60 産業

『仁義なき宅配: ヤマトVS佐川VS日本郵便VSアマゾン』

Amazon……ポチッちゃった(・∀・)

ダジャレっすか!w

『仁義なき宅配』……ダジャレっすか!「仁義なき戦い」っすかwww と、タイトルがとても気になっていた一冊。

ずっと読みたい本リスト入りしておりました。すみませぬwあさよるの“読みたい本”って、こんな理由で選ばれておりますw

宅配便って、お世話になっていない人はいないんじゃないでしょうか。ネットが普及して、通販の利用が日常になりましたね……。

『仁義なき宅配』すごいところ!

ヤマト、佐川にバイト潜入!

『仁義なき宅配』は二つの要素からなっています。一つは宅配業界の体質や問題を整理すること。そのために創業者の横顔にも触れる。

そして、なんといっても著者・横田増生さん自身がヤマト運輸の巨大仕分けセンターにアルバイトとして雇用され、潜入取材!また、佐川の下請け配送業者に密着。家庭へ宅配業務や、東京=大阪間の長距離業務に横乗り!

それぞれ業務によって“大変さ”の質は違うみたい。

体当たりのルポルタージュ要素もあって、読み応えありました。

創業者はやっぱスゴイ

ヤマト運輸と佐川急便。同じような業務のようにも見えますが、企業の体質、業務の体系は全く異なります。その“違い”は、創業者の性格の違いにも現れています。

「人たらし」で人を動かし法の目をかいくぐりのし上がった佐川清。ヤマト運輸の創業者・小倉昌男は、父から受け継いだ会社の立て直しを図り宅急便のコンセプトに至ります。

一代でのし上がった佐川清と、後継ぎの小倉昌男ってところでしょうか。

しかし、いずれにしても大企業の創業者。やっぱすごい人でした……。もちろん、表の顔だけでなく、裏の……というか、シビアで冷酷な面もある人です。その“冷酷な面”というのも、凡人には持ち合わせていない資質でしょう。そう意味でも、「やっぱスゴイ」。

小倉昌男さんの著書も読んでみたくなりました。

なくてはならない宅配業。うれしい「送料無料」の話

宅配便はなくてはならない存在です。インターネットの普及で通販を利用することも、以前にも増して増えました。

そう「通販」が現在の宅配業の語る上で欠かせない存在です。

まず、ネット通販の普及で物流そのものが増えたこと。また、Amazonを始めとする通販企業が、「送料無料」を謳ったことです。

もちろん、無料で発送できるなんてことはありません。一つ一つの荷物は人の手から手へ運ばれるのですから。ですから、コストカットとして、宅配料金が安く買い叩かれ、結果的に宅配企業を圧迫することになりました。

記憶にあたらしいのは、Amazonの宅配業者が佐川急便からヤマト運輸へ変更になったことでしょう。Amazonの送料の値引きは商売にならないんですね……あさよるもAmazonで買い物すると、送料無料を血眼になって探していたので、冷や汗(^_^;)

「送料無料」がもたらすこと

送料が通販企業によって値引かれ、価格破壊が起こっているんですね。

すると、企業の業績も伸び悩み、そのしわ寄せは社員、とくに現場に向かいます。また下請けも“しんどい”条件を飲まざるを得ません。

現代の日本社会になくてはならない業務でありながら、その雇用形態は「悪い」と言って良いでしょう。実際にアルバイトとして業務の現場に潜入したルポルタージュを読む限り、かなり雇用状態は悪い。

現在のままでは、高額な物品や、希少なものは「送ってはいけない」としか言わざるをえない(^_^;) これって、社会全体にとっても良い状態ではありません。

『仁義なき宅配』はこんな内容

バイトとして潜入ルポ!

