生物科学

『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』|塩害による変化

こんにちは。生きものの話題が好きな あさよるです。

『巨大津波は生態系をどう変えたか』は、タイトルだけで興味のあるものでした。大きな自然災害は、動植物にどのような影響を及ぼすのか知りたかったからです。

大きな災害直後は、人の命が最優先される中、それ以外の事柄に注意を向けるのは困難です。

著者である自然写真家の永幡嘉之さんは2011年3月11日の東日本大震災後、同年の4月から津波被害のあった地域に入り、“自然”を観察し続けました。

ブルーバックスの新書で、とてもページ数の多いものではありませんが、カラーグラビアも多く興味深いものです。

津波による「塩害」

津波が達したエリアは、田畑や池が破壊されただけでなく、海水により深刻な塩害に襲われます。

津波被害から逃れた動植物も、塩害により死滅するものが多くいます。

堤が破壊され、池が海とつながっている様子や、深刻な塩害によりお腹を上にして浮いているフナの写真。そのフナを餌に集まったウミネコの写真が印象的でした。

また、成体が生き残っても、塩が解けた水中では卵が壊れてしまうものもいます。壊れたカエルの卵の様子が掲載され、土壌から塩が抜けない限りその水たまりでは次の世代は育ちません。

また、植物もジワジワと枯れてしまうものもたくさんあるようです。

一方で、塩害に強い動植物が繁殖し、生態系が大きく変わってゆく様子が伝わりました。

カラー写真がたくさん

自然写真家による著作ですので、カラー写真も豊富です。

貴重な昆虫や、東北地方に生息している生物の中には、関西在住のあさよるにとって馴染みのないものもいます。

それらを写真付きで紹介してもらえるのは、文字だけの情報よりもずっと読みやすく感じました。

もちろん、写真では伝わらないものもたくさんあるのでしょうが、少しでも目に見えるのものがあるのは、ありがたく感じます。

また、無残に破壊された池や田畑の様子だけでなく、その中で動植物が“生きている”様子に、力強さと儚さが入り混じった気持ちになります。

インフラ整備により被害地域が変わっている

地震も津波も、自然災害は自然の営みの一つです。人の力が及ばない領域です。

しかし、人の活動が災害の様子を変えているのは事実のようです。

インフラ整備により、コンクリートで固められた水路や、津波対策の堤防が水の流れを変え、津波到来地域が変わっているようです。

また、海と内陸部の間の地域が開墾され、住宅地や畑になっていることも、水はけや塩害の様子を変えている様子です。

災害が自然をどう変えるのか

災害は自然の一部です。太古の昔から、地球の環境はダイナミックに変化し続けてきたのでしょう。

人もまた自然の一部です。人の営みが悪だとは思いません。大災害に見舞われたとき、人が人の命を優先するのは当然だと思います。

しかし、大きな災害が起こったとき被害をこうむるのは人間だけでなく、動植物も同じなのだと改めて突き付けられました。

このような動植物の被害を目の当たりにすると、我々はどうして良いのか、どう捉えて良いのかわかりません。

ライトに読める内容ではありますが、とても難しい問題を意識する内容でした。

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『ウイルスは生きている』|たんぱく質の結晶は、生命か!?

こんにちは。「化学」が苦手だと豪語して生きて来たあさよるです。

最近になって、必要に迫られ中学高校で習うようなことから勉強し直しています。どんな必要に迫られたのかと言うと、美容・健康に関することです。あさよるの体は化学物質でできている。食べ物も、サプリメントも、薬も、みんな化学物質でできている。

やっぱ、これ勉強しなきゃ話にならないなぁと、重い重い腰を上げたのですが……あれ、ちょっと勉強し始めると意外と面白いかも!?

