演劇、映画、大衆芸能

『1998年の宇多田ヒカル』|1998年にすべて出そろっていた

こんにちは。宇多田ヒカル世代のあさよるです。本書『1998年の宇多田ヒカル』は話題になっていて気になっていました。1998年にデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人がどのような存在だったのか、1998年はどのような年だったのかを考察する本です。

あさよるは ヒッキーも林檎ちゃんもaikoもあゆも、まさにど真ん中世代で、今でも大好きです。カラオケでも絶対歌うし!新曲もチェックしてるし!ということで、楽しい読書でした。

若い世代の方も、「昔はありえないくらいCDみんな買っててんで」というのが、大げさではなくマジであることを知ってもらえるかと思いますw

CDが最も売れた年、何があったのか

本書『1998年の宇多田ヒカル』では、日本の音楽シーンにとって特別な年だった〈1998年〉という年に何が起こったのかを宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人のアーティストを通して振り返る内容です。

この本のテーマは三つあります。一つは、1998年は日本の音楽業界史上最高のCD売り上げを記録した年であること。反対に言えばその後CDの売り上げが下がり続けている現状を考えます。二つ目は、日本の音楽シーンのトップ3の才能である宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoが同じ1998年にデビューし、その後彼女らを凌駕する存在が現れないこと。最後は、その1998年という特別な年に、著者が出版社のロッキング・オンで音楽誌の編集をしており、間近で1998年の音楽業界を見てきた経験から、こんなに面白い時代を書き残したいという著者の思いです。

本書が出版されたときはまだ、塗り替えられることはないであろうCDセールスをたたき出した宇多田ヒカルは長年の活動休止中でした。アーティストらしく芸能人的ではなかった椎名林檎は近年毎年紅白歌合戦にも出演し、テレビの世界でも活躍しています。デビュー当時、aikoが今なお精力的に活動し続けていると想像した人はどれくらいいたでしょうか。そして、浜崎あゆみは実は、最も多くのオーディエンスのステージに立ち続けていることをご存知でしょうか。

個性も才能もそれぞれ違う宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人を通じ、1998年というターニングポイントを紐解いていきましょう。

1998年の4人

スタジオ育ちの宇多田ヒカル

デビュー当時、宇多田ヒカルがバイリンガルであることや、ニューヨークと東京を行き来して育ったこと、そして藤圭子の娘であることが取りざたされました。しかし、彼女が他のアーティストと違うのは「スタジオ育ち」であり「スタジオが故郷」であるという点です。音楽プロデューサーの父と歌手の母の元に生まれ、小さなころからスタジオが遊び場所で、スタジオで宿題をし、スタジオが落ちつく場なのです。デビュー後はスタジオが彼女を守るシェルターの役割を果たしていたのでしょう。

宇多田ヒカルの音楽には、密閉されたような雰囲気が漂います。彼女は極端なレコーディングミュージシャンで、彼女のキャリアの中でステージに立ったのは、たったの67回(2016年時点)。そして作詞作曲だけでなく、編曲まで手がけ、音楽家・宇多田ヒカルとなってゆきます。

バンドマンの椎名林檎

椎名林檎はソロでデビューしました。今でこそエレキギターをかき鳴らす「ギター女」はたくさんいるけど、当時はちょっと珍しかった。その後〈東京事変〉として活動を始めるのですが、椎名林檎はデビュー当時からライブやレコーディングのメンバーをバンドに見立て、バンド名をつけていました。そもそも、彼女はバンドでオーディションに出場しましたが、主催者側にソロを勧められた経緯があるそうです。現在も、同年代のミュージシャンとバンドとして演奏することも少なくありません。お茶の間にも、バンドマンとして登場し続けているってことですね。

天才aiko

「最も天才なのはaikoかもしれない」という章。1998年当時、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみと比べると目立たない存在で、大ヒット曲もなかったaiko。だけど、本書出版時の2016年に、1998年の頃となんら変わらず活動を続けているのがaikoです。aikoは何も変わっていない。曲の雰囲気も、彼女自身のイメージも。反対に言えば、aikoは登場時から完成していたのです。

aikoの活動は頑なで、aikoはいつもファンの方に向いている。雑誌のインタビューにほとんど答えず、テレビも出演する番組は決まっている。フェスには一切出演せず、「aikoとファン」の空間にしか彼女は立たない。