『仁義なき宅配』のポイントは著者・横田増生さんの潜入ルポルタージュでしょう。

ヤマト運輸の下請けの軽トラに横乗りし、都内の住宅地を回った話。佐川急便の下請け業者に横乗りし関東=関西の往復便に横乗り。宅配業務の大変さと、下請け業務の状況を知れました。

また、大変な仕事だけに、新人を雇ってもすぐに辞めてしまうそう。

そして、ヤマトの広報も労組もインタビューが不可だったため、「羽田クロノゲート」という、ヤマト運輸の大規模な仕分けセンターには1ヶ月間のアルバイトとして潜入取材。読んでるだけで大変な業務です…。

さらに、本書ではページは割かれていませんが、佐川急便のセンターでもアルバイト潜入をなさったそう。

カリスマ創業者たち

佐川急便とヤマト運輸の創業者、佐川清と小倉昌男の横顔にも迫ります。生い立ちや創業に至るまでの経緯。

なぜ宅配業に参入したのか。それに際し、どのような妨げがあり、どうやってクリアしてきたのか。

創業者の考えや経緯は、現在の二社の企業のシステムにも大きな影響を与えています。

アマゾン、オイシックス、ケンコーコム、ロハコ

通販企業についてあまりページ数は割かれていませんが、我々の生活はもはや「NO 通販,NO LIFE!」と言えるでしょう。

あさよるは、衝動買いを防止するためにも、通販の利用は控えめに~~!と気をつけていますが、それでも月に何度も通販を利用しています。

ネット普及に伴い、通信販売の物量も激増。宅配の量も大きく変わりました。

現在の宅配を語るに、通販の存在は切っても切れません。

現在の宅配業界の雇用状態

潜入ルポで顕著ですが、宅配業の雇用状態は悪い。著者が潜入取材したセンターでは、全体を束ねるようなマニュアルもなく、みながそれぞれ勝手に業務をしている様子。

また、業務内容もその日出勤してみないとわからない。また、雇用形態も不明瞭で、給与明細を請求してやっと「日雇い」契約だったことが判明していた。

そして一方で、著者が本書内で繰り返しているのが、同じルートは二つとない、同じ業務はないということ。宅配はその地域によって何もかもが違うんだそう。

ですから、あくまで著者が潜入取材したセンターの雇用形態です。が、中にはいってみないとわからないこともあります。

『仁義なき宅配』を読んだ感想

宅配業はすごい!

『仁義なき宅配』の内容は問題提議なのでしょうが、一方で宅配ってスゴイ!と大興奮。

当たり前ですが、人の手で集められ仕分けされ運ばれているんですよね。マンパワーとはこのこと。しかも、ギリギリの人員でパンク寸前でありながら、持ちこたえているというのも……(と、パンクしてしまった例も紹介されています)。

あさよるも、宅配にはお世話になっていますから、興味深く読みました。

やっぱり「送料無料」を選んじゃう

消費者としては、やっぱり「送料無料」が好きです。お金はなるべく使わず置いておきたい。

そんな消費者の心を知っている企業は「送料無料」を謳います。そのために、宅配業者には熾烈な値切り交渉が行われる。

うーん。

誰が買い叩いた?どうすればいい?

宅配料金が適正価格にならないのは、一体誰が「悪い」のか……と考えると、根が深い話だなぁと思います。

消費者も企業も通販会社も、自分たちの得のために宅配料を値切りますが、また、宅配業者の体質にも、原因はあるみたい(?)。

『仁義なき宅配』オススメです!

『仁義なき宅配』。タイトルがダジャレであるように、決して堅苦しいだけの内容ではありません。

著者・横田増生さんの体験を交えつつ、前作の『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』に引き続き、我々の生活になくてはならない流通の光と闇。どちらにも目を配った内容です。

読み物として読みやすいですし、内容も興味深いもので、オススメです。

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『1998年の宇多田ヒカル』|1998年にすべて出そろっていた

こんにちは。宇多田ヒカル世代のあさよるです。本書『1998年の宇多田ヒカル』は話題になっていて気になっていました。1998年にデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人がどのような存在だったのか、1998年はどのような年だったのかを考察する本です。