先日、食品化学の講義を受ける機会がありまして、「ウイルス」についても簡単に触れ、興味深く、関連する書籍を手にしました。ちなみに、その講義の中では先生は、ウイルスは生物ではないとおっしゃっていました。

理由は、勝手に細胞分裂をして増えてゆくものを生命と言い、ウイルスはこれにあてはまらないから、というもの。生命とはなにか?という定義の話ですね。

で、今回読んだ『ウイルスは生きている』は、「ウイルスは生命である」と言います。はてさて、面白くなってきましたね。

ウイルスも人間も、たんぱく質の結晶である

さて、ウイルスが生命か否か?という明確な答えはありません。どうも、本書『ウイルスは生きている』を読んでると、「なんとも言えない」存在のようです。

と言うのも、「これを無生物だ」と言ってしまうと、「じゃあこっちも無生物だなぁ」と言わざるを得ないし、また別のウイルスを指して「これは生物だ」と言えば、「じゃあこっちも生物も言わざるを得ない」と堂々巡り。

要は、「ウイルスと生物の境目は極めてあいまいだ」と言うこと。

また、無生物とも言い切れない。ウイルスが曖昧な存在ということは、無生物と有生物の間に、明確な線引きが見いだせないってこと。

それを踏まえると、自己複製できないウイルスを、無生物だと言い切ってしまうのは乱暴に思えてしまいます。著者・中屋敷均さんはそこを「ウイルスは生きている」と言い切ります。

これまでとは違う、新しい視点でウイルスを考えてみようとの呼びかけです。

化学や生物が苦手なあさよるにとっては…

あさよる、先に述べたように化学や生物がとても苦手な人生を送ってきました……(;’∀’)

ですから、じっくり読まないとわからない(;’∀’)(;’∀’)>

もちろん時間をかけて、じっくり何度も読めば、そういうことかと頭に入ってきます。決して難しい内容ではないのですが、最低限、中学高校で習う化学や生物の知識を思い出しつつ読めるとよいでしょう( ´∀`)bグッ!

でもね、理解できるとめっちゃ面白い!目に見えないけれどもその辺を飛び回っているであろうウイルスに、ビビって生きるのではなく、「もっと知りたい」と思います。勉強の励みにもなりますね(・∀・)

おかしな不思議な「生命」にウイルスを加えると…

あさよるも深くは理解しきっていないので、深くは紹介できません(^_^;)サーセン

「ウイルス」という謎の存在を考えることで、生命そのものの不思議に触れることができます。

ナマケモノは昔々超巨大で、超アクティブな生き物だった。が、巨大でアクティブなヤツらは滅びてしまい、木の上で怠けているヤツだけが生き残った。なんだか変なお話。ゆっくりのんびりしているから生き残った。

同じように、細菌も住めないと考えられていた深海に、超スローペースで細胞分裂をする細菌が発見された。この細菌、あまりにもスローな生命活動に、とても生命のように見えない。ダイナミックに細胞分裂を繰り返すものばかりが生命ではない。

そもそも、生命と一口に言っても、多種多様すぎて、みな同じものだとは思えない。

他の昆虫の幼虫に卵を産み付け、身体を引きちぎって出て来る昆虫は、エイリアンにしか見えない。しかも、彼らはウイルスを巧みに用い、寄生先の肉体を自分の都合の良いように操ってしまう。

生命はウイルスと共に生きている。「共存」としか言えない状態がある。

そもそも、他者と自己が曖昧な生物もいる。植物がそうです。枝を折り、他の木に接木をしたら、それは別の株になる。だけど、元々同じ自己だったのに、切り離したら他者になるの?哺乳類の我々には謎すぎる。

「生命」と呼ばれているものでも、不思議でおかしなものがたくさなる。これだけ幅のある生命の中に、「ウイルス」を加えてみれば、見えてくるものも変わるのかもしれない。

とてもページをめくるのがワクワクする読書でした。子供の頃を思い出しました^^

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『面白くて眠れなくなる植物学』|今すぐ誰かに話したい!

へぇ~ へぇ~ へぇ~

身近な植物、野菜、果物の超効率的な生き残り戦略!

『照葉樹林文化』を読んで、植物……気になるっ!

