りしていたのに、あっという間に時間が過ぎ、気づけばもう深夜……なんてこともしばしば。

睡眠時間が確保できず、朝寝坊しちゃったりして……どんどん時間に追われる毎日に突入してしまいます……。

『すぐやる!』めっちゃインパクトのあるタイトルです。そして、すぐ、やりたい。

「すぐやる!」習慣

本書『すぐやる!』は「すぐやる!」ための習慣づけを行うためのノウハウ集です。

頼まれごとを後回しにしちゃったり、面倒くさいことを放置したり、忙しくて勉強ができなかったり、すぐに動けないことってたくさんありますよね~。

「自分の意思が弱い」とか「なんで自分はできないんだ……」と闇雲に落ち込んでも仕方がありません。すぐやれないのはすぐやる“習慣”づけなんです。

根拠が分かりにくい?><

副題に〈「行動力」を高める“科学的な”方法〉とあります。この“科学的な”というのが難しい。

著者は作業療法士の先生で、専門に学んでこられた方ですから、門外漢の あさよるにとっては全く分からない世界です。本書はあくまで、作業療法士的な観点から、行動を変化させてゆく簡単な方法を紹介するもの。『すぐやる!』ではあくまでエッセンスとして、事例を挙げ、その場合の対処法が紹介されています。

例えば、家に帰ってきたら、テレビをつけたりスマホやSNSに気を取られ、ああもうこんな時間。やることがあったのに、今夜も出来ずじまい……よくある話ですよね(苦笑)

一度テレビやSNSを見始めてしまうと、それを切り上げるためには“意志の力”が必要です。

 テレビを前にして、「テレビを見ない!」と宣言するのは、いったん脳を「テレビを見るモード」にしてから、無理にテレビを奪おうとする行為です。脳に対して、「見ろ」という環境をつくりながら「見てはいけない」と強いているのですから、無理があります。

p.36

脳にテレビを見るイメージを思い浮かばせてから、「それはしない」と命令するのですから、確かにツライですね。さらに問題はそれだけではありません。

「やってはいけない」と念じたことをやってしまうことで、脳はさらに「すぐやらない」ようになるのです。(中略)

「やってはいけないことをやってしまった」とき、(中略)まずは、罪悪感を抱くと思います。実はこの罪悪感が、「すぐやる」の天敵です。
 罪悪感を持つと、脳内の「両側内側前頭葉」という部位が活性化します。この両側内側前頭葉という部位には、期待感をつくる「ドーパミン」をキャッチする受容体が多く分布しているため、期待感が高まります。(中略)

では、罪悪感の高まった脳は何に期待するのでしょうか。それは、「罪悪感のあとにあなたが取る行動」です。あなたが罪悪感に基づいてとる行動を「とても価値あるものだ」と評価します。
(中略)
そう、「やってはいけないこと」をやることで、結果的に脳は満足感を得ているのです。

例えば、「やってはいけないこと」をやって人を失望させてしまったとき、その罪悪感をから必死で謝りますね。そして、相手に許してもらえたとき、とっても大きな満足感を得ます。脳はこの満足感を知っているのです。

罪悪感は、人に不義理を働いてしまった“理由”を良いもの・仕方がないものと思いたくなります。寝坊して遅刻したなら「朝起きれない“体質”だから仕方がない」とかね。

ですから、「テレビを見る」を想像してから「見てはならない」と脳に強いると、「やってはいけない」ことをやって罪悪感を感じ、それを克服したときの満足感が得たい。そして、そんな罪悪感を感じてでもテレビを見てしまったのは、「テレビが好きだ」「テレビは面白い」と思っていたい。脳はそう考えたがります。

人間の行動っちゅうのは複雑怪奇……。

「やらない言い訳」の正体見たり

「忙しいから試験勉強をする時間がない」「上司ができない人だから残業が多い」「人づきあいが苦手だから皆と距離を取っている」「朝はどうしても起きられない」「人から助けてもらってばかりの自分」「落ち込むと何もできなくなる」「気合いを入れないとやっていけない」

これみんな、本書『すぐやる!』に登場する“やらない理由”なんですが、確かに一旦「やるべきこと」をイメージし、「だけどできない」と罪悪感を持つ言い回しばかりです。

「やらない言い訳」ってこういうことだったのか。

行動の“入力”を変えていく

自分の思考のクセが、やらないorやれない状況を作ってゆく。じゃあ、思考の入力を変えれば、行動が変わってゆく。

先の、「テレビを見て時間を無駄に過ごしてしまう」例。

簡単なことです。リモコンを“いつもの手の届くところ”から移動させてしまう。たぶん、「よっしゃテレビを見たんでぇ!」と意気込んでテレビのリモコンを手に取ることはマレです。多くの場合は、いつもの習慣で、手元にあるリモコンでテレビをつけてしまっていませんか?