あさよるは ヒッキーも林檎ちゃんもaikoもあゆも、まさにど真ん中世代で、今でも大好きです。カラオケでも絶対歌うし!新曲もチェックしてるし!ということで、楽しい読書でした。

若い世代の方も、「昔はありえないくらいCDみんな買っててんで」というのが、大げさではなくマジであることを知ってもらえるかと思いますw

CDが最も売れた年、何があったのか

本書『1998年の宇多田ヒカル』では、日本の音楽シーンにとって特別な年だった〈1998年〉という年に何が起こったのかを宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人のアーティストを通して振り返る内容です。

この本のテーマは三つあります。一つは、1998年は日本の音楽業界史上最高のCD売り上げを記録した年であること。反対に言えばその後CDの売り上げが下がり続けている現状を考えます。二つ目は、日本の音楽シーンのトップ3の才能である宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoが同じ1998年にデビューし、その後彼女らを凌駕する存在が現れないこと。最後は、その1998年という特別な年に、著者が出版社のロッキング・オンで音楽誌の編集をしており、間近で1998年の音楽業界を見てきた経験から、こんなに面白い時代を書き残したいという著者の思いです。

本書が出版されたときはまだ、塗り替えられることはないであろうCDセールスをたたき出した宇多田ヒカルは長年の活動休止中でした。アーティストらしく芸能人的ではなかった椎名林檎は近年毎年紅白歌合戦にも出演し、テレビの世界でも活躍しています。デビュー当時、aikoが今なお精力的に活動し続けていると想像した人はどれくらいいたでしょうか。そして、浜崎あゆみは実は、最も多くのオーディエンスのステージに立ち続けていることをご存知でしょうか。

個性も才能もそれぞれ違う宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人を通じ、1998年というターニングポイントを紐解いていきましょう。

1998年の4人

スタジオ育ちの宇多田ヒカル

デビュー当時、宇多田ヒカルがバイリンガルであることや、ニューヨークと東京を行き来して育ったこと、そして藤圭子の娘であることが取りざたされました。しかし、彼女が他のアーティストと違うのは「スタジオ育ち」であり「スタジオが故郷」であるという点です。音楽プロデューサーの父と歌手の母の元に生まれ、小さなころからスタジオが遊び場所で、スタジオで宿題をし、スタジオが落ちつく場なのです。デビュー後はスタジオが彼女を守るシェルターの役割を果たしていたのでしょう。

宇多田ヒカルの音楽には、密閉されたような雰囲気が漂います。彼女は極端なレコーディングミュージシャンで、彼女のキャリアの中でステージに立ったのは、たったの67回(2016年時点)。そして作詞作曲だけでなく、編曲まで手がけ、音楽家・宇多田ヒカルとなってゆきます。

バンドマンの椎名林檎

椎名林檎はソロでデビューしました。今でこそエレキギターをかき鳴らす「ギター女」はたくさんいるけど、当時はちょっと珍しかった。その後〈東京事変〉として活動を始めるのですが、椎名林檎はデビュー当時からライブやレコーディングのメンバーをバンドに見立て、バンド名をつけていました。そもそも、彼女はバンドでオーディションに出場しましたが、主催者側にソロを勧められた経緯があるそうです。現在も、同年代のミュージシャンとバンドとして演奏することも少なくありません。お茶の間にも、バンドマンとして登場し続けているってことですね。

天才aiko

「最も天才なのはaikoかもしれない」という章。1998年当時、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみと比べると目立たない存在で、大ヒット曲もなかったaiko。だけど、本書出版時の2016年に、1998年の頃となんら変わらず活動を続けているのがaikoです。aikoは何も変わっていない。曲の雰囲気も、彼女自身のイメージも。反対に言えば、aikoは登場時から完成していたのです。

aikoの活動は頑なで、aikoはいつもファンの方に向いている。雑誌のインタビューにほとんど答えず、テレビも出演する番組は決まっている。フェスには一切出演せず、「aikoとファン」の空間にしか彼女は立たない。