以前、当ブログに上山春平『照葉樹林文化』を読んだ感想を書きました。

植物の生息によって、人間の文化や生活が変わるというのです。人が生きるには植物は欠かせませんから、植物の分布によって文化が変わるのです。

植物と自分の持っている文化を交えて考えたことがなかったので、全く新しい視点を得た気分。

『照葉樹林文化』から派生して、これから読書をしたいなぁと思い、まずは植物のことを知らないと!と、まずは目についた『面白くて眠れなくなる植物学』を手に取りました。

ちなみに、この「面白くて眠れなくなる」シリーズは、他にも読んでいます。

難しい内容ではなく、ライトで楽しく読んで、へぇ~と感心するプチネタがたくさん詰まったシリーズです。

「へぇ~」植物、野菜、果物のトリビア集

本書『面白くて眠れなくなる植物学』で扱われる「植物」は、日本人がよく知っている植物たちばかりです。タンポポとか、サクラとか、アオイとか。

そして、バナナやリンゴ、ダイコンやニンジンと、よく知っている果物や野菜。

馴染みのある植物の話だからこそよく分かる上に、よく知っているはずの食べものたちのコト、実はなんにも知らないことが発覚するでしょう!

超効率的な、植物のしくみ

「植物」って、オーガニックな、ナチュラルな、イメージの代表として扱われるのと共に、スローライフな、非効率な象徴として扱われているように思うのですが、いかがでしょう。

もちろん、実際の植物たちは自然環境の中で熾烈な生き残り戦をしています。ですから、彼らは非常に効率的に生きています。

ちょっとこの時点で、一般に扱われる「植物」と、実際の生物としての「植物」の違いがわかります。

咲く、なる、生える、伸びる……植物の生き残り戦略

葉の形、葉の枚数、茎が伸びる方向、花びらの枚数……。これらは決してランダムではなく、きちんと決まっています。

彼らは何も、気分で成長しているのではなく、懸命な生き残り戦をしているのです。

また一説に、恐竜の絶滅理由に植物が関係しているというものがあります。恐竜が君臨していた長い年月の間に、植物も大きく進化しました。

古代の森には巨大な裸子植物が生えていました。しかし、恐竜の時代の終わりには、被子植物が登場し、森に花が咲くようになりました。この、裸子植物から被子植物へと、森の様相の変貌が起こったことにより、草食恐竜達の食べものがなくなっちゃったんですね……。

リンゴやイチゴの実のひみつなどなど、挙げればキリがないくらい、興味はつきません。

おいしい植物のはなし

「植物」として、おいしい食べものも登場します。

いつも食べているリンゴやバナナ、イチゴ、タマネギ、ニンジン……よーくよーく知っている、今朝も食べた野菜たち……だけど、あさよるは彼らのことをまだ知らない……。

トウモロコシのつぶつぶの色の違いとか、カイワレダイコンが成長すると何に鳴るか?とか、小学生の理科っぽい。だけど案外、大人になるまで知らなかったものもの。

ちょこっと読んで話のネタに

小さな区切りで章節が分けられているので、空いた時間にちょっとずつ読み進めるのに最適です。あさよるも、久々の病院の待ち時間に、つらつらと少しずつ読み進めていました^^

で、この本、読んで面白いんですが、なにより人に教えたくなるんですよ。ドヤァ!ってね、したくなるw

身近な植物、野菜のはなしは“使いやすい”

他人に植物トリビアを披露するにあたり、「みんながよく知っている植物」であることって、大事だと思うんです。そもそも、取ってつけた知識でドヤァするわけですから、ねぇ。質問されたりすると困るわけですww