今も最も多くの観客の前に立つ浜崎あゆみ

浜崎あゆみは最も多くの観客の前に立つアーティストです。彼女の私生活やスキャンダルばかり報道されますが、数多くのステージに立ち続けているのです。テレビや雑誌メディアの出演はかつてほどではないからと言って、浜崎あゆみがダメになったわけじゃない。また、作詞作曲を手がける人物を「アーティスト」と呼ぶ風潮も疑問で、多くの観客の前で演奏し続けるのもミュージシャンじゃないか。

ただし、著者の宇野維正さんは浜崎あゆみさんは畑違いのようで、あまりページが割かれていないのが残念。

音楽CDの、終わりのはじまり

本書では〈1998年〉という音楽CDが最も売れた時期を取り上げています。ということは、1998年以降、どんどんCDが売れなくなった年でもあります。

1998年ごろに起こった出来事や風潮の考察がなされてます。

CDとCCCD、8センチCDからマキシシングルへ

そもそもCD自体が「CCCD(コピーコントロールCD)」という、違法コピー防止のためのものが登場しました。これはCDとは規格が違っており、CD再生機器での再生を補償しないというもので、CDに最初にケチをつけたのがレコード会社だったのです。

また、かつてシングルCDは直径8センチメートルのアルバム版より小さなものでしたが、1998年ごろ12センチメートルのマキシシングルへ移行してゆきます。宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』は8センチ版/12センチ版両方がリリースされ、両方がヒットしました。椎名林檎もaikoも浜崎あゆみもデビュー当時は8センチ版でした。CDシングルがマキシシングルになったことで、消費者からすればCDアルバムと全く同じ代物で、2、3曲しか収録されていないのに1000円もするのは、割高に感じてしまう要因だったのかも?

「アーティスト」と「アイドル」

それまで「歌手」「ミュージシャン」と呼ばれていた人たちが、「アーティスト」と「アイドル」と分けて呼ばれ始めたのもこの頃。宇多田ヒカルも椎名林檎もaikoも、デビュー当時はアイドルのように注目されていました。そういえば、宇多田ヒカルのファッションが話題になり、椎名林檎のライブには彼女のコスプレをしたファンが集まり、aikoはファッションリーダーでした。

かつて、例えば近藤真彦や松田聖子や小泉今日子たちは、歌手であり、アイドル的存在でした。しかし今現在は「アイドル」と「アーティスト」は明確にわけられて認識しています。これは、従来的な(松田聖子や小泉今日子のような)「アイドル」がいないからなのかもしれません。

しかし音楽的に圧倒的な実力がある人物がいれば、誰もが憧れて当然で、アイドルのように崇拝されてもおかしくありません。そういう意味で、2000年代以降は「アイドル」がいなったのかもしれません。

(当エントリーでも、ミュージシャン、アーティスト、歌手等の呼称が混在しています。「アーティスト」というのは収まりのよい言葉ではありそうです。それゆえ乱用されたのでしょう)

アーティストの発言こそが真実?

 日本の音楽ジャーナリズムは、長いことアーティスト自身による言葉、いわゆるオーラル・ヒストリーにあまりにも頼りすぎてきました。そのきっかけとなったのは糸井重里による矢沢永吉のベストセラー『成りあがり』かもしれないし、渋谷陽一(かつてのボスです)がロッキン・オン社の刊行物で作り上げた誘導尋問的なインタビューのスタイルかもしれません。(中略)
でも、「ミュージシャンの肉声」が唯一絶対の聖典のようになった時、音楽ジャーナリズムの役割はそこで終わりです。

p.17

ミュージシャンたちの言葉こそ聖典として語られる反面、ミュージシャンたちは本当のことばかり語るわけでもありません。意図的に事実でないことを発することもあるでしょうし、なにより人は「こうありたい」と願望を語るものです。インタビューで語られていることは事実ではありません。

宇多田ヒカルはデビュー当時から、自身のWEBページで「MESSAGE from Hikki」日記を書いており、当時話題になりました。ミュージシャン自身がネットで日記を近況報告することが珍しかったのです。また、宇多田ヒカルのTwitterアカウントも時折話題になります。