今も最も多くの観客の前に立つ浜崎あゆみ

浜崎あゆみは最も多くの観客の前に立つアーティストです。彼女の私生活やスキャンダルばかり報道されますが、数多くのステージに立ち続けているのです。テレビや雑誌メディアの出演はかつてほどではないからと言って、浜崎あゆみがダメになったわけじゃない。また、作詞作曲を手がける人物を「アーティスト」と呼ぶ風潮も疑問で、多くの観客の前で演奏し続けるのもミュージシャンじゃないか。

ただし、著者の宇野維正さんは浜崎あゆみさんは畑違いのようで、あまりページが割かれていないのが残念。

音楽CDの、終わりのはじまり

本書では〈1998年〉という音楽CDが最も売れた時期を取り上げています。ということは、1998年以降、どんどんCDが売れなくなった年でもあります。

1998年ごろに起こった出来事や風潮の考察がなされてます。

CDとCCCD、8センチCDからマキシシングルへ

そもそもCD自体が「CCCD(コピーコントロールCD)」という、違法コピー防止のためのものが登場しました。これはCDとは規格が違っており、CD再生機器での再生を補償しないというもので、CDに最初にケチをつけたのがレコード会社だったのです。

また、かつてシングルCDは直径8センチメートルのアルバム版より小さなものでしたが、1998年ごろ12センチメートルのマキシシングルへ移行してゆきます。宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』は8センチ版/12センチ版両方がリリースされ、両方がヒットしました。椎名林檎もaikoも浜崎あゆみもデビュー当時は8センチ版でした。CDシングルがマキシシングルになったことで、消費者からすればCDアルバムと全く同じ代物で、2、3曲しか収録されていないのに1000円もするのは、割高に感じてしまう要因だったのかも?

「アーティスト」と「アイドル」

それまで「歌手」「ミュージシャン」と呼ばれていた人たちが、「アーティスト」と「アイドル」と分けて呼ばれ始めたのもこの頃。宇多田ヒカルも椎名林檎もaikoも、デビュー当時はアイドルのように注目されていました。そういえば、宇多田ヒカルのファッションが話題になり、椎名林檎のライブには彼女のコスプレをしたファンが集まり、aikoはファッションリーダーでした。

かつて、例えば近藤真彦や松田聖子や小泉今日子たちは、歌手であり、アイドル的存在でした。しかし今現在は「アイドル」と「アーティスト」は明確にわけられて認識しています。これは、従来的な(松田聖子や小泉今日子のような)「アイドル」がいないからなのかもしれません。

しかし音楽的に圧倒的な実力がある人物がいれば、誰もが憧れて当然で、アイドルのように崇拝されてもおかしくありません。そういう意味で、2000年代以降は「アイドル」がいなったのかもしれません。

(当エントリーでも、ミュージシャン、アーティスト、歌手等の呼称が混在しています。「アーティスト」というのは収まりのよい言葉ではありそうです。それゆえ乱用されたのでしょう)

アーティストの発言こそが真実?

 日本の音楽ジャーナリズムは、長いことアーティスト自身による言葉、いわゆるオーラル・ヒストリーにあまりにも頼りすぎてきました。そのきっかけとなったのは糸井重里による矢沢永吉のベストセラー『成りあがり』かもしれないし、渋谷陽一(かつてのボスです)がロッキン・オン社の刊行物で作り上げた誘導尋問的なインタビューのスタイルかもしれません。(中略)
でも、「ミュージシャンの肉声」が唯一絶対の聖典のようになった時、音楽ジャーナリズムの役割はそこで終わりです。

p.17

ミュージシャンたちの言葉こそ聖典として語られる反面、ミュージシャンたちは本当のことばかり語るわけでもありません。意図的に事実でないことを発することもあるでしょうし、なにより人は「こうありたい」と願望を語るものです。インタビューで語られていることは事実ではありません。

宇多田ヒカルはデビュー当時から、自身のWEBページで「MESSAGE from Hikki」日記を書いており、当時話題になりました。ミュージシャン自身がネットで日記を近況報告することが珍しかったのです。また、宇多田ヒカルのTwitterアカウントも時折話題になります。