ですから、馴染みのある植物ばかり登場するのは、人に話すにもいいなぁと思いました。

なにより、あさよる自身も、よく知っている植物の話は身近で面白かったです。

専門的な内容じゃないよう

不満というワケではありませんが、決して専門的な内容ではありません。義務教育を受けた大人なら、誰でもわかる内容です。

あさよるは、『照葉樹林文化』からの流れの本を探していたので、欲しかった内容とは違いました。が、これはこれで十分、楽しい。

“眠れなくなる”“話たくなる”植物のはなし

「面白くて眠れなくなる」というタイトルには偽りなし!さらに、人に「話したくなる」植物の話がたくさんです。

本を読むって、一人っきりの閉じた作業になりがちですが「人に言いたい!」「話したい!」って衝動はすごく大事だと思います。「本」がコミュニケーションの道具になるんですね。

『面白くて眠れなくなる植物学』、自己完結せず、外へ開いた読書ができる書籍。すごく良い本だと思います!

もっと専門的な内容が読みたいなら他の書籍に譲って、「話のネタに」といっそ割り切って読むのも面白いかも!?

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『わたしのクマ研究』|クマ研究でドングリを数える

こんにちは。自由研究を時たましたくなる あさよるです。本書『わたしのクマ研究』は図書館で、小学生向けの本だなで見つけた本です。著者がクマの研究を始めた経緯や、研究方法などが易しく書かれています。自由研究の資料や、お手本になる本です。

〈研究〉ってどうするの?

著者の小池伸介さんが、クマ研究を始めた経緯から。最初はクマに興味があったわけではなく、子どもの頃から昆虫が好きな昆虫少年だった小池さん。高校生の頃、「森の回廊」が富士山麓に作られるとニュースで知り、興味を持ちます。「森の回廊」とは、別々に分断されている森と森の間に、新たに森を作って繋ぐ計画です。森で生きる生きものが移動して生きるスペースを広げられます。小池さんは、森にすむ生き物について知りたいと思い、東京農工大学へ進学しました。

大学では、神奈川県の森やシカの調査の手伝いをしていると、先生のつながりで、クマの調査プロジェクトに参加するよう依頼されました。このプロジェクトこそ、小池さんが興味をもった「森の回廊」を作るための、クマの調査だったのです。

思わぬところでクマ調査を始めた小池さんは、クマの生息地を歩き回り、足跡や糞をあつめて、クマの生態を調べます。クマを捕まえて、GPSで行動を調べたり、エサのドングリの分布も調査します。

『わたしのクマ研究』を読んでわかること

本書『わたしのクマ研究』では、クマの研究にあたって、森全体を調査している様子がうかがえます。研究者は、クマのことを知っているだけでなく、山のこと、植物のこと、木の実のこと、科学的な測定方法も知っていなければなりません。調査のための道具もオリジナルで手作りするので、お裁縫や大工仕事もできないといけません。

クマは一頭ずつ性格が違う

クマを捕まえるとき、ドラム缶を二つ繋いだ特性の罠の中に、ハチミツを仕込んで待つそうです。クマを傷つけないように、麻酔銃で眠らせてから調査をします。このとき、クマの性格が一頭一頭違っていて、罠の中で怒っているクマもいれば、怯えて縮こまっているクマもいます。

クマは単独で生活しますから、他のクマとの関わりがなく、それぞれ個性的なのかもしれません。一頭一頭個性が違うって、人間みたいですね。

クマのメニューは豊富!

クマはいろんなものを食べます、ドングリなどの木の実や、木の皮、シカなどの他の動物も食べますし、アリやサナギも食べるそうです。ヒグマが、川を登るサケを取って食べている様子が有名ですが、サケをたくさん食べるのは体が大きなオスで、メスはあんまり食べないそうです。

足尾のクマは、若いクマほど葉やアリを食べています。歳を取るほどシカを摂って食べる個体が増えます。また、初夏の頃にシカをたくさん食べます。この頃にシカが出産の時期で、捕まえやすい小ジカが増えるからだと考えらえられます。

ドングリは豊作の年と不作の年がある

ドングリは年によってたくさん実をつける年と、不作の年があります。この理由は不明ですが、有力説として豊作と不作を繰り返すことで、より多くの子孫を残そうとしているのではないか、と考えられています。