ミュージシャンたちからの言葉はテレビや雑誌からのみでなく、ミュージシャン自身がWEBで発信するようになりました。もはや「本人の発言こそ真実」の魔法も解けてしまっているのではないでしょうか。

なぜ我々はCDを大量に買ったのか

1998年が日本史上最もCDが売れた……しかし今はCDは売れません。そもそも、我々はなぜあんなにCDを買いまくったのでしょうか。本書ではその理由を二つ挙げられています。

  • CDがリスナーが手に入る最も高音質なものだった
  • CDは半永久的に劣化しないと信じられていた

「最も高音質で劣化しない」だからこそ我々はお金を出してCDを買い求めたのです。

そう考えると、コピーするたび音質が落ちるMDや、音質の保証されないCCCDの登場等、レコード会社の失策だったのではないか……ちなみに本書で「レコード会社が悪い」なんて書かれてませんよw あさよるの補足ということでw

CDの時代は終わった

本書『1998年の宇多田ヒカル』を読み、しみじみと「CDの時代は終わったのだ」と痛感しました。あさよるもズバリ宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ世代で、未だに新譜を追っかけて聞いています。だけど、CD、持ってません^^ つまり、CDはみんなiPodに放り込んで、ディスクは処分しちゃいました。んで、新たに買うのはiTunesで。このスタイルになってすでに7、8年になります。

彼女たちはCDの最後の世代でした。だから世代交代もできません。

宇多田ヒカルの記録は破られないし、椎名林檎はバンドを組み続け、aikoはaikoのままで、浜崎あゆみはステージに立ち続けます。あさよるは彼女らのファンだったから、今だに彼女らの音楽が聴けるのは嬉しい反面、未だに彼女たちが第一線にい続けることは残念でもあります。次の宇多田ヒカル、次の椎名林檎、次のaiko、次の浜崎あゆみが見たかった。

「次世代が生まれない」というのは、さみしいものだ。

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『能 650年続いた仕掛けとは』|変わり続けること

こんにちは。能が好きな あさよるです。実は、好きなんです。以前ね、能のお囃子の小鼓のお稽古に通っていました。「いよ~ぅ、ポン!」ってヤツです。引っ越しや転職や体調不良等々と重なってそれっきりになってるんですが、チャンスがあれば復帰したいデス。あ、でも、能の舞をやってみたいなぁと心密かに狙っています。能は見てるのも面白いんですが、むちゃくちゃ「自分もやりたい!」と燃えるんですよね~。

ちなみに、あさよるが初めて見た能は、関西の大学生がやっているもので、小鼓を女性がやってて「女性でもできるんだ!」と嬉しくなって飛びつきました。彼女がまた、カッコよかったんだ~。

「能」ってなんだ?入門書

本書『能 650年続いた仕掛けとは』は能をこれから知りたい人向けの入門書。10代の若い人が読んでもわかる内容です。

ところで「能」ってどんなイメージですか?もしかしたらイメージ自体がないかもしれないし、なんかオタフクみたいな仮面を想像するかもしれません。学校から能の舞台を見たことがある人もいるかもしれません。あさよるも何回か、中高生の鑑賞会の中、ポツーンと大人が混じって見たことがありますw

なんとなく「能ってこんな感じ?」ってのが頭の中にある人にとって、本書『能 650年続いた仕掛けとは』を読めば程よく能のイメージが一新されるんじゃないかと思います。「格式ばった」「厳格な」ものではなく、やさしい文体で本書が書かれているせいかもしれないし、能を鑑賞するだけじゃなく、「やりたくなる」ように用意されているからかも。

能と「サル」

能の歴史は奈良時代、大陸から輸入された「猿楽」が発祥だと習いました。本書ではさらに、古事記に登場する、天岩戸の前で舞ったアメノウズメノミコトの伝説が登場します。

 アマノウズメノミコトは天岩戸のほかに、猿田彦と結婚したことから、猿女(祭祀の際に舞う女性)の先祖となりました。猿女は、芸能の神様ですし、猿田彦も芸能の神様であるという人もいます。

p.30

大陸から「猿楽」が渡ってくる以前から、芸能を伝える「猿」系の人たちがいたのではないか?という推測です。さらに面白いのは、能が発展したのは豊臣秀吉の時代。秀吉もまた「猿」と呼ばれる人物であるということ。歴史的事実はわかりませんが、面白いつながりですね。