ミュージシャンたちからの言葉はテレビや雑誌からのみでなく、ミュージシャン自身がWEBで発信するようになりました。もはや「本人の発言こそ真実」の魔法も解けてしまっているのではないでしょうか。

なぜ我々はCDを大量に買ったのか

1998年が日本史上最もCDが売れた……しかし今はCDは売れません。そもそも、我々はなぜあんなにCDを買いまくったのでしょうか。本書ではその理由を二つ挙げられています。

  • CDがリスナーが手に入る最も高音質なものだった
  • CDは半永久的に劣化しないと信じられていた

「最も高音質で劣化しない」だからこそ我々はお金を出してCDを買い求めたのです。

そう考えると、コピーするたび音質が落ちるMDや、音質の保証されないCCCDの登場等、レコード会社の失策だったのではないか……ちなみに本書で「レコード会社が悪い」なんて書かれてませんよw あさよるの補足ということでw

CDの時代は終わった

本書『1998年の宇多田ヒカル』を読み、しみじみと「CDの時代は終わったのだ」と痛感しました。あさよるもズバリ宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ世代で、未だに新譜を追っかけて聞いています。だけど、CD、持ってません^^ つまり、CDはみんなiPodに放り込んで、ディスクは処分しちゃいました。んで、新たに買うのはiTunesで。このスタイルになってすでに7、8年になります。

彼女たちはCDの最後の世代でした。だから世代交代もできません。

宇多田ヒカルの記録は破られないし、椎名林檎はバンドを組み続け、aikoはaikoのままで、浜崎あゆみはステージに立ち続けます。あさよるは彼女らのファンだったから、今だに彼女らの音楽が聴けるのは嬉しい反面、未だに彼女たちが第一線にい続けることは残念でもあります。次の宇多田ヒカル、次の椎名林檎、次のaiko、次の浜崎あゆみが見たかった。

「次世代が生まれない」というのは、さみしいものだ。

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『図解でわかる! マーケティング』|売り手目線から〈買う〉側へ

こんにちは。あさよるです。先日当ブログでブランディングの本を紹介しました。久々に読み返して面白かったので、次はマーケティングの本を手に取りました。

『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』|体感をともなう体験を

ブランドらしさのつくり方[Kindle版]

ブランドらしさのつくり方[Kindle版]

  • 作者:博報堂ブランドデザイン
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日: 2016-06-20

マーケティングってなんだ?

マーケティングの歴史はまだ浅く、半世紀しか経っていません。ですから、マーケティングの法則等、玉石混交なのが現状です。まだ決定版は出ておらず、これから大きな変化が起こるかもしれないと事前に認識しておきましょう。新しい分野だからこそ、経営者やリーダー、マネージャーに求められる素質になっています。

 マーケティングは、セールス、PRの領域をすべて含み、さらに企業活動のすべての領域に当たる上位概念です。
考え方は「お客さまを起点とする」のが特徴で、商品・サービスをお客様に届けるためのすべてを考えるのがマーケティングの領域に当たります。シンプルに「売れる仕組み」と呼ばれることもあります。

p.16

お客様に商品やサービスを「売り場」というのは売り手の感覚ですから、お客様の立場に立って「買い場」と呼称を変えた会社もあるそうです。このちょっとした違いが、マーケティングの考え方です。

 では、実際にマーケティングとは何をすればいいのでしょうか? マーケティング・プロセスの全体像は下記のような流れになります。

①現状のビジネスを整理する
②マーケティングの課題抽出
③リサーチ&市場分析
④商品開発
⑤ブランド構築&マーケティング戦略
⑥発信力(オウンドメディア)
⑦実践計画へ落とし込み

この流れで、会社にとって全体最適になるマーケティングを導入し、定着させることが理想です。

p.24

このように7つのステップを一章ごとに、短く簡単に紹介されています。

イラスト&図解でわかりやすい

本書は一節ごと、見開き2ページにまとめられ、1ページは平易な文章と、もう1ページはイラストや図解と、コンパクトながらも充実しています。

実際に、身近なブランドや商品の例も挙げられているから、読んでて「納得」する場面が多く、マーケティングなんて興味ないなぁという方も、一回読んでみてほしいなぁと思います。読書としても面白いんです。

手元に置いて、辞書のように!