たとえばある山で毎年同じように一〇〇個のドングリが樹木に結実しているとした場合、その山には一〇〇個のドングリを食べられるだけのネズミが生息することができることになる。するとその場合、毎年一〇〇個のドングリはネズミにすべて食べつくされて、植物は子孫を残せないことになってしまうかもしれない。
そんな状況を避けるために、植物のほうは、ある年は五〇個、次の年は一〇〇個のドングリをつけつようにすることで、ある年は五〇個のドングリを食べられるネズミが生き残り、次の年を迎えることになる。さらに次の年は二〇〇個のドングリが存在したとしても、山には五〇個のドングリを食べる分のネズミしかいないため、単純に一五〇個のドングリはネズミに食べられずに残ることができて、それらのドングリは発芽する機会を得られるようになる。

p.48-49

毎年ドングリの数を変えることで、ドングリの捕食者の数をコントロールしているのではないか?ということですね。ドングリ恐るべし。

毎年あさよるを悩ます「花粉」も「今年は多い/少ない」って予報がありますが、こういうこと?

〈調べ方〉も自分で考える

ドングリの実の数を調べる方法が複数紹介されていました。正確に数えたいなら、ドングリの木を切って、一個一個手で数えれば良いですが、これは現実的ではありません。枝についているドングリを人間が一本ずつ数えていく方法。木の下に袋をセットして置き、面積に対し落ちてきたドングリの数から、全体の量を割り出すやり方。

クマの個体識別方法も、ツキノワグマの模様で判断したり、体毛や糞から個体を割り出すやり方があるそうです。クマの首にGPSをつけて、追跡調査もします。

学校の勉強って、すでに答えや調べ方が用意されている問題に取り組むものばかりです。しかし、こうやって研究の現場では、答えもなく、調べ方もないところから、自分で答えや調べ方を模索しないといけません。そもそも最初の「問い」自体を、自ら設定するのです。

クマの種類は8種類しかない!

あさよるが本書『わたしのクマ研究』を読んでびっくりしたのは、「クマの種類は8種類しかない」ってことだった。8種類のメンバーを紹介するぜ!

  1. ホッキョクグマ
  2. ヒグマ
  3. ナマケグマ
  4. メガネグマ
  5. アメリカクロクマ
  6. ツキノワグマ
  7. ジャイアントパンダ

えー!このほとんどって動物園でいるよね!「他のクマも見たいなぁ」と思ってたけれども、そもそもクマの種類自体が少なかったのか。

で、思い浮かんだのはこの本。でん!

去年から話題の『サピエンス全史』である。内容はザックリいうと、この宇宙が誕生し、地球が生まれ、地を這うもの海をゆくもの空を飛ぶものが現れ、やつらの足音が聞こえてから、現在までの記憶を、たった2冊のハードカバーで語ろうという「ムチャしやがって…」本である。あさよるも読んだけど、ブログでまだ紹介してません(;’∀’)

で、『サピエンス全史』であって、「ホモ・サピエンス全史」でなところがポイントです。本書では我々〈ヒト〉だけではなく、かつて地上に存在した他のサピエンスたちの歴史を含んでいます。

でで、我々ホモ・サピエンスには、かつて兄弟たちがいたのです。しかし現在地上に残ったサピエンスは私たちのみ。種が生き残るには多様性が不可欠です。神ならざる我々は未来を予見することができず、ただひたすら「数打ちゃ当たる」的に可能性を増やしておくしかありません。

「クマは8種類しかいない」と知り、真っ先に「え、ヤバイやん、絶滅するやん」と脳裏をよぎったのですが、「サピエンスは1種類しかいない」んすよねー。

関連本

『お父さんが教える 自由研究の書きかた』/赤木かん子

『お父さんが教える 自由研究の書きかた』|これで「知った顔」で教えよう

『ゾウの時間 ネズミの時間』/本川達雄

『ゾウの時間 ネズミの時間』|車輪を持つ生きものがいないのはなぜ?