能の650年生き残り戦略

伝統芸能というと「頑迷」で「意固地」に同じことをし続けている芸能だと感じている人は、本書『能 650年続いた仕掛けとは』でアッサリと裏切られるでしょう。能の歴史を見ていると、スルスルと時代に合わせその姿を変えながら、現在につながっていることがよくわかるからです。

そもそも、現在に続く能を発明した世阿弥はイノベーターですね。舞台の装置そのものを作り替え、能を継承するために世襲制を採用します。テキスト『風姿花伝』も著されました。

戦国時代、武将たちに能は愛されます。中でも豊臣秀吉は能に入れ込んでいたらしく、朝鮮出兵の際は即席能舞台まで用意されたとか。秀吉は新しい能の演目をたくさん作らせ、自分も能を舞いました。家康も能を楽しみ、江戸時代に入ってからは大名家の教養として推奨されました。徳川綱吉は能狂いで、その頃から能の趣がガラリと変わります。それまでの能よりも2倍くらいゆっくりと演じられるようになったのです。時代が下ると、江戸時代の市井の人々も能に親しんでいたそうです。

そして明治時代が始まります。能を支えていた幕府や武家がなくなり、能は存亡の危機に。その後、野外にあった能楽堂(能を演じる舞台)を屋内に移した能舞台へ変わります。能は夏目漱石や正岡子規、泉鏡花など文学者に愛されました。

現代もマンガに描かれたり、『ガラスの仮面』の「紅天女」が能で上演されたりと、メディアミックされています。

あさよる的には、「能舞エヴァンゲリオン」を見たかったすな。意外にも(?)、新作がたくさん作られているんですね。能と一緒に上演される狂言でも新作がたくさんありますね。

「能」をやりたくなったら

本書内では、プレイヤーとリスナーの分断について触れられています。ロックバンドを聞いてノリノリになる人は大けれど、「聞く」と「演奏する」の間に大きな溝がある……。これは能の世界でも起こっていて、「能を鑑賞する人」と「能をやる人」が分断されてしまっている。

これは普通じゃないんです。昔の人は、自分でやってた。落語で「寝床」という話があります。客を集めて、みんんなの前で下手な浄瑠璃を聞かせて迷惑がられる話です。浄瑠璃も、戦後すぐの頃までは習っている人が多かったと聞いたことがあります。

本書の素晴らしいところは、読んでいる内に「能を習うなら」というガイドが始まっているところでしょう。鑑賞される能だけじゃ不十分で、みんながやりたい能でなければ、伝統も続かないのかもしれません(余談ですが、今若い世代はバンドやらないそうですね。あさよる含め)。

ちゃんと先生や教室の探し方や、お稽古の通い方が指南されていて(・∀・)イイネ!!

能の鑑賞のための手解きはよくありますが、習い方は初めて読んだかもw

変わり続ける伝統

本書を読んで、伝統芸能って、さすが何百年も生き残ってきただけあるんだな!と、なんだか清々しい気持ちになります。

例えば、ブログやサイトを何十年と続けている人は、サーバー移転やサービス修了や、ブログやSNSの導入など、たくさんの変化があったでしょう。データ飛ばしちゃったり、掲示板が炎上したり、晒されたこともあるでしょう。中の人だって、転職したり家族が増えたり引っ越したり病気になったりいろいろあったでしょう。長年同じサイトやってる人を見つけると「歴史アリやなぁ」としみじみ感じ入ります。それでも、未だに更新し続けている人って、変化や新しいトレンドを常に取り入れ続けた人なんですよね。しみじみ。あさよるもこのドメイン育ててこう……(なんのこっちゃ)。

とまぁ、何ごとも「長く続ける」って常に変化し続けることです。それを優に650年続けてきた能は、川の中をたゆたうハンカチのように、その一瞬一瞬変化し続けたのかもしれません。能の先祖を辿ると、もっと古いみたいだしなぁ。