これからマーケティングについて知りたい方や、学生の方にもおすすめです。どんな業界でも必要な知識ですし、まだ歴史の浅い「マーケティング」であると知り“なう”な分野であることに興奮しました。

本書はとても簡単に内容がまとめられていて、マーケティングについて何も知らない あさよるには非常にありがたい本でした。なんとなく取っ付きにくい、利益重視で人間味の内容な分野なのかと勝手に思っていたのですが、意外にも「あくまでお客様目線」という考え方は意外でした。

一章、一節は短く区切られているので、手元に置いておいて、必要な部分だけ拾い読みするのに向いていると思います。今のところ(2017年10月現在)電子書籍化はされていないのがちょっぴり残念。

また、同じ著者の他シリーズもあるようなので、そっちも読みたいです。

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『「死」と向き合う「おくりびと」たち』|葬儀にまつわる死者のこと遺族のこと

こんにちは。実は「おくりびと」の仕事に就きたいと微かに考えていた あさよるです。映画『おくりびと』の影響で「おくりびと」志望の人が増えたそうです。結局全然違うことしていますが、未だに気になるようで『「死」と向き合う「おくりびと」たち』も、目にしてすぐ「読みたい」と思いました。

あさよるが想像している「おくりびと」も紹介されていますが、全く知らない仕事も紹介されており、最新の葬儀にまつわるあれこれを知るにも良い本です。また、自分の来し方行く末を考えずにはいられない本でもあり、何重にも意味のある本でした。

様々な「おくりびと」の仕事

映画『おくりびと』がヒットしたことで、葬儀に係る仕事が注目されるようになったそうです。もちろん、映画になるずっと前からある業界ですが、あまり表に出ない職業でしたが、映画の影響でこの業界を志望する人もいるそうです。

本書で紹介される葬儀に係る仕事は多種多様です。みなさんも知っている職業から、知らない職業もあると思います。

  • エンバーマー

まず、エンバーマーという、遺体を修復し生前の状態に近づける仕事。アメリカではメジャーな方法らしく、日本では資格も必要でまだ多くはない。遺体の損傷部や病巣を取り除き、血管に薬品を送り込み遺体の防腐をするそうです。従来の納棺士よりも、より遺体の修復が可能だそう。エンバーマーへのインタビューと共に、エンバーマー養成の学校へも取材がなされています。

  • 納棺士

次いで納棺士は、従来の「葬儀屋」と呼ばれる「おくりびと」の仕事です。映画のように華麗に遺体をきれいにすることもあれば、淡々とやることもあるそう。遺体をきれいにし、髪を整え化粧をし、死に装束に着替えさせます。「湯かん」を扱う業者も紹介され、単に遺体の状態を整えるだけでなく、宗教的な作法も含まれているように思いました。

  • 葬祭ディレクター

そして葬儀を取り仕切る葬祭ディレクター。近年では葬儀の形も様々で、簡略化したり、家族葬にしたりと、選択肢が増えています。遺族にとって必要な葬儀の形を提案します。

  • 遺品整理人

遺品整理人は、亡くなった人の荷物を片づける仕事。特に孤独死した世帯の整理は壮絶。都会であるほどすぐ側に人がいるのに、誰も通報せずに放置されることも多く、また大家と遺族が揉めることもあるそう。遺品整理人が近所や大家の間に入る様子も紹介されていました。若い人の孤独死は餓死が多いというのも、ゾッとした。

