
なんでペットは食べちゃダメなの?
身近に潜む「タブー」を知ってますか?
食べてもいいもの、ダメなもの
クジラやイルカの肉を食べることがニュースになりますね。あさよるはどちらも食べたことがない世代で、どうやって調理するのかも知りません。
馬肉は好きで、無性に食べたくなります。だけど、馬を食べる習慣も、禁忌である地域が多いと聞きます。一方「犬を食べる」と聞くと残酷に思う日本人は多いでしょうし、「昆虫食」は気持ち悪く、一部を除き、ゲテモノとして扱われることがほとんどでしょう。
この「◯◯は美味しい」「△△は気持ち悪い」「かわいそう」って感覚は、一体何なんだろうと以前から気になっていました。SNSにて『タブーの謎を解く――食と生の文化学』が紹介されており、手に取りました。
境界にあるもの、どちらでもないもの
『タブーの謎を解く――食と性の文化学』では、「食」だけでなく、「性」にまつわる禁忌「インセストタブー」や「婚姻」、それにまつわる「まつりごと」「ケガレ」など、「タブー」が存在する分野を総ざらいするものです。
しかし、人類のタブーは「肉食」と「性」にタブーが集中しています。それはなぜか?
人類はかつて動物としての「ヒト」から、文化・文明を持つ「人間」として歩み始めました。文化の中から野蛮なもの、動物的なものは排除されてゆきました。しかし、絶対に排除することが不可能なのは「食」と「性」です。これらは、文明の中に残った野生なのです。
ですから、文明と野生が混じってしまわないように、入念に線引がなされます。「タブー」とは、境界にあるもの、あいまいなもの、カオス(混沌)からロゴスによって区分がなされることで生まれるのです。
文化人類学系の本は、とにかく難しい><
人類の歴史全般、世界中の文化全般を扱う人類学・文化人類学はなにせ範囲が広すぎ!『タブーの謎を解く』の著者・山内昶先生も文化史学者であり、ヒトに関する幅広い分野を超えて扱います。
ですので、入門書的な一冊ではありますが、網羅されている範囲が広く、事前の知識も必要ですから、検索しながらの読書になるやも……。あさよるも、新書一冊読むのにヒジョーに時間がかかりました。(-_-;)>
しかしながら、その苦労(?)と比較できないほど充実した読書でした。新たな興味も掻き立てられ、また自分自身の抱える「タブー」にも気が付きました。
各民族の風習から、人類普遍の概念へ
世界中の民族や、我々日本人の持っている「タブー」を個別に見てゆき、そのロジックを解き明かしながら、人類全体が持っている普遍的な概念へと読み解いてゆく様子は圧巻です。
Amazonのレビューなどでも、謎解きのような展開に舌を巻く評を目にし、読了後、その意味がわかりました。
カオスとコスモスを分離しようと、コスモスの中にカオスが生まれ、それを分離してもカオスが生まれ続ける。文化によってタブーが変わるのは、そうやってカオスを分離してゆく課程が違ったからなんですね。
素朴な「なんで?」の一つの答え
今も残る「婚姻」の混沌
婚姻に関するタブーが、面白く興味深く読みました。現在でも結婚、披露宴~初夜&新婚旅行と、婚姻の風習の中にしっかりとタブーが残っています。
まず、農耕民族にとって人間は労働力です。女性は、労働力であると同時に、さらに新たなる労働力を「生む」ことができる存在です。女性が男性よりも価値があったから、価値の「交換」が始まったのだろうと紹介されています。
そして、その「交換」の儀式が「婚姻」です。女性は、生家を出てから嫁ぎ先に落ちつくまでの間、生家の人間でも、嫁ぎ先の人間でもない、どちらでもない状態が続きます。どちらでもないカオスと、コスモスを混ぜないように、様々な儀式が待ち受けているのです。
国際社会の中のタブー
現在では多くの習慣や風習は忘れ去られ、風化していますが「タブー」自体は形を変えながら今も残っています。
最初に挙げた「食」に関するタブーが顕著でしょう。国際社会の中「◯◯肉を食べるのは野蛮」と、お互いのタブーがぶつかり合っています。これは、お互いの混沌と秩序がかき乱れている状態なんですね。なぜ他者を許せないのか。なぜ多民族の文化が「キモチワルイ」のか。
国際化してゆく社会の中で、タブーとタブーのぶつかり合いは、今後も方々で起こるのだろうと思いました。その時、自分は何を感じ、どう判断するのか、備えておきたいなぁと思うようになりました。