変化するってエネルギーも勇気も必要で、恐ろしいものだけれども、変化しないと手に入らないものもあるのね。

関連本

『狂言でござる』/南原清隆

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『先生、イノベーションって何ですか?』/伊丹敬之

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人間国宝が語る、文楽の未来|『人間、やっぱり情でんなぁ』

これぞ「芸人」。

季刊誌『上方芸能』終刊に思う

季刊誌『上方芸能』が、2016年6月号を持って終刊になりました。あさよるも毎号読んでいた雑誌ですので、なくなってしまい残念です。

『上方芸能』の創刊者・木津川計先生の講演や書籍を通して、「芸能」あるいは「芸事」について、見聞が広がる“キッカケ”になりました。中でも、「語りもの文化」の面白さに触れられたことは、人生の楽しみが何倍にも増えました(大げさでなく!)。

感慨に浸る…つもりはありませんでしたが、知らず知らず、「竹本住大夫」さんの本に手が伸びていました。

文楽、人形浄瑠璃ってなに?

浄瑠璃とは

浄瑠璃とは、三味線にあわせて大夫がお話を語ります。

その語り方は独特の節回し(義太夫節)で、歌っているようにも、唸っているようにも聞こえ、印象的です。大阪で発展した芸能なので、古い大阪の芸人の言葉が使われます。

古い言葉ですので、近年では聞き取れない人がほとんどです。「文楽劇場」では、現代語訳された字幕を表示するなど工夫がされています。

人形+浄瑠璃=「人形浄瑠璃」

浄瑠璃にあわせて、人形を操り物語を演じるのが「人形浄瑠璃」です。

人間が2、3人係で、一人の人形を動かします。人形の動きはとてもリアルで、はじめて見た人は驚きますよ。

三味線と太夫の「浄瑠璃」と、人形の芸が合わさって、ダブルで楽しい芸が「人形浄瑠璃」です。

人形浄瑠璃は日本中で人気になり、各地で上演されました。今は数が減ってしまいましたが、地域の人たちが人形浄瑠璃を守っている土地も有ります。

世界遺産・大阪の「文楽(ぶんらく)」

大阪の人形浄瑠璃を指して「文楽」と呼ばれています。

江戸時代、人形浄瑠璃はとても人気で、大阪の街にもたくさんの文楽劇場が立ち並びました。その中でも、人気を集めていたのが「植村文楽軒」という劇場でした。

次第に、人形浄瑠璃のことを「文楽」と呼ぶようになり、今日に至ります。

「文楽」はユネスコ無形文化遺産(世界遺産)にも指定されています。

太夫と大夫

浄瑠璃を語る人のことを「大夫」あるいは「太夫」と言います(どちらも「たゆう」)。

古くは「太夫」と呼ばれていましたが、昭和28、29年頃から「大夫」を改めました。歌舞伎の太夫と区別する意図があったようです。しかし、2016年4月から、正式に「太夫」と表記されることになりました。

「太夫」は、人物につける継承です。芸能に携わる人にも多く使います。

ツミづくり!?名人芸のジレンマ(T_T)

竹本住大夫さんは、人形浄瑠璃の大夫で、重要無形文化財保持者、通称・人間国宝です。

2014年春、惜しまれながら引退するまでなんと68年もの間、太夫を務めました。

あさよるも、はじめて文楽鑑賞したとき、何も知らずに「あそこで喋ってたオッチャンめっちゃスゴかったなぁ~」なんて言って、「あの人が人間国宝なのよっ!」と教わりました(笑)

初鑑賞で、右も左もわからないあさよるも、他の太夫とは違う「スゴさ」は圧倒的でした。

大夫は60過ぎてから?

『人間、やっぱり情でんなぁ』では、「伝統芸能の世界では、還暦なんてまだまだ中堅若手」と紹介されていてビックリ(゚д゚)!