で、一度始めた行動を、やめるには強い意志が必要です。テレビを一旦見始めちゃうと、強い意志がないとOFFにできないんです。

ならば、最初っからテレビをつけない生活にシフトしてゆけばいい。「よっしゃテレビを見たんでぇ!」と意気込んだときだけ見ればいい。

「すぐやる」習慣って、強い意志を発揮するのではなく、そもそも自分の行動から変えてゆくこと。そのための、生活リズムや持ち物の配置、習慣を変えてゆく。

単に自分の“意思”の問題だと考えていましたが、自分の生活や家具の配置や持ち物が、今の自分の環境を作っているんだと気づきました。自分の行動を変えたいなら、環境ごと変化させてゆく。おお!

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『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』|マスクは効果があるか?

こんにちは。風邪っぴきの あさよるです。先週は高熱を3日続けて出して、今週に入ってからは声が出なくて喋れません>< もう体は元気なんですけど、いつも風邪をこじらすと喉にきてしまいます……。

と、そんな話はいいんですよ。

たまたま熱を出す前に、図書館で『かぜの科学』という本を見つけて借りてきていたんです。この本は、以前にラジオで紹介されていて気になっていました。

読むなら今しかないよねッ!

風邪に特効薬はないッ(`・ω・´)キリッ

まぁ、端的に言えば風邪に特効薬はないっ!

ええ!まさにそれが知りたくてページめくってんすけどねぇ……この苦しみから解放されたい一心で活字を読んでいたのに……事実とは無常なり。

「風邪は寝るしかないよ」と、この一言、この真理!日本中のオカンが言うであろうセリフ!この言葉を説得するために、結構ボリュームある一冊が必要なアメリカの読者すごい。

風邪を引き起こすウイルスは、少なくとも200種以上いる。これらが次から次へと体の中に入ってきては、風邪の諸症状を引き起こす。

インフルエンザみたいにウイルスが特定されていれば予防もできるが、風邪は数が多すぎてムリってことだ。

んで、風邪に効く薬はない!

『かぜの科学』を読んだ感じだと、医学の世界でも、風邪の研究をしている人は少ないみたいで、奇特な人なんだって……。

マスクは予防に使える?

風邪の感染ルートの研究も面白い。

飛沫感染しているのか?接触による感染なのか?空気感染しているのか?とりあえず、38.8℃の中読んだ感じだと、よくわからんかった(オイ。健康は大切だなぁ…)。

くしゃみや唾は想像以上に飛び散り、人の住んでいるエリアは誰かが飛ばした鼻水と唾まみれだ。

マスクは風邪やインフルエンザの予防に役立つか?という話題はよく見聞きするが、『かぜの科学』を読む限り、マスクはそれなりに予防に使えそうだ。

鼻水や唾まみれの場所を手で触り、その手で目に触れたり、口に触れることで体内にウイルスは移動してゆく。だから、口の周りを物理的に覆っちゃうことは、自分で自分の口を触る回数を減らすことになるんじゃないのか?

女性の場合、お化粧をすると顔を無暗に触れない。これも、風邪予防になっている気がした。まさに化粧は「お呪い」だ。

手の打ちようがない……ショッキングな一冊

『かぜの科学』は、やたらボリューミーだ。

とりあえず、風邪をひいてから読むのは大変なボリュームだ。健康なうちに読んでおこう。

「風邪」という、ごくごくありふれた病気。本書によると、平均寿命のうち、およそ5年間風邪の諸症状に襲われ、1年間は風邪のせいで床についている。

しかも、大概の風邪は大したことない。だけど、アンラッキーが重なれば死んでしまうこともある。それもみんなよく知っている。

なのに打つ手がない!

本書『かぜの科学』で語られる風邪の話は、実はかなりショッキングだ。とりあえず、もう5日ほど声が出ない あさよるにとっては、なんと救いのない結論だろうか。

アメリカ人がアメリカ人読者向けに、特効薬のない、どうしようもない病について書くと、こんな分厚い本になるんだなぁと、なんだかおかしかった。たぶん、熱のせいだろう。

ママのスープ飲んで、温かくして寝ましょうね

繰り返しますが、本書の結論は、風邪に特効薬はない。

ママの作ったチキンスープでも飲んで、温かくしてよく寝ましょう!以上おわり!w

チキンスープを飲めと言うと笑いが起こるらしいが、著書はマジで薦めている(レシピも載っている)。七面鳥のスープでもいい(アメリカっぽい!)。

日本バージョンだと「オカンの味噌汁でも飲んで寝ろ」ってところ。出汁がよくきいて、野菜が入っているのがいいらしいし、発酵食品も勧められていたから、味噌汁は打ってつけだろう。

これだけ科学が発達し、数々の病も克服してきた人類も、「風邪」には勝てないという、面白い話。

ネガティブな人より、ポジティブな方が免疫力が上がって風邪の治りも早いらしい。

あと数日間は、自分の体調管理の甘さを棚の上に置きつつ、テキトーに感染ルートを他人のせいにして、気楽にお布団でヌクヌク寝るのが、回復への近道だ。

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熊代亨『若作りうつ』が描く未来 心の健康への取り組み

『「若作りうつ」社会』の冒頭で、精神科医の著者・熊代亨さんの元へやってきた患者さんのエピソードから始まります。

Cさんは仕事と子育てをソツなくこなす女性で、合間には趣味も楽しみ、社内で尊敬を集める人でした。しかし、ある時から睡眠や食事がうまく取れなくなり、心療内科で「うつ病」と診断されました。