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『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』|研究者はやめられない

『鳥類学者だからって、鶏が好きだと思うなよ。』 メジロのイラスト - クリップスタジオ(クリスタ)

こんにちは。鳥が好きな あさよるです。自分でも鳥が好きだと知らなかったのですが、気が付くと鳥をモチーフにした絵本を数冊作っていました。気づかんかった~。鳥の、モリモリっとした羽根の付け根の筋肉とか、背中が超タイプ♥ 博物館なんかで鳥の標本見るのも好きだなぁ~(*´ω`*)

↓このイラストは、お絵かきソフトの「CLIP STUDIO(通称・クリスタ)」のお試し版で描いてみたヤツ。やはり真っ先に鳥を描いておる……ちなみにこれはメジロです。

『鳥類学者だからって、鶏が好きだと思うなよ。』 メジロのイラスト - クリップスタジオ(クリスタ)

研究は命がけ

あなたは「命をかける」ような仕事をしたことがあるだろうか。多くの人は、さすがに命まではかけないだろう。しかし、鳥類学者は違う。鳥類学者は命がけの職業なのだ。小笠原諸島では天敵がおらず、無人島では人もいないから怖いものはない。安心して夜間観察ができると思いきや、耳の穴に蛾がホールインワン!今にも鼓膜を引きちぎり、脳内を蛾がはい回る恐怖に怯えた経験なんて、なかなかない。研究は命がけなのだ。

あさよるは以下の一文を読んで戦慄した。

外来生物は調査器具の様々な場所に潜んでいる。ウェストポーチの隅、靴の裏、マジックテープの隙間、フィールドワークを常をする研究者の道具は、外来種の宝庫でもある。

p.56

外来生物がウェストポーチや靴の裏、マジックテープの隙間に潜んでいる!?これって、つまり、我々普通の生活をしていても、カバンの隅やマジックテープの隙間や靴の裏に生物が潜んでいるというということではないか? ちなみに、あさよるネットでも紹介した『ゴキブリ取扱説明書』でも書かれていた。部屋に出没する虫は、自分が持ち込んでいるってことかい……・゚・(ノД\lll)・゚・

まんじゅう怖い的な?

『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』というタイトルは「まんじゅう怖い」的な意味だと思いきや、読んでいると「鳥好き」と言ってもペットを可愛がったり、愛でることが好きというよりは、やはり学者、研究対象としての鳥なのですな。また、「研究する」ってこと自体が、とんでもなく楽しそうだ!

こんなに学者、研究者が楽しそうだと知っていれば、あさよるも学者になったのに! もっと勉強したのに! という、ぜひ子育て中の親御さんや、子どもと関わる仕事をしている人、あと、中学生くらいの生徒たちも読むと夢が広がると思うぞ。

まじめな内容なんですよ

ちょっと面白おかしく紹介してしまいましたが、いたって真面目な内容なんですよ。「鳥類学者」という日本に1200人しかいない希少種の生態を紹介しつつ、どんなふうに「研究」がなされているのか、研究者がなにを気をつけているのかなど、一般人には未知の「鳥類学者」という存在に迫ります。そこで、先にも書いたように「研究者」になりたかった!と思うのです。

あさよるも、植物学の先生の授業を履修した時、先生が尋常じゃなく傷だらけでズタズタなのが服の上から見て取れて、「ど、どんな冒険をしてきたんだ!」と一瞬で虜になりました。あさよるには“そういう未来”は来なかったな~。

関連本

『ゴキブリ取扱説明書』/青木皐

『本当に困っている人のためのゴキブリ取扱説明書』を読んだよ

『バッタを倒しにアフリカへ』/前野ウルド浩太郎

『バッタを倒しにアフリカへ』|人類のため、バッタに食べられたい

『わたしのクマ研究』/小池伸介

『わたしのクマ研究』|クマ研究でドングリを数える

『アヘン王国潜入記』/高野秀行

『アヘン王国潜入記』|のどかな山間のアヘン栽培日記

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