「さあやっと“老後”だぞ」って時にも、まだ中堅という……。気の遠くなるような世界です。

「死んでからも稽古や」「修行は一生では足らん、二生きる欲しい」なんて言葉も紹介されていました。

越路兄さんは生前、「修行は一生では足らん、二生欲しい」と言うてはりました。「二生あったら、もう一生欲しいと言うやろなあ」とも。芸の道に終わりはない。手元だけ見んと、成も成らぬも、もっと先見て今日の稽古せい、ということです。

―竹本住大夫『人間、やっぱり情でんなぁ』

セカセカと時間に追われる現代人から見ると、なんと気の長い話でしょう。反対に、伝統芸能の世界から我々を見れば、せっせと生き急いでいるのかもしれません。

時間の流れの違いは、公演の長さにも現れています。現在、文楽の公演は、間に休憩を挟んで4時間あまり!2時間の映画鑑賞も、時間がなくてなかなか…なんて人もザラですね。いかに、現代人が時間がないかという……。

名人芸?若手の芸?

タイトルにもある「情」というものは、なんでしょうか。目に見えるものではありませんが、あさよるが感じた圧倒的なスゴさが、「情」の部分なのかぁと感じました。

「リアル」とか「上手い」とかそんなんじゃない。「色が違う」ような。とつぜん、極彩色で強烈な色彩が飛び込んでくるような、そんな感じ。

あれは、20代30代には出せないものだと言われれば、そうだろうなぁと思います。「凄み」は、人間の中に宿るのかも?

葛藤(・・;)

我々観客は、名人芸が、見たい!

すなわち、アラ還以上、60歳オーバー、中堅若手以上の芸が見たいってなもんです。

しかし、これって罪づくりだなぁ(T_T) やっぱね、伝統芸能を背負って立つのは、若手の人なんです。だから、応援すべきは、往年の名人ではなくって、若手なんじゃないの?なんて。

だけど、やっぱ、どうせなら名人芸も拝みたい……という葛藤……(・・;)>

「船場ことば」は読みにくい?

『人間、やっぱり情でんなぁ』は、竹本住大夫さんの聞き書き形式の書籍です。

ですから、関西の方言そのままが文字になっています。ここに、読みにくさを感じる人もいるかも?

住さんがお話されているのは「船場ことば」という、大阪の古い言葉です。

大阪の芸人さんたちが使った言葉で、もう「船場ことば」ネイティブの人は残っていないと言います。

竹本住大夫の話す言葉自体が貴重なものになってしまったんですね(T_T)

芸人として舞台を降りる

2014年、竹本住大夫さんは68年もの芸人生活を引退されました。

『人間、やっぱり情でんなぁ』では、舞台上で倒れ、そのまま舞台復帰ならなかった方のお話をされていました。

住さんも一度、脳梗塞で倒れ、後に舞台復帰されています。しかし「舞台をどう降りるか」ということを、考えていらしたんじゃないかなぁと感じました。

芸人として、最後までどう振る舞うのか。一人の人間がどうやって引退するのかを、一般の我々にとっても注目すべきことだったのではないでしょうか。

一つの道を極め、常に第一線で活躍し続けた人物。彼が、どう現役を退くか。それって、多くの人の「生き方」にも影響を与えます。

軽いノリで「ちょっと文楽でも♪」

最後の章では「もっと気楽に文楽を」という節が印象的です。

「文楽は敷居が高い」「文楽は難しそう」そう感じる人も多くいます。しかし、文楽の芸人さんたちは「もっと気楽に文楽を」と考えているんですね。

一度、足を運ぶと分かりますが、別にジーンズとTシャツで構わないし、途中の休憩時間にはお弁当を食べたり、結構ワイワイガヤガヤと楽しめるんですよ。

「幕見」という、一公演中の、部分だけを見ることもできます。もちろん、その分チケットもリーズナブルですし、幕見で上手に通う人もいます。

もちろん、ドレスアップして「特別な日」を演出してもいいし、フラッと映画やカラオケに行くノリでもOK。自由度の高さが、伝統芸能の魅力じゃないかなぁと、あさよるは思います(^^♪

竹本住大夫さんの浄瑠璃はもう聞けませんが(T_T)、だけど、住さんからのメッセージを知って、文楽行きたいなぁと思いました。

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『カラオケ上達100の裏ワザ』を読んだよ

2005年に公開された映画『さよならみどりちゃん』が好きです。星野真里さん演じる“ゆうこ”が思いを寄せる西島秀俊さん演じる“ユタカ”は、女たらしで、だらしなくて、クズで、だけどセクシーで可愛くて、主人公が虜になってしまう気持ちがわかります。