治療により病状は改善しましたが、彼女は納得しません。朝から晩までスケジュールが詰まった、エネルギッシュで充実した“元の生活”に戻られないからです。

年の取り方がわからない

「若い頃と同じように頑張りたい」と主張し、自身の加齢を受け入れることに抵抗を感じています。

「老いを受け入れられない」

アンチエイジングがトレンドの21世紀。多くの人が抱えている問題です。

世代が分断された社会

かつての日本社会は、良くも悪くも様々な世代が関わり合って生きていました。

監視し合い、古い風習や価値観に支配された生活であった一方で、生まれる人、老いる人、病気になる人、死ぬ人。人間のさまざまなステージの人々が一つのコミュニティに交じり合っていました。

現代は、地域社会や因習から解放された一方で、孤立した世帯は、他の世代と隔絶されてしまいました。

「年の取り方がわからない」とは、自分たちの先を行く人々を見失ってしまった世界です。

70代に差し掛かる団塊世代も、自らを「老人」とは感じていません。いつまでも若々しく、老いのない世界は夢のような世界ですが、残念ながら存在しない世界です。

現実と願望のギャップにより、じわじわと苦しむのが現在人なのかもしれません。

誰も何も言わなくなった

アンチエイジングは超人気です。テレビをつければ次から次へと健康食品のコマーシャルばかり。

何を口にするのも人の勝手ですが、それにしても、買う人がいるからテレビで宣伝してるんですよねぇ……。

と、「人の勝手」というのも、現在人が陥っている落とし穴になっています。

赤の他人である友人知人が、怪しいげなものにハマっていても「人それぞれだし」「人の自由だし」と積極的には口出ししません。

ムラ社会的な相互監視の世界から抜け出した我々は、気軽になった半面に、間違った方へ進もうとしても誰も引き留めてはくれなくなりました。自由と責任、両方を手に入れたんですね。

本書『「若返りうつ」社会』の「第二章 誰も何も言わなくなった」は静かにゾツとする話でした。

父親不在の社会

「年の取り方がわからない」社会は、「モテ」が力を持つ社会です。

小さな子どもは、一人で生きてゆけませんから、大人から「愛され」ることで生存率を確保できます。ここでいう「愛され」とは、容姿が優れていたり、コミュニケーション能力が高いことです。

簡単に言やぁ、かわいらしい、愛らしい子どもが可愛がられるという、身もふたもない話なんすが……(;´・ω・)

かつてのムラ社会では、多少コミュニケーション能力が低い子も「みんなの子ども」「社会の子ども」という認識がありましたから、なんとかやっていけました。

しかし、現在は個人と社会が遮断されていますから、生まれ持ったかわいらしさ(容姿)か、コミュニケーション能力がないと、かわいい子どもになれません。

いつまでも「愛され」たい

そして、年の取り方を忘れた社会は、大人たちもいつまで経っても子どもの世界にいます。容姿が優れ、コミュニケーション能力の高い「愛され」「モテ」こそが社会を生き抜く力なのです。

……なんか自分で書いてて冷や汗しか出ないんだけど(;’∀’)

で、自分の「愛され」「モテ」要素を受け入れてくれる「母性」を求めている。

一方で、現在は父性不在の社会でもあります。

戦後の経済成長とともに、父親は朝早くにはるばる遠くへ出勤し、夜遅くに帰宅する、家庭にいない人物になりました。子どもから見ると、父親が毎日なにをやっているのか分かりません。

「仕事をしている」「働いている」とは言っても、具体的に何をしているのか分かりません。実際に育て、養育してくれるのが母親ですから、母性が力を持つのも頷けます。

社会の構造が変わったことで、家庭内の形まで変わり続けています。そして、新しい社会像、家族像をなかなか描けず、終わらない子ども時代を過ごしているのが現代なのかもしれません。

……って、エヴァンゲリオンみたいな話やないか!

(「第三章 サブカルチャーと年の取り方」は、オタクと年を取れない我々のお話で、他人事とは思えません)

「老い」と「死」をどう受け入れる

「年の取り方がわからない」世界は、「老い」と「死」のない世界です。

しかし、実際に現実には我々人間は日々刻刻と年を取り、老い、死に近づいてます。観念世界と現実世界の隔たりこそが、苦しみや、居心地の悪さを生んでいるように思いました。

個人的な話ですが、あさよるの祖父母はみな早く他界していて「老人」というものを知りません。

街中で出会う高齢世代の人たちは、みなさんハツラツとしてらして、元気いっぱいで何度目かの青春を謳歌しているように見えます。または、まだまだ現役世代バリに働く人たちばかりです。

これから両親も老いてゆくのでしょうが、「老いた人」を側で見たことがありませんから、「老人」がどのようなものか、あさよるにはロールモデルがありません。それは、自分自身が老いてゆくイメージがないことです。

あさよるもまた、現在人の一員として自らの「老い」や「死」を持っていない一人なのでしょう。

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