  • 火葬場職員

火葬場職員が、遺体を火葬する様子は、とても繊細な仕事をしてくれてるんだなぁと感心しました。少しでもきれいに骨の形が残るように手動で調整します。

  • お墓ディレクター

お墓ディレクターという職業もあるそうで、条件に合う墓地を選んだり、墓の引っ越し等、相談してくれます。

  • グリーフサポートバディ

グリーフとは悲しみ、苦悩という意味で、強い悲しみの中にいる遺族をサポートする仕事です。普段は気丈に振る舞っていたり、家族の前では涙を見せない人のなかにも、深い悲しみを抱いている人がいます。日本ではまだなじみのない仕事ですが、必要な役割です。

職業としての「おくりびと」

本書『「死」と向き合う「おくりびと」たち』では、おくりびとたちへのインタビューもなされているのですが、どの方も謙虚で、淡々と業務を語り、そしてご自身の職業の意義をきちんと理解してらっしゃる様子が印象的です。「死」を扱う仕事だけに、あまり普段は表立って話題にならない職業ですが、必ずなくてはならない職業です。

表舞台には立たないけれども、とてもカッコいい職業でもあります。本書では、最新の技術や伝統的な作法を踏まえつつ、遺族や亡くなった人を想い、最上のサービスを尽くしている様子が、まじプロフェショナルで超カッコいい。

実は……とここから自分語りですが、あさよるも昔、火葬場の職員募集の求人を見て応募しようと履歴書を書いていたところ、母に「あんたは向いてない」と止められました。向いてない理由は一つ「真面目な顔ができないから」という。父も同じ理由で祖母に止められたそうですw

飼い猫が死んだときも、火葬場でスーツ着て真面目に応対してくれる職員がカッコよかったのだ~。という、個人的に〈すごい職業〉の一つだった「おくりびと」の仕事が、こうやって書物で知るとなおさら「すごいなぁ」と憧憬。

弔いとは、やっぱり死者のためにあるのかも……

よく、葬儀は生きている人のためにやるもんだなんて言いますが、本書を読むと「やっぱり葬儀って死んだ人のためなのかもな」と感じました。おくりびとたちはみんな、もちろん遺族への思いやりもあるものの、やはり亡くなった人へ心づくしのもてなしをしているように思えました。

おくりびとたちが死者に対し大切に特別に接するからこそ、遺族たちも心の持っていきようが生まれているような。納棺士が、死に装束や湯かんをする仕事は、宗教色もあり、儀式としての弔いなんだなぁと感じ入る。

孤独死した人の部屋の片づけは、肉親でもできない仕事を引き受け、整理をしながら大事な書類やお金、遺言など残されていないかも探すそうで、「その人がどう生きたか」をまざまざと見る仕事です。ご近所や大家や遺族のゴタゴタにも見舞われるそうだから、いろんな意味での〈人間模様〉に直面します。

「おくりびと」のプロフェショナルな仕事ぶりを通じて、人の生き死にを見て、自分の〈この身〉の行く末も少し気になります。

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『「仮想通貨」の衝撃』|もうみんな使っている仮想通貨って何?

こんにちは。ビットコインが欲しい あさよるです。いや、目的がないんですけど、なんか話題になってると欲しくなるんですよね~w そして「仮想通貨」の話ってあちこちで見聞きしますが、そもそも「仮想通貨」ってなんののよ!?と本書『「仮想通貨」の衝撃』を手に取りました。

まず、〈通貨〉そのものがヴァーチャルなものだと改めて説明され衝撃w そして、すでに我々は「仮想通貨」を使いまくっている事実にも衝撃w  「仮想通貨」を考えるとき、通貨についてだけでなく、社会全体、世界全体の歴史まで視野に入れて考えてゆく様子は、読んでいるだけでワクワクしました。

通貨って、そもそもヴァーチャル!