映画の主題歌は、奥村愛子さんが、松任谷由実さんの『14番目の月』をカバーしたものが使われています。奥村さんのキュートな声とpopなアレンジが、ユーミンの曲とはまた違った雰囲気で素敵です。

劇中でも、星野真里さんが『14番目の月』を歌います。ゆうこがバイトをしているスナックで、苦手だといつも断っていたカラオケのマイクを握りしめ、なんだか晴れやかに投げやりに歌います。その姿がとても愛しく、『14番目の月』も以前よりも好きな歌になりました。

カラオケって、素人が集まって、大して音響も良くない環境で、大抵は空気の悪い密室で、隣の部屋の歌声がガンガン響いているような場所で、決して“良い空間”とは言えない場所です。大概は、みんな歌も上手でないですし、自分も下手なことを分かっています。
しかしなにか、やめられない、そこでしかないコミュニケーションや、そこでしか得られない体験があるように思います。
「歌を歌う」ということは、人間にとって共感をわかちあう効果があるようです。

「ヒトカラ」も、みんなで楽しむカラオケも

私も、昼間に一人でプラっとカラオケボックスに行くことも珍しくありません。一人でカラオケに行く「ヒトカラ」は結構多く、平日の日中のお客さんの殆どは一人客です。カラオケ店員さんにとっても珍しくなく、ヒトカラは決して孤独で恥ずかしいものではないのです。
また、友人や仲間と行くカラオケと違った楽しさがあります。

『カラオケ上達100の裏ワザ』を試すためには、必ずヒトカラが必要です。なぜなら、いつか来る日のための練習が必要だからです。歌が上手い下手というよりも、カラオケが上手い/下手があるような気がします。
私は、歌謡曲を聞くのも好きですし、歌をうたうのも好きですし、人と楽しく過ごすのも好きなので、カラオケも嫌いではありません。人前で歌うのは得意ではありませんが、その日のために日夜、新しい曲を覚えたりしています。

カラオケのコツ

本書で参考になったのは、選曲方法です。ただヒット曲を選べばいいというものではなく、難しい曲を避け、自分の歌いやすい曲を選ぶべきだと書かれています。そして、歌のキーも、自分にあったものに変えること。こちらは、実際に歌ってみて事前に練習と調整が必要です。
そして、男性は女性曲を、女性は男性の歌を選ぶテクニック(?)が参考になりました。異性が歌う曲を選べば、キーも大幅に変更しなければなりません。すると、曲のイメージも大きく変わります。ですから、自分なりの曲の解釈が必要になるのです。
カラオケも、なかなか奥が深いものです。
一人の楽しみとしても、人との関わりの中でも、良い時間を持ちたいです。

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『人は見た目が9割』|言葉は7%しか伝わらない

こんにちは。あさよるです。長年ヘアカラーをしていたんですが、数年前にカラーをやめて黒い髪にしたところ、しばらくやたらと人に絡まれる機会が増えて困っていた。明るい色に染めていた頃はそんなことなかったのに、「髪色が変わると世界が変わるのか」となかなかショックだった。

それから時間が経ち、着る服や持ち物も一通り新しく入れ替わったら、また元のように知らない人に絡まれることはなくなった。明るい髪色から黒髪への切り替え途中、服装と髪形がちぐはぐだった頃に起こっていた現象ではないかと思っている。以前と変わったのは、小まめに美容室へ行くことと、襟のある服か、ハリのある服を着るようにしたことか。

「見た目で判断されるのね」と実感した経験だった。

人を見た目で判断するんがいいのか悪いのかわからないけど、パッと一目見た印象は確かにある。話しかけやすそうな人や、木難しそうな人。「第一印象を悪く持たれた」なぁと伝わってくることもある。いいのか悪いのかわからないけど、見た目が人間関係を左右しているのは、みんなが実感していることだろう。

言語7%、非言語93%

「人は見た目が9割と言いますし」と、よく引用されていたり、そういう言い回しが使われれているのを見聞きする。その元ネタ(?)になった新書『人は見た目が9割』は、読んでみると、想像していた内容と違っていた。

『人は見た目が9割』の著者は演劇の演出家で、演技でその役柄をそれらしく見せる「人の見た目」について精通している。本書でも、演劇で使われる「その人らしさ」のつくり方をもとに、「見た目」によって印象が変わり、台詞の意味が変わってくる様子が伝わる。

わたしたちは日々、人々とコミュニケーションを取り続けているが、「言葉」が伝える情報量はたった7パーセントしかない。残りの93パーセントは言葉以外の、非言語コミュニケーションによって情報が伝わっている。

本書では、顔の特徴(髭など)、アクション、仕草、目を見て話すこと、色やにおい、間・タイミング、距離感、マナー・行儀作法、顔色などなど、それらを「見た目」としてまとめられている。確かに、「見た目」が9割あると言われると納得できる。

役柄の説得力を増す「見た目」

『人は見た目が9割』って、もっとビジネス書や自己啓発本っぽくて、辛辣なことを書いてあるのかと思っていたのに、全然想像と中身が違った。芝居を長くやっているからこそ、人は人をどう見るか、どう見られているかについて研究がなされている。

お芝居はまさに「人の見た目」を最大限に利用しながら、現実には存在しない人物に肉付けし、立体的に作り上げる。そのためのノウハウとしての「非言語コミュニケーション」についての言及は、切り口が面白かった。

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人は見た目が9割

竹内一郎/新潮社/2005年

目次情報

はじめに

第1話 人は見た目で判断する

アクションは口よりも 言葉は七%しか伝えない 信頼できる行動 顔の形と性格の関係 髭はコンプレックスの表れ ソファーの隙間はなぜ気持ちいいか第2話 仕草の法則

自分の席から離れない上司 早口で声が高い人 なぜか百姓は東北弁 似たもの夫婦の心理学 頷き過ぎにご用心 オーバーアクションは薄っぺらい 足を大きく開く男 緊張のサイン サクラは三人以上必要

第3章 女の嘘が見破れない理由

「目を見て話す」のは何秒か 女の嘘はばれにくい 勘が鋭い女性とは 潤んだ瞳に注意 髪型の意図 可愛い女の子になる方法

第4章 マンガの伝達力

マンガの技法に学ぶ 構図のインパクト 内面を背景で表現する 読者に語りかける 絵で音を表現する コマのマジック タチキリ、見せゴマ

第5章 日本人は無口なおしゃべり

国境を越えるノンバーバル行動 二種類のノンバーバル・コミュニケーション 「語らぬ」文化 「わからせぬ」文化 「いたわる」文化 「ひかえる」文化 「修める」文化 「ささやかな」文化 「流れる」文化

第6章 色と匂いに出でにけり

色の力 マンガはなぜモノクロか 色のメッセージ 騒色公害 目立つ色、目立たない色 赤い公衆電話が消えた理由 荷物を軽くする色 色のイメージ 化粧が生む自信 日本のメイクは美を追求しない 匂いの力 匂いのない恋

第7章 良い間、悪い間、抜けてる間

タイミングは伝える 間の伝達力 相手に想像させる 観客は交流したい 「読み聞かせ」のコツ マンガにおける間 沈黙に耐える

第8章 トイレの距離、恋愛の距離

心理的距離は八種類 敵は真正面に座る 男子トイレの法則 リーダーの座席の 遠距離恋愛の法則

第9話 舞台は人生だ

外見は人格さえも変える 没個人になるということ 恐怖の表現する 相性のつくり方 暑いとき、人は興奮する

第10章 行儀作法もメッセージ

マナーというノンバーバル行動 応接室への案内 車の座席

第11章 顔色をうかがおう

表情の研究 笑いの伝えるもの 微笑みの持つ重層構造 男女の顔の違い 加齢の特徴 ポーズが伝える感情

あとがき 主要な参考文献

竹内 一郎(たけうち・いちろう)

一九五六(昭和三十一)年福岡県・久留米市生まれ。横浜国大卒。博士(比較社会学文化、九大)。九州大谷短大助教授などを経て著述業。『戯曲 星に願いを』で、文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作、『哲也 雀聖と呼ばれた男』で講談社漫画賞を受賞(筆名/さい ふうめい)。