あさよるはビットコインとか、近年話題になる仮想通貨の話題を扱った本だと思ってページを開いたので、出だしから予想外の内容でした。それは、我々はすでに仮想通貨を使っているし、通貨とはそもそもがヴァーチャルな存在だということを、改めて説明されたからです。あさよるも、Amazonギフト券をもらうこともあるし、人にAmazonギフト券をプレゼントすることもある。一昔前なら、図書券やビール券やデパートの金券をもらったりあげたりしていた。これら仮想通貨で、ある特定の枠の中でお金を同じように使えます。

本書ではFacebookのポイントが例に挙げられていました。Facebookはユーザーの個人情報から顔写真まで集めた上に、仮想通貨まで持っている。この仮想通貨が通常の通貨と違うところは、ユーザーからユーザーへ渡すことができないこと。すでに世界で数億人が使っている仮想通貨です。著書は長らくFacebookを使っていなかったけれども、どうしてもFacebookに登録しないとプレイできないゲームがあったため、やむなくユーザーになったとのこと。

そう、このゲームの世界で仮想通貨は大活躍しています。不思議なことに、ゲームの世界では砂漠のモンスターも通貨を持っていて、やっつけると通貨と薬を落として行ったりします。プレイヤーはゲーム内の仮想通貨を集めてゆくことで、ゲームの世界に熱中してゆくのです。面白いのは、何もお金をプレイヤーに与えなくてもゲーム自体は成立するところです。“どんどんお金が溜まってゆく”“報酬が増えてゆく”ことに夢中になってゆくのです。

金券やお買い物ポイント、ゲーム内の通貨など、すでに我々は仮想通貨を使っています。

そして、そもそも「お金」というのはヴァーチャルなものです。そう、お金ってただの金属の塊や紙切れなんです。そこに「価値」を見出しているのは、ヴァーチャルな価値であって、マテリアルそのものではありません。通貨とは、そもそもがヴァーチャルなのです。

単一通貨がいいの?複数の通貨がいいの?

通貨の種類はたくさんあります。日本では円が採用されています。世界で流通する通貨は、一つに統一した方が良いのか、それとも多様性がある方が良いのでしょうか。

世界では統一通貨の方がメリットが大きいと考えており、通貨の統一が試みられていました。その結果生まれたのが「ユーロ」です。通貨を両替する手続きや交渉の手間が省けます。ユーロも最初の三年間はヴァーチャルな、まるでゲームの通貨のような存在でした。実際に紙幣が作られ始めたのは3年後からでした。世界最先端の通貨なんですね。

一方で、複数の通貨が流通するメリットもあります。ある国はインフレが必要で、ある国ではデフレが必要なとき、通貨が違っていれば、それぞれの都合に合わせて流通する通貨の量を調節できます。これが統一通貨だと、どうしようもありません。

すでに仮想通貨を使っている?

ビットコインのような現在話題になる仮想通貨の話を期待してページをめくり始めましたが、我々はすでに仮想通貨を使っているという事実を知りました。

しかも、仮想通貨はとても身近です。

通貨は、他者とお金と物やサービスと“交換”したときに、表に現れ課税対象になります。家の中に宝石が転がっていても課税されませんが、それを交換すると税がかかります。お金が動くと政府はそれを見つけます。しかし、仮想通貨は見つけにくい、あるいは見つけられません。通貨が統一される方がいいのか、複数存在する方がいいのかは微妙なところです。不思議なことに、ゲームコインはインフレを起こすことはあっても、デフレはほぼ起こらない。通貨と仮想通貨の間で、認識が違っているのでしょうか?

また、所持する通貨は増えていくと嬉しい。だから、ゲームでもどんどんお金を溜めてゆくのが気持ちよくって、もっとゲームがしたくなる。通貨って不思議なもので、その価値を集めることは何ともヒトにとって快感なようです。単に、「なんでも買える」「なんでもできる」から欲しいワケじゃないらしい。

仮想通貨がリアル世界に流れ込んでくるとき、世界に変化が起こるでしょう。Facebookのポイントも、他人と交換できる機能が加われば大きく変わるのかもしれません。一方で、現実の通貨と、仮想通貨では人々の扱いもちょっと違うっぽい?

「通貨とは何か」「仮想通貨とは何か」をじっくりと考えながら、バーチャルとリアルの関わりが面白い本でした。

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